「ちんこが生えたぁ?」
「はっきり言わないで!」
魔理沙が素っ頓狂な声を上げた瞬間、その口を咲夜が思いっきり塞いだ。
鼻まで覆われて呼吸が出来無くなった魔理沙は必死で頷いた。開放された魔理沙は咳き込み呼吸を荒らげながらも、咲夜の股間をまじまじと見つめる。スカートに隠れて見えないが、咲夜の言葉を嘘だとは思わない。咲夜はそういう冗談を、あまり、言わない方だ。
一つ、気を落ち着ける為にお茶を飲む。
「で、どういう経緯?」
「分からない」
「心当たりは?」
「それが全然。朝起きたら、違和感があって、これが生えてて」
魔理沙は少し考えてから聞いた。
「もしかしてお前男だった?」
ばちーんと音がして、魔理沙は地面に投げ出された。痛みで混乱しながら、頬を張った咲夜を見上げたら、人を殺しそうな顔をしていた。
「次ふざけた事抜かしたら殺す」
「はい、すみません」
やべえガチだと呟きながら魔理沙は椅子に座り直した。
流石にまだ若い身空で死にたくない。ここは協力的な振りをしておこうと、必死で頭を巡らして、事態の解決方法を考える。
「本当に心当たりが無いのか? この所、調子が悪かったとか、熱があったとか、墓を蹴り倒したとか。何の前触れも無く、ちん、あれが生えるなんてあり得ないと思うぜ」
物心付いてから魔法に触れてきたが、何の理由も無しに朝起きたらあれが生えているなんて話聞いた事が無い。例えば魔術の結果だとか、神の思し召しだとか、誰かの呪いだとか、何らかの原因がある筈だ。
しかし幾ら聞いても咲夜は理由を思い出してくれず、魔理沙はうーんと頭を捻くり回したものの、何ら良い方法は浮かばない。
原因さえ分かれば対処のし様もあるが、咲夜がそれを忘れていたらどうにもならない。
仕方無く思いついた事を口にした。
「じゃあ、抜いてみたらどうだ?」
「抜く? って何? それで治るの?」
「さあ? 私も知識でしか知らないしからなんとも。この前香霖にどんなもんか聞いたけど、答えてくれなかったし。でも、何か擦ったら精液出てくるらしいじゃん。で、勃ってたのが萎えて小さくなるらしいじゃん。そのまま消えたりするかもしんないじゃん?」
咲夜が呆れて肩を落とした。
「ああ、自慰の事ね。それを霖之助さんに聞いたの?」
「おお」
「あんた良くそんな事、人に、それも異性に聞けたわね」
「何で? 気になるじゃん」
「あんたに恥じらいは無いのか」
魔理沙は笑った。
「恥じらいなんて、産道に置いてきたさ。それより、どうだ? 適当に言ったけどさ、意外に良い作戦なんじゃね?」
咲夜が首を横に振る。
「無理よ。駄目だった」
「え? もしかして試したの?」
咲夜は顔を赤らめて、頷いた。
魔理沙は驚いた様に目を丸くし、咲夜に顔を寄せて囁いた。
「どうだった? やっぱ気持ち良いのか?」
その瞬間、魔理沙の両頬が咲夜によってつねり上げられた。
痛い痛いと魔理沙が喚く。咲夜はしばらく無表情で両頬を捻り続け、無表情で手を離した。
「痛え。千切れるかと思った」
「あんたにもしもこれが生えたら、思いっきり蹴りあげてあげるから」
咲夜の冷酷な言葉に、魔理沙は不機嫌になって、乱暴に椅子へもたれかかる。
「っていうか、何で私の所なんだよ。魔法とかならパチュリーの方が詳しいじゃん」
すると咲夜が顔を俯けた。
「それは、ごめんなさい。こんな変な相談」
いきなり消沈したので、魔理沙は慌てて居住まいを正した。
「いや、別に良いんだぜ! 頼られるのは嬉しいし! ただ、その、何で私? みたいな」
「魔理沙なら何とかしてくれると思って!」
「私なら?」
「魔理沙、茸に詳しいから!」
「下ネタか!」
「あ、いや、そういう事じゃなくて……何となく似てるし」
「だから下ネタか! そういう事じゃねえか!」
それに、と言って咲夜がスカートを握りしめる。
「魔理沙、いっつも助けてくれるから、魔理沙ならこんな変な事でも助けてくれるかと思って」
突然のいじましい言い草に、魔理沙は呻きながら胸を押さえた。
「お前、偶にそういう可愛い事言うよな」
魔理沙は立ち上がり拳を握る。
「よーし、そこまで頼られちゃ私も女だ! 私についてこい!」
魔理沙が咲夜を立たせてその手を引っ張った。
「何処に行くの?」
何も考えていなかった魔理沙は少し考えて咲夜に聞いた。
「永遠亭と香霖堂どっちが良い?」
魔理沙の問いに、咲夜は眉根を寄せる。
「何で、そのチョイス?」
「多分病気だろ? 風邪みたいなもんだろ? だったら治し方だってきっと一緒さ」
「それなら永遠亭は分かるけど、何で香霖堂?」
「ほら風邪って誰かにうつせば治るだろ?」
「鬼かあんたは」
そんな訳で、二人は永遠亭に向かった。
「ちんちんが生えた?」
永琳は聞き返しつつも、咲夜が頷いたのを見ずに、鈴仙を呼んだ。
「ZR七二が減ってないか確かめてきて」
鈴仙が駆けて行った。
永琳は咲夜に向き直る。
「原因に心当たりは無いのね?」
「全く」
「そう」
永琳は咲夜の傍に寄って、その頬に手を当て、じっと肌を観察してきた。息が掛かる程の距離から見つめられ、咲夜は思わず息を呑む。
