それからの彼は、来たる一日一日が自身の限界との格闘であったと言っても良い。泉のごとく湧き出る傑作群を未だ形なき土に叩きつけ、そのうちもっとも優れたものを焼いて、倭の国家に奉るためにだ。
初めのうち、彼は自身が振るう元々の職能でもある土器を作ってみようと思い立った。幼いころから修練を積み重ねてきて、一時は工人の村で一番の名人と謳われたという自負もある。それで近くの丘から、いつもそうしているように器作りのための土を採ってきて、捏ねまわすことをし始めた。彼が考える限り、土器を作るのにはその丘の辺りの土がいちばん適しているのである。そもそも、斑鳩の外れで他に住む人も少ない僻地に住まいを構えたのも、土器のための土を得やすいのが理由であった。
何度も捏ねて空気を抜き、ちょうど良い頃合いにまでなった土の塊から細長い『紐』を幾つも切り出す。それを積み重ねて器とか皿の形を作ると、ヘラを取って思い浮かぶままの紋様など刻み始めた。山裾を駆けまわる鹿たちの角を、天に向けて閃かす軍勢の勇ましさを、愛児を抱き締める母の慈しみを、また瀑布が水面を叩く烈しさを、暗夜に篝る焔の輪郭を。それらを自分の頭の中でばらばらに分解し、また組み立て直して意匠として繋ぎ、築いていくのだ。
そうした作業が、半月ほども続いたか。
形づくられた器は陰干しを経た後、野焼きの坑で焼き上げられる。
そのための火は、一日たりとて途絶えたことがなかった。
住まいから窯までを何度も行き来する土師彦にとって、日の出や日の入りの感覚などはもう失われている。何かに没頭すると、彼は常にそうである。ときどき近郷の百姓たちが、まったくの善意から食べ物を分け与えてくれるようなこともあったが、土師彦はそれにすらも愛想よく応じようとはしなかった。そんなことばかりしていると、自分たちの生活の用具を用立ててくれる工人に対し、百姓たちの態度も次第に変わってしまう。最初は尊敬しかなかった彼らの眼差しは、次第に変わり者の男を面白がる好奇の目に変わっていった。土師彦は己が大仕事に熱中するあまり、彼らが差し入れた粟とか稗のことなどすっかり忘れてしまっていた。大事なはずの食べ物を粥にもせずに鼠がかじるに任せていたし、煮炊きのための甕や甑(こしき)にも、いつしか薄らと蜘蛛が糸を掛けていた。
百姓たちからの好奇の目が、次第に乞食(こつじき)を哀れむようなものに変わり始めたころ、土師彦はひとつの諦めにたどり着いた。今まで通りの土器を作るのでは、到底だめだと気づいたのである。土器は陶器より脆く、色も赤茶けていて実に単純。想像力の限りを振るっていかに精緻な細工や装飾を施そうとも、永遠不滅の存在として倭国の歴史に奉るには、力不足も甚だしい。顧みれば、青娥から手付として贈られたあの隋の器より幾段も劣る野暮ったさしか表すことができない。ゆえに、自分以外のいかな匠が腕を振るった傑作とても、さほど長い時を経ずして喪われてしまうことだろう。
事実、彼は土を採りに丘に出向くと、幾百年より以前の作であろう土器の器や人形が、土の下にいくつもいくつも棄てられているのを見たことがある。縄目や波目の紋様鮮やかなるものも、豊かな身体つきを誇らしげに突き出す婦人像も、誰にも尊ばれずに等しく大地に埋まっているばかりなのだ。今やどこにも名前の残っていない、はるか昔の工人たちの墓標が、あたかもそれらの作であったように。否、墓標さえも時の流れは土の下に埋めてしまう。凡庸な作であるから、そのような悲しみに見舞われるのだ。
結論に至るが早いか、自身の住まいへと踵を返した。そして、野焼きの坑の前にまでたどり着くと、今しも火を入れんとしていた薪の山を思い切り蹴りつけ、ばらばらに打ち倒してしまったのだった。そうして、彼の一月目が終わった。
二月目は、陶器の月であった。
土器を諦めた彼は、次に陶器を試してみようと考えたのである。
今までとは違う道行きに入るのだから、まずはそのための覚悟を固めなければならない。
