***1***
「霊夢、大丈夫か?」
「うん…まだちょっとだるいかな」
「ほれ。これ飲んで体温めときな」
「ありがと、魔理沙」
「にしても、お前ただでさえ寒いってのに、外での相談乗った後に行列並ぶってさぁ」
「だって仕方がないじゃない―――これ!秋姉妹監修、葡萄の実をまるまる一個包んだ大福よ!食べずにはいられないわ」
「けど結局、売り切れちまったんだろ?」
「あはは…さすがにあの時間に並んだんじゃ遅かったみたい」
「ったく。しっかりしろよな」
障子越しに少女たちの会話が聞こえる。
「…」
その外、木陰に隠れて、清く正しい鴉天狗、射命丸文は花束をいじくっていた。
秋の旅立ちを告げる、赤と茶色のグラデーション。そんな枯木の装いに、ルポライタースタイルは最高の隠れ身の術。けれど、にもかかわらず、今日に限っては文の表情はどこか浮かなかった。不安と苛立ちをどこに出せば良いのか頭の中でぐるぐるさせながら、文は小さく花を撫でる。
――文が博麗霊夢の体調不良を知ったのは、一時間ほど前のこと。いつでもネタが拾えるように、と神社に放っていた鴉の鳴き声からだった。
表向き「豊富なネタ元」とかなんとか言っていたけど、何だかんだ「個」として「博麗霊夢」のことを気に入っていることを、文は自覚している。だから眷属からの報告を聞いた時も、胸が締めつけられる感覚と共に、すぐにでも家を飛び出したい衝動にかられた。
……だが待って欲しい。射命丸文は誇り高き鴉天狗である。
天狗は人間を常に傲慢に見下すもの。賢く立ち回り、動揺してはならない。たとえお見舞いだからといって、その姿勢を崩す訳にはいかない。
間違っても、心配そうに駆けつけて甲斐甲斐しく接する自分など―――特に霊夢(あのこ)に対しては、見せてはならないのである。
と言って、いくら天狗だ人間だと言って、お見舞いに行くのに何も持って行かないのはさすがに失礼に当たるだろう。
顔を俯かせ、靴のつま先で土を叩きながら、その時の思考を回想する――そんなこと、したくないし。
『おはようございますー。朝早くからすみません。『文々。新聞』記者のあやと申しますー』
だから開店直後の花屋にアポなしで直撃して、花に関して特集したいから、と強引に押し通して。
『そうですね。ほら、この時期は寒くなって体調を崩す方が多いでしょう。そういう時のために、例えばお見舞い用にどんな花を贈れば良いのかとか、教えて欲しいのですが』
そうしてうまく話術で誤魔化し、やっとのことで花束を購入して神社に到着したというのに。
「…さて、どうしましょうか」
まさか既に先客がいるとは。それも、巫女の悪友たる白黒の泥棒魔法使い。あれで彼女は他人のことをよく見てるから、文の霊夢に対する感情も、薄々気付いているだろう。
霊夢一人ならともかく、彼女がいる前で姿を現す訳にはいかない。
「それで、アンタはいつまでいれるの?」
「んー、そうだなぁ。今日は別に何があるって訳でもないしな。昼過ぎくらいまではいてやるぜ」
再び障子の中から聞こえてくる声に、文は眉をしかめる。
それは即ち、早くて昼ごろにならなければ、霊夢が一人になることはあり得ないということ。
今ここにいても、意味がない、ということ。
木陰で小さくため息をつく。しょうがない。それなら一回出直しましょう。
…けど、なぁ。落葉を一枚拾って、右手でくるくる回す。
このまま引き下がるだけ、というのもなんだか癪と言うか…
さわさわ、冷たい風が、弄っていた落葉を遠くに飛ばしてしまう。持て余した右手を漂わせながら、文は小さく唇を尖らせた。
