フランドール・スカーレットは、鍵が掛かった扉の前に立っていた。
紅霧異変以来、紅魔館の中をウロつくようになっていたフランドールはある日、館の一角、まるで隠すように存在しているその扉を見つけたのだ。
その扉には、入ろうとする者を拒絶しているという意志を強く主張するかのように、ずっしりとした錠前が掛けられている。
しかし、それはむしろフランドールの好奇心を刺激する効果を発揮した。
このような鍵が掛けられている部屋は、紅魔館には他に存在しない。であれば、この館の主である彼女の姉、レミリア・スカーレットは一体この部屋に何を隠しているというのだろう。
近くに妖精メイドが通りがかったので、聞いてみることにした。
「そこの部屋ですか?ただの倉庫ですよ。何でもお嬢様が今までに集めた貴重品が納められているとか。お嬢様とメイド長、あとパチュリー様はそこの鍵を持ってるみたいです」
妖精メイドから帰ってきた返答は酷くありきたりなものだった。
とはいえ、一度気になったものは気になる。妖精メイドに礼を言って別れた後、フランドールはレミリアの部屋に向かった。
思えば、フランドールが姉の部屋を訪ねるなどということは今まで殆ど無かった。
地下から出るようになったことすら最近なのだから当たり前だが。
少し緊張しながら、レミリアの部屋のドアを叩く。
「誰かしら?入っていいわよー」
中から聞こえたレミリアの声に従って中に入ると、レミリアは椅子に座ってティータイムの最中だった。
近くには咲夜も控えている。
フランドールの姿を見たレミリアは、少なからず驚いた顔をしてティーカップを置いた。
「あらフラン、貴女が私の部屋に来るなんて珍しいじゃない」
「うん、ちょっと頼みがあるの」
「フランが私に頼み?まあ良いわ、座りなさい」
そう言ってレミリアはフランドールに椅子を勧めた。いつの間に出したのか、椅子の前にはフランドールの分の紅茶まで置いてある。
「いらない。そんなことより、鍵の掛かった倉庫あるじゃない?そこに入りたいんだけど」
すげなく断られたレミリアは、何やら悲しそうな顔をしている。
ついでに折角入れた紅茶が無駄になった咲夜も悲しそうにしている。
フランドールとしては別段反抗したつもりは無く、単に要らなかっただけなのだが。
彼女は社交辞令というものを知らない。
「あらそう……。倉庫に入りたい?それは駄目よ。あそこには壊されたら困る物が沢山あるんだから」
「えー、良いじゃないの。何も壊したりしないよ」
断られて、はいそうですかと引き下がるほどフランドールは従順な妹ではない。
とはいえ、今まで400年以上に渡ってひたすら引き籠ってきた身、レミリアの懸念は正当なものとは理解している。
「駄目と言ったら駄目。フランがもっと落ち着いたら見せてあげるわ」
「何よー。そんなこと言って、本当は見られたく無い物とかあるんじゃないの?」
折れないレミリアに対して、フランドールはそんなことを言ってみた。
が、今度は咲夜が口を挟んできた。
「妹様、あそこには私やパチュリー様も出入りできるのですよ」
先程妖精メイドから聞いていた事だ。
確かに、咲夜やパチュリーには見せても良くてフランドールには見せられないという物も無いだろう。
「むー……、わかった」
とりあえず反論の余地が無くなったので、フランドールは引き下がることにした。
「ごめんなさいね、そのうち見せてあげるから。紅茶はいらない?」
「いらない」
フランドールはレミリアの部屋を後にした。
見るなと言われると余計に見たくなるのが人の情というものである。人では無いが。
数日後、フランドールは再び例の扉の前に立っていた。
そもそも、錠前など吸血鬼の力の前には何の意味も無い。
フランドールは金属製の錠前に手を掛けると、能力を使うまでもなくそのまま錠前を引き千切った。
「まあ後でバレるだろうけど……中の物を壊さなければ問題ないよね」
フランドールは独り言と共に扉を開け、中に入った。
そこはなるほど倉庫のようで、絵画や胸像といった芸術品の類、何やら高級そうな陶器や家具といった物が雑多に置かれていた。
いかにも貴族の貯蔵品といった感じである。
「なんだ、本当にただの倉庫じゃない」
別に疑っていたわけでは無いが、特に面白い物も見つからず、フランドールは不満の声を上げた。
芸術品にしろ何にしろ、フランドールにはその価値などわからない。
こんな物壊されたって何だと言うんだ、という考えが湧きあがってきたが、直ぐに自重する。今の時点でも後で叱られそうなのに、ここの物を壊したりしたらどうなることやら。
つまらないので帰ろうと思い始めたフランドールだったが、一つの大きな箱が目にとまった。高さがフランドールの背丈ほどもあるその箱は、丁度人が一人入れそうなサイズである。
それだけならただの棺桶か何かだと思うだろうが、その箱にはこの部屋の扉にあったものに勝るとも劣らない、物々しい鍵が掛けられていた。
「鍵を掛けた部屋の中にあるものに鍵を掛けるって……それ意味あるのかな」
フランドールは思った事をそのまま口にしたが、もしかしたらそれほどまでに大事な物が入っているのかもしれない。
扉の鍵と同じように引き千切ろうとしたが、今度はびくともしなかった。
この鍵は単なる金属ではなく、魔力による封印が施されていたのだ。
フランドールはすぐそれに気づいた。
「封印されてる……それにこの魔力、お姉様の……?」
さらにフランドールは、その封印がレミリアによるものである事まで感じ取ることができた。
「わざわざお姉様が自分で封印するなんて……もしかして、咲夜やパチュリーにも見られたくない物が入ってるとか?」
その可能性は高いように思われた。
そうなると、俄然興味が湧いてくる。
だが同時に、そんな物を見てしまったらレミリアはどれだけ怒るだろう、という考えも当然頭をもたげてくる。
言い訳するかのように少し迷う素振りを見せたフランドールだったが、結論は最初から決まっていた。
「うーん、まあいっか」
どの道レミリアの命令に逆らってここにいるフランドールには、そんなことはもうどうでも良かった。
今度は自らの能力を使い、鍵の『目』を握りつぶすと、鍵はあっけなく砕け散った。
本来、レミリアの封印はそう簡単に破れるものでは無いのだが、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を持つフランドールの前には無力であった。
鍵を失った箱は簡単に開けることができた。その中に入っていたのは───
「お姉様!?……の、像?」
───等身大のレミリア像だった。
しかも、色が無い事を除けば思わず本人かと見紛うほどに良くできている。
「お姉様って、こんな趣味あったかなあ……」
精巧な自分の像を作らせるなど、人間でも余程の自己愛者でなければやらないような趣味である。
フランドールは、そんな趣味を自分の姉が持っているとは俄かには信じられなかった。
「まあ結構古いみたいだし、お姉様も昔はやんちゃだったのかな。今もだけど」
レミリアはあれで500年生きている。きっと引き籠っていた自分にはわからない過去も色々あるのかもしれない、とフランドールは思うことにした。
わざわざ人目につかないように隠してあるあたり、今のレミリアは流石にちょっと痛い趣味だったということも自覚しているのだろう。
試しにフランドールがレミリア像に少し触れてみると、ひやりとした感触がした。
どうやらこの像は大理石で作られているらしい。
───というより、触れなければ大理石であることもわからないほど、その表面は丹念に磨き上げられていた。
「……よく、出来てるなあ」
よく出来ている、なんてレベルでは無い。
フランドールが触れたレミリア像の頬は、そこにレミリアの頬そのものを作り出したのかと言いたくなる程に滑らかだった。
本来、それが石であることを感じさせる程度の違和感を主張するべき服や髪といった部分ですら、完全にそれを感じさせない見事な仕上がりになっている。
この像からは、レミリアという存在の美しさを余すことなく表現してやろうという執念、凄まじいまでの製作者の愛が感じられた。
とてもそこらの成金貴族が作らせるような像とはわけが違う。
もっとよく見たくなったフランドールは、レミリア像を持ち上げ、箱の外に出そうとした。
等身大の石像は人間に持ち上げられる重量ではないが、吸血鬼であるフランドールには関係が無い。
が、その時、不意に背後から声が聞こえた。
「妹様!何をしておられるのですか!」
「さ、咲夜!?ってあっ!」
後ろから掛かった声、それはフランドールが倉庫に無断侵入したことに気付いた咲夜の声だった。
不味かったのは、丁度その時、フランドールは完全にレミリア像を持ち上げていたのだ。
その状態で、後ろから急に驚かされるとどうなるか───
───レミリア像はフランドールの手から滑り、落下した。
安定の無い立像がすんなりと着地できるはずも無く、倒れて床に叩きつけられ、音を立てて砕け散った。
後ろにいた咲夜からは、フランドールが何を持っていたかすらよく見えず、咄嗟に時間を止めて像を守ることも敵わなかった。
「ああー!」
フランドールが悲鳴を上げた。
この瞬間に彼女が感じたのは、『やってしまった』とか、『お姉様に怒られる』とかいうことではなく、これほどの作品を壊してしまったことに対する強い自責の念だった。
「あー……やってしまわれましたか。まあ今のは私も悪いですね、後で一緒にお嬢様に謝りましょう。何を壊してしまったのですか?」
咲夜は以外にも落ち着いている。やはりここにある物は高級品とはいえ、一つや二つ壊したところでそこまで一大事というわけではないのだろう。
だが、この像は明らかにそれらとは違う。
近づいてきた咲夜は、レミリア像の残骸を見て固まった。
「これは……お嬢様、ですかね」
原型を失ったそれを見て、咲夜は直ぐに言い当てた。
レミリア像の残骸は、砕けても尚破片の一つ一つが、自らがレミリアの一部であることを主張しているかのようだったからである。
「うん……これ、大丈夫かな……?」
「こんな物がここにあったとは知りませんでしたが……そこの箱に入っていたのですね」
そう言った咲夜の視線は、レミリア像が入っていた箱、そしてその下に散らばっている砕けた鍵の方へ向いた。
無表情を保つ咲夜だが、その顔がだんだんと青ざめてくる。
「……もしかすると、物凄くまずいことになっているのかもしれません」
大丈夫じゃないらしい。
こうなっては仕方ない。早くレミリアに謝らなければ、と思うフランドールだが、フランドールの中の悪魔がそれに待ったをかけた。
よくある脳内での天使と悪魔の論争という奴である。本人が悪魔なのはさておき。
これが姉にバレたらどうなる?そりゃもちろん怒られるだろう。だが怒られるだけで済むだろうか?あの像は何か特別な品だとしか思えない。
それにあの像はこんな所に厳重にしまわれていたのだ。黙っていてもそうそう気付かれたりは───
「ねえ咲夜」
「何でしょう」
「この事はお姉様には内緒にし」
「駄目です」
脳内悪魔に負けたフランドールの提案は、戦うまでも無く脳内悪魔を忠誠心で踏み潰した咲夜によって却下された。
「とにかく、私はお嬢様にこの事を報告してきます。妹様は後で必ずお嬢様の元に謝りに行く。いいですね?」
例え相手が吸血鬼であっても、時に命令すらするのが咲夜というメイドである。
「わかった……」
有無を言わせないその口調に、フランドールは頷くしか無い。
「では、部屋に戻っていてください。もうここに入ってはいけませんよ」
「はーい……」
フランドールは、しおらしい態度で部屋に戻っていった。
「物凄くまずいことになりました」
あの後、レミリアの部屋に報告に行った咲夜は、今度はフランドールの部屋に来てそう言った。
「やっぱり怒ってた?お姉様……」
悪い知らせを持ってきたことが一発でわかる咲夜の言葉に、フランドールの顔は暗くなる。
「いや、怒ってたと言うか……」
『お嬢様、少しよろしいですか?倉庫にあるお嬢様の像のことなんですが』
『あら、あなたアレのこと知らなかったと思うけど』
『いえその、偶然見てしまったというか』
『ちゃんと封印できてなかったのかしら……まあ良いわ、見ちゃったのね』
『はい、それであの』
『恥ずかしいなー、もう。アレは別に変な悪趣味で作ったんじゃないのよ。プレゼントとして貰ったものなの』
『そ、そうなんですか。それでですね、』
『昔の恋人がね、もう死んじゃったけど。彼と出会ったのは480年前のことだったわ……』
「で?」
「その後、三時間ほどその恋人の惚気話を聞かされました。なんでもその方は人間の芸術家で、お嬢様の事が好き過ぎてあんなものを作ったとか」
「報告は?」
「……言えませんでした」
「……」
二人の間に気まずい沈黙が流れた。
フランドールには、咲夜を責めることができるはずもない。
やがて、フランドールが口を開いた。
「しかし、あのお姉様に恋人ねえ」
「はい、その方の事を話すお嬢様はとても楽しそうで、あの像を壊したことを告げたらどうなるのか……」
「やっぱり、お姉様に内緒にしたままどうにかできないかなあ」
一度は却下された提案だが、咲夜は正直に報告することを尻込んでしまった手前、無下にもできない。
「あまり得策とは思えませんが……それに時間がありません」
「時間?」
『流石にね?あんなもの目立つ所に飾ったりしたら色々引かれると思うのよ』
『まあ確かに』
『でも折角の思い出の品だからね、毎年彼の命日には見に行くことにしてるの』
『……その命日はいつですか?』
『もう一週間後だったかしら、そういえば』
