※超絶オリジナル設定注意。
※一部残虐表現有り。
一作目は作品集144
二作目は作品集148
三作目は作品集154
四作目は作品集159
五作目は作品集165
六作目は作品集171
七作目は作品集174
八作目は作品集178
九作目は作品集188
十作目は作品集192 にあります。
【登場人物】
犬走椛:哨戒が仕事の白狼天狗。現在は隊長職。彼女を慕う部下は多い。大天狗とは古くからの付き合い。
射命丸文:鴉天狗の新聞記者。椛のことを好いている。頭脳と実力は幹部から高い評価を得ている。
姫海棠はたて:鴉天狗の新聞記者。天魔と血縁関係にあるが本人はそのことを知らない。周囲が色々と世話を焼いてくれる。
大天狗:椛の上司。天狗社会のNo.2。天狗社会の裏番長的存在。
天魔:天狗社会の最高統括者。見た目は童女、頭脳は老婆。お菓子好き。いつもはたての事を心配している。
【 episode.1 狼たちの午後 】
大天狗に報告書を提出しにやってきた椛。
今日も今日とて雑談に花を咲かせる。
「今日は機嫌が良いですね?」
「わかる? 今度の合コンにね。天魔ちゃんが参加してくれることになったのよ。『いつも断ってばかりで悪いから』って言ってさ」
「良かったですね」
「天魔ちゃんが参加するってなると、いつもより大勢集まるからね。捗るわ」
「それだと参加する男達はみんな天魔様にしか興味がないって事になりません?」
「…」
「…」
「……なんてこったッ!!?」
(本気で気付いてなかったのかこの人?)
何が彼女の目をここまで曇らせるのか理解できない椛。
「なんで皆天魔ちゃんを選ぶわけ!? あっちの方が私より歳行ってるからね!!」
「まぁ天狗の男って小さい体型の者を好む傾向にありますし、どうか気を落とさず」
「それは逆よモミちゃん」
「逆とは?」
「ロリコンが多いから天魔ちゃんが人気なんじゃなくて、天魔ちゃんがいるからロリコンが多いのよ」
「仰ってる意味が?」
「天魔ちゃん、あんなナリでも天狗じゃ長老でしょ? 天狗の大半はあの子見ながら育ったワケよ。あの美幼女を」
天魔が初恋の相手。という男は少なくない。
「そしてついたあだ名が『ロリコン製造天狗』」
「本人が聞いたら、人里まで殴り飛ばされますね」
「でも事実だからねぇ。昔、寝ぼけた天魔ちゃんに『母上』って呼ばれた事があったけど、マジで母乳でそうになったわ」
「聞きたくなかったなぁその話」
「ホント、小さいってマジ反則」
「そこまで言うなら術で見た目変えれば良いじゃないですか」
「私、変化の術と相性悪いみたいで。色々と練習したんだけどねぇ」
「プライド無いんですか貴女は」
そこは『この姿でなければ意味が無い』と言って欲しかったと思う椛。
「私がちんまい時は、種族を超えていろんな男が寄って来たのよ。みんなお姫様みたいに扱ってくれてさぁ」
「時間の流れって残酷ですね」
「あの時の栄光をもう一度」
「無理なんじゃないですかね?」
「どうしても体験したくて、こんな企画を用意したわ」
クリップで纏められた紙の束を渡される。
「賊が人質を取って立てこもった場合を想定した訓練?」
表紙の題目を見て首を傾げた。
「人質を取る侵入者から、人質を救出する訓練よ」
「ちなみに人質役は?」
「私自身です。囚われの姫である大天狗様の為に、みんなが命を賭けて頑張って貰う感じの訓練です」
企画書を持つ椛の手に自然と力が入る。
「待って! 破かないで! 冗談だから、実はこれ天魔ちゃん直々の頼みで、結構真面目な訓練だから!」
「天魔様の?」
「うん。今の山に必要な訓練だって言ってた」
「立て篭もりなんて、そんなに頻発するようなものですか?」
「だからあえてやるのよ。最近、不用意に山に近づく新参の連中も増えてきたから、『想定外の事態が起こるかもしれない』って心構えも持たせるために」
緊急時、その心構えが有ると無いとでは、初動の早さが大きく違ってくる。
