「感謝の気持ちとな」
妹紅はあばら家で一人つぶやいた。今日はチョコレートの日だ。それは知っている。里の空気もどことなく浮かれていたし、どこもかしこも甘ったるい匂いが漂っていた。妹紅の今までの記憶ではそれは確か、夢見る乙女が好きな殿方に納めることで一時的な恋仲になるための公式なわいろと聞いた覚えがある。
「はて感謝の気持ちとな」
先程と同じセリフを今度は自分に聞かせるようにつぶやいた。さてチョコレートの日とはそういう認識だったのだが、ところがどっこい妹紅が先程里に大根を買いに行った時に八百屋に聞いた話だと(近頃厚揚げに辛いおろしを乗せるのがイケてるのだ)どうやら最近は感謝の気持ちにチョコレートを贈るのでも問題ねえといいやがる。妹紅はははあんとする。これこそが消費者を踊らせる生産者の江戸しぐさだな。妹紅は長生き故に賢いのだ。それに気づいてニヒルににやり。(誤用)
「にしたって流行ってるならねえ」
しかしながら妹紅は長生き故に賢いのだ(二回目)。そういうものが流行っているなら乗っかってやろう。ふむふむと頷きながら、妹紅は何年か使っていないキッチンの前に立った。
◆◆
「よしよし」
妹紅は二度ほど死につつチョコレートをこしらえて、あばら家を飛び出した。目指すはもちろん、彼女の所だ。
◆◆◆◆
「来たよん」
途中で四度ほど死んで妹紅は上白沢家の入り口に並んだ。どうやら彼女に会うには順番待ちの番号札を受け取り呼ばれないといけないらしい。彼女は確かに自他共認める美人でイケてるウィメンなので、こんな日に人気者になるのは仕方がないことなのだ。つまり先程の「来たよん」は彼女に言ったのではなく、彼女の家の前の列に並んで「最後尾」の札を持っている知り合いに声をかけたのだ。彼女は「はあ。来ましたか」と阿呆のような声を上げた。
「鈴仙ちゃんも慧音にチョコあげるんだ」
「まあ、世話になってるし」
やはりはやりは本当だったと妹紅は安堵の吐息を漏らした。八百屋の言う事を疑っていたわけではないけど、ともかく安心した。こちらは感謝の気持ちだと渡しても、あちらがうっかり愛の告白ないしセフレの志願だと勘違いしてしまったら恥ずかしさで死んでしまう。更にこちとらすぐに生き返る。穴を掘ってもすぐ埋まってしまう。
「鈴仙ちゃんはどういうチョコ?」
「別に、そのへんに売ってたのよ」
「へえ。私には無いの」
「……まあ、義理チョコなら」
「ギリチョコなんだ。どのくらいチョコじゃないんだろ。いいね、デンジャラスだ」
言葉とは中々に伝わらないものである。鈴仙は口を尖らせた。
「はいじゃあ。うーん、いつも姫の相手をしてくれて」
「うん?」
「感謝の気持ちを言うのがしきたりでしょ」
「しきたりときたかー。庭渡の久侘歌ー」
妹紅は兎から漏れる感謝の気持ちを両手で包み込む。「いや、溶けちゃう」という声を聞いたので急いで「やあ、これはいいぞ」と一口でそれを飲み込んだ。
「うんうん全然チョコ。美味しかった」
「それはどうも」
美味しかったし嬉しかった。妹紅はそう付け足してもんぺの中に手を突っ込んだ。
「ぎょっ」
「これあげる」
「え、何このもんぺから出てきた茶色いの」
「お手製のチョコ。鈴仙ちゃんに。私の感謝の気持ち」
「え、私に?」
「うん。迷惑?」
「そんなんじゃないけど……」
「じゃあ受け取ってよ。私達の仲じゃない」
「ええまあ、どうも……」
よく考えると、最初に上げようと思っていた慧音には日頃から感謝はしているつもりだ。改めてこんな若い行事で伝えるよりも、細く長くそれを伝えてやろう。なぜなら私はそれが出来るから。妹紅はポエムに使えそうなそんな事を考えながら頷いた。兎は少し頬を赤くしてチョコレートを小さく抱きしめた。
「そうだしきたり。うーん、鈴仙ちゃんはご近所さんだからな。いっぱい感謝の気持ちがあって覚えきれないよ」
