Coolier - 新生・東方創想話

曇り時々雨、のち晴れ (暴力・流血表現あり)

2017/12/13 21:24:38
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 考え事をしていたせいか反応が遅れた。熱気を感じたときにはすでに手遅れ……頭に炎の塊の直撃を受けて転倒する。
 ちょっと痛かったな。
 チルノが名前を叫んでくれているが、髪が焦げただけだ。叫んでもらうほどのことじゃない。
 体を揺すってくれているチルノに視線だけ動かして答える。
 フランドールが平気なことを確認してチルノが奇襲を仕掛けた不審者に向き直った。
 フランドールも転がったまま、目だけを動かして奇襲の主を見る。仮面を被った……何て言うんだろう? 仮面と服が致命的に似合っていない。福笑いとお坊さん……変装だろうか? 正体を隠そうとしているのは流石にわかる。

「はっは! フランドール仕留めたり! 本当に弱っていたらしいな!」
「誰だ!? フランをいきなり攻撃するなんて」
「答えてやる義理は無いが……そうだな、命連寺の者と言えばいいかな?」
 チルノが「白蓮のっ!? 嘘だろ!?」と驚いているが……う~ん、こんなへんてこなのが命連寺にいたかな?
 手をついて立ち上がる。う~ん、魔力が無いから回復がおぼつかない。いつもだったらぱっと直るんだけど……頭がぐらぐらする。
 不審者が驚いている。

「さ、流石に怪物よ。あれの直撃を受けて立ち上がるとは」
「……流石に少し痛かったよ」
 チルノがフランドールのふさがらない傷を見て不審者に猛抗議をする。
 しかし、不審者にとってはチルノはどうでもいい存在だったのだろう。一瞥してからチルノには回避も防御も不可能な速さと強さで攻撃を加える。
 チルノがお腹を抱えてへたり込む。

「証人にはいてもらわないとな」
 格下だから生かしてやっているんだと言うあざけりを隠しもしないでチルノを見下す。相手のこの態度にはイラッとくる。
 しかし、調子が上がらない。気持ちが空回りしている。頭の衝撃が抜けきらない。足が言うことを聞かないのは何でだろう?
 そうこうしているうちに二撃目も直撃する。今度は体だ。
 痛いなぁ。いつもならすぐ消えるはずのシグナルが延々と残っている。そしてまた転んでいる。
 転んだところを立て続けに攻撃された。ちょっ、流石に……意識が飛びそうだ。

「はは、流石に動けなくなったか」
 血と一緒に力が抜けてしまった。自分自身で初めての感覚……痛みのシグナルすら鈍く感じる。何だかけだるくて眠い。
 瞳を動かしてチルノを見た。チルノは何を見て震えているんだろう?
 「まだ魔力を感じる」と不審者が真ん前に立つ。
 邪魔だなぁ、チルノの顔が見えない。視線を遮らないで欲しい。

「ジ・エンドじゃ」
 今度は顔面に向けて超至近距離からの一撃だ。残念だが防ぎようが無い。
 体を霧状にして集めて再生するのは手間だなぁ。完全復活まで二週間ぐらいかかる。
 そんなことをあっけらかんと考えて攻撃を待つ。そして攻撃は外れた。

「……ッ! 妖精程度の分際で!」
 不審者の腕にチルノがしがみついている。

「逃げろ! フランドール!」
「逃がすか馬鹿がッ」
 不審者の手がチルノの顔に伸びる。炎熱でチルノがもがいている。でも腕は離さない。

「はやぐ、じろ」
「ええい! 離せ! 冷たいわ!」
 不審者が炎をまとう。その炎を冷気だけで抑えようとしている。自分が溶けかけているのにもかかわらず離す気配が無い。
 「らちがあかぬ」と矛先をフランドールに向ける。チルノが気を取られた一瞬の隙を突いてふりほどいた。

「ち、る のちゃ ん  にげ て」
「お前をおいては行かないぞ!!」
 チルノがフランドールを背に立つ。不審者はもう二人まとめて片付けるつもりだ。
 今までよりも大きな力を不審者が集めている。道術の力で舟を形成した。

「二人ともおしまいじゃの」
 力を叩きつける。チルノが得意の氷壁を張るが、焼け石に水、チルノがフランドールをかばったまま二人とも吹っ飛ばされる。

「ご、ごめんな。フラン、あたいじゃ勝てないみたいだ」
 チルノの顔には無念の涙が伝う。腕には木片が刺さって血が滴っている。
 別に、泣いてわびてもらうほどのことでも無い。むしろ、怪我をしてしまうほど巻き込んでしまったのだから、私の方が悪いに決まっている。
 不審者の目的は私だった。チルノはただ運悪く巻き込まれただけ……例え、あいつが私の弱体化の機会を待っていたとしても、弱った原因がチルノだとしても……チルノの責任は欠片も無い。
 私を弱らせる事ができるだけでも、希有の存在だ。あいつはそれに乗っかっただけ……私が普通の状態なら絶対にかかってこない。
 なんだか悔しいって言うのかなこういう感情……やり返してやりたい。
 チルノが背中に攻撃を受けてフランドールに向けて倒れる。
 もうチルノには意識が無い。肩からしたたる血は偶然にもフランドールの口に垂れる。
 食事にはほど遠い量……でも思いを取り込むことはできた。チルノも同じように悔しさを感じている。
 少し魔力を戻して立ち上がる。
 腕や足は怪我が治りきらない。一発でもうけたらまた元の状態に戻るだろう。

「やっぱり足りなかったかな」
「げぇ!? まだ立てるのか!?」
 不審者が驚いているが、吸血鬼の自分からすれば普通、他の生き物と回復量が異なるだけだ。
 不審者を無視して動きを確認する。手足は痛いだけだ。先ほどのふらつくような事態じゃ無い。

「ねぇ、悪いけど加減しないよ」
「そ、それがどうした? 今でも我の方が有利よ!」
 それなりの速度で、それなりの強さで攻撃が飛んでくる。だが、奇襲ならともかく、正面からで、集中した状態だと当たるわけが無い。

「この速度を避けるかッ!?」
「やっぱり全速力は出せないな」
 二人して全くかみ合わない言葉を口にしている。
 そしてようやくフランドールから動いた。不審者が目を見張るほどのスピード!……なのだが、鴉天狗を軽く超える本来の速度が全く出せていない。
 本当なら目で追える速度ではない、見えないはずなのだ。
 しかし、それでも不審者にとっては脅威の一言、自らのトップスピードを軽くぶっちぎる速度で迫り来る吸血鬼……最後の手立ては真上を狙った一撃、しかしそんな物はフランドールにはかすりもしない。
 不審者の胸元に指を突きつける。

「ねぇ、最後に聞きたいんだけど? 貴方、本当に命連寺?」
「……こ、これが吸血鬼か」
「答えないならいいよ。お前の死体を引き摺っていって命連寺を問いただすから」
 不審者の泣き言など聞く耳が無い。
 瞬時にこたえる気がないと判断し、不審者にとどめを刺すことを決める。

「バイバイ、お前は二度とコンティニューできないのさ」
 指先に力が集中する。
 貫通までわずか数秒足らず。しかし、指先がめり込む前にフランドールが飛び退く。

「はは、流石に伝え聞いた通り日の光には弱いな」
 真上を狙った一撃がようやく雲間に届く、天の光がフランドールを焼いた。

「じゃあな。おぬしを倒すのには失敗したが……このまま上昇して雲を越えて逃げさせてもらう。流石に日の光の下は追って来れまい」
 陽光が差す範囲を避けて不審者を見る。フランドールの表情からは笑みがこぼれている。逃げられた悔しい感覚よりも、獲物が残っている……追い詰める楽しさを感じていた。

「別にいいよ。匂い覚えたから、かぎつけられないように注意してね? 死ぬよ?」
 そのときの不審者は恐ろしいほどに震えていた。
 そんな姿を見て笑う。狂った笑い声が響く。日光に守られながらすごすごと退散する不審者はそれはそれは惨めなものだった。
 不審者を追っ払った後でチルノを背負う。紅魔館まではあっという間だが、のんびり歩いて行こう。
 今日はいろんな事があった。チルノには負けたし、不審者は取り逃がした。体はぼろぼろでいつになく疲れている。帰ってお風呂に入ってさっぱりしたら寝たい。きっといつもよりよく眠れる気がする。
 視界の端に赤い館が映る。走ってこっちに向かってくるのは……美鈴だ。
 目の前まで走ってきて挨拶もできないほどに言葉を失っている。美鈴の視線はチルノに釘付けになっている。

「い、妹様……ま、まさか」
「美鈴、勘違いしてるでしょ? 私がやったわけじゃ無いし、気絶してるだけだよ」
 ほっと胸をなで下ろす美鈴……そうして改めて、フランドールを見る。おかしい、いくら何でも服が汚れすぎている。
 ちょっと待って欲しい。フランドールにここまでダメージを与えられる存在がいたのか?

「あの……その姿は……チルノちゃんに?」
「ん~、そうだな……原因の九割はチルノちゃんかな。本当に参ったよ。ここまでダメージを受けたのは久しぶり、ほとんど姉様級だよ」
 話の内容があまり理解できない。チルノから受けたダメージが九割? フランドールという存在は私自身の総力をもってして、拳が一発当たったら上出来というレベルのはずだ。
 見た目だけで泥だらけ、うっすらにじむ血や痣……それらが回復しきれないほどに少なくなった魔力……チルノの実力からは到底信じられる戦果ではない。
 しかし、ぼろぼろにされた本人はうれしそうだ。優しくチルノを扱っている。

「ねぇ、チルノちゃんが起きるまで休ませてあげたいんだけど?」
「それより永遠亭に連れて行った方がよいのでは?」
「そう? このぐらいの傷ならすぐ治るんじゃ無いの?」
 フランドールの基準は自分自身、もしくは姉……絶望的な水準を笑顔で押しつけてくる。今回は回復量を見誤っている。

「妹様、なんでも吸血鬼を基準にしてはいけませんよ。これはチルノちゃんには大怪我の分類です」
「えっ!? そうなの? じゃあすぐ永遠亭に行く。知らなかったからのんびり歩いちゃったよ」
 驚いた表情でふわりとフランドールが浮かび上がる。くるりと首が竹林に向くが……場所がわからない。
 まあいいか、全部切り裂けばいいだけのこと。
 ちょっと首をかしげて悩んで解決方法を見つけて笑う。竹林に住む者にとって幸いだったのは美鈴がそんな顔を見ていたことだ。
 思考の内容を微妙な表情の変化から美鈴が読み取る。
 絶対に止めなくてはいけない。

「フランドール様! 私に道案内させてください。お願いします」
「ん? あ、そうか。じゃあ美鈴、案内よろしくね?」
 紅魔館の門番の役目をほったらかして美鈴が全力で走る。それを遅いと言わんばかりに背中を押された。いつの間にか地に足が付かないほどの速度が出ている。
 気の流れで、人が通った幾筋もの道から永遠亭への最短距離を探る。
 わずか三分で永遠亭に到達する。

「美鈴遅い」
 絶対にこの言葉は正しくない。たったこれだけで息が一気に上がってしまった。早く案内してと言わんばかりの態度を取られるが……申し訳ありません。あと三十秒ください。

「ぜっ、はっ、す、済みません。永琳さんいますか?」
 息切れしたまま永遠亭の中に進んでいく。「どうぞ、いらっしゃいませ」と出てきた鈴仙はフランドールのいらだちの視線を受けて硬直した。

 フランドールとしては受け入れの言葉を聞いた以上とどまる理由など無い。永遠亭の内部で強い力を感じる方向に進んでいく。
 ”診察室”と書かれているドアの前に立つ。

「どうぞ、入ってらっしゃい」
 躊躇無く扉を開ける。
 にっこり笑っているその人は横のベッドを指さす。友達を寝かせれば、医者は何も言わずとも診察を始める。その手際は見事なものだった。
 おとなしく待つ。永琳は全身を診断し、細かい汚れの除去、傷口の消毒、薬の塗布、包帯のまき付けまでを一切の無駄が無い動きで行う。

「ん、これで良し。まあ二時間もすれば目を覚ますわ」
「二時間……そんなにかかるの?」
「残念だけどね。吸血鬼ならこのぐらい怪我に入らないだろうけど……そうだ、貴方も少し治療を経験してみる? 医者としてはけが人を放っておけないな」
 そんなこと考えたことが無かった。自分は大丈夫……ちょっと血を飲めば……だけど、同じ経験ができるのは今しか無いのかもしれない。
 大体怪我をして、怪我が治らないなんて事態が今まで無かった。

「二時間ぐらいかかるの?」
 永琳が笑っている。

「まさか、あなたなら三十分ね。それに自力で回復するつもりならもっと早いわよ。どうする? 治療の体験なんて経験にもならないかな?」
「ちょっと体感しておきたい」
 フランドールの同意を受けて、永琳が同じような治療を施す。あっという間にミイラのようになった。
 消毒はちょっと痛かったし、薬の塗布はくすぐったかった。包帯の適度な締め付けはなんとなく気持ちいい。
 今はおとなしく、チルノの横で寝ている。
 病室の外では美鈴の気配がする。美鈴は病室の外で待つらしい。
 耳を澄ませれば話し声が聞こえる。

「……で? どこの馬鹿かな? フランドールちゃんに手を出した大馬鹿者は?」
「怪我の原因の九割がチルノちゃんらしいです」
「九割? 何のジョークかしら? 無防備状態でチルノの全力攻撃の直撃を涼しい顔で流せるはずだけど?」
「そんなことわかってますよ。私だって足下にすら届かないのに……それにこのことがレミリア様にバレたら……考えたくない」
「そのときは永遠亭は紅魔館の味方だって注進してくれる? 流石にこれに巻き込まれたくは無いわ」
 二人には悪いがとっくの昔に姉様にはバレている。姉様は妖怪の山に向かっていった。多分山の神様と喧嘩しているだろうな。
 後、その後の怪我については語ることは無い。獲物は私のものだ。少し強めの攻撃の実験台にしよう。
 永琳が立ち話をやめて診察室に美鈴を連れて行く。聞こえた話では暇だから診察するとのことだ。

「診察ならいらないと思うんですけど?」
「診察は後でね。今ここでならフランちゃんに盗み聞きされないわ。この永遠亭の中でも診察室は患者のプライベートがあるから、特別な造りになってるのよ。貴方に見て欲しいのはこれ、犯人の手がかかりよ」
 永琳がシャーレを指さす。小さな木片が入っている。

「チルノちゃんとフランちゃんの二人から同じ木片が採取できたわ。そしてこれから同じ術の残り香を感じる。そしてこれは道術……とどめに幻想郷で虎視眈々と妖怪退治しようとしているのは誰だっけ?」
 美鈴があきれた顔で永琳を見る。もう犯人の特定が終わっている。そして証拠を抑えた。

「本当なら、フランドールちゃんの記憶を消すってのが波風が立たないんだろうけど……あなたたちと敵対したくないのよ。それにこちらで犯人をとっちめるほどの戦力を出したくないし、是非とも内密に処理をお願いしたいわ、貴方にね。
 私が思うに、紅魔館で唯一、そういうことができるのが貴方ね。うまく回してもらえないかな。紅魔を中心に、では無くて幻想郷全体が成り立つように、ね。上手に立ち回ってくれないかな」
「……」
 美鈴が難しい顔をしている。このことはレミリアにばらしてはならない。幻想郷のバランスが一挙に崩壊しかねない。

「簡単にわかりましたっていえないです」
「うん、それが正しい答えよ。見込み通りね。任せるわ」
 シャーレを渡される。ほのかに感じる残りの気を覚える。波長の似た奴を探せばいい。
 仕掛けた奴の末路を想像しても、ご愁傷様ともおもわない。馬鹿な後始末をやらされるこちらの身になって欲しい。それも相手がスカーレット姉妹、同じ館に住んでいると言う理由だけで加減をするようなレミリアではない。
 頭を悩ませたまま戸を開けるとフランドールがいる。

「美鈴、治ったよ」
「!!! い、妹様、まさか今の話……」
「うん? 聞こえなかったよ? すごいね永琳。むしろ私の部屋をこの造りにして欲しいぐらい。外の雑音が入らないんでしょ?」
「そうよ。でも、貴方の家にはこの構造は無理ね。揺れを飲み込める木の構造じゃないとね」
 「ちょっと残念」とフランドールがこぼしている。
 「まあ耳がよすぎるのも問題よね」と言いながら永琳がフランドールの包帯をさっと取り去る。
 永琳の目で見ても、もう怪我の跡は見えない。十五分か……今後の参考にしよう。

「じゃあお大事にね。チルノちゃんはもっとゆっくり休ませてから退院してもらうから」
 フランドールがちょっと残念そうに頷いている。
 治療を体験させてもらった。クスリの力だけで回復する。すっごい時間がかかるって事がわかった。それにチルノは吸血鬼じゃない。無理をさせちゃいけないのはわかる。自分でもさっき体験した。
 あまりせかして無理をして欲しくない。ここはおとなしく帰るべきだろう。

「美鈴、かえろうか」
「そうしましょう。永琳さん、治療代は後で支払いに来ます。チルノちゃんも込みで、紅魔館でもちますよ。請求書ください」
「ん、わかったわ」
 永琳がさらっと請求書を書く。ちょっと桁が大きくないだろうか? そう思って金額を凝視する。
 請求書には数字が書かれていない。文字で”例の件よろしくね”とだけ書いてあった。

「これ、高すぎやしませんか」
「たまには儲けないとね」
 永琳が笑ってウィンクする。
 金額に驚いているのかと考えたフランドールが「私が姉様に頼もうか」とありがたい申し出をしてくれたが、余計に話がこじれる。引きつった顔で辞退した。

 二人で永遠亭を出る。
 美鈴はフランドールを見る。魔力以外はいつも通り、目の前でのびをしているが、健全そのものの動きだ。
 ほっとため息をつく。引きつっているところはない。

「何? 美鈴? 何か気になるの?」
「あ、その。何でも無いですよ。怪我の影響が残ってないか、体の調子を見せてもらっただけですから、もう完全に復帰しましたね」
 フランドールがちょっと恥ずかしそうにしている。

「美鈴、あのね。怪我のことなんだけど」
 美鈴が頷いて話を促す。

「あ、その……チルノじゃない方、残りの一割の方」
 美鈴がギクリとする。もしかして、永琳との話が聞こえていた?

