「なあ、アリス」
開いた窓から少し冷たい透明な風が降りてくる。カーテンは優しく揺れた。
「なぁに」
隣で目を瞑っている魔理沙が口元を緩めた。小さく笑っているのだ。その仕草が無まるで生まれて少しの赤ちゃんのようで、とても愛らしかった。
「本を読んで欲しいんだ。アリスが好きなやつがいいな」
呼吸をするように自然に紡がれた言葉は、ひどく私を幸せな気分にさせる。
「私が好きな本……」
記憶の中の懐かしい場所から声がする。ああ、あの頃の、私と大切な家族との思い出だ。幸せで、何を疑うことなく愛されていると信じていたあの頃の。
「少し待っていて、本と水を持ってくるわ」
上体を起こして、ベッドのふちから立ち上がろうとすると、きし、とスプリングを鳴らして、魔理沙が起き上がった。
「待って」
うかがうように、こちらを見つめる彼女がなにを求めているのか、私はすぐに思い当たる。
「ん……ふふ」
私が魔理沙の前髪を上にあげて額にそっと口付けをすると満足そうに微笑んだ。魔理沙はとても甘えん坊で、私以外の人には見せないけれど、ほんとうはこんなに可愛いところがたくさんあるのだ。
♬
「ぼくがそこに足を踏みいれようとすると、ひとりのくまが椅子に腰掛けていました」
ゆっくりと本を読み始めると、魔理沙はきらきらとした瞳を閉じて、嬉しそうにしていた。
カーテンはふわりと膨らんだり、気ままに揺れたりしている。この部屋には大切なものがすべてあった。
「近づくと、ふさり。音のした方を見ると、薄くてあかい綺麗な紙がたくさんおちていました」
私は昔、あまり家の外に出たがらない子どもだった。ひとりで魔法の本を読んで、早く一人前になりたかった。そんな私のことを、あの人はいつも受け止めてくれて、優しく頭を撫でてくれた。アリスちゃんはえらいわね、って。
「ぼくは初めてみたものを、手に取ってみました。じんわりと温かい。近くで見ると、それは透けていて、確かにそこにあるのに、その先にいるくまが見えることに、ぼくはとてもおどろきました」
この本は、私が外に出てみたいと思ったきっかけだった。初めて見るものに出会う嬉しさを教えてくれる本だった。そして、魔理沙に出会うまでの間、私はこの本のおかげでまっすぐでいることができたのだ。
「くまは言いました。好きなだけ調べてごらん。このすべてはきみのものだよ」
魔理沙は小さく寝息を立て始めた。この後このお話はもう少し続くけれど、それはまた明日に読もうと思った。
この本は私のためだけに作られた本。私が私を愛せる理由のひとつだ。大切な人からもらった大切なもの。
実は初めて魔理沙に出会って、戦い、負けた時に、もう魔法なんて辞める! と子供らしくいじけた事がある。その時あの人はすごく喜んでいたことを、ふと思い出した。すっかり大人になった私を見たら、あの人はなんて言うかしら。
♬
魔理沙とは仲が悪かったような気がする。それでも、お互い負けて、負かしてを繰り返すうちに、友達というほどマイルドなものじゃないけれど、意識しあって日々を過ごすようになった。
取り立ててキスがしたいとかそういうことを思う関係ではないと思っていた。けれどあるとき、魔理沙と一緒のベッドに寝ることがあった。のちに聞くと、彼女はあの日私のことを恋の対象としてくれたらしい。どうして? と聞くと、あったかくて、いい匂いしたから、ともぞもぞ言っていた。私はその言葉を聴いて、魔理沙を可愛いな、と初めて思った。
♬
いつのまにか眠ってしまったようで、部屋にもう光は差し込んでいなかった。むしろカーテンも丁寧にしめられていたので、魔理沙が先に起きたのだと分かった。
「あ、起きたか。ちょうど良かった、お風呂とご飯どっち先がいいか聞きたかったんだ」
あの本は、もう私だけのものではなくて、私と大切な人と、いつかその先の大事にしたい人までを優しく見守ってくれているのかもしれない、と思った。
「お風呂が先だといいわね」
「そういうと思って入れておいた!」
「もう、わかってるじゃない」
一緒にいると幸せな人が、外の世界にもいた。
♬
もしあの人に伝えられるなら、いいえ、きっと伝えきれないくらいのありがとうだけれど、きっと私たち二人を見たら、分かってくれる気がする。
御馳走様でした。こういう甘さを久しぶりに見た気がします
さすがっす