その流星の輝きに魅せられたのは、一体何時からだろう。
瞬きの間に消え去っていくそれは、どれだけ手を伸ばそうとも、触れることすら敵わないのに。
◇◇◇ ◇◇◇
「……ス。……リス」
「…………」
「おい、アリス!」
「ッ、ああ、ごめんなさいね」
眼前の少女の呼びかけで、私は思考の海に沈んでいた意識を表層へと引き上げた。焼きたてのクッキーの香りと、慌てて口に含んだ紅茶のベルガモットの香りが鼻腔を満たし、思考を整理するだけの余裕を私に与えた。
ここは私の家。目の前にいるのは魔法の森に棲む魔法使いの少女、霧雨魔理沙。
現状を把握できたところで、私はまず脳裏に浮かんだ疑問を解消するべく、素直に問いかけることにした。
「……ところで、私たちは何の話をしていたのだったかしら?」
「……おいおい。確かに年齢的に考えればおかしくないが、見た目からするとちと不釣り合いじゃないか?そのボケ具合は」
呆れたような表情の魔理沙がやれやれ、といった表情で毒を吐く。何歳になろうと少女は少女。
年齢の話などという無粋な話を茶会の席に持ち込むべきではない。デリカシーなどというものとは到底無縁なこの娘には、そんな至極当然のマナーを守ることも期待できないが。
多少癪に障ったが、喉元へと競りあがってきた言の葉を胸の中にしまい込み、ジロリ、と眼前の少女をねめつけると、彼女は悪びれた様子もなく笑顔を零した。
「はは、そう睨むな。久々の茶会だから、以前の調子を取り戻してやろうと意気込んでるんだ」
「そんなもの取り戻さなくていいわよ。あんたの調子が良い時なんて碌なことがなかったわ」
「おいおい酷いな。……まあいい、話を戻そう。今回の異変の顛末について話してた所だったろ?」
「……ああ、そうだったかしらね」
そうだ。私は先ほどから、先の異変での魔理沙の体験談に耳を傾けていたのだった。
魔理沙の口から語られる、あまりにスケールの大きな話に、半ば御伽噺の語りを聞くような心地でいたために、どうにも意識がぼんやりとしていたのだろうか。
地上を浄化すべく送り込まれた浄土の兵士。夢の世界から月への道程。因縁深き月の民との再会。そして月の救世主となった魔理沙たち。
「どうにも、私のキャパシティでは受け止めきれない規模の話だわ。いつから幻想郷はこんなとんでもない陰謀に巻き込まれる場所になってしまったのかしら」
「まったくだ。こんな僻地の何があんな大事件を引き寄せるのかねぇ。私ら善良な小市民からすればはた迷惑な話だよな」
「あら、私はともかく、いつから世間一般は泥棒のことを善良な小市民と呼ぶようになったの?」
「泥棒とは失敬な。死ぬまで借りてるだけだと何度も言ったはずだぜ」
相変わらずの屁理屈を振りかざし、悪戯っぽく笑みを浮かべる眼前の少女が、幻想郷と月を救った英雄の一人であるとは、こうして話を聞いた今でもとても実感が湧かなかった。
それは、こうしてくだらない話に花を咲かせる日常が、出会った頃から変わらず続いているからかもしれなかった。
「それで、その異変で出会った変なのが、最近うちに良く押しかけてきて大変なんだよ。どうにかしてくれ」
「さあ、私もよくうちに来る変なのの対処に精いっぱいで、あんたの方に手は貸せないわね」
「そりゃあ大変だ。私のような変じゃないのが友人でよかったな」
「あんたの事よ、バカ」
魔理沙の語りで出てきた『変なの』というのも、その名から察するに、どうやらとてつもなく強大な存在であるらしい。そして何の間違いか、その神は魔理沙を気に入り、今こうして魔理沙の家に通い詰めているようだ。
かの神の寵愛を受けし魔女は、きっと魔法使いとしてこれ以上ない高みへと昇るだろう。――そこまで考えて初めて、私は眼前の霧雨魔理沙という少女が、途方もなく遠い存在のように感じられた。
終わらない冬の異変。初めて会った彼女は、姿形、性格、言動に至るまで、今とさほど変わらなかったように思う。ただ、星を象った弾幕を身に受けながら、綺麗だな、という見当はずれな考えを浮かべていたことを覚えている。
少女は、あれからずっと前だけを見て進み続けてきた。自分の遥か先を行く少女の背中を追いかけながら、ただひたすら、ひたむきに。
その想いがこの度の異変で結実したのだ。私は本来ならば、彼女の友人として、そのことを祝福すべきなのだろう。
だが私の胸の内にある感情は、喜びではなく、一抹の寂しさ。
