「妖夢ー」
白玉楼の炬燵に肩まで埋もれて暖をとっていると、後ろから幽々子に抱きしめられた。いつも通り桜の模様を散らした着物の上に、半纏を羽織った幽々子はさらに、妖夢のうなじに顔を埋める。
「幽々子様、もうおやつの時間は過ぎてますよ?」
「違うわよー。出かける前に、妖夢を補給してるだけよ」
「わたしを補給って何ですか。というより、これから出かけるというのは?」
「紫のところに行くのよ。だから、今日は好きにしてくれて構わないわ。帰ってくるのは明日ね」
「本当に仲がよろしいんですね」
「妖夢にも、早くそういう相手ができるといいんだけどね」
「わっ! 幽々子様!」
妖夢は突然肩を押され仰向けに倒された。頭を幽々子の膝に乗せたいわゆる膝枕という姿勢だ。抱きしめられたり、膝枕されたりは、しょっちゅうなので、妖夢にしてみれば何ともないことなのだが。
「ほーんと、こんな可愛いのに誰も手を出さないなんて不思議よねー」
妖夢を見下ろしながら幽々子が言う。
「わたしより可愛らしい方なんて、幻想郷にはたくさんいますよ」
「そりゃ可愛い子もいるけど、妖夢だって十分可愛いわ。もしわたしが小さくて、妖夢に告白されたら、絶対許しちゃうかも」
「それは幽々子様だからですよ」
「でも、妖夢が誰かと一緒になったところは見てみたいわ。婿さんでも嫁さんでも、絶対つれてくるのよ。歌の一つも詠めないなら、あげないんだから」
「幽々子様のお目にかなう歌なんてそうそう詠めないですよ……」
「冗談よ。それじゃあ、わたしは行ってくるわ。妖夢はお酒かしら?」
軽く頭を撫でながら幽々子に言われ、妖夢は返す言葉がない。ミスティアのところに飲みにいこうと思っていたのだ。
「飲み過ぎだけは気をつけてね。妖夢には関係ない話だと思うけど」
「幽々子様もお気をつけて」
バツが悪そうにしていると、幽々子は静かに妖夢の頭から膝をどけて、静かに部屋から出て行ってしまった。
時間は火曜の午後4時。まだ飲みに行くにはちょっと早い。
けれども、今日は午前中から博麗神社で用事も済ませたし、今から飲んでも罰は当たらない気もする……。
しばらく葛藤したあと、妖夢はあと30分したら出かけることにした。
飲みに行くだけだが、多少は準備をする。ほんの薄く化粧をし、お気に入りのハチミツの香水をつけ、白いマフラーを首にまく。全部の準備にかかったのは、20分だった。
「10分くらいは誤差よね。戸締まりをしないといけないし」
妖夢は適当に言い訳をして鍵を確認して家をでる。
白玉楼を出た時点でお酒好きな妖夢の頭の中は、「今日のお通しは何だろう?」しかなくなっていた。
☆☆☆
「あ、ちょうどよかった」
作りすぎてしまったシュークリームを博麗神社に届けにきたところで、霊夢から飛んできたのはその一言だった。嫌な予感がするが、もう遅い。アリスはすでに博麗神社の中だ。この状況で、霊夢から逃げきるのは容易ではない。
「一応先に言っておくわ。宴会の手伝いなら嫌よ」
炬燵でぬくぬくしている霊夢に向けて言い放つ。
「今回はそうじゃないのよ」
「違うの?」
「また手伝ってもらうつもりだけどね。嫌なら実力行使で」
「拒否権を行使させてもらうわ」
言いながら霊夢の向かいの位置で炬燵に潜り込む。暖炉の暖かさの方が好きだが、炬燵の暖かさには不思議な魔力がある。
「まぁ、その話は置いといて。用件なんだけど、この本をミスティアの屋台に届けて欲しいのよね」
霊夢が炬燵の中から取り出したのは、文庫サイズの本だった。まだ行くと決めたわけではないが、本を受け取ってパラパラとめくる。内容は労働者の貴族の身分違いの恋いを書いた少女小説。ところどころのページにはイラストが入っている。
「誰の趣味? ミスティアが読むようには思えないんだけど」
アリスは霊夢に聞いた。こんな少女趣味な本を読む知り合いはいない。もしいるなら、凄く気になる。それに、イラストの少女が着ているドレスも好みだった。この本の持ち主がそういう趣味なら、作ってあげたいくらいだ。
「それ、妖夢の本なの」
「妖夢? あの、白玉楼の?」
「その妖夢よ」
幽々子の従者である妖夢。宴会でしか見た記憶はない。たしか銀色の髪が印象的な、ちょっと幼く見える少女だった気がする。綺麗というよりは可愛い感じだっただろうか。そんな子が少女趣味な服に興味をもっているなら、作って着せてみたい。
でも、アリスにはまだ疑問があった。
「どうして、妖夢に届けるのにミスティアの屋台なのよ?」
「たぶん今日は屋台にいるから。紫が幽々子と会うって言ってたから、お酒好きな妖夢は、屋台に行くはず」
「屋台なら、霊夢が自分で行けばいいじゃない。霊夢もお酒好きなんだし」
アリスはお酒が嫌いなわけではないが、好きなわけでもない。強くもないので、つきあいに飲む程度だ。
「だってこのあと……、来るんだもん」
何かしら屁理屈が帰ってくると思っていたが、霊夢の答えは意外なものだった。霊夢は恥ずかしかったのか、炬燵布団に顔を埋めている。
その様子でアリスはすべてを悟った。
「はいはい、ごちそうさまです」
アリスは少し嫌みを混ぜて言うが、霊夢はひたすら顔を赤くするだけだった。
文々。新聞カップルランキング1位、霊夢×パチュリー。
問答無用で誰もが認めているカップルだ。
こんな日に博麗神社を訪れてしまったのが運の尽き。まだ時間が早いので、妖夢の少女小説を読んでから、屋台に向かうことにする。
小説はイラスト以外もアリスの趣味に合っていた。そのせいで博麗神社を出るのが遅くなったアリスは、少女小説以上に甘ったるいシーンを、霊夢とパチュリーから見せられるのだった。
☆☆☆
「あ、久しぶりですね、アリスさん」
アリスが屋台に入ると、ミスティアが声をかけてきた。前にこの店に来たのは3ヶ月くらい前なのに、まだ覚えていてくれたらしい。
「ちょっと用事があってね」
それだけ言って狭い店内を見渡すと、目的の人物はすぐに見つかった。妖夢は美鈴と並んでお酒を飲んでいた。まだたいして飲んでいないのか、透き通るように白い頬をしている。
「妖夢、これ、霊夢からの届け物」
言いながらアリスは妖夢に本を渡す。
「すいません。博麗神社に落としちゃってたんですか。でもどうしてアリスが?」
「立ち話なんかしないで座ったら?」
「あ、そうですね。せっかくですし、ゆっくりしましょうよ」
美鈴と妖夢に促されて、アリスは妖夢の左側の席に座る。ミスティアに「飲み物はどうしますか?」と尋ねられたので、カシスオレンジにした。
「アリスって、見た目通りのお酒ね」
「カシオレが?」
「なんか可愛い女の子が頼むお酒って感じで」
会って早々に「可愛い」って言われるなんて……。それなりに見た目とかは意識している方で、できれば「可愛い」と思われたいけれども、何のためらいもなく言われると、くすぐったいような気持ちになる。
それに、隣に座ってはっきりわかったが。
「妖夢だって十分可愛いじゃない」
両手でグラスを持ってお酒を飲んでいる妖夢は、花のように可憐な少女だった。記憶通りの銀髪で、レースの布がついたお洒落なカチューシャが乗っている。
「わたしは、こんなお酒ですからね。アリスと違って」
「それ、何飲んでるの?」
「レモンハイです。そんなに強くはないですけどね」
「嘘嘘。妖夢のレモンハイは、半端なく強いわよ」
「美鈴だって、日本酒じゃない」
「妖夢ほど飲まないから。アリス、知ってる? 妖夢のレモンハイ、ウォッカと炭酸水が半々くらいなのよ?」
「え、それホント?」
「まぁ……。それくらいが美味しいので……」
アリスが聞くと、妖夢は気まずそうに答える。
どうやら、妖夢が酒好きという霊夢の話は本当らしい。
「それで、わたしの本をアリスが持ってきたのは?」
「あ、そのことね。霊夢が博麗神社を離れられなかっただけよ」
ミスティアが作ってくれたカシスオレンジを一口飲みながら伝える。口当たりが良くて飲みやすいけれども、強めに作ってあった。ゆっくり飲まないと、潰れてしまうかもしれない。
「霊夢が離れられないって異変とか? まさか参拝客がいっぱいなんてあり得ないですし」
「パチュリーよ、パチュリー。出てくるタイミング逃して、思いっきり甘ったるい空気吸っちゃった」
「あー、そのパターンですか。あそこの2人は、そろそろ結婚でもするべきだと思いますけどね。神社で神前婚で」
「本当よねー。さすがランキング1位」
「ここに2位と5位もいますけどね」
「やめてよ、それは」
妖夢の隣で美鈴がため息をつきながら手を振る。
文々。新聞で行われているカップルランキングは、累積の投票数で決まる。一度投票した読者も、1ヶ月後にはまた投票する権利を得られる仕組みになっている。そして、現在のランキングは、
1位 霊夢×パチュリー
2位 美鈴×レミリア
3位 輝夜×妹紅
4位 衣玖×天子
5位 咲夜×美鈴
となっている。ちなみに、前後の順番に深い意味はない。
「正直、付き合うとかって、よくわからないですよね」
「そうなの? 妖夢はてっきり興味があるのかと思ってたけど」
「まったくない、って言ったら嘘になりますけどね」
「少女小説読んでるのに?」
「アリス、あの本読んだの?」
「まぁ、暇だったし……」
本当はちょっと読み始めたら、自分の趣味にピッタリはまっていて、夢中になってしまった。なんて、口が裂けても言えない。
「少女小説って、いいですよね。現実ではあり得ないですけど」
「妖夢なら、少女小説はともかく、恋人を作ることくらいならできるんじゃない? 可愛いんだし」
「こんな飲兵衛、誰がもらってくれるんですか。それに可愛いのは、アリスみたいな人ですよ。お酒も可愛いですし」
「わたしはそこまでじゃないわよ」
「もしわたしがアリスに告白されたら、3秒でOKしますよ」
「ぷっ」
妖夢の奥で、美鈴が吹き出しそうになっている。
この娘は天然なのだろうか? それとも口説きにきているのだろうか?