「物凄くまずいわね」
「ええ、ですから物凄くまずいことになった、と」
「一週間以内かー」
「いえ、やはり正直に話した方が」
じゃあ咲夜言ってきてよ、とはフランドールは言わない。
元々壊したのは自分なのだ。咲夜に一番嫌な役目を押し付けて良い道理は無い。
「まあ正直に話すにしてもさ、慌てること無いんじゃない?一週間の間に何か良い方法が思いつくかもしれないし」
「そうですかねえ……」
フランドールの名誉のために書いておくと、決して彼女は責任逃れや、レミリアに怒られずに済む方法を考える事で頭が一杯なわけではない。
申し訳無いという気持ちで一杯であるのは勿論、誠意を持って謝らなければいけないと理解している。
とてつもない出来栄えのあの像を壊した瞬間からそう思っていたし、恋人の話を聞いたせいで罪悪感に押し潰されそうである。
だが、このままただ起こった事をレミリアに話せば、レミリアは大いに怒り、悲しむだろう。
この避けられない悲劇を少しでも軽減し、多少なりとも幸せな結末へと導くにはどうしたらいいかを真剣に考えているのだ。
また、咲夜もそのようなフランドールの考えを理解しているからこそ、一見すれば不誠実とも思えるフランドールの提案を真っ向から否定はしない。
「一番最初に思いつくのはあの像を元通りに直すことだけど……咲夜できる?」
「できません。私の能力は時間を巻き戻すことはできないのです」
「だよねえ」
フランドールは、初めから返答がわかっていたかのように言った。
それができるなら、咲夜は最初からやっているだろう。
「うーん……」
「……」
二人はしばらくレミリア像を直す方法を考えていたが、結局、この日は何も解決策が得られないまま終わった。
レミリア像が壊れてから二日目、咲夜とフランドールの二人は大図書館を訪れた。
「あら咲夜……と妹様?珍しい組み合わせね」
同じ建物に住んでるのに、という皮肉のような何かを付け加えながら、図書館の主であるパチュリーは二人を迎えた。
迎えたといっても、手元の本に目を落としたままである。
「実は、私達からパチュリー様に折り入って相談があるのです」
「私達、ねえ。嫌な予感しかしないけど、言ってみなさい」
相変わらず本を閉じようとはしないが、『嫌な予感』と言った時のパチュリーの目線はフランドールの方を向いていた。
あんまりだとフランドールは思う。しかしその嫌な予感は正しいのでどうしようもない。
とにかく事情を説明するため、フランドールは口を開いた。
「ええとね、パチュリー。なんかガラクタがいっぱい置いてある倉庫あるでしょ?鍵の掛かった」
「あるわね。私とレミィと咲夜が入れて、妹様は鍵を壊しでもしないと入れないはずの倉庫が」
「う、うん、鍵壊して入っちゃったんだけどさ」
実に嫌味ったらしい魔女だが、その頭の回転は速い。
「中の物を壊したんでしょう?正直に話せば、レミィがそこまで怒るような物も置いては───」
さらに話の先まで予測したパチュリーは、しかしここで咲夜の方を見て言葉を止めた。
(そんなことは咲夜もわかっているはず……いや、そういえばあそこにはガラクタ以外にも『アレ』が───)
「あなた達、まさか」
「……多分、そのまさかで正しいと思います」
パチュリーの思考速度に追いついた咲夜が答えた。
それまでどうでも良さそうな態度だったパチュリーは、神妙な顔をして本を閉じると、恐る恐る尋ねる。
「鍵の掛かった箱の中身、レミィの像を壊したのね……?」
肯定を意味する沈黙が流れた。
「な、なんてことを……本当にヤバいわ、それは、ヤバいわ、本当に……!」
「そ、そんなにヤバいの?」
明らかに冷静さを失い始めたパチュリーに、フランドールはたじろきながらも言った。
「あれはレミィの、本当に大切な一番の宝物なのよ!ただでは済まないわ!妹様も、レミィも!」
「ど、どういうこと!?」
フランドールは尋ねた。
やはりとんでもなく大事な物であったというショックもあるが、それ以上にパチュリーの言葉には不明な点がある。
自分がただでは済まないのはわかるとして、レミリアもというのはどういうことだろうか。
「あなた達以外は誰も知らないわね!?もしそのことをレミィが知ったら」
「紅茶です、お三方」
「こああああああーっ!?」
話を理解したパチュリーが冷静さを全て失い終わった頃合いに、小悪魔が紅茶を持ってきた。
パチュリーは一通り奇声を上げた後に、普段からは想像もつかない俊敏な動作で立ち上がり、小悪魔の胸倉に掴みかかった。
「な、なんですか!?どうしたんですか!?」
「こここ小悪魔!今の話聞いて無かったでしょうね!?」
「聞いてません!聞いてたって言ったら殺されそうなんで聞いてません!」
それだけ言うと、小悪魔は逃げるようにしてどこかへ行った。
「パチュリー様、落ち着いてください」
そう言って、咲夜はパチュリーを椅子に座らせた。
パチュリーが息を落ち着けるのを待ってから、咲夜は口を開く。
「……パチュリー様はあの像の事をご存知だったのですね」
「まあね……何十年も一緒にいれば恋バナの一つくらいするわよ」
ようやく落ち着いた様子のパチュリーは、やがて疲れたように話を始めた。
「レミィはね、あの像を本当に信頼した相手にしか見せないの。というか私にしか見せたことが無いって言ってたわ。まあでも咲夜にはそのうち見せるつもりだったでしょうね、倉庫の鍵を渡していたわけだし」
咲夜は、あの像を見てしまったことを告げた時のレミリアの反応を思い出した。
フランドールは暗い顔をして俯いている。
「妹様にだって別に隠そうとしていたってわけじゃないと思うわ。鍵を渡して自由にさせるのがまだ危なかっただけで」
フランドールがレミリアに信頼されていないわけではない、というパチュリーらしからぬフォローだが、フランドールの顔が晴れることは無い。
「そこは問題じゃない。問題なのは、そのことを知ったらレミィは深く傷つくこと。命の比重が精神に偏っている妖怪にとってそれはとても危険なことなのよ。像が壊れたことをレミィが知ったらレミィの身が危ないかもしれないの」
「え、な、何それ」
予想だにしなかった話の展開に、フランドールは思わず声を上げた。
「古今東西、様々な妖怪の逸話において妖怪と人間が愛し合った例は少なくないわ。でも、それがハッピーエンドに終わった話はほとんど存在しない」
「……人間は先に逝ってしまうからですね」
咲夜が言葉を繋いだ。人間でありながら妖怪のレミリアに付き従う彼女にとって、その話は他人ごとではない。
パチュリーは頷き、話を続ける。
「その通りよ。そして残された妖怪は大抵の場合、その悲しみに精神が耐えられなくなる。消滅する者もあれば、発狂した挙句退治される者もある。少なくとも、残された妖怪はその後も幸せに暮らしました、なんて話を私は聞いたことが無いわ」
「でも、お嬢様の恋人は既に……」
「そう、でもレミィは消滅だの発狂だのしたりはしなかった。その理由は二つあるわ。一つは単にレミィが強かったから。もう一つは」
「……残してくれた物が、あったから」
今度はフランドールが口を開いた。
その顔は今までにないほどの悲壮に満ちている。
そんなフランドールを一瞥し、パチュリーは話を続ける。
「まあ、私の予想だけどね。でも確信はある。レミィはわかってるのよ、あの像が自分の真の弱点だって。だから本当に信頼した相手にしか見せないの」
吸血鬼というのは多くの弱点を持つ。だが、そのどれもが吸血鬼を死に至らしめるほどの効力を持ちはしない。それらの弱点は、吸血鬼が最も突かれたくない、真の弱点を隠すためのカモフラージュに過ぎないのではないか───
というのは、かつてパチュリーが立てた仮説である。ゆえに、パチュリーは確信したのだ。レミリアがある日自分に明かしたレミリア像の存在、その『愛』こそが吸血鬼の真の弱点ではないのかと。
「そして、その像を妹様が壊した、と」
別に咎めるでもない、ただ淡々と事実を語る口調だったが、その中に親友の大事な物を壊されたことに対する怒りが含まれていたかどうかは、フランドールにはわからなかった。
「実際のところ、像が壊れたということを知ったレミィがどうなるかは私には見当もつかない。ただ、妖怪にとって大きな精神ダメージはそれだけで危険ということよ。ショックで暴れ出すかもしれないし、死んでしまうかもしれない。少なくとも何も起こらないというのは考えにくいわ。私がいままでレミィのあの像に対する執着を見てきた限りでは」
話を終えると、パチュリーは何事も無かったかのように本を開いた。
「本が逆さです、パチュリー様。……それで、どうしましょう?」
咲夜が言った。
パチュリーの語った事実は重大なものだったが、結局やることは変わらない。
如何にこの件を穏便にすませるか、だ。
レミリアに最もダメージを与えない方法で、レミリア像が壊れたという事実をどうにかしなければならない。
「理想は、像が壊れたという事実を無かったことにすることね」
何事も無かったかのように逆さの本を閉じたパチュリーが言った。
人の物を壊しておきながら、バレないようにこっそり直す。
明らかに不誠実な行為だが、こと今回の件についてはそれこそが最良の選択肢のように思えた。
「私や妹様にはできそうもありませんが……パチュリー様なら可能でしょうか?」
「それは何とも言えないわ。実際に見てみない事には」
そう言うと、パチュリーは立ち上がった。
レミリア像の残骸がある倉庫に向かうためだが、その前にフランドールが口を開いた。
「パチュリー!」
「何かしら」
動きを止めてフランドールの方を見たパチュリーの顔は、これまでの態度と同じくどこか刺々しい。
「その……ごめんなさい」
「……それを言う相手が私じゃないことはわかるでしょう?」
そう答えるパチュリーの顔は、しかし先ほどより多少穏やかさを得たように感じられた。
と、その時、本棚の影から何かが飛び出てきた。
「話は聞かせてもらったぜ!別にあっと驚く解決策とかは無いが!」
「「「……………」」」
物凄く微妙なタイミングで出てきて微妙なことを言った霧雨魔理沙の姿を見た三人の、じっとりとした視線が彼女に突き刺さる。
「いや、な?私もちょっと空気読めてないとは思ったさ。だが盗み聞きしておいて知らぬ顔で帰るのも収まりが悪いだろ?」
「なら聞くな」
パチュリーは言った。当然の指摘である。
「聞いちまったもんは仕方ない」
魔理沙はそう言うと、倉庫に向かおうとする三人の後に当たり前のように続く。
それを見たパチュリーは、溜息をついて諦めたように言う。
「はぁ……何言ってもついて来るんでしょうね。好きにしなさい」
「しかしパチュリー様。あの中の物を盗まれるのはまずいですよ」
魔理沙は泥棒である。咲夜は心配してそう指摘したが、パチュリーは素知らぬ顔で、
「あそこにあるのは魔法使いの興味を引く類の物じゃないわ」
とだけ言った。
倉庫に訪れた四人は、レミリア像の残骸を前にしていた。
と言っても、魔理沙はすぐに倉庫の物を見て回り始めてしまった。
レミリア像の状態を確認したパチュリーは、諦めたように言う。
「これは……無理ね」
「やっぱり?」
多少調子を取り戻したフランドールが言った。
「魔法で大理石と大理石の継ぎ目を無くすくらいのことは出来るわ。だから損傷が激しくなければ直せるとは思ったんだけど。ここまで粉々になってると……」
そう言って、パチュリーはレミリア像の破片をいくつか手に取り、手で軽く繋げた。
それはどうやら腕の一部のようだが、継ぎ目には失われた細かい破片が存在するらしく、隙間が空いていた。
「これじゃ本格的な復元、造形の技術が必要になる。専門外ね、私には」
「パーツは全部残ってると思いますが、くっつけるだけでは無理なものですか?」
「元の像の完成度は知っているでしょう?素人がそんなことしてどうなるものではないわ」
残骸からある程度推測はできるが、咲夜は壊れる前のレミリア像を見てはいない。
だが、フランドールはパチュリーの言葉に頷いていた。
それを見て、咲夜はまた口を開く。
「美術品の専門家ですか……幻想郷にそんな人いますかね」
その咲夜の言葉に答える者は居ない。
しばらく沈黙が続いて、次に口を開いたのは、レミリア像そっちのけで倉庫の中を物色していた魔理沙だった。
「ったく、大した物無いじゃないか、ここは。期待して損したぜ」
「帰れ」
パチュリーが怒りを隠そうともせずに言った。
「冗談だぜ。その像の修復ができる奴だろ?私に心当たりがある。明日連れてきてやるよ」
「本当!?」
魔理沙の言葉に、フランドールは歓喜して言った。
「ああ。乗りかかった船だ、出来る協力はしてやる」
ここで魔理沙はニヤリと笑い、
「もちろん、報酬は期待していいよな?」
と言ってパチュリーの方を見た。
魔理沙は別に報酬目当てで付いてきたわけでもなく、純粋にこの件に協力したいと思っていたのだが、こういうことを言わねば気が済まないのは性分である。
「……あなたが直すわけじゃないでしょうに」
「紹介料ってやつだ。それにこんなことができるのは幻想郷にあいつくらいなもんだぜ」
「考えておいてあげるわ」
「それは払う気が無いって意味の言葉だな。まあ良い、とにかく明日だ。待ってな」
それだけ言うと、魔理沙はくるりと背を向けて倉庫の出口へ向かう。
「ありがとう!魔理沙!」
フランドールはそう言って、去る魔理沙の背中に向けて手を振った。
魔理沙はそんなフランドールに手を挙げて答えると、そのまま出て行った。
「アテにしていいのかしらねえ」
パチュリーは呆れたように言った。
「魔理沙は交友関係が広いですから。あそこまで言ったのならそれなりの助っ人を連れてきてくれるとは思いますよ」
