作品集237 「昨晩の食事に関する説明と内容、および友人の反応について」と つながりがあります。
というか続きです。
いい、天気だなぁ、と少女はぼんやり往来を眺める。
雪が降る人里の小さなお茶屋さんの軒先。火鉢にあたりながらぼんやりしている時間が好きだ。
今朝がた降った雪が溶けかけてて、あたりは甘い水のにおいがする。ちょろちょろと水が流れる微かな音と、ときどきぱちっとはじける火鉢の炭の音。
だれも通らない、昼下がりの裏通り。
静かで、清らかで、ひんやりしてて、でも足元の火鉢はじんわりあったかくて、炭のもえるにおいが、ふんわり鼻をなでていく。
手元には、いれたての甘酒の匂いと熱があって、ひとくちすすると、こっくりとろとろと甘いみつが、ぽわっと体にひろがっていく。おいしい。
お小遣いを握りしめて、大人みたいに、“一人前”のお茶屋のお客になって過ごす、ちょっと背伸びした時間。少女はこの時間が大好きだった。
この時間だけは、誰にも邪魔されたくない。なのだが――――
「ええ。あなたの言いたいことはよくわかります。大丈夫です。今日は寒いし、どんより曇ってます。そこまで寒くはないですが、昼過ぎからまた寒くなってきたんで、ふんわりきれいな雪が積もってて、通りは真っ白ですねえ。好きですよ。私はこんな冬だいすきです。ええ」
今日は招かれざる客がいた。てか、どんよりっていうな。
「あら、あらら。にらまないでくださいよ。わたしはたまたま今日このお店で甘酒でもと思っただけでして。そしたら店内はいっぱいで、寒いけどお外の縁台はいかがですかとお店のお姉さんに申し訳なさそうにお願いされて、しかし私は実は妖怪ですので寒さなんかへっちゃらですから、いいですいいです大丈夫です!って明るく朗らかに答えて甘酒とお団子を注文しまして、こちらの席に参ったところなのですよ。そしたら、何やら見知った顔がおりましたゆえ。これはこれは奇遇ですねと思って声もかけようかと思いましたが、なにやら物思いにふけっている様子でありましたし、邪魔をしてはいけないと、ここは大人のお姉さん的な慎みをですね、発揮して、にっこりわらってうしろからじぃっ、と見つめ続けていたのでございますよ。そしたらお茶屋さんが『はい、善哉おまちどうさまです』と声をかけてこられましたので、私は寒い外でも全く不満はありませんとお茶屋のお姉さんにも気を遣うべく、元気よく朗らかに健やかに『はい!』と大きな声で返事したわけでございます。そしたら、たまたまあなたの頭の後ろに私の頭がとてもとても近接しておりましたゆえ、結果的には驚かしてしまったというわけでして、まったく故意はありませんでしたのです。はい。驚きです私も驚きです。そして実のところあなたに対しては故意というか、どちらかというと恋ですね。ラヴ。唇をかるぅく噛みます」
相変わらずよくしゃべる妖怪である。そしてやかましい。なんだラヴって。
知り合いだと思って見つめるのは、百歩譲ってそれくらいはいいが、息がかかりそうなくらいうなじの近くで見つめてくるのはただの嫌がらせである。
「お姉さんはかわいそうです。せっかく知り合いにあったというのにこんな風に睨まれて」
悲しいとかではなく自分で自分をかわいそうという彼女に、少女のハリのいいお肌に歳に見合わぬしわが深く深く刻まれていく。
青い髪に、赤と青のオッドアイ。ふあふあもこもこの冬着。なすび色のでっけえ唐傘を脇に畳んだ、妖怪。
多々良小傘。みてくれは非常にかわいい。なんなら少女的には小傘の服をまねしたくなるくらいかわいい。しかし中身は御覧の通りの胡散臭い妖怪なのである。
彼女は、里ではよく見かける妖怪だ。ベビーシッターやってるとか、巫女に針を卸してるとか、鍛冶屋やってるとか、危ないうわさはあまり聞かない妖怪である。
で、あるが。
少女は以前、この妖怪にひどい目にあわされたのである。数年前の夜中、自室に言葉巧みに入り込まれてまんまと驚かされてえらい目にあわされたのである。
故に、ふんわりかわいいお姉ちゃんがにっこり笑ってこちらを覗きこんでいても、彼女にできる最大級の警戒心と嫌悪感を込めたジト目で迎撃するのである。
妖怪は困った顔をした。
「‥‥こわいですよ」
やかましか!