今のアリスにはわからない。
冷静になろうと思って残っていたカシスオレンジを飲み干してから妖夢の方をこっそりと覗くと、ばっちり目があってしまった。
銀色の髪だから、瞳は自分と同じ碧かと思ったら、黒曜石のような黒だった。
真っ直ぐ見つめられていると、酔いがまわるのが早くなって、顔が熱くなってくる気がする。さらに、妖夢の方から甘い香りもする。
「よ、妖夢って香水つけてる?」
「あ、キツかったですか? 少しだけつけてるんですけど」
動揺しながら尋ねると、妖夢はまったく動じないで答えた。
「大丈夫よ。ハチミツの香水?」
聞きながらも、視線に耐えられなくなって、妖夢から顔をそらす。
「ハチミツのトワレです。コロンも使いますけどね」
「香水でハチミツの香りなんて、珍しいわね」
「ハチミツの香り、好きなんです。食べる方も好きなんですけどね」
そう言って妖夢は無邪気に笑う。今度、妖夢にハチミツを使ったお菓子を作ってあげてもいいかもしれない。スコーンとか、ビスケットとか。
横で見ていると、本当に妖夢はお酒を飲むペースが早かった。一気に飲み干してるというよりは、常に少しずつ飲んでいる感じ。ずっと両手でグラスを持って飲み続けている。けれども、なぜか幼い感じがするのは、顔つきが童顔だからだろうか? さっきお菓子を作ってあげたいと思ったのも、「食べる方も好き」と言ったときの顔が、お菓子をねだる子供のようだったからだ。
なんだか、お菓子を作ってあげたり、服を着せてあげたり、髪をいじってあげたり、世話をしてあげたい少女だ。アリスがそんな感想を抱いていると、目の前にグラスがトンとおかれた。中にはオレンジ色の液体が入っている。
「あちらのお客様からです」
アリスが不思議そうにしていると、ミスティアが妖夢のことを指さす。
「1回やってみたかったんですよね。これは、本のお礼ということで」
グラスを両手で持ったまま小さく微笑む妖夢。まさか、頼まれ事をして、お礼されるなんて思わなかった。妖夢はこの幻想郷では常識人なのだろう。そのぶん苦労も多そうだけど。
氷の入ったグラスに口をつけて、一口飲む。オレンジジュースが入っているけれども、カシスオレンジよりはお酒っぽい感じがする。アルコールもそこそこ入っていそうだ。
「スクリュードライバーです。もし飲めなかったら、代わりに飲むんで遠慮なく言ってくださいね」
「そ、そう。ありがとう。たぶん大丈夫だと思うわ」
妖夢の言葉に。アリスはなんとか返答する。
このまま途中でパスしてしまったら、妖夢と間接キスになってしまう。妖夢はぜんぜん気にしない質なのかもしれないが、アリスは気にする方だ。しかもさっきの言葉を言われたあと。嫌でも意識してしまう。
でも、せっかくもらったのに飲まないわけにもいかない。お人好しなアリスは、妖夢と言葉を交わしながら、少しずつ飲み進めていく。
妖夢のお酒以外の趣味は本を読むことと喫茶店めぐり。人里にある喫茶店で紅茶を飲みながら本を読んでいるときが、一番幸せらしい。人里の、乾物屋の向かいにある喫茶店は、毎月新作のケーキを出しているのだが、すべて食べているそうだ。
アリスの趣味は人形作りや洋服作りなのだが、喫茶店に行ったり、本を読んだりすることも好きだった。妖夢が好きな本の中には、アリスが好きなものも混ざっていたし、お気に入りの喫茶店の話でも盛り上がった。
アリスの趣味である洋服の話でも、人並み以上には興味があるらしく、「元がいいから何を着ても似合うと思うわ」と言うと、ちょっとだけ動揺を見せてくれた。こっちばかり動揺させられていた気がするので、少し嬉しかった。
アルコールも手伝ってか、アリスは長々と妖夢と話し込んでしまった。好みが似ていたので、話題が尽きなかったのだ。
だがこのときアリスは決定的な失敗をしていた。ゆっくりながら、お酒を飲み続けてしまったのだ。妖夢は当然お酒も詳しいので、カルアミルクやアイリッシュウイスキーなど、甘くて飲みやすいお酒をたくさん知っていた。妖夢と話しているうちに気分がよくなってしまったアリスは、いろいろ飲んでしまったのだ。
飲みやすいからといって、弱いとは限らないことを知らずに。
夜の10時過ぎ。アリスは完全に潰れ、屋台で眠ってしまった。
「ちゃんと剣士らしく、お姫様を守るのよ。潰したんだから」
「潰したんじゃないです! わたしは普通に話してただけです!」
「ほらほら、さわぐとアリスが起きるわよ」
妖夢にお姫様抱っこされたアリスが、ぎゅっと妖夢の首を抱きしめる。美鈴が「行った、行った」と追い払うと、妖夢は少し悔しそうな顔をして出ていった。
「酒の勢いにまかせてあがりこむ、っていうのは聞きますけど、あれはどうなるんでしょうか?」
「どうなんだろう? でも、今日はなかなか面白いものが見られたわ」「妖夢さん、あれは狙ってたんですかね?」
ミスティアの言葉に、美鈴は小さく首をふる。
「いや、あれはただの天然でしょ。妖夢、幽々子に絡まれてるからスキンシップとかぜんぜん気にしないし、恋愛方向の常識には疎いのよね。なかなか罪だけれども」
「ということは、美鈴さんは可能性ありと」
「妖夢はわかんないけど、アリスの反応を見るとね。でも、よくよく考えてみたら、今日一番罪なのは妖夢よりミスティアよね」
「わたしですか?」
キョトンとするミスティア。予想通りの反応だけれども。
「だってお酒作ったのミスティアでしょ? スクリュードライバーだって、けっこう濃いし。そのあとも普通に作るし。あれはアリス、絶対潰れるでしょ」
「あ、そのことですか……。それはそうなんですけど、楽しそうじゃないですか……。これから」
あっさりと自分の罪状を認めるミスティア。
まったくこの店主は、とも思うが確かにこれから先は楽しいことになるかもしれない。
単純に2人の関係としても面白いが、美鈴が楽しみなのは、妖夢がどうなるかだ。妖夢は本来はイジられるタイプ。今日アリスに対して一方的に攻撃できたのも、お酒の力が大きいだろう。このあと妖夢とアリスが2人きりになれば、妖夢の方が受けになるような気がする。
アリスもさほど口が巧いわけではないので、ちょうどよいバランスでおさまってしまう可能性も否定できないが。
そしてもう一つ、美鈴にとっては面白いことがある。妖夢は口下手なのでこの屋台ではイジられるのだが、妖夢にとってただ一つ攻撃的になれる話題が、恋愛に関する話題なのだ。誰とも付き合ったことがないし、浮いた話一つないので言いたい放題。美鈴もまったく手が出せない状況だ。
でも、妖夢とアリスが面白いことになれば……。2人の相性が良いことは間違いなさそうなので、可能性も十分あるし。
「ミスティア、やっぱりGJだわ」
美鈴がビシッと親指をたてると、ミスティアも頷いて親指をたてるのだった。
☆☆☆
あれ? ミスティアの屋台で飲んでて、どうしたんだっけ?
自分が倒れていることに気づいたアリスは記憶を遡ろうとするが、大量にアルコールが入った頭はなかなか働いてくれない。
ふらふらして立ち上がらないので、目だけで周囲を確認すれば、パチパチと火の入った暖炉が見える。どうやら、家には帰って来てるようだ。そのことがわかると、また急激に眠気がおそってくる。
ベッドではなくソファーで寝てしまっているが、頭はクッションに乗っているのか柔らかい感覚があるし、ほんのりハチミツの甘い香りもする。
「暖かい……」
アリスは手元にあった抱き枕に頬をこすりつけると、再び夢の世界に旅だっていった。
次にアリスの目が覚めたのは、コンソメの香りに気づいたときだった。カーテンが開かれた窓からは、冬の柔らかな日差しが差し込んでいる。
ところで、アリスはこの家に一人で暮らしているはずである。それなのにコンソメの香りがするというのは……。
「あ、起きた? これ水ね。飲んだ方がいいですよ」
「わっ! 妖夢!?」
「はい、妖夢です」
かけられていた毛布を蹴飛ばして、あわてておき上がる。
必死に辺りを見回せば、周囲は見慣れた自分の家のリビング。テーブルの上には外された赤いカチューシャと水の入ったグラス。
そして、まだ頭の覚醒しきっていないアリスを見下ろす妖夢。
空回りしているような感覚がするが、アリスの頭脳は必死に処理をすすめ、現在の状況をある程度正確に理解する。
整理を終えたアリスが最初にとった行動は身だしなみを整えることだった。必死に服の皺を伸ばし、リボンを結び直す。次に鏡を見ながらブラシで髪を整え、カチューシャをセット。アルコールが残っている気がするので、少しコロンをつけて一時しのぎにする。
「その……、ごめんなさい。昨日は迷惑をかけて」
身だしなみを整えたところで、アリスは妖夢に頭を下げた。詳細はわからないが、妖夢に迷惑をかけたことは間違いない。
「気にしないでください。わたしが飲ませ過ぎてしまったわけですから。こっちが謝らないといけないんです。ほんとすみませんでした」
「ううん。妖夢は悪くないわよ。わたしが、妖夢と話すのが楽しくて、ついつい飲み過ぎちゃっただけだから。それで、申し訳ないんだけど、あのあとどうなったか教えてくれないかしら。ほとんど覚えてなくて……」
「えっと……。とりあえず、朝食でも取りながらにしませんか? それとも先にお風呂入ります?」
「準備してくれてるのよね。先に食べるわ。本当にごめんね」
「いつもやってるので気にしなくて大丈夫ですから。それから、水だけは飲んだ方が楽になりますよ」
そこまで言うと、妖夢はキッチンに戻っていく。
妖夢に言われたとおり、水を飲むと少し気分がよくなった。
幽々子の世話をしているだけあって妖夢は料理上手のようだ。ソファーに座って昨晩のことを思い出しながら待っていると、トーストやベーコンの焼ける香りがしてくる。
ほんの10分で出来上がったのは、グリーンサラダとコンソメスープ、マスタードを塗ったパンにベーコンを挟んだだけの簡単なサンドイッチだった。
「ちょっと重たいけれど、昨日の夜あんまり食べてなかったみたいだから、しっかり目ね」
妖夢に言われた通り、昨日の夕飯はあまり食べていなかった。おしゃべりに夢中になり、飲むだけで食べる方がおろそかになってしまったのだ。
「妖夢って、予想通り料理上手ね」
自作のドレッシングがかかったサラダを食べながら、アリスは言った。レモンの果汁にオリーブオイルとスパイスを足して、塩と胡椒をしただけのドレッシングだが、バランスが取れていて美味しい。
「わたしの仕事なんて、ほとんど料理ですからね」
「やっぱり幽々子って、食べる量が多いんだ」
「多いですね。作っても作ってもなくなっちゃいます」
「でも、料理が趣味ってわけじゃないんだ」
「そうですね。嫌いじゃないですけど、本を呼んだり、ケーキを食べてるときの方が幸せですね」
言いながら妖夢はいたずらっぽく笑う。
「意外よね。妖夢の趣味が読書とかなんて。やっぱり従者のイメージが強いし」
「アリスはわたしにどんな印象を持っていたんですか?」
「どんなって言われても……」
妖夢と話したのは昨日が初めてだった。だから、それまでのイメージは人並みにしか持っていない。
昨日が初めてなのに、今もこんなゆっくりと話せているのは、それなりに妖夢との相性が良いからだと思うけど。
「基本的には、やっぱり幽々子の世話ね。あとは剣を振ってたり」
「まぁ、間違いではないですけど、それだけではないですね」
アリスの言葉に妖夢は少し苦笑いする。
そのあと妖夢は一口スープを飲んでから、
「でもアリスだって、『人形と洋服を作って魔法の研究をして』だけじゃないでしょ?」
と、逆に尋ねてきた。
「確かにそうね。人形作り、洋服作り、魔法の研究をしてるのは嘘じゃないけれど、それだけではないわね」
「やっぱりそうですよね。同じことばっかりやってたら疲れてしまいますし」
「妖夢もそうなの?」
「当たり前ですよ。最低限やらなくちゃいけない剣の修行は毎日しますけど、それ以上はやったりやらなかったりです」
「なんか人間らしいわね」
「半分人間ですからね」
「わたしも元は人間だからね。なんとなくわかるわ」
妖夢と話していると会話がどんどん転がっていく。そのリズムが心地よい。
それは、たぶん妖夢が普通だからだと思う。
アリスの周りには極端な相手が多い。
霊夢は博麗の役割を全うしようとしているし、パチュリーも魔法に全てを賭けているので、どこか達観しているところがある。だから、あの2人がくっついたのは納得できる。
魔理沙はまだ人間味があるが、霊夢との関係や自信の過去から、歪みを感じてしまう。
そんな3人を見ていると、自分がひどく幼く見えてしまうのだ。だから、いつまでも追いつけないのかもしれないけど……。でも、どうしようもない。あの3人のような生き方は、自分にはできない。
それに比べれば、妖夢には人間味がある。もしかしたら、薄暗い過去が隠れているのかもしれないが、今のところは感じられない。だから、できれば妖夢とは親しい関係になりたいと思う。
「それで昨日の夜のことなんだけど……」
一通り食べ終え、妖夢が淹れてくれたコーヒー(これももちろん美味しかった)を飲みながら、アリスは妖夢に尋ねた。
「えっと、どこまで覚えてますか?」
「わたしの記憶は、屋台の中で途切れてるわ」
「本当、その件に関しては申し訳ないんですが……。えっと、話は単純で、寝てしまったアリスを抱き上げて、ここまで運んだだけです」
「抱き上げるって、あの抱き上げる?」
「はい。その抱き上げるです」
妖夢は身振りで抱き上げる仕草をする。その抱き上げ方は、どう見てもお姫様抱っこというやつだった。これは、もうダメかもしれない。
「それだけ?」
「外ではそれだけですね。あとは勝手に寝室まで入るのは気が引けるので、ソファーに寝かせたんですけど……。アリスが『あったかーい』って猫撫で声を出しながら、わたしを抱き枕にしてきたので、そのまま朝までわたしもソファーにいました」
これは完全に終わった。もうダメだ。
妖夢は「猫撫で声のアリス、可愛かったですよ」とか言っているが、そういう問題じゃない。これは自分が首吊り人形になるしかない。
「もうダメだぁ…………」
アリスはがっくりとうなだれて頭を抱える。
確かに普通の状況だったら、終わりだ。ところが今回は、相手が普通じゃなかった。
「ダメって、どうかしました? わたしなんかしょっちゅうですけど?」
「はい!?」
妖夢の発言に、アリスは裏返った甲高い声をだしてしまった。恥ずかしさやら混乱やらで、頭の中はメチャクチャになっている。
「幽々子様はよくわたしのことを抱き枕にしてますし、わたしも良く幽々子様の膝に頭乗せてますし。わたしが頭を乗せるのは湯たんぽ代わりらしいですけど」
「湯たんぽ?」
「幽々子様は幽霊なので、わたしよりも体温が低いらしいんです。だからちょうどいい湯たんぽになるらしくて」
「じゃあ、妖夢は何も気にしてないってこと?」
「気にするって、何をですか?」
「……」
こっちはこんなに恥ずかしい思いをしてるのに、妖夢は何も感じてないらしい。こんなこと口には出せないが、どこか理不尽だ。
「抱き上げたこととかもあるの?」
「こんな長い距離を運んだのは初めてですけど、炬燵で寝てしまった幽々子様を運んだことは何回もありますよ? 咲夜もレミリアやフランドールを運んでるって、言ってましたし」
「ねぇ。少女小説で抱き上げるシーンを見るとき、どう思った?」
「わたしは誰かを好きになったことがないので分からないですけど、そこまで恥ずかしいことでもないと思いますね。仕方ない状況も多いですし」
この娘は少女小説から何を学んでいるんだろう?
