Coolier - 新生・東方創想話

唇よ、熱く百合を語れ

2020/12/31 19:29:35
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     唇よ、熱く百合を語れ
───────────────────────────────────── 


 ――お腹空いた。
 朝日も昇ってしばらくした午前十時。五月も数えるだけになったの幻想郷は、日差しが日に日に熱さを増していく。この前まで当たり前のように吹いていた春風も、今は少しだけ夏の匂いがする。青々とした空が広がって、空気が澄んでいるときにする、あの匂い。この先が夏に繋がっている、そう思わせるように。
 視界の中に点々と白い雲が――なんて、長閑な景観を博麗神社の縁側で眺めていた少女から、そんな一言が溢れた。
 けれどそう口にした博麗霊夢は、実のところ腹を空かしている訳ではなかった。何か物足りないのは確かだけれど、それは胃の中というよりもっと他の場所で。その空白を頭が勘違いして、そんな言葉が出てしまっただけなのだ。
 まるで、何かが抜け落ちてしまったような感覚だった。
「朝ご飯なら、さっき食べたじゃないですか」
 隣で日向ぼっこをしている狛犬の高麗野あうんがそう返す。
 日の光を全身で受けながら、気持ちよさそうに寝そべって、体を伸ばした。
 そうじゃなくて――っと言いかけた霊夢だったが、声にする前に何処かへ消えてしまう。ゆっくり数度瞬きをして、彼女と同じく縁側で横になる。頬に触れる木目は、日差しに照らされたせいか想像よりも熱い。けれど、特別嫌でもなかった。
 自分は、こんなに無気力なやつだっただろうか。
 変わらない景色を眺めならそう思う。
 今のことだって、いつもなら何かかしら言葉を返しているはずだ。あうん相手に返事が億劫になることなんて、まずない。思えば食べたはずの朝食からして、何か変だった気がする。味気ない、というか。確かに朝食は食べたけれど、それは口が欲しがったわけじゃなくて、〝朝食は食べなきゃいけない〟というのを知っているからで。惰性というかなんというか。なんだか無理やり口に詰め込んだような感覚だった。
「もう昼ご飯ですか?」
 あうんはそう尋ねると、霊夢に駆け寄ってきてお腹の辺りにじゃれついてくる。
「違う違う。お昼はまだまだ後」
 小さく返して、一つ寝返り。それに合わせてあうんも霊夢の背中に、主に肩甲骨の間に顔を埋めながらくっついてくる。
 どうしたものか、と考えようかとも思った。
 けど、まあ。いい天気だし。空も青いのだから、いいか。どうでもよくなる。
 大きく息を吐き出して、瞼も一緒に閉じてしまう。霊夢の今日の予定は未定。別段行動を起こそうと躍起になる必要もない。このままお昼寝をしていたって、構わないだろう。むしろ瞼で受け止める日差しの暖かさが寝ることを促してくる。
 木々の葉音を運ぶ風が肌に気持ちいい。
 出所不明の空腹感も、空に浮かぶ雲の様に、風が押し流してくれないだろうか。
 思ってはみるが、願うことはなかった。万が一願うとしても星とかだろうし、職業的には神に願ったほうが印象がいい。どんな神様を奉っているのかは知らないけれど。
 背中から顔を上げたあうんが尋ねた。
「それじゃ里へ行くのは午後からですか?」
「いや、行かないけど」
「そうなんですか? いつもは本、買いに行くのに」
「……ああ」
 そういえば、今日だっけ。
 体を起こして部屋の壁に目を向ける。日めくりカレンダーの曜日はあうんがいうその日だった。毎週、鈴奈庵で売られている天狗発行の週刊誌。それにお気に入りの作家の連載小説が載ってるのだ。本当は天狗の発行物なんてお金を出してまで読もうと思わないが、小説だけが読みたくて結局買ってしまう。連載形式で載っているから続きが気になる――というのもあるのだろうけど。
 それなのかな、この感じ。
「ちょっと行ってこようかな」
 留守番よろしく。あうんの頭を短く撫でて立ち上がる。
 この空腹感は、いつもやっていたことが抜け落ちた結果なのだろうか。
 それさえ補えば埋まってくれるだろうか。
 どうなんだろう――自分のことが、よく分からない。
 でも、霊夢は〝そんなものだろう〟と思う。だって、所詮〝自分〟というやつは、一日に一度、洗面所で顔を合わせる程度の存在で。言葉を交わしたこともないし、知ろうとした試しもない。そんなヤツをどうやったって理解できそうにない。
 ――それじゃ、誰が私を分かっているんだろう?
 そんなことが脳裏に過ったが、玄関で靴を履く頃には霧散していた。考えても仕方ない。今は人間の里に行くことだけ考えよう。玄関の外は縁側から見ていた景色と一続きになっていて、変わらない空模様の下を霊夢は歩き始める。
 お腹、空いたな――鳥居を潜った辺りで、またそんな言葉が口から溢れていた。


      2


「ありがとうございましたー。まだどうぞ~」
 見知った店番娘に小さく手を振る。暖簾を潜って出た表通りは昼時にさしかかっているせいか、多くの人が昼食を求めて行き交う。その波に上手く乗れない霊夢は、買った週刊誌を胸に抱えて、当てもなく歩くだけ。
 お目当ての物は手に入った……はず。
 けれどさっきまでの自分と何か違うのか。何も変わっていない気がする。やっぱり中身を読まないとダメなのか。彷徨う霊夢は、視界の中に座れそうな場所を探した。
 窓や暖簾越しに見えるお店は、繁盛しているらしく座れそうにもない。それに仮に席が空いていたとしても、混み合う時間にたった一人で、しかもちょっと本を読むだけに座るのは気が引けてしまう。だから喫茶店とかでちょこっと座れる席があればいいけど。
 霊夢が足を止めたのは、昨日も立ち寄る甘味処。五月も下旬に入って熱を感じるようになった日差しを嫌ってか、店内の席は大凡埋まっているが、外の席は誰も座っていない。お団子とお茶くらいならお財布にも優しいし、本を読む際にも手が汚れないので丁度いいだろう。うん、丁度いい。
 心に決めて、霊夢は外に隣接しているカウンターに駆け寄る。
「すみませーん」
「はい、いらっしゃいませ」
 対応してくれたのは、歳もそこまで変わらなそうな女の人だった。
「お持ち帰りですか?」
「いや、食べてきます。外の方で。お団子とお茶、おねがいします」
「お茶は熱いのと冷たいのありますが」
「あー、じゃあ冷たいほうで」
「かしこまりました。それではお席のほうでお待ちください」
 注文を受け、厨房へと下がっていった。彼女を見届けた霊夢は店先に設けられている四つの席を眺めて、通路に面した一つに座った。
 霊夢は早速持ちっぱなしの週刊誌を開く。頼んだ品を待ってもよかったけど、そしたら途端に手持ち無沙汰になってしまう。手早く小説が掲載されているページを探し始めた。他の記事に興味が無いわけじゃないけど、たまに占いの記事を読むくらいで。
 占いなら自分でもできなくはないが、自身を占うのは禁忌とされているため、やらない。
 おっ、あった。
 お目当ての小説は雑誌の真ん中に載っていた。いつもと変わらないページのデザインに、今は不思議と安心感を覚える。――さて、読もうか。
 深く息を吸って、吐き出して。体の中身をできるかぎり空っぽにして。
 少し前屈みになりながら、小説の文字に目を通していく。