「あの、そんな別にいいので」
妹紅は「うーん」とうなりながら顔を上げる。空にはうっすらと月が覗いていて、妹紅にやあと挨拶をしてきた(気がした)。
「やあ、そういえばあそこは故郷だったね」
「え? まあ」
「じゃあもし月が落とし物をしたら拾ってあげよう」
「落とし物?」
「たまに空から降ってくるでしょう。月のかけら」
兎は何を言っているかわからなかったが、妹紅が体全体を使って「ほらほら夜にきらーってぴゅーとなってすいーと消えてく」。そう言っていたのでなるほどと閃いた。
「流れ星の事? あれは星でしょ。月とは関係なくて」
「あれ、今呼ばれなかった?」
鈴仙が大きな耳を傾けてみると手元の番号が呼ばれている事に気づく。妹紅はそれを見て「じゃあこれで」と鈴仙に別れを告げた。ニヒルににやり。
「え、あ、うん。これありがとう……。あれ、良いの?」
「なんのなんの。良いの良いの」
「あの。……じゃあ、ホワイトデー、期待しといて」
「ん? ああそんな制度あったね。もっちろん! ホワイトクリスマス!」
がははと笑い飛ばして妹紅は鈴仙の元を去る。そしてもんぺに手を突っ込みがさごそとやり茶色いものを取り出した。残るチョコレートは三つ。さてどうするかと、左手の人差し指と親指でブイの字を作りあごにやった。
「ふうむ。やはりあそこだろう」
そうひとりごちて、妹紅は竹林へと戻っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「来たよん」
「はい。どこか悪いところは?」
「無い無い。ぴんぴんしてるよ。がはは」
「お大事に」
お医者様はどうやら疲れているようで、頭を抑えため息をついていた。妹紅はこりゃ大変だともんぺから茶色いものを取り出した。
「やんよ」
「どこから出してるの」
「どう出そうが一緒でしょ」
「まあ、いいけど」
ここまで来るのに八度ほど死んだ妹紅のぼろぼろの手からお医者様はチョコレートを訝しげに受け取った。焦げているのかもとからそうなのかわからないそれを口に入れる。しばらく体の動きが止まったと思うと、急に痙攣して頭から湯気をぼふんと吹き出した。「んふー」と鼻から大きく息を撒き散らす。鼻水が妹紅にかかったので「あら失礼」と白衣で拭ってやった。
「どうよ」
「感謝しなきゃ」
「あれ、あげる側が感謝しなきゃいけないのに感謝されちゃった。そんなに美味しかった? やだなあ感謝なんて。そんないくら美味しかったからって」
「昨日徹夜で眠かったけど目が覚めた。今何度死んだかしら」
「刺激的な味ってことか。照れるぜ」
「これ、けして不死者以外に食べさせちゃだめよ」
「あたぼうよ。自分の料理の腕くらいわかってるつもりだからさ」
妹紅はがははと笑った。まあいいけど、永琳は死の匂いがする口臭を吐き出しながらそう言った。
「私にはないの?」
「生憎仕事中で」
「でも誰も居なかったよ、待合室」
「……暇なのは良いことよ」
「確かに昔から言う。医者は暇なのが良いことだ。どれ先生、お疲れなら肩でも」
「いいわよ別に……ういー」
意外に上手い妹紅の手付きに永琳はおじさんのようなオノマトペを鳴らす。妹紅はでしょうでしょうと続けた。
「あんたには媚を売っとかないと」
「そういうことを目の前で言うのね」
「なあに、そのうち腹を割って話せる時が来る」
「あの子も含めて?」
「あいつ次第だ」
終わり、と永琳の両の肩を叩いて妹紅は診察室の戸に手をかける。永琳は肩をぐるぐる回しながら「うーん中々」と満更でもなさそうに頷いた。
「それじゃあ私は」
「はいお大事に」
「ところであの兎、どこにいる?」
「ん、どの兎?」
「一番どすけべそうなの」
「てゐなら今の時間、この辺よ」
「おっけーその辺だな。さんきゅう。今後ともよろしく」
「はいはい、お大事に」
