近頃人里では珈琲が流行っているのだ、と。
今日も縁側で日光浴に耽る博麗霊夢にそう語るのは、アリス・マーガトロイドである。都会派魔法使いを自称するアリスは、どうやら人里でお茶やお酒以外の飲み物が話題に挙がるのが嬉しいらしい。
「いや一応、牛乳とかサイダーとかもあるわよ?」
「ミルクはお茶だし、サイダーはお酒でしょう?」
「え、」
「え、」
ここに霖之助が居合わせれば、嬉々としてグローバルギャップについて語ってくれただろう。ちなみに彼は見目に反して高齢な半人半妖のため、日本に渡った最初期のサイダーにアルコールが含まれていたことを実体験として知っている。
ただこの類の思い出話をすると、時たまに高く厚いジェネレーションギャップという壁に、老若関係なくぶち当たって切なくなるので、霖之助はまだ霊夢にこの話をしてはいなかった。彼曰く無知故の無邪気な残酷さというやつだ。犯人は主に遠きセピアの日の霧雨親子である。
「……ともかく今時の流行りは珈琲なのよ。霊夢も縁側でお茶を飲んでる場合じゃないわ!」
「私は珈琲より緑茶の方が好きなのだけど」
「それは知っているわよ。けれどいつも同じじゃちょっと味気ないんじゃない? こういう時は周りに合わせて楽しんでいた方が後々も楽しいわ。ほら……滅びの美学っていうの?」
「ちょっと穿ち過ぎじゃあないかしら」
アリスの物言いに苦笑する。流行りはやがて廃るものだが、その刹那的な移り変わりがまた都会的で宜しいとのことだ。創造と破壊は紙一重ということだろうか、物心覚えた時から神社の境内で暮らす霊夢には今一つピンとこない感覚である。しかし何となく楽しそうであることは確かだった。
「まあ、つまりアリスは珈琲が飲みたいってこと?」
「そう言えばそうだけど、……私はむしろ貴女と一緒に――」
「じゃあ作りましょうか、珈琲」
「…………ええ?」
まさしく素っ頓狂な声をアリスは上げていた。彼女にとって珈琲や紅茶は淹れるものであり、けして作るものではない。無ければ単純に買えばいいと考える彼女は確かに都会派で、そして無ければ単純に作ればいいと考える霊夢はまた確かに田舎派だった。
そうして。図らずしてアリスの霊夢と一緒に珈琲という目的は達せられた。ただしその手段は彼女が想定したものとは明らかに異なっていたが、まあ些細だろう。結局のところ楽しめれば万事問題なんて有りはしないものなのだ。無料だというのに、どこまでも現金な話である。
◆
「それで珈琲を作るというのには賛成したけれど、……どうして私たちは境内で草むしりなんてしているのかしら、霊夢?」
「勿論、珈琲のためよ。……ええ他意なんてないわよ、本当なんだから!」
季節は未だに夏、ギンギラギンの太陽がさり気なさなどかなぐり捨てて自己主張する午後である。軍手をはめてタオルを首にしゃがみ込み草を毟る二人の姿は、労働に勤しむ者としては健全そのものだったが、年頃の少女としては色気の欠片もない有り様だった。
それにしても目は口ほどにとはよく言うが、もう少しその挙動不審な態度を隠そうって気はないのかしらと、アリスは胸中で一人ごちる。必要だからとはいえ、こうも上手く人を乗せたのだから、どうせなら最後まで乗せっぱなしでいて貰いたいものだ。
「はあ、私はブルーカラーじゃなくてホワイトカラーのつもりなんだけど……」
「むしろアリスはトリコロールカラーだって早苗は言っていたけどね」
「そういう話じゃないわよ! まったくこういうのは使用人の仕事でしょうに」
「だってアリスの人形じゃ根っこまで引き抜けないじゃない」
「なんかさらりと目的がすり替わってるわ……」