 ――――――ペラ
       ――――パラパラ
               ――ぺらぱら

「んぁ――もー、……ダメだ」
 全然頭に入ってこない。確かに文字は読んでいるけど、それが物語として受け取れない。意識が上手く没入できない。体のいろんな感覚が邪魔に思えて仕方ない。
 この小説読むの、結構好きだったのにな。
 週刊誌を脇において空を仰ぐ。空のあおは昨日と特に変わった様子はない。人間の里の空気も、週刊誌の雰囲気も。どれもこれも昨日と地続きになっている。
 だけど、自分だけは昨日と乖離しているような。
 今までこんなことはなかったのに。本当にどうしてしまったんだろう、自分は。
「お待たせしましたー、ご注文の品です」
 店員の呼びかけに霊夢は肩を飛び上がらせた。
「えっ、あ、ありがとうございます」
 驚く霊夢の様子に小さく微笑みながら、彼女はお団子のお皿と湯飲みを置いて立ち去っていく。――どうぞ、ごゆっくり。
 霊夢もそれに小さく頭を下げた。
 そして運ばれてきた品と脇に置いたままの週刊誌を交互に見つめる。
「ごゆっくり……ね」
 もう、ここに座る理由、なくなっちゃったんだけど。
 とりあえずお茶を一口。その後にお団子も一口。しっかり噛んで味を確かめる――でも、満腹感は依然として感じない。軽食だから、というのはあるのだろうけど。お腹に物が入っても、〝美味しい〟という感情で満たされた感じがしないのだ。
 どうしよう。この週刊誌は家に積んでおくとして。問題解決の為に行動すべきだろうか。正直この感じは長く続いてほしくない。けれど日常生活に異常を来すほどのものじゃない。明日、寝て起きたら元に戻っているかもしれない。
 なら、もう帰ろう。はやくお団子を食べてしまって。
 二口目をつけようとした――そのときに。
 視界の端に、昨日にはなかったモノが引っかかった。
 それは女の子だった。肩甲骨辺りで揃えられたライトゴールドのブロンドヘヤーが僅かに風に揺られ、健康的な肌色に小さな顔に収まった青い瞳の女の子。すらりとした体に纏うタイと襟が赤い、白のジョーゼットワンピースはスカートの部分がチュールをレイヤードしたものになっていて、長く細い足が透けて見える。
 けれど霊夢の視線が吸い寄せられたのは、洋服や容姿でもなくて――なによりその子の瞳だった。
 その子の瞳は、奥の方からキラキラと輝いてて。まるでお店にあるショーケースの向こう側に並べられた、憧れのおもちゃを眺めている子供のように透き通ってた。
 ――彼女の見つめる先に、何があるのだろうか。
 今度は体も吸い寄せられるように、霊夢は立ち上がった。
 その瞳の向こうに。
 ほんのりと赤くなった頬の向こうに。
 心の底から満たされたように綻んだ表情の向こうに、何があるのか知りたくて。
 それを知れば、私もあんな顔ができるのだろうか。この胸の空腹感を満たせるだろうか。
 一歩、二歩、霊夢の足はその子に近づいていく。見ることに夢中になっているその子は、霊夢が歩みよってきてることなど気づきもせず。そのことがますます霊夢の興味を惹く。手を伸ばせば触れられそうな距離に近づいても、その子はこちらには振り向かない。
 声、かけてみようかな。
 空腹の胸の中に、そんな気持ちが浮かんだ。
 どうしようか。そんなに夢中なら、邪魔しちゃ悪いだろうか。知らない子だし。
 それだけでも、なんだか不思議なことだった。さっきまで空っぽで、満たされなくて、好きだったモノが好きじゃなくなって……寂しかったのに。今は大きな胸の空腹に、本当に僅かな温もりが灯ったり、消えそうになったり。その点滅が次第に大きくなっていく。
 だからなんだろうか。なんだかよくわからない温かさに惹かれて、自分の考えてることなんて置き去りにして、伸ばした手の指先がちょん――と、その子の肩に触れる。
 霊夢はびっくりした。触れられたその子は、もっとびっくりしていた。だけどその御陰で、やっと二人の目と目が合った。一拍、二拍と、見つめ合う。
 なんでかわからなかったけど、驚いていたその子はちょっと嬉しそうに霊夢を見てた。
 小さな風が吹き、髪が舞う。さっきまでとは違う、この子の匂いの混じった風。
 五月。桜が散り、青葉が活き活きとその葉を揺らす、そんな月に。
 初夏に降り注ぐお日様の暖かい匂いを、ほんの少し甘くしたような――そんな。
 そんな匂いがする女の子と霊夢は出会った。


