「咲夜」
星が降る夜の下、あのお茶会の時。
咲夜は、流れ星に「秘密」の願いごとをしたことがあると語った。
きっと、あの子にとって、宝物のような、何よりも大切な願いごとを。
そして……たぶん、だけど。私がその願いごとを叶えた。
だから今、あの子はどこまでも献身的に私に尽くしてくれている、と。そう考えている。私はすっかり、その優しさに身を委ねて、咲夜にたくさん願いごとをしてしまっている。
……けど、本当に、それで良いのか。
…そうだ。また、返してあげなくちゃ。
あの子が燃え尽きるその時まで、眩いばかりに光り輝けるように。あの子が、光り走り続けている、その時間が、幸せだったと、考えていられるように。
私が、咲夜の願いごとを叶えてあげなくちゃ。
だから私はある日、こう話しかけてみた。
「……あなたに何日か、休暇をあげたいと考えているの」
それに対し、あの子は。
「………はぁ」
今まで見たことないような間の抜けた表情で、首をこてんと傾げていた。
~~~~~~~~
……咲夜の表情を見た私は、彼女に気付かれない程度に、小さくため息をついた。うんまぁ、そういう顔するとは思っていた。だって咲夜だもん。…うぅん、けど、さぁ。
「……何間の抜けた顔してるの、あなたは」
「だって私は、まだまだ元気いっぱい咲夜ちゃんでございますので。お休みをいただく程体調が悪い訳ではないですもの」
おいこらなんだ元気いっぱい咲夜ちゃんって。後、真顔のまんま袖まくって力持ちポーズ取るな。吹き出しそうになるから。
「だーめ。体調崩してから休み取るのでは遅いんだから。咲夜には休める時にしっかり休みを取って、ずっと元気なままでいてほしいの」
「…そういうものなのですか」
「うん。そういうものなの」
問いに私はうなずくと、咲夜は恭しく一礼して、
「かしこまりました。それでは、その休暇、謹んでいただきます」
と返してきた。
「……まったくもう」
今の時点ではきっと、咲夜は、一人の「従者」として、その休みを受け取ったのだろう。いざという時に私の傍にいられないのは良くない、とかそんなことを考えて。けど……おせっかいかもしれないけど……咲夜には、自分自身のためにそういう時間を使ってほしい。
「とはいっても、休暇ですか……」
咲夜はというと、うーん、と顎に人差し指を当てている様子。
「どうしたの」
「…休暇といっても、何をすれば良いのかなぁと思いまして」
「そうね……お出かけするなり、読書するなり。とにかく、咲夜のしたいことをすれば良いんじゃないかしら」
「そうですか…それではお嬢様、休暇の息抜きとして、翌日の朝ごはんの下ごしらえでも」
「働くのは駄目」
「むー」
「………駄目と言ったら駄目」
なんだ頬を膨らませて、どこで覚えてきたんだそんな仕草。そして、それを真顔でするな吹き出しそうになるから。駄目なものは駄目なの、と頭を横に振った。
けど、実際その通りだ。いきなり休んで良いと言われても、真面目で不器用な咲夜のこと、何をして良いか分からず、結局「従者」としてこの時間を過ごしてしまうだろう。
だから私は、この休みを与えるに当たって、「きっかけ」を考えていた。
「…なら1つ、私から良い?」
咲夜がこの休みを自分の時間として過ごすことが出来る、「きっかけ」を。
「私と、お茶に付き合ってくれる?」
~~~~~~~
そんなこんなで、咲夜の休み…そして、咲夜とのお茶会当日。
夕方ごろに起床した私は、ゆっくりと伸びをしながら、離れた窓から光が赤く差し込んでいるのを見て、ほっとした。
今夜のお茶会は、私がお茶やお菓子などを準備して、咲夜にゲストとしてお茶を飲んでもらいながらテラスでお話をしよう、というもの。日程は、ちょうど十六夜の月が出る、その日を選んでみた。前みたいに星降る夜でも良かったのだけど……やっぱり、ね。
いつも咲夜はここのお茶会に同席せず、準備とかをしてもらってばかりだったので、主従関係なく、対等な立場でお茶会が出来たら、と考えていたのだ。
前日に聞いたところによると、今日、咲夜は茶会に出るための準備、とかなんとかで、日中は外出しているらしい。そういうことなら咲夜が帰ってくる前に準備を終わらせておこうか、と歩を進め出した。
……お茶は…たまーに趣味として淹れてたけど、他人に出すのは久しぶりね。まぁ大丈夫だと思うけど…咲夜に出すのだもの。生半可なものは出せない。
お茶菓子も準備しないと。こっちは久しく作っていないから、うまく作れるか分からない。厨房に保管されているお菓子から引っ張り出しても良いけど…
…せっかくだし、あれ、作るかぁ。レシピ、またパチェから借りなきゃなぁ。不安と高揚を隠しきれないまま、まずは図書館へ歩き出すことにした。
ちなみに図書館に着き、作りたいお菓子についてレシピを聞いてみたところ、パチェと、魔法を教わりにたまたま来ていたフランが何となく事情を察してにやにや笑ってきたので、腹が立って一発ずつ蹴っ飛ばしてやったのは別の話。
~~~~~~~
……気が付けば夜だった。窓を見れば、既に、丸い月が光を差し始めている。久々だったこともあり、なかなかお菓子が満足いく出来にならず、何回も作り直していたらこうなってしまった。最後にはなんとか出来たから良かったけれど……おいしく出来ているだろうか。腕を組みながら厨房を出てそう迷っていると、がちゃん、と廊下の先にある扉が開く音がした。
「ただいま戻りました、お嬢様」
鈴のような、透き通った声は、聞き間違えようもない。
「…あぁ。おかえり、咲夜」
そこにいたのは、確かに咲夜だった。けれど、咲夜の出で立ちは、いつものメイド服ではなかった。
上は白い半袖の服で、ボタンの前立ての部分に金の線が縦に一本縫われている。下は長めの紺青の、光沢が入ったシルクのロングスカートで、裾に金の五線譜の刺繍がぐるっと一周していた。さらに、よく見ると青を基調としたイヤリングも身に着けている。多分、夜をイメージしたコーディネートなのだろう。差し込む月の光が、清涼な装いに白銀の彩りを添えていた。
