まぶたが開かれて、金色の瞳があらわになる。
まるで、星の光を宿したような目。私は、彼女の持つその輝きが好きだ。
「あ…」
目が合って、少しして小さな声が漏れる。
膝の上で眠っていた白黒の魔法使いは、ようやく目を覚ましたらしい。
みるみるうちに、その頬が紅く染まっていく。
「おはよう、魔理沙」
私は、耳まで紅くなった魔法使いに微笑んだ。
「上海、棚にあるクッキーを持ってきてちょうだい」
ことの始まりは、ある日の昼下がり。
取り掛かっていた研究にひと段落がつき、そろそろ休憩を取ろうと背伸びをする。
お手製のクッキーを出して紅茶を淹れて、さあ優雅なティータイムの始まり。というときにそれは起こった。
ドカァーンッ
庭に何かが突っ込んできた。大きな土煙が上がっている。
「……」
ティーカップを口元まで運んでいた手が止まる。
「シャ、シャンハーイ…」「ホラーイ…」
おっかなびっくりと、窓から外の様子をうかがう人形たち。
幻想郷に来て以来、こうした非日常には事欠かない。非日常が日常。庭が爆発するなんて、まだ可愛いほうかもしれない。
「もう、今度はなんなのよ…」
私は少々うんざりしながらも、事態を把握するべく外へと出ていった。
「うう……」
白黒の魔法使いが、木の根元で目を回していた。
「何してるの魔理沙?」
お約束とも言える光景に、呆れながらも声をかけてみる。
「うう、その声はアリスか?」
ずれ落ちそうになった帽子の縁を持ち上げながら、白黒もとい魔理沙がくぐもった声を上げた。
「わるい、ちょっと引っ張り起こしてくれないか」
私の方へと、腕を差し出す魔理沙。
「はいはい。…じっとしてなさいよ」
私はその手首をつかんで、無造作に引っ張る。
「いててっ」などと聞こえたが、そこはあえて気にしない。
人の庭をめちゃくちゃにしておいて助けてもらっているのだから、ちょっとくらいぞんざいに扱われても仕方ないだろう。
「で、どういうことかしら?」
ようやく立ち上がってパンパンと土を払う魔理沙を、私は胡乱な目つきで見た。もちろん抗議の意味を込めて。
「ちょっと、新作の魔法の研究をしてたんだぜ」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、魔理沙は快活に答えた。
この様子から察するに、その研究とやらは成功はしていないのだろう。というか、成功した結果が私の家へのダイブということだけはやめてほしい。
ちょっとは反省の色を見せてほしいのだけれど。
「ふーん。新作の魔法ねえ」
さらに付け加えるならば、私はこのときはっきり言って機嫌が良くなかった。
しばらく魔法の研究にかかりっきりだったということもあって、少し疲れていたのかもしれない。
「まあ、あなたがどんな実験をして失敗しようとかまわないけれど、せめて人には迷惑のかからないようにしてほしいわね」
ついつい突き放すような口調になってしまう。
「庭もめちゃくちゃになるし、どうしていつも……」
「うう…」
そこまで言ったとき、魔理沙の悲しそうな声が聞こえてきてハッとした。言い過ぎたか。
考えてみれば、彼女は普通の人間。普段は力強くふるまっているけれど、実際は幼いと言えるほどに若い少女だ。しかも人一倍の負けず嫌いときている。
特に魔法使いということもあってか、たびたび私と張り合おうとする。もしかすると、快活にふるまっていたのも、失敗をごまかすためのちょっとした虚勢だったのかもしれない。