***2***
霧雨魔理沙が博麗神社に訪れてから、何時間かが経った。
「うーん。こうして座り続けるのは、ちとしんどいな」
「悪いわね」
「何。気にすんな。こういう時はお互い様だぜ」
「…本音は?」
「へっへっへ。これで貸しひとつ、だからな!」
「まったく。調子良いんだから」
苦笑する霊夢を見ながら、魔理沙は満足そうに微笑む。朝早く気まぐれに来た時にはほの暗い部屋で小さく震えててびっくりしたけど、今は血色も良くなって、ほとんどいつもの霊夢になりつつある。
何気なく叩かれる軽口が、今はこんなにも温かい。やっぱこいつは、こうでないとな。
「ちょっと、外の空気吸ってくるぜ」
「ん。いってらっしゃい」
手を振る霊夢を背に、魔理沙は障子を開け、縁側に出る。すっかり出て来た日差しに触れて、ぐっと伸び。やっぱりこういう季節であっても、陽光は暖かくて気持ちが良い。風もないし、しばらくここでのんびり――
「…ん?」
と、魔理沙は足もとの気配に気付くと、あるものを拾って。その存在に首を傾げた後、再び霊夢のいる寝室に踵を返す。
「おーい霊夢ー」
「どうしたの、魔理沙」
「お届けものみたいだぜ」
そう言いながら魔理沙が掲げたものに、霊夢も首を傾げる。
「なにこの花束」
「さぁな。さっき縁側出たら置いてあったんだ」
霊夢は花束をゆっくり手に取ると、栗色の眼で興味深そうに見つめる。薄桃色のガーベラやバラを中心に、柔らかい色合いの花がまとめられている。よくよく見たら、ちょうど蜜柑色のリボンがあるところに「早く良くなりますように」というカードが付いていて。たまたまではなく、誰かがお見舞いに持って来た花束なのだろう。
香りも優しくて良い。……あぁ、そういえばここの蔵に白磁の花瓶があったっけ。ちょうどこのくらいのサイズなら、綺麗に活けることが出来るのではないだろうか。
「他に何かなかった?」
「あったぜ。ほれ、重なるようにコイツが」
そう言って差し出したものに、ご機嫌だった霊夢の顔が一気に歪んでいく。
「……はぁ、本当にアイツは回りくどいことばかりするわね」
差し出されたそれ――『文々。新聞』を、今度は乱暴な手つきで受け取る。さっき弾んでいた声も、ちくちく刺々しくなって。あまりに分かりやすい変化に、魔理沙も思わず唇を引きつらせる。
「こっちから文に何か言伝てやろうか?」
そう提案するも、霊夢は新聞を傍に置いて、首を横に振る。強く握っていたからか、新聞は既に一部がくしゃくしゃになっていた。
「無駄よ。どうせアイツ、たまたま見舞客が置いていった花束の上に号外置いただけで『自分は関係ありません、それに巫女の病気なんて記事になりません』て言って躱すに決まってるわ」
…あー。しらばっくれる文の能面が、簡単に想像出来る。
「そうかも、なぁ」
「でしょう?ほんっとにもう、アイツってやつは…」
霊夢は曲げた膝を手で抱えて、そのまま膝の陰に、顔も埋めて。
覇気のない黒髪と白の浴衣も相まって、朝、小さく震えていた彼女の姿を、魔理沙に想起させた。
「――ヨワムシ」
――からり。風もないのに、枯葉が一枚動く音がした。
その音に、魔理沙は障子の外側を一瞥する。一見おかしなことのない枯葉散る参道に、ため息をついて。
「……ま、アイツならそのうち勝手に来そうだしな」
そう独り言のように呟きながら、ゆるりと立ち上がった。
「もう行くの?」
「あぁ。アリスのやつから借りていた本返さないといけなかったんだ」
「へぇ。珍しく殊勝じゃない」