「綺麗ね…『咲夜』の名前にとてもよく…似合ってる」
「ありがとうございます、お嬢様。今日のためにと、アリスにお願いして仕立てて貰ったんです」
「へぇ…さすがアリスね。素材もよく出来てる。うちに欲しいくらいね」
「この五線譜の刺繍なんて、アリスの人形たちが縫ったらしいですよ」
「えっ…これ、人形の指で縫えるものなの?」
「いえ。常識的に考えたら縫えないと思います。そもそもこれ程精巧なデザイン、私でも出来るかどうか……アリスに聞いてみても得意げな顔で『企業秘密よ』て返してくるだけなんですよ」
ちょっと悔しそうに唇を尖らせる咲夜に、ついつい、頬が緩んでしまう。そういえばこいつ何だかんだで負けずぎらいなところあったなぁ。きっとアリスもそれを分かっている上で咲夜の反応を面白がっていたのだろう。
「ちょうどお茶の準備を終えたところだったの。だから、ちょっと休んだらおいで」
「はい……あ、そうそう」
返事をして一回自分の部屋に行こうとした咲夜は、思い出したように手に持っていた紙袋から、一つの花束を私に手渡してきた。
「これ、お嬢様に。お部屋に飾ってくださいませ」
「え?あぁ……ありがとう」
青や紫や薄紫、白の花が穂のように縦に連なっている。蕾もところどころに付いており、それは「外」で私も見たことのある、妖精のごとく人懐っこく、水中から空を舞う動物に似ている。
「これ……デルフィニウム、ね」
「はい。せっかくならお土産を、と考えていましたら、ちょうど魔理沙から薦められまして」
「魔理沙が薦めてきたの?珍しいこともあるものね」
「なんでも『女の子はみんなお花が大好きなんだぜ~』とか何とか」
「前言撤回。やっぱり魔理沙らしいわね」
「ふふ。そうですね」
屈託のない咲夜の笑みを見て、私はまた頬を緩める。きっと花束を買ったときも、こんなやり取りで互いに笑っていたのだろう。その楽しそうな光景が、容易に想像出来た。
それはそうと…再び花束に目を落とす。デルフィニウム…ちょうどこの時期、初夏の時期に咲く花。「高貴」「清明」「幸福をふりまく」という花言葉を持つ。きっとだからこそ、咲夜はこの花を私へのお土産として選んだのだろう。
……けど。そういう花なら。
「咲夜。これ、お茶会の席に持って行っても良い?」
私は、花束を少しだけ強く抱きしめる。
「私の部屋に飾るのも良いけど……きっとあの場に飾ってあげた方が、一番映えると思うんだ」
月に全方向から照らされる、あのテラスに。
「…はい、もちろん」
~~~~~~~~
しばらくして、お菓子と紅茶、そして花を生けた花瓶をテラスに運びに、私は屋上に到着した。
窓から差し込む光からある程度想像は出来ていたけど、そこに出ていた十六夜の月は、思っていたよりもずっとずっと大きく見えた。月にかかるかかからないかのところで揺蕩う雲の眩しさが、この月の雄大さをより一層引き立てている。花瓶を置く。うん、ここに運んで良かった。そう柔らかく笑うと、ちょうど一段落したらしい咲夜がテラスに到着した。
「お待たせしました」
「こっちも今花を飾り終えたところだから、気にしないの。ほら、ここに座って」
「はい」
私が引いた席に咲夜が座るのを確認し、ティーカップに紅茶を注ぐ。透き通った琥珀色の液体から、白く柔らかい湯気と優しい香りが、私の鼻にも届いてきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
微笑みながら頷いた咲夜は、柔らかい所作でカップを口に運ぶ。……ごくり。時間が、ゆっくり、ゆっくりと流れる。そんな固くなってる私を横目に、一口飲んだ咲夜は、はぅ、と一息ついた。
「…懐かしい」
その柔らかく、あまりにも優しい笑顔は、眩しく降り注ぐ月光とよく調和していて、私の緊張を一瞬で溶かして…んん、えぇと、何だ、端的に言えば、見とれてしまった。呆気にとられている私をよそに、咲夜は、添えられたお茶菓子を見て、目を丸くさせる。そのまま、黄色いスポンジの上に白いアイシングとピスタチオの粒がかかっているそのお菓子を一切れフォークで刺して、口に運び…「やっぱり」と弾んだ声をもらした。
「この茶葉に…ウィークエンドシトロン………初めてお嬢様が私にお茶を淹れてくださった時のものですね」
「…覚えてて、くれたんだ」
「当たり前でございます」
やっと絞り出せた声に、咲夜は、にっこりと笑う。
「『家族』として初めて、迎え入れられた、思い出のものなのですから」
ウィークエンドシトロン…それは、遠い西洋の国で食べられてきた伝統菓子。「週末に家族など、大切な人と共に食べるお菓子」というのが名前の由来で、練りこまれたレモンなどの柑橘が出す酸味と甘みが、お茶の席を優しく包み込む。
咲夜が初めてここに来た時……まだ空気に打ち解けられず、沈んだままであるのを見た私が、お茶の淹れ方を教えることを口実として、このお菓子を出したのだ。「これから、大切な『家族』として、あなたを受け入れる」ことの意思表示として。だから、咲夜に出すなら、これしかない、と思っていた。…とはいえ、いざ、こうして「覚えている」と言われると、照れるものね。
そういえば、あの時、固い顔ばかりしていた咲夜が、初めて頬を綻ばせていたっけ。そうそう、今みたいに。ふふふっ。こういうところは、本当、何も変わっていないな。…なんだか本当に、あの時から時間が流れていないみたい。
「味は、どう?」
「とてもおいしいです。酸味と甘みがちょうど良いバランスで、紅茶にもよく合っています。何よりも…温かいです」
「そ、そう?よ、良かった~…」
「ふふ。その表情、もしかして、緊張していたのですか?」