「姉様には内緒にしてもらえないかな」
 内心ほっとしている。そんなことか、願ったり叶ったりだ。レミリアに申し出ることはしない。
 レミリアに話したら、間違いなく犯人捜しが始まって大騒動になる。そうしないためにも約束する。
 にっこり笑って頷く。

「あれは私の獲物だから。狩りの練習をしたいの」
 続けて放たれた言葉に一気に美鈴の顔が青くなる。
 今からでも遅くはない。永琳に記憶を消してもらえないだろうか? ちょっとした加減を間違っただけで幻想郷の一区画が灰になる。
 止めなくてはいけない。止めなくては――、止める ? フランドールをどうやって?

「妹様、あの、何というか、……そう、わざわざ手を汚さなくても、私が狩りの代行をしますよ」
「だめだよ。美鈴、”私の獲物”なの、手出しはしないでね」
 美鈴が見たフランドールの目は肉食獣の瞳、きらきらと輝く瞳孔は細く引き絞られて、笑う口元には牙が見える。
 私にできることはただ単に被害が最小であることを願うだけだ。フランドールに魅入られた以上、馬鹿の末路は確定している。後は周りの被害だけが心配の種だ。
 しかし、永琳にもこのことは頼まれている。なんとか被害を最小限にとどめなくてはいけない。
 何かよい手は……せめていきなりフランドールが戦う事態を避けたい。どうにかしてフランドールの狩りに潜り込みたい。
 フランドールは狩人……狩りに必要なものは、一体何だ?

「妹様、狩りには必要なものがあります」
「? 必要なもの? 獲物と仕留める実力?」
「……確かにそれも大事ですが……答えは猟犬ですよ。今回は練習ですし、獲物を追い立てて誘い出す役が必要なんです」
「! そうか。美鈴、いいアイディアだね。じゃあ、白狼を捕まえてくるよ。十匹いればいいかな?」
 その発想がすごいと思う。天狗の小隊を軽々と捕まえてくるなんて、自分には到底考えつかない。
 しかし、ここで自分を売り込まないとフランドールの狩りにまざることができない。

「妹様、いきなり天狗を使わなくても、ほらすぐそばに従順な――」
 いきなりフランドールの目が据わる。機嫌が悪化したのがわかる。何か気に障ることでも言ったか? 何がダメだったのだろうか?

「あいつはダメ。咲夜は論外、例え悪魔の犬でも……私、あいつ嫌い。いつも姉様の近くに居てさ。姉様の一番は私のはずなのに……姉様の飼い犬でさえなければ……家からたたき出してやったのに!!!」
 ああ、咲夜さんのことか。
 フランドールはレミリアが好きすぎて、レミリアが好意を向ける相手が気に入らない。レミリアが咲夜のことを気にもとめなければ、咲夜がここまで嫌われる理由もなかったのだが……これは仕方が無いことだ。
 しかし、話がそれすぎている。今は咲夜さんのことじゃない。私を売り込まないと。

「咲夜さんは違いますよ。私です。私を猟犬として使ってください。白狼なんかよりも役に立ちますから」
「? 美鈴って犬の妖怪だっけ?」
「それは違いますが……気の流れで相手を見つけてみせます。そして、誘い出して見せますよ」
 最後は堂々と胸を張って答える。相手の気はわかっているし、多分すぐに見つけられる。そして、あまり幻想郷に影響を与えないところに誘い出してしまえば……後はそいつの自業自得だ。
 フランドールはまじまじと美鈴をみてその自信を感じ取った。狩りがスムーズに進むならそれに越したことはない。

「じゃあさ、明日。狩りに行こうよ。夜、み~んな寝静まった頃にさ」
 ニコニコ笑顔で明日の計画を決める。危うく同意しかけるが。
 ……ちょっと待って欲しい。夜? それってレミリアにバレないか?
 しかし止める間もなく。うれしそうに空に飛び上がる。

「先に帰るね。明日の夜! 一緒に狩りに行こうね」
 美鈴の目の前でフランドールがかき消える。ワープとか時間停止の類いでは無い。純粋な動きが見えない……。ため息が出る。これからどれだけ苦労するのだろうか。

 フランドールが紅魔館に着くと、レミリアが帰っていた。体がボロボロ、髪もぼさぼさだ。

「フラン、今までどこに行っていた?」
「ん? 美鈴とチルノと一緒に永琳のとこ。姉様、治療っていうのを体験してきたの。
 治療ってさ。じれったいんだけど、気持ちよかったよ。姉様も体験してみる?」
 フランドールの視線がレミリアに絡む。細かい傷も痣も見える。再生しきれないって事は山の神が全力で迎え撃ったんだろう。
 しげしげと自分の体を見る妹の視線に耐えきれない。

「いや、やめておく。それより腹が減った。一緒にご飯にしよう」
「うん」
 それから二人で仲良く食卓を囲う。フランドールはうきうきと、レミリアはそれをジト目で見ている。

「フラン、随分機嫌がいいじゃないか。何があった?」
「今日ね。チルノちゃんに負けたの。それが何だかうれしくってさ。次は絶対、圧倒的に勝つ。何だかぞくぞくするよね。あっけにとられた顔を想像するとさ。それに勝利宣言……姉様、なんて言えばいいと思う? どういう台詞が格好いいかな? 相手が”ははあ~”ってひれ伏すような奴……ねえ、次が待ち遠しいよ。チルノちゃんが怪我さえしなければなぁ~。私ならハンデを山と積んでもいいんだけど、チルノちゃんには全力を出して欲しいし、そうじゃなくちゃ面白みが全然無い。それでね、その上で勝つの。”次回を待つ”ってさ、すっごく楽しいよね」
 興奮した様子で、一気に話された。早口だったから、理解できたのはフランドールが楽しんでいるって事だけ……負けたとか聞こえたがこんなにうれしそうに話している、あまり気に止めることじゃない。
 姉として言えることは一つだけだ。

「次は勝てよ?」
「もちろん。”かくれんぼ”だろうと”鬼ごっこ”であろうと、百年先までとどろくような完全勝利をするよ」
 レミリアが少し”かくれんぼ”でどうやって勝利をとどろかせるつもりなのかを考えていたが、あまりにも無駄な思考なのでやめてしまった。
 楽しい食事が終われば、後はお風呂と就寝だ。
 食卓を離れる際に外出許可をもらおう。

「そうだ姉様、外出許可もらえる?」
「チルノが目当てなら別にいいぞ」
「ううん、違うの夜の外出許可、ちょっと夜に出かけるの」
「……満月の前後三日以外ならいいぞ。何をする気だ?」
「ナイショ」
 レミリアがフランドールの顔を見る。この顔は許可しようがしまいが、秘密のつもりで抜け出るだろうな。
 ……本当なら拘束しておきたいが……縛りすぎるのはよくない。
 フランドールは今、自由を肌で感じている。これを取り上げたら、流石の私でも恨みを買うだろう。それに世の中ってものを知るには絶好の機会だ。

「……わかった。許可する。あまり暴れすぎるなよ?」
「うん、ありがと。大丈夫だからね。姉様大好き」
 うれしそうにフランドールが食堂から出て行く。
 そんな後ろ姿を訝しげに見送った。

……

「おい、美鈴」
 ギクリとして振り返る。今日は誰も侵入者など居ない。日傘を差したレミリア・スカーレットが視界に入る。

「フランドールの様子がおかしい。説明しろ」
「は? え~っと? 何のことだかさっぱり――」
 みぞおちに手を置かれる。

「お前の態度にはこれまでさんざんだまされてきた。とぼけた表情で、ドジな行動で、だから歯牙にもかけなかったが……この間の件でな。考えを改めた。情報を隠匿するなら壁に磔にする。必要なこと以外でお前は徹底して手を抜く。だが、逆を言えば必要なら全力以上の力を発揮する」
 美鈴の額に脂汗がにじむ。ここは白状すべきだ。いくら何でもレミリアが怖すぎる。嘘を感じたら即座に腹を貫通される。

「レ、レミリア様、フランドール様のこと、私に任せていただけないでしょうか」
 レミリアが眉を上げる。
 任せる? 妹、大事な妹のことを任せる? 咲夜ならともかく美鈴にか?

「ダメだ。私の妹だぞ。それにな、最悪止めなくちゃいけない。私の力か咲夜の時間停止でも無い限り止めること自体が不能だ。
 それよりフランドールは何をしようとしている? 答えろ」
「あう……、フランドール様からはレミリア様には話さないでとお願いされていて」
「……確かにフランのお願いなら私の命令と同等、答えるわけにはいかんか」
 レミリアが悩む顔になっている。だが知っておきたい。フランドールには昨晩の食事の時に明瞭に答えてくれなかった。おそらく答える気が本人に無い。手がかりは美鈴だけだ。

「……不本意だが、今日は貴様に張り付く。いくら何でも放置はできん。
 ああ心配するな。フランドールに感知されるようなへまはしない」
 レミリアの魔力が最小化され、体が透過する。知っていなければ美鈴でさえ気を察知することができない。
 それから何事もなく時間が過ぎていく日差しが高くなり、夕暮れ、そして夜……美鈴が感じている気配は一向に消えない。レミリアに張り付かれたまま、フランドールとの約束の時間だ。
 月光が遮られる。七色の光が美鈴をてらす。そして真紅の瞳が楽しそうにゆがんでいる。
 こちらに冷や汗が出るほどのテンション、どう猛な虎が笑ったらきっとこんな感じだろう。

「美鈴行こうか?」
「お供いたします」
「じゃあ、まず命連寺から行こうか」
「……妹様、いきなり命連寺ですか?」
「うん、大丈夫。それなりに当てがあるの」
 不意にフランドールが手を伸ばしてくる。そっと手を重ねる。ふわりとからだが浮いたまではよかった。
 視界がゆがむ……夜空の星が一瞬だけ光条になる。
 今、自分は紅魔館の門前に居たはずなのだが、直下に寺が見える。命連寺……と理解するまでに数秒を要した。
 そして腕が……

「美鈴、その……腕大丈夫?」
「済みません。ダメです。もげるかと思いました」
 肩が脱臼している。そして、つかまれていた部位は骨にひびが入った。移動の加速度だけで全身微細な傷を受けたし……これがフランドールの住んでいる世界か……異世界もいいところだ。

「申し訳ありません。あと十分ください。気を整えます」
「うん。いいよ。ごめんね。ちょっと狩りに興奮してたから加減を忘れちゃった」
 命連寺の門前で気を整える。それをフランドールが凝視している。
 気の循環で細かい傷を修復する。しかしひびや脱臼のダメージなんて抜けきらない。後で永遠亭に行かないと……レミリア様は休暇申請を受け付けてくれるだろうか。
 約束の十分、まあ、利き手が使えないのは仕方ない。それに門の内側に数名の気配がする。
 フランドールが門前にいるのだ。魔力に気がつかないわけがない。

「よぉ。お前は化け比べの時以来だな。なんだ、物騒な奴を連れてきやがって」
 視線を上に向ける。門の上にぬえが立っている。命連寺きっての武闘派だ。敵意が満タン。呼応するようにフランドールが魔力を膨らませている。

「美鈴、怪我治りきってないでしょ。代わるよ」
 すっと、美鈴の前に出る。
 新しいおもちゃ、結構強そう。不審者なんかよりは断然強い。
 敵意があるならいいよね?
 ぬえが構えた槍に合わせるようにレーヴァテインが顕現する。
 美鈴が必死でフランドールに飛びついた。

「待ってください。フランドール様!」
「ええ!? 何で? いいじゃない。それにちょっとやそっとじゃ壊れないよコレ」
 ”コレ”と言われてぬえも声を荒げるが、それどころじゃない。深夜に人里近くで大バトルが発生したら幻想郷が危うい。

「フランドール様、狩りは貴族のスポーツです。紳士的に振る舞わなければならないんですよ!?」
 フランドールが口惜しそうにとどまる。

「今から狩りをやめて、普通に遊ぶって言うのは……」
「ダメです。それに今回は獲物を決めてましたよね? 獲物を狩りつくしてしまうのもルール違反です。ターゲットのみを相手にするんです。
 不自由も楽しさの一部でしょう?」
 フランドールがチルノとの遊びを思い出している。かくれんぼは面白かった。あれだって、ルールがあったからだ。ルールは守ろう、私たち吸血鬼は貴族なのだから。

 「残念」と言いつつ、レーヴァテインを異空間にしまう。それでようやくぬえが槍の構えを解いた。
 同時に門が開く。白蓮が正装をしてフランドールを迎える。

「ぬえ、あまり敵意を散らすものではありませんよ」
「白蓮、警戒はするもんだろ。それにな、寺の中身を考えろ。フランドールに対抗できる奴がお前と俺以外にいるか?」
「それはそうなのですが……そうですね、心構えの話は後にしましょう。ぬえ、ありがとう」
「その通りだ。世話を焼かすな」
 捨て台詞をこれでもかと言わんばかりにはいてぬえが立ち去る。後は白蓮だけが残る。
 正面にフランドールを迎えて堂々たる態度だ。

「寺の内でごたごたして申し訳ありません。今晩はいかなるご用でしょうか?」
「ん、丁寧な出迎えありがと、用事は狩りの対象がいるか確認したくてね。寺の中を見せてもらえないかな」
「狩りですか。獲物……あまりそういう目的で入ってきて欲しくはないのですが」
「身の潔白って大事だと思うよ。
 昨日ね、私に攻撃してきた奴が居るの。そいつが命連寺のものだって言っていたの。だから寺の中に入れてくれないかな。においをかぎ回るだけだからさ」
 白蓮が考えている。見られて困るほどのものはないのだが……フランドールが寺の内部を徘徊するリスクを考えている。

「勝手にものを壊さないでくださいね……あと、万が一、獲物が寺の内部にいても、いきなりの攻撃はやめてくれますか?」
「ん、いいよ。今回は追い立てる役は美鈴だし……追い込んで、追い詰めたら私の出番だからね」
 白蓮が美鈴を見る。美鈴はにっこり笑っている。白蓮はこの笑顔で、フランドールが寺内部で暴れ回る可能性がゼロであることを確信した。
 それに、いざとなったら美鈴に自分が加勢すればいい。

「疑いをかけて申し訳ありません。どうぞ、私が案内しましょう」
「うん、ありがとう」
 にこやかに笑ってフランドールが門をくぐる。
 白蓮の案内によって境内、本堂、倉庫などを巡る。
 白蓮がいよいよ宿舎を案内しなければならないかと思ったとき、フランドールが引き上げを宣言した。

「? よいのですか?」
「う~ん、まあいいよ。なんとなくわかったからいい。それにね、私が近くに寄ると寝ている人が可哀想かなって」
 この言葉はあまり正確では無い。騒がしさと強力な魔力のおかげで全員がたたき起こされている。今宿舎の部屋の中で震えているのはフランドールに怯えた連中だ。

「私が覚えたにおいはなかったよ。やっぱりあいつが嘘を言っていたんだね」
「獲物が居なくて本当によかったです。
 これからどうされるのですか?」
「う~ん。当てがなくなっちゃったからなぁ~。そうだ、命連寺に責任をかぶせようとするような奴は居るかな? 何か命連寺を嫌っている人とか」
 白蓮が言葉に詰まる。居る、心当たりがある。命連寺を立てた場所の下で封じ込めようとした連中が……しかし、口にしたらどうなるだろう。

「あの……ノーヒントで頑張ってもらうわけにはいかないでしょうか」
「別にいいけど? ふ~ん、白蓮さんって、貴方を嫌っている人にも優しいんだ?」
「私はそうありたいと思っていますが、それほどまでに完璧ではないです。もしも間違えていたら大変なことになる……ただ、その一念ですよ。身勝手な保身というものです」
「貴方からはそう感じないけど、まあ、いいか。ごめんね。深夜に訪問しちゃってさ」
「いいえ、こちらこそ潔白が証明できてよかったです」
 白蓮が下げた頭を上回る角度でフランドールがお辞儀する。
 そして、美鈴の手を引いている。今度はちゃんと加減している。腕を引き抜くような速度ではない。
 二人の姿が消えた後で、ため息をつく。犯人の目星は付いている。しかし、口にすることはできなかった。
 末路が見えすぎている。フランドールの遊びに耐えられるとはとても思えない。

「お前、犯人の目星が付いているな。話せ」
 見送り直後の奇襲に飛び上がる。声の主、レミリアが姿を現す。

「勘違いしてるかもしれないから先に言うが、お願いの類いじゃない。命令だ。話せ」
 妹とは対照的に高圧的、そして、わずかながら焦りを感じる。

「……断ったら――」
「命連寺は今ここで壊滅する。お前は仕留めきれるか知らんがな」
 白蓮が悩んでいる。心当たりと命連寺を引き替えにするつもりはないのだが、何だか気が引けた。
 結局のところ自分の生き方というものなのだが、敵とはいえ赤の他人を本人のあずかり知らぬところで売っ払う事にためらいがある。