土師彦は官衙の監督を得ない独りきりの工人ゆえ、諸方から気紛れに持ち込まれる器作りの依頼をこなすことが彼の生計を立てる唯一の道であったけれど、今はもう自らの大望に力のすべてを擲つ(なげうつ)べく、青娥から受けた以外の仕事は、すべて断ってしまったのである。その旨を伝うるに工人の住まいを訪れた遣いの人々は、ある者は突然のことに呆然とし、ある者はすっかり狼狽し、またある者は怒って土師彦を怒鳴りつけた。十人十色の返答があったけれど、いずれの相手にも自らの大仕事と大望とは、努めて隠し通していた。しかしながら、土に汚れた彼の手と、火の気の絶えない窯の様子を見て、何がしかのものを作っているらしいということは見るだに察せられてしまう。不信の感を募らせる訪問者たちを押し遣るように帰らせること数日、工人はすっかり気持ちを切り替えて、新たな仕事に取りかかった。
あの百済の工人から譲り受けたろくろを用い、捏ねた土を器の形に整えていく。やり方自体はおおよそ慣れたものではあり、土器を作ることが飯の種であった彼にとっては、陶器を手がけることもまたさして難しくもないことであるように思われた。やはり紐のように伸ばされた土の塊が、回転するろくろの上で少しずつ形としての意味を持っていくことは、祭祀(まつり)での巫女の舞踊を見るような神聖さだ、と、その密かな荘厳さにほくそ笑んだ。
しかし、そうした自信はむなしいものである。
何度か試して、手づくねではなくろくろを使うことの感覚をつかんだまでは良かったが、せっかく積み上げた土の束が、何度やっても途中から壊れて崩れてしまう。土の層の厚みの間違いか、それともろくろを回すのが早かったか遅かったか。思い当たる幾つかの原因を考え、それを取り除かんと試みたものの、何を変えても失敗する。それでもどうにか形にはなってきたが、今度は窯で焼き上げた後にひびが入ってしまう。隋の風を真似て、あの龍とかいう生き物に似た蛟の姿を刻んではみたものの、そちらの姿も二目と見られぬほどに醜くひび割れていた。
工人が土を捏ねる前には、焼いた後に器が引き締まって壊れたりしないよう、植物の筋などをあらかじめ土に混ぜ込んだりするものだが、その配合を変えても上手くはいかなかった。土師彦の大望は、二度目の行き詰まりを見せ始めた。
一群の失敗作を前にしながら、彼は目をしばたたく。
寝床の奥に逼塞しながら考えること二日と余日に及んだだろうか。その時点で陶器について思いつく限りの案はすべて試したが、いずれも失敗した。自分ひとりだけで為すには難しい仕事だったのだと、そんな敗北感がむくむくと満ち、彼の名を世に知らしめるための諸手を真鉄(まがね)がごとくに重々しくさせる。
しかし同時に――彼の手を重々しくさせるものの正体は、実に、強すぎる自尊心ゆえに許しがたいものでもあった。自分ひとりだけで為せぬのなら、誰か他の工人に教えを乞うという策である。
元より、依頼人の青娥はその御主を土師彦にも明かさぬほどに慎重な女だ。それほどに、秘密にすべき大仕事なのである。けれど、他人の協力を仰いではならぬとまでは言っていない。況や(いわんや)、土師彦でさえ青娥の深い事情については知らないのだから、他人に手助けを乞うても事態のすべてを詳らかに必要はないし、そもそもできるはずもない。しかし――。
さらに半日ばかりの懊悩の末、ようやく土師彦は決断する。
こうも失敗が続く以上は、恥を忍んであの百済人に教えを乞わん……と。
臭い息を吐いて寝床から出た彼は、粟粥を作って数日ぶりに腹に食い物を入れた後、百済人が工房を構えるという都近くの村にまで出向いていった。
いざ目的地に到ると、そこは村と呼ぶにも足りないような小さな集落である。
百済人の住まいと工房と、それから百姓と狩人の家が何軒か、まばらに見られるばかりの土地だ。辺鄙という言葉を用いるなら、土師彦の住む辺りとさして変わらぬほどには辺鄙であったろう。とはいえより都に近いということはあり、人々の道行きは多少ある。首長(おびと)から受けた出挙(すいこ)の利稲(りとう)を納めんとする百姓たちと、土師彦は幾度かすれ違った。また、耕作の間の娯楽なのか、若者たちが闘鶏を楽しんでいるところも遠くから見えた。
窖窯の煙を目印にして相手方の工房を訪ねると、百済人は留守であった。
