「私の世界って狭いと思うのよ」
珍しく香霖堂にやってきたパチュリー・ノーレッジにどうしたんだいと尋ねた回答の言葉はこうであった。
「それで、見聞を広めてみようかと思って」
「うちにやってきたと」
「大した距離でも無いしね」
歩いていけばそこそこの長距離だと思うのだが、空を飛べばすぐか。
見聞を広めるという言葉と矛盾している気がするがそこを突っ込むのは止めておこう。
「どういう風の吹き回しなんだい? 『動かない大図書館』が」
「それよ」
びしっと僕の顔を指さされた。
「別に動こうと思えばいくらだって動けるのよ。喘息の調子さえ良ければ」
「今日は調子がいいのかい?」
「体調を調整したから平気よ」
「ふーむ?」
想像するに、誰かにその「動かない」の部分をバカにされたのだろうか。
どうもそんな感じがしてならない。
「その、なんだ。原因は魔理沙かい?」
「半分正解」
「半分?」
「お茶会をしていたのよ。アリスと私と魔理沙で」
「へえ」
魔女のお茶会か。どんなことを話すんだろうか。
「大したものじゃあないのよ。最近はどう、とか他愛のない話。ええ、他愛のない話だった」
「だった、ね」
その中のやり取りでパチュリーを外出させた要因があったということか。
「最近アリスが痩せたな、って魔理沙が言ったの」
「そうなのかい?」
最近アリスを見ていないので分からないが。
「最近食事を取って居なかったらしいわ。まあ、魔女に食事なんて不要なんだけれど。要するに魔力切れね。魔女としては大問題よ」
「ふーん」
魔力の多さで体格に影響が出るものなんだろうか。
そのあたりの仕組みについてはそんなに詳しく無かった。
「それで、その後に、パチュリーは太ったんじゃないか……って」
「あー……」
僕は男なので、想像しかできない。
しかし、女性に対して体型や体重に関する事だけは禁句であると、長く生きた経験で知っていた。
「確かに最近魔力の許容量は増えたけれど。私は制御出来ている。間違いなく」
この言葉に僕は何と返すべきなのだろう。
ちょっとでも間違えてしまうと、地獄を見そうな問題だ。
そして僕はそこまでパチュリーとちょくちょく遭っているわけではないので、違いがまるでわからなかった。
なので自分からは決して動かない。
ここで自分から「いやあ、そんな事は無いと思うが」なんて口にしようものならその十倍くらいの反論が返ってくるからだ。
僕は愚か者ではない。自分から虎の口に顔を突っ込むような事はしないのだ。
「魔理沙とアリスの意見だけでは足りないと思ったのよ」
ここまで来ても、パチュリーは本題に触れようとしない。言いたいことは分かりきっていた。
私は太っているように見えるか?である。
しかし先程考えたとおり、この話題に自分から首を突っ込むのは自殺行為である。
自分からは絶対に口に出さない。出してなるものか。
「それは殊勝な心がけだね」
だからどうか、他所へ行って欲しい。
男の僕の意見なんて聞いたってしょうがないだろう。
「それで、どう思う?」
「……どうというのは何についてだい?」
とぼけてみせる。大分苦しい。
「分かってるでしょう。私の事をどう思っているかよ」
ついに来たか。こうなってはもう、答えざるを得ない。
答えは三択だ。
一つ。肯定する。そうだね。太ったんじゃあないか。僕は死ぬ。
二つ。否定する。いや、痩せていると思うよ。嘘つき。僕は死ぬ。
三つ。諦める。現実は非情である。僕は死ぬ。
冗談じゃない。ここは第四の選択肢を選ばなくてはいけないようだ。
「そうだなあ。君の体型がどうというのは正直僕には分からない」
まず、正直な感想を述べる。
「でも魔理沙やアリスに比べたら太っていると思うでしょう」
「ああ、うん。君の服は余裕があるから、そう見えるのかも知れないね」
そして意見を求められたら同意をする。ここで解決させようと思ってはいけないのだ。
ただただ同意をする。それだけでいい。
「そうよね。太って見えるわよね」
その上で、だ。
「ただ、他の皆はどうかは知らないが、僕はふくよかな女性も魅力的だと思うよ」
プラスのイメージを与える。
つまり「太っている」ということに対するネガティブな印象を払拭するのだ。
「えっ」
「いや、実際、男の認識としてはそっちのほうが強いんじゃあないかな」
実際、男性と女性でそのあたりの感覚はかなり違うと思う。
僕はどっちでもいいんじゃないかと思うのだが。
「……それは、私に好意を抱いているとかそういう?」
「嫌いではないと言っておこう」
パチュリーは数少ない本の中身を語れる同志なのだ。
「人によってどう感じるかはそれぞれだよ。痩せたいっていうなら協力出来ないこともない」
実のところ、外の世界のダイエット器具というものを手に入れていたので、それを試してもらいたくはあったのだ。