と、祖母の訛りをもって胸中で応戦する。
答えてはいけない。相手してはいけない。
とっても優しそうなおねえちゃんの笑顔だけど、こいつは妖怪である。隙を見て自分を食べようと狙っている妖怪なのである。
しずかで柔らかい冬の昼下がりは、妖怪の登場により固く緊張した時間に変わってしまった。
緊張が少女を襲う。何をしゃべっていいかわからない。しばしの静寂が流れ、先に話し始めたのは妖怪だった。
「‥‥あまりあからさまに怖がってはいけませんよ。恐怖は妖怪の糧ですからね」
「っ!」
やさしくおちついた声がかけられた。ハイテンションなところからこうもキャラの落差を作られるとどう感情を作ったらいいかわからなくなる少女である。
どぎまぎする少女をよそに、唐傘妖怪はまるで寺子屋の先生のようにやさしく語りかけてきた。
「あなたはまだ妖怪と対峙した経験がほとんどありませんからね。固くなるのも致し方ない。ですがね、一度あなたのおいしさを知ってしまった私としては、大変に危惧するところなのでありますよ。あなたのことが」
なにやら妖怪が語りだした。自分のおいしさとか、発言内容が不穏で実に妖怪らしい。
「要するにですね。あなたは妖怪的に大変おいしいのです。甘露。まるであなたの持っている甘酒のように。真面目で、気が強くて、一見恐れ知らずですが、その実内心では妖怪を恐れ、警戒し、妄想を膨らませてどんどん恐怖を自ら練り上げていく。ぷううっとふくれたお餅のよう。一突きすれば、ほら、ぱちん」
ぱちん、の声は驚かそうとするような大声ではなく、やさしくてやわらかな声だった。少女ははっとして、おもわず小傘の顔を見た。ふわっとした笑顔がそこにあった。赤と青の目が、やわらかくこちらを見つめている。
「それではいけません。それではまるで、自らはちみつを集めるミツバチの巣、無防備に枝にぶら下がるじゅくし柿、カモをしょったネギ‥‥あれ逆ですね。まあ、とにかくあなた、エサですよ。知らず知らずのうちに妖怪のほしがる心を撒き散らしていて‥‥そんなんじゃ、いずれあなた、取り憑かれますヨ?‥‥妖怪に!」
ばあー、と小傘は目を見開いて舌を出して見せた。少女は目を丸くしていたが、そのうち唇を引き結ぶと、下を向いた。暖かい火鉢は、相変わらず足元でじんわりあったかかった。
「実のところ罪悪感もあるのです。あの日あの夜私があなたの部屋に言葉巧みに侵入して、ねっとりじっとり恐怖を植え付けてしまったがために「お餅お待ちどうさまです」夜はこわくてお母さんと寝るよう、になりわずかながらに幼児退行、をおこ、し、てしま、ったと、いうなんですか袖を引っ張らないでください喋られないじゃないですか」
お運びのお姉さんが居るのに恥ずかしい話を大きな声でべらべらしゃべり続ける妖怪だったが、少女の真っ赤な顔と泣きそうな目を見て、さすがに頬を掻いて目線をそらし、ばつの悪そうな顔をした。お店のお姉さんは小傘の言うことなんか気にも留めない様子で店の中へ戻っていってくれたようだが、子供なりにもプライドというものはあるのだ。
「‥‥申し訳ありません。ちょっとからかいすぎてしまいました。悪い妖怪ですね私は」
少女は返事の代わりに小傘の下駄を横から蹴飛ばす。
「ふふふ。では、こうしましょう。あなたのその怖がりを私が直してあげるというのは。あむ」
また胡散臭いことを言い始めたぞと、睨み上げたら、おもちを齧ってにょーんと伸ばしている最中だった。
「っふまりふです、おふふふぁにまふって」
呑んでから喋れ。ジト目が細くなり、皴がきつくなる。
妖怪はもごもごやって、餅をごくりと呑み込んだ。
「つまりですね、おばけになってみませんかというお話でして」
少女の目が真ん丸に見開かれる。興味を引けたと思ったか、おばけが満面の笑みを浮かべた。
「そうですおばけです。あなたはわたしというお化けに怖がらされたわけでそれがトラウマになっているんです。ならばあなた自身がトラウマと同じものになってしまえば怖くなくなるというもの。得体のしれないなにかが怖いのならば自分も得体のしれない何かになればいい。そうすれば得体も知れます。たぶん。世の中そんなもんです。知らないから怖い、知ったら怖くなくなる。おっと。今のは実は妖怪を殺す話ですよ。迂闊に広めてしまったら、あなた真面目に妖怪に殺されますのでご注意を。まあ、考えるだけなら大丈夫です。正体不明に怯えて死なないように、知るということはとても大切なことなのですよ。なので、ぜひぜひあなたにもお化け体験をしていただきたくてですね!いや、殺しはしません。魂を抜いちゃったらあなた死んじゃいます。それはそれで怖くなくなるかもしれませんが私はそんなの望んじゃいません。なぜかわかりますか? そうです、幽霊は驚かないからおいしくないのですよ。私はあなたにいつまでもおいしいあなたでいてほしい。でもおいしくなりすぎて誰かに食べてもらいたくない。ああ、ああいいですね。困惑と恐怖と好奇心がないまぜになったすばらしい目です。私そんな目を見るとぞくぞくします。廃屋に突撃して我々にこれでもかと驚かされて精魂尽き果てるまで泣き叫ぶ子供たちや若者の目です。ふふふふふ。信用したいですか?信用したくないですか?私は信用できる妖怪でしょうか?さあ、なりますか、なりませんか、どうしますか?」
いつの間にか、赤と青のオッドアイが目の前にあった。怒涛のしゃべくりに目を白黒させるしかない少女の表情を見て、妖怪はにひひとわらった。いや、信用できませんって。
「そんなに見つめられたらはずかしいですよ。ほら、こっちの指だけ見ててくださいな」
少女の内心を知ってか知らずか。す、と妖怪の白い指がおでこに触れた。思わずドキリとしてその指を見てしまう。
指はおでこをなぞり、右のこめかみから頬をなぞり始める。目はまるで糸で引っ張られているようにその指を追いかけ続けた。
「あらあらかわいい寄り目です。私、寄り目は好きですね。両方の目が同じ方を向いているのに別々の向き。ぐるりと指を追っかけて、だんだん目がよってよってよってよって‥‥はい。一つ目」
にっこりかわいく笑う妖怪。何が起こったかわからない少女の前に、妖怪は自分の湯飲みを差し出した。
茶色いほうじ茶の水面に映るもの。でかでかとした一つの目ん玉。
――ひとつ!