「だといいけど」
魔理沙が連れて来るであろう助っ人をアテにしつつ、今のままでは手も足も出ない三人は解散した。
レミリア像が壊れてから三日目、魔理沙は紅魔館に一人の男を連れてきた。
男の名は森近霖之助、古道具屋『香霖堂』の店主である。
紅魔館の玄関口では、咲夜とフランドール、パチュリーの三人が魔理沙と霖之助を出迎えた。
「いらっしゃいませ。店主さんでしたか、魔理沙の言う専門家とは」
「あら、咲夜の知り合いなの、この人」
フランドールが言った。
「ええ、いつもお世話になっている道具屋の店主さんです」
「話は魔理沙から聞かせてもらったよ。得意先の一大事とあっては協力しないわけにいかないからね」
魔理沙は盗み聞きしたことも含めて全てを霖之助に話したようだ。
咲夜は魔理沙を睨みつけたが、魔理沙は素知らぬ顔をしている。
「早速、件の像を見せてもらえるかな?」
「はい、ではこちらに」
そう言って咲夜は、霖之助を倉庫へ案内した。
後にはパチュリーとフランドール、魔理沙が続く。
倉庫に着くと、霖之助は中の品々を見て、圧倒されたように言った。
「これは……凄いな。幻想郷にこんな宝の山があったとは」
「どれも一流の名品ばかりですわ。それはともかく、例の像は奥です」
咲夜はそう言ってレミリア像の残骸がある場所に歩き出すが、霖之助が付いてこない。
振り向くと、霖之助はかじりつくように周囲の品に見入っていた。
「まあ待ってくれ、この絵画は素晴らしい。これは恐らく16世紀後半の───」
霖之助に全員の呆れ顔が向けられるが、本人は気づいていない。
「後にしろ香霖。フラン、構わないからこいつを引きずって行け」
魔理沙の言葉に従って、フランドールは霖之助の服を掴んだ。
圧倒的な力に引きずられながらも、霖之助は周りの物色を止めない。
「おっとっと……あ、そっちの陶器は───」
「魔理沙、大丈夫なのこの人」
フランドールは霖之助を引きずりながら、魔理沙に尋ねた。
霖之助は、長年引き籠っていたフランドールから見ても変人である。
「大丈夫じゃないが、腕は確かだ」
「あ、そう……」
「へえ、似た物同士というわけね」
「何い?」
魔理沙とパチュリーが軽く喧嘩を始めたが、レミリア像の残骸の場所に着いたのですぐに中断された。
霖之助はようやく余所見を止めると、それを観察し始めた。
「ふむ、これか。これだけ損傷の激しい大理石像だとかなり手間が掛かるが……期限はあと四日だったね?」
「ああ。後四日で直せなけりゃこれがレミリアにバレて、こいつらはこっ酷く叱られるってわけだ」
魔理沙が冗談めかして言うが、誰も笑わない。
「まあこれなら何とか───」
そう言って霖之助はレミリア像の破片に触れたが、それと同時に言葉を止めた。
「……」
霖之助はそのまま、手に取った物を無言で睨みつけている。
不審にも思える動作だが、周囲の者は霖之助が何やら鑑定しているのだろうと思い、声を掛けなかった。
しばらくして霖之助が口を開く。
「……悪いが、この依頼は受けることができない」
「えっ?」
咲夜が驚きの声を上げた。
咲夜だけでなく、霖之助以外の全員が彼に驚愕の眼差しを向けている。
「僕はこれで帰らせてもらうよ」
霖之助はそう言うと、踵を返して部屋の出口に向かって歩き出した。
「ちょっと待ってくださいよ!いきなりどうしたんですか!」
咲夜が慌てて引き止める。ここで霖之助に断られては他に手立てが無い。
「そ、そうよ!さっきまでやる気まんまんだったのにいきなり何なの!?」
「変人は気が変わりやすいのかしら?商売人としては良くない事のように思えるけど」
フランドールとパチュリーも霖之助に抗議の声を上げた。
三人の言う通り、霖之助の行動は明らかに異常であり、彼女らの言葉は至極当然のものである。
しかし、魔理沙はそれに参加する様子は無く、ただ何やら思案するような面持ちで眺めるのみだった。
「無茶を言ってるのは判っているさ。しかし僕には出来ないんだ、この仕事は」
霖之助はそう言いながら、帰る足を止めようとはしない。
「そんな、どうして出来ないんですか?せめて理由くらいは」
「理由か……そうだな、美術品というものは製作者がその魂を込めて作り出した物だ。壊れたからといってその本質は変わらないし、他人の手で直すことには何の意味も無い。それだけの話だ」
「え、ええ……?」
理解出来るような出来ないような霖之助の理屈に、咲夜は返す言葉が見つからなかった。
そうこうしているうちに、霖之助は部屋の外に出て行ってしまった。
「お、おい!待てよ香霖!……あ、そういうことだ。悪かったな、力になれなくて」
魔理沙はそう言い残して、霖之助の後を追った。
フランドール、パチュリー、咲夜の三人は呆然としてそれを眺めるしか無かった。
やがて、パチュリーが疲れた声で言う。
「何なのよ、もう」
全員の気持ちを代弁した言葉だが、言ってどうなるものでもない。
「……とにかく、我々だけでなんとかするしか無いようですね」
「どうやって?」
「……」
三人は途方に暮れていた。
「さて香霖、一体何を見たんだ?」
香霖堂への帰り道、紅魔館から十分離れたことを確認した魔理沙は、霖之助に尋ねた。
「何のことかな?」
「とぼけるなよ。像に触れた時に能力を使っただろ」
魔理沙は真剣な顔で追及している。
「目敏い奴だ。だが僕が能力を使ったとして君が気にするようなことかい?」
「私がお前をあいつらに紹介したんだ。それに紅魔館の奴らがどうなっても良いなんて思ってるわけじゃないだろ、お前は」
そう言って、魔理沙は霖之助を睨みつけた。
霖之助はやれやれと肩をすくめ、口を開いた。
「別に大したものを見ていないさ。ただそうだな、心配しなくともこの話はハッピーエンドに終わる」
「ふん、あいつらの心配なんざしちゃいないぜ」
そう言いながらも顔を緩ませた魔理沙を見て、霖之助も軽く微笑む。
「そうかい。しかし何を見たと言ってもな、僕は咲夜に嘘をついてはいない。あの像には製作者の魂が込められていたというだけなんだよ」
「なんだそりゃ」
「四日後にわかるさ」
霖之助のぼかすような物言いに、魔理沙はそれ以上の追及を止めた。
魔理沙は霖之助の事を信用している。
「まあそれはいいが、放っておけばなるようになるってことでいいのか?私達の出番は終わりか?」
「……いや、少し気になる事がある」
「ほう」
四日後、遂にレミリアが像を見に来る日が訪れた。
フランドール達はあれから何一つ有効な策を講ずることができず、ただこの日を待つことしかできなかった。
そして今、フランドール、咲夜、パチュリーの三人は倉庫に隠れてレミリアが来るのを待っている。
像を見に来たレミリアに全てを打ち明けようというわけだ。
壊れた像を見たレミリアがショックを受ける可能性から、破片は床に捨てておくわけにもいかず、元の箱の中に収められている。
「いい?この部屋には防護魔法が掛けてあるわ。もしレミィが取り乱したら私達が抑えるのよ」
「うん……」
そう答えるフランドールの顔は暗い。
「今更くよくよしても仕方ないです、妹様。今私達にできることをしましょう」
咲夜はそう言ったが、彼女の顔にも緊張と恐怖が浮かんでいる。
最悪の場合、この場でレミリアが死ぬことすら有り得るのだ。
「あ、お姉様来た……!」
フランドールが言った。
ドアが開き、レミリアが入ってくるのが見える。
「全く、咲夜はどこに行ったのかしら……改めて見せてあげようと思ったのに。フランにも見せようと思ったのに地下室にいないし」
レミリアは独りごちた。
それを聞いた咲夜とフランドールは顔を見合わせた。
「やっぱりあなた達には見せるつもりだったようね……さあ、レミィが箱を開ける前に行くわよ」
レミリアが箱の前に立ったところで、三人は飛び出した。
「待って、お姉様!」
フランドールが口火を切った。
レミリアは突然現れた三人に驚きながらも口を開く。
「!?あなた達、どこにもいないと思ったら……こんな所で何してるのよ」
「レミィ、今から私達が話すことを落ち着いて聞いてほしいの」
パチュリーはレミリアの問いには答えず、そう言った。
それを聞いたレミリアは、何やら尋常ならざる事情があることは察したのか、表情を消した。
「……言ってみなさい」
レミリアはそう言ったが、本来なら彼女は尋ねずとも三人が伝えたい事が予測できるはずである。
この倉庫に来たこのタイミング、ここに入ることを禁じているはずなのに現れたフランドール、『落ち着いて聞け』と言うパチュリー、偶然像を見てしまったと言っていた咲夜───
レミリアの思考は、彼女が最も辿りつきたくない結論へと向かっていた。
彼女がそれを言わずにただ続きを促したのは、『そうであって欲しくない』という願望が強すぎるが故に歪んだ『そうであるはずがない』という思い、言わば現実逃避に近いものであった。
しかし無情にも、フランドールは次に、レミリアが最も言って欲しくなかった言葉を言った。
「実は……そこの箱に入ってたお姉様の像をね、壊しちゃったの。ごめんなさい」
「……」
レミリアは無言で三人に背を向けた。
レミリアが像の残骸の入った箱の方を向き、フランドール達はそれを後ろから見ている構図である。
フランドール達からはレミリアの表情はわからない。
「お嬢様、私も悪いんです。妹様がこの像を見ている時に私が後ろから声を掛けたせいで……」
「いいのよ」
レミリアは背を向けたまま言った。
「え?」
レミリアの言葉に驚きの声を出したのはパチュリーだった。
長年レミリアと暮らしたパチュリーは、レミリアがどれだけこの像を、この像を作った男との思い出を大切にしているかをよく知っている。いいのよ、の一言で片づけられるなどあり得ない。
咲夜とフランドールは驚きながらもその顔に安堵の色が見え始めていたが、パチュリーは寧ろ警戒を強めた。
「……レミィ」
「いいのよ、こんな物。私がどうかしてたのよ、吸血鬼のくせに人間の亡霊にいつまでもとり憑かれて……きっとこれは罰だわ。あんな奴のこと、さっさと忘れるべきだったの。私が悪いのよ、全部……そう、私が」
「お嬢様、止めてください!」
震える声で語っていたレミリアを、咲夜が遮った。
「……その像を作った方との思い出を話す時のお嬢様は、私が今まで見た事無いような素敵なお顔をされていました。それをそんな言い方……止めてください」
「そ、そうよ、お姉様。お姉様は何も悪くないのに───」
「お前等に何がわかるッ!!!」
レミリアの怒号が倉庫内に鳴り響いた。
それと同時に、レミリアを中心に辺りに禍々しい魔力が立ち込め始めた。
それを見たパチュリーは、レミリアを抑えるために用意しておいた魔法を構える。
(これはかなりまずい状態ね……)
パチュリーの予想通り、レミリアは像が壊れたことによる精神的ショックから、今まさに暴走状態になろうとしていた。
「レミィ、落ち着いて。取り乱したらダメ。今のあなたは」
「黙れ!私がどれ程、どれだけ、ああ───」
最早言葉にならないレミリアの叫びが響き、暴走した魔力は周囲の高級品を軋ませ、破壊し始めた。
「───っ!妹様、咲夜!」
パチュリーは説得を諦め、フランドールと咲夜に声を掛けた。
こうなっては想定していた最悪の展開、暴れるレミリアを力ずくで止めなければならない。
「待て!」
三人が戦闘態勢に入ろうとしたその時、倉庫の入り口から声が響いた。
全員が何事かと声のした方を見ると、その声の主は霧雨魔理沙だった。
誰もが驚きと疑問の声を上げようとしたが、一番最初に口を開いたのはレミリアだった。
「魔理沙。なぜあなたがここにいるのか知らないけど、今すぐ消えなさい。死ぬわよ」
レミリアが辛うじて残っていた理性から絞り出した言葉だったが、魔理沙がその通りにするはずもない。
「全く、来て良かったぜ。香霖の言う通りだったな」
「……どういうこと?魔理沙」
意味不明な魔理沙の言動に、咲夜が尋ねた。
だが魔理沙はそれにも耳を貸さず、また別の事を言い出す。
「レミリア、その箱を開けるんだ」
「魔理沙、それは」
魔理沙の急な提案に、パチュリーが抗議の声を上げようとした。
今のレミリアに壊れた像そのものを見られては、最後のタガが外れてしまうとしか思えない。
だが魔理沙の言葉に文句を言う余裕すら無いレミリアは、言われるがままに箱を開けた。
「ちょっと待───」
パチュリーの制止も空しく、レミリアは既に箱の中身を目の当たりにしていた。
そこには言うまでも無く、無残に破壊されたレミリア像の破片が転がっているのみである。
フランドール、パチュリー、咲夜の三人に緊張が走った。
言葉で伝えられただけであれほど取り乱していたレミリアが、壊れた像をはっきりと見てしまった。
三人は、次の瞬間にレミリアが爆発してもおかしくないというような面持ちでそれを見ている。
一方で魔理沙は、そんな三人とレミリアをニヤニヤしながら眺めていた。
しばらく張りつめた静寂が続いたが、それを破ったのはレミリアの大きな溜息だった。
「はあぁぁぁぁ……そういうことだったのね、全く」
そう言ったレミリアには先ほどの取り乱した様子は無く、暴走しかけていた魔力も収まっていた。
何があったのかわからないフランドール達は、ただぽかんとしてそんなレミリアを見ている。
レミリアは振り返り、そんな三人に苦笑しながら、箱の前から退いた。
それによって、後ろにいたフランドール達からも箱の中が見えるようになる。
その箱の中にあったものは……否、居た者は、半透明の男の幽霊だった。
「……え?」
誰からともなく声が上がった。何だこれは?どういうことだ?何故ここに幽霊がいる?というか誰だこいつは?