「さすがに何回も家の前で人形を自爆されたら、たまったものじゃないぜ」
「…アンタ、今までどんだけ滞納してたのよ」
呆れたように微笑む霊夢に、魔理沙も笑顔を返す。そうそう、やっぱりコイツにはこういう顔がお似合いだ。
「へへ。じゃ、また来る。大事にな」
「うん。ありがと」
手を振りながら見送る霊夢を背に、魔理沙は縁側から降りて、柱に立てかけていた箒を手に取る。そして、跨ると、また参道の方を一瞥して。
――まったく。これで貸しひとつ、だからな。
そう困ったように微笑むと、枯葉を巻き上げながら、神社を飛び立って行った。
***3***
魔理沙を運ぶ風が去り、神社に再び静寂が訪れる。
障子は開け放たれたまま。差し込む陽光の暖かさに誘われるように、霊夢は外へと顔を向ける。
冬への戸が叩かれようとしている季節の中、寒さを物語る枯葉たちは、参道のあちらこちらに散らばっていて。あーこれは、回復したら真っ先に掃除してあげないといけないわね、と苦笑い。
寂れながらも、決して色を失っていない景色に視線を巡らせ、最後に大木の幹に焦点を当てて。ふぅ、と一呼吸置くと、徐に木の方向へ声をかけた。
「――魔理沙なら帰ったわよ」
しん、とした反応。一見すれば、鳥の子一羽いないと思わせる程、生の気配が見えない境内。けれど霊夢は、返事がないと悟るや、より鋭い目で木の方を睨みつけていた。
「…疑うな」
低い声を出せば、数瞬の後、ようやくため息ひとつが返って来て。
「はいはい。出て来ますよっと…」
がさがさ、枯草を踏む音と共に、一人の少女が姿を見せる。
「貴女は真を話したつもりでも、かの泥棒が潜んでる可能性はありましょう?」
「アンタも草から飛び出したくせに」
濡れ羽色と形容するにふさわしい黒髪に、夕日をたたえた目を持つ整った顔立ち――鴉天狗の射命丸文がそこにいた。ベージュのスーツとキュロット、そして紅葉色のネクタイと、今日はルポライタースタイルである。何で今日その恰好なのかは――ちら、と立て掛けている花束を見る――ま、そういうことなんだろう。
そんな霊夢の視線を他所に、文は手水場で手を清めると、丁寧な所作でブーツを脱ぎ寝室へと上がり込む。
「気分の方はいかがですか」
「そうね。朝よりはかなり良くなってると思う」
「良かったです。お薬は」
「それ。朝と夕方の食後に取りなさいってさ。朝は飲んだ」
「結構――なるほど、永遠亭のお薬ですね。それはよく効きますから、ちゃんと飲んでください」
はきはき言いながらも、文はずっと目と眉を小さく寄せていて。どうやら、ちょっとご機嫌斜めな様子だ。
「どうしたの、そんな顔して」
「…先程は、ずいぶん聞き捨てならないことを言ってくれましたね」
「何が?」
とぼけて首を傾げてみれば、文は眉をますます寄せて、威嚇するように睨みつける。
「何がじゃないですよ。清廉高潔、鴉天狗の私を指して『ヨワムシ』とは」
…なーんだ、やっぱり聞こえてたんじゃない。紅い妖眼をより光らせてこっちに迫るなんて、脅しでもかけてるつもりなのだろうか。
「ふん。こういう時にこそこそとしか姿を見せられないようなヤツは『ヨワムシ』でじゅーぶんよ」
ありったけの眼光をもって、霊夢も文を睨み返す。
コイツは、いつもそうだ。本当に「会いたい時に居ない」。他の友人や知人たちが気さくに来てくれる中でも、何を気にしてるのか、こそこそ隠れたまま様子を窺って。
…こっちが何を想っているのかも、知ろうともしないで。
文はというと、こちらの視線に何かを感じたのか、目の光を少し鈍らせて、唇を引きつらせて。けれどすぐに挑発するように唇を作り直しながら、こちらに向き直る。