「おっと!騒いではいけません。大きな声を出したら周りの人間に気取られてしまいます。我らお化けは人間のふりをしなければなりません。こんな真昼間からおおきくてかわいい一つ目をぱちくりやって大騒ぎなんかしてたら、巫女がやってきて目ん玉穿り出されますよ?」
悲鳴は口をふさぐ妖怪の手のひらに吸い込まれて、小さなうめき声になっていた。
目の前の白い雪が、やけにまぶしい気がする。
「きょろきょろしてはいけません。動揺してはいけません。あなたは“人間”なのです。何の変哲もない人間。人間の子供に化けた妖怪の子供です! そう振舞わなくては! 妖怪であることを気取られてはいけません。獲物が逃げてしまいます‥‥! ふふふふ」
気取られるなというならその派手な傘は何なんだと言いたいのだが、口を開けば悲鳴になりそうで激しく息を吸うしかできない。
少女の瞳は二つが一つに融合し、大きな一つ目になっていた。妖怪は少女を生きながらに一つ目妖怪の姿に変えてしまったのである。
恐慌状態でひゅうひゅうと息をする少女の口を緩やかに抑えながら、妖怪は先ほどとは打って変わって低い声で話しかける。
「安心なさい。これはお面やお化粧のようなものです。わたしの妖気をちょこっとだけあなたの顔にかぶせただけです。大丈夫、あなたの目はいまでもちゃんと二つあります。あなたは人間のまま妖怪の姿をしています。あれです、よくある“化かされる”の応用版です。お化けや妖怪が変身するのではなく、あなたが変身しています。ああ、人目ならご心配なく。私がおまもりしてますので。こうやって」
妖怪は傘を広げて茶屋の方からの視線を遮っていた。派手な傘なので余計目立ちそうなものではあるが、少女は影に覆われたのを察して、すこしだけ安堵する。ほんの少しだけ。
そんな少女をよそに楽しげな妖怪はしゃべり続けた。
「ああ、でも久しぶりにかわいい一つ目お化けを見ました。ちょっとおどおどした上目づかいたまりませんね。恥ずかしそうに頬っぺたが赤くなっているのもとてもよろしい。そのまま、地面の雪を見てみてください。ああ、物憂げな雰囲気に変わりました。上目遣いというのもよいですが、伏し目がちというのはやはり最強ですね。うん」
なにやら一人できゃあきゃあ言っているが、少女にしたら、厄介な相手にいきなり異形の姿にされて混乱の極みなのである。これからどうしようか、通りをあるく誰かに見られたらどうしようだとか、元に戻らなかったらどうしようだとか、いろんな思いがぐるぐる胸から頭まで行ったり来たり。こわい。状況が怖い。
「そんなに怖がらないでくださいな。その怯える心はとてもとても甘くておいしいのですが、私はあなたをエサにしようとしているのではありません。ええ、信じられんて顔してますね。あまりにらまないように。そのおっきな目でじっと見つめられたらドキドキしちゃいますよ。‥‥はあん! やっぱりかわいい! ちびっこようかいかわいい!」
ぎゅっ、と肩に回した手を伸ばして抱き寄せられた。お化けのくせにあったかくてあまいにおいがする。緊張しっぱなしの心臓の力が、すっと抜けていくような気がした。
妖怪に安心させられるとか、彼女のいいようにされているようでちょっとむっと来る。
「われわれは付喪神ですからねえ。古道具から生まれるわれわれはですね、赤ん坊とか幼子ってあまり身内にはいないわけでして。あ、身内というのは付喪神連中の間でってことです。人間のようにおなかからおぎゃあ、って感じでもないですからね。私は傘、唐傘ですので。気が付いたらこの世におりました。ただの道具だった頃の思い出なんて、あんまり、残ってないかなぁって。動けるようになってからね、付喪神の生まれる瞬間なんかも見てみたいなと思っていろいろなところを見て回りましたけど、まあ、そうそう運よくそういった場面には巡り合えないのでありますよ。でもねえ、道具が生まれるところを見てると、これが多分私たちの生まれる瞬間なんだろうなと、ちょっぴり胸に来るわけです。昔見た伯耆の淀江なんかすごかったですよ。一面の砂浜に出来立ての唐傘がぶわーっ、って並んでて、海風にさらされて乾くのを待ってるんですね。時々強めの風が吹いてばさばさ音を立てるんですけど、私にはそれがおぎゃあおぎゃあって赤んぼの泣き声が聞こえてくるように感じて、とても愛おしく感じたのを覚えております。道具というのは人間と同じです。生まれて人間とともに成長し、くたびれて歳を取っていく。わたしね、ちょっと鍛冶の真似事なんかも嗜みますけど、それってつまり付喪神的には赤ちゃんを産み続けているということなのかもしれません。で、私の噂話、ご存じですね。ご存じですよね。そうです。ベビーシッター。さて全部つながりました。つまりは、わたし子供好きなんです。だあから、あなたみたいな危なっかしい女の子はぜえったいに放っておけないんです。わかりますか?ラヴです」
