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次の日。鈴奈庵でパチュリーからお願いされていた本を返し、その勢いでずっと立ち読みしていたら、気が付くと日が傾き始めていた。ちょっとオレンジ色に染まり出した空を見ながら、フランは「失敗したなぁ」と苦笑した。いやだってあそこには、魔法図書館にもないような作品がいっぱい置いてあったんだもん。仕方ない仕方ない。
それにしても。と思考に耽る。ちょっと前までは、自分がこうして外に出て…まして、人里に出るだなんて、考えもしなかったな。
ずっとずっと、自分は引きこもっているのかと思っていた。
壊すことしか出来ない能力に、自分自身が閉じ込められるままなのかと思っていた。
それが、魔理沙たちとの出会いをきっかけに外に出たい、と本気で考えるようになって。
頑張って、能力を自分で制御出来るようになって。
あれでいて慎重というか、ひたすら心配性なお姉さまに頭を下げて、幾度となく説得を続けて。
パチュリーに日焼け止めをつけてもらって。まずは美鈴や咲夜を伴って、門の外を出てみて。
あの時は半ば恐る恐る、と表現するのがふさわしいくらいに、ゆっくりゆっくりと、歩を踏み出していたっけな。
ぐっと伸びをしてから、一歩。今はこうしてひとりで、軽やかに歩みを進めることが出来ている。
……本当、ただただ夢みたいだ。
そうして出てきた外の世界は、自分にとって、初めて知ることばかりだった。
こうして傾きかけている夕日も。
ひらりひらり舞い散っては夕空のオレンジに趣を添える、赤朽葉や黄色の枯葉たちも。
それを掃いている箒の音も。
あちこち走り回る犬の鳴き声も。それを追いかける子供の声も。
木造の家々がかもしだす古いにおいまで。
何もかも、フランには初めて接するような、面白いことばかり。
……とても、眩く輝いていた。
さてと。おなかもすいたな。こうして外に出てから、何ごとも体験、ということでどこかお店に行って何か食べていくことが多くなっていたけど、今日も何か食べて行こうかな。何が良いかなぁ、いつものカフェとかでも良いかな。前食べたお茶菓子にはびっくりさせられたな。林檎を丸ごと焼くだけであんなにおいしくなるなんて。あそこのカフェには、紅魔館だとなかなか食べられないような、お気に入りのメニューが多くて好き。あ、咲夜には負けるけどね。
そんなことを考えながら、歩いていた時だった。
「…ん?」
ふと、家屋と家屋に挟まれた一区画に、子供たちが集まっているのが見える。「始まってる?」「もう始まってるみたい」「あー、出遅れたー」というにぎやかな声が、前を駆けて抜けていく。…何かあるのだろうか。気になるなぁ。くるりと足を回転させて、フランも、その人だかりの方へ引き込まれていった。
人だかりの真ん中から、一人の少女の、澄んだ声が聞こえてくる。子供たちは、どうやらその声の方を見つめているらしい。みんな夢中そうだ。何が子供たちを注目させているのだろう、と身体を右に傾けて、輪の中心を覗きこむ。
「そうして、彼女は、またチェロを手に持ち、弓を弦に当てて、」
そこには、金色の髪をした、トリコロールの装いをした少女が立っていた。
まるで自身も可憐な西洋人形かと思われる白い指を動かすたびに、夕陽に映えた微かに虹色に反射した糸がちらちちらりと見え隠れしていて。
糸の先には、一人の人形が、まるで自我を持っているようにしっかりと、紙に描かれた部屋を背景に、小さなおもちゃの弦楽器を構えているところだった。そして、刹那、人形は器用に、右手に構えていた弦を動かすと。
「―――――演奏を始めました」
まるで本当に人形が演奏しているかのように、どこからかチェロの荘厳な落ち着いた音色が輪をつたって広がっていった。