傍から見ていた魔理沙は、咲夜が取って食われるんじゃないかとはらはらしていたが、永琳はしばらく観察すると何もせずに顔を離した。
「異常無し。綺麗な肌ね」
「どうも」
咲夜は不安な面持ちで、メモをとっている永琳を見つめた。
永琳は間違い無く幻想郷で最高の医者だ。もしも永琳が匙を投げたなら、それはもう誰にも治せないという事になる。
咲夜の緊張が伝わってきて魔理沙も何だか緊張しながら永琳の事を見つめた。
その時、鈴仙が戻ってきて、薬が減っていなかった事を報告する。
永琳は、そうと言って、息を吐き出した。
「薬って何の薬なんだ?」
魔理沙の問いに、永琳が答える。
「ちんちんを生やす薬」
魔理沙がぶっと唾を吐いた。
「何でそんなもん作ってんだよ!」
「そりゃ、需要があれば作るわよ」
「何処に需要があんだよ!」
「結構あるわよ。何に使うのかは知らないけど」
「幻想郷終わってんな!」
ともかくと言って永琳は咲夜に向き直る。
「紅魔館にはパチュリー・ノーレッジが居たわよね? あの子から昨日か今日、何か飲み物とか食べ物とか貰わなかった?」
「いいえ、全く」
ふむと永琳は自分の顎を指で撫でた。
「じゃあ、アリス・マーガトロイドからは? あなた仲が良かったわよね?」
「昨日も今日も会ってないです」
まあそうよね、と永琳は頷いた。
魔理沙が割り込んでくる。
「ちょっと待って! 何でその二人の名前が出たんだ?」
「一応ね。その薬を飲むと著しくホルモンバランスが崩れるから、肌が綺麗なこの子が飲んでいない事は分かっていたけど」
「ちょっと怖い怖い! 何? あの二人が買ったのかよ! あの二人を見る目が変わりそうなんだけど! つーか、何に使う気だよ!」
「何って、それは」
永琳と咲夜は同時に何かを言いかけて、それを止めた。永琳が励ます様な笑みを見せる。
「まあ、気をつけてね」
「え? ちょっと何? それどういう意味?」
困惑している魔理沙を無視して、永琳はメモ用紙に何か記号を書き入れる。
「正直、今すぐに原因は掴めない。少なくとも身体的な異常だとか、化学反応だとか、物理現象じゃない」
「そんな。じゃあ、何なんですか?」
「もっと精神的な、魔法の分野。だと思うわ」
「精神的な?」
「そう」
「これが、生えたのが?」
「そう」
咲夜は自分の股間に目をやり、そして顔を青ざめさせた。
それを見た永琳は咲夜の手を握りしめて聞いた。
「何か心当たりがあるの」
「いえ」
「聞かせて。精神科医の真似事位なら出来るわ」
咲夜は一度口元を引き結び、そして震える唇でゆっくりと息を吐き出した。
「罰なんじゃないかと思うんです」
「罰? 何の?」
咲夜は言葉を詰まらせたが、永琳に手を握りしめられて、再び話しだした。
「人を、殺した事の」
咲夜の頬が緩んだ。そして堰を切った様に言葉が溢れてきた。
「人を、これまで何人も殺してきました。外の世界で、お嬢様達に食べさせる為に何人も何人も。大人も子供も男も女も、みんなみんな殺してきました。親切にしてくれた人や私に笑いかけてくれた子供も攫って殺しました。本当に見境なくみんな殺してきました。それを悪いと思った事は無いです。お嬢様達に食べさせる為ですから。罪悪感に襲われた事もありません。お嬢様達が喜んでくれるんですから」
咲夜がふっと笑い永琳と目を合わせ、自分の股間に手を置いた。
「人のこれをちょん切った事だって沢山あります」
永琳は表情を変えずに、それで、と先を促す。
意を決しての告白だったが、永琳が何の反応も示さない事に戸惑いつつ、咲夜は結論を述べる。
「その罪が、今になってこんな形になったんじゃないかって」
永琳は首を横に振る。
「あなたは今まで人を殺した事に罪の意識は抱いていなかったんでしょう?」
「そうです。けど一般的には悪い事でしょう?」
「じゃあ、どうして今なの? だって今はもう止めたでしょう? このタイミングでかつての罪が降り掛かってくるなんておかしいわ」
そうですけど、と咲夜は自信を失った様子で項垂れた。その頭を永琳は優しく撫でる。
「良く考えて。あなたがそれを罰だと思ったのには理由がある筈。どうしてあなたはそれと罪を結びつけたの?」
永琳の問いに、咲夜はだってそうとしかと呟いた。
永琳が言葉を重ねる。
「あなたに生えたそれに意味を持たせるのなら他にも幾らだって考えられる。人を殺した罪から逃れたくて、自分でなくなりたいからそれが生えたとか。後は、そうね、例えば紅魔館の他の者達は妖怪だから、人間であるあなたが真の意味で紅魔館の一員になる為に、女でも男でもない、今までの自分や周りの人間とは違う別の存在になりたかったとか。後は大事な人と繋がりたくて、とか。あなたに生えているそれは昔から色色と象徴付けられているから、幾らだって適当に何かと結び付けられる。そんな中で、あなたは人を殺した罪悪感をそれに重ねた。そこには何か意味がある」
咲夜は、やがて考えがまとまったのか、躊躇いがちに言った。