珈琲の材料集めの次いでの草むしりではなかったのかと、隠しもせずにアリスがぷるぷると戦慄く中、霊夢は手際よく雑草と蒲公英を選り分けて引き抜いていた。そう。少女にとって珈琲といえば豆ではなく根である。蒲公英の根をよく洗い、乾かし適当に切って焼いてお湯を注げば、だいたい完成といったところだ。今日とて大雑把な計画である。
霊夢の舌はお茶とお酒の違いはわかるが、珈琲の違いまではわからないのだ。乾して切って焼いたら、あとはアリスに任せようというのにいったい何の問題があるだろうか、いやない。こうして少女は厄介な草むしりを退屈せずに行え、彼女は健全な汗を流した後に(自分で入れた)美味しい珈琲が飲めるのだ。これぞまさしく霖之助が言っていたWin-Winの関係だろう。横文字である、最先端だ。
「まあ頑張りましょうよ、アリス。私たちは今まさしく幻想郷の一歩先を行っているはずよ」
「そんなの嘘よ! ……ああ、家内でもいいから涼しい場所にいたいわ」
「……家庭内労働者? アリスって本当に働き者なのね」
「お嫁さんってことよ! どうにも今日は霊夢と会話が噛み合わないわ、……夏だからかしら」
「暑いからねえ」
「ねえ待って、私が可笑しいの? 頼むから霊夢がそんな優しい目をしないでよ……」
そんな漫才のような掛け合いを続けている内に、草むしりならぬ材料採集は終わった。境内に籠っていることが多いとはいえ、掃除中も休憩中も日の光と付きあいのある霊夢は平気そうだったが、パチュリーよりは活動的であるとはいえ、どちらかといえばインドアのアリスの白肌は少し赤くなっている。おそらく明日には日焼けしていることだろう。まあそれはそれで健康的で似合いそうなものだが、先から彼女が恨めしそうにジィと己を見つめているので、勘がわざわざ告げずとも少女は口を噤むことにした。
「それじゃあ、……珈琲作りの前にお茶にする?」
「うう、なんなのこの言い知れぬ敗北感は……」
どうも己が考えていたのと違う気がすると、それでも霊夢から差し出された緑茶を音もなく啜る辺りに、アリスの人と育ちの良さが現れていた。ミンミンミンミン、と。蝉がリグルと鳴き、その短い命を燃やす音が絶え間なく聞こえる。少女の声に似合わぬシャウトだ、夏である。
「――というか、やっぱり蝉の声ってシャウトだったのね」
デスボイスでないだけマシだわと、何食わぬ顔で呟くアリスは少し疲れていた。心なしか、周囲を取り巻く人形もぐったりとしている。これが半自律ではなく皆々手動なのだとしたら、とてつもないプロ根性だと、煎餅を大皿に入れて台所より出てきた霊夢は思った。ちなみに自作である。生地を叩いて伸ばして焼くのではなく揚げて一口大に砕いた程度の醤油煎餅だ。
「はい、これ。……まあ、見た目は焦げているけれど味は大丈夫なはずよ」
「へえ、霊夢が珍しいわね…………ん、あら、美味しい」
まるで何でもないことのように言いながら、顔が少し赤くなるところまでしっかりと美味しかった。嘘は吐かないし、余計な言は口に出さないアリスは本当の淑女である。手渡された箸を器用に使い、油が付かないようにまた一つ煎餅を摘んで口に運んだ。照れを誤魔化すように黙って煎餅を口に放る霊夢の指には、これまたお約束のように絆創膏が巻かれている。無論、彼女は何とかポーカーフェイスを死守したのだった。
「アリスなんか変なこと考えてないでしょうね?」
「……まさか。ただ暑いなーとか、夏だなーとか、嬉しいなーとか考えていただけよ」
夏はこういうとき便利でいい。巫女にも魔法使いにも、それが発汗か冷や汗かなんて区別がつかないからだ。しばらく訝しげにアリスを見つめていた霊夢だったが、少女の勘すらそんな彼女の誤魔化しを見抜けなかったか、嘆息すると巫女服の袖の下から一通の手紙を取り出した。