代わりに応対したのは倭人と思しい少年で、彼の他には奥に数人ばかりの男の影が見える。いずれも弟子であろう、ある者は粘土を捏ね、ある者は形の成った器に対し、土師彦が手掛ける類の土器よりはよほど質素な、線と線とが縦横に交わり合うだけの紋様を刻んでいる。また目を転ずれば、部屋の中に大きな庇が設けられて冷たい影を形づくっており、その下では多くの高坏(たかつき)に甑(こしき)、皿などが並べられている。いつ何時でも涼しさが保たれる場所で、焼く前の陶器を陰干しにしているのだ。多くの弟子、乾かす途中の幾つもの陶器。そのいずれもが、彼の心にいらいらと嫉妬を燃え立たせるのだった。
「今日、先生は大伴氏(おおともうじ)のお身内のお館にまで出向いておられます。お帰りまでには、しばらくかかるはずですが」
「そうか。ならば、それまで待たせていただこう」
怪訝な顔をする少年を尻目に、土師彦は工房の隅にどっかと座りこんだ。言葉の通り、百済人が帰って来るまで、相手の領地で図々しくも待ち続けることにしたのだ。とはいえ、彼にも考えがあった。留守を理由に引き下がっていては、自分の中に湧き上がってきた他の工人への嫉妬がいつの間にか萎んでしまうように思ったからだった。師の居らぬ間、弟子たちは依頼をこなすためにか、休む間もなく立ち働いている。それが全てあの百済人の声望に拠るものだと考えると、無性に妬ましくなる。陶器の失敗によっていちど挫けそうになった土師彦の士気も、そのためにかろうじて繋ぎ止めることができるのである。
特にもてなしを受けるでもないまま、半刻ほどが経った。
こともあろうに、土師彦は他人の家の隅でうとうとと眠りかけていたのだが、ふと誰かに肩を叩かれて目覚めると、すぐ近くで自分を見下ろす者がある。来訪の目的である、あの百済人の工人であった。ようやく帰ってきたのだ。
「土師彦どのと申されたか。お待たせいたした、安奈万呂(あなまろ)にござる」
そういえば、百済人の名を初めて知ったと寝ぼけた頭で思う。おそらくは、倭人に交じって生きるための名を新たにつけたのだろう。百済人の工人、安奈万呂は、工房の奥にまで突然の客人を差し招いた。そこは客間というほど立派なものではないが、ふたりの人間が向かい合って話をするには十分な広さを持っている。先に応対してくれた少年が師から言いつけられ、ふたりに白湯を用意した。そのための器もまた、陶器である。
「此度は何用あってのご来訪かな」
外出から帰ってきて直ぐで喉が渇いていたのだろう、安奈万呂は目の前の客人に何の遠慮もなく白湯を飲み干してしまう。対する土師彦も、ちびちびと舐めるように器の中身を喉に容れていた。以前に会った時よりも、この百済人は倭国の言葉が少しだけ上達しているように思われた。
「は。実は、陶器の作り方というものについて、ひとつ、お教えいただきたいと思い……」
「ああ、そういうこともあった。私が教えた窯の具合はいかに」
「窯の方は何の障りもなく。しかし、どうも焼き上がりが上手くないのです」
今までの失敗のあらましを、土師彦は語った。
自分が霍青娥なる隋人から任された仕事のことは巧妙に隠して、ではあるが。
話の最後に、彼は着物の懐からひとつの布包みを取り出した。普段、自分が器を作るのに使っている土である。土に失敗の由を求めることができるか否か、陶器の工人である安奈万呂ならば判るのではないかという考えからだった。
土師彦より渡された土を、安奈万呂はしばし眺めて色味を確かめていた。それから指ですくって固さを確かめたり、手のひらで握ってみたりする。その丹念さは、終いに舌先でぺろりと舐めるほどであった。そうまで慎重に具合を見て彼が出した結論は、
「この土では陶器を作るのには合わぬでしょうな」
というものである。
土師彦は頭を抱えたい気持ちになった。
道理で、おれは貴重な時を浪費してしまったものだ、と。
「では、いったいどのような土なら陶器を作るのに適するのです。この土師彦に教えてはくださらぬか」
身を乗り出して訊く客人に、百済人は多少、眉をひそめたようだった。