わかったから歯を見せなくていいと言いたかったが、むううう!とか言って頬を擦り付けてくるおねえちゃんの様子に何も言えなくなってしまう。子供が好きだというのは本当のようだ。そして自分を心配してこんなことをしていると言い張っているのも、なんとなく信用できそうな気がしてきてしまうのである。
「さてそんな子供好きな私からご提案ですけど、せっかくそんな恰好をしているのですから、ひとつ誰か驚かしてみませんか。はい。いえいえ大丈夫です。かるく、かるううく、あなたのそのかわいくて大きな一つ目を、そっと見せてあげるのです。大騒ぎ?大丈夫、一瞬だけ見せたらすぐに妖術を解いてあなたの顔を元に戻します。あれ、み、見間違いだったかなって思うくらい一瞬です。うふぇふぇ。いいではないですか。妖怪はどうやって人間を驚かそうとするのか、そのドキドキ感、人間が驚いた姿。それらを感じて初めて、捕食者側である我々の気持ちもわかるというもの。そうしたら、あなたは妖怪の気持ちにちょっと触れることができ、妖怪との良い付き合い方を理解する手助けになると思います。さあ、やりましょう。いつまでも傘で隠しておくこともできません。いつのまにか雪の降り方が強くなってきましたよ。このままでは一つ目のまま茶屋の中に呼び込まれます。そうなったら、お店じゅう大騒ぎ!ですので、さっさと誰か驚かしましょう。ってか、もう駄目ですね。お運びさんがこちらにいらっしゃいました。呼びに来ましたね。目標は決まりましたよ、あのお姉さんです。‥‥小声で失礼しますね。お姉さんが呼びかけたら、私は傘を閉じます。そして立ち上がりますので、一緒に立ってください。そしたら、両腕でおなかを抱えて、そのまま動かないで。わたしはどうしたのと言って肩を揺さぶります。そのうちお姉さんも気にして覗き込みに来るでしょう。どうなさいましたか?と。そうしたら、大丈夫ですといってすっと振り返ってください。刹那私は術を解きます。夕暮れ、薄闇、吹雪。光の加減で目がくらんだ‥‥すべてお姉さんの思い過ごしになります。さあ、足音が近づいてまいりました。準備はよろしいですか。行きますよ――――」
「お客様、寒くなってきましたので、お店の中へどうぞ」
「あ、はああい」
いいも悪いもやりたいもやりたくないも一切口に出すこともできないまま、妖怪が立ち上がる。少女は反射的に言われるがまま立ってしまった。
「おなか」
小傘が、腰のあたりをポンポンと叩いてくる。思わず言われた通りにおなかを抱える。どきどきと心臓の音。これから妖怪としてだれかを驚かす。お気に入りのお店のお姉さんを驚かす。
もうちょっと時間があれば、ちょっぴりぞくぞくする気分になっているのを感じられたかもしれないが、妖怪は流れるように台本を進めていく。
「さて、一緒に中へ。あれ、大丈夫です?もしもし?」
「どうされました?」
「ああ、なんか、具合が悪いかな?ねえ、もしもし?」
肩が揺さぶられる。ドキドキが止まらない。足音が一歩、近づいた。
「どう、なされました?」
いまだ!
小傘の手にちょっと力が入った。
少女は意を決すると、うつむき気味のまま、くるりと振り返る。
「お客様?」
そのまま、ゆっくりと顔を上げて、お姉さんの顔を‥‥
そこには、空しかなかった。
ない。
顔がない。
「どう、されましたか‥‥」
顔がない。
ちがう。お姉さんの頭がない。
一つ目をまんまるにおおきくおおきく見開いて、すっと見上げた曇天の空。
「妖怪を驚かそうったぁ、修業が足らんなぁ、一つ目ちゃん?」
お姉さんの頭が、空中で笑っていた。くびの、くびの切れ目がびるびるうごめいてててててててて
「 」
少女の記憶はそこで途切れた。小傘が抱きとめてくる感触。
気絶する前に、2人とも笑っていたのをかろうじて覚えていた。
「というわけで、我々はいつ何時どこにいるかわからないので油断めされるな、というところがしっかり分かったところで、お姉さんの授業を終わりたいと思います。うふふ」
――――示し合わせてたんかい、あんたら!