永琳が指差した、ここらを把握していないとわからないお手製の竹林の地図を見ながら「なるほどあの辺か」と妹紅はふむふむとわかったように頷き、縁側から永遠亭を飛び出した。永琳は何度目かの大きな息を吐き「おゆはんまでには帰ってくるのよ」と未だ明かされていない十六夜咲夜との関係を示唆しそうなセリフを言い放つ。妹紅の影は「わかってるわよ!」と大きく喚いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どの辺かと思ったけど、本当にいた」
「ああん、何よ」
「うわ目つきわる」
「うるさいわね。わっぷ」
「これチョコ。食べちゃだめだから。これからもよろしくう!」
「何、うっといなあ……」
感謝の気持ちを渡してやるとてゐは心底嫌そうな顔をしていた。妹紅は「よしよし」と嬉しそうに頷く。気持ち悪がりながらも包みを開けようとしたてゐは「ん」と鳴いた。
「食べちゃだめなの?」
「兎ってチョコ食べちゃだめでしょ」
「あたしゃ強いから良いの。貰えるもんはなんだってもらうよ」
「あと、おたくんとこの医者には『食べたら死ぬ』って言われたからね」
「あー? そんなのあいつなりのジョークでしょ」
「ほんとに? そんな感じだったかなあ」
「ジョーク下手なのよあいつ。……ふーんなんか興奮する匂いするねえ。これ何入ってんの? あーん」
「ん、えーとまずチョウセンアサガオと」
「あたしのトラウマじゃぼけえ!」
飛び散らかる妹紅の感謝の気持ちだったが、妹紅はそれを華麗に口で受け止め何度か咀嚼する。しばらく体の動きが止まったと思うと、急に痙攣して頭から湯気をぼふんと吹き出した。「んふー」と鼻から大きく息を撒き散らす。てゐに鼻水がぶち飛んだ。
「汚い汚い」
「がははこりゃ死ぬわ。十七回目だ。ああそうだ、チョコを上げるときは感謝の気持ちを伝えなきゃなあ」
「感謝の気持ち? おーさむ。そういう若い風潮は若いやつだけにやらせとけばいいのよ」
「まあまあ。うーんと何かね。感謝と言ってもお前さんには迷惑かけられっぱなしだからなあ」
腕を組んでうろつく妹紅はそのセリフの最中に四度落とし穴にハマって命を四度失った。てゐは喜ぶよりもそのあまりになめらかな生き死にの繰り返しに若干引きつつある。
「だめだ思いつかない」
「はん、感謝なんてしなくてもらわなくたって結構よ」
「でも寂しがりやでしょ? 聞いてるよ」
「……誰に」
「姫」
「くそ、あいつか」
「でもお前さんはその距離感がちょうど良いのかね。いずれ死ぬんだし」
「私みたいな長生き捕まえて何言ってんだい」
「長生きは長生きでしょ。私たちは長死なず。生きているものはいずれ死ぬ」
「あたしゃそんな事無いね。あんたより健康的に生きてやる。そもそも根本が違うのわさ。あんたは生きるしか無い。あたしは生きる道を選んでいる。全然違うんだからね」
「そりゃあ良い。暇つぶしが増えるから長生きしとくれ」
「上からねえ」
「上だからね。ふふん」
「ああ、それそれ」
てゐは妹紅の顔を指差して頷く。
「どれどれ?」
「笑顔。長生きのコツだよ。『生きらえる』コツさ。覚えときな」
「ふうん、覚えておいてやるよ」
それでもう話すことは無くなった。妹紅は満足そうに空を見上げた。こういう相手とこういう会話は楽しい。一生やっていたくなる。もちろんそれは叶わないのだけど。もう日は暮れて、いずれ星や月が主張を始める。てゐがよくいるこの場所は、空が綺麗に見える場所だった。妹紅は「ここええやん」とこぼす。そして「もう来るなよ」という言葉を聞いて愉快に笑った。しばらく空とにらめっこしてから「さてと」とてゐに聞こえるようにつぶやいた。
「空は飽きないけどそろそろかな」
「ん、あれ?」
「ん。あれ」
てゐは一言、妹紅が言ってほしかった言葉を吐いた。もっとも、吐かされたと言っても良いかも知れない。