「レミリアさん済みません。やはり口に出すことはできません」
「じゃあ死ぬか?」
 レミリアが構える。それに合わせるように白蓮は座り、力を抜く。
 
「どうした? 構えろ! 死ぬぞ?」
「どうぞ、ご自由に」
 レミリアが歯ぎしりしている。強者ならともかく、こんな力で弱い白蓮を触ったらそれだけで倒してしまう。
 白蓮は脅しに屈するほど弱くはないが、触れたら倒してしまう。倒してしまったら情報は二度と手に入らない。
 白蓮の事は二の次、大事なのはフランドールの獲物の情報……誰かわかれば二度と手出しができないように私への恐怖をたたき込む。
 レミリアが下唇をかみながら力を抑える。

「流石レミリアさん、わかってくれましたか」
「お前の事など知るか!!! 何をしたら情報を提供する気だ」
「それに関しては取引する気はありません。お引き取り願えませんか?」
 ほおが赤くなっている。手が震える、情報を盾にされて白蓮の覚悟の前に手出しができない。
 しばらくの間、気の迷いで、魔力が大きくなったり小さくなったり、どうすればよいのかを試行錯誤している。白蓮はそれを真剣な目で見ていた。
 最後の結論はこうだ。

「……くそっ! 白蓮っ!! 貴様覚えていろよ!!!」
 捨て台詞が完全に負け犬になって、レミリアが姿を消す。何よりも大事な者は妹、それ以外は捨て置くのが得策、そんな判断を下した。そして、フランドールの監視を続行するつもりらしい。完全に気配が消え去って白蓮がようやく一息つく。

「ハラハラさせんな! 馬鹿か! ここで死ぬつもりか!」
 いきなり頭を小突かれる。ぬえが怒声を上げているが、瞳が濡れている。

「心配かけてごめんなさい。でも、レミリアさんならかならずわかってくれると思っていました」
「お前は悪魔すら信じるのか!!!」
 この後、ひたすら謝る白蓮に必死に悪態をつくぬえという構図が一時間も続いたのである。

……

「ねぇ、美鈴、早速で悪いけど気で獲物を探してもらえる?」
「いいですよ。どこから始めますか?」
「? どこから? ……ちょっとまって美鈴、一気に幻想郷全体を観察できないの?」
 美鈴がフランドールの要求に諸手を挙げて降参した。いくら何でも要求が厳しすぎる。せめて、区画毎、妖怪の山だったり、人里だったり、このぐらいの範囲でなら気で探索できるのだが、一挙に幻想郷全土は無理だ。

「済みません。流石に想定外です」
「む~、そんなに難しいの?」
「少し区画を絞りましょう。迷いの竹林ぐらいの広さなら探索が可能です。まあ結界がなければですがね」
「う~ん、わかった。結界があったら教えて、私がぶちこわすから、じゃあ早速だけど迷いの竹林から行こうか」
 美鈴が先行し、おとなしくフランドールがそれに付いていく。二人の間にはとてつもない速度差が存在するため仕方ない判断だろう。
 十分ほどかかって迷いの竹林に到達する。

「さあ、始めましょう」
 ゆっくり気を練る。そして静かに流す。違和感を感じればそちらに強く流してさらに細かく探る。
 そんな様子をフランドールは見ている。
 ふ~ん、なるほど、簡単だ。魔力でも同じ事ができる。今度試してみようか。

「今、試そうと思いましたね? 絶対にやめてください」
「凄いね。わかるんだ? でもどうして? 私の方が範囲を広く一気に探索できるんだけど?」
「魔力を草も揺らさずに放てるようになったらお願いしますよ」
 ちょっとフランドールが考えている。大木をなぎ払うようにだったら楽勝でできると思うのだが……草も揺らさず、タンポポの綿毛が散らないような魔力の拡散方法は知らない。
 美鈴の説明では今の自分が魔力を放つと、辺り一面の環境が一変するそうだ。
 反論はできなかった。自分がやったらぺんぺん草も生えないだろう。
 ちょっと美鈴がうらやましい。丁寧で繊細な力の使い方ができる。大胆且つがさつにだったらいけるとは思うが、ああいうのは無理だ。

「ねえ、美鈴、今度それを教えてくれる? チルノも見つけられるよね?」
「いいですよ。是非、覚えてください。かくれんぼなら圧勝できるようになりますよ」
 美鈴は笑ってこっちを見る。そうやって姿勢を崩しても、美鈴からあふれる気は変化を続けている。
 こういう難しいことが片手間でできるようになるまでもっとかかるんだろうな。
 今はしっかり美鈴の技を見せてもらおう。
 フランドールはおとなしく美鈴の探索の結果を待つ。
 探索の結果は単純明快なものだった。

「……妹様、迷いの竹林にはいません。一応調べられなかった場所はあるんですが」
「あ? もしかして永遠亭? ん~、あそこはいいよ。なんとなく永琳が怖いし、それにあそこは禁猟区みたいなものでしょ?」
「その通りです。それでは次にどこに行きましょうか?」
「人里にする」
「……仮に見つけられても手出しできませんよ?」
「ん、それもわかってる。大丈夫だよ。いたら美鈴追い立ててくれるんでしょ? 人里の中なら手出ししないよ。チルノちゃんとの約束の手前もあるし、出すとしたら人里の外かな」
 フランドールとの約束の手前、役目は果たさないといけない。ただ、犯人が人里にいたらやっかいだ。
 下手に騒がれたら八雲 紫が来る。自分だと太刀打ちできない。……そういえば、犯人は私の手に負えるぐらいの実力だろうか?
 犯人像は大体わかっている。仙人の一派だ。しかし、どいつもこいつも手強い。そして連中は仲間意識が非常に強い。戦いになったら仲間を呼ぶだろう。一対一に持ち込める可能性はあまりに低い。

「どうしたの? 美鈴?」
「ああ、いえ、大したことはありません。ちょっと、猟犬を名乗り出たのはいいけど、相手が強かったらどうしようなんて考えてました」
「あ、そうだね。多分美鈴より強いと思うよ」
 あっけらかんとそんなことを言わないで欲しい。気が重くなる。
 誘い出せもせずにぼろぼろにされたら、フランドールはどうするだろうか?
 
「大丈夫だよ。多分だし、それに私、相手の全力は見たけど、美鈴の全力知らないから」
「妹様、あの、私、全力を見せてますよ?」
 特に壁に叩きつけられたときなんかは技量のすべてと全体力をつぎ込んでいる。それでも身動き取れないほどのダメージを受けた。

「そう? 本当に? 命を振り絞るほど?」
「何回か寿命を削った気がします」
「そっか、じゃあ相手の方が強いよ」
 ごくあっさり断言された。

「……あの、妹様、もし、仮に誘い出しに失敗したら?」
「うん? あー、そのときはどうしようか? 相手も美鈴よりは強いし。死んでも頑張ってとか言うつもりはないし。
 うん、そうだ。私がそいつに張り付くよ。多分見失わないし。待つってのも狩りの楽しみだよね」
 こういう無理強いをしてこないところはレミリアより優しいと言ったらいいのだろうか?
 フランドールが人里を指さして誘う。まあいいか。何があろうとも人里でフランドールが力を振るう気が無いのなら。
 人里は雑多な気がうごめいている。時折大きく感じるのは慧音だったり、赤蛮奇とかの人里の妖怪……結構、人と妖怪が入り交ざっている。
 その中で仙人のような気を探す。
 何だかヤバイ。探索に気がついた奴が居る。しかも気配が他の連中とは桁違いだ。そんな奴がこちらに向かって方向転換している。

「妹様、済みません。逃げましょう」
「えっ!? どういうこと?」
「萃香さんクラスの相手がこっちに向かってきています」
「萃香級? 居るの? 人里にそんな奴が? もしかして白蓮?」
「違いますね。人から妖怪になったって言うより、妖怪から人になったような気配の奴です。離れましょう。感づかれてすぐやめたから、まだ方角しかわからないはず」
 二人でそそくさと場所を移動する。
 しばらくして、フランドールが移動をやめた。

「美鈴、ダメみたい。追いつかれるよ」
「!? なぜ、追跡ができる?」
「う~ん、私を追いかけているみたい」
「その通りですよ」
 声だけが届く。フランドールが振り返ってみれば遠くにピンク色の髪をしたひと形がみえた。

「声飛ばしですよ。天狗の遠吠えって奴です。それより何を探しているのですか? 回答次第ではあきらめてもらいますよ」
「凄い! 私、こういうの知らない。かくれんぼに最適だよ!!」
「妹様、こんな技をかくれんぼにつぎ込まないでください」
「……かくれんぼ? 貴方たちは鬼役ですか?」
 声の主が立ち止まる。そうして言動を確かめるために美鈴の目の前で大きく気を広げる。とんでもない範囲だ。そして隠れているレミリアをも感知する。
 それだけで納得したようだ。姉妹のかくれんぼなら邪魔をするのは無粋極まる。

「……なるほど、かくれんぼ……、お騒がせしました。ただ、あまり他の人をびっくりさせないようにお願いします。それと、なるべく早く相手を見つけるように」
 それだけ言ってきびすを返すと本当に人里に戻ってしまった。
 二人で、首をかしげる。

「何を納得したのか?」
「私にもわからないよ?」
 考えても仕方ないので狩りを続行する。

「妹様、もう一度、人里を探索しましょう。先ほどの邪魔で半分も見れなかったので」
「うん、もう一回やろう。それにしても凄いね。もしかして、太陽の畑でやったら幽香さんが来るかな?」
「十中八九来るでしょうね」
 みんな凄いな~。なんて言いながら、もう一度人里を探索させる。
 今度は先ほどのような邪魔は入らない。むしろ、探索する気に合わせて相手の気が小さくなった。索敵範囲が広がる。そして――。
 
 いた。

「妹様、見つけました。場所を覚えましたよ」
「そう。じゃあ美鈴追い立ててもらえる?」
「いいえ妹様、これなら一度、目視で確認してもらえませんか? 遠目に見てもらえれば十分ですから」
「あ、ごめん、顔知らない。においだけしか知らないよ」
 美鈴がため息をつく。それなら仕方ない。
 誘い出す場所について打ち合わせる。人里からまっすぐ紅魔館に向かう道に誘い出す。そして美鈴は目的の人物がいる場所に向かっていく。
 到着したのは居酒屋の前、深夜でも営業している。人里一番の人気店だ。ためらいもせずに入っていく。
 中身は妖怪が多い。人間で騒いでいる奴もいるけど、まあいい、対象の人物は店の奥にいる。

 人影を確認する。物部布都――さて、どうやって人里の外に誘い出そうか。
 居酒屋なのだから酔っ払って近づけばいいか? 財布を確認する。
 切ない、調子に乗ったらあっという間に終わりだ。……ん? そうだ。一緒に店から、たたき出されるのはありかもしれない。

「屠自古~、どうしたらいい? まさか、あの状態で我よりも強いとは思わなんだ」
「その話はもう十回以上聞いたぞ……全部自業自得、神子様に迷惑かけるぐらいなら死ね」
「そんな~、屠自古~、見捨てないでおくれ~」
「ダメ親父か。とにかく、ほとぼりが冷めるまで絶対に人里から出るな。後、こちらにも来るなよ。下手に悪魔に勘ぐられたらまずいしな」
 無情に布都の事を切って捨てて、屠自古が店を出て行く。
 美鈴はそれを傍目で見ながら店主と相談している。先に代金を払い、酒を飲む。酔って分けわかんなくなるから、追加を頼んだ時点で、そのままたたき出して欲しいと言うものだ。

「美鈴さんだったけ? あんた腕力凄いんじゃないのか?」
「ですから、あそこの人に頼んでください。仙人様ですからね。私ぐらいならあっという間ですよ」
 難しそうな顔をしている店主に、財布を渡す。先ほどの美鈴の注文で、中身はとんとんだ。
 「次はしませんよ。皆に気持ちよく飲んで欲しいんで」との言葉に笑顔で感謝する。

 しばらくして、顔を赤くした美鈴が銚子を片手に酒をねだり始めた。
 ちょっとした騒ぎになる。店主としてはわかっていたから対処が早い。布都にたたき出すように依頼する。

「えっ? なんで我が?」
「腐っても、人間なんかより強いんですよあの人は。ここは穏便に一つお願いします」
 店主の困った顔の前に、暴れそうな妖怪を放っておけるわけでもなく、無理矢理、美鈴を引き摺って店の外にたたき出す。
 酔ったまま美鈴が「やんのか こら」と舌も回らない状態で挑発して悪態をつく。
 ごくあっさり頭にきた布都が、勘定を払って人気の無いところに移動する。全部美鈴の計算通りだ。

「お前程度の妖怪退治なんぞ憂さ晴らしにもならんが――」
「ああ、そうでしょうね」
 ちょっと布都が驚く。へべれけになっていたはず……。
 驚きに答えるように美鈴が続ける。

「失敬、少し酔った素振りで誘い出させていただきました。向こうでフランドール様がお待ちです。来ていただけますよね?」
 布都の顔が一気に白くなる。

「ふ、フランドール? なぜ、我は何も」
「フランドール様に怪我をさせたでしょう? ダメですよ目立つことしちゃ」
 美鈴が構える。このまま一気に里の外まで連れて行く。全身を気で覆い、そのまま全力の体当たりそして相手を引っかけたまま走り抜ける。

「くそっ、放せ。ここは人里だぞ? 力を使ったらただじゃ済まんぞ!」
「だから私なんですよ。気で素の力を上げてしまえば、他の人には感知できないでしょうね」
 人里の外まであと少しというところで、雷に打たれた。二人ともススで汚れる。

「屠自古~もちっとましに、我を避けて撃ってくれ」
「あれだけ密着した状態じゃ無理だ」
 屠自古と言われた幽霊が上から降りてくる。いつ仲間を呼んだのか?

「悪いね。上から監視させてもらっていた。性根が腐っていても一応、念のため、億に一つ仲間だからな」
「そんな――酷い言いぐさじゃ」
「お前が私の術を邪魔したのを忘れたわけじゃないぞ」
 ぐうの音も出ない布都をおいて美鈴が笑っている。

「手遅れです二人とも」
 美鈴の言葉に慌てて振り向いた二人を暴力的な魔力が襲う。思わず二人が気圧されてフランドールのいる方向に逃げ出した。
 美鈴の後ろからレミリアが出現する。

「お嬢様、人里でそれはまずいんじゃないですか?」
「ハッ、そんなことを気にする私じゃない。いいか、これでも大人しく待っていたんだぞ」
「紫さんが来ますよ。それに多分茨木さんも」
「構わん。それよりお前はフランの補佐に行け」
「いいんですか?」
「行け。お前がフランドールを止められないなら他の奴を探すだけだ」
 レミリアの話を自分流に解釈するなら冷たいってのとは違う。わずかに期待しているような口ぶりだ。
 大人しく頭を下げて逃げた二人の後を追う。

「ぜっ、はっ、ま、まさかレミリアが来ていたなんて」
「こ、これは人里には簡単に戻れないぞ。どうする?」
 屠自古の問いに答える間もなく、唐突に視界から布都が消える。
 瞬間移動の術なんて知らないはずだが?
 嬌声がいきなり鳴り響く。

「あ~これだ。この匂い。この人だよ!」
 屠自古があたりをゆだんなく見渡して恐慌状態に陥る。
 声はするのに姿が見えない。

「ねぇ、まずどこからいこうか? 頭やっちゃうともったいない気がするし、お腹も一発で壊しちゃいそうだから……足からいってみよっか?」
 悲鳴が聞こえる。
 それと面白そうな子供の笑い声、「気絶したらすぐおこしてあげるからね」、内容を想像しただけで戦慄する。
 ようやく美鈴が駆けてきた。

「スト~ップ!!! 妹様!! バラバラにしてはいけませんよ」
「え~っ!! これからが面白いのに、美鈴にもあげるよ。頭はダメだけど体だったらあげるよ。大サービスだよ?」
「いいえ。妹様! 違うんですよ。狩りの獲物を見せびらかすって言うのも大事です。ほらレミリア様にも初狩りの獲物を見せてあげないと」
「あ~姉様か、確かに見せてあげたい。私でもちゃんと獲物を捕れたよって自慢したい」
「それに、そいつに自分の意思でチルノちゃんに土下座させないと」
「あ そうか、美鈴、ちょっと興奮して忘れていたよ。それは大事だよね」
 屠自古がようやく上を見上げるとフランドールが楽しそうに降りてくる途中だった。傍らには気絶した布都を抱えている。
 足は二本ちゃんと付いている。

「あ、ふ、フランドールさん。あの……そいつを返してはもらえないだろうか」
「え? なんで? 私の獲物なんだけど?」
 本心からきょとんとして屠自古をみる。

「か、仮にも仙人の仲間で勝手に見捨てるわけには――」
「あきらめてもらえないかな?」
 フランドールはいつもの調子で答えている。こうしていれば無害そのものなのだが、獲物と称されたものを手放す気配はない。

「下手をしたら、仙人達と紅魔館で争いに――」
「それは全部私が相手をするよ。こんなことで姉さまの手を煩わせたくないし、仙人だっけ? まとめてかかってきてよ。そっちのほうが面倒少ないから」
 屠自古がフランドールを見ている。こちらが総出で討ちに行って返り討ちの可能性が普通に存在する。そして仮に倒せたとして今度はレミリアが来る。大損害を被るのはこちらだ。

