桜が咲いているから。花見を始めた理由はたったそれだけだった。
その宵の酒は妙に旨く、妙に染み渡る。
桜の樹に背中を預けて座り込んでいた博麗霊夢は、花開くようにまぶたを開いた。
――数秒ほど寝入っていたらしい。
いや、まだ眠っているのかもしれない。遊離した意識が桜の花びらと共に舞い、宴会の席を見ているような。みんなから見られているような。花びらが地面に一枚、また一枚と落ちるたび、左手に載っている杯が軽くなっていく。
花びら舞う小さな世界に、少女達のはしゃぐ姿が見えた。
霧雨魔理沙――普通を自称する魔法使い。腐れ縁と呼ぶのが一番しっくりくるだろうか。随分長いつき合いをしている。
異変のたび出張ってきて、色んな奴をやっつけてきて、ずっと一緒に飛んできた。
夜桜を帽子で受け止めて笑う彼女は、きっと霊夢の一番の友達なのだろう。
魂魄妖夢――白玉楼の庭師というだけあって、桜をモチーフにしたスペルを持つ剣士。
そのスペルと今ここにある本物の桜、どちらも眩しいほどに美しい。その心の在りようのように。
キャラクターを迷走させながらも前に進み続ける強さがあれば、幻想郷がどんなに変わっても負けやしない。
東風谷早苗――守矢神社の風祝。最初は敵同士で、なんだかよく分からないうちに馴染んでしまった少女。
異変を共に解決した回数も多い。巫女としての生き方を楽しむ彼女は、これからも異変を解決していく。
夜桜の下で大幣を振りかざして元気いっぱいに笑う彼女がいれば、きっと幻想郷は安泰なのだろう。
十六夜咲夜――初めて会った頃に比べだいぶ取っつきやすくなった、面倒見がよくて調子もよい愉快なメイド。
人間の輪から外れ、悪魔の館に巣食うようになりながらも、今ここに集う人間離れした人間の輪には馴染んでいる。
人間離れした人間となら人間らしくつき合える彼女なら、最後まで人間であり続けられるだろう。
藤原妹紅――もっとも人間からかけ離れた人間でありながら、救いようのないほど人間でしかない少女。
不老不死という孤独を患いながらも、最近は人間の友達を新しく作ることができて毎日が楽しそうだ。
彼女を慕う人間が側にいる間は、きっと人間らしく生きていける。これからも人間の友達に恵まれますように。
ああ、そうか。今日はたまたま人間だけが集まって花見をしていたのだ。
ああ、そうか。今日まで博麗の巫女としてがんばってこれたのは、人間が好きだったからだ。
ああ、そうか――。
去来する満足感。
未熟未熟と言われてきた少女はこの瞬間、悟りの境地に達していた。
故に、もう未練はない。
生きて、生きて、生きて……わずか十数年、けれど誰よりも眩しく生きた。
今、霊夢の中にはすべてがある。すべてを理解し、すべてを悟ったのだと実感した。
すべての欲が滅却され、森羅万象と一体と化し、眠りという形で現世から剥離する。
そう、安らかな眠り……永久の眠りへと……。
カラン、と、手のひらから杯が落ちる。
――博麗霊夢、死亡。
○ ○ ○
「いやお前さんなんも悟ってないからね。森羅万象さん関係ないからね。百八の煩悩を滅却して生への執着も捨てて死んで解脱ってのもあるけど、お前さんのそれアレだよアクション映画観た直後のなぜか自分も強くなった気がするアレに近いからね。このまま彼岸に渡っても涅槃行けないからね、自殺に近い扱いになって地獄行きだからね」
三途の河で待っていたのは、小野塚小町からの怒涛のツッコミラッシュであった。
順番待ちの魂を後ろに並べたまま、博麗霊夢の魂は船に乗せてもらえずふよふよしている。
死神からの説教中だというのに、馬の耳に念仏状態だ。
「まったく。こんなしょーもないな死に方いちいち認めてたら、死神の仕事が馬鹿みたいに増えちまうじゃないか。ほらほら、閻魔様に見つからんうちに帰りな。早くしないと身体が腐っちまうよ、距離は短くしてやるからすぐさ。行った行った!」
こうして博麗霊夢の魂は現世に追い返されたのだった。よかったよかった。
○ ○ ○
「霊夢、霊夢しっかりしろ! 霊夢ぅー!」
「まさか急性アルコール中毒!? 未成年なのに飲みすぎなんですよ幻想郷の皆さんはー!」
霊夢の息の根が止まっているのに気づき、ただただ狼狽する魔理沙と早苗。
「とと、とにかく医者……永遠亭に連れてくわよ!」
「って、ああぁー!? 魂、霊夢の魂がもう抜けちゃってるぅー!!」
慌てながらも対処しようとする咲夜と、半人半霊であるため魂が抜けていることに気づいた妖夢。
平和でのどかな花見が一転、大騒ぎになってしまった。
「なんだか分からんが永遠亭に運ぶぞ! いいな!?」
「待って! 迂闊に動かしたらマズイかもしれません、むしろ医者をここに呼んだ方が!」
「魂が抜けてるってどういうこと? もう手遅れってこと!?」
「残念ながら霊夢はもう……って、あれ? 魂が戻って……ちょ、身体こっち、こっち入って! そっち違うそれ身体違うー!」
一人だけ見えている世界の違う妖夢。
魂の有無という重要な要素ゆえ、他の三人も妖夢の眺める虚空を見やる。
本当にそこに霊夢の魂がいるのか。花びらが舞っているだけじゃないか。酔って見間違えてるのか。真実なのか。
「お、おおー!? そう、そこ! それ! 入った霊夢の魂が肉体に入ったぁー!」
鬼気迫る勢いのためきっと真実なのだろう。
妖夢渾身のリアクションにより、他三名はホッと一息つく。
魂が戻ったのなら大丈夫だろう。息を吹き返すだろう。
安堵の表情で霊夢を見つめること五秒。
不安の表情で霊夢を見つめること五秒。
疑惑の表情で妖夢を見つめること五秒。
困惑の表情で妖夢が後ずさりをし――。
「ほほーう、懐かしい死に方してるなぁ」
霊夢が死んでいると皆が理解する直前、花を摘みに行っていた妹紅が戻ってきた。
四人の人間をかき分けた不死者は霊夢の遺体の前で膝をつくと、巫女装束をめくって胸元に手を突っ込む。
魔理沙、早苗、妖夢がギョッと赤面する中、妹紅はうんうんと頷く。
「やっぱりこれ"致死性燃え尽き症候群"だ」
「ち、ちしせーもえつきしょーこーぐん?」
奇天烈な響きのため魔理沙が代表して聞き返したが、妹紅は気にも留めず霊夢の胸元から手を引き抜くと、弓を引きしぼるようにグッと右腕を動かし、手の内に熱を集中させる。
「私も何十年か昔にかかった病でね、人生やり切った気分になって生きる気力も無くなって、そのまま死ぬ精神病さ。治療法は簡単。完全に死ぬ前に死ぬ気で気力を注入してやるだけ」
と言いながら掌に込められた熱は威力を拡大し、赤々と輝く炎の球体と化していた。
物騒すぎる予感に魔理沙は青ざめる。
「ちょ、おま……」
「お前のハートにフジヤマヴォルケイノー!!」
渾身の気力注入が霊夢の胸に撃ち込まれる。
と同時に危険を察知した咲夜は狼狽中の魔理沙を抱えてその場から離脱。
早苗は咄嗟に結界を張って身を防ぎ、妖夢は半霊を盾にしてしまいその意味の無さに嘆いた。
フジヤマヴォルケイノの火球は霊夢の心臓を起点として爆発し、五体の隅々にまでその威力をほとばしらせる。
人間が受ければ確実に死ぬ威力だった。まさか霊夢に引導を渡そうとでもいうのか?
いや違う!
人間が死ぬ威力なのに違いはないが、霊夢はすでに死んでいる。
死んでいるからこれ以上死にようがなく、マイナス同士の掛け算のようにプラスへと反転。
注入された気力を糧として博麗霊夢のまなこが開く!
「ぎゃー!」
「んっ、元気のいい悲鳴。結構結構」
燃えるように熱い胸をはたきながら飛び起きた霊夢は、キッと妹紅を睨みつけるやその場で華麗な宙返りをしつつ痛烈に蹴り上げる。
「なにすんのよ!」
「ぐわー!」
空高く蹴り上げられた妹紅、夜桜の枝の合間を突き抜けて夜空の星に合流して見事に昇天。
ぜいぜいと息を切らす霊夢は冷静さを取り戻して、ようやく周囲の四人の視線に気づく。
驚きや感動の入り混じった奇怪な視線だ。意味が分からず居心地が悪い。
「な、なに? どうしたの?」
「れ、霊夢ぅー!」
「心配かけさせないでくださいよ! もう!」
感情的な魔理沙と早苗が大喜びでしがみついてきた。咲夜もうんうんと頷き、妖夢はその場にへたり込んでいる。
誰もが彼女の無事を心から喜んでいた。
幻想郷の巫女、愛されし人間、博麗霊夢。
死ぬほど幸せいっぱい胸いっぱいの人生はこれからだ!
「いい雰囲気になってるとこ悪いけど、致死性燃え尽き症候群って癖になるからまたすぐ死ぬよ」
だがしかし、妹紅が地上にてリザレクションの火柱を起こしつつ爆弾発言を放り込んできた。
魔理沙、早苗、咲夜、妖夢の顔はさぁっと青くなり、未だ状況を掴めぬ霊夢はなんのこっちゃと首を傾げる。
「ちょ、まっ、それじゃ霊夢はどうなるんだ!?」
「心臓止まるたび、人間が死ぬ程度の威力をハートにぶち込めば息を吹き返すな。物理的にも精神的にもぶち込まないといけないから、生きてくれって気力を込めて全力で強力なスペルを胸にぶち込めばいい」
「待てい、死ぬ程度の威力って……」
「ああ、心臓止まってない時にやると普通に死ぬからそこだけ注意」
「死ぬじゃん!」
「心臓止まってる時なら死なないから平気平気」
あまりにも過激すぎる治療法に全員ドン引きである。
下手したら人殺し一直線。
博麗の巫女殺しともなれば幻想郷全妖怪からターゲットロックオン! 絶対に絶命する。
当の霊夢は相変わらず状況を理解しておらず、頭から煙を出して魔理沙ににじり寄る。
「ちょっとあんた等、さっきからなに私の暗殺計画相談して――」
「大事な話なんだ黙っててくれ!」
「は、はい」
が、いつになく鬼気迫る魔理沙の勢いの前では霊夢も黙らざる得ない。
友達思いの魔法使いは妹紅に詰め寄って襟首を掴む。
「妹紅もっとこう、根本的な治療法はないのか!? 永琳に治療薬を作ってもらうとか」
「永遠亭の連中なら昨日から慰安旅行でどっか出かけててしばらく連絡取れないからな。邪魔されないよう行き先隠してさ」
「なにいー!?」
「それに昔、永琳とも話したことある。精神の病だからって精神に作用する薬は使うのはむしろ危険だったはずだ。意識を朦朧にさせたら変な思考して変なタイミングで死にかねないし、死んだことに気づけず蘇生できない危険性があるってさ。鬱にする薬だと効果が薄れた瞬間に死にかねないし、ハッピーになる薬だと問答無用で死ぬ」
「そんな!」
魔理沙は手を放し、その場に崩れ落ちた。
だが対面する妹紅の表情は気楽なものだった。
「自然治癒を待った方がいい。早ければ一日、長くても一週間かそこらで治るはずよ」
一週間。
短いように思えるが、一ミスで死亡と考えると長く苦しい戦いを予感させる。
少なくとも一人で乗り切れるには無理がある。
「ようし! ここはみんな、力を合わせて霊夢の面倒を見よう! ひとまず今日は全員神社に泊まりで!」
燃え上がる友情を握りしめ、魔理沙は他のメンバーに意気揚々と語りかけた!
霊夢の無事を願う気持ちは満場一致!
そのことに異論を挟む余地は皆無にして絶無!
これこそが人と人の絆! 美しき友情って奴だ! 泣けるぜ!
「神奈子様がお怒りになるので、朝帰りはちょっと……すみません」
「幽々子様に遅くならないよう注意されてるので……申し訳ありません」
「お嬢様のお世話をしないといけないので……ごめんなさい」
「鳥獣伎楽のライブが今夜あるから……悪いな」
ひとまず藤原妹紅の頭を箒で殴りつけた。
他の三人にも思うところはあるが、妹紅だけなんだその理由は。
「結局なにがどうなってんのよ?」
そして死んだという自覚のない霊夢は、未だクエスチョンマークまみれなのだった。
○ ○ ○
一夜明けて。
寝室に射し込む朝陽によって目覚めた霊夢はぼんやりとした思考の中、右隣になにかあった気がして視線をやる。空の布団があった。
ああ……魔理沙が泊まったのだと思い出しつつ、布団から起き上がる。朝ご飯の用意をしないと魔理沙がうるさい。
いや……耳を澄ませば台所から物音がする。わざわざ早起きして自主的に朝ご飯を作ってくれている?
なぜ……という疑問が昨晩のことを思い出させた。致死性燃え尽き症候群。生きる気力の欠如。満足したら死ぬ。
馬鹿みたいな話だ。
実際に心臓が止まって死んでいたという話を聞いたが、まったく記憶にない。花見の最中ちょっと居眠りして死神と小言を交わす夢を見た程度。それが臨死体験だったと考えれば辻褄は合うが、単なる夢と考えるのが普通だ。
つまり妹紅のブラックジョークを真に受けた魔理沙が大騒ぎしてると考えるのが妥当。
(やれやれ、仕方のない奴……)
障子戸を開けると、爽やかな朝の風が胸元を通り抜けていく。
蒼穹の空がどこまでも広がり、ところどころに浮かぶ白雲はゆったりと流れていく。
とても気持ちのいい朝だ。
(しばらく魔理沙につき合ってやるか)
自然とほほ笑みがこぼれる。
たかがブラックジョークひとつに本気になって、本気で身を案じてくれている魔理沙。
申し訳なく思いながらも、普段意識することのない真摯な気持ちを感じることは嬉しい。
恥ずかしい言葉をもちいれば、友情、というものを感じているのだ。
ああ――魔理沙、魔理沙、魔理沙。
こんな私にはもったいないくらいの友達だ。
いつも神社に遊びにきて、異変のたび駆け出して、隣にはいつも、いつも。
友情に恵まれた人生を送ってきた自分は、なんと果報者なのだろう。
心に満ちる充実感により、スッと身体が軽くなる。
自然とまぶたを閉じ、全身の力が抜けていく。
こんなにも気持ちのいい朝だから。
博麗霊夢の人生を飾るには、きっと相応しい。
――博麗霊夢、死亡。
「お前のハートにマスタースパァァァーク!!」
「ぎゃー!」
全力全開! ミニ八卦炉を霊夢の胸元に押しつけての最大火力射撃。マスタースパークの発動。
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、マスタースパークの威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
藤原妹紅の教えの通り、致死性燃え尽き症候群を打ち破る正しき治療法である。
博麗霊夢、復活!
「ゴッホゴホ、な、なにすんのよ……」
「よ、よかった。間に合った。霊夢ぅ……!」
砲撃をぶちかました魔理沙が涙目になっているという事態は、怒りの反撃を止めるには十分な戸惑いを与えた。
そして気づいてみれば霊夢は、部屋の外で倒れている形だ。
マスタースパークをぶち込まれて倒れた? いや、なにかおかしい。
そもそも自分は外の景色を見ていい朝だなと思っていただけだ。
むくりと起き上がり、心臓に手を当てて、思う。
「……ねえ。致死性燃え尽き症候群って、マジ?」
「マジ」
ようやく現状を正しく理解する霊夢。
その表情は酷く寒々としたものだった。
○ ○ ○
護身ッ!!