「そこの、いい加減かまってあげなよ」
「そだね、いい加減死ぬのも疲れたし」
今日ずっと後ろから付けてきた輝夜に、やっと妹紅は顔を向けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「もこたん、もう、おうっ、おう、あた、あたす」
「うん」
「おう、おうう、おううう。どごだん、あ、あたすのこどっ!」
「もう泣いてて何言ってるかわからん。あと今私のこと『どごだん』って言った?」
再びここは永遠亭。部屋についてすぐに泣きじゃくり初めた輝夜をどうどうとしてやり、続きを促すが涙と鼻水まみれのオットセイは泣きじゃくりが止まらず話は一向に進まない。
「け、けさから全然、おう、かまって、かばってぐれないがらあ! ぎらいになっだんだどう!」
「ごめんて。冗談よ」
「だがらごろずじがないどおもっでえ!」
「重い想いだなあ」
「ころじでもころじでも復活するがらあ!」
「ん、それはいつもどおりだぞ」
混乱している輝夜にそろそろ飽きていた妹紅はもんぺ茶色チョコを輝夜の口にぶちこんだ。体止まり痙攣ぼふん「んふー」。
「くすん、くすん」
「落ち着いたようだな」
「もこたん、私に感謝の言葉は?」
「お前に感謝ねえ」
妹紅は今日何度目かの「うーん」をやる。輝夜に対しては怒りしか無い、とは言うもののそんなものはとうに過ぎ去った。今持っている感情はなんだろうか。「惰性」という言葉を飲み込んで妹紅は考える。
妹紅は鈴仙の顔を思い出す。彼女のような若い娘、しかも外来人は見ていて飽きない。ずっとそのまま自分を楽しませて欲しいと思った。もちろんそれは叶わないのだけど。
妹紅は永琳の顔を思い出す。彼女は自分が知る中で一番の変わり者だ。きっと媚を売っていれば自分を楽しませてくれるだろう。でも彼女は頭が良すぎる。何を考えているかわからない。
妹紅はてゐの顔を思い出す。彼女は老獪だ。それでいて若ぶってもいる。彼女の感性に触れていれば自分は退屈しないだろうと思った。もちろんこれも叶わないのだけど。
妹紅は目の前の鼻垂れ女をまじまじ見る。こいつはそうだな。うん、そうだ。妹紅はアドバイス通り微笑みを作って言う。
「いつも共感してくれて、感謝」
「共感?」
「私たちは双方怒りを向けてるだろう。それが茶番だとしても。だから共感」
「今日は無視され続けたけど」
「たまには休肝日を作らないと不死の肝もつかれるだろう。共感休肝日」
「ならいいの、いいのよ」
輝夜はわざとらしく「えへら」と笑った。妹紅は腹がたったので腹を殴った。
「えへら!」
「明日からはいつもどおりだ。今日はいっぱい殺されたからな。これであいこ」
そう言って、痙攣する悪友を置いてあばら家へと戻るのであった。
◇
帰ってきて早々、水を飲もうとキッチンの前に立った。先程の調理したままのキッチンは妹紅の気持ちを削ぐのには十分すぎるほどの汚さである。水を飲み込んだらせんべい布団に寝転んだ。
「今日は良く生きた」
カビ臭い布団を抱きしめる。くしょんと出てきたくしゃみで「ああ布団を新調しないとな」と思った。思ったのは今日で三十二回目だ。
「今日もよく生きた」
明日はどう生きようか。それは非常に大きな題でもありながら、割と直ぐ側に転がっているんじゃないかと思った。幸せの青い鳥じゃないけれど。
「きっとまあ、なるようになるのだろう」
一人きりになることはない。その安心感に包まれて、妹紅は大きくあくびをぶちかます。明日はきっと、輝夜が朝から来るだろうと思った。甘いチョコはもう良いから、しょっぱいみそ汁くらいは作っておこうかなと思った。
妹紅はあばら家で一人つぶやいた。今日はチョコレートの日だ。それは知っている。里の空気もどことなく浮かれていたし、どこもかしこも甘ったるい匂いが漂っていた。妹紅の今までの記憶ではそれは確か、夢見る乙女が好きな殿方に納めることで一時的な恋仲になるための公式なわいろと聞いた覚えがある。