「あ、当たり前じゃない。あの時と違って、今やここの料理を一手に担っているあなたに出すのだもの」
「そうはいっても、私などまだまだですよ。ウィークエンドシトロン、あれ以来私も作ってみているのですけど……どうしてもお嬢様の味には届かなくて。精進しなければ、と思います」
「へぇ、咲夜のウィークエンドシトロン、か…。いつか、お茶会で出してくれるかしら?」
「お望みとあらば」
「ふふ。楽しみにしてるわ。良ければ、私が作ったレシピとかも、教えてあげる」
その後はしばらく、咲夜と今日のことなどについて話をしていた。個人的には、咲夜が服を試着していた時にアリスの家に魔理沙がやってきた結果、咲夜とアリスが当初の目的を忘れて魔理沙を着せ替え人形にしていた話とかが面白かったり、自分の服も今度アリスにお願いしようかな、と考えたりとか。いつものように話をしているはずなのに、何だかいつもより穏やかで、気楽にお話が出来ているように感じた。
「…それにしても」
そうして、月が南の方向に達したころ。何気なく月を見ていた私に、咲夜がこう話しかけてきた。
「お嬢様にとって、月はやはり特別な存在なのですね」
ティーカップを持つ手を止める。
「…どうして、そう思うの?」
気になって聞いてみると、咲夜は、ふふ、とおかしそうに笑った。
「すごく、お優しい顔をしています」
そんな顔していたかなぁ、と、困ったように微笑んで、ティーカップをソーサーの上に置く。そして、もう一回、月の方を見つめた。
「……この前、パチェから、天文に関する本を借りたの」
「はい」
「その本によると、月は………本当にちょっとずつだけど、ここから、確実に離れ続けているらしい」
「…………」
「その本を読むまで、月はいつまでも見ることが出来るものだと思っていた。たとえ今日月を見ることが出来なくても、明日か、また日が経ってからでも見れば良いかって……そう、思ってた」
月が見えるその景色が、ちょっとだけぼんやり擦れたように感じられた。それが、自分の涙で出来た雲のせいであることに気付いたのは、しばらく経ってからだった。
「けど、そんなことはないのよね」
こんなこと、あの流れ星のお茶会の前では…いや、咲夜と会う前には、気付くことが出来なかっただろう。とても、とても大切なことだったというのに。
「ずっとずっと傍にいると思っていた月とも…どこかで別れる運命にあるのよね」
こうして、いつまでも私を照らしてくれるわけではない。いつまでも、夜の世界で私に寄り添ってくれる訳ではない。だから。
「だから……月を見ることが出来るこの1日1日を大切に出来たらなって」
自分がどんな顔をしているかも分からない。ひどい顔をしているかもしれない。だけど、咲夜にここで顔を向けない訳にはいかなかった。
ずっと一緒にいられる訳ではないからこそ。その時間を、決して蔑ろになんかしたくない。常に見てあげて、常に考えてみて……最高の思い出を作り続けて。互いにとって最良の運命を作り上げる方法を、ちゃんと考えてあげたいと思った。
そうしたら。きっと旅立つ時が来ても、互いに別れをちゃんと笑いながら言えるだろうから。思い出が、私の中に灯り続ける「光」になるだろうから。
「……はは。これじゃあ本当に、夜の王も形無しだな」
月が映る紅茶の水面に、目を落として、思わず、こんなことを呟いてしまう。
結局私は。何かに照らされていなければ。傍にいてくれる「光」がなければ。夜を生きていける気がしないのだ。
誰かをふりまわす、そんな自分勝手でしか、生きることが出来ないのだ。
けれど。そんな私に対して、
「いいえ。やはりお嬢様は、夜の王にふさわしいお方です」
咲夜は全てを肯定してくれた。
思わず、顔を上げる。その慈愛の微笑みは、白い装いと相まって……とても、眩しく見えた。
私を、照らしてくれた。
「夜は、闇に包まれた場所。誰も、何も見えなくなるために、誰もが『孤独』になってしまう場所でも。道に迷ってしまう場所でもあります」
あなたは、「孤独」がどういうものなのか、知っている。
「…誰かの助けを求めたくて、『光』を求める。自分を照らして、進むべき道を示してくれる存在を求める。……そして、だからこそ、その『光』に親しみを、愛情を見出していくのです」
あなたは「孤独」なままでは、生きていけないことを知っている。誰かに助けを求めて良いのだと、縋って良いのだと、知っている。そして、あなた自身も、何のためらいもなく他人に助けを求めることが出来て、また、光を求める人のために、手を差し伸べることが出来る。
「…『光』こそが、夜の本質にあるのだと。私は、そう考えてます」
生きるとは、そういうことなのだと、知っているから……あなたは「孤独」なる場を統べる夜の王にふさわしいのだ、と。
「『光』が夜の本質か……そうね、そうだったわね」
ゆっくり頷きながら、私は、花瓶に活けられたデルフィニウムの花弁に触れる。月に照らされた白に紫に青の花弁は、とても柔らかくて、優しくほのめいていた。
…なつかしいな。咲夜と出会った時。
私が、「十六夜咲夜」という名を付けた、あの時も、こんなに月が眩しい夜だった。
~~~~~~~
『…あなたは、綺麗な花を咲かせることが出来る。夜という闇にあって、誰にも気付かれていないだけなの』
『もしあなたが、光が欲しいというのなら…私が、月になって、あなたを照らしてあげる』
『月として、ずっとずっと、あなたを見守ってあげる。だから、大丈夫』
『あなたは、その月の下で、自信を持って、花を咲かせなさい。月の光を借りて、輝きなさい』
『……名前、ないの?そうね…これから家族になるのだもの。私が付けてあげる』
『十六夜の月夜に見出された、白く美しい花を咲かせる存在』
『十六夜 咲夜………と』
~~~~~~~
「本当……あなたも、美しい花に咲いたものね」
あの時は、あの一輪の花が、ここまで綺麗に花弁を開くだなんて、考えてもいなかった。