「…はっ、そんな児戯みたいな挑発に乗るほど私も落ちてませんけど」
「なんか甘い匂いするわ」
「聞きなさい」
ふん。聞いてやるもんか。不満げに文句を言おうとする文に構わず、霊夢は視線を巡らせる。その視線に、刹那文は集中を崩し、目を右へと逸らしてしまった。
「あっ!その右腕、後ろに隠さず見せなさいよ」
「…嫌と言ったら?」
「うるさい。私は病人よ?ほら早くしなさい」
ほれ、ほれ、と手を差し出しながら、霊夢はしっかりと文を見つめる。決して笑みを崩さない、余裕の表情で。
しばらく流れる睨めっこ。けれど、文の目が小さく揺れているのに対し、霊夢の目は動かず文を射抜き続けて。一分の後、ついに文が、張り詰めた空気を崩すようにため息をついた。
「ったく、あなたこそ『ヨクバリ』ですよ。…ほら」
差し出されたのは、小さな紙袋。そこに書かれていた店名を見るなり、霊夢は目を輝かせながらかっさらって、中を覗きこんで。そこにあったのは、昨日から霊夢がずっと求めていた、葡萄の大福。
文の方をちらと見れば、差し出した手をゆっくりさすっている。刹那触れた文の指が冷たかったのを思い出し、霊夢は頬を緩める。
「そうよ。私は『ヨクバリ』なの」
「何ですか、気味が悪い」
「だって本当のことだもん」
もちもちを一つ手に取って、淡雪もかくやという粉の心地を堪能してから、一口。紫の果実の甘さとみずみずしさが咀嚼と共に弾けて、思わず頬を手で押さえてしまう。
幸せそうな霊夢の笑顔に、文は唇の端をきゅっと噛みしめる。決して隙を見せてはいけない、そう何回も言い聞かせすぎた結果、体全体がすっかり固くなってしまっていることに、彼女は気付いていた。
「あのね、そういう時はちゃんと認めるものなのよ。これがアンタと私の格の違いってやつ」
「まだ言いますか。だからアレは」
「お茶が欲しいわね」
「………」
またしても抵抗を遮られて眉を歪める文を、霊夢はしっかりと見つめる。
「――『文が淹れた』お茶が欲しいわ」
刹那、今度は唇の中央に力を入れ、けれど少しだけ目の色を明るくさせる文。その隙を逃さず、霊夢は小鳥に狙いを定める猛禽のように、上体を文の方へと近付ける。
互いの吐息が分かるくらいの距離で、再び始まる睨めっこ。けれど結局、迷いに瞳を揺らし続ける文に勝ち目などなくて。またため息をつきながら、霊夢の肩を柔らかく引き戻す。
「……味は甘めが好きでしたよね」
「文の好きに淹れてよ」
「はいはい」
呆れ気味に返事をすると、ゆるゆると立ち上がって、背中を向ける。
「『ヨクバリ巫女のゆすりの手口!』。次はこれかしら」
「ん?なんて?」
「いーえ、なんでも」
霊夢の睨みつける視線に、文は顔を向けることなく、ゆらゆらと手を振る。
「早く温まって復活して、ネタとして輝いてくださいね?ではでは後で」
ぴたりと閉じられた障子。ひたひたひた、と縁側の床を踏んでいく音。
長年あの天狗と向き合って来たから、霊夢には分かる。あの音…アイツ、いつもよりも速足で歩いているのだろう。
霊夢はため息をつくと、今度は文にも聞こえないくらい小さな声で、ぽつり、呟いた。
「…だから『ヨワムシ』って言ってんのよバーカ」
***4***
その後、霊夢のためにお茶を淹れて来た文。
「好きに淹れて良いって言ったのに」
「これが私がいつも淹れてる味なんです」
「ふぅん。じゃあ意外と好みが合うのね、私たち」
文は咳き込んだ。
「霊夢、大丈夫か?」
「うん…まだちょっとだるいかな」
