Coolier - 新生・東方創想話

ハルトマンの妖怪少女

2019/05/18 00:17:44
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 辺りにはサイレンの音が満ちあふれていた。それが進発の合図だった。
 私はもうすでにMe109Gの操縦桿を握っていた。新品のオイルの匂いが鼻をくすぐる。
 その芳しい香りにうっとりとしていた時に我らが中尉殿が声を掛けてきた。
「やあ、古明地上級伍長。もう行けるか」
「ええ、今日も祖国のためにたくさんボリシェビキ共を墜としてやるんだから」
「よし、その意気だ。幸運を、Heil Hitler」
「Heil Hitler」
 この短いやりとりを終えると彼は黒いチューリップのマークが入ったMe109に乗り込んだ。
 それを見た私はエンジンをかける。
 ――ドウゥン
 愛機の心地よいうなり声が全身を包む。なんとも形容しがたい昂揚感が胸を支配する。
「krähe,von karaya eins.また露助共が懲りずに飛んできたらしい。実は亡命希望でしたとかいうオチじゃないだろうな? だが、まあ残念ながらビザを持ってない人間を祖国に入れる訳にはいかない。各員気を引き締めてかかれ。墜ちることは絶対に認めない。……行くぞ、Kämpfer abheben!」
 その無線を皮切りに幾多ものMe109が大空へと羽ばたき出す。カラス達が飛び立ったウーマニの空は戦闘機の飛行機雲の白い線と、青く澄み渡ったカンバスが混ざり合い、非常に美しかった。
 一部の兵士が退屈しのぎに曲芸飛行をやって怒られたり、編隊をズレて迷子になりかけたりと、和気藹々と飛びながらキーロボフラードの上空に差し掛かった時だ。私は遠く南の地上近くに小さな黒いものを見つけた。私はその点のような何かが敵機なのか鳥なのか判別するためにキャノピーに張り付かんとする勢いで目を凝らす。
「来た……来た来た来た来た!」
 そこに僅かに見えた赤い稲妻のようなマークは絶対に見間違えることのないものだった。私はそのことをいち早く中尉に報告するために無線をつなげる。
「karaya eins,von grün eine.三時方向に小隊規模のヤク発見命令求む。kommen」
 通信を送ってからの時間は永遠であるかのように思えた。
 いつ、あのみすぼらしい機体を八つ裂きにできるであろうか。その時のボリシェビキ共の悲鳴はどんなものであろうか。そして、その心の内とはどんなものであろうか。私はそんな逸るような気持ちを押さえつけて命令を待った。
「krähe,von karaya eins.古明地上級伍長の目に感謝しよう。これより件の小隊を『観察』する。ende」
 この言葉のすぐ後に、我々は進路を南へと転進した。
「なんて哀れなボリシェビキさん。これがあなたたちのラストフライトよ。ふふっ」
 私は近づきつつあるにも関わらず、依然としてのんびり飛んでいるヤクの群れにそう囁きかけた。一向に気づく気配のない奴らに対し、中尉はすぐに決断を下した。
「krähe,von karaya eins.奴らの目は節穴だ。第一小隊、第二小隊が『攻撃』を行う。残りの小隊は上空にて他敵勢力が現れないか偵察せよ。繰り替えすがくれぐれも墜ちることのないように。kommen」
「von grün eine,jawohl」
 私はそう返事を返すと機首を下げ、いつでも奴らを地に墜とせるよう攻撃準備に入る。
 そして私の機体が有効射程範囲にヤクを捉えると、すぐさま機銃を操作した。
「私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの。そして――」
 ――ガガガガガガッ
「――さようなら」
 先程まで空を飛んでいた物体は、単なる鉄屑に変貌し、地へと墜ちてゆく。
 二〇ミリメートル機関砲のモーターカノンの振動が内臓にまだ響いている。だが、それ以上にここまで届くボリシェビキ共の悲鳴を聞きながら、棺桶が墜ちていく様子を観察することの方が私の内臓をより震わせるのである。
「krähe,von karaya eins.露助共は彼らのあるべき階級に戻った。これより残敵確認を行った後帰投する。ende」
「えーもう終わりなのー? つまんなーい!」
 私はそう地団駄を踏みたかったが、言ったところで聞いてくれることもない。そもそも倒すべき敵がいないのならば言うまでもないことだった。
「karaya eins,von pik ass.敵影確認できず。kommen」
「von karaya eins,jawohl. krähe,von karaya eins.ピクニックは終わりだ、みんな帰るぞ。ende」
 黒いチューリップが基地へと先導する。
 これが私達第五二戦闘航空団、第九中隊だった。

