第十一話
藤高和広
その日、俺は友人の家で飲み会に参加していた。友人たちと飲みながらしゃべっているうちに、気がついたら結構な時間になっていた。友人は泊まっていけと言っていたけど、俺は迷惑になると思ったから帰ることにした。その帰り道でのことだ。
俺は川沿いの道を歩いていた。その道は少し陰気な所だったけど、日常的に使っていたし、その日までは変なことが起こったことなんて無かった。 もう夜も遅かったから、俺以外に道を歩いている人はいなかった。そのとき、ふと子供の泣き声が聞こえた。辺りを見回すと、柳の木の下で幼い女の子がしゃがみこんでいた。その女の子は赤っぽい服を着ていた。その子は俺に背中を向けていたし、うつむいてもいたから、女の子の顔は見えなかった。こんな時間に子供が一人で泣いているなんておかしいと思いはした。だけど、そのときは酔ってて気が大きくなっていたから、その子にどうかしたのかって話しかけてみた。すると、その子はしゃがみこんだまま、
「大事なものを無くしちゃったの。それを見つけないと家に帰れないの」
と涙声で言った。俺は
「それじゃあお兄さんが手伝ってあげるよ。一体何を落としたのかな」
って聞いた。すると、その子は急に立ち上がって、俺の方に体を向けた。そして、
「お兄ちゃん、私の頭、探してくれない?」
と言った。その子には首から上が無かった。首から下は普通なのに、頭だけが存在しなかった。
俺は驚いて、叫び声を上げながら家に走っていった。幸い、家までは大して距離がなかったから、そのまま走りきることができた。
そのまま一息ついていると、玄関から戸を叩く音がした。こんな夜遅くに来客なんて怪しいと思って放っておくことにした。あの女の子が追いかけてきたのかもしれないとも思っていた。 それでもまた戸を叩く音がした。いくら時間が経っても戸を叩く音がやむ気配がなかった。 だから俺は仕方なく、窓から玄関前の様子を見ようとした。玄関の前にいる奴の正体を確かめようと思ったんだ。 案の定、赤っぽい服の女の子が玄関の前にいた。俺は寒気がしたけど、どうしようもなかったから、眠ってやり過ごすことにした。さすがに、朝になればあの女の子もいなくなるだろうと思ったからだ。
それで布団に入って目を閉じていた。しばらくは戸を叩く音がする以外は何も起きなかった。でも、そのうち、頭の上で何かの気配がするようになった。何かが天井の辺りで動いている気がした。それも、結構大きな塊が動いている感じだった。 どうしても気になって眠れそうになかった。だから意を決して目を開けたんだ。
そこには女の子の生首がいくつも浮いていた。数えたわけじゃないけど、多分十個くらいあったと思う。たくさんの生首が天井の辺りを漂っていたんだ。どれも俺をじっとにらみつけていた。全部同じ顔だったと思う。
俺は布団の中で丸まって、震えながら朝を待つことしかできなかった。結局一睡もできなかった。朝になると生首も女の子もいなくなっていた。
荒唐無稽な話に思うかもしれないけど、これが俺の身に本当に起こった出来事だ。
第三十四話
谷山浩史
皆さんの中には、僕が一時期、よく湖へ釣りに出かけていたことを知っている方もいると思います。しばらくして釣りをやめてしまったのは、いつもの三日坊主のためだとお思いでしょう。確かに僕は飽きっぽいですけど、今回ばかりは事情が違ったのです。
僕はその日も湖の畔で釣りを楽しんでいました。小魚の形をした偽の餌を新しく用意してきていたので、僕はとても張り切っていました。弁当を食べてから少したった頃、とても大きな当たりが来ました。竿を持った感触から、今までにないくらいに大きな魚がかかったことが分かりました。もしかしたら湖の主がかかったのかもしれないとわくわくしながら糸を引きました。でも、水面に浮かんできたのは魚ではなく着物姿の女の人でした。女の人はうつぶせになっていて、髪の毛には水草が絡みついていました。下半身は沈んでいて見えませんでしたが、明らかに水死体でした。
僕に釣りを教えてくれた方が、湖で釣りをしているとときどき土左衛門に会う、なんて話をしていました。経験の浅い僕にとっては初めての経験でしたから、つい慌ててしまいました。僕は釣り糸を引いて遺体を岸に引っ張り上げようとしました。 すると、女の人の頭が持ち上がり、顔がこちらに向きました。僕は最初、釣り針が遺体の頭に引っかかってしまったのかと思っていました。実際、女の人の頬に釣り針が刺さっていました。でも、その顔をよく見ると、その目は僕を睨みつけているように見えました。僕は驚いて竿を取り落としました。それでも、女の人の体は僕に近づいてきていました。むしろ、どんどん速く近づいてきているようでした。女の人の表情は更に険しいものに変わりました。その表情はとても恐ろしいもので、今でも僕の目に焼きついています。僕は恐ろしくなって釣りの道具を放って逃げ出してしまいました。家に着いても、あの女が追いかけてくるのではないかと思うとしばらくは生きた心地がしませんでした。