そんな疑問の渦がフランドール達の間に起こったが、次のレミリアの言葉はそれらを全て吹き飛ばした。
「紹介するわ。私の彼氏よ」
「「「ええええええええええ!?!?」」」
パチュリー、フランドール、咲夜の三人は驚いた。それはもう盛大に驚いた。あの世で自慢できるくらい驚いた。
それを知っていたらしい魔理沙はそんな三人をみて爆笑しており、非常にやかましい。
やがて騒ぎが収まると、最初に口を開いたのは幽霊男だった。
「やあ、驚かせてすまないな。レミリアの言った通り私は彼女の彼氏だ。400年以上前の話だが。初めまして皆さん」
「え、は、初めまして……」
フランドールが辛うじて挨拶を返した。
「え、本当にレミィの彼氏さん?じゃああなたがレミィとあんな、激しい……」
「……レミリア、君は一体何を話したんだ」
あらぬことを言いだしたパチュリーに、幽霊男が鼻白んだ。
「女子の恋バナはエグいものよ」
レミリアはしれっとそんなことを言った。
「ちょっと魔理沙……これはどういうことなの?」
そんな会話を始めたパチュリー達とは対照的に言葉の出ない咲夜だったが、漸く冷静さを取り戻したのか、魔理沙に尋ねた。
「香霖が言ってたろ?この像には製作者の魂が込められてるとか何とか。それはこういうことだったらしいぜ」
「何よそれ……というかどうやって入ってきたの、あなた。今日は絶対誰も通さないように美鈴に伝えてあったはずだけど」
半ば投げやりに魔理沙の説明に答えた咲夜は、思い出したように別の疑問を投げかけた。
レミリアが暴れた時の事を考え、今日は紅魔館に誰も入れないようにしていた筈なのだ。
「おう、それはだな」
「あ、ごめんなさい。私が入れました」
咲夜の疑問に答えようとした魔理沙だが、答えたのはその背後から現れた紅美鈴だった。
「そういうことだ。察しの良い門番で助かる」
「……」
咲夜は呆れて美鈴を見ていたが、美鈴の判断はどうやら正しかったようなので、それ以上の追及は止めた。
「はっはっは。レミリア、君は良い部下を持ったようだ」
「ええ……それで?幽霊になんてなって、どうしたのよ」
レミリアは幽霊男に尋ねた。幽霊というものの存在は、西洋でも東洋でもあまり変わりはない。
本来天に還るべき魂が、未練から現世に留まったものである。
「いやまあ、説明しておくとだな、私は私の死後、君が幸せに生きていけているかを見届けたかったんだ。そこで私は死ぬ前にこの像に自らの魂を封印した。封印が解かれる条件は、像が壊れることと、君が像の前に現れることだ。そして今、私は無事に出てこられたというわけだな」
「馬鹿なことをしたものね……」
レミリアはそう言ったが、その顔には苦笑ともつかぬ微笑みを浮かべている。
「どうやら一悶着あったようだが……私はこの像を数百年以内に壊れる運命にするように君に頼んだだろう。忘れていたのか?」
幽霊男は周囲の状態を見てそう言った。
先程暴走しかけたレミリアによって、倉庫の品々はかなり酷い有様になっている。
「うん。さっぱり忘れてたわ」
「えっ」
フランドールが声を上げた。幽霊男が出てきてからレミリアは何故か落ち着いていたが、像が壊れたという事実は消えていないのだ。
彼氏の幽霊に会えたからそれで良いって話でもないだろうに……とフランドールは思っていたが、今のやり取りを聞いて漸く合点がいった。
「じゃあ、あの像は最初から壊れるべくして壊れたってこと?」
「そういうことになるわね。フランが壊さなくても近いうちに壊れてたわ」
「な、何よそれ……」
フランドールは一気に力が抜ける思いだった。押し潰されるような罪悪感と戦ったこの一週間は何だったのか。
「でもフランが勝手にここに入ったのは事実よ。あとでお仕置きだからね」
「はーい……って、それはいいけどさ。なんでそんな大事なこと忘れてたのよ」
「意味も知らせず像を数百年以内に壊せなんて言われてもねえ。覚えておかなくても一度運命を弄っておけば勝手に壊れるし」
「とまあ、この話のオチはレミリアの物忘れってわけだ。香霖もそれを心配してたみたいでな」
魔理沙がそう締めた。
霖之助が言うには、幻想郷では60年周期で妖怪の記憶が消える現象が起こるため、レミリアが忘れている可能性が高いという話だったが、魔理沙はその話を半分以上聞いていなかった。
「というか、それなら最初からそう教えてくれれば良かったんじゃ」
フランドールは言った。霖之助が像を見た時点で全て見抜いていたのなら、その場でそれを話せばこんなに気を揉んだり、あわや大騒ぎになりかけることもなかったのではないか。
そんなフランドールの疑問に答えたのは、意外にも幽霊男だった。
「ああ、あの道具の内面を覗く能力を持った男か。それは私が頼んだんだよ。私がここにいることは内緒にしてくれと」
「なんでそんなことを……」
「君たちとレミリアとの信頼関係がどれ程のものかを見てみたくてな。いや悪い事をした」
フランドールは完全に気が抜けて、思わず床にへたり込んだ。あの時点から、霖之助とこの男に半ば弄ばれていたのだ。
パチュリーと咲夜もこの話を聞いて、同様に気が抜けた顔をしている。
「いやしかし、像を壊したのはレミリアの妹さんだったか。私が生きている間は終ぞ会うことは無かったが……良い関係になってきているようで何よりだが、あまりお姉さんに迷惑をかけては駄目だよ」
「は、はい。えっと、お義兄様?」
姉の彼氏としての言葉を掛けられたフランドールは、慣れないながらも頷いた。
「それにしても、私が死んだりしてたらどうするつもりだったの?」
レミリアが言った。幽霊男は、魂の封印が解除される条件としてレミリアが立ち会うことを挙げたのだ。つまり、もしレミリアが現れなければ彼は永遠に像に封印され続けていたことになる。
「その時は君が幸せになれなかったということだ。それなら私は自分だけのうのうと天に還ったりする気は無い。ここで永遠に君の事を想い続けよう」
「ちょ、ちょっと何言ってるのよ、みんな見てるのに」
「ひゅーひゅー」
強烈なことを言った幽霊男に、レミリアが赤面し、魔理沙が囃し立てた。
「まあそう言うなよ。これが最期だからね」
「えっ?」
「私はそろそろ逝くよ。君が良い部下、良い友に囲まれて幸せに暮らしていることはよくわかった。もう未練は無い」
そう言った幽霊男は、先程よりもより透明に、存在感が希薄になり始めていた。
それに気づいたレミリアは、慌てて幽霊男に手を伸ばすが、幽霊に触れることはできず、空を切るばかりである。
「え、ま、待ちなさいよ!勝手に帰ってきておいて、また勝手に消えるなんて……!」
レミリアはそこで言葉を詰まらせたが、すぐに次の言葉を紡いだ。
「……折角、また会えたのに」
今度は魔理沙は囃し立てなかった。
「死者は生き返らない。君はそのことをよく知っているだろう」
幽霊男はレミリアの頭を撫でるように手を動かしながら、哀しそうにそう言った。
それを聞いたレミリアは、まだ何か言いたげだったが、やがて諦めたように手を引っ込めた。
幽霊男は着実に消えていっている。
「ありがとう。君は私が死ぬ時もそうだったな。人間として死にたいという私の意志を尊重して、遂に眷属にすることは無かった」
その言葉を聞いた咲夜は、はっとして幽霊男を見た。
それに気づいた幽霊男は、最早靄ともつかぬ姿になりながら、今度は咲夜に言葉をかける。
「君は人間のようだね。レミリアは素晴らしい吸血鬼だ。人間として添い遂げることも───」
それ以降は聞こえず、幽霊男は完全に姿を消した。
後には何も残らず、ただレミリア像の残骸だけがそこに空しく存在していた。
「……逝ってしまわれたようですね」
暫しの静寂の後、咲夜がぽつりと言ったが、それに答える者は居ない。
レミリアは一同に背を向けたまま像の残骸を見ており、その表情は誰にもわからない。
「お嬢様、お疲れになったでしょう。とりあえず部屋に戻られては?」
咲夜はそう言ったが、返答は無く、レミリアは微動だにしない。
「……」
「お嬢様?」
不審に思った咲夜がレミリアに近づこうとしたが、ここでそれまで蚊帳の外にいた美鈴が口を開いた。
「さて皆さん!用事は済んだことですし持ち場に戻ることにしましょうか!お嬢様はまだここでやることがあるようですしね!」
「え?お姉様何かするの?あ、散らかっちゃったから片付け?それなら私も」
フランドールがそう言ったが、彼女以外は美鈴の言葉で全てを察していた。
「大丈夫です。ほらほら妹様、お茶にしましょうか」
美鈴がそう言ってフランドールを外に連れ出すと、他の者もそれに続いて、レミリアを残して倉庫から出て行った。
一人倉庫に残されたレミリアは、美鈴に感謝していた。
声を出すことすらできそうになかったのだ。もし声を出せば、堰は切れていたことだろう。
静かな倉庫の中に、吸血鬼が咽び泣く音だけが響いていた。
紅霧異変以来、紅魔館の中をウロつくようになっていたフランドールはある日、館の一角、まるで隠すように存在しているその扉を見つけたのだ。
その扉には、入ろうとする者を拒絶しているという意志を強く主張するかのように、ずっしりとした錠前が掛けられている。
しかし、それはむしろフランドールの好奇心を刺激する効果を発揮した。
このような鍵が掛けられている部屋は、紅魔館には他に存在しない。であれば、この館の主である彼女の姉、レミリア・スカーレットは一体この部屋に何を隠しているというのだろう。
近くに妖精メイドが通りがかったので、聞いてみることにした。
「そこの部屋ですか?ただの倉庫ですよ。何でもお嬢様が今までに集めた貴重品が納められているとか。お嬢様とメイド長、あとパチュリー様はそこの鍵を持ってるみたいです」
妖精メイドから帰ってきた返答は酷くありきたりなものだった。
とはいえ、一度気になったものは気になる。妖精メイドに礼を言って別れた後、フランドールはレミリアの部屋に向かった。
思えば、フランドールが姉の部屋を訪ねるなどということは今まで殆ど無かった。
地下から出るようになったことすら最近なのだから当たり前だが。
少し緊張しながら、レミリアの部屋のドアを叩く。
「誰かしら?入っていいわよー」
中から聞こえたレミリアの声に従って中に入ると、レミリアは椅子に座ってティータイムの最中だった。
近くには咲夜も控えている。
フランドールの姿を見たレミリアは、少なからず驚いた顔をしてティーカップを置いた。
「あらフラン、貴女が私の部屋に来るなんて珍しいじゃない」
「うん、ちょっと頼みがあるの」
「フランが私に頼み?まあ良いわ、座りなさい」
そう言ってレミリアはフランドールに椅子を勧めた。いつの間に出したのか、椅子の前にはフランドールの分の紅茶まで置いてある。
「いらない。そんなことより、鍵の掛かった倉庫あるじゃない?そこに入りたいんだけど」
すげなく断られたレミリアは、何やら悲しそうな顔をしている。
ついでに折角入れた紅茶が無駄になった咲夜も悲しそうにしている。
フランドールとしては別段反抗したつもりは無く、単に要らなかっただけなのだが。
彼女は社交辞令というものを知らない。
「あらそう……。倉庫に入りたい?それは駄目よ。あそこには壊されたら困る物が沢山あるんだから」
「えー、良いじゃないの。何も壊したりしないよ」
断られて、はいそうですかと引き下がるほどフランドールは従順な妹ではない。
とはいえ、今まで400年以上に渡ってひたすら引き籠ってきた身、レミリアの懸念は正当なものとは理解している。
「駄目と言ったら駄目。フランがもっと落ち着いたら見せてあげるわ」
「何よー。そんなこと言って、本当は見られたく無い物とかあるんじゃないの?」
折れないレミリアに対して、フランドールはそんなことを言ってみた。
が、今度は咲夜が口を挟んできた。
「妹様、あそこには私やパチュリー様も出入りできるのですよ」
先程妖精メイドから聞いていた事だ。
確かに、咲夜やパチュリーには見せても良くてフランドールには見せられないという物も無いだろう。
「むー……、わかった」
とりあえず反論の余地が無くなったので、フランドールは引き下がることにした。
「ごめんなさいね、そのうち見せてあげるから。紅茶はいらない?」
「いらない」
フランドールはレミリアの部屋を後にした。
見るなと言われると余計に見たくなるのが人の情というものである。人では無いが。
数日後、フランドールは再び例の扉の前に立っていた。