「まあいいわ、……これ、珈琲を作っている間に頼まれてくれないかしら?」
「ふーん、いいけど誰に?」
「魔理沙」
「わかったわ」
アリスは手紙を受け取ると、熱中病の如くふらふらと空を漂う人形の一体にそれを手渡した。小さな〝おてて〟で手紙を抱え込みながら、えー、とばかりに二人の顔を交互に眺めるところまで安定の名人形劇である。
アリスは自作自演ながら好い笑顔で手を振り、霊夢は面倒臭そうに早う行けよとシッシッと手を払う。そうして何度も振り返りながら人形が魔理沙目掛けて飛び立っていくまで、何だかんだ少女も付き合うのだった。
「……どうしても毎回やらないといけないわけ、あれって?」
「様式美よ、霊夢にもわかるでしょう? 何度も繰り返され洗練された手順や形式こそ美しいんだから」
「じゃあ時たま爆発するアリスの人形って……」
「それも勿論、様式美よ! まるで夏の夜空を彩る花火の如く、儚く炸裂して消えゆく滅びの美学……ああ、今まさしく私たちが作ろうとする珈琲に通ずるものさえあるわ」
「いや、ねえから」
弾幕に関する美しさの持論は認めても、珈琲に対するゴリアテ人形のような爆破哲学など、霊夢にはとても理解できそうにないし認められなかった。境内だって人里だって基本は爆発物不可なのだ。ともかく今回は珈琲作りである。
「駄目かしら…………爆発って素敵だと思うのだけれど」
「作るんなら家で勝手にしなさいよ」
◆
掘り出した蒲公英の根は思ったよりも大量で、これならしばらくは緑茶ではなく珈琲で過ごしてもいいと考えるほどだった。それを片っ端からお揃いの割烹着を着込んだ霊夢とアリスが、台所にて水洗いしていく。よく土を落とすと意外と太い根はゴボウのようにも見えてちょっと笑ってしまう。
「……もしかして食べられるかしら」
「少なくとも霊夢によれば飲めるのは間違いないらしいわよ?」
軽口を言い合いながらも二人の手は止まらない。一度にすべてを水洗いするのではなく、ある程度のまとまりになったらよく水気をふき取ってそぎ切りにして、縁側に置いておいたザルに広げて天日干しにして乾燥させる。アリスに至っては己の人形に団扇まで持たせて指示を出していた。
「いい? 絶対に根っこを吹き飛ばすことがないように、けれど早く乾くようにみんな頑張るのよ」
おー、と手を挙げる人形は見ていて微笑ましい。まあ大事にならなければ良いか、と霊夢は次の水洗いの作業に戻ることにした。
そうして下準備を続ける内に、アリスも霊夢のやろうとしていることがわかったのか、初めの根が乾燥する頃には、いつのまにか人形を使って自前の手動器具まで持ち込んでいた。聞くところによると食べ物を粉々にするには此方の方が都合が良いらしい。
人里でもあまりみない道具だった。しかしゴリゴリゴリゴリ、と。ハンドルを回す内に根が小粒の山になっていく様は確かに楽そうだ。というより凄く楽しそうだった。アリスから借りて回す内に夢中になった霊夢の表情はまったく子供らしい。
小粒となった根は、霊夢が慎重に火加減を調整しながらアリスが炒めることにした。ここで強火の熱を加えてしまうと、今までの下準備が無為になってしまうからだ。故に役割分担である。分業とは紙幣に次ぐ人類最高峰の英知の一つと言って差し支えないと思う。最早身に染みつくように加減をわかりきった少女の絶妙な吐息が、火の温度を弱火に留め続ける。
蒲公英の根の独特の香りがアリスの鼻孔をくすぐり始めた。ほとんど一日がかりとなった下準備が遂に報われた瞬間である。まるで新作の人形が完成した時のような感動を彼女は覚えていた。あとは持ち込んだドリップポットで淹れてやれば完成である。