      3


 昇る日も折り返し始めた正午過ぎ。
 飲食店内は何処も活気に溢れ、人々の声が外に漏れ出しては、道で迷う人を呼び込む。誰かと一緒に食事を取るモノ、一人黙々と食事に頷くモノ。その他諸々。多くの人が喧噪の中にいる。
 人間の里の一角に構える喫茶店「遙(はるか)」も同じように多くの客で賑わっているけれど、それでいて穏やかだった。静かな店内に流れるのは、レコードからの優しい音楽とほんのちょっとの環境音。耳を傾けなくても自然と入ってくるそれは、席に座っているだけで人心地つける――そんな店内模様。
 そんなお店の奥の席。暖かな日差しが照らす窓際のテーブルで、一人の女性が本を読みながら過ごしていた。二十二、三歳くらいだろうか。僅かに肩に触れる髪。本を読み進めていく大きな瞳は澄んでいて、その透明感の強い横顔には、少女の純朴さと大人の気品を持ち合わせる。茶色のジャケットの下には長いリボンタイの垂れた白いブラウスを着ていて、膝上ほどの丈のスカートから出た足を隠すようなニーハイ。本を読んでいる仕草も相まって、元々知的だった彼女をより知的に見せた。
 その細い指が、本の最後のページをめくる。
「どうですか? 阿求さん」
 タイミングを見計らって、向かいに座る射命丸文が声をかけた。それに釣られて、阿求は本からゆくり顔を上げる。深く長く物語の世界に入っていたせいか、視線が少し柔からかい。阿求が小さく息を吐き出して目を閉じて、次に瞼が開いたときには、いつも通りの彼女に戻っていた。
「うん、大丈夫。ページの抜けもないし、装丁もとっても素敵」
「それはなによりです」
 ほっと胸をなで下ろして、人心地つく。
 阿求が手に持っているのは、「魔法探偵M」の文庫本の見本誌。元来、去年の晩秋から射命丸が人間の里で発刊している週刊誌「文々春新報」で連載していた長編小説が、先月についに完結した。お互いに週刊誌で小説の連載は初めてということもあり、様々な苦労を重ねた作品故に、思い入れは強かった。
 連載が終わってしまって、それでおしまい。――というのは、少し寂しい。
 いつでも読み直せるように、一つの本にまとめてみませんか?
 そんな射命丸の提案を阿求は快く受けてくれた。それどころか文庫本にするに至ってのボーナストラックとして書き下ろしの後日談まで書いていたり。彼女の自分の同じくらいこの作品を大切にしてくれていることが伝わってきたのが何より嬉しかった。
 阿求さんのチェックも済んだし、帰りに印刷所へ連絡を入れておこう。鈴奈庵に置いてもらうときに、小鈴ちゃんに色々言われそうな気がする。――一冊あげよう。
 返してもらった見本誌と、テーブルの上に散らかっていた原稿を一緒に鞄の中へ仕舞う。今日の仕事はこれで終わりだ。取材の予定も入れてないし、週刊誌の入稿にも余裕がある。気まぐれの校閲が入らなければ……の話だけれど。
 年中無休の職業に時折訪れる休息。目の前の彼女の予定は空いているだろうか。
 そんなことを考える射命丸だったが、一つ仕事を思い出してしまう。阿求にも関係する大切な仕事。
「そういえば、再来週掲載予定の連載原稿の具合は?」
「それはもちろん――頭の中に」
 にっこりと微笑む阿求に、射命丸は小さく笑ってしまった。
 それは俗にできない人の言い草なわけだけれど。彼女に関して言えば、本当に頭の中に完成原稿があるかもしれない。すべて頭の中で作って、完成してから清書すると前に小鈴から聞いていた。――本当はどっちなんだろう。
 阿求も自分が言うとどちらか分からないのを知ってか、射命丸に釣られるように笑みに声が漏れる。――大丈夫、明日にはできるから。
 なんてことない、深い意味なんてない。そんなやりとりが何だか暖かくて。
 大きな、それこそ誰かの人生を変えかねないぐらい大きな出来事が二人の距離を縮めてきたのは事実だ。でも、できることなら、悲しい出来事とは無縁なところで、この人には笑っていてほしい。射命丸はそう願う。今、このときのように、他愛ない会話で笑い合う時間がずっと続いて欲しいと。だけど彼女は悲しいことを悲しいままで終わらせようとはしない。いつも誰かの理不尽な不幸に心を痛めてる。そんな誰かに手を伸ばそうと、走り出してしまうから。だからこの時間は――そう長くは続かないだろう。
「射命丸さん?」
 返事がないのことに不安を感じたのか、阿求は首を傾げながらいう。
「どうかした?」
「いやー、だったら午後からの予定、空いてないかなって」
 空いてるけど――阿求はテーブルに両肘をついて体を乗り出す。大きな瞳は見つめられたら視線を離せない不思議な目力があって、射命丸は考える振りをして瞼を閉じた。まだちょっと照れくさい。でも心は充足感が満たされいく。いつも私が追いかけている誰かが知りたい真実より。貴女とこうして過ごす時間は、どんなに意味があるだろう。