「ほれ。これ飲んで体温めときな」
「ありがと、魔理沙」
「にしても、お前ただでさえ寒いってのに、外での相談乗った後に行列並ぶってさぁ」
「だって仕方がないじゃない―――これ!秋姉妹監修、葡萄の実をまるまる一個包んだ大福よ!食べずにはいられないわ」
「けど結局、売り切れちまったんだろ?」
「あはは…さすがにあの時間に並んだんじゃ遅かったみたい」
「ったく。しっかりしろよな」
障子越しに少女たちの会話が聞こえる。
「…」
その外、木陰に隠れて、清く正しい鴉天狗、射命丸文は花束をいじくっていた。
秋の旅立ちを告げる、赤と茶色のグラデーション。そんな枯木の装いに、ルポライタースタイルは最高の隠れ身の術。けれど、にもかかわらず、今日に限っては文の表情はどこか浮かなかった。不安と苛立ちをどこに出せば良いのか頭の中でぐるぐるさせながら、文は小さく花を撫でる。
――文が博麗霊夢の体調不良を知ったのは、一時間ほど前のこと。いつでもネタが拾えるように、と神社に放っていた鴉の鳴き声からだった。
表向き「豊富なネタ元」とかなんとか言っていたけど、何だかんだ「個」として「博麗霊夢」のことを気に入っていることを、文は自覚している。だから眷属からの報告を聞いた時も、胸が締めつけられる感覚と共に、すぐにでも家を飛び出したい衝動にかられた。
……だが待って欲しい。射命丸文は誇り高き鴉天狗である。
天狗は人間を常に傲慢に見下すもの。賢く立ち回り、動揺してはならない。たとえお見舞いだからといって、その姿勢を崩す訳にはいかない。
間違っても、心配そうに駆けつけて甲斐甲斐しく接する自分など―――特に霊夢(あのこ)に対しては、見せてはならないのである。
と言って、いくら天狗だ人間だと言って、お見舞いに行くのに何も持って行かないのはさすがに失礼に当たるだろう。
顔を俯かせ、靴のつま先で土を叩きながら、その時の思考を回想する――そんなこと、したくないし。
『おはようございますー。朝早くからすみません。『文々。新聞』記者のあやと申しますー』
だから開店直後の花屋にアポなしで直撃して、花に関して特集したいから、と強引に押し通して。
『そうですね。ほら、この時期は寒くなって体調を崩す方が多いでしょう。そういう時のために、例えばお見舞い用にどんな花を贈れば良いのかとか、教えて欲しいのですが』
そうしてうまく話術で誤魔化し、やっとのことで花束を購入して神社に到着したというのに。
「…さて、どうしましょうか」
まさか既に先客がいるとは。それも、巫女の悪友たる白黒の泥棒魔法使い。あれで彼女は他人のことをよく見てるから、文の霊夢に対する感情も、薄々気付いているだろう。
霊夢一人ならともかく、彼女がいる前で姿を現す訳にはいかない。
「それで、アンタはいつまでいれるの?」
「んー、そうだなぁ。今日は別に何があるって訳でもないしな。昼過ぎくらいまではいてやるぜ」
再び障子の中から聞こえてくる声に、文は眉をしかめる。
それは即ち、早くて昼ごろにならなければ、霊夢が一人になることはあり得ないということ。
今ここにいても、意味がない、ということ。
木陰で小さくため息をつく。しょうがない。それなら一回出直しましょう。
…けど、なぁ。落葉を一枚拾って、右手でくるくる回す。
このまま引き下がるだけ、というのもなんだか癪と言うか…
さわさわ、冷たい風が、弄っていた落葉を遠くに飛ばしてしまう。持て余した右手を漂わせながら、文は小さく唇を尖らせた。