人質救出自体はそれほど重要ではなく、どんな事態でも狼狽える事のない精神を養うのが狙いだと大天狗は語った。
「そういう事なら、やっといて損は無いと思いますけど、具体的に何やらせる気ですか?」
訓練を行うよう天魔から命じられてはいたが、軍権はすべて大天狗が握っているため、訓練の詳細については全て大天狗が考えることになっている。
「色々と考えてみたんだけど、いい案が浮かばなくて。不思議と立て篭もり現場の風景が想像できないのよ。なんでかしら?」
「いつも。立て篭もりの状況になる前に『人質? 面倒臭ぇ。まとめてやっちまえ』という、非常に気持ちの良い決断を下すからですよ」
「えへへ」
「褒めてません」
「とりあえず、侵入者が人質を取った状態からスタートして、人質の救出と侵入者の確保までの流れを各部隊に体験でどうかな?」
「それでちゃんと訓練になるんですか? なんかグダグダになりそうな気がするんですけど」
「やっぱりそう思う?」
大天狗は気だるそうに息を吐いて、頬杖をついた。
「初めての試みだし、やっぱり一回どっかの部隊で予行練習しときたいなー」
白々しい声色でそう言って、椛に視線を送る。
「わかりました。うちの隊員を集めます。その代わり特別出動手当てをつけてくださいよ?」
数日後。
雑木林の中で予行演習は行われた。
「んじゃ、非常に不本意だけど私が犯人役やるから」
椛率いる哨戒部隊の前で大天狗が簡単な流れを説明する。
「今回人質役はこの丸太君」
ちょうど大人一人分の重さの丸太に、大天狗は『人質』と書かれた紙を貼る。
「私は『とある目的で山に侵入するが発見され、逃走中に幸運にも人質が手に入り、人質を利用して目的の達成と山からの脱出を図る侵入者』って設定でアドリブで動くから、そっちは人質の救出と侵入者確保の為に動いてね。何か質問は? はい、そこのブ男」
「始まった時の我々の状態は?」
「私を取り囲んだ状態でスタートしてちょうだい。他には? はいモミちゃん」
「昨日の天魔様を交えての合コンの結果は?」
「聞かないで!!」
こうして訓練が始まった。
「無駄な抵抗は止めて。大人しく人質を解放しなさい」
椛はメガホン片手に犯人役の大天狗に呼びかける。
「うるさい! それ以上近づいたら人質の命は無いわよ! 人質を返してほしきゃ私の言うこと聞きなさい!」
「そちらの要求は?」
「良い男」
「は?」
「良い男と逃走用の車を用意しなさい!!」
「真面目にやってくれませんかね?」
額に青筋を浮かべながら大天狗に警告する。
「なんかこういうロールプレイングってボケたくならない?」
「わざわざボケなくても、大天狗様が丸太を抱えている時点で十分ネタになってるからいらないです」
気を取り直して最初から。
「無駄な抵抗は止めて。大人しく人質を解放しなさい」
「無事に返して欲しかったら河童の秘薬を持ってきなさい! そいつと交換よ!」
「その要求は呑めない。諦めて投降しろ。人質が無事ならば大天狗様の名において寛大な処置を下すことを約束する」
『大天狗様の名において寛大な処置を下す』とは、罪人を説得する際によく用いられる、常套句のようなものだった。
「なんかこの状況でその台詞聞くと、私が自分にすごい甘い奴みたいな感じに聞こえるわね」
「大天狗様あのですね?」
軽くイラつく椛。
「貴女が考えた台本ですよね? なんでそれ通りにできないんですかね?」
「私がルールブックよ!」
「こっちは非番の隊員までかりたててやってるんです。真面目にやらないと帰りますよ」
「はーい」
仕切りなおしてもう一回最初から。
「げへへへ。この人質の命が惜しければ山のロリコン共を全員駆逐し…」
「解散」
「「「御疲れ様でしたー」」」
メガホンを投げ捨てて踵を返す椛。部下もその後をぞろぞろと続いていく。
「ごめん! 本当にごめん! だからワンモアチャンス!!」