そこで不意に霊夢は顔を上げて空を注視した。なにか天啓のようなものを授かったような表情である。事実少女の脳裏には、チリリとした勘独特の感覚が奔っていた。
「……そろそろってとこね」
「ん、どうかしたの、霊夢?」
「いえ、……いや、もうちょっと多めに根っこを炒めてちょうだい」
こういう巫女っぽい顔をしている時の霊夢の言葉は、空恐ろしいほどに中ることをアリスは実体験として理解している。もっとも珈琲作りで? とか考えてしまい、どうにも空気が締まらなかったので、彼女はとりあえずポーカーフェイスのまま次の根を炒めることにした。
斯くして。それから数十秒もしない内に魔理沙がやって来た。片腕でしっかりとチルノを抱えたまま台所に現れたその顔はどことなく不満そうである。肩にはアリスの人形がちょこんと腰かけていた。
「待ってたわよ、魔理沙」
「……まったく。いつから魔法使いはお前の小間使いになったんだよ、霊夢。アリスもアリスだ、大切な人形を一体きりでこっちに寄越してさ……」
「そうは言ってもちゃんとお願いは聞いてくれたみたいね。そこにお煎餅が置いてあるから、チルノと一緒にもう少し待っててよ」
先まではーなーせー、と喚いていたチルノは霊夢が言った傍から、もう両手に煎餅でご満悦だった。どうにも能天気なところはやはり妖精ということだろう。
「わかったよ、……期待してるからな」
魔理沙も霊夢とアリスの様子からだいたいの事態は察したらしい。そう一息吐くと、チルノを抱きかかえたまま縁側の方へ歩いて行った。その様子を横目で観察しながら、彼女は関心したように言う。
「……なるほどチルノ、ね。考えたものだわ」
「どうせやるなら、いろいろやった方が面白いでしょ? 名づけて蒲公英氷精珈琲ってところね。もっとも魔理沙には少し迷惑かけちゃったけど」
「――オリジナルを尊重しながら、そこにさらにオリジナリティを付加して残そうってわけね」
なかなかどうして、博麗の巫女が魔法使いの誇りを理解しているものだ。珈琲を珈琲豆ではなく蒲公英の根で、さらに普通は熱いものを冷たくして飲もうというその発想、巫女にしておくには惜しいくらいだった。
「霊夢、貴女って巫女より魔法使いの方がお似合いかもしれないわ、ねえ引退したら魔法使いにならない?」
「んー、考えとくわ」
返事は素っ気ない。おそらく明日には霊夢は忘れているだろうと、アリスはフライパンを揺り動かしながら苦笑いした。巫女というのは今日に生きる者だ。そういうある種刹那的な姿が、長寿の妖怪や大望掲げる魔法使いを引きつけて止まないのだろう。
「ふふ、どうせならミルクも用意しましょうか。砂糖だけじゃまだチルノには苦いでしょうし」
「アリスって人形劇といい、わりと子供好きよね、でも駄目よ? 悪いことをしようとしたらすぐに退治しちゃうんだから」
「その言葉は私より魔理沙に聞かせるべきね、……と、これくらいでいいわ、じゃあドリップしましょうか?」
「そこら辺はよくわからないから任せるわよ」
そうして出来たアイスコーヒーならぬ蒲公英氷精珈琲は、突貫作業で作ったわりには美味しいものだった。チルノといえば氷漬けのイメージだったが、己の欲が絡むと途端に適当やら加減やら程々という言葉を学ぶのだから調子のいい話だ。
自然とはいったい何なのかと、チルノの冷気に涼む霊夢の横でアリスと魔理沙は改めて考え込むこととなった。ちなみに蒲公英珈琲には肝臓の働きを助ける効能がある。これが連日の暑さからアルコールの量が増えていた三人の身体の調子を、ある程度まで回復させたというのだから、げに素晴らしき巫女の幸運といったところだろう。
チリリンと風鈴が揺れた。
夏はまだまだ始まったばかりである。
