【あーあー、本日は晴天ナリー……マイクオーケーですね。皆さんこんにちは。本日も地獄らしいどんよりとしたお天気ですが、分厚い雲も吹き飛びそうな熱気がドームを包んでいます。実況解説を務めますのは、かの驪駒早鬼ちゃんの飼い主の師匠である娘々こと霍青娥。そしてもう一人はなんと……!】
【その弟子であり、かつての黒駒の飼い主であった豊聡耳神子です。こういう仕事は初めてですが頑張ります。よろしくお願いします】
──驪駒は死んだ。
いや、とっくに死んではいるしここでは死んでもいないのだが、とにかく驪駒が驪駒でなくなった。
そこに、居る。かつて殉死するほどに慕っていた聖徳太子様が目の前に。
「た……! たたタタたったったタた………!」
驪駒が小刻みにリズムをビートするマシーンと化す。
「太子様ァァああああああアッ!!?」
驪駒は席に座る神子に向けてロケットのような勢いで発射された。が、二人の周囲に張り巡らされた見えない壁に衝突して爆散した。
【いきなり命の危機を感じました。娘々秘術、不可視の社交距離障壁(インヴィジブルソーシャルディスタンスバリアー)がさっそく役に立ちましたわね】
【名前には突っ込みませんよ。まあ、私としても愛馬とはもっと感動的な再会をしたかったのですが、こうなるだろうと聞かされていてはやむを得ませんでしたね。実際にその通りでしたし……】
青娥はにこやかに、神子は頭を押さえながら、目の前でひっくり返る元愛馬の醜態をコメントする。
『組長ッ!』
『驪駒様ァッ!』
『お気を確かにッ!』
配下の動物霊が駆け寄る。常人なら気絶しているところだが、ハイになっている驪駒はブラックアウト寸前で踏み留まった。
「たッ、たい……ッ!」
【黒駒、とりあえず真っ直ぐ立って大人しくしなさい】
「は、ハッ!!」
驪駒は速すぎて逆に動いていないように見えるほどの勢いで気を付けした。
さて、状況を整理しよう。
本日は驪駒率いるブラックエンジェルスと、埴安神が率いるスイートハニーズがヘ・リーグの一枠をかけた試合をする日である。
『今日は楽しく試合をしましょうね。勝っても負けても恨みっこなし』
袿姫はそう言って余裕綽々の笑みを浮かべていた。
この時、埴輪達が実際に野球をする光景を目の当たりにした驪駒は久しく覚えの無い武者震いを自分に感じたのだった。
外見こそ芸術家そのものではあるが、埴安神袿姫は畜生界の極道集団を単独で圧倒する組織を創り出した紛うことなき神だ。決して舐めてかかれる相手ではない。
袿姫の配下の埴輪達も動きが違う。埴輪のくせに彼らは人以上に人らしい。
(……兵長の杖刀偶磨弓、だったか。人と変わらないほどよくできた埴輪だったが、あの邪神はよほど今回の試合に気合いが入っているのかチームもそんな奴らばっかりだ)
驪駒は肩をぐるぐると回した。面白い、相手が強いほどそれを倒した時の快感は大きいのだ、とチームに激を飛ばす。
剄牙組のパワフルな動物霊と、袿姫が産み出した生きる埴輪達。埴輪の表情は変わらないが、それ故にその睨み合いはドームに異様な緊張感を生んでいた。
ブラックエンジェルスは典型的な体育会系だ。リーダーの闘志に当てられたチームの士気も最高潮に達する。
そんな矢先の出来事だった。
驪駒が最も敬愛する人物が実況席に居たのである──。
「……誰かと思ったら、いつぞやの泥棒猫さんじゃない。何でまた、こんな」
「今日はあのキョンシーと一緒ではないのですね。そちらが噂の、復活した聖徳太子ですか」
この惨状には流石の埴安神とその部下、杖刀偶磨弓も黙って見てはいられない。見えない壁を警戒して、驪駒より手前まで二人に歩み寄る。
【青娥はこちらの二人と知り合いですか。いつものように迷惑をかけていたようですが】
【うふふ、私は顔が広いですからね。芳香も入れて四人で遊んだ仲ですよ】
「……そんな事はどうでもよろしい。何故貴方達がここにいるのか、事情を説明してもらいます」
吉弔も流石にこの試合は見に来ていた。それがまさかこんな事になっていては見過ごす事などできない。説明しろと言われては、彼女の言葉には誰も逆らえないから事情を話す他はない。とはいっても神子達も隠す理由などはないのだが。
【呼ばれたから来たんですよねー、太子様】
【それに黒駒の姿を見たくもありましたので】
「太子様ッ……!」
驪駒が見えない壁にへばりつく。壁に押し付けられた彼女の顔に組長の威厳など皆無である。
「だったら、誰に呼ばれたのかを話しなさい。それと驪駒、見苦しいから真っ直ぐ立っていなさい」