「はて感謝の気持ちとな」
先程と同じセリフを今度は自分に聞かせるようにつぶやいた。さてチョコレートの日とはそういう認識だったのだが、ところがどっこい妹紅が先程里に大根を買いに行った時に八百屋に聞いた話だと(近頃厚揚げに辛いおろしを乗せるのがイケてるのだ)どうやら最近は感謝の気持ちにチョコレートを贈るのでも問題ねえといいやがる。妹紅はははあんとする。これこそが消費者を踊らせる生産者の江戸しぐさだな。妹紅は長生き故に賢いのだ。それに気づいてニヒルににやり。(誤用)
「にしたって流行ってるならねえ」
しかしながら妹紅は長生き故に賢いのだ(二回目)。そういうものが流行っているなら乗っかってやろう。ふむふむと頷きながら、妹紅は何年か使っていないキッチンの前に立った。
◆◆
「よしよし」
妹紅は二度ほど死につつチョコレートをこしらえて、あばら家を飛び出した。目指すはもちろん、彼女の所だ。
◆◆◆◆
「来たよん」
途中で四度ほど死んで妹紅は上白沢家の入り口に並んだ。どうやら彼女に会うには順番待ちの番号札を受け取り呼ばれないといけないらしい。彼女は確かに自他共認める美人でイケてるウィメンなので、こんな日に人気者になるのは仕方がないことなのだ。つまり先程の「来たよん」は彼女に言ったのではなく、彼女の家の前の列に並んで「最後尾」の札を持っている知り合いに声をかけたのだ。彼女は「はあ。来ましたか」と阿呆のような声を上げた。
「鈴仙ちゃんも慧音にチョコあげるんだ」
「まあ、世話になってるし」
やはりはやりは本当だったと妹紅は安堵の吐息を漏らした。八百屋の言う事を疑っていたわけではないけど、ともかく安心した。こちらは感謝の気持ちだと渡しても、あちらがうっかり愛の告白ないしセフレの志願だと勘違いしてしまったら恥ずかしさで死んでしまう。更にこちとらすぐに生き返る。穴を掘ってもすぐ埋まってしまう。
「鈴仙ちゃんはどういうチョコ?」
「別に、そのへんに売ってたのよ」
「へえ。私には無いの」
「……まあ、義理チョコなら」
「ギリチョコなんだ。どのくらいチョコじゃないんだろ。いいね、デンジャラスだ」
言葉とは中々に伝わらないものである。鈴仙は口を尖らせた。
「はいじゃあ。うーん、いつも姫の相手をしてくれて」
「うん?」
「感謝の気持ちを言うのがしきたりでしょ」
「しきたりときたかー。庭渡の久侘歌ー」
妹紅は兎から漏れる感謝の気持ちを両手で包み込む。「いや、溶けちゃう」という声を聞いたので急いで「やあ、これはいいぞ」と一口でそれを飲み込んだ。
「うんうん全然チョコ。美味しかった」
「それはどうも」
美味しかったし嬉しかった。妹紅はそう付け足してもんぺの中に手を突っ込んだ。
「ぎょっ」
「これあげる」
「え、何このもんぺから出てきた茶色いの」
「お手製のチョコ。鈴仙ちゃんに。私の感謝の気持ち」
「え、私に?」
「うん。迷惑?」
「そんなんじゃないけど……」
「じゃあ受け取ってよ。私達の仲じゃない」
「ええまあ、どうも……」
よく考えると、最初に上げようと思っていた慧音には日頃から感謝はしているつもりだ。改めてこんな若い行事で伝えるよりも、細く長くそれを伝えてやろう。なぜなら私はそれが出来るから。妹紅はポエムに使えそうなそんな事を考えながら頷いた。兎は少し頬を赤くしてチョコレートを小さく抱きしめた。
「そうだしきたり。うーん、鈴仙ちゃんはご近所さんだからな。いっぱい感謝の気持ちがあって覚えきれないよ」
「あの、そんな別にいいので」
妹紅は「うーん」とうなりながら顔を上げる。空にはうっすらと月が覗いていて、妹紅にやあと挨拶をしてきた(気がした)。
「やあ、そういえばあそこは故郷だったね」
「え? まあ」
