Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷顕現異変

2015/09/19 12:53:42
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※この作品は作品集33~34に掲載された『幻想郷調査部隊』の続編になります※


※前作の既読を推奨しますが、下に前作までのあらすじも掲載しますので、本作のみでもお楽しみいただけます※


※この作品には暴力描写が含まれていますのでご注意下さい※



『幻想郷調査部隊』粗筋:幻想郷にて永夜異変が終わった後、人里近郊に穴が開いた。その穴は外界と幻想郷とを直接繋げる性質を持つ穴で、そこへ外界から子どもや老人など人が入り込む事態が発生する。多くの人は戻らなかったが、とある子どもは化物イノシシに追いかけられた後、生きて戻った。


 生存者らの目撃情報を総合した結果、政府はこの未知数の世界に対して、刑務所収監の囚人と傭兵を用いることで生きた人間による先行調査を決定する。


 とある刑務所。かつて浅ましい家族間の争いの結果、家族を全員殺して収監されていた霧島遼一に白羽の矢が立った。強制的に政府キャンプに連れてこられた霧島は、そこで囚人の篠田孝之、美村隆史、熊谷公、そして元傭兵の高田と出会う。


 調査のための苛烈な訓練の中で密やかな友人関係を結ぶ男たち。一時脱走騒ぎが持ち上がるが、首謀者の処刑で幕が閉じた後、訓練期間が終了する。


 装備を携えて決死隊らは穴へと入り込む。そこは手付かずの自然が残る幻想郷だった。


 さっそく調査をはじめかけた矢先、別の傭兵の西田が率いる班が、散歩中のレミリア・スカーレットと邂逅する。初めて見る吸血鬼に恐慌を来した囚人たちは銃を乱射するが、あっけなくレミリアに正当防衛として殺され斎藤という受刑者一人だけが拉致された。


 遺体が破壊されきった惨状を見た霧島らは改めて幻想郷に対する恐ろしさを抱き、とにかく情報を求めんと人里へ向かった。そして銃を片手に押し入った民家で霧島たちは上白沢慧音と出会った。


 慧音は快く霧島たちに幻想郷の情報を提供し、斎藤が連れ去られた先は紅魔館だと推測する。男たちは論争の果てに、このまま帰還せずに紅魔館に乗り込み斎藤を救出することにした。作戦前夜に美村に呼び出された霧島は、美村が慧音に惚れたことを聞かされた。


 救出作戦当日、慧音は紅魔館に向かって表から宣戦布告し、門番と弾幕ごっこをはじめた。その隙を縫って裏側から入り込む一行。紅魔館内部ではメイドたちとの小規模な戦いもあったものの、手榴弾などを用いてそれを制し斎藤を発見する。


 だが遅すぎた。斎藤は既に血を吸われて亡者化しており、奪った拳銃で自殺する。その頃レミリアの散歩に付き合っていた十六夜咲夜が屋敷へと遅まきながら戻り、慧音のフォローに回っていた美村を己のナイフで手にかけた。慧音が慌てて抱き起こすも、美村は自身の彼女への想いを口にする間もなく死んだ。


 斎藤の死亡を目の当たりにして逃げようとした霧島たちだったが、既に部屋の前はメイドたちで一杯になっており、脱出が不可能だった。万事休すかと思われた際、館半分が地下から破壊されて一行は吹き飛ばされた。いちはやく気絶から覚めた霧島の前にフランドール・スカーレットが現れる。吸血鬼の中に己の死と破滅を見た霧島だが、しかし人外の者へ反抗し抵抗することでフランを撃退することに成功する。


 筏を乗り継いでどうにか紅魔館の敷地内から逃げ出した霧島たち。しかし穴の近くで彼らの前に化物イノシシが現れる。またも死と出会った霧島は、しかし咄嗟の射撃で化物を負傷させてひるませる。だが脱出直前に化物イノシシによって高田が重傷を負い、霧島たちは兵士らによって穴から引きずり出されて離れ離れになる。


 化物イノシシを前にして死を覚悟した高田だったが、そこで化物の真上から槍が降り、化物イノシシを真っ二つにした。紅魔館襲撃の所から全てを観察していたレミリアが、いよいよ乗り出したのである。襲撃前に紅魔館前で別れていた美村は既に死んだことを高田に伝えると、レミリアは肩を貸して元傭兵を穴へと連れて行く。


 こうして命からがら幻想郷から生還した一行。その後は政府側もキャンプで協議した結果、穴の存在を放棄することを決定した。それなりの金と身分をもらい、それぞれの道へと別れていく霧島たち。霧島は美村の死に涙し高田に残った障害に嘆くが、高田はそんな霧島を慰めた。そしてバスが発車し、男たちは別れた。


 幻想郷内部では慧音が紅魔館に攻撃したことをレミリアに謝っていたが、レミリアはけらけらと笑ってそれを気にせず、自分は一人の男が気になると告げた。その男の名は霧島。男のことを考えるとレミリアは楽しくなり、つい先のことを考えてしまうのだった――
 
《粗筋終わり》
 


《本編》

 夜闇の内側でレミリア・スカーレットは眼を閉じる。そして翔ぶ。幻想郷の空へ、運命を掴み上げる世界へ。


 自身の能力を操作する時、彼女は肉体の檻を離れて別次元へと移る。そこから眺める幻想郷には色がなく、音も無味乾燥の世界だ。そこでレミリアは人々の運命を、妖怪たちの心情をつぶさに知る。幻想郷の天気は今宵も黒雲、およそ数日前から始まった天候不順に終わりはなく、また異変の兆候かと胡乱げに囁き交わす声もある。変化は天候だけに留まらない。鳥型の異形、弾幕ごっこでのアンバランスなほどの不調、外の人間たちが紅魔館に攻め入ったという噂。色彩を持たない人々が不安そうに蠢くのを見下ろしながら、レミリアは黒雲の上にそびえる満月を慮ってため息をつく。無論レミリアにその原因はわかっている――あの穴。レミリアが愛する混沌を主軸として生まれた外界との出入り口が、幻想郷に狂いをもたらしていることをレミリアは知っている。そしてその穴に怒りと憎しみを寄せて、一秒でも早く消滅させようと八雲紫が狂奔しているのも織り込み済み。形なくレミリアは無表情に人を見る。運命は数字と化して流れ、その未知はレミリア以外にもたらされない。


 レミリアは今夜までに多くの運命を観た。そして穴に関する運命もまた観た。その中で、レミリアは知らず知らず糸を手繰り寄せていることに気がついた。外から来た人間たち。幻想郷の内側の人たち。多くの人がレミリアを軸にして運命上で結び合って離れていく。だがレミリアはひとつ、自身のメイド――十六夜咲夜に関する運命を見定めた。それは外と関係している。外界から来た者と関係している。見つけた際、レミリアの脳なき脳で火花が飛び散りシナプスらしきものが弾けた。運命に次ぐ運命また運命。試すべきか否かを彼女は逡巡したが、やがて彼女は賭けることにした。その決断はモノクロの単華鏡内部で行われた。レミリアも人により近くなった。吸血鬼という限りなく人からズレた生き物だが、人間に近づくことを覚えた。だからこその思考を吸血鬼は鼻で笑い、黒雲を突き抜けて空へと向かう。幻想郷大結界のほんの手前。八雲紫に認められた限界点まで。


 彼女は穴を愛していた。穴から訪れる者らも、穴にまつわる混沌も好んでいた。外の刺激。素敵で酸鼻で退屈させてくれない人間たち。そこから派生する狂気。だから穴の影がよく見えるよう、穴が何もかもを照らしてくれるように祈りもした――だけど結末は訪れる。吸血の時が終わる時と同じように、親しい者が消えていくのと同じように。やがて満月のおそろしく白い光を見つめながら、月光に浄化されながらレミリアは一つに思いを馳せた。


 霊夢が穴に気づいた。



***



 幻想郷の外れに位置する博麗神社は、その日大盛況だった。少女たちが集まり、賑わい、そして騒ぐ――惜しむらくは、その少女たちの中身が人の心を持たず、殆どが妖怪だということだ。当然の如く神社の主である少女が望むお賽銭などあるわけがない。後ほど、氷の妖精が石ころを無理やり木の箱の中に突っ込んだことがバレて巫女に追いかけられることになるが、それはまた別の話だ。だいたいの事情を運命とも幻覚変数とも呼べる存在から見聞きしていたレミリアを除いて、大多数の妖怪たちが何も知らないまま石畳の上に敷いたゴザに座っていた。その顔ぶれは、やはり同じく呼び寄せられた霧雨魔理沙が見回しても錚々たるものだった。紅魔館や白玉楼、未だ新参の部類に入る永遠亭はもとより、妖怪の山に住むと言われる人形の神様や天狗記者、花の妖怪、作業着を着込んだ青色の妖怪(魔理沙が河城にとりと知り合うことになるのは、まだ先だ)それにそこらへんの野良妖怪までその場にいた。ただそこにいるだけで害を撒き散らす毒人形はいないようだが、それはともかく。


 場所は博麗神社境内、時刻は午後二時、太陽が上がりきった、自然がもっとも人間に与する時間帯だった。霊夢は賽銭箱の前を妖怪たちを眺めながらうろついていた。その表情は殺気立っていると言っても過言ではなく、手にしているのが箒でなく妖怪退治用の針や札であれば、誤解すらされかねなかった。だが妖怪たちはそんな主の感情なぞ関係なしに、お互いにガールズトークに興じてはけらけらと喋り会っている。放っておくと女子会を通り越して宴会になってしまいそうな雰囲気だ。魔理沙は早めに到着していたので先頭グループに座っていたのだが、その視線は未だに一言も発さずにいる霊夢と、後ろの方で楽しそうにしている妖怪の群れとを往復していた。あ、酒瓶出した。勿論お椀もどこからともなく出現し、直に魔理沙の所に届いた。グループの中心部に伊吹萃香がいることは無関係ではないだろう。


 そして酒が注がれる直前、巫女が口を開いた。


「嫌な異変が発生したわ。いや、しているわ」


 その言葉は棘だった。慮ることや思慮など少しも含まれておらず、ただ毒を散らすために吐かれた物だった。


「端的に言うわよ。幻想郷と外とを繋ぐ穴が出来てたわ。ぽっかり。大人一人なら悠々通れるサイズ。誰が作ったか、どうして出来てたかなんてどうでもいい。ただ本当にムカつくの。私が気づかなかったなんて信じらんない。あんな大きな穴が、この世界に開いてるなんて最悪。頭に穴でも開いた方がまだマシだわ。だからあんたたち、絶対そこ近寄らないように。勝手に外に出ようとかしたら私がとっちめるから。もう二日ぐらい寝てないのよ、私――」


「霊夢さんは穴から外に出られましたか!?」
 いきなり興奮した声で少女が立ち上がる。射命丸文はメモ帳とペンとカメラという記者を体現した道具を手に、きらきらとした瞳で霊夢を見つめていた。この時の文の誤算は、霊夢が喋っている時に口を挟んだことだ。言葉の代わりに殺気を込めた形相で睨みつけられると、若干口をパクパクさせながら、「質問は後にします」と言って座り込んだ。霊夢は空に目を向けるが、その視線はどこか虚しさを思わせた。


「今のとこ、穴については紫とあいつの式神の尻を叩きまくって修復させてるわ。これから私もそこに向かう。周囲には警告用の御札貼っとくから、近づいたら大音量で警報が鳴るわ。もし鳴ったりしたら――」


「そこからお酒出てこないの!?」と次に声高に叫んだのはチルノである。バカを文字通り体現したこの妖精は、文が受けた仕打ちを二秒足らずで頭からカッ飛ばし、またしても霊夢の発言をぶち壊した。同じように睨みを受けて妖精はやや怯んだものの、隣の記者と違ってすぐに反発した。言葉のラリーに少女たちの首が動き、魔理沙の目も動いていく。どこかで事情を知らない三妖精たちがエールを飛ばしている。
「だって外と繋がってるんならさ、幻想郷にない美味しいお酒だってあるに決まってるじゃん! あたいが気になるのはそれだけさ。えーとウイスコンシンとか、ボヘミアンとか、エタノールとか」


「酒は出てこないけどね、外の人間なら出てきたらしいわ。いっぱい。そうよねレミリア?」
 間違っているチルノの言葉尻を潰しながら霊夢が尋ねると、レミリアが少々苦い顔をするのが魔理沙には見えた。前列では視認しにくいが、彼女らの近くにいる上白沢慧音が、なぜか帽子を手で押さえながらしきりに空咳をした。ふと魔理沙は、紅魔館の面々を見ていて違和感を覚えていることに気がついた。一見では分かりにくいが、何かがおかしい。当主レミリア。メイドの十六夜咲夜、普段は図書館で本の栞同然に暮らしているパチュリー・ノーレッジ、門番の紅美鈴、それにフランドール――フラン?


 フランドールも魔理沙がいることに気がついたらしく、後ろの方から大きく手を振った。自動操縦らしい日傘がそれに合わせてくるくる回るが、その色は毒々しい紅色だ。手を振り返しながら魔理沙は、幽閉状態のフランが何故ここにいるのか考えた。霊夢や魔理沙と出会って人間という概念は知りえたものの、つい先日もふざけて館を壊したと聞く。アメを落としたとかいう理由で建物が破壊されるのだから明確な悪意よりもタチが悪い。そんな彼女を外に出していいのか? 紅魔館グループは最後尾に位置していたので、どうせなら横から回り込もうと魔理沙が靴を履き始めた途端、レミリアが言った。


「まー、そういうこともあるかもしれないわねえ」
 ばつが悪いような声色だった。


「よくもまあしらばっくれたもんね。慧音に確認したわよ、その人間たちとドンパチやったらしいわね。死人だって出たんじゃなかったっけ。あんた幻想郷のルール知らないの?」


「そんな殺す目付きで言われても困っちゃうわ」
 子どもぶったレミリアが返す。
「だってあの人たちはね、いきなりウチに攻め込んできたのよ? そこの上白澤さんが囮になってね」
 それを耳にした慧音が目を剥いてレミリアを見上げたが、それにウインク一つで返事する。咲夜が差していたレミリアの日傘は妹と同じようにスカーレットカラーだったが、蝙蝠の絵が追加されている。


「だいたいウチに全部の落ち度がある言い方だけどさぁ、あなただってどうなの? 少なくともあの穴については全く気づかなかったでしょ。本当に巫女なの? 真の幻想郷管理者ならね、最初からそんなこと予期できてた筈じゃ――」


「あんた、何人の血を吸った?」
 霊夢の目は既に一線を越えていた。ヤバイなと魔理沙が察知したのはこの時である。他の妖怪たちはキョトンとしているが、霊夢について聡い何人かは、さりげなく防御の準備をしていた。今の霊夢は『立ちふさがるなら全てをブチのめす』と目で語っている。今の霊夢に歯向かうのは人間でさえ危うい。
「少食なくせに豪華な食事を好むワガママお嬢様、箱入りの典型だね。紅霧の時にあれだけゲンコツ食らっておいて、まだ懲りないの? まああれも運命とやらに責任被せておけば万々歳だからねえ。あんたの能力ってほんッと都合良さそうだわ。全部が全部運命のイタズラ、運命様の仰せのままに、それじゃ神様に頼ってるのと大差ない――」


「お嬢様を馬鹿にするなッ!」
 咲夜の一喝は場の空気を吹き飛ばした。全く予期できない人物が破裂するように叫んだ、誰もが唖然とした。霊夢は二の句が継げなくなってしまい、魔理沙は目を丸くして咲夜を見る。侮辱されたレミリアは日傘を手にしていた従者を、無意識に右腕が人を殴ったことに気付いたように見ている。声は炸裂のそれだったが、咲夜の雰囲気は次第に底冷えし始め、青みがかった刃物を連想させる寒気は、周囲の妖怪に鳥肌を生じさせつつあった。


「いくら霊夢だからって、そこまでの狼藉は許さないわ。お嬢様に謝りなさい、できないなら――」
 咲夜の体から力が抜けた。その様は脱力というよりも、開戦を予感させる凪だった。魔理沙の周囲に宙に浮くナイフの幻覚が見えて目を擦ってしまう。極低温の固体の如き刃の群れは、日傘を持った咲夜の周囲を浮遊しはじめていた。


「串刺しにするわよ」


 戦意の伝染は、レミリアの脇に控えるパチュリーが五素を顕現させ、空間媒体による擬似賢者の石を出現させたこと。フランドールが禁忌の魔剣を一秒足らずで精製したことで、より一層明らかになる。門番である紅美鈴は周囲の空気を変質させ、紅魔館を流れる紅い空気と同一化させていく――それは属する者を助ける。通りを良くし、魔力を底上げする。属さない者にとって其処は、次第に濃くなる毒の瘴気だ。火花と呼ぶにはあまりにも轟々とした対決の色は、既に酒瓶を持って避難しつつある妖怪たちを染め上げ、魔理沙の額に汗を流させた。騒動の中心にあるレミリアは微動だにせず、玉を思わせる目で霊夢を見据えている。霊夢はただ粛々と、ただ楚々として開始を待つ。自動展開用の凝縮結界は霊夢が身に纏う衣服の至るところに配置され、あらゆる邪気を祓うお祓い棒はその手に。そして片方には妖力を文字通り削る封魔針と、封じ込めを目的とする札がある。


「いいわよ。じゃあ今回の異変はあんたらがやったことにしよう。『幻想郷顕現異変』首謀者はレミリアと十六夜咲夜その他数名。来なさいよ、悪魔の群れ」


「メイド秘技『殺人ドー』――」


「ストーップ! お前らストーップ! 待て! 待て! 中止だ!」
 魔理沙がようやく割り込む形で大声をあげると、霊夢と咲夜は不満そうな目を向けた。既に封魔針はまっすぐ咲夜の額に向けられており、メイドの怜悧な短剣はその標的を、霊夢の腹部頭部に定めていた。冷や汗を感じながら魔理沙は叫ぶ。
「ここでやったら神社めちゃくちゃになるぞ! 頭を冷やせお前ら! 今回は言い過ぎた霊夢が悪い! だけど一方的に喧嘩売る咲夜も、それに乗るお前らも悪い! ほら、座れ座れ。本とか返してやらないぞ。料理とか作ってやらないからな」
 咲夜はあくまで戦闘の意思表示を崩そうとしなかったが、隣のレミリアが咲夜の腕を掴むと、やや悄然としたように腰を下ろした。他の面々は互いに顔を見合ってから、同じく座る。魔理沙が霊夢に鋭い目を向けると、彼女も不精不精針を仕舞うが、隙あらばいつでも打ち込むというのを体全体で示している。妖怪たちは場が静まるとすぐさま戻ってきた。


「とにかく」
 少しの沈黙の後で口を開いたのは霊夢だ。もうその声には静けさが戻っている。
「後であんたら紅魔館の面々は、ウチに上がりなさい。あと囮になった慧音も。何があったのかみっちり事情聴取するから。逃げたら追い詰めてボコボコにするからね。それから他は、絶対に穴には近寄らないように。場所は人里近くの森の中、歩いてウチまで来やすい距離ね。まあ空域にも札を固定しておくから、わかりやすいでしょ。空から近づくとかも禁止ね。能力使うとか地中から近づくとか、ふざけたらそいつとっちめるだけじゃ済まないから。以上、解散! さあ帰った帰った!」


 いきなり呼びつけておいて帰れという理不尽さに、勿論少女たちはブーイングと野次を飛ばした。ただし少女という特性と、さほど下品でない言葉しか飛んでこない。それらを一切無視して霊夢が紅魔館ファミリーを呼びつけると、いよいよ少女たちは勝手に酒を椀に注ぎ始めた。萃香が酒を出し、永遠亭の連中はひっついてきたウサギ達におつまみを持ってくるよう命じる。文だけはいつまでも霊夢に食らいついて、穴とはどういうもので、今の状況がどうなっているのか、誰がやってきたのか、などをしつこく聞き出そうとしていた。


 魔理沙は霊夢に声をかけた。


「あによ」


「私も残る。いきなりわけわからん物が出来て、ハイ禁止です近寄るな、で納得できるほど人間できちゃいないんだ。あいつらは自分たちの考えもあるんだろうが」
 後ろの少女たちはそれぞれのチームで乾杯したり、個別に飲んだりしている。早速一気飲みを始めたのは件のチルノだ。アリス・マーガトロイドはぼんやりと酒盛りと魔理沙を見比べていたが、不意に酒の輪に入っていった。興味がないというより、別に後日聞くぐらいでも良い、程度の考えなのだろう。「事情聴取、参加させてもらうぜ。私も詳しく知りたい」


「別にいいわよ、お茶出すのがめんどくさいし。あんたも酒飲んできたら?」


「お前と咲夜がまた激突したら困るだろ。そうでなくとも今日はやけにビリビリしてるし、私が仲介役をしてやる」魔理沙の言葉に霊夢はため息をついて、やがてレミリアを筆頭にしたグループと魔理沙と新聞記者を見比べた。記者に至っては再び目を輝かせながらメモ帳を取り出している。もう一度小さく息をつく。


「分かったわ。全員入りなさい」



***



 東海林がドアをノックする寸前に、向こうから「入れ」という声が響いてきた。ちょうど拳をドアの高さまで上げたところで、そのままドアノブを握った。いつもこうなのだから、聴覚が過敏どころではない。それでいて入室する人物を正確に把握しているのだから、予言か予知しているとしか思えない。前に聞いてみると、「お前の足音は特徴的なんだから分かるよ。左足で歩くとき、つま先の力が弱いだろ。露骨に音に出るぞ」という答えが返ってきた。


 失礼しますと声をかけて部屋に入ると、中では事務机にスタンドを点けて何枚かの書類に目を通している橘がいた。保守管理の報告書だろう。月末になると隊員らの無味乾燥な文章が橘の元に届く。異常なまでに背筋がしゃんと伸びていて、そろそろ七十に入る人間だとはとても考えられなかった。刈り込んだ髪は歳相応に白くはなっているものの、それを抜かせば四十五十と耳にしても納得してしまいそうである。相変わらず部屋は殺風景そのもので、事務机とコーヒーポット、作業用のPC以外は何も飾っていない。ポットの脇には無造作に自動小銃が置いてあるが、おそらく弾は入っていないだろう。彼は疲れた時に、よく小銃を弄っている。


 橘は精読用か老眼鏡をかけてはいるが、東海林にはこれも伊達にしか思えなかった。何故なら射撃で外した所を見たことがないのだ。実戦と訓練を含めて、彼がミスをする所を見たことがない。以前に南アジアで人撃ち猟に挑んたことがあるのだが、その時も臭気漂う密林内で、彼は一発も外さなかった。骨なり頭部なり脚部なり、必ずどこかに命中していたのだ。


 東海林は声をかけた。


「幻想郷関係の書類と映像データです。書類の中身はあまり面白くない報告書や議事録ですが、ビデオデータは決死隊のデコに直接取り付けたカメラで撮影してるので、臨場感だけはありますね」
 既に時刻は夜中の十二時を越している。今この建物に残っているのは東海林と橘の二人だけだった。


「だろうな。幻想郷。いやはや、ふざけた名前だ。まるで失われたファンタジー世界のようではないか。現代日本に突如として口を開けた妖怪少女たちの楽園、と。だいたい実情は聞いたと思うが、もう一度説明してくれ。その間に書類を見る」
 橘は伸びをすると東海林から書類を受け取るが、その際に腰のホルスターに差し込まれた拳銃が見えた。自動小銃を含めて、この国でそれが見つかったら大問題だが、此処の近辺ではそれは問題ではなかった。半径数キロ圏内には小屋一つなく、山と平野と湖に囲まれた完全な無人地帯であった――むしろそれを見越して建設した。迷い込む観光客も動物もいない。半治外法権のこの時を隊員たちはふざけて《荒れ地》と呼んでいる。たまに迷い込んだり探検しに来るバカがいるが、座して彼らは自分で勝手に戻り道を探しだすのを待つか、あるいは野垂れ死にを見物している。


「ある日、突然異世界に通じる穴が発見され、政府が独自に調査部隊を設立。傭兵と囚人らの混成グループを決死隊に編成して幻想郷へ送り込み、結果として原住民と戦闘……死人も随分出たようで。生きて帰った数人の証言を元に、政府は穴の向こうの放棄を決定したようですね」
 それが橘率いるグループに届いた書類を大まかに訳したものだ。無論その中には、決死隊らが幻想郷で体験したことや幻想郷そのものの情報も含まれる。どうやら政府自体が《彼岸》の目に触れさせまいと隠蔽していたらしいが、目ざとく嗅ぎつけた橘がそれらをひきずり出したのが三日前。本日こうしてファイルを露出させた。
「橘さんはどうされますか?」


「無論、向こうが捨てた権利は貰う。私が知らない所でこんなものが進行していたんだからな、長生きはしてみるものだよ。ちょっと座ってくれ」
 橘は老眼鏡を外すと、歯を大きくむき出しにして笑みを浮かべた。東海林がこの顔を見ていつも思うのは、鰐が獲物を食うために口を開けた瞬間である。東海林は机の前に腰を下ろした。
「腰抜けの糞ヘタレどもが。だいたい囚人どもを使う? 奴らが脱走したらどうするつもりだったんだ。軍属の受刑者でも用いた方がまだマシだろうが。まあそれは良い、問題は終了後にそいつらを本当に解放していることだ。しかも現金を与えて? 馬鹿げている。山奥に埋めた方がマシだ」


「一応、海外には出ないよう厳命されているようですが」


「たわけ。向こうの人間に攫われたらどうするつもりだ? 制度の穴など幾らでもある。それに奴らはこっちのルールなんかひとつも守らん。ああ忌々しい、奴らはいつも我々の裏をかく。常に警戒しなければならん――だから私はここを建設した。いつも口を酸っぱくして言ってるじゃないか。分かるか? あいつらは暇さえあれば我々の首を捕りに来る。ほとんどの猿どもはそれをわかっていない」


 神妙に頷きながら東海林は、未だにこの《向こう》が何を意味しているのか分からなかった――おおよその意味は予測できるが、正確な事について橘が口にした覚えはない。その点では東海林も分かってない側の人間だったし、分かってる人間は橘ひとりだけだろう。ただ、橘が面倒な超国家主義者だとしても右腕論者だとしても、それが首を縦に振らない理由にはならない。橘が異常な程外国人を嫌い、そのために業務上様々な点で支障が出ていることは知っているが、その理由は知らないし、別にどうでもいい。真実を知ったとすれば何かの沼に引きずり込まれるのは目に見えていたし、もともと東海林は隊員たちとは違って外からやってきた人間だ。橘が熱心に男たちに教え込んでいる教義とやらには一切興味がなかった。若い時分ではもう少し向こう見ずな感情も持ち合わせていたかもしれないが、今ここに見受けられるのは単なる打算と計算ずくめで口汚く罵る男だ。だが東海林は彼の教義にも建物建設の目的も、橘が目指しているものにも金銭上の興味はあってもそれ以上は全くない。


 民間軍事会社――橘が運営しているこのグループを区別するとすれば、これがより近い。ただしここは会社という利益共同体というより個人の趣味色が強く、仕事の種類は橘がしたいことによって決定される。何代か前から続く資産家だったことが橘の我儘を助けた。橘の若い時分に設立されていたこの会社は、当然ながら表には出ない――出る筈がない。なにせ裏仕事を行うからだ。日本の国益に仇成す者を数多く成敗してきたと言えば聞こえは良いが、実際には殺し屋まがいの仕事だ。現在は類まれなる仕事ぶりが多くの鬼畜どもに認められかなりの隊員を有するようになった。そして本業も殺人業から、徐々に海外での戦争または紛争の邪悪を担うようになってきた。現在は国内での仕事が殆どないというのも、理由の一助となる。武装ヘリや重火器などはさすがに国内には設置できず、南アジア方面の支部にそれとなく配備している。ここにあるのは重要書類や小火器等であり、置けても分隊支援火器がいいとこだ。万一の際は施設を自爆させた後、コネがある方面に渡って支部で装備を整え、長期スパンで逆襲することになる。


 橘を含めた兵士たちの移送先は世界中にわたる。人間を殺るためなら橘は無償でも兵士たちを出した。泥みたいな顔をした民兵らとの戦い、ギャングの抗争、地雷設置、死体や麻薬の売買、誘拐、反乱軍に対する嫌がらせ、政府軍に対しての砲撃、他の準軍事組織や多国籍軍、軍隊に対する銃撃、無差別的なブービートラップ設置。仕事のジャンルは多々あるが、その中でも特に好んで請け負うのが赤十字職員や医師団らに対する虐殺である。近年は一人前に警備会社による護衛もつけてきたが、一昔前はほぼ丸裸の状態で紛争地帯に飛び込んできたのだ。まさにボーナスステージだ。テント群を舞台に壮絶な拷問が医療関係者らに行われたようだが、そこまで詳しい事情を東海林は知らない。下手に深入りしない方が身のためだと知っているからだ。他にも牧師や医者、教師や地域の指導者格など、人の信頼を集め、誰かを救う者も平気で潰す。その過程で生み出される臓器や死体は殺人嗜好の連中や、死者の遺族や医療関係者に売った。東海林は子ども同士を殺し合わせる録画現場に立ち会ったことがあるし、《溺死ドラマ》のメイキングに参加したこともある。金と血に結びつくならあらゆる修羅場が仕事の場と化した。要人を警護しながら暗殺も請け負うマッチポンプ、地雷を解除しては思いもよらない地域に埋め直す。一度も転ばずに誰も行けないような境地にたどり着き、誰もが躊躇することを平気でやり遂げた橘の手には、成功の二文字がどす赤い輝きを見せるようになった。


 要するにグループに与えられた仕事は屠殺業だ。もしも死後があるのなら、永遠に彼らは石臼で頭を潰されるだろう。現在は下火だが、以前は国内でも裏工作を助力し、殺し屋稼業から指名手配犯の追跡を行った。思ったよりも人を殺したがる人間は多い。民間人は言うまでもなく閣僚や政治家と言った職責を担う人物ならば尚更だ。関係閣僚らの裏利益を完全に巻き込み、秘密と工作記録を独自で厳重に保管している橘は、暗殺の代わりに存在そのものを隠蔽された。何度か暗殺や攫いに近いもののニアミスがあったようだが、眼前で幻想郷に関する書類を眇めている彼を見れば結果は一目瞭然だ。やがてある程度の自由と引換に政界からも断絶された彼には、しかしあちこちに潜らせた隊員たちを通じて情報が入ってくる。今回の幻想郷騒動もその一端だ。


 まずもって橘自身が暗殺の標的にならないのは、おそらく彼の資質によるものが大きいのでは、と東海林は見ている。全ての秘密が暴露されたとしても、この翁が観念して逮捕されるだろうか? 東海林が思いつく妥当な結末としては、橘が議事堂を破壊し、兵士たちに繁華街で大殺戮を行わせた挙句に自爆して全員吹き飛ぶ末路しか思いつかない。爆弾が服を着たような奴と敵対するぐらいなら、友好状態を保っていた方が無難だ。それに金を出せば嫌いな奴も殺してくれる。


 一言で表すなら、国に見放された動く疫病だ。


 東海林が狂気そのものの共同体に採用されたのは、彼自身橘に負けず劣らず人を殺したからだ。国内で生を受けた彼は、十代で人を殺して己の未来に葬式を出した。転落していく過程で彼は外国に逃げ延びてスラムにあるギャングに加入し、殺し殺し殺し、たどり着いたのがこの施設の正門だった。すんでのところで拷問されるところだった東海林を、橘は鰐のような笑顔で快く迎え入れた。彼は仕事に取り掛かり、献身的に尽くした。血を浴びた姿は橘に大いに可愛がられ、副官であり第二司令官へと任命される一助となった。自分があらゆる隊員らの怨恨を買い、それが半ば嫉妬に結びついていることはよく知っているが、だからと言って態度を変えたりはしない。


 時折東海林は自分の部屋の机で、己が殺った人間の数を数えることがある。おおよそ八十二名。八十二の頭が東海林に捧げられ、その腕や足は消化された。八十そして二つの魂は彼に食われた。そしてそれを考える度に、八十二の屍が自分を支えていてくれるのだと思うと胸が熱くなる。より一層励もうという気持ちになるのだ。どんどん死体を重ねて、天まで届けたいという欲望も東海林は持っていた。


「……とは、なんだと思う?」
 考えに取り憑かれていた東海林は、聞き漏らした。


「は、申し訳ありません。何でしたか?」


「能力だ。能力とはなんだと思う?」


「能力……ですか?」


「そうだ。幻想郷の少女たちが備える能力だよ。空を飛ぶ程度の能力、運命を操る程度の能力、魔法を使う程度の能力、全てを破壊する程度の能力、距離を操る程度の能力……能力とは、何だ?」
 橘は両手を組み合わせ、親指を動かした。その拳は殴打や射撃の記憶を色濃く残して、岩石のようにごつごつしていた。


「そうですね」
 東海林は口に手を当てて考え込んだ。「よくエスパーが持っているとか言う、超能力とか第六感とか、サイコキネシスとか、そういうものですか?」


「そうとも取れるだろう。私としては、これは身体機能が開花させた、特殊な機能の一部だと思う」
 東海林の瞳が未だ理解を得ていないのを見て、続けた。橘が霊感を得たらしい、幻想郷に関する詳細なレポートが机の上に積まれている。――文章だけで記された妖怪たち。空を飛ぶ、弾丸とは異なる弾というものを出すヒトガタの生物たち。


「資料の四枚目、人口の説明については見たな? 大抵の人間があの世界では、何らかの能力を使うことができる。雌の比率が圧倒的に多いようだが、性別の点で何かの偏りがあるのかもしれん。しかし雄だろうと、弾幕ごっことかいう遊戯で、……つまり、弾という物質を出せる。手からか足からか知らんがとにかく出せる。おまけに妖怪退治屋という職業すらあるというではないか。我々がそんな事実を耳にしたらこいつは馬鹿だと思うだろう。だがあの世界では実在する。それらの能力は、幻想郷という環境から来るのか? 水や食べ物がそうさせるのか? それとも、人外の存在である彼女らの脳が、肉体がそれをさせるのか?」


「……分かりませんね。確たる証拠がありません」


「だろうな。ところでだ、彼女たちがこの世界、我々の国に来たとしたら、その能力を使えると思うか? 空を飛ぶか? 人形を操るか?」


「それも分かりません。使えるかもしれません。できないかもしれません」
 段々と東海林は脇に汗をかきはじめる――橘の意図が、掴めてきた気がした。


「私がベットするのはな、使えるという側だ」
 橘は身を乗り出して東海林を見据えた。事務机前の椅子に腰掛けていた東海林には歯並びすら見えた。嬉々として輝く尖り具合は、丹念に磨かれた鰐の歯そのものだ。
「もし使えるとしたらだ。奴らと我々では何が異なる? 体か? 脳か? それとも精神か? 身を置く環境か? これを種族や世界の差とかいう、どうしようもない単語で終わらせたくはない。私が知りたいのはそこだ。そして手に入れたいのもそこだ。この間の報告だったが、勾玉を用いた実験について覚えているか?」


 東海林は頷いた。勾玉や護符、その他マジックアイテムという代物を担当するのは、実質的には《研究所》という施設で働く一人の男だ。表面的には産廃関連の施設の筈だが、実情は白衣姿の社外隊員と言っても過言ではない。メガネザルを彷彿とさせる外見だ。研究という文字が付与される割には生物兵器や産廃の武器利用に手を出しているのだから世も末だが、更にうんざりさせるのは超常を取り扱う部署があるという事実だ。まさか昔のあの国じゃあるまいし、と馬鹿にしていた東海林だが、《ESP研究》と大真面目に書いてあるプレートが掲げられた扉を見た時、たじろぎさえした。どうやら幻想郷関連はそのカテゴリに収納されることになったらしい。メガネザルが担当する実験の一つで、以前に幻想郷に迷い込んだ少年が持っていた勾玉を用いて衝突実験を行った所、軽トラックまでの重量をぶつけた辺りまでは大丈夫だった。屋外でクレーンを用いてつぶした段階ではダメになったが、勾玉の数を増やすとあっけなくクレーンがはじかれた。実際は反らしたとか斥力が作用したなどと言い様があるのだろうが、複数のビデオを見た限りではそうとしか言えなかった。


 勾玉を生物の体内に埋め込んだ場合、周囲に発生する激烈な磁場は増幅されて大型トラックの激突を阻んだ。護符も単体よりも、生物に貼りつけたものの方が効力を増した。一方護符には対象に対する攻撃効果もあるらしく、メガネザルが解読したらしい文字を書き加えてネズミに札を当てた所、ネズミは音もなく消滅した。幾ら施設内を探してもそれの残骸を見つけることはできず、後には半分ちぎれた状態の札が残された。薬草と呼ばれていた葉はとある粉を備えており、その粉を傷口にふりかけた所、傷の回復速度が劇的に早くなった。幻想郷で採取されたイノシシの死骸には魔力と呼ばれる残骸がこびりついていることが確認されたが、未だに採取方法が分からないため、保存中とのこと。


 これらの結果を鑑みてメガネザルは、兵器転用の可能性は大いに有り、と太鼓判を押した。


「彼女らの能力をな、放置するのは惜しすぎるんだ。あんな何もない世界で、彼女たちの素晴らしいギフトを空費させるわけにはいかん。もし能力をそのまま移行できなくとも、断片を再利用できるかもしれん。臓器移植と似たようなものだよ。欲しい部分だけ切り取る。空中浮遊、誰も見たことのない病気、敵の頭を見ないうちからほじくり返す能力、魔法を扱う分隊、時間を止める程度の能力を持つ軍隊。軍事そのものがひっくり返るぞ。万一能力が手に入らないとしてもだ。吸血鬼、魔女、妖怪蛍、夜雀……信じがたい生物のサンプルが手に入る。彼女たちの胃腸、脳細胞、遺伝子。賞が這いつくばって我々に擦り寄るだろう。他国のネズミも馬鹿面して分前に与ろうと来るかもしれんが、まず日本にとってはかつてない技術革新の礎となることに違いはない」


「つまり独占するわけですね?」


 橘は笑顔を見せたが、その表情は《笑み》というより《口裂け》であった。
「まさか! 必ずどこかから漏れる。それは間違いない。秘密なんてものは隠し通せないからな。それに捕獲のみなら我々でもできるが、研究分析の段階に入ると、やはりメインは国になる。奴らなら平気で喋りまわるだろう。とは言え、取られる前にこちらから正式に供与すればイニシアティブを取れる。そして見返りも分捕れる。金、資源、人的財産。奴らは尻尾を振って応ずる。全てを明かす訳がないがな。だがとにかく、我々は大きな――とても大きなアドバンテージを持てる。世界革新の第一歩として足を踏み出す。国内発の新技術が大きく世界に喧伝され、悪党どもはひれ伏す」
 橘は椅子に座り込み、腰を据えて天井を見上げた。独白のように口にするが、その口ぶりは相手を求めている事を東海林は知っている。


「人間や妖怪、妖精や天狗、龍や仙人が少女の姿を借りて存在する世界……狂ってる。こんな世界を創造した神様とやらは、相当に人智を越えた存在だ。きっとヤク中か酔っぱらいだろう。案外、朝から晩までビール漬けの生活でもしてるかもな。だがな、そんな超牧歌的世界にも利用できるものはゴマンとある。この天然資源の山を、我々は適当に見学だけして、適当にやめるのか?」


「それはできない相談です。しかし、ひとつの世界をまるごと相手取るのは、いささか手に余るのでは」


「そうに違いない。こんな報告書などガキの伝言だ……向こうには未だ得体の知れない存在が眠っているに違いない。おまけにこっち側の失策のせいで、奴らも随分気が立っているだろう。ひとまずは会って話をしてみようじゃないか。まあ、恐竜どもに戦いを挑むか、飼い慣らすかはその後の問題だ。出発は一週間後だ。さっき電話で国の連中の頭を殴っておいた。通行許可、《研究所》の使用許可も下りているし、銃器の持ち出しも可能だ。こちら側で発砲してもは奴らに誤魔化させる。遠征中の兵士たちも帰国させろ。向こうの政府や管理委員会の連中は気にするな、どうせすぐに五体投地して我々に擦り寄る。戻ったら損耗と状態チェック、病気の確認だけしてすぐに出立だ。できれば今日中に連絡してくれ」


「分かりました」
 今夜は徹夜になることをひしひしと予感しながら、東海林は口を開く。
「解放された囚人連中はどうします? こちらでも位置は掴んでいますが」


「全員拉致ってこい。生きた情報が必要だ、再度案内してもらおう。まさか奴らも、本気で自由になれるなど考えていた訳があるまい?」



***



 穴がいつからできていたのか。


 穴がどれほどの大きさなのか。


 穴から何が出てきたのか。


 それが紅魔館でどんな事件を起こしたのか。


 そうした説明を耳にした魔理沙は、ひたすらに目を丸くした。思った以上の大事件……というより、災害だった。その際穴の場所から、以前にアリスと秘密裏に行った魔法実験を思い出したが、それについては冷や汗一滴と共に無視した。「どうしてそんな穴が出来たんだろうな」


「知ってたら苦労してないわよ。詳細は調べてる途中だけど、危なそうな魔術が二つや三つ混ざってるし、それと穴が周囲に拡散していた妖気を吸収してる。周りの森自体が、傷ついてもすぐ直る能力を備えてるみたい。周りには月で作られた物が落ちてたから、それも影響してるかも。永遠亭の連中は後でシバきに行くけど、それは別として、本当に直すのは難しそうね。解きほぐして、穴の構成要素を一つ一つ潰していくしかないから、毎日少しずつ削るしか無いわ」


「具体的には、どれだけかかるんだ」


「まだ完全にはわかってないみたい」
 霊夢は首を振った。
「やっと調査に取り掛かったってところで、何がどうなっているかも紫が今調べている最中。相当延びるかも。明日か明後日かも。紫と藍が、あと私も全力で動いてそれくらい。裏方作業が忙しすぎて、暫くあいつらは表に出てこれないと思う。それもこれも、あんたらがちゃんと伝えてくれなかったせいかしら?」


 魔理沙が座っているのは、神社内にある簡素な居間だった。六畳の広さに卓袱台一つとお茶や煎餅入りのお椀が置いてあるだけで、後は特に無い。今はそこに紅魔館からの五名と天狗に半獣そして魔理沙、そして主である霊夢がいるので、随分とぎうぎうである。そして勝手に咲夜が紅茶を淹れたらしく、レミリア含む六名に給仕していた。魔理沙と霊夢の分はない。


「なあなあ咲夜、私にもくれよ。喉乾いた」


「ごめんなさいね、もう材料切らしちゃったし、使うのがここの台所だから淹れるの手間がかかるの。今日ご飯食べてないから疲れたし。それにあなた、人の邪魔したでしょ?」
 こういうことを隙のない笑顔で言い放つ咲夜だ。意外と彼女が根に持つタイプであることを心にメモしつつ、魔理沙は煎餅に手を伸ばした。


「ちょっと食べないでよ。買い置き残り少ないんだから」
 霊夢はお茶請けを引っ掴むと手前に引き寄せ、お菓子をバリボリやりはじめた。意地汚い。そして霊夢も根に持つタイプであることを今更知ったことに、内心ややショックを受けながら魔理沙は聞いた。


「そういえば慧音、お前紅魔館で囮になったとか言ってたな。あれどういうことだ?」


「ん? あー……あぁ、あれか、うん、まあ」
 煎餅を食っていて事情聴取を忘れていたらしい霊夢が顔を上げたのを尻目に、慧音はごにょごにょと呟いた。よく聞こえない。レミリアが代わりに答えた。


「どうやら外の人間たちの仲間が人里に流れ着いたらしくてね、私が一人攫っちゃったから、慧音に頼ったらしいのよ。入ったばっかでお友達がバタバタ死んじゃうんだから、もう泣いてパニクっちゃってたんでしょ。この妖怪も随分お人好しだからねえ」
 は~あと何気なくため息をつくと、慧音は居心地悪そうに姿勢を正した。この半獣半人はみんなが自由に座っているのに、ずっとこのままだ。
「それで裏から人間たちに潜入させて、上白沢さんは表で注意を引きつけたってわけ。そこらへんは美鈴の方が詳しいでしょ?」


「ええ、あの時はビックリしました。いきなり弾幕が飛んでくるんですから……でも私は殆ど人間の姿見てないんですよ。慧音さんで手一杯でしたし、そのうち夢中になっちゃって」


「じゃあ外の奴らって誰が見たんだ?」と魔理沙が質問すると、フランドール、咲夜、それからレミリアが手を上げた。蝙蝠を通してだからあんまり定かじゃないけど、と吸血鬼の姉が前置きする。既に事情聴取の主導権は霊夢でなく魔理沙が握っていた。霊夢はただふんふんと頷き、文は右腕を動かしている。パチュリーはどうせ部屋で本でも読んでいたんだろうと魔理沙は考えて、咲夜に水を向ける。メイドに話が及んだ瞬間、慧音の瞳に何かが淀んだのを、霊夢とレミリア以外誰も気づかなかった。その何かは水面に石を投げ込まれた湖のように揺らめいていたが、やがて奥へと戻っていく。


「ええ。見たわ。分散していたみたいで、館の中にいる人間は見てないけど……外の人間なら何人か見たわね。一人か、二人?」


「へえ。服装とかどんなだった? やっぱ外来人の服着てるのか?」


「そうねえ、迷彩柄でしたっけ、あれ着てたかしら。ナイフで殺したけど、死に様は他の人と同じだったわね。そうだ、足が痙攣してたわ」


 魔理沙の中で何かが零れそうになった。咲夜が訳もなく口にしたその言葉が、先ほどまでののんびりした空気を崩し、粘着くものにさせる――そう感じるのは魔理沙だけだろうか。レミリアは素知らぬ顔で紅茶を口にし、霊夢は無表情に煎餅を齧っている。慧音は見るともなく咲夜の顔を見ていた。こういう時どうすればいいのか魔理沙には分からなかった。咲夜が悪魔に仕えているということを、人でありながら闇の領域に片足突っ込んだ人間であることを自覚する度に、亀裂を目にする度に若い魔女はこんがらがる。


「咲夜もさ、もっと人間と馴れればいいのにねえ」
 茶々を入れたのはレミリアだ。いたずらっぽく笑みを浮かべる様はフランとよく似ている。
「案外さぁ、男でもできたら変わるかもよ? メイド業してるんだから、良いママになれるだろうね」


「私は紅魔館の母親だけで十分ですわ」と咲夜がくすくす笑うので、魔理沙の緊張も少しほぐれた。


「それから後は? 他にも何かあっただろう」


「うーん、その後は人間たちが逃げちゃったからね、私が話せるのはそれくらいなのよ。周りは見てたんだけど、個人個人にはそんなに注意してなかったし」
 死んだ人間は最後どうなったんだ――口にしてしまいそうな質問を、魔理沙は喉に力を入れて押さえ込んだ。きちんと埋葬されたのならまだしも、それ以外の結末があるとしたら、それを咲夜の口からは聞きたくない。気を取り直して、今度はフランに尋ねた。


「私の場合はね、ちょっと上で色々うるさかったから、気になって天井壊してみたの。久々だったから、思い切り力を込めて。ぐーってやって、ごばーん! って。そしたら、二人……三人? ぐらいいた。動いてるの一人だけで、後のは寝てるみたいだったから、つまんなくて壊そうと思ったんだけど……なんかヤダった。だから外出ちゃった。咲夜とちょっと喧嘩もしたし」
 腕の骨がちょっとヘンになったんですけどね、とメイドが付け加える。


「ヤダって……何がヤダなんだよ。なまはげみたいな顔でもしてたか?」


「ううん。そうじゃなくて、なんか怒ったお姉様みたいだった。メイドと違って眼を全然逸らさないし、殺そうかな、って思っても逃げたりしないし、ずっと吼えるんだもん。なんか噛まれそうでやる気なくしちゃった」


 犬かよと返しながら魔理沙は、内心で感心した。フランにそこまで感じさせる人間は今まで見たことがない。自分でさえフランに存在を認めさせるのに、死ぬほどの弾幕ごっこを通過しなくてはならなかったのだ。それは異変解決屋の名を恣にする霊夢も同様だった――その人間はフランと遊ばず、言葉だけで彼女を追い払ったことになる。聞くだけでは簡単だが、軽く見過ごせるものではない。


「そいつの名前分かる?」


「霧島って言うわよ、その人」
 レミリアがいきなり口を挟んだ。
「他の人間がそう言ってるのが聞こえた。えーっと、外見は普通の人間ね。年もそんなに食ってないし、まあ平凡って感じ? 背丈も高くなく低くなく。髪はボサボサ気味だったわ。服装は、上は厚着して長袖で、下は迷彩柄のズボン。んー……あと普通? あ、靴がちょっと堅そうだったわね。後は……銃を持ってたわ。りぼ、りぼるばーかしら。合ってるわよねパチェ?」


「拳銃ならリボルバー型とオートマチック型に大別されるわ。撃って銃身が回転するならリボルバー、そうでないならオートマチック。あと細かい違いはあるけど、だいたいそんなところ」
 壁を向いて辞書らしきものを読んでいたらしいパチュリーは、もごもごと聞き取りにくい声でそう答えた。吸血鬼に対してさえこの態度なのだから、他に関しては言わずもがな。


「兎に角そういうのを持っていたわ。結構撃ってたわよ。バンバンって。来る時は筏でやってきて、帰りもそれに乗って行ったみたい。途中でひっくり返ると思ったんだけど、上白沢さんがこっそり妖気送って固定してたみたいね。大丈夫だったわ。妖精たちも戦闘に引き寄せられて、ぜんぜん注意向けてなかったみたいだし。そうそう、足が悪くなったみたいね。途中で仲間に肩を貸してもらって、森に入ってたわ。あと……妖怪に襲われたみたいだけど、それはまあ、撃退したみたい。最後は穴に入っておしまい」


「蝙蝠を通したにしては、えらい正確だな」
 魔理沙が口にすると、レミリアは途端に子どもっぽい表情をして、視線を右上に逸らして下手な口笛を吹き始めた。魔理沙は少し考え込む。


「とすると、外の連中は穴の外に基地を作ってることになるな。そいつらがまた入り込む可能性とかはないのか?」


「ないことはないでしょ。人間相手には妖怪用の結界が通用しないから、もしまた入ってきたら交渉でもしなきゃいけないわ。同族をとっちめると後で色々厄介なのよ。紫からは、幻想郷を隠蔽している可視と不可視のスキマが揺らぐって言われるし……ああヤダヤダ、めんどくさい」
 霊夢は自分の肩を何度も拳で叩いた。
「こういう細かい仕事って嫌なのよ、神社の仕事でもないくせに……どうして私が店番の子どもみたいなことしなきゃいけないのかしら? 紫に任せれば簡単なのに」


「仕方ないだろ、修復にフルパワー使ってるんだから。しかし、顔も出せないぐらい大変なのか? あいつの性格なら、無用心な外の奴らなんて頭いじられて終わりだと思うぜ」


「結界修復する面倒さを知らないからそういうこと言えるのよ。それにあの穴がどれだけ厄介かも知らないから」
 煎餅をすべて平らげてしまうと霊夢は、眠い眠いと言いながら畳に横たわった。
「ちょっと限界、お腹膨れたし休むわ。寝ないってしんどいわね……乙女の柔肌に徹夜は大敵。あんたら、もう帰っていいから……」
 魔理沙が止める間もなく霊夢は自分の腕を枕にすると、すぐに寝入ってしまった。静かな寝息は、どれほど魔理沙が体を揺すっても治まらず、遂に事情聴取は聴取側の脱落で幕を閉じた。