「罪悪感を覚えたんです」
「朝起きて、それが生えているって分かった時によね?」
咲夜が頷く。
「今まで、人を殺しても全く感じた事の無かった罪悪感が、これが生えているって分かった時に、沸き上がってきたんです。物凄い罪悪感が、まるで私を責め苛むみたいに。でもこれが生えたからって誰かに迷惑を掛けた訳じゃないんだから、罪悪感を覚える理由はありません。だから思ったんです。私の今までの罪がこれに詰まっているんだって」
永琳は微笑んで、もう一度咲夜の頭を優しく撫でた。
「あなた、生理はまだ?」
咲夜は不思議そうに顔を上げた。
「どうしてですか?」
「まだでしょう?」
咲夜が顔を赤らめて頷く。
「どうしてかって言うと、体の変化から来る羞恥心は、罪悪感と似ているから。自分の体が変化した事で、今までの自分と変わる、自分の立場が変わる、周りと違ってしまう。仮に今までの自分を正常とするなら、異常になってしまう。一方で、罪悪感ていうのは罪の意識。法と違う、常識と違う、周りと違う異常な行為をしたから、罪悪感を覚える。ね? どちらも何かと違う事が根っこにあるでしょう?」
「でも」
「勿論、羞恥心も罪悪感も、というより諸諸の人の心の動きは、一概にこうって言えるものじゃないけど、少なくとも今のあなたが感じている罪悪感はきっと羞恥心と良く似ていると思うわ」
咲夜は目を瞑り考える風に眉根を寄せたが、やがて首を横に振った。
「分かりません。そうなんでしょうか?」
「私はそう思う」
咲夜は不安そうに顔を歪める。
「生理は誰にも来ますよね。じゃあ、普通はみんな、こんなに嫌な思いをしているんですか?」
永琳が魔理沙を見た。それにつられて咲夜も魔理沙に顔を向けた。
二人に見つめられて魔理沙は慌てて否定する。
「私は、そんなの感じなかったぜ」
「当たり前よ」
永琳が咲夜へ顔を戻した。
「そもそもあなたに今起きているそれと、誰にでもやって来る普通の体の変化は全く違う。二次性徴や妊娠については、周りから話を聞いて、知識も心の準備もつけておくもの。人は成長すれば、背が伸びるし、胸も大きくなるし、血が出る様になる。子供が出来れば、生理が来なくなるし、お腹が膨れるし、乳が出る様になる。それは決しておかしな事ではなく、未来に繋がるとても素晴らしい事。そういう風に教えられる。だから羞恥心はそこまで大きくならないし、羞恥心を感じたってそれを罪悪感と勘違いしたりしない」
永琳は咲夜の頬を優しく撫でてから立ち上がった。
「私が言いたいのは、あなたが今感じている思いっていうのは誰もが感じる事で、決して珍しくもおかしくもないっていう事と、人を殺した事が直接の原因だって結論付けるのは尚早だっていう事。少なくとも私はあなたの何万倍も人を殺してきたけど、今までおちんちんが生えた事なんてないもの」
「え、でも師匠、この前薬の実験で」
こんと小気味の良い音がして、消しゴムを額に受けた鈴仙が床に倒れた。それを尻目に、永琳は笑顔を浮かべる。
「とにかく、対症療法になるけど、薬を出しておくわ。もしかしたらそれで散らす事が出来るかもしれない。でも期待はしないで、確実に効くかは分からないし、原因が分からないから再発するかもしれない。これが精神的な事であるなら、いの一番にまず、気持ちを強く持つ事。あなたの抱く罪の幻想に押し潰されない事。あなたの周りには、あなたの事を思ってくれる者が沢山居るんだから、不安になる必要は無いのよ」
咲夜は良く理解が出来なかったが、何故か安堵を感じて、いつの間にか頷いていた。
それから薬が処方され、それを飲んだ。
効き目が出るにはしばらく時間が掛かるから焦らないでと励まされ、咲夜と魔理沙は永遠亭を後にした。
「結局何も分からないって事じゃねえかよ、あの藪医者」
竹林を歩きながら魔理沙が愚痴る。
魔理沙の言葉通り、永琳は結局原因が分からず、効くかも分からない薬を飲ませただけだった。ただ何となく漠然としていた不安に、多少なりとも具体的な形を与えられたので、少なからず落ち着いた。それだけで意味があった。
でも不安は残っている。
咲夜は、もしかしたらずっとこのままなんじゃないかと不安になる。
そんな不安げな咲夜を見て、魔理沙は何とか解決方法を見つけ出そうと考える。
そして手を打った。
「良し、彼氏を作ろう」
唐突な魔理沙の言葉を、咲夜は理解出来なかった。
「はぁ? 何で? っていうか、私にはお嬢様っていう心に決めた方が居るんですけど?」
「それだよ、それ」
魔理沙が咲夜の顔を指さした。
「今の状態って、片思いの人が傍に居て、ああロミオってなっている状態だろ?」
「ロミジュリはそんな話じゃないけど」
「ああ、レミリア。どうしてあなたはレミリアなの。良いからさっさと私に愛を誓って。あれやこれやしましょう。ぐへへへへ。っていう状態だろ?」
「違うから。私のレミリア様への思いはもっと純真で美しいものだから」
咲夜に睨まれても、魔理沙は、でもパンツ盗んだりしてんじゃんと笑う。してないからという咲夜の反論を無視して、魔理沙は咲夜の肩に手を載せた。