「どうしたら、こいつを許してもらえるだろうか……」
「許す? 勘違いしてない? 別に怒ってないよ? むしろ楽しみだよ。手加減の実験台にして、生命力の強さをたしかめてさ。最後は欠片も残さず食べちゃうからさ」
 フランドールの目はうきうきとしている。これからたくさん勉強する。食事もする。命の価値を、力のふるいかたを、身につける。楽しくないわけがない。

「妹様……一度、紅魔館へ戻りませんか? チルノちゃんのことは明日にして、まずはレミリア様に獲物を見せてあげたらどうですか?」
「あ、そうだね。美鈴、じゃあ先に帰るから、後始末をお願いしてもいいかな?」
「ま、待ってくれ、私の話は終わって――」
「そいつの話も聞いといてね」
 屠自古の言葉はフランドールには届かない。ふわりと浮くとあっという間に姿が見えなくなった。

「ぐっ、こ、ここまで話が通じないとは思わなかったぞ」
「それはそうですよ。あの姉妹はけた違いですからね。住んでいる世界が違いすぎる。おおよそ“普通”の感覚なんてものは持ち合わせていません。
 それで、どうします? まだ、布都さんを助けたいですか?」
「助ける? もう無理だろう。それとも可能性があるのか?」
 美鈴が笑う。

「まあ、ないわけでもないぐらいの可能性ですがね」
「聞かせてくれ、その可能性を」
「では、一緒に紅魔館までおいでください」
 美鈴の手引きで屠自古を紅魔館へ誘う。
 紅魔館ではなぜかズタボロのレミリアが息切れしながら椅子の上で威張っている。フランドールが引きずり出した獲物を品定めしている。
 その隙に美鈴と屠自古が作戦を立てる。

「布都さんが生きていられるのは明日の夜まででしょうね」
「それまでに何とかしたい。早く可能性について話してもらえないだろうか」
「簡単ですよ。フランドール様が楽しめればいい。命を奪うことよりも楽しいことを提供する。それがあなたに提供できますか?」
「あの吸血鬼が楽しむこと?」
 屠自古がフランドールを思い返す。
 犠牲者十人ぐらいとなら引き換えられ……だめだだめだ。いいアイディアなんて出てこない。大体、あいつの楽しむことなんて出てこない。好きなことだって知らないのだ。

「フランドールさまの嗜好ですか……せっかくですから聞いてみます?」
「……! そんなあっさり聞けるものなのか?」
「聞けば教えてもらえるぐらいには仲がいいつもりですよ」
 そういって、美鈴が席を外す。
 美鈴はフランドールの部屋に行く。フランドールの部屋は地下だ。
 元々軟禁されていた部屋をそのまま使っている。
 地上区画と地下区画では紅魔館の様相がことなる。
 薄暗く、冷たい石畳、そしてすすり泣く声……こんな声あったかな?

「フランドール様、失礼しますよ」
「あれ、美鈴? 何の用?」
 開けた扉を慌てて閉める。今のがレミリアなら真っ二つにされていた。着替えの最中だ。
 扉越しに話をする。

「……着替え中に済みません。あの、フランドール様が好きなことを聞きたくて」
「ん~、好きなこと……姉さまと遊ぶ事! あと、チルノと遊ぶ事! ほかには……そうだね……狩りは面白かった! それと、かくれんぼ! バル一ンファイトも面白かった! 駅伝はねぇ……半々かな」
 美鈴がその話からフランドールの楽しみの根本を探す。
 そうだ、逆につまらなかったことは?

「つまらないこと? う~ん、楽しいことなら覚えているけど……、んー、つまらないことねぇ。……私が本気を出そうとしたときにドン引きされるとさすがにムッとくるなぁ。たとえどんな遊びでもね。あ~そうだ、魔理沙や霊夢との弾幕ごっこは面白かったよ。二人とも二度とやらないって言ってたけど、わたしはもっとやりたいな。そうだね。私が全力を出して、それに答えてもらうのが一番楽しいかな、それに私が勝てれば最高だと思うよ」
 美鈴が難しい顔をしている。全力を出されたら対戦相手が死ぬ。
 
「ねぇ、美鈴。せっかくだから髪をとかしてくれない? 私、あいつ(咲夜)に触られるのって嫌でさ」
「私より咲夜さんのほうが上手いですよ」
「今日は美鈴がいい」
 仕方なしに扉を開ける。そして閉じる。

「服を着てから呼んでください!!」
「ぶっ、ふふ。そうだね美鈴、でも私は楽しかったよ。そうちょっとした、こんなからかいでもね。本気で焦った顔、面白いよ。参考になった?」
「ええ、参考になりました。ではこれで失礼しま――」
「あ、待ってよ。髪をとかしてほしいのは本当だからさ。
 ……いいよ。美鈴、入ってきて」
 美鈴が扉を開けてフランドールを確認する。さっきと何ら変わらない。下着姿……前を向いているか後ろ向きかの違いだ。

「服を着ろ……じゃない。着てください」
「ふ~ん、地がでたね。でもいいよ、このままでさ。美鈴をもうちょっとからかいたい」
「……失礼しました。では髪は自分でとかしてください」
「あっ、そう来る? じゃあ、命令するよ。断れないよね?」
「からかうのなら相手にしませんよ」
「ふ~ん、美鈴、布都さんを助けるんじゃないの?」
「っ……! かまかけですか?」
「そうだよ。珍しくも私の部屋に来たからね。でも、わたしとしては“こんなもの関係なく”いつも来てほしいな」
「……からかう気ですね?」
「そうだけど? 毎日楽しそうでしょ? ねぇ美鈴、命令、“私の髪をとかせ、毎晩” こうに言わないとダメかな?」
「じゃあ寝間着を着てください。そうすれば命令関係なくとかしますよ」
 部屋の中でため息が聞こえる。ガサゴソと箪笥を開ける音がする。“いいよ”との言葉通りに入れば今度は寝間着姿だ。
 手にくしを持って髪をとかす。

「美鈴、布都さんを助けたいって本気?」
「私は半分ぐらいですよ」
「ふ~ん、じゃあ。あいつか、そう、布都さんの隣にいた人……名前出てこないや。とにかくそいつのお願いかぁ」
「ええ、そうです」
「美鈴、“私の好きなこと”を聞いたのはなぜ?」
「ふふ、フランドール様だったら楽しいことであれば取引するかなと思いまして。布都さんが実験台になるよりも面白いことを提供できたら、フランドール様はそれでも実験台にしますか?」
「あはっ、それなら実験台は無しだね」
 美鈴が笑う、思った通りの反応だ。

「妹様、少しだけ時間をくださいませんか? その間に楽しいことを探しますので」
「いいけど? 門番をどうするつもり?」
「少し屠自古さんに頑張ってもらいますよ」
「ふ~ん、屠自古さんっていうんだ。あの人……へ~。
 じゃあ、その屠自古さんに伝えてきてよ。布都さんがいれば面白いことが、楽しいことがあるって証明できたらいいよ。手放す。キャッチアンドリリースって奴ね」
 美鈴が微笑んでいる。やはりフランドールは幼い、自分の手で起こることが、全体がまだ把握できていない。でも、こういうことが身についたらきっと……。

「え~っと、そうそう期限はそうだね。三日かな」
「……ちょいと短い気がしますが」
「ごめんね。でも楽しさを待てるとしたら私の我慢の限界はこのぐらいなの。あと、明日は布都さんに土下座してもらうよ。チルノちゃんの前でね」
「わかりました」
 髪をとかし終えると、頭を下げて部屋を出る。
 すすり泣く声はつぶやき声に代わっている。
 “怪物につかまった……化け物……死”―― 聞いていてあまり心地よいものではない。
 音源は布都と決まり切っている。薄暗い牢屋の奥で首に縄をつながれてたわごとを繰り返している。
 まあ、自業自得だから助ける気にならない。
 自室では屠自古が今か今かと待ち構えていた。

「結果はどうだった?」
「期限を三日後に引き延ばしてもらいました。その間に布都さんがいれば楽しめることがあると示せれば解放するだそうです」
「あ、ありが――」
「私の協力もここまでです。フランドール様が楽しめることはご自身が全力で遊べること……そして相手も全力であること、これ以外にない。ぜひあなたたち自身で、フランドール様を夢中にさせてあげてください」
「なっ? なに?」
「正々堂々と真正面から答えてあげてくださいね」
 ちょっと意地悪だろうか? フランドールはかくれんぼだって楽しいと断言している。しかしこんな言い方したらとらえ方を間違えるかもしれない。でもかくれんぼを教える気はない。楽しいことは自分たちで見つけてきてほしい。
 美鈴自身もこんなことで手を煩わされて腹が立っていたというのが本音である。

「これから先は自力で頑張って下さい」
「もう少し手伝ってくれても」
「もともとはそちらのまいた種ですよ。それに強かったからよかったものの、フランドール様がね……大怪我以上、再起不能においこまれてたら……ね。力及ばずながらかたき討ちをしてましたよ」
「ぐっ、すまない。甘えすぎていた」
 屠自古はすごすごと紅魔館から出て行った。
 ヒントは与えた。時間も稼いだ。もう自分の管轄外だろう。あとは自力で頑張れるだけ頑張ってほしい。
 一人きりの部屋で肩をほぐす。いまさらのようにフランドールによる加速のダメージがぶり返してきた。
 ふぅ、あとはお風呂入って寝よう。永琳さんの領収書に利子がついてないといいなぁ。
 湯船につかって体を伸ばす。
 まあ自分にできることは全部やったか。
 風呂上りにありえないが、“か弱いフランドール”について妄想してみる。
 あのレミリア様の妹で、か弱く、病弱……ないな。
 明日……もう時間的に今日だが、日が昇ったら永遠亭だ。骨のヒビと脱臼を診察してもらおう。
 自室に戻って布団を無造作にめくる。

「美鈴、寒い」
 言動を理解するのに、そこにいるはずのない生き物がいて硬直する。

「どうしてここに?」
「いいじゃない、そんなことは。それとも何? くる理由がなければ来ちゃいけない?」
「あ……そんなことはないのですが」
「じゃあ、いいじゃない。今日私は、誰かのところでお泊りしてみたい」
 フランドールの笑顔に押し切られて一緒に布団に入る。
 ……眠れねぇ、無理だ。寝返りを無意識にフランドールにかましたら死ぬかもしれない。

「美鈴、まだ起きてる?」
「……何ですか」
「私って弱いほうがよかった?」
「……そんなことを何で聞くんです?」
「……上手いね、美鈴。答えをはぐらかすのがさ。でも私はあなたの本心が聞きたい」
 布団の中でしがみつかれる。まずい、逃げるどころの話ではない。
 疑問形の応答で答えを誘導しようとしたがそれも見破られた。

「私が望んだ私の答えは私が知ってる。だからあなたの望む私の姿をこたえてほしいな」
「時間をくれたりはしませんか?」
 フランドールの締め付けが強くなる。

「ヤダ、今聞きたい」
 美鈴が思考を巡らせる。
 あと三十秒で肋骨が逝く、一分あれば背骨も逝く、二分で自分自身が逝ってしまう。
 気でこらえようとする。遠慮、気兼ねなしに力が上がる。
 ダメです。死んでしまいますよ!

「しょ、正直、弱いフランドール様は思いつきません」
「答えになってない」
 ミスった! 今、肋骨がギリギリ悲鳴を上げてる。次の答えが違ったら肋骨が逝く、同時に骨が刺さって肺が逝く、呼吸困難で回答不能、三途の川の向こう側まで逝ってしまう。

「私にとって……一番うれしいフランドール様の在り方は……普通です。ごくふつうの女のこ」
 ダメだ。息を吐いたら吸うことができない。酸欠になる。
 もう無理、限界だ。すみません妹様、手をかける無礼をお許しください。
 最後の反撃の力をこぶしに集めたところでフランドールが拘束を緩める。

「普通って何? 姉さまぐらいのこと? それともチルノぐらい?」
「ぜっ、はー、あ、あふ、はー、チルノちゃんぐらいのほうが近いです」
「それは弱いほうがいいってことだよね?」
「ふ、はー、すみません。弱いの意味を取り違えていました。病弱って意味かと思っていました」
 フランドールは昔を思い出そうとしている。しかし……

「美鈴、私、風邪とかひいたことないからわからない」
「健康でいいことです。私の言っているふつうはそういうことですよ。元気に外を飛び回って、みんなと遊んで“おなか減ったよ~”って帰ってきてくれればそれでいいです」
「それだけ?」
「普通っていうことはそういうことですよ。ただみんなで騒いで笑って、たまに冒険して、そして帰ってくる。けがも病気もしないで、です」
「じゃあ、私普通になる。なりたい。普通がいいよ」
 フランドールは真剣だ。声だけでそれが伝わってくる。布団で顔が見えないが、今までこんなことなかった。結果として話している内容がそのままフランドールの心配事そのものだろう。

「どうしたんですか? 今までそんなことなかったですよね」
「うん」
「わけを聞いてもいいですか」
「うん」
 美鈴がフランドールの回答を待つ。きっと大切なことだから時間がかかる。あっさりと、ぺらぺらとしゃべりだせることならこんなことしない。

「……あのね。あいつがね。私のこと化け物だって、怪物だって言うの」
 ……それは私も思っていますよ。口に出さないだけです。

「あいつって誰ですか?」
「さっき捕まえた奴、布都」
 それだけで、こんなことを? 意外とメンタルが弱い?

「ねぇ、私わからないの。姉さまは笑い飛ばしていたけど、私……面と向かって言われたの初めてだったから」
 確かに面と向かってフランドールに「化け物」と言ってしまえる者は中々いないだろう。

「何がわからないんですか?」
「化け物ってさ、怖くて、みんなに相手をしてもらえないんでしょ?
 怪物もそう。強くて、怖くて、怪物以外に仲間はいない……姉さまは同じ吸血鬼だけど……姉さまには咲夜とパチュリーがいる。
 ねぇ、なんだか怖い。姉さまという吸血鬼しか仲間がいない私は?
 私という吸血鬼は……この家で怪物なのかな」
「家の外にはチルノちゃんがいるじゃないですか」
「……そうだね」
 ……なんとなく答えを間違えた気がする。
 沈黙が怖い。

「……ねぇ、美鈴。……私はどこで寝ればいいと思う?」
「どこでも好きなところで寝ていいと思いますよ?」
「じゃあ、今日はここで寝る。美鈴の胸の中がいい」
 完全に体を丸めて潜り込まれた。手の出しようがない。
 反論は……やめておこう。今日のこの感じでは受け答え方がわからない。きっと地雷を踏んでしまう。

 窓の外が明るくなっていく。結局一睡もできなかった。寝息がうるさいってこともなく、寝相で振り回されることもない。それでも意識が落ちなかった。
 やれやれ、緊張して眠れないなんていつ以来だろう。昼寝……咲夜さん許してくれないかなぁ。大体、侵入者なんていないし、いればいたで犯人わかってるしなぁ。
 フランドールを起こさないようにそっと布団から出る。カーテンをいつもより深く閉ざして部屋を後にする。
 伸びをしてストレッチ、やっぱり脱臼した肩とひびの入った腕が痛い。
 咲夜さんも寝てるだろうから、日が完全に昇ったら声をかけて、昼一で永遠亭に行って……そうだ、そこで寝よう。
 我ながらナイスアイディア、病院が混んでたと言えばいいし、まあばれないだろう。

「何をにやついている?」
 レミリアの声に「あんた寝てるはずでしょ?」との言葉がうっかり口から出してしまいそうだった。

「おはようございます。レミリア様」
「朝の挨拶はいらんぞ。それより、美鈴、フランドールはどんな様子だ?」
「なんでそれをご存知かはさておいて、熟睡されてますよ。日は当たらないようにしておきましたよ」
「熟睡か……フランドールはだいぶお前が気に入ったようだな」
「はぁ!?」
 思わず頓狂な声を上げると同時にレミリアに口を押えられた。

「馬鹿、フランを起こす気か? 話があるから私の部屋まで来い」
 口答えを許さない雰囲気でレミリアが自室へ向かっていく。
 こんなことしてる暇ないんだけどなぁ……美鈴はあきらめて追従するほかなかった。

「夜、何を話していた?」
「ご存じなのでは?」
「流石に妹のプライベートには考慮するさ。だがお前にはない」
「……私も妹様のプライベートがあるので細かくは話せません。
 言えるのは自分自身の在り方で悩んでおられたということです」
「悩む……か。そういう時期ってことか」
 レミリアは一人で納得している。そしてレミリアの中で知りたい情報はもうすでに手に入れたらしい。手振りがあっちへ行けと言っている。
 おとなしくレミリアの部屋を出る。
 昨日のことを思い返してみる。……そういえばフランドールが“悩む”ということをしたのは今回が初めてかもしれない。
 今までは、問題があれば考えていた。考えた結果、一つの答えを出す。
 悩むってのは違う。答えが二つ以上あるのだ。だからどれを取ったらいいかわからない。考えた結果は出ている。問題はどの答えが最適解なのかということだ。
 そして一番重要なのはそれを私に聞いてきたことかもしれない。初めてフランドールの中に相手という枠組みができた。
 レミリアやチルノといった“自分たち”という一心同体で行動できるカテゴリーじゃない。
 いても目に入らないただのその他という枠からようやく、意識して他人を“相手”として扱い始めた。
 そうか、私が知らない間に心が成長していたんだ。
 もう、前みたいに癇癪は起こさない。あってもごく少ない回数で済むだろう。
 適当に話を流すってことはこれからやめよう。その他という扱いがなくなったのだから。