「そうだな。悪かったよ」
絞り出すような、震えた声が聞こえてきた。
魔理沙は顔を伏せて、帽子を目深に被っている。耳が赤くなっているのがわかる。
まさか、泣いているのではないだろうか。私の心の方がぐらつく。
「次からは、アリスに迷惑がかからないように気をつける」
そう言うと、魔理沙は踵を返して落ちている箒を拾いに行こうとした。
「じゃあな」
「ちょ、ちょっと」
離れようとする魔理沙の手を、私は思わずつかんでいた。
「な、なんだよっ」
帽子で目を隠したまま、魔理沙がわめいた。
「えっと、その」
スムーズに言葉が出てこない。魔理沙を傷つけてしまった。彼女に伝えたい気持ちはわかっているのに、どんな言葉にすれば良いのかわからない。
目のやり場に困って、魔理沙の顔から逸らすように視線を落とす。ふと、彼女の手に無数の傷が走っていることに気が付いた。
「け、怪我してるじゃない」
自分のものではないような、上ずった声が出た。
「手当してあげるから、家に入りなさいよ」
半分は本心から、もう半分は言い訳からの言葉。彼女の傷を放っておきたくない。彼女をこのまま帰したくなくて、とっさに口をついた言葉だった。
「いや、こんなの大丈夫だぜ」
「いいから、来なさい。蓬莱、手伝って」
半ば強引に魔理沙の手を引いて、蓬莱には箒を拾わせる。
「ちょ、ちょっと」
魔理沙はぐずっていたものの、抵抗はしなかった。もしかすると、見た目以上に実験で受けたダメージが大きかったのかもしれない。
私はその手をつかんだまま、家の扉を開けた。
「おじゃまするぜ」
人から無理やり家に上げられることなど滅多にないのだろう。いつになく、おずおずとした様子で魔理沙が挨拶をした。意外と律儀だ。普段からも扉をぶち破ったりせずに、こうだったら言うことはないのに。
しかし、魔理沙は相変わらず帽子を被ったまま、顔を見せようとはしない。
すると奥から上海がやってきた。
「シャンハーイ」
命令したわけではないのだが、おそらくは来客に対する上海なりの気づかいなのか。
上海は天使のような笑顔で、魔理沙の頭からその帽子をふわりとさらって行った。
そしてそのまま帽子掛けの方へと飛んでいく。
「あっ」
とっさのことで反応できなかったのだろう。魔理沙が慌てた声を上げた。私は反射的に魔理沙の方を振り返った。
目がうっすらと赤い。やはり勘違いではなかったのだ。罪悪感が首をもたげる。
「さあ、早くあがって」
泣いていたことを知られたくはないだろう。私は気づかなかったふりをして、何事もなかったかのように魔理沙を居間へと連れて行った。
居間では、既に人形たちが救急箱を引っ張り出してくれていた。もっとも、命じたのは私なのだが。
机の上に出したままのクッキーが目に入ったので、ついでにお湯を沸かすようにも指示をしておく。
二人掛けのソファー。
「袖をまくってちょうだい」
魔理沙を隣りに座らせて、手を見せるようにうながした。
「あ、ああ。これでいいか」
魔理沙は気恥ずかしそうに、私から目をそらして応えた。
「……」
日頃、弾幕はパワーだとか言っているのに似つかわしくない、白くて細い少女の腕。繊細さを感じさせる、すらりとした指。私は人形師としてか、あるいは一人の少女としてか、その魔理沙の手にしばらく見とれていた。