「やっぱそういうのは不健全じゃん? そういう欲求不満が溜まって、それが生えたんじゃね? じゃあさ彼氏作って、満たされれば、それも消えるんじゃねえの?」
どうよ? と首を傾げる魔理沙に、咲夜は首を横に振った。
自分の心に照らし合わせてみたが、魔理沙の想像は当て嵌まらない。これは決して欲求不満なんかじゃない。それは分かる。
むしろ、どちらかと言えば。
先程、永琳が言っていた言葉を思い出した。
「友達と繋がりたいから」
思わず口に出してしまって、咲夜は慌てて口を押さえた。しかし魔理沙は聞き逃さず、食いついてきた。
「何何? どういう事? そういう趣味?」
不覚を取った咲夜は悔し気に顔を歪め、ゆっくりと息を吐き出して、言った。
「ただ、あんたを羨ましく思っただけよ」
「え? 何で? 私、そういう趣味は」
「そういう事じゃなくて。例えば、一昨日パチュリー様にケーキの作り方を教えたの。あなたに食べさせたいからって」
「ああ、確かに昨日パチュリーとアリスがケーキとクッキーを持ってきたぜ。美味かったな」
「何ていうか、あなたはそうやって沢山の友達が居て、私とは正反対だから」
「そうか? パチュリーは違うかもしれないけど、アリスはお前とも友達だろ。私と咲夜じゃ、霊夢とか早苗とかもそうだろうし、友達の数なんてあんま変わらないと思うぜ」
「いや、そうじゃなくて」
咲夜は魔理沙の言葉に反論しようとして、その反論も違う事に気が付いた。
魔理沙の言っていた欲求不満は違う。
けれど今自分の考えた羨ましいというのも少し違う。
魔理沙に対して抱くこの感情は。
もしかしたら多分。
咲夜は詮無い事を考えそうになって、頭を振った。
「とにかくもっと友達と仲良くなりたいなって事」
すると魔理沙が疑わしそうな顔になった。
「それでちんこが生えるのか? 良く分かんないなぁ」
魔理沙は頭を掻いて、考えるのを諦めた様子で笑った。
「やっぱ、私は欲求不満の所為だと思うぜ。だから彼氏作ろう、彼氏」
あくまで彼氏を薦めてくる魔理沙に呆れて、咲夜は溜息を吐く。
「嫌」
「えー、何で?」
「何でも」
魔理沙は不満そうに口を尖らせたが、すぐに笑顔になって手を打ち鳴らした。
「じゃあ、弾幕勝負だ!」
唐突な言葉に、咲夜は訝しむ。
「何で?」
「何でも」
「いやいやいや」
全く意図が分からない。
咲夜が訝っていると魔理沙はそんな事も分からないのかと言う様な顔で肩を竦めた。
「そういう鬱屈とした不満は汗を流せば忘れるんだよ」
「いや、だから別に欲求不満て訳じゃ」
「後は風邪をひいた時は汗を掻けば治るっていうだろ? ほらやろうぜ」
そう言って、魔理沙が距離を取り出した。
風邪をひいたら汗を掻けば良いというのは間違いだと伝えたかったが、魔理沙は勝負する気満満なので、何だかその気を削ぐのは悪い気がした。
「じゃあ、行くぜ!」
魔理沙が笑顔で手を振っている。
もう今更止められない。
まあ良いかと咲夜はナイフを構えた。
魔理沙の笑顔を見ていると、何だか色色と許してしまう。
魔理沙が目を覚ますと辺りはすっかり暗くなっていた。どうやら弾幕勝負に疲れてそのまま竹林の地べたで眠ってしまったらしい。自分の汗と土と草の臭いに思わず顔をしかめる。
手の先に引っ張られる感覚があって、見ると、隣に咲夜が眠っていた。二人で手を繋いで仲良く眠っていたらしく、何だか気恥ずかしい思いになった。
頭上を見上げると三日月の浮かぶ満天の星空が広がっていたので、思わず見惚れていると、突然夜風が吹いてきたので身を縮こまらせる。夏とはいえ、晴れた夜は寒い。こんな所で眠っていたら風邪をひいてしまう。
ふと咲夜が病人であった事を思い出し、魔理沙は慌てて咲夜を揺すった。風邪をひいて悪化してしまったら洒落にならない。目を覚ました咲夜は、身を起こすと、寝惚けた様子でおはようと言い、あどけない笑顔を見せた。
あまりにも均整が取れた絵画の様なその笑顔に、魔理沙は益益気恥ずかしくなって頭を掻く。
「悪い。眠ってた」
「ううん、私も寝てたし」
その時、咲夜がはっとして、自分の股間に手を当て、呆然として呟いた。
「無くなってる」
そうして嬉しそうな顔をした。
魔理沙は一瞬その意味が分からなかったが、すぐに理解して、自分の事の様に嬉しく思った。
「マジか! やったな!」
「うん! 良かったぁ」
そうして二人して脱力してその場に倒れこんだ。二人して見つめ合い、笑い合う。
「な? 私の言った通り、治っただろ?」
「どうなの? 薬飲んだからかもしれないし」
「いーや、絶対運動したからだね。欲求不満が解消出来たんだ」
魔理沙が頑として譲らないので、咲夜は呆れて笑う。
「もうそれで良いわよ」
魔理沙も冗談めかして笑う。
「遂に認めたか」
そのまま二人共眠りそうになって、魔理沙は慌てて身を起こした。
「おっと、駄目だ駄目だ。風邪ひくぜ。折角治ったのに」
その時ふと、昼に咲夜へ言った事を思い出した。
ほら風邪って誰かにうつせば治るだろ?