「信じられん、自分で呼びつけておいて勝手に寝てる……」
 魔理沙が呆れていると、咲夜はいそいそと、押入れから勝手知ったる様子で薄い掛け布団を取り出して霊夢にかけた。枕も頭に挟む。すぴょ、と霊夢の鼻が鳴ったが、すぐに落ち着いた音になった。新聞記者は当然のようにカメラで寝顔を撮っていたが、他の面々は特に何をすることもなく外に出た。外では相変わらず宴会が盛り上がっていたが、既にクライマックスがやってきたらしく、プリズムリバーの連中が激しい音楽を奏で、夜雀が夜でもないのに全力で歌っていた。幽々子を主としたグループがヤーヤー声を張り上げ、傍にいる魂魄妖夢も拍手を打っていた。慧音はそれには一瞥をくれただけで人里へと戻っていった。紅魔館連中も殆ど帰ってしまったが、レミリアはちょっとの間、空を見上げていた。魔理沙も騒ぎに加わる気になれずに空を見ていたが、ふとさっき、フランを追い払ったあの人間の姿が頭に浮かんだ。


「霧島って奴は、もう来ないのかね?」
 魔理沙が半分独り言のように口にすると、レミリアはふっと影に日が差すような笑みを浮かべた。淡くもありながら、無常さも兼ね備えていた。日傘の下で、浴びることのできない太陽を見上げながら吸血鬼は返すともなく言葉を発した。脇のメイドはただ傾聴する。


「多分、それほど心配しなくていいと思うわよ」


 じりじりと太陽は強さを増していき、幻想郷の日差しは明るさを増していく。虚ろさすら感じさせる雲と青空のコントラストは、地上にいる三人と、その他の妖怪たちを照らしだし、夏はやってきつつあった。多分この空の下に穴はあるだろうし、穴の向こうの世界も、同じような季節なんだろうと魔理沙は考えた。向こうには同じ顔をして、同じ服を着て、同じ言葉を話す、全く違う人間がいるはずだ。その人間たちは青空を見上げるのだろうか。これから夏が来ると考えたりはするのだろうか。酒を飲んで泣き上戸になったり、秋の夜長にふと己を省みて、自分が辿ってきた道を見て不安になったりするのだろうか。


 霊夢は日中ずっと眠り込んでいた。



***



 雑踏の中で見上げる青空は、最高の日差しを篠田孝之に浴びせていた。それを言うなら日の照り返しも、通り過ぎる顔の群れも、洗濯を忘れたので着て二日目になる薄手のシャツも、何からなにまで最高だった。なにせポケットの財布には六人の有名な大先生が鎮座増しましており、その大先生がどこからやってきたかというとそれはパチンコという魔法の機械からだった。ようやく上がりが来た。あの騒音は当たり始めると耳に心地よく、周囲の殺意すら混じった視線すら持たざる者の嫉妬にしか感じられない。以前は二万円スッたし、その前には六万円やられていたが、そんなのはもう過去だ。今重要なのは、最も価値ある貨幣がたくさんたくさん革製の財布内に収まっている点だ。大量に店屋で購入したビールのパックを袋に隠し、篠田はうきうきとした足取りで部屋へと戻っていた。どうせ今日は工場も休みだ、飲んでいけない法律があるなんて知らない、もし言い出す奴がいたらこの六本詰めでぶん殴ってやる。


 幻想郷という地獄から命からがら舞い戻り、この地域にあるアパートに引っ越してきたのが二ヶ月ほど前。やってきた当初は、人を殺った身分なのにもう外に出られたということが不思議でならなかった。特に化物イノシシと、おぞましいメイドの群れから逃れた後では尚更だった。牛丼屋に入るのもスーパーで牛乳を買うのも、何か夢のような、ともすれば掴んでいるのは牛乳パックでなく、血と汚物に塗れた拳銃なのではという空想が飛び飛びにやってきた。悪夢も何度か頭を掠めた。夢の中で篠田は、やっぱり気が変わった教官たちに銃で穴だらけにされ、イノシシに噛み裂かれ意識を保ったまま千切りにされ茹でられ煮詰められ、メイドたちの料理に給仕されていた。


 だが人は慣れる。どんな環境にも適応するし、ぬるま湯のような生活なら尚更早くなる。偽名を用いた生活にも、大量の金が入った口座にも、篠田はすぐに慣れた。篠田は金を使い始めた。どんどん使い始めた。それがこれまでの生き方だったし、他には何も知らない。疲れるから学ぶ気もない。酒、パチンコ、遠出しての競馬、女の店、読みもしないのに買い込む雑誌や本。諸々の物品は自分の生皮を剥がすように金を奪い取る――だがそれで何が危うくなる? 口座のイチはまだまだ尽きないし、こうして保証された亡命生活では、他にできることなどない。その考えが一度自分を刑務所という名の破滅に追いやったことは重々承知していたが、それはそれ、これはこれ。あるならあるで使わなければ。第二の人生なら、せめて悔いの残らないように過ごさなければ。だから彼の家の冷蔵庫はいつも満杯で、自宅のテレビには見もしない衛星放送が中継され、PCは最新型を大きな電器屋に行って組んでもらった。エロサイトと天気予報にしか使っていない。たまにソリティアをする。


 突き刺さる日光を避けて日陰を歩いていると、のぼりの旗や店の看板が太陽に照らされて、仰々しい輝きを帯びて見える。篠田を苛むようにはためくそれらは、風に煽られて音を立てる。まばらな通行人は誰とも眼を合わせず、よく見れば誰もが犯罪者かその予備軍のように見えてくる。そうした輩を無視して延々と歩いていると汗が滲んでくる。ビールの詰め合わせが重い。早く部屋に帰ってこれらを飲み干し、悩みを全て吹き飛ばしてしまいたい。戦争をくぐり抜けたとして、それまで抱えていた悩みが消滅するわけではない。将来、家族、保険、老後。明日からは白々しく避けていた全てが篠田に降りかかる――だがそれは明日の話だ。今日は有意義に過ごさなければ。せっかく生きているのだから、それらしく振舞わなければ。


 だが他の奴らはどうしているだろう? 次第に首を焼き始める日差しを感じながら、彼は共に幻想郷に放り込まれた連中を考えた。霧島、高田、熊谷。結局斉藤は死んでしまったし、美村も死んだことになっている。結局あそこで得られたものなど殆どなく、ビデオを撮って、人と半人半獣から話を聞き、怪物の国に攻め込んだだけだった。だがあそこでは、今のこことは全然違った。上を電車が通り抜ける音がする。あいつらは他とは違った。こんな合法的な麻薬に頼らなくても篠田は生きている実感がしていたし、馬鹿馬鹿しい話も真面目な話も口から出てきた。一緒に座って考え話していると、全てが内面に届いた。工場の中で立っている人間らしい生き物とは全然違う。あいつらには全てを丸投げしてもいいし、あいつらからなら何かを任せられても、それをこなせそうな気がする。篠田のような男にとって、侘しい犯罪者にとって、それは他人が考える以上の素晴らしさだ。


 きっとああいう連中の事を、友達と呼ぶべきなのだろう。


 一度でいいから連絡を取りたかった。あいつらはどうしているだろう? 俺と同じように暮らしているのか? 確か高田は病院に収容されている筈だ。楽しくやっているかもしれない。特に霧島は面白い奴だった。家族を全員殺ったにしてはまっすぐでひたむきで、なよなよしてる感じも多少あったが、好感が持てた。高田のせいで俺たちは帰ってこれた。元傭兵はうまく作戦の指揮を取っていたし、あの手榴弾がなかったらメイドたちに食い殺されてもおかしくなかった。熊谷に美村もいいやつだった。一人は死んじまったけど、もうひとりはまだ生きてる。もし全員で会うことができたら俺が飲み会を主催して、店はチェーン店でも――


「篠田孝之だな?」


 声で篠田は顔を上げた。


 高架線沿いの道に一人、男が立っていた。背は小柄だが、異常なまでに丸っこいような、掴もうとしてもするりと逃げられるような雰囲気だ。その印象は薄紙そのものだが、人を何人も殺っていることはすぐに分かった。修羅場を潜った経験が教えた。こいつは水でも飲むみたいに俺を溺死させる。その男は篠田の眼を見据えたまま、瞳を動かさない。直立そのものの男は太陽の光を浴びながら、手に何かを持っていた――箱型の機械みたいなものだ。無害には到底見えない。


 どこかでクラクションが鳴り、篠田の本能が叫んだ――逃げろ。


 振り返って後ろに逃げようとすると、真後ろにも同じ男がいてぎょっとした。よく見ると髪型が違う。こいつは坊主頭だ。坊主も箱を持っており、先端に恐ろしさを感じさせる何かが取り付けられた箱は、まっすぐ篠田に向けられている。目眩すら起こさせる近似さを感じさせる二人に挟まれていた。篠田は思い切り息を吸い込むと、自身を地獄から救い出した経験に従った。


 手を後ろに戻してから思い切り前方へと振り投げた――振り子の要領で投擲されたそれは確かな勢いで男の胸へと吸い込まれていく。それすら見ずに篠田は駆ける。後ろには一瞥すらくれずにただただ走る。坊主は紙のような身軽さでビールの塊を左へとかわす。篠田の目的は右側にある路地だ。もし入り込めれば時間を稼げる。前方にがむしゃらに突進し、男たちの手から逃走しようとした。既に片足が入り口にかかり、眼はあちこちに入り乱れた十字路とその向こうを映し出している。


 首に走ったのは凄まじい衝撃。誰かが踏みつけたような、気道がまるごと潰れる感触だった。ぐえ、と無意識に声がでて足がもつれた。小柄が投げた鞘付きコンバットナイフの柄が激突したことに篠田は気づく余裕がない。ビールが地面にぶつかってがぃんがぃぃんと金属製の音を立てるが、誰も聞いていない――そういう時間帯を選んだのだから。顔面から倒れた篠田は鼻血を出しながらあがこうとしたが、既に追いつかれている。箱型の改造スタンガンは大電流を篠田の首を通して全身へと流し、瞬く間に篠田は失神する。鞘入りナイフを回収して男たちは周囲を見回した。痕跡特になし。


「雛鳥を見つけました。少し首を痛めたようですが生命に支障ありません。これから連れていきます」
 小柄な男が耳に装着したイヤホンを通して連絡すると、すぐにスモークが張られたワゴンが脇に寄せられた。慣れた手つきで男たちは篠田をワゴン内に連れ込み、車が発進する。


 午後二時十八分。



***



 午後二時十八分、篠田確保。車で三時間ほど移動し、高速道路と一般道路、私道を乗り継いで《荒れ地》へと到着。車内で抵抗したため、右腕を骨折する。


 午後二時三十二分、高田確保。脊髄を損傷していた彼は病院へ入院し、迎えに来た隊員らに「やっぱ来たか」とだけ告げた。抵抗なしで車へ乗り込み、六時間後に《外地》へ到着。


 午後三時八分、熊谷公自殺。ゴミ溜めと化していたアパートの部屋だった。監視班による報告では、幻想郷以降の彼は疑心暗鬼と自傷癖に悩まされていた。口座の金は全額引き出した後、スーツケースに詰めて朝方の幼稚園の前に放り出していたが、近くでそれを伺っていたホームレスが持ち去った。空き巣から転化した強盗殺人によって収監されていた彼の病癖は、幻想郷という地獄を抜けた後、人知れず悪化していたようだ。当日は家から一歩も出てないことを確認した隊員らが踏み込んだ際、熊谷は呆とした顔つきで手首に包丁をあてていた。隊員の一人が手を狙ってナイフを投擲するのと、熊谷が包丁を喉に突き立てるのはほぼ同じ瞬間だった。右手掌に突き刺さったナイフはその勢いで熊谷を背後に突き倒したが、使用済みティッシュやボトルなどのゴミまみれになっていた熊谷は残った左腕で素早く包丁を喉元に押し込んだ。嘔吐声と共に血があちこちに飛び散り、隊員たちは咄嗟に身を隠した。その後は彼の生存可能性を顧慮し、投擲した刃物のみ回収して立ち去った。熊谷は二日放置され、異臭を嗅ぎつけた付近の住民によって発見されることになる。立ち入った警官の一人は吐いた。


 午後三時二十分、霧島遼一確保失敗。回収された隊員二名は両肩をナイフで刺され、肋骨が折れていた。


 確保に向かった隊員の証言、「メイドらしき女がいたが、視認した瞬間にやられた」。



***



 戸を開けた瞬間、どっと疲れが背中から雪崩れてきた。霧島遼一は手にしたスポーツドリンクを一気飲みするとばったりと倒れこんだ。今日は久しぶりの自炊にする予定だったが、この有り様では無理だ。腕時計は午後三時過ぎを告げていたが、頭の中が疲労によって混濁している。


 今は休みたかった。何でもいいから体の疲れをほぐしたかった。筋肉が痺れたように動かず、飲料を飲み干したばかりの喉は水を求めてひりひりした。せめて汗くらい流すべきだったが、そもそも十キロを三十分足らずで走りきろうとする計画が間違っていた。結果など考えたくもない。疲れと汗から来る心配を体の裏側に押し込んで、霧島はただ走りに走った。飲料水でも買う考えがやってきたのは、疲労困憊して家の前にたどり着き、自販機を眼にした時だ。


 ふと霧島は、あの幻想郷のことを考えている自分自身に気がついた。多くの人間を食ったあの世界。妖怪が跋扈し、怪物が夜を我が物顔でのさばるこの世の果て。だが不思議と霧島の心は何度もそこへと立ち返る。バイト中に行う、半ば無意味とも思えるような品出しや、レストランで注文した料理が来るまでの間、心を彷徨わせている時などそうだ。その自分とあの時の自分が繋がっていることが、今でもたまに信じられなくなる。高田、篠田、熊谷、斉藤、そして美村。あいつらは元気にしているのだろうか? 高田は毎日牛丼を食っているのか?


 斉藤は、美村は、ちゃんと埋めてもらえたのか?


 分からないまま全ては過ぎ去った。調査終了後、霧島たちの全てがお荷物と化していた教官たちは、その責務を放置することに解決を見出した。殺されなかっただけマシだろうとは思えるが、そう思えない時もある。疲れても眠れない深夜などは特にそうだ。そしてそんな時は、あの死体が、目の前で破裂した死体がどうなったのかが心から離れない。メイドたちに一風変わった料理として出されたのか、それともオブジェとして吊るされたのか、もしくはあの少女の皮を被った怪物に消滅させられたのか。美村に至っては、高田から聞かされただけなのだ。死んだ、と。事後調査など一切行われなかった。ただ美村は死んだとされた。霧島の知らない所で友達の死亡証明だけが発行され、それを信じろと言われた。


 できるわけがない。


 何度も霧島の夢に美村が出た。血を吸われた腐敗の姿で、あるいはイノシシの同類と化して。そうでなければ、あのカズの生首と共に霧島の無能を罵り、どうして助けてくれなかったと叫び続けた。その夢では地面に座らせられているのは霧島ただ一人で、意識がある間は夜が明けない。森の向こうが白んだかと思えばそれは大きな大きな月で、眼にした瞬間に空がまた黒くなる。霧島はただ耳を塞いで耐えるしかなかった――他に何ができる?


 座して成仏を祈った。何度も祈った。幾つかの過去の区切り、小説との決別、家族という呪わしい存在からの脱却はできても、あの時を共に過ごした友人の顔だけは、どうしても忘れられない。幻想郷という闇はどこまでも霧島を追いかける。あいつは慧音を好きになったのだ。花束を渡そうなんて、メチャクチャ古臭くて幻想郷ですら似合わないことでもやろうとした。それだったら、実は彼が生きていて未だにあの地を泣きながら彷徨っていると、妖怪に追われながら一人で寂しく暮らしていると、どうして言えないだろうか? 自分が間違いをしでかした気になってくる。何度もあの穴に戻らなければと考えたこともある。化物が平気で人間を食いちぎる場へと戻ろうという考えを起こしてしまう。


 だから霧島は無理やりバイトのシフトを入れ、空いた時間には体を動かした。どうしても埋めなければならなかった。この生活こそが自分に残された命綱だから、これをやめるなど不可能だった。バイト名義で入ることができたスーパーの仕事を軸に、霧島はどうにか生き延びようとした。最初こそ資格を取るか、何か大きな仕事をしようと考え、すぐに自分が偽名を用いた元犯罪者であることを思い出した。下手なことをして政府の人間に狙われるのも御免だし、今度こそ殺されるかもしれない。必然的に霧島は社会の底辺と真ん中辺りをうろつきながら、ただその日その日を過ごさなければならなくなった。海外になど出られず、国内ではヒト最低限の活動しかできない。それでも霧島は努力をした。美村を忘れ去り、幻想郷を葬り去る努力を。それが実るか実らないかはどうでもいい。ただ努力をしなければならないのだ。二十年も三十年も逃げ続けなければならないのだ。


 あるいは死ぬまで。


 インターホンが鳴る音で肩が跳ねた。


 誰かが来たに違いなかったが、誰だ? 大家の元には自分から出向くしもしかしたら新聞販売員かもしれない。無視しようか考えているうちにも音は鳴り続く。ぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーん。五月蝿い。こっちは疲れて汗臭いんだ、ちょっとぐらいそっとしておいてくれないか? 霧島は体に無理して立ち上がり――足の筋肉がずきんと痛む――ドアを開けようとする直前で、覗き穴から外を見てみた。


 メイドが廊下に立っている。


 これは幻覚か夢かと思った。汗が目に入る痛みでそうでないことがわかり、心臓が急激に重くなる。メイドがいる。扉一枚隔てたところにいるメイドは銀髪だが、日本人のようだ。いや本当に日本人か、奴らが化けているだけでは――


 復讐。


 霧島は倒れこむように後ろに下がると、シンクの扉を開けて包丁を掴み出した。戸を閉める時間ももどかしく、切っ先を扉に向けて振り返ると、既にメイドが目の前にいる。


「なんだ鍵開いてたのね。蹴破ろうかと思ってたけど、随分と無用心。それに部屋も汚いし……臭いわ」


 メイドが眼を周りに向けると、霧島はふらつく足取りで立ち上がり、包丁をメイドに向けた。手が震えて、声に力が篭らないのはわかっていたが、何もしない訳にはいかなかった。どうにかして主導権を取らなければ。せめて時間を稼がなければ。


「なに、何しに来た! 俺を殺しに来たのか! 館をメチャクチャにした仕返しか!?」


「そうではありませんわ。まあ落ち着いて下さいま――うん?」
 メイドが細い指を頭に当てると、困ったように眼をぱちぱち開閉した。それから後ろに眼をやると、アパートの階段を上がる金属製の音がする。二人分――足音が妙に重い。


「伏せていた方が良いですわね」
 霧島が考える間もなく、銀髪女中の手にはナイフが握られていた。霧島が手にしている包丁とは尖り具合も輝き加減も全く異なる、一定の用途にしか用いられない刃。物でなく人に向けるためだろうと霧島は考えた。言葉に従う間もなく戸口に男たちが二人現れる。二人とも坊主頭で、平凡なシャツとコーデュロイのパンツを履いていた。だが手にしている箱型の物体は何かしら不気味で、男たちの雰囲気と合わさって異様さを感じさせた。


「貴様何を――」
 男が全て口にする間もなく、メイドが男の腹に足をめり込ませていた。早い。男がげっとえずいて後ろに下がるがもう一人は即座に反応し、箱の先端をメイドへと向けた。突きがメイドの首に突き刺さる瞬間、少女は瞬時に男の背後に移動した。そして後ろの男の両肩にはナイフが刺さっている。悲鳴を上げた男が廊下を転がり、メイドが手を腹にやるのは同じ瞬間だった。メイドは柳眉を歪ませ何か呻き、その瞬間に最初の男が体勢を立て直している。落とした箱の代わりに足のナイフを抜いたシャツ男に、霧島が「やめろ!」と叫ぶと一瞬だけこちらに注意を向け――もう勝負はついた。さっきと同じように肩に突き刺さったナイフは男の体を廊下の壁に縫い付け、その手からサバイバルナイフがこぼれ落ちる。後ろにいた男の脇腹をヒールで突き刺すように踏みつけると、「ぐがッ」と嫌な声がした。メイドは呼吸を一つ二つして、何かを振り払うように頭を振った。


「さて、これで全部ですわね。行きましょうか。ちょっと惜しいですが、ナイフは残します」
 あれほどの立ち回りにも関わらずメイドが静かに口にすると、どこからともなく表れた蝙蝠がメイドの肩に飛び移った。
「あら、そうですか。では時間を止めて移動しましょうか……ただ、ちょっと不思議なんですよね。頭が痛むというか、神経が浮き上がるというか――やっぱりこっちで能力を使うといろいろ不都合が出ますわね。少々お待ちください、もう少しでお連れ致しますから」


「一体……一体なんなんだこいつらは。どこからやってきた? 何しに来たんだ?」
 結局一歩も動けなかった霧島が震えていると、メイドが若干首をかしげながら口にした。


「まあ、説明は後にしましょうか。あまり時間がありません……あらやだ」
 メイドは口を押さえた。霧島が眼をぱちくりする眼前で、メイドは自身のスカートを摘むと瀟洒に礼をした。紗蘭、という擬音がよく似合う。


「自己紹介が遅れまして申し訳ございません。わたくし紅魔館メイド長を勤める十六夜咲夜と申しますわ。本日レミリア・スカーレットお嬢様の言いつけに従いまして、霧島遼一様を幻想郷にお連れするために伺いました」
 言い終わると同時に肩の蝙蝠がキッと鋭く鳴いた。「こちら、レミリアお嬢様の化身である蝙蝠です。粗相をすると後で怖いですわよ」そう口にして咲夜は、足元に呻く男二人を転がしたまま、これ以上ないほど瀟洒な笑顔を見せた。


 こうして霧島と咲夜は出会った。



***



 東海林が橘の後に続いて部屋へと入ると、内部の声が一挙に止んだ。と言っても中にいるのは隊員二名と連れてこられた元調査部隊の二名だ。車椅子に乗った元傭兵と、喉が半分潰れ右腕がダメになった元囚人。囚人の方は見かねた傭兵が手当してやったのか、右腕に添え木らしいものがあててある。こんな奴らに幻想郷を任せていたのかと思うと反吐が出そうになる。部屋にはソファーが向かいあわせに置かれており、それぞれ篠田と高田の両名が座っていた。壁に張り付くように隊員が立っており肩には実弾装填済みの小銃がかかっている。橘は大きめの事務机にどっかりと腰を落ち着けると、厳かに口にした。


「おはよう、諸君。単刀直入だが、我々のグループをちょっと助けてもらいたい。断れば死ぬ」


 篠田は顔を強張らせたが、高田は平然としていた。「質問がありそうな顔だね?」と橘が高田を指差す。


「そうですね……まず、あなた方がどういった方なのか、お聞きしたいですね。今でこそ車椅子生活ですが、ちょっと前まで傭兵をしてたもんで、覆面したアホから――失礼――身分を隠した方からの依頼は何度も受けましたが、正直、それほど気分が良いわけではないので。それと、他にも何人か同僚がいると思うのですが、直に来るのでしょうか?」


「分かった。まず自己紹介からだ。私の名前は橘、このグループの指導者だ。と言っても家族会社みたいなものでね、社員も数名程度だ、それほど大きくはない。私の後ろにいるのは東海林、言うなれば副社長だ。何か話をしたい時は彼を通してもらっても構わん。で、だ。我々は《彼岸》という名前で通っている。ROCにも登録してあるから、機会があったらチェックしてみたまえ。もちろん部外秘の方だな。ローマ字で彼岸と登録してある。ハハ、最近は中東で大忙しでこっちの社交辞令を忘れそうだよ」
 すらすらと嘘を並び立てる橘に半ば感心しながら、東海林は資料を二人に配る。
「もしかすれば高田君の仕事と被っている部分もあるかもな。ここは《彼岸》の本部だ。私は社長みたいなもんだが……そうした呼び名はあまり好きではない。橘さんでいいよ。我々は政府の連中とは一線を画していてね、つまり奴らが出来なかったことを代わりにしようと思っている。平たく言えば、彼女たちが持っているものが欲しいんだ。資源。能力。妖怪。人間。ある物は全部欲しい。喉から手が出るほど欲しい。君等にはそれを手伝ってもらう。それでだ、君たちの友達は補足していたが、あいにくとロストしてしまってね。一人は死んだ。もう一人は行方不明。まったく困ったもんだ」


 高田と篠田の顔色が変わった。


「話によるとだな、死亡したのは熊谷とか言う。自殺だそうだよ。行方不明なのは霧島遼一だ。消息は捜索中。ところで、君らは友人グループで紅魔館に攻め込んだんだったね? その割にもう自殺するとはねえ、意外に脆いな」
 篠田の目が尖りを帯び始めてきたので、橘はゆっくりと付け足した。
「言っとくけど、私らは殺ってないよ。死なれちゃ困る」


「霧島の行方については、何かご存知ですか?」
 高田はのんびりと口にしたが――今回は、それが敢えて間延びさせたものだ、という印象を東海林は持った。橘がふうむと唸りながら笑う。


「残念ながら詳細は不明だ。だが、失踪の直前にウチの隊員によれば、メイド一人と一緒にいたらしい。何か知って――」


「紅魔館かッ!」
 叫んだのは篠田だった。がらがら声を無視して声を張り上げる。
「俺達に復讐しに来やがったんだ! とうとう来やがった! どうやって居場所なんか掴めたんだよ、畜生!」


「叫ぶのは構わないが、TPOを考えてくれ、君。私は大声が嫌いでね、次に叫んだら左も折るから。とすると、霧島君の居所は、その紅魔館と関係が深そうだね」


「ええ。あそこは怪物の巣です」
 付け加えたのは高田だ。
「あそこに友好的な生物は皆無だと思います。確認できたのはメイド型の生物だけでしたが、吸血鬼、魔女、それに悪魔も巣食っているそうです。それと、屋敷をまるごと破壊できる生物もいました。少女の形をしてましたが中身は怪獣です。人型の災害地域ですよ。……あいつが生きていればいいんですが」
 車椅子に乗った元傭兵は、顔を伏せた。本気で心配している様子だ。篠田は抑え切れない激怒に苦しめられているように顔を赤く歪ませていた。


「まさに危険度極高だな。資料にも書いてあるが、君等が入り込んだ際、全滅したグループの生き残りが拉致されたんだったね?」


「拉致されたのは斉藤だ」
 篠田が声を震わせて、顔を青ざめさせながら口にした。震える右腕を押さえると、強く顔をしかめた。
「吸血鬼に連れ去られたんだよ。間違いない。結局あいつは血を吸われて、俺達の前で自殺しちまった。霧島まで吸うつもりか、糞たれ。おまけに美村も殺された。あの人でなしどもが、きっと美村はバラバラにされて食われちまったよ」


 橘は腕組みをして考え込んでいた。


「美村や斉藤の二人が、そこで殺されたというのは確かだね? つまり……この国の人間が、異世界で、怪物に殺られてしまったと」


「奴らに殺したという意識があるかは疑問です。最初の西田班は爆撃にでも遭ったみたいになってました。殺すというより……その、壊すとか、ミキサーでかき混ぜるとか、デカイ手のひらでバンバン叩いたとか、そういうものでした。こうした考え方もできると思います。妖怪の中にも、人間をまともな知的生物として見ている奴と、動くおもちゃか虫ぐらいにしか見ていない連中に分かれてる、とか。一応幻想郷にも人里はあるのですが、妖怪たちの生息範囲が広すぎるので、おそらく人間を知らない妖怪もいる、とも考えられます。でなければ、倫理の構造が人間と違いすぎるかもしれません」


「怪物たちの楽園そのものだな」
 橘は呟くと、何かを考えこむように中空を見上げた。
「そこに我々も攻めこむわけだが、装備などについて具申したい点はあるかね?」


「自動小銃だけでは足りません。絶対」
 高田はさきほどまでの沈思を振り払ったように饒舌になった。
「我々が目撃したのは人型とイノシシのような獣型生物だけですが、虫型や鳥型も生息しているでしょう。熊に鰐に……龍とか神もいるでしょうね。これは個人的な考えですが、おそらく夢に出てくる生き物ならなんでも出てくると思います。空爆か何かで丸ごと焼き払って欲しいですよ。以前の調査では、拳銃と自動小銃で二グループに別れましたが、我々は命からがら逃げ出して、先に入った方はほぼ全滅でした。一応付け足しですが、我々の練度が足りなかったことも事実ですね」


「要するに我々は地獄に突入するというわけか。持っていけるものは全て持って行こう。ある程度は武器商人ともわたりがつけられるからな。個人で携帯できるものなら持ち込めると思う。物資などは穴の外にも保管できそうだからな、隠匿作業さえきちんとすれば奴らに見つかる心配はあるまい。ヘリや車両に重火器が使えないのが惜しいな。向こうの文明レベルは明治時代らしいから、予想の斜め上から一発お見舞いしたかったんだが。


 既に幾つか、資料を読んで彼女たちの特性に合わせた物も用意したが、まあそれはいい。君らの報告では、向こうに……あー、上白沢慧音と言ったか、人里にはああいう友好的な妖怪もいるのだったね? 紅魔館のような地域は看過できないが、人里を基点として行動するべきだろう。目的としては、直接的な意思疎通をするべきだろうな」
 言葉を終えると橘は、資料に目を通し始めた。もう用は終わったと言いたげではあったが、高田も篠田も動かずに座っていた。東海林もそうであるし、隊員たちも身動ぎしない。そのうちに篠田がぽつりと、膜を破るように口にした。


「終わったらさ、俺たちは報酬貰えるのか?」
 橘が理解できないというように眼を向けた。顔の汗を手で拭いながら続く。
「だからさ、政府の奴らは曲りなりにも俺たちに金をくれたじゃねえか。刑務所から出してくれたし、高田にはタダの病院を提供してくれた。でもさ、あんたらに協力して俺たちは何がもらえるかってんだ。一回終わったことをこんな風に蒸し返して、また地雷原歩けだなんて、それでタダじゃあ、無駄死にも程があるよ。ほんとに犬死にだ」


「君の脳みそはおもしろい構造しているな。一度割って中身を調べたい」
 篠田が身を竦めたのを見て、橘は笑った。後ろの隊員たちも笑った。
「そうだな、これが終わって、研究が終わったら……君に、我々の成果を明かしても良い。体験させても良いぐらいだ」


「研究?」


「率直に言おうか。私は奴らを解剖したいんだ。人間との違いを調べたい。その能力の源を――空を飛び、魔法を操る、ふざけた領域の実相を――解き明かしたい。妖精、妖怪、魔女、吸血鬼、巫女、龍。生物学としてのサンプルが手に入ったとしよう。うまくうまく事が運んだとしよう。それでも結果が出るまでには時間がかかるだろう。おかしくなるほどの長期間を我々は座して見守らねばならない。だが結末には、素晴らしいものが待ち受けていると予期している。これははじめて銃を発明した時、ダイナマイトを作り上げた時の歴史的過程そのものだ」


 橘の背中から得体の知れないものが立ち上りはじめていた。煙とも体臭ともつかないそれは次第に冷たさそして異常さを増していく橘の声を表していた。巨大な振動の如きそれはさながら巨人の唸り声とも言えた。伝説に出てくるタイタンの影を見ている心地になった篠田の後ろで兵士らは震えながら橘を凝視していた。橘は興奮ならぬ興奮を表に出しながら動き回る。拳を動かす。だがその根本は冷静で何の動きもなかった。高田はかつて相対したゲリラの指導者の空気をそこに感じて、東海林はそこに大成した大量殺人鬼を見て取った。いまや実際に部屋の空気は雰囲気は橘を中心に回り始めていた。渦であり大きくなりつつあった。それでいて生きていた。


「彼女たちの脳は我々にとっての慈雨だ。彼女たちの物は我らの物になる。既に遥かな幻想は現世に露出した。これを奴らに誰かに明け渡すことはできない。幻想郷を生贄にして私は力を得る。敵を一匹残らず殺し尽くす。地上において誰もできなかったことをしよう。この身は老いた。肌はやつれ身は細くなった。夢など腐り果てた――私は救いがたい傲慢だろう。悪魔の地に乗り込んで征服を宣言する。頭から食われて同然だ。破滅するに決まっている。だからどうした。私はひとりきりで滅びない! 私はもっと大きくなるぞ! あそこを捨てるわけにはいかない。武器を前にして手にしない兵士などいるものか、そんなことはない! 私は生きたまま竜巻になる。溶岩になる! そしてもっと奪うぞ! 殺すぞ! 生きて生きて生き延びてこの世をひっくり返すその日まで、生き続けてやろう! この世が地獄になるまで!」


 それは熱気であった。橘から立ち上る熱はなにかヒトガタの形を取りながら巨大なものを感じさせてそれは部屋の人間に吐き気を催させるものであった。兵士たちは全身を強張らせて息すらしていないように思える。橘の体は未だ震えていたが、それも収束に近づきつつあった。ソファの二人――篠田は顔面蒼白になっていた。資料は汗で汚れ、くにゃくにゃに曲がっていた。高田はこうした似非演説には慣れていたので眼をすがめて橘を見ていた。だが手にじっとりと汗が滲んでいるのを東海林は見逃さなかった。東海林自身も掌だけでなく、全身に汗をかいていた。心臓の動悸が安定しなくなり、毒物を飲まされた気になる。


「……以上だ。君たちには旅先案内人となってもらう。運が悪ければ黄泉へと、良ければ天界へとたどり着くだろう。そして我々と共に、あらゆる事象を越えた魁となるかもしれん。少し疲れたよ。何か質問はあるかね?」
 橘は深呼吸一つすると部屋を見回した。


「つまるところ我々は、大量破壊兵器用の資源を発掘する手伝いをさせられるというわけですか?」
 尋ねたのは高田だ。汗が一筋彼の頬を伝い、車椅子がキィキィ鳴った。橘はまっすぐ彼の眼を見据えたながら答えた。


「よく分かってるじゃないか」
 不遜な物言いにも橘は鰐の笑みで答え、次いで「君等は地雷発掘犬でもある」と言い放った。



***



 吸い込まれるような青空を目にすることと、実際に箒に乗って吸い込まれることとは、やはり段違いだと魔理沙はいつも思う。雲ひとつない青な海へと真っ逆さまに飛び込んでいく快感は、二度と戻れない一線を越える快楽にも繋がっている。その稀有な事実を知るのは生憎、新聞記者である射命丸文ぐらいでしかない。


 空は落ちてくるように青く、太陽はどこまでもどこまでも白い。物体すらまともに認識できなくなるほどの高速度で魔砲少女は空を駆ける。幻想郷上空三十メートルの其処には木々もなく妖怪もなく、全てが魔理沙のフィールド。ィンと鳴り続ける音は耳元であらゆる障害を己が突破したことを囁き、風圧が強ければ強くなるほど幼い魔女は自身の伸びしろを実感する。ただ速くもっと疾く、眼を閉じて目的を持たない疾走は彼女の果てまで続いていく。


 久しぶりの青空だった。眠り込んだ霊夢と別れてから数時間後、自宅に戻った後から魔理沙は空を飛び続けている。春の異変が終わってからは随分と穏やかになり、人の魂もめっきり見かけない。たまに浮遊しているのを見かける毛玉は魔理沙を見るとすぐに避難するだけ。妖精に至っては早すぎて気づかない。


 昨日までの魔理沙の生活は実験の一辺倒だった。魔導書の解読から材料調達・精製、そして大量の実験とレポート。その中身は閉空間内でも発射可能なマスタースパークの研究だった。狭い空間内での発射は魔理沙も被害を食うために使えなかったが、光線の成分変化と別元素の導入、それから発射プロトコルの改造で無害なようにいじくってみた。並行して進められたのは、玉のような形状をした爆弾そのもののレーザーだ。一定空間を巻き込んでレーザーをやたらめったらに発射するそれは、魔理沙自身にすら軌道の読めないビックリ箱だ。マスタースパークのような大出力ではないから、こちらの調整は楽に進んだ――そして結局、形になったのはボムボムレーザー(今名付けた)のみだった。インファイトスパーク(これも今名付けた)は、もし無害になるよう調整できたとしても、放出中はずっとフラッシュを焚いている程度にしか過ぎなくなることが判明したので、頓挫していだ。フラッシュ自体は何かにも応用できそうだったが、それを弾幕ごっこで続けても嫌がらせにしかならない。現在書庫の奥の奥にまで積まれているレポートの束は、おそらく何年かして思い出した時にしか見出されないだろう。研究とはそういうものだ。アイデアなんてそのうち向こうからヘコヘコ頭を下げてやってくるさ。


 だから魔理沙は気分転換を兼ねて、いつもの素晴らしい感覚そして自由を取り戻すために大空を飛び回っている。だがその自由さも、空というカンバスに馬鹿のように塗られた錆色のアートを眼にすることで邪魔される。どれだけ見ないふりをしても、一旦認識してしまえば気持ちの全てが無駄になる。他の空域では眼もくらむ青色を見せていた大空は、在る所まで来ると唐突に色を変える。だんだんと茶色と黒色の度合いが大きくなり、歪んだグラデーションは赤みすら塗りつけているようだ。平和とは対極にありそうな変色パートは、その部分だけが死を予感させた。攻撃的な色のモザイク模様に縁取られた空域では、粉のような鳥たちが群れて飛んでいた。最近魔理沙の家の近くでも見るようになった、カラスとサギの間の子みたいな奴だ。魔理沙は勝手にカギと名付けていたが、群れは互いに争っているらしく、見ている間に落ちていく。怒り狂った奴らは関係のない生き物(特に人型で箒に乗っている少女などそうだ)にも襲い掛かるから近寄りたくもない。正しい方向へ転換されるはずの気分はうんざりした雲模様に覆われていたが、この際だったので好奇心旺盛な魔理沙は穴を見てみることにした。どうせ霊夢は寝ているのだ。穴が封鎖される前に見られるものは見てしまおう。――ばったり別の人物と出くわしたのは変色空域の直前で、その人物は森から上がってきた。懸念だったカギたちは争いに飽きたらしく、どこかへ消えていた。変化は気温にすら及んでおり、涼しさを感じさせた空は突如として暖かさから暑さへと変貌し、何か蒸す感覚さえ感じさせた。


 樹木の間から上昇してきたのはアリス・マーガトロイドだった。傍には人形を複数体連れており、カギのような妖怪を警戒してか人形は槍や剣を携えていた。


「あら……魔理沙、奇遇ね。こんなところでどうしたの?」


「それはこっちの台詞でもあるが、ちょっとここの空が気になってな。明らかにさ、色ヤバイだろ。あれ」


「あぁ……」とアリスが見ると、苦虫を何匹も噛み潰した顔をした。
「やっぱり上まで来るとよく分かるわね。尋常じゃないわ。八雲の妖怪が走り回ってこれだもの、放置したらどうなるか分かったものじゃないわね、あの穴も」


 さては知らぬ顔して人形を潜り込ませていたな、と思いつつ魔理沙は出力を弱めていく。やがて噴き出す魔力が収束し、箒は音も立てずに静止した。
「とすると紫は暫く顔を出せそうにないんだな。あそこ見てみろよ。本当に汚くなったな。木まで枯れてる」
 魔理沙は下方の森を指さしたが、当該の茶色く変色した樹木は葉すら落とし、まさに枯死の有様を見せていた。周辺の藪や木々は焦げ茶色に似ており、遠くに視認できる樹木と比較すると胸焼けがする。どうやら土壌か樹木そのものにすら穴は影響を及ぼすらしい。生物については見なくても分かる。
「本当に酷いな……何か魔法の足しにあるものでもと思ったが、こんなのを使ったら全部ダメになっちまう」


 視力補助の魔法を用いながら改めて見ると、穴は一定の場所で静止しているようでありながら、その実ぐらりぐらりと揺れているようにも見えた。水面に無理やり穴を開けたように縁が揺れ、その周りには白くなり黒くなる光のようなものがゆらめいていた。直径は二メートルか三メートルか。確かに成人男性ならするりと通れる。穴と世界の境界線に触れたらどうなるのかはわからないが、影響力を鑑みるに良い結果に終わらないだろう。あそこから外来人がやってきたのか、と思うと無意識に喉を唾が通った。


 実際に穴を見るまで、魔理沙はそれと付随するいろいろな物を侮っていた。たかが幻想郷と外界をつなぐ出入口ができただけだ。霊夢と紫の手に負えない程度の通気口で、そこからは空気と音の他に、人が出入りするぐらい。それならこちらから、こっそりと行って帰ってきても誰にもバレはしない。外で面白い骨董品でもあったら盗ってこようか、と考えてすらいた。幻想郷の希少品は向こうの廉価品、向こうの絶滅危惧種はこちらでは多すぎて害虫扱い。それは生物だけでなく、鉱物、電子機械、文明の産物、そして未だ知らぬ魔術の秘儀とも直結する。幻想バランスという名の超均衡は、魔理沙に夢を見させるのには十分すぎた。しかし、あの穴は……何か、汚らしい。あるいは呪われている。様々な廃棄物と惨死した魔術たちで編み上げられた虚偽の入り口。多くのものの影響を受けたのだ。思考力を備えたとしても一向に不思議ではない。ふと、魔理沙の心に恐ろしい想像が芽生えた。あの穴に通じるのは現世の文明世界ではなく、実は地獄の一端だったら。もしくは辺獄でもいい。血の池地獄、針の山地獄、灼熱地獄、無数の魑魅魍魎の生息地と幻想郷が何かの間違いで連結されてしまい、向こうに住む生き物たちは、魔理沙のような鴨が包丁を携えてやってくるのを待ち構えている――


「――やっぱり、あの実験が影響したの、かしらね」
 アリスがやや小さくなった声を、胸に抱いた上海のリボンを触りながら発した。魔理沙は想像上の地獄から現実へと帰還し、改めてアリスの声に耳を傾けた。
「あんな禁呪を用いたからよ。見てよ、あの穴。周りに光が蟠ってるけれど、もしかしたらあれ、私達の術を取り込んだ残響かもしれないわ。超光度の光で対象を蒸発させる、範囲は町から小島まで……やっぱり、解くべきじゃなかったのね。何にでも理由があるんだから。魔術鍵が五重にも重なっている時点でおかしいと考えるべきだった。凍結して正解だったわ」


「仕方ないさ、もう穴は出来たんだ。ぼやいても始まらない。私達は私達で、できる事を――」
 途中で魔理沙の言葉が止まって、視線が一箇所に釘付けになる。人形師は魔理沙の視線につられてそちらを見た。


 魔法使いと人形使いが浮遊しているのは、出現した穴からおおよそ二十メートル離れた場所だ。天空は視界良好、穴やその向こうに見え隠れする地面――きっと向こうの世界のものだろう――が映っていた。穴の向こうに何かがちらりと見えた。それが横切った、と思った瞬間に、顔見知りが穴の向こうから出てきた。するりと、自然な動作で。髪を直すような何気ない仕草は、ともすれば見過ごしてしまいそうだった。


 彼女は十六夜咲夜であった。肩に蝙蝠を乗せた彼女は、何か汚いものに触れたように服を叩き、軽く頭を押さえてから、穴の向こうに手を振った。すると穴の向こうから伸びた足は幻想郷の土を踏んで、手が、服が、そして顔が、全体がこちらへとやってきた。不思議そうに辺りを見回してから、二人と一匹は咲夜の先導で森の向こうへと消えていった。魔理沙とアリスは暫くの間、一言も発せずに居た。


 どう見ても外来人だった。



***



「ようこそ紅魔館へ! 歓迎するよ!」と霧島の眼前、透き通る声で叫んだのは、帽子を被った青髪の少女だった。幼く見える――というより、本当に幼い。霧島は口を開けることも閉じることもできず、首を縦に振った。靴裏にある絨毯の感触が生々しい。


 アパートを出てから穴に連れられてくるまでが、ほんの一瞬だった。出たと思った瞬間にもう穴があった。唐突すぎて何の感慨も湧かなかったが、とにかくあの地獄への入り口が、再び霧島の前にあった。以前ここで設置されていたテントは影も形もなく、ここでキャンプしたことも幻覚のようだった。メイドは移動の直後、やはり頭を押さえて苦しそうにしたが、すぐに気を取り直すと穴の向こうへと案内した。逃げ出す選択肢もないではなかったが、ここで兵士たちに見つかったら本当に殺されそうな気がしたから、従うことにした。通ってきた幻想郷は……やはり、幻想郷だった。霧島の妄想とは異なり、不思議な色合いの森と空、そして後ろに穴があるだけ。新緑の匂いは鼻に届き、動物か妖怪かの声も遠くでする。昼間なのに神秘的な、幻想というものがあちこちに散りばめられた、幽霊や天使が行き来する町に足を踏み入れた気分だった。ここには悪魔も怪物もいる。それに……他の、彼がまだ知らない生き物も。完全なる未知なる世界は、もしも探検家や冒険家であれば勇んで乗り出すのかもしれないが、霧島は単なる元犯罪者で、そしてここは最も恐れるところだった。


 何に妨害されることもなく、二人は陸路を通って紅魔館へとやってきた。半ばトラウマに近い記憶に体を固まらせた霧島を紅い小部屋へと案内し、内装を見上げながら待っていた彼の所にやってきたのが前述の幼女である。ここで殺されるのか、と構えた瞬間に伸びやかな声がした。


「自己紹介ぐらいしたらどう?」と漆黒の羽が生えた少女は頬を膨らませた。感情に合わせてか、鋭く少女の背後を動きまわる物体を見て、やっぱり人間じゃないんだな――という考えが頭に入り込んできたが、それを落とした。
「ええと、霧島遼一です。その……大丈夫、ですよね?」
 窓際に配置されていた椅子に腰掛けながら、霧島は周りを見回した。緊張と不安のせいで、自分の言葉が全然足りていないことにも気づかなかった。メイド服こそ見えなかったが、あの妖精としての羽を生やし、光弾を用いて殺そうとしてきた少女の群れを考えていると、無性に不安に


(『馬鹿、ドアから離れろ!!』)


 なってくるのだ。少女はふふん、と鼻を鳴らすと鷹揚に口にした。


「大丈夫よ、今のあなたはお客様。裏口からコソコソ入り込んだこそ泥でない限りは身の安全は保証されるわ。
 私の名前はレミリア・スカーレット。この館、紅魔館の主よ。どう、スゴイでしょ? 五百歳の吸血鬼、永遠に幼い紅き月、とも呼ばれるの。何で昼間から起きてるか気になると思うけど、元々夜型だったんだけど、こういう所で暮らすんだから、良い機会と思って生活スタイルを変えたのよ」
ちっとも吸血鬼には見えない少女は、自信たっぷりに腕組みした。


「まあ私の前だからってそんな緊張しないで、力抜いたら? 見てらんないわよ」


「ええ、はい」と霧島は答えたが肩は強張ったままだった。それを言うなら、今の彼には知りたいこと、分からないことが山のようにあった。だが何から尋ねればいいのかすら頭から飛んでいる。君は何者なのか、両親はいないのか、この館は何なのか、どうして俺は連れてこられたのか――口に出しきれない様々な質問が入り乱れて、喉の入り口がつっかえた。ようやく出てきた言の葉も、後で思い返せば不満だらけだ。


「あの――どうして俺を、ここに連れてきたんですか? だって、」
 そこから先が思いつかなかった。
「その……前に、コソ泥でしたし。弱い人間ですし」


「ええとねえ、まあ簡単に言うとね、気に入ったのよ。あなたのこと」


「はっ?」
 眼を丸くした。そもそも自分に気に入られる要素があるのかどうか分からないし、あの戦闘をこんな少女に見られていたのだろうか?
「またどうして」


「ふふ。詳しくは企業秘密だけどね、あなたの立ち振る舞いとか、友達の事を考える姿勢とかがね、なんとなく好きなのよ。なんとなーく。だから一回こうしてお話してみたいと思ってね、こうしてご招待したってわけ。ご不満?」


 何も返せなかったので、「それじゃ、俺はこれから何をすればいいんですか?」と訊き返した。ひとまず命が保証されたことはありがたくて、肩の力がやや抜けた。次は、これからどうするかだ。


「ううん、別にしなくてもいいよ。お客様だもの。この部屋は自由に使っていいし、必要があったらメイドも呼んでいいから。仲が良い人ができたら語らいも自由。必要なら椅子や別テーブルも持ってこさせるわ。お茶やコーヒーは自由だし、ここにも置くわ。食事は朝の八時と昼の十二時半、夜は七時。欲しかったらお酒ぐらいなら用意できるから。あ、でも幻想郷だから、フランス産やポルトガル産のワインとかは難しいわね……日本酒や焼酎の方が用意しやすいわ。そうそう、夜中にはオーケストラをたまに開催してるの。今のトレンドはプリズムリバー楽団ね。彼女たちの演奏は本当に良いから是非来て欲しいんだけど……でもこれからはあなたがいるんだし、音があると眠るのに五月蝿いから、真夜中のお茶会の方がいいかしら。ああ、お風呂は――どうしようかしらね。メイドたちが使ってるのでいい? 混浴になるけど構わないわよね。着替えとかタオルも後で用意するわ。流石に男物の服ぐらいはすぐに用意するわよ。トイレは女性用しかないけど問題ないでしょ。それから――」


「ちょ、ちょっと待って、待って下さい!」
 レミリアは淀みなく喋り立てるが、霧島の心には不安が降り始めていた。ぱらぱらと注がれる黒い物体は心の表面を汚し、喉の奥で自己主張しはじめる。
「いつになったら出ていけばいいんですか? その、……穴の向こうにも家とかありますし、他の人に悪いですし、俺ここよく知りませんし」


「ああ、穴ならすぐに封鎖されるからいいわよ
 」霧島が目を丸くした傍で、勝手にベッドに腰を下ろしたレミリアはお構いなしに続ける。
「んーと、霊夢って巫女が気付いちゃってね、幻想郷の管理者みたいなもんなんだけど、もうすぐ穴はなくなりそう。だからあなたのこと呼んだの。まあ、確かに知らないことが多いから最初はちょっと窮屈かもしれないけれど、すぐに慣れるわ。人里だってあるし、買い出しもできるし。あと観光できそうな場所はそれなりにあるから、見てて飽きないとは思うわよ~。あっ、用事なかったら後でトランプしましょうよ。ババ抜き。大会でも開いたら面白いかも」


 何かがおかしい。何か根本的な所がズレている。目の前の少女と霧島の間には大きな差異があって、しかし彼はそれが分からずにいる。絶対に見過ごしてはならない、重大なことが。もしかすれば、と口を開いた。