妖夢の持っている常識は今のうちに矯正しないとマズいような気がする。
けれども、自分が矯正しなくても、他の誰かが教えてあげるだろう。 そう思ったとき、アリスの中でチクリと胸が痛んだ。
誰かが妖夢に教える? 自分が感じた感情を?
そんなことは、認めたくない。
わたしが妖夢に教えてあげたい。
自分が感じた感情。つまり……。
そこでアリスの思考は止まった。
自分が妖夢に対して抱いた感情。それはたぶん……。
「アリス? どうしたの?」
妖夢が小首をかしげてアリスを見つめる。
「ううん! なんでもないの! ちょっとボーッとしてただけ」
「本当に大丈夫?」
「平気よ平気。そういえば、妖夢が読んでた少女小説なんだけど」
「あ、あの本ですか? すごくいいですよね!」
妖夢が立ち上がって、手荷物から本を探している。
うん、やっぱり反応が分かりやすくて可愛い。
だから、仲良くなれればいいと思う。
できれば霊夢と魔理沙のように。
つまり、親友だ。
それで間違いないはず。
「この本ですよね。読んだんですか?」
「読んだわよ。それでね」
さっきまでの考えごとは別の場所に入れて、一度蓋をしめる。
それから本を受けとり、適当にページを開くと、綺麗なドレスを着た少女のイラストがあるページが開いた。
「妖夢、このドレス、気になるの?」
「えっ! まさか。そんなことないですよ!」
アリスが尋ねると、妖夢は面白いほどの反応を示した。ピクンと体が跳ね上がり、必死に両手を振って、事実でないことをアピールする。
けれどもまったく説得力がない。
気持ちはわからなくもないけれど。本にでてくる洋服が気になるなんて、恥ずかしいだろうし。個人的には似合うと思うけど。
「このドレスのページ、癖がついてて開きやすくなってるのよね。わたしも本は良く読むからわかるんだけれど、こうなるのは、しょっちゅう開くページだから」
アリスが見せびらかすように開いたり閉じたりを繰り返す。たまに違うページが開くこともあったが、ほとんどはドレスのページだった。
「それは、保存するときにずっとそこに栞を入れていただけですよ。何回も見たからじゃないですから。ははは……」
意味のわからない笑い方をする妖夢。もう肯定しているようなものだ。
ちなみにそのドレスは、ベイビーピンクでフリルをふんだんに使ったドレス。フリルたっぷりの服が好きな魔理沙だって、恥ずかしがって着ないだろう。でも、わたしとしてはやっぱり妖夢に着せてみたい。
「このあと、採寸してもいい?」
「採寸って!? アリス、二日酔いじゃないの?」
「酔ってないわよ。いろいろお世話になったし、妖夢が好みの服、一着作ってあげる」
「そんなの申し訳ないですよ! わたしが潰しちゃったのが悪いんで、気を使っていただかなくても」
「じゃあ潰した罰ってことで」
「その言い方はズルいです」
ハの字に眉を下げて困った顔をする妖夢。
たしかにこの言い方はズルい。今回の件に関しては、自制が聞かなかった自分にも非があるわけだし。
でも、だからこそ妖夢にお礼がしたい。
「じゃあ、とりあえず妖夢の希望する服を作ってあげる。これは素直にお礼ってことで」
「お礼ですか? 本当にわたしが飲ませすぎただけですから」
「まぁ、わたしの気持ちってことで、受け取ってちょうだい。もちろん、そのうち小説のドレスも作ってあげたいと思ってるけどね」
軽くウィンクして、妖夢に微笑む。
「アリスがそこまで言うなら……。ちゃんと可愛い服にしてくださいね」
「それは任せてちょうだい」
元がいいから、ふつうの服を作れば、それだけで可愛くなるはずだ。
「ねぇ、フリルどれくらいつけていい?」
「ふつうに外に出られるくらいの量にしてくださいよ……」
あきれたように言う妖夢を横目で見ながら、頭の中でコーディネートを決めていく。
派手にしようとするアリスと、抑えようとする妖夢の攻防は、お茶会をしながらの戦いとなり、雑談も交えつつ最終的な決着がついたのは3時間後のことだった。
☆☆☆
妖夢と洋服の相談をしてからちょうど1週間後の水曜日。今日は仮合わせの日だ。
お茶が好きな妖夢のためにちょっといい紅茶を用意し、ケーキも準備して完璧。と思ったのだが……。
「なんであんたがいるのよ」
「世の中には、偶然ってものがあるんだぜ」
「嫌な偶然ね」
アリスは勝手に家にあがりこんでいた魔理沙をジッとにらんだ。
この野良魔法使いは、勝手に家に入ってきては、お茶と菓子を要求して帰っていく。
もっとも同じ魔法の森の住人で、少なからず協力をしている仲なので、そこまで嫌っているわけでもないのだが、今日に限っては「なんでこんな日に……」と思ってしまった。
「勝手な勘だが、今日は良い茶菓子がありそうな気がしてな」
「お菓子だけで来たの?」
「あと、お前にお届け物だ。霧雨速達便のお届けだぜ」
言いながら、魔理沙が新聞を放り投げる
「なっ! なによこの新聞!」
「いつも通りの文々。新聞だぜ? 珍しくおもしろい内容だから、鍋敷きにしないですみそうだ」
「こんなの鍋敷きで十分よ!」
文々。新聞の表紙には、妖夢に抱かれて眠っているアリスの写真がのっていた。新聞を見ているだけで、顔に血が上ってくる。もともと思い出すだけで恥ずかしいと思っていたのに、こんな写真を撮られてたなんて。
「もう手遅れだぜ? 幻想郷中に新聞は出回っているだろうし。七十五日は噂が続くのを覚悟するしかないな」
「うわ…………。死にたいかも」
「ま、妖夢とつき合えば噂じゃなくて、ただの事実になるけどな!」
魔理沙の爆弾発言に、アリスは全身の血が沸騰したような気がした。
「つ、つき合うって、わたしと妖夢はそんな関係じゃないわよ!」
「冗談で言ったんだが、その反応なら面白いことが起こる可能性はありそうだな。頑張ってわたしたちに面白いネタを提供してくれ」
「別にそんなつもりはないってば」
「じゃあ、なんも考えてないのかよ? こんな写真も撮られて」
なんにも考えていないわけがない。
ちょっと高くて可愛い声や、香水の匂いがばっちりアリスの記憶に残ってしまい、1週間の間で何回も考えることがあった。特にハチミツの香水は重傷で、ハチミツの香りだけで妖夢のことを思い出してしまう。 でも、妖夢のことを考えるのは決して嫌ではなかった。むしろ考えているときが一番幸せだった気がする。その証拠に、まだ仮縫いの段階だけれども、今回の洋服は会心の出来になると確信している。
「おーい、待ち人が来たみたいだぜ。わざわざノックするなんて、あいつも律儀な奴だな」
アリスが一人物思いにふけっていると、魔理沙の声が響く。
「あんたがガサツすぎるだけでしょうが」
魔理沙に一言グチを言ってから、扉をあけに玄関に向かう。
「いらっしゃい、妖夢」
「ありがとう、アリス」
アリスが玄関の扉を開くと、妖夢はふわりと笑った。わりと童顔なのに、こういう笑みを浮かべると大人っぽくみえる。
「とりあえず、あがってちょうだい。靴は脱がなくていいから、実はお邪魔虫が1人来ちゃってるけど、気にしなくていいから」
「お邪魔虫ですか?」
革靴の踵をならしながら後をついてくる妖夢が不思議そうに小首をかしげる。
「お、本当に妖夢が来た」
アリスが妖夢を連れて戻ってくると、魔理沙は安楽椅子に座って魔導書を開いていた。
「お邪魔虫って、魔理沙のことだったんですね」
「そうよ。勝手に入ってきてね。本当、嫌になっちゃう」
「でもいいじゃないですか。気軽に入れる仲なんて、腐れ縁みたいで」
「ホント腐れ縁だけどね。大して嬉しくないけど」
魔理沙との仲も腐れ縁。お互いにさほど気にしないで、会ったりできる仲。さすがに霊夢と魔理沙の関係ほど深くはないが、それなりに親しいと言える関係ではあると思う。
「というわけで、そんな魔理沙さんに紅茶のお代わりをいれてくれ」
「あんたみたいな奴に、2杯目の紅茶はないわ」
「でも、妖夢には用意するんだろ?」
「当たり前じゃない。とりあえず、お茶にする?」
「あの……、できれば先に洋服を合わせちゃいたいんですけど……」
「いいけど、どうして?」
アリスが聞くと、妖夢がそっと歩みよってくる。距離が近づいたので、ハチミツの香りが届いてきて、鼓動が早くなるのを感じる。さらに妖夢は、ちょっと背伸びをして耳打ちをしてきた。
「お菓子を食べると、お腹とか出ちゃいそうなので。持ってきたのスコーンですし」
妖夢の吐息が耳にかかって、背筋がゾクリとした。視界の隅にニヤニヤとした笑みを浮かべる魔理沙が映り込むが、今は相手にしてられない。
「えっと……、そうね。それなら先にやっちゃいましょ。スコーンはテーブルの上に置いてくれればいいから」
かろうじてそれだけ言うと、アリスは衣装部屋に早足で駆け込んだ。
「はぁ……、びっくりした」
いきなりの妖夢の行動に、アリスはペタンと座りこんでため息をつく。単純にアリスは耳が苦手なので、そのせいもあるだろうが、ここまで力が抜けてしまうのは、それだけが原因ではないだろう。
もうちょっと、考えればその理由はわかる気がする。けれども、心の何かが理解することを拒んでいる。
ここまで感情を処理することができなくなってしまうのは、アリスにとって初めての経験だった。
「そろそろ行かないと……」
いつまでも衣装部屋に籠もっているわけにもいかないので、アリスはふらつきながらも立ち上がって、妖夢のために作った洋服をもってリビングに向かう。
「なかなか可愛い服じゃないか」
アリスが服を持っていくと先に反応したのは魔理沙だった。
魔理沙は男言葉を話すし、性格もちょっと雑なところがあるけど、可愛い物に対する反応は、敏感な方だと思う。妖夢の方は特に大きな反応を示さなかったが、少しソワソワしているあたり、悪い印象はなさそうだ。
「まだ仮止めだし、まち針がついてるところもあるから気をつけて着てね。もし着られなかったら手伝うから」
妖夢に服をわたすと、恥ずかしそうにしながら、別の部屋に消えていく。
それから5分くらいしてから、着替え終わった妖夢は戻ってきた。
「どうでしょうか?」
アリスが作った服は基本的には妖夢がいつも着ている服を基調としたもの。下のシャツは、白に一滴だけピンクを足したような色にして、襟や袖にフリルをつけ、ボタンの周りにも少しだけフリルをつけている。
スカートは膝下の長さで濃いめの緑色。裾からもシャツと同じ色のフリルを覗かせ、アクセントに黒をいれてある。
上もいつも通り緑色のベストの予定だったのだが……。
「よく似合ってるけど、なんかいつも通りだな」
「やっぱりそうよねぇ。サイズとかは大丈夫?」
「大きさは大丈夫です。服が可愛いので、なんだか着せられてる気分ですけど」
「ちょっとさわるわね」
服をあちこち確認して、変に張っているところがないか確認する。それから、リボンを数本もってきて、妖夢の胸元に合わせていく。
「やっぱり黒かしらね。なんか、この服だといつものイメージを崩すのが大変ね」
「今回ばかりは、アリスのフリルを増やしたいっていう意見に同意だな。あとはスカートに段をつけてみるとか」
「そんなことしたら、本当に外出られないですよ」
3人で相談しながら、妖夢のコーディネートをしていく。
シャツとスカートはそのままでいいとして問題は上。
いろいろ話した結果、上は濃いめのピンクのカーディガンにして、胸元には、黒地に白の文字が入ったリボンを結ぶことにした。
でも、本音としては。
「妖夢、本当にもう少しフリル増やしちゃだめ?」
「これ以上は本当に無理ですって!」
「なんか、そういう反応をされると、余計につけたくならないか?」
「たしかに」
胸の前で腕をクロスさせて必死に自分の身を守ろうとする妖夢。けれども、アリスから借りているカーディガンを着ているので、体格の差で袖が余り、手を隠してしまっている。そんな状態で抵抗しても、可愛さが増えてよりフリルをつけたくなるだけだ。
でも、さすがにここまで抵抗されては、アリスでも付け足すことはできない。
「仕方ないけど、今回はこれくらいかしらね。もう、今日は脱いじゃっていいわ。来週また同じ日に来てくれれば、できてるから」
「わかりました。楽しみにしてますね。本当に、フリル増やすのはやめてくださいよ」
「そこまで言わなくても……」
妖夢が着替えに行くのを見送り、アリスは小物を片づけながら、次に妖夢に着せる服を考える。
今度はどんな感じの服にしようか?
そのことを考えたとき、アリスの中に1つの疑問が浮かんだ。
「次、どうすればいいんだろう」
「ん? アリスなんか言ったか?」
「ううん。なんでもない」
ぽつんとつぶやいた言葉は魔理沙には届かず、誰の耳にも入らない言葉になる。
妖夢が次にやってくるのは1週間後の水曜日。
けれどもその次に妖夢と会うのは?