「じゃあもし月が落とし物をしたら拾ってあげよう」
「落とし物?」
「たまに空から降ってくるでしょう。月のかけら」
兎は何を言っているかわからなかったが、妹紅が体全体を使って「ほらほら夜にきらーってぴゅーとなってすいーと消えてく」。そう言っていたのでなるほどと閃いた。
「流れ星の事? あれは星でしょ。月とは関係なくて」
「あれ、今呼ばれなかった?」
鈴仙が大きな耳を傾けてみると手元の番号が呼ばれている事に気づく。妹紅はそれを見て「じゃあこれで」と鈴仙に別れを告げた。ニヒルににやり。
「え、あ、うん。これありがとう……。あれ、良いの?」
「なんのなんの。良いの良いの」
「あの。……じゃあ、ホワイトデー、期待しといて」
「ん? ああそんな制度あったね。もっちろん! ホワイトクリスマス!」
がははと笑い飛ばして妹紅は鈴仙の元を去る。そしてもんぺに手を突っ込みがさごそとやり茶色いものを取り出した。残るチョコレートは三つ。さてどうするかと、左手の人差し指と親指でブイの字を作りあごにやった。
「ふうむ。やはりあそこだろう」
そうひとりごちて、妹紅は竹林へと戻っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「来たよん」
「はい。どこか悪いところは?」
「無い無い。ぴんぴんしてるよ。がはは」
「お大事に」
お医者様はどうやら疲れているようで、頭を抑えため息をついていた。妹紅はこりゃ大変だともんぺから茶色いものを取り出した。
「やんよ」
「どこから出してるの」
「どう出そうが一緒でしょ」
「まあ、いいけど」
ここまで来るのに八度ほど死んだ妹紅のぼろぼろの手からお医者様はチョコレートを訝しげに受け取った。焦げているのかもとからそうなのかわからないそれを口に入れる。しばらく体の動きが止まったと思うと、急に痙攣して頭から湯気をぼふんと吹き出した。「んふー」と鼻から大きく息を撒き散らす。鼻水が妹紅にかかったので「あら失礼」と白衣で拭ってやった。
「どうよ」
「感謝しなきゃ」
「あれ、あげる側が感謝しなきゃいけないのに感謝されちゃった。そんなに美味しかった? やだなあ感謝なんて。そんないくら美味しかったからって」
「昨日徹夜で眠かったけど目が覚めた。今何度死んだかしら」
「刺激的な味ってことか。照れるぜ」
「これ、けして不死者以外に食べさせちゃだめよ」
「あたぼうよ。自分の料理の腕くらいわかってるつもりだからさ」
妹紅はがははと笑った。まあいいけど、永琳は死の匂いがする口臭を吐き出しながらそう言った。
「私にはないの?」
「生憎仕事中で」
「でも誰も居なかったよ、待合室」
「……暇なのは良いことよ」
「確かに昔から言う。医者は暇なのが良いことだ。どれ先生、お疲れなら肩でも」
「いいわよ別に……ういー」
意外に上手い妹紅の手付きに永琳はおじさんのようなオノマトペを鳴らす。妹紅はでしょうでしょうと続けた。
「あんたには媚を売っとかないと」
「そういうことを目の前で言うのね」
「なあに、そのうち腹を割って話せる時が来る」
「あの子も含めて?」
「あいつ次第だ」
終わり、と永琳の両の肩を叩いて妹紅は診察室の戸に手をかける。永琳は肩をぐるぐる回しながら「うーん中々」と満更でもなさそうに頷いた。
「それじゃあ私は」
「はいお大事に」
「ところであの兎、どこにいる?」
「ん、どの兎?」
「一番どすけべそうなの」
「てゐなら今の時間、この辺よ」
「おっけーその辺だな。さんきゅう。今後ともよろしく」
「はいはい、お大事に」