「つまり――俺はずっとここに住むってことですか?」


「そういう事だけど?」


 ぐっと吐き気が喉元にこみ上げてきた。



***



 霧島はベッドに横になっていた。地震のように突き上げてきた視界のブレは収束してきたものの、吐き気は喉にひっかかって、簡単に落ちていきそうにはなかった。


 あれからレミリアは機関銃のように霧島に言葉をぶつけていった。幻想郷。紅魔館。咲夜。妖精メイド。図書館と門番、悪魔の妹……雨のように降り注ぐ単語と文章の前に、拒否や否定の言葉などすぐに消えていった。奇妙な威厳のようなものがレミリアにはあった。体こそ幼く見えるのだが、彼女が喋り出すとそれはどんなに適当なことであってもどこかに重みを持ち始め、それをひっくり返すことが野暮ったく思えるのだ。貴族、という言葉がまず最初に思い浮かんだ。言いたいことを全部言ったらしいレミリアはベッドから降りると、呆気に取られたままの霧島に手を振り部屋を出ていった。そして紅く塗られた部屋には消化不良の霧島と、少女の形にへこんだベッドがあるだけだった。することもなくベッドに腰を下ろすと、思ったより柔らかかった。思考が急成長する植物のように伸びてくる。


 これからどうすれば。


 霧島の中であらゆる想念が渦巻いていた。レミリアの奔放さに対する驚き。未だメイドに残る畏れ。ここを出なければという焦り。理不尽さに対する反発。穴への驚嘆と嫌悪。そして二度と見ることもないと考えていた幻想郷が眼前に蘇ったことに対する、胸焼けにも似た感情だった。ここで醜悪なものを目にした霧島でも、穴から出た後で幻想郷に対する想いは僅かながら存在していた。それを言うなら、収監されていた刑務所に対しても同じだった。どれほど凄まじい場所であろうと、立ち去る時にはそれなりの旅愁と慕情が胸を占めるものだ……それは何年経っても変わらない。それが一分足らずの間に蒸し返されたのである。二目と見られない貴重な生物が、部屋を埋めているのを目撃すると、こんな感覚を抱くかもしれない。行き場のない想いは出口を求めて胃の中をぐるぐると彷徨う。


 今日は色々なことがありすぎた。とにかくどうにかして眠ってしまいたかった。そうすれば時間は動き出すだろう。いずれはなんとかしてレミリアを説得するか、逃げなければならないが……そもそも穴が塞がれたらどん詰まりだ。袋小路に追い込まれる前に行動しなければ。


 眠りではなく思考へと霧島が引き伸ばされていく所へ、ノックの音が響いた。


「どうぞ」と声は出たが、いざ相手が入ってきたとしたらどうすればいいのか分からなかった。


 入室してきたのは十六夜咲夜だった。手には銀製のお盆と、紅茶とケーキらしきものが載っている。本人が銀製品の冷たさを感じさせるからだろうか、その居住まいはとても似合っていた。外では男たちを叩きのめした彼女が、今度は洋菓子を携えてきたギャップに霧島が唾を飲み込むと、「お嬢様からの伝言ですが、そろそろお菓子の時間ですので、これで甘いものを補給してね、とのことです。もし寝られるようでしたら、私がお起こししましょうか?」


「ああ……ええ、そうですね……うん」
 混乱した彼はベッドから立ち上がった。アパートでは長身に思えたメイドは意外と霧島より頭ひとつ分小さい。なぜか椅子を勧めようとして取りやめ、窓枠に手を置こうとして日差しの熱さに驚き――馬鹿馬鹿しい着ぐるみを被った気になってきた。咲夜が一切気にしないから、場違い感はより高まる。静々と彼女は机に盆を置いて、退出しようとした。綺麗に一礼をして。霧島もとりあえず頭を下げた。良かった。これで一人になれる。


 ころ。


 音がした。霧島の眼前――メイドから。音につられて見るとなしに洋風女中を見ていると、だんだんと彼女の顔が赤くなり始めた。表情は冷静を保っているものの、色合いだけ変わっていく。眼がお腹に向くと、慌てて盆でそこを覆った。顔を見ると、今度はさりげなく目を逸らして合わせない。メイド長は何も口にしないが、黙って退出もしない。こういう時にはどうするべきか、机の上にはケーキが置いてある。モンブランだ。まろやかな味は口で溶けて、喉を涼しげに流れていくだろう。食べる人間は、別に霧島でなくてもいい。


「これ、食べる?」
 うっかり口にした一言は、多分メイド長の鱗に触れることだったのだろう。彼女の顔がますます赤くなった。


「……お客様にお出しするものを、メイドが口にするわけにはいかないので」
 声にやや震えが混じっているが、流石に本職らしく、もう落ち着きを取り戻しはじめていた。赤らめた顔に少し手をあてた咲夜は咳払いをすると、改めて礼をした。


 ころろ。


 今度こそ顔が真っ赤になった。


 彼女は何を言う気力もないらしく急いで足をドアに向ける。霧島は慌てて言葉を投げた。


「いや、俺お腹空いてないから食べて欲しいんだよ。ほんと、ほんとに! あのさ、家を出る前にご飯食べたからさ。ええと、野菜炒め。うん。ご飯大盛り。それでもう腹が膨れててさ。それに残念だけどお菓子食べない主義なんだ。甘いの苦手で」
 咲夜の眼が訝しげなものになってきたのを見て、継ぐ言葉が更に早くなる。よくわからない枝に枝が接ぎ木され、数秒前までは予想できなかった、奇妙な色合いの木が出来上がっていく。
「あーあ、俺食べないから窓から捨てようかなあ。でもそしたらレミリアさんに悪いなー、それに地面も汚れるなー。床の上に落とすかもしれないなあ。不器用だし。だから食べてくれる人がいると大助かりなんだけど」
 口にしながらゆっくりと黄色いモンブランを机の端に寄せていく。それを見たメイドが血相を変えて近寄ってきた。本当に落とすと思ったのだろうか。


 霧島は近寄ってきたメイドに、持ち上げた皿を突き出した。胸の前に出されたそれを、咲夜は受け取るしかない。赤い顔の端で、切れ長の目が食べ物と霧島を行ったり来たりした。


「……とにかく、食ってくれ。周りの目が気になるならここで食べてもいいから。そんな腹空かせたまま働いたんじゃ、力出ないだろ。必要なら、俺が部屋を出る」
 言い尽くした霧島がベッドに腰かけると、咲夜の手はモンブランの皿を持ち上げたり下げたりしていたが、やがて、


「……いただきます」と口にした瞬間、モンブランは消えていた。皿のみがそこに残り、ケーキは一欠片も残っていない。一瞬で食べたにしては早すぎるし、動いたようには見えない。目を擦っていると、「メイドには秘密が多いのです」と、小鳥みたいな声で咲夜が笑った。ついでだからと紅茶もすすめたが、流石にそこまではと固辞され、霧島が口をつけた。アップルティー。リンゴの香りが鼻をくすぐり、柔らかい甘みが胃に降りていく。緊張が、ゆっくりほぐされていくのを感じた。


「それでは、粗相を致しまして申し訳ございませんでした」


「ああ、いや。……そうだな、今度は一緒にお菓子を食べよう。俺さ、こういう女性が多い所って慣れてないからさ、ぶっちゃけ話し相手が欲しいんだ。さっきのケーキの早業のコツとか、今度聞かせてくれよ。幻想郷で育ったんだろ? この世界のこと全然分からないからさ、色々教えてくれ。あの子……あー、レミリアさんの話はあちこち飛ぶから、よく分からなくてさ」
 咲夜はキョトンとしたかと思うと、もう一度微笑んだ。銀器に花を添えた笑顔で、綺麗だな、と霧島は素直に思った。そしてメイドは退出していった。紅茶を空けてからベッドに寝転ぶ。枕元のスタンドには典雅な造りの時計が置いてある。午後四時四十分。文字盤を見ていると瞼が下がってきたので、霧島は天井を向いて目を閉じた。


 眠りに落ち込む前にもう一度、咲夜の笑顔が蘇ってきた。



***



 それから六日間、人間世界と幻想郷では、同時に穴についての事態が進行していく。それぞれの人物と妖怪たちがそれぞれの思惑によって準備し、走り回り、考えこむ。だがその根底にあるのはやはり穴、二つの相反する世界を繋げてしまった入り口かつ出口に関する、際限のない事象。その裏側では境界の管理者が修復に躍起となり(この現象は幻想郷を危険にさらすだけではなく、八雲紫の自尊心をも汚す代物だったのだ――特に自分が冬眠している間に庭に汚物があったことを知らされたのは、大妖である彼女にとっては相当の衝撃だ)、その式は己の式に低級式神の操作を任せながら、主の助力をする。透明な式神たちについては吸血鬼が知っており、実は幾らか式神たちの数値を弄ることで穴の状況について盗み見していることなどを、彼女たちは知らない。ただ八雲紫の一派は、自分自身の存在意義すらかけて、マヨイガにて巨大な穴と戦うだけだ。


 その日の夜、表側では博麗霊夢が一日中寝こけてしまった自分に憤慨し、かつその怒りを戻って夕食を御馳走になろうとしていた魔理沙にぶつけている。烈火の如く怒る霊夢を魔理沙は宥めているが、これくらいの霊夢の方が、昼間の殺気立った彼女よりもずっと親しみやすい、と無意識のうちに感じている。同席していたアリスは人形たちに淹れさせた紅茶を飲みながら、紅魔館のメイドの紅茶にはなかなか敵わないと思っている。自分が淹れた紅茶には苦味が残るのだが、あの銀髪のメイドが淹れた代物は、その苦味すらが旨みになって昇華されている。いずれその秘訣について新しいフリルの編み方を教授すると同時に、教えを請わなくてはならない。そのうち怒ることに飽きた霊夢は二人を置いて穴へと向かい、穴近辺にやたらめったらと札を貼り付け、まさにこれでもかというぐらいの処置をしていく。その途中で手が止まるのは、本当に自分には巫女としての資格があるのか、レミリアの言うように勘が鈍り始めたのかもしれない――という恐ろしい考えが到来したためだ。霊夢はそれを振り払おうと躍起になり、表側の結界修復を進めていく。彼女の勘の狂いが穴の出現による、幻想郷の霊的バランス(あるいは幻想磁場と言い換えても良い)の移動によることなどを、霊夢は知らない。未来に自身の勘が方向性を取り戻したとしても、それを知ることはないだろう。穴は霊夢に黙して語らない。


 二日目、吸血鬼が居を構える館では、様々な催し物が未だに行われている。霧島歓迎パーティーは四十時間目を迎えた。参加者やスタッフの顔には流石に疲れが見えてくるのだが、それを知りつつもレミリアは全く頓着しない。数多くの乾杯とゲーム大会、プリズムリバー楽団によるオーケストラ、幻想郷中の酒を集めたきき酒コンテスト、一発芸など。それは多少の怯えを残しながら紅魔館に残っていた――逃げる隙がなかったとも言う――霧島も参加させられており、当事者である彼にもパーティーが今どうなっているのかよくわからない。厨房や次の芸をする役者たちが入っている控え室など嵐の只中だ。メイドに囲まれた彼は当初パニックに陥りかけたが、絶妙なタイミングで差し入れられた咲夜の紅茶を飲むことで落ち着いた。隠し味としてアルコールが何滴か垂らしてあったことは咲夜しか知らない。そしてクイズ大会での賞品(耳で見て、手で飛んで、黒くてかっこ良くてすべすべした小さい生き物なーんだ――答えは蝙蝠)を開けて、上等なカップ二つが出てきたことに驚く。スカーレットブランドと銘打たれたそれは紅色を基調としたカップで、取っ手の部分は黒く塗られており、まさにコウモリを思わせる。二つあるカップの一つが霧島、もうひとつの持ち主として銀髪のメイドが浮かんだところで、たまたまパーティーに顔を出していたフランドールがそれを掻っ攫った。体を強張らせる霧島に子どもの笑顔で笑いかける吸血妹。そのままフランは唐突にレミリアとのダンスに興じ、突発的なダンス大会が開かれる。動く動く動く。走れ走れ走れ。ただ意思だけが全てに先行し、後のものはただ後から追いすがる。メイド妖精や門番、そしてメイド長とも踊らなければならなくなった霧島はとても慌てるが、咲夜の指摘とステップで我を取り戻し、十数分のダンスの最後には割と本人なりに様になる踊りを見せるようになる――この瞬間、霧島は日本に帰ることも、紅魔館から抜け出すことも一瞬だけ忘れている。レミリアはそれを見て穏やかな笑みを浮かべたが、不意に手にしているグラスを飲みたくなくなり、メイドに無茶振りをして上物の酒瓶を人里から買ってこさせる。紅美鈴はメイド長が踊るなんて珍しいこともあるなあ、と思いながら料理に舌鼓を打っている。今日はやけに笑顔が多い。イタズラ好きな悪魔に図書館から引っ張りだされた魔女は、踊る代わりにダンスの教本を手にし、霧島の踊りには四十二箇所の間違いがあると指摘するが、霧島はダンスと手の感触で顔を真っ赤にして聞いておらず、他に耳に入れてくれる者もいないので、若干腹を立てた魔女は火の玉を少女と男にぶつけようとして吸血鬼と喧嘩する羽目になる。


 大騒ぎが一段落した後で霧島は、夜風に当たりたいと思って窓から顔を出す。視界に入るのはただの闇、闇、そして闇。遠くでは光弾が飛び交うのがたまに見えるが、それ以外は一切が暗い。ここがなんとなく日本の延長線上にあると思い込んでいた霧島は衝撃を受けて、己が未だにここから逃げ出していないことに恐れと自己嫌悪を覚える。そしてこの近くで死んだかもしれない美村のことを思い出し、居ても立っても居られない気分に陥る。そんな彼を見つけたのは十六夜咲夜で、給仕に疲れたらしい彼女も休憩のために出てきたところだった。咲夜が霧島に声をかけると、彼は強張った表情で、何でもないよ、と返す。心の機微に聡い咲夜は霧島が抱えているものをなんとなく感じ取って、時を止めて手ずから淹れた紅茶を霧島に差し出す。やはり唖然とした霧島はぼんやりと紅茶を受け取り、それを口にして――表情がどことなく緩んだのを見て、咲夜は嬉しくなる。人の笑顔、不安の消失、それこそが人に仕えるものの性分。少し口が軽くなった咲夜は、何か思うことがあったとしても、明日から始めればいいじゃありませんか、と口にする。今はお嬢様のパーティーの途中ですし、途中退席はお怒りの元ですよ、と。霧島は瞬間的に逡巡するが、そうだな、と頷いてカップを返す。咲夜はカップを厨房に置いた後で合流しようと思ったが、ついでだから一緒に歩きたいと霧島が言ったので、時間を止めることなく館の中を歩きまわることにする。少しの話と笑顔。朗らかな時間と共に。


 栞のように、彼らの生活のとある日の昼間、ピクニックが挟み込まれる。



***



 荷物持ちは霧島だった。持ち物はバスケットにレジャーシートに小型の椅子いくつか。重くないがかさばるので館から持ち出すのが大変だった。レミリアは先んじて鼻歌を歌いながら歩いて行くが、見かねた咲夜が途中で霧島の荷物を半分持ってくれた。ありがとうと霧島が言うと、どういたしましてと咲夜が笑顔になってちょっとの間顔から目をそらすのに力が必要だった。


 真昼間、そして晴天のピクニックということもありフランドールは欠席した。《光を浴びていると目が痛くなる》という理由だが、おそらく面倒くさいということもあるだろう。パチュリーは当然のように断って小悪魔と紅美鈴も仕事があるので遠慮した。そういうことで言い出しっぺのレミリア、客人の霧島、そしてお付きの咲夜が揃って館の裏手へと遠足を開始した。墓地を遠回りに過ぎ去ってしばらく草地を歩いていると、なだらかな丘が出てくる。その上までやってくると、きれいな湖の景色が見えてくる。水を飲みながら見ていると、水面に浮かぶ毛玉たちや妖精、それに無害(とレミリアは言った)な妖怪などがうろうろしていた。三十分ほどゆっくりと散歩をし、やがて丘の一角を目的地として三人が陣取ると、早速バスケットを開けた。


「自信作ですわ」と咲夜が言いながら中身を皿にあけていく。ツナサンドイッチにサラダと卵を挟んだサンド、それにできたてを思わす香ばしいパンがあったりパイもあったりと色とりどりである。おいしそうにかぶりつくレミリアを見ながら、霧島もサンドイッチを取り出して一口食べた。おいしい。



「満足そうで良かったです」と咲夜が、霧島を見ながら言った。


「俺、まだ何も言ってないけど」


「顔に書いてありますわ」


 顔が真っ赤になった。若人は感情調整がなってないねえ、と五百歳の吸血鬼が言いながら一つ目を食べ終わる。レミリアは二つ目に手を伸ばそうとしたが、早食いはいけませんわと咲夜にたしなめられて紅茶を啜った。霧島も紅茶を飲んで、すっきりした味わいだね、と今度は先んじて口に出した。それは良かった、と理想的な笑顔で咲夜が返す。


「どうだいこの丘は。眺めが良くてね、私はここが大好きなんだ。あっちには人里も見えるし山も見えるからね、景色が良いからいつもここに来ることにしている。サボったメイドたちも昼寝する時にここに来るってもっぱらの噂でさ、お前にも見せてやりたかったんだ」とレミリアが言った。霧島が言われてもう一度湖を見やると、透明な水質に魚が動くのが見えるし、遠くには地平線を思わす建物が見えたり木々や草原や山が一望できる。一言でいえば素敵だ。外ではこんな景色を想像したこともなかった。


「うん。俺もそう思うよ」
 霧島が言い、するとレミリアはニカッと歯を見せて笑った。この吸血鬼も今は子どもだけど、もっと成長したらずいぶんと美人になるかもなあ、と思いながら霧島は紅茶に目を落とした。準備を終えた咲夜が二人の横に正座座りになり、自分の紅茶を淹れた。


「俺さ、こうしてゆっくりする機会とか、あんまりなかったんだ」
 霧島は言った。レミリアが興味深げに彼を見やる。
「家庭の事情というか色々あって、ずっと忙しかったり、どこかに閉じ込められたりしてたのが多かったからさ、こうやってのんびり……って言うのは、なかったなあ。だから、すごくきれいだと思う。ここ」


「なるほどね。ま、私らもけっこう流れてきたタイプだから、こうしてひとところに落ち着いたのは、実は最近なんだよ。とにかくそれまでは放浪放浪また放浪でさ、その途中でこいつを拾った」とレミリアは言って咲夜を指した。当の咲夜は少し顔を赤くした。
「こいつを拾ったころは、まるでオオカミみたいでさ。とにかく凶暴だった。パンを渡したら投げつけるような女の子だったよ」


「お嬢様っ」


「咲夜さんが凶暴……へえ、そうだったんですか」
 素直に霧島は感心した。咲夜はその頃荒れていたのだろうが、それがここまで瀟洒なメイドになるとは思わなかった。そういえば、ぜんぜん咲夜の過去は知らないことに霧島は気づいた。ちらりと咲夜を横目で見る。レミリアに指されてやや恥ずかしそうにしている、綺麗な面立ちの少女がそこにいた。上はカチューシャに下はふんわりスカートと、非の打ち所のないメイド。その中にどんな過去が隠されているのか。


「もっと知りたい? 言おうかなあ、言っちゃおうかなあ」
 レミリアが半笑いで言うが、咲夜は怒ったように頬を膨らませた。


「そういうお嬢様こそ失敗が多いではないですか。この間フランお嬢様と喧嘩したのは、何が原因でしたっけ?」
 言うなりサンドイッチに手をつけようとしていたレミリアの手が止まった。タブーらしい。


「ちょ、咲夜、それ言う!? やめてよ! バラしてもいいことないって!」


「おやつのプリンに、チョコバーに、アイスに……それの奪い合いをして。おまけに虫歯が出来たとか大騒ぎもして……館中が上に下にの大騒ぎでしたよ、あれは」
 手をわたわたと動かして遮ろうとするレミリアの前で咲夜は告げた。レミリアは顔を真っ赤にすると霧島を見やって更に顔を赤くして、終いには咲夜に跳びかかった。きゃあと咲夜は倒れたが本気ではないらしく、猫のようにじゃれつきながら彼女の身体をくすぐっている。


「あはは、あはっ、お嬢様、やめてください、あふっんゃっ」
 聞いているのが恥ずかしくなる声で咲夜が言い、霧島が所在なさそうにしつつ横を見ると、氷精がいた。


 驚く霧島に氷精――名前は知らない――が声をかけた。


「ねえねえアンタ! これサンドイッチでしょ! 食べてもいい? いいよね! あたいちょっとお腹減ってたんだ! さっき弾幕ごっこしたらすげー汗かいてさあ! いただきます!」
 ちょっと、と霧島が止める間もなく氷精はバスケットからサンドイッチを取り上げるとかぶりついた。うまい! と言いながら咀嚼する氷精にレミリアが気づき、カーッと猫のように威嚇した。


「こらチルノ! いたなら声をかけなさい! それに人のサンドイッチ横取りするなんて何してるの!」まあまあと霧島がなだめる横で、ぶうと顔を膨らますチルノ。


「いいじゃん、レミィとかそのメイドと遊んでんだしさ、この人間紅茶ばっか飲んでんじゃん。だからあたいが食べたってバチは当たらないよ!」
 レミィって言うのやめなさい、とレミリアが反駁する。前にパチュリーと会話してたのを盗み聞きしたらしい。


「そうだよレミリアさん、ほらチルノ、俺のサンドイッチで良かったらあげるよ」
 チルノは目を輝かせてサンドイッチをもう一つもらった。そして急いで食べながらおいしいおいしいと言った。霧島は笑顔になったが、そこで咲夜がやや悲しげな顔をしているのが目に入った。


「それ……一番の自信作だったんです。朝早くに準備して、霧島様に、召し上がってもらおうと、思って……」
 咲夜の目がやや沈んだのを見て、霧島は失敗した、と思った。場の雰囲気が落ちていく。それを見たチルノが、ん! と食べかけのサンドイッチを突きだした。トマトが突き出ている。


「これおいしいよ! ハムとレタスがシャキシャキして、一緒の卵もうまいよ! だからアンタも食べてみて!」


「え、でも食べかけ」


「いいから!」
 チルノが構わず押し付ける、遠慮もできず霧島はそれを食べた。二度三度味わってみると、確かにうまい。さっきのよりも格別うまい。だからそれを声に出すと、チルノも咲夜も笑顔になった。


「いいねえ、リョウイチもチルノに慣れてきたじゃん。ちなみにそいつ、氷出せるからさ。天然の冷蔵庫になるし、この時期とか重宝するんだ」


「え、そうなんですか?」
 霧島が目をきょとんとさせていると、いいとも! とチルノが立ち上がった。
「何かするのか?」


「いっしゅくいっぱんのおんぎだ! アンタの像を作ってあげよう!」とチルノが大仰に言い、そして手のひらに冷たい何かを凝縮させていくと、突然草原の只中に氷の塊が出現した。それをチルノは手で剥ぎ取り、そして指で押し割っていく。チルノは集中して作業に勤しみ、咲夜は無言で紅茶を淹れた。差し出したので霧島は飲み、ほーっと息をついた所で大声でチルノが、「できたよ!」


 目の前にはヒトガタの像があった。ただし顔のバランスが取れておらずまるで福笑いみたいになっており、腕も足も細くて下手な泥人形のようだった。草地の上にきちんと立っているのが不思議なほどだ。どうだ! とチルノは自慢気に言ってレミリアが最初に吹き出した。そのまま大声で笑うので霧島も笑い、最後には霧島らしき像のグニャグニャの顔と霧島を見比べた咲夜が笑ってしまい、後には少し怒ったチルノが残された。


「なにさ、人がいっしょーけんめい作ったのに! こんにゃろう!」と言ってチルノが飛びついてきた。霧島は倒されて草地の上でもがくがチルノは離してくれない。霧島の胸に頭突きしたりぼこぼこと肩を殴ったりと忙しい。そのうち面白くなってきたレミリアが飛びついてじゃれはじめ、三人はこんがらがった状態で大笑いしながら転げまわった。そのうちなぜかチルノがくすぐられはじめ、霧島も加わりチルノは最後には降参した。覚えてろよ! と涙目で捨て台詞を吐きサンドイッチを一つ奪うと、湖で待っている他の妖精のところに飛んでいった。


 そのまま寝そべっていた霧島の真上に、グラスが差し出された。中身は赤い。ワインだろう。咲夜がさっきよりも色気のある顔でそれを差し出していた。本人はもう一杯やったらしい。


「いいのか、昼間から飲んで?」


「お客様の付き添いならば大丈夫ですわ」
 うふふと咲夜が杯を差し出すので霧島は受け取り飲んだ。さっきまで身体を動かしていたおかげか、早くも酔い始める。レミリアもワインに付き合い、そうして三人で小さい宴会が開かれた。霧島が一つ覚えてる歌を歌うと、レミリアが異国語でそれにまじった。ルーマニアの歌ですわ、と咲夜が耳打ちする。今度は咲夜の番だよ、とレミリアに言われた咲夜は、仕方なくこれもよくわからない言葉で短い歌を披露した。あとで聞いた所、ラテン語の歌だったらしい。


 時間がゆるゆると、しかし大きな流れとして過ぎ去っていく。楽しさもあり喜ばしさもあり、そして自然な時間が流れていた。


 久しぶりに霧島は楽しく時を過ごした。



***



 六日目、文明世界では、既に病気に対する予防接種やテントの設営は完了し、穴の周辺は前線の野営基地のような模様になってきている。穴を中心とした空き地に設営を完了した隊員たちは、残った時間を周辺地形の観察と、幻想郷事情の把握に努め、罠の設置と作戦ブリーフィングにあてた。衛生状態、水源の場所、予想される妖怪たちの生息地、現地の風習、言語習慣、天候、調べるべき事柄は多い。こちらとあちらに時差がないことは幸いだった。翌朝六時出発である本日は訓練もそこそこに切り上げ、兵士たちは既に就寝時間に入っている。残留は六十数名、出発の隊員らは十数名。八十ほどの兵士たちは各々がテント内の毛布に体を潜めながら、今回の仕事が終わったら橘から何が貰えるだろうかと考えながら眠っている。この共同体には給与というのが存在せず、保険もない。ある者は野球ボールを好むので、仕事の度に新しいボールを貰う。ある者は甘党なのでアイスクリームやチョコレートを欲しがる。だから彼は定期的なトレーニングと毎度の粗食にも関わらず、若干体重が太り気味で他の男達からからかわれる。ある者は病的なまでにボールペンの収集に努め、それを奪おうとする者は骨折を覚悟しなければならない。人間でありながら人間でない彼らは酒を知らず、女を知らず、銃とナイフと人骨と内臓しか知らない。たまにふざけて人脳を咀嚼することがあるので、頭についても結構知っているかもしれない。ヒトの脳を持つ家畜たちは、これからどれだけ平穏に過ごしても五十まで生きられないだろう彼らは、この部隊では一般的である。彼らは明朝から複数機能ギアに慣れたコンバットシューズ、一部の人間だけが持つ分隊支援火器、防塵ゴーグル、色とりどりの自動小銃、ナイフや予備弾倉幾つかをデイパックに封入。使用可能性を検証してある無線通信機やサバイバル用具を備えて幻想郷に乗り込むことになる。夢の中で好物・嗜好品を味わいながら彼らは、橘に褒めてもらうのを望んでいる。そこに他者などおらず、妖怪など影も形も存在せず、いるとすれば蹂躙される葦どもだけだ。超常など物の数ではない。氷だか気を操る少女など、所詮銃弾で穴だらけになれば死ぬ。いつも通り、いやもっと簡単な仕事だ。なにせそこでは迫撃砲もIEDもEFPも戦車も存在しない。待ち伏せもない。おそらく銃弾すら飛んでこないだろう。


 橘はぐるりと空き地を散歩をしながら、淡い光を放つ星と月を眺めている。《彼岸》で見かける星々には比べるまでもないが、この山から見上げる夜空もなかなか壮麗だ。昔は星を見る癖などなかったし、これからもあるわけがないと橘は思っていた。年を取ると色々なものが変わる。昔はただがむしゃらに、銃と爆薬で一人を潰すので手一杯だった。眼前の小銃と敵で精一杯だった。今は大ぶりの弾道ミサイルや病原菌のように、それ単体で何万を消し去れるものにより強く惹かれる。数か、地域か、あるいは国を消滅させることに憧れる。過去でさえも変化しはじめる。彼の価値観そのものを形作った出来事はどれだけの年月を経てもズレないだろうが、その他の瑣末なもの――例えば家族だった者たちとか、雪や太陽の情景など――はずるずる変わっていく。こうした夜中に寝付けなくなることも、ふらりと足が外に向くこともその一部だ。だからあてど無く歩きを進めながら橘は、兵士たちの明日からの働きについて考える。戦闘に慣れている。世間常識を除いては、どこに出しても恥ずかしくない一級品たち。彼らはみんな橘の子どもだ。産ませたわけではないが、彼が引き取り育て上げた。全員が立派な処刑人だ。ふと彼は、自分がどれくらい人を殺したのだろうと考える。設置されたライトの横を歩く橘の脳裏に三桁が浮かぶが、いやもっと多い。四桁……違う、やはり三桁だ。人骨の山に自分が立っていることを考えると誇らしい気分になる。彼らの犠牲がここまで彼を生かし育て上げた。間接的な食人を経て彼は完結に至る。後少しで、彼があの時から望んでいた、大量破壊兵器を超える力が手に入る。彼の子供たちを尖兵として、彼はどんな爆弾よりも、病原菌にも負けず劣らずの革命をこの身に浴びる。自由に彼は人間をすり潰せるようになる。随分昔に戦争狂というレベルは卒業した。もうそれほど、飛び交う銃弾や炸裂する火薬に興味を持たない。人体破壊にもさほどの関心を持たない。ただ、消滅させられればそれでいい。命を消し去る瞬間こそが至福だ。最後の足掻きが無駄に終わる刹那が彼を満たす。だから人間が肉を持たず、葦のようなものであるなら、鎌で一気に刈り取れるのだから楽だろうと本気で思っている。かくして大渦果てる暴虐の根源に至る最後の足場は、幻想に生きる少女たちの死骸だ。だが七十代を越した肉体は、彼が栄達の果実を味わえないようにしてしまうかもしれない。殺しすぎてたまにド忘れしてしまうが、彼もいずれは死ぬだろう。今は死神と握手して友人になっているに過ぎない。それでも彼の意志を継ぐ兵士たちが、橘亡き後も立派に混乱の渦に陥れてくれるだろう。鼻歌を歌う――子供の頃に耳にした、秋の童謡だ。彼が住んでいた地域は戦後の開発で灰色の地面に消え失せた。そこも含めて地球全てが更地になればいい。彼は人類が絶滅した後で、息子たちが殺しあって互いに消滅させあうことを祈る。彼はただ子どもを導く。静かな方へ。絶滅へ。生命が消えた後の地球には果たして音がするのだろうか? 老人は静かに暗さを歩き、穴に心を寄せる。


 同時刻、仮設テント内で書き物に勤しんでいた東海林は、これから殺すことになるだろう生物や、自分が殺されることについて考えている。ノートには書き写された少女たちの名前――博麗霊夢、霧雨魔理沙、フランドール・スカーレット、西行寺幽々子、橙。写真がないので特徴しか明記されていないが、共通点は全てが少女だ。よく分からないことに、西洋の妖怪もいるのに彼女たちは日本語を用いるらしい。そして妖精は実質的には死なない。ただ、《一回休み》になるだけだが、後で復活するのだという。学者が知ったら卒倒しそうな生物たちだが、彼にとっては単なる背景程度でしかない。化物社会では語学教育が発達しているのか? 復活など如何なる原理で起こりうるのか? どうでもいい。それから彼女たちがありとあらゆる手管で殺す事を想像してみる。死を操る程度の能力。全てを破壊する程度の能力。冷気を操る程度の能力。心臓発作に似ているのか。凍り付くのか。コーンフレークみたいに粉々になるのか。分からないことは山のようにあるし、おそらく肌で分かる日など永遠に来ないのではないか、と東海林は思い始めている。実際に自分が解体されたとしても、それを理解する知性が人類に備わっているかどうか疑わしい。では彼女たちは、幻想郷の生き物たちは、人類を超えた存在なのか。果たして……何だ? 神の一種か? 肉体を得た形而上学的生物か? ノートの裏側には、これとは別に書き留めなければならない書類があったが、今の東海林にはそこまでする気にはなれない。髪を弄りながら東海林は、未だに自分の延長線上にこの少女たちがいることが信じられずにいる。それと同時に彼は、少女たちの肉体や指先が、人間とはどのように異なるのかについても思いを巡らしている。自分用の貴重品袋には、縮んでミイラ化した人体の指や足先が詰め込まれている。人種を問わず、彼はこれらの品物たちをコレクションしてきた。増やすのが好きなのだ。《彼岸》にある東海林の部屋には、他にも乾燥させた爪や歯、骨の一部も置いてある。気に入った人の残骸らを残して、匂いを嗅いだり舐めてみたり、無理のない程度に齧ってみる程度も好きだ。金銭という彼が信頼できる物質の他に、心を寄せる唯一の趣味でもある。だから幻の中で生きていた少女たちの手足は、指は、人間と似ているのか、それとも異なるかがとても気になる。これは化学組成の問題ではない、東海林の感覚がとらえる問題だ。


 別テント内、捕虜テントでは篠田と高田の二人が、互いに手錠で繋がれながら脱走について話し合っている。ただしもっぱら話を持ちかけるのは篠田で、高田は首を振るだけだ。そもそも車椅子で逃げること自体が無謀だ。ギャグ映画なら銃で撃たれてもビックリするだけだが、現実なら自分の脳みそが飛び散って終わる。しかしこのままじゃ利用されてポイだぜ、幻想郷に投棄されるかもしれねえ、と篠田が返す。彼の喉はだいぶ元の調子を取り戻しつつあるが、右腕の激痛は脳を殴り続けている。そして篠田は一瞬、あの時投げ捨てた缶ビールを飲んでおけば良かった、と後悔する。その色を見て取った高田は、まだ殺されないんだから心配するなよ、状況が変わる可能性もある、と慰める。半分泣きそうになっていた篠田はそれを聞いて頷くが、泥のようにへばりつく不安が落ちるわけでもない。テント外で見張りをしている兵士は、中が五月蝿いので手に持った小銃であらかた撃ち殺してしまいたいのだが、橘がダメだというのでそうしない。こんな奴らに頼らずとも、自分たちなら妖怪どもを食い散らかせると考えている。


 熊谷だった物体は手の受傷が不可思議なので、検視官が検死解剖をするための手続きを進めており、その不毛な時間を袋の中で過ごしている。後ほど降りてくるだろう上からの指示は、熊谷の死骸をただ処分し、書類もシュレッダー処理することを命ずるだけだ。その命令を受けた検視官は不審に思うものの、なにせこの仕事は忙しい。だからすぐに熊谷は燃され忘れさられ、こうしてまたひとつ闇に葬られる。


 人々と妖怪は自分の舞踏と失態とヘマと愚行に気づかず、ただ思惑を乗せた夜は更けていく。月はどの世界にも相変わらずあり、色も悲しいほど似ている。単に通行不可能にしたのだから、地上にある以上当たり前だが。しかし文明世界と幻想郷では星の明るさが違う。月が備える意味合いが違う。文明世界において月とは単なる惑星で、星条旗の痕跡が残るだけ。幻想郷という閉鎖世界では、そこには敵対する種族が住んでおり、八雲紫が知る綿月姉妹という仇敵が、地上に住む八意永琳を考えながら眠っている筈である。それならば太陽が備える意味合いも違わないと、言えないとも限らない。夜は朝に役割を譲って眠りにつく。朝は眼を覚まし、それ自身しか持たない明るさと溌剌さを以って全てを照らすだけだ。そして時刻は上がり星は移り、朝が来る。


 最初に彼らを見つけるのは博麗霊夢だ。



***



 穴が出来てからというもの、霊夢には日課が増えた。穴の見回りと警告札の追加、同時に結界の集中的な補修。朝に起きるタイプの霊夢は、身支度と最低限の掃き掃除を終えてから穴へと向かうので、おおよそ六時頃にそこへと到着する。穴の補修と言っても真に問題なのは紫と藍が担当している裏空間方面なので、霊夢としては妖怪たちを牽制しながら穴の広がりを水場で食い止める、ぐらいの仕事しかない。一度あちらの様子を窺った事があるのだが、裏空間内は傷まみれの壁や天井に、穴から吹き出した膿がこびりついて変質しかけている状況だった。裏での穴は一風変わった入り口にも似た表とは姿が異なり、化膿しきった傷口も同然で、そこら中に汚物をまき散らしていた。自身も膿に塗れた紫は自分の視界と腕を増やし、八ヶ所の穴や傷に指と爪で修正を加えながら、脳の容量を四倍に増やした藍の式神頭脳をフル回転させつつ次回と次々回の修正候補を探っていた。一箇所一箇所が悪性の癌腫瘍みたいなもので、転移を警戒しながら適切な薬品投与を行わないとすぐに爆発的に増大するのだという。あの紫が自己改造すらしないと御しきれない存在がある、というのが霊夢にはショックだった。三途の川の幅をも計算しきれるスペックを持つ藍でさえ追いつかないのだから、霊夢では尚更だ。異能の人間だとしても、所詮は少女の体を備えた存在だ。頭の働きにも限度がある。目で追っているだけで一生分かかりそうな計算式の補正と追加処理など、困るしかない。


 考えていると段々腹が立ってきた。妖怪たちに穴の存在を伝達した日など、日中ずっと眠ってしまっていたのだ。後で布団をかけた咲夜に文句を言ったが、大事な時期に体壊すよりマシでしょ、と言われてぐうの音も出なかった。夕方には境内がゴミだらけになるわ、表側の穴の処置ができずに紫に迷惑をかけるわで散々だった。今度から絶対に眠らないようにしよう、と霊夢は穴のところに降りようとして――止まった。


 向こうから悪鬼の群れが押し寄せてくる。


 これを告げたのは霊夢の勘だ。弾幕ごっこの時の攻撃手段のみならず、日常生活や妖怪撲滅の助けにもなる。妖怪の牙と爪を察知し、魔理沙のドッキリを知らせてくれるその第六感が、警報を発していた。向こうから来る何かは大勢で、しかも幻想郷に悪意を撒き散らすためにやってくると。スペルカードを取り出した。口が勝手に夢想封印を宣言しようとして――止まった。未だ出てきてはいない。しかし直に悪い者たちは飛び出してくるだろう。先手を打って、顔を出した瞬間にタコ殴りにすれば良い。


 だがこの時ばかりは霊夢も迷った。もし何かが出てくるにしても、それらは十中八九人間だ。それを博麗の巫女が害して良いのか? 殺していいのか? 無論幻想郷にも邪悪な人間はいるし、殺人事件も発生する。ただそういうのは大抵妖怪たちが勝手に処理してくれるし、里でも解決してくれる。霊夢が出張る必要などなかったし、巫女としての仕事を全うするための説明を紫から受けている時、そうした場合についても一切触れられなかった。ならどうすれば? この行為は幻想郷のバランスに影響を与えるか? 与えないか? もし彼らを殺した場合、幻想郷側から人間世界への反発と言う波となり、結界にゆらぎを起こすのでは? それはあの指数的に増幅しつつある穴に影響を与えるのでは――ひいては紫の手に負えなくなるのではないか。穴から伝搬する暑さのせいで汗が垂れる。普段の霊夢なら問答無用で仕掛けていたかもしれないが、ここにいるのは一度吸血鬼に否定され、己の勘に疑問を見るようになった、迷える少女だった。あの吸血鬼の言葉は未だに棘となり、霊夢の心に絡みついている。そして迷っているうちに人々は穴を越えてしまった。


 優雅と言える足取りで幻想郷に踏み込んだのは、木のような老人だった。何はばかること無くまっすぐに立ち、どこか巨木を思わせるような翁は空を見上げ、すぐに霊夢に気付いた。手招きをして霊夢を呼び寄せようとした所で、霊夢の向こうに眼が移った。一秒後には魔理沙がカギと呼ぶ生物が二羽、老人に向かって突進していた。醜悪な鳥どもは霊夢には目もくれず、ただひたすらに老人の肉を啄もうと突進する。生物たちの行動が早すぎて札も、針も取り出すのが遅すぎた。警告でも発しようと口を開いた途端に、聞いたことのない轟音が霊夢の耳を打った。刹那の間は思考が停止し、そのせいで老人が腰にある拳銃でカギを撃ち落とす場面を見そこねた。視野に入るものが意味をなさなくなったその瞬間に、老人の手は神速で腰へと伸び、ホルスターの拳銃を掴みあげ、的を直視し、正確に二発の射撃を完結させ。霊夢の声帯が動いた時には、頭が爆発した鳥たちが墜落しはじめており、それらは勢いそのままに、殺すつもりであった老人を飛び越え後方の森へと突っ込んだ。そして穴からは轟音に引き続いて男たちが流れ込み、老人を守るように円を描く――だが狂った鳥たちは最早来ずに、轟音の名残だけが霊夢の耳に残っていた。霊夢が瞬きもせずに老人を見つめていると、老人はゆっくりとした動きで手にした武器を、腰の入れ物みたいなところに仕舞っていた。そして巫女を見上げると、声をかけた。


「お嬢さん、お嬢さん。こんにちは。巫女さんかね? 空を飛ぶなんて、もしかして、博麗さんかい?」



***



 男たちは居間へと通された。先日魔理沙を含めた少女たちが話をしていった場所であるが、そこに外来の人間たちを招くというのは、霊夢にとって何かひっかかりが感じられた。最初に勘が発した黒い影が、それを増幅させているかもしれない。霊夢がお茶菓子や茶を出すと、正座していた橘という翁と、その橘よりも頭ひとつ高い、東海林という男。それから車椅子に乗った高田、それに篠田という人間が頭を下げた。高田と篠田は霊夢を見つめていたが、声をかけようとはしない。他の、なんだか顔が似通った人間たちは殆ど外に出ており、各々が境内で待機している。


 結局霊夢は、ひとまず彼らの話を聞いてみることにした。どのような目的で来たかも分からないので、まずは話を聞いておいて、ピンと来るものや危険だと判断した場合、追い出せばいいのだ。相手は人間で、霊夢のように空も飛べず、弾幕ごっこも初見に違いない。スペルカードの一枚でもぶつけてやれば、泡を食って逃げていくだろう。勘の叫びは霊夢の中で未だに発令中だったが、それについては蓋をして覆い隠すことにした。まさか穴がある場所で話すわけにもいかないので、やはりここに寄せることになった。背嚢内の容器に鳥たちの死骸を収めた男たちは、自動小銃という名の器物を構えながら霊夢についてきた。


「それで、あんたがこのグループのリーダーって訳ね?」
 霊夢は単刀直入に橘に尋ねた。こういう時は変に考えこむよりも、スパッと切り込んだ方がうまくいく。橘は神妙な顔つきで頷いた。
「私は博麗霊夢。この神社の巫女で、幻想郷の規律を担当しているわ。簡単に言うと、幻想郷での問題を一律に解決する存在なの。だから、私はあんたらがここで問題を起こすのを是としない」霊夢は鋭く橘を睨み据えた。「何か事を起こすんだったら、あんたらまとめてとっちめるわよ」


「物騒な義務にしては、随分可愛げのあるお嬢さんですね」
 東海林が横から口を挟むと、カチンと来た霊夢は彼を睨みつけた。橘が苦笑いで手を振る。


「いや怖い怖い。だけど霊夢さん、そんな心配しなくても良いよ。私達は君たちを諍いを起こしたくない」
 目尻を下げて、七福神もかくやという表情で彼が言った。
「私達は君たちと交流がしたいんだ。前に来た連中は、その……よく分からなかったからね、色々と迷惑をかけたかもしれない。それについては君も知ってるだろう。だからその分、私達が幻想郷のことを良く知って、他の人に広めたい。そうすれば、誰もここを誤解しなくなる。それに君たちも、外のことについて色々と知ることができる」
 これでどうだ、と言わんばかりに橘は両手を広げた。好々爺然とした調子の男だが、霊夢は未だにこの老人を好きになれなかった。この男からは怒り狂った雀蜂か、もしくは決壊寸前の堤防のような臭いがする。


「それじゃ……具体的に何がしたいの?」


「人里を中心とした交流活動ですが、妖怪らが生息している地域への、若干の立ち入りも検討しています」
 静かに東海林が話し始めた。霊夢はこの男からも、橘に似た感じがして好きにはなれない。橘が爆発物なら、こちらは毒物の嫌悪感だ。放っておくと家を食い散らかす虫のようだ。
「現在挙がっているのは、紅魔館、永遠亭、太陽の畑、魔法の森、妖怪の山ですね。無論、危険な真似はしないと確約しますが」


「却下。妖怪たちがいる地域への立ち入りは禁ずるわ。あんたらにその気がなくても、あいつらがケンカ売るかもしれないし。流血沙汰は避けたいの」


「我々も重々承知しているよ、ちゃんとガイドさんの誘導には従う」
 だが橘の目付きは、そのガイドが必要な間だけだが、と注釈していた。
「とすると、人里に向かうのが一番手っ取り早いな。人間たちがたくさんいるんだろう? 社会を作ってるんだ、問題はないに違いない。ここには以前の調査に参加した人間がいるのだが」橘は顎で高田と篠田を示した。二人が再び頭を下げる。
「彼らの知己もいるようだから、案内してもらおうと思ってね」


「ってことは、あんたらが紅魔館を攻撃したのね? あんな無茶するなんて」
 以前の出来事を思い出して、霊夢の声色が自然と刺々しくなった。
「あそこで全滅していてもおかしくなかったのよ? 一体何考えてるの」


「ダチが捕まっていてね、行くしかなかったんだ」
 畳の上で車椅子を揺らしながら、高田が口にした。まっすぐ霊夢を見て、衒いがない。
「俺たちだって人間だ、友人を思いやる姿勢は持っているんだよ。それに紅魔館には、おそらくひとり――」


「人里への進入は許可してくれるのかい?」
 露骨に橘が立ち入ってきたが、篠田が険悪な眼を向けただけで、場は続く。
「流石に我々の立場として、そこくらいは行けないと困るよ」


 こいつらの立場など知ったことではなかったが、確かに人里の出入りなら問題はなさそうだった。紅魔館の連中を立ち入らせないようにすれば、問題も起きないだろう。ただ、この男たちに許可を下すことが果たして良いことなのか、霊夢には躊躇われるものがあった。もしこいつらが里の出入りに応じて域外へと突出するようになれば?