どんな理由をつけて服をつくればいいのだろう。このままでは、何も理由がないし。まさか、また屋台でつぶれるわけにもいかないし。
今日はこのあとお茶をしながら話せるし、来週もまだ話すことができるけど。
次は……。
「あのー、服、脱ぎました」
「あ、大丈夫だった?」
「はい。気をつけて着替えたので。それより、アリスの方が大丈夫?」
「わたし? どうして?」
「ちょっと、ぼんやりしてるから。服を作るときに、無茶とかしてないかなって」
「服は結構前からできてたから大丈夫よ。少し考えごとをしてただけ。それよりお茶にしましょ。とっておきの紅茶を用意したから」
「わたしも手伝いますね」
アリスが服を戻している間に、妖夢がお湯を沸かしてカップやポットを温め始める。キッチンに入ったアリスは、妖夢が焼いてきてくれたスコーンを温め直し、ケーキを切り分けた。
魔理沙も混ざった3人でのお茶会は思ったよりも楽しかった。交友範囲の広い魔理沙は、妖夢についてもよく知っていた。紅茶はストレート好みで、ケーキはチョコレート系が好物。友人関係は霊夢や魔理沙以外にも、咲夜、鈴仙といった従者たちと仲がよいらしい。美鈴は飲み仲間だそうだ。
「でも、ついに妖夢もアリスの着せかえ人形か」
アリスの正面に座った魔理沙がいった。アリスは以前寝かされていたソファーに妖夢と並んで座っている。
「着せかえ人形?」
「アリスの趣味は洋服作りだからな。よく洋服を押しつけてるんだ」
「そんな強引なことはしてないわよ。ちゃんと頼んでるわ」
「無理矢理霊夢に着せかえをしようとしたのは、どこのどいつだっけ? 結果は針山だったが」
「あぁぁ。南無です」
妖夢がアリスに向けて合掌をする。
だって仕方ないじゃない。霊夢は黙っていれば可愛いんだから。
「でも、アリスでも引き下がらないときってあるんですね。ちょっと意外です」
「むしろ引き下がるときの方が珍しいんだけどな。今日は引き下がったから、驚いたぜ」
「わたしら魔理沙や霊夢と違って、そんなに可愛くないですから」
「妖夢だって、子供っぽくて十分可愛いだろ。少なくとも霊夢よりは。霊夢は可愛げがなさすぎる」
「子供っぽいっていうのは聞き捨てなりませんが……。霊夢って、気まぐれな猫みたいで可愛いと思いますけどね」
「猫かぁ。たしかにあいつは、結構猫っぽいかもなぁ」
「アリスも猫ですよね」
「わたし?」
「気まぐれ猫っていうよりは、高貴な猫って感じですけどね」
「たしかにアリスは猫だな。雰囲気も含めて。妖夢は犬だろ?」
「よく言われます」
妖夢は犬。魔理沙が言ったとき、アリスの脳裏には犬耳をつけて、椅子に座っている妖夢の姿が浮かんだ。
うん、悪くない気がする。
「アリス、頭の中で妖夢に犬耳をつけてただろ?」
「まさか。そんなことしてないわよ」
「どうだか。ちょっと、追加でお菓子もってくるぜ」
「いいけど、まだ開けてないお菓子はやめてよ」
魔理沙が立ち上がって、キッチンに向かう。
わたしの行動パターンがわかりやすいのだろうか? 最近魔理沙によく行動を読まれている気がする。
「ねぇアリス、本当に想像してなかったの?」
「え、なにか?」
「わたしが犬耳つけてるとこ」
妖夢がトンと頭をアリスの肩に預けながら尋ねてくる。サラサラとした髪が揺れて、ふわりとハチミツの香りが漂った。
「本当にしてないわよ」
必死に動揺を抑えながら、アリスは嘘をつく。その間も、アリスの脳内にはちょこんとおすわりをした犬耳妖夢が存在している。
「わたし、さっき猫耳つけたアリスのこと、想像しちゃったんですけど……」
妖夢が言った瞬間、リビングの空気が凍り付いた。
アリスの想像が、犬耳妖夢から猫耳の自分自身の姿に切り替わっていく。
ギリギリと軋んだ人形のような動きで首を動かすと、捨てられた子犬のような目をした妖夢とばっちり目があった。固まったままジーッと見つめていると、妖夢の瞳が心なしか潤んできている気がする。
「何してんだ……、お前等」
凍り付いた空気を溶かしたのは、作りおきのクッキーをお皿に乗せてもってきた魔理沙の一言だった。
至近距離で見つめ合う二人の様子は、文々。新聞に掲載された写真と合わせて、魔理沙に対して決定的な誤解を生むことになる。
「わたし、帰った方がいいか?」
「こっ、これは、その、違うから!」
なぜかお邪魔虫だったはずの魔理沙を必死に引き留めることになったアリス。妖夢とのんびり過ごすはずだったお茶会は、いつの間にか必死に魔理沙の誤解を正すための説得会と化していた。
「なにか忘れ物でもした?」
冬の短い陽が落ちた後。魔理沙が一人でアリスの家に戻ってきた。
「夕飯でも頂こうと思ってな」
「お帰りはあちらよ」
「わかってる。冗談だ」
アリスが「ホーム」と言いながら玄関を指すと、魔理沙は両手を振って違うことをアピールする。
それにしても、一回帰ったあとに戻ってくるのは本当に珍しい。どうしたのだろう?
「思ったより面白いことになってたからな。ずいぶん妖夢のことを意識してるみたいじゃないか」
「別に普通よ。お礼に洋服を作るから、仮合わせで呼んだだけだし」
「それじゃあ、来週会って本当におわっちまうぜ?」
「…………。そんなこと、わかってるもん」
自分の性格なんて、嫌というほどわかっている。魔理沙みたいに、誰とでもすぐに仲良くなれるような、オープンな性格はしていない。だから知り合いも少ないし。
今までは、それでも不自由に思わなかった。
でも、今回は初めて自分の性格を恨んだ。
もう少し、自分の気持ちを妖夢に伝えられたら。
半分でも、さらにその半分でもいい。
けれども、アリスの気持ちは思ったように言葉にならなかった。
「わたしはアリスと妖夢、少なくともいい友人だと思うぜ?」
「友人……」
妖夢と望む関係の名前。
それは果たして友人なのだろうか。
自分の中に、答えがあるのはわかっている。でも、そのことを認める勇気は、今のアリスにはない。
「わたしは、アリスが妖夢とどんな関係を望んでるかは知らないぜ? でも、とりあえずは友人からでいいんじゃないか? 幸いあいつは結構アリスと似た趣味もあるみたいだし。毎週一緒にお茶とかケーキを楽しむ仲から始めるとかさ。アリスの家でやるなら、たまにはわたしも乱入させてもらうけどな」
勝手にやってきて、ケーキを食べて行く宣言なんて。ため息をつきたくなってしまうが、魔理沙の気遣いがわからないほど、アリスの頭は堅くはない。
「毎週お茶に誘うって、変じゃないかな?」
「そんなこと、どうにでもなるさ、人里の喫茶店は毎月新作ケーキを出すんだから、少なくとも月1回は会えるぜ? 他にもケーキを出せる店はあるしな」
「あんまり理由になってない気もするけど……」
「わたしだって、何の理由もなくアリスや霊夢の家に行ってるからな。友人だったら、それくらいは問題ないさ」
「あんたの性格の気楽さは、本当にうらやましいわ」
「アリスだってできるさ。とりあえず、来週以降も妖夢と会えるように、頑張るんだな。こいつは餞別だぜ。わたしは来週は邪魔しないからな」
言いながら魔理沙が取り出したのは、クッキーの箱だった。
魔理沙がこんなものを持ってくるなんて、明日は赤い雪でも降るかもしれない。
「ハチミツたっぷりのクッキーだぜ。妖夢はハチミツが好きだからな。お礼はさっき言った通り、今日の夕飯でいいぜ?」
「ほんと、調子いいんだから」
ため息をつきながら、アリスは椅子から立ち上がる。
和食にする気は起きないけれども、リゾットとかオムライスとか、米を使った洋食くらいはつくってあげようと思う。
当たり前のように安楽椅子に座って魔導書を読み始める魔理沙を横目に、アリスは夕飯の支度を始めた。
「妖夢とアリス、記事になっちゃったわね」
夜の屋台で、美鈴が言った。今日の屋台には、妖夢と美鈴しか来ていない。
「まぁ、文々。新聞ですし、誰も本気にはしないですよ」
「でも、当分は騒がれるんじゃない? こういう話題はみんな好きだし」
「わたしとアリスがつき合うなんて、誰も思わないですよ、もっとお似合いな方がたくさんいますし」
「そう? わたしは妖夢とアリスは結構お似合いだと思うけどなぁ。雰囲気とか性格とか、似てるところがあるし」
「見た目がぜんぜん違いますから。アリス、大人びてるのに可愛いですし」
アリスとは、話ができる仲になれただけで十分。服まで作ってもらえることになったので、出来すぎなくらいだ。
「でも、もしアリスから告白されたらつき合うんでしょ?」
「アリスに告白されて、つき合わない人なんていないですよ」
「わたしだったら、アリスとはつき合わないけど」
「美鈴は、もうつき合ってるからですよ」
妖夢は、自分がアリスとつき合ってるところが想像できない。
自分よりも性格がよくて、可愛い子なんて、いくらでもいる。たとえば、魔理沙なんかはアリスにお似合いだと思う。
来週洋服を取りに行けば、もうアリスの家に行く機会もない。
「仕方ないですよね……」
妖夢はポツリとつぶやく。
その声は美鈴の耳にも届いていたが、美鈴が言葉を返すことはなかった。
☆☆☆
前に会ってからちょうど一週間後の水曜日。
キュッと黒色のリボンを蝶結びにして、アリスは作品を完成させた。 白に一滴だけピンクを混ぜたような色のシャツに、濃い緑色のスカート。細い黒のリボンとピンクのカーディガン。妖夢に言われた通り、フリルは控えめにしてある。それでも地味に映らないのは、元の素材がいいからだろう。
「ちゃんと似合ってますか? 洋服の方に着せられていないか心配なんですけど」
スカートに手をやって押さえながら、全身鏡の前でくるっと1回転する。落ち着いているのに、どこか華のある仕草は、いつかは自動人形にあんな動きをさせたいと思った。
「よく似合ってるわ。わたしもたくさん洋服を作ってるけれども、今回は会心の出来だったの」
「アリスの会心をもらえるなんて、わたしは幸せ者ですね」
「妖夢のために作ったから、上手く出来た気もするんだけどね」
「この洋服、本当に大切にします」
ギュッと副の裾を握りしめて、妖夢は言った。
あとは一緒にお茶をすればおしまい。
このまま、何もしなければ。
そこで改めて自分が作った洋服を着た妖夢を見た。
たしかに、今の妖夢は綺麗だし可愛い。でも、まだまだ作ってあげたい洋服がある。妖夢と話すきっかけになった少女小説にでてきたドレスとか。
だから、今はまだ、自分の気持ちに正直になれないけれども。
「ねぇ、妖夢」
少し震えた声で名前を呼びかける。
「どうかしましたか?」
「その……ね。今日で洋服完成しちゃったでしょ。でもわたし、妖夢とお茶してる時間、好きなのよね」
本当は、もう少し遠回しに言うつもりだったのに。
自分で言った言葉なのに、まったく予定外になってしまった。
もう、引きさがれないが。
「それでね」
何も言わない妖夢に言葉を続ける。少しでも、自分の感情に正直になって。
「また、うちでお茶をしていって欲しいの。あと、人里にケーキを食べに行ったりとか。ダメかしら?」
そこまで言い終わった瞬間、アリスは後悔した。
ぜんぜん、言いたいことを言うことができなかった。