幾度となく背中を預けて戦ってきた。背で感じてきた重みと体温が無くなることが、こんなにも喪失感を覚えさせることを、私は初めて思い知らされたのだ。
――ああ、そうか。私は、寂しかったのだ。彼女の話を話半分に聞いていたのも、その話を聞き入れてしまったら、彼女が遠い存在に感じてしまう気がして、怖かったからだ。
「…………」
「おい、アリス?さっきからどうしたんだよ」
「……貴女は、勝手ね」
なんの気なしにぽつり、と零した一言が、彼女を言い表すのに相応しいものであるように感じてしまったのだから、相当な重症だ。
理性が本能を御することが出来ない。熱に浮かされたように、私は言葉を並べ立てる。
「貴女たちはいつもそう。ただ自分勝手に突き進んで、いろいろなものを置き去りにしてしまう。私たちの気持ちを考えたこともないんでしょ。焦がれたものに、どれだけ手を伸ばしても届かない気持ちなんて、理解しようとも思わないんでしょ」
「アリス?お前――」
「ねえ魔理沙。貴女もそうなんでしょう。私の隣から、瞬きの間に消え去ってしまうのね」
「――泣いてるのか」
癇癪を起こした少女のように喚きたてる私の手首を掴んで、魔理沙は私の瞳を覗き込む。星の光のように澄んだ金色が、心の底まで射貫くように、こちらをじっと見つめていた。
その輝きに魅せられたように、内から湧き上がる熱。私はかぶりを振ってそれを打ち消すと、一つ、二つと深く呼吸をして、魔理沙の手を振り払った。
「……ごめんなさい。取り乱したわ。今日の茶会はここまでにしましょう。もう和やかに雑談するような雰囲気じゃ無くなってしまったし」
魔理沙が口を開くことを拒むように、矢継ぎ早に言葉を繰り出すと、半ば強引に彼女を玄関の方へと送り出していった。
魔理沙は困惑と疑念が入り混じったような表情で、少し顔を顰めている。嫌われてしまったのなら、それでもよかった。今の私の心は、彼女に置いて行かれることにも、彼女を喪うことにも、とても耐えられないだろうから。
「……それじゃあ、またね」
「…………」
「……急にごめんなさい。申し訳ないのだけれど、私はもう、あなたと――」
私がその言葉の続きを紡ごうとした瞬間、魔理沙は、はぁ、と一つ大きなため息を吐くと、頭を押さえつけるように、トレードマークの帽子を私に被せた。
困惑した私が顔を上げようとするのを手で制して、魔理沙は呆れたように言った。
「まったくお前は、人の悩みは言わなくても聞いてくるくせに、自分の悩みを言うつもりはさらさらないんだな」
「……ごめんなさい。でも私は」
「あーあーいいぜ。私はお前みたいに、人にまであれこれ気を配るのは苦手なんだ。だから一つだけ言っておくぜ」
魔理沙は私の肩を両手でぐっ、と掴んで、帽子の上からぶっきらぼうに言葉を吐き出した。
「私はお前が評するように自分勝手だ。だから、お前が何と言おうと歩みを止めるつもりはない。向う見ずに、ただバカみたいに突き進んできたのが私の生き様だし、それを曲げるつもりはこれっぽっちもない」
「…………」
「だけど、そんな私にだって、立ち止まりたいときはある。立ち止まって、こうして顔を突き合わせて、くだらない話で盛り上がる時間を、私は存外に気に入ってるんだ。失いたくはない」
「…………」
「――だから、お前はそのままでいろ。私が立ち止まりたいとき、この家でいつものように私を出迎えてくれ。それだけで、私はまた前に進めるんだ」
「……ふっ、くすくすくす」
ぶっとんだ彼女の言葉に、思わず笑ってしまう。なんだそれは。これ以上なく自己中で、不躾な言葉。これしきの事で悩んでいたのが、アホらしく感じられるくらいに。
「その帽子、また今度取りに来るからな。紅茶とクッキーを用意して待っとけよ。――絶対に、また来るからな」
体にかかる重みが消えたかと思うと、一陣の風とともに、彼女は瞬く間に秋の空へと消えていった。頬を流れ落ちる雫を覆い隠すように、私は帽子をぎゅっと押さえつける。
ただ吹きすさぶ秋の風に、遠い空を飛ぶ彼女の姿を偲んで、瞳を閉じた。
◇◇◇ ◇◇◇
その流星の輝きに魅せられたのは、一体何時からだろう。
瞬きの間に消え去っていくそれは、どれだけ手を伸ばそうとも、触れることすら敵わないのに。
それでも、流星が流れ落ちる瞬きの間に、胸に秘めた想いを伝えられたなら。
そう願うのだ。
流星から遠く離れた空の下で、一人。
瞬きの間に消え去っていくそれは、どれだけ手を伸ばそうとも、触れることすら敵わないのに。