自分でやるほどの関心もないから、用途が分かっていても使う相手が無く、使う機会を探していたのである。
「それに、外の世界の歌ではこう歌われているそうだ。『ありのままの自分でいいの』とね」
パチュリーは少し考える仕草をした。
「……そうね。魔理沙に言われたからって焦る必要は無いかしら」
「お、そうかい」
どうやらダイエット器具の出番は無さそうだった。
「ありがとう。参考になったわ」
「ああ」
満足げな様子で去っていく彼女を見送った後、僕は大きく息を吐いた。
「我ながら慣れないことをしているもんだなぁ」
そりゃあ客商売であるから気遣いは必要な技術なのだが。
ここ最近まともな客なんか来た覚えがないので、記憶からだいぶ消えかかっていた。
まあ、僕にしては及第点だったろう。自分で自分を褒めてやることにした。
「私ってそこそこ外出する方なんだけれど」
次の日、アリスがやって来た。
「最近外出が多かったのよね」
「……ああ、それで?」
この話題の振られ方は嫌な感じがする。
というか昨日も同じような事があった。
「痩せたのかしら、私」
これまた答えに困る難題である。
ここでそうだね、痩せたと思うどと迂闊に答えてはいけない。
即座に十倍くらいの言葉で、いかに自分が痩せていないかということを語られるのだ。
その内容は殆どの場合、僕にはちっとも理解できない。
そして理解できない事を答えると怒られる。そんな理不尽が待ち受けているのだ。
答えは三択だ。
一つ。肯定する。そうだね。痩せたんじゃあないか。僕は死ぬ。
二つ。否定する。いや、変わらないと思うよ。嘘つき。僕は死ぬ。
三つ。諦める。現実は非情である。僕は死ぬ。
これも昨日考えたじゃあないか。冗談じゃない。
僕はまた第四の選択肢を考えなければいけないようだ。
「まず、妖怪と人間の時間は同じようで違うということは、わざわざ言わないでもわかると思うが」
「何の話?」
「時間の話だよ。つまりだ。短くても一年単位で見なければ結果は分からない」
一週間二週間で増減があるなんていうのは当たり前のことだ。
一日二日で違いを判断しようなんていうのは論外である。
「一年前の事なんて覚えてないわ」
「なら、それは誤差の範囲内なんじゃあないかい?」
「……誤差、ねえ」
アリスは割と目の前のことに集中するタイプである。
一つ一つを完璧にした結果、最終的には全体としてバランスが取れているという感じなのだ。
「でも、他人に言われるってことはそう見えたって事なんじゃ?」
「本人が把握していないことを外から見たって分からないさ。魔理沙やパチュリーはそんなに君に詳しいのかい?」
「……あの二人よりは自己に対して知っているつもりよ」
「なら君自身が次の一ヶ月で判断するべきだろう。数字も無いのに判断は出来ないはずだ」
そして彼女であればそれが出来る。徹底的に几帳面なのがアリスなのだ。
意識すればもちろんのこと、無意識にだってそれをやってのけていると思う。
だから痩せているという意見も根拠がないものなのだろう。
「そうなのかしら……」
しかし他人に言われるとどうしても気になるものらしい。
パチュリーは太ったのが嫌だといい、アリスは痩せたことが引っかかるようだ。
いっそ二人が逆転してしまえばちょうどよくなるんじゃないだろうか、と思うのだが現実はそうはいかない。
他人の芝はなんとやらというものなのだろうか。
「確かめるのが嫌だというなら他の方法を考えるが」
「いえ、確かめないで判断するのは早計だったわね。少しデータを取ってみることにするわ」
「そうするといい」
「ありがとう。参考になったわ」
満足げな様子で去っていくアリスを見届けた後、僕はまた大きく息を吐いた。
「……この様子だと明日は魔理沙だな」
今から準備をしておかねばなるまい。
「こないだアリスとパチュリーが体重の話になったんだけどさあ」
ほら来た。普段の僕なら即座にどうでもいいんじゃないかと答えるところだ。
「私はぜんっぜん興味ないんだよな」
魔理沙も僕と同意見らしい。ハイタッチでもしたい気分だ。
「しかし、話題には加わったんだろう?」
「ああ。興味がないと正直に言った」
このあたり、僕の影響を受けてるんじゃないかと思ってしまう。
「で、なんだって?」
「そうじゃないって否定されて散々あれこれ言われた」
「そりゃあ大変だったね」
回避出来てよかった。長く生きた経験が生きたということだ。
「しょうがないからさー。言ったんだよ。パチュリーは太ったんじゃないか、アリスは痩せたんじゃないかって」
「実際はどうなんだい?」
「知らん。適当だからなー」
やはり適当だったか。ある程度は予測していたことだが。
「ところが、だ。次の日になったらパチュリーが全っ然違うこと言い出したんだよ」
「ふうん?」
「人それぞれ何だから気にしたってしょうがないわみたいなさ。アリスなんかすっごい顔してたぜ」