 ――――――
 ――――
 ――

「えっ、ごめん。何見てんの?」
 彼女と顔を並べるように路地裏から向こう側の喫茶店を眺めて数分。向かいにある喫茶店の方を向いて固まる彼女にしびれを切らした霊夢が話しかけた。
 彼女は首を傾げ、視線を喫茶店から霊夢に移し替えていう。
「何って……見てわからないかい?」
「わかんないから聞いてんの」
 あんなに目を輝かせていた先に何があるのかと期待していたのに。彼女は喫茶店の外装を眺めているようにしか見えなかった。そういうのが好きな子なのだろうか。この子からしたら、惚れ惚れする出来映えだったりするのだろうか。
 彼女は喫茶店の窓ガラスの向こうを指さしていう。
「あそこ。女の子が二人、座ってるだろ? 仲よさそうでさ」
 霊夢は彼女が指の先へ目を細める。確かに窓際の席に女の子が二人座っている。二人とも霊夢が知ってるヒトたちだ。向かい合って話ながら時々きらきら笑って。窓越しで距離もあってどんな話をしてるかはわからないけれど、それは楽しそうに見えた。
「なんかいいな――って」
 ごちそうさまでした。彼女は小さく呟いて、手を合わせる。
「なんで〝ごちそうさま〟?」
「満たされたから、かな。ここら辺が」
 ぽんぽん。手で胸を叩く。ちょっと得意げ。
 満足したのか喫茶店に背を向けて、団子屋の方へ歩いて行く。
 もう一度窓の向こうで笑う二人組を見てからあの子のように胸を叩いてみたけれど、何かが満たされた感覚はなかった。ここに立ち尽くす意味もなく、霊夢も彼女を追う。彼女はくるりと身を翻すと、霊夢が座っていた場所の隣に座わった。やっぱり立ち尽くす理由もなくて、霊夢は彼女の隣に座る。
「それにしても驚いたな。霊夢から話しかけられるなんて思ってなかったよ」
「……迷惑?」
「全然。意外だったけどね。顔を合わせるときは、いつもお話どころじゃなかったから」
 彼女の口ぶりが、なんだか何度か初対面じゃないみたいで。霊夢は首を傾げる。思い返してみても、こんな女の子と知り合った記憶はない。確かに人の顔と名前を覚えるのは、あんまり得じゃないけど。
「ごめん、誰だっけ」
 思い出すの諦めて、霊夢は尋ねる。彼女はちょっと困ったように頬を掻いた。
「リリーホワイト。春告精――って言ったほうがわかるかな」
 名前を聞いても、実のところ霊夢はぴんと来なかった。その名前自体には覚えがある。春の季語だったりして、よく耳にする。それに季節や自然が絡んだ異変では弾幕ごっこもした気がする。顔を合わせたことがあるはずだ。それでもぴんと来ない。
 こんな子だっけ? 春告精って。
「……知らない?」
「いや、リリーホワイトは知ってるけど。全然イメージと違うっていうか。春ですよー、とか言ってそうな感じで、もっとこう――」
 違う。私はこの子ことなんて知らない。喋りながら霊夢は後悔した。
 聞きかじった情報と妖精という種族だけで勝手に想像した架空の誰かを当てはめていただけ。春を告げる妖精というだけで、この子の何がわかるというのだろう。
 自分のことだって、よくわかってないのに。
「あはは、面白いね。来春から言ってみようか」
 けれど彼女は気を悪くしたような様子はなく、笑いながら言葉を返してくる。それならこれ以上引きずらないようにしよう。幸い、これからはイメージを押しつけずに済むのだから。
 本当に尋ねたいことを聞こうとして口を開くが、霊夢は言葉に詰まった。
 呼び方を知らない。「リリーホワイト」が人間の様に姓と名で分かれているわけではないだろう。かと言ってそのままは長いし、「春告精」は名前ではないだろうし。
「ねえ、なんて呼んだらいい?」
「呼び名かー、誰かに名前呼ばれることなんて滅多にないからな。霊夢が決めていいよ。そうだ! あだ名がいいよ。それっぽいのつけて」
「それっぽいのって言われても」
 どうしたものかと頭を悩ませる。誰かにあだ名なんて付けたことないのに。神社で飼ってる金魚にだって名前を付けずに「金魚~」と呼んでいるのに。
「り」
「り?」
「りーちゃん……で」
 絞り出した。それっぽい響き……になっているだろうか。自信はなかった。
「りーちゃん」
 復唱される。自分が初めてつけたあだ名。こうして聞いてみるとむず痒い響きだった。けれどりーちゃんはお気に召したのか、口元を綻ばせる。――と思ったら急に笑い出した。顔を真っ赤にして、目尻には涙も浮かべて。
「そのまんまだね! でも可愛い。今日から私はりーちゃんだ」
 春告精のりーちゃん、どうだろうか。尋ねられるも、霊夢は曖昧に「いいんじゃない」と返す。自分で付けたあだ名にどうもこうもない。もっと考えてつけてあげればよかった。
「りーちゃんはさ。その、ああいうの好きなの?」
 さっき見てたみたいなさ。
 随分と時間が経ってしまったけれど、やっと聞けた。
 りーちゃんがキラキラした目で見てたモノがどんなものか知りたかった。さっきは何も感じなかったけど、もっと知れば自分の空腹を満たしてくれるかもしれない。そんな期待が霊夢の中にはあった。
「好きだよ。ああいうの大好きさ」
「二人とは友達なの?」
 友達同士が幸せそうにしているを見ているのが楽しい。
 それなら霊夢も理解できそうに思えた。
「いいや、全然。名前も知らない」
 わかんなくなっちゃった。
 首を傾げる霊夢を見ながら、りーちゃんは続ける。
「どんな関係なのかも知らないけどさ、それでもいいんだよ。恋人だろうと友人だろうと、もっと違う形でも。愛じゃなくても恋じゃなくても。見てる側が勝手に決めていいものでもないしね。〝いいな〟――って思えれば、私は満足かな。女の子同士だと尚良し」
 りーちゃんのいうそれを、霊夢は上手く飲み込めなかった。
「あの二人と仲良くなりたいとかじゃなくて? 私、知り合いだから接点あるけど」
「それはダメだよ!」
 なんとなくの提案に、返ってきた言葉は強かった。思わず肩が上がる。
 自分はそんなにいけないことを言っただろうか。霊夢は困惑するばかりだった。
「霊夢もあの二人の感じを見たろ? あの二人はお互いがいなくちゃいけない存在で、私はあの二人の世界にいなくていい存在なんだよ。そこに割って入ろうだなんて、あっちゃいけないのさ。例え友達でも恋人でも理屈でも幻想郷のルールでもね」
「……そういうもの?」
「そういうもの」
 りーちゃんがいうなら、きっとそうなんだろう。
 大きく息を吐き出して、背筋を伸ばしながら空を仰ぐ。欲しかった答えは見つからず、霊夢は再び路頭に迷う。空模様は相変わらず。傍らに残ってた団子を頬ばると、一口目よりお腹に溜まる感じがした。
「質問には答えたのに浮かない顔だ」
「ちょっとね。今朝から変なんだ。何か抜け落ちちゃってるっていうか……お腹いっぱいにならないっていうか。なんかさ、りーちゃんなら何か知ってそうな気がしたんだ」
「難しいね。私は霊夢のこと、まだよく知らないから。教えてくれるかい?」
「――自分のこと話すの、あんまり得意じゃなくて」
 たぶん、それができたら全部解決なんだ。何が好きだとか、どういうやつだとか。そういうことがわからなくなったから、抜け落ちたモノも分からない。上手く埋めることも、できそうにない。
 気づけばもうお昼時も過ぎ去って、眼前の通りにも人が戻り始めた。道行く人の多くは満足そうな顔をしていて、見てるとなんだか胸の辺りが寂しくなってくる。
「お腹、空いた」
「お団子、あるじゃないか」
「あー、いいや。りーちゃんにあげる」
 残りのお団子を差し出すと、りーちゃんは「いいのかい?」と聞きながらも笑って団子をパクつく。頬張りすぎて苦しそうにしている彼女に、霊夢は慌ててお茶も渡した。妖精なんだから食事なんて生きるために必要ないだろうに、私より美味しそうに食べてる――なんて思いながら。
「お腹が空いているのに、食べたくない。それはとても苦しいね」
「わかる?」
「んー、なんとなくね。でも食べないと満たされないよ」
 それはわかる。だけど、なんでかよくわからないけど、受け付けないんだから仕方ない。胸の中にすんなり受け入れられて、それが空腹を満たしてくれるような。そんなモノあるだろうか。出会ったことは、一度もない。――なんだか胸がキリキリする。
「よし、じゃあ行こう」
 団子を綺麗に食べ終えたりーちゃんは、残ったお茶を一気に飲み干して立ち上がった。
 霊夢の正面に回って微笑む彼女の瞳は、窓の向こうを見ていたときみたいに暖かくキラキラしている。やっぱり綺麗な瞳してるな――間近に見ながら呆けてる霊夢の左手を彼女はしっかりと握って手前に引っ張った。
 勢いに釣られて立ち上がる霊夢と、繋いだ手を放さずに歩き出す。
「どこ行く気?」
「気が晴れるようなどこかさ。今のまんまじゃ何も受け取れないだろ?」
 ご馳走さまでした――りーちゃんに引っ張られる最中、霊夢は団子屋に一声かけて道行く人の流れの中へ溶け込んでいく。握られた手のひらから彼女の熱が伝わってきた。溌剌とした、内側からから外側へと発するエネルギーに溢れた温かさ。
 それが今の霊夢はに、よく染みこむ。
 ふと、口元の小さな違和感に気づく。さっき食べたお団子のタレが残っていたのだ。
 ペロリ、霊夢は舌でなめって誤魔化した。そしてどんどん前に進みたがる彼女に歩幅を合わせる。――ああ、そうだ。美味しいお団子は、こんな味がしたんだった。