それもそうである。工人に限らずどうすれば上手く品物が作れるかというのは、自身の飯の種に直に繋がる重要な技術と知識だ。赤の他人、それも種こそ違うとはいえ、商売敵でもある同じ器造りの工人に乞われたからといって、簡単に教えるはずもない。だからこそ、安奈万呂は初め土師彦に頼まれた際も、窖窯とろくろしか提供せず、技術についての肝心は何も言い置かなかったのである。
「そう易々と生業について口を滑らせるほど、私はうかつな男ではない。あなたに陶器の土の良し悪しを教えたところで、こちらには何の利もなきこと」
「教えて頂ければ、いつか必ず……いや、“一月の後に”必ず相応のお礼をいたしまする。だから、どうか――――!」
土師彦が言う一月の後というのは、自分が皿を完成させて、青娥に納めることができるという前提に立った考えだった。そのための自信だけは今も完全に喪ってはいなかったが、しかし、ここで安奈万呂の歓心を得て、陶器にふさわしい土の種を教えてもらえなければ、何もかもご破算であろう。そうなれば、自分の名を天下に轟かすこと叶わぬと、土師彦は恐怖した。それ以上に、己の非才、無能を実感させられることはより恐ろしい。そうした先々の事態を遠ざけるために、今だけは己の誇りも矜持も振り捨てて、半ば滑稽なまでに哀願する。いつもならば、その実力に見合わぬ高名ばかりを成しおって……と、内心に見下している安奈万呂に向かってである。
何度も頭を下げる『商売敵』に対し、安奈万呂の両の眼に宿る光は、すゥ、と澄んだものに変わっていったかのようだった。それは侮蔑のようでもあるし、嘲笑のようでもある。しかし、なおそれ以上に、いかなる侮りとも違う色濃い憐れみに近くもあった。そうした細かな機微なるものを、土師彦が気づいたか否か。
「承知しました。何から何まで教えることはできませぬが、土について採っていくことは許しましょうぞ」
百済人の顔は未だ険こそ取れぬものの、声ばかりはいくばくかの好意が混じっている。土師彦は、先ほどにもまして何度も何度も頭を下げる。その様子は、額が床を削らんばかりだ。
客人と出かけることを弟子たちに言い置くと、安奈万呂は土師彦を伴って工房を出る。ふたりは集落を離れ、辺りを囲む山林の中に分け入っていった。道らしい道の拓かれていない深い藪を越えて進むと、そのたびに草を踏み潰したときの濃いにおいが漂ったし、棲み家を突然壊された小さな虫たちが、驚いたかのように翅を震わし跳び上がってくる。鼻先にまとわりつく羽蟻の類を手で払いながらしばし歩く。すると突然、安奈万呂が「ここだ」と、藪の向こうを指差した。草叢が少し途切れた後、山肌にみすぼらしい樹木が一本生えていて、その樹がしがみつくように根を張る一斜面こそが、目指す場所であるらしい。
「ここが、私の土採り場である。本当ならば他人に教えるようなことはしないのだが」
とは言いながらも、安奈万呂はためらうことなく土師彦を招き入れる。
そしてふたりは、土を直に手ですくっては持参した桶に放り込み始めるのだった。実際に触れたところ、確かに安奈万呂の土は土師彦の土より質が違うように感じられた。こちらの方がより黒味が強く、“きめ”が細かいという気がする。ふたりの工人がしばし土を集め、桶の半分ほどまで溜まったころ、土師彦は思うところあって、ふと相手に尋ねることをした。礼を尽くされておきながら、それに対して無言だけ返すのも間が悪いと思ったのだ。
「安奈万呂どの。安奈万呂どのは百済から参られた工人だそうだが、百済の向こうにある隋という国を知っておられるか」
「知っている。実際に行ったことこそないが。三百年に渡って乱れきっていた諸国を、ひとつの天に帰した大国と聞く」
「では、その大国で作られた器を見たことは?」
土師彦は、ごくりと息を呑んだ。
他愛もない、ただの雑談に過ぎないのに、である。
彼にとって当面の『敵』は安奈万呂であったけれど、その安奈万呂をも超える優れた工人が世にあるということは、恐怖して然るべき想定であったからだ。そんな倭人の心中を知るはずもない百済人は、少しのあいだ唇を引き結んでもごもごと震わせていたかと思うと、心底からの感嘆と賞賛を込めた口ぶりで言うのだった。