夜闇の中、咲けないままでいた白い花は、いつの間にか光を反射して、今度はまわりを照らしていた。月光とも、見まがうくらいに。私にとっても、なくてはならない「光」と……そう。「月」となるくらいに。
花弁を柔らかく撫でながらゆっくり微笑むと、咲夜も満面の笑みをもって、月の方向を愛おしげに見つめた。
「月が私をずっと見てくださっているのですから、私はこうして美しく咲けているのですよ」
そういうと咲夜は、またウィークエンドシトロンをフォークで口に運ぶと、ゆっくり噛みしめるように咀嚼する。よくよく見ると、出会ったばかりに食べたあの時と比べると、笑顔のぎこちなさがなくなって、豊かになっているように感じられた。様々な出会いやここでの時間を経て…咲夜ははっきりと成長を続けている。
「…だから、私にとっても、月は特別な存在なのです。……こうして見れる時間を、過ごせる時間を、ずっとずっと、忘れたくないのです」
…何より。こうして、自分の時間に「光」を灯すことを考えるようになった。「光」の中で、生きられるようになった。
自分で「花」をどう可憐に、美しく見せるか、それを楽しめるようになった。
咲夜との時間は……動いていないように見えて、ちゃんと動いていたのだ。
後はそれを、私のためじゃなくて、自分自身の幸せのために使えるようになってほしいのだけど…まぁ、それは焦らなくても良いかしらね。それに…
「お嬢様」
「何かしら?」
ちょっとだけ恥ずかしげに首をかしげながら、咲夜は聞く。
「…これからも、こうして、お休みの時に、お茶にお付き合いいただいてもよろしいですか?」
少しは、成果があったみたいだし。
私は、満面の笑みでもって、咲夜の誘いに応えた。
「もちろん。また時間見つけて飲みましょう」
~~~~~~~
あのお茶会から、一夜が明けて。私は、魔導書を読みに、図書館へと来ていた。すると、私がいることに気付いたパチェが近づいて、私が読んでいた机のそばに腰を傾けてきた。
「あの花、どうしたの」
…まだ話してないのに、もう知っているのか。覗いてたのではあるまいな、本当。
「今は私の部屋に、月が当たるようにして活けてあるわ」
「魔法とかは、かけてないの?」
「今はまだ、かけてない」
「かけるつもりはないの?」
「……どう、かな。けど、」
読んでいた魔導書に、目を落とす。
「花として生きて良かった、と。あの花が感じられるように…その時まで、出来ることはするつもり。傍にいてあげるつもりよ」
「…そう」
「何よ、そんなに温かい目で見てきて」
「なんでもないわ。まぁ、頑張りなさいな」
「言われなくても、そのつもりよ」
本当、食えない奴だなぁ、と思いながら、私は、ぱたん、と読んでいた魔導書を閉じてその場を立ち上がった。
「…パチェ。この本、しばらく借りていっても良いかしら?」
「えぇ。構わないわ」
「ありがと」
パチェの返事を受け、本を持って、部屋へ向かおうとする。すると、パチェが「あ」と声を出してきたので、私は再び足を止めた。
「そういえば、咲夜がさっきここで本を借りたいと聞いてきたの」
「…へぇ、咲夜が。珍しいのね。どんな本だったの」
「手紙の書き方が書いてある本はないか、ですって」
手紙……か。
咲夜がプライベートで誰かと文通をしているという話は聞いたことがない。それに、ここにいる知り合いに対してなら、手紙を使わなくても別の方法で連絡を取ることが出来るだろう。……ということは。
「……そっか」
青い水面に、流れ星が映る光景を思い出す。…きっと、そういうことなのだろう。
「幸せそうね、レミィ」
「そう見える?」
「とても。優しい顔をしてる」
私はパチェの返事ににっこりと微笑み返すと、さっきよりさらに足取り軽く、図書館を後にした。
~~~~~~
あのお茶会から、ちょうど1日が経った夜。さっきパチュリー様から借りた本を開きながら、私は灯火だけが光る部屋の中で手紙を書いていた。
一回手紙を書き出してしまうと、どんな紙を使うか、文字は綺麗に書けているか、内容はどうとか、そういうことにこだわり出してしまう。それは、完全を求める自身の矜持からか、それとも贈る相手故か。おかしくなって、クスッと笑った。
灯火の支配していたオレンジの光に、白い光が差し込んでくるのを感じる。それにより、今宵の月の出現を知った私は、ふぅ、と一息をついて、目を閉じた。
……とても幸せだった。
お嬢様が、どれだけ私を想い、接してくれているのか。
どれだけ、私と共に生きたいと、願ってくれているのか。
あのお茶会を通して、最高級の紅茶のごとく、身に染みわたった。
けどそれは。
思い出されるは、あの時の、流れ星の光景。
「あなた」との、たった一夜の出会いなしには、きっと、叶わなかっただろうから。
だから、この手紙を書こうと思った。
どうしたら届けることが出来るのか、今になってはもう分からなかったけど。
それでも、書かずにはいられなかった。
書きさえすれば、いつか見てもらえるかもしれないから。
何かの形で、このお礼は、綴っておかないといけないと、思ったから。
ありがとう。
あの夜があったから、私は今、こうして幸せに過ごせています。
もう、お会いすることも出来ないかもしれない。
けど、もし。もしも、またお会いする、その時が来ましたなら。
「家族」と共に…そして、この「名前」と共に、私は「あなた」をお迎えいたします。
Best Regards,
十六夜 咲夜
星が降る夜の下、あのお茶会の時。
咲夜は、流れ星に「秘密」の願いごとをしたことがあると語った。
きっと、あの子にとって、宝物のような、何よりも大切な願いごとを。
そして……たぶん、だけど。私がその願いごとを叶えた。
だから今、あの子はどこまでも献身的に私に尽くしてくれている、と。そう考えている。私はすっかり、その優しさに身を委ねて、咲夜にたくさん願いごとをしてしまっている。