そもそも、錠前など吸血鬼の力の前には何の意味も無い。
フランドールは金属製の錠前に手を掛けると、能力を使うまでもなくそのまま錠前を引き千切った。
「まあ後でバレるだろうけど……中の物を壊さなければ問題ないよね」
フランドールは独り言と共に扉を開け、中に入った。
そこはなるほど倉庫のようで、絵画や胸像といった芸術品の類、何やら高級そうな陶器や家具といった物が雑多に置かれていた。
いかにも貴族の貯蔵品といった感じである。
「なんだ、本当にただの倉庫じゃない」
別に疑っていたわけでは無いが、特に面白い物も見つからず、フランドールは不満の声を上げた。
芸術品にしろ何にしろ、フランドールにはその価値などわからない。
こんな物壊されたって何だと言うんだ、という考えが湧きあがってきたが、直ぐに自重する。今の時点でも後で叱られそうなのに、ここの物を壊したりしたらどうなることやら。
つまらないので帰ろうと思い始めたフランドールだったが、一つの大きな箱が目にとまった。高さがフランドールの背丈ほどもあるその箱は、丁度人が一人入れそうなサイズである。
それだけならただの棺桶か何かだと思うだろうが、その箱にはこの部屋の扉にあったものに勝るとも劣らない、物々しい鍵が掛けられていた。
「鍵を掛けた部屋の中にあるものに鍵を掛けるって……それ意味あるのかな」
フランドールは思った事をそのまま口にしたが、もしかしたらそれほどまでに大事な物が入っているのかもしれない。
扉の鍵と同じように引き千切ろうとしたが、今度はびくともしなかった。
この鍵は単なる金属ではなく、魔力による封印が施されていたのだ。
フランドールはすぐそれに気づいた。
「封印されてる……それにこの魔力、お姉様の……?」
さらにフランドールは、その封印がレミリアによるものである事まで感じ取ることができた。
「わざわざお姉様が自分で封印するなんて……もしかして、咲夜やパチュリーにも見られたくない物が入ってるとか?」
その可能性は高いように思われた。
そうなると、俄然興味が湧いてくる。
だが同時に、そんな物を見てしまったらレミリアはどれだけ怒るだろう、という考えも当然頭をもたげてくる。
言い訳するかのように少し迷う素振りを見せたフランドールだったが、結論は最初から決まっていた。
「うーん、まあいっか」
どの道レミリアの命令に逆らってここにいるフランドールには、そんなことはもうどうでも良かった。
今度は自らの能力を使い、鍵の『目』を握りつぶすと、鍵はあっけなく砕け散った。
本来、レミリアの封印はそう簡単に破れるものでは無いのだが、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を持つフランドールの前には無力であった。
鍵を失った箱は簡単に開けることができた。その中に入っていたのは───
「お姉様!?……の、像?」
───等身大のレミリア像だった。
しかも、色が無い事を除けば思わず本人かと見紛うほどに良くできている。
「お姉様って、こんな趣味あったかなあ……」
精巧な自分の像を作らせるなど、人間でも余程の自己愛者でなければやらないような趣味である。
フランドールは、そんな趣味を自分の姉が持っているとは俄かには信じられなかった。
「まあ結構古いみたいだし、お姉様も昔はやんちゃだったのかな。今もだけど」
レミリアはあれで500年生きている。きっと引き籠っていた自分にはわからない過去も色々あるのかもしれない、とフランドールは思うことにした。
わざわざ人目につかないように隠してあるあたり、今のレミリアは流石にちょっと痛い趣味だったということも自覚しているのだろう。
試しにフランドールがレミリア像に少し触れてみると、ひやりとした感触がした。
どうやらこの像は大理石で作られているらしい。
───というより、触れなければ大理石であることもわからないほど、その表面は丹念に磨き上げられていた。
「……よく、出来てるなあ」
よく出来ている、なんてレベルでは無い。
フランドールが触れたレミリア像の頬は、そこにレミリアの頬そのものを作り出したのかと言いたくなる程に滑らかだった。
本来、それが石であることを感じさせる程度の違和感を主張するべき服や髪といった部分ですら、完全にそれを感じさせない見事な仕上がりになっている。
この像からは、レミリアという存在の美しさを余すことなく表現してやろうという執念、凄まじいまでの製作者の愛が感じられた。
とてもそこらの成金貴族が作らせるような像とはわけが違う。
もっとよく見たくなったフランドールは、レミリア像を持ち上げ、箱の外に出そうとした。
等身大の石像は人間に持ち上げられる重量ではないが、吸血鬼であるフランドールには関係が無い。
が、その時、不意に背後から声が聞こえた。
「妹様!何をしておられるのですか!」
「さ、咲夜!?ってあっ!」
後ろから掛かった声、それはフランドールが倉庫に無断侵入したことに気付いた咲夜の声だった。
不味かったのは、丁度その時、フランドールは完全にレミリア像を持ち上げていたのだ。
その状態で、後ろから急に驚かされるとどうなるか───
───レミリア像はフランドールの手から滑り、落下した。
安定の無い立像がすんなりと着地できるはずも無く、倒れて床に叩きつけられ、音を立てて砕け散った。
後ろにいた咲夜からは、フランドールが何を持っていたかすらよく見えず、咄嗟に時間を止めて像を守ることも敵わなかった。
「ああー!」
フランドールが悲鳴を上げた。
この瞬間に彼女が感じたのは、『やってしまった』とか、『お姉様に怒られる』とかいうことではなく、これほどの作品を壊してしまったことに対する強い自責の念だった。
「あー……やってしまわれましたか。まあ今のは私も悪いですね、後で一緒にお嬢様に謝りましょう。何を壊してしまったのですか?」
咲夜は以外にも落ち着いている。やはりここにある物は高級品とはいえ、一つや二つ壊したところでそこまで一大事というわけではないのだろう。
だが、この像は明らかにそれらとは違う。
近づいてきた咲夜は、レミリア像の残骸を見て固まった。
「これは……お嬢様、ですかね」
原型を失ったそれを見て、咲夜は直ぐに言い当てた。
レミリア像の残骸は、砕けても尚破片の一つ一つが、自らがレミリアの一部であることを主張しているかのようだったからである。
「うん……これ、大丈夫かな……?」
「こんな物がここにあったとは知りませんでしたが……そこの箱に入っていたのですね」
そう言った咲夜の視線は、レミリア像が入っていた箱、そしてその下に散らばっている砕けた鍵の方へ向いた。
無表情を保つ咲夜だが、その顔がだんだんと青ざめてくる。
「……もしかすると、物凄くまずいことになっているのかもしれません」
大丈夫じゃないらしい。
こうなっては仕方ない。早くレミリアに謝らなければ、と思うフランドールだが、フランドールの中の悪魔がそれに待ったをかけた。
よくある脳内での天使と悪魔の論争という奴である。本人が悪魔なのはさておき。
これが姉にバレたらどうなる?そりゃもちろん怒られるだろう。だが怒られるだけで済むだろうか?あの像は何か特別な品だとしか思えない。
それにあの像はこんな所に厳重にしまわれていたのだ。黙っていてもそうそう気付かれたりは───
「ねえ咲夜」
「何でしょう」
「この事はお姉様には内緒にし」
「駄目です」
脳内悪魔に負けたフランドールの提案は、戦うまでも無く脳内悪魔を忠誠心で踏み潰した咲夜によって却下された。
「とにかく、私はお嬢様にこの事を報告してきます。妹様は後で必ずお嬢様の元に謝りに行く。いいですね?」
例え相手が吸血鬼であっても、時に命令すらするのが咲夜というメイドである。
「わかった……」
有無を言わせないその口調に、フランドールは頷くしか無い。
「では、部屋に戻っていてください。もうここに入ってはいけませんよ」
「はーい……」
フランドールは、しおらしい態度で部屋に戻っていった。
「物凄くまずいことになりました」
あの後、レミリアの部屋に報告に行った咲夜は、今度はフランドールの部屋に来てそう言った。
「やっぱり怒ってた?お姉様……」
悪い知らせを持ってきたことが一発でわかる咲夜の言葉に、フランドールの顔は暗くなる。
「いや、怒ってたと言うか……」
『お嬢様、少しよろしいですか?倉庫にあるお嬢様の像のことなんですが』
『あら、あなたアレのこと知らなかったと思うけど』
『いえその、偶然見てしまったというか』
『ちゃんと封印できてなかったのかしら……まあ良いわ、見ちゃったのね』
『はい、それであの』
『恥ずかしいなー、もう。アレは別に変な悪趣味で作ったんじゃないのよ。プレゼントとして貰ったものなの』
『そ、そうなんですか。それでですね、』
『昔の恋人がね、もう死んじゃったけど。彼と出会ったのは480年前のことだったわ……』
「で?」
「その後、三時間ほどその恋人の惚気話を聞かされました。なんでもその方は人間の芸術家で、お嬢様の事が好き過ぎてあんなものを作ったとか」
「報告は?」
「……言えませんでした」
「……」
二人の間に気まずい沈黙が流れた。
フランドールには、咲夜を責めることができるはずもない。
やがて、フランドールが口を開いた。
「しかし、あのお姉様に恋人ねえ」
「はい、その方の事を話すお嬢様はとても楽しそうで、あの像を壊したことを告げたらどうなるのか……」
「やっぱり、お姉様に内緒にしたままどうにかできないかなあ」
一度は却下された提案だが、咲夜は正直に報告することを尻込んでしまった手前、無下にもできない。
「あまり得策とは思えませんが……それに時間がありません」
「時間?」
『流石にね?あんなもの目立つ所に飾ったりしたら色々引かれると思うのよ』
『まあ確かに』
『でも折角の思い出の品だからね、毎年彼の命日には見に行くことにしてるの』
『……その命日はいつですか?』
『もう一週間後だったかしら、そういえば』
「物凄くまずいわね」
「ええ、ですから物凄くまずいことになった、と」
「一週間以内かー」
「いえ、やはり正直に話した方が」
じゃあ咲夜言ってきてよ、とはフランドールは言わない。
元々壊したのは自分なのだ。咲夜に一番嫌な役目を押し付けて良い道理は無い。
「まあ正直に話すにしてもさ、慌てること無いんじゃない?一週間の間に何か良い方法が思いつくかもしれないし」
「そうですかねえ……」
フランドールの名誉のために書いておくと、決して彼女は責任逃れや、レミリアに怒られずに済む方法を考える事で頭が一杯なわけではない。
申し訳無いという気持ちで一杯であるのは勿論、誠意を持って謝らなければいけないと理解している。
とてつもない出来栄えのあの像を壊した瞬間からそう思っていたし、恋人の話を聞いたせいで罪悪感に押し潰されそうである。
だが、このままただ起こった事をレミリアに話せば、レミリアは大いに怒り、悲しむだろう。
この避けられない悲劇を少しでも軽減し、多少なりとも幸せな結末へと導くにはどうしたらいいかを真剣に考えているのだ。
また、咲夜もそのようなフランドールの考えを理解しているからこそ、一見すれば不誠実とも思えるフランドールの提案を真っ向から否定はしない。
「一番最初に思いつくのはあの像を元通りに直すことだけど……咲夜できる?」
「できません。私の能力は時間を巻き戻すことはできないのです」
「だよねえ」
フランドールは、初めから返答がわかっていたかのように言った。
それができるなら、咲夜は最初からやっているだろう。
「うーん……」
「……」
二人はしばらくレミリア像を直す方法を考えていたが、結局、この日は何も解決策が得られないまま終わった。
レミリア像が壊れてから二日目、咲夜とフランドールの二人は大図書館を訪れた。
「あら咲夜……と妹様?珍しい組み合わせね」
同じ建物に住んでるのに、という皮肉のような何かを付け加えながら、図書館の主であるパチュリーは二人を迎えた。
迎えたといっても、手元の本に目を落としたままである。
「実は、私達からパチュリー様に折り入って相談があるのです」
「私達、ねえ。嫌な予感しかしないけど、言ってみなさい」
相変わらず本を閉じようとはしないが、『嫌な予感』と言った時のパチュリーの目線はフランドールの方を向いていた。
あんまりだとフランドールは思う。しかしその嫌な予感は正しいのでどうしようもない。