      4


 人間の里は、同じようなお店などがある程度密集している。さっきまで中心街は食品を売り買いするところや居住区がまとまっている。そこから外側へかけて生活への必要度が下がり、娯楽施設などは大抵そういうところにある。
 霊夢たちが今歩いてる人間の里の南側はそんな傾向が色濃く出た娯楽街。一般的な遊戯から、外の世界から流れついた未知の娯楽、果ては賭博までなんでもござれ。日が落ちれば落ちるほど活気だっていく。そんな地域だ。
 すれ違う人も楽しそうだったり、怒っていたり、げっそりしていたり。三者三様。
 雑多なところ――普段足を運ばない場所に、霊夢は物珍しそうに視線を向ける。元々、人間の里には買い物と仕事以外ではあまり足を運ばない。幻想郷を守る立場の博麗の巫女が頻繁に生活圏をうろうろしていたら、住人が不安がる。
「りーちゃんさ、ここら辺よく来るの?」
「まあね。月に一回ぐらいかな?」
「常連だ」
 あんまり遊んでいるように見えないのに。――だめだめ、決めつけちゃいけない。
 でも想像できないのも確かで。何処に行くのだろう――と、道の先を眺めてみたりした。一見しただけで何の店か、分かる店の方が少ない。
「霊夢はあんまり来ないようだね」
「あんまりざわつかせたくなくて」
「……そっか。おっ――よかった、やってそうだ」
 相づちを打った彼女が足を止め、何かを確認するとまた歩調を速める。引っ張られないように小走りで着いていくと、並ぶ店々の一軒でりーちゃんは足を止めた。その店は周りの店比べると、随分簡素な作りをしていて装飾も殆どない。看板もなく、小さなプレートが扉に埋め込まれているだけ。
 そこには短く「洋服専門店」と書かれていた。
「ごめんくださーい」
 りーちゃんは元気よく挨拶しながら店へ入っていく。霊夢は彼女の背中に隠れるように続いた。店内は窓のから入る日光に照らされ、温かみを感じる空間になっていた。陳列されている洋服も小綺麗な物ばかりで、霊夢にはかなり眩しい。何しろ洋服なんて霊夢には縁遠い品だ。店に漂う布の匂いも、なんだか落ち着かない。
 店内には、他に客はいないようだった。
「いらっしゃいませー」
 二人が店に入ってきたことに気づいたのか、女性の声がカウンターの方から顔を出す。陳列されている商品と同じような洋服を身に纏い、その上から赤いエプロンをつけた女性――というには、いささか顔つきが幼い。霊夢とそう年の変わらなそうな子。おそらくはお手伝いさんなのだろう。手に持っていた書籍をカウンターに置くと、こちらへ近づいてくる。
「あっ、貴女は博麗の」
「……どうも」
「知り合いなのかい?」
「そういうわけではないんですけど、去年の秋にお世話になって……その節はありがとうございました」
「いえいえ、私の役目ですし」
 そう返す霊夢の表情は硬い。正直なところ、覚えていないのだ。博麗の巫女のところへは、様々な依頼・相談がくる。依頼人の顔を覚えていることなんて稀だし、どんな事件かも覚えてない。動いた記憶がないのだ。たぶん、口答で済むようなことだったのかもしれない。――けど、それを態々口にするのは気が引けた。
 そんな霊夢を置いて、りーちゃんは並ぶ洋服を眺め始めた。ときどき手に取っては、目を輝かせてる。見てるだけなのに、そんなに楽しいのか――霊夢は首を傾げてしまう。
 店員さんは、そんな様子を見て小さく笑う。
「あのお客さん、来る度に楽しそうに見ていくんですよ」
「あの、私が言うのもあれなんですけど……りー、あの子、妖精で。いいんですか?」
「お金払えば誰でもいいって店長さん言ってましたから。立地のせいでお客さん全然で」
「れいむー、ちょっとおいでよ」
 りーちゃんからの呼ぶ声に、霊夢は店員さんに小さく頭をさげてその場を離れた。
 霊夢が近づくと、りーちゃんは片手に抱えた数着の洋服の中から一つを霊夢の体に宛てがったりして。あーでもない。こーでもない。とか、楽しそうに悩んでいた。
「何で服屋さんだったの?」
 手に持っていたのを陳列の中へ戻し、新しい洋服を探すりーちゃんに尋ねてみた。
「私は霊夢のことまだ知らないし、霊夢もわかんないっていうもんだからさ。とりあえず、私が楽しいと思うことを一緒にしようかなって」
「りーちゃんは洋服見るの、好きなの?」
「ワクワクするね。色々着てみたくなるよ」
「お洒落さんだ」
「霊夢には……これとかどうかな!」
 そういって彼女が霊夢に差し出したのは、白のTシャツに明るい赤のジレが一緒になったもの。シャツの丈よりもひらりと長いジレのデザインに、何処か涼しげな印象を受ける。これから暑くなっていく季節に、よくあっていた。
「どう――っていわれても、よくわかんないし」
 生まれてこの方、この手の洋服に袖を通したことなんてない。一年中巫女服着用の自分に、洋服の善し悪しなんてわかるはずもない。
「きっと似合うよ、下は……これかな」
 丈の短い黒のスカートを一緒に差し出して、りーちゃんは笑う。
 視線に耐えられず、受け取ってはみるものの、どうしていいのかよくわからない。彼女の方が洋服に関して詳しいだろうし、似合ってるのかもしれないけど……これを着ている自分が、霊夢には想像できなかった。
「試着室、あっちにあるからさ。着てみなよ」
「……うん」