だからこそ余計に、その手に走る傷が痛々しく感じられる。
「もう、怪我だらけじゃない…」
思わずため息がこぼれた。
「せっかくきれいな手なのに」
「なっ」
魔理沙が、勢いよく顔を上げた。何か言おうとして口をパクパクさせている。耳が赤い。
「お、お前はいきなり何を言い出すんだよっ」
「しみるわよ」
ひょっとして、褒められ慣れていないのか。ニヤニヤしそうになるのを抑えるのが大変だった。あたふたする魔理沙の声をなんとか無視して、消毒液をしみこませた綿を傷口に押し当てた。
「いっ」
魔理沙が、びくりと肩を跳ねさせる。
「動くと余計に痛くなるから、じっとしてて」
「うう。わかったよ」
身をすくませてびくびくしながら我慢する魔理沙は、普段の姿からはかけ離れていて、不謹慎だけれどなんというか素直に可愛い。
ダメだ。耐えるんだ、私。ここで微笑みなんかしたら、魔理沙は子ども扱いするなと怒るに決まっている。
「なんでそんなに険しい顔してるんだよ」
私は舌を噛んで、こらえ続けていた。
「こんな無茶してたら、いくつ体があっても足りないわよ?」
想像以上に長引いてしまったが、無事に手当は終わった。長い戦いだった。
しかし、もしも私が気づかなかったらあのまま放っておくつもりだったのか。そう思うと、心配になってくる。そんな義理はないのだけれど。
「ただでさえ、人間は脆いんだから」
「聞き捨てならないな、私はそんなにやわじゃないんだぜ」
“脆い”という言葉が気に障ったのか、魔理沙は口をとがらせた。
こうして強気に言い返してくるあたり、どうやら多少なりとも機嫌が治ったらしい。私は内心で胸をなでおろした。
「それに、実験に怪我はつきものだろ」
「普通に実験してたら、こんな風に怪我なんてしないわよ」
魔理沙の話を聞きながら、私は救急箱を片付ける。そして、人形たちからは次の仕事道具となる裁縫道具を受け取る。
「まあ、私の魔法はパワーだからな。都会育ちの魔法使いには、わからなくても無理はないんだぜ」
ふふんと誇らしげにする魔理沙。うん。いつも通りの野良魔法使いだ。
「はいはい」と、魔理沙の言葉を適当に流しておく。この立ち直りの早さはさすがだと思う。
さて立ち直ったところで、次の作業に入らせてもらおう。
「よし。じゃあ、脱ぎなさい」
「は、はあ!?」
言うや否や、魔理沙が素っ頓狂な声を上げた。
「お、お前、脱げって何を急にそんな。はっ。まさか、最初から私の体が目的で」
「ば、馬鹿っ。そんなわけないでしょ!」
私から距離を取る魔理沙に、思わず手にしていた針を投げつけそうになったが、そこはぐっとこらえる。
「あんたのぼろぼろの服を直すって言ってるの。もう、つべこべ言わずに脱ぎなさい!」
私の言い方もまずかったとは思うが、手に裁縫道具を持っているのだからわかるだろう。
それにどうせドロワーズを着ているのだから、少し薄着になったところで気にするほどのことでもない。
「……アリス、信じてもいいんだな?」
「上海、蓬莱!」
「うわ、卑怯だぞっ」
どこまで真剣に言っているのか考えるのも馬鹿馬鹿しくなったので、無理やりひん剥いてやった。
「うう……アリスに汚された」
白一色になった白黒は、恨めしそうにこちらを見ていた。
その上目づかいと台詞の組み合わせは破壊力が高い。狙ってやっているのだろうか。
いや、ちょっと待て。私が悪者みたいになってるのはおかしくないか?
