うっすらと瞳を開く。
白い、無機質な天井。リズムを刻み続ける、機械音。
……ここは?
上手く声を出すことなく目だけで辺りを見回す彼女を、二人の人影が覗き込んだ。
病室のベッドに眠る彼女を見守り続けるその影は。
「早苗! アナタ、早苗が!」
「気が付いたか! 分かるか、早苗!」
すっかり白髪が増えてしまっている。小皺も少し増えてしまっている。
それでも、分かる。
「お父さん……お母さん……」
絞り出すように微かに意味を成す言葉に、母親が顔を覆って泣き崩れる。
「良かった……ビックリしたんだぞ、家の前に倒れているお前を見つけた時は!」
突然神社と湖が消えた。
巫女を司る娘も道連れに。
来る日も来る日も、無事を祈った。
「私、消えて……?」
そして、何をした? どこに居た?
駄目だ、思い出せない。
思い出そうとすると、胸が締め付けられる。
自分の頭を抱えて震える娘を母が優しく抱く。
「大丈夫、大丈夫よ……お医者様の話では、どこも悪くないって」
至って健康そのもの。
記憶にしたって、ショックによる一時的な欠落だろう。
本当に良かった。
「……毎日、神様に祈ってたおかげだわ……」
……神様……?
呟く母の言葉に、脳が痺れる。
「早苗? お前……?」
父の言葉に、初めて自分が泣いている事に気付く。
何故泣いているのか、それすらも分からない。
「くっ……」
早苗の身体が消えた後。
神奈子が苦悶の声を上げて鉄塔に座り込む。
「あはは……早苗独り分の信仰が消えただけで、ここまで来るかね……」
同じく虚脱感を漂わせて諏訪子も神奈子の背に自分を預ける。
里の村人の信仰が集められるようになったとはいえ、一番の支えを失った代償は大きい。
予想以上の力の衰え、自らの存在を保つのが精いっぱいだ。
しかしそれでも存在していける、ロープウェイを完成させて集めた信仰のお陰。
二柱の神々は疲れた瞳を目の前の少女たちに向けた。
「さぁ、後は好きにしてくれ」
「今ならケチョンケチョンにし放題だよ?」
冗談めかして微笑を浮かべるが。
瞳に宿る濃い悲しみは消えはしない。
それをじっと見つめる霊夢が、小さく息を吐く。
「お断りだわ」
取り出していたお札を袖口に仕舞い込んだ。
「同じく。手負いの奴を襲うほど落ちぶれちゃいないぜ……」
呆れたように天を仰ぎ、魔理沙も八卦炉を帽子の内側に放り込む。
「お前達……」
呟く二柱に霊夢がお祓い棒を向ける。
「勘違いしないで。貴女たちのやり方を許したわけじゃないわ」
もっと時間をかけて話し合えば違う結末もあっただろうに。
神様という種族はどうも自分たちの結論を急ぎ過ぎる。
それに。
「今、私たちに退治されることが免罪になるとでも?」
自分たちの良心の呵責が私たちの弾幕を受ける事で許されるとでも?
冗談じゃない。
貴女たちは、その呵責を背負い続けて存在し続けなさい。
「……巫女のくせに、神様に優しく出来ないかね?」
諏訪子の拗ねた言葉に口の端で笑う。
「そのお優しい巫女を放り出した、独り善がりな神様は何処のどいつよ?」
「違いないや」
釣られて魔理沙も笑う。
その少女たちの笑顔に、神々も微笑み。
ふぅ、と疲れた顔で朝焼けに包まれる山を仰ぐ。
「……早苗の誕生日が来た時、思い出したんだ」
ぽつり、と神奈子の言葉がこぼれ。
初めて幻想郷に来た時、諏訪子と誓った。
一刻も早く信仰を集め、あの子を親元に戻してやろうと。
「あの子はまだ若い。今ならまだ大学にも行ける、就職も出来る、恋も出来る……」
人並みの、平凡な幸せの中で生きていける。
少なくとも、私たちの傍で一生を終えるようなつまらない人生を送らせちゃいけないって。
「あいつはそれを望んでいたんだろうがな……」
「だろうね~。真っ直ぐすぎるからね、早苗は……」
魔理沙の言葉に頷いて。
でも。
「……ありがとう、二人とも」
ここに来て、二人に出会えて早苗は幸せだった。
泣き、笑い、喧嘩をして。
一人ぼっちで神に仕えるあの子を受け入れてくれた。
友達の為に怒り、神々に喧嘩を仕掛け。
最後は哀しみを負う覚悟で、あの子を送り出してくれた。
「感謝するよ……」
並んで、深々と頭を下げる二柱に霊夢が頬を掻き、魔理沙が照れたようにそっぽを向く。
ごうん。
大きな音が響き、ロープウェイが動き出す。
「さぁて、今日も張り切って信仰を集めちゃいますかね……」
伸びあがる諏訪子に頷いて。
「ああ、早苗が居ない分、今まで以上に神々しく立ち居振る舞わないとな」
気高く神奈子が応える。
手伝いも人里で探さないと。
「……ウチの神社が暇な時ぐらいは、手伝ってあげても良いわよ?」
勿論それなりの謝礼は貰うけど!
霊夢の提案に二柱は目を見合わせて、首を振る。
「……悪いけど、守矢神社の巫女は永久欠番だよ」
再び時は流れ。
街の雑踏を歩く一人の美しい女性が居る。
輝く青い髪をなびかせて、今日も強い視線で前を見つめる。
――なぁ、霊夢?――
――何よ?――
――早苗の記憶は、もう?――
人並みに笑った。泣いた。恋をした。
この街で、自分の居場所を見つけて生きている。
――博麗の秘術で掛けた封印よ。絶対解けないわ――
突如、ビルの間を強い風が吹き抜ける。
彼女の美しい髪が大きく乱れ、その風に踊る。
驚いたように振り向いて……、首を振る。
――『奇跡』でも起きない限り、ね――
ただのビル風。こんなコンクリートの街では常識だ。
だが、その強い風に彼女の瞳が揺れる。
優しく包むその風に身を任せて、口を開く。
「常識に囚われては……いけないのですね」