 無茶や無謀を敢行して死人が出れば? 霊夢の勘はより音量を大きくしている。口を閉じた霊夢は、橘が身を乗り出している目の前で、やはり否定の言葉をぶつけようとした。


 その寸前、目の前に紫色の空間が裂けた。


「お話中失礼致しますわ。姿を見せられないご無礼、また会談を盗み聞きしていた無体についてもご了解下さいまし」
 空間からは霊夢に先駆けて声が漏れてきた。明朗とした声で、大空洞かどこかで喋っているようだ。
「皆様方お初にお目にかかります、わたくし八雲紫と申します。この幻想郷を司る結界の管理責任者でございまして、現在は非常に無常に多忙であるため声だけの挨拶となりますわ」


「ちょっと紫、あんた勝手に口出しして――」


「この子は如何せん不真面目な部分が多々ございまして」
 霊夢側に向いた空間から、一つの扇子が飛び出して霊夢の口に当てられた。驚きもあってか反射的に口が閉じてしまう。
「重要な部分については、わたくしが注釈致します。貴殿の部隊については、人里への立ち入りを許可します。また周辺地域も許可致しますわ。妖怪出没地域については、各自巫女とのご相談の上行動なさりますよう。思わぬ落とし穴があるやもしれません故。近日稗田阿求執筆の『幻想郷縁起』が出版されますので、お時間赦しますればそちらもお買い求め下さい」


「承知致しました。ところで、一つご相談が」


「なんなりと」


「実は以前にこちらの人員がここの紅魔館を訪問した時なのですが、手違いで死人が出てしまいましてな、できれば直接伺って、詳細を確認したいのですが」


「許可します。そこには今現在、外からの人が来られておりますので、その方とお話なさると宜しいかと」


 篠田と高田の表情が変わった。高田は目を見張り、篠田は両手を握りしめた。


「その者の名は?」


「霧島と言うようです」
 両名が顔を見合わせた。東海林はメモにペンを走らせている。
「客人として招待されているようで、丁重に扱われているようですわ。三食昼寝付きにデザートあり。最近はパーティーが下火になってきて、館の主人による百人一首ならず百人ババ抜き大会が催されているようです」


「贅沢に暮らしてるな、あの野郎め」
 早くも涙ぐみ始めた篠田を見て、高田が笑みを浮かべた。彼の眼の端にも何かがこみ上げているのだが、霊夢は無意識に見ない振りをした。それから、外の人間でも泣いたり怒ったりすることがあるのか、と思い――不意に、己がどれほど外界について無知なのかについて思い知らされた。霊夢は何度も迷い込んだ外来人を外に出す手伝いをしたことがある。だが外来人は霊夢と目を合わせることもなく、だんまりを決め込んでいる。そして霊夢もそんなぶしつけな輩とは話す必要性を感じず、ただ駐車整理のようにあっちこっちに向かわせるだけだ。だからそんな彼女にとって、それは新鮮な驚きでもあった。同時にそれは、橘のような存在がいることへの嫌悪にも変質していく。


「そうですか。では後日、巫女殿と相談の上で紅魔館に伺いたいと思います。霧島君の証言や、他の紅魔館側の話も伺いたい。文化交流も大事ですが、この事件に対する真意を究明することも、外の世界の人間の役目です」


「そうで御座いますか。それと、もう一点……失礼致します」


 不意に、空間の中から何かが伸びてくると、橘の顔面に覆いかぶさるように広がった。それは灰色の糸コンニャクのようにも、エイのようにも見える物体で、のっぺりとした形のそれは不可思議に見える。腰を浮かべた東海林が腰のナイフを抜こうとし、残っていた兵士二人は既に小銃を向けている――止めたのは橘だ。彼が制止するように手を上げると兵士は止まり、東海林は穴と橘を見比べてから、やがてナイフから手を離した。

「害する積りではないのでしょう?」
 問うのは橘。


「その通りでございますわ。《お話》をさせていただこうかと」答えるのは紫。


「承知した」と橘は、躊躇いなく穴から伸びてきた、何かの触手らしいものを顔面に被せた。兵士たちと同じほどに霊夢も緊張し、今ここで何らかの行動を起こすべきかと躊躇した――だがこれが何を意味するか分からない。紫はかつて、こんな行動を霊夢の前で取ったことはなかった。未だに眼は霊夢から離れず、彼女の行動を戒めているようだ。


 どこか魚のように平べったいものを被ったまま、橘の喉が何度か動いた。頭も揺れたり震えたり忙しないが、その両手は拳を作っては開かれ、また握りこぶしとなる。状況が読めない男たちは座してはいたが、決して緊張を崩そうとはしない。やがて橘の体に一つ、二つの震えが走ると、触手らはゆっくりと橘の顔から離れた。にゅん、と音を立てて触手は穴へと戻っていき、老人は汗をかいたというように顔を腕で拭った。傷はどこにもない。その表情にどこか暗く、憤りのようなものが揺れては消えたのを霊夢の眼は見て取った。


 橘の顔はすぐに好々爺然としたものに変わり、「では御機嫌よう」という声と共に隙間は閉じられた。


「特に問題はない。二、三の注意点と時間制限を伺っただけだ」
 橘は首をごきりごきりと鳴らす。
「我々が通ってきた出入り口はイレギュラーなもので、現在それをなくすための工事中だ。残り時間は十日と十二時間四十三秒、それ以降は穴が消えて、通行不可になるとさ」
 東海林が素早くメモを走らせているのを横目にしながら橘は、霊夢へと優しい――ある意味では優しさを装った――眼を向けた。


「それでは博麗さん、そろそろ出発しようと思うのだが、構わないかね?」



***



 スキマを閉じた八雲紫は、大きくため息をついて椅子に腰掛けた。さっきまでの作業とは異なる疲労を感じていた。悪意剥き出しの、それも外部からの人間と紙一重の会談をするというのは、幻想郷内での折衝とは訳が違う。賢者が聞いて呆れるわね、とごちながら上を向いた。


 空間内の上部では八雲藍が、次第に肥大化しつつあった穴の第三文節に力を注いでいた。穴は――つい先程まではただの空間であった。ぽっかりと空いた空洞と言っても良かった。だがそこはいつのまにか形を備え、物質化した触手を伸ばし始めている。その色合いは狂人の絵画のように取り留めもなく、乱雑なものだった。糸の群れは四方八方に伸びては己の領域を拡大しようとしている。藍はそれを食い止めようと力を使っているのだが、つい今しがた穴が備えた、新型の妖力障壁を破壊されたばかりだ。こちらが努力すればするほど向こうは、それに相反した属性を持ち始めるのだ。すでに生物化しているとしか思えない進化ぶりには舌を巻くばかりだ。紫が指を振って障壁を除去すると、今度は簡単に毒素が注入されていく。だがこの毒素にも、穴は新しい抗体を発明するだろう。そうすればまた、新しい毒を開発しなくてはならない。イタチごっこもここまで来るとお笑い種だ。発明の効果が数時間足らずで無に帰すこの世界は、まともな精神で立ち向かえる場所ではない。少なくとも霊夢を呼ぶべきではない。


「藍! 藍、少し休憩にしましょう――あなた、また予備の妖力媒体を使ったわね? 尻尾が二尾、萎んでるわよ」
 紫が声をかけると、空間内の上空に浮遊していた八雲藍が降りてきた。藍も紫に負けず劣らず根を詰めていることは理解できるのだが、なにせこのような露出点が百ヶ所を超えているのだ。一つに全力を注ぐのは勿論だが、どうにかやりくりしていかないと、紫ほどの妖怪でもとても保たない。彼女に劣る藍では尚更だ。紫は水滴型の式神として加工した、警戒用兼妨害用の警備装置を散布し、洋式の椅子を座布団に変える。彼女が眼を閉じて場所をイメージすると、目の前にあるのはマヨイガの風景、卓袱台の上には淹れたてのお茶と水羊羹が置いてある。遅ればせながら藍が紫の想像空間へと着地し、対面の座布団に正座する。水羊羹は里の和菓子屋で評判の一品だ。お金を置く手間も惜しいのでそのまま失敬してしまったが、後でこっそり宝石の原石を置いておくつもりだ。ちなみに彼女のこうした癖は里でも認知されており、何気なく各店ごとに予備の一品が用意されている。


「いや、参りましたね。まる三日寝ずに続けていると、さすがに私でも消耗します。尻尾も後で膨らませないと」
 お茶を飲んで一息ついた藍が、自分の萎んだ尻尾に手をやる。いつもは豊かな彼女の金色のそれだが、今日に限っては箒が水を含んだようにしなしなとなり、頼りなく見える。紫は羊羹に楊枝を刺しつつ、一時的に自分の姿を改造前に戻した。――腕や目が複数あるのは見た目が良くないし、神経も通じているから、休んだ気になれない。


「無理させて悪いわね、藍。これについては気づかなかった私の責任でもあるんだから、後でマッサージしてあげるわ」


 主の言葉に藍はニコリと頷いた。普段は聞けない労いの言葉だからだろうか、藍の頬にも若干赤みが差している。


「いいんですよ。紫様が冬眠中に気づくことのできなかった私も愚かでした。きっと通常のルーチンに縛られすぎてて、思考や視覚視野が狭まっていたんだと思います。後で自己調整しますよ」
 自分の頭に手を触れた藍は、そこで気づいたかのように、己の頭を少しずつ縮めていく。紫は自分で改造しておいて何だが、やはり体より頭の比率が大きいとコケシのように見えてきて、あまり魅力的に見えない。後で見た目を損なわないように改造しなくちゃ、と紫は考えた。
「私のサブブレインの効率が高くなれば、紫様の能率も四倍ほど高くなると思います」


「それ以上頭が膨らんだら破裂しちゃうわね。橙に見せたら大泣きするわよ、あの子」
 まだ子どもっぽい自分の式神を思い浮かべてか、藍はあははと苦笑いした。二つ目の羊羹を口に含ませながら、そういえば橙はうまくやってるかしらと思考を伸ばした。それに感づいた藍が、あの子なら心配ありませんよ、と先んじた。


「十五分前に定期連絡が入りました。他地域での穴の伝染は見られないようです。不幸中の幸いですね。それと、紅魔館の連中は動く気配がないようです」


 藍の顔から穏やかそうな笑顔が消えて、紫も表情を静かに戻す。さきほどまでのお茶会の空気は雲散霧消し、どこかで穴の蠢きが紫の神経に触れるのを感じながら、彼女は楊枝を静かに置いた。既に尻尾はふくらみかけている。


「霧島も同様ですね。メイドの十六夜に連れてこられてから、ずっと紅魔館に滞在しています。当初は一日二日で逃げ出すものだと思いましたが、思ったより適応しているようです。誰か友人でもできたのか、あるいは館を気に入ったのか――困りましたね」
 藍の目が静かに細まってくのを、対面の紫は静かに観察していた。その顔は温和な人間のそれから、彼女の《元》であった狐の顔を備えていく。「御命令があるなら消してきますが。スキマをご用意頂ければ、一分あれば消滅させられます」


「そういう荒っぽいことは無しよ。あの吸血鬼が大騒ぎするのが目に見えてるもの」紫はお茶をもう一つ啜ってから、今頃ババを引いているだろう吸血鬼の顔を思い浮かべた。共に過ごすことが楽しい時もあるが、今は事情がまるで違う。霧島は彼女がお気に入りの人間だから、下手に手を出して吸血鬼が怒りだせば、再び幻想郷を巻き込んだ騒乱が発生しかねない。紅霧異変の再来とまではいかないだろうが、もしかすれば穴の修復を妨害しかねない。紫が最悪のケースと考えているのはそれだ。一対一で戦うならまだしも、穴を潰しながらアレと相対するなど考えただけでやつれる。


「では、あの老人たちを紅魔館に向かわせたのは、彼を回収させる意図もあると?」
 己の風貌に気がついたらしく、藍は狐の顔を人間に戻していく。しかし鼻や顎が原型を取り戻しても、その目の色と感情だけは無くせないようだった。爛々とした黄金色の網膜は、紫を通して霧島の心臓を見据えている。変化をする時も、こうした感情が篭りやすい部分が最も難しい。


「正直、私には毒を以て毒を制すという感覚が拭えませんが」


「人間のことは人間に解決させろ、と言うことよ」
 これは紫が幻想郷の創造に一枚噛む時に、他の創造主たちに提案したルールだ。人間同士の揉め事には妖怪たちは手を出さず、まして人間の代わりに処刑や放逐などを行わない。もしも人間社会の暗部にも妖怪たちが入り込むことになれば、人里は間違いなく破滅へと向かう。どんなコミュニティでも成長する際は、忌まわしい点が存在するものだ。逆に人間たちは、妖怪たちが諍いを起こした時に静観し、中立を保つ。未だ創造初期で人間たちの勢力が弱く、人里が家畜牧場同然だった時代に決められた規則だ。社会としての基盤が安定しない時期だからこそ、妖怪のような雑菌を排除し、無菌状態にしてでも人間たちを育て上げる必要があった……現在は人間たちの勢力が大きくなり、霊夢や魔理沙のような強い人間たちが定期的に出てくるのだから、すでに紫が決めた事は形骸化した規則でもあるのだが、今更変えるには時代が進みすぎている。そうした規則から鑑みると今回の吸血鬼による招待は規則違反だが、あの奔放そのものの少女の性格は一生改善できまい。完全に納得させられる理屈ではないが、他人に説明するぐらいならこの程度でも十分だ。「私が出向くわけにもいかないから、あの老人にやらせるのが手っ取り早いのよ。目的や素性の調査が出来なかったのが心苦しいけれど、まあ所詮外部の人間。欲しいものでも適当に与えれば、簡単に出ていくでしょう。いくら銃器で武装していても、妖怪たちを完全に殺傷することなど出来はしないわ」


「しかし、《除菌》もしていない人間たちをあんなに招き入れても良かったのでしょうか?」


 今日の藍は随分と饒舌だ。さっきまで延々と作業していた分、彼女も鬱憤が溜まっているのかもしれない。


 通常、幻想郷に入り込む物質や人間、もしくは霊体たちは、ある時点で紫によって検閲措置を受ける。大抵は博麗大結界を通り抜ける際だが、たまに蓬莱人のように知らない間に入り込んでいたケースもあり、その場合はスキマを用いて秘密裏に行う。それは外から持ち込んだ余分な気質や性質を洗い落とし、幻想郷にとって毒素となりそうな物を排除することだ。紛れ込んだ大気そのものを消滅させなければいけない。服や装飾品は勿論、内蔵などにもそうした性質はへばりついており、紫ぐらいでないとそれらを除去しきることができない。幻想郷は壮大な箱庭だ。大いなる生物や植物が何の困難もなく生息し、外では生きられない妖怪たちもここでは大手を振って過ごせる。だがその為には、重みを落としきる義務が生じる。そうでなければ庭は雑草で溢れかえり、害虫が蔓延る悪地となるだろう。心の化学薬品をそぎ落とし、体の悪性物質を消滅させることで、はじめて幻想郷は安定することができる。


 そしてあの穴の問題は、除菌装置をまるごと抉り抜いて外と幻想郷を繋げてしまったということだ。結果――悪性の気を持つものたちが、何のはばかり無く幻想郷に溢れかえる。そして溜まった悪い気は疫病・汚染・災厄として幻想郷に根付く。直接点検しなければならない八雲紫は、穴自体を塞ぐのに手一杯だ。他の管理者たちも存在してはいるが、そもそも彼ら(性別をつけることも間違っているのかもしれないが)は幻想郷自体を維持するので精一杯で、動けるのが八雲紫しかいない。この場合の優先順位としては、まず第一に流入元、そして穴の目処がついた時点で中にいる者たちを片付ける必要があった。残ったものが悪影響を撒き散らすのは事実だが、侵入した個体によって汚染の差があるのも事実。知らない間に紛れ込んでいた物質で、何年も影響がなかったケースもあるから一概には言えない。


 紫が橘に持ちかけたのは、そういった内実を含んだ取引であった。橘は紅魔館へと出向き、確実に霧島を連れて帰ってもらう。もし殺害する場合は、原型をとどめたまま遺体を丸ごと持ち帰ってもらう。紫側としては、それへの見返りに簡単な技術供与をする――例えば、魔法陣の編み方や、結界の作り方。低級な妖怪のサンプルや、除菌やろ過をした幻想郷の物品など。なるべくこちらに影響が出ず、あちらの世界に幻想郷の存在が露出しないよう、何度かすりあわせをする必要があるが、方向性としてはこれで正しいと紫は考える。橘は不満を顔に残してはいたが、所詮は老いた人間であり、大妖怪である紫の方が幾倍も立場が上だ。二、三の恫喝を含んだ言葉を押し付けてやると、最後は諾々と紫に従った。後は有無を言わさず押し返してやればそれで十分だ。わざわざ触手を繋げることで、紫の脳と橘の脳をマッチングさせたのは、霊夢や他の人間にはどうしても知られたくないからだ――霊夢も幻想郷の関係者である以上いずれは教える必要があるのだが、今はまだ幼いし、現在は情緒不安定にも見える。余分な刺激は与えないようのが吉。また彼の脳に、具体的な報酬についてインプットさせるという意味合いもある。だが、もし計画が破綻し、何人か死ぬ必要ができたら……その時は藍や霊夢ではなく、紫自身が手を下す積りだった。結局のところ、これは彼女から発生した問題で、蒔いた種を刈り取るのは本人でなくてはいけないからだ。


「大人数だけど、短時間ならば幻想郷にも大した問題はないわ。概算だけど、彼らが影響を及ぼすにしても一ヶ月近くはかかるでしょう。そのころには全てが元通りよ。だから私達のすることは、彼らを監視しながら穴を塞ぐこと。今回は霊夢にでも折衝役をやらせましょうか。あの子はまだ外の人間を知らないから、良い経験になるわ」


「もし戦闘になったらどうなりますか?」
 狐大妖がいつのまにか羊羹のラス一を楊枝で刺しており、若干ムカついた紫は彼女の頬を抓った。いたいいたいと涙目になる従者の前で紫は、そうなっても問題になるでしょうね、とひとりごちた。《除菌》してない者は、死んだり解体されたとしても悪い気を残す。散乱したり、鳥にでも肉片を啄まれればそれらが幻想郷中に散らばることになる――それもまた避けたい。そのために紅魔館外地での戦闘後、紫はこっそり施術を施した。施術場所が紅魔館内部であればレミリアが感づいたかもしれないが、幸いにも館の外側は、レミリアよりも紫寄りだ。内部にも残しはない。無事に作業は終わり、あの時点での《除菌》は完了していた。


「そうしたら霊夢に任せるわ。他に頼りになる子は……いないわね。魔理沙は結構ヘタレだし、妖夢は幽々子が出さないでしょうし、幽々子はああ言った手合いを一番嫌がるもの。永遠亭の兎は……まだちょっと掴めないわね。結構調子に乗る子だから、波に乗ると良いんだけど。紅魔館のメイドは……うーん、戦闘は霊夢ほどじゃないけど、だけどあの子よりしっかりしてるから、組ませると意外に良いコンビになるかもしれないわ。姉妹って感じで。あら、霊夢と私もそれっぽくない? うふふ」


「……紫様、なんだか、わざと話をはぐらかしてません?」
 紫に引っ張られていた頬部分を押さえながら藍が口にする。少し赤くなっていて可愛いのだが、口に出すと怒り出しそうなのでやめておいた。


「そうよ? だって藍があまりにも辛気臭い顔をしてるんだもの。それより楽しい話題に切り替えた方がいいじゃない。そうねえ、人里の八百屋さんがこの前浮気発覚したの知ってる? 奥さんにタコ殴りにされて全治一年半だそうよ」


「本当ですか!? ……って、私は主婦じゃないんだから結構ですよ。さて、紫様の作業を早めたいですし、お先に戻ります」
 どっこいせ、と主婦みたいに立ち上がった藍は、そのままマヨイガの一室を模倣した空間から出ると、また頭部を膨らませて穴へと飛んでいった。あの子もせっかちねえ、と紫は思いながら、今も外でせわしなく走り回る橙を思い浮かべた。藍にしてみれば、可愛い式が動いているのに自分だけ休んでいるわけにはいかないのだろう。彼女の癖を思えばこそ休ませたかったのだが、それももう済んだことだ。紫は茶を干して立ち上がる。すぐに部屋は消滅し、目の前にあるのは穴と、そこから伸びる膨大な触手の群れだけになる。この威圧感は大妖である八雲紫をして、背筋に薄ら寒いものを感じさせるほどだ。音でない咆哮すら聞こえるようでもある。


 どうせだから、一つ驚かせてやりましょう。


 紫が両手にさきほど散布した警備装置の《紐》を集めると、妖力を火へと変換し、点火させた。二秒以内に発生した八十箇所での同時爆発は至近距離での花火玉にも負けず劣らずの轟音と化し、身を竦めただろう穴に負けず劣らず藍の神経を飛び上がらせた。こっちを向いて文句を叫んでいる藍に軽く手を振った紫は、そのまま弱っている穴の一節に取り付いて、毒を注ぎ始めた。


 すでに他の触手部分では、再生が始まってきている。



***



 人里へと到着した東海林は、正直に言ってかなり驚いた。なにせ目の前にはちょっとした町が広がっていた。敵対生物がそこら中にいる所でここまで繁栄しているとは。しかも一部の妖怪たちはここで買い物をし、住民と談笑することもあるという。通りの風景は明治時代の町に毛が生えた程度だが、やけに住民たちは洗練されているようにも見えた。手にしたデジカメで資料写真を撮りながら彼は、ここで生活している人々が何を考え、何を食いながら生きているのかを心底から疑問に思った。


 神社での一幕の後、橘グループに残された制限時間を基に、その場で話し合いが持たれた。もちろん霊夢がいるので突っ込んだ内容はなかったが、ひとまず二手に別れて人里と紅魔館を訪れることにし、人里へは東海林と兵士たち、それから霊夢が呼ぶ妖怪退治屋と向かうこととなった。紅魔館へは橘らと元囚人たち、霊夢が向かう。霊夢は橘と同行することにさほど良い顔をしていなかったが、それは東海林に対しても同様だ。兵士たちも霊夢のことを、頭にリボンをつけて威張り散らす子どもぐらいにしか見ていない。神社についてや、妖怪たちが宴会をしに訪れることなどを霊夢は話したが、こんなところで人外と人間が混ざり合うのが信じられないように東海林には思われた。もしかすると、誇張が混じっているのかもしれない。あの『紫』とかいう声の持ち主が真の保護者だと考える方が自然だ。直に妖怪退治屋らしき作務衣を着た男が上がってきて、二チームは出発した。徒歩での移動だが、距離を鑑みて一時間かからないだろう。


「あの神社には、参拝客も多いんですか?」
 博麗神社を降りる時に東海林が尋ねると、腰元の札入れらしきものを整理していた男が笑いながら返した。


「博麗神社? いやいや全然すよ。里から距離あるし、妖怪ばっか集まるんで、みんな怖がるんす。かくいう俺も、あんまり用事ないときは近寄りたくないっすね」


 なるほどと頷きながら、ここの連中もちゃんとした日本語を話すのかと感心もした。奴らの報告も嘘ばかりではなかったようだ。


 道中は平穏だった。第一次侵入の際の血生臭さとはうって変わって、イノシシも吸血鬼も出なかった。話によると、東海林たちが通ってきた穴の辺りは危険になってきたのだが、ここら辺りは昼間だと平穏な方だと言う。時折遠くに飛ぶ影があり、また森林の奥を黒い物体が通り過ぎていった。兵士らが双眼鏡で注視するのを見ながら、あれは何ですかと指さしてみた。あいつ妖怪ですね、と退治屋は返した。


「あれはルーミアというんですが、闇を操る妖怪なんですよ。ああして周囲を暗くして移動するんですが、本人も夜目が利かないから年中どっかにぶつかってるんですよ。ま、あれでも襲う時はきっちり襲い掛かるすから、油断できませんがね。今は腹いっぱいなのかな?」


「対処方法などはありますか?」
 退治屋の後ろを歩いていた隊員の一人が尋ねた。


「うーん、やっぱ気をつけて行動する、ぐらいっすかねえ。俺らみたいな人間は札があるから追い払えるんですが、普通の人は退魔の心得とかないんで無理です。鉄砲も多分効くとは思うんですが、なにせうちらが持ってるのは戦国時代から伝わってきたようなもんですからね、暴発してばっかすよ」


「ということは、襲われて死ぬ人もいるわけですね?」
 兵士が男の顔色を伺うように再度尋ねた。手にした散弾銃は地面に向けられている。


「当たり前じゃないすか」
 男は馬鹿馬鹿しいとでも言うように手を振った。
「そりゃ人がいて妖怪もいるんですから、食う食われるは当然ですよ。でもまあ、昔よりかは大分良くなりました。最近だと食われるのが年に数人か、たまに二桁っすね。俺の馴染みも一人やられましてねえ、さっきのルーミアみたいに頭からバリバリじゃないんすけど、内蔵ばっか吸うのに出くわしちゃったみたいで、遺体が皮だけのぺらんぺらんでした」
 男は照れくさそうな笑顔で、命日を覚えるのも大変です、と付け加える。


「その……そうして友人が亡くなるというのは、とても残念ではないのですか? 事故や病気ならまだしも、妖怪に殺されるというのは違うでしょう。妖怪たちに恨みを覚えたりはしないのですか?」
 東海林が問いかけると男はうーんと考え込んだ。いつのまにか隊員らが聞き耳を立てていることに、東海林は改めて気づく。想像力に乏しい彼らでも、異世界の話は気になるのだ。


「まあ、そういうこともあるんですがね」
 男が東海林に近寄ると、いかにも気安そうに肩を叩いた。その手は現代人の物とは異なり、野生動物のように盛り上がっている。野良仕事でここまで手が変化するのかと思った。
「こんな風にうちらが生きてりゃ、いずれ死ぬもんです。何に殺されたって違いなぞありませんよ。家族とか恋人の場合は辛いですし、死体がグチャグチャになってたら恨みも覚えますけど……でも妖怪だって食わないと生きていけないんですから。いつまでもくよくよしたって始まりませんわ、ハハ」
 話を無理やり結論づけた男は、もう里近いっすから急ぎましょうよ、とせかせかした足取りで歩き始めた。


 かくして兵士たちは人里へと到着した。


 里を歩く人々は、やはり……人間だった。少女がいた。中年の女性がいた。子どもがいた。老人が茶屋で団子を頬張りながら、通り過ぎる面々を見つめていた。赤髪の少女だったり長髪の犬耳らしきものを生やした女性が通りを歩いていたが、あれも妖怪ですよと耳打ちされた東海林は驚いた。平然と昼間から妖怪が歩いている。里の人々は隊員らを見つけては、何か言ったり尋ねたりしてきた――あんたたち誰、どこから来たの、その持ってるの何、何か買いに来たの、など。うんざりした表情の隊員らに適当に付き合うよう言うと、東海林は退治屋と共に写真を撮りビデオも撮りながら里のあちこちを巡った。里長の家、稗田阿求が住まう屋敷、そして上白沢慧音の住居。貸本屋や呉服屋などの多くの店。慧音たちの話も、妖怪退治屋の話を敷衍したものだった。大まかには、幻想郷に生息する妖怪と、それに対する人間たちとの関わり。人間が妖怪を退治し、妖怪は人間を食らう。擬似戦闘であるところの弾幕ごっこ、退治屋や退魔師、巫女などの強い人間たち。以前の異変は何がきっかけで発生し、誰が犯人だったのか。誰が解決させたのか。記録用のPDAは休まず稼働を続けており、バッテリーがやや心配になってきた。ノートで代用することも考えなければ。幻想郷の来歴や里の造り、構造などを聞き、地図を見せてもらった東海林は、里の外れから中央を突っ切って運河が流れているのを目に止めた。


「近くに運河があるようですね?」


「ええ、そこから水を引いてきて、井戸水として使っています」九代目阿礼乙女である稗田阿求は口にした。里長から似たような話を聞いた後に東海林は、この世界の歴史を編みあげてきた歴史家でもある少女の家を訪ねた。しかし……本当に小さい。そこらの野原で遊んでいそうな子どもが、深々と頭を下げながら説明をするのは、どうにもおかしな感じがした。それに視界に不備がある。彼女の背後に二十代か三十代か、清楚な身なりの女性が何人も重なって見えるのだ。できれば撮影したかったが、相手が気分を害するのを恐れた。未だに少女と重なるように幻影は動き続ける。首を傾げた阿求に彼は頭を下げた。


「井戸は里の中心と、それと何軒かに一つの割合で使っていますね。なんでも、外の世界には一軒一軒別々に水を使えるのですよね? 羨ましい限りです。夏場は水のせいで喧嘩になることもありますし、冬だと寒いとかで苦情も来ます」
 今でもたまに陳情が来ますよ、と阿求は困ったように笑った。


「妖怪側では、助力をしてくれないのですか」


「人間の力だけではどうしようもない時には、助けてくれます……あくまで最低限、ですけどね。飢饉や旱魃に異常気象が起きれば手を差し伸べてくれます。それと、幻想郷が作られた最初の頃もよく助けてくれました。私達も生きるのに大変で……井戸の作り方、農業、獣から身を守る術を、妖怪の賢者を筆頭にして色々な妖怪が知識を授けてくださいました」


「その……こういう尋ね方は不躾かもしれませんが」
 東海林は、畳の上で居住まいを正しながら尋ねた。手元のメモには『牧場』『家畜』という字を記した。
「それは……妖怪たちが、人間たちをわざと生かした、と考えることはできないでしょうか? つまり、あー……言い方は悪いですが、エサに死なれては困る、と」


「そうではありません」
 阿求は老女を思わせる、威厳のある態度で首を振った。
「これは相互扶助です。妖怪は私達がいないと精神的な柱を喪い、私達も妖怪の技術と能力なしには栄えていけない。だからこそ、お互い様なんですよ。事故はありますし、誰かが亡くなってしまうこともあります。ですが前提にあるのは、種族間の友情ということなのです。敵対という面も確かに存在します。ですがやり過ぎることはありません。きちんと調和した円環の中で、私達は生きております」


「なるほど……ありがとうございます。軽率でした」
 彼は頭を下げ、少女は柔らかくいいえと言った。それから《ヒト牧場 ほぼ精神的な奴隷 自覚なし》と手帳に書き込んだ。ふと疑問を覚えた東海林は阿求に、「能力についてお聞きしたいのですが」と尋ねた。ハテナマークを浮かべる阿求に、「妖怪や、人が持つ、何々する程度の能力、というものですが……これは何なのでしょう? どうも外から来たせいで、これがよく理解できないのです」


「そうですね」と阿求は頬に指を添えた。
「私たちが持っている、特殊能力……と一言で言えばたやすいですね。妖怪たちも私たちも、実はよく分かっていないのです。頭の働きかもしれないし、手足のように感覚の一つかもしれません。でも、指紋みたいにそれぞれが異なるものを持っている。私としては……少し抽象的なように思われるかもしれませんが、この能力とは、幻想郷という世界からの贈り物なのだと思っています。外の世界に出たことがないから、比較することはできませんけれど……幻想郷は他の地域と比べても、特殊なんだと思います。ここではいろんな人が能力というものを持っていて、自在に使えます。使えるものもあれば、自分でもよく分からなかったり、面白いだけのものもあります。けれども、これはきっと、ただ単に空を飛んだり、弾幕を撃ったり避けたりするだけじゃ物足りない……そう思った神様が、私達にプレゼントしてくれたのだと思うのです。幻想郷創設当初は、それほど能力というものもなく、お互いがただ爪で、弾で争っているだけでした。実は、弾幕ごっこが作られた以降から、《能力》というものが発芽しはじめたんですよ。まるでもっと美しく、もっと楽しく弾幕ごっこをしなさい、そう言われているようでもありませんか? もちろん私のように、ただ後世に歴史を残すために生まれた能力もありますし、元々あった能力を弾幕ごっこ用に転化したというケースもあります。ですが、全体の傾向を考えると……これは進化や強みと考えるよりも、やっぱり思いがけないプレゼント、って私は考えてしまいます。大幅に弾幕ごっこの範囲を逸脱した能力もありますが、そのうちに、弾幕ごっこを中心に収斂していくのでは、とも考えてしまうのです」


《クソご都合主義 現実とのかい離 進化? 脳にそういった器官は 平和ボケ(これだ!)》


「もし、ですが……その能力というものの仕組みが完全に解き明かされた場合、それを他人に移す……つまり、我々も用いることはできると思いますか?」


 阿求は考え込んだ。女中にお茶を頼み、飲み干してから考え……そして、外で鳥が鳴く頃に、答えを出した。その表情は戸惑い気味で、これを言っていいものか、という不安も持っているようだった。東海林は居住まいを正す。


「物理的にはできるかもしれませんし、少しの間は使えるかもしれません。弾幕ごっこにも参加できるかもしれません。でも……どこかで、無理が出ると思います。もしも人間以外の存在で、妖怪とか、あるいは仙人のような者ならば可能かもしれません。あるいは最初から、幻想郷の気風になじめる――逆に言えば、幻想郷にしか馴染めない者――なら、できるかもしれませんね。けど、大多数の、普通の人間にそのまま能力などを移植するのは、できないでしょう。もう外の人間と幻想郷の人間は合流できないほど、分裂してしまっている。私にはそう思えます。あなたの中には、幻想郷にないものがあるのが感じられます。どこから来るのかは分かりません。その腰に下げている物からかもしれませんし、食べてきた物からかもしれません、吸ってきた空気や、周りにいる人の精神かもしれません。詳しいことは分かりませんけれど……それが、幻想郷に根付いた能力と完全に調和するとは、私には思えません。ですから、きっとそうした所から、幻想と文明の境目が生じたんだと、考えます」


 その瞳には底が見えず、東海林は一瞬、気圧されそうになった。



***



「ねえ、お姉様……ちょっと! お姉様! 無視しないでよ! もう」


「あらフラン、背が小さすぎて見えなかったわ。何の用?」


「ムカつく言い方は流してあげるけどさ、最近やってきたあのお兄さん、いるじゃない」


「ああ……リョウイチのこと。どうかしたの?」


「今日ってすごい天気良いから、私的には最悪なんだけど、みんなでピクニックでも行こうかと思って。どこにいるか知らない?」


「あぁ……今日はあの人、咲夜と一緒にいるわよ。詳しく知らないけど、リョウイチの部屋にいるんじゃないかしら」


「え、罰ゲーム? お兄さんなんか壊したの?」


「まさか。どっちかがそうしたいからそうしてるのよ。きっとリョウイチから誘ったのね。後で何したのか、探り入れてみようかしら」


「ふーん……やけに最近、あの二人仲が良いよねえ。あーあ、咲夜とられちゃってなんかつまんない。メイドの腕でも抜いちゃおうかなあ」


「やめなさい、また怖がられるわよ。そうでなくても前までは酷い評判だったんだから。これ以上評判落としたら霊夢がゲンコツしに来るわよ」


「ちぇー、分かりましたよーだ。なんだよイラつくなあ。それにお姉さまの態度も煮え切らない」


「何で?」


「昔は人間って見るとずっと馬鹿にしてたのにさあ、今は二人の話してる時もそうだし、なんか顔がヘン。ニヤニヤしてさ、ペット見てるみたい。なんで? あいつらが家族になったってこと? 意味わかんない」


「……そうね、そういう風に見える?」


「フン。勝手に頭捻ってろ、バカ姉さま」


「変わったってことよ、私も。フランもそのうち変わるわよ」


「くだらない事言わないで。四百九十五年も地下に閉じ込められてたのが、すぐ変われると思う?」



***



 飛び交う何本ものナイフを、霧島はただ黙って見つめていた。


 空中を飛び遊ぶ刃物の群れ。それを投擲するのは十六夜咲夜、そして受け取るのも十六夜咲夜。一本が空中を飛んだ瞬間、投げた地点から咲夜はもうゴール地点に移動しており、それを指で挟み込む。ゴールから投げられるナイフ、キャッチ、そしてスロー、キャッチ。お手玉のようななまなかなものでなく、六本近いナイフが右と左を高速で行き来する場面を見て、此処の所驚き続きで何を見ても驚くまいと思っていた霧島は、いよいよ呆気にとられた。


「秘技《一人ナイフ投げキャッチ》でした、ありがとうございました」
 咲夜が優雅にお辞儀をすると、霧島の手が拍手の形に動いた。わ、と声にも出してしまう。今日は朝食後、空いた時間にちょうど咲夜が紅茶を持ってきたので、彼女の趣味らしい手品を見せてもらうことにした。だがその手品は、霧島が知っているものとはかけ離れている。少なくともマジックであれば、多少学べば霧島でも出来るかもしれないが、どう見ても咲夜がこなした芸当は、一般人に模倣できそうな物には見えない。彼女は恥ずかしいのか、ナイフを丁寧にメイド服に仕舞いこむと、耳を押さえながら椅子に座り込んだ。少し耳の上辺りが赤い。


「一体どうやって、そんなのが出来るんだ? ナイフを投げるってならまだわかるけど、あんなに瞬間移動するなんて……もしかして、超能力者?」
 眼を丸くしながら霧島が口に出すので、咲夜はふふと笑って「若干惜しいですね、では当ててみてください」


「え……ワープとか、テレポート能力」


「バツ」


「ナイフが磁石みたいになってて、咲夜は飛んでいくところにくっついていける」


「マイナス四点、むしろ離れましたわ」


「えー……なんだろうな。分かった! 鏡とか使ってるんだろ。もしくは俺の眼をごまかしてるんだな、よくプロのディーラーがやるだろ、あれだよ」


「小細工は使っておりませんわよ。鏡なし、小道具なし、あなたを惑わす変な薬物ももちろんなしですわ。酔わせてしまっては手品も何もございません。毒物集めは趣味でございますが」

つい最近知ったことだが、彼女は見た目よりもわずかに抜けている点があり、またわずかに変わっている点がある。毒物集め然り。奇妙な銘柄の紅茶収集然り。少なくとも、見た目通りのパーフェクトメイドというわけではなさそうだ。椅子に腰掛けていた霧島はああでもないこうでもないと唸っていたが、やがて頭を掻いて降参と両手を上げた。


「正解は、タイムストップでした」


「は?」


「時間を止める能力……それが私の持っている能力です。もう少し他にも色々できますが、大雑把にはそんなところですわ。私は止まった時間の中で動けます。先ほどの一人遊びも、停止した時間の中でならお手の物ですわ」
 眼を丸くして咲夜をじっと見つめている彼に、咲夜は「嘘ではございません。凍った時の中では霧島さんも石のように固まっているんですよ」と口にした。それが事実かは分からないが、少なくとも現在の霧島は石のように固まり、阿呆のように口を開けている。


「いや、でもさ……時間……ええ……」
 霧島は珍しい動物でも見るように、上から下まで咲夜を眺め渡した。そのうちに彼女が「そうやって見られるのはあまり好きではないのです」と言うと、慌てて天井を視線に向けた。その態度が面白かった、咲夜がくすっと笑みを浮かべた。霧島が唸りながらテーブルの上の紅茶に手を伸ばし……カップが熱いのに驚いた。十分前に手をつけてから、ずっと咲夜の手品ショーを見ていたのだ。熱いはずがない。まさかと眼を向けた彼に、「少々時間を止めて、紅茶を準備しました」と咲夜は告げた。もちろん咲夜は部屋を出ていない。


「……わかった。咲夜は時間を止められる。信じよう。信じます」
 これ以上ないほど彼の現実は拡張されているのだ。今更超能力の一つや二つ、放り込むには十分だ。


「よろしい」
 咲夜はにっこりという表情に。
「お茶菓子のおかわり、いりますか?」


「あとでもらうよ。……でもさ、咲夜ってすごいよなあ。こんなに広い館を掃除したり、他のメイドたちを監督してまわるんだろ? もし時間を止められたとしても、俺にはとてもそんなバイタリティがないよ」
 ぽろりと霧島の口から零れ、咲夜は「そんなことありませんわ」


「私も紅魔館に来た当初は、失敗ばかりしてました。掃除をすれば物を壊す、紅茶を淹れても味が苦いだけ、挙句の果てにはお嬢様の服も汚す……尤も、まだ子どもの頃からでしたけどね。今でも、そういうポカはやらかしてしまうんですよ。タイマーは入れ忘れる、ナイフを無くす、お嬢様の起床時間を間違えて、不機嫌なレミリアお嬢様と向かい合うことになる」そう口にして少女は、過ぎさった日を思い起こして憂いある笑みを浮かべる。「何もかも慣れなくて、何もかもが不手際でした。メイドも、主人に奉仕することも、人を殺したこと――も」


 霧島が眼を見ると、彼女は口に出すべきではないものを言ってしまった、という顔になった。
「失礼しました。昔の話です。気分を悪くさせたでしょう、お忘れ下さい」彼女は立ち上がると、お茶菓子を準備しますわ――と、部屋を退出しようとした。その背中に霧島は声をかける。


「俺も、…………俺も、人を殺したことは、あるよ」
 紅茶に自分の顔を映しながら呟き、カップを置いた。咲夜がこちらを向く。不思議と霧島の中に、咲夜が殺人をしたことに対する嫌悪はなかった――自分の経験があるからかもしれない。人間社会で禁忌とされていたことをした二人。霧島は改めて、他の記憶……学校の修学旅行やバイトをした記憶と共に、布団を燃やしたり弟を切り裂いた記憶がしまい込まれていることに驚愕した。整理された書類のように、殺人というものがアイウエオ順に頭の中で並んでいることが信じられない。
「その、殺ったのは自分の家族さ。そいつらに苦しめられて、俺もバカだったから他に方法思いつかなくて……結局そういうことになった。まだ覚えてるよ。その時の感じ。だからって訳でもないけどさ、生きてれば間違えるものだし、そういうこともあるってことだよ。とりあえずさ、……だから、被害者とか加害者とか難しいのは抜きにして、変に気落ちしたり考えこまなくても」
 いいんじゃないか、と続けようとした所で、言葉が止まった。


 咲夜が霧島の両手を掴んでいた。その手を擦りながら、どこか遠いところを眺めるように、霧島を見やる。顔が赤くなるが、恥ずかしさとは別なものもあった。


「――あなたも、経験されたのですね」
 咲夜は訊くともなしに呟いた。霧島の手の甲を擦りながら、わずかに血管の見えるそれを穴が開くほどに見つめた。
「人を、殺めたのですね」
 どこかが壊れた大切なものを見やるように、どうしようもなくなった結末を思い出すように、哀れみと憐憫、そして素直さを湛えた眼で彼女は口にする。霧島は頷き、何もしなかった。日差しが微かに部屋に入り、彼の背を焼く。


 自分の殺人など、口に出そうとは思わなかった。だが出してしまった。義理立てでもないが、そうしたいという感覚に襲われたのだ。ただひたすらに自分を明かしたくなるような、隠していたものを広げたくなるような、痒みに似た感覚。霧島は未だその感情の底にあるものに気づかず、戸惑いと恥ずかしさを覚えるばかり。そのままでいた。咲夜は明かしてくれるのか、彼女の最大の恥部(だと思いたい)である行為について、語ってくれるかと思った。だが口を開かなかった。咲夜はかつて霧島が凶刃を構えた手を恭しく撫で続け、霧島はそれを見続ける。ただ咲夜の手が泣きたくなるほど温かく、それでいて滑らかだった。メイドという仕事は手に優しい仕事とは思えないが、特別な肌の手入れをしているのかもしれない。音が止まり、時間すら止まったような心地を覚える。咲夜が止めたわけでもないのに霧島は、何故か咲夜に向かって懇願したくなってしまった。紅茶の香りが漂い、空気の動かない部屋は静謐な棺のように厳粛だった。やがてどれほどの時間が経ったのか分からなくなる頃合いで、館の外から爆音が聞こえてきた。二人揃って顔を上げた。


 窓からは湖が一望できる。二人がゴシック様式のそれを開けると、どこかで聞いた砲撃音と、花火が破裂するような音、そして刃物が空気を貫く鋭い感覚が迫ってきた。思わず仰け反りそうになった霧島に、「弾幕ごっこですわね。前に見たチルノと、相手は……あら、霧雨魔理沙ですわ。恋の魔法使いです」と咲夜。その言葉を耳元に留めながら霧島は、流れない水の上で飛び交う光の乱舞と音の爆裂に、ただ見入り聞き入っていた。二者は高速で飛び退っては何かを撃ちあい、それらは湖に墜落したり空中へと消えて行く。爆撃を思わす重低音や、刺突を匂わす風切り音、その音や景色は霧島の心についぞ刻まれたことなく、全く未知の闘争がそこには実現していた。彼が知っていた、館の中での泥臭い殺し合いなどに比べれば、驚くほどの華々しさだ。閃光と群れ集まる青白い氷たち、弾幕による神秘のカーテンは霧島の耳や眼に、刺激的なそれとしてとらえられる。青の挙動がより高速に、苛烈になる。そしてボムと呼ばれるスペルカードが発動し、大仰で分厚い光線が瞬時に湖の中心を照らした。その渦の中心には黒白――彼女にとらえられた青い服の少女はやがて墜落し、魔理沙の勝ち、と咲夜が呟いた。


「あれが、弾幕ごっこ」
 爆音の轍に眼を向けながら、霧島はただ一言を口にした。自身の単語帳から引き出せるのは、それが限度だった。


「そうなのです。あれが、弾幕ごっこ。あれが、幻想郷」


 あれが、幻想郷。霧島はいつまでもその轍を、風に吹かれやがて元通りになっていく湖を見つめながら、たった今己が目撃したものを目に焼き付けようとした。それまでには名前を持たなかった何かが急速に膨らみ始め、霧島の内部でその形を整えていく。それを憧れ、恐れ、思慕を持って見つめた霧島は、そこに確かな感動と、もっと鑑賞していたいという欲望を抱いたのだった。かつての地獄は記憶と形をゆっくりと塗り替えられようとしていた。それは開いた窓から訪れる風に彩られた咲夜の声に対しても同様で、ひたすらに霧島の胸の裡に飛び込んでは、自身の存在を強く主張するだけ。隣で窓の外を見つめ、時に霧島に眼を向ける咲夜の存在を忘れたように、霧島はただ外を見つめ続けていた。


 橘が霧島の元を訪れるのは、それから一時間後の事だ。



***

 

「霧島ッ畜生ゥ! 元気してたかこいつ、この野郎! 俺たちがヒイヒイ言ってる間に、何やってやがんだテメェ!」


 霧島に用がある来客というので、一体なんだと応接間にやってきた彼に叫んだのは篠田だ。右腕にギプスを巻いた彼は霧島の姿を認めるなりソファから起き上がり、殴りかかるフリをした。ギプスのせいで一瞬分からなかったが、ようやく篠田を認識できた霧島は、驚きと笑いがごっちゃになった顔を浮かべて、「なんだよ久しぶりだな畜生! 何してんだこんなとこで!」と叫んだ。だが心の底では、これまでの大規模変動に基づいてこうしたこともありえると考えていたらしく、それほどの波は起きなかった。


「お前が連れてこられると同じぐらいに俺らも来たんだよ。そこの御仁に言われるまま、な」篠田は橘を指したが、霧島は高田を見た。やはり車椅子に乗っていた彼を見て、霧島の心に痛みが走った。あの糞イノシシのせいで脊髄損傷と聞いてはいたが、どこかでは、病院に入った彼が治療を受けて全快し、二本足で普通に歩いている姿を考えてもいたのだ。あれほど元気に小銃を担いで走り、怯えた霧島を殴りつけた傭兵の姿はどこにもない。現実の彼は慣れない車椅子を押して霧島の元にやってくる。霧島は高田が示す方に眼を向けて、やはりソファに一人の老人と、一人の少女が座っているのをようやく見た。


 少女は紅白衣装を身につけ、テーブル上にあるお茶菓子を平然とボリボリ食っていた。顔つきの怜悧さやあどけなさはどことなく咲夜を感じさせ、この子も弾幕ごっこをこなすのだろうか、と霧島は考えた。あるいは、人を殺すこともあるのかもしれない。では、もう一人は? 霧島が姿勢を正したのを見て、「そんなに気構えなくていいよ、楽にし給え、楽に」と老人が口にした。


「そうよ。どうせしょっぱなからギャーギャー叫んでるんだし、今から取り繕ってもおんなじなんだから。私は博麗霊夢、この人は……」
 霊夢が口を開くが、名前が出てこない。老人はおやおやと笑みを浮かべ、「橘と言うんだ。宜しく、霧島くん」彼は霧島について知っているようだが――来客というのはこの人のことだろうか?


「あらあら、随分賑やかなことじゃないの」
 言いながらメイドにドアを開けさせ、入ってきたのは当主であるレミリアだ。その後ろには咲夜も控えているが、さっき霧島に見せた表情は殆どが鳴りを潜め、冷徹なメイドの顔しかそこになく、霧島を眼に止めても同じように会釈するだけだった。霧島は促されるままソファに腰を据える。


 紅魔館内の他の部屋と同様に、この応接間も相当に広い面積を備えていた。巨大なテーブルに椅子を十脚、そして少女三人と男四人を合わせても、まだまだ余裕がある。天井からは簡素なシャンデリアが下がっており、年代物らしい古時計が壁にかかっている。時計の針は朝の九時半を指しており、外では太陽が日差しを浴びせている――ただし主人が吸血鬼なためか、日差しは一切入らないようにデザインされている。庇は大きく、太陽の存在を鑑みて北側にレミリアが座る。咲夜はその横に直立不動で立ち、霧島は呼ばれるままにレミリアの横へと座った。あとは各々が順当に席を構える。


「――我々は外の世界からやってきてね、まあ言うなれば、政府と似たような立場なのだよ」橘が最初に切り出した。「我々のことは《彼岸》とでも呼んでくれ。今回ここに来たのは、君に用事があってのことだ、霧島くん」


「はい」
 どことなくレミリアが眉をしかめたようだが、橘は話を続ける。


「率直に言えばだな、君を連れて帰るよう、八雲紫殿から厳命されている」八雲の名を聞いて、レミリアの顔が一層苦々しくなった。篠田が大きく頷いた。
「聞けば、元々君は外界にいたところを、ここに連れてこられたそうじゃないか。大方予想はつくが、誰が連れてきたんだい?」


「私だよ」
 黙っていたレミリアが、仕方なくといった口調で口を開いた。
「外に置いておくのは勿体無くてね、リョウイチも外よりこっちの方が暮らしが楽だろうと思って、連れてきた次第さ。だろ? リョウイチ」唐突に振られた霧島は、言葉を詰まらせる。霧島が言葉を探しあぐねていると、橘が脇から口を挟んだ。


「ところが八雲殿はそれを快く思っておられなくてね、このまま彼をここに置いておくのは、幻想郷保持という観点からも、我々の立場からも――言うなれば、我々は政府の代理人だからな。非常によろしくない。国とはな、国民の健康や人権に責任を負う集団だからな。だから勝手に異世界に連れて行き、住みますよそうですかで済ますわけにはいかない。我々としては、なんとしても彼を五体満足で連れて帰りたい。そもそも彼には外の世界に残してきた財産がある、ここにいる篠田君や高田君のように、友人もいるだろう。我が国の法律に照らし合わせれば、これは立派な誘拐罪だ――」


「ゴチャゴチャと喧しいぞ人間。それに誘拐というのは、本人が望まなかった場合だろうが」
 憎々しそうにレミリアが返す。橘の背後に、『八雲紫』という存在を確かに感じ取っているのかもしれない。
「だいたいだな、やっとリョウイチもここの生活に慣れてきたし、これからもっと楽しくなる予定なんだ。秋、冬、春、夏、これから私はこいつに色々と楽しませてもらう予定だ。今更ハイソウデスカで返せるか、狒々め」
 少女が堂々と老人に侮蔑の言葉を吐くが、こうした悪罵を予想していたのか、眼に陰りや怒りが見られない。それどころか悪舌を楽しみ、鼻で言葉を受け流している。篠田はやや怒りを滲ませているように見えるが、高田は平然と場に視線を向けている。霊夢もそれは同じで、レミリアの声に耳を傾ける。
「大方胡散臭い八雲タヌキに何か持ちかけられて、ひょいひょいと乗ったんだろう。そもそも話をしたいなら代理人でなく、政府の頭が来るのが筋だろうが。耳を貸すな、リョウイチ。こいつの話を聞いてたら耳が腐るぞ」


「美村隆史」


 肺がハンマーで殴られたように、ぐっと霧島の息が詰まった。その単語はこれまで霧島の中にくすぶっていたもの――というより、殆ど意図して表に出さなかったと見たほうが近い。彼の存在から発せられる恐怖や不安は、咲夜やレミリア、フランの存在とは殆ど吊り合わないような気がしたのだ。そしてそれは彼自身が未だに行動できなかったことの表れでもあり、《しくじった》ことの象徴でもあった。この館が見せる優しさに惑わされた霧島は、一時的にも、美村の名前を思い出さないようにしていた。誤魔化した、あるいはごまかされた、楽しさにほだされた。人と妖怪との触れ合いによって忘却した――言い方は多いだろう。だがその中身は、霧島がかつて自分が抱いていたことを無視したという事実それだけだ。急所を捉えたと見るや、橘の眼が途端に輝きだした。
「そこの傭兵である高田くんから聞いたのですがね、スカーレット殿。彼らが紅魔館に囚われた戦友らを助けに来た際、あなたが彼に美村隆史の死を宣告したそうですね。よもやあなたが人の死などという重大な問題に嘘をつくことは考えられませんが……レミリア殿、あなたはいかにして美村隆史の死を知ったのですか?」


「どうせレミリアが殺ったんでしょ、そういう奴だし」
 何の気もなしに霊夢が口を挟んできたので、レミリアは巫女を睨んだ。対する巫女は意趣返しとばかりに舌を出す。
「つーかあんた、そもそもこいつらが攻めてきた理由がさ、あんたが何の気なしにやってきた人間襲って誘拐したからじゃないの。そいつも殺しちゃったし、自業自得って言うのよそれ」


「霊夢――」
 殺気立った声をあげたのは咲夜だ。


「いくらお利口ぶってても所詮吸血鬼、人間の考えなんかトレースできないし、まともな意思疎通なんて無理に決まってるじゃないの。良い機会なんだから、」


「無礼な口は慎みなさい」
 咲夜は声を強くし、更に割って入った。霊夢を酷く睨むが、当の巫女は一人ひとりに出された紅茶を啜ることに余年がない。干した霊夢が咲夜に紅茶のおかわりを頼んだが、メイドは無視した。霊夢はカップを投げかけたが、周りを見てテーブルに置いた。


 レミリアがここで口を開く。
「あの時は男の死体を見かけたけどね、手帳みたいなのを持ってたのさ。暇だったから調べてみたら、名前が書いてあった。私は外の国からこっちに来たのだが、漢字ぐらいは読める。美しい村って書いてあった。これが理由」


「では、誰が殺したかご存知ありませんか?」
 橘が問いかけると、レミリアは肩をすくめて「さあ、知らないね。あんな戦闘じゃ、うちのメイドが殺したかもしれないし、そっちの人らが誤射った可能性だってあるぞ?」


「巫山戯んじゃねえぞ! テメエらが殺ったに決まってるだろが!」
 吼える篠田を橘が手で制する。咲夜は腰元のナイフをあからさまにちらつかせながら、姿勢を正した。篠田の顔は恐れより怒りが勝っているのか、咲夜を睨み続ける。


「だいたい何でそんな昔のことを気にする? 死体でも持って帰りたいのか?」
 威圧的に口にするのはレミリアだ。一気に刺々しくなった場の雰囲気に合わせるように、どんどん彼女の目尻が槍のように尖る。さっきから流れの傍観者であった霧島は、胸の奥が重くなっていく心地がした。美村の死について、漠然として考えることはできた――だが、こんなに具体的なのか? 脳裏に浮かび上がるのは美村の腐敗した死体、悪夢の中で転がり落ちる胸を刺すような情景だ。目の前の紅茶を口にしたが、眼の奥にゆらぐ渦巻きのようなものは消えていかない。悪夢の中ではない。悪夢そのものだ。