「いちどだけ、ある。工人としての修業を始めたばかりの頃。とはいえ、わがふるさとにおいても隋の器は貴重な品であったゆえ、私が目にしたのは模作の模作の、そのまた模作といった有様であったが」
深い溜め息と共に、安奈万呂は口の端をくいと引き上げた。
大きな敗北感に苛まれながら、しかし決して悔しいものではないという笑みだった。彼には、彼の思想がある。追い求めるべき哲学があるのだ。そういうことが読み取れる表情(かお)だったのである。
「模作でさえ、未だ私の目蓋の裏に焼きついて決して離れぬ。若いときの思い出というのは甚だ恐ろしく忘れがたいもので、そのときから私の目指すべき“標(しるべ)”は、隋の器ということになった。あのように優れた作を手掛けたい、しかし未だ果たせぬ。そして、模作でさえ人の目を幾十年にも渡って惹きつけて止まぬのであれば、本物はどれほどに美しきものであるのかと」
寡黙なところのある安奈万呂にしては、この話に関してはずいぶんと饒舌である。
人には誰しも、触れられれば熱心に語りたくなるような話題というものがある。この百済人にしてみれば、隋の器のような作を目指すことこそが、饒舌さを否応なく呼び起こす話の種ということだったのであろう。
そんな語りを隣で聞いている土師彦はといえば、自身の見知った安和麻呂の姿とはまるで違うその様子に多少驚きはしたものの、直ぐにまた普段の心を取り戻した。すなわち、相手の力のほどを下に下にと見るように努め、どうにかして自尊心を保とうとする悪癖である。彼は、未だ何も成し得ぬ分だけ、自らに欠けた名と実力を補うために、思想と哲学だけは十二分が過ぎるほどに持ち合わせていた。
彼が安和麻呂に向けていた優しげな笑みは、その裏に嘲りを隠している。「何だ、この男を恐れていて、その分おれは損をしていた。隋の優れた器をもてはやし、それを目指すというだけならば、やはり安奈万呂は大したことがない」と思ったのだ。「工人たるもの、己の目指すものよりさらに優れたものを作らねば意味がない。より大きな大望を抱いている時点で、やはりこの土師彦は安奈万呂より、よほどに優れた工人ではないか」と。
二者の夢と思惑とは秘められたまま、その日、ふたりの男の会見はそれで終わった。
土を採って工房に戻った後、安奈万呂はやはりいつもの無口な工人となり、土師彦には叱咤も激励もすることなく、簡単な別れの言葉のみ送っただけだ。土師彦も、浅く頭を下げて形ばかりも感謝を表すと、後ろを振り返る素振りも見せず、飛ぶような勢いで自らの住まいの在る斑鳩へと戻って行ったのだった。かくして、彼の二月目は終わりを告げた。
それから、三月目。
役立たずの様式に見切りをつけることと、ちょうど良い素材を吟味し手に入れること。このふたつが揃ったならば、必要なものはあとひとつしかない。それは己の理想に適うものを考えつき、実作に移すことのできる想像の力である。言い換えれば、その力こそが才能と呼ぶべきものであるのかもしれなかった。土師彦は、己にそのような才能が備わっていることを長らく疑ったことがない。疑ったことがないというよりもなお正しき言葉を用いるなら、半ば自らの自信に盲いているからこそ、その傲慢さを自尊に変えることで今まで生きてこられたのである。
新たな土の捏ね方、ろくろの回し方、皿を形づくる方法、窖窯を使った最適な焼き方……乾いた荒野が一滴遺さず雨粒を吸い込んでいくように、種々の試行錯誤は土師彦を一方ならず成長させていた。今までの数十年、土器を業とする工人であったとは思えぬほど、自らの感覚と安奈万呂から伝授されたわずかな知識だけで、新たな技術を会得していった。他ならぬ、彼自身がもっとも驚くほどの早さでだ。彼が陶器を焼く腕前は、もはや百済人の工人が行うのと肩を並べるくらいになったと考えても、決してこの倭人ひとりのうぬぼれではなかっただろう。