それに、「ダメかしら?」という言い方も最悪。まるで強要してるみたいだ。
それから妖夢が口を開くまで、数秒の間があった。
その時間はアリスにとって、時が止まったと思うほどだった。
「わたしでよければ……、喜んで」
アリスは妖夢の言葉の意味をすぐには理解できなかった。
目の前には桜の花が咲くように微笑み、顔をわずかに紅潮させた妖夢。
妖夢は、アリスの申し出を受け入れてくれたのだ。
「ありがとう」
アリスの口から出たのは、その言葉だけだった。
今日が終わっても、またこうして妖夢と会うことができる。
アリスは妖夢の腰に手を当てて、軽く抱きしめた。「ありがとう」の言葉だけでは、気持ちを表現しきれなかった。
「アリス、幽々子様みたい」
クスッと笑って言う妖夢は、アリスの行動の意味を理解していないだろう。
でも今はそれでいい。
今はまだ、自分の本当の気持ちと向き合うことはできていないから。
「今日も、とっておきを用意したから、お茶にしましょ」
妖夢を離す前にギュッと抱きしめると、ふんわりとハチミツの香りが舞う。
冬の日差しが差し込む部屋で、3度目の水曜日のお茶会が始まる。
白玉楼の炬燵に肩まで埋もれて暖をとっていると、後ろから幽々子に抱きしめられた。いつも通り桜の模様を散らした着物の上に、半纏を羽織った幽々子はさらに、妖夢のうなじに顔を埋める。
「幽々子様、もうおやつの時間は過ぎてますよ?」
「違うわよー。出かける前に、妖夢を補給してるだけよ」
「わたしを補給って何ですか。というより、これから出かけるというのは?」
「紫のところに行くのよ。だから、今日は好きにしてくれて構わないわ。帰ってくるのは明日ね」
「本当に仲がよろしいんですね」
「妖夢にも、早くそういう相手ができるといいんだけどね」
「わっ! 幽々子様!」
妖夢は突然肩を押され仰向けに倒された。頭を幽々子の膝に乗せたいわゆる膝枕という姿勢だ。抱きしめられたり、膝枕されたりは、しょっちゅうなので、妖夢にしてみれば何ともないことなのだが。
「ほーんと、こんな可愛いのに誰も手を出さないなんて不思議よねー」
妖夢を見下ろしながら幽々子が言う。
「わたしより可愛らしい方なんて、幻想郷にはたくさんいますよ」
「そりゃ可愛い子もいるけど、妖夢だって十分可愛いわ。もしわたしが小さくて、妖夢に告白されたら、絶対許しちゃうかも」
「それは幽々子様だからですよ」
「でも、妖夢が誰かと一緒になったところは見てみたいわ。婿さんでも嫁さんでも、絶対つれてくるのよ。歌の一つも詠めないなら、あげないんだから」
「幽々子様のお目にかなう歌なんてそうそう詠めないですよ……」
「冗談よ。それじゃあ、わたしは行ってくるわ。妖夢はお酒かしら?」
軽く頭を撫でながら幽々子に言われ、妖夢は返す言葉がない。ミスティアのところに飲みにいこうと思っていたのだ。
「飲み過ぎだけは気をつけてね。妖夢には関係ない話だと思うけど」
「幽々子様もお気をつけて」
バツが悪そうにしていると、幽々子は静かに妖夢の頭から膝をどけて、静かに部屋から出て行ってしまった。
時間は火曜の午後4時。まだ飲みに行くにはちょっと早い。
けれども、今日は午前中から博麗神社で用事も済ませたし、今から飲んでも罰は当たらない気もする……。
しばらく葛藤したあと、妖夢はあと30分したら出かけることにした。
飲みに行くだけだが、多少は準備をする。ほんの薄く化粧をし、お気に入りのハチミツの香水をつけ、白いマフラーを首にまく。全部の準備にかかったのは、20分だった。
「10分くらいは誤差よね。戸締まりをしないといけないし」
妖夢は適当に言い訳をして鍵を確認して家をでる。
白玉楼を出た時点でお酒好きな妖夢の頭の中は、「今日のお通しは何だろう?」しかなくなっていた。
☆☆☆
「あ、ちょうどよかった」
作りすぎてしまったシュークリームを博麗神社に届けにきたところで、霊夢から飛んできたのはその一言だった。嫌な予感がするが、もう遅い。アリスはすでに博麗神社の中だ。この状況で、霊夢から逃げきるのは容易ではない。
「一応先に言っておくわ。宴会の手伝いなら嫌よ」
炬燵でぬくぬくしている霊夢に向けて言い放つ。
「今回はそうじゃないのよ」
「違うの?」
「また手伝ってもらうつもりだけどね。嫌なら実力行使で」
「拒否権を行使させてもらうわ」
言いながら霊夢の向かいの位置で炬燵に潜り込む。暖炉の暖かさの方が好きだが、炬燵の暖かさには不思議な魔力がある。
「まぁ、その話は置いといて。用件なんだけど、この本をミスティアの屋台に届けて欲しいのよね」
霊夢が炬燵の中から取り出したのは、文庫サイズの本だった。まだ行くと決めたわけではないが、本を受け取ってパラパラとめくる。内容は労働者の貴族の身分違いの恋いを書いた少女小説。ところどころのページにはイラストが入っている。
「誰の趣味? ミスティアが読むようには思えないんだけど」
アリスは霊夢に聞いた。こんな少女趣味な本を読む知り合いはいない。もしいるなら、凄く気になる。それに、イラストの少女が着ているドレスも好みだった。この本の持ち主がそういう趣味なら、作ってあげたいくらいだ。
「それ、妖夢の本なの」
「妖夢? あの、白玉楼の?」
「その妖夢よ」
幽々子の従者である妖夢。宴会でしか見た記憶はない。たしか銀色の髪が印象的な、ちょっと幼く見える少女だった気がする。綺麗というよりは可愛い感じだっただろうか。そんな子が少女趣味な服に興味をもっているなら、作って着せてみたい。
でも、アリスにはまだ疑問があった。
「どうして、妖夢に届けるのにミスティアの屋台なのよ?」
「たぶん今日は屋台にいるから。紫が幽々子と会うって言ってたから、お酒好きな妖夢は、屋台に行くはず」
「屋台なら、霊夢が自分で行けばいいじゃない。霊夢もお酒好きなんだし」
アリスはお酒が嫌いなわけではないが、好きなわけでもない。強くもないので、つきあいに飲む程度だ。
「だってこのあと……、来るんだもん」
何かしら屁理屈が帰ってくると思っていたが、霊夢の答えは意外なものだった。霊夢は恥ずかしかったのか、炬燵布団に顔を埋めている。
その様子でアリスはすべてを悟った。
「はいはい、ごちそうさまです」
アリスは少し嫌みを混ぜて言うが、霊夢はひたすら顔を赤くするだけだった。
文々。新聞カップルランキング1位、霊夢×パチュリー。
問答無用で誰もが認めているカップルだ。
こんな日に博麗神社を訪れてしまったのが運の尽き。まだ時間が早いので、妖夢の少女小説を読んでから、屋台に向かうことにする。
小説はイラスト以外もアリスの趣味に合っていた。そのせいで博麗神社を出るのが遅くなったアリスは、少女小説以上に甘ったるいシーンを、霊夢とパチュリーから見せられるのだった。
☆☆☆
「あ、久しぶりですね、アリスさん」
アリスが屋台に入ると、ミスティアが声をかけてきた。前にこの店に来たのは3ヶ月くらい前なのに、まだ覚えていてくれたらしい。
「ちょっと用事があってね」
それだけ言って狭い店内を見渡すと、目的の人物はすぐに見つかった。妖夢は美鈴と並んでお酒を飲んでいた。まだたいして飲んでいないのか、透き通るように白い頬をしている。
「妖夢、これ、霊夢からの届け物」
言いながらアリスは妖夢に本を渡す。
「すいません。博麗神社に落としちゃってたんですか。でもどうしてアリスが?」
「立ち話なんかしないで座ったら?」
「あ、そうですね。せっかくですし、ゆっくりしましょうよ」
美鈴と妖夢に促されて、アリスは妖夢の左側の席に座る。ミスティアに「飲み物はどうしますか?」と尋ねられたので、カシスオレンジにした。
「アリスって、見た目通りのお酒ね」
「カシオレが?」
「なんか可愛い女の子が頼むお酒って感じで」
会って早々に「可愛い」って言われるなんて……。それなりに見た目とかは意識している方で、できれば「可愛い」と思われたいけれども、何のためらいもなく言われると、くすぐったいような気持ちになる。
それに、隣に座ってはっきりわかったが。
「妖夢だって十分可愛いじゃない」
両手でグラスを持ってお酒を飲んでいる妖夢は、花のように可憐な少女だった。記憶通りの銀髪で、レースの布がついたお洒落なカチューシャが乗っている。
「わたしは、こんなお酒ですからね。アリスと違って」
「それ、何飲んでるの?」
「レモンハイです。そんなに強くはないですけどね」
「嘘嘘。妖夢のレモンハイは、半端なく強いわよ」
「美鈴だって、日本酒じゃない」
「妖夢ほど飲まないから。アリス、知ってる? 妖夢のレモンハイ、ウォッカと炭酸水が半々くらいなのよ?」
「え、それホント?」
「まぁ……。それくらいが美味しいので……」
アリスが聞くと、妖夢は気まずそうに答える。
どうやら、妖夢が酒好きという霊夢の話は本当らしい。
「それで、わたしの本をアリスが持ってきたのは?」
「あ、そのことね。霊夢が博麗神社を離れられなかっただけよ」
ミスティアが作ってくれたカシスオレンジを一口飲みながら伝える。口当たりが良くて飲みやすいけれども、強めに作ってあった。ゆっくり飲まないと、潰れてしまうかもしれない。
「霊夢が離れられないって異変とか? まさか参拝客がいっぱいなんてあり得ないですし」
「パチュリーよ、パチュリー。出てくるタイミング逃して、思いっきり甘ったるい空気吸っちゃった」
「あー、そのパターンですか。あそこの2人は、そろそろ結婚でもするべきだと思いますけどね。神社で神前婚で」
「本当よねー。さすがランキング1位」
「ここに2位と5位もいますけどね」
「やめてよ、それは」
妖夢の隣で美鈴がため息をつきながら手を振る。
文々。新聞で行われているカップルランキングは、累積の投票数で決まる。一度投票した読者も、1ヶ月後にはまた投票する権利を得られる仕組みになっている。そして、現在のランキングは、
1位 霊夢×パチュリー
2位 美鈴×レミリア
3位 輝夜×妹紅
4位 衣玖×天子
5位 咲夜×美鈴
となっている。ちなみに、前後の順番に深い意味はない。
「正直、付き合うとかって、よくわからないですよね」
「そうなの? 妖夢はてっきり興味があるのかと思ってたけど」
「まったくない、って言ったら嘘になりますけどね」
「少女小説読んでるのに?」
「アリス、あの本読んだの?」
「まぁ、暇だったし……」
本当はちょっと読み始めたら、自分の趣味にピッタリはまっていて、夢中になってしまった。なんて、口が裂けても言えない。
「少女小説って、いいですよね。現実ではあり得ないですけど」
「妖夢なら、少女小説はともかく、恋人を作ることくらいならできるんじゃない? 可愛いんだし」
「こんな飲兵衛、誰がもらってくれるんですか。それに可愛いのは、アリスみたいな人ですよ。お酒も可愛いですし」
「わたしはそこまでじゃないわよ」
「もしわたしがアリスに告白されたら、3秒でOKしますよ」
「ぷっ」
妖夢の奥で、美鈴が吹き出しそうになっている。
この娘は天然なのだろうか? それとも口説きにきているのだろうか?