「当然その積りだが、その前に、人を殺した犯人について確かめておきたいのだ。確かにここは幻想郷、異世界だ。我々の法律がそのまま通用するところでもない。だがな、うちの国の人間がここで殺されたとなれば話は別だ。適当に流すわけにはいかないんだよ。ここが未開の地だろうが殺人は殺人だ。我々には法律というものがあり、つまり文明人が殺されたのだ。原住民が相手だろうが殺人者にはそれなりの報いを受けさせなきゃならん」
 橘の声に篠田は力強く頷く。高田は黙ってはいるが、反対の姿勢は見せない。霊夢に至っては関心なさげに窓の外を見ながらあくびをしている。
「私はな、人間があんたらのような存在にブチのめされたままというのがな、我慢できないんだよ。だから悪いが、この問題については徹底的に詰めさせてもらう」


 流れるように適当な嘘をつきながら橘は、雰囲気を鑑みながら自分の中で状況を整理していた。篠田は完全にこちら側だし、霧島は雰囲気に飲まれかかっている。高田も仲間の仇討ちと呼べば、ひとまずは正当なものとして受け入れている。眼前で嘯く吸血鬼は流石に頑固だが、やってやれなくはないと橘は考えていた。人外と議論するなどはじめてだが、倫理性や外見の特異さを気にしないでいれば、それなりに進められる。橘としては、できるだけ紅魔館に常駐する理由というのを作りたかった。幻想郷での橋頭堡固め。美村という人間がここで殺されたのは良い材料だ、できるだけ事態をこじれさせてやれば、ここに出入りもしやすくなる。紫との取引後、手にしていた幻想郷データと照らしあわせて作り出した構想を固めるために、ここの存在は是非とも必要だった。


「既にある程度月日が経っているのだ。この場で犯人が明らかにならない場合は仕方があるまい。だが死体くらいは埋葬してあるだろう。それとも火葬か? でないならあんたらが食ったのか?」


「客人、口が過ぎるぞ」
 レミリアは既に犬歯を剥き出しにして、敵意を橘に向ける。レミリアとしては、この場で橘を解体してやることはそれなりに簡単であった。共に来た兵士らが部屋に踏み込む前に、バラバラにしてやることも可能だ。だがそうすれば紫との全面戦争になりかねないし、そもそも事後の霊夢の対処が問題だ。間違いなく霊夢に負ける――それだけでなく、霧島の心も離れていく。まさか本当に咲夜と仲良くなりはじめることは予想外だったが、霧島もようやくここに馴染んできたのだ。どこか貰い雛を育てるような楽しさを見出していたレミリアとしては、それを外から来た馬鹿どもに邪魔されたくなかった。
「我々の側にも作法はある。この地で出た死者は埋葬するしきたりでね、紅魔館の外壁近くに小さな墓地がある。彼らの死体はそこにあるよ」


「それは重畳」
 橘は歯を剥いて笑い、レミリアは瞬間的に不快を感じ取った。そして気づく。この男が人間を殺しているからそうなのだ、と。つまるところ橘がやけに彼女に楯突く理由には、同族嫌悪の謂れもあるのだろう。老人は気がついていないようだが、吸血鬼の視点から見ると、既に彼自身は魔物化しはじめている。肉体は紛れも無い人間のそれだが、転生や輪廻を通してでしか変われない精神が、生きながらにして変質しはじめているのだ。人間には判別できないだろうが、老人の影はどす黒く濁り始めている。このまま捨て置けば、間違いなく橘は悪霊か何かに転生するだろう。


 まあ、ウチの問題ではない。


「それならば、準備が出来次第、棺をチェックさせていただきたいが、よろしいか?」


「フン……断ると言いたいところだが、そうするとまたギャーギャー五月蝿いんだろう。分かったよ、掘らせてやる。ただしうちのメイドは一切手を付けないから、お前らだけでやれ」
 レミリアは紅茶をかき混ぜるためのスプーンを鷹揚に橘や篠田、高田に向けた。高田はわずかに鼻白んだが、それも篠田が見せたあからさまな怒りの顔に比べれば、随分マシな方だろう。


 霧島の中では、全てが竜巻めいて屹立しはじめていた。唐突に現れた兵士たちと、自分たちを連れ戻す人間たち。ここまではまだ良かった――だが、美村を殺した犯人を見つける? 死体を埋めた棺を掘り出す? 脳がよじれて動悸がした。本当を言えば、自分は美村の生死などもうどうでも良くて、ただただそういった全ての恐ろしいことを忘れ、平穏に生きていたかっただけではないか? なぜわざわざそんな手間がかかるし、無駄かもしれないことをする? もう美村は死んだんだ。そっとしておいてくれよ。胸焼けは泥が水に染みこむように体中に浸透してき、脳が焼けるように熱くなる。あの時とよく似ている。政府のキャンプに放り込まれた初日、家族皆殺しをバラされて失神したあの日の夜。場所は変われど、自分の内蔵を引きずり出されるうそ寒い感覚は、相変わらず霧島を苛む。何も変わっていない。フォーカスが家族から友達にシフトしただけで、弱い自分は何も変わっていない。動悸が激しくなる。


「大変申し訳ありませんが、中座させていただきたく思います。霧島様の体調が優れなさそうです」
 先ほどよりは静かな声で咲夜が割って入った。レミリアはきょとんと霧島を見てから、バツが悪そうに空咳をした。


「ああ……リョウイチ、悪かったね。お前の知っている人間だったのか。流石に、ちょっと配慮が足りなかった。部屋に戻って、休んでると良い」


「根性ないわねえ」と横槍を入れたのは霊夢だ。だがレミリアが咎める眼を向けると、今度は口を閉じて天井を見上げた。咲夜が付き添い、霧島は部屋を出ていく。もう霧島に周囲を見やる余裕などなく、橘とレミリアが話し合いをはじめる所など、完全に上の空で耳の傍を掠めていった。紅い廊下も紅い部屋も眼に突き刺さるようであり、できれば咲夜の肩ででもいいから目を瞑っていたかった。


「何か、温かいものを持ってきます」
 よろつく霧島を咲夜はベッドに寝かせ、立ち上がった。
「レモンティーか、緑茶を持ってきましょう。気分が安らぎますよ。そこで待っていてください」


「待って……くれ」
 霧島がうわ言のように呟くと、咲夜は彼に向き直った。


「冷たい方が良いですか?」
「あいつは、友達だったんだ」
 ベッドから入り口に発せられる霧島の声は、先ほどの時点で事実として発露した、どうとも取り留めのない事柄だ。彼は続けた。
「ここに放り込まれた時からの友達で、一緒の刑務所を出た。山の中も一緒に走ったし、人里にも行った。あいつの遺書を書いてくれって言われたから、俺は断ったんだ。あいつは慧音が好きで、何をプレゼントしたら良いか、訊いてきた。あいつは――」


 咲夜はゆっくりとベッドまで戻り、椅子に腰掛けると霧島の片手を握った。力強く咲夜の手を握りしめる霧島に、しかし嫌がる気持ちは芽生えない。熱かった。彼が話し始めたことは、心の中に仕舞われていた、他の人には話すこともない事柄だっただろう。彼が人を殺したことを咲夜に話してしまったように、口にしたくて言った事ではなかったのだろう。だが大切なものということは分かっていたし、咲夜はそれを無碍にするつもりは毛頭なかった。それは彼の一部だった。あるいは、それらを彼と分かち合いという、咲夜自身の欲望も含まれていたのかもしれない。


「友達だったの」
 咲夜が尋ねた。


「友達だったんだ」
 霧島はとうとう泣き始めた。


「なんで死んだんだ、畜生。本当に死んだのかよ」


 涙はやがてぐずついた話し声に変わり、咲夜はそれを座りながら耳にした。咲夜にはよく分からない単語が多く、同じ話を繰り返すこともよくあった。だがそうしたものに頓着せず、二人はそれから一時間ほど、ベッドと椅子で時間を過ごした。咲夜は時たま、時間を止めることで最低限のメイド業をこなしたが、他の時間帯は書き置きなどで許しを得て、霧島の傍にいた。彼女の言葉で耳に残っているものが一つあった。


「あなたは人を大切にしてくれる。それは良いことです。ここでも、外でも」


 彼の言葉を聞きながら咲夜は、自身が美村隆史を殺害したことを、絶対に口には出せないと、何度も何度も心に誓った。



***



 土から露出した棺は、やはり紅魔館の名に恥じず立派な紅色をしていた。表面には逆十字が描かれている。この棺を作ったのは果たして人間なのか、そうでないのかを考えると、高田の心はやや暗くなった。


「もう少し掘ってくれ、もう少し」
 橘は声をあげて兵士を動かす。その横では腕にギプスを巻いてはいたが、手が空いていた篠田が土の掻きだしをさせられていた。だが流石に高田だけはこの車椅子のせいで、事実上の見学だ。この体になってからはリハビリ以外にまともに動いていない。彼は息をつくと、もう一度紅魔館を見上げた。


 その館は元傭兵である高田が見た中で、最も絢爛で最も悪趣味な館だった。入り口のゲートから屋根、そして裏口のドアに至るまで全て紅なのだから、眼がおかしくなった錯覚に囚われそうになる。そして見上げると同時に、あの時紅魔館を襲撃した記憶もまた思い出された。念の為にメイドの姿を確認したが、時折面白半分に館の窓から見下ろしている以外は姿を見かけない。だから、あの夜は高田の記憶にしかなくて、そもそもこことは何の関係もないのではないか、と一片の期待を抱きそうになる。


 だがそれも、次第に土から掘り出される棺を目にするまでの儚い夢だ。完全に土の支配から逃れた棺にロープをかけ、兵士たちは互いに声を掛けあいながら、土中から引きずり上げていく。どこか生き物を思わせるフォルムに鳥肌が立った。この中に美村が入っている。


「久しぶりにここに戻ってきた気分はどうだ? 霧島くんは随分具合が悪そうだったが、君まで影響を受けたわけではないだろ?」
 顔を紅色のタオルで拭いながら橘が尋ねた。周囲の兵士たちはこちらに注意を払っておらず、外に出るのを嫌ったレミリアは霊夢と共に屋内で紅茶を嗜んでいる。


「まあ、あいつはあいつでセンチメンタルですからね。それに私も結構センチなところがありまして、さっきからメイドの姿を見かける度に背中がぞわぞわするんですよ。今だって死体堀りを見させられて鳥肌です」


「メイドの中で知った顔はあるかね?」


「あんまり。直接はまあ、あのお姫様とメイドとしか鉢合わせしていないものでして。後は半分ゾンビになった斉藤ぐらいです。フランドールっていう化物も又聞きですし――出現した時はどうやら気絶してたらしいんで――あの巫女も初対面ですよ。当然、図書館で本に埋もれているっていうノーレッジなんて論外ですね。確か魔女だとか」


「此処にはもう一人有力者がいたようだが……十六夜とか言ったか。霧島くんと出ていった彼女だろう。まだ戻らないのか?」


「意外と霧島の奴、ひどく体調を崩したのかもしれませんね」
 口にしながら高田は、内心失敗した、と思い始めていた。橘が何かを思い描いているのは確かだが、それが慈善事業でないことは確かだ。彼の重要オブジェクトの霧島と、『時間を止める程度の能力』の持ち主が行動を共にしていることを知らせるのは、何か危うい気がした。
「ま、彼女もメイドの鑑なのでしょう、客人の健康状態には気を使わないと」


「個人的には、その段階から少し外れているようにも見えたがね」
 橘は下卑た笑みを浮かべたが、わざと作ったように歪んでいる。正直不愉快だ。


「客人とメイドの恋物語だなんて、ハーレクインじゃないか。羨ましいよ、それに比べて私はよぼよぼの爺さんだ」


 妖怪を四匹殺して何言ってんだ――内心呟いた。紅魔館に来る途中、二度襲撃があった。一度はそれなりに舗装された道を抜ける途中、もう一度は湖の辺り。内容物は動く毛玉らしき生命体、それから穴の付近で襲いかかってきた鳥の亜種だ。二匹と三匹のペアで襲撃してきた生物たちは、しかし霊夢と橘に叩き潰された。博麗霊夢はそもそものエキスパートなのだから当然だが、橘は湾曲的な軌道を描いてこちらに飛んでくる、邪悪なフリスビーのようなものを拳銃で過たず撃ち落とした。小銃を持つ兵士らに手出しもさせなかったのだから、楽しんでるとしか思えない。死骸を隔離ボトルに突っ込みながら、これくらいの生き物だけなら楽なんだがね、とうそぶいた。


 大きく掘られた穴の縁から、一つずつ棺がせり上がってくる。中身がごとごとと動きながら棺は地上へと引きずり出される様は、何処かの恐怖映画を思わせるものでもあった。もしあの中に封じ込められた斉藤や美村が、まだ生きてたら――そんな怖気が膝から這い登る。同じデザインの棺たちは、斜めにかしいだ状態から音を立てて平地へと落ち着く。体面を重んじるスカーレット家の伝統か、棺はよくよく見るとやはり立派なデザインで、文明世界でああしたものを買い求めようと思えば、相当の金がいるだろう。二台の取り出しを終えた兵士たちが腰を叩いているのを横目に、橘は近づいていく。


「人間! お前、まさかそれらを今日持って帰る積りじゃないだろうな?」
 こちらに近づいてくる声はレミリアの物だ。日傘を用意していた彼女はそれを自動操縦に任せ、手放しの傘がふわふわと漂う下をこちらに近づいてくる。


 橘は答えた。


「いえ、本日は死体の確認だけをする予定で。運搬は我々が引き上げる最終日に行いましょう。これほどの大きさの物を移送させるのも、荼毘に付すのも、それなりの手間がかかりますので」


「あらそう――お久しぶりね、先ほどは失礼しましたわ」
 橘が棺に向かうのを見ながら、レミリアが高田に声をかける。車椅子に背中を押し付けながら、彼の背中に相変わらず得体の知れない悪寒が広がってゆく。あのメイドたち以上だ。今すぐ敷地外に逃げ出したいのだが、残念なことにまともに動けない。


「いえ、こちらこそ。お元気そうで何よりです」


「ええ。リョウイチもいるし、毎日が楽しいわ。あの人間が来たことにワタクシ大変ご立腹だけど」
 怒りを表しているのか、レミリアの足元が徐々に陥没していく。その沈みの模様は高田にも感じられ、車椅子がわずかに傾いだ。


「あなたは、どうして霧島をここに連れてきたんですか?」
 まだレミリアの真意を聞いていない。霧島の挙動の意味を未だ掴めずにいた高田は尋ねた。鼻を掻き、彼女は答えた。


「あの子はフランを追い払った」レミリアの言葉は、一つからやがていくつもの言葉に膨れ上がる。「墜落死、メイドらによる射殺、イノシシ、……あの時、何度も向かってきた死の危険を全て払いのけて、あいつはここから逃げ延びた。それが気に入った。いえ、最初は遊び半分で、ここに寄せたのね。一回話してみましょうか、一回遊んでみましょうか。そしたらますます気に入って、じゃあ本格的に飼おうかしら、住ませようかしら、って感じ。でもあいつ運動神経全然ないわね。弾幕ごっこも教えようとしたけど、無理だったわ。どうしてあんな奇跡が起きたのか信じられない」
 わずかに歯を出してレミリアが笑み、想像した高田もなんとなく嬉しさがこみ上げる。
「外でもあんな感じだったの?」


「ええまあ……ですが、あいつは楽しい奴ですよ。馬鹿に繊細な所もありますが、根は真面目で、善良です。刑務所に入ってたってのも、こんなところに来たのも信じられません」


「そう、だからなの」
 レミリアは、自分にだけ通じる言葉で口にした。目がこの場ではない、どこか遠くに据えられる。高田は踏み込もうとは思わなかった。
「だから、あの子がね」
 一度、言葉を切った。
「リョウイチは本当に不思議な人間よ。幻想郷とも、外の世界とも、どこか違う。両方ともズレている。……どっちの世界にも足をかけた、詩人って言うべきかしら。それとも異邦人? どっちつかずの危うい感じ、好きよ。あの子の心はきっと今ぐらついている。このまま返すのが惜しいわ。このまま館に幽閉して私だけの物にしちゃいたいくらい。八十ぐらいのリョウイチとも一回話をしてみたいし、できるなら若返らせて子どものリョウイチとも遊びたいな。それとね、……あー、えーと」


 レミリアが何故かもじもじとして、居心地悪そうに傘をぐるぐる回している。困った子どもが帽子を目深に被るようだった。


「すまなかったね」という声が、とうとう零れた。
「お前の仲間たちは、結局私の責任で死んでしまった。森で遭遇した男たちを殺したのも、連れてきた男の血を吸ったのも、私だ。霧島を寄せたのと同じく、遊び半分でやったんだ……今は反省してる。正直、あれは軽率だった。お前の友人もいたんだろうし、リョウイチの知り合いもいたんだろう。だから……すまない。おかしいな、前まではこんなことは頓着しなかったんだが、リョウイチと暮らしてると、なんか、そうしなきゃいけない義務感が出てきてな」


 高田は横に立つレミリアに目を向けた。なぜ霧島がここで?


「それまで人間というのは咲夜や霊夢みたいな、特殊で大岩のような奴しか見たことがなくてね。弾幕ごっこもできない、普通の人間と暮らしたのはこれが初めてかもしれない。どうも、弱くてその後の反発も薄そうな奴なら、潰しても構わないと無意識に考えていた……のかな。けれど、霧島とトランプをしたり、ピクニックをして、弾幕ごっこを教えたりして……なんか、変わった。どこがって訳じゃないけど、あいつと話していてな、人間ってこういう者なんだ、私はこういう奴らを手にかけたのか……って肌で感じるようになってきた。愛おしさまでは行かないけれど、最低限の敬意ぐらいは持たないと、と思うようになってきた。だからな、誰かに言うべきだとは思っていたんだ。けどあんなクソジジイに謝罪するわけにもいかないじゃないか。どうせあいつ、お前らを奴隷みたいにこき使おうってクチだろう? なら、あの時リーダーだったお前に話すべきと思ってね。今度からは、もう手はかけないよ。もし人間らに咲夜を殺されたりしたらどうするかはわからんが、私個人だけの問題なら、そういうことはしないと確約できる」


 先ほどとは別な意味で言葉の多い表情は、とても人間くさいことに気づき、高田は笑ってしまった。困ったように眉を寄せ、もじもじしている様は過去の悪戯がバレた人のようだ。そしてこの傲慢で、プライドの極北を思わせる吸血鬼が、素直に弱みを見せられるのがこういう場面でしかないことに思い至り、そこに何らかの哀愁と息詰まるものを感じ取った。貴族は生の全てに制約を持つ。


「了解しました。私はよく友達が死んでしまう人間でね、正直あまり気にしてないんですよ。昔は怒ったり泣いたりしましたけれど、今はなんとなく慣れました。後で篠田――そこで座り込んでる奴です――にも伝えておきます」
 ありがとう、と呟くようにレミリアが口にし、高田はふとタバコを吸いたくなった。だが禁止されている。


 橘らは既に棺のチェックをはじめていた。一つ目は斉藤のものだったらしく、橘が手を振ると早速埋め戻されはじめていた。「見に行きましょうか」こっくりとレミリアはうなずき、一人の男と少女は、地面に出された棺へと近づいていった。


 二つ目の棺に入れられていたのは美村隆史。ギィと音を立てて開けられる筈のない扉が開き、橘は顔をしかめる。蓋をわずかにずらしただけで、激臭が漂ってきた。


「どっちもどっちだな。臭いがひどい」


「まあ、人間のまま死んだだけマシな方でしょう」
 口を挟んだのは高田だ。中を少し覗いたが、やはり友人の死体を見るのは、いつであっても辛い。傭兵と一般人の違いが一番出るのは、それが顔に出るか出ないかということだ。


「ああ、美村……くそったれ、マジで死んだのかよ」
 篠田は顔を歪ませ、見ていられないと顔をそむけて口を押さえた。「俺抜きで頼むわ」


 橘はもう少し蓋をずらした。上蓋がずるずると滑りでて、地面に落ちそうになる。蓋の裏側に張り付いた虫の残滓を見て彼はため息をついた。脇にいた医療従事兵が歩み寄ろうとするが、橘が問題ないとばかりに手を振った。こんなになってしまえば橘でも検死できる。


「あー……グチャグチャだが、傷はナイフ中心、かな。こいつは全身を釘付けにされたのか? 刺し傷だらけだ。それにしても、随分適当な放り込み方だな。姿勢がメチャクチャだぞ。固定もされていない。乾燥機にでも入れたのか?」


「戦闘が終わった後すぐに埋葬したんだ、仕方あるまい」
 乾燥機という単語は知らなかったが、皮肉だと気づいたレミリアが口にした。
「それに当時は私も出払っていて、監督ができなかった。妖精メイドにも欠陥はある」


「私はここで埋葬されたくないね。後は変わった点はなさそうだが……なんだこれは」
 橘は棺に体を突っ込むと、美村の足近辺を探り、顔を上げた。それは金属製の小柄なナイフで、怜悧に磨き上げられたそれは、長い時間を死体と共にしてもなお、少しも輝きを失わない。


 レミリアの顔を焦りと驚きが駆け抜け、消えた。それに気づかない橘ではない。


「杜撰にも程がありますな、凶器の回収すら行わないとは。お宅の妖精メイドたちは余程質が低いようだ。エンバーミングもハンバーガーも同じ響きなんでしょうな」


「全員気が立っていたのだ、仕方あるまい。何人かお付きのメイドも死んだし、部屋で爆弾が破裂した。掃除にかかりきりだった」
 レミリアの言葉が多くなったことは、篠田も、高田も気がついた。
「それにその程度のナイフ、うちのキッチンにも保管してある。手近な物を武器のかわりにするのは戦場の務め――」


「刻印が刻まれている。十六夜とあるようだ」
 橘は完全に事態を掌握した者の顔になった。その顔に嗜虐が浮かび、鰐めいた歯が浮かんだ。遺体をここに放り込んだメイドは、ピアス程度にしか見ていなかったのか?
「確か、そういう名前を持ったメイドが一人いたようだ」


「…………私が責任を負う」
 口にしたのはレミリアだ。橘は目を向けて、続きを促した
。「認めよう。美村を殺害したのは十六夜咲夜だ。私が嘘をついたことも認める。だがそれら全ての責任は私にある。館の不祥事は私の不祥事だ、彼女への罰は私への罰として欲しい。私を煮るなり焼くなりしてくれ。……殺すなり」


「そうかい」
 篠田の行動に躊躇いなどなかった。いつのまにか立ち上がっていた彼は片手で持っていたスコップを無言で振り上げると、思い切りレミリアの頭に叩きつけようとした。その目は殺意一色に染まっており、近くにいた高田ですら止めようがなかった――その腕を掴んだのは橘である。


「離せこの野郎」
 篠田の声は殺意に磨きこまれていた。
「一発ぐらい殴らせろ、こいつの手下がダチを殺したんだぞ。こんな滅茶苦茶な姿にしやがって、これ見て怒らない奴がいるかよ」
 既に篠田の頭に、相手が吸血鬼という思いなど欠片もない。あるのは一つ、ケジメだ。


「まあ待て」
 橘が素早く篠田の耳元に口を近づけると、二言三言囁いた。一瞬そのこわばりは強くなったが、すぐに力が弱まると、渋々とスコップが降ろされていく。篠田はレミリアを見てもう一度スコップを持ち上げたが、しかしすぐに凶器を落とした。「苦しんで死にやがれ」と嘯きつばを吐き、スコップを向こうに放り投げると戻っていった。橘はひとつ息をついてから、ほがらかに口にした。


「良いでしょう。あなたの告白は確かに受理されました。この件は不問にします。代わりに我々の条件としてですが、あなたの皮膚と血液サンプルを頂戴したい」
 レミリアが眉をそばだてた。
「非は確認され、犯人もまた我々の知ることとなった。私たちは報告書を作るのみで裁きまではしません――それは裁判官か、閻魔大王にでも任せれば良い。ただ今度、十六夜氏の事情を伺いたいものです。いずれにせよ、スカーレット殿が被ったことで、彼女の罪は免除された……構いませんな?」
 レミリアは憮然としたが頷き、高田も同様だった。


「ただ、私の側からも望む事がある」
 レミリアはあくまで毅然とした調子で言う。
「できれば、この事件については内密に処理して欲しい。外に漏れるのはこの館の誰もが望まない。特に、リョウイチにはこの事実を知らせないでくれ。咲夜が、犯人だということを」


「理由をお伝えしたくないということは、含みがあるようですな」
 橘が腕組みをし、指でナイフをすがめながら言った。腰のそれを抜き出して兵士に渡すと、空いた鞘に咲夜のナイフを滑りこませた。
「私には知らせたくない事情があるように見える」


 少女は無言のまま。


「良いでしょう、我々は霧島くんに十六夜さんが犯人であることを口外しない。それで構わないね?」


「ああ。それで私はどうすれば良い」


「血液採取用のキットや、医療班は我々と同行している。まずは館に戻ろう……そこで軽く血と、腕や粘膜のサンプルをいただければそれで良い。我々の世界にも奇病難病はまだまだ存在していてね、あなたの体組織が特効薬になるとも限らない。いずれにせよ未来への資産になる」


 レミリアは意を決めたというように紅魔館へと歩き出す。その後ろに橘が続きながら、兵士たちに棺を埋めなおしておくよう指示しはじめた。後に残された高田は、未だ館から目を逸らしたまま立ち尽くす篠田を見てため息をつき、館へと車椅子を動かしていった。



***



 久しぶりに歩く血の沼だった。あらかた対象を射殺し終えた東海林は小銃を降ろして肩にかけた。銃声の残響音が森深くに鳴り渡り、こぼれた薬莢らは静かに転がる。他の隊員らは未だ散弾銃を構えたまま警戒の体勢を崩さない。デスクワーク続きでこのような修羅場などそうは体験できなかったのだ。薬莢を拾っているうちに気分が軽くなり、鼻歌が零れてきた。酸鼻な死臭は心地良い。


 時刻は黄昏近く、東海林らのグループは人里での情報収集を終え、帰還ついでに穴のまわりを哨戒していた。既に他の兵士らは半数が仮宿舎へと戻り、装備点検に余年がない。橘からの無線では彼が紅魔館で一仕事終えたことを告げており、出迎えるための哨戒でもあった。懐に保管してあるPDAやカメラには、幻想郷の地理情報や彼らが積み重ねてきた歴史(稗田家の後は上白沢家や貸本屋の鈴奈庵に寄り、道中で見かけた怪しい薬売りからも話を聞くなど、細かい情報を色々仕入れてきた)についての情報がぎっしりと詰っている。きちんと整理してファイル化するだけでも半日かかるだろう。その過程を考えると胸焼けがしたが、今の状況はそうした憂鬱を吹き飛ばす良き物としてそこにある。


「人と妖怪が戦っていたんですかね?」


「だろうな。あの妖怪屋、年に数回しかこういう事がないと言ってたが、まったく運が良い。その数回にぶち当たったぞ」


 あるいはここにある穴が人と妖怪を故意に引き寄せたのかもしれないが、それについてはどうでもいい。重要なことは、男たちが鳥や獣と戦っており、哨戒中の東海林たちがそこにぶち当たったということだ。人型の妖怪がいなかったのは、ある意味幸運だったかもしれない。妖怪たちは爪と牙で、人間たちは青身に光る山刀と札を片手に交戦しており、人間側は手傷を負っているように見えた。橘らの立場を考えれば人間を助けて然るべきだったのだが、乱戦の最中でうまく射撃し分けるのが難しく、ついでに何でもいいから殺したかったので、両者とも蜂の巣にしてしまった。かくして東海林らによる第一次交戦は終わりを告げ、全滅した獣と人が混ざり合う泥地に彼らは立っている。たどり着いたら両方とも死んでました、と人に言えば良い。この世界、人に突き刺さった銃弾に目をつける者は少ない。彼らは純粋だ。夕日に照らされた死顔は滑稽であると同時に美しく、彼の収集欲を刺激せずにはいられない。


「早く戻りましょう。血を嗅ぎつけて他の奴らが来ますよ」
 胡乱げに隊員が口にした。彼の持った散弾銃は周りを警戒して余念がない。これくらいの森林が続くなら、やはり小銃よりバラける弾の方が良いな、と東海林は思った。
「さっきからあの森の向こうで、何かがちらちら動いてるのが見えます」


「ちょっと待ってくれ、すぐ終わる」
 東海林は作業に集中した。指集めである。するべきことは簡単で、五本の指をすべて切り取って保管するだけだ。適度に水分を抜いてミイラ化させておけば、置き場所や臭いにも困らない。こうした指たちは彼の部屋に二百本近く置いてある。アジアだろうがヨーロッパだろうが、混ざればすべて似通ってわからなくなる。やはり人間だ。すとんすとんと手際よく切り分けながら、東海林の内心にある事実が染みわたりつつあった。この幻想郷の人間らも、泥と傷で汚れた手はこちら側の山奥で暮らす男たちと遜色なく、断面も、皮膚の色もやはり彼がよく知る人間だった。小さな事実だったが、感嘆の度合いはやはり小さくなかった。彼らがやはり人間であることを、たった百年ほど前に文明世界から枝分かれした、言葉の通じる人であることを、ようやく知った。


「何か来ます」
 兵士が鋭く呼びかけると、東海林は顔を上げた。


 森の向こうから暗黒の球体がこちらにやってくる。


 それは傍目には黒いボールのように見えた――時折木々にぶつかり跳ね返る様を見れば、嫌でも連想せずにはいられない。だがボールはどこかへ行くことなく、まっすぐこちらへと突き進んでくる。転がり込むように、あるいは巻き込むように。東海林は妖怪退治屋の言葉を思い出す。名前は確か、ルーミア。まだ距離はあるので射撃の良い的だが、相手に銃撃が通用するかは分からず、橘も不在だ。後ろには退避口である穴もある。ここは逃げておくのが吉と東海林が声を張り上げようとした時、全てが黒に包まれた。


 暗黒一面に満たされた荒野には誰の声もなく、姿も見えない。黒い海に飲まれた東海林は判断に迷った。このまま乱射するか、ナイフに切り替えるか、走りだすか。どこへ? 全てが黒。眼のまわりは黒くなり耳の横には低周波めいた音がいィンと鳴り渡る。体の機能自体をシャットダウンされたようになって東海林は刹那の理性をなくし、その間にルーミアは突如として急加速し飛びかかってきた。


 空気の動きを察知して体を横倒しにできたことが、彼の生死を分けた。一秒前に彼がいた空間を何かが物凄い勢いで通り抜けていった。ナイフ、手榴弾、閃光手榴弾、拳銃、様々な選択肢が流れては消え去る。走馬灯のように。だが兵士としての習慣が手に握った小銃を思い出させ、彼は暗闇の天井に向けて威嚇射撃。音はすれど光は見えなかったが、きちんと銃弾が発射されたことは彼のパニックを抑え込んだ。遠くで人の悲鳴が聞こえ、腕は加速する。ギアのポケット内の閃光弾のピンを引き剥がして悲鳴の方向に投げつけようとした瞬間、闇が消えていた。


「ルーミアッ!」
 叫びの元は少女だった。突如として押し寄せてきた光は暗黒に惑っていた東海林の眼を焼き、遠くの林に起爆準備が整った閃光手榴弾を投げ放つのに時間がかかった。凄まじい音圧と光の群れを無視して小銃を上げると、一人の少女が散弾銃の兵士の足にかじりついているのが見えた。少女は彼を押し倒し、右足を咥えては凄まじい顎の力で振り回している。まるで虎か獅子だ。兵士の叫びは情けなく頼りない。近くにいた兵士の一人が銃床で思い切り少女の頭を殴りつけるが平然としている。東海林が三点バースト機能で撃つと、銃弾は金髪にリボンをつけた少女の頭部に突き刺さり、ギッと声をあげて噛んでいた肉を取り落とした。だが死には程遠い。剥がれかかったシールのように兵士の足の肉も落ち、地面にべちゃりと音を立てる。駄目押しとトリガーに力を入れようとした時、少女に光弾が降り注ぎ全身を打った。遠方では鳥の羽が生えた少女が人形たちに追い立てられて逃げていった。後で知ることになるこの少女はミスティア・ローレライという名であり、ルーミアと組んで人間たちを襲撃したのだった。


「早く逃げなさい!」と叫びが再び聞こえ、その主が上空にいることに東海林は思い至った。空中には人形を侍らす少女が浮遊しており、原理など不明だが(今更ながら東海林は、この世界に我々が把握しきれる原理など存在しないことに気づいた)彼女が射撃――そう呼んでいいのなら――したに違いないと考えた。もう一波が少女から放たれ、既に理性を取り戻した兵士らが一斉射撃する。リボンの少女は全身を撃たれ、見る間にぽつぽつと大型の穴が穿たれていくが、力尽きる様子はない。だが何丁のかSAWからぶちまけられた弾丸と爆音に包囲されると、やがて少女は耐え切れなくなったのか「いたーい!」と甲高い声を出して、頭のリボンを揺らしながらピンボールを思わすように移動し、やがて森の奥へと消えていった。追い打ちの銃弾を何発がぶち込んだが、多分効果はないだろう。


「あなたたち、大丈夫!? どうしてこんなとこに来たのよ。前々から警告されてたでしょうに……!」
 呻く兵士が穴の向こうに引きずられていくのを間近に見ながら、空中の少女が降りてくる。このカチューシャも金髪だが、あのリボンと違って今すぐこちらを食う魂胆はなさそうだ。泥と血にまみれた惨状を踏みしめながら、彼女は東海林の元へとやってくる。「今回は追い払えたけど、次は私も守れる自信がないの。だから早く帰りなさい。面白半分でこんなとこにいたら、次は死ぬわよ」


「すいません、私らは死ぬのが仕事でしてね。後、外から来たんですよ。あそこから」
 無駄打ちだった閃光手榴弾のコストをどう報告するか、ぼんやりしながら東海林が答える。戦闘後の興奮を無意識に収めようというのか、口調は無意識に穏やかになっていた。
「私は東海林と言います。ざっくばらんに言えば兵士です。あなたは……人形遣い、アリス・マーガトロイドさんでしょう」


「どうして知っているの?」
 正解だという気色を滲ませながら、アリスがわずかに下がる。人形らが前に出るが、剣や槍を持ちいかにも物騒だ。人形らの眼がゆっくりと回転しはじめ、『化け人形』という単語が脳内に出現した。多分殺しも幾つか経験してるだろう。
「答えなさい。どこで知ったの」


「敵意はありませんよ。私たちは外から派遣されてきた人間でしたね。目的は……まあ、幻想郷と文明世界との国交成立というか、友好関係というか、そんなものです。でも、あと十日ぐらいで穴がなくなるのでしょう? ですから、ぶっちゃけると残務処理の雑用です。回りくどいことを言いましたがあなたのお名前は人里でお聞きしました」
 兵士らが向ける照準を手で制しながら返す。
「以前、紅魔館に外の人間が来て大騒ぎになったでしょう? あれの尻拭いですよ。これから上司が帰ってくるので、妖怪の首でも手土産にと思ったんですが……案外やりますね。ルーミアでしたっけ」


「ええ。でも外の人間が妖怪を滅ぼそうとするなんて、無茶なこと」
 アリスは考えられないというように首を振った。


「妖怪というのはね、私を含めて、物理的な攻撃に対して強い耐性を持つの。だから、あなたが持っている長い武器で撃ったとしても、完全に倒せるとは限らない。妖怪は人間や他の生き物と違って、精神を持っていて、その力が何より強い。だから撃退するには妖怪の心を直接折らないといけないわ」
 長い武器っすか、と東海林は心の中で嘆息した。発想が明治か大正のそれだし、そもそも外国人のような少女がここに住んでいるのもおかしい。顔立ちは東欧系のようだが、確か文明世界から逃げてきた妖怪もいると聞く。そこに属しているかもしれない。


「それですと、あなたの放った……えーと、光の弾みたいなのはなんですか? それは物体じゃないと?」


「ああ、まあ弾自体は重さも持ってるし、物理的だけど……」
 アリスは顎に手を当てて考え込んだ。沈思黙考の体勢はまさしく人間らしい。
「何と言えばいいのかしら、これは心から、心から出てくるの。相手を倒そう、攻撃しようって考えからやってくるのね。簡単に言えば魔力の塊よ。霊夢とかはまた違った原理だけれど……で、これがぶつかると、相手の心や身体にある程度のダメージが加わる。もちろん相手は妖怪だからタフだけど、何発もこれを当てれば効かない相手じゃない」


 心の痛み、精神への攻撃。馬鹿げた話だが、それがこの幻想郷の常識なのだろう。こちらがミサイルやら水爆を息せき切って開発している間に、ここでは相手の肉体じゃなくて心を叩きのめす方策を考え出していた。


「なら妖怪を攻撃するためには、占いとか、呪いとか、幻覚やら薬やら催眠術やら……とにかく、どうにかして心を傷つけられるものを用意するのが一番なんですね?」
 まぁ、そっちの方が銃よりかは良いかもね、とアリスは口にした。


「けれど、どっちにしろ妖怪と人間が戦うなんてのが無茶なのよ。弾幕ごっこでようやくイーブンで、まだ純粋な闘争になると、勝てない確率の方がとても高いわ。霊夢や魔理沙みたいなのは別に考えた方がいいけれど。そもそもここは人間が妖怪に食べられ、妖怪は人間に退治されることで成り立つ土地だから……」
 アリスの言葉を聞きながら東海林は、己の底に何かしらのひっかかりを感じ始めていた。土に埋まったガラス片であり、仰々しい輝きを備えながら自分を誇示している。精神、物理、心。何か見逃せないものがある。外界では相槌を入れながら、彼の心は自然とガラスに引き寄せられていく。


「……そろそろ行かなきゃ。今から人里で、人形劇の打ち合わせがあるの」
 足元に広がる血だまりと見つめながら、アリスはそっと口にする。
「この人達は、人里の外れに住んでいた妖怪退治屋の二人組ね。きっと。二人共、妖怪に家族を殺されていたから、互いに気が合ったのかもしれないわ。後で里の人を呼ぶけれど、その頃には他の妖怪が持っていくかも」


「お詳しいですね」


「ええ、」
 寂しげな微笑を浮かべ、夕暮れの残照が照り返しを浴びせかけた。
「前に人形劇をしてた時に、石をぶつけられた事があるの。介抱してくれた上白沢さんから、それを耳にしたわ」


 驚いた。この弱肉強食社会でも、それなりのドラマがあるらしい。


「じゃあ、私はもう行くけれど……あなたたち、そこの穴から帰るの? 気をつけなさいよ。そっちにも雑魚妖怪が入り込むかもしれないし、安全とは言い切れないんだから」


「了解しました。以後気をつけます」
 事実、あの兵士は行動不能になった。足の筋肉をばっくりとかじり取られたのだから、暫くは立つこともできないだろうし、すぐに本部に送り返されることだろう。事後処理が面倒だが、まあルーミアに端を発する妖怪らと実地で戦えたのだから、その辺をプラスに考えよう。


 アリスと別れて穴へと帰還しながら、東海林はふと、この穴も妖怪の一部なのだろうか、と考えた。



***



 穴は妖怪ではなかったが、妖怪よりもより禍々しいものになりつつあった――それは紫のような大妖怪に傷つけられ、破滅させられそうになっている現在でも変わらない。


 それの生存本能は卓越したもので、生まれ育った汚染の地では根を張りながら、他にも色々な結界としての隙間を通し、種を蒔き子を落としてきた。できる範囲で妖怪らの精神にヒビを入れ、発狂に至らせることも繰り返した。だが企みは全て喝破され、紫や藍という生物らは穴を追い詰め始めている。子どもらはみな殺され、狂った雑魚も封じ込められた。奴らは本当に許し難い。だから穴は何度も紫の足元を崩そうとし、精神防壁を乗り越えることで彼女を蹂躙しようとした。藍の尻尾も枯らそうと努力した。だが藍に危害を加えられても、紫には無理だった。それどころか攻性用の空間から逆に穴の存在を侵食し、穴の攻撃をも逆流させた。穴の再生能力は他の生物に比べ雲泥の差であったが、如何せん相手は穴を殺すことだけに休まず心血を注いでいるのだ。既に死期が近いことを穴は悟りつつ在る。現在彼女たちはようやくの長時間休憩のために穴付近から出ていたが、再生する以外には何もできそうにない。


 それが企んだ中で唯一成功したのは、外から混沌を呼び寄せることだけだった。レミリアという吸血鬼、橘という人間、それから別の男たち。愛執にも似たおぞましい視線を、穴を通り抜ける東海林を裏の次元から見つめながら、それは未だ尽きない喜びに打ち震える。特にそれは橘に想いを寄せていた。人間でありながら混沌に身を置き、それの有様を楽しく楽しく変えてくれる存在に。だからそれは橘の眼を惹くために、頭の弱い人間を操ったり幻想郷のバランスを揺るがしたりもした。この地に張り巡らされた霊的な存在には、支配下に置ける代物もそれなりにあった。幻想郷を丸ごと叩き潰すことはできない相談だが、蓋を掴んで揺さぶる事はできた。ならば掴まぬ道理などなく、穴は霊夢という少女の特性を、妖怪たちの精神の均衡を、幻想郷の天地の模様をひっくり返そうとしている。ただ動き続けるしか能のない歪んだ存在は、何かをしなければ存在する理を持てなかった。そのためには何かを壊したりひっくり返したりすることが一番の特効薬だった。また橘には精神干渉も行い、彼自身の感覚でより混沌に突き進むよう、より狂うよう調整済みである。無論理性あるものには妨害を惜しまない。特性の利用に対する不愉快さと頭痛、体調不良や幻覚を引き起こすよう鋭意努力中である。もしも穴が消滅した際にそうした調整は体調を悪化するか、脳内における悪性の腫瘍として現界する可能性があったが、別に構わない。


 レミリア・スカーレットについては残念な点もあった。以前彼女の狂気は止めどなく溢れ出し、館に流れる別の狂気と同じく、穴に手を貸してくれるものであった。だがその流れはいつの間にか日上がっており、質の異なる狂気もまた、レミリアがせき止めている。おそらくレミリアに何らかの変化があったに違いない。いずれにせよ彼女はもう用済みだ。橘とその一派のみが穴に望みをつながせてくれる。だがそれで十分だ。橘はより多くの混乱を持ち込むだろうし、その混乱たちはもっともっと沢山の混沌を呼びこんでくれるかもしれない。
 穴は自己再生と領域の拡大をゆっくりと行いながら、喜びを密かな囁きとして裡に残しつつ、橘を待つ。かの老人が自分を踏み越えるのを待つ。



***



 霧島が橘に再度呼び出されたのは、日が暮れようとする頃合いだった。いつのまにか眠ってしまったらしく、ベッド脇に咲夜の姿はなく、『仕事が溜まってきたので戻ります。あまり考えこんではいけません! 後でアップルティーを差し上げますので、一緒に飲みましょう』という咲夜のメモ書きが残されていた。涼やかな文字の脇には蝙蝠の絵が描かれているが、ふんわりした調子の絵でギャップが面白い。しげしげと二度読み込んだ後で三度目に入ろうとした時、部屋のドアがノックされた。何故か慌てて用紙を枕元に隠し、はい、と答える。
「私だ、橘だよ。調子はどうかね? 帰る前に一目会いたくてな。他の無粋な奴らはホールに置いてきた、二人で洒落込もうじゃないか」


 霧島がドアに寄って開けると、廊下には長身の老人が立っていた。ホルスターに挿した拳銃とナイフが緊張感を浴びせかけるが、橘は破顔した笑みを浮かべて、「一緒に歩かないか?」


 廊下を歩いて行くとやはりメイドにすれ違う。羽を生やした少女たちは霧島たちを見かけるたびにお辞儀し、時たま「お散歩ですか?」と気楽に声をかける子もいた。あの襲撃の夜に比べたら段違いで、これくらいになると、ようやく誰かが住める所だという印象も出てくる。
「随分と人気者だね。どういう手を使ったか、私にも教えて欲しいよ」


「いえ……ところで、どこに向かって歩いてるんですか?」
 今は西館から東館への連絡通路を歩いている筈だが、こっちの方角には応接間も娯楽室もなく、居並ぶメイドたちの部屋か、屋上の時計塔に通じる階段しかない。レミリアの部屋は西館だから反対側だ。今いるところは二階だが階段を降りる気配もない。


「時計塔だよ、この年になるまで見たこともなくてな、一度で良いから見てみたかったんだ。君もそうだろう?」


「……そうですね。でも、どうして?」
 霧島の疑問に橘は顎をごしごしと擦ると、朗らかな口調で、


「さっき美村君の遺体を拝見してな」


 目の前にいる霧島の顔色があからさまに悪くなってくるのを眼にしたのか、神妙な面持ちになって「きちんと手は合わせた。相手は仏様だからな。大丈夫かい?」
 霧島はつとめて目を閉じて、深呼吸を繰り返した。三回、四回目でようやく胸が解れてくる。落ち着け、落ち着け。混乱するのはさっきだけで十分だ。「大丈夫です、何とか大丈夫そうです」


「良かった。君は育ちが良さそうだからね、死体に免疫なんてないだろ?」


「ああ、ええ、そうですね」
 相手は霧島の犯罪歴など百も承知のように思えたが、蒸し返したくもないので黙っていた。廊下はやはり紅一色であり、ドアカラーや廊下の色、ところどころに飾られている花瓶や窓枠の色も紅だ。外から見ると随分小さそうに見えるが、内部から歩きまわるとそうではないと五感が訴えかける。美村は最後にどんな景色を見たのだろうかと思ったが、どうにかそれを打ち消そうと努力をする。そのまま二言三言交わしながら歩き続け、上がる階段を発見した。『必要ない時は立ち入らないように!!』という札が下がっているのを、橘は平気でまたぎ越した。躊躇する彼に、大丈夫だから来たまえ、許可は取ってあると手招きする。二人は屋上へ入り込んだ。


 眺めは絶景だった。茜色に沈みゆく地平線や足元の赤さに滲んだ湖、ミニチュアの花壇たち、それから巨大な文字盤や時計の針。円盤にローマ数字で形作られた文字の群れは、静かに六と七の間を身じろぎする。ただ大きい。ただ美しい。言葉も無く彼の口から音が漏れて、それは感嘆の度合いを十分過ぎるほど表していた。橘は横で腕組みをしたまま何も言わない。そして彼はもう一度、幻想郷の地平線を見て……呆然とした。彼が通らざるを得なくなった穴なんてものが、遙かに小さな問題に思えるほど、残照に平等に照らされた森や、妖怪の山や、渓谷や、博麗神社や、小さな小さな建物の群れは、生命というものを表しながら無情さと荘厳さを兼ね備え、ただ切なく心に染み入る。篠田や、高田はこの光景を見つめたのだろうか。咲夜は毎日これを見て過ごしているのだろうか。あちこちで飛び回り動きまわる人や生き物は、そこが絵画の世界ではなく実物だということの紛れも無い証明。彼が垣間見た弾幕ごっこのようにそれは瞬間瞬間の黎明さを煌めかせながら、海原のような静けさを投げかけていた。車などなく、飛行機などなく、文明に汚されていない日本の原風景は、そのものが特異な紅魔館の上からの眺めでも砂一粒の価値を失っていなかった。


 声などなく、暫く見つめ続けた霧島に橘が声をかけた。


「十六夜咲夜、と言ったかね」
 世界に見とれていた霧島に影が差し込む。
「ちょっと彼女の忘れ物を見つけてね、君から届けて欲しい」
 橘はナイフ用の鞘からそれを取り出すと、霧島に差し出した。

「これは――」
 ナイフですか、と口にしそうになった所で、柄に刻印された文字が見えた。


 十六夜咲夜。


「美村くんの足に刺さってたよ。いや、肉が溶けてたから落ちてたと言ったほうが良いか? まあいい。とにかく棺桶の中にあった。私だって驚いたとも。あのメイドは几帳面だから、こんなドジとは無縁に見えたのだがね。どうも彼女と私の相性は良くなさそうだしな、君にお願いしよう」
 霧島のズボンにナイフを押し込みながら、橘は肩を叩く。
「ああ……これは内密にお願いしたいね。代わりにスカーレット殿は我々に血液と皮膚のサンプルを提供してくれる。要するにウィンウィン関係だ。ハハ。後日改めて十六夜君の話も聞きたいから、まあその辺も言っといてくれるかね」


「嘘、でしょう」
 声の震えを押さえることなどできなかったし、おそらくそうしても無意味だ。訳の分からない言い訳が口をついて出る。
「彼女がそんな事をするはずがない。だって、俺の事を助けてくれたんですよ? 食事とかベッドメイキングとか世話だってしてくれるし、今日も気分が悪くなった時に一緒にいてくれたし、この前のピクニックでは紅茶の淹れ方やワインの作り方だって――」


「お前がクソ軟弱で奴らに懐柔されたことは分かった」
 橘が強めに霧島の方を小突くと、彼はよろめいた。霧島の精神はどこか遠くをふらついており、視界と心がバラバラになっていた。動悸が戻ってくる。


「本当なら二、三発お見舞いしたいとこだが、傷つけるわけにはいかんしな。ま、私は忘れ物を届けに来ただけだ。君に信じさせるために来たわけじゃない」
 橘は小突いた側の拳を拭うようにした。
「事実関係が気になるなら、高田君か篠田君にでも聞いてくれ。同席していたからな」


 霧島は反論しようとした。橘の言うことは一から百まで間違いだと証明したくて口を開けて、閉じた。ポケットのナイフがいやに重い。何を言うべきか逡巡した挙句、とうとう言葉が出てきた。


「美村は、どんな顔をしてましたか。きちんと、天国に行った顔をしてましたか」


 この瞬間、霧島の中にある種の決別が生まれていた。彼はそれを夢の中で、あるいは寝起きの最中にぼんやりと知ることになる。自分が好きになった人よりも、親友を優先したことを。反論なり罵倒するなりして、咲夜を弁護することはできた筈だった。だがそうせずに、今の彼は美村を優先した。その事実を知りえないまま死んだことになり、この瞬間に亡霊と化して現れた友人のことを。気の置けないメイドとの付き合いと、当主との楽しい戯れの狭間に封じ込めてしまった友人のことを。その瞬間、それまで得体の知れない可能性としてでしか存在しなかったものは、既に事実として組み上がってしまっていた。


 咲夜は美村を殺害した。


 その時に至って霧島は、自己の内部に浮かんだ『好き』という単語を意識した。それが咲夜に向き始めていたことを。壊滅的なこれまでを通して作られはじめたそれは、濁流に流される芽のように押しつぶされた。最初から間違っていた。どこで、なにが、ではなく、それが生まれること自体が完全な間違い。好きにならなければ、これほど悪くもならなかったのだ。


 既に日は地平線に潰されており、塔に巣食う蝙蝠が鳴いている。橘は言った。


「知らん方が良いよ」



***



 喉を流れ落ちる血液の感触。それを歓迎したい気持ちでグラスを干したレミリアは、窓を見た。夏だというのに外は寒々しく、幻想郷という地盤に異常があったようだ。メイドたちも騒がしく、毛布を出しては戻したりと廊下も忙しない。グラス内にある血の残滓を見つめると、ちくりと胸の奥が傷んだ。死体確認の後に彼女の血は抜かれ(注射器を持った男は、レミリアの血がシリンダーの中で泡を立てて蠢くのを、目を丸くして見ていた)、口の粘膜や腕の皮膚も幾らか持っていかれた。これで館の恥辱が雪がれたのだから、それほどの屈辱ではない。だが仮にも吸血鬼と名のつく者が、そんな様で良いのだろうか。