……けど、本当に、それで良いのか。
…そうだ。また、返してあげなくちゃ。
あの子が燃え尽きるその時まで、眩いばかりに光り輝けるように。あの子が、光り走り続けている、その時間が、幸せだったと、考えていられるように。
私が、咲夜の願いごとを叶えてあげなくちゃ。
だから私はある日、こう話しかけてみた。
「……あなたに何日か、休暇をあげたいと考えているの」
それに対し、あの子は。
「………はぁ」
今まで見たことないような間の抜けた表情で、首をこてんと傾げていた。
~~~~~~~~
……咲夜の表情を見た私は、彼女に気付かれない程度に、小さくため息をついた。うんまぁ、そういう顔するとは思っていた。だって咲夜だもん。…うぅん、けど、さぁ。
「……何間の抜けた顔してるの、あなたは」
「だって私は、まだまだ元気いっぱい咲夜ちゃんでございますので。お休みをいただく程体調が悪い訳ではないですもの」
おいこらなんだ元気いっぱい咲夜ちゃんって。後、真顔のまんま袖まくって力持ちポーズ取るな。吹き出しそうになるから。
「だーめ。体調崩してから休み取るのでは遅いんだから。咲夜には休める時にしっかり休みを取って、ずっと元気なままでいてほしいの」
「…そういうものなのですか」
「うん。そういうものなの」
問いに私はうなずくと、咲夜は恭しく一礼して、
「かしこまりました。それでは、その休暇、謹んでいただきます」
と返してきた。
「……まったくもう」
今の時点ではきっと、咲夜は、一人の「従者」として、その休みを受け取ったのだろう。いざという時に私の傍にいられないのは良くない、とかそんなことを考えて。けど……おせっかいかもしれないけど……咲夜には、自分自身のためにそういう時間を使ってほしい。
「とはいっても、休暇ですか……」
咲夜はというと、うーん、と顎に人差し指を当てている様子。
「どうしたの」
「…休暇といっても、何をすれば良いのかなぁと思いまして」
「そうね……お出かけするなり、読書するなり。とにかく、咲夜のしたいことをすれば良いんじゃないかしら」
「そうですか…それではお嬢様、休暇の息抜きとして、翌日の朝ごはんの下ごしらえでも」
「働くのは駄目」
「むー」
「………駄目と言ったら駄目」
なんだ頬を膨らませて、どこで覚えてきたんだそんな仕草。そして、それを真顔でするな吹き出しそうになるから。駄目なものは駄目なの、と頭を横に振った。
けど、実際その通りだ。いきなり休んで良いと言われても、真面目で不器用な咲夜のこと、何をして良いか分からず、結局「従者」としてこの時間を過ごしてしまうだろう。
だから私は、この休みを与えるに当たって、「きっかけ」を考えていた。
「…なら1つ、私から良い?」
咲夜がこの休みを自分の時間として過ごすことが出来る、「きっかけ」を。
「私と、お茶に付き合ってくれる?」
~~~~~~~
そんなこんなで、咲夜の休み…そして、咲夜とのお茶会当日。
夕方ごろに起床した私は、ゆっくりと伸びをしながら、離れた窓から光が赤く差し込んでいるのを見て、ほっとした。
今夜のお茶会は、私がお茶やお菓子などを準備して、咲夜にゲストとしてお茶を飲んでもらいながらテラスでお話をしよう、というもの。日程は、ちょうど十六夜の月が出る、その日を選んでみた。前みたいに星降る夜でも良かったのだけど……やっぱり、ね。
いつも咲夜はここのお茶会に同席せず、準備とかをしてもらってばかりだったので、主従関係なく、対等な立場でお茶会が出来たら、と考えていたのだ。
前日に聞いたところによると、今日、咲夜は茶会に出るための準備、とかなんとかで、日中は外出しているらしい。そういうことなら咲夜が帰ってくる前に準備を終わらせておこうか、と歩を進め出した。
……お茶は…たまーに趣味として淹れてたけど、他人に出すのは久しぶりね。まぁ大丈夫だと思うけど…咲夜に出すのだもの。生半可なものは出せない。
お茶菓子も準備しないと。こっちは久しく作っていないから、うまく作れるか分からない。厨房に保管されているお菓子から引っ張り出しても良いけど…
…せっかくだし、あれ、作るかぁ。レシピ、またパチェから借りなきゃなぁ。不安と高揚を隠しきれないまま、まずは図書館へ歩き出すことにした。
ちなみに図書館に着き、作りたいお菓子についてレシピを聞いてみたところ、パチェと、魔法を教わりにたまたま来ていたフランが何となく事情を察してにやにや笑ってきたので、腹が立って一発ずつ蹴っ飛ばしてやったのは別の話。
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……気が付けば夜だった。窓を見れば、既に、丸い月が光を差し始めている。久々だったこともあり、なかなかお菓子が満足いく出来にならず、何回も作り直していたらこうなってしまった。最後にはなんとか出来たから良かったけれど……おいしく出来ているだろうか。腕を組みながら厨房を出てそう迷っていると、がちゃん、と廊下の先にある扉が開く音がした。
「ただいま戻りました、お嬢様」
鈴のような、透き通った声は、聞き間違えようもない。
「…あぁ。おかえり、咲夜」
そこにいたのは、確かに咲夜だった。けれど、咲夜の出で立ちは、いつものメイド服ではなかった。
上は白い半袖の服で、ボタンの前立ての部分に金の線が縦に一本縫われている。下は長めの紺青の、光沢が入ったシルクのロングスカートで、裾に金の五線譜の刺繍がぐるっと一周していた。さらに、よく見ると青を基調としたイヤリングも身に着けている。多分、夜をイメージしたコーディネートなのだろう。差し込む月の光が、清涼な装いに白銀の彩りを添えていた。
「綺麗ね…『咲夜』の名前にとてもよく…似合ってる」
「ありがとうございます、お嬢様。今日のためにと、アリスにお願いして仕立てて貰ったんです」