「ほら、紅茶とクッキーがあるからおとなしくしていなさい」
考えたら負けだと判断して、私は服の修繕に集中することにした。
「このクッキーおいしい」
さっきまでの恥じらいはどこへ行ったのか。ぱくぱくとクッキーを口に運ぶ魔理沙。
「なあこれ、アリスがつくったのか?」
「そうよ。紅茶に合うようにと思ってね」
「ふーん」
魔理沙が改めてクッキーを見る。においもチェックしている。小動物かあんたは。
「なあこれ、少しもらって帰ってもいいか?」
「あいにくと、今出してる分しかつくっていないわ」
もの欲しそうに魔理沙が尋ねる。いつもなら何でも勝手に持っていくので、こういう風に聞いてくるのは珍しい。
「そんなに気に入った?」
求められると悪い気はしない。からかうように、魔理沙の顔をのぞきこんでやった。
「う。ま、まあな。
…アリスのお菓子は、おいしいから」
魔理沙が逃げるように目をそらした。
こういう時の彼女の仕草、表情は私もドキリとするくらいに可愛い。
“アリスのお菓子はおいしい”と言われて、手元が狂ったのはここだけの秘密だ。
「よし。できたわ」
しばらくして、ようやく白黒衣装の修繕が終わった。
補強も加えることができて、良い出来栄えだと思う。自分の服がどうなるのか気になったのか、魔理沙が手元をじっと見てくるので緊張したけれど。
「はい」
服と帽子とを、魔理沙に手渡してやる。
「おっ、サンキュー」
受け取って、いそいそと服を身に着ける魔理沙。やはりドロワーズだけは恥ずかしかったのか。今更ながら、意外と少女なところがあるなと思う。
「うーん。これは……」
「どうかした?」
くるくると回るようにして服を見ていた魔理沙が、ふと考えるような表情を見せた。
しっかりできたつもりだったけれど、何かおかしなところでもあったのか。
「私が実験する前よりも、きれいになっているな」
ガクリと力が抜けた。そんなこと、わざわざ言わなくてもいいだろうに。
「あんたねえ、自分でもしっかり直しなさいよ」
「いや、私だってやってるのぜ?でもなあ、難しいんだよなあ」
魔理沙はそう言って、からからと笑った。
白黒の魔法使いのいつも通りの笑顔を見て、私はなぜだかとても安心した。
「そろそろ帰らないと、暗くなるわよ」
服の修繕が終わった後も、やれもう少し休んでからとか、あの魔導書を読みたいなどと言って、魔理沙はなんだかんだと家に居座り続けていた。
外の景色はうっすらと赤みを帯び、時計の針は五時を過ぎたところ。
私は横に座っている魔理沙に声をかけた。
「魔理沙?」
しかし返事が返ってこない。
「……」
先ほど本を読み始めてからえらく静かだなと思ってはいたが、魔理沙は私の隣でぐっすりと眠ってしまっていた。
起こすのもなんだか気が引ける。しかしこのままというわけにもいかないしどうしようかと思っていると、魔理沙の頭が私にもたれかかってきた。
「ちょっ」
動くわけにもいかず、じっとする。
魔理沙の髪が、私の顔にかかる。魔理沙の匂いに、ドキリとする。
って、私は何を考えているんだ。
そんなことを考えている間にも、魔理沙の頭はどんどんと重力に従って降下していく。執着地である、私の膝の上へと。
「結局は、こうなるのね」
期せずして、魔理沙に膝枕をすることになった。
こいつは、本当に狙っているのではないだろうか。まあ、正直に言うとまんざらでもないけれど。
「はあ」
我ながらわざとらしく、誰が聞いているわけでもない大きなため息を吐いた。そして私の代わりに夕飯の準備をするように、人形たちに指示を与えた。
それから一時間ほど。
台所の方から、食欲をそそるクリームシチューの香りが漂ってきた。
「ホラーイ」
どうやら準備ができたようだ。嬉しそうな顔で、蓬莱が食器を運んできた。
「魔理沙、ねえ魔理沙」
私は膝の上の少女を優しく揺り動かす。
「ん。んん……」
もぞもぞとして、少しくすぐったい。
まぶたが開かれて、金色の瞳があらわになる。