***

「古明地上級伍長。貴官は本作戦を以てその作戦行動飛行数が六〇回を超えたため銀空軍前線飛行章を授与する。またこれに伴って貴官を准尉に昇進とする。今後とも祖国のためにその身を捧げるように。Heil Hitler」
「Heil Hitler!」
 私は先のドニエプル戦から戻ると中尉から勲章を授与された。中尉に比べればまだまだ足りないが、ようやく一人前の兵士になったと言えるだろう。
「ねえねえ中尉! 私すごい? がんばったよね?」
「ああ、たった二ヶ月なのによくやってるよ。後はもう少し辛抱がきけば使いやすいんだけどな」
 そう言って中尉は私の頭を撫でてくれる。作戦行動が終わるといつもこうやって撫でてくれる。
 私はこれが好きだった。
 私は優しい中尉が好きだった。
「今度はいつ進発できるかな?」
「さあ、露助共に聞いてみなきゃこればっかりはな」
「そっかぁ……」
 残念だ。非常に残念だ。私はボリシェビキ共を墜とすことでしか中尉に貢献することができない。このままではただの厄介者になってしまう。
「……正直なことを言えば、君には出てきて欲しくないんだ」
「なんで!? だって私はこれくらいしか――」
「いつか私に娘ができたとき、こうやって戦争に駆り出されてしまうのを想像すると胸が痛むんだ」
 私の抗議の声を中尉が遮る。
「頼む……絶対に死なないでくれ。私は、君を死なせたくない。死なせてしまえば、きっと私は自分の子供を抱けなくなってしまうだろう」
 中尉が悲痛な声で呟き、私を抱きしめた。
「……結婚するから……?」
 私は彼の心の中にあった単語を読み上げる。
「ああ、私は来年彼女と結婚するつもりなんだ。その時は……君にも祝って欲しい。だから、死なないでくれ」
「うん、ボリシェビキ共を殺して、生き残って。絶対お祝いするね」
 私は彼を強く抱きしめ返しながら、そう確約した。