 頷いた途端、りーちゃんは霊夢の背中を推し進め、カーテンで区切られた試着室へと押し込んだ。狭い試着室の中には大きな姿見と、脱いだ服を掛けるハンガーがあるだけ。姿見に映り込む自分の顔を見て、自分はこんなやつだったな――っと再確認する。
 着たことないけど、普通に着られるよね?
 りーちゃんから渡された洋服に着替えようと、胸のリボンに手をかけて――止まる。
 ――この巫女服を脱いだら、私は何者になるんだろうか。
 小さな不安が胸に灯った。自分のことがよくわかんない。どんなやつだとか、何が好きだとか。それでも、今唯一自分を説明できる要素――それが博麗の巫女だ。別に巫女服を着ているいないで変わることではないことぐらい、理屈ではわかってる。
 でも、本当に空っぽになっちゃわないか。
「霊夢? 大丈夫かい?」
 カーテンの向こうから、りーちゃんの声がする。
「――大丈夫」
 大きく息を吐き出して、胸のリボンを解いた。布と肌の刷れる音だけが、辺りを漂う。
 着替えながら霊夢がいう。
「りーちゃんの今着てるやつも、ここで買ったの?」
「そうだよ。丁度春先にね」
「お金とかどうしてんの?」
「春以外は人目に使いないように幻想郷中を巡ってるから、その道中で拾った物を道具屋に売ったりしてるのさ」
「儲かる?」
「全然、人間だったら野垂れ死んでるよ」
 着ていた巫女服を脱ぎ終わり、りーちゃんが選んでくれた服に袖を通す。肌に触れる布の質が、やっぱり普段とは違う。変にドキドキする。スカートまで履いて、どんなものかと姿見を見た。髪に付けっぱなしのリボンとかが妙に浮いてる。
 全部外して、カーテンを開けた。
「どう?」
「格好いい、似合ってるよ。巫女服とは違う雰囲気だね」
「……誰だかわかんないってこと?」
「それも洋服の魅力さ」
 誤魔化したな。訝しげなまなざしもそこそこに、改めて姿見を見る。
 映っている普段とは違う自分の姿。要素が一つ減っただけなのに別人に見えた。まるで博麗の巫女じゃなくなった気分にちょっと戸惑う。
 鏡越しに、りーちゃんと目が合った。
「でもさ、それが霊夢自身ってことじゃないかな?」
「なにそれ」
「博麗の巫女は巫女服を着るものだけど、霊夢にはそういう服が似合う」
「ごめん、よくわかんない」
 りーちゃん曰く、博麗霊夢はこういう服装が似合う。
 うーん、微妙。別に好きっていうほど気に入ってるわけでもない。元々服装を好き嫌いで決めたことなんてなかった。暑かったら脱ぐし、寒かったら上に羽織る。
「――でも、こういうの一着くらい持っててもいいかもね」
「そっか。それはよかった」
 そういうと、りーちゃんはまた嬉しそうに笑って次の洋服を探し始めた。
 他に誰もお客さんが来ないことをいいことに、次から次へと服を持ってくる。いろんな服をとっかえひっかえして、目が回りそう。でもそんな時間は一人で空を眺めているより、ずっと気分がいい。服を着せては唸りながら悩む彼女の姿を見てると、退屈しなかった。
 結局霊夢が試着室から出られたのは、日が少し傾いた頃。この店の殆どの服を試したんじゃないかと思わせるくらい時間が経っていた。これだけ長い間店にいて、何も買わないのも悪かと思い、試着した中で一番始めに着た一式をカウンターに持って行った。
 生まれて初めて、服を買った。腕に抱える紙袋に、なんだか胸がそわそわする。
 数時間ぶり出た店の外は、空模様も青から赤へ移り変わり初めたようで、広く黄色い。帰路には早く、出かけるには遅い時間帯、辺りは閑散としていた。初夏を思わせていた太陽の光も弱まり、吹き抜ける風が頬に冷たい。
「買ったはいいけど、いつ着よう」
「いつでもいいさ。着たいときに」
 着たいとき、来るかな。何処へともなく歩くりーちゃんに連れられて、霊夢は道ばたの石ころを蹴った。それは不規則な地面の凹凸にはじかれて、なんやかんやで草陰に消えた。
「どうだい? 気分は」
「会う前よりは。何かしてると気が紛れる」
「それじゃ次は――」
 歩きながら辺りを見渡したりーちゃんが、何かを見つけてそっちへ向かっていく。
 今度は何だろうと着いていけば、店の間の狭い通路の先、誰もいない空き地があった。さっきまで子供達が遊んでいたのか、土に残る足跡や、誰かが忘れていった玩具が置きっぱなしになってる。――持ち主は、忘れたことに気づいているのだろうか。
 寂しいところ。肌に感じる風とまた傾いた夕陽が落とす影が、そう思わせる。
 地面から何かを拾い上げて、りーちゃんはいう。
「運動すると、気持ちは落ち着くらしい」
「弾幕ごっこでもする?」
「無理だね。今の私は空も飛べやしない」
 思えば、彼女の背中には羽がなかった。妖精というのは多かれ少なかれ背中に羽が生えているものだが、今の彼女にはそれがない。隠しているのだと勝手に思っていたが、そうではないのだろうか。
「力、弱ってるの?」
「春先よりはね。飛べない方が人目に付かなくて好都合さ。だか――らっ!」
 てくてく。霊夢と少し距離を開けたりーちゃんは、手に持ったそれを振りかぶって投げる。それは山なりに霊夢の元へ届き、キャッチすると、柔らかめのボールだった。少し土の付いた、誰かの忘れ物の一つ。
「キャッチボールでどうだろうか?」
「……いいけど」
 ある程度力を込めてボールを投げ返す。頭を越えそうになったボールをりーちゃんは少し下がって受け止めた。そして投げ返してくる。それの繰り返し。
「霊夢は、原因に心当たりない――のっ!」
「あったら苦労しない――てっ!」