『我々で、ございますよ』
意外な第三者の登場に、その場に居た全員が振り返る。
そこに居たのはオオワシの畜生霊である。オオワシといえば剄牙・鬼傑と共に畜生界の覇権を争う第三勢力の構成員だ。すなわち饕餮が盟主を務める剛欲同盟である。
「……饕餮の仕業でしたか。しかし、何故? 奴から直接話を聞きたいのですが」
『生憎と饕餮様はステイホーム期間でございまして……話は単純ですので代理の私でお許し願いたい。これは、敵に塩を送る……と言うやつですよ。憎き偶像共と戦うという剄牙の長殿への、まあちょっとした激励でございます。効果は、一目瞭然でしょうな』
「……ええ、抜群でしたね。まさか試合の前から倒れそうになるとは思いませんでしたが。塩も舐めすぎれば毒ですよ」
しかし落ち着きを取り戻せば驪駒はいつも以上の能力を発揮するに違いない。彼女の聖徳太子への敬意は筋金入りで、神子が尸解仙になるべく眠りに就いた時には絶食して命を断ったほどなのだから。
『おわかりいただけたようですので私はこれで。くれぐれも、そこのお二方をお呼びしたのが饕餮様である事をお忘れなきよう……』
(……その通りだ。剛欲同盟はあの二人を呼べるほどの地上とのコネを既に確立している。激励などと言っているが、饕餮は暗にそれを示しにも来たのでしょう。協調性の無い奴らの寄せ集めと思っていると足下を掬われそうですね……)
吉弔が強欲同盟への対策を思案している間にも話は進む。
神子は彼女がかつて馬の姿だった頃と同じように、優しく柔らかな口調で言葉をかけた。
「黒駒、私は立場上貴方のチームだけを応援はできませんが、貴方の成長を誰よりも楽しみにしています。全力で戦いなさい。そして終わったら、今までの事を存分に語らいましょう?」
「……太子様! この驪駒早鬼、貴方に勝利を捧げますッ!」
驪駒の声は神子に真っ直ぐ放たれた。滾る心は彼女の周囲に陽炎が立ち昇っていると錯覚するほどに熱い。
「……参ったわねえ。これじゃあ完璧に私がアウェーじゃない?」
袿姫は拗ねたような顔で元凶の二人との間を詰めた。元々彼女は孤立無援の存在で畜生界全てが敵みたいなものなのだが、ゲストまで驪駒側の人間となると流石に気に入らない。
【まあまあ袿姫様、私は個人的には貴方の方を応援しておりますわ。人形遣いの仲間ですもの】
「邪仙から応援されたんじゃますます悪者じゃない。ま、無いよりはマシと思っておくわ。ありがとうね」
さて、こうやって畜生に囲まれていると敗北した思い出がぶり返してきて気分が悪いと、袿姫は愛する埴輪達が控えるハニーズ側のベンチへと帰っていった。
話は終わりだ。後は熱が冷めないうちに試合を開始するのみ。青娥は喉を調え直して力強くマイクを握りしめた。
【さあ、ブラックエンジェルスとトータスドラゴンズ"両チーム"のリーグ追放がかかったこの試合、いよいよ開幕ですっ! スポーツマンシップに則った正々堂々たる勝負を期待しましょう!】
「……なんですって?」
聞き捨てならないセリフであった。おかしい、話が違う。吉弔は邪仙に訂正を求めた。
「追放されるのは埴安か驪駒のチームだけのはずですが?」
【え~? 私はそのように聞かされていたのですけど。ねー、太子様?】
神子も首を縦に振った。
まさか。もしかして。吉弔は驪駒の顔を睨みつけた。
嫌な予感を確かめるべく驪駒が居る側のベンチに駆け込む。
「あ~、吉弔には言い忘れてたっけ。なんかさあ、三途の川で働いてる奴らも野球をやりだしたらしくて、三途リバイアサンズとかいうチームなんだけど」
【三途の川には絶滅した古代魚や海竜が住んでいると聞きます。まさにリバイアサンの名が相応しいと言えるでしょう】
【う~ん、たぶんサンズのリバーだからリバイアサンズなのだと思いますわ】
【なるほど、流石は青娥です。無駄に長生きしてるだけあって駄洒落に強い】
【……誰を待って長生きしたと思ってるんですか。怒りますよ?】
「それでな、そいつらもリーグに入りたいって話が出てたらしいんで、ついでだから二つのチームの入れ替えを賭けてしまおうって話になったんだよ。だから万が一負けたら私とお前のチームのどっちも追放だ。まあ私が勝てばいいんだから何の問題もないだろう。はっはっは!」
驪駒の脳天気な笑い声がベンチに響き渡る。まさか伝えていないとは思っていなかったチーム員一同、うちの組長がおバカですいませんと言わんばかりの申し訳無さそうな表情を吉弔に向けた。
「くっ、くっ、クッ……ッ!」
吉弔の握り拳がわなわなと震えている。
──クロコマァッ!!!