***2***
霧雨魔理沙が博麗神社に訪れてから、何時間かが経った。
「うーん。こうして座り続けるのは、ちとしんどいな」
「悪いわね」
「何。気にすんな。こういう時はお互い様だぜ」
「…本音は?」
「へっへっへ。これで貸しひとつ、だからな!」
「まったく。調子良いんだから」
苦笑する霊夢を見ながら、魔理沙は満足そうに微笑む。朝早く気まぐれに来た時にはほの暗い部屋で小さく震えててびっくりしたけど、今は血色も良くなって、ほとんどいつもの霊夢になりつつある。
何気なく叩かれる軽口が、今はこんなにも温かい。やっぱこいつは、こうでないとな。
「ちょっと、外の空気吸ってくるぜ」
「ん。いってらっしゃい」
手を振る霊夢を背に、魔理沙は障子を開け、縁側に出る。すっかり出て来た日差しに触れて、ぐっと伸び。やっぱりこういう季節であっても、陽光は暖かくて気持ちが良い。風もないし、しばらくここでのんびり――
「…ん?」
と、魔理沙は足もとの気配に気付くと、あるものを拾って。その存在に首を傾げた後、再び霊夢のいる寝室に踵を返す。
「おーい霊夢ー」
「どうしたの、魔理沙」
「お届けものみたいだぜ」
そう言いながら魔理沙が掲げたものに、霊夢も首を傾げる。
「なにこの花束」
「さぁな。さっき縁側出たら置いてあったんだ」
霊夢は花束をゆっくり手に取ると、栗色の眼で興味深そうに見つめる。薄桃色のガーベラやバラを中心に、柔らかい色合いの花がまとめられている。よくよく見たら、ちょうど蜜柑色のリボンがあるところに「早く良くなりますように」というカードが付いていて。たまたまではなく、誰かがお見舞いに持って来た花束なのだろう。
香りも優しくて良い。……あぁ、そういえばここの蔵に白磁の花瓶があったっけ。ちょうどこのくらいのサイズなら、綺麗に活けることが出来るのではないだろうか。
「他に何かなかった?」
「あったぜ。ほれ、重なるようにコイツが」
そう言って差し出したものに、ご機嫌だった霊夢の顔が一気に歪んでいく。
「……はぁ、本当にアイツは回りくどいことばかりするわね」
差し出されたそれ――『文々。新聞』を、今度は乱暴な手つきで受け取る。さっき弾んでいた声も、ちくちく刺々しくなって。あまりに分かりやすい変化に、魔理沙も思わず唇を引きつらせる。
「こっちから文に何か言伝てやろうか?」
そう提案するも、霊夢は新聞を傍に置いて、首を横に振る。強く握っていたからか、新聞は既に一部がくしゃくしゃになっていた。
「無駄よ。どうせアイツ、たまたま見舞客が置いていった花束の上に号外置いただけで『自分は関係ありません、それに巫女の病気なんて記事になりません』て言って躱すに決まってるわ」
…あー。しらばっくれる文の能面が、簡単に想像出来る。
「そうかも、なぁ」
「でしょう?ほんっとにもう、アイツってやつは…」
霊夢は曲げた膝を手で抱えて、そのまま膝の陰に、顔も埋めて。
覇気のない黒髪と白の浴衣も相まって、朝、小さく震えていた彼女の姿を、魔理沙に想起させた。
「――ヨワムシ」
――からり。風もないのに、枯葉が一枚動く音がした。
その音に、魔理沙は障子の外側を一瞥する。一見おかしなことのない枯葉散る参道に、ため息をついて。
「……ま、アイツならそのうち勝手に来そうだしな」
そう独り言のように呟きながら、ゆるりと立ち上がった。
「もう行くの?」
「あぁ。アリスのやつから借りていた本返さないといけなかったんだ」
「へぇ。珍しく殊勝じゃない」
「さすがに何回も家の前で人形を自爆されたら、たまったものじゃないぜ」