何故か分からないが、その言葉が急にリフレインしだした。
無意識の内に、手が自分の股間に伸びた。
そこにはっきりと違和感があった。
魔理沙の態度に気が付いた咲夜が、身を起こして、魔理沙の股間に視線を送る。
「ど、どうしたの? もしかして」
咲夜が顔をあげると、魔理沙の固まった表情と目が合った。
目が合った瞬間、魔理沙の顔が泣き笑いの表情に変わる。
「やっぱり私は正しかったろ? と、とりあえず良かった。これで咲夜が治って」
声を震わせ強がる魔理沙を見ていられなくて、咲夜は思いっきり抱きしめた。
「ちょっと咲夜」
「ごめんなさい魔理沙」
「いや、ちょっと、マジで待って」
「ごめんなさい」
「待って待って待って! 当たってるから! 足があれに当たってるから!」
咲夜は自分と魔理沙が触れている部分を見下ろした。
一瞬、辺りが静まり返り、咲夜が絶叫を上げて、座った態勢のまま膝を上げ、落とした。
辺りに呻き声が響き渡る。
身を縛る様な冷たい風が竹林の中を駆け巡る。
泣きながら謝る咲夜と、その腕の中で呻き続ける魔理沙、寄り添い合う二人の姿は悲劇的な絵画の様に、夜空で嗤う三日月に良く映えていた。
「はっきり言わないで!」
魔理沙が素っ頓狂な声を上げた瞬間、その口を咲夜が思いっきり塞いだ。
鼻まで覆われて呼吸が出来無くなった魔理沙は必死で頷いた。開放された魔理沙は咳き込み呼吸を荒らげながらも、咲夜の股間をまじまじと見つめる。スカートに隠れて見えないが、咲夜の言葉を嘘だとは思わない。咲夜はそういう冗談を、あまり、言わない方だ。
一つ、気を落ち着ける為にお茶を飲む。
「で、どういう経緯?」
「分からない」
「心当たりは?」
「それが全然。朝起きたら、違和感があって、これが生えてて」
魔理沙は少し考えてから聞いた。
「もしかしてお前男だった?」
ばちーんと音がして、魔理沙は地面に投げ出された。痛みで混乱しながら、頬を張った咲夜を見上げたら、人を殺しそうな顔をしていた。
「次ふざけた事抜かしたら殺す」
「はい、すみません」
やべえガチだと呟きながら魔理沙は椅子に座り直した。
流石にまだ若い身空で死にたくない。ここは協力的な振りをしておこうと、必死で頭を巡らして、事態の解決方法を考える。
「本当に心当たりが無いのか? この所、調子が悪かったとか、熱があったとか、墓を蹴り倒したとか。何の前触れも無く、ちん、あれが生えるなんてあり得ないと思うぜ」
物心付いてから魔法に触れてきたが、何の理由も無しに朝起きたらあれが生えているなんて話聞いた事が無い。例えば魔術の結果だとか、神の思し召しだとか、誰かの呪いだとか、何らかの原因がある筈だ。
しかし幾ら聞いても咲夜は理由を思い出してくれず、魔理沙はうーんと頭を捻くり回したものの、何ら良い方法は浮かばない。
原因さえ分かれば対処のし様もあるが、咲夜がそれを忘れていたらどうにもならない。
仕方無く思いついた事を口にした。
「じゃあ、抜いてみたらどうだ?」
「抜く? って何? それで治るの?」
「さあ? 私も知識でしか知らないしからなんとも。この前香霖にどんなもんか聞いたけど、答えてくれなかったし。でも、何か擦ったら精液出てくるらしいじゃん。で、勃ってたのが萎えて小さくなるらしいじゃん。そのまま消えたりするかもしんないじゃん?」
咲夜が呆れて肩を落とした。
「ああ、自慰の事ね。それを霖之助さんに聞いたの?」
「おお」
「あんた良くそんな事、人に、それも異性に聞けたわね」
「何で? 気になるじゃん」
「あんたに恥じらいは無いのか」
魔理沙は笑った。
「恥じらいなんて、産道に置いてきたさ。それより、どうだ? 適当に言ったけどさ、意外に良い作戦なんじゃね?」
咲夜が首を横に振る。
「無理よ。駄目だった」
「え? もしかして試したの?」
咲夜は顔を赤らめて、頷いた。
魔理沙は驚いた様に目を丸くし、咲夜に顔を寄せて囁いた。
「どうだった? やっぱ気持ち良いのか?」
その瞬間、魔理沙の両頬が咲夜によってつねり上げられた。
痛い痛いと魔理沙が喚く。咲夜はしばらく無表情で両頬を捻り続け、無表情で手を離した。
「痛え。千切れるかと思った」
「あんたにもしもこれが生えたら、思いっきり蹴りあげてあげるから」
咲夜の冷酷な言葉に、魔理沙は不機嫌になって、乱暴に椅子へもたれかかる。
「っていうか、何で私の所なんだよ。魔法とかならパチュリーの方が詳しいじゃん」
すると咲夜が顔を俯けた。
「それは、ごめんなさい。こんな変な相談」
いきなり消沈したので、魔理沙は慌てて居住まいを正した。
「いや、別に良いんだぜ! 頼られるのは嬉しいし! ただ、その、何で私? みたいな」
「魔理沙なら何とかしてくれると思って!」
「私なら?」
「魔理沙、茸に詳しいから!」
「下ネタか!」
「あ、いや、そういう事じゃなくて……何となく似てるし」
「だから下ネタか! そういう事じゃねえか!」
それに、と言って咲夜がスカートを握りしめる。
「魔理沙、いっつも助けてくれるから、魔理沙ならこんな変な事でも助けてくれるかと思って」
突然のいじましい言い草に、魔理沙は呻きながら胸を押さえた。
「お前、偶にそういう可愛い事言うよな」
魔理沙は立ち上がり拳を握る。
「よーし、そこまで頼られちゃ私も女だ! 私についてこい!」
魔理沙が咲夜を立たせてその手を引っ張った。
「何処に行くの?」
何も考えていなかった魔理沙は少し考えて咲夜に聞いた。
「永遠亭と香霖堂どっちが良い?」
魔理沙の問いに、咲夜は眉根を寄せる。
「何で、そのチョイス?」
「多分病気だろ? 風邪みたいなもんだろ? だったら治し方だってきっと一緒さ」