とにかく事情を説明するため、フランドールは口を開いた。
「ええとね、パチュリー。なんかガラクタがいっぱい置いてある倉庫あるでしょ?鍵の掛かった」
「あるわね。私とレミィと咲夜が入れて、妹様は鍵を壊しでもしないと入れないはずの倉庫が」
「う、うん、鍵壊して入っちゃったんだけどさ」
実に嫌味ったらしい魔女だが、その頭の回転は速い。
「中の物を壊したんでしょう?正直に話せば、レミィがそこまで怒るような物も置いては───」
さらに話の先まで予測したパチュリーは、しかしここで咲夜の方を見て言葉を止めた。
(そんなことは咲夜もわかっているはず……いや、そういえばあそこにはガラクタ以外にも『アレ』が───)
「あなた達、まさか」
「……多分、そのまさかで正しいと思います」
パチュリーの思考速度に追いついた咲夜が答えた。
それまでどうでも良さそうな態度だったパチュリーは、神妙な顔をして本を閉じると、恐る恐る尋ねる。
「鍵の掛かった箱の中身、レミィの像を壊したのね……?」
肯定を意味する沈黙が流れた。
「な、なんてことを……本当にヤバいわ、それは、ヤバいわ、本当に……!」
「そ、そんなにヤバいの?」
明らかに冷静さを失い始めたパチュリーに、フランドールはたじろきながらも言った。
「あれはレミィの、本当に大切な一番の宝物なのよ!ただでは済まないわ!妹様も、レミィも!」
「ど、どういうこと!?」
フランドールは尋ねた。
やはりとんでもなく大事な物であったというショックもあるが、それ以上にパチュリーの言葉には不明な点がある。
自分がただでは済まないのはわかるとして、レミリアもというのはどういうことだろうか。
「あなた達以外は誰も知らないわね!?もしそのことをレミィが知ったら」
「紅茶です、お三方」
「こああああああーっ!?」
話を理解したパチュリーが冷静さを全て失い終わった頃合いに、小悪魔が紅茶を持ってきた。
パチュリーは一通り奇声を上げた後に、普段からは想像もつかない俊敏な動作で立ち上がり、小悪魔の胸倉に掴みかかった。
「な、なんですか!?どうしたんですか!?」
「こここ小悪魔!今の話聞いて無かったでしょうね!?」
「聞いてません!聞いてたって言ったら殺されそうなんで聞いてません!」
それだけ言うと、小悪魔は逃げるようにしてどこかへ行った。
「パチュリー様、落ち着いてください」
そう言って、咲夜はパチュリーを椅子に座らせた。
パチュリーが息を落ち着けるのを待ってから、咲夜は口を開く。
「……パチュリー様はあの像の事をご存知だったのですね」
「まあね……何十年も一緒にいれば恋バナの一つくらいするわよ」
ようやく落ち着いた様子のパチュリーは、やがて疲れたように話を始めた。
「レミィはね、あの像を本当に信頼した相手にしか見せないの。というか私にしか見せたことが無いって言ってたわ。まあでも咲夜にはそのうち見せるつもりだったでしょうね、倉庫の鍵を渡していたわけだし」
咲夜は、あの像を見てしまったことを告げた時のレミリアの反応を思い出した。
フランドールは暗い顔をして俯いている。
「妹様にだって別に隠そうとしていたってわけじゃないと思うわ。鍵を渡して自由にさせるのがまだ危なかっただけで」
フランドールがレミリアに信頼されていないわけではない、というパチュリーらしからぬフォローだが、フランドールの顔が晴れることは無い。
「そこは問題じゃない。問題なのは、そのことを知ったらレミィは深く傷つくこと。命の比重が精神に偏っている妖怪にとってそれはとても危険なことなのよ。像が壊れたことをレミィが知ったらレミィの身が危ないかもしれないの」
「え、な、何それ」
予想だにしなかった話の展開に、フランドールは思わず声を上げた。
「古今東西、様々な妖怪の逸話において妖怪と人間が愛し合った例は少なくないわ。でも、それがハッピーエンドに終わった話はほとんど存在しない」
「……人間は先に逝ってしまうからですね」
咲夜が言葉を繋いだ。人間でありながら妖怪のレミリアに付き従う彼女にとって、その話は他人ごとではない。
パチュリーは頷き、話を続ける。
「その通りよ。そして残された妖怪は大抵の場合、その悲しみに精神が耐えられなくなる。消滅する者もあれば、発狂した挙句退治される者もある。少なくとも、残された妖怪はその後も幸せに暮らしました、なんて話を私は聞いたことが無いわ」
「でも、お嬢様の恋人は既に……」
「そう、でもレミィは消滅だの発狂だのしたりはしなかった。その理由は二つあるわ。一つは単にレミィが強かったから。もう一つは」
「……残してくれた物が、あったから」
今度はフランドールが口を開いた。
その顔は今までにないほどの悲壮に満ちている。
そんなフランドールを一瞥し、パチュリーは話を続ける。
「まあ、私の予想だけどね。でも確信はある。レミィはわかってるのよ、あの像が自分の真の弱点だって。だから本当に信頼した相手にしか見せないの」
吸血鬼というのは多くの弱点を持つ。だが、そのどれもが吸血鬼を死に至らしめるほどの効力を持ちはしない。それらの弱点は、吸血鬼が最も突かれたくない、真の弱点を隠すためのカモフラージュに過ぎないのではないか───
というのは、かつてパチュリーが立てた仮説である。ゆえに、パチュリーは確信したのだ。レミリアがある日自分に明かしたレミリア像の存在、その『愛』こそが吸血鬼の真の弱点ではないのかと。
「そして、その像を妹様が壊した、と」
別に咎めるでもない、ただ淡々と事実を語る口調だったが、その中に親友の大事な物を壊されたことに対する怒りが含まれていたかどうかは、フランドールにはわからなかった。
「実際のところ、像が壊れたということを知ったレミィがどうなるかは私には見当もつかない。ただ、妖怪にとって大きな精神ダメージはそれだけで危険ということよ。ショックで暴れ出すかもしれないし、死んでしまうかもしれない。少なくとも何も起こらないというのは考えにくいわ。私がいままでレミィのあの像に対する執着を見てきた限りでは」
話を終えると、パチュリーは何事も無かったかのように本を開いた。
「本が逆さです、パチュリー様。……それで、どうしましょう?」
咲夜が言った。
パチュリーの語った事実は重大なものだったが、結局やることは変わらない。
如何にこの件を穏便にすませるか、だ。
レミリアに最もダメージを与えない方法で、レミリア像が壊れたという事実をどうにかしなければならない。
「理想は、像が壊れたという事実を無かったことにすることね」
何事も無かったかのように逆さの本を閉じたパチュリーが言った。
人の物を壊しておきながら、バレないようにこっそり直す。
明らかに不誠実な行為だが、こと今回の件についてはそれこそが最良の選択肢のように思えた。
「私や妹様にはできそうもありませんが……パチュリー様なら可能でしょうか?」
「それは何とも言えないわ。実際に見てみない事には」
そう言うと、パチュリーは立ち上がった。
レミリア像の残骸がある倉庫に向かうためだが、その前にフランドールが口を開いた。
「パチュリー!」
「何かしら」
動きを止めてフランドールの方を見たパチュリーの顔は、これまでの態度と同じくどこか刺々しい。
「その……ごめんなさい」
「……それを言う相手が私じゃないことはわかるでしょう?」
そう答えるパチュリーの顔は、しかし先ほどより多少穏やかさを得たように感じられた。
と、その時、本棚の影から何かが飛び出てきた。
「話は聞かせてもらったぜ!別にあっと驚く解決策とかは無いが!」
「「「……………」」」
物凄く微妙なタイミングで出てきて微妙なことを言った霧雨魔理沙の姿を見た三人の、じっとりとした視線が彼女に突き刺さる。
「いや、な?私もちょっと空気読めてないとは思ったさ。だが盗み聞きしておいて知らぬ顔で帰るのも収まりが悪いだろ?」
「なら聞くな」
パチュリーは言った。当然の指摘である。
「聞いちまったもんは仕方ない」
魔理沙はそう言うと、倉庫に向かおうとする三人の後に当たり前のように続く。
それを見たパチュリーは、溜息をついて諦めたように言う。
「はぁ……何言ってもついて来るんでしょうね。好きにしなさい」
「しかしパチュリー様。あの中の物を盗まれるのはまずいですよ」
魔理沙は泥棒である。咲夜は心配してそう指摘したが、パチュリーは素知らぬ顔で、
「あそこにあるのは魔法使いの興味を引く類の物じゃないわ」
とだけ言った。
倉庫に訪れた四人は、レミリア像の残骸を前にしていた。
と言っても、魔理沙はすぐに倉庫の物を見て回り始めてしまった。
レミリア像の状態を確認したパチュリーは、諦めたように言う。
「これは……無理ね」
「やっぱり?」
多少調子を取り戻したフランドールが言った。
「魔法で大理石と大理石の継ぎ目を無くすくらいのことは出来るわ。だから損傷が激しくなければ直せるとは思ったんだけど。ここまで粉々になってると……」
そう言って、パチュリーはレミリア像の破片をいくつか手に取り、手で軽く繋げた。
それはどうやら腕の一部のようだが、継ぎ目には失われた細かい破片が存在するらしく、隙間が空いていた。
「これじゃ本格的な復元、造形の技術が必要になる。専門外ね、私には」
「パーツは全部残ってると思いますが、くっつけるだけでは無理なものですか?」
「元の像の完成度は知っているでしょう?素人がそんなことしてどうなるものではないわ」
残骸からある程度推測はできるが、咲夜は壊れる前のレミリア像を見てはいない。
だが、フランドールはパチュリーの言葉に頷いていた。
それを見て、咲夜はまた口を開く。
「美術品の専門家ですか……幻想郷にそんな人いますかね」
その咲夜の言葉に答える者は居ない。
しばらく沈黙が続いて、次に口を開いたのは、レミリア像そっちのけで倉庫の中を物色していた魔理沙だった。
「ったく、大した物無いじゃないか、ここは。期待して損したぜ」
「帰れ」
パチュリーが怒りを隠そうともせずに言った。
「冗談だぜ。その像の修復ができる奴だろ?私に心当たりがある。明日連れてきてやるよ」
「本当!?」
魔理沙の言葉に、フランドールは歓喜して言った。
「ああ。乗りかかった船だ、出来る協力はしてやる」
ここで魔理沙はニヤリと笑い、
「もちろん、報酬は期待していいよな?」
と言ってパチュリーの方を見た。
魔理沙は別に報酬目当てで付いてきたわけでもなく、純粋にこの件に協力したいと思っていたのだが、こういうことを言わねば気が済まないのは性分である。
「……あなたが直すわけじゃないでしょうに」
「紹介料ってやつだ。それにこんなことができるのは幻想郷にあいつくらいなもんだぜ」
「考えておいてあげるわ」
「それは払う気が無いって意味の言葉だな。まあ良い、とにかく明日だ。待ってな」
それだけ言うと、魔理沙はくるりと背を向けて倉庫の出口へ向かう。
「ありがとう!魔理沙!」
フランドールはそう言って、去る魔理沙の背中に向けて手を振った。
魔理沙はそんなフランドールに手を挙げて答えると、そのまま出て行った。
「アテにしていいのかしらねえ」
パチュリーは呆れたように言った。
「魔理沙は交友関係が広いですから。あそこまで言ったのならそれなりの助っ人を連れてきてくれるとは思いますよ」
「だといいけど」
魔理沙が連れて来るであろう助っ人をアテにしつつ、今のままでは手も足も出ない三人は解散した。
レミリア像が壊れてから三日目、魔理沙は紅魔館に一人の男を連れてきた。
男の名は森近霖之助、古道具屋『香霖堂』の店主である。
紅魔館の玄関口では、咲夜とフランドール、パチュリーの三人が魔理沙と霖之助を出迎えた。
「いらっしゃいませ。店主さんでしたか、魔理沙の言う専門家とは」
「あら、咲夜の知り合いなの、この人」
フランドールが言った。
「ええ、いつもお世話になっている道具屋の店主さんです」
「話は魔理沙から聞かせてもらったよ。得意先の一大事とあっては協力しないわけにいかないからね」
魔理沙は盗み聞きしたことも含めて全てを霖之助に話したようだ。
咲夜は魔理沙を睨みつけたが、魔理沙は素知らぬ顔をしている。
「早速、件の像を見せてもらえるかな?」
「はい、ではこちらに」
そう言って咲夜は、霖之助を倉庫へ案内した。
後にはパチュリーとフランドール、魔理沙が続く。
倉庫に着くと、霖之助は中の品々を見て、圧倒されたように言った。
「これは……凄いな。幻想郷にこんな宝の山があったとは」