「…アンタ、今までどんだけ滞納してたのよ」
呆れたように微笑む霊夢に、魔理沙も笑顔を返す。そうそう、やっぱりコイツにはこういう顔がお似合いだ。
「へへ。じゃ、また来る。大事にな」
「うん。ありがと」
手を振りながら見送る霊夢を背に、魔理沙は縁側から降りて、柱に立てかけていた箒を手に取る。そして、跨ると、また参道の方を一瞥して。
――まったく。これで貸しひとつ、だからな。
そう困ったように微笑むと、枯葉を巻き上げながら、神社を飛び立って行った。
***3***
魔理沙を運ぶ風が去り、神社に再び静寂が訪れる。
障子は開け放たれたまま。差し込む陽光の暖かさに誘われるように、霊夢は外へと顔を向ける。
冬への戸が叩かれようとしている季節の中、寒さを物語る枯葉たちは、参道のあちらこちらに散らばっていて。あーこれは、回復したら真っ先に掃除してあげないといけないわね、と苦笑い。
寂れながらも、決して色を失っていない景色に視線を巡らせ、最後に大木の幹に焦点を当てて。ふぅ、と一呼吸置くと、徐に木の方向へ声をかけた。
「――魔理沙なら帰ったわよ」
しん、とした反応。一見すれば、鳥の子一羽いないと思わせる程、生の気配が見えない境内。けれど霊夢は、返事がないと悟るや、より鋭い目で木の方を睨みつけていた。
「…疑うな」
低い声を出せば、数瞬の後、ようやくため息ひとつが返って来て。
「はいはい。出て来ますよっと…」
がさがさ、枯草を踏む音と共に、一人の少女が姿を見せる。
「貴女は真を話したつもりでも、かの泥棒が潜んでる可能性はありましょう?」
「アンタも草から飛び出したくせに」
濡れ羽色と形容するにふさわしい黒髪に、夕日をたたえた目を持つ整った顔立ち――鴉天狗の射命丸文がそこにいた。ベージュのスーツとキュロット、そして紅葉色のネクタイと、今日はルポライタースタイルである。何で今日その恰好なのかは――ちら、と立て掛けている花束を見る――ま、そういうことなんだろう。
そんな霊夢の視線を他所に、文は手水場で手を清めると、丁寧な所作でブーツを脱ぎ寝室へと上がり込む。
「気分の方はいかがですか」
「そうね。朝よりはかなり良くなってると思う」
「良かったです。お薬は」
「それ。朝と夕方の食後に取りなさいってさ。朝は飲んだ」
「結構――なるほど、永遠亭のお薬ですね。それはよく効きますから、ちゃんと飲んでください」
はきはき言いながらも、文はずっと目と眉を小さく寄せていて。どうやら、ちょっとご機嫌斜めな様子だ。
「どうしたの、そんな顔して」
「…先程は、ずいぶん聞き捨てならないことを言ってくれましたね」
「何が?」
とぼけて首を傾げてみれば、文は眉をますます寄せて、威嚇するように睨みつける。
「何がじゃないですよ。清廉高潔、鴉天狗の私を指して『ヨワムシ』とは」
…なーんだ、やっぱり聞こえてたんじゃない。紅い妖眼をより光らせてこっちに迫るなんて、脅しでもかけてるつもりなのだろうか。
「ふん。こういう時にこそこそとしか姿を見せられないようなヤツは『ヨワムシ』でじゅーぶんよ」
ありったけの眼光をもって、霊夢も文を睨み返す。
コイツは、いつもそうだ。本当に「会いたい時に居ない」。他の友人や知人たちが気さくに来てくれる中でも、何を気にしてるのか、こそこそ隠れたまま様子を窺って。
…こっちが何を想っているのかも、知ろうともしないで。
文はというと、こちらの視線に何かを感じたのか、目の光を少し鈍らせて、唇を引きつらせて。けれどすぐに挑発するように唇を作り直しながら、こちらに向き直る。