ろくろを回さなかった日も、窯の火を絶やした日も、いちどもなかった。作れば作るだけ、そのときの彼の最高の技術を投じた一作が次々と生み出され、工房の端からを少しずつ埋めていった。ある物はごく小さな小皿であり、ある物は獣の子でもあれば易々と乗せられるほどの巨大な品だ。また別の物は高坏のように立派な脚を備え、その次の物は蝶の翅と触角とを模した波線で縁取られてもいる。それらにはいずれも陶器の技法が用いられていたため、焼き上げられる際に独特の蒼黒い色彩を帯び、絶えず妖しいまでの艶を伴っている。
事実として、それらは美しかった。
過去に土師彦が手掛けてきた品よりは、よほどに。
それまで努めて見下すようにしていた技法を、他人に頭を下げる屈辱に耐えて取り込んだ成果が出たのだ。
だというのに青娥から依頼を受けて三月目、土師彦は、初めて己の凡愚を悟り始めていた。
成長が早いということは、才を掘り尽くして底の底にまで突き当たるのが早いことをも同時に意味するものだ。日一日と近づく、青娥から言い渡された期日。明け暮れ、完成作と未完作の山を見るにつけ、工人の心は焦りに削り取られていく。すなわち、
「今までおれが作ってきたものは、悉皆、誰かの猿真似ではなかったか?」
という疑念である。
まさしくそれが、土師彦という工人が最後に突き当たった最大の壁である。
浅い息のまま、彼はいま作っている最中の新しい皿を見下ろしている。
青娥から贈られた隋の皿、その縁に施された龍の装飾を改めて模すべく、細いヘラでもってその姿を刻んでいる途中だった。だが、闇の中からふつふつと湧き上がってくる声にその手の動きを遮られる。確かに、自分は以前よりずっと力をつけた。名を求めれば、相応の好き報いを世人は与えてくれることだろう。けれど、未だ足りない。いちど霍青娥からの依頼を受けた以上は、それをみごと成し遂げて、天下一の大名人と呼ばれたいという野心の火は、燻るどころかさらに強くなる一方なのだ。そのためには誰の真似でもない、誰とも似通っていない一作を仕上げねばならない。
しかし、畢竟。
自分が今やっていることは、数十年に渡って磨きぬいてきた土器の工人としての腕で、安奈万呂から伝授された陶器の技術を振るい、隋の器の模作じみた代物を焼かんとしているばかりではないか?
現に、見るがいい。
その輪郭を描く優艶な曲線と、縁に施された龍蛇の姿は、隋の器の姿かたちをまるっきり写し取ったものに他ならない。窖窯に置いて数日ほど火に晒して焼き上げれば、仕上がった色は、安奈万呂が名手として手掛ける陶器の色合いと何も変わるところがないであろう。唯一、己の発想を経たところはといえば、天裂く雷光と地穿つ雨の軌跡を、一面に刻んだという程度だ。しかしそれでさえも、はるか古の工人が残した名もなき品々の紋様を、あれこれと取り込んだ結果に過ぎない。
つまるところ、おれという工人は、確かに多くの技術を手にはしたが――それを以て真に己の才とすることが未だ叶わぬままなのではなかったか?
それまでいかなる屈辱にも、劣等感にも、耐えて耐えて耐えぬいてきた土師彦は、ついに『爆発』した。彼は、作りかけの皿にヘラを突き刺して龍の姿を滅多刺しにしてしまうと、その皿をろくろごと蹴りつけて跡形もなく壊してしまった。そして土に汚れたままの手で頭をぐしゃとかきむしり、野の獣の方がなお典雅であろうというほどの雄叫びを夜の闇に響かせた。
期日が近づく焦りと、夜という時間の底知れぬ暗みが、彼にいっとき冷静さを失わせただけなのかもしれない。しかし、この十数日ほど、己の理想のその先まであと一歩という所にまで至りながら、たどり着くだけの『足』が自分にないことを否応なく実感させられたことはなかった。名を認められることへの長年の渇望と、そうはならぬ自らの腕前との相克に苦しむ者の心にしてみれば、自身の非才と真に向き合わねばならぬことに憔悴するのも当たり前の話ではあろう。年甲斐もなく泣きじゃくりながら、ふらつく足取りでいったん寝床に入り、彼は眠った。がちがちと上下の歯を打ち鳴らしながら、孕み女の胞衣(えな)に包まれる子供のように、手足をぐんと折り曲げて。
その眠りの中で、幾夜ぶりかという夢を見た。
皿作りに全力を注いでいたこの三月というもの、心身からまったく追い出してしまっていたように、ろくに見ることのなかった夢を。