「へぇ…さすがアリスね。素材もよく出来てる。うちに欲しいくらいね」
「この五線譜の刺繍なんて、アリスの人形たちが縫ったらしいですよ」
「えっ…これ、人形の指で縫えるものなの?」
「いえ。常識的に考えたら縫えないと思います。そもそもこれ程精巧なデザイン、私でも出来るかどうか……アリスに聞いてみても得意げな顔で『企業秘密よ』て返してくるだけなんですよ」
ちょっと悔しそうに唇を尖らせる咲夜に、ついつい、頬が緩んでしまう。そういえばこいつ何だかんだで負けずぎらいなところあったなぁ。きっとアリスもそれを分かっている上で咲夜の反応を面白がっていたのだろう。
「ちょうどお茶の準備を終えたところだったの。だから、ちょっと休んだらおいで」
「はい……あ、そうそう」
返事をして一回自分の部屋に行こうとした咲夜は、思い出したように手に持っていた紙袋から、一つの花束を私に手渡してきた。
「これ、お嬢様に。お部屋に飾ってくださいませ」
「え?あぁ……ありがとう」
青や紫や薄紫、白の花が穂のように縦に連なっている。蕾もところどころに付いており、それは「外」で私も見たことのある、妖精のごとく人懐っこく、水中から空を舞う動物に似ている。
「これ……デルフィニウム、ね」
「はい。せっかくならお土産を、と考えていましたら、ちょうど魔理沙から薦められまして」
「魔理沙が薦めてきたの?珍しいこともあるものね」
「なんでも『女の子はみんなお花が大好きなんだぜ~』とか何とか」
「前言撤回。やっぱり魔理沙らしいわね」
「ふふ。そうですね」
屈託のない咲夜の笑みを見て、私はまた頬を緩める。きっと花束を買ったときも、こんなやり取りで互いに笑っていたのだろう。その楽しそうな光景が、容易に想像出来た。
それはそうと…再び花束に目を落とす。デルフィニウム…ちょうどこの時期、初夏の時期に咲く花。「高貴」「清明」「幸福をふりまく」という花言葉を持つ。きっとだからこそ、咲夜はこの花を私へのお土産として選んだのだろう。
……けど。そういう花なら。
「咲夜。これ、お茶会の席に持って行っても良い?」
私は、花束を少しだけ強く抱きしめる。
「私の部屋に飾るのも良いけど……きっとあの場に飾ってあげた方が、一番映えると思うんだ」
月に全方向から照らされる、あのテラスに。
「…はい、もちろん」
~~~~~~~~
しばらくして、お菓子と紅茶、そして花を生けた花瓶をテラスに運びに、私は屋上に到着した。
窓から差し込む光からある程度想像は出来ていたけど、そこに出ていた十六夜の月は、思っていたよりもずっとずっと大きく見えた。月にかかるかかからないかのところで揺蕩う雲の眩しさが、この月の雄大さをより一層引き立てている。花瓶を置く。うん、ここに運んで良かった。そう柔らかく笑うと、ちょうど一段落したらしい咲夜がテラスに到着した。
「お待たせしました」
「こっちも今花を飾り終えたところだから、気にしないの。ほら、ここに座って」
「はい」
私が引いた席に咲夜が座るのを確認し、ティーカップに紅茶を注ぐ。透き通った琥珀色の液体から、白く柔らかい湯気と優しい香りが、私の鼻にも届いてきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
微笑みながら頷いた咲夜は、柔らかい所作でカップを口に運ぶ。……ごくり。時間が、ゆっくり、ゆっくりと流れる。そんな固くなってる私を横目に、一口飲んだ咲夜は、はぅ、と一息ついた。
「…懐かしい」
その柔らかく、あまりにも優しい笑顔は、眩しく降り注ぐ月光とよく調和していて、私の緊張を一瞬で溶かして…んん、えぇと、何だ、端的に言えば、見とれてしまった。呆気にとられている私をよそに、咲夜は、添えられたお茶菓子を見て、目を丸くさせる。そのまま、黄色いスポンジの上に白いアイシングとピスタチオの粒がかかっているそのお菓子を一切れフォークで刺して、口に運び…「やっぱり」と弾んだ声をもらした。
「この茶葉に…ウィークエンドシトロン………初めてお嬢様が私にお茶を淹れてくださった時のものですね」
「…覚えてて、くれたんだ」
「当たり前でございます」
やっと絞り出せた声に、咲夜は、にっこりと笑う。
「『家族』として初めて、迎え入れられた、思い出のものなのですから」
ウィークエンドシトロン…それは、遠い西洋の国で食べられてきた伝統菓子。「週末に家族など、大切な人と共に食べるお菓子」というのが名前の由来で、練りこまれたレモンなどの柑橘が出す酸味と甘みが、お茶の席を優しく包み込む。
咲夜が初めてここに来た時……まだ空気に打ち解けられず、沈んだままであるのを見た私が、お茶の淹れ方を教えることを口実として、このお菓子を出したのだ。「これから、大切な『家族』として、あなたを受け入れる」ことの意思表示として。だから、咲夜に出すなら、これしかない、と思っていた。…とはいえ、いざ、こうして「覚えている」と言われると、照れるものね。
そういえば、あの時、固い顔ばかりしていた咲夜が、初めて頬を綻ばせていたっけ。そうそう、今みたいに。ふふふっ。こういうところは、本当、何も変わっていないな。…なんだか本当に、あの時から時間が流れていないみたい。
「味は、どう?」
「とてもおいしいです。酸味と甘みがちょうど良いバランスで、紅茶にもよく合っています。何よりも…温かいです」
「そ、そう?よ、良かった~…」
「ふふ。その表情、もしかして、緊張していたのですか?」
「あ、当たり前じゃない。あの時と違って、今やここの料理を一手に担っているあなたに出すのだもの」
「そうはいっても、私などまだまだですよ。ウィークエンドシトロン、あれ以来私も作ってみているのですけど……どうしてもお嬢様の味には届かなくて。精進しなければ、と思います」
「へぇ、咲夜のウィークエンドシトロン、か…。いつか、お茶会で出してくれるかしら?」