「私が犯人役やりますから大天狗様は隅っこで見ててください」
「いいけど、折角だし私に人質役やらせてよ」
「余計な事しないって約束してください」
「うん」
役を入れ替えてやり直し。
「無駄な抵抗は止めて。大人しく人質を解放しろ」
椛にメガホンを渡された隊員が説得の言葉を投げかける。
「河童の秘薬と交換だ」
「それで何をするつもりだ!?」
(そういえば考えてなかったな)
役柄を変えたものの、そこまで考えていなかった椛。大天狗に小声で尋ねる。
「侵入者って河童の秘薬で何をするつもりなんでしょうね?」
「私に聞かれても知らないわよ。モミちゃんのアドリブに任せるわ」
「ふむ」
このまま演習を止めるワケにもいかないため、思いつきに任せて椛は口を開いた。
「えーと。私には生まれつき足の不自由な妹がいてな…」
椛は語った。存分に語った。
足の不自由な妹を持った姉という設定で、その身の上を。
―――――【ある侵入者の半生】―――――
障害を理由に口減らしにされそうになった妹を抱えて姉は家出した。
貧困街で物乞いをして命を繋ぐ日々、しかし、どんなに飢えていても妹の身体だけは穢すまいと心に誓い、妹の為なら下賎に身をやつす事も厭わなかった。
貧困街で生きること数年。体も大きくなり選べる仕事も増えて、貧しいながらも安定した生活を得た。
そんなある日、姉妹に転機が訪れた。
興味本位で見物に来た富裕層の青年が、彼女を気に入ったのだ。
嫁には出来ないが、妾としてなら受け入れようと打診された。
これ以上にない絶好の機会だった。
しかし一つ問題が上がった。妾となる約束を結ぶ直前に、足の不自由な妹は連れて行けないと、いくら金銭に余裕があるからとはいえ、妹の介護までする義理は無いと青年が言い出したのだ。
歩けない妹がこの街で一人で生きているはずがない。
姉は食い下がり「では妹が歩けるようになれば、一緒に連れて行ってくれるか?」と尋ねると、彼は是と応えた。
妹と共にこの街を脱出する為に、彼女は幻の薬があるとされる妖怪の山へ向かった。
―――――【ある侵入者の半生】―――――
「青年とかいう奴、なんて甲斐性のねぇ野郎だ…」
「あんまりだそんな現実」
自身の極貧体験を交えて語ったその物語は凄まじい程にリアルで、隊員達の心を打った。
中には涙を流す者もいた。
「続きは! 隊長続きは!?」
「今まさにこの状況だ。だから早く薬を持ってきてください。妹の為にも」
「早まっちゃいけねぇよお嬢さん! アンタが死んだら妹さんはどうなる!」
「俺らが秘薬持って来てやるからよぉ。滅多な事はしちゃいけねぇ!!」
あろうことか予行演習を忘れて真剣に説得する者が出てきた。
「人情深い連中が多いのねモミちゃんの部隊」
「チンピラ上がりなせいか、変に義理堅い所とかありますからね」
「もう良い! 次! 次の予行演習やるわよ!!」
この形での演習は不向きと判断した大天狗は、演習内容を変えることにした。
「お前等、今の状況を整理するぞ?」
隊員達が円になっている真ん中に椛が立ち、説明を始める。
「侵入者が人質をとって小屋に立て篭もっている。私達は小屋に突入して速やかに人質の救出と侵入者の確保しなければならない」
「そう言われましても」
隊員達が掘っ立て小屋の方向を見る。
窓に肘を付いた大天狗が優雅に手を振っていた。
「アレに挑めと?」
隊員達の目には、ただの掘っ立て小屋が要塞のように見えた。
「ちょっとー、何時まで固まってるのよー。ペナルティエリアからのフリーキックじゃないんだかさー」
「なんですかその例え?」
痺れを切らせた大天狗が隊員達を急かす。
「ちょっとくらい待っててくださいよ。これから作戦を練るんですから」
「こっちは暇なのよ。話し相手もいないし」
『人質』の張り紙をされた丸太を恨めしそうに見る。
「堪え性の無い女は好かれませんよ?」
「もともとモテないからいいもんねーだ」
「大天狗様の事が大好きだという奴なら一人知ってますよ」