大事である非常に大事である。
護身を怠れば推理小説の犯人もトリックも暴露されるし、大人気のあのキャラがどの話でどう死ぬかも知ってしまうし、最終回が夢オチと聞かされて萎えてしまったり、叙述トリックものはオススメを聞くだけでネタバレになって困るわ、映画『猿の惑星』のパッケージに自由の女神が採用されちゃうし、Gガンダムは大勝利、犯人はヤスだ。
そう、護身とは非常に大事なのである。
そう、護身せねばなるまい。致死性燃え尽き症候群などというふざけた病気から。
「ああ、味噌汁が美味しい……ガクッ」
「お前のハートにマスタースパァァァアアアアアアッ!!」
「ぎゃー!」
できるのか、護身。
あまりの死にやすさに不安ずっしり意気消沈。
仕方なしに霊夢は居間でじっとしていることになった。
もちろん娯楽禁止。ただただ退屈な時間を送るのみである。
魔理沙もろくに動けない。霊夢が起きないうちにとっとと朝食を作ろう! と張り切った結果あっさり死なれ、さらに朝食を食べてまた死なれ……これでは目を離すなんてできやしない。
霊夢の目を見る。まぶたはちゃんと開いているか。まばたきのたび警戒する。
霊夢の胸を見る。ちゃんと呼吸をしているか。胸が上下しているか。
霊夢を見る。見つめる。見つめまくる。
「……そんなジロジロ見ないでよ」
「見てないと死ぬだろ」
「さすがにこの状況じゃ死なないわよ。つーか居心地悪いからやめて」
「不満があれば満足しない、好都合だ」
「……そんなずっと見張ってて疲れない?」
「正直しんどい」
「お茶でも入れようか」
「いい、じっとしてろ」
気が滅入る。事情は分かるのだけれど、病気が治るまでずっとこのままというのは勘弁してもらいたい。
ようは満足さえしなければいいのだから、苦痛な時間を送るより適度にのんびりした時間を送ればいいじゃないか。
そのためには魔理沙を説き伏せねばならない。どうしたものか。
などと悩んでいると。
「おはようございまーす。霊夢、生きてる?」
境内から澄んだ声がし、生きてる霊夢はホッと息をつく。
これでこの気まずい空気も多少なんとかなるはずだ。
やってきたのは半人半霊の半人前、魂魄妖夢。
居間に上げて座布団を差し出し、三人でちゃぶ台を囲む。
「昨日はすみません、魔理沙一人に任せちゃって」
「本当にな。みんな薄情だぜ」
魔理沙はつんけんした態度だ、それなりに根に持っているらしい。
霊夢の命の危機を一時的とはいえ放り出したのだから。
「今回はちゃんと暇をもらってきたから大丈夫です。小町ともお話をしましたし」
「小町?」
夢で小町に会ったことを思い出し、霊夢が食いついた。
「ええ。ちゃんと現世に帰れたか確認してきてくれって」
「……夢じゃなかったのか、あれ」
とはいえ、どんな話をしたのかはすでにうろ覚えだ。
アクション映画を観た直後はなぜか自分も強くなった気がする――なんて雑談くらいしか思い出せない。
なぜ死んだかどう対策すればいいのか、そういう話をしてこその死神じゃないのか。
もしかしたら自分が忘れているだけかもしれないが、棚上げして憤った。
「で、あいつなにか役に立つこと言ってた? 死なないようにするコツとか、安全確実に蘇生する方法とか」
「妹紅から聞いた蘇生方法の確認を取ったら、魂を送り返すだけで解決すると思ってたとか言ってビックリしてた」
「役に立たない死神ね」
魂を送り返してもらった恩を文字通り忘れている霊夢は、小町がいなければ妹紅の蘇生が間に合わず手遅れになっていたことに気づかないままだった。
「なんにしても妖夢がきてくれて助かったわ。魔理沙ったら気を張りっぱなしで、長く持ちそうにないし。ほら、今は妖夢がいるんだし、ちょっとは気を抜きつつお茶でも入れてきなさいよ」
「ああ……喉も渇いてきたしな」
実は結構疲労が溜まっていた魔理沙は、ついでに茶菓子もあさろうと企みながら台所へ向かった。
補給をしなくては身が持たない。だが贅沢をしては霊夢が死にかねない。適度に貧しくすませよう。
魔理沙がいなくなると、妖夢はちょっと声を潜めて問いかける。
「で、あれから何回死んだの?」
「2回。気持ちのいい朝だったのと、朝ご飯がおいしかったせいで……言ってて意味不明な死因だわ」
「死にやすすぎる……」
「まったくもって」
道理で魔理沙が気疲れしている訳だと妖夢も悟る。
せめて昨晩の時点で他に誰か残っていてやればもっとマシだったろうに。
「昨晩帰っちゃったのは従者的に考えて仕方なかったけど、咲夜や早苗ともちゃんと、許可が取れたら今日神社に集まろうって示し合わせしてから別れたから」
「どうだか。あいつ等そんな気の利く連中かしらね」
口では茶化しながらも、どうせ来るんだろうなと考えた霊夢は小さくほほ笑みを浮かべてちゃぶ台に突っ伏した。
ゴチンと額を打ちながらも無反応。
「……霊夢?」
パチクリとまばたきをした妖夢は、霊夢のかたわらに行って抱き起こし意識を確認する。
穏やかな顔で呼吸と鼓動を止めていた。
「……し、死んだぁぁぁ!?」
慌てて飛びのき、楼観剣を引き抜いて力いっぱい握りしめる。
手を離された霊夢は畳にごろんと仰向けになって倒れ、丁度心臓を狙いやすい形になっていた。
「おおおおち、落ちつけい。心臓、殺す気で、全力で」
昨日の妹紅の対処法をうろ覚えで思い出しつつ、冷たくきらめく楼観剣を逆手持ちして振り上げる。
大丈夫、理論的にはこの刃を振り下ろせば霊夢は助かる。目覚めるはずだ。
変に遠慮したらそれこそ失敗しかねない。
やれ、やるんだ妖夢。己に言い聞かせて覚悟を決める。
「よ、妖怪が鍛えたこの楼観剣に……斬れぬものなど、あんまり……無い! うおりゃあああ!!」
渾身の殺意を込めて楼観剣を振り下ろす!
その鋭い切っ先が霊夢の胸に触れようとした瞬間、旋回する箒が妖夢の腕を打ち払った。
「殺す気かぁぁぁ!!」
妨害者は魔理沙だった。お茶の支度の最中、妖夢の奇声が聞こえたため慌てて戻ってきたという訳だ。
「な、なにするのよ魔理沙! 早く殺さないと死んでしまう!」
「刀なんか刺したら肉体的に死ぬわ!」
「だから殺す威力を叩き込まないといけないんでしょ!?」
「それは衝撃的な意味であって斬殺刺殺的なのはダメだろ!?」
「え、そうなの!?」
「た、多分!」
魔理沙も妹紅から聞いた以上の対処法は知らない。
が、心臓を突き刺して蘇生したところで、今度は心臓に穴が空いてるからそのまま死ぬだろう。
じゃあマスタースパークで心臓破れないのかという疑問もあるが、エネルギー系の衝撃なら大丈夫なのだろう。多分。
「ええーい、お前はどいてろ! 私が霊夢を蘇生する!」
妖夢を押しのけた魔理沙は、ミニ八卦炉を霊夢の胸にグッと押しつけた。
すでに二度の蘇生に成功している魔理沙。同じ調子でマスタースパークを放てば問題はない。
「お前のハートにマスター……うっ」
同じ調子で放てれば、だが。
「ど、どうしたの魔理沙。早く蘇生を!」
「な、なんか力が入らん……疲労感が……これじゃ火力不足で蘇生できそうにない」
二度のマスタースパーク。これが通常の弾幕ごっこだったならここまでの消耗はすまい。
だが! 相手を殺さぬよう加減する弾幕ごっこと違い、殺す威力で放たねば蘇生にならぬのが今回……しかも生きる気力の欠如を補うべく、外部から気力を注ぎ込まねばならないのだ。魔力や体力以上に生きる気力を消耗してしまっているのが今の魔理沙なのだ。
単なる疲労と勘違いしている魔理沙は、それでもと力を振り絞ろうとする。
だがどうしても気力が足りない。息が苦しくなってしまう。
故に、妖夢が奮起する。
「魔理沙、どいて。私がやる」
「す、すまん……」
白楼剣も抜刀し、二刀の構えとなった妖夢は霊夢の身体の前で深呼吸をする。
心身を整え、友の身を案じ、生きて欲しいという願いを剣に込めて振りかざす。
「お前のハートに成仏得脱斬ァーン!!」
桜色の光が柱となってほとばしる。
刀を直接当てないようにして振り抜き、放たれた剣気と気力のみが霊夢の心臓へと叩き込まれる。
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、成仏得脱斬の威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
「ぎゃー!」
「やった、成功した!」
衝撃によって飛び起きた霊夢を見、妖夢と魔理沙は手を取り合って喜びを分かち合う。
霊夢もどうやらまた死んでいたらしいと理解するも、なぜ死んだのか当惑してしまう。
なにせ死ぬ直前は眠りに落ちるように意識が遠のき、記憶も曖昧になるので。
「ふぅ……蘇生のこつは掴めたけど、何度もやってちゃ身が持たないかも」
「ああ……私もこんな消耗してるとは思わなかった。しっかり休息を取りながら交代で蘇生しないといかんな……」
仲間意識の薄い少女達ではあったが、今は十六夜咲夜と東風谷早苗の救援が待ち遠しくて仕方ない。
早くきてくれ。
○ ○ ○
「燃え尽き症候群についてうかがってきたのだけれど……本来は正反対の病気みたいよ」
妖夢より遅れて二時間。電光石火のメイドが神社を訪れた。
長引くことを考えて食料や着替えの準備もしてきた抜け目のないメイドは、さらに知識も蓄えてきたらしい。
「霊夢の致死性燃え尽き症候群は、満足し切って死ぬみたいだけど……致死性じゃない普通の燃え尽き症候群は、やってることの成果が上がらなかった時の疲労や不満足で駄目になっちゃうことだとパチュリー様がおっしゃっていたわ」
「で、致死性燃え尽き症候群については?」
「聞いたことないって」
結構期待して話を聞いていた魔理沙は、気力もないのにミニ八卦炉を向けた。
だがポーズだけと分かっているので、特になんのリアクションも見せず咲夜はのほほんと笑っている。
「そんなことより霊夢、私が来るまでに何回死んだの?」
「……6回」
爽やかな朝なのでマスタースパーク。
朝ご飯がおいしかったのでマスタースパーク。
みんな来てくれると思ったので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地がよかったので成仏得脱斬。
妖夢が「みょん」と言ったのでマスタースパーク。
妖夢の半霊の触り心地がやっぱりよかったので成仏得脱斬。
以上がここまでの死因と蘇生である。蘇生活動は魔理沙と妖夢で半々で、二人とも疲労困憊だ。
「お昼ご飯でも死にそうね。食材を色々持ってきたのだけれど、料理しない方がいいかしら……不味いご飯なんて作ったことないし」
「お米くらいはちゃんと食べたいんだけど……」
せめてもの願いを口にするが、それすらどうだろうかと三者は顔を見合わせる。
……白いご飯なんて死ぬだろ……いや朝の死因は味噌汁だったし……オカズ無しなら……冷や飯なら……。
さっぱりと切り捨てるか、ある程度妥協すべきか。
蘇生要員が増えた今なら多少は……。
「こーんにーちはー!」
などと考えていると、お日様のように元気いっぱいな挨拶が聞こえた。
声の主は威風堂々とした態度で障子を開き、とても頼りがいのあるドヤ顔を浮かべている。
「みんなの救世主、早苗参上でーす! 霊夢さんご無事ですか、お弁当作ってきましたー! 腕によりをかけたのでとーっても美味しいですよー!」
と、三段重ねの弁当箱をドンとちゃぶ台に置く。
霊夢が喜びに目を輝かせる一方、魔理沙、妖夢、咲夜はげんなりとした顔で早苗を睨みつける。
「あ、あれ? なんだか歓迎されてない?」
「いいのいいの、気にしない。お昼が楽しみだわー……ガクッ」
――博麗霊夢、死亡。
「……早苗ぇえええ空気読めやぁあああー!」
「え、ちょ、ま、えっ? なに、私のせい?」
魔理沙が早苗に飛びかかるかたわら、咲夜は青ざめながらも冷静に霊夢の死体に駆け寄る。
「えっと……死ぬ威力の衝撃を心臓に与えるんでしたっけ?」
「は、刃物は駄目です! 心臓に穴が空きっぱなしになって死にます! もっとこう、霊力とか魔力とかぶち込む感じのスペルで!」
同じ過ちを犯さないようにと妖夢が慌ててフォローする。
しかし。
「うーん……私、そういうの苦手なのよね」
時間と空間を操るという非常に強力な能力の持ち主である咲夜だが、攻撃手段は基本的にナイフだ。
大火力のスペル? 大量のナイフを投げるか、ナイフでとことん切り裂くか、ナイフを超高速で投げるかだ。
弾幕ごっこの最中、ナイフが刺さっても死なないじゃないかって?
そりゃ死なないさ、弾幕ごっこだもの。
だが死んでいる無抵抗な人間に刺したら本当に死んでしまう!
例えるなら、そう、あえて例えるならバトル中はナイフで切り刻まれてもダメージを受けるだけだが、イベントシーンではナイフで刺されるだけで死ぬようなものだ。
「で、でも刃を直接当てないスペルだってあるでしょう!? 斬撃を飛ばす系みたいなー!」
「ふむ、じゃあそのあたりのスペルでやってみましょうか」
脳内に候補スペルを幾つかリストアップ。
直接斬ったり刺したりせず、威力を飛ばすタイプ。それでもって威力の高いもの。
よさげなものに思い当り、ナイフを両手に握り込むと、倒れ伏したままの霊夢に向かって縦横無尽に斬撃を飛ばす。
「あなたのハートにソウルスカルプチュアー!!」
このスペルは広範囲を切り刻むスペルではあるが、切っ先がギリギリ届かない距離を保ち攻撃範囲を狭めることで、威力を高めつつ心臓のみにダメージを与えることを実現。
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、ソウルスカルプチュアの威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
「ぎゃー!」
斬撃タイプとはいえ衝撃は衝撃。
無事蘇生を果たした霊夢は悲鳴と共に飛び起きた。
「グホッ、ゲホッ、うぐぐ……な、なに? 蘇生してもらったんだろうけど、妙に胸がズキズキする……」
「斬撃で蘇生したせいかしら」
「そ、そう……まあいいわ、助かった」
まずかったかなと咲夜は冷や汗をかく。とはいえ霊夢も怒っていないし、そう気に病まなくてもいいだろう。
だがこれで蘇生活動に不向きな人材だとも理解した咲夜は、蘇生活動はできるだけ他の面子に任せるべきかと思案した。
今回の死因、豪勢なお弁当を持ち込んでしまった早苗も早々不安でいっぱいになる。
「ええー……この茶番みたいな死亡と蘇生を、長ければ一週間も続けなきゃならないんです?」
全力気力蘇生の労力を理解している三人はいっせいに顔を背けた。
ただ霊夢だけが申し訳なさそうに早苗へとほほ笑むのだった。
○ ○ ○
緊急、霊夢ご飯会議。
「えー、霊夢は朝食の味噌汁を飲んで死んだ。早苗がお弁当を持ってきても死んだ。つまりお昼ご飯でも死ぬだろう。飯抜きにすれば回避は可能だが、最長一週間飯抜きはさすがに死にかねん。よって幸せを感じない食生活をどう送らせるか話し合いたいと思う」
眼鏡装備の魔理沙がホワイトボード前で教鞭を握り、場を取り仕切る。
危機感の強い妖夢は生真面目な表情で聞いているが、まだ蘇生未経験の早苗は戸惑いの方が大きい。
咲夜はお茶を入れた四つの湯飲みを並べている。魔理沙、妖夢、早苗、それから咲夜自身の分だ。
霊夢は恨めしそうにしているが、文句を言う気配はない。飲んだら死ぬんだろうなと分かっているから。
「さて、なにかアイディアがある者」
「はい」
妖夢が挙手した。
「生米や生野菜なんかを、満腹にならない範囲で食べさせればいいんじゃないかな。満腹まで食べさせたら味はともかく満足しちゃいそうだし」
「うむ、グッドアイディア。調理の手間も省けて楽だ。この案に対し意見のある者は?」
「はい」
咲夜が挙手した。
「本当に飢えてる時って、粗末な食事でも本当にありがたいものですよ?」
「つまりあまり飢えさせず、適度に生米生野菜をかじらせとけと」
「……それも手ですけど」
いつも紅魔館で贅沢な食事(血の滴るステーキとか)を堪能している咲夜としては、事情があるとはいえ友人にそんな酷い扱いをしたくはないのだ。生野菜がありならせめてサラダに、なんて提案したら魔理沙も怒りそうで怖い。
「要は満足しなければいいのですから、美味しさ控え目の食事なんかどうでしょう?」
「ああ、自然食とか健康食とか、薬膳料理みたいな?」
咲夜の提案に早苗が乗ってきた。
外の世界では健康的なダイエット食を調べたこともあり、これなら役に立てそうだと笑顔になっている。
さらには妖夢も食いついてきた。
「健康食! それなら私達の体力回復も期待できるし、いいんじゃないかな」
すでに蘇生を三度実行している妖夢ならではの意見は、同じく蘇生三度実行者である魔理沙の同意をガッツリ引き出した。
「確かに、私達が力尽きても霊夢が死んじまうからな……いいところに気づいてくれた。料理は美味しさ控え目にして、いや、霊夢の分だけ味つけの手を抜けばいいか」
満場一致の大賛成となったこの議題を、霊夢は一人さみしくうなだれていた。
「薬膳料理はいいけどさぁ……咲夜なら美味しく作ってくれそうなのに」
「満足死しないんだったら作って差し上げますけど」
「うう~……せ、せめてお昼くらい早苗の持ってきたお弁当で」
「お弁当って聞いただけで死んだのはどこのどなたかしら」
それを言われるとぐうの音も出ない。
降参した霊夢は拗ねてその場に引っ繰り返る。
天井がやけに遠くに見え、腹の底からため息が漏れた。
「ご飯はもう仕方ないけど、行動の自由くらい与えてくれるんでしょうね?」
「駄目だ! じっとしてろ」
当然のように魔理沙が噛みついてくる。
友情に厚いのは結構だが、霊夢にも事情があるのだ。
「巫女の仕事だってあんのよ」
「そんなもん私達が代わりにやるから大人しくしてろ!」
その言葉を聞くと、霊夢はのっそりと起き上がってニヤリと笑った。
「あら、じゃあやってもらいましょうかしら」
境内の掃除。これは巫女として毎日欠かさずやらねばならぬ仕事である。
という訳で魂魄妖夢は掃除に駆り出された。
「白玉楼で庭師やってんだから、これくらい簡単でしょ」
と言われはしたものの、人任せにしていいという免罪符があれば霊夢の注文も無茶になる。
「拝殿や参道の掃除がすんだら、灯篭を綺麗に磨いといてね。その次は鳥居。それもすんだらえーっとそうそう石段の掃除もしようと思ってたのよねー。参拝客が神社まで気持ちよーく石段を登ってこれるようしっかり掃除しといてねよろしくー」
と言われた妖夢は霊夢を見捨てて逃げることを真面目に考えたほどだ。
ああ、しかし、友情的なあれこれを除いても、博麗の巫女が命の危機に瀕しているのを見捨てては絶対に叱られる。幽々子様と紫様から絶対にお叱りを受ける。
「やればいいんでしょうやれば!」
自棄になって了承してしまった妖夢は、体力の回復どころかむしろ消耗一直線となってしまった。
咲夜は外ではなく中の、つまり本殿や居住スペースの掃除を任された。
紅魔館に比べれば猫の額ほどの狭さなのでそれほど時間をかけず完了できたものの、休む間もなく昼食の準備へと移行する。
健康食を作るのはいい、だが美味しくしないという不自然な調整はパーフェクトメイドの調子を大きく乱した。ついつい手癖で美味しい味つけにしようとしてしまうもので。
おかげで自分達が食べる分の健康食も味加減を失敗してしまい、英気を養うためには早苗のお弁当に頼ることになるだろう。
魔理沙はというと神社の屋根に登らされ、延々と修繕作業をやらされている。
「こないだから雨漏りする場所があるのよねぇ。多分、誰かさんのスペルの流れ星……もとい流れ弾が当たったんじゃないかなー……と」
心当たりのある魔理沙は渋々ながら修繕を請け負い、霊夢を見張る役目を早苗に任せた。
まだ蘇生活動をしていない早苗は気力が満ちているという理由もあったので。
こうして居間にいるのは巫女コンビのみとなったため、霊夢は幾分か気楽になることができた。
早苗はノリがよすぎて一緒にいると疲れることもあるが、今はその快活さが頼もしい。
魔理沙も同じような理由で嫌いではないのだが、今は友情が重い。命の恩人と理解した上で重たいのだ。妖夢と咲夜くらいの距離感の方がありがたいし頼りやすい。
「いいんですか? 皆さん心配してきてくれたのに、病気を理由にこき使っちゃって」
「いいのいいの。面と向かって四六時中見張られてちゃ、病気以前に参っちゃうわ」
「それはまあ、そうかもしれませんねー……」
茶をすする早苗。
そのかたわらには包まれたままの重箱のお弁当が鎮座していた。
霊夢のために持ってこられ、霊夢以外の者に食べられる予定となったお弁当……。
キラリと霊夢の眼が光る。獲物を狙う獣の眼だ。雌伏し機をうかがう狡猾な狩人の眼だ。
「健康食もありがたいけどさ、わざわざ美味しくないよう作るってのはお節介すぎるかなぁってさぁ思わない?」
「お昼は咲夜さんが作ってくださるんですし、そこはまあいい感じに仕上げてくれるんじゃないでしょうか」
「そーだけどさー、あーあー、せーっかく早苗がねー、お弁当を作ってきてくれたのに残念だなーぁ……」
「お弁当って聞いただけで死んじゃうのはさすがに予想外でした、残念ですが――」
「ところで早苗! ねえ、お弁当はなにが入ってるの? 私は食べられないけどさー、早苗達は食べていい訳だしさー、どういうお弁当作ったのかなーってくらい気になっちゃうのは自然なことだしー、聞くだけ聞くだけ、教えてよー」
「えーっと、ミニハンバーグにタコさんウインナー、うずらの卵の――」
「ほほう……さっすが早苗! 贅沢なラインナップに他者をいたわる慈しみを感じる! 早苗のことだから腕前も期待できるし、いやー、すごいなー、すごいお弁当だなー、みんな喜ぶわよきっと!」
「え、えへへ、そうですか? いやー、まあー、そんなこともありますけどー!」
えっへんと胸を張ってドヤ顔。東風谷早苗、大いに調子に乗りまくりである。
ライバル意識を抱くことの多い相手から、こんなにも褒められちゃったら仕方ないね。
「あーあ、残念だなー。食べたら確実に満足しちゃうほど美味しいだろうから、ちょっとくらい味見してみたかったなー。ほんのちょっと! 一口! それくらいならねー、むしろ満足に食べられないってことで満足できないだろうしー、こんな美味しいものを一口しか食べられないなんて残念だなーって気持ちが勝つだろうしー、あーあ、一口くらい味見してみたかったなー」
なんたる露骨!