星の光を宿したような目。私は、彼女の持つその輝きが好きだ。
「あ…」
目が合って、少しして小さな声が漏れる。
白黒の魔法使いは、ようやく目を覚ましたらしい。
みるみるうちに、その頬が紅く染まっていく。
「おはよう、魔理沙」
私は、耳まで赤くなった魔法使いに微笑んだ。
「お、おはよう」
恥ずかしそうに、けれども確かに嬉しそうに顔を伏せる。
膝の上のぬくもりがなんだかとても愛おしくなって、その髪を優しくなでた。
「晩ご飯、食べていく?」
「うん……」
魔理沙はこれでもかというくらいに顔を紅くして、こくりと頷いた。
まるで、星の光を宿したような目。私は、彼女の持つその輝きが好きだ。
「あ…」
目が合って、少しして小さな声が漏れる。
膝の上で眠っていた白黒の魔法使いは、ようやく目を覚ましたらしい。
みるみるうちに、その頬が紅く染まっていく。
「おはよう、魔理沙」
私は、耳まで紅くなった魔法使いに微笑んだ。
「上海、棚にあるクッキーを持ってきてちょうだい」
ことの始まりは、ある日の昼下がり。
取り掛かっていた研究にひと段落がつき、そろそろ休憩を取ろうと背伸びをする。
お手製のクッキーを出して紅茶を淹れて、さあ優雅なティータイムの始まり。というときにそれは起こった。
ドカァーンッ
庭に何かが突っ込んできた。大きな土煙が上がっている。
「……」
ティーカップを口元まで運んでいた手が止まる。
「シャ、シャンハーイ…」「ホラーイ…」
おっかなびっくりと、窓から外の様子をうかがう人形たち。
幻想郷に来て以来、こうした非日常には事欠かない。非日常が日常。庭が爆発するなんて、まだ可愛いほうかもしれない。
「もう、今度はなんなのよ…」
私は少々うんざりしながらも、事態を把握するべく外へと出ていった。
「うう……」
白黒の魔法使いが、木の根元で目を回していた。
「何してるの魔理沙?」
お約束とも言える光景に、呆れながらも声をかけてみる。
「うう、その声はアリスか?」
ずれ落ちそうになった帽子の縁を持ち上げながら、白黒もとい魔理沙がくぐもった声を上げた。
「わるい、ちょっと引っ張り起こしてくれないか」
私の方へと、腕を差し出す魔理沙。
「はいはい。…じっとしてなさいよ」
私はその手首をつかんで、無造作に引っ張る。
「いててっ」などと聞こえたが、そこはあえて気にしない。
人の庭をめちゃくちゃにしておいて助けてもらっているのだから、ちょっとくらいぞんざいに扱われても仕方ないだろう。
「で、どういうことかしら?」
ようやく立ち上がってパンパンと土を払う魔理沙を、私は胡乱な目つきで見た。もちろん抗議の意味を込めて。
「ちょっと、新作の魔法の研究をしてたんだぜ」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、魔理沙は快活に答えた。
この様子から察するに、その研究とやらは成功はしていないのだろう。というか、成功した結果が私の家へのダイブということだけはやめてほしい。
ちょっとは反省の色を見せてほしいのだけれど。
「ふーん。新作の魔法ねえ」
さらに付け加えるならば、私はこのときはっきり言って機嫌が良くなかった。
しばらく魔法の研究にかかりっきりだったということもあって、少し疲れていたのかもしれない。
「まあ、あなたがどんな実験をして失敗しようとかまわないけれど、せめて人には迷惑のかからないようにしてほしいわね」
ついつい突き放すような口調になってしまう。
「庭もめちゃくちゃになるし、どうしていつも……」
「うう…」
そこまで言ったとき、魔理沙の悲しそうな声が聞こえてきてハッとした。言い過ぎたか。
考えてみれば、彼女は普通の人間。普段は力強くふるまっているけれど、実際は幼いと言えるほどに若い少女だ。しかも人一倍の負けず嫌いときている。