夢は、懐かしき物語だった。
いずことも知れぬ野の果てに向かって、彼は歩いているのだ。疲れも知らぬ肉体ではあったけれど、どうにも喉が渇いて仕方がない。そう思うと同時に、夢の中は真夜中であり、天にはいっさいの瑕疵もない黄金の月が円く満ちていることに気づくのだ。彼は、その月に向けて手を伸ばす。天地の隔てを無用のものとする意思は、美しき月を工人の両手にぴたりと納めた。金器となった月には、大地の果てから汲めども尽きぬ無間の海の水が注がれて、世に類なき最上の美酒となる。百杯でも千杯でも飲み干すことができるのだ。心地よく酔っていきながら、土師彦は決して干されることのない月の金器の底を見て――そして。
「解ったぞ。すべて、解ったのだ!」
寝起きて早々に叫ぶのと、掛け物の菰を跳ね飛ばすのと、いったいどちらが早かっただろうか。寝床を踏み抜かんばかりの猛烈な勢いで、土師彦は中断していた皿作りに向かい始めた。強く感じた空腹は、手に取った粟を炊くこともなく口に放り込み、ごまかしてしまう。飯を食うことなどは、今のこの興奮と歓喜の前に立ちふさがる邪魔者でしかありえない。そんなものよりいっとう大事なのは、とにもかくにも工人の使命である。青娥から受けた依頼の皿を仕上げることである。
今ならできる、できないはずがない。
これまでの人生でもっとも強く烈しい自信が彼の心にほとばしる。
「霊夢が再び現れた! 自分に霊感を授けてくれた!」
然るべきときに形にすべきは、古の倭の工人の模倣ではなく、百済の安奈万呂の後追いではなく、隋の名工の猿真似でもない。人間には決してたどりつけぬ“どこか”の場所から、おそらくは神々の叡慮とでも言うべき何かによって賜った、あの夢の中で見た、月の金器の優美だったのだ!
昨晩、感情の爆発に任せて叩き飛ばしてしまったろくろを元の位置まで戻すと、わずかに残っていた陶器のための土を全力で練り上げる。頃合いを見てろくろを回し、目蓋の裏に今なお焼きつく月の金器のあの姿を、細大漏らさず再現していく。土の塊は数刻を経て円く円く成長し、人の顔ほどもある大きさの平たい皿へと育っていった。いずれの箇所にも傷や歪みのないことを検めると、逸る気持ちを抑えながら日陰に導いていく。陰干しの完了を、待つこと数日。ちょうど良い時点で窯に移し、火を焚き続けることさらに数日。窯の火がまったく消えて焼き上がりを見るまでの間、土師彦はすっかり虚脱しきっていた。全身全霊を傾けた一作をついに手掛けたのだ、身体には何の変わりがなかったとしても、眼には見えぬ、自分自身でも解らぬ心とか魂が、どこかしら削り取られていたのだとしても不思議ではない。
夜、昼。明け、暮れ。一刻、また一刻。工人は待った。待ち続けた。
やがて火が消え、窯の中に生まれた作品が顔を見せる。いかなる仕上がりなのだろう。霊夢に見た通りか、それともまた失敗なのだろうか。表から灰を取り除くと、そこに現れたのは、確かに黄金の輝き――否、黄金と思ったのは、蒼黒い陶器の艶が光をはね返して輝いたからだ。神殿に祭器として安置される銅鏡のごとく、とも思われた。全体の灰と汚れをていねいに払い落とす。すると、彼の手の中に在った物は、確かに夢の中の通りの代物である。暗夜の天から地上に移した、あの月の金器と同じ円い皿であった。陶器であるゆえに、その色味は金を発してこそいない。だが、幾多の方向から日の光を受けたとしても、いずれも全く違った“顔つき”ではね返して見せる。ひとつとして、他の箇所と同じ光り方はしないのだ。それを為すものは何の装飾も施されていない、極微の細かさで裏づけられた、歪みない輪郭の姿だった。何から何まで、霊夢によって示された月の金器そのものであった。
土師彦がついにたどり着いた理想の境地と呼ぶべきものがもしあったとするのなら、それは華美を重んずる人工の装飾を排し、また天然自然の産物を人の手で簡略に再現したものでもなく、ただひたすらに天地の在り様を己が手にて写し取るばかりのことだったのである。彼の手がそれまで作ってきたのは、あくまで人の手による何かへの模作だ。だが今は違う。天地万物、森羅万象、それらに宿れる神霊を象形としてかたどるだけで、至高の域に至るべき品は完成を見る。それが、霊夢が自分に示した真理だと理解したのだ。