こんな見え見えの罠に引っかかる者があろうか?
「んもー、仕方ないですねー霊夢さんは」
此処に在る。
すっかり乗せられた早苗はいそいそと包みを解き、お弁当箱と箸をちゃぶ台に置いた。
三段重ねの一段目、そこにはオカズがたっぷり詰まっている。
さあご開帳。
一段目は軽めのものが詰まっている。真っ赤なプチトマトや星型にカットした人参、ポテトサラダやキンピラゴボウと盛りだくさん。そして黄金色に輝く甘ーい玉子焼き! 二段目は前述されたミニハンバーグにタコさんウインナー、うずらの卵の串焼きが贅沢にも六本! 恐らく神社に来ていない薄情者こと藤原妹紅の分まで用意してくれたのだろう。間違いなく現人神の所業である。三段目はまん丸に握られたおむすびギッシリ。
「でかした! 早苗、実にいい仕事をしてきたわね」
「フフフン、もっと褒めていいんですよ?」
「いよっ、現人神!」
ヨイショを続けつつ霊夢は冷静に計算する。
ここで欲望を丸出しにして早苗を叩きのめし、弁当を一人でたいらげるなんてことをしたら後で魔理沙が怖い。それにそんなことをしたら満足死してしまいそうだ。なのでここは口惜しいが早苗を口説いた通りに味見程度にすますべき。
また、それを他者に悟られないよう食べるものも選ばねばならない。おむすびなんか食べたら不自然な空白が生まれ、魔理沙達に気取られてしまう。
つまり空白の生まれないものを選んで……いや……空白が生まれたとしても心理的死角を突く妙案がある。
これだ! このうずらの卵の串焼き!
妹紅の分であろう六本目を丸ごと食べてしまっても、五本残る。五本……神社にいるのは五人……帳尻は合う、不自然ではない……! これだ、うずらの卵の串焼き……これこそベストアンサー!
だが待てよ、どうせこのお弁当を大っぴらに食べるのは魔理沙、咲夜、妖夢、早苗の四人。だったら串焼きの残数を四本にしてしまっても構わないのではないか? すなわち二本……六本中二本を食べてよし……これだ! これしかない! ベストアンサーの上を行くファイナルアンサー!
「じゃあさっそく、ちょっとだけ、バレないよう……コホン、満足しない範囲で味見すべく、とりあえずそうね、これでももらおうかしら」
串焼きを手に取る。うずらの卵の串焼きだ。黄金色に輝く串焼きだ。
早苗の返答を待たず、邪魔が入らぬうちにと迅速に食す。ガブリ。
「ううーん、ジューシー! やるじゃない早苗、いい腕してるぅ!」
湧き上がる喜びを素直に表に出しながらも、霊夢は己の心を落ち着けんという努力を忘れてはいなかった。
こんなちょっとした味見で満足死なんかしたら、魔理沙がますます怖くなる! 故に死ねない、隙を盗み見て些細な癒しを得るべく死ぬ訳にはいかない。
大丈夫、確かに美味しいけれどこれっぽっちで死ぬほどじゃない。朝のお味噌汁で死んだのは心構えができていなかったからだ。まさかご飯で死ぬとは思わなかったからだ。今は違う。死の感覚もぼんやり掴めてきた、回避できる。心静かに穏やかに……激しい喜びはいらない……植物の心のような平穏さを……静かに、安らかに、眠るように……眠る……よう……に……。
――博麗霊夢、死亡。
「うずらの卵一個で死んだぁぁぁ!?」
私もちょっぴりつまみ食いしちゃおっかなー、なんて能天気なことを考えていた矢先、早苗の目の前で霊夢が死んだ。
卓上に串焼きを落とし、ぐらりとふらついたかと思いきや、仰向けにバッタリと倒れてしまった。
「こ、これがバレたら魔理沙さんに怒られる! お弁当を片づけ……い、いえその前に蘇生を!」
自己保身も兼ねた友情パワーを漲らせた早苗は、己の右手に強大な神通力を込めると、霊夢の真上へと飛び上がる。
狙いをすまして垂直落下。海すら割らんばかりの勢いと共に渾身の一撃を叩き込む。
「あなたのハートにモーゼの奇跡ィィイイ!!」
「ぎゃー!」
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、モーゼの奇跡の威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
「うぐっ、ぐ……ハッ!? ま、また死んでたの私!?」
「よし、一発成功! さあ霊夢さん、お弁当を片づけますよ。こんなところ魔理沙さんに見られたら」
「どつき回してやる」
早苗の悲鳴を聞きつけた魔理沙がすでにもう、おっとり刀で駆け込んできていた。
おっとり刀と言っても屋根の修繕中だった魔理沙が持っているのはカナヅチである。
霊夢と早苗は同時に青ざめる。
「どつき回してやる」
もう一度同じことを言い、乾いた笑顔でカナヅチをスイングする魔理沙。
「け、警醒陣!」
反射的に結界を張る霊夢。青白い輝きが互いの間に出現し、仕切りとなって行く手を阻む。
触れれば衝撃によってふっ飛ばされるであろうそれに対し、魔理沙は平然とカナヅチを叩きつけた。
警醒陣は呆気なく砕けて消えてしまい、慌てふためいた霊夢は空間の隙間に逃げ込んで姿をくらます。
だが異空間へと消えた霊夢の姿が見えているかのように、魔理沙は自然な仕草で振り返ってハンマーをぶん投げる。
境内の空中でハンマーは甲高い音を立てて弾かれ、その場に頭を抱える霊夢の姿が現れた。
「れ~い~む~……お前のためにみんなが集まって手を焼いてるってのに、どぉ~してお前は~……」
「イタタ……ちょ、ちょっとくらいなら大丈夫って思ったのよ! 悪かったってば!」
「お弁当って聞いただけで死ぬような奴が、お弁当をつまみ食いして死なないわきゃ……ねぇだろぉぉぉお!!」
渾身! マスタースパークの閃光が放たれる。それに込められた威力と気力は確実に蘇生一回分はあるだろう。
マスタースパークの轟音に匹敵するほどの悲鳴を上げた霊夢は、全力で結界を張ってガードをする。三秒で割れた。
霊夢は光に呑み込まれ――。
「ぎゃー! こ、殺す気かー!?」
巫女装束のあちこちが破けた敗北姿で現れる。
「うるさーい! わた、私がどれだけ心配してると……死んで詫びろー!」
「うわわっ……し、死んでたまるかぁ!」
こうして霊夢と魔理沙のドンパチが始まり、掃除中の妖夢と料理中の咲夜が何事かと様子を見にきて、早苗から事情を聞いて呆れ果てることとなった。
お弁当を食べさせてしまった早苗も二人からしぼられたが、弾幕ごっこを観戦しながらお弁当を食べるというシチュエーションを優先されたためなし崩し的に許され、弁当箱はカラッポになった。
結局一口も食べられなかったのは魔理沙だけとなったが、苛烈な弾幕ごっこで疲労困憊してしまったので、咲夜お手製の健康食で体力回復しなければリタイアしていたかもしれない。
○ ○ ○
爽やかな朝なのでマスタースパーク。
朝ご飯がおいしかったのでマスタースパーク。
みんな来てくれると思ったので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地がよかったので成仏得脱斬。
妖夢が「みょん」と言ったのでマスタースパーク。
妖夢の半霊の触り心地がやっぱりよかったので成仏得脱斬。
早苗がお弁当を持ってきたのでソウルスカルプチュア。
早苗の持ってきたお弁当を味見したのでモーゼの奇跡。
魔理沙が本気で怒ってくれたのでマスタースパーク。
みんなに真摯に謝罪して許してもらえたのでモーゼの奇跡。
昼ご飯の健康食がありがたかったのでソウルスカルプチュア。
早苗が慰めてくれたのでモーゼの奇跡。
屋根が綺麗に修繕されたのでマスタースパーク。
石段が綺麗に掃除されたので成仏得脱斬。
三時のおやつ(四人分)の咲夜お手製イチゴムースケーキからいい匂いがしたのでソウルスカルプチュア。
神社の神棚に外の世界の酒が出現したのでモーゼの奇跡。
妖夢の半霊の触り心地がやっぱりとってもよかったので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地のすばらしさを熱弁したので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地に早苗が賛同してくれたのでモーゼの奇跡。
夕陽が綺麗だったのでソウルスカルプチュア。
晩ご飯で出たほうれん草のおひたしが固くて臭くて道端の草のようだったが決してマズくなかったためマスタースパーク。
蘇生回数――魔理沙が7回、妖夢が6回、早苗が5回、咲夜が4回。
合計22回。
魔理沙はすでに息も絶え絶えとなっており、妖夢は半霊を抱えてぐったりしているし、早苗は空っぽの湯飲みを掴んだままぼんやりしているし、咲夜は蘇生回数的に自分ががんばらねばと気を張っている。
霊夢も霊夢で度重なる死亡によりだいぶ疲れていた。特に咲夜の蘇生は胸に痛みが残るので気が滅入る。
「妹紅がこの場にいれば蘇生要員として使い倒してやるのに……!」
と魔理沙がぼやけば。
「まさか夕食が終わってもやってこないとは思いませんでした……」
「鳥獣伎楽のライブに熱狂しすぎてお疲れなんじゃないですかね……」
「そもそも来る気が無いんじゃないかしら……」
妖夢、早苗、咲夜と続けて同意の嫌味を口にする。
軽口など日常茶飯事の幻想郷ではあるが、嫌味に参加しなかった霊夢には空気の悪さが気になった。
異変の時の殺伐……もといカラッとした嫌味ではない、ドロドロとしたねちっこい嫌味に感じられたのだ。
(マズイな……)
責められているのは妹紅だが、最初に霊夢を蘇生したのも、蘇生方法を教えてくれたのも妹紅なのだ。
貢献度ならむしろ一番高い。
確かに緊急事態なんだから来いと憤るのは分かるが、これはよくない。
スッと立ち上がる霊夢。
当然、魔理沙が顔をしかめて訊ねてきた。
「どうした?」
「お茶、淹れてくる」
「駄目だ、私が――」
「昼の弁当でもう懲りたわよ。夕飯の時も大人しくしてたでしょ? みんな疲れてるし、これくらいさせなさいよ」
「ケーキの匂いで死んだ馬鹿は誰だったっけな」
守るべき霊夢に対する発言も刺々しい。
確かに霊夢の迂闊さによる死亡回数は多いが、このままではみんなの心に毒が溜まってしまう。
それは嫌だった。
こんな自分のため気力を振り絞ってくれるみんなの、そんな姿は見たくなかったから。
「お茶の香りで死んだことは、まだないでしょう?」
実際みんなお茶を飲んでいるところを恨めしそうに見ることはあっても、死ぬことはなかった。
しかしそれでも心配なのだろう。魔理沙も起き上がろうとし、それより先に咲夜が立ち上がった。
「手伝うわ」
「おい、咲夜」
「いいから」
魔理沙を制した瀟洒なメイドは温和な笑みを浮かべ、霊夢と共に台所へ向かう。
皆の眼が届かなくなったので、咲夜は軽く背伸びをして壁にもたれかかった。
「手伝うんじゃなかったの?」
「方便よ。空気が悪かったから、部屋を出たくって……いやまあ私も悪くしてましたけど」
互いに苦笑を浮かべると、霊夢は慣れた手つきでお茶の準備を始めた。
湯を沸かし、急須を出し、茶葉は……ちょっといいのを出してしまおう。
飲むのを楽しみにしていたけれど、今日の自分は飲めないけれど、みんなに飲んでもらおう。
「クスッ。ねえ霊夢、どうして魔理沙が見逃してくれたか分かる? お茶なんて私一人に淹れさせればいいのに」
「さあ? 止める元気も無かったんじゃない?」
「元気が無かったからお茶を飲みたかったのよ。私じゃなく、霊夢の淹れたお茶が……ね」
「私のお茶ぁ?」
振り返ってみると、咲夜はわずかにうつむき、しみじみとした口調で呟く。
「私もお茶を淹れるのは得意だけれど、霊夢の淹れるお茶ってなんだか……」
確かに唇は動いていたのに、続く言葉は聞こえなかった。
問いただすほどのことでもなしと判断した霊夢は、咲夜の頬が赤らむよりも早くかまどに向き直ってしまう。
火加減は丁度いい、この茶葉なら湯の適温は八十度くらいだ。
茶菓子も用意した方がいいだろうか? ケーキの匂いには不意を突かれたが、慣れ親しんだ煎餅なら香り程度で死んだりはすまい。
ケーキ……咲夜が作ったのはイチゴムースケーキだったか……イチゴ味のケーキ……ムース……しっとりしていて美味しそうだった……。
ハッとして頭を振る。今の空想の流れに乗ったら危なかったろうと経験則で分かった。
このタイミングで死にでもしたらお茶が原因と勘違いされて、お茶にすら近づけなくなってしまう。
あまりきつく縛られては満足死のラインがどんどん下がって、それこそ手足を縛って転がされるくらいされるかもしれない。そんな未来を想像してしまうから、わがままを言ってみんなを困らせてしまった。悪いとは思っているが、今日一日色々な理由で死んだおかげである程度の線引きはできた。
たった今、ケーキの想像をしてデッドラインを知覚し、引き下がることができたように、博麗霊夢の適応は着実に進んでいるのだ。
とはいえ完全にコントロールし回避できる訳でもない。あふれ出す感情を押し留めるとは、欲を捨てること。致死性燃え尽き症候群で生きる欲を失うならともかく、素面で生きる欲を捨て去ってしまっては、それこそ本当に死んでしまう。仏教徒ならば喜んで、いや喜びすら抱かず、無の境地やら悟りやらを抱えて涅槃に旅立つのだろうが、博麗霊夢は神道なもので。
あれこれ考えていると、己の未熟さを痛感してしまうし、湯が適温になったのも見逃しかけてしまう。
慌てて火を止め、さあ、みんなのためにお茶を淹れよう。
元気の無い魔理沙が楽しみにしているみたいだし。
手伝うという言い訳でお茶を淹れるのを手伝わなかった咲夜は当然のように配膳も手伝わず、仕事量ゼロという記録をひっそり打ち立てた。
「霊夢に配ってもらった方がみんな喜ぶでしょう?」とは果たして本音か口実か。
ともあれ各々にお茶が行きわたり、みんなゆったりとした表情で味と香りを楽しむ。
下手したら妹紅の悪口大会に発展しかねなかった空気から、刺々しさがポロポロと抜け落ちていく。
連続しての蘇生は大きな負担をしいるため、四人集まってからは避けるようにして(妖夢は避け損なっているが)休憩時間を取るようにしているし、三時には咲夜がイチゴムースケーキも作ったが(霊夢も死んだが)今回になってようやく、休憩というものをできたのかもしれない。
張り詰めていた緊張の糸がわずかにゆるみ、魔理沙からも安堵の息が漏れた。
ほんの一瞬、目元が潤みさえしたのに気づいた者はいない。
妖夢も同様にお茶のぬくもりと香りにひたって目を閉じていたし、早苗は湯飲みの中を覗き込みながらほほ笑んでいる。咲夜はすまし顔を浮かべつつ、霊夢がみんなを見ているのを見ていた。
みんなを見ていた霊夢は、確かに魔理沙の瞳も、妖夢の半霊がふわふわしているのも、早苗の唇も、咲夜の視線も、すべて見ていたが……心に留まることはなかった。
みんな一緒にいる。
たったそれだけのことでもう胸がいっぱいで、眩しくて。
ああ、いいなと。