「お望みとあらば」
「ふふ。楽しみにしてるわ。良ければ、私が作ったレシピとかも、教えてあげる」
その後はしばらく、咲夜と今日のことなどについて話をしていた。個人的には、咲夜が服を試着していた時にアリスの家に魔理沙がやってきた結果、咲夜とアリスが当初の目的を忘れて魔理沙を着せ替え人形にしていた話とかが面白かったり、自分の服も今度アリスにお願いしようかな、と考えたりとか。いつものように話をしているはずなのに、何だかいつもより穏やかで、気楽にお話が出来ているように感じた。
「…それにしても」
そうして、月が南の方向に達したころ。何気なく月を見ていた私に、咲夜がこう話しかけてきた。
「お嬢様にとって、月はやはり特別な存在なのですね」
ティーカップを持つ手を止める。
「…どうして、そう思うの?」
気になって聞いてみると、咲夜は、ふふ、とおかしそうに笑った。
「すごく、お優しい顔をしています」
そんな顔していたかなぁ、と、困ったように微笑んで、ティーカップをソーサーの上に置く。そして、もう一回、月の方を見つめた。
「……この前、パチェから、天文に関する本を借りたの」
「はい」
「その本によると、月は………本当にちょっとずつだけど、ここから、確実に離れ続けているらしい」
「…………」
「その本を読むまで、月はいつまでも見ることが出来るものだと思っていた。たとえ今日月を見ることが出来なくても、明日か、また日が経ってからでも見れば良いかって……そう、思ってた」
月が見えるその景色が、ちょっとだけぼんやり擦れたように感じられた。それが、自分の涙で出来た雲のせいであることに気付いたのは、しばらく経ってからだった。
「けど、そんなことはないのよね」
こんなこと、あの流れ星のお茶会の前では…いや、咲夜と会う前には、気付くことが出来なかっただろう。とても、とても大切なことだったというのに。
「ずっとずっと傍にいると思っていた月とも…どこかで別れる運命にあるのよね」
こうして、いつまでも私を照らしてくれるわけではない。いつまでも、夜の世界で私に寄り添ってくれる訳ではない。だから。
「だから……月を見ることが出来るこの1日1日を大切に出来たらなって」
自分がどんな顔をしているかも分からない。ひどい顔をしているかもしれない。だけど、咲夜にここで顔を向けない訳にはいかなかった。
ずっと一緒にいられる訳ではないからこそ。その時間を、決して蔑ろになんかしたくない。常に見てあげて、常に考えてみて……最高の思い出を作り続けて。互いにとって最良の運命を作り上げる方法を、ちゃんと考えてあげたいと思った。
そうしたら。きっと旅立つ時が来ても、互いに別れをちゃんと笑いながら言えるだろうから。思い出が、私の中に灯り続ける「光」になるだろうから。
「……はは。これじゃあ本当に、夜の王も形無しだな」
月が映る紅茶の水面に、目を落として、思わず、こんなことを呟いてしまう。
結局私は。何かに照らされていなければ。傍にいてくれる「光」がなければ。夜を生きていける気がしないのだ。
誰かをふりまわす、そんな自分勝手でしか、生きることが出来ないのだ。
けれど。そんな私に対して、
「いいえ。やはりお嬢様は、夜の王にふさわしいお方です」
咲夜は全てを肯定してくれた。
思わず、顔を上げる。その慈愛の微笑みは、白い装いと相まって……とても、眩しく見えた。
私を、照らしてくれた。
「夜は、闇に包まれた場所。誰も、何も見えなくなるために、誰もが『孤独』になってしまう場所でも。道に迷ってしまう場所でもあります」
あなたは、「孤独」がどういうものなのか、知っている。
「…誰かの助けを求めたくて、『光』を求める。自分を照らして、進むべき道を示してくれる存在を求める。……そして、だからこそ、その『光』に親しみを、愛情を見出していくのです」
あなたは「孤独」なままでは、生きていけないことを知っている。誰かに助けを求めて良いのだと、縋って良いのだと、知っている。そして、あなた自身も、何のためらいもなく他人に助けを求めることが出来て、また、光を求める人のために、手を差し伸べることが出来る。
「…『光』こそが、夜の本質にあるのだと。私は、そう考えてます」
生きるとは、そういうことなのだと、知っているから……あなたは「孤独」なる場を統べる夜の王にふさわしいのだ、と。
「『光』が夜の本質か……そうね、そうだったわね」
ゆっくり頷きながら、私は、花瓶に活けられたデルフィニウムの花弁に触れる。月に照らされた白に紫に青の花弁は、とても柔らかくて、優しくほのめいていた。
…なつかしいな。咲夜と出会った時。
私が、「十六夜咲夜」という名を付けた、あの時も、こんなに月が眩しい夜だった。
~~~~~~~
『…あなたは、綺麗な花を咲かせることが出来る。夜という闇にあって、誰にも気付かれていないだけなの』
『もしあなたが、光が欲しいというのなら…私が、月になって、あなたを照らしてあげる』
『月として、ずっとずっと、あなたを見守ってあげる。だから、大丈夫』
『あなたは、その月の下で、自信を持って、花を咲かせなさい。月の光を借りて、輝きなさい』
『……名前、ないの?そうね…これから家族になるのだもの。私が付けてあげる』
『十六夜の月夜に見出された、白く美しい花を咲かせる存在』
『十六夜 咲夜………と』
~~~~~~~
「本当……あなたも、美しい花に咲いたものね」
あの時は、あの一輪の花が、ここまで綺麗に花弁を開くだなんて、考えてもいなかった。
夜闇の中、咲けないままでいた白い花は、いつの間にか光を反射して、今度はまわりを照らしていた。月光とも、見まがうくらいに。私にとっても、なくてはならない「光」と……そう。「月」となるくらいに。
花弁を柔らかく撫でながらゆっくり微笑むと、咲夜も満面の笑みをもって、月の方向を愛おしげに見つめた。