「ホントに!? 誰!?」
「昔、貴女の右腕を務め、今は保守派の頭をやってる方です」
「クソサイコレズじゃん! この前久しぶりに会ったけど相変わらず気持ち悪かったわよ!」
「昔はもっと酷かったですよ。大天狗様の使用した櫛から毛髪を採取したり、呉服屋で貴女が試着したけど買わなかった着物を買い取ったり」
「そんな事してたのアイツ!?」
「もっとエグいのもありますけど聞きたいですか? 貴女との恋愛を描いた同人誌を800部刷って配ったとか」
「それは知ってる。回収するのに滅茶苦茶苦労したわ」
「ところで大天狗様」
「なに?」
「人質救出しちゃったんですけど」
「へ?」
振り返る。隊員が丸太を抱えて小屋から脱出していた。
「訓練終わっちゃいましたけど、帰っていいですか?」
「ノーカン! 今のノーカン! もっかいやらせて!!」
「我々も暇じゃないのでそろそろ」
「そういわずに!」
「そういえば詰所の畳がかなり色あせておりまして」
「わかったわよ。修繕費の予算組んでおくわよ」
「あと、仮眠室の布団がカビ臭いんですよね」
「あのね? いくら私の地位でも公費の操作には手間と労力がかかるのよ? 内部監査が毎回小姑みたいに細かいところまで予算の調査するのよ?」
「ゴホッ、ゴホッ、汚い布団で寝たからか結核と思わしき症状が」
「来週あたり匿名でお布団が詰所に届いてるんじゃないかな!? 誰かさんのポケットマネーで買ったお布団がね!」
こうして泣きの一回が行われることになった。
「始める前にちょっと良い?」
「なんですか?」
「人質が丸太ってのがいけないわ。緊迫感が欠けるわ」
「我々の中から人質役を提供しろと?」
「うん」
「ちょっと会議させてください」
大天狗から聞こえない位置まで離れ円になる。
「人質を志願する者は?」
全員、口を真一文字に結んで首を振った。
「だよなぁ」
誰がすき好んで猛獣と同じ檻の中に入るのか。
「となると、大天狗様には引き続きこの丸太を人質として使ってもらうしかないな」
「しかしどうやって継続で使うようお願いするんです?」
「一つ考えがある。紙と筆はあるか?」
話し合いが終わり、椛一人が丸太を抱えて大天狗のもとまで戻ってくる。
「モミちゃんが人質役?」
「いいえ。人質役はこの『ウシワカ君』です」
「ウシワカ君?」
「彼の身の上について話しましょう」
「え? 身の上? え?」
つらつらと語り始める。
「彼の父親はライバル店の汚い計略により膨大な借金を背負わされて、それを苦に自殺。美人で有名な母親は、借金の肩代わりを条件にライバル店の社長の妾になっています」
「なにその設定?」
「彼は現在、父を自殺に追いやった店に奉公に出されているのですが、そこでの扱いは酷いもので、常に冷遇されて育ちました」
「ちょっと待って! 昔に知り合った人間とすごい状況が酷似してるんだけど!」
「そんな彼はある日、押し付けられた水汲みの帰り道、侵入者に運悪く捕まってしまい人質となりました」
『ウシワカ君』と書かれた紙が貼られた丸太を大天狗に渡す。
「どうしよう。ちょっと気になっちゃう。ただの丸太なのに」
「ただの丸太ではありません。『ウシワカ君』です。少女と見紛う程に容姿端麗な美少年です」
「あれ? 嘘? なんかすっごいドキドキしてきた」
「人質役は引き続き彼に任せて構いませんね?」
「ま、まぁいいかな」
丸太を先ほどより大事に抱えて小屋へと戻っていった。
「よし」
「隊長、こっちも準備できました」
椛が振り返ると木刀を携えた隊員数名が整列していた。
彼らは隊の中でも屈指の実力を誇る精鋭である。彼らが先陣を切る。
「いつでも行けます!」
彼らを一斉に小屋に突入させて、数で圧倒して丸太を奪うという作戦である。
「何を言ってる? まだこれを忘れているぞ」
椛は有刺鉄線がギチギチに巻かれた鉄パイプを、突入班全員に持たせた。