今のアリスにはわからない。
冷静になろうと思って残っていたカシスオレンジを飲み干してから妖夢の方をこっそりと覗くと、ばっちり目があってしまった。
銀色の髪だから、瞳は自分と同じ碧かと思ったら、黒曜石のような黒だった。
真っ直ぐ見つめられていると、酔いがまわるのが早くなって、顔が熱くなってくる気がする。さらに、妖夢の方から甘い香りもする。
「よ、妖夢って香水つけてる?」
「あ、キツかったですか? 少しだけつけてるんですけど」
動揺しながら尋ねると、妖夢はまったく動じないで答えた。
「大丈夫よ。ハチミツの香水?」
聞きながらも、視線に耐えられなくなって、妖夢から顔をそらす。
「ハチミツのトワレです。コロンも使いますけどね」
「香水でハチミツの香りなんて、珍しいわね」
「ハチミツの香り、好きなんです。食べる方も好きなんですけどね」
そう言って妖夢は無邪気に笑う。今度、妖夢にハチミツを使ったお菓子を作ってあげてもいいかもしれない。スコーンとか、ビスケットとか。
横で見ていると、本当に妖夢はお酒を飲むペースが早かった。一気に飲み干してるというよりは、常に少しずつ飲んでいる感じ。ずっと両手でグラスを持って飲み続けている。けれども、なぜか幼い感じがするのは、顔つきが童顔だからだろうか? さっきお菓子を作ってあげたいと思ったのも、「食べる方も好き」と言ったときの顔が、お菓子をねだる子供のようだったからだ。
なんだか、お菓子を作ってあげたり、服を着せてあげたり、髪をいじってあげたり、世話をしてあげたい少女だ。アリスがそんな感想を抱いていると、目の前にグラスがトンとおかれた。中にはオレンジ色の液体が入っている。
「あちらのお客様からです」
アリスが不思議そうにしていると、ミスティアが妖夢のことを指さす。
「1回やってみたかったんですよね。これは、本のお礼ということで」
グラスを両手で持ったまま小さく微笑む妖夢。まさか、頼まれ事をして、お礼されるなんて思わなかった。妖夢はこの幻想郷では常識人なのだろう。そのぶん苦労も多そうだけど。
氷の入ったグラスに口をつけて、一口飲む。オレンジジュースが入っているけれども、カシスオレンジよりはお酒っぽい感じがする。アルコールもそこそこ入っていそうだ。
「スクリュードライバーです。もし飲めなかったら、代わりに飲むんで遠慮なく言ってくださいね」
「そ、そう。ありがとう。たぶん大丈夫だと思うわ」
妖夢の言葉に。アリスはなんとか返答する。
このまま途中でパスしてしまったら、妖夢と間接キスになってしまう。妖夢はぜんぜん気にしない質なのかもしれないが、アリスは気にする方だ。しかもさっきの言葉を言われたあと。嫌でも意識してしまう。
でも、せっかくもらったのに飲まないわけにもいかない。お人好しなアリスは、妖夢と言葉を交わしながら、少しずつ飲み進めていく。
妖夢のお酒以外の趣味は本を読むことと喫茶店めぐり。人里にある喫茶店で紅茶を飲みながら本を読んでいるときが、一番幸せらしい。人里の、乾物屋の向かいにある喫茶店は、毎月新作のケーキを出しているのだが、すべて食べているそうだ。
アリスの趣味は人形作りや洋服作りなのだが、喫茶店に行ったり、本を読んだりすることも好きだった。妖夢が好きな本の中には、アリスが好きなものも混ざっていたし、お気に入りの喫茶店の話でも盛り上がった。
アリスの趣味である洋服の話でも、人並み以上には興味があるらしく、「元がいいから何を着ても似合うと思うわ」と言うと、ちょっとだけ動揺を見せてくれた。こっちばかり動揺させられていた気がするので、少し嬉しかった。
アルコールも手伝ってか、アリスは長々と妖夢と話し込んでしまった。好みが似ていたので、話題が尽きなかったのだ。
だがこのときアリスは決定的な失敗をしていた。ゆっくりながら、お酒を飲み続けてしまったのだ。妖夢は当然お酒も詳しいので、カルアミルクやアイリッシュウイスキーなど、甘くて飲みやすいお酒をたくさん知っていた。妖夢と話しているうちに気分がよくなってしまったアリスは、いろいろ飲んでしまったのだ。
飲みやすいからといって、弱いとは限らないことを知らずに。
夜の10時過ぎ。アリスは完全に潰れ、屋台で眠ってしまった。
「ちゃんと剣士らしく、お姫様を守るのよ。潰したんだから」
「潰したんじゃないです! わたしは普通に話してただけです!」
「ほらほら、さわぐとアリスが起きるわよ」
妖夢にお姫様抱っこされたアリスが、ぎゅっと妖夢の首を抱きしめる。美鈴が「行った、行った」と追い払うと、妖夢は少し悔しそうな顔をして出ていった。
「酒の勢いにまかせてあがりこむ、っていうのは聞きますけど、あれはどうなるんでしょうか?」
「どうなんだろう? でも、今日はなかなか面白いものが見られたわ」「妖夢さん、あれは狙ってたんですかね?」
ミスティアの言葉に、美鈴は小さく首をふる。
「いや、あれはただの天然でしょ。妖夢、幽々子に絡まれてるからスキンシップとかぜんぜん気にしないし、恋愛方向の常識には疎いのよね。なかなか罪だけれども」
「ということは、美鈴さんは可能性ありと」
「妖夢はわかんないけど、アリスの反応を見るとね。でも、よくよく考えてみたら、今日一番罪なのは妖夢よりミスティアよね」
「わたしですか?」
キョトンとするミスティア。予想通りの反応だけれども。
「だってお酒作ったのミスティアでしょ? スクリュードライバーだって、けっこう濃いし。そのあとも普通に作るし。あれはアリス、絶対潰れるでしょ」
「あ、そのことですか……。それはそうなんですけど、楽しそうじゃないですか……。これから」
あっさりと自分の罪状を認めるミスティア。
まったくこの店主は、とも思うが確かにこれから先は楽しいことになるかもしれない。
単純に2人の関係としても面白いが、美鈴が楽しみなのは、妖夢がどうなるかだ。妖夢は本来はイジられるタイプ。今日アリスに対して一方的に攻撃できたのも、お酒の力が大きいだろう。このあと妖夢とアリスが2人きりになれば、妖夢の方が受けになるような気がする。
アリスもさほど口が巧いわけではないので、ちょうどよいバランスでおさまってしまう可能性も否定できないが。
そしてもう一つ、美鈴にとっては面白いことがある。妖夢は口下手なのでこの屋台ではイジられるのだが、妖夢にとってただ一つ攻撃的になれる話題が、恋愛に関する話題なのだ。誰とも付き合ったことがないし、浮いた話一つないので言いたい放題。美鈴もまったく手が出せない状況だ。
でも、妖夢とアリスが面白いことになれば……。2人の相性が良いことは間違いなさそうなので、可能性も十分あるし。
「ミスティア、やっぱりGJだわ」
美鈴がビシッと親指をたてると、ミスティアも頷いて親指をたてるのだった。
☆☆☆
あれ? ミスティアの屋台で飲んでて、どうしたんだっけ?
自分が倒れていることに気づいたアリスは記憶を遡ろうとするが、大量にアルコールが入った頭はなかなか働いてくれない。
ふらふらして立ち上がらないので、目だけで周囲を確認すれば、パチパチと火の入った暖炉が見える。どうやら、家には帰って来てるようだ。そのことがわかると、また急激に眠気がおそってくる。
ベッドではなくソファーで寝てしまっているが、頭はクッションに乗っているのか柔らかい感覚があるし、ほんのりハチミツの甘い香りもする。
「暖かい……」
アリスは手元にあった抱き枕に頬をこすりつけると、再び夢の世界に旅だっていった。
次にアリスの目が覚めたのは、コンソメの香りに気づいたときだった。カーテンが開かれた窓からは、冬の柔らかな日差しが差し込んでいる。
ところで、アリスはこの家に一人で暮らしているはずである。それなのにコンソメの香りがするというのは……。
「あ、起きた? これ水ね。飲んだ方がいいですよ」
「わっ! 妖夢!?」
「はい、妖夢です」
かけられていた毛布を蹴飛ばして、あわてておき上がる。
必死に辺りを見回せば、周囲は見慣れた自分の家のリビング。テーブルの上には外された赤いカチューシャと水の入ったグラス。
そして、まだ頭の覚醒しきっていないアリスを見下ろす妖夢。
空回りしているような感覚がするが、アリスの頭脳は必死に処理をすすめ、現在の状況をある程度正確に理解する。
整理を終えたアリスが最初にとった行動は身だしなみを整えることだった。必死に服の皺を伸ばし、リボンを結び直す。次に鏡を見ながらブラシで髪を整え、カチューシャをセット。アルコールが残っている気がするので、少しコロンをつけて一時しのぎにする。
「その……、ごめんなさい。昨日は迷惑をかけて」
身だしなみを整えたところで、アリスは妖夢に頭を下げた。詳細はわからないが、妖夢に迷惑をかけたことは間違いない。
「気にしないでください。わたしが飲ませ過ぎてしまったわけですから。こっちが謝らないといけないんです。ほんとすみませんでした」
「ううん。妖夢は悪くないわよ。わたしが、妖夢と話すのが楽しくて、ついつい飲み過ぎちゃっただけだから。それで、申し訳ないんだけど、あのあとどうなったか教えてくれないかしら。ほとんど覚えてなくて……」
「えっと……。とりあえず、朝食でも取りながらにしませんか? それとも先にお風呂入ります?」
「準備してくれてるのよね。先に食べるわ。本当にごめんね」
「いつもやってるので気にしなくて大丈夫ですから。それから、水だけは飲んだ方が楽になりますよ」
そこまで言うと、妖夢はキッチンに戻っていく。
妖夢に言われたとおり、水を飲むと少し気分がよくなった。
幽々子の世話をしているだけあって妖夢は料理上手のようだ。ソファーに座って昨晩のことを思い出しながら待っていると、トーストやベーコンの焼ける香りがしてくる。
ほんの10分で出来上がったのは、グリーンサラダとコンソメスープ、マスタードを塗ったパンにベーコンを挟んだだけの簡単なサンドイッチだった。
「ちょっと重たいけれど、昨日の夜あんまり食べてなかったみたいだから、しっかり目ね」
妖夢に言われた通り、昨日の夕飯はあまり食べていなかった。おしゃべりに夢中になり、飲むだけで食べる方がおろそかになってしまったのだ。
「妖夢って、予想通り料理上手ね」
自作のドレッシングがかかったサラダを食べながら、アリスは言った。レモンの果汁にオリーブオイルとスパイスを足して、塩と胡椒をしただけのドレッシングだが、バランスが取れていて美味しい。
「わたしの仕事なんて、ほとんど料理ですからね」
「やっぱり幽々子って、食べる量が多いんだ」
「多いですね。作っても作ってもなくなっちゃいます」
「でも、料理が趣味ってわけじゃないんだ」
「そうですね。嫌いじゃないですけど、本を呼んだり、ケーキを食べてるときの方が幸せですね」
言いながら妖夢はいたずらっぽく笑う。
「意外よね。妖夢の趣味が読書とかなんて。やっぱり従者のイメージが強いし」
「アリスはわたしにどんな印象を持っていたんですか?」
「どんなって言われても……」
妖夢と話したのは昨日が初めてだった。だから、それまでのイメージは人並みにしか持っていない。
昨日が初めてなのに、今もこんなゆっくりと話せているのは、それなりに妖夢との相性が良いからだと思うけど。
「基本的には、やっぱり幽々子の世話ね。あとは剣を振ってたり」
「まぁ、間違いではないですけど、それだけではないですね」
アリスの言葉に妖夢は少し苦笑いする。
そのあと妖夢は一口スープを飲んでから、
「でもアリスだって、『人形と洋服を作って魔法の研究をして』だけじゃないでしょ?」
と、逆に尋ねてきた。
「確かにそうね。人形作り、洋服作り、魔法の研究をしてるのは嘘じゃないけれど、それだけではないわね」
「やっぱりそうですよね。同じことばっかりやってたら疲れてしまいますし」
「妖夢もそうなの?」
「当たり前ですよ。最低限やらなくちゃいけない剣の修行は毎日しますけど、それ以上はやったりやらなかったりです」
「なんか人間らしいわね」
「半分人間ですからね」
「わたしも元は人間だからね。なんとなくわかるわ」
妖夢と話していると会話がどんどん転がっていく。そのリズムが心地よい。
それは、たぶん妖夢が普通だからだと思う。
アリスの周りには極端な相手が多い。
霊夢は博麗の役割を全うしようとしているし、パチュリーも魔法に全てを賭けているので、どこか達観しているところがある。だから、あの2人がくっついたのは納得できる。
魔理沙はまだ人間味があるが、霊夢との関係や自信の過去から、歪みを感じてしまう。
そんな3人を見ていると、自分がひどく幼く見えてしまうのだ。だから、いつまでも追いつけないのかもしれないけど……。でも、どうしようもない。あの3人のような生き方は、自分にはできない。
それに比べれば、妖夢には人間味がある。もしかしたら、薄暗い過去が隠れているのかもしれないが、今のところは感じられない。だから、できれば妖夢とは親しい関係になりたいと思う。
「それで昨日の夜のことなんだけど……」
一通り食べ終え、妖夢が淹れてくれたコーヒー(これももちろん美味しかった)を飲みながら、アリスは妖夢に尋ねた。
「えっと、どこまで覚えてますか?」
「わたしの記憶は、屋台の中で途切れてるわ」
「本当、その件に関しては申し訳ないんですが……。えっと、話は単純で、寝てしまったアリスを抱き上げて、ここまで運んだだけです」
「抱き上げるって、あの抱き上げる?」
「はい。その抱き上げるです」
妖夢は身振りで抱き上げる仕草をする。その抱き上げ方は、どう見てもお姫様抱っこというやつだった。これは、もうダメかもしれない。
「それだけ?」
「外ではそれだけですね。あとは勝手に寝室まで入るのは気が引けるので、ソファーに寝かせたんですけど……。アリスが『あったかーい』って猫撫で声を出しながら、わたしを抱き枕にしてきたので、そのまま朝までわたしもソファーにいました」
これは完全に終わった。もうダメだ。
妖夢は「猫撫で声のアリス、可愛かったですよ」とか言っているが、そういう問題じゃない。これは自分が首吊り人形になるしかない。
「もうダメだぁ…………」
アリスはがっくりとうなだれて頭を抱える。
確かに普通の状況だったら、終わりだ。ところが今回は、相手が普通じゃなかった。
「ダメって、どうかしました? わたしなんかしょっちゅうですけど?」
「はい!?」
妖夢の発言に、アリスは裏返った甲高い声をだしてしまった。恥ずかしさやら混乱やらで、頭の中はメチャクチャになっている。
「幽々子様はよくわたしのことを抱き枕にしてますし、わたしも良く幽々子様の膝に頭乗せてますし。わたしが頭を乗せるのは湯たんぽ代わりらしいですけど」
「湯たんぽ?」
「幽々子様は幽霊なので、わたしよりも体温が低いらしいんです。だからちょうどいい湯たんぽになるらしくて」
「じゃあ、妖夢は何も気にしてないってこと?」
「気にするって、何をですか?」
「……」
こっちはこんなに恥ずかしい思いをしてるのに、妖夢は何も感じてないらしい。こんなこと口には出せないが、どこか理不尽だ。
「抱き上げたこととかもあるの?」
「こんな長い距離を運んだのは初めてですけど、炬燵で寝てしまった幽々子様を運んだことは何回もありますよ? 咲夜もレミリアやフランドールを運んでるって、言ってましたし」
「ねぇ。少女小説で抱き上げるシーンを見るとき、どう思った?」
「わたしは誰かを好きになったことがないので分からないですけど、そこまで恥ずかしいことでもないと思いますね。仕方ない状況も多いですし」
この娘は少女小説から何を学んでいるんだろう?