「それなら永遠亭は分かるけど、何で香霖堂?」
「ほら風邪って誰かにうつせば治るだろ?」
「鬼かあんたは」
そんな訳で、二人は永遠亭に向かった。
「ちんちんが生えた?」
永琳は聞き返しつつも、咲夜が頷いたのを見ずに、鈴仙を呼んだ。
「ZR七二が減ってないか確かめてきて」
鈴仙が駆けて行った。
永琳は咲夜に向き直る。
「原因に心当たりは無いのね?」
「全く」
「そう」
永琳は咲夜の傍に寄って、その頬に手を当て、じっと肌を観察してきた。息が掛かる程の距離から見つめられ、咲夜は思わず息を呑む。
傍から見ていた魔理沙は、咲夜が取って食われるんじゃないかとはらはらしていたが、永琳はしばらく観察すると何もせずに顔を離した。
「異常無し。綺麗な肌ね」
「どうも」
咲夜は不安な面持ちで、メモをとっている永琳を見つめた。
永琳は間違い無く幻想郷で最高の医者だ。もしも永琳が匙を投げたなら、それはもう誰にも治せないという事になる。
咲夜の緊張が伝わってきて魔理沙も何だか緊張しながら永琳の事を見つめた。
その時、鈴仙が戻ってきて、薬が減っていなかった事を報告する。
永琳は、そうと言って、息を吐き出した。
「薬って何の薬なんだ?」
魔理沙の問いに、永琳が答える。
「ちんちんを生やす薬」
魔理沙がぶっと唾を吐いた。
「何でそんなもん作ってんだよ!」
「そりゃ、需要があれば作るわよ」
「何処に需要があんだよ!」
「結構あるわよ。何に使うのかは知らないけど」
「幻想郷終わってんな!」
ともかくと言って永琳は咲夜に向き直る。
「紅魔館にはパチュリー・ノーレッジが居たわよね? あの子から昨日か今日、何か飲み物とか食べ物とか貰わなかった?」
「いいえ、全く」
ふむと永琳は自分の顎を指で撫でた。
「じゃあ、アリス・マーガトロイドからは? あなた仲が良かったわよね?」
「昨日も今日も会ってないです」
まあそうよね、と永琳は頷いた。
魔理沙が割り込んでくる。
「ちょっと待って! 何でその二人の名前が出たんだ?」
「一応ね。その薬を飲むと著しくホルモンバランスが崩れるから、肌が綺麗なこの子が飲んでいない事は分かっていたけど」
「ちょっと怖い怖い! 何? あの二人が買ったのかよ! あの二人を見る目が変わりそうなんだけど! つーか、何に使う気だよ!」
「何って、それは」
永琳と咲夜は同時に何かを言いかけて、それを止めた。永琳が励ます様な笑みを見せる。
「まあ、気をつけてね」
「え? ちょっと何? それどういう意味?」
困惑している魔理沙を無視して、永琳はメモ用紙に何か記号を書き入れる。
「正直、今すぐに原因は掴めない。少なくとも身体的な異常だとか、化学反応だとか、物理現象じゃない」
「そんな。じゃあ、何なんですか?」
「もっと精神的な、魔法の分野。だと思うわ」
「精神的な?」
「そう」
「これが、生えたのが?」
「そう」
咲夜は自分の股間に目をやり、そして顔を青ざめさせた。
それを見た永琳は咲夜の手を握りしめて聞いた。
「何か心当たりがあるの」
「いえ」
「聞かせて。精神科医の真似事位なら出来るわ」
咲夜は一度口元を引き結び、そして震える唇でゆっくりと息を吐き出した。
「罰なんじゃないかと思うんです」
「罰? 何の?」
咲夜は言葉を詰まらせたが、永琳に手を握りしめられて、再び話しだした。
「人を、殺した事の」
咲夜の頬が緩んだ。そして堰を切った様に言葉が溢れてきた。
「人を、これまで何人も殺してきました。外の世界で、お嬢様達に食べさせる為に何人も何人も。大人も子供も男も女も、みんなみんな殺してきました。親切にしてくれた人や私に笑いかけてくれた子供も攫って殺しました。本当に見境なくみんな殺してきました。それを悪いと思った事は無いです。お嬢様達に食べさせる為ですから。罪悪感に襲われた事もありません。お嬢様達が喜んでくれるんですから」
咲夜がふっと笑い永琳と目を合わせ、自分の股間に手を置いた。
「人のこれをちょん切った事だって沢山あります」
永琳は表情を変えずに、それで、と先を促す。
意を決しての告白だったが、永琳が何の反応も示さない事に戸惑いつつ、咲夜は結論を述べる。
「その罪が、今になってこんな形になったんじゃないかって」
永琳は首を横に振る。
「あなたは今まで人を殺した事に罪の意識は抱いていなかったんでしょう?」
「そうです。けど一般的には悪い事でしょう?」
「じゃあ、どうして今なの? だって今はもう止めたでしょう? このタイミングでかつての罪が降り掛かってくるなんておかしいわ」
そうですけど、と咲夜は自信を失った様子で項垂れた。その頭を永琳は優しく撫でる。
「良く考えて。あなたがそれを罰だと思ったのには理由がある筈。どうしてあなたはそれと罪を結びつけたの?」
永琳の問いに、咲夜はだってそうとしかと呟いた。
永琳が言葉を重ねる。
「あなたに生えたそれに意味を持たせるのなら他にも幾らだって考えられる。人を殺した罪から逃れたくて、自分でなくなりたいからそれが生えたとか。後は、そうね、例えば紅魔館の他の者達は妖怪だから、人間であるあなたが真の意味で紅魔館の一員になる為に、女でも男でもない、今までの自分や周りの人間とは違う別の存在になりたかったとか。後は大事な人と繋がりたくて、とか。あなたに生えているそれは昔から色色と象徴付けられているから、幾らだって適当に何かと結び付けられる。そんな中で、あなたは人を殺した罪悪感をそれに重ねた。そこには何か意味がある」
咲夜は、やがて考えがまとまったのか、躊躇いがちに言った。
「罪悪感を覚えたんです」
「朝起きて、それが生えているって分かった時によね?」
咲夜が頷く。