「…はっ、そんな児戯みたいな挑発に乗るほど私も落ちてませんけど」
「なんか甘い匂いするわ」
「聞きなさい」
ふん。聞いてやるもんか。不満げに文句を言おうとする文に構わず、霊夢は視線を巡らせる。その視線に、刹那文は集中を崩し、目を右へと逸らしてしまった。
「あっ!その右腕、後ろに隠さず見せなさいよ」
「…嫌と言ったら?」
「うるさい。私は病人よ?ほら早くしなさい」
ほれ、ほれ、と手を差し出しながら、霊夢はしっかりと文を見つめる。決して笑みを崩さない、余裕の表情で。
しばらく流れる睨めっこ。けれど、文の目が小さく揺れているのに対し、霊夢の目は動かず文を射抜き続けて。一分の後、ついに文が、張り詰めた空気を崩すようにため息をついた。
「ったく、あなたこそ『ヨクバリ』ですよ。…ほら」
差し出されたのは、小さな紙袋。そこに書かれていた店名を見るなり、霊夢は目を輝かせながらかっさらって、中を覗きこんで。そこにあったのは、昨日から霊夢がずっと求めていた、葡萄の大福。
文の方をちらと見れば、差し出した手をゆっくりさすっている。刹那触れた文の指が冷たかったのを思い出し、霊夢は頬を緩める。
「そうよ。私は『ヨクバリ』なの」
「何ですか、気味が悪い」
「だって本当のことだもん」
もちもちを一つ手に取って、淡雪もかくやという粉の心地を堪能してから、一口。紫の果実の甘さとみずみずしさが咀嚼と共に弾けて、思わず頬を手で押さえてしまう。
幸せそうな霊夢の笑顔に、文は唇の端をきゅっと噛みしめる。決して隙を見せてはいけない、そう何回も言い聞かせすぎた結果、体全体がすっかり固くなってしまっていることに、彼女は気付いていた。
「あのね、そういう時はちゃんと認めるものなのよ。これがアンタと私の格の違いってやつ」
「まだ言いますか。だからアレは」
「お茶が欲しいわね」
「………」
またしても抵抗を遮られて眉を歪める文を、霊夢はしっかりと見つめる。
「――『文が淹れた』お茶が欲しいわ」
刹那、今度は唇の中央に力を入れ、けれど少しだけ目の色を明るくさせる文。その隙を逃さず、霊夢は小鳥に狙いを定める猛禽のように、上体を文の方へと近付ける。
互いの吐息が分かるくらいの距離で、再び始まる睨めっこ。けれど結局、迷いに瞳を揺らし続ける文に勝ち目などなくて。またため息をつきながら、霊夢の肩を柔らかく引き戻す。
「……味は甘めが好きでしたよね」
「文の好きに淹れてよ」
「はいはい」
呆れ気味に返事をすると、ゆるゆると立ち上がって、背中を向ける。
「『ヨクバリ巫女のゆすりの手口!』。次はこれかしら」
「ん?なんて?」
「いーえ、なんでも」
霊夢の睨みつける視線に、文は顔を向けることなく、ゆらゆらと手を振る。
「早く温まって復活して、ネタとして輝いてくださいね?ではでは後で」
ぴたりと閉じられた障子。ひたひたひた、と縁側の床を踏んでいく音。
長年あの天狗と向き合って来たから、霊夢には分かる。あの音…アイツ、いつもよりも速足で歩いているのだろう。
霊夢はため息をつくと、今度は文にも聞こえないくらい小さな声で、ぽつり、呟いた。
「…だから『ヨワムシ』って言ってんのよバーカ」
***4***
その後、霊夢のためにお茶を淹れて来た文。
「好きに淹れて良いって言ったのに」
「これが私がいつも淹れてる味なんです」
「ふぅん。じゃあ意外と好みが合うのね、私たち」
文は咳き込んだ。
良かったです。
文と霊夢のかわいらしさもさることながら、クールに去って行った魔理沙がよかったです