今日も縁側で日光浴に耽る博麗霊夢にそう語るのは、アリス・マーガトロイドである。都会派魔法使いを自称するアリスは、どうやら人里でお茶やお酒以外の飲み物が話題に挙がるのが嬉しいらしい。
「いや一応、牛乳とかサイダーとかもあるわよ?」
「ミルクはお茶だし、サイダーはお酒でしょう?」
「え、」
「え、」
ここに霖之助が居合わせれば、嬉々としてグローバルギャップについて語ってくれただろう。ちなみに彼は見目に反して高齢な半人半妖のため、日本に渡った最初期のサイダーにアルコールが含まれていたことを実体験として知っている。
ただこの類の思い出話をすると、時たまに高く厚いジェネレーションギャップという壁に、老若関係なくぶち当たって切なくなるので、霖之助はまだ霊夢にこの話をしてはいなかった。彼曰く無知故の無邪気な残酷さというやつだ。犯人は主に遠きセピアの日の霧雨親子である。
「……ともかく今時の流行りは珈琲なのよ。霊夢も縁側でお茶を飲んでる場合じゃないわ!」
「私は珈琲より緑茶の方が好きなのだけど」
「それは知っているわよ。けれどいつも同じじゃちょっと味気ないんじゃない? こういう時は周りに合わせて楽しんでいた方が後々も楽しいわ。ほら……滅びの美学っていうの?」
「ちょっと穿ち過ぎじゃあないかしら」
アリスの物言いに苦笑する。流行りはやがて廃るものだが、その刹那的な移り変わりがまた都会的で宜しいとのことだ。創造と破壊は紙一重ということだろうか、物心覚えた時から神社の境内で暮らす霊夢には今一つピンとこない感覚である。しかし何となく楽しそうであることは確かだった。
「まあ、つまりアリスは珈琲が飲みたいってこと?」
「そう言えばそうだけど、……私はむしろ貴女と一緒に――」
「じゃあ作りましょうか、珈琲」
「…………ええ?」
まさしく素っ頓狂な声をアリスは上げていた。彼女にとって珈琲や紅茶は淹れるものであり、けして作るものではない。無ければ単純に買えばいいと考える彼女は確かに都会派で、そして無ければ単純に作ればいいと考える霊夢はまた確かに田舎派だった。
そうして。図らずしてアリスの霊夢と一緒に珈琲という目的は達せられた。ただしその手段は彼女が想定したものとは明らかに異なっていたが、まあ些細だろう。結局のところ楽しめれば万事問題なんて有りはしないものなのだ。無料だというのに、どこまでも現金な話である。
◆
「それで珈琲を作るというのには賛成したけれど、……どうして私たちは境内で草むしりなんてしているのかしら、霊夢?」
「勿論、珈琲のためよ。……ええ他意なんてないわよ、本当なんだから!」
季節は未だに夏、ギンギラギンの太陽がさり気なさなどかなぐり捨てて自己主張する午後である。軍手をはめてタオルを首にしゃがみ込み草を毟る二人の姿は、労働に勤しむ者としては健全そのものだったが、年頃の少女としては色気の欠片もない有り様だった。
それにしても目は口ほどにとはよく言うが、もう少しその挙動不審な態度を隠そうって気はないのかしらと、アリスは胸中で一人ごちる。必要だからとはいえ、こうも上手く人を乗せたのだから、どうせなら最後まで乗せっぱなしでいて貰いたいものだ。
「はあ、私はブルーカラーじゃなくてホワイトカラーのつもりなんだけど……」
「むしろアリスはトリコロールカラーだって早苗は言っていたけどね」
「そういう話じゃないわよ! まったくこういうのは使用人の仕事でしょうに」
「だってアリスの人形じゃ根っこまで引き抜けないじゃない」
「なんかさらりと目的がすり替わってるわ……」
珈琲の材料集めの次いでの草むしりではなかったのかと、隠しもせずにアリスがぷるぷると戦慄く中、霊夢は手際よく雑草と蒲公英を選り分けて引き抜いていた。そう。少女にとって珈琲といえば豆ではなく根である。蒲公英の根をよく洗い、乾かし適当に切って焼いてお湯を注げば、だいたい完成といったところだ。今日とて大雑把な計画である。