「今まで、人を殺しても全く感じた事の無かった罪悪感が、これが生えているって分かった時に、沸き上がってきたんです。物凄い罪悪感が、まるで私を責め苛むみたいに。でもこれが生えたからって誰かに迷惑を掛けた訳じゃないんだから、罪悪感を覚える理由はありません。だから思ったんです。私の今までの罪がこれに詰まっているんだって」
永琳は微笑んで、もう一度咲夜の頭を優しく撫でた。
「あなた、生理はまだ?」
咲夜は不思議そうに顔を上げた。
「どうしてですか?」
「まだでしょう?」
咲夜が顔を赤らめて頷く。
「どうしてかって言うと、体の変化から来る羞恥心は、罪悪感と似ているから。自分の体が変化した事で、今までの自分と変わる、自分の立場が変わる、周りと違ってしまう。仮に今までの自分を正常とするなら、異常になってしまう。一方で、罪悪感ていうのは罪の意識。法と違う、常識と違う、周りと違う異常な行為をしたから、罪悪感を覚える。ね? どちらも何かと違う事が根っこにあるでしょう?」
「でも」
「勿論、羞恥心も罪悪感も、というより諸諸の人の心の動きは、一概にこうって言えるものじゃないけど、少なくとも今のあなたが感じている罪悪感はきっと羞恥心と良く似ていると思うわ」
咲夜は目を瞑り考える風に眉根を寄せたが、やがて首を横に振った。
「分かりません。そうなんでしょうか?」
「私はそう思う」
咲夜は不安そうに顔を歪める。
「生理は誰にも来ますよね。じゃあ、普通はみんな、こんなに嫌な思いをしているんですか?」
永琳が魔理沙を見た。それにつられて咲夜も魔理沙に顔を向けた。
二人に見つめられて魔理沙は慌てて否定する。
「私は、そんなの感じなかったぜ」
「当たり前よ」
永琳が咲夜へ顔を戻した。
「そもそもあなたに今起きているそれと、誰にでもやって来る普通の体の変化は全く違う。二次性徴や妊娠については、周りから話を聞いて、知識も心の準備もつけておくもの。人は成長すれば、背が伸びるし、胸も大きくなるし、血が出る様になる。子供が出来れば、生理が来なくなるし、お腹が膨れるし、乳が出る様になる。それは決しておかしな事ではなく、未来に繋がるとても素晴らしい事。そういう風に教えられる。だから羞恥心はそこまで大きくならないし、羞恥心を感じたってそれを罪悪感と勘違いしたりしない」
永琳は咲夜の頬を優しく撫でてから立ち上がった。
「私が言いたいのは、あなたが今感じている思いっていうのは誰もが感じる事で、決して珍しくもおかしくもないっていう事と、人を殺した事が直接の原因だって結論付けるのは尚早だっていう事。少なくとも私はあなたの何万倍も人を殺してきたけど、今までおちんちんが生えた事なんてないもの」
「え、でも師匠、この前薬の実験で」
こんと小気味の良い音がして、消しゴムを額に受けた鈴仙が床に倒れた。それを尻目に、永琳は笑顔を浮かべる。
「とにかく、対症療法になるけど、薬を出しておくわ。もしかしたらそれで散らす事が出来るかもしれない。でも期待はしないで、確実に効くかは分からないし、原因が分からないから再発するかもしれない。これが精神的な事であるなら、いの一番にまず、気持ちを強く持つ事。あなたの抱く罪の幻想に押し潰されない事。あなたの周りには、あなたの事を思ってくれる者が沢山居るんだから、不安になる必要は無いのよ」
咲夜は良く理解が出来なかったが、何故か安堵を感じて、いつの間にか頷いていた。
それから薬が処方され、それを飲んだ。
効き目が出るにはしばらく時間が掛かるから焦らないでと励まされ、咲夜と魔理沙は永遠亭を後にした。
「結局何も分からないって事じゃねえかよ、あの藪医者」
竹林を歩きながら魔理沙が愚痴る。
魔理沙の言葉通り、永琳は結局原因が分からず、効くかも分からない薬を飲ませただけだった。ただ何となく漠然としていた不安に、多少なりとも具体的な形を与えられたので、少なからず落ち着いた。それだけで意味があった。
でも不安は残っている。
咲夜は、もしかしたらずっとこのままなんじゃないかと不安になる。
そんな不安げな咲夜を見て、魔理沙は何とか解決方法を見つけ出そうと考える。
そして手を打った。
「良し、彼氏を作ろう」
唐突な魔理沙の言葉を、咲夜は理解出来なかった。
「はぁ? 何で? っていうか、私にはお嬢様っていう心に決めた方が居るんですけど?」
「それだよ、それ」
魔理沙が咲夜の顔を指さした。
「今の状態って、片思いの人が傍に居て、ああロミオってなっている状態だろ?」
「ロミジュリはそんな話じゃないけど」
「ああ、レミリア。どうしてあなたはレミリアなの。良いからさっさと私に愛を誓って。あれやこれやしましょう。ぐへへへへ。っていう状態だろ?」
「違うから。私のレミリア様への思いはもっと純真で美しいものだから」
咲夜に睨まれても、魔理沙は、でもパンツ盗んだりしてんじゃんと笑う。してないからという咲夜の反論を無視して、魔理沙は咲夜の肩に手を載せた。
「やっぱそういうのは不健全じゃん? そういう欲求不満が溜まって、それが生えたんじゃね? じゃあさ彼氏作って、満たされれば、それも消えるんじゃねえの?」
どうよ? と首を傾げる魔理沙に、咲夜は首を横に振った。
自分の心に照らし合わせてみたが、魔理沙の想像は当て嵌まらない。これは決して欲求不満なんかじゃない。それは分かる。
むしろ、どちらかと言えば。
先程、永琳が言っていた言葉を思い出した。
「友達と繋がりたいから」
思わず口に出してしまって、咲夜は慌てて口を押さえた。しかし魔理沙は聞き逃さず、食いついてきた。
「何何? どういう事? そういう趣味?」
不覚を取った咲夜は悔し気に顔を歪め、ゆっくりと息を吐き出して、言った。