みんなと一緒に、生きていきたいと。
胸いっぱいに幸せが満ち――。
幸せがあふれ――。
「……おん?」
ふいに、霊夢が首を傾げる。
奇妙な声にみんながこちらを振り向いたので、魔理沙、妖夢と顔を見て、自分の胸元を見下ろし、早苗と咲夜の顔を見て、自分の胸元に手を当てる。
「……どうした?」
魔理沙が訊ねる。蘇生回数トップの疲労が色濃く残る声色は、他の蘇生要員にも不安を与えた。
霊夢が立ち上がる。ノックするように己の胸を叩き、手を押し当てて心音を確かめたりして、眉根を寄せる。
今日はもう22回も死んだ。
死ぬ前の感覚を割と掴めてきたので、茶を淹れてる最中に1回だけ死を避けることもできた。
死を感じてきた。
生を感じた。
生きているという自覚、生きたいという気力。
致死性燃え尽き症候群を患ったとはいえ多くを知っている訳ではないが、自分の身に起こっている体感として理解できる。
「なんか……治ったみたい、致死性燃え尽き症候群」
「……は? 茶なら飲ませんぞ」
「いやそれはあんた等に淹れたもんだから別にいいわよ。そうじゃなくて、治ったのよ病気」
霊夢としてはごく当たり前のことを言ってるつもりなのだが、外傷ならともかく致死性燃え尽き症候群などという頓珍漢な精神病である。魔理沙から見て治ったかどうか判別できるはずもないし、むしろ今日の言動からお茶を飲みたいがために言い訳をしているとしか思えない。妖夢、早苗、咲夜も同じように考える。
「なによその疑いの眼差しは。本当だって! 感覚で分かる、嘘じゃないってば。ホラこの通り、この……」
証明しようにも方法が無い。
満足死するようなことをたくさんやってのければ証明もできるが、やらせてもらえそうにない。確実に全力で止められる。
妖夢を見れば半霊を己の後ろに回して触れさせまいとするし、早苗を見れば面倒くさそうに表情を歪めるし、咲夜を見れば冷たく見つめ返される。
「いや、ホントなんだってば! 嘘だと思うなら試してみなさい」
「試したら死ぬだろうが!」
当然の反応として怒鳴る魔理沙。立ち上がって詰め寄って、霊夢と顔を突き合わせる。
「いいか! お前が死ぬたび私達がどれだけ気力を振り絞ってると思ってるんだ! お前は生き返るだけだからいいさ……でもな、私達はこうして疲れ果てている! ここに来てない薄情者の妹紅ならともかく――!」
「こんばんは、薄情者です」
ガラリと戸が開き、白い長髪をなびかせる藤原妹紅がほがらかな声で悪口を肯定した。
虚を突かれた一同が目を丸くして硬直する中、妹紅のみがゆったりとした仕草で歩み寄ってくる。
「はい、どいたどいた。早ければ一日で治るとは言ったけど、はてさて」
魔理沙をも軽く押しのけると、昨晩そうしたよう霊夢の巫女装束に手を突っ込み直接心音を確かめる。
「なっ――!?」
昨晩は死亡中だった霊夢にとっては唐突かつ意味不明の行動であり、燃え上がる羞恥と怒りそのままに全身を縦回転。
「なにすんのよ!」
「ぐわー!」
昇天させる威力で妹紅を痛烈に蹴り上げる。
脳天から天井を突き破った妹紅は当然のように重傷だ。
けれど安心、だって彼女は不老不死。
リザレクションの火柱を立てて復活するや、天井から身体を引っこ抜いて降りてくる。
そして天井の穴から覗くのは屋根の裏側ではなく夜空だった。一番星がきらり。
「修繕した屋根がー!?」
魔理沙が悲鳴を上げる。一生懸命に作業したのに、しっかり修繕すれば霊夢だって感謝から大人しくしてくれるのではと期待してがんばったのに、見事に台無しだ。
「ふー。触った感じ、治ってるみたいでよかった」
「あ……? 治ったって、分かるの?」
「患った奴なら、患ってる奴のことは分かるよ。昨晩は分かったけど、今は分からない。分からないってことは治ったってことさ」
妹紅の言葉は正直胡散臭いものがあるが、患った奴なら患ってる奴のことは分かるという言葉は、霊夢にとって感じるものがあった。
致死性燃え尽き症候群独特とも言える安らかな死の感覚、そして生の感覚。空の飛び方や弾幕の出し方のように、覚えてしまえば忘れるようなものではない。心音に触れただけで分かるものなのかという疑問はあったが、心音で病気を理解する妹紅の姿は他の四名が覚えていたため、霊夢以上の戸惑いを見せていた。
「な、治った……? 一日で?」
「もう蘇生しなくていい……?」
「来るんだったら、治る前に来てくださいよ。もう」
「……時間経過で治った? それともなにかきっかけでも?」
最後、地味に咲夜がいいところを突いたのだが、それを理解できる人間はここにはいなかった。
そう、致死性燃え尽き症候群を深く理解している者はこの場にいない。
妹紅とて大半の知識は実体験に基づくもので、治療法や理屈などは永琳から大雑把に聞いた程度のことしか知らないのだ。
心が幸せで満ちることで死ぬ病が、心から幸せが満ちあふれることで解消されたなんて知る由もない。
「感覚の問題だから妹紅以外には伝わりにくいでしょうけど……本当にもう大丈夫だから、心配しなくていいわよ」
「万一まだ治ってないとしても、私が蘇生するから大丈夫」
残機無限の蘇生要員。まさに魔理沙が言ったように使い倒すことができる。
もう蘇生のため気力を消耗しなくてもいいのだと、今更ながら四人は自覚した。
「うーん、そういうことなら本当に治ったのかどうか試してもいいのかなぁ……」
呟きながら妖夢は己の半霊を霊夢に向けて漂わせる。
魔理沙達がギョッとする中、妹紅だけは意図を理解できず困惑している。まさか死因リストに半霊があるとは思うまい。
ふよふよ漂う半霊を、霊夢がギュッと抱きしめる。ひんやりふわふわ幸せいっぱいの抱き心地。
「……ほら、ね? 死なないでしょ?」
「……えっ? なに、半霊に触って死んでたの?」
あまりにも安い死因に妹紅もびっくりだ。
確認のため疑問の視線を妖夢に送れば、疲れ顔でうなずかれてしまう。
「……ええっ? いや、そんな理由で死ぬんじゃ……霊夢、今日一日で何回死んだの?」
「に、22回」
あまりにもあっさり死ぬからそういう病気だと割り切っていたが、もしかしてなにかおかしいのだろうか。
「……普通3~4回くらいなんだけどな、一日に死ぬ回数って」
おかしかった。
おかしすぎた。
あまりのギャップに妹紅以外の五人全員、目を丸くしてびっくり仰天だ。
そりゃ妹紅だって来ないさ、3~4回くらいなら一人で賄える回数だ。蘇生回数が一番少ない咲夜が4回でまだ余裕を残してるんだもの。
「私は幸薄いタイプだから一日せいぜい1~2回しか死ななかったけど、22回って霊夢、どれだけ幸せいっぱいな人生なんだ」
そう、いっぱい死んだのはいっぱい幸せだったからである。
ご飯が美味しいから。
半霊が心地いいから。
神社を綺麗にしてもらえたから。
みんなが一緒にいてくれるから。
そんな日常がとっても幸せだったから。
カアッと霊夢の頬が朱に染まる。
頭の中が春ですよー、という幸せいっぱい胸いっぱいな乙女であると言われてしまったような恥ずかしさ。
心なしか早苗と咲夜からの目線が生温かいし、魔理沙に至ってはなぜか死んだ目をしている。妖夢はよく分かっていないのか、死んだ目の魔理沙を心配して肩をゆすっていた。
そしてようやく心の整理がついた妹紅がプッと噴き出すと、つられて早苗と咲夜も笑い出した。
「プッ、ハハハ。22回ってお前、そんなにこいつ等と一緒にいるのが幸せだったのか」
「いやー、そうですかー。霊夢さんはそんなに私達のことが大好きなんですね、照れちゃうなーもー。てへへ」
「フフフッ。わざわざ一日つき合った甲斐があったわね」
三者に笑われ、ますます赤面する霊夢。
それとは対照的に妖夢の顔が青くなっていく。
「あ、あの」
妙に強張った声色で一同の視線を集めた妖夢は、死んだ目の魔理沙の肩を掴んだまま、告げる。
「魔理沙が息してない――」
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・
「お前のハートにフジヤマヴォルケイノー!!」
「ぎゃー!」
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた魔理沙を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、フジヤマヴォルケイノの威力によって魔理沙の五体に余すところなく伝わり切った。
「グホッ、ゲホッ。な、なん……いったいなにが……」
「なにがってそりゃ、致死性燃え尽き症候群が伝染したんだろう」
状況が掴めず当惑している霧雨魔理沙に、状況をしっかり正確に伝える藤原妹紅。
だのにその場にいる全員、妹紅の言葉を信じられず呆然とする。
おや? なにかおかしなことを言っただろうかと妹紅は首を傾げた。
「あれ、昨日説明したよな? 蘇生のため気力注入する奴はそこそこの確率で致死性燃え尽き症候群が伝染するって。22回……ってことは一人あたり5~6回だろ、そりゃ伝染するわ。どうしたのそんな顔して? 自分も致死性燃え尽き症候群になる覚悟で霊夢を助けようっていういいお話じゃなかったの? ……言ってなかったっけ? ……言ってない?」
四人が、妹紅に、歩み寄る。
致死性燃え尽き症候群の症状や治療法など色々説明してくれた、いわば一番の恩人に向かって憤りをたぎらせながら。
そして。
「マスタースパァァァーク!!」
「成仏得脱斬ァーン!!」
「モーゼの奇跡ィィイイ!!」
「ソウルスカルプチュアー!!」
気力注入蘇生活動ではない極大スペル四連発によって、藤原妹紅も順当に死亡回数を稼ぐのだった。
○ ○ ○
「いや……もう知ってること全部話したって。
致死性燃え尽き症候群で死んだら、完全に死ぬ前に人間が死ぬ威力の衝撃で生きる気力を注入すれば生き返る。
気力注入するたびに症候群が伝染する可能性が二割か三割か、それくらいある。
全員の心音を確かめたところ、魔理沙も妖夢も早苗も咲夜も、バッチリ患ってたよ。
一度患えば抵抗力できるから霊夢はもう安心、蘇生役に回っても心配はない。
短くて一日、長くて一週間くらいで自然治癒します……霊夢は一日、私の時はちょっと長くて八日かかった。
普通は一日3~4回しか死なない。幸薄いタイプの私は1~2回だった。
霊夢みたいに一日で20回以上なんてのは初耳だけど、類は友を呼ぶとも言うし、お前等がどれくらい死ぬかは知らん。
永琳ならもっと詳しいこと知ってるだろうと思って、昨日の夜からちょいとあちこちを捜してきたけど見つからなかった。
そういう訳でサボってた訳じゃないし、症候群が伝染するって言い忘れたのも謝る。
だからそろそろ勘弁」
ああ、そうだとも。みんな分かっている。
妹紅は悪くない。
間が悪すぎた。
だからこれは八つ当たり。
各々、霊夢を蘇生した回数と同じだけ妹紅を殺したおかげでようやく落ち着いた一同は、さてどうするかと今後の相談を始めた。
妹紅一人に四人の蘇生を任せ切るという妙案が真っ先に挙げられるも、これからさらに一週間一ヶ所に集まって共同生活というのも困る。なにせ妖夢も早苗も咲夜も、霊夢のピンチだからという理由で暇をもらってきたのだ。四人で交代しながらなら一週間くらい平気だろうという考えに基づきつつ、初日くらいは全員集まって霊夢の様子を見つつ、相談して日程を決めようなんて示し合わせをしていたのだ。
一日22回というペースを味わってからは、もう主君ほったらかして一週間ずっとかかりっきりもやむなしかと覚悟も決めてはいたが……。
「霊夢が無事なら帰ってくるよう言われそう……」
「同じく……蘇生なら神奈子様、諏訪子様がやってくれるだろうし……」
「二日連続で館を空ける訳には……」
中心にいるのが霊夢でなければ、どうにも結束がゆるんでしまう。
主従の事情が湧き上がってくる。
「精神の病って妖怪には致命的ですけど……妖怪にも伝染するの?」
咲夜が訊ねると、もう知ってること全部話したと言ったばかりの妹紅が新情報を吐き出した。
「いや、人間の精神でしか患わない病気だったはず。蘇生は妖怪でもできるんじゃない? 人間同士で蘇生し合うよりは楽だろう。ただ生きる気力うんぬんってものだし、妖夢のところの亡霊に気力注入蘇生ができるかは分からんが」
「ゆ、紫様に連絡を取らねば……」
一人だけ不利な主従だと聞かされた妖夢は、思わず頭を抱えてしまった。
生きる気力注入……亡霊である西行寺幽々子はもちろん、のらりくらりとした八雲紫にも到底似合わない行為である。
となれば八雲藍に頼むべきなのか? そうだ、そっちの方がいい。一番安心できる選択だ。
そしてもう一人、蘇生してくれる人材に問題を抱える魔理沙が慌て出す。
「ちょ、ちょっと待てよ。私はどうなるんだ。お前等と違って、一人暮らしだぞ」
「仕方ないわね、あんたしばらく神社に泊まっていきなさい」
一番熱心に蘇生活動を行っていた魔理沙のため、22回死亡者霊夢が心強い言葉をかける。
悪意ゼロ、友情100%という完全で純粋な巫女スマイルを浮かべながら。
その手には威力抜群の陰陽玉が握られている。
霊夢が死ぬたびマスタースパークをぶち込んできた魔理沙は、自分が死ぬたびあの陰陽玉をぶち込まれるのだと理解し、背筋を震わせた。霊夢はこんな恐怖と戦っていたのかと。
「で、他の連中は自分の家でなんとかなるみたいだし……妹紅はどうするの? 魔理沙か妖夢の蘇生でも手伝う?」
妹紅は申し訳なさそうに首を振る。
「いや……私はもう一回、永琳を捜してみるよ。致死性燃え尽き症候群については世間話レベルでしか話してないからな、やっぱりちゃんとした知識を仕入れてこないと……一日22回死ぬなんてケースを目の当たりにしちゃ、なおさらな」
「頼んだわ。それと、22回も死んだなんて伝えなくていいから。数字は伝えなくていいから」
「善処するよ」
こうして――博麗霊夢の長い一日は終わりを告げた。
魂魄妖夢は亡霊の待つ白玉楼へ、東風谷早苗は神の待つ守矢神社へ、十六夜咲夜は吸血鬼の待つ紅魔館へと帰って行った。
なんだかんだで可愛がられている従者達である、主も一生懸命にがんばってくれるだろう。
霊夢ほど死にまくると決まった訳でないのだから。
……霊夢以上に死にまくるかもしれないけれど。
妖怪には病気は伝染しないのだから。
……妹紅の知識が間違っていて実は伝染するなんてオチもあるかもしれないが。
とにもかくにも、強い絆で結ばれた誰かがいてくれるなら、きっと大丈夫。
一緒にいるだけで胸に幸せが満ちて、死んでもいいと思えるほど大切な誰かがいるのなら。
一緒にいるだけで胸から幸せがあふれ、生きたいと思えるほど大切な誰かがいてくれるのなら。
そう。
大切な誰かと一緒にいられる……そんな幸せな人間にとって、致死性燃え尽き症候群はなんてことのない病気なのだ。
幸せを再確認するだけにすぎない。