***

 そんな抱擁があった数日後のことだった。私達が宿舎で寝ていると、唐突にサイレンが鳴り始めたのである。
「起きろ古明地准尉! 進発だ!」
「ヨハネス少尉、一体これは」
 寝ぼけた頭で少しでも状況を理解しようと尋ねた。
「ボリ共の襲撃だ。さっさと片付けに行くぞ」
 この言葉を聞いた瞬間に私の眠気などどこかへ吹っ飛んで行ってしまったのだ。
「ボリシェビキ共が? いいわ、朝ご飯にはまだちょっと早いし、墜としてあげる!」
「あっ、おい古明地准尉!? ……全く、さすがはあの中尉のお気に入りだ」
 私はすぐさま戦闘服に着替えると格納庫へと向かった。
 もうみんなが進発の時を今か今かと待っているようだった。
「やあ、古明地上級伍長。整備はばっちし済ませてあるぞ」
 いつも私の愛機を整備しているヴィルムント飛行兵曹長が声を掛けてくる。彼の整備はとても丁寧で非の打ち所がないのが助かるところだ。
「あら、ありがとうヴィルムント飛行兵曹長。でも一つだけばっちりじゃない所があるわ」
「……どこが?」
 彼が疑問の声を上げる。だから私は優しく教えてあげることにした。
「あなたの頭よ。私はもう上級伍長じゃなくて准尉になったの。よろしくね?」
「これはこれは、すまなんだ。古明地『准尉』殿。全く、こんな幼い子供が准尉とは。世も末だ」
「まあ、階級なんて本当はどうでもいいの。ただあのボリシェビキ共を殺すことさえできればね」
「……幸運を、古明地准尉」
「ええ、ありがとう。Heil Hitler」
「Heil Hitler」
 私はこの言葉を最後に格納庫から飛び出した。
「grün eine,von karaya eins.時間の猶予がないため、詳細は省くがやることは変わらない。露助共を墜とすだけだ。また、ディートリッヒ少尉が不在のため代理として古明地准尉に副中隊長の任を課す。よって今後のコードはgrün eineからkaraya zwoとする。kommen」
 中尉がいつもの口上を取ることもなく淡々と伝達事項を告げる。それだけ状況が逼迫しているということだろう。私はそう認識すると、端的に中隊各位に宣言した。
「karaya eins,von karaya zwo,jawohl. krähe,von karaya zwo.中隊長より副中隊長代理の任を拝命した。これより中隊長に何かあった場合は私が指揮を執る。ende」
「krähe,von karaya eins.各位墜ちるなよ。……Kämpfer Abheben!」
 ――ドウゥンン
 その号令とともにカラス達はくすんだ空へと飛び立った。嫌な風が吹く夜だった。
 下はもう火の海であった。戦車は燃え上がり、人は死に倒れ、誰のものともわからない四肢が転がっていた。
「もう、ボリシェビキ共がこんな近くに……」
 私が漏らした時だ、ボリシェビキ共のIl-6が私の下を飛ばんとしているのが見えた。私はその瞬間、作戦のことなど忘れ、あの爆撃機を墜とすことしか考えられなくなってしまっていた。
「krähe,von karaya zwo. 今から私は下の馬鹿共を始末してくるから、みんなはそのまま飛んでてね。すぐに戻ってくるから。ende」
 そう一方的に告げて、無線を切ると私は仲間を殺したであろうトンビに向かって急降下をした。
 急激な軌道転換に身体が押しつぶされそうになる。でも、それでいい。きっと死んでいった戦友達はもっと苦しかったに違いない。だから、これでいい。
 仇なす敵に鉄槌を。
 害する輩に天誅を。
「墜ちろ!!」
 ――ドドドドドドッ
 私の叫びを体現するかのように二〇ミリメートル機関砲が唸りを上げる。
 唐突な攻撃により、一番機を墜とされたボリシェビキ共は混乱を起こして逃げ惑うことしかできない。
「まだまだぁ!」
 私は残っている敵を墜とすため尚も攻撃を続けた。
 二機、三機と順調にスコアを伸ばしていく。
 まともな対空火力を持っていない爆撃機なぞ、私にとってはおもちゃのそれでしかなかった。
「七……八……九……やったぁ! これで一〇〇機目!」
 私は墜ちていく残骸を見て、自身の撃墜数を数えた。
 ようやくだ、ようやく三桁の大台に乗ることができた。私は遂に百人以上のボリシェビキ共を葬ることができたのだ。
 そうして私は中隊へ戻ろうと進路を取り直した。
 しかし、それが仇となってしまった。
 ――バババババッ
 一機の戦闘機が私の機体に攻撃してきたのである。
「嘘っ!? なんの声も視えなかったのに!?」
 私は驚愕の声を漏らしながらもブレイクして追撃を躱す。コックピット内にはなんとも言えぬ嫌な匂いが漂っていた。
「うー、これはエンジンがやられちゃったかな……でもっ!」
 まだ、飛べる。
 まだ、戦える。
 あのボリシェビキを殺すまで、私は諦めるわけにはいかない。
 忌々しいヤクは私を墜とさんと必死になって旋回している。勝機となるのはここだろう。私は左ラダーを思い切り踏み込んで、操縦桿を右に倒した。
 突如機体が横滑りしたような感覚が全身を襲う。三半規管が掻き乱された気持ち悪さが込み上げる。
 だが、その甲斐はあった。
 普通に旋回したヤクは私の機体の前を飛ぶ形になった。
「行けぇ!!」
 私はこの好機を逃すまいと機関銃を放った。弾はヤクの右翼に命中しバランスを崩させたが、撃墜にまでは至らなかった。私はこの結果に歯噛みしたが、そうもしていられない。実力の差を知ったのかヤクに乗ったボリシェビキは機体を急上昇させはじめたのである。
「ふーん、キューバンエイトするのね。及第点ってところかしら」
 私も追いかけるように上昇する。ヤクはそれを待ってましたと言わんばかりに一八〇度ロールすると急降下を始めた。だが、私はもうその先が読めていた……いや、聞こえていたのだ。
 降下の姿勢をとったMe109は重力によってその速度を上げつつあったが、もうプロペラの回転率は下がりに下がっていた。しかし今の私にとっては丁度良かったのかもしれない。ゆっくりと獲物を狙う時間ができるのだから。
「五、四、三、二、一、……今!」
 ――ドガガガガガッ
 二〇ミリメートル機関砲がまたも火を噴いた。これが最後の銃撃だろう。全ての残弾を撃ち尽くすつもりで機体を水平にしようとしたヤクの全身を撃ち抜いていく。
 これでもかという銃弾の豪雨を受けたヤクは、墜ちるなどという概念を通り越して空中で爆発四散した。
「これで……一〇一機目……」
 私はこの言葉を呟きながらプロペラの回らなくなった愛機を撫でる。
 もう充分だ。もう充分頑張った。私達はよく戦った。中尉は褒めてくれるだろうか。でも、きっともう私はダメだろう。少し残念だな。
 私がそう思って目を閉じた時である。
『頼む……絶対に死なないでくれ。私は、君を死なせたくない』
 中尉の言葉が聞こえたような気がした。
 そうだ、私はまだ死ねない。死ぬわけにはいかない。
「最後にもう一踏ん張りだよ。お願いね」
 私は愛機にそう声をかけるとボロボロになった機体に鞭打ってピッチを上げた。
 辛うじて機首を上げた機体は前への推進を得る。しかし最早着陸場所を選んでいる暇などなかった。直後、Me109はビルキー近くの森の中へ墜ちた。