 お互い力の加減も分かってきて、お喋りしながらやり取りできるようになった。
 西の空、雲が茜色に染まっていく。人間の里は静かなもので、靴の底が砂利をはじく音がなんとなく響いてた。誰一人として道を通らないものだから、まるで世界に二人だけしかいないみたい。
「始めはてっきりさ、女の子同士が好き合ってる場面、探しにいくと思ってた」
「探すようなものじゃないの――さっ! 霊夢は何かわかったかい? 自分のこと」
「――ごめん」
 変に指先に引っかかったのか、ボールはりーちゃんの前に落ちて、コロコロと転がる。
「やっぱり、わからなかった。色々してくれたのに」
 自分がどんな人間かも。胸の中から感じる空腹感を埋める方法も。りーちゃんと一緒に行動して、ちょっとナニカが積もったかと思えば、すぐに空腹に喘いでる。
 りーちゃんみたいに、好きなことがはっきり分かってれば、すぐに埋めれられるのかな。
「まだ始まったばかりだよ!」
 ボールを拾い上げて、りーちゃんは勢いよく投げる。ストレート一直線。キャッチした手のひらが、ちょっと痛い。
「探そう! 幻想郷の何処かにあるよ! 霊夢の胸をいっぱいにしてれくるもの!」
「なかったら!」
 ボールを持ち替えて、思いっきり投げ返す。
 力みすぎて、ボールはあらぬ方向へ飛んでいってしまった。
「それでもなかったらさ、それってなんだか――寂しくない?」
 この世界の何処にも満たしてくれるものがなかったら、この空腹は満たされない。
 いつまで経っても腹ぺこで、ひもじさが心を冷たくしていく。なんにも受け付けなくなって――そして。
「そんなこと、あるもんか」
 りーちゃんは優しく笑うと、明後日の方向へ飛んでいったボールを拾いにいく。
 探させたら悪いと思って霊夢も歩みよるが、ボールはすぐ見つかったらしく、彼女の手の中に握られていた。そしてりーちゃんは大きく振りかぶる。
「でも、もしなかったとしたら」
 投げられたボールは大きく、大きく山を描いて、霊夢の所へぽん――っと落ちてくる。
「そのときは――埋めてあげるよ! 私が!」
 受け取ったボールを霊夢はぎゅ――っと握って、それから地面に置いた。
「もうやめよ。暗くてあんま見えない」
「……そうだね。ここまでにしよう」
 いつの間にか周りは暗くなり、西の向こうにほんの僅かな光を残すのみ。人間の里を夜の喧噪が包み出す。霊夢もそろそろ神社に帰る時間だ。本当は週刊誌を買いに来ただけだったのに、随分長居してしまった。――あっ、週刊誌団子屋に忘れた。
 思い出しはしたものの、もう遅い。二人は空き地を離れて帰路に就く。今度は忘れないように、紙袋を握りしめて。
 先が暗くてよく見えない道を、二人は肩を並べて歩いて行く。
「りーちゃんの家、こっちなの?」
「家はないけど、拾って帰らなきゃいけないものがある」
 南の方から里の中心へ。徐々に夜の営業で賑わう辺りは店々の明かりが灯っていき、行く道を照らしていく。やっと明るいところにきたと思ったら、りーちゃんはそこから外へ向かって歩き出す。何処からでも帰れる霊夢は、黙ってそれに着いていった。
 着いたのは東側の里境。人間の里とそうでない所の境目。
「これだよ」
 りーちゃんは物陰に隠していたそれを引っ張り出す。霊夢はそれが具体的になんなのかはわからなかった。白塗りの機械。後ろ側に桜の花びらのシールが貼ってある。似たようなものを命蓮寺のやつらが持っていた気がする。たしか乗り物だったはずだ。
「りーちゃんの?」
「うん、春風2号。飛べない私の翼だよ」
 りーちゃんがハンドルを握ると、春風2号は轟ォ――と、短く鳴く。よし、小さく呟くと、りーちゃんは春風2号にまたがり、ハンドルにかけたあったヘルメットを被る。
 どうしてそんな物を? とか。1号は? とか。色々聞きたかったけど。
 そんなことより聞きたいことが、霊夢にはあった。
「さっきの話だけどさ」
「探し物の話かい?」
「うん。なんでりーちゃん、そこまで言ってくれるんだろうって」
「なんでって、それは――やっぱり同じだからかな」
「同じ?」
「ああ」
 西の茜も消え失せて、辺りはどんどん暗くて見えなくなっていくのに。
 彼女の表情だけは、陰らず見える。夜空を照らす、薄い月明かり。
「私も探してるモノがあるんだ。見つからないときの憤りとか、もしかしてこの世界にはないんじゃないかって思うときの寂しさとか。いろいろ抱えながら、この子と一緒に走り回ってる」
 ――だから、私たちは……同じだろ?
 彼女は笑う。満たされているように。その瞳は、やっぱりキラキラ星屑のように輝いていて。その瞳の輝きが、やっぱり羨ましい。そんなりーちゃんと、
「りーちゃんと同じ……か」
「嫌なのかい?」
 首を傾げる彼女に、霊夢は首を振った。
「ううん、そうじゃない」
「一緒に探そう。それで二人で胸いっぱいになるんだ」
 朝になったら迎えにいくよ。考えておいて。
 最後にそれだけ言い残して、りーちゃんを乗せた春風2号は走り出す。どんどん小さくなっていく後ろ姿を見送って、霊夢もふわり宙に舞う。空へ上がっていくほど、人間の里の喧噪も聞こえなくなり、風の音もしない今日の夜空は、何も聞こえない。
 静かで、暗くて、冷たいな。
 それでも家に帰るために霊夢は夜空を駆ける。
 濃度を増していく宵闇の中。
 手ががかりになるのは、少しの方向感覚と薄い月明かり。