妖夢の持っている常識は今のうちに矯正しないとマズいような気がする。
けれども、自分が矯正しなくても、他の誰かが教えてあげるだろう。 そう思ったとき、アリスの中でチクリと胸が痛んだ。
誰かが妖夢に教える? 自分が感じた感情を?
そんなことは、認めたくない。
わたしが妖夢に教えてあげたい。
自分が感じた感情。つまり……。
そこでアリスの思考は止まった。
自分が妖夢に対して抱いた感情。それはたぶん……。
「アリス? どうしたの?」
妖夢が小首をかしげてアリスを見つめる。
「ううん! なんでもないの! ちょっとボーッとしてただけ」
「本当に大丈夫?」
「平気よ平気。そういえば、妖夢が読んでた少女小説なんだけど」
「あ、あの本ですか? すごくいいですよね!」
妖夢が立ち上がって、手荷物から本を探している。
うん、やっぱり反応が分かりやすくて可愛い。
だから、仲良くなれればいいと思う。
できれば霊夢と魔理沙のように。
つまり、親友だ。
それで間違いないはず。
「この本ですよね。読んだんですか?」
「読んだわよ。それでね」
さっきまでの考えごとは別の場所に入れて、一度蓋をしめる。
それから本を受けとり、適当にページを開くと、綺麗なドレスを着た少女のイラストがあるページが開いた。
「妖夢、このドレス、気になるの?」
「えっ! まさか。そんなことないですよ!」
アリスが尋ねると、妖夢は面白いほどの反応を示した。ピクンと体が跳ね上がり、必死に両手を振って、事実でないことをアピールする。
けれどもまったく説得力がない。
気持ちはわからなくもないけれど。本にでてくる洋服が気になるなんて、恥ずかしいだろうし。個人的には似合うと思うけど。
「このドレスのページ、癖がついてて開きやすくなってるのよね。わたしも本は良く読むからわかるんだけれど、こうなるのは、しょっちゅう開くページだから」
アリスが見せびらかすように開いたり閉じたりを繰り返す。たまに違うページが開くこともあったが、ほとんどはドレスのページだった。
「それは、保存するときにずっとそこに栞を入れていただけですよ。何回も見たからじゃないですから。ははは……」
意味のわからない笑い方をする妖夢。もう肯定しているようなものだ。
ちなみにそのドレスは、ベイビーピンクでフリルをふんだんに使ったドレス。フリルたっぷりの服が好きな魔理沙だって、恥ずかしがって着ないだろう。でも、わたしとしてはやっぱり妖夢に着せてみたい。
「このあと、採寸してもいい?」
「採寸って!? アリス、二日酔いじゃないの?」
「酔ってないわよ。いろいろお世話になったし、妖夢が好みの服、一着作ってあげる」
「そんなの申し訳ないですよ! わたしが潰しちゃったのが悪いんで、気を使っていただかなくても」
「じゃあ潰した罰ってことで」
「その言い方はズルいです」
ハの字に眉を下げて困った顔をする妖夢。
たしかにこの言い方はズルい。今回の件に関しては、自制が聞かなかった自分にも非があるわけだし。
でも、だからこそ妖夢にお礼がしたい。
「じゃあ、とりあえず妖夢の希望する服を作ってあげる。これは素直にお礼ってことで」
「お礼ですか? 本当にわたしが飲ませすぎただけですから」
「まぁ、わたしの気持ちってことで、受け取ってちょうだい。もちろん、そのうち小説のドレスも作ってあげたいと思ってるけどね」
軽くウィンクして、妖夢に微笑む。
「アリスがそこまで言うなら……。ちゃんと可愛い服にしてくださいね」
「それは任せてちょうだい」
元がいいから、ふつうの服を作れば、それだけで可愛くなるはずだ。
「ねぇ、フリルどれくらいつけていい?」
「ふつうに外に出られるくらいの量にしてくださいよ……」
あきれたように言う妖夢を横目で見ながら、頭の中でコーディネートを決めていく。
派手にしようとするアリスと、抑えようとする妖夢の攻防は、お茶会をしながらの戦いとなり、雑談も交えつつ最終的な決着がついたのは3時間後のことだった。
☆☆☆
妖夢と洋服の相談をしてからちょうど1週間後の水曜日。今日は仮合わせの日だ。
お茶が好きな妖夢のためにちょっといい紅茶を用意し、ケーキも準備して完璧。と思ったのだが……。
「なんであんたがいるのよ」
「世の中には、偶然ってものがあるんだぜ」
「嫌な偶然ね」
アリスは勝手に家にあがりこんでいた魔理沙をジッとにらんだ。
この野良魔法使いは、勝手に家に入ってきては、お茶と菓子を要求して帰っていく。
もっとも同じ魔法の森の住人で、少なからず協力をしている仲なので、そこまで嫌っているわけでもないのだが、今日に限っては「なんでこんな日に……」と思ってしまった。
「勝手な勘だが、今日は良い茶菓子がありそうな気がしてな」
「お菓子だけで来たの?」
「あと、お前にお届け物だ。霧雨速達便のお届けだぜ」
言いながら、魔理沙が新聞を放り投げる
「なっ! なによこの新聞!」
「いつも通りの文々。新聞だぜ? 珍しくおもしろい内容だから、鍋敷きにしないですみそうだ」
「こんなの鍋敷きで十分よ!」
文々。新聞の表紙には、妖夢に抱かれて眠っているアリスの写真がのっていた。新聞を見ているだけで、顔に血が上ってくる。もともと思い出すだけで恥ずかしいと思っていたのに、こんな写真を撮られてたなんて。
「もう手遅れだぜ? 幻想郷中に新聞は出回っているだろうし。七十五日は噂が続くのを覚悟するしかないな」
「うわ…………。死にたいかも」
「ま、妖夢とつき合えば噂じゃなくて、ただの事実になるけどな!」
魔理沙の爆弾発言に、アリスは全身の血が沸騰したような気がした。
「つ、つき合うって、わたしと妖夢はそんな関係じゃないわよ!」
「冗談で言ったんだが、その反応なら面白いことが起こる可能性はありそうだな。頑張ってわたしたちに面白いネタを提供してくれ」
「別にそんなつもりはないってば」
「じゃあ、なんも考えてないのかよ? こんな写真も撮られて」
なんにも考えていないわけがない。
ちょっと高くて可愛い声や、香水の匂いがばっちりアリスの記憶に残ってしまい、1週間の間で何回も考えることがあった。特にハチミツの香水は重傷で、ハチミツの香りだけで妖夢のことを思い出してしまう。 でも、妖夢のことを考えるのは決して嫌ではなかった。むしろ考えているときが一番幸せだった気がする。その証拠に、まだ仮縫いの段階だけれども、今回の洋服は会心の出来になると確信している。
「おーい、待ち人が来たみたいだぜ。わざわざノックするなんて、あいつも律儀な奴だな」
アリスが一人物思いにふけっていると、魔理沙の声が響く。
「あんたがガサツすぎるだけでしょうが」
魔理沙に一言グチを言ってから、扉をあけに玄関に向かう。
「いらっしゃい、妖夢」
「ありがとう、アリス」
アリスが玄関の扉を開くと、妖夢はふわりと笑った。わりと童顔なのに、こういう笑みを浮かべると大人っぽくみえる。
「とりあえず、あがってちょうだい。靴は脱がなくていいから、実はお邪魔虫が1人来ちゃってるけど、気にしなくていいから」
「お邪魔虫ですか?」
革靴の踵をならしながら後をついてくる妖夢が不思議そうに小首をかしげる。
「お、本当に妖夢が来た」
アリスが妖夢を連れて戻ってくると、魔理沙は安楽椅子に座って魔導書を開いていた。
「お邪魔虫って、魔理沙のことだったんですね」
「そうよ。勝手に入ってきてね。本当、嫌になっちゃう」
「でもいいじゃないですか。気軽に入れる仲なんて、腐れ縁みたいで」
「ホント腐れ縁だけどね。大して嬉しくないけど」
魔理沙との仲も腐れ縁。お互いにさほど気にしないで、会ったりできる仲。さすがに霊夢と魔理沙の関係ほど深くはないが、それなりに親しいと言える関係ではあると思う。
「というわけで、そんな魔理沙さんに紅茶のお代わりをいれてくれ」
「あんたみたいな奴に、2杯目の紅茶はないわ」
「でも、妖夢には用意するんだろ?」
「当たり前じゃない。とりあえず、お茶にする?」
「あの……、できれば先に洋服を合わせちゃいたいんですけど……」
「いいけど、どうして?」
アリスが聞くと、妖夢がそっと歩みよってくる。距離が近づいたので、ハチミツの香りが届いてきて、鼓動が早くなるのを感じる。さらに妖夢は、ちょっと背伸びをして耳打ちをしてきた。
「お菓子を食べると、お腹とか出ちゃいそうなので。持ってきたのスコーンですし」
妖夢の吐息が耳にかかって、背筋がゾクリとした。視界の隅にニヤニヤとした笑みを浮かべる魔理沙が映り込むが、今は相手にしてられない。
「えっと……、そうね。それなら先にやっちゃいましょ。スコーンはテーブルの上に置いてくれればいいから」
かろうじてそれだけ言うと、アリスは衣装部屋に早足で駆け込んだ。
「はぁ……、びっくりした」
いきなりの妖夢の行動に、アリスはペタンと座りこんでため息をつく。単純にアリスは耳が苦手なので、そのせいもあるだろうが、ここまで力が抜けてしまうのは、それだけが原因ではないだろう。
もうちょっと、考えればその理由はわかる気がする。けれども、心の何かが理解することを拒んでいる。
ここまで感情を処理することができなくなってしまうのは、アリスにとって初めての経験だった。
「そろそろ行かないと……」
いつまでも衣装部屋に籠もっているわけにもいかないので、アリスはふらつきながらも立ち上がって、妖夢のために作った洋服をもってリビングに向かう。
「なかなか可愛い服じゃないか」
アリスが服を持っていくと先に反応したのは魔理沙だった。
魔理沙は男言葉を話すし、性格もちょっと雑なところがあるけど、可愛い物に対する反応は、敏感な方だと思う。妖夢の方は特に大きな反応を示さなかったが、少しソワソワしているあたり、悪い印象はなさそうだ。
「まだ仮止めだし、まち針がついてるところもあるから気をつけて着てね。もし着られなかったら手伝うから」
妖夢に服をわたすと、恥ずかしそうにしながら、別の部屋に消えていく。
それから5分くらいしてから、着替え終わった妖夢は戻ってきた。
「どうでしょうか?」
アリスが作った服は基本的には妖夢がいつも着ている服を基調としたもの。下のシャツは、白に一滴だけピンクを足したような色にして、襟や袖にフリルをつけ、ボタンの周りにも少しだけフリルをつけている。
スカートは膝下の長さで濃いめの緑色。裾からもシャツと同じ色のフリルを覗かせ、アクセントに黒をいれてある。
上もいつも通り緑色のベストの予定だったのだが……。
「よく似合ってるけど、なんかいつも通りだな」
「やっぱりそうよねぇ。サイズとかは大丈夫?」
「大きさは大丈夫です。服が可愛いので、なんだか着せられてる気分ですけど」
「ちょっとさわるわね」
服をあちこち確認して、変に張っているところがないか確認する。それから、リボンを数本もってきて、妖夢の胸元に合わせていく。
「やっぱり黒かしらね。なんか、この服だといつものイメージを崩すのが大変ね」
「今回ばかりは、アリスのフリルを増やしたいっていう意見に同意だな。あとはスカートに段をつけてみるとか」
「そんなことしたら、本当に外出られないですよ」
3人で相談しながら、妖夢のコーディネートをしていく。
シャツとスカートはそのままでいいとして問題は上。
いろいろ話した結果、上は濃いめのピンクのカーディガンにして、胸元には、黒地に白の文字が入ったリボンを結ぶことにした。
でも、本音としては。
「妖夢、本当にもう少しフリル増やしちゃだめ?」
「これ以上は本当に無理ですって!」
「なんか、そういう反応をされると、余計につけたくならないか?」
「たしかに」
胸の前で腕をクロスさせて必死に自分の身を守ろうとする妖夢。けれども、アリスから借りているカーディガンを着ているので、体格の差で袖が余り、手を隠してしまっている。そんな状態で抵抗しても、可愛さが増えてよりフリルをつけたくなるだけだ。
でも、さすがにここまで抵抗されては、アリスでも付け足すことはできない。
「仕方ないけど、今回はこれくらいかしらね。もう、今日は脱いじゃっていいわ。来週また同じ日に来てくれれば、できてるから」
「わかりました。楽しみにしてますね。本当に、フリル増やすのはやめてくださいよ」
「そこまで言わなくても……」
妖夢が着替えに行くのを見送り、アリスは小物を片づけながら、次に妖夢に着せる服を考える。
今度はどんな感じの服にしようか?
そのことを考えたとき、アリスの中に1つの疑問が浮かんだ。
「次、どうすればいいんだろう」
「ん? アリスなんか言ったか?」
「ううん。なんでもない」
ぽつんとつぶやいた言葉は魔理沙には届かず、誰の耳にも入らない言葉になる。
妖夢が次にやってくるのは1週間後の水曜日。
けれどもその次に妖夢と会うのは?