わぁ、という子供たちの感嘆の声が聞こえる。その声を聞いて、中心にいる少女はふふ、と得意げに微笑んで、人形と目を合わせる。人形も一瞬にっこりと笑顔をアリスの方に向け、またチェロへと意識を向ける。そこからは単なる人間と人形という関係に留まらない、個と個の絆が垣間見えた。
…はぁ、すごいな。可憐な指さばきは、まるでオーケストラの指揮者みたいで。ほら、人差し指を一振りすれば、音が滑らかに低くなって、またもとに戻しては、高くなって。刹那、綺麗な鳴き声と共に、小さな鳥が二羽、紙芝居の背景へと羽ばたいてきた。
「あ。今日も小鳥がやって来たみたい。今日も一緒に歌いましょう?」
急な来訪者である小鳥たちに、見ている子供たちもフランも目を丸くさせる。けれど、少女はというと、全く焦っている様子も驚く様子も見せず、予期せぬ来客を迎え入れる。小鳥たちは、少女の問いかけにまるで返事を返しているかのように、チェロを伴奏に思い思いの歌を響かせ続ける。
そうして、しばらく聞き入っていると。ちょっとした変化に、フランは気付く。
一羽の小鳥がもう一羽の方を小突いて。それに対してもう一羽の小鳥が、小突き返して。それをきっかけに、小鳥たちは、高い鳴き声を響かせながら互いにぶつかり合って、部屋中を飛び回った。…そうだ。これはまるで。
「ほら、ほら、けんかしないの」
あぁ、そうだ。けんかだ、けんかだ。まるで子供をあやすかのようかのような、穏やかな少女の声。その声と共に、人形が演じるチェロの音はさらに優しく鳴り響いて、広がって。響くにつれ、ぶつかり合っていた小鳥たちも、落ち着きを取り戻して、高い鳴き声を小さくさせていく。まるで、本当にチェロの音が、小鳥たちに届いているかのように。じっと互いに見つめあった小鳥たちは、チェロを弾き続ける人形の前まで飛ぶ。
「うんうん、これで仲直り。さぁ、また歌いましょう?」
少女の明るい声に、小鳥たちはぴぃ、とまるで返事をしているかのような鳴き声を発して、また美しい歌を響かせながら、人形のまわりを舞い始める。
そんな夕空に溶けていく穏やかな演奏会を、子供たちもフランも、声も、息をつく音さえも発さずに、ただただ、見入っていた。
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「…それでは、本日の人形劇はこれでおしまい。みんな、来てくれてありがとう」
「ばいばい、人形劇のお姉ちゃん!」
「今日もとても楽しかった!」
「ふふ、ありがとう。気を付けて帰ってね」
にぎやかに散っていく子供たちを、少女は笑顔で手を振って見送る。ふと横を見ると、人形たちも「シャンハーイ」とふわふわ浮きながら子供たちに手を振っていた。
…あぁ、本当。あっという間に終わっちゃったな。
「あら?」
フランがそう感慨に耽っていると、少女がこちらに気付いて、声をあげる。なんだろう?そう首をかしげていると、んー、と指を頬に当てながら、少女はこちらに近づいてくる。
「あなたもしかして……レミリアの妹さんかしら?」
びっくり。
「お姉さまのこと、知ってるの?」
「えぇ。私、時々紅魔館にはお邪魔させてもらっているの。ふふ、話には聞いていたけど、こんなところで会えるなんて、びっくりしたわ」
「へぇ、そうなんだ。けど、よく私がお姉さまの妹だって分かったね?」
「それはもう。だってあなた、レミリアとよく似ているもの」
へぇ。まさかこの人がこんなに身近な人だったなんて思いもしなかったな。それにしても、実際に話してみても、優しくて、親しみが持てそうな人。紅魔館の住人や魔理沙たちともまた違ったタイプの人だ。せっかくだし、もっと話していきたい。そう思った時。
…ぐぅー……
あ、そうだった。私、おなかがすいていたんだった。今の音、聞かれちゃったかなぁ。きょとんとしているし。すると、少女は、ふふ、とおかしそうに笑うと、何か思いついたように、ぴんと人差し指を立てた。
「せっかくこうして出会えたのですもの、これからどこか食べに行きましょうか?」