「あんたのハートに陰陽鬼神玉ァァァー!!」
「ぎゃー!」
ただ、再確認には痛みが伴うのが玉に瑕である。
おしまい
その宵の酒は妙に旨く、妙に染み渡る。
桜の樹に背中を預けて座り込んでいた博麗霊夢は、花開くようにまぶたを開いた。
――数秒ほど寝入っていたらしい。
いや、まだ眠っているのかもしれない。遊離した意識が桜の花びらと共に舞い、宴会の席を見ているような。みんなから見られているような。花びらが地面に一枚、また一枚と落ちるたび、左手に載っている杯が軽くなっていく。
花びら舞う小さな世界に、少女達のはしゃぐ姿が見えた。
霧雨魔理沙――普通を自称する魔法使い。腐れ縁と呼ぶのが一番しっくりくるだろうか。随分長いつき合いをしている。
異変のたび出張ってきて、色んな奴をやっつけてきて、ずっと一緒に飛んできた。
夜桜を帽子で受け止めて笑う彼女は、きっと霊夢の一番の友達なのだろう。
魂魄妖夢――白玉楼の庭師というだけあって、桜をモチーフにしたスペルを持つ剣士。
そのスペルと今ここにある本物の桜、どちらも眩しいほどに美しい。その心の在りようのように。
キャラクターを迷走させながらも前に進み続ける強さがあれば、幻想郷がどんなに変わっても負けやしない。
東風谷早苗――守矢神社の風祝。最初は敵同士で、なんだかよく分からないうちに馴染んでしまった少女。
異変を共に解決した回数も多い。巫女としての生き方を楽しむ彼女は、これからも異変を解決していく。
夜桜の下で大幣を振りかざして元気いっぱいに笑う彼女がいれば、きっと幻想郷は安泰なのだろう。
十六夜咲夜――初めて会った頃に比べだいぶ取っつきやすくなった、面倒見がよくて調子もよい愉快なメイド。
人間の輪から外れ、悪魔の館に巣食うようになりながらも、今ここに集う人間離れした人間の輪には馴染んでいる。
人間離れした人間となら人間らしくつき合える彼女なら、最後まで人間であり続けられるだろう。
藤原妹紅――もっとも人間からかけ離れた人間でありながら、救いようのないほど人間でしかない少女。
不老不死という孤独を患いながらも、最近は人間の友達を新しく作ることができて毎日が楽しそうだ。
彼女を慕う人間が側にいる間は、きっと人間らしく生きていける。これからも人間の友達に恵まれますように。
ああ、そうか。今日はたまたま人間だけが集まって花見をしていたのだ。
ああ、そうか。今日まで博麗の巫女としてがんばってこれたのは、人間が好きだったからだ。
ああ、そうか――。
去来する満足感。
未熟未熟と言われてきた少女はこの瞬間、悟りの境地に達していた。
故に、もう未練はない。
生きて、生きて、生きて……わずか十数年、けれど誰よりも眩しく生きた。
今、霊夢の中にはすべてがある。すべてを理解し、すべてを悟ったのだと実感した。
すべての欲が滅却され、森羅万象と一体と化し、眠りという形で現世から剥離する。
そう、安らかな眠り……永久の眠りへと……。
カラン、と、手のひらから杯が落ちる。
――博麗霊夢、死亡。
○ ○ ○
「いやお前さんなんも悟ってないからね。森羅万象さん関係ないからね。百八の煩悩を滅却して生への執着も捨てて死んで解脱ってのもあるけど、お前さんのそれアレだよアクション映画観た直後のなぜか自分も強くなった気がするアレに近いからね。このまま彼岸に渡っても涅槃行けないからね、自殺に近い扱いになって地獄行きだからね」
三途の河で待っていたのは、小野塚小町からの怒涛のツッコミラッシュであった。
順番待ちの魂を後ろに並べたまま、博麗霊夢の魂は船に乗せてもらえずふよふよしている。
死神からの説教中だというのに、馬の耳に念仏状態だ。
「まったく。こんなしょーもないな死に方いちいち認めてたら、死神の仕事が馬鹿みたいに増えちまうじゃないか。ほらほら、閻魔様に見つからんうちに帰りな。早くしないと身体が腐っちまうよ、距離は短くしてやるからすぐさ。行った行った!」
こうして博麗霊夢の魂は現世に追い返されたのだった。よかったよかった。
○ ○ ○
「霊夢、霊夢しっかりしろ! 霊夢ぅー!」
「まさか急性アルコール中毒!? 未成年なのに飲みすぎなんですよ幻想郷の皆さんはー!」
霊夢の息の根が止まっているのに気づき、ただただ狼狽する魔理沙と早苗。
「とと、とにかく医者……永遠亭に連れてくわよ!」
「って、ああぁー!? 魂、霊夢の魂がもう抜けちゃってるぅー!!」
慌てながらも対処しようとする咲夜と、半人半霊であるため魂が抜けていることに気づいた妖夢。
平和でのどかな花見が一転、大騒ぎになってしまった。
「なんだか分からんが永遠亭に運ぶぞ! いいな!?」
「待って! 迂闊に動かしたらマズイかもしれません、むしろ医者をここに呼んだ方が!」
「魂が抜けてるってどういうこと? もう手遅れってこと!?」
「残念ながら霊夢はもう……って、あれ? 魂が戻って……ちょ、身体こっち、こっち入って! そっち違うそれ身体違うー!」
一人だけ見えている世界の違う妖夢。
魂の有無という重要な要素ゆえ、他の三人も妖夢の眺める虚空を見やる。
本当にそこに霊夢の魂がいるのか。花びらが舞っているだけじゃないか。酔って見間違えてるのか。真実なのか。
「お、おおー!? そう、そこ! それ! 入った霊夢の魂が肉体に入ったぁー!」
鬼気迫る勢いのためきっと真実なのだろう。
妖夢渾身のリアクションにより、他三名はホッと一息つく。
魂が戻ったのなら大丈夫だろう。息を吹き返すだろう。
安堵の表情で霊夢を見つめること五秒。
不安の表情で霊夢を見つめること五秒。
疑惑の表情で妖夢を見つめること五秒。
困惑の表情で妖夢が後ずさりをし――。
「ほほーう、懐かしい死に方してるなぁ」
霊夢が死んでいると皆が理解する直前、花を摘みに行っていた妹紅が戻ってきた。
四人の人間をかき分けた不死者は霊夢の遺体の前で膝をつくと、巫女装束をめくって胸元に手を突っ込む。
魔理沙、早苗、妖夢がギョッと赤面する中、妹紅はうんうんと頷く。
「やっぱりこれ"致死性燃え尽き症候群"だ」
「ち、ちしせーもえつきしょーこーぐん?」
奇天烈な響きのため魔理沙が代表して聞き返したが、妹紅は気にも留めず霊夢の胸元から手を引き抜くと、弓を引きしぼるようにグッと右腕を動かし、手の内に熱を集中させる。
「私も何十年か昔にかかった病でね、人生やり切った気分になって生きる気力も無くなって、そのまま死ぬ精神病さ。治療法は簡単。完全に死ぬ前に死ぬ気で気力を注入してやるだけ」
と言いながら掌に込められた熱は威力を拡大し、赤々と輝く炎の球体と化していた。
物騒すぎる予感に魔理沙は青ざめる。
「ちょ、おま……」
「お前のハートにフジヤマヴォルケイノー!!」
渾身の気力注入が霊夢の胸に撃ち込まれる。
と同時に危険を察知した咲夜は狼狽中の魔理沙を抱えてその場から離脱。
早苗は咄嗟に結界を張って身を防ぎ、妖夢は半霊を盾にしてしまいその意味の無さに嘆いた。
フジヤマヴォルケイノの火球は霊夢の心臓を起点として爆発し、五体の隅々にまでその威力をほとばしらせる。
人間が受ければ確実に死ぬ威力だった。まさか霊夢に引導を渡そうとでもいうのか?
いや違う!
人間が死ぬ威力なのに違いはないが、霊夢はすでに死んでいる。
死んでいるからこれ以上死にようがなく、マイナス同士の掛け算のようにプラスへと反転。
注入された気力を糧として博麗霊夢のまなこが開く!
「ぎゃー!」
「んっ、元気のいい悲鳴。結構結構」
燃えるように熱い胸をはたきながら飛び起きた霊夢は、キッと妹紅を睨みつけるやその場で華麗な宙返りをしつつ痛烈に蹴り上げる。
「なにすんのよ!」
「ぐわー!」
空高く蹴り上げられた妹紅、夜桜の枝の合間を突き抜けて夜空の星に合流して見事に昇天。
ぜいぜいと息を切らす霊夢は冷静さを取り戻して、ようやく周囲の四人の視線に気づく。
驚きや感動の入り混じった奇怪な視線だ。意味が分からず居心地が悪い。
「な、なに? どうしたの?」
「れ、霊夢ぅー!」
「心配かけさせないでくださいよ! もう!」
感情的な魔理沙と早苗が大喜びでしがみついてきた。咲夜もうんうんと頷き、妖夢はその場にへたり込んでいる。
誰もが彼女の無事を心から喜んでいた。
幻想郷の巫女、愛されし人間、博麗霊夢。
死ぬほど幸せいっぱい胸いっぱいの人生はこれからだ!
「いい雰囲気になってるとこ悪いけど、致死性燃え尽き症候群って癖になるからまたすぐ死ぬよ」
だがしかし、妹紅が地上にてリザレクションの火柱を起こしつつ爆弾発言を放り込んできた。
魔理沙、早苗、咲夜、妖夢の顔はさぁっと青くなり、未だ状況を掴めぬ霊夢はなんのこっちゃと首を傾げる。
「ちょ、まっ、それじゃ霊夢はどうなるんだ!?」
「心臓止まるたび、人間が死ぬ程度の威力をハートにぶち込めば息を吹き返すな。物理的にも精神的にもぶち込まないといけないから、生きてくれって気力を込めて全力で強力なスペルを胸にぶち込めばいい」
「待てい、死ぬ程度の威力って……」
「ああ、心臓止まってない時にやると普通に死ぬからそこだけ注意」
「死ぬじゃん!」
「心臓止まってる時なら死なないから平気平気」
あまりにも過激すぎる治療法に全員ドン引きである。
下手したら人殺し一直線。
博麗の巫女殺しともなれば幻想郷全妖怪からターゲットロックオン! 絶対に絶命する。
当の霊夢は相変わらず状況を理解しておらず、頭から煙を出して魔理沙ににじり寄る。
「ちょっとあんた等、さっきからなに私の暗殺計画相談して――」
「大事な話なんだ黙っててくれ!」
「は、はい」
が、いつになく鬼気迫る魔理沙の勢いの前では霊夢も黙らざる得ない。
友達思いの魔法使いは妹紅に詰め寄って襟首を掴む。
「妹紅もっとこう、根本的な治療法はないのか!? 永琳に治療薬を作ってもらうとか」
「永遠亭の連中なら昨日から慰安旅行でどっか出かけててしばらく連絡取れないからな。邪魔されないよう行き先隠してさ」
「なにいー!?」
「それに昔、永琳とも話したことある。精神の病だからって精神に作用する薬は使うのはむしろ危険だったはずだ。意識を朦朧にさせたら変な思考して変なタイミングで死にかねないし、死んだことに気づけず蘇生できない危険性があるってさ。鬱にする薬だと効果が薄れた瞬間に死にかねないし、ハッピーになる薬だと問答無用で死ぬ」
「そんな!」
魔理沙は手を放し、その場に崩れ落ちた。
だが対面する妹紅の表情は気楽なものだった。
「自然治癒を待った方がいい。早ければ一日、長くても一週間かそこらで治るはずよ」
一週間。
短いように思えるが、一ミスで死亡と考えると長く苦しい戦いを予感させる。
少なくとも一人で乗り切れるには無理がある。
「ようし! ここはみんな、力を合わせて霊夢の面倒を見よう! ひとまず今日は全員神社に泊まりで!」
燃え上がる友情を握りしめ、魔理沙は他のメンバーに意気揚々と語りかけた!
霊夢の無事を願う気持ちは満場一致!
そのことに異論を挟む余地は皆無にして絶無!
これこそが人と人の絆! 美しき友情って奴だ! 泣けるぜ!
「神奈子様がお怒りになるので、朝帰りはちょっと……すみません」
「幽々子様に遅くならないよう注意されてるので……申し訳ありません」
「お嬢様のお世話をしないといけないので……ごめんなさい」
「鳥獣伎楽のライブが今夜あるから……悪いな」
ひとまず藤原妹紅の頭を箒で殴りつけた。
他の三人にも思うところはあるが、妹紅だけなんだその理由は。
「結局なにがどうなってんのよ?」
そして死んだという自覚のない霊夢は、未だクエスチョンマークまみれなのだった。
○ ○ ○
一夜明けて。
寝室に射し込む朝陽によって目覚めた霊夢はぼんやりとした思考の中、右隣になにかあった気がして視線をやる。空の布団があった。
ああ……魔理沙が泊まったのだと思い出しつつ、布団から起き上がる。朝ご飯の用意をしないと魔理沙がうるさい。
いや……耳を澄ませば台所から物音がする。わざわざ早起きして自主的に朝ご飯を作ってくれている?
なぜ……という疑問が昨晩のことを思い出させた。致死性燃え尽き症候群。生きる気力の欠如。満足したら死ぬ。
馬鹿みたいな話だ。
実際に心臓が止まって死んでいたという話を聞いたが、まったく記憶にない。花見の最中ちょっと居眠りして死神と小言を交わす夢を見た程度。それが臨死体験だったと考えれば辻褄は合うが、単なる夢と考えるのが普通だ。
つまり妹紅のブラックジョークを真に受けた魔理沙が大騒ぎしてると考えるのが妥当。
(やれやれ、仕方のない奴……)
障子戸を開けると、爽やかな朝の風が胸元を通り抜けていく。
蒼穹の空がどこまでも広がり、ところどころに浮かぶ白雲はゆったりと流れていく。
とても気持ちのいい朝だ。
(しばらく魔理沙につき合ってやるか)
自然とほほ笑みがこぼれる。
たかがブラックジョークひとつに本気になって、本気で身を案じてくれている魔理沙。
申し訳なく思いながらも、普段意識することのない真摯な気持ちを感じることは嬉しい。
恥ずかしい言葉をもちいれば、友情、というものを感じているのだ。
ああ――魔理沙、魔理沙、魔理沙。
こんな私にはもったいないくらいの友達だ。
いつも神社に遊びにきて、異変のたび駆け出して、隣にはいつも、いつも。
友情に恵まれた人生を送ってきた自分は、なんと果報者なのだろう。
心に満ちる充実感により、スッと身体が軽くなる。
自然とまぶたを閉じ、全身の力が抜けていく。
こんなにも気持ちのいい朝だから。
博麗霊夢の人生を飾るには、きっと相応しい。
――博麗霊夢、死亡。
「お前のハートにマスタースパァァァーク!!」
「ぎゃー!」
全力全開! ミニ八卦炉を霊夢の胸元に押しつけての最大火力射撃。マスタースパークの発動。
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、マスタースパークの威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
藤原妹紅の教えの通り、致死性燃え尽き症候群を打ち破る正しき治療法である。
博麗霊夢、復活!
「ゴッホゴホ、な、なにすんのよ……」
「よ、よかった。間に合った。霊夢ぅ……!」
砲撃をぶちかました魔理沙が涙目になっているという事態は、怒りの反撃を止めるには十分な戸惑いを与えた。
そして気づいてみれば霊夢は、部屋の外で倒れている形だ。
マスタースパークをぶち込まれて倒れた? いや、なにかおかしい。
そもそも自分は外の景色を見ていい朝だなと思っていただけだ。
むくりと起き上がり、心臓に手を当てて、思う。
「……ねえ。致死性燃え尽き症候群って、マジ?」
「マジ」
ようやく現状を正しく理解する霊夢。
その表情は酷く寒々としたものだった。
○ ○ ○
護身ッ!!