「あの隊長、いくら相手が大天狗様とはいえ、流石にこれはマズイんじゃ?」
「大丈夫だ。大天狗様は伝説の剣(つるぎ)で、体の八箇所に埋まっている核を同時に破壊しない限り不死身だ」
「どこの魔王ですかそれ…いや、実際に人間に『魔王』って呼ばれてたんでしたっけあの人?」
「鞍馬山魔王大僧正って、呼ばれると異常に拗ねるからな。間違っても本人の前でその話はするなよ?」
こうして椛監修のもと全員の装備が整った。
「『殺す気でやれ』なんて半端な事を言うつもりは無い。殺して来い」
「訓練でそんな事言うヒト初めてみたよ」
そして椛は精鋭達を見送る。
「大丈夫でしょうかアイツ等?」
椛の隊に所属する、実戦よりも事務職を主に行う白狼天狗の少女が椛に尋ねる。
かつて、椛に片思いをしている事を文に告げ、その直後にロメロスペシャルを掛けられた少女である。
「大天狗様を抑えつつ丸太を奪ってくるだけだから、案外成功したりするんじゃ……うおっ!」
空から、たった今見送ったはずの隊員が降ってきた。
小屋の方を見る。
「何アンタ等!? 平家か!? 平家の手先か!?」
窓から顔を出した大天狗が叫んでいた。
「あの、大天狗様?」
「この子は私が育てる!! 次こそ征夷大将軍まで押し上げる!!」
丸太を抱えそう宣言する大天狗。
「ひょっとして? 大天狗様、元彼の人間のこと思い出して変なスイッチ入ったんでしょうか?」
「どうやらそうみたいだ」
「この場合営利目的の立て篭もりというより、ショタコン拗らせた行き遅れのおば…」
軽口を叩いた隊員の頬を固い小石のような物体が亜高速で通過した。
「聞こえてるゾ♪」
大天狗の指先から煙が上がっていた。天狗礫を放った証拠である。
指から上がる煙をふっと息で散らしてから、懐に手を入れて札を五枚取り出す。
外に向けて放ると札が小屋の壁に張り付いた。
「隊長、なんでしょうかあのお札?」
「最悪だ」
「何かご存知なんですか?」
「あれには見覚えがある。大天狗様が弾幕ごっこに興じているのを見た時だ。大天狗様の傍らを漂い、常に弾幕を放っていた」
いわゆる『オプション』と呼ばれているモノである。
椛の説明が終わると札が青白く発光し始めた。
「まずい! 散れ!!」
大天狗の凶弾が、濁流のごとく周囲にばら撒かれる。
一発一発が、先ほど指先から放った天狗礫と同等の威力だった。
「ちょっと隊長! これ死にますって私達! 木が持ちませんよ!」
機関銃のように連射される天狗礫、椛達は自身から最も近い立木に隠れ事なきを得る。
しかし天狗礫を受けた木の表面は徐々に削られ、倒木は時間の問題となっていた。
「これじゃ弾幕ごっこじゃなくてインベーダーゲームですよ!」
「言ってる場合か!」
椛は辺りを見回して他の隊員達の様子を見る。
幸い全員、遮蔽物の陰に隠れていた。
「大天狗様! 冷静になってください! これはただの訓練ですよ!」
「今度は武芸だけじゃなくて、敗因となったコミュ力も鍛えちゃる!」
「やめた方がいいですってばっ! あの時代、社交性がある奴の方がかえって早死にしてますから!」
「人んちの教育方針に口出しは許さん!」
「駄目だ。完全にのめりこんでる」
そうこうしている間に、椛達が隠れている木の根元が嫌な音を立て始めた。
「この状況は、もう駄目なんじゃないか?」
ゴロンと木に背中を預ける。
「みんな仲良く全治一ヶ月だなこれは」
「何弱気な事言ってるんですか」
「隊長!!」
すぐ近くの木に身を隠す隊員が椛に向かい叫んだ。
「俺が突破口を開きます。突入の許可を」
「止めておけ、冗談抜きで死ぬぞ?」
「確かに死ぬかもしれません。だから聞いてください」
「なにをだ?」
「もし生きて帰ってこれたら、今晩。デー…いでっ!」
同じ木に隠れていた隊員が、背後から彼の頭に拳骨を入れた。
二人にしか聞こえない音量で話す。
(テメェなにドサクサに紛れて隊長に告白しようとしてんだ!)