 レミリアが起きていれば、咲夜は当然の如く起きている。今日永遠亭に行くことを告げる。

「咲夜さんからレミリア様に話しておいてもらえますか?」
「ん、折を見つけて話しておく。それより美鈴、昨日は妹様と何をしていたの」
「ちょっとした話をしてました。あとはそのままお休みになられてましたね」
「あなた、まさか妹様を椅子に寝かせたんじゃないでしょうね?」
「いえいえ布団の中でしがみつかれて――」
 言葉の途中で、異変に気付く。咲夜さんの瞳孔が揺れている。信じられないことを聞いて驚いているようだ。

「布団の中でしがみつかれた?」
「そのままなすすべなくです。大変でしたよ。骨が折れる寸前まで行きましたからね」
「美鈴、もう一度聞くけど、布団の中でしがみつかれたの? つまり、一緒に寝たの?」
 咲夜さん、もしかして気が動転してませんか? いつもならすぐ理解してくれる立ち話を反芻している。
 この後、どうやって部屋に来てもらったのかを執拗に聞かれ、解放された時には、朝食もとっていないのに十時を過ぎていた。

……

「災難だったわねぇ」
「本当にシャレにならないですよ」
 肩には湿布、腕には薬がしみ込んだ包帯を巻いている。永琳の診察が終わり、今は最後の問診だ。

「咲夜さんにも色々たまってるものがあるんでしょうよ」
「いや~、それでも根掘り葉掘りいろんなこと聞きすぎです。しかも、ただの立ち話で時間を止めようとしたりするし、こっちは寝不足なのに……
最後に“一日だけ入れ替わりましょう”と言われて、思い止まらせるのが、もう大変でした」
「元気があっていいじゃない」
 永琳が問診の結果に睡眠不足、軽度のストレス有と書き込んでいく。処方箋は軽い睡眠薬だ。

「はいこれ、二時間で目が覚めるから。ベッドは空いてるし、寝ていきなさいな」
「流石ですね。でも私としては五時間ぐらいでもいいんですが」
「えっ~と、確か怠惰に効くのは、何だったかな? “シリタタキ”、“ボスニレンラク”……そうだ。“サクヤコール‐ソク”が一番いいかな?」
「その“物理処方箋”は絶対にやめてください」
「効き目はばっちりなのにね」
 おとなしく薬を飲んで病室のベットを借りる。
 ……徹夜して二時間しか寝られないなんて……そうだ、帰りに人里によって時間をつぶそう。

……

 ふと顔を上げる。
 すごいスピードで訪問者が来た。しかし、目当ての人は今話せない。それに騒がれても困る。
 それに遅れる形で室内を走ってくる音が聞こえる。
 鈴仙が勢いよく診察室の扉を開けてきた。

「申し上げます!!」
「フランちゃんが来たでしょ? ここ(診察室)に案内なさい。
 あと、仮にも私の弟子なら病院内で走るな」
 鈴仙は一礼するとすぐさま折り返す。人の話を聞いていたのかと心配になる。また走っていった。
 そして今、目の前にはフランドール、案内してきた鈴仙はそそくさと逃げて行った。

「ねぇ、さっそくで悪いんだけど美鈴、連れていきたいんだけど」
「ごめんなさいね。あと三十分は起きないわ」
 永琳が見たフランドールはたたき起こそうかどうかを迷ったようだが、待つってことを選択した。

「ふふふ、ずいぶん変わったのね。どう? お茶でも……あ、緑茶だけどね」
「緑茶……永琳ありがとう。いただくよ」
 二人でたわいもない話をする。
 美鈴のこと、狩りのこと、三十分なんてあっという間だ。

「ああ、そうだ。もう起こせるはずだから、手をやさしく握って起こしてあげてね。起きたら怠惰の薬だっていえばわかるから」
「怠惰の薬?」
 首をかしげながらフランドールが美鈴のもとに向かう。

 きれいな寝息が聞こえる。
 布団の中に手を入れて優しく包む。
 温かい。やわらかいし、気持ちよさそうな寝顔に誘われてこっちも眠ってしまいそうだ。

「……ん。だれ――!?? げっ!? い、妹様!?」
「あ、おはよう美鈴。よく眠れた? さっそくで悪いんだけど、あの……チルノを探してほしいんだけど」
「え? あ、はい。わかりました」
 寝起きの頓狂な言葉を無視してフランドールが要求する。
 美鈴はあわてて着替える。あまりこんなことでフランドールを待たせられない。

「妹様、準備完了です」
「ん、分かった。じゃあ最初は人里に行こう」
 美鈴が頷いて人里に向かう。
 昼間の人里には夜なんかよりも複雑に気が絡み合っている。そして目当ての人物がいたとしてフランドールでは探しきれなかっただろう。
 今、フランドールは日傘を片手に美鈴の探索の結果を待っている。

「……見つけました。多分この位置なら寺子屋ですね」
「そっか……建物内だとさすがにのぞけなかったからなぁ。美鈴、ちょっと布都さんを持ってくるから。ここで待っててくれる?」
 いうが早いかフランドールが掻き消える。
 わずか五分後に連れてこられた布都は想像の通りというか、加減速で死にかけている。

「美鈴、悪いけどここまでチルノちゃんを連れてきてもらえないかな」
「……妹様、まずチルノちゃんの予定を聞いてきますよ。寺子屋で休憩時間につれだしますから」
「ん、それでいいよ」
 布都はただ震えている。襟をつかまれて振り回された。それだけで半死半生……この後、謝ったら、また同じ揺さぶりがかかる。
 さすがに気の毒だ。せめてチルノはゆっくり連れてこよう。
 普通に歩いて寺子屋につく。
 寺子屋の中の声は授業中……算術か。
 戸を叩いて教師の意を引く。

「すみません。慧音さん。チルノちゃんを借りれますか?」
「……授業中だ。あとにしてもらえないかな」
「授業の切れ間は?」
「あと十五分やって十分休憩、そのあとは国語だ。そのあとなら自由時間になる」
「では十五分後、休憩時間にお借りしますよ。そんなに時間は取らせませんから」
「……わかった。チルノ、休憩時間になったら、美鈴さんのところに行きなさい」
 「えっ~」とあまり好意的でない回答を得た。そんなチルノに美鈴は頭を下げてお願いして一度立ち去る。
 十五分なら、フランドールの元を往復できる。ちょっと話して戻ってくればいい。

「もう少しで休憩時間なので、連れてきますよ」
「うん。わかった。それにしても算術か~、どういうことやってるんだろう?」
「今度、見学されてみます?」
「う~、どうしようか。周りを圧迫しないなら見てみたいな」
「慧音さんに話だけは聞いてみますよ」
 これだけ話して、すぐさま折り返す。
 寺子屋では最後の課題を解いている最中だ。

「……チルノ、式を前から解かない。ちゃんと教えただろう?」
「そっか、えっと、掛け算から……」
 美鈴は黒板を見る。数式なんていつ以来見たのか。単純な四則演算だって日ごろ使わなければ忘れてしまう。
 美鈴が黒板に見入っている間に鐘がなる。

「ここまで、チルノ最後の問題は宿題だぞ」
「も、もうちょっと時間があればできたのに」
「今日は美鈴さんがきてるから、そっちの用事を優先しなさい」
 美鈴がにっこり笑って手招きする。
 話は移動しながらしよう。

「チルノちゃん、忙しいのにごめんね」
「別にいいけどさ。何の用事?」
「ああ、この間の、ほら、チルノちゃんケガしたじゃない? その張本人を妹様が捕まえたから謝らせるって言ってね」
「……わかった」
 チルノの表情が厳しい。当たり前だろう。あれは大怪我だった。怒って当然だろう。
 急いで人里のはずれに移動する。
 フランドールもすぐにこちらに気が付いた。笑顔で手を振っている。

「さあ、謝ってもらえる?」
 布都が震えるような声で「ケガを させても、もうしわけなかった」と頭を下げている。
 チルノはここに来るまでは怒ったような顔だったのだが、相手の心が完全に折れているのを見て取ると難しい顔になった。
 フランドールの手を引いて小声で聞いている。

「フラン、こいつに何をした?」
「ちょっと振り回して、バラバラにするよって言ったらああなったの」
「フラン! 本当に、バラバラに――」
「ごめん。する。バラバラにする。いろいろと条件はあるけどね」
「フラ――」
 そして、チルノの口を押える。この先の言葉が手に取るようにわかる。チルノは優しい。止めようとしているのがわかる。

「私ね。優しいあなたが大好き。だから、チルノを傷つけた“コレ”を見逃すつもりはないよ。“コレ”を見逃す条件は“コレ”が楽しいことを提供できた時、生かしておけば楽しいことがあるって判断できた時、でもね……“コレ”がチルノに敵意を持っているようなら、心の底から謝らないなら、殺そうと思ってた」
 チルノが怒った。フランドールの命の扱い方に納得がいかない。思いっきりの平手打ち……。チルノが手を押えている。

「ごめんね。できるだけ力は抜いたんだけど……やっぱり痛かった?」
「――っ、い、痛くないぞ。そんなことより」
「わかってる。ごめんね。チルノが嫌がることはしないよ。もしも、チルノが“コレ”をどうでもいいと思っているなら、好きにしたけどね」
 さっきと逆の手でもう一度平手打ちが飛ぶ。
 涙目になっているのはチルノのほうだ。

「――いいか、絶対に――」
「“殺すな”だよね。うん、今回は見逃してもいいかな」
 フランドールは笑っている。チルノにはそれが乾いているように感じた。

「フラン、どんな奴でも、殺しちゃうのはダメだからな」
「うん、チルノがそう言うのはわかってたよ。でも、本当に悪いけど私、やっぱり吸血鬼なんだよ。ほかの生き物を食べないと生きていけない。良いも悪いも関係なく、ね。だから約束できるとしたら今回だけ……だめかな?」
 チルノの目は怒っているが、何も言い返せない。食うなというのは餓死しろと言っているのと同じ。友達に死ねとは言えないじゃないか。

「な、」
「な?」
「なるべく我慢して……が、我慢できなくなったら」
「我慢できなくなったら?」
「先にあたいの血を吸って、それから襲えば一人分を二人で分ければ……」
 チルノの必死の顔を前にフランドールが笑う。嬉しそうに笑う。狂気を感じない普通の楽しそうな声だった。

「ありがとう。そういうところ大好きだよ。でも、チルノに無理はさせたくない。赤の他人と一緒に扱うなんてできないよ。
ごめんね。この話はここでお終い。いいよね?」
 悩みに悩んでいるチルノの耳元で美鈴が「授業始まりますよ」と囁く。それでも眉間にしわを寄せて考えているチルノに「あとは任せてください」と押し切って戻ってもらう。
 布都はここで解放した。二日後、一発芸でもなんでも笑わせてくれたら本当に見逃すと約束して。
 残った二人で今までのことを回想する。

「流石の回答ですね」
「そうだよね。そうでなかったら好きにならなかったよ。
 ねぇ、美鈴、美鈴ならさっきのをなんて答えたかな?」
「私ですか……チルノちゃんみたいな回答はできませんね。……正直に言っていいですか?」
「いいよ。別に怒ったりしないから」
「私自身に類が及ばないのなら好きにしてくださいです。あなたが……失敬、妹様がどこでだれを襲っても私には止められないし、類が及ばないかぎり私には関係ない」
「はは、美鈴らしいね」
「恥ずかしい限りです。あれほど悩んで必死に手を伸ばしてきたチルノちゃんには遠く及ばない。年を取りすぎましたね。己の保身が大事なんて」
「ん、正直にありがとう。
 じゃあ、私は紅魔館にもどる。昼間起きて眠い。それに太陽みたいなのを直視したから疲れた」
「それは私も同感です。まぶしかったなぁ」
 二人して歩いて帰る。
 美鈴は少しチルノのことを考える。
 昨日のフランドールの疑問に彼女なら一体なんて答えただろうか?
 どこで寝ればいいか? それに私は“どこでも寝ていい”と答えた。この答えは間違っていることが今ならはっきりとわかる。
 チルノなら、“一緒に寝よう”と手を伸ばしたはずだ。どこでも自由にと放置するよりも、自由の孤独さを支えてあげるべきだった。
 気は読める。表情も読める。だけど保身が邪魔をして、耳障りの良い言葉で遠ざけてしまった。失敗したと思う。
 ああいう風に心が折れかかるってことはもうないだろう。フランドールは異常なほどにタフだから。

「美鈴、二日後に布都が来たら起こしてね」
「ええ、分かりました」
 紅魔館の門前で別れる。
 少し伸びをして壁に寄り掛かる。やっぱり少し寝足りない。瞳を閉じれば意識がすうっと落ちていく。

 ……どのくらい意識を落としていただろうか? 薄目を開けて周囲を確認する。近く、接近してくる気配がある。
 水色の髪はチルノだ。

「美鈴、フランは居る?」
「チルノちゃん、ごめんね、いまはお休み中で多分夜まで起きないと思うよ」
「そっか……あのさ、美鈴、
 フランなんだけどさ……なんだか寂しそうで、少し怒ってない?」
「怒ってる?」
「なんていうか不満そうな感じがして……ねぇ、さっき捕まえてた奴……大丈夫?」
「布都さんなら大丈夫ですよ。目の前で約束してくれたし、約束は守ってくれる方ですから」
「そうならいいんだけど……ねぇ、ここでフランが起きるまで待ってもいいかな?」
 どうしてと問えば、フランドールの口から直接、布都の扱いを聞きたいそうだ。

「大丈夫ですよ。布都さんがフランドール様を笑わせてくれれば一件落着です」
「……笑うかな。笑わないんじゃないかな。何をやってもらっても本心からは笑えないんじゃないかな」
 ドキリとする。フランドールの意思一つで布都の命運が決まる。落とし穴だ。それも奈落のように深いやつ。
 和やかな雰囲気の中で決まったことだしフランドールも笑顔で布都を解放した。しかしてその本心は……誰にもわからない。
 あの提案は本心であってほしい。

「……チルノちゃん、一日だけ待ってもらえないかな? 布都さんとの約束の日は二日後だから……私に時間をもらえないかな」
「いいよ。でもフランドールが大変だったらすぐに教えて」
「約束しますよ」
 チルノは明日また来ると言って飛び去る。
 美鈴はそのあとフランドールの今日の態度を思い出している。
 フランドールの態度や言葉……いつもと違うところがあっただろうか? 全然わからない。今まで付き合いを適当に流していたツケがここで爆発している。
 普段の態度からの微妙な変化……その微妙な変化をとらえるだけのベースがない。
 逆にチルノにはそのベースがある。いつも真剣にフランドールを相手にしていたからだろう。そういうことの積み重ねが好意的な感情に結びついて全幅の信頼になっている。しかし、たった一日ではそこまで至らない。
 それでも、手を伸ばす。伸ばすと今決めた。フランドールと親しい者が紅魔館には姉しかいないなんて寂しいことを事実にしちゃいけない。それに悔しいじゃないか、チルノに、はっきり言って赤の他人に、信頼で負けるなんて。

「ふ、まさかチルノちゃんに嫉妬するなんてね」
 少し自身を冷静に振り返る。
 情けない話だ。一緒に住んでいた時間ははるかに長いのに中身がなかった。
 そして、私もフランドールもそれでいいと思っていた。
 今、近しい人のことがわからない。でもここでこのまま、分からないままにすることはやめる。遅参の極みであるが、これから親しくなろうと思う。

 夜、フランドールの寝室に向かう。昼間に適度に休憩できたおかげで体調ならばっちりだ。体も永琳に直してもらった。
 さあ、いざ。

「失礼します。フランドール様」
「……ん、なに、美鈴、どうしたの?」
「いえ、昼間チルノちゃんが来まして、怒ってるみたいだったと言われましてね」
「……」
「はは、ちなみに私は全く気が付きませんでした」
「……で、何?」
 フランドールの気配が変わる。
 これだけでもかなりのプレッシャーになる。でも、もう一歩踏み込みたい。

「いや~、さすがに盲点でした。まさか笑わないなんてことがあるとは思わなかったので」
「それは、個人の自由じゃない?」
「そうなんですがね。ちょっとこのままじゃいけないかな~なんて思ったりしまして」
「何が?」
「妹様が、です。いや、別に吸血鬼の生き様を邪魔するわけじゃないんですが。チルノちゃんとの約束をひっくり返して、視線を正面から受け止められますかね?」
 フランドールが美鈴を見る。ああ、何かの引き金を引いたのがわかる。

「……チルノちゃんは優しいから受け止めてくれるよ。例え、苦渋の選択でもね」
「それで、あなたは?」
「ねぇ、美鈴。私は何? 吸血鬼でしょ? 怪物でしょ? 問題なんてない。それにね、約束は破ったことにならないんだよ。二日後、私は笑わない。布都は死ぬ。それだけだよ」
 美鈴が天を仰ぐ。心が固まるのが早い。多分、先日の気の迷い。あの時の答え。それがフランドールの心を怪物に決めてしまった。
 ほんっと些細なことで……重大なことを決めてしまうなんて……いいや、これが結論なら、私に責任がある。今まで真正面から見ていなかったら、私が受け止めなかったから怪物を選択してしまった。

「……怪物になったら二度と戻ってこれないぞ」
「上等だよ。怪物は怪物として生きる。何の問題もない」
「そうですね……あんたには問題ないでしょうね。何が問題って私にとって問題なんですよ。怪物二匹なんて相手にしてられるか」
「あは、地が、本音が出たね。で? お前はどうするつもり?」
 フランドールの語調はずっと変わったまま戻らない。私もこれが最後ならと敬語を捨てた。

「全力をもって止める」
 言葉を聞いておもむろにフランドールが立ち上がる。態度と視線を言葉にするなら「表に出ろ」って奴だ。
 本当に成長したと思う。以前なら問答無用のレーヴァテインが乱舞していた。



 二人で紅魔館を出る。

「多分これが最後の会話だろうから今言っておく。随分ましになった。あと一押しをどうするかが私にはわからなかったのが心残りだよ」
「何? 随分ましになったって? 私はいつも通りだよ」
「そうやって落ち着いているところだよ。多分、命の重さって奴が理解できればさらに落ち着けるはずだ。いつもいた人がいなくなるってことを時間をかけて学習すればな」
「ふふふふふ、そう? あなたがそういうことを教えてくれるつもり?」
「そういうことはチルノちゃんに教えてもらえ」
「あははは、そうだね」
 紅魔館を離れる。近くでやりあったらレミリアに邪魔される。フランドールの戦闘能力を加味して、レミリアが感づき、現場に到達する。それまでに決着させる。
 まあ、十秒以上はかからない。よくて二、三秒か、私が灰になるまでは。
 霧の湖のほとりで二人で向かい合う。
 構えをとる。

「あんたの実力からすれば、私なんか問題ないだろうな」
「うん? まあそうだろうね」
「何秒だと思う? 私が戦ってもつのは」
「コンマ五秒以下じゃないかな?」
「じゃあ、十秒、持ちこたえてやる」
 フランドールが笑った。大笑いしている。

「ねぇ、それ、ギャグ? 体を張ったお笑い?」
 その言葉を無視して深く息を吸い。吐く。気を整え地面を踏みしめる。
 にらみつけるその視線の先で、フランドールが感心したような顔になる。

「……まんざら嘘じゃないみたい」
「合図はこれだ」
 石を放り投げる。
 地面についたら、決戦開始……、フランドールが構えた。落ちきるまで最後の一瞬まで観察を怠ることはしない。
 素人の構えだ。私をまねているが、力の流れがめちゃくちゃ、表面だけまねていることに気が付かないのか?
 フランドールは素手だ。レーヴァテインは使わない。それだけでも十分に倒せる……それは本当だろう。しかし、十秒では……どうだろうねぇ!?