大事である非常に大事である。
護身を怠れば推理小説の犯人もトリックも暴露されるし、大人気のあのキャラがどの話でどう死ぬかも知ってしまうし、最終回が夢オチと聞かされて萎えてしまったり、叙述トリックものはオススメを聞くだけでネタバレになって困るわ、映画『猿の惑星』のパッケージに自由の女神が採用されちゃうし、Gガンダムは大勝利、犯人はヤスだ。
そう、護身とは非常に大事なのである。
そう、護身せねばなるまい。致死性燃え尽き症候群などというふざけた病気から。
「ああ、味噌汁が美味しい……ガクッ」
「お前のハートにマスタースパァァァアアアアアアッ!!」
「ぎゃー!」
できるのか、護身。
あまりの死にやすさに不安ずっしり意気消沈。
仕方なしに霊夢は居間でじっとしていることになった。
もちろん娯楽禁止。ただただ退屈な時間を送るのみである。
魔理沙もろくに動けない。霊夢が起きないうちにとっとと朝食を作ろう! と張り切った結果あっさり死なれ、さらに朝食を食べてまた死なれ……これでは目を離すなんてできやしない。
霊夢の目を見る。まぶたはちゃんと開いているか。まばたきのたび警戒する。
霊夢の胸を見る。ちゃんと呼吸をしているか。胸が上下しているか。
霊夢を見る。見つめる。見つめまくる。
「……そんなジロジロ見ないでよ」
「見てないと死ぬだろ」
「さすがにこの状況じゃ死なないわよ。つーか居心地悪いからやめて」
「不満があれば満足しない、好都合だ」
「……そんなずっと見張ってて疲れない?」
「正直しんどい」
「お茶でも入れようか」
「いい、じっとしてろ」
気が滅入る。事情は分かるのだけれど、病気が治るまでずっとこのままというのは勘弁してもらいたい。
ようは満足さえしなければいいのだから、苦痛な時間を送るより適度にのんびりした時間を送ればいいじゃないか。
そのためには魔理沙を説き伏せねばならない。どうしたものか。
などと悩んでいると。
「おはようございまーす。霊夢、生きてる?」
境内から澄んだ声がし、生きてる霊夢はホッと息をつく。
これでこの気まずい空気も多少なんとかなるはずだ。
やってきたのは半人半霊の半人前、魂魄妖夢。
居間に上げて座布団を差し出し、三人でちゃぶ台を囲む。
「昨日はすみません、魔理沙一人に任せちゃって」
「本当にな。みんな薄情だぜ」
魔理沙はつんけんした態度だ、それなりに根に持っているらしい。
霊夢の命の危機を一時的とはいえ放り出したのだから。
「今回はちゃんと暇をもらってきたから大丈夫です。小町ともお話をしましたし」
「小町?」
夢で小町に会ったことを思い出し、霊夢が食いついた。
「ええ。ちゃんと現世に帰れたか確認してきてくれって」
「……夢じゃなかったのか、あれ」
とはいえ、どんな話をしたのかはすでにうろ覚えだ。
アクション映画を観た直後はなぜか自分も強くなった気がする――なんて雑談くらいしか思い出せない。
なぜ死んだかどう対策すればいいのか、そういう話をしてこその死神じゃないのか。
もしかしたら自分が忘れているだけかもしれないが、棚上げして憤った。
「で、あいつなにか役に立つこと言ってた? 死なないようにするコツとか、安全確実に蘇生する方法とか」
「妹紅から聞いた蘇生方法の確認を取ったら、魂を送り返すだけで解決すると思ってたとか言ってビックリしてた」
「役に立たない死神ね」
魂を送り返してもらった恩を文字通り忘れている霊夢は、小町がいなければ妹紅の蘇生が間に合わず手遅れになっていたことに気づかないままだった。
「なんにしても妖夢がきてくれて助かったわ。魔理沙ったら気を張りっぱなしで、長く持ちそうにないし。ほら、今は妖夢がいるんだし、ちょっとは気を抜きつつお茶でも入れてきなさいよ」
「ああ……喉も渇いてきたしな」
実は結構疲労が溜まっていた魔理沙は、ついでに茶菓子もあさろうと企みながら台所へ向かった。
補給をしなくては身が持たない。だが贅沢をしては霊夢が死にかねない。適度に貧しくすませよう。
魔理沙がいなくなると、妖夢はちょっと声を潜めて問いかける。
「で、あれから何回死んだの?」
「2回。気持ちのいい朝だったのと、朝ご飯がおいしかったせいで……言ってて意味不明な死因だわ」
「死にやすすぎる……」
「まったくもって」
道理で魔理沙が気疲れしている訳だと妖夢も悟る。
せめて昨晩の時点で他に誰か残っていてやればもっとマシだったろうに。
「昨晩帰っちゃったのは従者的に考えて仕方なかったけど、咲夜や早苗ともちゃんと、許可が取れたら今日神社に集まろうって示し合わせしてから別れたから」
「どうだか。あいつ等そんな気の利く連中かしらね」
口では茶化しながらも、どうせ来るんだろうなと考えた霊夢は小さくほほ笑みを浮かべてちゃぶ台に突っ伏した。
ゴチンと額を打ちながらも無反応。
「……霊夢?」
パチクリとまばたきをした妖夢は、霊夢のかたわらに行って抱き起こし意識を確認する。
穏やかな顔で呼吸と鼓動を止めていた。
「……し、死んだぁぁぁ!?」
慌てて飛びのき、楼観剣を引き抜いて力いっぱい握りしめる。
手を離された霊夢は畳にごろんと仰向けになって倒れ、丁度心臓を狙いやすい形になっていた。
「おおおおち、落ちつけい。心臓、殺す気で、全力で」
昨日の妹紅の対処法をうろ覚えで思い出しつつ、冷たくきらめく楼観剣を逆手持ちして振り上げる。
大丈夫、理論的にはこの刃を振り下ろせば霊夢は助かる。目覚めるはずだ。
変に遠慮したらそれこそ失敗しかねない。
やれ、やるんだ妖夢。己に言い聞かせて覚悟を決める。
「よ、妖怪が鍛えたこの楼観剣に……斬れぬものなど、あんまり……無い! うおりゃあああ!!」
渾身の殺意を込めて楼観剣を振り下ろす!
その鋭い切っ先が霊夢の胸に触れようとした瞬間、旋回する箒が妖夢の腕を打ち払った。
「殺す気かぁぁぁ!!」
妨害者は魔理沙だった。お茶の支度の最中、妖夢の奇声が聞こえたため慌てて戻ってきたという訳だ。
「な、なにするのよ魔理沙! 早く殺さないと死んでしまう!」
「刀なんか刺したら肉体的に死ぬわ!」
「だから殺す威力を叩き込まないといけないんでしょ!?」
「それは衝撃的な意味であって斬殺刺殺的なのはダメだろ!?」
「え、そうなの!?」
「た、多分!」
魔理沙も妹紅から聞いた以上の対処法は知らない。
が、心臓を突き刺して蘇生したところで、今度は心臓に穴が空いてるからそのまま死ぬだろう。
じゃあマスタースパークで心臓破れないのかという疑問もあるが、エネルギー系の衝撃なら大丈夫なのだろう。多分。
「ええーい、お前はどいてろ! 私が霊夢を蘇生する!」
妖夢を押しのけた魔理沙は、ミニ八卦炉を霊夢の胸にグッと押しつけた。
すでに二度の蘇生に成功している魔理沙。同じ調子でマスタースパークを放てば問題はない。
「お前のハートにマスター……うっ」
同じ調子で放てれば、だが。
「ど、どうしたの魔理沙。早く蘇生を!」
「な、なんか力が入らん……疲労感が……これじゃ火力不足で蘇生できそうにない」
二度のマスタースパーク。これが通常の弾幕ごっこだったならここまでの消耗はすまい。
だが! 相手を殺さぬよう加減する弾幕ごっこと違い、殺す威力で放たねば蘇生にならぬのが今回……しかも生きる気力の欠如を補うべく、外部から気力を注ぎ込まねばならないのだ。魔力や体力以上に生きる気力を消耗してしまっているのが今の魔理沙なのだ。
単なる疲労と勘違いしている魔理沙は、それでもと力を振り絞ろうとする。
だがどうしても気力が足りない。息が苦しくなってしまう。
故に、妖夢が奮起する。
「魔理沙、どいて。私がやる」
「す、すまん……」
白楼剣も抜刀し、二刀の構えとなった妖夢は霊夢の身体の前で深呼吸をする。
心身を整え、友の身を案じ、生きて欲しいという願いを剣に込めて振りかざす。
「お前のハートに成仏得脱斬ァーン!!」
桜色の光が柱となってほとばしる。
刀を直接当てないようにして振り抜き、放たれた剣気と気力のみが霊夢の心臓へと叩き込まれる。
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、成仏得脱斬の威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
「ぎゃー!」
「やった、成功した!」
衝撃によって飛び起きた霊夢を見、妖夢と魔理沙は手を取り合って喜びを分かち合う。
霊夢もどうやらまた死んでいたらしいと理解するも、なぜ死んだのか当惑してしまう。
なにせ死ぬ直前は眠りに落ちるように意識が遠のき、記憶も曖昧になるので。
「ふぅ……蘇生のこつは掴めたけど、何度もやってちゃ身が持たないかも」
「ああ……私もこんな消耗してるとは思わなかった。しっかり休息を取りながら交代で蘇生しないといかんな……」
仲間意識の薄い少女達ではあったが、今は十六夜咲夜と東風谷早苗の救援が待ち遠しくて仕方ない。
早くきてくれ。
○ ○ ○
「燃え尽き症候群についてうかがってきたのだけれど……本来は正反対の病気みたいよ」
妖夢より遅れて二時間。電光石火のメイドが神社を訪れた。
長引くことを考えて食料や着替えの準備もしてきた抜け目のないメイドは、さらに知識も蓄えてきたらしい。
「霊夢の致死性燃え尽き症候群は、満足し切って死ぬみたいだけど……致死性じゃない普通の燃え尽き症候群は、やってることの成果が上がらなかった時の疲労や不満足で駄目になっちゃうことだとパチュリー様がおっしゃっていたわ」
「で、致死性燃え尽き症候群については?」
「聞いたことないって」
結構期待して話を聞いていた魔理沙は、気力もないのにミニ八卦炉を向けた。
だがポーズだけと分かっているので、特になんのリアクションも見せず咲夜はのほほんと笑っている。
「そんなことより霊夢、私が来るまでに何回死んだの?」
「……6回」
爽やかな朝なのでマスタースパーク。
朝ご飯がおいしかったのでマスタースパーク。
みんな来てくれると思ったので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地がよかったので成仏得脱斬。
妖夢が「みょん」と言ったのでマスタースパーク。
妖夢の半霊の触り心地がやっぱりよかったので成仏得脱斬。
以上がここまでの死因と蘇生である。蘇生活動は魔理沙と妖夢で半々で、二人とも疲労困憊だ。
「お昼ご飯でも死にそうね。食材を色々持ってきたのだけれど、料理しない方がいいかしら……不味いご飯なんて作ったことないし」
「お米くらいはちゃんと食べたいんだけど……」
せめてもの願いを口にするが、それすらどうだろうかと三者は顔を見合わせる。
……白いご飯なんて死ぬだろ……いや朝の死因は味噌汁だったし……オカズ無しなら……冷や飯なら……。
さっぱりと切り捨てるか、ある程度妥協すべきか。
蘇生要員が増えた今なら多少は……。
「こーんにーちはー!」
などと考えていると、お日様のように元気いっぱいな挨拶が聞こえた。
声の主は威風堂々とした態度で障子を開き、とても頼りがいのあるドヤ顔を浮かべている。
「みんなの救世主、早苗参上でーす! 霊夢さんご無事ですか、お弁当作ってきましたー! 腕によりをかけたのでとーっても美味しいですよー!」
と、三段重ねの弁当箱をドンとちゃぶ台に置く。
霊夢が喜びに目を輝かせる一方、魔理沙、妖夢、咲夜はげんなりとした顔で早苗を睨みつける。
「あ、あれ? なんだか歓迎されてない?」
「いいのいいの、気にしない。お昼が楽しみだわー……ガクッ」
――博麗霊夢、死亡。
「……早苗ぇえええ空気読めやぁあああー!」
「え、ちょ、ま、えっ? なに、私のせい?」
魔理沙が早苗に飛びかかるかたわら、咲夜は青ざめながらも冷静に霊夢の死体に駆け寄る。
「えっと……死ぬ威力の衝撃を心臓に与えるんでしたっけ?」
「は、刃物は駄目です! 心臓に穴が空きっぱなしになって死にます! もっとこう、霊力とか魔力とかぶち込む感じのスペルで!」
同じ過ちを犯さないようにと妖夢が慌ててフォローする。
しかし。
「うーん……私、そういうの苦手なのよね」
時間と空間を操るという非常に強力な能力の持ち主である咲夜だが、攻撃手段は基本的にナイフだ。
大火力のスペル? 大量のナイフを投げるか、ナイフでとことん切り裂くか、ナイフを超高速で投げるかだ。
弾幕ごっこの最中、ナイフが刺さっても死なないじゃないかって?
そりゃ死なないさ、弾幕ごっこだもの。
だが死んでいる無抵抗な人間に刺したら本当に死んでしまう!
例えるなら、そう、あえて例えるならバトル中はナイフで切り刻まれてもダメージを受けるだけだが、イベントシーンではナイフで刺されるだけで死ぬようなものだ。
「で、でも刃を直接当てないスペルだってあるでしょう!? 斬撃を飛ばす系みたいなー!」
「ふむ、じゃあそのあたりのスペルでやってみましょうか」
脳内に候補スペルを幾つかリストアップ。
直接斬ったり刺したりせず、威力を飛ばすタイプ。それでもって威力の高いもの。
よさげなものに思い当り、ナイフを両手に握り込むと、倒れ伏したままの霊夢に向かって縦横無尽に斬撃を飛ばす。
「あなたのハートにソウルスカルプチュアー!!」
このスペルは広範囲を切り刻むスペルではあるが、切っ先がギリギリ届かない距離を保ち攻撃範囲を狭めることで、威力を高めつつ心臓のみにダメージを与えることを実現。
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、ソウルスカルプチュアの威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
「ぎゃー!」
斬撃タイプとはいえ衝撃は衝撃。
無事蘇生を果たした霊夢は悲鳴と共に飛び起きた。
「グホッ、ゲホッ、うぐぐ……な、なに? 蘇生してもらったんだろうけど、妙に胸がズキズキする……」
「斬撃で蘇生したせいかしら」
「そ、そう……まあいいわ、助かった」
まずかったかなと咲夜は冷や汗をかく。とはいえ霊夢も怒っていないし、そう気に病まなくてもいいだろう。
だがこれで蘇生活動に不向きな人材だとも理解した咲夜は、蘇生活動はできるだけ他の面子に任せるべきかと思案した。
今回の死因、豪勢なお弁当を持ち込んでしまった早苗も早々不安でいっぱいになる。
「ええー……この茶番みたいな死亡と蘇生を、長ければ一週間も続けなきゃならないんです?」
全力気力蘇生の労力を理解している三人はいっせいに顔を背けた。
ただ霊夢だけが申し訳なさそうに早苗へとほほ笑むのだった。
○ ○ ○
緊急、霊夢ご飯会議。
「えー、霊夢は朝食の味噌汁を飲んで死んだ。早苗がお弁当を持ってきても死んだ。つまりお昼ご飯でも死ぬだろう。飯抜きにすれば回避は可能だが、最長一週間飯抜きはさすがに死にかねん。よって幸せを感じない食生活をどう送らせるか話し合いたいと思う」
眼鏡装備の魔理沙がホワイトボード前で教鞭を握り、場を取り仕切る。
危機感の強い妖夢は生真面目な表情で聞いているが、まだ蘇生未経験の早苗は戸惑いの方が大きい。
咲夜はお茶を入れた四つの湯飲みを並べている。魔理沙、妖夢、早苗、それから咲夜自身の分だ。
霊夢は恨めしそうにしているが、文句を言う気配はない。飲んだら死ぬんだろうなと分かっているから。
「さて、なにかアイディアがある者」
「はい」
妖夢が挙手した。
「生米や生野菜なんかを、満腹にならない範囲で食べさせればいいんじゃないかな。満腹まで食べさせたら味はともかく満足しちゃいそうだし」
「うむ、グッドアイディア。調理の手間も省けて楽だ。この案に対し意見のある者は?」
「はい」
咲夜が挙手した。
「本当に飢えてる時って、粗末な食事でも本当にありがたいものですよ?」
「つまりあまり飢えさせず、適度に生米生野菜をかじらせとけと」
「……それも手ですけど」
いつも紅魔館で贅沢な食事(血の滴るステーキとか)を堪能している咲夜としては、事情があるとはいえ友人にそんな酷い扱いをしたくはないのだ。生野菜がありならせめてサラダに、なんて提案したら魔理沙も怒りそうで怖い。
「要は満足しなければいいのですから、美味しさ控え目の食事なんかどうでしょう?」
「ああ、自然食とか健康食とか、薬膳料理みたいな?」
咲夜の提案に早苗が乗ってきた。
外の世界では健康的なダイエット食を調べたこともあり、これなら役に立てそうだと笑顔になっている。
さらには妖夢も食いついてきた。
「健康食! それなら私達の体力回復も期待できるし、いいんじゃないかな」
すでに蘇生を三度実行している妖夢ならではの意見は、同じく蘇生三度実行者である魔理沙の同意をガッツリ引き出した。
「確かに、私達が力尽きても霊夢が死んじまうからな……いいところに気づいてくれた。料理は美味しさ控え目にして、いや、霊夢の分だけ味つけの手を抜けばいいか」
満場一致の大賛成となったこの議題を、霊夢は一人さみしくうなだれていた。
「薬膳料理はいいけどさぁ……咲夜なら美味しく作ってくれそうなのに」
「満足死しないんだったら作って差し上げますけど」
「うう~……せ、せめてお昼くらい早苗の持ってきたお弁当で」
「お弁当って聞いただけで死んだのはどこのどなたかしら」
それを言われるとぐうの音も出ない。
降参した霊夢は拗ねてその場に引っ繰り返る。
天井がやけに遠くに見え、腹の底からため息が漏れた。
「ご飯はもう仕方ないけど、行動の自由くらい与えてくれるんでしょうね?」
「駄目だ! じっとしてろ」
当然のように魔理沙が噛みついてくる。
友情に厚いのは結構だが、霊夢にも事情があるのだ。
「巫女の仕事だってあんのよ」
「そんなもん私達が代わりにやるから大人しくしてろ!」
その言葉を聞くと、霊夢はのっそりと起き上がってニヤリと笑った。
「あら、じゃあやってもらいましょうかしら」
境内の掃除。これは巫女として毎日欠かさずやらねばならぬ仕事である。
という訳で魂魄妖夢は掃除に駆り出された。
「白玉楼で庭師やってんだから、これくらい簡単でしょ」
と言われはしたものの、人任せにしていいという免罪符があれば霊夢の注文も無茶になる。
「拝殿や参道の掃除がすんだら、灯篭を綺麗に磨いといてね。その次は鳥居。それもすんだらえーっとそうそう石段の掃除もしようと思ってたのよねー。参拝客が神社まで気持ちよーく石段を登ってこれるようしっかり掃除しといてねよろしくー」
と言われた妖夢は霊夢を見捨てて逃げることを真面目に考えたほどだ。
ああ、しかし、友情的なあれこれを除いても、博麗の巫女が命の危機に瀕しているのを見捨てては絶対に叱られる。幽々子様と紫様から絶対にお叱りを受ける。
「やればいいんでしょうやれば!」
自棄になって了承してしまった妖夢は、体力の回復どころかむしろ消耗一直線となってしまった。
咲夜は外ではなく中の、つまり本殿や居住スペースの掃除を任された。
紅魔館に比べれば猫の額ほどの狭さなのでそれほど時間をかけず完了できたものの、休む間もなく昼食の準備へと移行する。
健康食を作るのはいい、だが美味しくしないという不自然な調整はパーフェクトメイドの調子を大きく乱した。ついつい手癖で美味しい味つけにしようとしてしまうもので。
おかげで自分達が食べる分の健康食も味加減を失敗してしまい、英気を養うためには早苗のお弁当に頼ることになるだろう。
魔理沙はというと神社の屋根に登らされ、延々と修繕作業をやらされている。
「こないだから雨漏りする場所があるのよねぇ。多分、誰かさんのスペルの流れ星……もとい流れ弾が当たったんじゃないかなー……と」
心当たりのある魔理沙は渋々ながら修繕を請け負い、霊夢を見張る役目を早苗に任せた。
まだ蘇生活動をしていない早苗は気力が満ちているという理由もあったので。
こうして居間にいるのは巫女コンビのみとなったため、霊夢は幾分か気楽になることができた。
早苗はノリがよすぎて一緒にいると疲れることもあるが、今はその快活さが頼もしい。
魔理沙も同じような理由で嫌いではないのだが、今は友情が重い。命の恩人と理解した上で重たいのだ。妖夢と咲夜くらいの距離感の方がありがたいし頼りやすい。
「いいんですか? 皆さん心配してきてくれたのに、病気を理由にこき使っちゃって」
「いいのいいの。面と向かって四六時中見張られてちゃ、病気以前に参っちゃうわ」
「それはまあ、そうかもしれませんねー……」
茶をすする早苗。
そのかたわらには包まれたままの重箱のお弁当が鎮座していた。
霊夢のために持ってこられ、霊夢以外の者に食べられる予定となったお弁当……。
キラリと霊夢の眼が光る。獲物を狙う獣の眼だ。雌伏し機をうかがう狡猾な狩人の眼だ。
「健康食もありがたいけどさ、わざわざ美味しくないよう作るってのはお節介すぎるかなぁってさぁ思わない?」
「お昼は咲夜さんが作ってくださるんですし、そこはまあいい感じに仕上げてくれるんじゃないでしょうか」
「そーだけどさー、あーあー、せーっかく早苗がねー、お弁当を作ってきてくれたのに残念だなーぁ……」
「お弁当って聞いただけで死んじゃうのはさすがに予想外でした、残念ですが――」
「ところで早苗! ねえ、お弁当はなにが入ってるの? 私は食べられないけどさー、早苗達は食べていい訳だしさー、どういうお弁当作ったのかなーってくらい気になっちゃうのは自然なことだしー、聞くだけ聞くだけ、教えてよー」
「えーっと、ミニハンバーグにタコさんウインナー、うずらの卵の――」
「ほほう……さっすが早苗! 贅沢なラインナップに他者をいたわる慈しみを感じる! 早苗のことだから腕前も期待できるし、いやー、すごいなー、すごいお弁当だなー、みんな喜ぶわよきっと!」
「え、えへへ、そうですか? いやー、まあー、そんなこともありますけどー!」
えっへんと胸を張ってドヤ顔。東風谷早苗、大いに調子に乗りまくりである。
ライバル意識を抱くことの多い相手から、こんなにも褒められちゃったら仕方ないね。
「あーあ、残念だなー。食べたら確実に満足しちゃうほど美味しいだろうから、ちょっとくらい味見してみたかったなー。ほんのちょっと! 一口! それくらいならねー、むしろ満足に食べられないってことで満足できないだろうしー、こんな美味しいものを一口しか食べられないなんて残念だなーって気持ちが勝つだろうしー、あーあ、一口くらい味見してみたかったなー」
なんたる露骨!