永琳が指差した、ここらを把握していないとわからないお手製の竹林の地図を見ながら「なるほどあの辺か」と妹紅はふむふむとわかったように頷き、縁側から永遠亭を飛び出した。永琳は何度目かの大きな息を吐き「おゆはんまでには帰ってくるのよ」と未だ明かされていない十六夜咲夜との関係を示唆しそうなセリフを言い放つ。妹紅の影は「わかってるわよ!」と大きく喚いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どの辺かと思ったけど、本当にいた」
「ああん、何よ」
「うわ目つきわる」
「うるさいわね。わっぷ」
「これチョコ。食べちゃだめだから。これからもよろしくう!」
「何、うっといなあ……」
感謝の気持ちを渡してやるとてゐは心底嫌そうな顔をしていた。妹紅は「よしよし」と嬉しそうに頷く。気持ち悪がりながらも包みを開けようとしたてゐは「ん」と鳴いた。
「食べちゃだめなの?」
「兎ってチョコ食べちゃだめでしょ」
「あたしゃ強いから良いの。貰えるもんはなんだってもらうよ」
「あと、おたくんとこの医者には『食べたら死ぬ』って言われたからね」
「あー? そんなのあいつなりのジョークでしょ」
「ほんとに? そんな感じだったかなあ」
「ジョーク下手なのよあいつ。……ふーんなんか興奮する匂いするねえ。これ何入ってんの? あーん」
「ん、えーとまずチョウセンアサガオと」
「あたしのトラウマじゃぼけえ!」
飛び散らかる妹紅の感謝の気持ちだったが、妹紅はそれを華麗に口で受け止め何度か咀嚼する。しばらく体の動きが止まったと思うと、急に痙攣して頭から湯気をぼふんと吹き出した。「んふー」と鼻から大きく息を撒き散らす。てゐに鼻水がぶち飛んだ。
「汚い汚い」
「がははこりゃ死ぬわ。十七回目だ。ああそうだ、チョコを上げるときは感謝の気持ちを伝えなきゃなあ」
「感謝の気持ち? おーさむ。そういう若い風潮は若いやつだけにやらせとけばいいのよ」
「まあまあ。うーんと何かね。感謝と言ってもお前さんには迷惑かけられっぱなしだからなあ」
腕を組んでうろつく妹紅はそのセリフの最中に四度落とし穴にハマって命を四度失った。てゐは喜ぶよりもそのあまりになめらかな生き死にの繰り返しに若干引きつつある。
「だめだ思いつかない」
「はん、感謝なんてしなくてもらわなくたって結構よ」
「でも寂しがりやでしょ? 聞いてるよ」
「……誰に」
「姫」
「くそ、あいつか」
「でもお前さんはその距離感がちょうど良いのかね。いずれ死ぬんだし」
「私みたいな長生き捕まえて何言ってんだい」
「長生きは長生きでしょ。私たちは長死なず。生きているものはいずれ死ぬ」
「あたしゃそんな事無いね。あんたより健康的に生きてやる。そもそも根本が違うのわさ。あんたは生きるしか無い。あたしは生きる道を選んでいる。全然違うんだからね」
「そりゃあ良い。暇つぶしが増えるから長生きしとくれ」
「上からねえ」
「上だからね。ふふん」
「ああ、それそれ」
てゐは妹紅の顔を指差して頷く。
「どれどれ?」
「笑顔。長生きのコツだよ。『生きらえる』コツさ。覚えときな」
「ふうん、覚えておいてやるよ」
それでもう話すことは無くなった。妹紅は満足そうに空を見上げた。こういう相手とこういう会話は楽しい。一生やっていたくなる。もちろんそれは叶わないのだけど。もう日は暮れて、いずれ星や月が主張を始める。てゐがよくいるこの場所は、空が綺麗に見える場所だった。妹紅は「ここええやん」とこぼす。そして「もう来るなよ」という言葉を聞いて愉快に笑った。しばらく空とにらめっこしてから「さてと」とてゐに聞こえるようにつぶやいた。
「空は飽きないけどそろそろかな」
「ん、あれ?」
「ん。あれ」
てゐは一言、妹紅が言ってほしかった言葉を吐いた。もっとも、吐かされたと言っても良いかも知れない。
「そこの、いい加減かまってあげなよ」
「そだね、いい加減死ぬのも疲れたし」
今日ずっと後ろから付けてきた輝夜に、やっと妹紅は顔を向けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「もこたん、もう、おうっ、おう、あた、あたす」