 カチリと石が音を立てる。

 全神経をフランドールに注いでいた。体の重心から前方突進がわかっている。そして石の音と同時にバックステップ、それだけやって後ろに回られる。
 焦る暇などない。全身の力を抜く。直後、フランドールの拳に押されて全身が一回転する。
 次は当然……顔だ。当然突き出される位置、軌道、タイミングまでを読む。
 武術の研鑽のみで到達できる技の極致をここで使う。
 カウンターでフランドールを突き放す。……この場合吹っ飛んだのは美鈴だ。
 鬼の膂力と、天狗の機動力を併せ持つ吸血鬼に踏ん張られたら押し切れるわけがない。
 そして、吹っ飛ぶその最中にフランドールが追い付いてくる。
 顔にはあざがある。だがそれだけだ。
 落下を待ちはしない。両手に魔力がみなぎっている。今度は拳に触れただけでアウト!
 武術の経験からくる先読みを使う。身体能力では唯一、リーチのみが勝る。最大限有効活用するほか手立てはない。
 足と思わせて腕、腕と思わせて足、フェイントには面白いように引っかかってくれた。
 そのまま地面に二人とも激突する。
 私は勢いを利用してそのまま転がる。フランドールは勢いそのままに頭から地面に突っ込んでいる。
 大きく距離をとることに成功する。今までをまとめて三秒弱の攻防、上出来すぎる。
 ここで初めて大きく息をつなぐ。そして止める。
 目の前で魔力が暴発している。これからが全力ってことだ。
 今度は体に触れることすら許されない。
 一気に体の気をまとめ拳に集中する。フランドールの攻撃パターンから推測して、今度は真正面からの全力突貫だ。
 まるでこちらを見ているかのよう、構えと同時に、魔力の塊が突進してくる。
 迷わず振り抜く、タイミングなら読める。姿勢も読める。拳から指先にさらに密度を上げて気をぶつける。
 エネルギーの総量では全くをもって手が届かないが、密度であれば別、全身くまなくこれ以上の密度で魔力を駆け巡らせられる奴なんていない!
 たがいに全力同士のカウンターが炸裂する。美鈴は指先、フランドールは額だ。
 姿勢万全、全身全霊の気合で挑んだ美鈴が再度、吹っ飛ぶ。そしてフランドールはしりもちをついている。
 バランスを崩した時点で追撃は不能だ。

「いっつ~、何だ。強いじゃない」
 フランドールがおでこを押える。あざだけじゃない。血が出ている。
 しばしそれを眺める。完全な状態の私にケガ……それだってすぐに治る。しかし、それを治さずに眺めている自分がいる。
 ケガをしたのは不審者以来……でも、体がボロボロで受けた力よりも、こっちのほうが痛い。
 今、全力以上の力のふるい方を知らない。何度となく突っ込んでも同じ目に合うだろう。
 傷をいとおしそうに見て、美鈴を探す。
 血の匂いに誘われて美鈴を見つける。
 
「戦闘不能かな?」
「……げっふ、……ど、……ぐぶっ」
「ダメみたいだね」
 フランドールがため息をつく。ひょいと美鈴を担ぐ。あたりをきょろきょろと見渡し、ふわりと浮き上がる。

「美鈴、ちょっと待っててね」
「……ッ、あ――」
「しゃべらなくていいから、永遠亭に行くよ」
 一度たどったはずの道を進む。加速で振り回すことはしない。新しく生えた竹を薙ぎ払いながら永遠亭に到達する。

「永琳さん、居ますか?」
「……はぁ、ずいぶん高いものを請求していたみたいね」
 出てきた永琳は言葉とは裏腹に素早くマスクと手袋をしている。こちらへと言われて美鈴を連れて行ったのは手術室だった。
 おとなしく外で待つ。
 手術室から伝わる術式だけで、自分がどれだけの暴力を振るったのかが伝わってくる。
 薬の匂いが数十種類、感じる術式が十種以上、そして待ち時間……永琳の技量をもってして二時間以上出てこない。
 ため息をつく。大怪我なのか。自分なら、手が取れても首がもげても大したことはない。
 ちょっとさっきの事態を思い返す。最後に全力を出した。それでもはじかれた。

 強かったなぁ。

 真正面からの全力攻撃をどうやってはじいたのか、話を聞きたい。
 もっといろいろ、気配の読み方とか、力の集中の仕方とか、そういえば、好きなものも、嫌いなものも私は何一つとして美鈴と話していない。
 手のひらに水滴がこぼれる。
 これを冷静にみられる怪物の部分が自分の中にある。“へぇ、私、今、悲しいんだ”という冷徹極まりない部分がある。
 しばらくこぼれた涙を手のひらで遊ぶ。すぐに乾いてしまうが、乾いたころを狙ってまた涙が落ちる。
 涙が止まらないうちに手術室の扉が開く。

「反省はしてるみたいね」
「反省? 何のこと? 目にゴミが入っただけかもね?」
「じゃあ、そういうことにしてあげる。美鈴さん、明日、明後日までうちで預かるからそのつもりでね?」
「うん、いいよ」
「気丈なのかな? 退院の迎えはあなた一人で来てね? ……来れるわよね?」
 永琳の念押しにフランドールは答えられない。
 どんな顔をして、どんな言葉を言えばいいのか全く分からなかった。

「咲夜に――」
「ダメよ。あなたでなければいけないわ」
 この二人の距離感は複雑だ。永琳ですら下手に手を出すと関係がこじれる。だから二人に任せる。ほかの人物など登場するだけ無駄だ。

「あなたのその表情、その態度が答えよ。答えを頼るのはいけないわ」
 そういってまた手術室に折り返す。
 フランドールはいつまでも待っていられない。紅魔館へ引き返す。

「フラン、どうした? 少し暴れてたみたいだったが?」
「ちょっとね。でも、大丈夫、死人は出てないよ」
「ケガしてるのか? 血の匂いが……美鈴だな?」
「……そだよ」
「ふっ、そうかじゃあ、美鈴はどうした?」
「今、永遠亭、半殺しまでやっちゃったから、明後日、引き取りに行く」
 妹のいら立ちを感じる。よく感情が動くようになった。百かゼロかではなく、細かい感情が見えるようになった。
 以前ならぶち切れか平静かのどちらかだった。新しい感情を持て余すような感覚……よく覚えていてほしい。
 レミリアは笑って引っ込む。そのあとには咲夜が来た。

「あの……妹様、美鈴の容態は?」
 咲夜に向かって鼻を鳴らす。ぶっきらぼうに答える。

「半身半壊ぐらいって言えばわかる?」
 咲夜が一瞬硬直する。そして、自然とナイフに手が伸びる。

「へぇ、咲夜でもそんな顔するんだね」
「あ、申し訳ありません。紅魔館に来る前は美鈴と一緒だったものですから、付き合いが一番長いもので、つい」
 そのまま、ナイフは手の中だ。

「ねぇ、それどうするつもり?」
「さあ? さすがにわかりかねます。妹様の回答次第といったところですかね?」
 フランドールが笑う。どう答えてやろうか? ちょっとむしゃくしゃ、自分の感情がわからなくなりつつある。もっと暴れてすっきりしたい。
 咲夜がそれにこたえられるか知らないが十秒じゃ、とてもとても……満足するまでいかない。
 不穏な空気を察知してレミリアが戻ってくる。

「フラン、咲夜。そこまでだ。二人共、争うことを禁止する」
「姉さまそれはないんじゃない?」
「お嬢様、申し訳ありませんが争いではなく。ちょっとしたお伺いですわ」
「フラン、遊び足りないならそういえ、私が相手をする。咲夜、もういいから永遠亭に行け」
 咲夜がナイフを構えたまま掻き消える。
 フランドールはイライラも重なって挑発するような視線を姉に向ける。

「く、くくくく、カカカカカ。いいなぁ、フラン。久しぶりだな」
「ごめんね。姉さま。姉さまは好きだけど。今は暴れたいの」
 レミリアの口が耳まで裂ける。フランドールはイライラがさらに増す。
 二人して紅魔館を出る。上空で結界を張って、周りの被害を最小化する。

「姉妹ゲンカ……何回目だ?」
「片手じゃ足りないぐらいかな? ねぇ、全力で行くよ」
「いいぞ、許可する。私も全――」
 言葉の途中で、フランドールの攻撃が炸裂する。もう待っていられない。暴れる。怪物そのままに。
 姉妹で通算七回目の喧嘩が始まった。

……

 咲夜は永遠亭を訪れている。咲夜の座るベッドにはミイラが寝ている。人型でおとなしく寝息を立てているのが何よりもうれしい。

「全く無茶をして……妹様に……あなたが無謀をする必要なんてないじゃない」
 優しく額をなぞる。指先に体温を感じる。
 それだけで安心している。
 明日は、果物を持ってくる。休暇もレミリア様に願い出て一か月もらってあげる。だから今は安心して眠っていてほしい。

「容体は安定してるでしょう」
 感情に無粋な横やりが入る。永琳だ。邪魔しないでほしい。
 少し、ムカついた。こうゆうものは本人が満足するまで待つのが礼儀だと思うのだが?

「あらごめんなさいね。私にはあなたと美鈴さんの関係がわからなかったから」
「さっさと出て行ってもらえますか? 私は私が満足したら出ていきますから」
 笑顔で怒気をたたきつける。
 永琳はそれをお手上げとしたうえで、さらに突っ込んでくる。

「ごめんね。それを分かった上で言うんだけど。今度のことで手を出さないでくれる?」
「どういう意味ですかね?」
「フランドールちゃんのことよ。今、彼女はとても大切なことを学ぼうとしている。それを邪魔してほしくないのよ」
 無言でナイフを構える。美鈴の命をこれ以上の危険にさらす気はない。

「……少しだけ、あなたたちがうらやましいわ。信じられないくらい固い絆があるのね。
 ……わかった。降参する。私がいくら大丈夫と言っても信じられないでしょうから」
「ええそうです。よくお分かりで、流石に月都の最高頭脳ですね」
「あとはあなたたち紅魔館にすべてお任せするわ。でも、医者としてケガだけは診させて頂戴、明後日までは医者の名誉にかけて面倒を見るわ」
「それに関して私は口出ししません」
 互いに守備範囲はわきまえている。話は終わりとばかりに永琳が病室を後にする。
 咲夜はそれを見送った後で、一晩中、美鈴の付き添いをつづけた。

……

 次の日の夕方、フランドールが目を覚ます。中途半端に暴れたせいでまだ日のあるうちに目が覚めてしまった。
 全身筋肉痛と言ったらいいだろうか。昨日の喧嘩は自分が暴れるだけ暴れてそれだけで終わった。
 結果だけなら耐えきったレミリアの勝ちなのだろうが、はっきり言って姉妹ゲンカで勝敗など無意味だ。
 姉は“今日は寝る!”と断言して部屋から出てこないのだから何をいわんやである。

 紅魔館に訪問者が来ている。門番は……そっか、いなかったか。
 億劫な体を持ち上げて、訪問者を迎える。

「ようこそ、紅魔館へ」
「……フラン、悪いな。あの……美鈴がいなかったから、その……」
「いいよ。別に美鈴がいないのは知ってるし。今、姉さま寝てるから私が代理だよ」
「……美鈴は?」
「今、永遠亭だよ」
 自分が病院送りにしたとは言いたくない。そしてそんな空気をチルノに読まれた。

「フランがやったのか?」
 言葉に詰まる。答えたくない。そうして答えられないことがチルノに伝わる。原因が私であると伝わる。

「……ごめん、邪魔だった」
 立ち去ろうとするチルノを呼び止める言葉が出ない。なんて声をかければいい?
 白状するのか? 自分が美鈴を壊したと……
 初めて怖いという感覚が体を駆け巡る。嫌われたら……わ、わたしはどうしたらいい?
 何にも言えないままにチルノを見送る。
 無言のうちに膝をつく、自分自身を抱きしめる。うつぶせになって額が床に触れる。怒りとか不満とかが昨日過ぎ去って、ようやく目の前の物が見える。
 ぐっちゃぐっちゃの感情が落ち着いて、やったことがようやく胸に押し寄せる。
 “怪物として生きる”と言い聞かせて、私は美鈴に甘えていたのか……、美鈴が死んでいたら? 
 今初めて「チルノに教えてもらえ」という言葉の意味を知る。
 好きな人に嫌われたら…… ねぇ? どうしたらいい!?
 後悔とか、恐怖とか、負の感情が押し寄せてくる。今までだったら顧みることがなかった。違う、今までなかった感情が現れたんだ。
 初めての感情でのたうち回る。
 幸せを待つという感覚とは異なる。拷問のように際限なく重くなる気持ち、投げ捨ててしまいたい感情……美鈴はこの恐怖を投げ捨てることを許可してくれるだろうか?
 自分でこの感情を投げ捨てられたらそれこそ怪物、多分、永久に享楽を求めるだけの怪物に成り下がる。
 私はそんな単純なものになりたくない。もっと多くの楽しさを知るんだ。もっと複雑な心を、感情を、幸せな時間を手に入れたい。
 狂って笑っている時間よりも、一緒に笑っていられる時間が、共に歩む人が欲しい。姉も居る。チルノも居る。でも、もっと多くてもかまわない。 絶対多いほうがいい。
 考えがまとまるたびに頭が揺さぶられる。
 美鈴には居てほしい。そう思うたびに頭が重くなる。永琳の「来られるわよね?」という問いは超絶難問だった。
 迎えに行かなくてはならない。ただ、そのあとの第一声が思いつかない。
 反省を伝えた程度で許されるような間違いじゃない。
 こういう時、弱いことがうらやましい。どれほど暴れても、大したことはないし、止めてくれる人がいる。弱さを盾にとって八つ当たりだってできる。
 ただ強いだけで、圧倒的に他人より優れているだけで、暴れることも許されず、八つ当たりだってできない。
 この力で“許してくれ”といえば、だれもが“許す”。そんなものはいらない。
 心の底からの許しを請うなんてこと、どうやってやるのか想像できない。
 しばらく、ロビーの床でのたうち回る。
 誰一人として観に来るものなどいない。そうだ、これが普通、怪物を見舞うものなどいない。
 泣けばいいのか? 笑えばいいのか? 自分の怪物の部分は“滑稽なのだから笑え”と囁いている。
 しかし、泣きたい。私は泣きたい。まだ、普通の部分が芽生えたばかりの感情が泣くのが普通だと、独りぼっちが寂しいと叫んでいる。
 どっちを選べばいい? 答えは?