◇◇◇ ◇◇◇
「……ス。……リス」
「…………」
「おい、アリス!」
「ッ、ああ、ごめんなさいね」
眼前の少女の呼びかけで、私は思考の海に沈んでいた意識を表層へと引き上げた。焼きたてのクッキーの香りと、慌てて口に含んだ紅茶のベルガモットの香りが鼻腔を満たし、思考を整理するだけの余裕を私に与えた。
ここは私の家。目の前にいるのは魔法の森に棲む魔法使いの少女、霧雨魔理沙。
現状を把握できたところで、私はまず脳裏に浮かんだ疑問を解消するべく、素直に問いかけることにした。
「……ところで、私たちは何の話をしていたのだったかしら?」
「……おいおい。確かに年齢的に考えればおかしくないが、見た目からするとちと不釣り合いじゃないか?そのボケ具合は」
呆れたような表情の魔理沙がやれやれ、といった表情で毒を吐く。何歳になろうと少女は少女。
年齢の話などという無粋な話を茶会の席に持ち込むべきではない。デリカシーなどというものとは到底無縁なこの娘には、そんな至極当然のマナーを守ることも期待できないが。
多少癪に障ったが、喉元へと競りあがってきた言の葉を胸の中にしまい込み、ジロリ、と眼前の少女をねめつけると、彼女は悪びれた様子もなく笑顔を零した。
「はは、そう睨むな。久々の茶会だから、以前の調子を取り戻してやろうと意気込んでるんだ」
「そんなもの取り戻さなくていいわよ。あんたの調子が良い時なんて碌なことがなかったわ」
「おいおい酷いな。……まあいい、話を戻そう。今回の異変の顛末について話してた所だったろ?」
「……ああ、そうだったかしらね」
そうだ。私は先ほどから、先の異変での魔理沙の体験談に耳を傾けていたのだった。
魔理沙の口から語られる、あまりにスケールの大きな話に、半ば御伽噺の語りを聞くような心地でいたために、どうにも意識がぼんやりとしていたのだろうか。
地上を浄化すべく送り込まれた浄土の兵士。夢の世界から月への道程。因縁深き月の民との再会。そして月の救世主となった魔理沙たち。
「どうにも、私のキャパシティでは受け止めきれない規模の話だわ。いつから幻想郷はこんなとんでもない陰謀に巻き込まれる場所になってしまったのかしら」
「まったくだ。こんな僻地の何があんな大事件を引き寄せるのかねぇ。私ら善良な小市民からすればはた迷惑な話だよな」
「あら、私はともかく、いつから世間一般は泥棒のことを善良な小市民と呼ぶようになったの?」
「泥棒とは失敬な。死ぬまで借りてるだけだと何度も言ったはずだぜ」
相変わらずの屁理屈を振りかざし、悪戯っぽく笑みを浮かべる眼前の少女が、幻想郷と月を救った英雄の一人であるとは、こうして話を聞いた今でもとても実感が湧かなかった。
それは、こうしてくだらない話に花を咲かせる日常が、出会った頃から変わらず続いているからかもしれなかった。
「それで、その異変で出会った変なのが、最近うちに良く押しかけてきて大変なんだよ。どうにかしてくれ」
「さあ、私もよくうちに来る変なのの対処に精いっぱいで、あんたの方に手は貸せないわね」
「そりゃあ大変だ。私のような変じゃないのが友人でよかったな」
「あんたの事よ、バカ」
魔理沙の語りで出てきた『変なの』というのも、その名から察するに、どうやらとてつもなく強大な存在であるらしい。そして何の間違いか、その神は魔理沙を気に入り、今こうして魔理沙の家に通い詰めているようだ。
かの神の寵愛を受けし魔女は、きっと魔法使いとしてこれ以上ない高みへと昇るだろう。――そこまで考えて初めて、私は眼前の霧雨魔理沙という少女が、途方もなく遠い存在のように感じられた。
終わらない冬の異変。初めて会った彼女は、姿形、性格、言動に至るまで、今とさほど変わらなかったように思う。ただ、星を象った弾幕を身に受けながら、綺麗だな、という見当はずれな考えを浮かべていたことを覚えている。
少女は、あれからずっと前だけを見て進み続けてきた。自分の遥か先を行く少女の背中を追いかけながら、ただひたすら、ひたむきに。
その想いがこの度の異変で結実したのだ。私は本来ならば、彼女の友人として、そのことを祝福すべきなのだろう。
だが私の胸の内にある感情は、喜びではなく、一抹の寂しさ。
幾度となく背中を預けて戦ってきた。背で感じてきた重みと体温が無くなることが、こんなにも喪失感を覚えさせることを、私は初めて思い知らされたのだ。