それは僕の言葉が効果が合ったということだろう。うむ。
「で、詳しく聞いても教えてくれなかったんだが……次の日のアリスもまた様子が変わってた」
「へえ?」
「痩せてるとかそんなのは、ただの誤差よ。ちゃんとデータを取らないとみたいにさ」
「いいことじゃあないか」
「良かぁ無いぜ。自分らから話題振ってきて自己完結してさあ」
「元々そういうものだろう。本人の問題なんだから、本人が納得していればそれでいいじゃないか」
「そりゃあそうなんだけどさぁ……」
魔理沙は納得しないだろう。彼女は首を突っ込んだら自分で解決したがるほうだ。
「なら来月あたりにまた同じ話題を振ればいい」
「私から振るのもなんか違う気がするんだよなあ」
「君も女の子なんだからそういうところは多少は気にしたほうがいいよ。痩せ過ぎたり太り過ぎたりでホウキに乗れなくなったら困るだろう」
パチュリーとアリスは魔女であるから、それこそ誤差で済ませられるだろうが。
「まあ、体重の話なんかどうでもいいとは思うんだが。君はもっと体を大事にしなきゃ駄目だよ」
「なんだよ、珍しく心配してくれてるのか?」
「正論を言っているだけさ」
「つまり私の事はどうでもよくないと」
「まあ、そうだね」
少なくともツケを返して貰う前にどうにかなられたら困ってしまう。
「そうかー」
とりあえず納得したようだった。
「いやー困った時は香霖に相談するに限るな」
彼女らにやってることは相談とは言わない。
ただ僕に愚痴を言って同意を求めているだけだ。
そして僕は同意し、可能であればプラスのイメージを与える。
それでいいのだろう。彼女らはたとえソレが解決しなかったとしても、話して同意されたことで八割以上は満足しているのだから。
「じゃあなー」
「こらこら」
僕はそのまま帰ろうとする魔理沙を慌てて呼び止めた。
「なんだよ?」
「何だよ、じゃあない」
どうして僕が普段やりもしない彼女らのフォローをしたのか。
最大の理由がそこにあった。
「あ、そっか」
魔理沙は思い出したようにぽんと手を叩く。
「ちゃんと借りてきたぜ。心配するな」
そうして頭の帽子の中から一冊の本を取り出すのであった。
「そう、それだ」
表紙には、手書きで文字が記されている。
僕は飛び上がりたくなるような感情を抑えつつ、本を受け取った。
「魔術書としては全然価値ないぞ」
「内容は僕も知っているよ」
重要なのはそこではない。僕は巻末の発行日を確認した。
「見てくれ!初版本だ!」
「ふーん」
魔理沙はてんで興味が無さそうだった。
いかにこの本に価値があるのか説明したいところではあったが、それで回収されてはたまらないので今回は止めておく。
「じゃあこれはウチの本にするよ」
「どうせ非売品にするんだろ」
「ははは」
きっかけは、売り物の本を冷やかしていた魔理沙の何気ない一言だった。
『この本って表紙に変な文字が書いてないんだな』
詳しく尋ねると、図書館に同じ本があるらしい。
さらにその文字は作者の名前であった。つまり直筆のサイン本ということである。
僕は極めて冷静を装い、魔理沙に交渉を頼んだ。
落書きされてしまったのかもしれないね。良かったら、うちにあるこの本とその本を交換しないかい?と。
僕自身が交渉に行っても良かったのだが、あまりがっつくと下を見られてしまう。
『パチュリーに聞いてみる』
ところが、たまたまその日アリスが図書館に来ていたらしい。
『一応何か重要な所がないか調べたほうがいいと思うわ』
そして魔理沙、パチュリー、アリスで本を調べることになったのだ。
僕は気が気では無かった。サインに気づかれてしまうかもしれないからだ。
だから彼女らが香霖堂に来た時も肝が冷えていた。
本についての話題だとばかり思っていたのだ。
しかし、そうはならなかった。
僕は自分でも珍しいと思うくらい丁寧に彼女らの対応をした。
それが良かったのかもしれない。
今、この初版のサイン本は僕の手元にある。
サイン入りというだけでもありがたいのに、まさか初版であったとは。
魔理沙が居なければ本当に飛び跳ねているところだ。
「ありがとうと伝えておいてくれよ」
「ああ」
「あのサイン入りの本、そんなに喜んでたの?」
「ああ、誰なんだかさっぱり分からない奴なのになあ」
「まあ、それならそれでいいじゃない。私は初版とかどうでもいいもの」
「男の人ってよく分からないわね」
「全くだ」
「価値観なんて人それぞれで、全然アテにならないってことね」
魔理沙のことをよくわかっている香霖が良かったです
地味に女性の扱いを心得ているのはきっと彼の過去に由来するのでしょう
サクサクと軽快に読めて面白かったです。価値観ってほんと人によって違いますよね。
男の価値観は女にとって興味のないもの
故に上手く回るものであるなぁ、と。