 フランドールののたうつ様をレミリアはロビーの扉の裏で感じていた。
 どちらを選ぼうと受け入れる。それだけの力がある。だから手助けしない。
 怪物の道なら同志、ほかの道なら、私にもそれが選べたのだと示してほしい。
 ……思えば、私は悩むことすらなかった。怪物のまま存在し、そのままを受け入れてくれる咲夜が現れるまで、暴れて笑っていただけの生き物だった。
 なるべくなら、私と違う道を……そう思ってただ結論を待つ。
 昨日の喧嘩では体中ボロボロにされた。同格以上……力の扱い方を知らないだけだ。知れば私をも上回る。それだけの才能がある。
 私すら恐れる怪物になれる。
 それが怖いのなら、寂しいのなら、孤独がたまらないのなら、別の道を選ぶといい。
 私は怪物としての道を切り開いた。しかし、妹には後追いをしなくちゃいけない義務などない。
 私の道が間違っていたと示してくれたなら……それぞれの道を進むことができるのなら、それで構わない。
 姉より優れた妹などいない。そして妹より優れた姉もいない。それぞれの立場が違う。道はあれど歩むのは自分ひとり……答えを手にするのも自分自身だ。答えを手にした者が先に進んでいく、当たり前の話だったなぁ。
 レミリアが天を仰ぐ。自分の上には薄暗い天井がある。自分の力の限界が見える。それを超えても二重三重に分厚い壁が立ちふさがる。それを超えて更に、全天の星を見るのは自分には無理だろうな。

 笑いがこみ上げる。妹ならば超えていけるか? みせてもらおう、姉とは違う道の果てで。

……

「姉さま……もしかして見てた?」
 ようやく落ち着いたフランドールが扉を開けるとレミリアが壁に寄り掛かってこっちを見ていた。

「見てはいないぞ、誓ってな。ただ気配は観察させてもらった」
 フランドールの顔が赤くなる。

「それは見てたって言うの!」
「悪い、わるかった。ただな、心配だったんだ。ほら、私はお前の姉だ。心配して面倒を見るのは私の特権だぞ。少しぐらい、いいじゃないか」
 顔を赤くしたままにほおをふくらませる。
 
「――そんなの」
 頭に手を置かれてそのまま撫でられる。

「よく成長したな。癇癪を起こさなくなった。狂気を暴走させなくなった」
 レミリアが笑顔を向ける。妹は顔を赤くしたままそれを受ける。うれしさでさえ我慢できるようになった。

「私は嬉しいよ。育ってくれたことがうれしい。私だけじゃ四百九十五年かかっても変わらなかったのになぁ。あとでチルノにも、美鈴にもお礼が言いたい。私の妹によく尽くしてくれた」
 フランドールが震える。“美鈴”という単語だけで心の中を見透かされたみたいだ。

「……今、お前にはたくさん新しい感情が生まれた。姉としては大事にしてほしい。恐怖も哀しさも嬉しさもな」
「――ねぇさま、恐怖と哀しさはいらない」
「いいや、覚えておけ、これからのお前には必要だよ。単純にゼロか百かという感情じゃない。失う恐怖、寂しさからくる哀しみ、ちゃんとお前の糧になるよ」
「そうかな?」
 自分の姉は自信満々に“そうだとも”と答えてくれた。にっこり笑うなんて私以外には絶対に向けない表情で断言してくれた。
 しばらく頭をなでてもらって、落ち着いた。

「ねぇ、姉さま。美鈴になんて言えばいいかな?」
「悪いことしたと思っているなら、“悪かった”と、謝意だけ伝えればいい。“許す”、“許さない”は美鈴の勝手、好きにさせてやれ。“許す”のを強要するのも、“許さない”のを強要するのも必要ない。フランの度量をもって“自由”を許してやれ」
「ありがとう。姉さま」
 ペコリと頭を下げる。
 少し話せただけでも、随分難易度が下がった気がする。
 永遠亭に行こう。今なら言える気がする。

「ねえさま、ちょっと出かけるね」
「いいぞ、行ってこい」
 フランドールが笑う。レミリアが見たフランドールは本当にやわらかい笑顔だ。以前なら狂気が、興奮が見えたのだが、本当に笑うだけって顔は初めて見た気がする。
 レミリアがその顔を脳裏に焼き付けると同時にフランドールの姿が消える。
 ……速いな。
 髪の色も翼もその能力さえも異なる。姉妹というにはあまりにも似ていない。
 姉妹だと言い切れるだけの似ている部分といえば、直情径行……感情が先走るってところだけだろう。でも、今回の件でそこすら似なくなったら……
 レミリアが笑った。滑稽だ笑うしかない。

「流石は我が妹、姉すら超えていくか」
 これから先の変えられない運命を感じて、孤独な紅魔館に笑い声が響いた。

……

 フランドールが永遠亭までを歩いている。
 最初は飛んでいた。館を飛び出してすぐに歩きに切り替えた。謝意を伝えるにしても飛んでしまったら早く着きすぎる。
 それに、何か見舞いの品が必要だった。なにか、美鈴の喜んでくれるものを持っていきたい。
 ……自分じゃわからないな。多分、それを知っているのは……咲夜だろうな。
 迷いの竹林の入口まで来た時に偶然咲夜と出会う。咲夜は見舞いの帰りだった。

「妹様、どうされました?」
「咲夜、顔が怖いよ。それにナイフ構えるのやめてくれない」
「申し訳ありません。もう癖のレベルまでしみついているもので、一度敵と認識してしまうとどうにも」
 咲夜は苦笑いしている。フランドールはそれを見てため息をついて、そのことは棚に上げた。

「いいや、咲夜。そのことはいい。ねぇ、それより美鈴のことで教えてほしいことがあるんだけど」
「何のことでしょうか?」
「美鈴の好きなものを教えてくれる?」
 咲夜の目が遠いものを見る目になる。
 あれ? 何だろう? 怒るようなことを言ったかな?

「好きなものは昼寝、日向ぼっこ、遊びに……休憩」
 咲夜の目に普段の美鈴の行動を思い出して怒りの色が出てきている。

「咲夜、咲夜、そういうんじゃなくてさ。食べ物とかで知らない?」
「食べ物……美鈴に好き嫌いはありません。基本的に何でも食べます」
「そう、じゃあ宝石とか花とかは?」
「ぜんっぜんそういうものには興味持ってないです。お金にも興味がないですね」
 なんだそれ? 見舞いの物は何もいらないってことか?
 難しそうな表情の顔のフランドールを見て、ようやく咲夜がナイフをしまう。
 察しはついた。見舞いの品を持っていきたいということか。

「妹様、見舞いの品でしたら、果物で十分ですよ」
「果物……そんなのでいいの?」
「ええ、一緒に人里に買いに行きましょう。私が持って行った物は全部食べられてしまったので」
「……起きてるんだ」
「ええ、そうですよ。美鈴も妖怪の端くれですからね。私ではとてもとても、人間なら二週間……いえ、その前に死んでますわ」
 ちょっと咲夜の言葉が刺さる。ナイフより切れ味が鋭いんじゃないかな?
 ぐらりと心を揺するこの感情も覚えておこう。
 二度と同じ過ちをしないように。

 二人で人里の果物屋にさくらんぼを買いに行く。

「咲夜、美鈴どんな様子だった?」
「……顔と手足の包帯は取れてますよ。あとは体です。普通に話せるし、いつもと変わらないですよ。正直に話しますが……“これで一年休める!!”と断言してました」
「ふ、くくくく。ははははっははっは。何それ? 私を口実にずる休みする気なんだ?」
 何だろうなこの、気の抜けた回答は……張っていた気が脱力する。

「ねぇ、私に対しては何か言っていたかな?」
「それはご自身で確認してください。私は美鈴に妹様の件をきかなかったので」
「いちいち刺さるね。咲夜の言葉はさ」
 ゆるんだ気が引き締まる。
 二人で目的の物を買って、咲夜と別れる。
 “一人で行ってください”と言われてしまった。
 今、竹林の中……近づくにつれて足が重くなる。ケガじゃない、心が苦しい。この感覚を覚えなきゃいけないのか。
 さくらんぼなんていらないと言われたら? 顔も見たくないと罵声を浴びせられたら? それよりも殺さないで下さいと哀願されたら? どうしたらいいか全然わからない。
 咲夜がもしいてくれたら、仲を取り持ってくれただろうに……冷汗が垂れる。これが怖いという感覚、永遠亭の門の前で完全に動きが凍り付いた。
 前回軽く開けられた扉に手が届かない。
 手を伸ばしてはひっこめ、覚悟を決めてためらうという動作を繰り返す。
 
「師匠! 今、門前にフランドールが来ています!」
「わかっているし、その程度のことを走って報告に来るな」
「いえ、対応は決めておかないと」
「……そうねぇ、じゃあ、あなたは待合室まで案内してくれる? 私が行くまでフランちゃんの相手をしててね」
「ぐっ、師匠が一緒ではないのですか? 私ではとても抑えられる自信がありません」
 永琳がため息をついている。全く臆病というか、警戒心が強いというか。今のフランドールに戦意がないことぐらい見抜けないのか?
 この警戒心丸出しの鈴仙が出て行ったら……絶対、フランドールが委縮する。
 再びため息をつく。ほかにもっと優秀な弟子がいれば……愚痴か。

「わかったわ、私がいったほうがよさそうね」
 そこで明るい顔をしない! 自分の弟子の出来に頭が痛い。鎮静剤、精神安定剤……新しいのを開発しようか。
 扉の内側まで到達するも反対側ではまだ悩んでいる気配である。
 ……そうだ良いことを思いついた。
 門を開ける。

「あら、フランドールちゃん。来てたの?」
 あからさまな態度だが、フランドールにはそれを読み取るだけの余裕がない。

「あ、永琳さん。こんにちは。今、あの、美鈴に会いに来て」
「ええ、大丈夫よ。目は覚ましているから、ただベットからは連れ出さないでね?」
「うん、わかった」
 じゃあねとフランドールとすれ違う。それを見ていた鈴仙はビックリしている。永遠亭の中から物を倒したような音が聞こえた。

「全く、あのバカは」
「永琳どうしたの?」
「ああ、こっちのことよ。私は散歩にでるわ。一時間ぐらい席を外すから、じっくり美鈴さんと話してね」
「ありがとう、気を遣ってくれて」
 フランドールは純粋に頭を下げ、永琳は内心、親切半分、弟子への罰ゲーム半分と考えていた。まあ、一石二鳥としておこうか。

「じゃあどうぞ、薬品庫と居住区以外は入っていいから」
 その言葉にありがとうございますと再び頭を下げる。
 勇気で踏み出す。永遠亭の内部にようやく入ることができた。玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替え、右に曲がって左に折れる。病室のあて名を確認し、美鈴の名前を発見する。
 ……そして今度は病室の戸が立ちふさがっている。
 すりガラス、木のつくり……しかし、手をかけるのをためらうほどの重さを感じる。難攻不落の城の門よりも重い。
 呼吸が乱れる。心拍数が上がる。取っ手に触れただけで緊張が走る。
 深呼吸して、少しずつ手を動かす。音を立てることすら禁忌と感じるほどの慎重さで戸を開ける。
 室内は暗いが自分の目では見落とすものはない。三つあるうちの一番奥のベッドだけが妙に盛り上がっている。
 床を踏む。気の軋みにでさえ細心の注意を向ける。
 一歩一歩が重い……ベッドの側面に立つ、これまで一つも音を立てなかった。
 ベッドの上の美鈴は寝ているのか……静かな寝顔だ。
 ここまでいっぱいいろんな言葉を考えてきた。でも、ねてるのではどうしたらいいのか?
 起こしたらいけないのだろうな。
 少し、触れる。美鈴にはわからないように髪を触る。
 そして、ほおを撫でる。やわらかくて温かい。

「……ん……むにゃ……くー」
「……めい、り…ん……」
 寝言に反応した。これが自分の声か? いつもの明るさが欠片もない。
 美鈴の顔がいきなりにやける。

「しゃくやさん……ひるね……けーき、にゅえ……」
 フランドールが目を疑う。こっちの緊張はまるで伝わっていない。夢の中でわざわざ休憩中なのか?
 夢の中で寝てみた夢は何だろうか?
 あまりの突拍子のなさに思わず吹き出す。
 慌てて美鈴を見る。

「……!」
 しまった! 起こした!?
 慌てて自分の口を押えている。緊張の一瞬。

 そして寝息にまた変わる。
 今のはすごい、緊張の糸が切れかかった。
 ためにためた息を吐く。なんだか相手の一挙手一投足に反応してばかみたい。でも今ので緊張の糸がたるんでくれた。少しなら音を立てても大丈夫だ。
 ベッドの横の椅子に座って美鈴を見る。
 再び寝返りを打って、外の光を取り込むガラスに顔を向けた美鈴に対して一人謝罪の言葉を述べる。
 声の大きさはさっきの吹き出し以下、これなら絶対に起きない。これ以上は勇気が足りなかった。

「あのね、美鈴……ごめんね。全部私が悪かったよ。ちょっとした腹いせのつもりだった。軽く勝つつもりだったよ。あなたを灰にしてね。
 でも、美鈴……あなたが止めてくれてよかった。命の大切さ教えてもらったよ。チルノちゃんとあなたにね。
 ねえ、美鈴、痛かったよ。あのおでこへの一撃。私に届くほどの力だった。お前は間違ってるって痛烈に伝わった。
 今回の件で、本気で怒ってくれたのは紅魔館であなただけだった。咲夜なら止めなかったし、小悪魔も、パチュリーも、そして姉さまも。間違っているってことを正しく教えてくれたのはあなただけだった」
 自分で普通の音量でしゃべっていることに気が付かない。そして美鈴が起きたことにも気が付かなかった。
 今、美鈴は薄目をあけてフランドールの話を聞いている。

「美鈴、また一緒に、いつも通りに暮らしてもらえないかな……そして、私が間違っていたならまた怒ってほしい。今度はちゃんと言うことを聞くから、ね?」
 フランドールの目には涙がたまっている。それを拭いて鼻をすするとさくらんぼを取り出している。

「美鈴、果物持ってきたから食べてね。早く元気になって……ください」
 ひとしきり言い終えると、髪に触って立ち上がる。
 これで練習はお終いだ。明日はもっと的確にいえる気がする。肩の荷は半分ぐらい降ろすことができたと思う。鼻をすすって顔を上げた瞬間、ガラスの反射で視線をとらえる。
 美鈴にとっては想定外、フランドールは吸血鬼だからガラスには映らない。美鈴が起きていることにフランドールが気が付いたことを全くわかってなかった。

「……美鈴? ねぇ、起きてたの? 全部聞いてたの? あ、明日の練習のつもりだったのに……」
「グー」
 慌てて寝息を立てる。しかし、だ。目を開けていたことがバレて、見てる目の前で目を固く閉じたら始末に負えない。

「起きろ、美鈴。寝たふりしたら殺す」
 悪魔の右手が胸の上に置かれる。先ほどまでの鼻声とは異なる、姉と一緒の語調……マジギレというやつだ。
 美鈴が恐る恐る顔を向ければ、こめかみに青筋が浮いている。

「わー、妹様が見舞いに来てくれるなんて」
「今、起きたつもり?」
 肋骨が、まだ治りきっていない肋骨がめきめき言ってる。

「あの……すみません。ほんとに死んじゃう」
「私ね。今すっごく怒ってるの、わかる?」
「それは全身で理解しております。だから手をどけてください。まだ体が完全じゃなくて起き上がれないんですよ」
 美鈴の現状を思い出して手をどける。

「どこから聞いてたの? 正直に話してくれる?」
「窓ガラスに向かって寝返り打ってからは全部聞いてました」
 フランドールがにっこりと笑っているそばでこめかみの血管が切れそうになっている。

「ねぇ、美鈴……何か聞いてたよね? 私の声……ずっと聞いてたよね? 何が聞こえた?」
 ワンミスすら許されない質問が来る。
 今フランドールの手に地獄の炎が宿っている。背筋が凍るほど冷たいのに……灰も残らないほど熱い。

「すごく反省している声が聞こえましたよ。泣いて許しを請うただの普通の女の子の声が聞こえました」
 美鈴の言葉を反芻してフランドールが手の内の炎を消す。
 ほっとして見上げた顔には涙の跡があった。

「……妹様? 泣いてくれたのですか」
「……目にゴミが入っただけだよ」
 視線でこれ以上聞いたら殺すって言っている。そして無理やり話を切り上げられた。

「美鈴、また、明日来るから。同じ言葉をかけるからね」
 腕でさっと顔を拭いてしまった。もう涙の跡は見えない。
 くるりと背を向けるとさっさと病室を出ていく。ただ来た時とは異なり、床は悲鳴を上げ戸は一瞬で残骸と化し、門はきれいさっぱりなくなっている。

「はは……怒りの矛先を変えられるようになりましたね」

 美鈴の言葉とは裏腹に、フランドールはまたイライラしている。どこかで爆発させておかないといけない。八つ当たりだ。
 相手は誰にしようか?
 慎重に相手を選ばないといけない。全力を発揮しても死なない奴で、後腐れがなくて、好き勝手暴れたらそのまま離脱できる相手……いないなぁそんな奴。
 姉さまはさすがに回復しきっていない。それは私も同じだけど二日連続で迷惑をかける気にならなかった。
 萃香はダメ……向こうがその気になったら逃げきれない。神奈子も同様……、幽香は一時的に逃げられるが……一時間内に紅魔館が廃墟になる。
 考えながら歩いてきたがもう霧の湖まで来ている。しばらくじっくり考えないといけない。
 一人、夕暮れ時に湖のほとりで座っている。
 
「く、くふふふふ、随分ご機嫌斜めだこと」
「蛙……か、今、すっごく機嫌悪いんだけど?」
「くふふふふふ、姉妹そっくりじゃないか」
 考え事をしていたとはいえ、この祟り神の接近に気が付かなかった。
 余計に不機嫌さを後押しされる。

「何? 何の用? 回答次第で暴発するよ、私」
「くふ、いいねぇ。若さが有り余っててさ。
 ま~、用事ってことの程じゃない。ただの監視さ。この間の……ほれ、神奈子が雨を降らせた奴と同じだよ。まー、あの一件で、神奈子自身は反省したんだけどねぇ。ほっとくわけにもいかなくてねぇ。さっき、フランちゃんが力を使ったから監視に来たんだよ」
「私そんなに力を使ったっけ?」
「くふ? 自覚がないんだ? 永遠亭ってのは結界の塊だよ。それを内側から破っちゃいけないね」
 そういえば門をぶち壊していた。手を見る。加減がまるでできていない。
 そんな様子をニタニタと諏訪子が見ている。

「ねぇ、その顔やめてくれない? 死ぬよ?」
「くふふふふ、失敬、この顔は自前さ」
 フランドールが諏訪子を見る。小馬鹿にしたような顔だ。見下されていると判断するまでに要した時間は二秒ほど……すっと立ち上がる。

「引き金を引いたのはお前だからね?」
「く~っふ、ふふふふふふふ。若いのに建前がいるんだねぇ。こっちは最初っからその気だよ」
 フランドールが意識を切り替えるより早い。諏訪子がすでに手を地に沈めている。

「来やれ、ダイダラボッチ」
「遅いよ」
 機先を制した程度では先手は取らせない。フランドールが拳をたたきつけて諏訪子を地面に陥没させる。
 それをものともせずに土で作られた巨大な手が無数に起き上がる。
 ひっかくような覆いかぶさるような動作で迫りくる手の平……しかし問題にならない。遅い、いくらでもかわせて、全部迎撃できる。
 よけるか、ぶちのめすか……選ぶまでもない。
 フランドールは全部たたき伏せることを選択した。
 岩の塊だろうが、石が入っていようが、砂利でも問題なく拳で打ち抜く。
 諏訪子が呼んだ手は次第に粗雑になっていく、土くれがどんどん形を崩していく。

「きゃは、きゃははははは、ねぇこの程度? この程度なの? これなら美鈴のほうがぜんっぜん強かったよ?」
「そりゃお前が弱いだけだよ」
 いきなり背後に泥にまみれて諏訪子が現れる。
 最後の手と挟み撃ち……のつもりだろうか?