「おいしい“あまざけ”ありがとうございました‥‥」
いつか絶対仕返ししてやると誓いながら、あったかい嘘吐き妖怪の腕の中で、少女は気持ちよく気絶したのだった。
そこからどうなったのかはわからない。目が覚めたら、顔は元通りで、自室で寝ていた。次の日もお店はいつも通りで、でもおねえさんは、今までと違って、少し目を細めてこっちを笑いながら見るようになった。ぐぬう。確かにドキドキはしなくなったが、別な意味で取り憑かれた気がしてもやもや。
「おまちどうさまです。‥‥今日も、来ませんねぇ。ふふふ」
そして今日も彼女はお店で甘酒を啜っている。小傘に仕返しするその日まで。でも、あの日以来小傘は来ない。なかなか現れない小傘の代わりに、お姉さんは今日も背中の後ろでニヤニヤしている。今日は晴れてて、ひざしもあったかい。
ちょっと変な方向に変わった日常だったが、あまざけは変わらずこっくり甘くて、おいしかった。
行きつけのお店のお姉さんが妖怪だったということで、こちらはこちらで奇妙な関係が生まれるのだが、それはまた別の話である。
どっとはらい
というか続きです。
いい、天気だなぁ、と少女はぼんやり往来を眺める。
雪が降る人里の小さなお茶屋さんの軒先。火鉢にあたりながらぼんやりしている時間が好きだ。
今朝がた降った雪が溶けかけてて、あたりは甘い水のにおいがする。ちょろちょろと水が流れる微かな音と、ときどきぱちっとはじける火鉢の炭の音。
だれも通らない、昼下がりの裏通り。
静かで、清らかで、ひんやりしてて、でも足元の火鉢はじんわりあったかくて、炭のもえるにおいが、ふんわり鼻をなでていく。
手元には、いれたての甘酒の匂いと熱があって、ひとくちすすると、こっくりとろとろと甘いみつが、ぽわっと体にひろがっていく。おいしい。
お小遣いを握りしめて、大人みたいに、“一人前”のお茶屋のお客になって過ごす、ちょっと背伸びした時間。少女はこの時間が大好きだった。
この時間だけは、誰にも邪魔されたくない。なのだが――――
「ええ。あなたの言いたいことはよくわかります。大丈夫です。今日は寒いし、どんより曇ってます。そこまで寒くはないですが、昼過ぎからまた寒くなってきたんで、ふんわりきれいな雪が積もってて、通りは真っ白ですねえ。好きですよ。私はこんな冬だいすきです。ええ」
今日は招かれざる客がいた。てか、どんよりっていうな。
「あら、あらら。にらまないでくださいよ。わたしはたまたま今日このお店で甘酒でもと思っただけでして。そしたら店内はいっぱいで、寒いけどお外の縁台はいかがですかとお店のお姉さんに申し訳なさそうにお願いされて、しかし私は実は妖怪ですので寒さなんかへっちゃらですから、いいですいいです大丈夫です!って明るく朗らかに答えて甘酒とお団子を注文しまして、こちらの席に参ったところなのですよ。そしたら、何やら見知った顔がおりましたゆえ。これはこれは奇遇ですねと思って声もかけようかと思いましたが、なにやら物思いにふけっている様子でありましたし、邪魔をしてはいけないと、ここは大人のお姉さん的な慎みをですね、発揮して、にっこりわらってうしろからじぃっ、と見つめ続けていたのでございますよ。そしたらお茶屋さんが『はい、善哉おまちどうさまです』と声をかけてこられましたので、私は寒い外でも全く不満はありませんとお茶屋のお姉さんにも気を遣うべく、元気よく朗らかに健やかに『はい!』と大きな声で返事したわけでございます。そしたら、たまたまあなたの頭の後ろに私の頭がとてもとても近接しておりましたゆえ、結果的には驚かしてしまったというわけでして、まったく故意はありませんでしたのです。はい。驚きです私も驚きです。そして実のところあなたに対しては故意というか、どちらかというと恋ですね。ラヴ。唇をかるぅく噛みます」
相変わらずよくしゃべる妖怪である。そしてやかましい。なんだラヴって。
知り合いだと思って見つめるのは、百歩譲ってそれくらいはいいが、息がかかりそうなくらいうなじの近くで見つめてくるのはただの嫌がらせである。
「お姉さんはかわいそうです。せっかく知り合いにあったというのにこんな風に睨まれて」
悲しいとかではなく自分で自分をかわいそうという彼女に、少女のハリのいいお肌に歳に見合わぬしわが深く深く刻まれていく。
青い髪に、赤と青のオッドアイ。ふあふあもこもこの冬着。なすび色のでっけえ唐傘を脇に畳んだ、妖怪。
多々良小傘。みてくれは非常にかわいい。なんなら少女的には小傘の服をまねしたくなるくらいかわいい。しかし中身は御覧の通りの胡散臭い妖怪なのである。
彼女は、里ではよく見かける妖怪だ。ベビーシッターやってるとか、巫女に針を卸してるとか、鍛冶屋やってるとか、危ないうわさはあまり聞かない妖怪である。
で、あるが。
少女は以前、この妖怪にひどい目にあわされたのである。数年前の夜中、自室に言葉巧みに入り込まれてまんまと驚かされてえらい目にあわされたのである。
故に、ふんわりかわいいお姉ちゃんがにっこり笑ってこちらを覗きこんでいても、彼女にできる最大級の警戒心と嫌悪感を込めたジト目で迎撃するのである。
妖怪は困った顔をした。
「‥‥こわいですよ」
やかましか!