霊夢の舌はお茶とお酒の違いはわかるが、珈琲の違いまではわからないのだ。乾して切って焼いたら、あとはアリスに任せようというのにいったい何の問題があるだろうか、いやない。こうして少女は厄介な草むしりを退屈せずに行え、彼女は健全な汗を流した後に(自分で入れた)美味しい珈琲が飲めるのだ。これぞまさしく霖之助が言っていたWin-Winの関係だろう。横文字である、最先端だ。
「まあ頑張りましょうよ、アリス。私たちは今まさしく幻想郷の一歩先を行っているはずよ」
「そんなの嘘よ! ……ああ、家内でもいいから涼しい場所にいたいわ」
「……家庭内労働者? アリスって本当に働き者なのね」
「お嫁さんってことよ! どうにも今日は霊夢と会話が噛み合わないわ、……夏だからかしら」
「暑いからねえ」
「ねえ待って、私が可笑しいの? 頼むから霊夢がそんな優しい目をしないでよ……」
そんな漫才のような掛け合いを続けている内に、草むしりならぬ材料採集は終わった。境内に籠っていることが多いとはいえ、掃除中も休憩中も日の光と付きあいのある霊夢は平気そうだったが、パチュリーよりは活動的であるとはいえ、どちらかといえばインドアのアリスの白肌は少し赤くなっている。おそらく明日には日焼けしていることだろう。まあそれはそれで健康的で似合いそうなものだが、先から彼女が恨めしそうにジィと己を見つめているので、勘がわざわざ告げずとも少女は口を噤むことにした。
「それじゃあ、……珈琲作りの前にお茶にする?」
「うう、なんなのこの言い知れぬ敗北感は……」
どうも己が考えていたのと違う気がすると、それでも霊夢から差し出された緑茶を音もなく啜る辺りに、アリスの人と育ちの良さが現れていた。ミンミンミンミン、と。蝉がリグルと鳴き、その短い命を燃やす音が絶え間なく聞こえる。少女の声に似合わぬシャウトだ、夏である。
「――というか、やっぱり蝉の声ってシャウトだったのね」
デスボイスでないだけマシだわと、何食わぬ顔で呟くアリスは少し疲れていた。心なしか、周囲を取り巻く人形もぐったりとしている。これが半自律ではなく皆々手動なのだとしたら、とてつもないプロ根性だと、煎餅を大皿に入れて台所より出てきた霊夢は思った。ちなみに自作である。生地を叩いて伸ばして焼くのではなく揚げて一口大に砕いた程度の醤油煎餅だ。
「はい、これ。……まあ、見た目は焦げているけれど味は大丈夫なはずよ」
「へえ、霊夢が珍しいわね…………ん、あら、美味しい」
まるで何でもないことのように言いながら、顔が少し赤くなるところまでしっかりと美味しかった。嘘は吐かないし、余計な言は口に出さないアリスは本当の淑女である。手渡された箸を器用に使い、油が付かないようにまた一つ煎餅を摘んで口に運んだ。照れを誤魔化すように黙って煎餅を口に放る霊夢の指には、これまたお約束のように絆創膏が巻かれている。無論、彼女は何とかポーカーフェイスを死守したのだった。
「アリスなんか変なこと考えてないでしょうね?」
「……まさか。ただ暑いなーとか、夏だなーとか、嬉しいなーとか考えていただけよ」
夏はこういうとき便利でいい。巫女にも魔法使いにも、それが発汗か冷や汗かなんて区別がつかないからだ。しばらく訝しげにアリスを見つめていた霊夢だったが、少女の勘すらそんな彼女の誤魔化しを見抜けなかったか、嘆息すると巫女服の袖の下から一通の手紙を取り出した。
「まあいいわ、……これ、珈琲を作っている間に頼まれてくれないかしら?」
「ふーん、いいけど誰に?」