特に魔法使いということもあってか、たびたび私と張り合おうとする。もしかすると、快活にふるまっていたのも、失敗をごまかすためのちょっとした虚勢だったのかもしれない。
「そうだな。悪かったよ」
絞り出すような、震えた声が聞こえてきた。
魔理沙は顔を伏せて、帽子を目深に被っている。耳が赤くなっているのがわかる。
まさか、泣いているのではないだろうか。私の心の方がぐらつく。
「次からは、アリスに迷惑がかからないように気をつける」
そう言うと、魔理沙は踵を返して落ちている箒を拾いに行こうとした。
「じゃあな」
「ちょ、ちょっと」
離れようとする魔理沙の手を、私は思わずつかんでいた。
「な、なんだよっ」
帽子で目を隠したまま、魔理沙がわめいた。
「えっと、その」
スムーズに言葉が出てこない。魔理沙を傷つけてしまった。彼女に伝えたい気持ちはわかっているのに、どんな言葉にすれば良いのかわからない。
目のやり場に困って、魔理沙の顔から逸らすように視線を落とす。ふと、彼女の手に無数の傷が走っていることに気が付いた。
「け、怪我してるじゃない」
自分のものではないような、上ずった声が出た。
「手当してあげるから、家に入りなさいよ」
半分は本心から、もう半分は言い訳からの言葉。彼女の傷を放っておきたくない。彼女をこのまま帰したくなくて、とっさに口をついた言葉だった。
「いや、こんなの大丈夫だぜ」
「いいから、来なさい。蓬莱、手伝って」
半ば強引に魔理沙の手を引いて、蓬莱には箒を拾わせる。
「ちょ、ちょっと」
魔理沙はぐずっていたものの、抵抗はしなかった。もしかすると、見た目以上に実験で受けたダメージが大きかったのかもしれない。
私はその手をつかんだまま、家の扉を開けた。
「おじゃまするぜ」
人から無理やり家に上げられることなど滅多にないのだろう。いつになく、おずおずとした様子で魔理沙が挨拶をした。意外と律儀だ。普段からも扉をぶち破ったりせずに、こうだったら言うことはないのに。
しかし、魔理沙は相変わらず帽子を被ったまま、顔を見せようとはしない。
すると奥から上海がやってきた。
「シャンハーイ」
命令したわけではないのだが、おそらくは来客に対する上海なりの気づかいなのか。
上海は天使のような笑顔で、魔理沙の頭からその帽子をふわりとさらって行った。
そしてそのまま帽子掛けの方へと飛んでいく。
「あっ」
とっさのことで反応できなかったのだろう。魔理沙が慌てた声を上げた。私は反射的に魔理沙の方を振り返った。
目がうっすらと赤い。やはり勘違いではなかったのだ。罪悪感が首をもたげる。
「さあ、早くあがって」
泣いていたことを知られたくはないだろう。私は気づかなかったふりをして、何事もなかったかのように魔理沙を居間へと連れて行った。
居間では、既に人形たちが救急箱を引っ張り出してくれていた。もっとも、命じたのは私なのだが。
机の上に出したままのクッキーが目に入ったので、ついでにお湯を沸かすようにも指示をしておく。
二人掛けのソファー。
「袖をまくってちょうだい」
魔理沙を隣りに座らせて、手を見せるようにうながした。
「あ、ああ。これでいいか」
魔理沙は気恥ずかしそうに、私から目をそらして応えた。
「……」
日頃、弾幕はパワーだとか言っているのに似つかわしくない、白くて細い少女の腕。繊細さを感じさせる、すらりとした指。私は人形師としてか、あるいは一人の少女としてか、その魔理沙の手にしばらく見とれていた。
だからこそ余計に、その手に走る傷が痛々しく感じられる。
「もう、怪我だらけじゃない…」
思わずため息がこぼれた。
「せっかくきれいな手なのに」
「なっ」
魔理沙が、勢いよく顔を上げた。何か言おうとして口をパクパクさせている。耳が赤い。
「お、お前はいきなり何を言い出すんだよっ」
「しみるわよ」
ひょっとして、褒められ慣れていないのか。ニヤニヤしそうになるのを抑えるのが大変だった。あたふたする魔理沙の声をなんとか無視して、消毒液をしみこませた綿を傷口に押し当てた。