と、祖母の訛りをもって胸中で応戦する。
答えてはいけない。相手してはいけない。
とっても優しそうなおねえちゃんの笑顔だけど、こいつは妖怪である。隙を見て自分を食べようと狙っている妖怪なのである。
しずかで柔らかい冬の昼下がりは、妖怪の登場により固く緊張した時間に変わってしまった。
緊張が少女を襲う。何をしゃべっていいかわからない。しばしの静寂が流れ、先に話し始めたのは妖怪だった。
「‥‥あまりあからさまに怖がってはいけませんよ。恐怖は妖怪の糧ですからね」
「っ!」
やさしくおちついた声がかけられた。ハイテンションなところからこうもキャラの落差を作られるとどう感情を作ったらいいかわからなくなる少女である。
どぎまぎする少女をよそに、唐傘妖怪はまるで寺子屋の先生のようにやさしく語りかけてきた。
「あなたはまだ妖怪と対峙した経験がほとんどありませんからね。固くなるのも致し方ない。ですがね、一度あなたのおいしさを知ってしまった私としては、大変に危惧するところなのでありますよ。あなたのことが」
なにやら妖怪が語りだした。自分のおいしさとか、発言内容が不穏で実に妖怪らしい。
「要するにですね。あなたは妖怪的に大変おいしいのです。甘露。まるであなたの持っている甘酒のように。真面目で、気が強くて、一見恐れ知らずですが、その実内心では妖怪を恐れ、警戒し、妄想を膨らませてどんどん恐怖を自ら練り上げていく。ぷううっとふくれたお餅のよう。一突きすれば、ほら、ぱちん」
ぱちん、の声は驚かそうとするような大声ではなく、やさしくてやわらかな声だった。少女ははっとして、おもわず小傘の顔を見た。ふわっとした笑顔がそこにあった。赤と青の目が、やわらかくこちらを見つめている。
「それではいけません。それではまるで、自らはちみつを集めるミツバチの巣、無防備に枝にぶら下がるじゅくし柿、カモをしょったネギ‥‥あれ逆ですね。まあ、とにかくあなた、エサですよ。知らず知らずのうちに妖怪のほしがる心を撒き散らしていて‥‥そんなんじゃ、いずれあなた、取り憑かれますヨ?‥‥妖怪に!」
ばあー、と小傘は目を見開いて舌を出して見せた。少女は目を丸くしていたが、そのうち唇を引き結ぶと、下を向いた。暖かい火鉢は、相変わらず足元でじんわりあったかかった。
「実のところ罪悪感もあるのです。あの日あの夜私があなたの部屋に言葉巧みに侵入して、ねっとりじっとり恐怖を植え付けてしまったがために「お餅お待ちどうさまです」夜はこわくてお母さんと寝るよう、になりわずかながらに幼児退行、をおこ、し、てしま、ったと、いうなんですか袖を引っ張らないでください喋られないじゃないですか」
お運びのお姉さんが居るのに恥ずかしい話を大きな声でべらべらしゃべり続ける妖怪だったが、少女の真っ赤な顔と泣きそうな目を見て、さすがに頬を掻いて目線をそらし、ばつの悪そうな顔をした。お店のお姉さんは小傘の言うことなんか気にも留めない様子で店の中へ戻っていってくれたようだが、子供なりにもプライドというものはあるのだ。
「‥‥申し訳ありません。ちょっとからかいすぎてしまいました。悪い妖怪ですね私は」
少女は返事の代わりに小傘の下駄を横から蹴飛ばす。
「ふふふ。では、こうしましょう。あなたのその怖がりを私が直してあげるというのは。あむ」
また胡散臭いことを言い始めたぞと、睨み上げたら、おもちを齧ってにょーんと伸ばしている最中だった。
「っふまりふです、おふふふぁにまふって」
呑んでから喋れ。ジト目が細くなり、皴がきつくなる。
妖怪はもごもごやって、餅をごくりと呑み込んだ。
「つまりですね、おばけになってみませんかというお話でして」
少女の目が真ん丸に見開かれる。興味を引けたと思ったか、おばけが満面の笑みを浮かべた。
「そうですおばけです。あなたはわたしというお化けに怖がらされたわけでそれがトラウマになっているんです。ならばあなた自身がトラウマと同じものになってしまえば怖くなくなるというもの。得体のしれないなにかが怖いのならば自分も得体のしれない何かになればいい。そうすれば得体も知れます。たぶん。世の中そんなもんです。知らないから怖い、知ったら怖くなくなる。おっと。今のは実は妖怪を殺す話ですよ。迂闊に広めてしまったら、あなた真面目に妖怪に殺されますのでご注意を。まあ、考えるだけなら大丈夫です。正体不明に怯えて死なないように、知るということはとても大切なことなのですよ。なので、ぜひぜひあなたにもお化け体験をしていただきたくてですね!いや、殺しはしません。魂を抜いちゃったらあなた死んじゃいます。それはそれで怖くなくなるかもしれませんが私はそんなの望んじゃいません。なぜかわかりますか? そうです、幽霊は驚かないからおいしくないのですよ。私はあなたにいつまでもおいしいあなたでいてほしい。でもおいしくなりすぎて誰かに食べてもらいたくない。ああ、ああいいですね。困惑と恐怖と好奇心がないまぜになったすばらしい目です。私そんな目を見るとぞくぞくします。廃屋に突撃して我々にこれでもかと驚かされて精魂尽き果てるまで泣き叫ぶ子供たちや若者の目です。ふふふふふ。信用したいですか?信用したくないですか?私は信用できる妖怪でしょうか?さあ、なりますか、なりませんか、どうしますか?」
いつの間にか、赤と青のオッドアイが目の前にあった。怒涛のしゃべくりに目を白黒させるしかない少女の表情を見て、妖怪はにひひとわらった。いや、信用できませんって。
「そんなに見つめられたらはずかしいですよ。ほら、こっちの指だけ見ててくださいな」
少女の内心を知ってか知らずか。す、と妖怪の白い指がおでこに触れた。思わずドキリとしてその指を見てしまう。
指はおでこをなぞり、右のこめかみから頬をなぞり始める。目はまるで糸で引っ張られているようにその指を追いかけ続けた。
「あらあらかわいい寄り目です。私、寄り目は好きですね。両方の目が同じ方を向いているのに別々の向き。ぐるりと指を追っかけて、だんだん目がよってよってよってよって‥‥はい。一つ目」
にっこりかわいく笑う妖怪。何が起こったかわからない少女の前に、妖怪は自分の湯飲みを差し出した。
茶色いほうじ茶の水面に映るもの。でかでかとした一つの目ん玉。
――ひとつ!