「魔理沙」
「わかったわ」
アリスは手紙を受け取ると、熱中病の如くふらふらと空を漂う人形の一体にそれを手渡した。小さな〝おてて〟で手紙を抱え込みながら、えー、とばかりに二人の顔を交互に眺めるところまで安定の名人形劇である。
アリスは自作自演ながら好い笑顔で手を振り、霊夢は面倒臭そうに早う行けよとシッシッと手を払う。そうして何度も振り返りながら人形が魔理沙目掛けて飛び立っていくまで、何だかんだ少女も付き合うのだった。
「……どうしても毎回やらないといけないわけ、あれって?」
「様式美よ、霊夢にもわかるでしょう? 何度も繰り返され洗練された手順や形式こそ美しいんだから」
「じゃあ時たま爆発するアリスの人形って……」
「それも勿論、様式美よ! まるで夏の夜空を彩る花火の如く、儚く炸裂して消えゆく滅びの美学……ああ、今まさしく私たちが作ろうとする珈琲に通ずるものさえあるわ」
「いや、ねえから」
弾幕に関する美しさの持論は認めても、珈琲に対するゴリアテ人形のような爆破哲学など、霊夢にはとても理解できそうにないし認められなかった。境内だって人里だって基本は爆発物不可なのだ。ともかく今回は珈琲作りである。
「駄目かしら…………爆発って素敵だと思うのだけれど」
「作るんなら家で勝手にしなさいよ」
◆
掘り出した蒲公英の根は思ったよりも大量で、これならしばらくは緑茶ではなく珈琲で過ごしてもいいと考えるほどだった。それを片っ端からお揃いの割烹着を着込んだ霊夢とアリスが、台所にて水洗いしていく。よく土を落とすと意外と太い根はゴボウのようにも見えてちょっと笑ってしまう。
「……もしかして食べられるかしら」
「少なくとも霊夢によれば飲めるのは間違いないらしいわよ?」
軽口を言い合いながらも二人の手は止まらない。一度にすべてを水洗いするのではなく、ある程度のまとまりになったらよく水気をふき取ってそぎ切りにして、縁側に置いておいたザルに広げて天日干しにして乾燥させる。アリスに至っては己の人形に団扇まで持たせて指示を出していた。
「いい? 絶対に根っこを吹き飛ばすことがないように、けれど早く乾くようにみんな頑張るのよ」
おー、と手を挙げる人形は見ていて微笑ましい。まあ大事にならなければ良いか、と霊夢は次の水洗いの作業に戻ることにした。
そうして下準備を続ける内に、アリスも霊夢のやろうとしていることがわかったのか、初めの根が乾燥する頃には、いつのまにか人形を使って自前の手動器具まで持ち込んでいた。聞くところによると食べ物を粉々にするには此方の方が都合が良いらしい。
人里でもあまりみない道具だった。しかしゴリゴリゴリゴリ、と。ハンドルを回す内に根が小粒の山になっていく様は確かに楽そうだ。というより凄く楽しそうだった。アリスから借りて回す内に夢中になった霊夢の表情はまったく子供らしい。
小粒となった根は、霊夢が慎重に火加減を調整しながらアリスが炒めることにした。ここで強火の熱を加えてしまうと、今までの下準備が無為になってしまうからだ。故に役割分担である。分業とは紙幣に次ぐ人類最高峰の英知の一つと言って差し支えないと思う。最早身に染みつくように加減をわかりきった少女の絶妙な吐息が、火の温度を弱火に留め続ける。
蒲公英の根の独特の香りがアリスの鼻孔をくすぐり始めた。ほとんど一日がかりとなった下準備が遂に報われた瞬間である。まるで新作の人形が完成した時のような感動を彼女は覚えていた。あとは持ち込んだドリップポットで淹れてやれば完成である。
そこで不意に霊夢は顔を上げて空を注視した。なにか天啓のようなものを授かったような表情である。事実少女の脳裏には、チリリとした勘独特の感覚が奔っていた。