 久しぶりにあれをやろう。眼を閉じて、運命操作に身を委ねた。


 この能力の中でレミリアは、音もなく色がない世界を飛び回れる。自身をヒトガタでなく丸い魂か何かのように捉え、彼女は既に紅魔館を発って幻想郷上空を旋回している。周囲を妖怪や鳥、獣みたいな生き物が過ぎていく。それらからは薄ぼんやりとした糸が伸びており、隣に並ぶ者あるいは遠くへと繋がっている。運命線。レミリアの眼にしか見えないそれは、その生物の繋がりを、他者との関わりを明確に表示する。人里へ向かえば糸の群れはぐるぐる巻の毛糸玉になって煩雑となる。どれほど人間が繋がりを重用視しているかの良い手本だ。たまに糸がちぎれたようになっていたり、最初から何も生えていないような人間を見ることがある。そんな奴は、すぐ死ぬ。頭上に見える幻覚変数も随時変化し、見ている前で消滅を意味するワードになることもある。だがレミリアの手によってそれは変えることができる。一分後に死ぬか五分後に死ぬかを操作できる時もあるが、もっとマシな操作ができる事もある。とある人間の頭上に手を伸ばそうとした時、視界が痺れた。


 電撃を浴びたようなショックにレミリアは一瞬たじろいだ。手を戻すと火傷を負ったように手が蠢く。紅魔館に神経を戻すが、本体に影響はない。他の人間に触れても焼ける。建物、地面、そして妖怪――炭化しはじめた手を修復させ、もう一度集中する。痺れの源は、人里ではない。湖でもない。博麗神社。マヨヒガ。妖怪の山――あの穴だ。遙か遠くの異次元への入り口は、ここでは行動を妨げる防壁として存在している。既に移動していた人魂状態のレミリアが穴の前に立つと、それは忌まわしい鳴き声を上げながら彼女に触れようとした。この世界での穴はアメーバのような生物と化しており、レミリアを凝視してはどろどろの体を右に左に気持ち悪く動かす。下郎め、と口から漏れた。その肉体は震え縮み始める。所々で粘体としての体が焼けては煙を発し、ぽかりぽかりと水滴のような穴が開く。こいつと戦う奴なんて八雲ぐらいしか居るまい。こことはまた、異なる次元での戦い。こいつも大変だな、と鼻を鳴らして彼女は能力を解いた。


 気分転換の筈が醜悪な事実を見せつけられたレミリアは、うんざりした心地でバルコニーのドアを開けた。暗黒が勝ち誇る幻想郷の月夜は、厳然として未だそこに在る。


「はい、お疲れ様。一人になった感想はどうだった?」
 先にテーブルについていたパチュリー・ノーレッジは悠々と本を読みながら口にした。先ほどまでレミリアは、なんとなく一人になりたくて部屋にいた。その間パチュリーは、黙念とワインとグリモワールに集中していた。


「微妙。ワインだと思って口にしたらビールだった気分。私、苦いのダメなんだよね」
 椅子にかけながらレミリアはうそぶく。パチュリーが一瞬だけ視線を本から上げた。


「あの人間はどうするの?」


「フン、あの狒々爺か。私はああいうタイプが嫌いでね、勝手に人間を害してはいけない協定がなかったら、すぐにでも殴り殺したいところだよ。きっと内蔵も臭そうだから掃除が大変だな」


「そうじゃなくて、新しくここに来た人間の事よ。名前なんだったかしら」


「相変わらず興味がない事は一切覚えないんだな」
 レミリアはため息をついた。まあ、吸血鬼には理解し難い本の字句を一語一句に至るまで暗記するのだから、これでバランスはとれているかもしれない。
「リョウイチだよ。霧島遼一。あーあ、今日はあいつも誘えば良かった。パチェの前でイチャイチャしようかしら。うふ」


「変なこと言わないでよ。それにしても随分とご執心じゃないの。珍しい」
 パチュリーは本を一旦閉じてワイングラスを啜った。音なく深紅が消えていく。
「そこまで面白い人間に思えないけど。メンタルがヤワそうだし……平凡ね」


「あの旨みは通にしか分からないのさ。パチェはまだまだだね」
レミリアは椅子にもたれかかり、後ろ脚で椅子を揺らした。軋む音がする。


「咲夜の事があるから?」
 パチュリーの言葉に、レミリアの顔に影が落ちた。テラスに設置された魔術光が、朧げな表情に明かりを投げかける。
「あわよくば、咲夜をもっと人間らしくしたい。できるなら、悪魔のメイド長に人の道へと戻ってもらいたい。人間の良さも知ってもらいたい。叶うなら、無理矢理結婚させてでも「怒るよ」」


 魔女は黙り沈黙が落ちた。レミリアは空に眼を据えたまま腕を組み、パチュリーは本の背表紙に指を添わせる。ただ少しの疎通の時間を、微量な沈黙がもり立てる。先にそれを破ったのは吸血鬼だ。


「あの子をメイドにした時も、単なる出来心だった」
 数珠つなぎに言葉が合わさる。「単に使い勝手の良い駒、ヒトガタのボーンぐらいにしか考えてなかった。ただの使い走りだったんだ。飽きたら捨てれば良い。壊れたら外に投げれば良い、ぐらいで。でもさ、咲夜が大きくなってくると、それまで考えていた事と全然違うことがわかってきた。当たり前だよな、なんで気づかなかったんだろ。一人で部屋の掃除ができるようになった。メイドの仕事をこなせるようになってきた。化粧を覚えた。他の妖精たちとも慣れてきた。ナイフを使う事を知った。人を殺して、解体することも覚えた。汚いことも私が教えたしあいつは全部覚えた」
 パチュリーは口を挟まない。首を傾けて続きを問う。
「咲夜の中にしこりがあるのを私は知っている。人を殺す度にまだ動揺して、大ポカをやらかすことを私は知っている。あの子は吸血鬼に育てられた、でも人間だ。人外にはなれない。あの子がどれだけ頑張って人を殺したって、私になれる訳がない。越えられない線というのがあるんだよ。人間が羽を生やしても鳥にはなれない。単なるまがい物だ。


 彼女が私を慕っていることは分かる。でもさ、私は鬼で悪魔だ。人間じゃない。彼女の血を吸って咲夜をこっちに呼び込むことはできるけどさ、そんな生やさしい話じゃない。もし吸えたとしても、きっと人間だった頃の名残が彼女を押しつぶす。理性、道徳、価値観、誇り。そういうのが、人間と私らでは大きく違うからな。二つの種族を行ったり来たりなんて、まともな精神でできる業じゃない。そんなことをしたら、どこかで咲夜は限界を迎える。もしかしたら、今だって限界かもしれない。だから……だから、咲夜が幸せになるならさ、ここから出てもさ、……良いとすら、思ったんだ」
 言葉が出なくなったレミリアは繕うように深呼吸をした。パチュリーはグラスを置いて本を持ち上げると、身を乗り出してゲンコツでレミリアの頭を叩いた。意外と強い力に、レミリアが痛ッと言う。三回殴って魔女は席に戻った。


「レミィ、それをきちんとあの子に話した?」


「……話して、はないけどさ」
 パチュリーの眼を見られなくなり、テーブルに頬を突っ伏す。その冷たさが死んだ頬と同質化する。
「けどさ、馬鹿馬鹿しいけど、どう切り出すべきか分からないんだよ。それにどこかでこじれちゃって、咲夜が誤解する方が怖い。もう私は用済みだとか、いらない子だった、とか思うかもしれないし。だからどっかで咲夜が勝手に気づいて、勝手に悟ってくれれば良い……って思ってるけどさ。そうもいかないね」


「レミィの怖がり。大間抜け」
 パチュリーは今回、レミリアの頭をやんわりと撫でた。
「あなたも、随分と考え方が人間臭くなったわ。六十年前が嘘のよう。あの頃のあなたは、動く暴風雨だったわね」
 魔女の手が吸血鬼の頭から離れると、レミリアは若干寂しそうな笑みを浮かべた。パチュリーはくすりと笑う。


「それでレミィ、小悪魔から事情はだいたい聞いたけど……あの男、穴の封鎖と同時に帰るのでしょう? ここまで事態が大きくなったんだから、帰らせないつもりはないわよね」
 魔女の言葉にレミリアは姿勢を正して首を振った。羽がいじましそうに揺れる。


「それは流石に可哀想だ。私が勝手したのは事実だし、リョウイチも外に未練はあるだろう。あいつの意思もあるけど、基本的に外までエスコートする――これ以上振り回すのも気の毒だしね」


「そう。ならこれ以上ここはうるさくならなくて済みそうね。あのネズミのせいで、毎度毎度騒がしいのに、これ以上増えてもね」
 わかってるよ、とレミリアは不満そうに口にする。
「そんなに責めなくてもいいじゃないか」


「親友を迷わせないのが友の務め、これは忠告なの」
 パチュリーは付け足した。立ち上がって本を取り上げると、そろそろ戻るわ、と言う。手を振るレミリアに、パチュリーは付け足した。


「それとレミィ、私はもうこの件にはタッチしないけど……あなたが考えてたことは近いうちに、咲夜に言うこと。自分で勝手に組み上げてた阿呆らしい計画のことも、悩みのことも、全部。明日か明後日か、とにかく早くね。それから咲夜の話を聞いて、そして決めなさい。そうでなかったら、私もう知らないから」


 顔を歪めるレミリアの前で、無慈悲に戸が閉められた。



***



 戸を叩くノックで霧島は妄想から引き剥がされた。足元には酒瓶が転がり、手違いで割れたグラスが床に散らばっている。応ずるべきか否か悩んでいるうちに戸が開いた。


「――まぁ、まぁ、どうしたんですか、これは」十六夜咲夜が眼を見はって部屋の惨状に眼をやると、霧島は自分でも目を覆いたくなった。暗澹とした気分を隠そうと椅子に座った瞬間、もう部屋は綺麗になり咲夜が戸を閉めていた。
「お掃除完了、すぐ呼びつけてもらえれば伺いましたのに」
 その瞳は少々の憤慨と、霧島が気を使ったと思ったのだろうか、何かしらの好意が入り込んでいるようで辛かった。呼べるわけがない――先程まで、彼女が美村をどうやって殺したのか考えていたのだから。ナイフ。咲夜。美村。あの夜何が起きたのか、二人の間で何か対話があったのか、それとも一方的な殺害だったのか。妄想の波は酒に酔っても尚霧島を苛み、二本開けても尚もう一本ワインを開けようとすら思っていたのだ。姿勢を正した霧島の顔色がよほどおかしかったのか、咲夜が顔を近づけて「もうおやすみになった方が良いのでは?」


 彼女の口から血の匂いがするように思えて、霧島の心臓が跳ねた。


「いや、大丈夫。ところで、なんで俺の部屋に? 何か用事あったっけ?」


「お忘れですか」
 彼女の眉が怪訝そうな形をつくった。
「今日もし良かったら一緒に飲もうって、あなたが仰ったんじゃないですか。霧島様がここに寝かされた後で」


 あれから既に数十年も経ったような心地だが、それを口に出すわけにも行かなかった。そうだったな、と呟いてワインを差し出した。《scharlachrot》と記してあるワインを注ぐと、メイドは朝早いのですからほどほどにしてくださいね、と言いながら若干嬉しそうに咲夜がワインを飲んだ。二口で全部干す。


「ちょっとペース早すぎないか?」


「あなたがずいぶん酔っておられますからね、私も早く追いつきませんと。駆けつけ三杯と言うじゃないですか」
 酒の色が混じったその瞳は活発で明快に見えて、そこに殺人鬼の面影などない。


 このワインにも血が混じっているのかと考えた辺りで、霧島は切り出すことにした。これ以上耐えていたら、いずれおかしくなる。


「俺たちがはじめてここに来た日の夜、人を殺したな?」
 咲夜の顔色が変わったのを見逃すほど悪酔いしてはいない。彼女はワインを手で持ち、神妙な顔つきで口にした。
「どこでそれを」


 この反応を見た時、ああ本当に人を殺したんだな、と霧島は直感した。経験者としてのカンで分かった。この落ち着き様はわけも分からずに反論するそれではなく、事実を否認するそれだ。胸が重くなった。


「美村って言う奴で、俺の友達だったんだ。彼の死体と一緒に、ナイフが紛れ込んでいた。十六夜って書いてあったらしい」
 一息を押し込んで、冷静さを、できるだけ保とうとした。
「咲夜が殺ったんだろ、そうなのか」


「私……私は」
 咲夜が弁解するように霧島を見上げて、眼が落ちた。グラスを持つ手が微かに震えているのはどうしてか。やがて咲夜が言う。
「……そうです。私でした」


 この瞬間、霧島の中で口にしようとしていた事実が失われた。なぜ殺したのか。どうやって殺したのか。いつ。誰の命令か。自分の意志か。罪悪感はないのか。そうしたものが、冷静に問い詰めようと思っていたものが全て消し飛んだ。代わりに心を占めたのは絶望だった。紛れも無い本人の自白。あるいは嘘だろうと、全てが自分を騙すための巧妙な仕掛けなのだろうと思っていた部分が、心の片隅にあった。その0.0001%のものがもし真実であれば、霧島は救われただろう。だがそうならなかった。何も口にできなかった。今すぐ吐き気が胃から浮上して霧島をトイレに連れていってくれれば幸いだったのだが、そうはならなかった。霧島は立っていた。そして言葉が出た。


「どうして」と霧島は呟いた。他に数百数千もの疑問があったが、まずそれが口をついた。
「どうして殺った」


「それは……わ、私が……」
 咲夜は哀れなほど吃り、ためらいながら口を開いた。まるで命令をこなした猟犬が、どうしてやったのか咎められた口調だった。
「紅魔館の……メイド長で、外敵から……館を……」


「はっきり言え!」
 霧島の一部は自身の一喝を、全く遠い場所から、まったくのナンセンスとして眺めていた。そこに意味などなく、ただ怒ってやりたいから、咲夜をどやしつけたいという陰湿な欲望がさせたものだった。その証拠に咲夜は殆ど涙目になり、スカートの裾を前にまわした両手で押さえている。手は震えており他の妖精メイドが見たら目を剥くだろう。自分で自分を殴りたくなるほど情けない場面がそこにあった。
「館が何だ! 言えよ!」


「ここをまも、守らなきゃ、いけないから……敵だから……殺さなきゃ……殺し、ました……私が……」
 咲夜はもう言葉を継げなかった。顔を両手で覆った。泣いていいと言ってないぞ――と、霧島は追い打ちをかけようと本気で思った。きっとそうすれば咲夜は体をひきつらせながら手を戻し、どこにも行き場のない体でぼんやりしているしかない。だがそうすればおそらく、自分の人間性すら崩れて腐るだろう。もう十分霧島は自分を壊していたのだが、無意識のうちに泣いている少女に手加減をしたのかもしれない。これ以上足蹴にするのは躊躇われるものがあった。霧島は咲夜を黙って見てから、もう一杯ワインを一気飲みした。お互いが無言だった。


「許してください」
 涙で赤くにじんだ目で咲夜は見上げた。
「私はあなたの友達を殺しました」
 なら俺もお前の友達を殺してやろうか。この言葉も霧島は飲み込んだ。喉が地獄のように赤いのが分かった。


 代わりに彼はひたすら咲夜を睨みつけた。何か掴むものが欲しくてテーブルを掴み、思い切り捻り上げようとした。歯を噛み締める。咲夜は震えながら黙りこみ、俯いた。


 霧島の瞳にいろいろな情景が浮かんだ。咲夜をワインで殴り倒し、頭から血を流す彼女に馬乗りになって殴りつけるシーン。とにかく思いつく限りの罵声をぶちまけるシーン。咲夜の顔に唾を吐きかけるシーン。いずれも共通点は、咲夜を貶めるそれだけに従事していた。心のマグマは今にも霧島を爆発させ、何でもいいから行動をさせようとしていた。本当に咲夜を殺してしまいかねなかった。そして彼の八割ぐらいは、そうして良いんじゃないかとささやいていた。なにせ奴は美村の仇だ。弟と同じように殺ればスッキリするだろう。紅魔館は彼をギロチンにかけるかもしれないが、だからどうしたというのだ。なにせあいつは美村の仇で美村を彼から奪って――


(美村の笑い声 弟の哄笑 刑務所 自分の浅ましい思念の果て)


――霧島はきつく目を閉じた。ワインボトルを振りかぶると、咲夜でなく脇にあった鏡台に投げ飛ばした。警戒とわずかの恐怖が肌を掠めた咲夜の横をスカーレット・ブランドのそれが円を描いて飛び、鏡台の真ん中ジャストに激突した。さすがにガラスが割れるとなかなかの騒音がして、ひしゃげ砕ける音が部屋を満たした。平静さを保ちながら僅かに震える咲夜の横を通り過ぎた彼は扉を開けた。何も言われなかった。外に出て閉めると、辺りを十分見回した上で(小心者だなと心の奥底で声がした)思い切りドアを蹴飛ばした。部屋の中で咲夜は震え上がったに違いない、とかつて両親を殺して布団に火をつけた頃の霧島なら考えただろう。あまりに情けなかった。だから自分自身に我慢できなかった。


 霧島は外に向かって走りだした。



***



 霧の湖は黒く邪悪そうに見えた。篠田は隊員用控え室と銘打たれたそこを出て、草むらに座りながら地面の緑色をちぎっていた。新種のアリか何かに手を噛まれるかもしれないが構わなかった。日が完全に落ちると、緑色だったはずの草はじわじわと暗黒に染まっていき、さながら宇宙空間に生じた異物のようだ。もう一つちぎり、もらったワインボトルをラッパ飲みした。高級品らしいが、味の微妙な違いなどソムリエに任せれば良い。胸の火はくすぶりつつも消えない。


 美村の死体がそうさせた。


 あの杜撰な処置、めちゃくちゃな痕跡。幾らここが悪魔の巣窟とは言え、どれほど彼の遺体が尊重されなかったのか。どれほどメイドたちが彼の人間性を無視したかが分かるようだった。奴らの考えでは虫に墓など必要ないに違いない。だからこそ邪悪の住処という考えがよりいっそう際立った。こんな所が人間世界の近くにあるとは信じられなかった。波一つ立たない静かな水面を眺めながら篠田は、館の方へと目を移した。表門からはるかに離れているので、物音一つ立たない。彼がいるのは館の裏口近くで、そこは調理場と繋がっている。既に火が落ちているそこは、しかし夜食を必要とするらしい妖精メイドたちがうろついていた。篠田らの部屋はその脇にある。もともとはいらない調理器具を置いておく物置だったらしいが、急場ごしらえにした。ベッドとガンラック、それから銃器整備のための機械油の臭いが立ち込めても大丈夫な部屋、というとそこしか該当しなかった。他は全てレミリア・クソ悪魔・スカーレット様のお怒りに触れるとかで許可されなかった。最低限の物しか置かないので殺風景な部屋となったが、女が住むわけじゃなし、元犯罪者と兵士二人が入るのだからどうでも良かった。その兵士たちは本来なら篠田の見張り番をしている筈だが、彼が見たところ奴らはボールペンを弄ることに余念がなかった。それを娯楽にしていることは正直言って気味が悪いが、それでこっちに注意が向かないならマシだ。転んだ振りをしてボールペンらを蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、そうすれば残る一つの腕もへし折られるのでやめておいた。おそらく奴らも心の一部は篠田に向けているのかもしれないが、今のところ彼は一人でいる。その方が色々と都合が良かった。


 草むらに寝転んでいると、二階廊下の辺りで何かが割れる音がした。篠田が見ているとその走る音――周りが静かだし、窓が開いているから余計によく聞こえる――は、だんだんと下ってくる。多分あいつの性格からすると、中央玄関には行かないだろう。どれだけもてなされようが、来賓と評価されようが、真ん中の座席には座りたがらない奴だからだ。そういう奴は、どこに行っても一番後ろか脇に座りたがる。まるで子犬だ。やがて裏口の扉が開け放たれると、思った通りに霧島が飛び出してきた。いやはや、わかりやすい。


「おーいこっちだ、こっち来い!」
 篠田が呼びかけると霧島は、ややためらいがちに歩いてくる。やがて篠田の隣に無言で腰掛けると、彼の持っていたワインボトルをひっつかんで口にした。薄々分かっていたので篠田もさせるがままでいた。一気飲みの算段らしいが、完全に酔われては困る。程よい所で引き離した。それでも顔が泥酔の一歩手前だ。


「飲み過ぎだ。お前、見た感じだと話を聞いたな」
 霧島はしばらく黙っていたが、やがて篠田を睨むような目を向けてきた。おやこいつ、怒ってやがる。


「見たのか」


「は?」


「美村の! 死体を! 見たのか聞いたんだ!」
 霧島が叫ぶと篠田に掴みかかる。内心で嘆息しながら元犯罪者は、しかし霧島を掴み返すとひっくり返し簡単に馬乗りになった。ギプスをしても簡単だ、考えていることが見て取るように分かる。霧島の顔が酔いか怒りのせいかドス赤い。
「くそ畜生! お前も見たんだな! 俺ばっかり邪魔にして! 俺ばかり!」


「そうだよ、俺は見たんだ」
 篠田が顔を近づけて言うと、霧島は黙った。額と額がくっつきそうになるほどだから、霧島は篠田の怒りを認識できただろう。彼の目が海原のように平らとなる。自分もそういう目だと良いが、と篠田は思った。「お前は見ないで正解だった。酷かったからだ。あいつの死体は、腐っていて最悪だった。遺体はグチャグチャで綺麗でもなんでもなかった。収穫した大根やトマトをそのまま放り込んだみたいだったよ。目がなかったしまわりにパーツが散らばっていた。まるで大災害だよ、畜生め」霧島が吐き気をこらえる顔になったから、篠田はもう言うのをやめた。篠田が霧島の上から退くと、彼も座り直した。


「犯人も分かってるんだな」
 問いに霧島は無言だった。それが何よりの答えだ。篠田はワインをもう一口飲んで、霧島というよりは自分自身に――まだ状況を把握しきれていない自分自身に語るように話し始めた。


「あいつの仇討ちをやるとさ」
 霧島が横で目を向けた。
「橘がな、幻想郷に一泡吹かすために色々と準備をしている。人間はまともに戦ったら妖怪に勝てないから、まともじゃないやり方で一発殴るとさ。正気じゃねえぜ」
 篠田の目にだんだんと力が帯びてきて、それは赤く光る銃弾のようになった。あるいは斧か棍棒のようになった。その力が霧島に伝われば良いな、と彼は思った。
「だから俺は乗ろうと思う。あの爺はひとでなしだし、兵士たちもまともじゃない。奴らはみんな狂ってるし、たくさん人間を殺してきただろう。それなりの修羅場もくぐって来たんだろう。だからな、狂ってるから、この世界をぶちのめすなんて発想ができるんだ。俺はそれに便乗する。美村が死んでからもあいつの肉体をコケにし続けた奴らを、俺たちをメチャクチャにした奴らをひどい目にあわせてやる」
 ここで篠田の目が霧島に向いた。彼は唐突に居心地が悪くなったように目を落とした。
「協力してくれ」


「俺は、だけど紅魔館の皆に……」


「もう一度さ、三人でチーム組もうじゃねえか。高田は車椅子で、美村は奴らに殺られた。熊谷も死んだらしい。自殺だとさ。だが俺とお前はまだ残ってる。動ける。だから、やってやろう。斎藤も死んだ。別チームの奴らもあいつらに潰された。俺もお前も、勝手に吸血鬼と怪物だらけの地獄に放り込まれて勝手につまみ出された。もううんざりだ。一回でいいから奴らをブチのめしてやろうぜ」


 霧島がその時判断した根拠としては、篠田の目に鬼のような力があったことや、それに自分自身気圧されたこと、そして咲夜を自分が知る限り最悪に近い形で傷つけたことによる自暴自棄があげられる。だがそれにもまして魅力的だったのは、《もう一度チームを組む》という言葉だった。あの五人でチームを組んで紅魔館に攻め入り、命からがら逃げ出した脱出行。あれと同じ……つまり、冒険を、再びやるということ。それが紅魔館に何をもたらすか全く考えないまま、霧島は半端な決断をしたのだった。


 後に彼は後悔することになる。



***



 時間が加速し、忙しさが増す。幻想郷を半ば代表する形になった紅魔館側と人間界を代表することになった《彼岸》らの折衝は、その一部だ。《彼岸》らは紅魔館と同時に人里とも繋がりを持ち始め、彼らの雑貨などを輸入しはじめる。雑貨屋から貸本屋まで立ち寄り物々交換で物を手に入れる。その辺に転がっている木くずですら隊員らにはサンプルとなり得る。博麗霊夢との同行によって中有の道や玄武の沢など、幻想郷特有の場所が彼らの記録媒体に収められていく。幽霊や妖精も写真に映ることが判明して多くの人間たちが喜ぶだろうが、彼ら自身の輸入は八雲紫によって規制される――幻想郷版の国際条約を、彼女一人で担っていると言っても過言ではない――先日の実験結果で可と認定された勾玉と同種類の逸物は無論、人里に散らばる札や魔力アイテムも規制の一部に入る。だが全ての道具を監視することはできず、いくつかは持ち出しを許してしまう。外交官が用いる外交封印袋は幻想郷には存在しないが、穴の近辺で行われる検査の際、いくつかのアイテムに紫は気づかない。当初は何かの罠かと不審がった隊員らは、やがて紫が単なるミスを犯していることに得心が行き、やがて堂々と密輸を敢行することになる。それは徐々に外の世界へと散らばっていく。


 そうした作為は全て穴の仕業である。穴は己を取り巻く何らかの陰謀に気づき始めており、彼でもある彼女は《彼岸》の味方をする。磁場を狂わせ、妖怪たちが争い合うように仕向ける。そして穴の近くに、対妖怪用のジャマー――幻覚電波と言い換えても良い――を発する。穴の毒性はほぼ全てが紫に向けられており穴の規模は今や幻想郷全域に渡っていたから、彼女でさえも防ぎきるのは困難である(そもそも以前からの穴との闘争によって、紫は疲労困憊が続いていた)。穴は紫たちによってますます削られている。だからこそ必死になって紫たちの邪魔をする。己を守るための力すら幻覚に回し、人間たちが恩恵を受けられるようにする。人間たちは混沌の、自分の味方であると知っているから。その繋がりは真正の邪悪であるが、親が子に向けるそれと変わりない。


《彼岸》国内支部と幻想郷支部との行き交いも多くなる。何台かのトラックと同様にワゴンやバンが支部に到着し、多くの人々が降りてくる。穴の内部に外から小型のバイクを分解して運びこむことで、移動がかなり容易になる。人々の何割かは外から呼び寄せた隊員らで、彼らは各々の役割を担っている。外から来た私服の研究員らもそれは同様で、幻想郷で鹵獲されたアイテムを研究所に運ぶ。国の人間でもある彼らは当初は幻想郷という世界をバカの妄想と考えていたが(それは多くの人間と同様だ)、勾玉や河童製水鉄砲を見せつけられ、目の前で物理現象を無視した発火や水流を確認し、データにも観測され、信ぜざるを得なくなる。既にいくつかの基本的な実験は成功し、勾玉を用いたフィールドの構築や超自然的なものの検出が可能となる。橘らとの会談で、研究員たちはファイルを閲覧し、少女らの能力を一般の兵士に応用することは可能なのか、普通の人間が空を飛び、あるいは魔法を用いることができるようになるかと尋ねられ、熟考と打ち合わせの末に首を縦に振る。それには何年もの試験期間や、どう見てとっても人間に応用不可能なもの――距離を操る程度の能力や、すべてを破壊する程度の能力、運命を操る程度の能力などだ――を除くという条件もあるが、橘に鰐の笑みを浮かばせるには十分すぎる。ついで必要なものを研究員らは提示する。人体サンプル。生体解剖。そして実験期間。橘はこれにも頷く。こうして阿求が否定したことを外界は否定する。全てが対極だからこそ二つの世界は分かたれたのだから。


 幻想郷内部では、《彼岸》についてどう対処すべきかという何種類かの異なる見解を持ったグループが自然発生する。一はどうせ無害だしすぐいなくなるのだから、物々交換をしたり交易しても差し支えないと考えるグループ。人里の行商人や香霖堂、それといくつかの商売人らがこれにあたる。二は奴らは銃器を持っているし危険だ、こちらの道具をあれこれ買っては外に持ち出しているのもおかしい、どうにかして今すぐ放逐しようというグループ。ただし橘が正当防衛や銃器の必要性について確固たる基準を持っていることから(つまり不審な人間には銃を向けるという指針)、一部の妖怪を除いて武器を恐れる彼らは実行ができていない。これは八雲紫が総本山であり、その下の博麗霊夢やアリス・マーガトロイド、人里に薬を売りに来た鈴仙(特にあのおじいさんは、気持ちの悪い波長を出してる、と彼女は仲間に零す)、また妖怪の山に所属する天狗たちだ。だが《彼岸》は自分たちの範囲をわきまえているようで、そもそも妖怪の山には近づこうともしないため、このグループは概して動きが鈍い。三にはほぼすべての妖精妖怪がこれにあてはまる――どうでもいい。好きにさせておけ。どうせすぐに消える。代表は伊吹萃香。その根拠は人間と妖怪との圧倒的な戦力差であり、事実伊吹萃香のような妖怪がその気になれば、兵士たちは一分で消滅するだろう。だから兵士たちは、彼ら自身知らないほど恐ろしい高さで綱渡りをしている。そして四は、人間たちにより複雑な感情を抱えているグループで、殆どが紅魔館に属する。


 特に十六夜咲夜は霧島と喧嘩別れ(ほぼ一方的に彼が子どものようにキレただけだが)をして以降、生気が衰えたようで行動にも張りがない。粗相が目立つし、それをタイムストップでカバーするにも限界が出てくる。妖精メイドたちはこれを《男と女の問題》だと薄々感づいており、相手はつい先日紅魔館にやってきた人間の男だという噂はとっくに広まっている。彼女たちの関心は、我らがメイド長である咲夜が男とくっつくのか、くっつかないのか、それだけだ。概して無責任で適当なメイドたちは、その噂自体が咲夜にとってどれだけの心労となっているかを一切考えないし、考えても鳥頭のように忘れる。日々の雑務は忙しい、忙しい! その疲労を癒すためにゴシップが閉鎖的な館で流行るのだ。人間であれ妖精であれ変わらない。フランドールはよく知らないが霧島に対してなんかムカムカし、パチュリーは本当に関心がない。レミリアは興味のない顔で日々を過ごしながら、咲夜が失敗をしても見なかったフリをする。そして機会があればメイドたちに説教をして、噂なんてくだらないことはやめて仕事をしろ、と自分にしては意外と思うほど口やかましく叱る。


 噂の当事者である霧島についてだが、熱病のような苦悶に立ちながら悶絶し、寝ながら悶絶し、歩きながら悶絶している。あの夜の日に篠田が確認を求めたこと、そしてそれから霧島に語った話というものを考える。その度に心身が燃えていくのだ。そしてそれを中止することはもはやできない。既にして自分の内部では決断が下っており、約束の日になれば約束の場所に約束の事を実行するだろうというのが目に見えていた。だからこそ、それを決断した自分自身が嫌になるし、そうさせた環境そのものが嫌になった。まさか自分がこれほどか弱い存在だとは思わなかった。そして食客である霧島に、できることは実はそれほどない。朝は起きてレミリアと話をし(最近のトレンドは大図書館の本の内容や、穴から出てきたクソジジイの悪口などだ)、チェスやボードゲームに勤しむ。レミリアは筋が単純なので勝ちやすいが、たまにパチュリーが出てくると絶対に勝てない。昼からは館の周りを散歩するし、一人でハイキングをすることもある。たまに空を妖精が飛んだり晴れの日なのに虹を見ることがあって楽しい。だがすることが尽きてくると、やはり娯楽も少ないここなので本に向かう。パチュリーは今のところ霧島にあらゆる感情を向けていないが、魔女が果たして何を考えているのか、たまに霧島には心配でならなくなる。そして夜は遅くなってから起きてきたフランドールの話し相手をし、弾幕を見せてもらい、適当な時間に眠る。まるで怠惰な貴族のような生活だが、問題は胸の中に不発弾を抱えていることだ。だから霧島は夜中に起きてえずいたり、時折チェスをしている最中に相手がレミリアなのか、それとも泣きはらした咲夜なのかわからなくなって混乱する。だがどう足掻いても当日というのは近づく。


 茫漠とした砂漠を越えて、既に航空機は加速し始めている。その目的地を目指して、まっすぐにひた走りに飛んで飛んで飛んでいくのだろう。どこかのある時点で、勾玉と護符との相性実験を試していた科学者の一人が打ち出された数字を見て呟いた。
「ああ、なんてことだ!」
 その呟きには賛意も反発もなく、ただただ嘆息がある。


 現在の幻想郷はまさにその声と同じ。


 そして航空機は降り立つ。



***



 約束の日――《彼岸》グループが幻想郷から退避せざるを得なくなる最終日、この世界に発生したイレギュラーが消滅するその日――穴は、朝を瀕死の状態で迎えた。幻想郷時間で午前八時五分、穴は数多くの打撃と異空間内での攻撃、その他数えられない程の努力によって瀕死の状態だった。燃えている、と穴は思った。穴それ自身が燃えており、空間にヒビが入っている。穴が多くの妖怪や生物たちの血を吸って開けたそこは、紫と藍による波状攻撃によって今まさに壊滅せんばかりであった。かろうじて穴の本体が残されている異次元内ではまだ紫と式らによる戦争は続いていたが、もう勝負はついていた。


 ヒビが増えて意識が飛びそうになる。穴がどんどん小さくなっていく。もう穴は、自分が外の世界に何の影響も及ぼせないことを悟っていた。燃え盛る家に閉じ込められたようなもので、座して死を待つしか無い。穴が意識を混濁させている間、どこかで誰かの話し声がした。


「ようやく、終わりましたね」と声がする。


「まだ決着がついてないわよ」とも声がして、それが持つ日傘が穴の本体に突き刺さった。丸みを帯びた先端からは信じられないほどの鋭利さだった。穴は悲鳴を上げたが、転げまわることはできない。人間以上の知覚性を備えていた穴は、自分の死期が遠くないことを悟った。直に死ぬ。彼でもある彼女は遠くなった意識で外に目を向けた。


 穴の外側は今や荒廃しきっていた。穴が一秒でも長く抗うために、土地の養分や周囲の生物を吸い取ったせいだ。草すら生えない地面には赤茶けた土がそこここで露出し、周囲にあった木々は完全に枯れ枝のそれだった。地と空に茶と灰が広がり、くすんだそれは大気汚染そのものだ。今後百年間そこには何の生物も生まれないことは予測された。そして穴は外の世界を見つめた。外では人間たちが大忙しだった。アリのような彼らは歩きまわり走り回り、時にトラックやバイクが建物から離れていく。バラックと呼ぶには立派すぎる建物には、きっと彼女でも彼でもある穴が見初めた人間たちがいるのだろう。この幻想郷に、何か悪いことを起こすための準備をしているだろう。それが嬉しかったが、しかしそれが開始されるまで穴の意識が残っているかどうかは疑問だった。その前に穴は紫に破滅させられる。狐を従えた大妖怪にすり潰される。


 また激痛が穴を貫き、それは悲鳴を上げた。その箇所は人間で言うならば目に近い場所で、今まで根気強く守ってきた、穴が外部を知る器官が一つ潰されたことになる。


 ――妖怪よ、私は死ぬのか。


 穴はここに来てはじめて口を開いた。自分自身に喋る機能が備わっていたことが驚きだが、それに対する反応があったことはもっと驚きだった。


 ――ええそうよ、あなたは死ぬ。ここで、今すぐ。


 紫であることに疑いはない。何せ彼女は戦争の当主だったのだから、喋らないはずがない。


 ――私は満足している。私は自分のしたいことをした。お前たちを困らせた。これからもっと問題が起きるだろう。


 もっと言いたかったが紫がそうさせなかった。今や紫は、弱った穴そのものを素手で引きちぎりにかかっている。穴の形でない形をきれいな指で引き裂く。鳥の羽をむしるように穴をむしり、ちぎりとる。どんどん自分が小さくなる感覚に、穴は断末魔の叫びをあげた。


 ――私はまだ満足していないわ。だって、これからお前を殺す手順がはじまるもの。私の満足はそこで最高潮になりますの。今死んでいただいては困りますわ。


 引きちぎられる。どんどん穴は引き裂かれる。それにも増して恐ろしさを感じさせるのは、千切られた部分にすら痛みが残っており、それが踏みにじられる感覚も穴に届いたのだ。ちぎれた腕に神経を通されたような感覚。紫の後ろに藍が従い、丁寧に紫が切断したそれらを自身の尻尾で毒を注入し、細かく切断してすり潰す。穴はあえいだ。自分は死ぬ。紫に殺されるか、あるいは自分で消滅するか、どこか遠くに逃げて、自然死を選ぶか。穴は壊れゆく一瞬で考えた。考え、決断をした。穴は半ば哄笑しながらその決断をしたのであるが、紫はもちろんそれを逃さなかった。飛び出そうとする穴の核を掴むと、胸元に引き寄せた。びちびちと生き物のように跳ねるそれを紫は愛おしそうに抱きしめた。


「これに、こんな小さなものに、私は困らされたのね」
 紫はふうと息をついて、息がかかる距離で穴だったものの核を見定めた。穴の心には恐怖や絶望よりも、何もかもが停止した一瞬が映っていた。あらゆる水平線、あらゆる地平線を合わせてもこれ以上の停止はないだろうと思おうほど、穴の心はその一瞬で止まった。やがて紫の顔が、狐とも狼ともつかないものに変貌していく。骨が歪んで肉が盛り上がり、女の顔から口を思い切り開けても支障がない獣の顔になる。その状態のまま紫は穴にかぶりつくと、思い切り噛み砕き始めた。血しぶきらしきものを吐き出してはまた砕く。破壊する。やがて欠片となったそれを余すところなく吐き出した紫は、自身のスキマから粉砕用ハンマーを取り出すと、粉々に砕きはじめた。


 穴の意識は最早消滅していた。



***



 午前十一時十分、橘は空を見て唸った。無精髭が一切ない顎をごしりと擦ると、どこかで何かが切断された音、切り離された感覚をしみじみと噛み締めた。たった今になって彼は、自分が大いなるものの加護を受けていたということ、そしてそれが破壊されてしまったことに気づいた。だがまあ、その感覚というのは奇妙なもので、心臓の管が一本取り外されるようなものだったのだ。血のめぐりが一瞬悪くなるような、パーツが一つ欠けてしまう感覚。心臓発作に襲われたことはないが、おそらくあるとしたらこれはその前兆だろう。やがて橘はそれが持つ意味を推し量ってから、改めて首を回した。悪い感じはしない。良いことだ。大事な日に悪いことは降ってくるものだが、今日はそうではない。良い兆候だ。


「おい、何一人で唸ってやがる。気持ち悪いな」
 脇にいる篠田がうんざりした顔で口にした。橘はやろうと思えばこの場でも篠田の鼻をへし折れるが、やめておいた。橘がしなくても、別の誰かがやってくれるだろう。篠田の後ろには四人の男たちが控えており、一人は小型モーターボートの最終整備に、残り三人は装備点検に勤しんでいる。この辺りは妖怪たちを常に露払いしているらしいが、万一というのは常に起こりうる。機械が動かなくなるなんてのはザラだ。彼はそれを任務の直前に何度も経験した。経験は人を大きくするが、怖がらせて動けなくもする。その分、橘は良い方だった。アクシデントに備えて理性的に動くことができる。それに空は晴れており、清々しい。夏の終わりを飾るにはぴったりの入道雲が空の向こうに見えた。この糞みたいな世界でも雲は雲だ。


「今日は良い日になりそうだな」
 橘は心底から喜ばしく言った。
「こんな日は釣りでもするに限る。エサは君の鼻だな」
 半分ぐらい本気で言ったのだが、篠田は鼻を鳴らした。


「黙って待てないのかくそたれ」


「緊張は良くないよ」と橘は言った。今は言いたいだけ言わせておけば良い。後でそんな暇はなくなるし、ただ黙って動くしか、そして計画確認することしかできなくなる。
「霧島君はそろそろ来るかな」


 今度は篠田は黙った。彼も同じ心境だろう。橘は改めて自分の装備を確認してから、腰のホルスターの拳銃を見やった。安全靴も、予備弾倉も、自殺用の毒薬も全てオーケー。手榴弾はピン付きで収められている。準備万全だ。


 だから橘は待った。



***



 霧島と咲夜は無言で歩いていた。紅魔館の中ではお互いに、今日の天気や朝食の具合を尋ねることもできた。屋敷を出ると、暑さ寒さへの感想になった。そして離れると、お互いに何も喋らなくなった。


 咲夜は内心で不安でもあり嬉しくもあった。今回のこれは霧島からの誘いだった。特別な話がある、紅魔館の中だとしにくいから、できれば外で話したい――と霧島が切り出した際、咲夜は一瞬で自分の気分が頂天に達したことを知った。今までの自分からしたら情けない話だが、霧島が許してくれたのだと、とうとう霧島が話を聞いてくれる気になったのだと思った。自分が一人の男にここまで縋るようになるとは思わなかったが、しかしとにかく嬉しいことは事実だ。あの霧島による怒声以降、二人の関係は谷底よりも酷いものとなっていた。少なくとも咲夜にとってはそのつもりだった。夜ごとに枕を霧島に見立てて、自分が紅魔館に仕えていてそのルールを守っていること、あの時美村という人物は紅魔館の秩序を乱したから殺さざるを得なかったこと、を説明しようとした。枕の前では十分できた。だが本人を前にすると全てが霧になって消える。咲夜は無闇に顔が青ざめ、霧島は居心地悪そうに去っていく。そして心の底で、霧島は自分を本心で嫌っていて、もうどうしようもないのだと囁く声がした。


 そんなことはない! 彼は優しいから分かってくれる! きっと!


 何を分かるの? どこかの声が反駁する。あなたがメイドで、人殺しで、あの夜も騒乱があったからとりあえず男を殺したこと? 殺した男の名前も知らなかったこと? 色恋に現を抜かして本気で自分の立場を忘れかけたこと? お嬢様に仕えて、紅魔館にかしづくあなたが、どうして霧島なんて言う女々しい奴に惹かれるの? それを霧島自身は分かってくれるの?


 瀟洒なメイド長であるはずの十六夜咲夜は、これに何の答えも見出だせない。


 だからこそ今回霧島が誘ってくれたことが、本気で嬉しかった。思考のし過ぎで自壊一歩手前に来ている咲夜の前で全てをさらけ出し、本気で仲直りができるのではないか、本気でまた前のように話ができたり、手をつないだりできるのではないか、と思った。咲夜はメイドたちの話を統括する以上、恋愛にはそれ以上のことがあることは、知識として知っている。だがそれを自分に結びつけることは、全く考えの外だった。だが手をつなぐ以上のことが、恋物語で見たこと以上がありえるのではないか、と本気で夢を見そうになった。客観的に見れば皮算用どころではなかったが、もう咲夜の中でそれは真実性を帯び始めていた。


 だが霧島は何も言わない。咲夜の胸は破裂しそうだった。そうでなくとも緊張しすぎて病気になりそうだった。


「あの、……」
 咲夜が問いかける。


「もうちょっと、待ってくれ」と霧島は答えた。だから、咲夜はその通り待つことにした。それから少し――霧島にとっては五分、咲夜にとっては二時間――歩いた先。


 男たちがそこに立っていた。湖に通じる縁にボートが停めてあり、男の一人は巨大な袋のようなものを持っている。《彼岸》とか言うグループの頭目がそこにおり、脇には霧島の知り合いもいた。霧島はそちらに向かってぐんぐん歩いて行き――咲夜の心はぐんぐんと衰えていく。ここは、どう見ても心の奥底に関して話をする場所ではない。少なくとも男たちがいる場所で話すなど、咲夜にはできない。彼は何を考えているのか。


 咲夜がこらえきれずに口を開こうとした所で、霧島が歩みを止めた。向こうから男たちが早足で歩いてきており、頭目は何か大きな銃みたいなものを手にしている。咄嗟に咲夜は修羅場の空気を感じ取り、手にナイフを握ろうとした。だがそれを止めたのは、彼女の時間を致命的に遅らせたのは霧島の言葉だった。


「ごめん」


 咲夜はその時、霧島の顔をはじめて真っ直ぐ見た。思えばあのガラスが割れた時から、随分彼の顔を見ていない。あまりにも横顔や後ろ頭は遠く、正面から見るなど久しぶりだった。そして彼の顔は、泣いていいのか諦めればいいのか分からない、という顔だった。そして咲夜は目を開けたまま昏睡状態になって、どこか遠い世界の出来事として、それを噛み締めることとなる。彼女はこう思った。ああ、彼はきっと彼らに騙されたんだ。何か耳に良いことを言われて、それで捕まったんだ。あまりにも霧島を良く捉えすぎた見方だったが、少なくとも咲夜はそう思うことで満足した。


 麻酔銃から放たれたものは咲夜の肩に当たり、反応しようとする間に意識は回っていき数秒ほどで彼女は倒れた。



***



 咲夜を転がしてから袋に詰めるまでの間、橘は拳銃に手をかけて篠田と霧島を見やった。一度裏切った人間はいつまた裏切るか分からないし、今の霧島はいつ爆発するか分からなかった。なので二人共殺そうかと当初は思ったが、篠田の眼を見ていると、次第に橘は意見を変えた。こいつはもうどこにも行けないし、行かないだろうと彼は思った。今の篠田は帰るべき家を燃やし、家族を皆殺しにした哀れなガキだ。そんなガキは、餌によってはすぐついてくるし、その糞忠誠心は長い間変わることはない。霧島は? こいつも家族を売ったバカだし、その目は狼狽えているの一言だ。見くびっても損はあるまい。殺してもよいが、放っておけば一層紅魔館に迷惑をかけるかもしれないし、そうなれば橘の助けになるのは間違いない。どちらにせよ咲夜を連れてきてもらったのは本当に助かった。もし声をかけたのが橘なら、咲夜はすぐに警戒しただろう。恋は盲目だな、と思いつつ橘は男たちに声をかけた。


「準備できたか?」


「できました。危険なものも外しましたので、運搬OKです。後は打ち合わせの通りに」
 隊員たちは頷く。人を連れ去るのはこれが初めてではないし、これが最後になるとも思ってない声だ。橘は拳銃から手を放すと二人に声をかける。


「篠田君、じゃあ君は私たちと来てくれ。ちょっと増えたが、ボートはまあ乗れなくもない」


「言われなくとも行くさ。まだやることがある」
 篠田はさっさとボートに乗り込もうとしてから、霧島に眼を向けた。「お前はどうするんだ?」


「俺は……」
 また優柔不断男が始まった、と橘は内心で嘆息した。もし二人きりなら金玉でも潰してやりたいところだ。
「もう、どこにも行けない」


「まあそうかもね」と橘が口を挟んだ。早い所終わらせるに限る。
「君は立派な第五列だ。そのうちレミリア嬢が裁いてくれるだろう。……それじゃ、まあ、お疲れ。えーと、ありがとう」
 こういう経験も初めてではないのだが、橘は一瞬どう口にするべきか困った。が、ともかく言うことは言った。霧島を除いた全員がボートに乗り込み、橘はのんきに手を振る。手漕ぎのゴムボートがゆっくりと離れていく。最も近い岸ならばそれほど時間はかからない。霧島はいつまでも立ちすくんでいた。彼の印が点ぐらいにしか見えなくなっても。


 あいつはずっと立ちすくんでいるんだろうな、と橘は考え、それきり霧島に対する考えを捨てた。


 岸に着く直前に美村と斎藤の棺を持ちだし忘れたことに気づいて、笑いが吹き出した。



***



 十一時半頃、霧島が一人で戻ってきたのを見たレミリアは、ちょっと見過ごしかけておやと思った。場所は食堂の近くの廊下で、近くを妖精メイドたちがいつものように咲夜のうわさ話をしながら通り過ぎている。うんざりしながらまた注意しかけたレミリアは、霧島の顔つきを見て何か胸騒ぎを感じた。向きを霧島に変えて、彼に近づいていく。
「朝も見たけどおはよう。天気が良くて最悪だね。家に閉じこもりたくなるよ」


 こちらを向いた霧島の顔には、さながら死相でも見たような表情が浮かんでいた。驚きでも絶望でもなく、淡々とした諦めだ。レミリアは処刑場などでそうした人間を見たことがあるが、どうしてそれがここに? 彼の本心を覗きたくなったレミリアだが、いつもの癖をもう一度押し留めた。咲夜と霧島の間ならば、運命操作や介入、それに覗き見もしない。親馬鹿と言われるかもしれないが、前に自分で決めたルールだ。そうした所まで口を突っ込むのは野暮ったいし、そもそも両者も良い大人なのだ。自分のことは自分で判断できるのだから尊重してやらないといけない。どんな道を選ぶにせよ、二人が精一杯考えて決めるようにしなければ。それに……良く言うじゃないか。なんとかを邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、とも。レミリアはそうしたことは嫌だった。そして自分できつく制限をしているせいか、彼女はあまり自分でも運命操作をしない癖がついていた。だからここ最近全く周りの運命を見ていなかった。


 レミリアは「咲夜はどうしたのさ?」と明るく口にした。この噂のせいで心を痛めていたのはレミリアも同じだ。咲夜が相談に来るなら聞こうと思っていた。能力とかそういうのは無しで、悪魔と人間による真剣な話をする。だが彼女は来なかったから、レミリアも妖精メイドと同じぐらいの範囲でしか知らない。


 できればうまく行って欲しかった。


「……行ったよ」


「は?」


「奴らが、連れて行ったよ」
 その瞬間、唐突にレミリアの背筋に氷が入った。氷河で圧迫しような感触に息が詰まる。事情を聞く時間も惜しかったレミリアはすぐに運命介入能力を発動、何が起きたかを確認した。咲夜と霧島の間の事件。その原因。二人の間の苦悶(それに手を出せないもどかしさ)。そして霧島に近寄る篠田と橘。篠田と橘らの計画は――


 レミリアの瞳がうつろにこぼれ、背中から、足から、腕から、あらゆる力が抜けていく。穴の苦闘と八雲紫の処刑。霊夢の行動。全て見渡した。全て見た彼女は、この邪悪が幻想郷を覆っている事実にこれまで気づかなかった事実を恥じた。そして猛烈に、眼前の男に対する怒りと憤怒と破壊の欲望が沸き上がってきた。一瞬レミリアは、自分でも知らずに霧島の顔面を拳でえぐり抜く寸前だった。朝の小鳥がさえずる紅魔館で、その音は小さいだろう。事件も小さくまとまるだろう。妖精メイドはお嬢様が癇癪を起こしてまた殺した、とため息をついて掃除するだろう。だがそこに咲夜はおらず、その不在がレミリアの頭を冷やした。


 なのでレミリアは手加減して、霧島の顔面を拳で張り飛ばした。身長差や距離の有無など彼女に関係ない。


 霧島は面白いぐらい遠くに吹っ飛んでいき、壁際に飾ってあった壺が手足にぶつかり落ちて割れた。衝撃で絵画が霧島の頭に角から落ちるが、嬉しくもなんともない。メイドたちがキャッと声を上げるが、遠くで雷が鳴ったぐらいの驚きでしかない。レミリアは倒れたままの霧島に近寄ると胸元を掴んで立たせた。彼の足が床にこすれている。レミリアは深呼吸した。


「どうして咲夜を連れて行かせた」


「……」
 無言なのでレミリアはもう一度殴った。


「よく聞けこの薄ら馬鹿。お前のせいで咲夜は殺される。私の大事なかわいい飼い猫があのクソジジイの手にかかって殺される。やりたくはなかったが私は運命を覗いたぞ。全部知った。そして彼女を助けられる可能性はあんまりない。お前のせいでなァ!!」
 レミリアが霧島を振り回すと、彼がまた飛んでいき壁に当って落ちた。殺さないつもりだったが、障害が残るかもしれない。そしてそれは仕方がないかもしれない。レミリアは轟音と共に吹き飛んだ霧島に近づいた。彼は呻いている。今直ぐ踏み潰したい!