「おっと!騒いではいけません。大きな声を出したら周りの人間に気取られてしまいます。我らお化けは人間のふりをしなければなりません。こんな真昼間からおおきくてかわいい一つ目をぱちくりやって大騒ぎなんかしてたら、巫女がやってきて目ん玉穿り出されますよ?」
悲鳴は口をふさぐ妖怪の手のひらに吸い込まれて、小さなうめき声になっていた。
目の前の白い雪が、やけにまぶしい気がする。
「きょろきょろしてはいけません。動揺してはいけません。あなたは“人間”なのです。何の変哲もない人間。人間の子供に化けた妖怪の子供です! そう振舞わなくては! 妖怪であることを気取られてはいけません。獲物が逃げてしまいます‥‥! ふふふふ」
気取られるなというならその派手な傘は何なんだと言いたいのだが、口を開けば悲鳴になりそうで激しく息を吸うしかできない。
少女の瞳は二つが一つに融合し、大きな一つ目になっていた。妖怪は少女を生きながらに一つ目妖怪の姿に変えてしまったのである。
恐慌状態でひゅうひゅうと息をする少女の口を緩やかに抑えながら、妖怪は先ほどとは打って変わって低い声で話しかける。
「安心なさい。これはお面やお化粧のようなものです。わたしの妖気をちょこっとだけあなたの顔にかぶせただけです。大丈夫、あなたの目はいまでもちゃんと二つあります。あなたは人間のまま妖怪の姿をしています。あれです、よくある“化かされる”の応用版です。お化けや妖怪が変身するのではなく、あなたが変身しています。ああ、人目ならご心配なく。私がおまもりしてますので。こうやって」
妖怪は傘を広げて茶屋の方からの視線を遮っていた。派手な傘なので余計目立ちそうなものではあるが、少女は影に覆われたのを察して、すこしだけ安堵する。ほんの少しだけ。
そんな少女をよそに楽しげな妖怪はしゃべり続けた。
「ああ、でも久しぶりにかわいい一つ目お化けを見ました。ちょっとおどおどした上目づかいたまりませんね。恥ずかしそうに頬っぺたが赤くなっているのもとてもよろしい。そのまま、地面の雪を見てみてください。ああ、物憂げな雰囲気に変わりました。上目遣いというのもよいですが、伏し目がちというのはやはり最強ですね。うん」
なにやら一人できゃあきゃあ言っているが、少女にしたら、厄介な相手にいきなり異形の姿にされて混乱の極みなのである。これからどうしようか、通りをあるく誰かに見られたらどうしようだとか、元に戻らなかったらどうしようだとか、いろんな思いがぐるぐる胸から頭まで行ったり来たり。こわい。状況が怖い。
「そんなに怖がらないでくださいな。その怯える心はとてもとても甘くておいしいのですが、私はあなたをエサにしようとしているのではありません。ええ、信じられんて顔してますね。あまりにらまないように。そのおっきな目でじっと見つめられたらドキドキしちゃいますよ。‥‥はあん! やっぱりかわいい! ちびっこようかいかわいい!」
ぎゅっ、と肩に回した手を伸ばして抱き寄せられた。お化けのくせにあったかくてあまいにおいがする。緊張しっぱなしの心臓の力が、すっと抜けていくような気がした。
妖怪に安心させられるとか、彼女のいいようにされているようでちょっとむっと来る。
「われわれは付喪神ですからねえ。古道具から生まれるわれわれはですね、赤ん坊とか幼子ってあまり身内にはいないわけでして。あ、身内というのは付喪神連中の間でってことです。人間のようにおなかからおぎゃあ、って感じでもないですからね。私は傘、唐傘ですので。気が付いたらこの世におりました。ただの道具だった頃の思い出なんて、あんまり、残ってないかなぁって。動けるようになってからね、付喪神の生まれる瞬間なんかも見てみたいなと思っていろいろなところを見て回りましたけど、まあ、そうそう運よくそういった場面には巡り合えないのでありますよ。でもねえ、道具が生まれるところを見てると、これが多分私たちの生まれる瞬間なんだろうなと、ちょっぴり胸に来るわけです。昔見た伯耆の淀江なんかすごかったですよ。一面の砂浜に出来立ての唐傘がぶわーっ、って並んでて、海風にさらされて乾くのを待ってるんですね。時々強めの風が吹いてばさばさ音を立てるんですけど、私にはそれがおぎゃあおぎゃあって赤んぼの泣き声が聞こえてくるように感じて、とても愛おしく感じたのを覚えております。道具というのは人間と同じです。生まれて人間とともに成長し、くたびれて歳を取っていく。わたしね、ちょっと鍛冶の真似事なんかも嗜みますけど、それってつまり付喪神的には赤ちゃんを産み続けているということなのかもしれません。で、私の噂話、ご存じですね。ご存じですよね。そうです。ベビーシッター。さて全部つながりました。つまりは、わたし子供好きなんです。だあから、あなたみたいな危なっかしい女の子はぜえったいに放っておけないんです。わかりますか?ラヴです」
わかったから歯を見せなくていいと言いたかったが、むううう!とか言って頬を擦り付けてくるおねえちゃんの様子に何も言えなくなってしまう。子供が好きだというのは本当のようだ。そして自分を心配してこんなことをしていると言い張っているのも、なんとなく信用できそうな気がしてきてしまうのである。