     5


 朝起きたら、全部元通り――なんてことはなかった。
 昨日と今日は当たり前のように地続きで、胸の辺りの空腹感も残ったままだった。布団から出るのも億劫になる早朝。霊夢はいつの間にか目覚めていて、ぼんやり天井を眺めていた。日が昇り始めたばかりなのか、空気はまだ夜を引きずっている。
 ――起きなきゃ。朝ご飯の支度もしなくちゃだし。お腹空いてないけど。
 体を無理矢理動かして、とりあえず洗面所へ向かう。眠気と決別しないと、布団に戻ってしまいそうだった。
 眠たい目を擦りながら洗面台の前に立つ。冷たい水で顔を洗うと、心底震える代わりに眠気は何処かへ消えていった。鏡で見る自分の顔。博麗霊夢の顔。
 これが私か。同じ――って言ってたけど、やっぱりキラキラしてないな、あんな風には。
 歯を磨き終わって、霊夢は歯ブラシを持ったまま自室に戻った。髪型は少しバサついてたけれど、手ぐしで溶かしながら、それでも治らなかったらそのままでいこう。
 簡単に荷物をまとめ、寝間着を脱ぐ。タンスを開いていつもの巫女服に手を伸ばそうとして、その脇に置いていた紙袋に目を留めた。
 似合うって言ってくれたし、こっちでいいか。
 紙袋の中から買ったばかりの洋服を取り出して、袖を通す。スカートはいつもより丈が短くてスースーするが、洋服だからこんなものなのかも知れない。タンス横の姿見で全身を確認しつつ、一回転。特に変じゃない。
「こっちがいいや」
「あれ? 霊夢さん」
 丁度起きてきたのか、縁側の方からあうんが目を擦りながら入ってくる。
「お出かけですか? ふぁー、早いですね」
「うん。待ち合わせ朝って言ってたから」
 軽く服の皺を伸ばして、まとめた荷物を手に持つ。手荷物はない方がいいと聞くけれど、やっぱり最低限はいるだろう。――いつ帰るかわからないのだから。
「しばらく帰らないから、留守よろしくね」
「えっ、異変か何かですか?」
「全然。ちょっと探し物してくるから。だから博麗の巫女はしばらくお休み」
 意味がわからないのか、あうんは首を傾げて困惑している。
 巫女服を着ていなくても、博麗の巫女は止められない。だけど、ちょっとぐらい休んでもいいだろう。今までほったらかしにしていた分、そろそろ〝自分〟というヤツを分かってやらなきゃいけない。
 〝自分〟がわかったとき、何がこの胸の空腹を満たしてくれるか分かるのだろうか。
 何かがこの胸の空腹を満たしたとき、それを〝自分〟と言えるようになるのだろうか。
 どっちが先かは分からないけど。
 ショートブーツに足を通して、コンコン、とつま先を蹴る。白みがかった空は、次第に濃く青く色づいていき、その中に眩しい太陽が姿を現す。その光は進む道を示すかのように、強く優しく――遠くへ続いていく。霊夢はその光の中へ一歩踏み出した。
 そして遠くから、聞き覚えのある鳴き声が聞こえてくる。
「それじゃ霊夢さんはいつ帰ってくるんですか?」
 まだまだ理解が追いついていないあうんが尋ねると、霊夢は踵を返す。
「胸いっぱいになったら、かな」
 いってきます。荷物を肩から提げて、霊夢は駆けだした。境内の石畳の道をたどって、鳥居を潜る。目の前に広がる幻想郷の青々とした景色。この何処かにきっと。そう願いながら階段を降りていく。ちゃんと神様に願っておこう。満腹の神様。胸いっぱいになりますように。
 階段最後の一段を降りると、彼女は春風2号と共に既に待っていた。
「りーちゃんさー、それ、私も乗っけてくれない?」
「いいとも。行き先は?」
「どこでもいい」
 りーちゃんは弾けるような笑顔を返すと、春風2号にまたがって、体を前に詰める。後ろの空いたスペースに霊夢は座り込んだ。二人で乗るには結構ギリギリ。ぴったりくっつかないと落ちてしまいそうだった。
「しっかり捕まって」
「ん、まかせた」
 彼女の体に手を回し、霊夢はぎゅ――っと抱きつく。あのときと同じ匂いがする。日差しのように暖かくて、少し甘い。さらさらした髪の毛が、ちょっとくすぐったい。
 でも、今はこの熱を感じてたい。この優しいくも力強いエネルギーが、何かと引き合わせてくれる、そんな予感がするから。
「それじゃ、出発!」
 りーちゃんがハンドルを強く握る。それに応えるように春風2号も声を上げて走り出す。
 不思議な感覚だ。自分が空を飛ぶときより全然遅いはずのに、風が体を吹き向けていくのが気持ちいい。凸凹な道を真っ直ぐ突き進んでいく。
「りーちゃんはどうやって行き先決めてるの?」
「そりゃー、走りやすいほう」
「どっちも同じ感じだったら?」
「もちろん、心惹かれるほうさ!」
 野原を越えて、川を越えて。二人は転がっていく。
 本当は探す必要なんてないのかもしれない。頭で考えて、答えを出せば済む話なのかもしれない。本当は自然と巡り会うような、もっとロマンチックな出来事なのかもしない。
 だけど、探さずにはいられない。考えても答えが出せないから、足りない何かを探している。気分はさながら小さな冒険者。幸せは歩いてこないのだから。だったらこっちから攫いにいかないと。
 さしかかる分かれ道で、彼女は叫ぶ。
「霊夢、分かれ道だよ。どっちがいい?」
「それじゃ――こっち」
 いつの間にかなくしてしまったものを取り戻しに。
 どんなときも変わらずに、胸の奥に響くものを探しに。
 
「百合を見て育つ百合」を書こうとしたんですけど、話膨らみ過ぎてしまった。短編書けない症候群
今時あんまり流行らないかなーとか思ったり、イベント参加できなさすぎて病んでいた2020でしたけど、最後の最後にワクワクとドキドキを思い出して「自分が一番ワクワクする話を書こう」と原点回帰できました。あの頃のワクワクを思い出すんだ!という思い全開です。

カップリング百合小説こそ私の大好きなもの。いろんなカプを書けるお話にしようと思います。好きなマイナーカプはサグてゐです。
みんなは?

BGM「飢餓と宝玉」/konore
てんのうみ
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
良い雰囲気でした
5.100名前が無い程度の能力削除
リリーホワイトが格好良かったです
6.100Actadust削除
独特の世界観でしたが、すらすら読めました。
霊夢のもやもやとした苦悩を、まるで解きほぐすように寄り添うリリーが印象的です。楽しませて頂きました。