どんな理由をつけて服をつくればいいのだろう。このままでは、何も理由がないし。まさか、また屋台でつぶれるわけにもいかないし。
今日はこのあとお茶をしながら話せるし、来週もまだ話すことができるけど。
次は……。
「あのー、服、脱ぎました」
「あ、大丈夫だった?」
「はい。気をつけて着替えたので。それより、アリスの方が大丈夫?」
「わたし? どうして?」
「ちょっと、ぼんやりしてるから。服を作るときに、無茶とかしてないかなって」
「服は結構前からできてたから大丈夫よ。少し考えごとをしてただけ。それよりお茶にしましょ。とっておきの紅茶を用意したから」
「わたしも手伝いますね」
アリスが服を戻している間に、妖夢がお湯を沸かしてカップやポットを温め始める。キッチンに入ったアリスは、妖夢が焼いてきてくれたスコーンを温め直し、ケーキを切り分けた。
魔理沙も混ざった3人でのお茶会は思ったよりも楽しかった。交友範囲の広い魔理沙は、妖夢についてもよく知っていた。紅茶はストレート好みで、ケーキはチョコレート系が好物。友人関係は霊夢や魔理沙以外にも、咲夜、鈴仙といった従者たちと仲がよいらしい。美鈴は飲み仲間だそうだ。
「でも、ついに妖夢もアリスの着せかえ人形か」
アリスの正面に座った魔理沙がいった。アリスは以前寝かされていたソファーに妖夢と並んで座っている。
「着せかえ人形?」
「アリスの趣味は洋服作りだからな。よく洋服を押しつけてるんだ」
「そんな強引なことはしてないわよ。ちゃんと頼んでるわ」
「無理矢理霊夢に着せかえをしようとしたのは、どこのどいつだっけ? 結果は針山だったが」
「あぁぁ。南無です」
妖夢がアリスに向けて合掌をする。
だって仕方ないじゃない。霊夢は黙っていれば可愛いんだから。
「でも、アリスでも引き下がらないときってあるんですね。ちょっと意外です」
「むしろ引き下がるときの方が珍しいんだけどな。今日は引き下がったから、驚いたぜ」
「わたしら魔理沙や霊夢と違って、そんなに可愛くないですから」
「妖夢だって、子供っぽくて十分可愛いだろ。少なくとも霊夢よりは。霊夢は可愛げがなさすぎる」
「子供っぽいっていうのは聞き捨てなりませんが……。霊夢って、気まぐれな猫みたいで可愛いと思いますけどね」
「猫かぁ。たしかにあいつは、結構猫っぽいかもなぁ」
「アリスも猫ですよね」
「わたし?」
「気まぐれ猫っていうよりは、高貴な猫って感じですけどね」
「たしかにアリスは猫だな。雰囲気も含めて。妖夢は犬だろ?」
「よく言われます」
妖夢は犬。魔理沙が言ったとき、アリスの脳裏には犬耳をつけて、椅子に座っている妖夢の姿が浮かんだ。
うん、悪くない気がする。
「アリス、頭の中で妖夢に犬耳をつけてただろ?」
「まさか。そんなことしてないわよ」
「どうだか。ちょっと、追加でお菓子もってくるぜ」
「いいけど、まだ開けてないお菓子はやめてよ」
魔理沙が立ち上がって、キッチンに向かう。
わたしの行動パターンがわかりやすいのだろうか? 最近魔理沙によく行動を読まれている気がする。
「ねぇアリス、本当に想像してなかったの?」
「え、なにか?」
「わたしが犬耳つけてるとこ」
妖夢がトンと頭をアリスの肩に預けながら尋ねてくる。サラサラとした髪が揺れて、ふわりとハチミツの香りが漂った。
「本当にしてないわよ」
必死に動揺を抑えながら、アリスは嘘をつく。その間も、アリスの脳内にはちょこんとおすわりをした犬耳妖夢が存在している。
「わたし、さっき猫耳つけたアリスのこと、想像しちゃったんですけど……」
妖夢が言った瞬間、リビングの空気が凍り付いた。
アリスの想像が、犬耳妖夢から猫耳の自分自身の姿に切り替わっていく。
ギリギリと軋んだ人形のような動きで首を動かすと、捨てられた子犬のような目をした妖夢とばっちり目があった。固まったままジーッと見つめていると、妖夢の瞳が心なしか潤んできている気がする。
「何してんだ……、お前等」
凍り付いた空気を溶かしたのは、作りおきのクッキーをお皿に乗せてもってきた魔理沙の一言だった。
至近距離で見つめ合う二人の様子は、文々。新聞に掲載された写真と合わせて、魔理沙に対して決定的な誤解を生むことになる。
「わたし、帰った方がいいか?」
「こっ、これは、その、違うから!」
なぜかお邪魔虫だったはずの魔理沙を必死に引き留めることになったアリス。妖夢とのんびり過ごすはずだったお茶会は、いつの間にか必死に魔理沙の誤解を正すための説得会と化していた。
「なにか忘れ物でもした?」
冬の短い陽が落ちた後。魔理沙が一人でアリスの家に戻ってきた。
「夕飯でも頂こうと思ってな」
「お帰りはあちらよ」
「わかってる。冗談だ」
アリスが「ホーム」と言いながら玄関を指すと、魔理沙は両手を振って違うことをアピールする。
それにしても、一回帰ったあとに戻ってくるのは本当に珍しい。どうしたのだろう?
「思ったより面白いことになってたからな。ずいぶん妖夢のことを意識してるみたいじゃないか」
「別に普通よ。お礼に洋服を作るから、仮合わせで呼んだだけだし」
「それじゃあ、来週会って本当におわっちまうぜ?」
「…………。そんなこと、わかってるもん」
自分の性格なんて、嫌というほどわかっている。魔理沙みたいに、誰とでもすぐに仲良くなれるような、オープンな性格はしていない。だから知り合いも少ないし。
今までは、それでも不自由に思わなかった。
でも、今回は初めて自分の性格を恨んだ。
もう少し、自分の気持ちを妖夢に伝えられたら。
半分でも、さらにその半分でもいい。
けれども、アリスの気持ちは思ったように言葉にならなかった。
「わたしはアリスと妖夢、少なくともいい友人だと思うぜ?」
「友人……」
妖夢と望む関係の名前。
それは果たして友人なのだろうか。
自分の中に、答えがあるのはわかっている。でも、そのことを認める勇気は、今のアリスにはない。
「わたしは、アリスが妖夢とどんな関係を望んでるかは知らないぜ? でも、とりあえずは友人からでいいんじゃないか? 幸いあいつは結構アリスと似た趣味もあるみたいだし。毎週一緒にお茶とかケーキを楽しむ仲から始めるとかさ。アリスの家でやるなら、たまにはわたしも乱入させてもらうけどな」
勝手にやってきて、ケーキを食べて行く宣言なんて。ため息をつきたくなってしまうが、魔理沙の気遣いがわからないほど、アリスの頭は堅くはない。
「毎週お茶に誘うって、変じゃないかな?」
「そんなこと、どうにでもなるさ、人里の喫茶店は毎月新作ケーキを出すんだから、少なくとも月1回は会えるぜ? 他にもケーキを出せる店はあるしな」
「あんまり理由になってない気もするけど……」
「わたしだって、何の理由もなくアリスや霊夢の家に行ってるからな。友人だったら、それくらいは問題ないさ」
「あんたの性格の気楽さは、本当にうらやましいわ」
「アリスだってできるさ。とりあえず、来週以降も妖夢と会えるように、頑張るんだな。こいつは餞別だぜ。わたしは来週は邪魔しないからな」
言いながら魔理沙が取り出したのは、クッキーの箱だった。
魔理沙がこんなものを持ってくるなんて、明日は赤い雪でも降るかもしれない。
「ハチミツたっぷりのクッキーだぜ。妖夢はハチミツが好きだからな。お礼はさっき言った通り、今日の夕飯でいいぜ?」
「ほんと、調子いいんだから」
ため息をつきながら、アリスは椅子から立ち上がる。
和食にする気は起きないけれども、リゾットとかオムライスとか、米を使った洋食くらいはつくってあげようと思う。
当たり前のように安楽椅子に座って魔導書を読み始める魔理沙を横目に、アリスは夕飯の支度を始めた。
「妖夢とアリス、記事になっちゃったわね」
夜の屋台で、美鈴が言った。今日の屋台には、妖夢と美鈴しか来ていない。
「まぁ、文々。新聞ですし、誰も本気にはしないですよ」
「でも、当分は騒がれるんじゃない? こういう話題はみんな好きだし」
「わたしとアリスがつき合うなんて、誰も思わないですよ、もっとお似合いな方がたくさんいますし」
「そう? わたしは妖夢とアリスは結構お似合いだと思うけどなぁ。雰囲気とか性格とか、似てるところがあるし」
「見た目がぜんぜん違いますから。アリス、大人びてるのに可愛いですし」
アリスとは、話ができる仲になれただけで十分。服まで作ってもらえることになったので、出来すぎなくらいだ。
「でも、もしアリスから告白されたらつき合うんでしょ?」
「アリスに告白されて、つき合わない人なんていないですよ」
「わたしだったら、アリスとはつき合わないけど」
「美鈴は、もうつき合ってるからですよ」
妖夢は、自分がアリスとつき合ってるところが想像できない。
自分よりも性格がよくて、可愛い子なんて、いくらでもいる。たとえば、魔理沙なんかはアリスにお似合いだと思う。
来週洋服を取りに行けば、もうアリスの家に行く機会もない。
「仕方ないですよね……」
妖夢はポツリとつぶやく。
その声は美鈴の耳にも届いていたが、美鈴が言葉を返すことはなかった。
☆☆☆
前に会ってからちょうど一週間後の水曜日。
キュッと黒色のリボンを蝶結びにして、アリスは作品を完成させた。 白に一滴だけピンクを混ぜたような色のシャツに、濃い緑色のスカート。細い黒のリボンとピンクのカーディガン。妖夢に言われた通り、フリルは控えめにしてある。それでも地味に映らないのは、元の素材がいいからだろう。
「ちゃんと似合ってますか? 洋服の方に着せられていないか心配なんですけど」
スカートに手をやって押さえながら、全身鏡の前でくるっと1回転する。落ち着いているのに、どこか華のある仕草は、いつかは自動人形にあんな動きをさせたいと思った。
「よく似合ってるわ。わたしもたくさん洋服を作ってるけれども、今回は会心の出来だったの」
「アリスの会心をもらえるなんて、わたしは幸せ者ですね」
「妖夢のために作ったから、上手く出来た気もするんだけどね」
「この洋服、本当に大切にします」
ギュッと副の裾を握りしめて、妖夢は言った。
あとは一緒にお茶をすればおしまい。
このまま、何もしなければ。
そこで改めて自分が作った洋服を着た妖夢を見た。
たしかに、今の妖夢は綺麗だし可愛い。でも、まだまだ作ってあげたい洋服がある。妖夢と話すきっかけになった少女小説にでてきたドレスとか。
だから、今はまだ、自分の気持ちに正直になれないけれども。
「ねぇ、妖夢」
少し震えた声で名前を呼びかける。
「どうかしましたか?」
「その……ね。今日で洋服完成しちゃったでしょ。でもわたし、妖夢とお茶してる時間、好きなのよね」
本当は、もう少し遠回しに言うつもりだったのに。
自分で言った言葉なのに、まったく予定外になってしまった。
もう、引きさがれないが。
「それでね」
何も言わない妖夢に言葉を続ける。少しでも、自分の感情に正直になって。
「また、うちでお茶をしていって欲しいの。あと、人里にケーキを食べに行ったりとか。ダメかしら?」
そこまで言い終わった瞬間、アリスは後悔した。
ぜんぜん、言いたいことを言うことができなかった。
それに、「ダメかしら?」という言い方も最悪。まるで強要してるみたいだ。
それから妖夢が口を開くまで、数秒の間があった。
その時間はアリスにとって、時が止まったと思うほどだった。
「わたしでよければ……、喜んで」
アリスは妖夢の言葉の意味をすぐには理解できなかった。
目の前には桜の花が咲くように微笑み、顔をわずかに紅潮させた妖夢。
妖夢は、アリスの申し出を受け入れてくれたのだ。
「ありがとう」
アリスの口から出たのは、その言葉だけだった。
今日が終わっても、またこうして妖夢と会うことができる。
アリスは妖夢の腰に手を当てて、軽く抱きしめた。「ありがとう」の言葉だけでは、気持ちを表現しきれなかった。
「アリス、幽々子様みたい」
クスッと笑って言う妖夢は、アリスの行動の意味を理解していないだろう。
でも今はそれでいい。
今はまだ、自分の本当の気持ちと向き合うことはできていないから。
「今日も、とっておきを用意したから、お茶にしましょ」
妖夢を離す前にギュッと抱きしめると、ふんわりとハチミツの香りが舞う。
冬の日差しが差し込む部屋で、3度目の水曜日のお茶会が始まる。
常識人同士の組み合わせ ありですね
奥手な二人がいい味出しています
妖夢の香りを意識するアリスかわいい
ごちそうさまでした
あ、終盤の魔理沙のセリフでアリスがリスになってました