「ただ、あんたを羨ましく思っただけよ」
「え? 何で? 私、そういう趣味は」
「そういう事じゃなくて。例えば、一昨日パチュリー様にケーキの作り方を教えたの。あなたに食べさせたいからって」
「ああ、確かに昨日パチュリーとアリスがケーキとクッキーを持ってきたぜ。美味かったな」
「何ていうか、あなたはそうやって沢山の友達が居て、私とは正反対だから」
「そうか? パチュリーは違うかもしれないけど、アリスはお前とも友達だろ。私と咲夜じゃ、霊夢とか早苗とかもそうだろうし、友達の数なんてあんま変わらないと思うぜ」
「いや、そうじゃなくて」
咲夜は魔理沙の言葉に反論しようとして、その反論も違う事に気が付いた。
魔理沙の言っていた欲求不満は違う。
けれど今自分の考えた羨ましいというのも少し違う。
魔理沙に対して抱くこの感情は。
もしかしたら多分。
咲夜は詮無い事を考えそうになって、頭を振った。
「とにかくもっと友達と仲良くなりたいなって事」
すると魔理沙が疑わしそうな顔になった。
「それでちんこが生えるのか? 良く分かんないなぁ」
魔理沙は頭を掻いて、考えるのを諦めた様子で笑った。
「やっぱ、私は欲求不満の所為だと思うぜ。だから彼氏作ろう、彼氏」
あくまで彼氏を薦めてくる魔理沙に呆れて、咲夜は溜息を吐く。
「嫌」
「えー、何で?」
「何でも」
魔理沙は不満そうに口を尖らせたが、すぐに笑顔になって手を打ち鳴らした。
「じゃあ、弾幕勝負だ!」
唐突な言葉に、咲夜は訝しむ。
「何で?」
「何でも」
「いやいやいや」
全く意図が分からない。
咲夜が訝っていると魔理沙はそんな事も分からないのかと言う様な顔で肩を竦めた。
「そういう鬱屈とした不満は汗を流せば忘れるんだよ」
「いや、だから別に欲求不満て訳じゃ」
「後は風邪をひいた時は汗を掻けば治るっていうだろ? ほらやろうぜ」
そう言って、魔理沙が距離を取り出した。
風邪をひいたら汗を掻けば良いというのは間違いだと伝えたかったが、魔理沙は勝負する気満満なので、何だかその気を削ぐのは悪い気がした。
「じゃあ、行くぜ!」
魔理沙が笑顔で手を振っている。
もう今更止められない。
まあ良いかと咲夜はナイフを構えた。
魔理沙の笑顔を見ていると、何だか色色と許してしまう。
魔理沙が目を覚ますと辺りはすっかり暗くなっていた。どうやら弾幕勝負に疲れてそのまま竹林の地べたで眠ってしまったらしい。自分の汗と土と草の臭いに思わず顔をしかめる。
手の先に引っ張られる感覚があって、見ると、隣に咲夜が眠っていた。二人で手を繋いで仲良く眠っていたらしく、何だか気恥ずかしい思いになった。
頭上を見上げると三日月の浮かぶ満天の星空が広がっていたので、思わず見惚れていると、突然夜風が吹いてきたので身を縮こまらせる。夏とはいえ、晴れた夜は寒い。こんな所で眠っていたら風邪をひいてしまう。
ふと咲夜が病人であった事を思い出し、魔理沙は慌てて咲夜を揺すった。風邪をひいて悪化してしまったら洒落にならない。目を覚ました咲夜は、身を起こすと、寝惚けた様子でおはようと言い、あどけない笑顔を見せた。
あまりにも均整が取れた絵画の様なその笑顔に、魔理沙は益益気恥ずかしくなって頭を掻く。
「悪い。眠ってた」
「ううん、私も寝てたし」
その時、咲夜がはっとして、自分の股間に手を当て、呆然として呟いた。
「無くなってる」
そうして嬉しそうな顔をした。
魔理沙は一瞬その意味が分からなかったが、すぐに理解して、自分の事の様に嬉しく思った。
「マジか! やったな!」
「うん! 良かったぁ」
そうして二人して脱力してその場に倒れこんだ。二人して見つめ合い、笑い合う。
「な? 私の言った通り、治っただろ?」
「どうなの? 薬飲んだからかもしれないし」
「いーや、絶対運動したからだね。欲求不満が解消出来たんだ」
魔理沙が頑として譲らないので、咲夜は呆れて笑う。
「もうそれで良いわよ」
魔理沙も冗談めかして笑う。
「遂に認めたか」
そのまま二人共眠りそうになって、魔理沙は慌てて身を起こした。
「おっと、駄目だ駄目だ。風邪ひくぜ。折角治ったのに」
その時ふと、昼に咲夜へ言った事を思い出した。
ほら風邪って誰かにうつせば治るだろ?
何故か分からないが、その言葉が急にリフレインしだした。
無意識の内に、手が自分の股間に伸びた。
そこにはっきりと違和感があった。
魔理沙の態度に気が付いた咲夜が、身を起こして、魔理沙の股間に視線を送る。
「ど、どうしたの? もしかして」
咲夜が顔をあげると、魔理沙の固まった表情と目が合った。
目が合った瞬間、魔理沙の顔が泣き笑いの表情に変わる。
「やっぱり私は正しかったろ? と、とりあえず良かった。これで咲夜が治って」
声を震わせ強がる魔理沙を見ていられなくて、咲夜は思いっきり抱きしめた。
「ちょっと咲夜」
「ごめんなさい魔理沙」
「いや、ちょっと、マジで待って」
「ごめんなさい」
「待って待って待って! 当たってるから! 足があれに当たってるから!」
咲夜は自分と魔理沙が触れている部分を見下ろした。
一瞬、辺りが静まり返り、咲夜が絶叫を上げて、座った態勢のまま膝を上げ、落とした。
辺りに呻き声が響き渡る。
身を縛る様な冷たい風が竹林の中を駆け巡る。
泣きながら謝る咲夜と、その腕の中で呻き続ける魔理沙、寄り添い合う二人の姿は悲劇的な絵画の様に、夜空で嗤う三日月に良く映えていた。
罪悪感うんぬんは関係なかったようだし、本当に弾幕ごっこするだけで治ったのか、人に移したから治ったのか……。
薬師の見立てが正しければ、結局原因は咲夜の心因性?
感染したのはうつせば直るという魔理沙の思い込み?