「いっ」
魔理沙が、びくりと肩を跳ねさせる。
「動くと余計に痛くなるから、じっとしてて」
「うう。わかったよ」
身をすくませてびくびくしながら我慢する魔理沙は、普段の姿からはかけ離れていて、不謹慎だけれどなんというか素直に可愛い。
ダメだ。耐えるんだ、私。ここで微笑みなんかしたら、魔理沙は子ども扱いするなと怒るに決まっている。
「なんでそんなに険しい顔してるんだよ」
私は舌を噛んで、こらえ続けていた。
「こんな無茶してたら、いくつ体があっても足りないわよ?」
想像以上に長引いてしまったが、無事に手当は終わった。長い戦いだった。
しかし、もしも私が気づかなかったらあのまま放っておくつもりだったのか。そう思うと、心配になってくる。そんな義理はないのだけれど。
「ただでさえ、人間は脆いんだから」
「聞き捨てならないな、私はそんなにやわじゃないんだぜ」
“脆い”という言葉が気に障ったのか、魔理沙は口をとがらせた。
こうして強気に言い返してくるあたり、どうやら多少なりとも機嫌が治ったらしい。私は内心で胸をなでおろした。
「それに、実験に怪我はつきものだろ」
「普通に実験してたら、こんな風に怪我なんてしないわよ」
魔理沙の話を聞きながら、私は救急箱を片付ける。そして、人形たちからは次の仕事道具となる裁縫道具を受け取る。
「まあ、私の魔法はパワーだからな。都会育ちの魔法使いには、わからなくても無理はないんだぜ」
ふふんと誇らしげにする魔理沙。うん。いつも通りの野良魔法使いだ。
「はいはい」と、魔理沙の言葉を適当に流しておく。この立ち直りの早さはさすがだと思う。
さて立ち直ったところで、次の作業に入らせてもらおう。
「よし。じゃあ、脱ぎなさい」
「は、はあ!?」
言うや否や、魔理沙が素っ頓狂な声を上げた。
「お、お前、脱げって何を急にそんな。はっ。まさか、最初から私の体が目的で」
「ば、馬鹿っ。そんなわけないでしょ!」
私から距離を取る魔理沙に、思わず手にしていた針を投げつけそうになったが、そこはぐっとこらえる。
「あんたのぼろぼろの服を直すって言ってるの。もう、つべこべ言わずに脱ぎなさい!」
私の言い方もまずかったとは思うが、手に裁縫道具を持っているのだからわかるだろう。
それにどうせドロワーズを着ているのだから、少し薄着になったところで気にするほどのことでもない。
「……アリス、信じてもいいんだな?」
「上海、蓬莱!」
「うわ、卑怯だぞっ」
どこまで真剣に言っているのか考えるのも馬鹿馬鹿しくなったので、無理やりひん剥いてやった。
「うう……アリスに汚された」
白一色になった白黒は、恨めしそうにこちらを見ていた。
その上目づかいと台詞の組み合わせは破壊力が高い。狙ってやっているのだろうか。
いや、ちょっと待て。私が悪者みたいになってるのはおかしくないか?
「ほら、紅茶とクッキーがあるからおとなしくしていなさい」
考えたら負けだと判断して、私は服の修繕に集中することにした。
「このクッキーおいしい」
さっきまでの恥じらいはどこへ行ったのか。ぱくぱくとクッキーを口に運ぶ魔理沙。
「なあこれ、アリスがつくったのか?」
「そうよ。紅茶に合うようにと思ってね」
「ふーん」
魔理沙が改めてクッキーを見る。においもチェックしている。小動物かあんたは。
「なあこれ、少しもらって帰ってもいいか?」
「あいにくと、今出してる分しかつくっていないわ」
もの欲しそうに魔理沙が尋ねる。いつもなら何でも勝手に持っていくので、こういう風に聞いてくるのは珍しい。
「そんなに気に入った?」
求められると悪い気はしない。からかうように、魔理沙の顔をのぞきこんでやった。
「う。ま、まあな。
…アリスのお菓子は、おいしいから」
魔理沙が逃げるように目をそらした。
こういう時の彼女の仕草、表情は私もドキリとするくらいに可愛い。