僕は湖に戻って道具を持ち帰る気になれません。再びあれに会ったらもう逃げ切られる気がしないからです。あの恨めしそうな目を僕は忘れることができません。あれはきっと、この世に憎しみを抱いて湖に身を投げた女の成れの果てに違いありません。
第四十一話
桑名譲司
一昨年の春のことだ。俺の叔父さんが竹林でたけのこをとりに行ったきり、暗くなっても帰ってこなかったことがあった。俺を含む数人で叔父さんを探しに行った。竹林の近くにまで来たとき、どこからか物音がした。音のした方に向かうと、叔父さんが竹林から走り出てくるところだった。叔父さんは疲れてまともに動けなさそうなのに、それでも必死の表情で走ろうとしていた。俺たちを見つけると、かすれた声で助けを求めてきた。叔父さんは錯乱しているようだったけど、それでも無事に家まで連れてこられた。叔父さんが落ち着いたときに、叔父さんの身に何が起こったのか聞いてみると、叔父さんはこんな話をしてきた。
叔父さんは何度も竹林に来たことがあった。だから、本人は竹林に慣れているつもりだったらしい。でも、それが油断につながったのか、その日はうっかり迷ってしまった。歩いても歩いても竹ばかりの似たような風景で、自分がどこにいるのかまるで分からない。とうとう夜になってしまった。その日は満月で、周囲が少しは見えたのが不幸中の幸いだったが、それでも今にも何かが現れそうで怖くて仕方がなかったという。
そうして竹林をさまよっていたとき、すぐ近くで草むらをかき分けるような物音がしたらしい。叔父さんは何かが隠れ潜んでいるのかもしれないと思い、音のした方をそっと見てみたのだという。そこには何やら妙なものがいた。叔父さんはそれを「毛の塊」と表現していた。月明かりに照らされたそれは、毛がびっしりと体中を覆ったものにしか見えなかったという。叔父さんは怖がりつつもじっとその様子を見ていると、その物体は叔父さんの方に顔を向けたのだそうだ。叔父さんはぎょっとして脇目も振らずに逃げ出した。すると、叔父さんの背中の方から
「見たな」
という声がして、竹林をかきわける音が聞こえてきたのだという。叔父さんはその音からあの物体がすごい速さで自分を追いかけてきているのが分かったそうだ。その物体は叔父さんをしばらくの間追い回した。それでも叔父さんは運良く竹林を抜け出して、俺たちに会うことができた。
叔父さんを追い回した物とは一体何だったのだろうか。この出来事があってから、叔父さんは竹林には一度も行っていない。
第六十四話
玉野知久
これは俺がガキだった頃の話だ。俺は夏になると、よく家の近くの林で虫とりをして遊んでいた。その林は里の近くではあったけど、厳密には里の外にあった。だから、妖怪が出るからあまり入らないようにと大人からは言われていた。だけど、家でじっとしているのもつまらなかったし、その林ではよくかぶと虫がとれたから、友達と一緒に親には内緒で何度も出かけた。
その日もいつものように三人の友達と虫とりに出かけた。この日は不思議と目ぼしい虫がとれず、なんだか飽きてしまった。だから、今日は早めに帰ろうかという話をしていた。そんなとき、誰かが俺たちに声をかけた。声がした方を向くと、そこには麦わら帽子を被った女の子が立っていた。女の子は俺たちと同じくらいの年だったけど、俺は見かけたことがなかった。その日もすごく蒸し暑かった。それなのに、女の子は黒い外套を着ていたので、変だなと思ったことを覚えている。女の子は俺たちに
「私、大きいかぶと虫がいっぱいとれるところを知っているの。教えてあげる」
と言って、虫籠を掲げた。そこには見たことのないくらいに大きなかぶと虫が入っていた。俺たちはすごく興奮した。大きいかぶと虫を持ち帰れば、友達に自慢できると思った。女の子は虫の穴場に案内してくれるというので、俺たちは女の子についていくことにした。
女の子についていく間、俺たちはまだ見ぬ大物の話で盛り上がった。女の子もときどき俺たちの話に加わった。その女の子は虫にすごく詳しかった。同世代では虫に興味のある女の子はいなかったので新鮮だった。
そうして五分ほど歩いたときのことだ。一緒にいた友達の中にコウジという奴がいたんだけど、そいつが急に帰りたいと言い出した。コウジは
「俺たちには大事な用事があったのを思い出した。早く帰らないと怒られる」
と言った。俺はそんな用事があった覚えがなかったから、コウジにその用事というのが何か聞いてみた。すると、コウジは小声で
「細かいことは後で説明するから、とりあえず今は俺に合わせて」
と言った。コウジの表情は真剣だったし、何より、コウジはしっかりした奴だった。だから、かぶと虫の未練はあったけど、俺もコウジに合わせることにした。他の友達も察したのか、コウジと調子を合わせた。
すると、女の子は