――ああ、そうか。私は、寂しかったのだ。彼女の話を話半分に聞いていたのも、その話を聞き入れてしまったら、彼女が遠い存在に感じてしまう気がして、怖かったからだ。
「…………」
「おい、アリス?さっきからどうしたんだよ」
「……貴女は、勝手ね」
なんの気なしにぽつり、と零した一言が、彼女を言い表すのに相応しいものであるように感じてしまったのだから、相当な重症だ。
理性が本能を御することが出来ない。熱に浮かされたように、私は言葉を並べ立てる。
「貴女たちはいつもそう。ただ自分勝手に突き進んで、いろいろなものを置き去りにしてしまう。私たちの気持ちを考えたこともないんでしょ。焦がれたものに、どれだけ手を伸ばしても届かない気持ちなんて、理解しようとも思わないんでしょ」
「アリス?お前――」
「ねえ魔理沙。貴女もそうなんでしょう。私の隣から、瞬きの間に消え去ってしまうのね」
「――泣いてるのか」
癇癪を起こした少女のように喚きたてる私の手首を掴んで、魔理沙は私の瞳を覗き込む。星の光のように澄んだ金色が、心の底まで射貫くように、こちらをじっと見つめていた。
その輝きに魅せられたように、内から湧き上がる熱。私はかぶりを振ってそれを打ち消すと、一つ、二つと深く呼吸をして、魔理沙の手を振り払った。
「……ごめんなさい。取り乱したわ。今日の茶会はここまでにしましょう。もう和やかに雑談するような雰囲気じゃ無くなってしまったし」
魔理沙が口を開くことを拒むように、矢継ぎ早に言葉を繰り出すと、半ば強引に彼女を玄関の方へと送り出していった。
魔理沙は困惑と疑念が入り混じったような表情で、少し顔を顰めている。嫌われてしまったのなら、それでもよかった。今の私の心は、彼女に置いて行かれることにも、彼女を喪うことにも、とても耐えられないだろうから。
「……それじゃあ、またね」
「…………」
「……急にごめんなさい。申し訳ないのだけれど、私はもう、あなたと――」
私がその言葉の続きを紡ごうとした瞬間、魔理沙は、はぁ、と一つ大きなため息を吐くと、頭を押さえつけるように、トレードマークの帽子を私に被せた。
困惑した私が顔を上げようとするのを手で制して、魔理沙は呆れたように言った。
「まったくお前は、人の悩みは言わなくても聞いてくるくせに、自分の悩みを言うつもりはさらさらないんだな」
「……ごめんなさい。でも私は」
「あーあーいいぜ。私はお前みたいに、人にまであれこれ気を配るのは苦手なんだ。だから一つだけ言っておくぜ」
魔理沙は私の肩を両手でぐっ、と掴んで、帽子の上からぶっきらぼうに言葉を吐き出した。
「私はお前が評するように自分勝手だ。だから、お前が何と言おうと歩みを止めるつもりはない。向う見ずに、ただバカみたいに突き進んできたのが私の生き様だし、それを曲げるつもりはこれっぽっちもない」
「…………」
「だけど、そんな私にだって、立ち止まりたいときはある。立ち止まって、こうして顔を突き合わせて、くだらない話で盛り上がる時間を、私は存外に気に入ってるんだ。失いたくはない」
「…………」
「――だから、お前はそのままでいろ。私が立ち止まりたいとき、この家でいつものように私を出迎えてくれ。それだけで、私はまた前に進めるんだ」
「……ふっ、くすくすくす」
ぶっとんだ彼女の言葉に、思わず笑ってしまう。なんだそれは。これ以上なく自己中で、不躾な言葉。これしきの事で悩んでいたのが、アホらしく感じられるくらいに。
「その帽子、また今度取りに来るからな。紅茶とクッキーを用意して待っとけよ。――絶対に、また来るからな」
体にかかる重みが消えたかと思うと、一陣の風とともに、彼女は瞬く間に秋の空へと消えていった。頬を流れ落ちる雫を覆い隠すように、私は帽子をぎゅっと押さえつける。
ただ吹きすさぶ秋の風に、遠い空を飛ぶ彼女の姿を偲んで、瞳を閉じた。
◇◇◇ ◇◇◇
その流星の輝きに魅せられたのは、一体何時からだろう。
瞬きの間に消え去っていくそれは、どれだけ手を伸ばそうとも、触れることすら敵わないのに。
それでも、流星が流れ落ちる瞬きの間に、胸に秘めた想いを伝えられたなら。
そう願うのだ。
流星から遠く離れた空の下で、一人。
美しかったです、今後の投稿に期待しております。
良い感じでした
次の作品を待ちしています
マリアリにはこういう関係性が妙に似合うように思えます
なんとも寂しいような雰囲気が良かったです
良い関係だと思いました