それは至って何でも無い、良い天気の素敵な日。
こういう日には誰だって歌いたくなる。きっと脳天気な歌を作ってしまう人たちもいる。すぐそこにいる翼のある妖怪も勧進帳になにかを書き留めている。しかし、その手元に書き綴られている詩にはカタカナで同じ単語がたくさん羅列されているように見える。一体どういった歌なのか。気になる……
おっと、いけない。私はここに、ただの嗜みに来たのだ。こんなところでうっかり話かけしてしまっては。
慌てて口を懐紙で拭い、抹茶を流し込む。
苦い風味が浮ついた心を落ち着かせる。
喫茶に来たのに無駄な緊張をするなんて、どうかしている。私が外に出歩くのは想像以上に難しい。ただお茶を飲むだけでも一苦労だと、来る前から分かっていたことじゃないのかな、と私は自問自答した。だが私は少し前に、茶店で先に勘定を払うことで、一言も話さず注文をする方法を思いついてしまっていたのだ。そんな事を試さずにいられるか。いや、否。
そして茶碗に目を落とす。
深い苦味に独特の旨味。月の食事には欠けた、恐らく生気とよばれる命を汚した穢れ。
茶に穢があるゆえに、私はこの時間を生きていると感じる。
そうだ。一人で飲む点茶がこれほどにも美味なものだと、私も思ってもみなかった。
空は青く、地面は明るく、森は黒く、野点は赤く、茶は緑だ。均整でいて、混沌とした、その調和の取れた素晴らしいなにかだった。
「なんて素敵な日なのでしょう」
しかし、言葉が私の口を突いて出て行ってしまった。気がついたときにはもはや口を噤んでも遅かった。
しまった。やってしまった。
頭からすぅっと、血の気が引いていくのを感じる。勝てない強敵と対峙したときのような気分。血の気のあまりの引きに心臓が抵抗しようとどくどくと高鳴り始める。
そうだ、逃げよう。
初手、この場から逃げてしまえば素敵な日は中断して素敵ではなくなる。そうだ。
「こんにちは!」
ぎょっとして振り向くと、そこには童子が居る。
なんでこんな時に。なんでここに。なんで私に話しかける!
「あれ? お返事は? こんにちは!」
しつこい。まずい。席を立ち上がろうとしたその時。
「おや、稀神ともあろうアナタが子供を無視するなんて、教育に悪いですねえ」
童子の影からひょこっと顔を出した声の主は、兎だった。それは穢土の兎の妖。童子に混ざって遊んでいる不届き者。一体どういう趣味をしているのか。
「先生にいいつけてやろうかあ」
穢土の兎はそう言い放った。顔を見れば、奇妙に歪んだ唇と、笑いを隠していない頬が見える。そしてつられて「そうだねーちゃんの言うとおりだ」と囃し立てる童子。つられてそこら中から童子が集まってきて、完全に囲まれてしまっている。穢土では人は繁殖する。童子が多いということが、穢土なのだ。
そして、兎は片方の口角を釣り上げながら顎を上にやり、大きく空いた自らの首筋を人差し指でぴっ、ぴっと二回指さした。
童子という弾幕に囲まれた私は、もはや逃げ場を失っていた。
こういう日には誰だって歌いたくなる。きっと脳天気な歌を作ってしまう人たちもいる。すぐそこにいる翼のある妖怪も勧進帳になにかを書き留めている。しかし、その手元に書き綴られている詩にはカタカナで同じ単語がたくさん羅列されているように見える。一体どういった歌なのか。気になる……
おっと、いけない。私はここに、ただの嗜みに来たのだ。こんなところでうっかり話かけしてしまっては。
慌てて口を懐紙で拭い、抹茶を流し込む。
苦い風味が浮ついた心を落ち着かせる。
喫茶に来たのに無駄な緊張をするなんて、どうかしている。私が外に出歩くのは想像以上に難しい。ただお茶を飲むだけでも一苦労だと、来る前から分かっていたことじゃないのかな、と私は自問自答した。だが私は少し前に、茶店で先に勘定を払うことで、一言も話さず注文をする方法を思いついてしまっていたのだ。そんな事を試さずにいられるか。いや、否。
そして茶碗に目を落とす。
深い苦味に独特の旨味。月の食事には欠けた、恐らく生気とよばれる命を汚した穢れ。
茶に穢があるゆえに、私はこの時間を生きていると感じる。
そうだ。一人で飲む点茶がこれほどにも美味なものだと、私も思ってもみなかった。
空は青く、地面は明るく、森は黒く、野点は赤く、茶は緑だ。均整でいて、混沌とした、その調和の取れた素晴らしいなにかだった。
「なんて素敵な日なのでしょう」
しかし、言葉が私の口を突いて出て行ってしまった。気がついたときにはもはや口を噤んでも遅かった。
しまった。やってしまった。
頭からすぅっと、血の気が引いていくのを感じる。勝てない強敵と対峙したときのような気分。血の気のあまりの引きに心臓が抵抗しようとどくどくと高鳴り始める。
そうだ、逃げよう。
初手、この場から逃げてしまえば素敵な日は中断して素敵ではなくなる。そうだ。
「こんにちは!」
ぎょっとして振り向くと、そこには童子が居る。
なんでこんな時に。なんでここに。なんで私に話しかける!
「あれ? お返事は? こんにちは!」
しつこい。まずい。席を立ち上がろうとしたその時。
「おや、稀神ともあろうアナタが子供を無視するなんて、教育に悪いですねえ」
童子の影からひょこっと顔を出した声の主は、兎だった。それは穢土の兎の妖。童子に混ざって遊んでいる不届き者。一体どういう趣味をしているのか。
「先生にいいつけてやろうかあ」
穢土の兎はそう言い放った。顔を見れば、奇妙に歪んだ唇と、笑いを隠していない頬が見える。そしてつられて「そうだねーちゃんの言うとおりだ」と囃し立てる童子。つられてそこら中から童子が集まってきて、完全に囲まれてしまっている。穢土では人は繁殖する。童子が多いということが、穢土なのだ。
そして、兎は片方の口角を釣り上げながら顎を上にやり、大きく空いた自らの首筋を人差し指でぴっ、ぴっと二回指さした。
童子という弾幕に囲まれた私は、もはや逃げ場を失っていた。