「ここがお前の正念場だぞ、霧島遼一。お前はいつまで寝てるつもりだ? いつまで死んだダチとかいうくだらん物をグチグチグチグチ抱えているつもりだ! いつまで死体と寝ている気だ! 言え! 今を見ろ! お前はどうしたい! お前はどうするべきだッ!」
 レミリアはもう一度霧島を立たせた。その眼は未だ濁っている。
「奴らは咲夜を生きたまま解剖するつもりだぞ」レミリアは己のどす黒くなった瞳で告げた。霧島の瞳が見る見る見開かれる。「そして脳を覗いてあいつの能力を奪い取る積りだ。助けるなら今しかない。今直ぐ追いかける。手持ちのカードを検めた。お前がジョーカーになりうる。ならないかもしれない。ならないならここで死ね……!」
 レミリアの口から牙が覗く。伸びる。
「お前がいつまでも悩んでいるつもりなら、ここで私に殺されろ……!」


「俺が考えなかったとでも思うのか!」
 霧島の口が動いた。その声に哀れっぽさ(そういう奴はまず間違いなく自分を――自分だけを哀れんでいる)は多少あったが、怒りはある。良い兆候だ。少なくとも救えない奴ではない。
「咲夜は好きだけど、美村を殺したから、ケジメを――」


「恋愛と友情に関係なんかないぞ」
 レミリアの言葉に、霧島の瞳が僅かに色を変えた。レミリアは見た。
「お前の言うケジメなど咲夜には関係がない。あいつはルールを守っただけだ。美村はそれで殺された。それで死んだ。私が決めたルールで死んだから私に責任があるんだ。だがお前は咲夜を外道に売り渡した。それでいいのか、お前は、納得できるのか?」
 霧島は首を振った。だからレミリアは、口で言えと伝えた。外に出させる。出させないといつまでも腐り続ける。


「畜生め、俺は後悔してるんだよ」
 霧島の声は短いが、力が篭り始めている。
「咲夜を好きだからだよ畜生。だから後悔してる。彼女が死んだらもっと後悔する……! 美村が死んだのも嫌だがな、咲夜が死んだらもっと嫌なんだよ糞ったれ!」


「なら行くぞ」
 レミリアは手を離す。霧島が呻きながら息を整える。腑抜けすぎて目も当てられなかったが、今はまあまあだ。ジョーカーになれなくとも、とりあえずスペードの六ぐらいだ。化けてくれ。
「時間がない。奴らはもう行動を開始している」


「穴に向かうのか」
 霧島の喉はようやくまともになりはじめている。レミリアは首を振り、さっき眼にしたものを再度頭の中で繰り返した。紅魔館での拉致。襲撃準備。それから――


「人里だ」
 レミリアは言った。
「あいつら、泥棒した挙句に家に火をつける気だ。里がめちゃくちゃになるぞ」



***



 夜のうちに散布準備が整えられていた病原菌たちは、深夜のうちにゆっくりと水源から散布されていった。おおよそ人体に入ってからの潜伏期間は三時間から四時間。以前に外国で実験はしたが、ここは異世界なので誤算もあるだろう。なるべくゆっくりと見積もった。幻想郷の人間らの朝は早いので、朝食後の十一時頃に、人々の発病が確認された。ボツリヌス毒素によく似た菌で、おそらく幻想郷の人間たちは知らない。不意打ちできるのは良いことだ。


 症状は風邪に似ている。急激な頭痛から発熱、腹の痛み、下痢に嘔吐。その他胃腸が爆発するほどの痛み等等。汚染されきった水源から取り上げた水で食事を済ませた人たちは、みな一様に毒に犯されていった。彼らの共通点は一つ。体を丸めて動けなくなる。こうなれば自警団だろうが退魔師だろうが役立たずになる。人里にある様々な店や家、路傍の人体で病原菌たちは猛威を振るった。幻想郷に住む人間たちは、それらが何らかの妖怪たちの悪戯か、あるいは悪質な病気かとほんの少し疑いはしたが、まさか生物テロが起こる可能性なんて考えもしなかった。どんどん倒れていってどんどん意識が混濁していった。結局のところ、通報は人間と共に住んでいる妖怪ら――代表は座敷わらしたちだ――から伝えられた。町医者すら倒れた模様では、ここで力を発揮するのは妖怪たちだ。混乱の中で無事でいた上白沢慧音は急いで知り合いの藤原妹紅を永遠亭や他への遣いにやり、自分は無事な者らと共に患者たちを収容しはじめた。長屋に住んでいたが被害を免れていた赤蛮奇も手伝い、首を飛ばして周りの被害を確認した。集会所でとにかくお湯と温めた手ぬぐいを準備して介抱をしていくが、誰もが上から下から出してしまうために直に便所も部屋も老化も大変なことになった。


 慧音は寺子屋の授業に携わっていた。つまるところ子どもたちと知り合いであり、自分が国語や歴史を教えていた。そして子どもが大好きだった。その子どもたちが嘔吐して苦しむのを見るのは、苦痛だった。苦痛どころのものではなく、大きな刃物で自分自身がバラバラにされた気がした。呉服屋や和菓子屋で産まれた吾郎に三太が、大工の息子に長屋ぐらしの子どもたちが、臨時で作った救護所の床でお母さんと呼びながら喘いでいる。その光景を見下ろす度に慧音は涙をこらえるのに必死となり、周囲の人間にそれを悟られるまいと眼を拭って清潔な保存水を準備する作業をする。泣いている暇などない。彼女の体にも等しく病原菌が入り込んでいたが、妖怪という存在の中ではさしもの病原菌も不活性化していた。やがて慧音の伝えが功を奏して天狗をはじめとした妖怪らも人里の異変に気付き、大掛かりな救護作業へと乗り出し始めた。


 無能力化剤と数多くの麻薬そして度外れな量の鎮痛剤などが配合された汚染済みの煙が放たれ始めたのはその頃合いであった。《彼岸》らの隊員は人里近くで焚き火に紛れて排出するか、あるいは小型の迫撃砲を用いて空中にそれを散布しはじめた。さながら一風変わった花火が催された様子だったが、それを行う人間たちは淡々と、防毒マスクを装着して全身に専用スーツを着用することで自身の汚染を防いでいた。妖怪は肉体への攻撃に強いが、精神攻撃には弱い。通常の人間なら幻覚やめまいで済むガスは、妖怪らには恐ろしい効果を発揮しはじめた。みるみるうちに烏天狗たちが墜落しては痙攣を起こして意識をなくし地上を駆けずり回っていた妖怪たちも割れんばかりの頭痛や体調不良で倒れ始めた。赤蛮奇の首も原因不明の混濁によって地面へと落ちた。人間を襲った罰として人里奉仕活動を命じられ、そして否応なく人の収容をしていたルーミアとミスティアもこれによって倒れた。遣いに出た妖怪も煙に巻き込まれて意識を落とし、ついにはまともに動ける妖怪は室内に避難していたものぐらいになった。八雲紫が外界からヘロインや阿片、コカインやモルヒネに覚醒剤を輸入させまいとした理由がここにあった。獣同士が同士討ちを始め鳥は落ちる。天狗たちは嘔吐と悶絶を繰り返しながら悪夢さながらの悲鳴を上げ、中には人の姿を取れなくなってカラスと人との混ぜ物状態で転がっている妖怪もいた。破裂した風船さながらの大惨事であったが、それに対して組織だった対策が取られるのは、後ほど――つまり手遅れになってからだ。


 これによって最初に大きな被害を受けたのは、意外にも伊吹萃香であった。彼女はなんとなくただよっている際に人里上空にさしかかり、精神幻覚ガスを吸い込んだのである。それを体内の抵抗反応で知った彼女は反射的に己の能力を用い――密と疎を操る程度の能力――毒を排出したが、既に体内から伊吹萃香の精神へと突入した劇毒は、彼女の精神を存分に冒していた。特筆するほどの力の強さが逆に問題を招いたケースでもある。正気と朦朧の境目が分からなくなった萃香は人里の入り口近くに力なく墜落して意識を失い、毒が抜けきって気がついたのは全てに決着がついてからのことであった。次点は射命丸文であり、以降の幻想郷における被害状況をサーチするのは、念写能力を持つ姫海棠はたてだ。だが当初彼女は妖怪の山の奥地に住んでおり、事態を知らされるのはかなり進行してからのことである。


 慧音の元に異様な風体の男たちが闖入してきたのは、運ばれてきた妖怪と人間によって阿鼻叫喚の渦と化した臨時救護所でもある集会所であった。すでに収容可能な人数はいっぱいで残りは外のシートの上に寝かされていた。まともに動ける人員が少ない。助けようとした者たちから次々に倒れていき、道端には転がっては吐くか痙攣している者たちもいた。豆腐屋も蕎麦屋も呉服屋もパン屋も、みんな揃ってここに運ばれてきた。慧音はこれが病気でなく、誰かによる故意の攻撃だと既に悟っていた――妖怪たちを嫌うネットワークの人間ですら、被害の一部に入っている。だが対策を取ろうにも彼女はひとりきりで、藤原妹紅はたった今妖怪ウサギや八意永琳を連れて竹林を出発したばかりだろう。鳥の妖怪は意識不明で倒れて犬の妖怪も前後不覚であった。どんなに妹紅が全速力で向かっても時間がかかるし、その間は彼女一人で対処せざるを得ない。悲鳴と喘ぎ声に満たされた部屋の中で彼女は、不意にどうすればいいのか分からなくなった。自分が誰から面倒を見れば良いのか、それとも外に助けを呼べば良いのか。里の集会所に運ばれた人々は数十人以上いるのに、それでも介護に回れるのはわずか数人だ。要するにそれは慧音に起きるパニックの前兆だったが、それを自覚する前に銃器で武装した男たちが入り口に入り込み、構えながら慧音に近づいてきた。他の人間は気づく様子もなく、他人のゲロまみれのエプロンを着てマスクをしながら、水やタライを運んでいる。


「上白沢慧音ですね?」
 その口調は以上に落ち着いているどころか、気楽な雰囲気さえ感じられた。外気を一切シャットダウンしているにもかかわらず、黄色い煙がどこかから入り込んでいた。急ごしらえもいいところなのだ、仕方がない。
「ちょっと私たちと来てもらえませんか?」


「お前たち何を言っている! こんな、状況で!」
 慧音は怒っていた。忙しいくせに自分が何をすればいいか分からないものもあり、男が持っているものも新しい物干し竿程度にしか見えなかった。だから男の言葉を半分無視した。タライを改めて運ぼうとした。
「忙しいんだ! どけ、退いて――」


「このスイッチで」
 先頭のガスマスクを装着した男がくぐもった声で口にした。掌に収まるほどの機械で、慧音はそれを横目で見た、リモコンみたいなものに似ていた。そこから発せられるただならぬ雰囲気に、彼女は動きを止めた。見過ごしてはいけないことが起きている。
「色んな場所が吹き飛びます。爆弾を仕掛けました。意味分かります? ボカンです」
 それと同時に男がグーにした手をパーにした。
「ぶっ飛ぶんですよ。ここの人たちはだいたい死ぬでしょう。あなたも死ぬかもしれませんね。いや妖怪だし、生き残るかも」


「なに、何を」
 呂律がまわらない。慧音は唾を飲み込んだ。男の身体に嘘が感じられない。
「救護の手伝いじゃないのか」
 口にしてから慧音は、それが如何にバカバカしい質問だったことかに気づいた。銃器を下げて無骨なマスクを顔にはめ、体中を物々しい装備品で包んだ男たちに、《看護》などという要素は一つも見られない。男も、背後にいる大きな武器を持った男も答えなかった。慧音は歴史については博学だが現代銃器についてはさほど知らなかったため、それが分隊支援火器と呼ばれていることを知らない。ショットガンというものや自動小銃も知らない。マスクからスコー、という間抜けな音がする。ふと慧音は、先頭のこいつのマスクを剥ぎとったとしたら、どんな顔が現れるのか興味が湧いた。男が口を開かなかったら、本当にそうしていたかもしれない。


「あなたが来ればこの人達は助かります。ワクチンも渡しましょう。あ、ワクチンってのは薬です。実はこの病気、私たちが仕掛けたんですよ」
 男はさながら暗記した台本でも読み上げるように、淡々とした口調だった。平板さと気楽さはその顕れか。
「ガスも私たちがやりました。私たちの仲間はみんな動いてます。なので、私たちも仕事をしないと」ちらと見上げるように慧音を見た。
「来てくれますね?」


 慧音は逡巡した。周囲を見回すが、涙まじりに水や雑巾を求める声は止まない。天井は低く押しつぶすようで、鳥すら飛べないだろう幻想郷の状況を考えた。泣きそうになった。
「本当に、助かるんだな? それは自然の疫病じゃないんだな? お前たちが起こした異変なんだな?」


「グダグダうるせえな、さっさと来い」
 後ろの男がいらついた口調で言った。
「誰か死なないと分からないか?」
 男は長い鉄砲ではなく、短めの鉄砲を無造作に病人に構えた。それは本気だと慧音は一瞬で知った。叱られて怒った子どもが教室の壁を殴るのと同じ仕草だった。慧音がタライを床に落とすと金属が立てる耳障りな音が響き中身が溢れたが、やはり誰も見ない。慧音は両手をゆっくりと男たちに差し出した。先頭が頷いた。


「アンプルはここに置いておきます。処方箋も置きますので、医者が見ればすぐに分かるでしょう」
 実際にはただの毒物だが言わなかった。バカ医者が鵜呑みにすればそれで良く、騙されなくても混乱は続く。問題は長く続けば続くほど良い、とは橘の金言だ。
「じゃあ行きましょう」


「一体どこに、」とつぶやこうとした慧音の脇にさっきのいらつき男が回りこむと、彼女の首に何かを当てた。体を強張らせた慧音に「眠り薬です。寝てる方が楽なんで」と先頭が適当な口調で口にすると、いらつきが思い切り注射器を慧音の首筋に当てた。内部に込められた猛獣用の超強力な麻酔が彼女の血液中に広がり、数秒ほどで慧音の意識を奪い去った。慧音が倒れると男たちは手際よく袋詰を行っていく。とうとうその様を、脇を通りかかろうとした臨時看護婦が見つけた。それまで誰もが自分のことにかまけて周りを見ていなかった。彼女は袋に入れられる慧音を見て血相を変えた。


「ちょっとあなたたち何やってるの!?」
 唾を飛ばした彼女は怒声混じりの驚き声で叫ぶ。
「今大変な状況なのに、何をして――」


 いらつきが自然な仕草で短銃を向けると、女の肩を撃った。ガス混じりの空気に乾いた銃声がして、女がくるくると回って倒れた。死なないが、だからこそ混乱の種になる。銃声を耳にした看護師の一人が、慌てて兵士たちに近寄ろうとした。男が銃器を女の額に向けると、遠くにいる女は倒れながら悲鳴を上げている看護師と男たちを見比べた。男が銃を振ると、女は持っている物を落として建物の外へと逃げ出そうとした。後ろのいらつきがその間に小銃を構えると単射して女が倒れた。男たちはハイタッチして袋を担ぎあげると、後は無視して救護所の出口に歩き出した。背中を撃たれて血まみれになっていた女が助けを求めたが鼻を鳴らして無視した。収穫は上白沢慧音。これで良し。この場所は残しておこう。


 どうせ後で爆破する。



***



《葵一、葵一、こちら本部、首尾はどうだ》


《葵一、Kは確保した。繰り返す確保した。帰投後に起爆予定、どうぞ》


《了解した。萩一が人里周辺の妖怪を確保しているが、思ったより数が多くて人出が足りない。詰め物も足りないから時間がかかる。起爆は遅延されたし》


《葵一、了解した。帰投後に追って伝える――》


《本部本部! こちら萩二! 畜生一人やられた!》


《落ち着け萩二。こちら本部、状況送れどうぞ》


《こちら萩二! 警戒中に攻撃された! 奴はレーザーを使って――箒で空を飛んでる! 魔女だ魔女! クソッタレ早すぎる! あいつ妖怪か!?》


《こちら本部、撤退せよ。繰り返す撤退せよ。相手はキロだ。交戦を避けろ。規則に則って退却して誘い込め》


《もうやってるが相手の攻撃が激しい! 一人負傷して動きが遅い! 誰か応援を寄越せないか》


《こちら本部、榎一を向かわせる。分隊支援火器と個人用火砲を備えている。だが忘れるな、退却を中心に行動しろ。他の班も捕獲と待ち伏せでギリギリなんだ》


《萩二、了解。やれるだけやってみる! 退却しながら榎一と合流する!》


《本部、こちら蓼一。Iを確保した。繰り返す確保した。これより帰投する》


《こちら本部、了解した。帰投次第運搬せよ。トラックの準備はできている。終わったらコーラ飲み放題だ、ここが踏ん張りどころだぞ》


〈橘さん、一人やられました。現在は萩二と榎一が霧雨魔理沙と交戦中ですが、戦力的におそらく難しいでしょう。思ったより相手の初動が早いですね。死体回収班も検討します。あそこに残したら何をされるか分かったもんじゃない〉


〈分かった。まだ交戦時期じゃないからな。穴が塞がるまではあと八時間残っているから、防備に回って最後に回収すれば良い。まあ……最悪、玉砕してもらおう。手榴弾は渡したからな。いくらあいつらが死体をどうにもこうにもできると言っても、我々までの追跡はできんだろう〉


〈了解しました。それと産廃用トラックを三台準備しました。研究所も受け入れ準備OKです。みっちり実験できますね〉


〈良し、奴らの脳とスペルカードと能力、堪能させてもらおうじゃないか。我らが栄光の日々はもうすぐだぞ〉



***



 魔理沙が箒から降り立った際、人間の兵士たちは逃げていく所だった。奴らは最後まで銃弾と火砲による弾幕で魔理沙に応戦していたが、スペルカードに太刀打ちできる奴はいない。弾幕には魔力よりも空気圧を余分に入れておいたから、おそらく怪我した奴はいても死んだ奴はいないだろう。魔理沙はミニ防毒マスク――香霖堂でツケで売ってもらった――を装着している。女性や子どもでも安心してつけられます、というタイプだ。何か実験する時に使えるかなと思っていたが、まさか本当に使う機会があるとは思わなかった。なかなか息がしにくい。


 人里はよく言って地獄絵図であり、その絵図を描き変えるためにウサギたちが大挙して走り回っていた。魔理沙が自室から人里付近の煙を見つけたのは二十分前で、けっこう迅速に行動したと見える。アリスの姿は見えなかったが、後ほど魔理沙は彼女が倒れた人を看護している最中に無能力剤にやられていたことを知る。魔理沙自身は看護や医療の経験がなかったが、何か水運びでも何でもすることがあれば手伝うつもりだった。こんな煙など見たのははじめてで、おそらく人里でもこんなことが起きたのは最初だろうな、という思いが頭にあった。やらかしたのは――もうここまで来れば薄々感づく。《彼岸》の奴らだろう。どういう腹積もりでこんなことをやってのけたかは神のみぞ知るだが、それなりの落とし前はつけてもらおう。とりあえず動ける人間たちはみんな赤十字のマークがついた救護所に入っているらしいので、魔理沙の足も自然とそっちに向いた――ところで、後ろから声がかけられた。


「魔理沙! 無事だったか」
 耳慣れたレミリアの口調に彼女は振り向いた。相変わらず日傘をメイド(咲夜でなく別の妖精メイドであることの意味を、最初魔理沙は捉えかねた)に差させているレミリアは、しかしいつもと違ってやや心配そうに走り寄ると魔理沙を見上げた。そしてレミリアの後ろにはフランドールがそこにいる。


「なんか臭いね、ここ。魔理沙は平気?」
 フランとレミリア、それに妖精メイドや後ろにいる霧島もマスクをつけている。フランは鼻の辺りを手で仰いで嫌悪を露わにした。香霖堂で臨時に手に入れたものかもしれないし、もともと紅魔館にあったのかもしれない。付近を妖怪らが倒れているのだから、おそらく人外にも効果がある毒を撒いたんだろう。


「なんとかな。ところで、……霧島だっけ? 顔が随分だな」
 魔理沙が顎をしゃくると、脇に付き添っていた男は気まずそうに顔を掻いた。霧島はガスマスクをつけているが、傍目から見てもその頬は膨れ上がり、顔に幾つか青あざができている。早めに処置しないと明日あさってから酷い事になりそうだが、本人は気にしていないようだ。魔理沙も気にしない。


「ちょっと活を入れられたんだよ。《彼岸》の奴らは、もう逃げてったのか」
 霧島が口にすると魔理沙は頷いた。
「さっき戦ってな、怪我人抱えてヒーヒー逃げてったよ。奴ら、とうとう本性を表したみたいだ」
 魔理沙は苦虫を噛み潰した顔で人里を見上げた。周囲の煙は晴れて路傍の人も消えていたが、うっすらと残る荒廃の雰囲気はいかんともしがたい。これを元気にさせるのは時間がかかるだろう。
「これじゃしばらく団子屋にも鈴奈庵にも入れそうもないな。許せん」


「ウチのメイドも誘拐したからな、容赦しないわ」
 吸血鬼の言葉に妖精メイドがやや引き気味になった。
「咲夜が《彼岸》のクソジジイたちに連れていかれた。リョウイチの落ち度のせいだが、それはどうでもいい。今すぐ連れ戻してクソジジイをぶちのめす」
 言葉を聞きながら魔理沙は眼を丸くした。あの咲夜が? 飄々としてつかめそうでつかめないあのメイド長が誘拐……それも霧島に関係するとは。細かい事情が気になるが、今は時間がない。だが一つだけ確認しなければ。魔理沙は霧島を向いた。


「こいつは使えるのか?」
 魔理沙はレミリアを見やった。もちろん戦う意味でだ。
「銃もなければスペルカードもない。正直、こいつがいると足手まといになる気がする。どうせここは人がたくさんいるんだ。手伝いとして置いていってもいいんじゃないのか?」
 レミリアが反論の意味でか賛同の意味でか、反射的に口を開こうとした。それを遮って霧島が言った。


「大丈夫だ。俺が咲夜さんを連れて行かせた。だから俺が連れ戻す。自分の失敗くらい、自分でカバーする」
 その声には立派な怒りが込められており、ここに連れてこられた時のなよなよとした感じは、消えている……少なくともそう思う。


「それにこいつはジョーカーになりうる。なるかもしれないし、ならないかもしれない。私の能力でもはっきりしないんだ。事態はそれほど込み入っている」
 レミリアがやや遅れて言った。


「ならなかったらどうするんだ?」


「物事なんてのは、常に流動する可能性よ」
 わかりきった事を言うな、と言うようにレミリアが口にした。
「それじゃ、フラン。お願いしようかしら」


「うん」
 魔理沙と霧島がハテナマークを浮かべている横で、フランドールはレミリアの説明を受ける。


「大きさはこれくらい」とレミリアは、小さめの座布団ぐらいの四角形を空中で手に囲った。
「ええと……集会所の隅に一つ、稗田阿求の家に一つ、里の反対側の、えーと……服を売ってる、呉服屋の所に一つ。油を売る店に一つかしら。それに細かいのが幾つか。大丈夫?」フランは眼を閉じると額に皺を寄せた。集中しているのだ。


「何の話だ?」と魔理沙が尋ねるとレミリアは答えた。


「奴らここに爆弾仕掛けたわ。ここでグチグチ足止めしておいて、最後に粉微塵にする腹積もりなのよ。金を奪ってから火をつけるやりくちね、まさに泥棒だわ」
 魔理沙は口をポカンと開けた。
「フランに壊してもらうわ。準備できたらやってちょうだい」


「ん……うん」
 フランは手指をクイクイと動かし、やがて手が固いものに触れたように止まった。そして彼女が「んっ」と力を入れる間に、魔理沙は実際に仕掛けられた爆弾らが、起爆装置や中身の火薬をダメにするところを、爆弾としての用をなさなくなるところを想像した。小刻みにフランの手が動き、やがて彼女は眼を開いた。


「終わった」
 フランは口にした。
「八ヶ所あった。里外れの倉庫にもあったし祠にもあった。ついでに近くを人が通ると爆発する仕掛けも道端に置いてあったけど壊した。変な毒っぽいものも置かれてたからそれもついでに壊した。いいよね?」
 彼女は童女のようにニカッと健康的に笑い、レミリアに頭を撫でられた。魔理沙は頭を掻きつつ、フランとかくれんぼはあまりしたくないな、と考えた。



***



 霊夢は境内で箒を掃いている時、人里の方角から煙が立ち上るのを眼にした。それを見た彼女は、自分が今まで予感していたことが全て現実で、全てが始まったということに不意に気づいた。時刻は昼近く。《彼岸》の奴らが幻想郷を出て行く時には最終協議が行われるとあったが、もうその約束は果たされないだろうと霊夢は思った。口の中に苦いものが広がり、じわじわと背筋に汗が溜まっていく。夏の日にしては信じられないほど爽やかで良い天気だったが、それにも関わらず霊夢は忸怩たるものを感じていた。


――あのジジイども、やっぱり最初見かけた時に退治しておけば良かった!


 自分が夜ごとに重ねた悩み――人間が人間を害している際、博麗の巫女は果たして動くべきなのだろうか――をとうとう脇に放り投げた彼女は、急いで身につけられる限りの装備を身につけた。自室をぐちゃぐちゃに汚しながらも、時間がどんどん溶けていくような感覚を味わう。そして急いで境内へと戻ると、全速力で霊夢は飛んだ。場所は穴。《彼岸》の奴らは、人里や色んな所で悪いことをして、そこから逃げる気だ。焦土戦術。


 霊夢が飛んで五分もしないうちに、茶色に地面が変色して空が汚れつつある穴が見えてきた。遠くからでも霊夢の視力は、周囲で円陣防御をしている兵士たちの姿と、悠々と袋詰にされた何かと共に穴をくぐり抜けていく橘を見た。橘が霊夢の視線に気づいたのか、すぐに向き直ると軽く手を振り、外界へと消えていく。その瞬間、霊夢の腹の底に泥のような怒りがブチ上がった。橘が霊夢をバカにした態度を取ったのもその一部であって、その内実は、袋の中にいろんな人が、妖怪が詰め込まれたということだった。見た途端に全部分かった。


 上白沢慧音十六夜咲夜ミスティアローレライリグルナイトバグルナチャイルドスターサファイア稗田阿求秋穣子秋静葉――


 そして奴らは幻想郷の人たちを連れ去り、良いようにズタズタにして実験する積りだ。そして中身を取り去って、最終的には自分たちで食って大笑いする積りだ。


 絶対許すもんか。


 霊夢が掛け値なしの全力で封魔針を投げつけるのと、兵士らがスコープを通して霊夢に射撃を開始するのは同時だった。撤退準備、と叫ぶ声がかかる。望む所だ。


 霊夢の下へと殺到する数十発の弾丸を、彼女は護符数枚で弾いた。弾丸の速度を殺して勢いを反らし、その隙に残りの札を投擲する。驚愕の叫びは霊夢には届かない。針は既に手近な一人を転がし、札はゆっくりと人でなしたちを捉えにかかる。退避と銃撃が交互に繰り返されるが、霊夢の周囲を行き来する陰陽玉の前では無意味。全てが自在に動く陰陽玉に弾かれあるいは吸収されて消える。二人が札に触れた瞬間吹き飛ばされ、一人は穴に頭から突っ込んだ。穴とそうでない領域は曖昧にゆらめいている――それを無視して頭から突っ込んだ兵士は、どこかしら汚染されるのかもしれない。知ったことか。


 短期決戦だ、夢想封印で散り散りにしてやる――陰陽玉の力を攻撃にまわし、銃弾から体を守るための護符を体中に散りばめスペルカードを手にすると、男たちが目に見えて動揺するのが目に入った。遠方から花火のようなものが発射されたが、それは霊夢の護符に遮られて煙になった。隊員の一人が擲弾を発射したが、それも少女の体を破壊する前に無力化されて落ちた。実情を悟ったのか、男たちはこぞって穴の中へと逃げ始めた。既に橘は穴の外に退避している。できれば慌てて欲しい、霊夢から逃げるのに必死なあまり転んで欲しい、と彼女は思った。そうすればより早くボコボコにしやすくなる。


 霊夢の中には怒りがあった。今まで思うように動けなかったという怒りや、穴というものにくだらないものに邪魔されて常に風邪を引いている感じがした苛立ち。そして橘や隊員たちなど、紫の許可も幻想郷の許可も得ないで入り込んだ侵入者たちへの憤怒。そうした闖入者たちが今度はここを荒らしているという怒り。勿論一番大きいのは、それを許した自分自身への憤怒だ。とにかく怒りを全部まとめてぶっつけてスッキリしたい!


 霊夢が自分自身よりも大きい、色とりどりの破壊そのものを投げつけると、ついに悲鳴が上がった。霊夢の飛翔速度ほどの夢想封印たちは、爆音と共に地面を削り穴の周囲を飛び回り、やがて爆心地を穴の傍と定めて轟音を奏ではじめた。紅や緑や青色の破壊が爆裂すると、膨れ上がった土煙のせいで穴も、隊員たちも見えなくなった。あらん限りの鬱憤をかき集めてぶつけた夢想封印は、凄まじい耳鳴りを霊夢の耳に残していった。遠くからレミリアと魔理沙たちが――きっと《彼岸》の奴らをこてんぱんにするために――飛んでくるのを感じ取った霊夢は、追撃するために穴へと滑空しはじめた。



***



「準備」と隣に陣取った観測手が口にする。いつものように平板でざらついた、感情を削ぎ落した声だった。対物ライフルを構えた狙撃手は、ゆっくりと息をつき、射撃準備を整えた。


 穴から他の兵士たちが退避していく様が、スコープを通じてよく見える。既に穴周辺は殺戮地帯となりつつある。二つの銃座(土嚢と重機関銃で整備された)には人員が配備されており、そこには死守隊らが鎮座ましましている。上空には念のためヘリ二機が配備されており、もしもの際は穴や周囲にガトリングをぶちこむ腹積もりであった。あるいは一切が爆炎に包まれ灰燼に帰すだろう。これら一切は事前に政府に通告されてはいるが、もちろん許可は下りていない。知った事か。奴らは保身のため、必死になってもみ消し工作に着手するだろう。銃弾は花火か工事の音に加工されるだろうし、立ち入ろうとする奴は捕まる。それで良い。ここはもはや治外法権だ。国内と幻想郷の間に位置する、曖昧で邪悪な場所だから。全員が精神を平らに均された顔をして、穴を睨んでいる。


 研究所や本部に戻る班はここから既に離れている。残っている二十数名は死守班であり、男もその一員だ。男ともう一人は、《彼岸》で唯一の狙撃兵だった。白人から色の黒い馬鹿に黄色いアホまで、人種に関係せず平等に撃った。女性も撃った。女の場合は男に比べてよく跳ねる。スコープ越しに覗く死体は、男のそれよりも胸を揺らして尻を弾ませ、やがて完全に止まる。正直言ってかなり興奮するが、それを橘に言ったことはない。橘が与えなかった知られざる娯楽を、男は独力で見つけ出した。墓までこの秘密は持っていく。


 やがて穴からターゲットが出てくる。無線連絡を耳にした。ホテル――博麗霊夢。そいつは間違いなく、動きを止める一瞬がある。


 その瞬間、音よりも先に飛来した亜音速の弾丸が、彼女の頭をハンマーに向かい合ったトマトみたいに潰す。


 そして彼女は彼の妄想に生きることになる。



***



 霊夢が一息に穴を、頭痛をもよおす嫌な瞬間を通過した際、その光景に息を飲み、そして眼を半ば潰された。穴の周辺には幻想郷のものとは比べ物にならないほどの建物があり、上空には網のようなものが張られていた。穴の周りの木々から木々へと、そして空き地の部分には鉄塔らしきものを建てることで、この周辺地すべての上空は網で囲われていた。そして霊夢の偉大なる勘は、ここ幻想郷の埒外でも働いた。あの網は鳥もちのようなものだ。一度触れたら、絶対に離れられなくなる。そして死ぬ。正確には近辺の発電施設に何台もの超大型バッテリーを運び込んで接続することにより、常時高圧電流を流している状態だった。触れれば身体が燃えて脳が焼けて焼死する。そして霊夢が、まずはあの網を壊さないと、と考えた所で、凄まじい光量の光が前面から当てられ、霊夢の眼が一時的に見えなくなった。ものすごい熱量と光が眼を通じて脳に入り込み、代わりに激痛という返答が返ってきた。体が燃える――実際に発火しているかもしれない。霊夢はサーチライトなんて言葉を知らないし、大型の二基がまとめて自分を向いて光という名の凶悪な武器をぶつけてきたことを、知らない。その隙に二十の銃口が、銃座に据えられた巨大な怪物がこちらを向いたことを知らない。


 彼女の動きが止まった。



***



 撃てる。


 頭部の場所には既にピントを合わせてある。


 狙撃手は指先に力を入れ、泥にまみれながら、いつものように引き金を引いた。



***



 これまで経験した何より恐ろしくて速いものが前から飛んでくる。霊夢の勘はそのように警告したが脳が動かなかった。代わりに体が動いた。


 護符が一枚指から射出される。二枚三枚四枚五枚六七八九まだ足りない! 霊夢は封魔針の魔力に手持ちのスペルカード全てをつかみ出して押し出す。それでも足りなくて霊力を帯びた両手も突き出した。


 直後、霊夢の眼にならない眼は見た。音速を越える速度で飛来する物体を。殺すためだけに作られた物質を。一秒足らずで彼女の命を食い尽くすだろうそれを。そしてそれが護符に激突する様も見た。狙撃手が発射した弾丸をはじめとして、人でなしたちが放った弾丸が迫り来る。力を逸らす隙などなく、ただ真正面から。鏃よりももっと鋭く恐ろしい先端を霊夢の真眼は見た。弾たちを落とすうちに護符が次々破れていく。音にならない音を霊夢は聞く。神力が物理によって引き裂かれていく悲しい音を。科学による人間の力が、太古からの神秘を叩き潰す音を。その音が増えていく。まだ札が足りない。空気と音を裂いて燃え盛る弾丸の残像が、霊夢の鼓膜を痛めつける。頭のリボンが自然と解ける。巫女の力を存分に受け継いだ布すらも弾丸を受け止めようとする。小銃のそれは落とされ銃座の弾丸は消えた。ヘリが落とす鞭のような弾幕は、自分自身に降り注ぐものだけを撃ち落とす。防備の余裕などない。残るは亜音速で迫り来るラプア・マグナム弾で最も凶悪。既に弾丸は額直前だ。もう一つ、あと一つあれば――


 魔理沙が《オーレリーズサン》に繋げて射出した魔力体が霊夢の中に入り込んだのは、その瞬間であった。瞬時に巫女の中に満ち溢れた異質な力は、しかし拒否反応を引き起こすより前に彼女に魔力を放たせた。神と魔の融合。星形の魔力がリボンを守り溶け失せた瞬間、リボンは未だに力に溢れていた弾丸を超高速で包んだ。人の手を介さない力が弾丸をくるみこむと破り取ろうとする反作用を完全に押さえこみ、弾を超自然的な力で溶かした。リボンはふわりと地面に落ちていく。


 そのまま霊夢は追撃の手が来る前に穴に向かって倒れこむと、魔理沙! と心で叫んだ。そこに込められた言外の意味を、言葉には決してならない液体のように曖昧な意味を黒魔女は捉えた。


 あいよ。


 魔理沙は霊夢の手を支えると代わりに穴から手をつきだし、自身が準備しておいたとある道具を落とした。古典的でも効果のあるそれは魔力煙幕。


 瞬時に大量の質量ある黒煙が、穴と巫女と魔法使いを包み込んだ。



***



 頭を貫く筈だったのだ。


 狙撃手は無意識に薬室に次弾を送り込みながら、冷や汗が一筋背中を伝うのを意識した。横の観測手も「捉えてない、次弾準備」と髪の毛ほどの焦りをにじませた声で言う。完璧なロケーションで完璧な環境で、綺麗に頭が木っ端微塵になって妄想の続きになる所だったのに、何がおかしかったのか。スコープに意識を集中させたが、煙幕のせいで不明瞭だ。それにやけに重い煙だしどうにもおかしい。熱源感知スコープに切り替えても見通せないのだ。もう一度戻す。初回で殺れなかったことは確実だが、銃座の男たちはそれを気にせず煙幕内へと十字砲火を浴びせかけていた。削岩機を重ねて作動させたような爆音が、一キロ近く離れたここにも容赦なく突き刺さる。だが騒音は戦場の常で、もうここは政府がどう言おうが警察がどう介入しようが殺戮地帯だ。爆裂を耳にしながら男は思う。俺たちは兵士、相手は巫女と魔法使い、それに怪物たち――


 唐突に煙幕内から何かが投げ放たれた。違うと気づいたのは、それがいつまでも低空飛行を続けているからだ。早すぎる。時速八十キロ以上の速度で、電流網に引っかからないギリギリの高度を維持しながらそれは飛んでいた。すがりつく弾丸を引き離し、ヘリは誤射を恐れて射撃不可能。観測手ですら口が出せない。男の引き金にかかった指が凍りついた。下手に二発目を外せば、奴はこっちに飛んでくるかもしれない。そしてあれほどの速度ではサーチライトも機関銃座もまるで意味がなかった。でたらめなサーチライトが木々と間のトラップ群を照らす。


 やがて影にしか見えない速度のそれが、光の弾丸を発射しはじめた。一発が銃座に飛び込んで男たちを襲い、別の星形のそれがサーチライトに激突する。爆発音と共に一基が炎上し、光が停止した。残る一つが動きまわる様が虚しくも悲しい。男は必死に自分に言い聞かせた。射界維持、射界維持――あれほどのスピードで動き続けるなんてできない、必ずどこかに隙があるはずだ。こらえろ。ヘリが網の上から旋回しながらも、汗まみれになって必死に索敵しているのが感じられる。


 そして願いは叶った。少女たちの動きが次第に遅くなっていく。箒から放たれる何か(今やそれを魔力と呼ぶことに、男は何のためらいもない)を燃料にして、魔法使いが飛ばしていたのだ。巫女はその背にしがみついている。微々たるものだが、だんだんと時速が下がっていく。奴らを取り巻くジェット燃料も無尽蔵ではない。次こそ殺れる。男があくまでも乾燥したままの指先を引き金の先に置く。コンマ単位でも静止するなら撃てる。軍用双眼鏡を覗きこんだ観測手も合図する。


 その瞬間、巫女がこちらを見た。魔法使いもまた、銃弾と爆発的な光を躱しながらこちらを見て、手にした何かを構える。戦場で培った勘とも言うべき悪寒が走った。気づいた。


 悪寒を無視して引き金を絞ろうとしたその刹那、もう引き絞られた白い弓矢のようなものが、男の肩を貫き爆発させて銃を取り落とさせた。


「なッ」という観測手が驚愕する声を男は激痛に肥大化した意識で感じた。男はその瞬間に悟った。ツーマンセル。巫女が狙って魔法使いが撃ったのだ。クソなほどチームワークがいいな、そう考えた頃に観測手の肩が爆発し、悲鳴を上げて男たちは転がった。


 ゲームセット。



***



 遠くの狙撃手を無力化させたと魔理沙は肌で感じた。そしてその頃になると、敵の抵抗は本格化してきていた。縮めてSAWと呼ばれることもある分隊支援火器をはじめとした個人用重火器が、飛び回る魔理沙を狙っている。米粒弾よりも更に小さい鉄の固まりは、しかしグレイズも関係なしに魔理沙を狙う。一発でも当たれば速度が落ちる。そうなれば蜂の巣だ。初めてのフィールドで相手はだんだんと射撃に適応しはじめている。厄い。だが何よりも厄介なのは空を飛び回る鋼鉄の化け物で、魔理沙は下から突き上げられては上から叩き落されているも同じだ。土石流のような音を立ててヘリがまた弾幕を張る。上に防御を集中させると下が疎かになり、箒がまた欠けた。


――魔理沙、斜め右下に二人! 大きな椅子に一人飛びついた! もう一人がこっちを狙う! あのバラける弾を撃つ奴をなんとかして!


 声にならない霊夢の叫びを魔理沙は聴きとった。さっき魔力を伝達した時から、霊夢と魔理沙の間には面白いほどの相互通信が確立されていた。ロマンも何もなしに言えばテレパシーみたいなもので、相手が考えていることが、危惧していることが分かる。だから魔理沙はさっきの狙撃手を片付けて、今もまだ生きている。ふと一瞬、全く関係がないし霊夢が知ったら殴られそうなことであるが、魔理沙はこの瞬間、この相互通信が切れるのが怖くなった。相手に伝えたいように伝えられる能力は、多分この戦闘が終わったら消えるだろう。そうなれば今まで通り魔理沙と霊夢は、仲が良くたまに相棒になれる赤の他人に戻るのだ。何よりも彼女はそれに忌避感を感じた。


 魔理沙は八卦炉から糸のように補足した弾を射出する。範囲こそ狭いが速度は銃の弾丸並だ。大きな椅子(多分銃座なんだろう)に向かっていた一人が転がったが、もう一人は自棄気味に腰につけた丸い物を手にとった。マズイと魔理沙は直感で感じる。これも霊夢とテレパシーっている影響か? 魔理沙が絞っていた光を広げて男にレーザーを放つと、男は悲鳴を上げて燃えて倒れた。さっきから投げつけられる爆弾は空中で爆裂するようになってきており、魔理沙が魔力で防壁を張っていなかったら、とっくに二人はバラバラになっている。


 いつまで時間を稼げるだろう?


 なんとかしなきゃな。天井が狭くて飛べないし、兵士たちは戦い方を覚えてきた。建物の影に隠れてとにかく弾を乱射する上に、隙あらば爆弾を投げつけようとしてくる。もう何個か投げられて、だんだん着弾位置が近くなってきた。爆風がかすったら、もうバランスを崩して終わりだ。一時は森に入ろうと計画したが、無茶苦茶に張り巡らされたワイヤーを見て断念した。体が真っ二つどころじゃ済まない。穴に戻ることも頭を過ぎったが、あれほど小さい入口を、この修羅場でくぐり抜けられる気はしない。さっきの狙撃手みたいな奴は種切れのようだが、――またヘリから撃ち落とし。次来たら、もう耐えられない。霊夢、いくぞ。魔理沙は唐突に覚悟を決めた。一切の通達がなかったが霊夢が、それに頷いたのが魔理沙には感じられた。男たちに狙われながらヘリに殺されかけながら、魔理沙はスペルカードを落とした。


 暴発覚悟で発動させる、詠唱なしの《インファイトスパーク》――もともとは近接用のマスタースパーク改良版だが、なにせ実戦に出すのは初なのでどうなるか予測できなかった。


 黒土が表面に出た地面にスペルカードが落ちた瞬間、そこから激光とともに台風を思わす突風が吹き荒れた。光だけなら何度も実験をして慣れていた魔理沙には耐えられた。男たちが立ちくらみのように眼を押さえ、ヘリの乗員ですら一時的に盲目状態になることは予測できた。だが次の瞬間に放たれた突風のせいで、魔理沙は箒から落ちそうになった。木々が横薙ぎにのけぞり、瞬間風速百キロを越える風圧がこの場の全員を襲った。爆風に近い圧力に箒がへし折れそうになり木々へと激突しそうになり、魔理沙はワイヤーに刻まれた己の死相を予感した。遮るもののない男たちは悲惨なもので、完全に吹き飛ばされた。全員がその場から十メートル以上飛ばされ、建物に激突するか、ガラスにぶつかり中に突っ込む隊員もいた。ヘリですらバランスが取りにくくなり、一時的にその場から離脱した。


 チャンスだった。もしも満身創痍の霊夢が箒から落ちかけておらず、魔理沙に《マスタースパーク》を放てるだけの魔力があれば、完全に形勢逆転だっただろう。


 魔理沙はどうにかして逃げようと思い、突風が収まりつつある中、穴を見た。


 穴のこちら側にレミリアが立っている。


 それに倒れていた兵士の一人が気づいた。起き上がりざまにレミリアに向かって三点射撃を行うが、彼女の顔はそれがゴム鉄砲ででもあるかのように弾く。頬に触れた弾丸は彼女を殴りこそするが、貫くこともできずに弾かれる。まるで水鉄砲を撃っているようだ。隊員らは突然の闖入者に眼を白黒させ、それが吸血鬼であることを一部は知っている。一人が耳元に声をあてると、ヘリが戻ってきて、レミリアへとガトリングの弾をぶちまけた。


 弾は当たった。当たったはずなのにレミリアは無傷だった。


 骨のような白い肌には傷ひとつない。服は汚れない。土埃が彼女のわずか一センチ四方で五月雨となる。


 戸惑った一人が腰の爆弾を投げようとした瞬間、レミリアは跳ねた。到達地点は兵士の首元。魔理沙はレミリアの掌に切り傷と、血が滲んでいるのを見受けた。どうしてそんなことをしたのかを、数秒後に魔理沙は自分の耳で体験することになる。


「「全員そこから動くなッ!!」」
 叫びだった。レミリアの物でもあり、それは首に手が埋まった兵士の叫びでもあった。銃声轟き爆発音が耳をつんざく戦場であるのに、その声は異常なほどよく通った。ヘリのプロペラ音すら圧倒するようだった――音の大きさではなく、その異常性でそれは他を制圧していたのだ。声が二重に重なっては鐘のようにブレて、揺れては高くなる。兵士はレミリアの背丈に合わせて膝立ちの状態で震えていた。血と血を混ぜたのだ。人間の血と吸血鬼の血を。首を貫かれたのも同義の兵士が吐血したが、吸血鬼は全く意に介さない。
「「お前たちの計画は失敗する! みんな死ぬ! 武器を捨てろ! 希望はない!」」
 レミリアの昼空をつんざく声に、兵士の悲鳴混じりの叫びがコーラスとなって重なる。兵士の顔が膨らんで、眼が飛び出していた。人間に出せる筈のない声を出した結果があれだ。


「心理戦術だ、全員体勢を立てなおして一斉射――」とヘリからスピーカーを通したアナウンスが流れた。戦意鼓舞だろうが、最後までヘリは言えなかったし、ベルト式重機関砲を放つこともできなかった。レミリアが片手で練り上げた魔力が槍の形となり、指先一つでヘリの下腹を貫いたからだ。


 神槍《スピア・ザ・グングニル》。


 スペルカード詠唱なしで威力が減衰しているはずのそれはやすやすと鋼鉄の機体を貫き、頭上のプロペラをきれいに寸断した。飛行不可能になったヘリが慣性によって轟音を上げながら森林に落ちていく。金属と金属がこすれていく音はさながらヘリの悲鳴であり末期の声にも似ていた。設置されていた網にワイヤーに地面の小型地雷をも容赦なく叩き潰し、ヘリはいよいよもって木々に突入した。爆発音と同時にヘリは爆発炎上し投げ出された乗務員らの前にはワイヤーと地雷が待ち構えていた。後は知らぬが華。残る一機のヘリは上空で沈黙し、兵士たちも沈黙していた。魔理沙も霊夢も沈黙していた。


 やがてもう一人の――血を吐いていた奴が――盛大な声で嘔吐すると倒れた。


 夜気を浴びて静かに震えるレミリアを見た魔理沙にも、寒気が走った。



***



 暗闇の中でも男たちが弾を抜いて重ねた銃は目立った。何十丁もの自動小銃やショットガンがやや崩れながら重なっているのを見るのは、何かうそ寒いものを感じさせる光景でもあった。その周囲には手榴弾、分隊支援火器、閃光手榴弾から武器と呼べそうなものが続々と置かれている。その十メートルほど離れた場所で男たちは、頭の後ろで手を重ねながら膝をついていた。拡声器代わりになった兵士はまだ痙攣していた。残り一機の乗員も既に降伏しており、着陸して武装解除させられた。遠方で燃え盛る火の手はウサギたちの治療で復帰したアリス・マーガトロイドやレティ・ホワイトロックによって消火されていた。レティは人里を襲った凶行自体を知らず、湖の近くでのんびりしていたのをレミリアと魔理沙による魔力アナウンスによって呼び寄せられたのだ。迅速に消火がなされたヘリ周辺では木々が焦げ臭さの名残りを放っていたが、水と冷気まみれのそこには悪臭と人間の焦げカスしか残っていなかった。穴から橙や藤原妹紅など、手すきになった人たちが出てくると、決まって外の景色に目を見はった。ここも随分変わったね、と妹紅は建物群を見つめながら呟いた。


 男たちの眼には生気がなかった。静かに膝をついたまま動こうともせず、眼を湿った空薬莢だらけの土へと向けている。既に一度橘に平らにされた心は、再び誰かに平たくされれば簡単に受け入れるようだ。レミリアは悪魔としての本性が混じったような眼で、容赦なく男たちを睥睨した。魔理沙はその脇で基地内に保管されていた栄養ドリンクをがぶ飲みし二つほどパクり、霊夢はあるだけの装備を求めて幻想郷内の博麗神社に一時戻った。霧島はレミリアの後ろで、捕虜となった男たちを見つめながら慄く自分自身を発見した。明かりなど必要ないレミリアは、ゆっくりと男たちを眺め回す。


「クソジジイとその付き人は、もうここにはいないわ」
 レミリアは脇にいる魔理沙、そして先ほど穴の外から呼び寄せた霧島に話しかけた。血を共有したからだいたいわかった、と付け加えて。
「奴ら、車を使ってここを離れたようね。さらった妖怪たちや強い兵士たちと一緒に、《研究所》って所に向かう積りみたい」


「《研究所》?」
 魔理沙が眉根を寄せた。
「そんなところ連れてって何をするんだ?」


「実験とか解剖」
 レミリアはやはりサラリと言い、魔理沙がうんざりという顔をした。先ほど人里の爆弾を解除した時よりも酷い顔だった。
「奴ら、私らが持ってる能力が欲しくなったみたいでね。だから腹や頭の中を切り開いて、ごっそり持ちだそうって腹よ。もちろんそんなことぐらいで大事なものは移植できないとは思うけど、可能性もなくはない。そんなやくたいもない情報なんてどうでもいいけど、大事なのはそれにウチのメイドが巻き込まれて、殺される寸前ってこと」
 話しながら怒りを覚え始めたレミリアが兵士らを睨むと、彼らは下を向いた。


「じゃあ、早く追いつかないと」
 霧島が口を挟む。
「本当に《研究所》に到着したら厄介なことになる。今すぐ出発しないと――」


「こいつらはどうする?」
 レミリアが霧島に尋ねた。分かっていない様子の彼にレミリアは、兵士たちを指さした。


「この兵士たちだよ。私らを殺そうとしたわけだし、いつまた邪魔するかわかったもんじゃないわ。それにほっといても、こんな奴らは人間世界じゃ生きていけないでしょうし、雁首揃えさせても面倒でしょ」


「何が言いたいんだ」


「皆殺しにしたほうが合理的じゃない?」
 男たちの眼は先程よりは驚いてもおらず、単にぼんやりした顔でレミリアを見上げただけだった。こいつらの中では死というのが、それほど怖いランキング一位というわけじゃなさそうだな、と霧島は無意識に思った。


「殺す……って、でもさ、」


「お前が言ってくれれば良い。唯一の外の人間で、幻想郷側でも《彼岸》の側でもない。中立だし客人だから、私は従う。そして私はそういうことができるよ」
 レミリアは自分の真紅の爪をひらひらと霧島に見せた。目の前にいるのは吸血鬼、もともとは人の命なんてなんとも思っていない。彼女らは、単に危ない熊か虎に出会った対応をする。つまり、危ないからここで殺しとこう。なに、相手は人間じゃないんだし――


 霧島は救いを求める眼で魔理沙を見た。魔理沙は無言だった。霧島を見つめ返しはするが、箒を肩に立てかけ何も言わない。もしここに煙草があれば、魔理沙は吸うだろうかと考えた霧島は、自分がどうにかして現実逃避をしようとしていることに気づいた。だが逃避なんて長続きしないし、辛くなるだけだ。吐きそうだった。ここには篠田もいない。高田もいない(ああ、あいつらはどこに行ったんだろう)。ただ人間の男一人が妖怪みたいなのに囲まれて、立っているだけだ。そして彼は判断を求められている。穴が塞がるまで――あとどれくらいあるだろう?