「どれも一流の名品ばかりですわ。それはともかく、例の像は奥です」
咲夜はそう言ってレミリア像の残骸がある場所に歩き出すが、霖之助が付いてこない。
振り向くと、霖之助はかじりつくように周囲の品に見入っていた。
「まあ待ってくれ、この絵画は素晴らしい。これは恐らく16世紀後半の───」
霖之助に全員の呆れ顔が向けられるが、本人は気づいていない。
「後にしろ香霖。フラン、構わないからこいつを引きずって行け」
魔理沙の言葉に従って、フランドールは霖之助の服を掴んだ。
圧倒的な力に引きずられながらも、霖之助は周りの物色を止めない。
「おっとっと……あ、そっちの陶器は───」
「魔理沙、大丈夫なのこの人」
フランドールは霖之助を引きずりながら、魔理沙に尋ねた。
霖之助は、長年引き籠っていたフランドールから見ても変人である。
「大丈夫じゃないが、腕は確かだ」
「あ、そう……」
「へえ、似た物同士というわけね」
「何い?」
魔理沙とパチュリーが軽く喧嘩を始めたが、レミリア像の残骸の場所に着いたのですぐに中断された。
霖之助はようやく余所見を止めると、それを観察し始めた。
「ふむ、これか。これだけ損傷の激しい大理石像だとかなり手間が掛かるが……期限はあと四日だったね?」
「ああ。後四日で直せなけりゃこれがレミリアにバレて、こいつらはこっ酷く叱られるってわけだ」
魔理沙が冗談めかして言うが、誰も笑わない。
「まあこれなら何とか───」
そう言って霖之助はレミリア像の破片に触れたが、それと同時に言葉を止めた。
「……」
霖之助はそのまま、手に取った物を無言で睨みつけている。
不審にも思える動作だが、周囲の者は霖之助が何やら鑑定しているのだろうと思い、声を掛けなかった。
しばらくして霖之助が口を開く。
「……悪いが、この依頼は受けることができない」
「えっ?」
咲夜が驚きの声を上げた。
咲夜だけでなく、霖之助以外の全員が彼に驚愕の眼差しを向けている。
「僕はこれで帰らせてもらうよ」
霖之助はそう言うと、踵を返して部屋の出口に向かって歩き出した。
「ちょっと待ってくださいよ!いきなりどうしたんですか!」
咲夜が慌てて引き止める。ここで霖之助に断られては他に手立てが無い。
「そ、そうよ!さっきまでやる気まんまんだったのにいきなり何なの!?」
「変人は気が変わりやすいのかしら?商売人としては良くない事のように思えるけど」
フランドールとパチュリーも霖之助に抗議の声を上げた。
三人の言う通り、霖之助の行動は明らかに異常であり、彼女らの言葉は至極当然のものである。
しかし、魔理沙はそれに参加する様子は無く、ただ何やら思案するような面持ちで眺めるのみだった。
「無茶を言ってるのは判っているさ。しかし僕には出来ないんだ、この仕事は」
霖之助はそう言いながら、帰る足を止めようとはしない。
「そんな、どうして出来ないんですか?せめて理由くらいは」
「理由か……そうだな、美術品というものは製作者がその魂を込めて作り出した物だ。壊れたからといってその本質は変わらないし、他人の手で直すことには何の意味も無い。それだけの話だ」
「え、ええ……?」
理解出来るような出来ないような霖之助の理屈に、咲夜は返す言葉が見つからなかった。
そうこうしているうちに、霖之助は部屋の外に出て行ってしまった。
「お、おい!待てよ香霖!……あ、そういうことだ。悪かったな、力になれなくて」
魔理沙はそう言い残して、霖之助の後を追った。
フランドール、パチュリー、咲夜の三人は呆然としてそれを眺めるしか無かった。
やがて、パチュリーが疲れた声で言う。
「何なのよ、もう」
全員の気持ちを代弁した言葉だが、言ってどうなるものでもない。
「……とにかく、我々だけでなんとかするしか無いようですね」
「どうやって?」
「……」
三人は途方に暮れていた。
「さて香霖、一体何を見たんだ?」
香霖堂への帰り道、紅魔館から十分離れたことを確認した魔理沙は、霖之助に尋ねた。
「何のことかな?」
「とぼけるなよ。像に触れた時に能力を使っただろ」
魔理沙は真剣な顔で追及している。
「目敏い奴だ。だが僕が能力を使ったとして君が気にするようなことかい?」
「私がお前をあいつらに紹介したんだ。それに紅魔館の奴らがどうなっても良いなんて思ってるわけじゃないだろ、お前は」
そう言って、魔理沙は霖之助を睨みつけた。
霖之助はやれやれと肩をすくめ、口を開いた。
「別に大したものを見ていないさ。ただそうだな、心配しなくともこの話はハッピーエンドに終わる」
「ふん、あいつらの心配なんざしちゃいないぜ」
そう言いながらも顔を緩ませた魔理沙を見て、霖之助も軽く微笑む。
「そうかい。しかし何を見たと言ってもな、僕は咲夜に嘘をついてはいない。あの像には製作者の魂が込められていたというだけなんだよ」
「なんだそりゃ」
「四日後にわかるさ」
霖之助のぼかすような物言いに、魔理沙はそれ以上の追及を止めた。
魔理沙は霖之助の事を信用している。
「まあそれはいいが、放っておけばなるようになるってことでいいのか?私達の出番は終わりか?」
「……いや、少し気になる事がある」
「ほう」
四日後、遂にレミリアが像を見に来る日が訪れた。
フランドール達はあれから何一つ有効な策を講ずることができず、ただこの日を待つことしかできなかった。
そして今、フランドール、咲夜、パチュリーの三人は倉庫に隠れてレミリアが来るのを待っている。
像を見に来たレミリアに全てを打ち明けようというわけだ。
壊れた像を見たレミリアがショックを受ける可能性から、破片は床に捨てておくわけにもいかず、元の箱の中に収められている。
「いい?この部屋には防護魔法が掛けてあるわ。もしレミィが取り乱したら私達が抑えるのよ」
「うん……」
そう答えるフランドールの顔は暗い。
「今更くよくよしても仕方ないです、妹様。今私達にできることをしましょう」
咲夜はそう言ったが、彼女の顔にも緊張と恐怖が浮かんでいる。
最悪の場合、この場でレミリアが死ぬことすら有り得るのだ。
「あ、お姉様来た……!」
フランドールが言った。
ドアが開き、レミリアが入ってくるのが見える。
「全く、咲夜はどこに行ったのかしら……改めて見せてあげようと思ったのに。フランにも見せようと思ったのに地下室にいないし」
レミリアは独りごちた。
それを聞いた咲夜とフランドールは顔を見合わせた。
「やっぱりあなた達には見せるつもりだったようね……さあ、レミィが箱を開ける前に行くわよ」
レミリアが箱の前に立ったところで、三人は飛び出した。
「待って、お姉様!」
フランドールが口火を切った。
レミリアは突然現れた三人に驚きながらも口を開く。
「!?あなた達、どこにもいないと思ったら……こんな所で何してるのよ」
「レミィ、今から私達が話すことを落ち着いて聞いてほしいの」
パチュリーはレミリアの問いには答えず、そう言った。
それを聞いたレミリアは、何やら尋常ならざる事情があることは察したのか、表情を消した。
「……言ってみなさい」
レミリアはそう言ったが、本来なら彼女は尋ねずとも三人が伝えたい事が予測できるはずである。
この倉庫に来たこのタイミング、ここに入ることを禁じているはずなのに現れたフランドール、『落ち着いて聞け』と言うパチュリー、偶然像を見てしまったと言っていた咲夜───
レミリアの思考は、彼女が最も辿りつきたくない結論へと向かっていた。
彼女がそれを言わずにただ続きを促したのは、『そうであって欲しくない』という願望が強すぎるが故に歪んだ『そうであるはずがない』という思い、言わば現実逃避に近いものであった。
しかし無情にも、フランドールは次に、レミリアが最も言って欲しくなかった言葉を言った。
「実は……そこの箱に入ってたお姉様の像をね、壊しちゃったの。ごめんなさい」
「……」
レミリアは無言で三人に背を向けた。
レミリアが像の残骸の入った箱の方を向き、フランドール達はそれを後ろから見ている構図である。
フランドール達からはレミリアの表情はわからない。
「お嬢様、私も悪いんです。妹様がこの像を見ている時に私が後ろから声を掛けたせいで……」
「いいのよ」
レミリアは背を向けたまま言った。
「え?」
レミリアの言葉に驚きの声を出したのはパチュリーだった。
長年レミリアと暮らしたパチュリーは、レミリアがどれだけこの像を、この像を作った男との思い出を大切にしているかをよく知っている。いいのよ、の一言で片づけられるなどあり得ない。
咲夜とフランドールは驚きながらもその顔に安堵の色が見え始めていたが、パチュリーは寧ろ警戒を強めた。
「……レミィ」
「いいのよ、こんな物。私がどうかしてたのよ、吸血鬼のくせに人間の亡霊にいつまでもとり憑かれて……きっとこれは罰だわ。あんな奴のこと、さっさと忘れるべきだったの。私が悪いのよ、全部……そう、私が」
「お嬢様、止めてください!」
震える声で語っていたレミリアを、咲夜が遮った。
「……その像を作った方との思い出を話す時のお嬢様は、私が今まで見た事無いような素敵なお顔をされていました。それをそんな言い方……止めてください」
「そ、そうよ、お姉様。お姉様は何も悪くないのに───」
「お前等に何がわかるッ!!!」
レミリアの怒号が倉庫内に鳴り響いた。
それと同時に、レミリアを中心に辺りに禍々しい魔力が立ち込め始めた。
それを見たパチュリーは、レミリアを抑えるために用意しておいた魔法を構える。
(これはかなりまずい状態ね……)
パチュリーの予想通り、レミリアは像が壊れたことによる精神的ショックから、今まさに暴走状態になろうとしていた。
「レミィ、落ち着いて。取り乱したらダメ。今のあなたは」
「黙れ!私がどれ程、どれだけ、ああ───」
最早言葉にならないレミリアの叫びが響き、暴走した魔力は周囲の高級品を軋ませ、破壊し始めた。
「───っ!妹様、咲夜!」
パチュリーは説得を諦め、フランドールと咲夜に声を掛けた。
こうなっては想定していた最悪の展開、暴れるレミリアを力ずくで止めなければならない。
「待て!」
三人が戦闘態勢に入ろうとしたその時、倉庫の入り口から声が響いた。
全員が何事かと声のした方を見ると、その声の主は霧雨魔理沙だった。
誰もが驚きと疑問の声を上げようとしたが、一番最初に口を開いたのはレミリアだった。
「魔理沙。なぜあなたがここにいるのか知らないけど、今すぐ消えなさい。死ぬわよ」
レミリアが辛うじて残っていた理性から絞り出した言葉だったが、魔理沙がその通りにするはずもない。
「全く、来て良かったぜ。香霖の言う通りだったな」
「……どういうこと?魔理沙」
意味不明な魔理沙の言動に、咲夜が尋ねた。
だが魔理沙はそれにも耳を貸さず、また別の事を言い出す。
「レミリア、その箱を開けるんだ」
「魔理沙、それは」
魔理沙の急な提案に、パチュリーが抗議の声を上げようとした。
今のレミリアに壊れた像そのものを見られては、最後のタガが外れてしまうとしか思えない。
だが魔理沙の言葉に文句を言う余裕すら無いレミリアは、言われるがままに箱を開けた。
「ちょっと待───」
パチュリーの制止も空しく、レミリアは既に箱の中身を目の当たりにしていた。
そこには言うまでも無く、無残に破壊されたレミリア像の破片が転がっているのみである。
フランドール、パチュリー、咲夜の三人に緊張が走った。
言葉で伝えられただけであれほど取り乱していたレミリアが、壊れた像をはっきりと見てしまった。
三人は、次の瞬間にレミリアが爆発してもおかしくないというような面持ちでそれを見ている。
一方で魔理沙は、そんな三人とレミリアをニヤニヤしながら眺めていた。
しばらく張りつめた静寂が続いたが、それを破ったのはレミリアの大きな溜息だった。
「はあぁぁぁぁ……そういうことだったのね、全く」
そう言ったレミリアには先ほどの取り乱した様子は無く、暴走しかけていた魔力も収まっていた。
何があったのかわからないフランドール達は、ただぽかんとしてそんなレミリアを見ている。
レミリアは振り返り、そんな三人に苦笑しながら、箱の前から退いた。
それによって、後ろにいたフランドール達からも箱の中が見えるようになる。
その箱の中にあったものは……否、居た者は、半透明の男の幽霊だった。
「……え?」
誰からともなく声が上がった。何だこれは?どういうことだ?何故ここに幽霊がいる?というか誰だこいつは?