***

「う、うぅ……」
 私が眩しい陽射しで目を覚ますと辺りは目茶苦茶になっていた。愛機の片翼は折れ、プロペラは無くなってしまっていた。今生きているのが幻覚ではないかと疑うほどに酷い惨状であったが、潰れた第三の目の痛みが現実であることを訴える。
「ここは……? みんなはどこだろう」
 私は機体に残されていた無線を取るも、通信系が壊れているようで通じやしなかった。
 ――帰らなきゃ
 私はただその思いのみで、ふらふらと機から降りると森の中を彷徨った。
「Пехотный взвод вперед!」
 脇ではボリシェビキ共が進軍しているようだが、私にはもうどうでも良かった。
 痛い。辛い。苦しい。足の感覚が無い。視界はぼやけてしまっている。……でも、そんなの関係ない。
 ただ、帰りたい。あの第九中隊に、あの中尉の元に。
 もう意識は朧気で危うかったが、それでも歩いた。
 銃撃の弾丸が私の横を掠めるが、それでも歩いた。
 私の眼前でボリシェビキが死ぬ、それでも歩いた。
 私の後ろで仲間達が爆撃される、それでも歩いた。
 どちらとも分からぬ鉄屑が降る、それでも歩いた。
 双方の軽戦車が火を上げている、それでも歩いた。
「あ……」
 歩いて、歩いて、歩き続けた先に、なんだか懐かしい明かりのようなものが見えた。
 私が待ち望んでいた光。
 私の帰るべき場所の光。
 やっと辿り着いたんだ。
 その歓喜が胸の内を駆け巡る。私は軋む身体すら無視して走り出した。
「中尉……エーリッヒ中尉!!」
 廊下で談笑する下士官を押しのけ、書類を抱える技官を撥ねのけ、私は走った。
 目指すは第九中隊が拠り所としている食堂。その扉はもう目の先にある。
 動け、私の足。動け、私の鼓動。
 私は帰ってきたんだよ、中尉!
 閉ざされた鉄の扉を力一杯に開く。
 一番先に目に飛び込んできたのは心配したような面持ちをした中尉の姿だった。
「はぁ……はぁ……。古明地、こいし准尉……ただいま帰還しました……」
 息も絶え絶えに帰還報告をする私に周りのカラス達は気づかなかった。ただ、唯一中尉のみが駆け寄ってきた。
「こいし!!」
 中尉はそう叫んで私の肩を掴む。それはいつもと違い、とても乱暴なものだった。
「何故だ!! どうして勝手に編隊から抜けた!! 私は……私は……!!」
 そう言って俯く中尉。その口からは啜り泣くような音が漏れていた。
 ああ、私は中尉に心配をかけてしまったんだな。遂に、そのことに気が付いた。
「生きていて、良かった。本当に良かった……!」
「だって、私は生き残って中尉の結婚式に出なきゃだから。だから私、ボリシェビキ共を殺してきたんだよ」
 私は中尉をそっと抱きしめた。
 中尉も私を優しく抱きしめた。
「……おかえり、古明地こいし准尉」
「うん、ただいま。エーリッヒ・アルフレート・ハルトマン中尉。……meine wichtige karaya eins」

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