こんな見え見えの罠に引っかかる者があろうか?
「んもー、仕方ないですねー霊夢さんは」
此処に在る。
すっかり乗せられた早苗はいそいそと包みを解き、お弁当箱と箸をちゃぶ台に置いた。
三段重ねの一段目、そこにはオカズがたっぷり詰まっている。
さあご開帳。
一段目は軽めのものが詰まっている。真っ赤なプチトマトや星型にカットした人参、ポテトサラダやキンピラゴボウと盛りだくさん。そして黄金色に輝く甘ーい玉子焼き! 二段目は前述されたミニハンバーグにタコさんウインナー、うずらの卵の串焼きが贅沢にも六本! 恐らく神社に来ていない薄情者こと藤原妹紅の分まで用意してくれたのだろう。間違いなく現人神の所業である。三段目はまん丸に握られたおむすびギッシリ。
「でかした! 早苗、実にいい仕事をしてきたわね」
「フフフン、もっと褒めていいんですよ?」
「いよっ、現人神!」
ヨイショを続けつつ霊夢は冷静に計算する。
ここで欲望を丸出しにして早苗を叩きのめし、弁当を一人でたいらげるなんてことをしたら後で魔理沙が怖い。それにそんなことをしたら満足死してしまいそうだ。なのでここは口惜しいが早苗を口説いた通りに味見程度にすますべき。
また、それを他者に悟られないよう食べるものも選ばねばならない。おむすびなんか食べたら不自然な空白が生まれ、魔理沙達に気取られてしまう。
つまり空白の生まれないものを選んで……いや……空白が生まれたとしても心理的死角を突く妙案がある。
これだ! このうずらの卵の串焼き!
妹紅の分であろう六本目を丸ごと食べてしまっても、五本残る。五本……神社にいるのは五人……帳尻は合う、不自然ではない……! これだ、うずらの卵の串焼き……これこそベストアンサー!
だが待てよ、どうせこのお弁当を大っぴらに食べるのは魔理沙、咲夜、妖夢、早苗の四人。だったら串焼きの残数を四本にしてしまっても構わないのではないか? すなわち二本……六本中二本を食べてよし……これだ! これしかない! ベストアンサーの上を行くファイナルアンサー!
「じゃあさっそく、ちょっとだけ、バレないよう……コホン、満足しない範囲で味見すべく、とりあえずそうね、これでももらおうかしら」
串焼きを手に取る。うずらの卵の串焼きだ。黄金色に輝く串焼きだ。
早苗の返答を待たず、邪魔が入らぬうちにと迅速に食す。ガブリ。
「ううーん、ジューシー! やるじゃない早苗、いい腕してるぅ!」
湧き上がる喜びを素直に表に出しながらも、霊夢は己の心を落ち着けんという努力を忘れてはいなかった。
こんなちょっとした味見で満足死なんかしたら、魔理沙がますます怖くなる! 故に死ねない、隙を盗み見て些細な癒しを得るべく死ぬ訳にはいかない。
大丈夫、確かに美味しいけれどこれっぽっちで死ぬほどじゃない。朝のお味噌汁で死んだのは心構えができていなかったからだ。まさかご飯で死ぬとは思わなかったからだ。今は違う。死の感覚もぼんやり掴めてきた、回避できる。心静かに穏やかに……激しい喜びはいらない……植物の心のような平穏さを……静かに、安らかに、眠るように……眠る……よう……に……。
――博麗霊夢、死亡。
「うずらの卵一個で死んだぁぁぁ!?」
私もちょっぴりつまみ食いしちゃおっかなー、なんて能天気なことを考えていた矢先、早苗の目の前で霊夢が死んだ。
卓上に串焼きを落とし、ぐらりとふらついたかと思いきや、仰向けにバッタリと倒れてしまった。
「こ、これがバレたら魔理沙さんに怒られる! お弁当を片づけ……い、いえその前に蘇生を!」
自己保身も兼ねた友情パワーを漲らせた早苗は、己の右手に強大な神通力を込めると、霊夢の真上へと飛び上がる。
狙いをすまして垂直落下。海すら割らんばかりの勢いと共に渾身の一撃を叩き込む。
「あなたのハートにモーゼの奇跡ィィイイ!!」
「ぎゃー!」
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた霊夢を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、モーゼの奇跡の威力によって霊夢の五体に余すところなく伝わり切った。
「うぐっ、ぐ……ハッ!? ま、また死んでたの私!?」
「よし、一発成功! さあ霊夢さん、お弁当を片づけますよ。こんなところ魔理沙さんに見られたら」
「どつき回してやる」
早苗の悲鳴を聞きつけた魔理沙がすでにもう、おっとり刀で駆け込んできていた。
おっとり刀と言っても屋根の修繕中だった魔理沙が持っているのはカナヅチである。
霊夢と早苗は同時に青ざめる。
「どつき回してやる」
もう一度同じことを言い、乾いた笑顔でカナヅチをスイングする魔理沙。
「け、警醒陣!」
反射的に結界を張る霊夢。青白い輝きが互いの間に出現し、仕切りとなって行く手を阻む。
触れれば衝撃によってふっ飛ばされるであろうそれに対し、魔理沙は平然とカナヅチを叩きつけた。
警醒陣は呆気なく砕けて消えてしまい、慌てふためいた霊夢は空間の隙間に逃げ込んで姿をくらます。
だが異空間へと消えた霊夢の姿が見えているかのように、魔理沙は自然な仕草で振り返ってハンマーをぶん投げる。
境内の空中でハンマーは甲高い音を立てて弾かれ、その場に頭を抱える霊夢の姿が現れた。
「れ~い~む~……お前のためにみんなが集まって手を焼いてるってのに、どぉ~してお前は~……」
「イタタ……ちょ、ちょっとくらいなら大丈夫って思ったのよ! 悪かったってば!」
「お弁当って聞いただけで死ぬような奴が、お弁当をつまみ食いして死なないわきゃ……ねぇだろぉぉぉお!!」
渾身! マスタースパークの閃光が放たれる。それに込められた威力と気力は確実に蘇生一回分はあるだろう。
マスタースパークの轟音に匹敵するほどの悲鳴を上げた霊夢は、全力で結界を張ってガードをする。三秒で割れた。
霊夢は光に呑み込まれ――。
「ぎゃー! こ、殺す気かー!?」
巫女装束のあちこちが破けた敗北姿で現れる。
「うるさーい! わた、私がどれだけ心配してると……死んで詫びろー!」
「うわわっ……し、死んでたまるかぁ!」
こうして霊夢と魔理沙のドンパチが始まり、掃除中の妖夢と料理中の咲夜が何事かと様子を見にきて、早苗から事情を聞いて呆れ果てることとなった。
お弁当を食べさせてしまった早苗も二人からしぼられたが、弾幕ごっこを観戦しながらお弁当を食べるというシチュエーションを優先されたためなし崩し的に許され、弁当箱はカラッポになった。
結局一口も食べられなかったのは魔理沙だけとなったが、苛烈な弾幕ごっこで疲労困憊してしまったので、咲夜お手製の健康食で体力回復しなければリタイアしていたかもしれない。
○ ○ ○
爽やかな朝なのでマスタースパーク。
朝ご飯がおいしかったのでマスタースパーク。
みんな来てくれると思ったので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地がよかったので成仏得脱斬。
妖夢が「みょん」と言ったのでマスタースパーク。
妖夢の半霊の触り心地がやっぱりよかったので成仏得脱斬。
早苗がお弁当を持ってきたのでソウルスカルプチュア。
早苗の持ってきたお弁当を味見したのでモーゼの奇跡。
魔理沙が本気で怒ってくれたのでマスタースパーク。
みんなに真摯に謝罪して許してもらえたのでモーゼの奇跡。
昼ご飯の健康食がありがたかったのでソウルスカルプチュア。
早苗が慰めてくれたのでモーゼの奇跡。
屋根が綺麗に修繕されたのでマスタースパーク。
石段が綺麗に掃除されたので成仏得脱斬。
三時のおやつ(四人分)の咲夜お手製イチゴムースケーキからいい匂いがしたのでソウルスカルプチュア。
神社の神棚に外の世界の酒が出現したのでモーゼの奇跡。
妖夢の半霊の触り心地がやっぱりとってもよかったので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地のすばらしさを熱弁したので成仏得脱斬。
妖夢の半霊の触り心地に早苗が賛同してくれたのでモーゼの奇跡。
夕陽が綺麗だったのでソウルスカルプチュア。
晩ご飯で出たほうれん草のおひたしが固くて臭くて道端の草のようだったが決してマズくなかったためマスタースパーク。
蘇生回数――魔理沙が7回、妖夢が6回、早苗が5回、咲夜が4回。
合計22回。
魔理沙はすでに息も絶え絶えとなっており、妖夢は半霊を抱えてぐったりしているし、早苗は空っぽの湯飲みを掴んだままぼんやりしているし、咲夜は蘇生回数的に自分ががんばらねばと気を張っている。
霊夢も霊夢で度重なる死亡によりだいぶ疲れていた。特に咲夜の蘇生は胸に痛みが残るので気が滅入る。
「妹紅がこの場にいれば蘇生要員として使い倒してやるのに……!」
と魔理沙がぼやけば。
「まさか夕食が終わってもやってこないとは思いませんでした……」
「鳥獣伎楽のライブに熱狂しすぎてお疲れなんじゃないですかね……」
「そもそも来る気が無いんじゃないかしら……」
妖夢、早苗、咲夜と続けて同意の嫌味を口にする。
軽口など日常茶飯事の幻想郷ではあるが、嫌味に参加しなかった霊夢には空気の悪さが気になった。
異変の時の殺伐……もといカラッとした嫌味ではない、ドロドロとしたねちっこい嫌味に感じられたのだ。
(マズイな……)
責められているのは妹紅だが、最初に霊夢を蘇生したのも、蘇生方法を教えてくれたのも妹紅なのだ。
貢献度ならむしろ一番高い。
確かに緊急事態なんだから来いと憤るのは分かるが、これはよくない。
スッと立ち上がる霊夢。
当然、魔理沙が顔をしかめて訊ねてきた。
「どうした?」
「お茶、淹れてくる」
「駄目だ、私が――」
「昼の弁当でもう懲りたわよ。夕飯の時も大人しくしてたでしょ? みんな疲れてるし、これくらいさせなさいよ」
「ケーキの匂いで死んだ馬鹿は誰だったっけな」
守るべき霊夢に対する発言も刺々しい。
確かに霊夢の迂闊さによる死亡回数は多いが、このままではみんなの心に毒が溜まってしまう。
それは嫌だった。
こんな自分のため気力を振り絞ってくれるみんなの、そんな姿は見たくなかったから。
「お茶の香りで死んだことは、まだないでしょう?」
実際みんなお茶を飲んでいるところを恨めしそうに見ることはあっても、死ぬことはなかった。
しかしそれでも心配なのだろう。魔理沙も起き上がろうとし、それより先に咲夜が立ち上がった。
「手伝うわ」
「おい、咲夜」
「いいから」
魔理沙を制した瀟洒なメイドは温和な笑みを浮かべ、霊夢と共に台所へ向かう。
皆の眼が届かなくなったので、咲夜は軽く背伸びをして壁にもたれかかった。
「手伝うんじゃなかったの?」
「方便よ。空気が悪かったから、部屋を出たくって……いやまあ私も悪くしてましたけど」
互いに苦笑を浮かべると、霊夢は慣れた手つきでお茶の準備を始めた。
湯を沸かし、急須を出し、茶葉は……ちょっといいのを出してしまおう。
飲むのを楽しみにしていたけれど、今日の自分は飲めないけれど、みんなに飲んでもらおう。
「クスッ。ねえ霊夢、どうして魔理沙が見逃してくれたか分かる? お茶なんて私一人に淹れさせればいいのに」
「さあ? 止める元気も無かったんじゃない?」
「元気が無かったからお茶を飲みたかったのよ。私じゃなく、霊夢の淹れたお茶が……ね」
「私のお茶ぁ?」
振り返ってみると、咲夜はわずかにうつむき、しみじみとした口調で呟く。
「私もお茶を淹れるのは得意だけれど、霊夢の淹れるお茶ってなんだか……」
確かに唇は動いていたのに、続く言葉は聞こえなかった。
問いただすほどのことでもなしと判断した霊夢は、咲夜の頬が赤らむよりも早くかまどに向き直ってしまう。
火加減は丁度いい、この茶葉なら湯の適温は八十度くらいだ。
茶菓子も用意した方がいいだろうか? ケーキの匂いには不意を突かれたが、慣れ親しんだ煎餅なら香り程度で死んだりはすまい。
ケーキ……咲夜が作ったのはイチゴムースケーキだったか……イチゴ味のケーキ……ムース……しっとりしていて美味しそうだった……。
ハッとして頭を振る。今の空想の流れに乗ったら危なかったろうと経験則で分かった。
このタイミングで死にでもしたらお茶が原因と勘違いされて、お茶にすら近づけなくなってしまう。
あまりきつく縛られては満足死のラインがどんどん下がって、それこそ手足を縛って転がされるくらいされるかもしれない。そんな未来を想像してしまうから、わがままを言ってみんなを困らせてしまった。悪いとは思っているが、今日一日色々な理由で死んだおかげである程度の線引きはできた。
たった今、ケーキの想像をしてデッドラインを知覚し、引き下がることができたように、博麗霊夢の適応は着実に進んでいるのだ。
とはいえ完全にコントロールし回避できる訳でもない。あふれ出す感情を押し留めるとは、欲を捨てること。致死性燃え尽き症候群で生きる欲を失うならともかく、素面で生きる欲を捨て去ってしまっては、それこそ本当に死んでしまう。仏教徒ならば喜んで、いや喜びすら抱かず、無の境地やら悟りやらを抱えて涅槃に旅立つのだろうが、博麗霊夢は神道なもので。
あれこれ考えていると、己の未熟さを痛感してしまうし、湯が適温になったのも見逃しかけてしまう。
慌てて火を止め、さあ、みんなのためにお茶を淹れよう。
元気の無い魔理沙が楽しみにしているみたいだし。
手伝うという言い訳でお茶を淹れるのを手伝わなかった咲夜は当然のように配膳も手伝わず、仕事量ゼロという記録をひっそり打ち立てた。
「霊夢に配ってもらった方がみんな喜ぶでしょう?」とは果たして本音か口実か。
ともあれ各々にお茶が行きわたり、みんなゆったりとした表情で味と香りを楽しむ。
下手したら妹紅の悪口大会に発展しかねなかった空気から、刺々しさがポロポロと抜け落ちていく。
連続しての蘇生は大きな負担をしいるため、四人集まってからは避けるようにして(妖夢は避け損なっているが)休憩時間を取るようにしているし、三時には咲夜がイチゴムースケーキも作ったが(霊夢も死んだが)今回になってようやく、休憩というものをできたのかもしれない。
張り詰めていた緊張の糸がわずかにゆるみ、魔理沙からも安堵の息が漏れた。
ほんの一瞬、目元が潤みさえしたのに気づいた者はいない。
妖夢も同様にお茶のぬくもりと香りにひたって目を閉じていたし、早苗は湯飲みの中を覗き込みながらほほ笑んでいる。咲夜はすまし顔を浮かべつつ、霊夢がみんなを見ているのを見ていた。
みんなを見ていた霊夢は、確かに魔理沙の瞳も、妖夢の半霊がふわふわしているのも、早苗の唇も、咲夜の視線も、すべて見ていたが……心に留まることはなかった。
みんな一緒にいる。
たったそれだけのことでもう胸がいっぱいで、眩しくて。
ああ、いいなと。
みんなと一緒に、生きていきたいと。
胸いっぱいに幸せが満ち――。
幸せがあふれ――。
「……おん?」
ふいに、霊夢が首を傾げる。
奇妙な声にみんながこちらを振り向いたので、魔理沙、妖夢と顔を見て、自分の胸元を見下ろし、早苗と咲夜の顔を見て、自分の胸元に手を当てる。
「……どうした?」
魔理沙が訊ねる。蘇生回数トップの疲労が色濃く残る声色は、他の蘇生要員にも不安を与えた。
霊夢が立ち上がる。ノックするように己の胸を叩き、手を押し当てて心音を確かめたりして、眉根を寄せる。
今日はもう22回も死んだ。
死ぬ前の感覚を割と掴めてきたので、茶を淹れてる最中に1回だけ死を避けることもできた。