 霧島は眼を閉じた。答えを出せるように。


(弟の哄笑)


(訓練キャンプ)


(笑う高田に篠田に美村に交じる咲夜レミリアプリズムリバーフランドールパチュリー紅美鈴)


(俺は一体どうしたらいいんだ?)


(お前は一体どうしたいんだ!)


(あなたは人を大切にできる)


 咲夜の笑顔はスカーレット色の霧に包まれてそこにあって、霧島に触りもしないし声をかけもしない。ただ笑うだけだ。だが笑ってくれる人がいることに彼は少なからず勇気づけられて、言うことができた。


「殺さない」と霧島は固く目をつむりながら言った。眼を開くと薄暗い視界にレミリアの紙のように白い顔が入る。人でない顔。人の命などどうでも良いという瞳。
「殺しても良いことなんかない。どうせここには警察が来る。だから、警察に捕まえてもらう」


「それだけ?」とレミリアが詰め寄り霧島は狼狽した。これ以上どんな理由が必要なんだ、とレミリアを恨みすらした。その一瞬、彼の心はもう一度潜った。かつてフランドールを退けレミリアを開眼させたものがもう一度、波のようにやってこようとしていた。霧島は目を閉じて開き、口を開けた。言葉は自然と出てきた。それを引きずりだしたのは咲夜の手に違いない、と思った。あるいはあのチルノと魔理沙による弾幕ごっこ。


「俺はこの幻想郷が怖い」という言葉から始まった。
「だけども、レミリアさんが俺を引き入れた。最初は無茶だったけれど、だんだん慣れてきた。弾幕ごっこも見たし、妖怪も間近に見た。……なんだろうな、美しいって思い始めたんだ。幻想郷は、もうこの世界とは違う。完全に別次元だ。元が同じ世界だったとしても、もう今は違う世界だ。こっちのルールを当てはめるなんて、表向きはできても、実質……本当のところは、無理だ。だから俺は、これ以上俺たちで幻想郷を汚したくない。血とか内臓とかで、もうこれ以上汚すのが嫌なんだ。だから、これ以上血を流すのを見たくない。郷は郷のものなんだ。俺たちが、勝手に入っていい理屈なんてない」


「紫みたいなことを言うね」
 レミリアは思わず笑ってしまった。その際に少し緊張が解けて、霧島も肩の力が抜けた。
「あいつの言葉は大嫌いだが、リョウイチの言葉は気に入った。郷は郷に、か。フフン、いいだろう」
 余裕綽々の態度に戻ったレミリアは、使う用事のない日傘を持ち上げると、山の麓にそれを指した。
「お前ら、行っていいぞ。勝手に出てって勝手に生きろ。私らはもう知らん。お前らだけでなんとかしろ」
 それこそ無責任の極みでもあったが、男たちは顔を見あわし、そして最初に武器を向いた。


 小銃の群れが唐突に弾けた。液状の花火が破裂するように間抜けな音を立てて銃が溶解していく。


 レミリアはゆっくりと、魔眼を男たちに向けた。次はお前らだ、と言おうとしたところで最後尾の一人が叫びながら逃げ出した。パニックは伝染する。男たちは同じように叫びだすと、転びながら慌てながら走りだした。一人は腿が抉れていて、誰かに肩を貸してもらいながら走ろうとしていた。それを眺めていた霧島はほんの少しだが、この男たちに同情を寄せた。体よく言えば彼らは橘に見捨てられたも同じで、殺しにしか精通しなかった彼らにはどんな未来があるのだろうか。ヤクザの用心棒か、紛争地帯の荷物運び屋か、あるいは軍隊? ギャング? 自殺? きっと彼らは虫のように死ぬのだ。誰かを殺して捕まるか、あるいは自分に殺される。


 霧島は深呼吸した。その途端にひらめきに似たものが走って彼はその方角を向いた。山の向こう。幻想郷よりも遥かに星々が隠れている夜空へ。


「勘だけどさ、橘が向かった先はレミリアが言う《研究所》じゃないよ」
 レミリアが胡乱げに霧島を見た。


「何言ってるの。確かに血を乗っ取った。そして行き先も書いてあった。吸血鬼の本能に従わないっていうの?」
 レミリアが当然のように反駁した。魔理沙はレミリアと霧島の間を目で往復する。


「そうじゃない。これは、なんか……どこから来たのかわからないんだけど、とにかく違うんだ。そことは別方向に向かってる」
 霧島はレミリアに詰め寄った。レミリアは堂々と男を見上げ、彼がじっと見据えると魔眼と瞳がぶつかった。
「信じてくれ」
 レミリアは黙った。何をも通さない顔つきになって霧島を見やる。彼女の中で何が行われているにしろ、あとはそれに任せるしかない。


 最後に一つひらめいた。


「俺はジョーカーかもしれないんだろう」
 霧島が言うとレミリアはとうとうため息をついた。


「分かった。リョウイチに従おう。ただ本当に危ないのは事実だ、もし間違えてたら、リョウイチ、あんたを殺すからね」


「俺もそいつが正しいと思う」
 脇から突然声をかけられて見ると車椅子に乗った高田が傍にいた。
「こいつたまに無視できないほど勘が鋭くなるんだ。だからこそあんたの妹さんや化物イノシシを退けられたわけだしな。聞いておいた方が良いと思う」


「無事だったのか! それにしてもよく殺されなかったな」


「お前らの対応が早かったおかげだ。実質、どうやって俺を埋めるか奴らは相談する段階まで来てた。本当はその上で人里も爆破する予定だったから、かなり予想外だったらしいな、お前さんたちの動きは」
 彼はぐるりと少女と男を見回した。


「霧島、気をつけろ。橘たちは相当な数の兵士を連れて行った。取り返すには骨が折れるぞ」
 霧島はコクリと頷いたが、高田が自分の額を指で押さえた後、「もう一つ付け加えなきゃならない」


「何だ?」


「篠田は完全に向こう側だ。今も車に同乗してるはずだ」
 そしてうつむいて一言。
「俺はあいつを止められなかった。あいつも自分じゃ止まらない。止められるとしたら、霧島、お前だけだ」



***



 始まりはいつも臭いから始まる。あの頃は今と比べても本当に臭かった。建物の臭いに人が行き交う臭い、口臭に体臭も酷かった。彼はその時期ではかなり良い待遇にあったし、専属の運転手が送り迎えをする立場だったのだけれど、とは言え軍服を着込んだ白い肌の人間は、当時の何者にも優っていた。幼い彼には(多分年を取ってもそうだろう)理解できない大混乱がようやく終わりを告げた頃、彼はとかく泣いてばかりいた。苛立った父親が彼を殴るのも勿論だったし、白い人たちが自分の家みたいな顔をして商店街をそぞろ歩くのも、犬か猫を見るように彼を見るのも嫌だった。母親は夜ごとに彼に話を聞かせてやりながら、お前はあんな風になってはいけないよ、と言った。結局どうなってはいけないのか分からないまま母親は死んだし、父親も接待と官僚たちとの折衝の末に楽しそうな名前の病気でこの世を去った。


 その日も臭かった。布団には彼の汗がこびりついていて、女中の指にこびりついた汚れも嫌だった。運転手が手袋をしていたが、その手袋の下は垢にまみれているから嫌だった。彼の髪にフケがついているのも嫌だった。ガラスの臭いですら嫌だった。そんな自分が疎開の最中にどうして発狂しなかったのか時折不思議になるのだが、きっと臭いに対する《装置》が開いたのは、何か彼には知れないきっかけがあったのだろう。大きな大きな爆弾二つの余波か、末期の放送か、それとも有る日父親に殴られたことがきっかけなのか。だがその《装置》が開いた期間は随分短かった。どういう用事だったかは覚えていないが、彼と運転手は二人で通りを走っていた。夜だったかもしれない。彼は懐中時計を手にしていた(闇市に精を出していた庶民が知れば取り上げられただろう)。やがて車は路地に入った。薄暗くて鳥は既に家へと帰っている。誰も歩かないし、大きくて白い人を恐れて家から出なかった。その白い人たちが四人、目の前を歩いていた。クラクションを鳴らす勇気は運転手にはなくて、酒瓶みたいなものを手にして辺りを蹴り歩いている白い人四人は、車を取り囲んだ。口々に何かを叫びながら中指を立てていた。彼は座席の真ん中で身をかばい、それを見た白い人がドアを開けようとした。運転手がその時、無理やりにでも発進させていれば物事は違ったかもしれないが、運転手はそうできなかった。お偉い白い人の前で体が硬直していた。だからロックし忘れたドアが開いた時、運転手の顔が青ざめたのも無理はない。運転手も出たが、白い人に殴られた。眼鏡が飛んでいく間に彼は連れ去られてしまい、担ぎあげられた彼ははじめて嗅ぐ酒の臭いに吐きそうになった。もし吐いていたら殺されていたかもしれない。


 木賃宿としか言い様のないものが立ち並ぶ通りだった。そこで彼らは彼を下ろして取り囲んだ。多いものはいつもそうする。彼らが何かはじめて、そこから急激にノイズが混じり始める。彼は鼻を摘んで悲鳴を上げた。白い人たちは口臭(魚と肉とパンが混じって、マヨネーズの臭いもあった。そしてコーヒー)をまき散らしながら彼に覆いかぶさった。彼はこれが現実ではないと考え、凄まじい体臭と激痛が現実だと控訴する。それに対する控訴とまた控訴。反復。彼はとろろ芋のようで、あるいはそれよりも汚らわしいものに覆いかぶさられた。今や男たちは不条理と化している。臭みと苦味が口内に広がって彼はこの大陸が海に沈めば良いと思う。あるいは地球すらも。あの運転手すら男たちに混ざり始めている。月が音を立てて笑いやがて白い男たちが年老いていく。後年彼はあの国で男たちを見つけて、主に下半身に対する拷問によって死に至らしめるのだが、それは今この時捕まった彼には全く関係がない。関係がないと何度でも断言する。両親が溶けていき男たちも溶けていき、やがて彼は粘性の物体に取り囲まれながら成長し、年老い、皺を増やしていく。その粘性とは血液であり体液なのだと知るに至る。矍鑠として知識を増やし、常に修羅場にいるようになる。臭いを殆ど感じなくなり、かつて持っていた純真さを汚す。破壊する。そして彼は自分が求めていたものを、永遠にいつまでもどこまでも壊し続ける能力の片鱗に手をかける。彼の原理は至って簡単だ。犬に噛まれた子どもが犬を嫌うように、バットで殴られた人がバットで殴り返すようになっただけだ。最終的にはただの一人すら生かしたくなくて、だから彼は月のように底冷えする荒廃の世界をいつも夢見る。


 そして夢から覚める時に橘はいつも、自分が年を取ったと感じる。今この時、バンの運転手後ろ側に座っている際も。



***



「起きられました?」
 東海林の言葉はいつもと同じように淡々としている。
「残り二キロほどです。でも本当に《研究所》じゃなくていいんですか? 第二の方でも一応解剖できますけど、施設の質は本丸よりかなり劣りますよ。それに事前の打ち合わせと違ってます。土壇場で変更するだなんて、後で混乱が起きますよ」


「念には念を入れたのさ。あの吸血鬼を覚えてるだろ? あの世界からしつこく追ってくるとすれば、あいつしか考えられん。とことんまで突き放してやらないと、私は安心できないんだ。後日、第二から本丸の方に荷物を輸送するとしよう。どのみち穴の封鎖まで逃げ切ればこっちのものだ。せめて研究所の調整が間に合っていれば、封鎖の直前に持ち出せたんだがなあ!」
 間接の節々が痛い。身体を伸ばして窓ガラスを覗くと、外を暗い山道が線のように後ろに流れていく。首を伸ばすと鹿に注意の標識が見えた。そろそろ第二研究所に着く。かなり規模は小さいがまあ受け入れは可能だろう。そもそも先方に連絡を入れてないので、あいつらはかなり慌てるだろう。
「穴が完全封鎖されるのは、こっちの時間で午前二時頃だったな?」
 橘の言葉に東海林が頷いた。運転手は無言だ。後ろの座席に座る兵士たちもそうであったが、横に座る篠田はあくびをするだけだ。


 篠田も今では拳銃を持たされていた。ここで疑問が生じる。彼は橘を撃つだろうか?


 答えは否だ。それは篠田の眼にある、人外への憎悪からだ。


「はい。今は午前一時ですので、なんだかんだであと四十分ぐらいでしょうか。丑三つ時に閉まる門ってのもおっかないですね?」


「くだらねえこと言うな、だいたい妖怪どもがどうしてここに追ってくるんだ?」


 東海林と橘の会話にシフトしてきた篠田に老人は答えず無線に手を当て、声を吹き込んだ。


《こちら蓼、萩一応答願う》


《こちら萩一、問題なし。運転中》


《こちら蓼、萩二応答願う》


《こちら萩二、こちらも以上なし。敵影なし》


 橘は改めて椅子に深く座り込んだ。ふと思いついて口を開きかけた際、「死守班からの連絡は既に途絶えました。最後の報告は《ヘリが落ちる》だったようです。いやはや、妖怪ってのも恐ろしいものですねぇ」


「ま、保ったものか。しかし随分殺られた。これからは事業縮小する必要があるなぁ。しばらく《研究所》に詰める必要あるだろうし。……篠田君、これを気に鞍替えしない? 対人外専門の部隊でも作るかもしれないし、そこの……なんか、隊長とかにね。ハハ」


「冗談抜かせ」
 橘はにべもない返答に笑みを浮かべた。スコップで吸血鬼に殴りかかった心胆を本気で評価したい気持ちはあった。


「その時はクビにされないよう頑張らないといけませんね」と東海林が言う。


「ああ、いやお前はクビだよ。東海林」
 橘は耳の後ろを掻きながら言った。
「お前は不適切な態度が多すぎる。特に指のコレクションなんて評価できたものではないな。即刻解雇だ。いますぐ車から降りろ」


「冗談がお好きで」
 東海林がニコリと静かに笑う横で、橘はホルスターから拳銃を抜いた。東海林が真顔に戻る瞬間、橘は座席の後ろから運転手の後頭部に銃口を当てた。篠田が遅まきながら銃を抜くと、後列左側の兵士にそれを向けた。橘が篠田を見やると彼はハッとして、慌てて安全装置を外した。後列左は呆然に近い状態だが、右の兵士は唇を噛み締めながらやはり拳銃を構えた。ここで小銃はむしろ邪魔になる。


「ヘタな真似はしない方がいいぞ。お前に向けたもう一丁が見えないわけじゃあるまい? この距離なら右目左目のどっちでも撃ち抜ける」


「一体どういう真似ですか?」
 高速で景色が過ぎ去っていき、それにブレはない。平素ならば作業員に扮した男たちが詰めて入ろうとする車を止めるが、今日この時間帯では無人だ。


「お前らが赤坂と――その向こうの国に繋がってるのは知ってたよ」
 橘は銃口から目線を離さない。
「東京出張の時に動いたり、奴らを本部近くに呼び寄せたりとまあ、なかなか派手じゃないか。言ってなかったっけ? ウチにも公安みたいなのがいるんだよ。お前みたいなのを壊すためにな。今そいつらは、後ろの裏切り者を殺した所だ。さっきの無線が合図で」


 東海林がほ、と口を丸く開けた。橘が両手を頭の後ろに上げろと言うと、それに従う。篠田が狙いを定めるもう一人も同様だった。


「しかし、どうやってウチの隊員を手懐けた?」
 彼はしみじみとして問いかけた。実際、彼の隊員らは鉄壁に見えた。
「まともな欲求はないと思うんだが……ちゃんと調教したし」


「簡単ですよ。酒に女。後ゲーセン」
 ガキみたいなもんだから簡単ですよ、と東海林は付け足した。後列左の隊員がうなだれる。
「方針が仇になりましたね。しかし、いつからご存知でした? 私の所属」


「前も市ヶ谷の方から一人、スパイが来てな。映画俳優気取りのバカですぐにつまみ出したが、お前がなんとなくそれに似てたんだよ。それでも半年かかった。ウチの犬に報告させて、お前の動向見守って、後は勘だ。しかし、俺も年食ったなあ。お前らに感づかれるなんて。もうこの仕事でラストにした方がいいなぁ」


「前々からカルト容疑かかってたんですよ、あなた。前に橘さん、向こうで四人ぐらい拷問したじゃないですか。あれがまわりまわって当局の耳に入ったらしくて。あとですね、向こうが乗り出したのは政府の打診が大きいらしいっす。橘なんかにやるなら、あなた様に差し上げます、ってことで。最初にメチャクチャ渋ってたのって、それが大きいらしいですよ。それに奴らも軍事転用大好きですからねえ。後ですね、この案件は他の情報機関にも大人気です。ユーラシアに欧州にアジア全域に流れてますよ。中東の指導者も知ってるかもしれませんね。ハハハ、マジで狂ってますよね」


「オイオイオイオイ、参ったなあ。また一からか。裸一貫は辛いね」
 鋼鉄の手を崩さない橘は、あくびをしながら言う。篠田の額を汗が伝う。
「そういや、お前の目的は金か?」


「です」


「殺すには惜しい。上乗せするからウチに乗らないか? せっかく仕込んだんだ、二重スパイになってくれよ」


 車の速度が落ち始めた。細かい私道を抜けた先で、とうとう建物に到着する。木々の陰影が月を隠す。


「そしたら俺が殺られちゃいますよ。つーか本部から出られませんし暗殺部隊が殺しに来ます。残念ですが破棄でお願いします。あーあ、最後に阿求ちゃんに会いたかったなあ。あの子も捕まえてあるんですよね? 解剖したらいい感じに写真撮ってコラージュお願いしますよ。あと、このルートは出発直前に通報しといたんで、直に騎兵隊がやってくると思います。多分本丸や本部にも急襲かかってて、」


 言い終える前に運転手が「バリケード!」と叫び、一斉射撃が防弾フロントガラスに叩きつけられた。篠田の眼がガラスに向き、このバカと橘は内心で毒づいた。東海林が瞬時にホルスターから銃を抜いたので橘は、彼の眼と額に一発ずつ打ち込む。窓ガラスに射出孔が入ると同時に脳みそがはじけ飛び、後列左の兵士がやけくそで手榴弾を抜こうとしてもう一人に撃たれた。この車が先導しており、トラックと他のヴァンは後方に位置している。


「車を回せ! 今すぐ本部に戻るぞ。騎兵隊どものケツを蹴っ飛ばして籠城だ。長丁場になるぞ。後で逆襲してやる」


 続く一斉射撃。今頃《研究所》ではどうなっているだろうかと橘は思った。日本人の顔をした奴らに殴られ張り倒され、書類や研究成果を奪い取られたのだろうか。ドライバーが車を回す直前、頭上からヘリのサーチライトが橘のバンに向けて照射された。



***



《彼岸》のグループが運送に選んだ車は、バン二台と大型トラック数台。バンは荷物を加味して六人が乗り、トラックは運転席と助手席に一名、そして荷物室に二名であった。それぞれの車内部では内部抗争の結果、《彼岸》グループがおおよそ勝利して人数はほぼ半数に減じた。いつの世界も奇襲は強い。そしてあの国が遣わした騎兵隊も同じ編成であった。バン二台に強奪用の大型トラック数台。だが騎兵隊らにはヘリというサポートがあったしそのうち別の車列が援護に来る手はずになっている。一般大衆を誤魔化すという名目は消え去っていた。ヘリが大々的にサーチライトを照射するのと大型トラックが後方のバンにぶちかましをお見舞いするのは同時であった。第二研究所直前の私道は修羅場に陥った。後方から時速八十キロ近い速度でケツを掘られたバンは道をそれで木々をなぎ倒しながら山の方へと吹き飛ばされて横倒しになった。飛んだ車内の地獄絵図を確認もせずにトラックで即席バリケードを作ると、後方からバンを降りた武装した兵士たちが走り寄ってきた。


 騎兵隊らがトラックを包囲する間にヘリは橘の車に射撃を開始。長く尾を引く重低音と同時に弾丸が防弾ヴァンの車外を抉り、バンを穴だらけにした。内部では力ない東海林と裏切り者の兵士の体がグズグズになり、偶然通過した弾丸が運転手の頭を破裂させた。橘と篠田はまだ生きており、残り一名も同様だった。橘が小銃を座席下から取り出すとヘリに向けて射撃を開始する。ローターに正確に撃ち込まれた弾丸はヘリのメーターに異常を感知させ、一時的にヘリはその場を離脱。その隙に篠田と兵士は反対側の窓を開けるとからトラックを包囲する兵士らに銃撃した。拳銃と小銃。兵士がフラッシュバンを騎兵隊にぶつけるよう投げ込むのと、騎兵隊の射撃が兵士を捉えるのは同時であった。何百カンデラの光量と飛行機の離着陸を思わすほどの高デシベルの発狂音。車内に脳を撒き散らす兵士の小銃を奪い取った篠田は、敵よりも先に視力の回復した眼で撃ち始めた。その顔は修羅場に潜む何か恐ろしく大きいものを表現しており、幻想郷の人間ならば妖怪の眼と表現するものが含まれていた。そして橘が小銃から撃ち込むと、サーチライトが壊れてガラスが下に飛び散った。そのガラスがトラックの荷物室の上に落ち、中で血走った眼と銃口を外に向けている兵士が震えた。


 霧雨魔理沙、レミリア・スカーレット、博麗霊夢、そして魔理沙の箒に乗っていた霧島が到着したのはこの時点である。



***



「当たりだ! あそこで戦ってる! レミリア! あれは私が落とす!」
 レミリアが先導こそしていたものの、最もスピードがあるので殆ど魔理沙が先んじる形になっていた。彼女はやはり先走って魔力ブーストを開始。霧島が乗っていることを加味した減速飛行だが、霧島にとっては小型の航空機に乗せられたようなものだ。魔理沙の中で、さっきのレミリアがヘリを落としたシーンがよみがえった。彼女は一気にヘリに肉薄すると、眼下に向けて今まさに斉射しようとしていた乗員に向かい、空中を疾走しながら手を上げた。


「よう!」


 射撃手の口がポカンと開き、頭が疑問符でいっぱいになっている間に魔理沙は、弓矢状に縮めたスパークを相手の両肩に打ち込んだ。肩を鋭利な針で貫かれたも同じであり、乗員らがひっくり返る。慌ててヘリが旋回して体勢を立て直そうとする間に魔理沙は、既に損傷したローターに十分なほどの弾幕を放っている。三発目で火花を吹き始めたことに気づいたパイロットは、慌てて手近にある広くて不時着出来る場所――この場合は山の麓近くの大型道路であった――を求めて空をさまようことになる。


「どっちが咲夜たちが乗ってるトラック!?」
 霊夢と並走するレミリアが叫ぶ。この場合は運命を読む必要があるレミリアより、一瞬以下の勘で表現する霊夢の方が早い。


「多分あっち! 右側!」
 頷いたレミリアは右側のトラックにコウモリ型の弾幕を打ち込んだ。曲がりくねる弾丸を人間たちが考えたことがないらしく、それが車の弱点であるタイヤ――行く途中に霧島に教えてもらった――を一つ残らず破壊すると、人間たちは上を向いて叫んだ。知らない言葉なので霊夢は疑問を浮かべたが、レミリアは慣れた言語なのでよく知っている。だが悪態ばかりが多いので、あまり通訳してやらないでも良いかなとも思う。


 男たちの射撃は霊夢とレミリアには当たらない。霊夢の防御用護符が功を奏しているからだし、怒り心頭の霊夢が博麗神社でかき集めて持ってきた護符らの存在は常時ボムのようなものでグレイズの必要性すらなくしている。ボムの貯蔵は十分で、気力は満タン。そして相手に封魔針と弾幕が撃ち込まれると、やはり彼らは倒れた。その頃ようやくレミリアは建物の中が騒がしいことに気づいた――魔眼で通し見ると中で人間たちが忙しなく走り回り、時折銃声が聞こえる――が、気にしないでおいた。今一番重要なのは、トラックの中身だ。橘が乗っている車を除いて全て終了した。後は橘から始末するか、それともトラックの荷物を優先するか(そもそもレミリアは、この大型トラックと中の荷物をどう幻想郷に連れて帰るか考えていなかった)。それを考えた頃、生き残りのバンの扉が開き、生き残りたちが顔を出した。


 篠田の顔を見た瞬間、やはり霧島の顔は青ざめたように見えた。



***



 眼を閉じながら十六夜咲夜は、自分が眠りから覚めつつあることを自覚しはじめる。ここは暗くて狭くて冷たい。自分自身が一つの殻に押し込められたようだった。他に何かあることを彼女は感じられるが、この世界にただ一人、自分しかいないことを咲夜は不意に錯覚する。だが咲夜はすぐに自分を取り戻し、己が身動きできないこと、空間を弄ることができないことを確認する。体がまだ起きていないのかも。


 だがそうした過程で咲夜は、霧島の声を聞く。この殻の外で起きていることだろうが、中で聞こえるように明瞭だった。彼が何か口にしているし、その心の底には一つのことが……咲夜を助けに来たというものが感じられる。彼女はそれを聞いて嬉しくなる。自分自身を裏切ったのが紛れもない霧島であり、もう霧島の心が自分からは離れているということを理解しているにも関わらず。だが共感と感情は、いつでも理性如きが追いつけない速度でひた走る。咲夜は生きながら冷凍されているような感覚を覚えながらも、霧島に頑張って欲しいと思う。彼が自分を助けるとか、目的を達するとか、そういうことは抜きにして、ただただ彼が動いていることを、きっと命をかけていることにエールを送りたい。


 がんばれ。


 がんばれ。


 少しずつ咲夜は声に出していく。そしてそれは成功しつつある。



***



「そいつらをどかせろ、霧島」
 篠田の声にためらいなどない。彼が手にした拳銃の銃口は霧島に向いている。
「ここはもうダメだ。俺らは別の場所に向かう」


「そうさせるわけには、いかない」
 対する霧島は無防備で、銃も何もない。だがそこに銃が介在する余地はないことを、魔理沙も霊夢もレミリアも知りつつある。唯一それをぶち壊しにし得る者もいるが、そいつが動けばレミリアは容赦なく八つ裂きにするつもりだ。橘は肩を竦めると、ぶらぶらとトラックに向かった。武器を調達する積りなのか。少なくともまだ害はない。少なくとも。


「頭腐ったのかお前」
 篠田の声に怒声はもはやない。淡々と、噴火の実況放送を伝える声があるだけだ。
「こいつらの仲間に俺らが殺されそうになったんだぞ、人生ぶち壊しにされて――」


「それがどうしたッ!」
 霧島の叫びに篠田は眼を見開いたが、霧島自身も驚いた顔をしている。
「だからと言って俺らがこいつらを殺していい理由にはならない! ならねえよ畜生!」


「美村のことはどうするつもりだ……!」
 いよいよ篠田は歯をむき出しにして霧島に向かう。霧島もそれに応ずる構えで、とうとう篠田が銃口を霧島の額にぶつけた際(暴発はしなかった)、霧島の眼は揺るぎもしなかった。
「ダチ殺されて、はいオシマイで放り出されて、それでいいのかお前は! 少しぐらい、仕返しぐらいしたくねえのか! 女にほだされたかアホめ!」


「したいに決まってるし、俺は女にほだされたんだよ……!」
 霧島が銃口を掴んで明後日の方角に向けた。力が強く、篠田が押し負けそうになる。互いの顔が苦痛に歪む。ゴォンと一発銃声が響いたが二人共気にしない。
「でもそれは、俺のやり方じゃない……! 俺が飲み込めるやり方は、こんなんじゃないんだよ! ぶち殺してスッとして、六十年後にどうなる、ダチが死んで、犯人を殺した事実しか残らねえよ……!」
 銃口が歪む感触。魔理沙も霊夢もレミリアも、何も言わない。このガキのケンカに水を差したら、後々まで自分たちが恨まれることはわかっている。


「ほざけ甘ったれッ!」
 篠田が銃把で殴りつけようとして、霧島に逆に殴り飛ばされた。そのまま銃を捨てた篠田と霧島の殴り合いが始まる。拳が唸って互いの顔に叩きつけられ、篠田の歯が飛ぶ。霧島の鼻が折れる。鼻血が噴きでて骨が折れて両者が悶える。ごンごンと嫌な音が響き霧島が掌底で篠田の耳の上を叩く。篠田は蹴り返して霧島が苦しみながら頬を殴る。蹴る。殴る。叩く。激痛に苦しみながら二人は、最後に一度だけ互いに殴らせた。霧島は篠田の頬を殴り、篠田は霧島の腹を殴り飛ばした。えずき呻き、くそったれと篠田が呟きへたりこんだ所で、殴り合いが終わった。


「ああ、くそ」
 霧島の片目が腫れ上がって足がフラつく。決闘後の爽快感などまるでない、ただただ重苦しい殴り合い。殴った方も殴られた方も不毛だ。篠田が立ち上がろうとしてもう一度足を崩し、霧島が立ち上がらせた。もう互いに戦う気力はなく、篠田は苦しんでいた。


「今回は折れてくれ」
 霧島は篠田の肩を叩いた。
「咲夜を守りたいんだ。だから、お願いだ」


「んだよ、やっぱほだされたんじゃねえかよ」
 篠田は呻いて、眼を閉じた。眼を開けた後、「良いよ。分かった。そうしろよ」


 彼が口にし終えた瞬間、篠田の腹が爆発した。


 ぱっと血の花が裂いて、霧島の腹も赤く染まった。



***



 レミリアと霊夢が弾幕を投擲しようとした瞬間、「分かった! 君等の言い分は分かった」と小銃を構えながら橘は遮った。呆然とした霧島に魔理沙が駆け寄り、力を失った篠田を抱える。


「時間がないんだ。私は早く行かなきゃならんし、君等の話を結構聞いた方だしな。それに篠田君はまだ死んじゃいない。今すぐ病院に連れて行けば間に合うかもしれんぞ」
 橘が顎をしゃくると、既に篠田は血の気の失せた顔を虚空に向けている。


「それで逃げられると思ってるのか?」
 レミリアが牙の生えた口を橘に向けた。
「その前に御前を斬首して杭に首を突き刺す。一分もかからん」


「爆弾を仕掛けてあるんだ。私がスイッチを押すか、もしくは無線で合図したら――あるいは信号が途切れたら――トラックを爆破するよう隊員に申し渡してある。彼らもろとも中身は死ぬだろう。どうする?」


 レミリアは歯噛みした。被害を抑えるためにフランを連れてこなかったことを後悔する。


「お前はどこまで幻想郷を利用するんだ」
 血にまみれた霧島が、虚ろな中で泥に似たものが混じった眼で近づくる。一歩、また一歩。魔理沙が止めようとするが、その手を彼は払いのけた。
「どこまで外道なんだ。どこまで下衆なんだ。どこまで狂ってるんだ」


「君も死ぬかい」と橘は銃を向けたが男は意に介さない。よくあることだ。頭のネジが飛んだのだろう。


 殺そうと引き金を絞った瞬間、男の声が変わった。聞き覚えがあった。


「幻想郷は全てを受け入れるのです。それはそれは残酷なことですわ」
 男であったはずの声にガラス片が混じり始める。ガラスは音を高くさせる。調子外れの独唱みたいなものが、次第に女の声へと変化していく。
「私はあなたをも受け入れます。ですがあなたは少々俗世間に毒され過ぎている。ですので幻想の色へと染まっていただきませんと」


 橘は撃った。男に当たらない。胸と腹に射撃するが、明らかに男の手前で消えている。舌打ちした。


「十六夜さんには感謝しないといけませんわね。彼女が霧島を想うことで私の拠り所ができたわけですし、やっとこちらに現界できました。つまるところチャネルを確立させたのは……愛の力? ふうむ、こういうのも侮れませんわね。霊夢にも見習って欲しいものですわ」


 更に近づく霧島の距離は五メートルもない。橘が銃把で殴ろうとした瞬間、人間のものではない速さで霧島が橘の腕を掴んだ。そのまま捻るだけでなく腕をへし折った。呻いた橘が体勢を変えようとするが動けない。


「あんたもしかして……紫?」
 霊夢が尋ねると、霧島は圧し折りながら頷いた。あの神出鬼没の妖怪の笑みで。


「ご名答。外の汚れに満ちた人間でありつつも幻想を浴びた人間をポイントとして辿りました。霊夢はそもそも私のレーダーに引っかからないし、魔理沙は弱すぎる。スカーレットさんは他の怪異と混ざってしまいますから」


 橘は歯を噛み締めて片手に隠していたスイッチを押す。押し続ける。爆発しない。


「捨てました」
 紫はとうとう妖怪そのものとなった笑みで呟き、橘を持ち上げた。
「兵士さんと爆弾はスキマ行きです。行き先は……冥界?」


 残る銃弾を橘は紫に撃ち込んだが、何の効果もない。スキマの前では。銃を落としてナイフを抜こうとしたら声がした。


「百鬼夜行にご招待」
 紫の声と共に橘の視界が暗転した。


 今や橘はこれまで知らなかった場所に――見知らぬ線路に立っていた。周囲は無。空。だが凄まじい不快とおぞけが背筋を這い上がる。今直ぐ自殺しようとナイフを持ち上げるがそこにあるのは明かりのついたライトだ。足元を照らすとレールはどこまでも続いていた。ファン、と腹に響く嫌な音と共に電車が走ってくる。それに乗っている者を眼にした橘は、自分がとうとう狂ったことと思った。そうでないことに数瞬後に気づく。


 廃線を走っていたような、一両編成のどこにでもある電車だった。どこにでもないところは、狐が乗務員の服装を着ていた。狸たちが電車の上に乗り合わせている。一反木綿がつり革に捕まり二足歩行の狼と犬たちが談笑しながら立っている。一つ目小僧が単眼を橘に据えて離さず尻尾が四本ある狢が歌っていた。地蔵がこちらを見ながら笑っている。猫又が口を大きく開けて欠伸をする。髪をどこまでも後ろに引きずる巨大な日本人形が列車の後ろから追いかけてくる。濡れた女に炎の塊、入道、がしゃ髑髏眼の潰れた女男生き物生き物妖怪――


 最後にあの白い人たちがやってきた。


 だが白い人たちがあの時と違っていたのはとても太っていたことでそして全裸であった。彼らが橘に近寄ると老人の腕と足を掴んで顔面を固定した。よく見ると白い人たちには目も鼻もなく全てが空無の穴であった。そこに何かが吸い込まれていく音がして気が付くと橘が持っていたライトが吸い込まれ内蔵の中身が上向いて毛羽立った。


 紫が観察していると橘の身体が膨らみそして自己防衛のために死霊らが腹から胸から飛び出すのが見えた。今まで彼が関わってきた殺害や死にまつわるもの全てが、今や彼を取り巻き橘を人間から畜生道に在る餓鬼とさせているのである。それにしても随分と大きなものだ。ぶつんぶつんと音を立てて橘は風船のように膨らみそのうちに一線を越えて人間でなくなった。全長六メートルを越した巨大な餓鬼と成り果てた橘は奇声を上げて悪臭を放つ白い人(是非曲直庁に頼み込んで連れてきた、地獄にいた魂たちだ)を掴んだが、その手があっけなく千切れて餓鬼が悲鳴を上げた。餓鬼の中から死霊が弾け膨れそして吐き出されながら餓鬼は倒れて身悶えし、そして白い人たちは嬉々として橘だったものを引き裂き食い始めた。盛大に屁をこきながら橘の顔や皮膚や魂をむしゃむしゃと食べる。もはや橘が白い人なのか白い人が橘なのか見分けがつかない。白い人たちは延々と食べ続け……そしてちぎり取った骨盤を噛んで飲み込むとげっぷをし、そうして百鬼夜行らは橘の精神と魂を載せて誰も知らない世界へ消えた。


 紫は微笑んでそれを見送った。



***



 深夜、全ての妖怪や神たちそしてマジックアイテムは解放され、幻想郷傍の入り口へと戻ってきた。一秒足らずでスキマを通じてここに戻ってきた。彼らはみな強烈な麻酔から覚めてぼんやりとした顔をしながら、ゆっくりと穴をくぐっていった。魔理沙は狙撃銃か何かをかっぱらおうとしていたが、霊夢に耳を引っ張られてしぶしぶ帰った。レミリアはちょっと穴に入るのをためらったが、咲夜の目を気にしつつ霧島にハグをし頬に触れるキスをしてから手を振り穴の中に入っていった。今頃幻想郷側では外敵撃退記念として宴会が開かれているはずだ。里の事態は永遠亭の薬師が効果的な薬を調合したのでたちどころに沈静化しつつある、と伝言によって霧島らに知らされていた。


 篠田はスキマの中で別行動となった。彼は最寄りの病院へと運ばれた。というか、紫のスキマを通じて篠田が看護婦に発見され、中に担架で運ばれる様を霧島は見た。


 高田はスキマでどこに行くかと聞かれ、少し悩んでから幻想郷で、と答えた。これに霧島は少なからずびっくりしたが、高田としても色々と考える余地があったらしい。


「あのお嬢様の話を聞いてだな、もう少し考える余地ができたと思ってな」と彼は言った。紅魔館に対する考えが変わり、危険地帯と思っていた幻想郷にも、一考の余地ができたとも。霧島は知らない話だったが、それもまた人の人生だ。お前は強くなったな、もっと強くなれよ、と高田は言って握手を求めた。それに返すと彼の手のタコは随分と小さくなっていた。これが今生の別れとなるはずだが、霧島にはなぜだか清々しい気分が残された。半分ほど忌々しい車椅子によって高田は死んだ状態でいたようなものだったし、幻想郷の技術がそれほど進んでいなくとも、魔術や霊力によって何かしら違う環境が発見できるかもしれない、という紫の提案に乗ったのかもしれない。いずれにせよ除染の末に高田は幻想郷に永住することが決まった。


 霧島は、数秒ほどだが悩んだ。どうするか。幻想郷に残るか、それとも出て行くか。紫が良い顔をしていないことやレミリアのかつての誘いを全て抜きにして、考えた。悩んだ。少ない要素に針を挿入するように、思考の針を突き進ませて、できるかぎり考えた。


 その上で霧島は、やはり幻想郷を離れることにした。


 高田のように幻想郷を考えなおしたからこそ入るのでもなく、篠田のように幻想を嫌って離れるのではなく、彼は、幻想郷が好きになってきたからこそ、離れるべきだと思った。


 離れることで良さを感じることもある。離れることで、よりいっそう幻想が力を増すこともある。幽雅に見えて、天国のように見えることもある。


 それでいて咲夜との弾幕ごっこを見ていて思ったのが、外の世界にもこれに似たものがあるだろうか。できるなら探してみたい、というものだった。


 だから咲夜と別れなくてはならないことが、もう決定事項としてあった。


 希望すれば美村の死体を見ることもできたが、霧島はそれをしなかった。できなかったというより、そうするべきではないと思ったのだ。彼はもう死んでいるし、逝った相手に何をしてやれるのか。そして彼の死に様がどうあれ、天国にいるのは同じじゃないか? 兎にも角にも美村は死んだ。今までは何でもいいから理由をつけて逃げていたのだ。一度結論付けると、だいぶ気が楽になった。それに高田も時々墓参りしてくれるという。


 そしてこうして乾燥した平地に残っているのは、やや狭くなった穴、そして霧島と十六夜咲夜の二人だけだ。もうかれこれ五分、霧島は何も話せていない。咲夜も同様だ。だがどこかで口火を切らなければいけないし、そうしなければ時間切れという一番馬鹿らしい結末になる。


「ごめん」と、二千ほどの思考が脳裏をかすめた末に霧島はそう口に出した。それしか出て来なかった。
「咲夜のことを、守れなくてごめん。裏切ってしまって、本当にごめん」


「いえ」と言葉少なに咲夜も返した。
「私も色々と間違えましたし、ダメなところもありました。だから、あなたに――」


「遼一って」
 口を挟んだ。
「下の名前でさ、一回、呼んでみてくれ」


 咲夜は口を閉じた。赤面した。顔を手で覆ってそれから言った。


「遼一、さん」
 うん、と咲夜の手を霧島は握った。手が熱い。彼女の顔も熱いことだろう。このままなるようになってしまいたい、という気持ちはあった。だけど、まずは伝えるべきことを伝えないと。


「俺、咲夜が好きだ。美村を殺したことは残念だけど、それは飲み込む。その上でも咲夜が好きだ。俺も人殺しだけど、やっぱり君が好きだ」
 咲夜の手に籠められた力が強くなって、だけど顔の向きはますます下がっていく。霧島が顔を上げさせると、彼女は涙目だった。顔と顔が近い。こういう時に何をするべきか、ドラマでは一億回も見たけれど、彼の体は動かない。
「さく――」


 咲夜の唇が彼の頬に寄せられて、少し、濡れて温かい。


 彼女は耳元に言葉を囁いた。静かに、夜に溶けそうな声で。


「時間だよ! 咲夜! リョウイチ!」
 穴の中からレミリアの声が――アルコールに赤くなった声が――する。ほんの一瞬、咲夜の心が崩れて折れそうになったのが見えた。
「本当にこっちに来ないんですか」
 咲夜はさっきと違う意味で涙目になって霧島を見上げた。はじめて出会った時の異常性や、咲夜がお腹を鳴らしたことを思い出した霧島は、この時ばかりは自分の決断を後悔した。全部投げ捨てて穴に飛び込んで、咲夜と幸せに暮らしたかった。


 だけどそれは、既に完成したこれまでの自分自身を毒することになる。


 霧島は咲夜を抱きしめた。力いっぱい抱きしめた。それから「やっぱり外で暮らすけど、これ、あげるよ」と自分のメモ帳を、ボールペンを咲夜に渡した。咲夜は涙顔でもう一度霧島を抱きしめ返して、胸元に潜ませていたナイフの一つを丹念に手で拭って息を吹きかけてから彼に押し付けた。これ以上彼の顔を見ようともせずに。それから穴に駈け出して、薄膜に包まれたそれを――どんなにか遠い――くぐり抜けて入った。もう一度咲夜は振り返って、今度は涙の眼で彼を真っ直ぐ見つめながら耳元の言葉を繰り返した。この言葉、好きな言葉で、あなたに伝えたくて、とも言った。


 霧島は意味も分からず手を振った。穴が小さくなる。見る見る小さくなる。咲夜の足から、体から、顔まで見えなくなっていき、最後は互いの眼で穴は消えた。


 幻想郷顕現異変はこれにて幕を閉じた。穴を巡る全ての企みも潰えた。


 霧島は耳元の言葉を必死に暗唱しながら、涙をこらえた。こらえようとしたが無理だ。膝をついて泣いた。


 咲夜は最後にこう言ったことを霧島は覚えたし、これからも忘れることはないだろう。そして後日、音を頼りに図書館の辞典をめくっている際、彼は偶然にそれを発見することになる。


《Ultima manet spes》


 あらゆる災いが外界に溢れた後、最後に残ったものを指す。あるいは《希望が最後に残った》とも言う。



***



 それから平穏が戻った。


 篠田は面会謝絶状態を一ヶ月過ごしてから回復した。どうやらスキマの中で何か処置されていたらしく、病院で聞いた話だと、見た目より酷い状態ではなかったらしい。篠田が動けるようになるまで半年以上かかったが、霧島が付き添ったので彼はくじけずに済んだ。リハビリを終えて病院を出た後、彼らは徹夜で酒を飲みながら飲み屋街を歩きまわり、終いには両方とも吐いて路傍で一夜を明かした。馬鹿ばっかだな、と飲み屋街の夜空を見上げて篠田が笑ってので霧島も笑った。


《彼岸》の連中については新聞を見たが何も出ていなかった。誰か捕まったとか住所不定無職が逮捕されたとかはなく、それまでが嘘だったようにバッタリと痕跡をなくしていた。きっとああいう世界にはそれなりのケジメの付けかたというのがあり、それについて一般人が知ることはできないのだ、と霧島は結論づけた。あの兵士たちがどうなったかは想像するしかないが、まともな死に様か人生を送って欲しいと祈る他ない。戦闘があったらしき場所も探してみたが全く血痕もタイヤの痕も残っておらず、かえって霧島は通りがかった警察官に職質されただけだった。あっちの建物はもう閉鎖済みですよ、こんなとこに見るものないでしょ、と警官は言って立ち去った。


 咲夜は向こう三日間(つまり時間を止めた状態を含めるなら、二週間ほど)ふさぎこんでいたが、やがて元気を出して働き始める。レミリアのお世話から弾幕ごっこに至るまで彼女はキレを取り戻し、いつしか彼と出会う前のメイド長に戻っている。だがそうではないことは咲夜自身がよく知っているし、時折咲夜は寝る前にメモ帳を開きながら霧島の匂いをスンスンと嗅いでみて、自分が如何に恥ずかしいことをしてるかに気づいて布団をかぶる。だが布団の中でもなんとなく忘れられずにまたメモ帳に手が伸びる。


 レミリアは結局、パチュリーの助言通りに咲夜にすべてを話した。リョウイチに寄せていた期待から咲夜に寄せていた期待すべて。言い終えて胸のつかえを下ろしたレミリアを咲夜は銀のお盆で叩いた。パチェと同じことしないでよ、と言ったレミリアに咲夜は、お嬢様はアホですね、と笑って答えた。それきり二人の間にリョウイチの話題は上らなくなったが、おそらくそれぞれの形で消化され残っていくのだろう、と思った。


 霧島は篠田と同じ部屋で生活をはじめながら(まさか俺がルームシェアするとはなあ、と篠田は部屋を眺めながら頷いた)、日本各地を回って色んな怪異を探してみないか、と篠田に持ちかけるようになる。篠田は最初嫌がるが、やがて霧島の熱意に押され、自分でものらくらと工場に行っているだけだったので(誘拐後の事情聴取の最中に訴えてみたら、案外通って気楽に辞めることができた)、篠田も決心するようになる。バイクで各地を回りながら、それらしいエピソードや怪談話を収集して公開したり謎解きをする。名称も考えてみたが男二人で何かつけるものでもないのでやめた。特に一度候補に出た《秘封倶楽部》なんてお洒落すぎる。これが女の子ならまだしも男コンビでつけるものではない。そうして篠田と霧島は、ほとんど形骸化した監視の隙を縫って移動をはじめる。まずはこの近辺からだ。


 咲夜は夢の中で霧島と歩いたりカードゲームをしたり、たまにそれ以上のことをしている自分を見る。目が覚めるとそうした一切は遠く夢の奥に忘れているはずだが、こっそりとメモ帳や彼が触れた調度品に触れると霧島の肩に手をかけた気分となり、仕事中でも嬉しくなる。レミリアはそうした事情を知っているので、時折紫に霧島の様子を見させろと押しかけるのだが、その度に口論が巻き起こる。死人がなく重症者も出なかった人里の機能は回復していくつかの対策が取られる。だが人々は基本的に穏やかであり妖怪以外には無警戒であり、先日自分たちを襲った台風のようなものをだんだんと忘れていく。外からは色々な人がやってくる。現人神から死から蘇った僧侶たち。霊夢たちも地底や地獄と繋がりができて魔界を訪ねたり、人里の貸本屋で妖魔本の異変が持ち上がったりして、どんどん過去を置いていく。月に行ったり帰ったり新しい妖怪や動物を自在に操る仙人がやってきたりと忙しい。絶え間ない異変の連続に少女たちはどんどん過去に切り離された世界に住みながらも未来へ繋がる。人は流れる。霧島と咲夜も、ゆるやかな繋がりを持ち、それが薄まりながらも続いていく。


 共通するところは今のところお互いがそれなりに充実しているということであり、たまに夢の中で二人は出会い、笑ったり話をしながら散歩をし、時折ピクニックをして、目覚めた時にその片鱗を思い出すことがあって、二人共その日は一日中笑顔になってしまう。



《終わり》
※このSSはフィクションです※

すみません、前作から完結まで九年かかりました……!
こうした作品を投稿することができる場に感謝します。
けっこう情けない男が主人公の長編でしたが、多分作品中で成長もしたのかなあ、と思いしみじみします。あと思ったんですが、レミリアお嬢様が無敵ですね。それに勝てるんだから霊夢とか魔理沙はもっと強いんですね……!(今更)

参考文献(というか読んで面白かったもの)
P.W.シンガー『戦争請負株式会社』
アンジェロ・アクイスタ『生物・化学・核テロから身を守る方法』
井上尚英『生物兵器と化学兵器』
ロバート・ヤング・ベルトン『ドキュメント 現代の傭兵たち』
坂本明『現代の特殊部隊』
菅原出『外注される戦争』
など。

ちょっと長めの作品でしたが、もしお読み頂けたのでしたら、真にありがとうございました。

作者twitter(感想とかお寄せ頂けると嬉しいです)
https://twitter.com/hukurou_eule
復路鵜
http://clannadetc.s56.xrea.com/
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コメント



0.210簡易評価
1.20名前が無い程度の能力削除
台本でも読んでいるような想像力を掻き立てない地の文が延々続くのが苦痛でした。
2.50名前が無い程度の能力削除
とても面白い話でしたが自分には長かったです。
点数は簡易評価の満点のつもりです。
3.90名前が無い程度の能力削除
このシリーズ好きだったのでこれで完結というのは感慨深いものがあります
5.100名前が無い程度の能力削除
全部はまだ読んでないですがオリキャラとレミリアの茶会がすっごくよかったので