「うん」
「おう、おうう、おううう。どごだん、あ、あたすのこどっ!」
「もう泣いてて何言ってるかわからん。あと今私のこと『どごだん』って言った?」
再びここは永遠亭。部屋についてすぐに泣きじゃくり初めた輝夜をどうどうとしてやり、続きを促すが涙と鼻水まみれのオットセイは泣きじゃくりが止まらず話は一向に進まない。
「け、けさから全然、おう、かまって、かばってぐれないがらあ! ぎらいになっだんだどう!」
「ごめんて。冗談よ」
「だがらごろずじがないどおもっでえ!」
「重い想いだなあ」
「ころじでもころじでも復活するがらあ!」
「ん、それはいつもどおりだぞ」
混乱している輝夜にそろそろ飽きていた妹紅はもんぺ茶色チョコを輝夜の口にぶちこんだ。体止まり痙攣ぼふん「んふー」。
「くすん、くすん」
「落ち着いたようだな」
「もこたん、私に感謝の言葉は?」
「お前に感謝ねえ」
妹紅は今日何度目かの「うーん」をやる。輝夜に対しては怒りしか無い、とは言うもののそんなものはとうに過ぎ去った。今持っている感情はなんだろうか。「惰性」という言葉を飲み込んで妹紅は考える。
妹紅は鈴仙の顔を思い出す。彼女のような若い娘、しかも外来人は見ていて飽きない。ずっとそのまま自分を楽しませて欲しいと思った。もちろんそれは叶わないのだけど。
妹紅は永琳の顔を思い出す。彼女は自分が知る中で一番の変わり者だ。きっと媚を売っていれば自分を楽しませてくれるだろう。でも彼女は頭が良すぎる。何を考えているかわからない。
妹紅はてゐの顔を思い出す。彼女は老獪だ。それでいて若ぶってもいる。彼女の感性に触れていれば自分は退屈しないだろうと思った。もちろんこれも叶わないのだけど。
妹紅は目の前の鼻垂れ女をまじまじ見る。こいつはそうだな。うん、そうだ。妹紅はアドバイス通り微笑みを作って言う。
「いつも共感してくれて、感謝」
「共感?」
「私たちは双方怒りを向けてるだろう。それが茶番だとしても。だから共感」
「今日は無視され続けたけど」
「たまには休肝日を作らないと不死の肝もつかれるだろう。共感休肝日」
「ならいいの、いいのよ」
輝夜はわざとらしく「えへら」と笑った。妹紅は腹がたったので腹を殴った。
「えへら!」
「明日からはいつもどおりだ。今日はいっぱい殺されたからな。これであいこ」
そう言って、痙攣する悪友を置いてあばら家へと戻るのであった。
◇
帰ってきて早々、水を飲もうとキッチンの前に立った。先程の調理したままのキッチンは妹紅の気持ちを削ぐのには十分すぎるほどの汚さである。水を飲み込んだらせんべい布団に寝転んだ。
「今日は良く生きた」
カビ臭い布団を抱きしめる。くしょんと出てきたくしゃみで「ああ布団を新調しないとな」と思った。思ったのは今日で三十二回目だ。
「今日もよく生きた」
明日はどう生きようか。それは非常に大きな題でもありながら、割と直ぐ側に転がっているんじゃないかと思った。幸せの青い鳥じゃないけれど。
「きっとまあ、なるようになるのだろう」
一人きりになることはない。その安心感に包まれて、妹紅は大きくあくびをぶちかます。明日はきっと、輝夜が朝から来るだろうと思った。甘いチョコはもう良いから、しょっぱいみそ汁くらいは作っておこうかなと思った。
もこたんはお茶目だなぁ。
妹紅がとても可愛いですね。チョコレートでそんなに死なないで!
かまってちゃんな輝夜がかわいらしかったです
そうやって生きていこうと思ってそうやって生きてきたんですね
隣り合った二つのSSのタグの人数の変化にしみじみとしました
2つの繋がりで二度おいしいですね…とても悲しいことなんだろうけど、ゆるい感じでノリのいいやり取りのお陰で悲劇的な暗い雰囲気にならないのめっちゃ好きです