「月が私をずっと見てくださっているのですから、私はこうして美しく咲けているのですよ」
そういうと咲夜は、またウィークエンドシトロンをフォークで口に運ぶと、ゆっくり噛みしめるように咀嚼する。よくよく見ると、出会ったばかりに食べたあの時と比べると、笑顔のぎこちなさがなくなって、豊かになっているように感じられた。様々な出会いやここでの時間を経て…咲夜ははっきりと成長を続けている。
「…だから、私にとっても、月は特別な存在なのです。……こうして見れる時間を、過ごせる時間を、ずっとずっと、忘れたくないのです」
…何より。こうして、自分の時間に「光」を灯すことを考えるようになった。「光」の中で、生きられるようになった。
自分で「花」をどう可憐に、美しく見せるか、それを楽しめるようになった。
咲夜との時間は……動いていないように見えて、ちゃんと動いていたのだ。
後はそれを、私のためじゃなくて、自分自身の幸せのために使えるようになってほしいのだけど…まぁ、それは焦らなくても良いかしらね。それに…
「お嬢様」
「何かしら?」
ちょっとだけ恥ずかしげに首をかしげながら、咲夜は聞く。
「…これからも、こうして、お休みの時に、お茶にお付き合いいただいてもよろしいですか?」
少しは、成果があったみたいだし。
私は、満面の笑みでもって、咲夜の誘いに応えた。
「もちろん。また時間見つけて飲みましょう」
~~~~~~~
あのお茶会から、一夜が明けて。私は、魔導書を読みに、図書館へと来ていた。すると、私がいることに気付いたパチェが近づいて、私が読んでいた机のそばに腰を傾けてきた。
「あの花、どうしたの」
…まだ話してないのに、もう知っているのか。覗いてたのではあるまいな、本当。
「今は私の部屋に、月が当たるようにして活けてあるわ」
「魔法とかは、かけてないの?」
「今はまだ、かけてない」
「かけるつもりはないの?」
「……どう、かな。けど、」
読んでいた魔導書に、目を落とす。
「花として生きて良かった、と。あの花が感じられるように…その時まで、出来ることはするつもり。傍にいてあげるつもりよ」
「…そう」
「何よ、そんなに温かい目で見てきて」
「なんでもないわ。まぁ、頑張りなさいな」
「言われなくても、そのつもりよ」
本当、食えない奴だなぁ、と思いながら、私は、ぱたん、と読んでいた魔導書を閉じてその場を立ち上がった。
「…パチェ。この本、しばらく借りていっても良いかしら?」
「えぇ。構わないわ」
「ありがと」
パチェの返事を受け、本を持って、部屋へ向かおうとする。すると、パチェが「あ」と声を出してきたので、私は再び足を止めた。
「そういえば、咲夜がさっきここで本を借りたいと聞いてきたの」
「…へぇ、咲夜が。珍しいのね。どんな本だったの」
「手紙の書き方が書いてある本はないか、ですって」
手紙……か。
咲夜がプライベートで誰かと文通をしているという話は聞いたことがない。それに、ここにいる知り合いに対してなら、手紙を使わなくても別の方法で連絡を取ることが出来るだろう。……ということは。
「……そっか」
青い水面に、流れ星が映る光景を思い出す。…きっと、そういうことなのだろう。
「幸せそうね、レミィ」
「そう見える?」
「とても。優しい顔をしてる」
私はパチェの返事ににっこりと微笑み返すと、さっきよりさらに足取り軽く、図書館を後にした。
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あのお茶会から、ちょうど1日が経った夜。さっきパチュリー様から借りた本を開きながら、私は灯火だけが光る部屋の中で手紙を書いていた。
一回手紙を書き出してしまうと、どんな紙を使うか、文字は綺麗に書けているか、内容はどうとか、そういうことにこだわり出してしまう。それは、完全を求める自身の矜持からか、それとも贈る相手故か。おかしくなって、クスッと笑った。
灯火の支配していたオレンジの光に、白い光が差し込んでくるのを感じる。それにより、今宵の月の出現を知った私は、ふぅ、と一息をついて、目を閉じた。
……とても幸せだった。
お嬢様が、どれだけ私を想い、接してくれているのか。
どれだけ、私と共に生きたいと、願ってくれているのか。
あのお茶会を通して、最高級の紅茶のごとく、身に染みわたった。
けどそれは。
思い出されるは、あの時の、流れ星の光景。
「あなた」との、たった一夜の出会いなしには、きっと、叶わなかっただろうから。
だから、この手紙を書こうと思った。
どうしたら届けることが出来るのか、今になってはもう分からなかったけど。
それでも、書かずにはいられなかった。
書きさえすれば、いつか見てもらえるかもしれないから。
何かの形で、このお礼は、綴っておかないといけないと、思ったから。
ありがとう。
あの夜があったから、私は今、こうして幸せに過ごせています。
もう、お会いすることも出来ないかもしれない。
けど、もし。もしも、またお会いする、その時が来ましたなら。
「家族」と共に…そして、この「名前」と共に、私は「あなた」をお迎えいたします。
Best Regards,
十六夜 咲夜
ガチっとはまるようなレミ咲にニヨニヨさせられてしまいました。セリフ回しも美しいし、すごく素敵です。
おしゃれなお茶会に合う、良いレミ咲でした
眩しいほどに輝く花が開花したなと、二人とも
お菓子を頬張ったような甘さではなく、本当に、穏やかな甘さを堪能させてもらいました。面白かったです。ご馳走様でした。
「限りあるもの」に手を加えようとすればできるけれど、むしろありのままを楽しむことを選んだレミリアが良く表現されていると思いました。
私にはこういう上手なまとめ方できないなと思いながら読ませていただきました。ありがとうございます。