そんな疑問の渦がフランドール達の間に起こったが、次のレミリアの言葉はそれらを全て吹き飛ばした。
「紹介するわ。私の彼氏よ」
「「「ええええええええええ!?!?」」」
パチュリー、フランドール、咲夜の三人は驚いた。それはもう盛大に驚いた。あの世で自慢できるくらい驚いた。
それを知っていたらしい魔理沙はそんな三人をみて爆笑しており、非常にやかましい。
やがて騒ぎが収まると、最初に口を開いたのは幽霊男だった。
「やあ、驚かせてすまないな。レミリアの言った通り私は彼女の彼氏だ。400年以上前の話だが。初めまして皆さん」
「え、は、初めまして……」
フランドールが辛うじて挨拶を返した。
「え、本当にレミィの彼氏さん?じゃああなたがレミィとあんな、激しい……」
「……レミリア、君は一体何を話したんだ」
あらぬことを言いだしたパチュリーに、幽霊男が鼻白んだ。
「女子の恋バナはエグいものよ」
レミリアはしれっとそんなことを言った。
「ちょっと魔理沙……これはどういうことなの?」
そんな会話を始めたパチュリー達とは対照的に言葉の出ない咲夜だったが、漸く冷静さを取り戻したのか、魔理沙に尋ねた。
「香霖が言ってたろ?この像には製作者の魂が込められてるとか何とか。それはこういうことだったらしいぜ」
「何よそれ……というかどうやって入ってきたの、あなた。今日は絶対誰も通さないように美鈴に伝えてあったはずだけど」
半ば投げやりに魔理沙の説明に答えた咲夜は、思い出したように別の疑問を投げかけた。
レミリアが暴れた時の事を考え、今日は紅魔館に誰も入れないようにしていた筈なのだ。
「おう、それはだな」
「あ、ごめんなさい。私が入れました」
咲夜の疑問に答えようとした魔理沙だが、答えたのはその背後から現れた紅美鈴だった。
「そういうことだ。察しの良い門番で助かる」
「……」
咲夜は呆れて美鈴を見ていたが、美鈴の判断はどうやら正しかったようなので、それ以上の追及は止めた。
「はっはっは。レミリア、君は良い部下を持ったようだ」
「ええ……それで?幽霊になんてなって、どうしたのよ」
レミリアは幽霊男に尋ねた。幽霊というものの存在は、西洋でも東洋でもあまり変わりはない。
本来天に還るべき魂が、未練から現世に留まったものである。
「いやまあ、説明しておくとだな、私は私の死後、君が幸せに生きていけているかを見届けたかったんだ。そこで私は死ぬ前にこの像に自らの魂を封印した。封印が解かれる条件は、像が壊れることと、君が像の前に現れることだ。そして今、私は無事に出てこられたというわけだな」
「馬鹿なことをしたものね……」
レミリアはそう言ったが、その顔には苦笑ともつかぬ微笑みを浮かべている。
「どうやら一悶着あったようだが……私はこの像を数百年以内に壊れる運命にするように君に頼んだだろう。忘れていたのか?」
幽霊男は周囲の状態を見てそう言った。
先程暴走しかけたレミリアによって、倉庫の品々はかなり酷い有様になっている。
「うん。さっぱり忘れてたわ」
「えっ」
フランドールが声を上げた。幽霊男が出てきてからレミリアは何故か落ち着いていたが、像が壊れたという事実は消えていないのだ。
彼氏の幽霊に会えたからそれで良いって話でもないだろうに……とフランドールは思っていたが、今のやり取りを聞いて漸く合点がいった。
「じゃあ、あの像は最初から壊れるべくして壊れたってこと?」
「そういうことになるわね。フランが壊さなくても近いうちに壊れてたわ」
「な、何よそれ……」
フランドールは一気に力が抜ける思いだった。押し潰されるような罪悪感と戦ったこの一週間は何だったのか。
「でもフランが勝手にここに入ったのは事実よ。あとでお仕置きだからね」
「はーい……って、それはいいけどさ。なんでそんな大事なこと忘れてたのよ」
「意味も知らせず像を数百年以内に壊せなんて言われてもねえ。覚えておかなくても一度運命を弄っておけば勝手に壊れるし」
「とまあ、この話のオチはレミリアの物忘れってわけだ。香霖もそれを心配してたみたいでな」
魔理沙がそう締めた。
霖之助が言うには、幻想郷では60年周期で妖怪の記憶が消える現象が起こるため、レミリアが忘れている可能性が高いという話だったが、魔理沙はその話を半分以上聞いていなかった。
「というか、それなら最初からそう教えてくれれば良かったんじゃ」
フランドールは言った。霖之助が像を見た時点で全て見抜いていたのなら、その場でそれを話せばこんなに気を揉んだり、あわや大騒ぎになりかけることもなかったのではないか。
そんなフランドールの疑問に答えたのは、意外にも幽霊男だった。
「ああ、あの道具の内面を覗く能力を持った男か。それは私が頼んだんだよ。私がここにいることは内緒にしてくれと」
「なんでそんなことを……」
「君たちとレミリアとの信頼関係がどれ程のものかを見てみたくてな。いや悪い事をした」
フランドールは完全に気が抜けて、思わず床にへたり込んだ。あの時点から、霖之助とこの男に半ば弄ばれていたのだ。
パチュリーと咲夜もこの話を聞いて、同様に気が抜けた顔をしている。
「いやしかし、像を壊したのはレミリアの妹さんだったか。私が生きている間は終ぞ会うことは無かったが……良い関係になってきているようで何よりだが、あまりお姉さんに迷惑をかけては駄目だよ」
「は、はい。えっと、お義兄様?」
姉の彼氏としての言葉を掛けられたフランドールは、慣れないながらも頷いた。
「それにしても、私が死んだりしてたらどうするつもりだったの?」
レミリアが言った。幽霊男は、魂の封印が解除される条件としてレミリアが立ち会うことを挙げたのだ。つまり、もしレミリアが現れなければ彼は永遠に像に封印され続けていたことになる。
「その時は君が幸せになれなかったということだ。それなら私は自分だけのうのうと天に還ったりする気は無い。ここで永遠に君の事を想い続けよう」
「ちょ、ちょっと何言ってるのよ、みんな見てるのに」
「ひゅーひゅー」
強烈なことを言った幽霊男に、レミリアが赤面し、魔理沙が囃し立てた。
「まあそう言うなよ。これが最期だからね」
「えっ?」
「私はそろそろ逝くよ。君が良い部下、良い友に囲まれて幸せに暮らしていることはよくわかった。もう未練は無い」
そう言った幽霊男は、先程よりもより透明に、存在感が希薄になり始めていた。
それに気づいたレミリアは、慌てて幽霊男に手を伸ばすが、幽霊に触れることはできず、空を切るばかりである。
「え、ま、待ちなさいよ!勝手に帰ってきておいて、また勝手に消えるなんて……!」
レミリアはそこで言葉を詰まらせたが、すぐに次の言葉を紡いだ。
「……折角、また会えたのに」
今度は魔理沙は囃し立てなかった。
「死者は生き返らない。君はそのことをよく知っているだろう」
幽霊男はレミリアの頭を撫でるように手を動かしながら、哀しそうにそう言った。
それを聞いたレミリアは、まだ何か言いたげだったが、やがて諦めたように手を引っ込めた。
幽霊男は着実に消えていっている。
「ありがとう。君は私が死ぬ時もそうだったな。人間として死にたいという私の意志を尊重して、遂に眷属にすることは無かった」
その言葉を聞いた咲夜は、はっとして幽霊男を見た。
それに気づいた幽霊男は、最早靄ともつかぬ姿になりながら、今度は咲夜に言葉をかける。
「君は人間のようだね。レミリアは素晴らしい吸血鬼だ。人間として添い遂げることも───」
それ以降は聞こえず、幽霊男は完全に姿を消した。
後には何も残らず、ただレミリア像の残骸だけがそこに空しく存在していた。
「……逝ってしまわれたようですね」
暫しの静寂の後、咲夜がぽつりと言ったが、それに答える者は居ない。
レミリアは一同に背を向けたまま像の残骸を見ており、その表情は誰にもわからない。
「お嬢様、お疲れになったでしょう。とりあえず部屋に戻られては?」
咲夜はそう言ったが、返答は無く、レミリアは微動だにしない。
「……」
「お嬢様?」
不審に思った咲夜がレミリアに近づこうとしたが、ここでそれまで蚊帳の外にいた美鈴が口を開いた。
「さて皆さん!用事は済んだことですし持ち場に戻ることにしましょうか!お嬢様はまだここでやることがあるようですしね!」
「え?お姉様何かするの?あ、散らかっちゃったから片付け?それなら私も」
フランドールがそう言ったが、彼女以外は美鈴の言葉で全てを察していた。
「大丈夫です。ほらほら妹様、お茶にしましょうか」
美鈴がそう言ってフランドールを外に連れ出すと、他の者もそれに続いて、レミリアを残して倉庫から出て行った。
一人倉庫に残されたレミリアは、美鈴に感謝していた。
声を出すことすらできそうになかったのだ。もし声を出せば、堰は切れていたことだろう。
静かな倉庫の中に、吸血鬼が咽び泣く音だけが響いていた。
面白い展開でした。
……恋するお嬢様はかわいい!
まず、400年前のレミリアってかなり幼いのでは・・・恋人と言うより仲の良いお兄さんみたいな
それと霖之助の能力の範囲が広すぎな気がしました
話の締め方がいいですね
美鈴が何か知ってそうな振る舞いだったので、最後に回想のようなものがあると一層スッキリすると思います
最後の展開が少しはやかったような気もしますが
女子女子してるレミリアが良かったです
しかし彼氏はロリコン通り越してペドな悪寒ががが