「かぶと虫だけじゃないよ。くわがたでもとんぼでも何でもとれるよ。本当に来ないの?」
と言って、手に持っていた虫籠を俺たちに見せた。俺はその虫籠を見て目を疑った。
その中には色々な虫がぎゅうぎゅう詰めになっていた。くわがたとかかまきりとか、とにかく色々。小さな虫籠の中で沢山の虫が蠢いていた。虫籠の中にはかぶと虫しかいなかったはずだった。虫を捕まえる余裕なんて無かったはずだし、そもそも、虫籠に虫を溢れそうになるまで入れることなんて普通はできない。だから、馬鹿な俺でもさすがにこのときにはコウジがどうして嘘をついたのかが分かった。
俺たちは怖がりながらもどうしても帰らないといけないと言い張った。すると、女の子は残念そうな顔をして、
「分かったわ。時間ができたらまた来てね。待っているから」
と言って小さく手を振った。俺たちは逃げるように小走りで立ち去った。
里に着くと、コウジは女の子がおかしいことに気がついた理由を教えてくれた。俺たちが女の子に案内してもらっていたとき、コウジは女の子が人間じゃないんじゃないかと疑っていたそうだ。全く見覚えのない同世代の子供がいるというのを奇妙に思ったからだ。それに、虫籠を持っているのに虫とり網は持っていないというのも妙だ。女の子が身につけている外套も気になる。もしかして、あの女の子は人間ではない別の何かで、俺たちを林の奥深くに誘い込んで、俺たちに危害を加えようとしているんじゃないか。そう思ったコウジは前を行く女の子の後姿をじっと観察した。
そして、コウジは麦わら帽子の端から変なものがはみ出ていることに気がついた。それは丸みを帯びた細長い物体で、黒っぽくてつやがあった。ときどき風もないのにぴくぴくと動いていたそうだ。コウジはあの女の子が麦わら帽子の下に普通の人間にはないものを隠していることに気がついた。だから、コウジはあの女の子は人間のふりをした妖怪だと確信して、俺たちを引き止めたんだそうだ。
コウジの話を聞いて、俺もあることに気がついた。あの女の子は麦わら帽子を被っていたけど、それと全く同じ帽子を持っていた人がいたんだ。それは俺の家の近所に住んでいた女の子だ。でも、その子は一年前に病気の母親のために一人で里の外で薬草を探しに行ったきり、二度と家に帰ってこなかった。あの女の子は行方不明になった子供と同じ帽子を被っていたんだ。
俺はその後も何回かあの林に行ったけど、あの女の子に会うことは一度もなかった。もし、俺たちが何も気づかずにそのまま女の子についていったら、俺たちはどうなっていたんだろう。今でもときどきあの夏の日のことを思い出しては、そんなことを考えている。
第百話
橘高彦
百物語では百話目を語り終えて最後の蝋燭を消したときに怪異が訪れるといわれているよな。どうしてそうなるか分かるか。それは百物語の場に妖怪がやって来るからだ。怪談が好きな奴っていうのは多かれ少なかれ怖がりだ。怖いものを楽しむんだから当然だよな。怖いもの知らずは怪談を楽しめない。妖怪は人食いでもそうでなくても人間の恐怖が好物だ。恐怖を感じている人間が集まっていれば、妖怪が恐怖につられてやって来るのは当然だ。焼き鳥の臭いにひかれて飲み屋に入ってしまうようなものだ。百話目を終えた後は人間たちの恐怖も最高潮に達している。そこを妖怪が見逃すはずはない。百話目の後の暗闇で怪異が起こるのは道理だ。
そして、ちょうど今が百話目だ。せっかくだから、とある人間たちが行った百物語で一体何が起こったかという話をしよう。彼らが百物語を開いたのは今は昔のことだ。
彼らも俺たちと同じように友達同士で集まって怪談話を語り合ったんだ。彼らは百話目を語り終えたときに何が起こるかを楽しみにしていた。とうとう巡ってきた百話目の怪談は実によくできたものだった。彼らは怖がりつつ、待ちに待った百話目の後の出来事に期待を膨らませていた。そして、百話目が終わり、蝋燭が吹き消された。彼らのいた部屋は真っ暗になった。
彼らは何が起こるかとわくわくしながら待っていた。しかし、部屋は静かなままで何も起こらなかった。いつまでたっても何かが出てくることも奇妙な音がすることも無かった。叫び声の一つも上がらなかった。彼らは落胆しつつ明かりをつけた。明るくなった部屋を見渡したとき、彼らはあることに気がついた。彼らはもともと二十五人いたんだけど、何故か一人足りなかった。二十四人しかいなかったんだ。
彼らは欠けた一人を見つけ出そうとした。しかし、どこを探しても見つからない。もしかしたら、その人は黙って先に帰ったのかもしれない、そう思って彼らは解散したんだ。それでも、結局、その人はいつまでたっても見つからず、行方不明のままだったということだ。
この部屋に集まっているのは彼らと同じ二十五人。最後の蝋燭が消えるとき、皆さんも気をつけた方がいい。いつの間にか二十四人になっているかもしれない。気がついたら自分が神隠しに遭っていた、なんてことになるかもしれないからね。