「もし工人の生み出す器や皿に神が宿るというのなら、自分が作り上げた一枚の皿は、未だ実体なき天地(あめつち)の神が自らの宿るべき磐座(いわくら)を求め、このおれの諸手に命じて生じさせた子なのであろうな」
そんなことを淀みなく思うほどに、土師彦は無間の歓喜で満たされていた。
青娥から言い渡されていた『最高の一作を』という条件を満たしたのなら、後はもう、彼女が再び訪れるのを待つだけだ。まずは完成品を部屋の奥に飾り、作り主の自分からいつでも見えるような具合に整えた。そして大仕事を成し遂げた達成感から、床にごろりと寝転がって、何するでもなく天井の梁や柱の骨組みを見上げていた。けれど少しずつ心が落ち着いてくるに従って、今の自分の汚らしい姿や、何より空腹が思い出されてくる。
着物を替えて頬一面に生えた無精髭を剃ると、土師彦は夕飯を摂ることにした。実に三月ぶりの、まともな飯である。とはいえ大望を叶える第一歩を華麗に踏み出したわけであるから、それを祝うべく多少は華のある献立とする。飯には粟だけでなく米も半分以上混ぜて炊いてあるし、醤(ひしお)で和えた菜もいつもよりだいぶ塩味が濃い。少しずつ大事に食べていた干し魚を一尾まるまる齧ってしまえば、滓の浮いた安酒だって天下一の名酒にもなろう。彼が工人の村から逃げ出し独り立ちを果たして後、こんなに豪華な食事にありついたことは久しくなかった。むろん、世に貴人名族と呼ばれる人々からすれば粗末という言葉以上に粗末な食い物ではあったろうけれど、そんな貧しさも今では苦にならない。なぜなら、地位も富も名も、これから幾らでも手に入るからである。なれば始まりの宴は、むしろ粗末であるほうがちょうど良いくらいだ。
飯を食い終わると、膨れた腹を叩きながら寝床へとばたりと倒れ込む。
着物を替え、髭を剃り、飯を食った。皿を作るという技術と霊感に頼った行為を離れ、日常に当たり前の暮らしへと戻ってみれば、頭の中身からは次第に歓喜と忘我が放逐されていく。後に残ったものは森閑とした静寂と、そこに棲みついた冴えない独り身の男だけである。
孤独なるものは人に思索を行わしむる最良の教師だ。過去から今後の行く先にかけて、決して少なくはない思いがまどろみの中に去来する。それは、幼い子供が抱くような、将来というものに対する大きな大きな希望だった。大望を果たして後は、まず嫁取りをせねばなるまい。このおれの業と天才とを受け継がせる子を産ませるのだ。そして高名が国中に轟けば、あの安奈万呂のように、否、安奈万呂よりもっとたくさんの弟子ができるだろう。褒賞を詳しく望むなれば、新たな住まいと工房とは彼らを住まわせるだけの十分な大きさを持った代物を、と、畏き辺りの方々には奉ろう。それから……。
と、自身に訪れる多くの誉れを夢想して。
最後に行き着いたのは、工人として父の跡を継いだ自分が、父を確かに超えるだけの仕事をし遂げたのだという嬉しさだった。おれは、親父殿が夢見て果たせなかったのであろう“標”にたどり着いたのだ。ただ雑器作りにその才を使い潰されるばかりの、ありきたりの工人では終わらなかった。世に名を認められ、誰からも賞賛を得る、天下一番の大名人になると決まったのだ。そう思えばこそ父に対して誇らしい気持ちになったのだし、彼の血を継いだことには確かに意味があるように思えてきた。父がいつの間にか失くしてしまったらしい大事な皿も、今こうして子の代になってから新たに生まれてきたのだと考えれば、決してむだではなかっただろう。
亡き父の面影が、寝床の向こうに積み上げられた自身の作の一群に見出される。
父がそうであったように、あれらは決して思い通りにはならなかった人生の蹉跌である。棄てようと思えば棄て去ることももちろんできようが、未だ野心燃え盛りながら、一方では満ち足りた今の土師彦には、棄てようなどとは思えない。いずれも、自分という工人の歩んできた道の証だからである。夢を諦めた父も、きっと同じ気持ちだったのだろう。