「さっきから遅いんだよ」
 諏訪子を再度、沈める。そして土くれの手を粉々にする。最後のは、情けない……泥のかたま……!!!

「遅いんだよ。状況判断がさ」
 最後の一手は泥の塊、そのまま土石流になる。打ち抜かれたままに形を崩して流れていく。流れのど真ん中に立たされたフランドールはその直撃を受けた。
 そしてその流れを止めてあげるほどに諏訪子は優しくない。

「くふ、くふふふふふふ、弱いねぇ」
 逆巻く土石流から這う這うの体でフランドールが飛び出す。それをさも当然のように見ている諏訪子……元々、これで片が付くなどとは微塵も思っていない。

「っぜ、っふー、 あ、危なかった」
「まあ、さすがに純度百パーの水じゃないからね。予想はしていたさ
 ほんじゃ、第二ラウンドと行こうじゃないか」
 諏訪子が手を叩くとフランドールの予測もしない方向から手が伸びてくる。もちろん諏訪子が呼んだ手長足長である。
 一瞬、そちらに顔を向けてしまう。

「幼く、拙い」
 声の主に振り向けばすでに目の前、最初の攻撃を受けたのは“遅い”と思わせるためだけの行動だった。

「間欠泉を呼んで洗ってやろう」
 拒絶を口にする前に霧の湖の一角が諏訪子が呼んだマグマに突沸させられ荒れ狂う。
 今度は完璧な水による流水……魔力も、思考力もとんでもない勢いで持っていかれる。

「くっくくく、ふふふはは、あはははははははは! 弱いねぇ! もう少し歯ごたえってものがあってもいいものだけどねぇ」
 言葉に答えるように右手が動く。加減をしないなら、破壊の能力をお見舞いする。右手に破壊の目を呼び出す。

「死ね――」
「――そんなわけないだろう?」
 右手で握ったのは諏訪子の手だ。わけがわからない。諏訪子の要(目)を、破壊の起点を呼び出したはずだ。

「そんな程度の能力、一度見れば対処法なんていくらでもあるさ。例えば、全身を緊張させて体全部を目にしたりすればねぇ」
 フランドールの余裕が初めて消える。最後の頼みの綱がこうもあっさり破られるなんて……。

「全身を破壊の目にしてしまえば右手に呼び出すのは相手本体そのもの……自爆した気分はどうだい?」
 言葉も現象も理解できない。

「まあ、最も、この対処法がとれるのは私と神奈子だけだけどねぇ? くふふふふふ、神を相手に馬鹿な真似をしたねぇ?」
 諏訪子が流水にてさらにフランドールを洗う。
 もうだめだ。力が入らない。

「あ……う、 」
「これだけ力を流せば馬鹿なこともできないだろ?」
 諏訪子によって湖の端にそのまま打ち捨てられる。

「仕返しならいつでも守矢神社に来るといい。歓迎するよ? くふふふふ」
 笑い声を残して諏訪子が姿を消す。
 その後、息と思考を整えて、仰向けから寝返りを打つ。たったそれだけで数分の時間がかかる。

「は、はは、負けちゃった」
 何だろう? この感覚……一方的にぶちのめされた。震えるほどに悔しい。プライドを辱められた。
 屈辱に耐えきれずに涙が出る。抑えきれない。声を上げて泣く。
 夜のとばりが落ちても、月が昇っても涙が止まらない。顔を覆って泣いて泣き続けた。
 
 
 いつ戻ってきたのだろう? 自覚がないが、気が付けば紅魔館、それも自分の部屋にいた。
 椅子に腰かけて、テーブルに突っ伏していた。
 自分が占めた残り半分の面積に朝食が置いてある。
 それらが咲夜の仕業と考えつかないほどに精神が参っていた。
 食欲が出ない。
 手も足も出なかった事実が消化できない。現実がのみ込めない。今日は美鈴を迎えに行く大切な日であることにすら気が付かない。
 テーブルに伏せたまま、時間だけが過ぎていく。
 やがて、ドアをノックする音が聞こえてくるが、行動する気にならない。
 放置された相手がしびれを切らしてドアを開けようとしている。

「……入ってこないでくれる?」
「悪いな、そうも言っていられん。客だ。フランお前にな」
「……今、外に出たくない」
「ダメだ。来い」
 姉だ。問答無用でドアノブをねじ切って部屋に入ってくる。
 突っ伏した姿勢のまま首根っこをつかまれて力尽く……こちらには反応をするほどの余裕がない。されるがままに連れていかれる。

 紅魔館のロビーに二人の客が来ていた。一人は神奈子、もう一人は神奈子にぼこぼこにされた諏訪子である。
 神奈子がフランドールを見ると開口一番謝ってきた。

「フランドールちゃん、うちの馬鹿がとんでもないことをしてほんと申し訳ない。ほら、諏訪子、お前も頭を下げろって」
「絶対に嫌だね」
 神奈子が頭をつかんで無理やり頭を下げさせている。

「本当に申し訳ない。こいつも中々強情でね。へそを曲げると頑として言うことを聞きやしない」
「それで謝ったつもりか?」
「本当に悪いね。こちらとしてはこれで手打ちにしてほしい」
 レミリアがフランドールを見る。お前はどうしたい? と視線で聞いてくる。

「……ごめん、姉さま……今、整理できない」
「いいさ。それならそれで」
 レミリアが神に向かって振り返る。

「だ、そうだ。無駄足だったなぁ。フランの整理がついたらまた謝りに来い」
 諏訪子が何か言いかけたが、無理やり口をつまんで神奈子が抑える。

「わかった。もう一度来る。だけど、こちらに謝意があることだけはわかってほしい」
「ふん、当の本人にそんな意思は感じないがな」
 神奈子が苦笑いして頭を下げて消える。諏訪子は顔を隠して表情を悟らせずに姿を消した。

「……フラン、風呂に入ったら美鈴の迎えに行け」
「今日は――」
「ダメだ。命令だ」
 レミリアは浴室にフランドールを連れて行くと咲夜に服を用意させる。
 フランドールの心の整理をそっちのけで準備が進んでしまう。
 気が付けば新しい服で紅魔館の外だ。
 曇天で日の光を気にすることもないのだが、一歩も踏み出せない。
 うつむいたまま先に進めない。
 だからチルノが来たことにも気が付かなかった。

「フラン、どうした? 大丈夫か?」
 フランドールにとっては不意打ちに近い。全く意識をしていなかった。驚いてしりもちをつく。

「ほ、本当にどうした?」
「あ、……ごめん。ちょっとぼ~っとしてて……何の用事かな?」
「いや……用事ってこともないんだけど……調子を見に来ただけっていうか。理由はないんだけどさ。ちょっと心配だったから」
 はらりと涙がこぼれる。
 チルノがびっくりしている。フランドールの涙は初めて見た。
 いきなり抱き着かれる。そして泣き続ける。
 チルノは訳が分からずに軽いパニックを起こしている。

「ど、どうした。ちょ、い、痛いんだけど?」
 言葉を理解していないのか、そのまま、メキメキと力が上がる。下手をすると骨がへし折れる。それに息ができない。
 しかし、悪意や、敵意じゃない。耐えるしかない。
 もう、泡を吹いて気絶するしかないところまで行ってようやくフランドールが離してくれた。多分服の下はあざになってる。

「よ、ようやく。終わった?」
「……ごめん。なんだか昨日から頭の中がぐちゃぐちゃで……どう整理したらいいかわかんなくてさ」
「そ、そっか、少しは落ち着けたか?」
「うん」
「……よかった」
 正直、二回目は骨が折れる。比喩じゃなくて物理的にだ。そのことを本能で熟知している。心底ほっとしている。

「じゃ、じゃあな」
「えっ? もう帰っちゃうの?」
「あ……え、ええっと、行くところがほかにもあってさ」
 さっき締め上げられたところが超絶に痛いとは本人の前で言えない。それにチルノのプライドもある。友達に泣き言は言えない。

「どこ?」
「え、永遠亭」
 壮絶にフランドールの顔が引きつる。
 その顔を背にそそくさとチルノがあちこちを押えながら迷いの竹林へ向かう。
 その様子ですべてを理解した。一瞬でチルノの前に回り込む。

「えっ?」
 チルノの反応を無視して服に手をかける。

「フラン!!! ちょっと、まて!!!」
 聞く耳持たずに服をめくる。おなかが真っ赤になってる。腕をつかむ、握りつぶすようなへまはしないが、チルノが「痛い!!!」と叫んでいる。
 翼を開いて飛ぶ。わずかな時間で永遠亭に到達する。

「……患者を勝手に作らないでくれる?」
「……ごめんなさい」
 今、加速度でごくあっさり気絶したチルノを永琳が診察している。

「……どのくらいかかる?」
「一時間ね。その間に美鈴さんに会ってきなさい」
「……わかった」
 診察室の戸を静かに閉めて出ていく。
 次は病室の戸を開ける。普通に開ける。
 美鈴は一番奥のベッド、もう起き上がっている。顔を向ければ視線が合う。

「美鈴……」
「……妹様……調子が悪そうですね。何かありましたか?」
 鼻の奥がツンとなる。心を見透かされて恥ずかしい? 優しい声をかけてもらってうれしい? それでも照れ隠しをしていいはずもないことはわかっている。
 姉の様に傲岸不遜にいかず、咲夜の様に親しみを込めることもできず、まるで初対面のような言葉遣いをしている。

「……本当に大丈夫ですか?」
「う、うるさい。そんなことより聞いて、……じゃない、“聞け”、
 えっと、……ケガさせたことは……私が悪かった……、あと、その……私がその、間違っていたら、教えてほしい……、それから……許す、許さないはあなたの自由だから」
 最後のほうは本当に消え入るような声で話している。
 まだ、覚悟ができていない。許さないと言われたときどんな覚悟で挑めばいいか全く理解できていない。あまりの恐怖でまともにしゃべれなかった。
 美鈴はそれを読唇術で読み取った上で結論を出す。

「それは保留でいいですか?」
「!! あ……そ、そうだね」
 美鈴はフランドールの受け答えを見ていたずらっぽく笑っている。それをどう受け取っていいのかフランドールは戸惑っている。
 美鈴の目にはフランドールの心底反省している姿が見える。今後、暴発は一切ないと断言できる。暴発したならそれはすべて相手の責任だ。

「よく、反省してくれたみたいですね」
「そう だよ。……ねぇ、できるなら……許してほしい。もう一度、いつも通りに――」
「ダメです。保留です」
 フランドールがショックを受けたような顔になる。当然と言えば当然、死にかけた以上簡単に許されるものではない。

「……私としても、妹様が反省してくれたのは重々承知しています。だから、もう元の関係はやめにしませんか?」
「そうだよね。私はあなたを壊しかけたものね。犯罪者だものね」
「いえ、そうじゃなくて、壊そうとしたことを反省してくれた普通の女の子としてこれからを歩んでいきませんか? そう、これからは怪物じゃなくて普通の女の子……でも、それだとこちらの接し方がわからない。だから、保留です。二人でゆっくりこれからのことを決めていきませんか?」
 フランドールの言葉が詰まる。
 普通の女の子……私が……なれるかな? 変わっていけるかな?

「大丈夫ですよ。妹様なら大丈夫……これからしっかり変わっていけますよ」
「美鈴……」
 自分で顔が赤いのが自覚できる。優しい言葉をかけてもらった。
 うれしいって言ったらいいんだろうか? 気持ちが高揚している。いつもなら、手放しで嬌声を上げていたと思う。むず痒いこの感情を丁寧に自分で抑え込む。
 美鈴はその様子を見てにっこり笑う。美鈴もこれから変わろうと考えている。一定の距離を置いて機械的に接するんじゃなく、親しい友人の一員として……できれば家族のように接してあげたい。
 美鈴がベッドから起き上がる。

「正直、もう少し寝ていたかったですが」
「……あ、それなら姉さまに言ってこようか?」
 美鈴が首を横に振る。

「妹様、相手がずる休みしようとしているならやめさせないとだめですよ。自分で言うのはこれが最初で最後ですが、相手を甘やかしすぎるのはダメです」
「そういうものなのかな」
「ねえ、妹様、あなたも悪いことしたら教えてほしいんでしょう? だったら、対等なら、親しくなるのなら、あなたも悪いと思ったことは私に伝えてください」
 フランドールが目を丸くしている。そうか……教えられてるっていう一方的な関係は多分今までと変わらないんだ。新しい関係なら互いに教えあうのか……難しいけど楽しそうだ。
 美鈴の言葉にすんなり頷くことができた。
 そして今、二人でチルノが起きるのを待っている。

「チルノちゃん怒るかなぁ」
「怒らないですよ。あの子はちゃんと人の目を見て話せる子ですから。ちゃんと話せばわかってくれますよ」
「それはわかってるんだけど」
 そしてそのままチルノが出てくるのを待つ。

「ねぇ、美鈴、一つだけいいかな?」
「何です? 妹様?」
「その、“妹様”ってやめてくれる?」
「え゛ッ!!? じゃあ、フランドール様」
「“様”もなしでね。フランでいいよ」
「それは……ちょっと、主従関係というか最後の一線というか」
「そういう線引きは無し」
 フランドールの目は真剣だ。しかし建前がある。他人がいるところで気安くそんなこと言ったらレミリアが黙っていない。

「ッ……すみません。それは保留です。流石に、いえ、親しみを込めたいのはやまやまなんですが、その……礼儀も守れないのかと周りに思われるのは……二人っきりの状態ならいいんですが」
「わかった。じゃあ今二人っきりだからいいよね?」
「……ッ、 わ、わかりました。ではフラン……なんだかむず痒い」
「私も新鮮な感覚で“新しい関係”って感じがするよ」
 この後、何とか名前を言わずに会話を続ける。どうにかしてこんな状態は解消しないと。咲夜―レミリア間でさえ最小限の礼儀として敬称はつけている。せめて武術訓練ぐらいならこれでもいいんだけどなぁ。
 そんなことを考えていれば目の前にチルノが現れる。
 寝ぼけ眼ですこしぼ~っとしているのは永琳の薬が抜けきってないからだ。

「珍しいわね。待ってたのね」
「まってて悪い?」
 フランドールが笑顔で怒りをぶつける。永琳が感心したような顔になる。このほんの数日で怒りの調整が付くようになっている。

「へぇ……すごい。成長期かしらね?」
「まず、永琳、美鈴とチルノのことありがとうね。でも、馬鹿にしてほしくはない」
「あらごめんなさいね。コレは私の素なのよ。そうね、また暴れられてもかなわないし、さっさと退院してもらえないかな?」
「随分と口調が変わるね?」
「そりゃあね。私だって相手を見るわ。相手の怒らない範囲で力を抜く、これができなきゃ疲れて倒れちゃうわよ」
「ふ~ん。あなたでも倒れるんだ?」
「そりゃあね。じゃあ、請求書。チルノちゃんも込みでお願いするわね」
 フランドールに請求書を渡している。
 請求書の項目は三行、
 美鈴の治療代……“永遠亭で暴れないこと”、
 チルノの治療代……“友達をやさしく扱うこと”、
 家屋の修理費用 ○○○○〇〇円、
 宛名はフランドールだ。
 本人はしげしげと請求書を読んでいる。

「永琳、いいよ。このぐらいなら支払う。でも、お金は今持ってないから、後で咲夜に届けさせるよ」
「ふ、ふふ、毎度ありかな。大儲けね」
 いまだ寝ぼけ眼のチルノの手を引いて永遠亭を去る。

「チルノちゃん、ごめんね。痛かったでしょ?」
「……ううん、……それより、ねむい」
 フランドールがあの馬鹿医者とつぶやいている。チルノに強い薬を使いすぎだ。少しだけ気安く支払いを済ませたことを後悔している。
 フランドールはチルノを背負うと紅魔館へと向かう。しっかり休んでもらって、おいしいお菓子を出して、楽しく遊びたい。

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