“アリスのお菓子はおいしい”と言われて、手元が狂ったのはここだけの秘密だ。
「よし。できたわ」
しばらくして、ようやく白黒衣装の修繕が終わった。
補強も加えることができて、良い出来栄えだと思う。自分の服がどうなるのか気になったのか、魔理沙が手元をじっと見てくるので緊張したけれど。
「はい」
服と帽子とを、魔理沙に手渡してやる。
「おっ、サンキュー」
受け取って、いそいそと服を身に着ける魔理沙。やはりドロワーズだけは恥ずかしかったのか。今更ながら、意外と少女なところがあるなと思う。
「うーん。これは……」
「どうかした?」
くるくると回るようにして服を見ていた魔理沙が、ふと考えるような表情を見せた。
しっかりできたつもりだったけれど、何かおかしなところでもあったのか。
「私が実験する前よりも、きれいになっているな」
ガクリと力が抜けた。そんなこと、わざわざ言わなくてもいいだろうに。
「あんたねえ、自分でもしっかり直しなさいよ」
「いや、私だってやってるのぜ?でもなあ、難しいんだよなあ」
魔理沙はそう言って、からからと笑った。
白黒の魔法使いのいつも通りの笑顔を見て、私はなぜだかとても安心した。
「そろそろ帰らないと、暗くなるわよ」
服の修繕が終わった後も、やれもう少し休んでからとか、あの魔導書を読みたいなどと言って、魔理沙はなんだかんだと家に居座り続けていた。
外の景色はうっすらと赤みを帯び、時計の針は五時を過ぎたところ。
私は横に座っている魔理沙に声をかけた。
「魔理沙?」
しかし返事が返ってこない。
「……」
先ほど本を読み始めてからえらく静かだなと思ってはいたが、魔理沙は私の隣でぐっすりと眠ってしまっていた。
起こすのもなんだか気が引ける。しかしこのままというわけにもいかないしどうしようかと思っていると、魔理沙の頭が私にもたれかかってきた。
「ちょっ」
動くわけにもいかず、じっとする。
魔理沙の髪が、私の顔にかかる。魔理沙の匂いに、ドキリとする。
って、私は何を考えているんだ。
そんなことを考えている間にも、魔理沙の頭はどんどんと重力に従って降下していく。執着地である、私の膝の上へと。
「結局は、こうなるのね」
期せずして、魔理沙に膝枕をすることになった。
こいつは、本当に狙っているのではないだろうか。まあ、正直に言うとまんざらでもないけれど。
「はあ」
我ながらわざとらしく、誰が聞いているわけでもない大きなため息を吐いた。そして私の代わりに夕飯の準備をするように、人形たちに指示を与えた。
それから一時間ほど。
台所の方から、食欲をそそるクリームシチューの香りが漂ってきた。
「ホラーイ」
どうやら準備ができたようだ。嬉しそうな顔で、蓬莱が食器を運んできた。
「魔理沙、ねえ魔理沙」
私は膝の上の少女を優しく揺り動かす。
「ん。んん……」
もぞもぞとして、少しくすぐったい。
まぶたが開かれて、金色の瞳があらわになる。
星の光を宿したような目。私は、彼女の持つその輝きが好きだ。
「あ…」
目が合って、少しして小さな声が漏れる。
白黒の魔法使いは、ようやく目を覚ましたらしい。
みるみるうちに、その頬が紅く染まっていく。
「おはよう、魔理沙」
私は、耳まで赤くなった魔法使いに微笑んだ。
「お、おはよう」
恥ずかしそうに、けれども確かに嬉しそうに顔を伏せる。
膝の上のぬくもりがなんだかとても愛おしくなって、その髪を優しくなでた。
「晩ご飯、食べていく?」
「うん……」
魔理沙はこれでもかというくらいに顔を紅くして、こくりと頷いた。
口調を分けるためのディフォルメなのだろうけど、「~のぜ」ってのはちょっと日本語として気になってしまった。
それはともかく、マリアリはいいものですね
マリアリ最高。
涙目魔理沙とお姉さんアリスという構図に変化しているような気がするのですが、気のせいでしょうかね?
私はどちらかと言えば後者が好きです。
つまりこのSSのマリアリの関係はとても好きです。