死を感じてきた。
生を感じた。
生きているという自覚、生きたいという気力。
致死性燃え尽き症候群を患ったとはいえ多くを知っている訳ではないが、自分の身に起こっている体感として理解できる。
「なんか……治ったみたい、致死性燃え尽き症候群」
「……は? 茶なら飲ませんぞ」
「いやそれはあんた等に淹れたもんだから別にいいわよ。そうじゃなくて、治ったのよ病気」
霊夢としてはごく当たり前のことを言ってるつもりなのだが、外傷ならともかく致死性燃え尽き症候群などという頓珍漢な精神病である。魔理沙から見て治ったかどうか判別できるはずもないし、むしろ今日の言動からお茶を飲みたいがために言い訳をしているとしか思えない。妖夢、早苗、咲夜も同じように考える。
「なによその疑いの眼差しは。本当だって! 感覚で分かる、嘘じゃないってば。ホラこの通り、この……」
証明しようにも方法が無い。
満足死するようなことをたくさんやってのければ証明もできるが、やらせてもらえそうにない。確実に全力で止められる。
妖夢を見れば半霊を己の後ろに回して触れさせまいとするし、早苗を見れば面倒くさそうに表情を歪めるし、咲夜を見れば冷たく見つめ返される。
「いや、ホントなんだってば! 嘘だと思うなら試してみなさい」
「試したら死ぬだろうが!」
当然の反応として怒鳴る魔理沙。立ち上がって詰め寄って、霊夢と顔を突き合わせる。
「いいか! お前が死ぬたび私達がどれだけ気力を振り絞ってると思ってるんだ! お前は生き返るだけだからいいさ……でもな、私達はこうして疲れ果てている! ここに来てない薄情者の妹紅ならともかく――!」
「こんばんは、薄情者です」
ガラリと戸が開き、白い長髪をなびかせる藤原妹紅がほがらかな声で悪口を肯定した。
虚を突かれた一同が目を丸くして硬直する中、妹紅のみがゆったりとした仕草で歩み寄ってくる。
「はい、どいたどいた。早ければ一日で治るとは言ったけど、はてさて」
魔理沙をも軽く押しのけると、昨晩そうしたよう霊夢の巫女装束に手を突っ込み直接心音を確かめる。
「なっ――!?」
昨晩は死亡中だった霊夢にとっては唐突かつ意味不明の行動であり、燃え上がる羞恥と怒りそのままに全身を縦回転。
「なにすんのよ!」
「ぐわー!」
昇天させる威力で妹紅を痛烈に蹴り上げる。
脳天から天井を突き破った妹紅は当然のように重傷だ。
けれど安心、だって彼女は不老不死。
リザレクションの火柱を立てて復活するや、天井から身体を引っこ抜いて降りてくる。
そして天井の穴から覗くのは屋根の裏側ではなく夜空だった。一番星がきらり。
「修繕した屋根がー!?」
魔理沙が悲鳴を上げる。一生懸命に作業したのに、しっかり修繕すれば霊夢だって感謝から大人しくしてくれるのではと期待してがんばったのに、見事に台無しだ。
「ふー。触った感じ、治ってるみたいでよかった」
「あ……? 治ったって、分かるの?」
「患った奴なら、患ってる奴のことは分かるよ。昨晩は分かったけど、今は分からない。分からないってことは治ったってことさ」
妹紅の言葉は正直胡散臭いものがあるが、患った奴なら患ってる奴のことは分かるという言葉は、霊夢にとって感じるものがあった。
致死性燃え尽き症候群独特とも言える安らかな死の感覚、そして生の感覚。空の飛び方や弾幕の出し方のように、覚えてしまえば忘れるようなものではない。心音に触れただけで分かるものなのかという疑問はあったが、心音で病気を理解する妹紅の姿は他の四名が覚えていたため、霊夢以上の戸惑いを見せていた。
「な、治った……? 一日で?」
「もう蘇生しなくていい……?」
「来るんだったら、治る前に来てくださいよ。もう」
「……時間経過で治った? それともなにかきっかけでも?」
最後、地味に咲夜がいいところを突いたのだが、それを理解できる人間はここにはいなかった。
そう、致死性燃え尽き症候群を深く理解している者はこの場にいない。
妹紅とて大半の知識は実体験に基づくもので、治療法や理屈などは永琳から大雑把に聞いた程度のことしか知らないのだ。
心が幸せで満ちることで死ぬ病が、心から幸せが満ちあふれることで解消されたなんて知る由もない。
「感覚の問題だから妹紅以外には伝わりにくいでしょうけど……本当にもう大丈夫だから、心配しなくていいわよ」
「万一まだ治ってないとしても、私が蘇生するから大丈夫」
残機無限の蘇生要員。まさに魔理沙が言ったように使い倒すことができる。
もう蘇生のため気力を消耗しなくてもいいのだと、今更ながら四人は自覚した。
「うーん、そういうことなら本当に治ったのかどうか試してもいいのかなぁ……」
呟きながら妖夢は己の半霊を霊夢に向けて漂わせる。
魔理沙達がギョッとする中、妹紅だけは意図を理解できず困惑している。まさか死因リストに半霊があるとは思うまい。
ふよふよ漂う半霊を、霊夢がギュッと抱きしめる。ひんやりふわふわ幸せいっぱいの抱き心地。
「……ほら、ね? 死なないでしょ?」
「……えっ? なに、半霊に触って死んでたの?」
あまりにも安い死因に妹紅もびっくりだ。
確認のため疑問の視線を妖夢に送れば、疲れ顔でうなずかれてしまう。
「……ええっ? いや、そんな理由で死ぬんじゃ……霊夢、今日一日で何回死んだの?」
「に、22回」
あまりにもあっさり死ぬからそういう病気だと割り切っていたが、もしかしてなにかおかしいのだろうか。
「……普通3~4回くらいなんだけどな、一日に死ぬ回数って」
おかしかった。
おかしすぎた。
あまりのギャップに妹紅以外の五人全員、目を丸くしてびっくり仰天だ。
そりゃ妹紅だって来ないさ、3~4回くらいなら一人で賄える回数だ。蘇生回数が一番少ない咲夜が4回でまだ余裕を残してるんだもの。
「私は幸薄いタイプだから一日せいぜい1~2回しか死ななかったけど、22回って霊夢、どれだけ幸せいっぱいな人生なんだ」
そう、いっぱい死んだのはいっぱい幸せだったからである。
ご飯が美味しいから。
半霊が心地いいから。
神社を綺麗にしてもらえたから。
みんなが一緒にいてくれるから。
そんな日常がとっても幸せだったから。
カアッと霊夢の頬が朱に染まる。
頭の中が春ですよー、という幸せいっぱい胸いっぱいな乙女であると言われてしまったような恥ずかしさ。
心なしか早苗と咲夜からの目線が生温かいし、魔理沙に至ってはなぜか死んだ目をしている。妖夢はよく分かっていないのか、死んだ目の魔理沙を心配して肩をゆすっていた。
そしてようやく心の整理がついた妹紅がプッと噴き出すと、つられて早苗と咲夜も笑い出した。
「プッ、ハハハ。22回ってお前、そんなにこいつ等と一緒にいるのが幸せだったのか」
「いやー、そうですかー。霊夢さんはそんなに私達のことが大好きなんですね、照れちゃうなーもー。てへへ」
「フフフッ。わざわざ一日つき合った甲斐があったわね」
三者に笑われ、ますます赤面する霊夢。
それとは対照的に妖夢の顔が青くなっていく。
「あ、あの」
妙に強張った声色で一同の視線を集めた妖夢は、死んだ目の魔理沙の肩を掴んだまま、告げる。
「魔理沙が息してない――」
・
・
・
「お前のハートにフジヤマヴォルケイノー!!」
「ぎゃー!」
その威力はまさしく人間の生命を断ち切るには十分な威力があったものの、すでに息絶えていた魔理沙を殺すことはできなかった。
故にスペルに込められた気力、活力、友情は、フジヤマヴォルケイノの威力によって魔理沙の五体に余すところなく伝わり切った。
「グホッ、ゲホッ。な、なん……いったいなにが……」
「なにがってそりゃ、致死性燃え尽き症候群が伝染したんだろう」
状況が掴めず当惑している霧雨魔理沙に、状況をしっかり正確に伝える藤原妹紅。
だのにその場にいる全員、妹紅の言葉を信じられず呆然とする。
おや? なにかおかしなことを言っただろうかと妹紅は首を傾げた。
「あれ、昨日説明したよな? 蘇生のため気力注入する奴はそこそこの確率で致死性燃え尽き症候群が伝染するって。22回……ってことは一人あたり5~6回だろ、そりゃ伝染するわ。どうしたのそんな顔して? 自分も致死性燃え尽き症候群になる覚悟で霊夢を助けようっていういいお話じゃなかったの? ……言ってなかったっけ? ……言ってない?」
四人が、妹紅に、歩み寄る。
致死性燃え尽き症候群の症状や治療法など色々説明してくれた、いわば一番の恩人に向かって憤りをたぎらせながら。
そして。
「マスタースパァァァーク!!」
「成仏得脱斬ァーン!!」
「モーゼの奇跡ィィイイ!!」
「ソウルスカルプチュアー!!」
気力注入蘇生活動ではない極大スペル四連発によって、藤原妹紅も順当に死亡回数を稼ぐのだった。
○ ○ ○
「いや……もう知ってること全部話したって。
致死性燃え尽き症候群で死んだら、完全に死ぬ前に人間が死ぬ威力の衝撃で生きる気力を注入すれば生き返る。
気力注入するたびに症候群が伝染する可能性が二割か三割か、それくらいある。
全員の心音を確かめたところ、魔理沙も妖夢も早苗も咲夜も、バッチリ患ってたよ。
一度患えば抵抗力できるから霊夢はもう安心、蘇生役に回っても心配はない。
短くて一日、長くて一週間くらいで自然治癒します……霊夢は一日、私の時はちょっと長くて八日かかった。
普通は一日3~4回しか死なない。幸薄いタイプの私は1~2回だった。
霊夢みたいに一日で20回以上なんてのは初耳だけど、類は友を呼ぶとも言うし、お前等がどれくらい死ぬかは知らん。
永琳ならもっと詳しいこと知ってるだろうと思って、昨日の夜からちょいとあちこちを捜してきたけど見つからなかった。
そういう訳でサボってた訳じゃないし、症候群が伝染するって言い忘れたのも謝る。
だからそろそろ勘弁」
ああ、そうだとも。みんな分かっている。
妹紅は悪くない。
間が悪すぎた。
だからこれは八つ当たり。
各々、霊夢を蘇生した回数と同じだけ妹紅を殺したおかげでようやく落ち着いた一同は、さてどうするかと今後の相談を始めた。
妹紅一人に四人の蘇生を任せ切るという妙案が真っ先に挙げられるも、これからさらに一週間一ヶ所に集まって共同生活というのも困る。なにせ妖夢も早苗も咲夜も、霊夢のピンチだからという理由で暇をもらってきたのだ。四人で交代しながらなら一週間くらい平気だろうという考えに基づきつつ、初日くらいは全員集まって霊夢の様子を見つつ、相談して日程を決めようなんて示し合わせをしていたのだ。
一日22回というペースを味わってからは、もう主君ほったらかして一週間ずっとかかりっきりもやむなしかと覚悟も決めてはいたが……。
「霊夢が無事なら帰ってくるよう言われそう……」
「同じく……蘇生なら神奈子様、諏訪子様がやってくれるだろうし……」
「二日連続で館を空ける訳には……」
中心にいるのが霊夢でなければ、どうにも結束がゆるんでしまう。
主従の事情が湧き上がってくる。
「精神の病って妖怪には致命的ですけど……妖怪にも伝染するの?」
咲夜が訊ねると、もう知ってること全部話したと言ったばかりの妹紅が新情報を吐き出した。
「いや、人間の精神でしか患わない病気だったはず。蘇生は妖怪でもできるんじゃない? 人間同士で蘇生し合うよりは楽だろう。ただ生きる気力うんぬんってものだし、妖夢のところの亡霊に気力注入蘇生ができるかは分からんが」
「ゆ、紫様に連絡を取らねば……」
一人だけ不利な主従だと聞かされた妖夢は、思わず頭を抱えてしまった。
生きる気力注入……亡霊である西行寺幽々子はもちろん、のらりくらりとした八雲紫にも到底似合わない行為である。
となれば八雲藍に頼むべきなのか? そうだ、そっちの方がいい。一番安心できる選択だ。
そしてもう一人、蘇生してくれる人材に問題を抱える魔理沙が慌て出す。
「ちょ、ちょっと待てよ。私はどうなるんだ。お前等と違って、一人暮らしだぞ」
「仕方ないわね、あんたしばらく神社に泊まっていきなさい」
一番熱心に蘇生活動を行っていた魔理沙のため、22回死亡者霊夢が心強い言葉をかける。
悪意ゼロ、友情100%という完全で純粋な巫女スマイルを浮かべながら。
その手には威力抜群の陰陽玉が握られている。
霊夢が死ぬたびマスタースパークをぶち込んできた魔理沙は、自分が死ぬたびあの陰陽玉をぶち込まれるのだと理解し、背筋を震わせた。霊夢はこんな恐怖と戦っていたのかと。
「で、他の連中は自分の家でなんとかなるみたいだし……妹紅はどうするの? 魔理沙か妖夢の蘇生でも手伝う?」
妹紅は申し訳なさそうに首を振る。
「いや……私はもう一回、永琳を捜してみるよ。致死性燃え尽き症候群については世間話レベルでしか話してないからな、やっぱりちゃんとした知識を仕入れてこないと……一日22回死ぬなんてケースを目の当たりにしちゃ、なおさらな」
「頼んだわ。それと、22回も死んだなんて伝えなくていいから。数字は伝えなくていいから」
「善処するよ」
こうして――博麗霊夢の長い一日は終わりを告げた。
魂魄妖夢は亡霊の待つ白玉楼へ、東風谷早苗は神の待つ守矢神社へ、十六夜咲夜は吸血鬼の待つ紅魔館へと帰って行った。
なんだかんだで可愛がられている従者達である、主も一生懸命にがんばってくれるだろう。
霊夢ほど死にまくると決まった訳でないのだから。
……霊夢以上に死にまくるかもしれないけれど。
妖怪には病気は伝染しないのだから。
……妹紅の知識が間違っていて実は伝染するなんてオチもあるかもしれないが。
とにもかくにも、強い絆で結ばれた誰かがいてくれるなら、きっと大丈夫。
一緒にいるだけで胸に幸せが満ちて、死んでもいいと思えるほど大切な誰かがいるのなら。
一緒にいるだけで胸から幸せがあふれ、生きたいと思えるほど大切な誰かがいてくれるのなら。
そう。
大切な誰かと一緒にいられる……そんな幸せな人間にとって、致死性燃え尽き症候群はなんてことのない病気なのだ。
幸せを再確認するだけにすぎない。
「あんたのハートに陰陽鬼神玉ァァァー!!」
「ぎゃー!」
ただ、再確認には痛みが伴うのが玉に瑕である。
おしまい
薄情な連中にも見えますが、ちゃんと生き返る辺り、一応友情パワーは足りてるんですね
あと、もこたんの無味乾燥な返事ワロタ
もう少しリアクション、しよう!
ですっごい萌えました。
女の子同士の純で恥じらう友情ってなんでこんなに可愛いのか!
それを表現してくれた作者様に大感謝!
あとがきの、それぞれの物語の概略にもニヤニヤ。
妹紅よ、、、。
蘇生に向かないばかりかブラック宣告までされたゆゆ様に乾杯。
「叙述トリックものはオススメを聞くだけでネタバレになって困る」
「バトル中はナイフで切り刻まれてもダメージを受けるだけだが、イベントシーンではナイフで刺されるだけで死ぬようなもの」
喩えがいちいち秀逸すぎるwww
オチの永琳にも笑かせられましたw定型文の天丼とかも最高でした、いやぁ面白かったです!
死にネタでこんなに笑わされるとはw
早苗の台詞、「いやー、霊夢さんはそんなに私達のことが大好きなん『だ』すねー。」
ってなってますよ。
妖夢の職場の扱いが…と、半霊はそんなに気持ちいいものなのか
> 全員の心音を確かめたところ、
> 全員の心音を確かめたところ、
俺も確かめたい
勢いって大事 良すぎると死んじゃうけど
みんな幸せそうでなにより……だよね?
いやぁ、今作は私の中の今年傑作作品の一つになりましたね! 巧いものでした!
きっとこの霊夢は茨霊夢