「さてそんな子供好きな私からご提案ですけど、せっかくそんな恰好をしているのですから、ひとつ誰か驚かしてみませんか。はい。いえいえ大丈夫です。かるく、かるううく、あなたのそのかわいくて大きな一つ目を、そっと見せてあげるのです。大騒ぎ?大丈夫、一瞬だけ見せたらすぐに妖術を解いてあなたの顔を元に戻します。あれ、み、見間違いだったかなって思うくらい一瞬です。うふぇふぇ。いいではないですか。妖怪はどうやって人間を驚かそうとするのか、そのドキドキ感、人間が驚いた姿。それらを感じて初めて、捕食者側である我々の気持ちもわかるというもの。そうしたら、あなたは妖怪の気持ちにちょっと触れることができ、妖怪との良い付き合い方を理解する手助けになると思います。さあ、やりましょう。いつまでも傘で隠しておくこともできません。いつのまにか雪の降り方が強くなってきましたよ。このままでは一つ目のまま茶屋の中に呼び込まれます。そうなったら、お店じゅう大騒ぎ!ですので、さっさと誰か驚かしましょう。ってか、もう駄目ですね。お運びさんがこちらにいらっしゃいました。呼びに来ましたね。目標は決まりましたよ、あのお姉さんです。‥‥小声で失礼しますね。お姉さんが呼びかけたら、私は傘を閉じます。そして立ち上がりますので、一緒に立ってください。そしたら、両腕でおなかを抱えて、そのまま動かないで。わたしはどうしたのと言って肩を揺さぶります。そのうちお姉さんも気にして覗き込みに来るでしょう。どうなさいましたか?と。そうしたら、大丈夫ですといってすっと振り返ってください。刹那私は術を解きます。夕暮れ、薄闇、吹雪。光の加減で目がくらんだ‥‥すべてお姉さんの思い過ごしになります。さあ、足音が近づいてまいりました。準備はよろしいですか。行きますよ――――」
「お客様、寒くなってきましたので、お店の中へどうぞ」
「あ、はああい」
いいも悪いもやりたいもやりたくないも一切口に出すこともできないまま、妖怪が立ち上がる。少女は反射的に言われるがまま立ってしまった。
「おなか」
小傘が、腰のあたりをポンポンと叩いてくる。思わず言われた通りにおなかを抱える。どきどきと心臓の音。これから妖怪としてだれかを驚かす。お気に入りのお店のお姉さんを驚かす。
もうちょっと時間があれば、ちょっぴりぞくぞくする気分になっているのを感じられたかもしれないが、妖怪は流れるように台本を進めていく。
「さて、一緒に中へ。あれ、大丈夫です?もしもし?」
「どうされました?」
「ああ、なんか、具合が悪いかな?ねえ、もしもし?」
肩が揺さぶられる。ドキドキが止まらない。足音が一歩、近づいた。
「どう、なされました?」
いまだ!
小傘の手にちょっと力が入った。
少女は意を決すると、うつむき気味のまま、くるりと振り返る。
「お客様?」
そのまま、ゆっくりと顔を上げて、お姉さんの顔を‥‥
そこには、空しかなかった。
ない。
顔がない。
「どう、されましたか‥‥」
顔がない。
ちがう。お姉さんの頭がない。
一つ目をまんまるにおおきくおおきく見開いて、すっと見上げた曇天の空。
「妖怪を驚かそうったぁ、修業が足らんなぁ、一つ目ちゃん?」
お姉さんの頭が、空中で笑っていた。くびの、くびの切れ目がびるびるうごめいてててててててて
「 」
少女の記憶はそこで途切れた。小傘が抱きとめてくる感触。
気絶する前に、2人とも笑っていたのをかろうじて覚えていた。
「というわけで、我々はいつ何時どこにいるかわからないので油断めされるな、というところがしっかり分かったところで、お姉さんの授業を終わりたいと思います。うふふ」
――――示し合わせてたんかい、あんたら!
「おいしい“あまざけ”ありがとうございました‥‥」
いつか絶対仕返ししてやると誓いながら、あったかい嘘吐き妖怪の腕の中で、少女は気持ちよく気絶したのだった。
そこからどうなったのかはわからない。目が覚めたら、顔は元通りで、自室で寝ていた。次の日もお店はいつも通りで、でもおねえさんは、今までと違って、少し目を細めてこっちを笑いながら見るようになった。ぐぬう。確かにドキドキはしなくなったが、別な意味で取り憑かれた気がしてもやもや。
「おまちどうさまです。‥‥今日も、来ませんねぇ。ふふふ」
そして今日も彼女はお店で甘酒を啜っている。小傘に仕返しするその日まで。でも、あの日以来小傘は来ない。なかなか現れない小傘の代わりに、お姉さんは今日も背中の後ろでニヤニヤしている。今日は晴れてて、ひざしもあったかい。
ちょっと変な方向に変わった日常だったが、あまざけは変わらずこっくり甘くて、おいしかった。
行きつけのお店のお姉さんが妖怪だったということで、こちらはこちらで奇妙な関係が生まれるのだが、それはまた別の話である。
どっとはらい
うさん臭さ全開でマシンガントークしてる小傘がベテランの妖怪ぽくてとてもよかったです
驚かされる女の子がとてもかわいすぎる
よわよわなイメージの強い小傘ちゃんがここまでマウントを取れるとは
たいへんよかったです。こがばんきこわかわいい
面白かったです。