「……そろそろってとこね」
「ん、どうかしたの、霊夢?」
「いえ、……いや、もうちょっと多めに根っこを炒めてちょうだい」
こういう巫女っぽい顔をしている時の霊夢の言葉は、空恐ろしいほどに中ることをアリスは実体験として理解している。もっとも珈琲作りで? とか考えてしまい、どうにも空気が締まらなかったので、彼女はとりあえずポーカーフェイスのまま次の根を炒めることにした。
斯くして。それから数十秒もしない内に魔理沙がやって来た。片腕でしっかりとチルノを抱えたまま台所に現れたその顔はどことなく不満そうである。肩にはアリスの人形がちょこんと腰かけていた。
「待ってたわよ、魔理沙」
「……まったく。いつから魔法使いはお前の小間使いになったんだよ、霊夢。アリスもアリスだ、大切な人形を一体きりでこっちに寄越してさ……」
「そうは言ってもちゃんとお願いは聞いてくれたみたいね。そこにお煎餅が置いてあるから、チルノと一緒にもう少し待っててよ」
先まではーなーせー、と喚いていたチルノは霊夢が言った傍から、もう両手に煎餅でご満悦だった。どうにも能天気なところはやはり妖精ということだろう。
「わかったよ、……期待してるからな」
魔理沙も霊夢とアリスの様子からだいたいの事態は察したらしい。そう一息吐くと、チルノを抱きかかえたまま縁側の方へ歩いて行った。その様子を横目で観察しながら、彼女は関心したように言う。
「……なるほどチルノ、ね。考えたものだわ」
「どうせやるなら、いろいろやった方が面白いでしょ? 名づけて蒲公英氷精珈琲ってところね。もっとも魔理沙には少し迷惑かけちゃったけど」
「――オリジナルを尊重しながら、そこにさらにオリジナリティを付加して残そうってわけね」
なかなかどうして、博麗の巫女が魔法使いの誇りを理解しているものだ。珈琲を珈琲豆ではなく蒲公英の根で、さらに普通は熱いものを冷たくして飲もうというその発想、巫女にしておくには惜しいくらいだった。
「霊夢、貴女って巫女より魔法使いの方がお似合いかもしれないわ、ねえ引退したら魔法使いにならない?」
「んー、考えとくわ」
返事は素っ気ない。おそらく明日には霊夢は忘れているだろうと、アリスはフライパンを揺り動かしながら苦笑いした。巫女というのは今日に生きる者だ。そういうある種刹那的な姿が、長寿の妖怪や大望掲げる魔法使いを引きつけて止まないのだろう。
「ふふ、どうせならミルクも用意しましょうか。砂糖だけじゃまだチルノには苦いでしょうし」
「アリスって人形劇といい、わりと子供好きよね、でも駄目よ? 悪いことをしようとしたらすぐに退治しちゃうんだから」
「その言葉は私より魔理沙に聞かせるべきね、……と、これくらいでいいわ、じゃあドリップしましょうか?」
「そこら辺はよくわからないから任せるわよ」
そうして出来たアイスコーヒーならぬ蒲公英氷精珈琲は、突貫作業で作ったわりには美味しいものだった。チルノといえば氷漬けのイメージだったが、己の欲が絡むと途端に適当やら加減やら程々という言葉を学ぶのだから調子のいい話だ。
自然とはいったい何なのかと、チルノの冷気に涼む霊夢の横でアリスと魔理沙は改めて考え込むこととなった。ちなみに蒲公英珈琲には肝臓の働きを助ける効能がある。これが連日の暑さからアルコールの量が増えていた三人の身体の調子を、ある程度まで回復させたというのだから、げに素晴らしき巫女の幸運といったところだろう。
チリリンと風鈴が揺れた。
夏はまだまだ始まったばかりである。
あと煎餅を頬張ってるチルノを想像して悶えました。
3・4と続けるつもりがあるならその方が分かりやすいですし。
続きを読みたいと思わせる作品に出会いました