その怒声はドームに亀裂が入るのではと思うほどの、地獄の雷にも負けない大音量であった。
「驪駒、オーダー表を」
「はいはい、ただいまお持ちしますよっと」
吉弔は鬼傑組の屈強な組員で周りを固めつつ、そのまま驪駒のベンチに居座っていた。彼女にとっても落とせない試合と化した以上、エンジェルスのチーム員も特に咎めはしなかった。
「ふむ、お前はいつものようにライトですか」
「ああ、ここが私の肩を最大限に活かせるからな」
強打、駿足、強肩の彼女はチームで一番の点取り屋であり、よく球を後逸する内野を後ろからサポートする守備の柱でもあった。
「……ダメですね。驪駒、マウンドに上がりなさい」
その言葉にベンチがざわつく。吉弔は驪駒をピッチャーとして立たせようとしているのだ。
もちろん吉弔だって思い付きで急なコンバートを提案したわけではない。元々驪駒が投手で、自ら外野手に回ったのを知っているのだ。
「吉弔、お前が知らないはずがないだろう。私だってそうしたいが、うちには……」
キャッチャーがいなかった。正確には、驪駒の豪速球を捕れるキャッチャーがだ。
驪駒の投球は想像通りの暴れ馬である。ストレートはまさに飛翔するように手元で伸びる魔球だ。拙守揃いのエンジェルスのメンバーでは到底受けきれるものではなかった。
「ええ、ですから私が球を捕ります。いいですね?」
『あの吉弔様が……!』
『自ら……!』
ベンチが震撼した。
ドラゴンズは守備のチームだ。その要である吉弔も名捕手として名高かったが、疲れで本業が鈍ってはいけないからと最近は監督オーナー業に専念していた。その吉弔が捕手として宿敵の驪駒とバッテリーを組むと言い出しているのだ。
「……捕れるか、お前に」
「見くびらないでください。お前程度の球も捕れないようではキャッチャーなど名乗れませんよ」
それではエンジェルスの捕手は面目丸潰れなのだが、実際捕れないのだから言い返しようもない。
「……わかったッ! イヌカワとネコガミ、悪いがお前達はベンチな!」
『は、ハイッ!』
交代させられたピッチャーとキャッチャーの二人は内心ほっとしていた。
何しろ毎回ボコボコに打たれて炎上兄弟とまで呼ばれているバッテリーである。追放がかかった今回だけは戦犯呼ばわりされたくなかったのだった。
「それと……カワイ、ヘビシマ!」
『ハッ!』
吉弔の号令に側近二人が応じた。どちらもドラゴンズのレギュラーである精鋭畜生霊だ。
「二遊間だけでもうちの人員と入れ替えさせなさい。お前のところは内野が特に酷くて我慢なりません。お前と私のチームの連合軍という形になってしまいますが……うちの追放も懸かった試合ですから文句は言わせません」
「……フッ、良いだろう。足手まといになるようならベンチに引っ込めればいいだけの話だからな」
「お前の失点を少しでも減らそうとしてやっているんです。なんならお前のメンバーが失策する度にうちと交代してやりましょうか。試合が終わる頃には何人残っているでしょうね?」
一触即発ムードとはなったもののスタメンには決着が付いた。始まる前からこんな状態でまともなバッテリーになるのだろうか。
さて、邪悪な創造神率いる埴輪軍団と、吉弔と驪駒の連合軍。血で血を洗う地獄の勝負が、ついに幕を開ける。