(んだよ? テメェも隊長狙いかよ)
(俺だけじゃねぇ。周りを良く見てみろ)
(あ?)
誰のものかはわからないが、自分に向け様々な方向から怨嗟の視線が注がれているのがわかった。
「おいどうしたんだ突然殴ったりして?」
不審に思った椛が声を掛けた。
「あ。いえ。コイツの頭に毛虫がいたんで取ってやったんですよ」
「そういえばソイツ。何か言いかけてたみたいだが? 今晩どうとか?」
「『今晩。一杯おごってくれ』って言いたかったみたいです」
「この状態をなんとか出来るなら、何でもしてやるよ。一杯でも二杯でも気がするまで労ってやる」
椛のその言葉に一部の隊員達が反応する。
「ん?」
「今」
「なんでもって?」
どこからともなくそんな声が湧いてきて。椛に確認を求める。
「『なんでも』ってアレですよ? 『バスタオル姿で背中流して』ってお願いしたら本当にやってくれるんですか?」
「お前等が大天狗様に勝てるワケないだろ」
「万が一、億が一にでも俺らが大天狗様を倒したらやってくれるんですか?」
「ああいいぞ。お前達があの状態の大天狗様をどうにかできたら、天下を取ったも同然だからな」
この時、隊員達の目の色が変わった。
掘っ立て小屋の中。
「愛いやつ、愛いやつ」
丸太を強く抱えて頬擦りをする大天狗。
「いとたまらん。なぜお前はこうも芳しい? まるでヒノキのような香りぞ?」
材質がヒノキなので当然である。
「すっごい落ち着………ハッ!?」
急に冷静さを取り戻した大天狗。
「やばい、軽く死にたくなってきた」
丸太をそっと壁に立て掛ける。
「あ、そういえば札貼ったままじゃん。皆大丈夫かな?」
弾幕を解除すべく窓から顔を出す。
「うおおおおおおおお!!」
「なんか特攻してきてるぅ!!?」
盾を前にかざし雁型の陣形を組んでこちらに向かい走ってくる椛の部下達。
「アゥチッ!!」
「右舷が一人やれた!!」
「おい! 大丈夫か!!」
「振り返るな! 持ち場を死守しろ!」
「仲間がやられたと思うな! ライバルが減ったと思え!!」
札からの凶弾に一人、また一人と脱落していく中、誰一人は怯むことなく果敢に吶喊(とっかん)していく。
「バスタオル! 隊長のバスタオル姿!!」
「バスタオルなど陳腐! 背中を流す女子の衣装はサラシに褌が正装と古より決まっている!」
「素肌にハッピ姿こそ正義!」
「スク水一択! それ以外はまかりならん!!」
「白装束! 水で濡れた透け透けの白装束!!」
「マイクロビキニ! マイクロビキニ!!」
(なんなのコイツら? 血走った目で意味不明な事言ってる)
気迫だけならまぎれもなく一流だった。
「せいやぁ!!」
そしてとうとう小屋に到達し、そのまま体当たり、札の破壊に成功した。
同時に壁は砕け、屋根が崩れ落ち、小屋はどこにも存在しなくなった。
「おーすごいすごい。まさか私のオプションを壊すとは」
「大天狗様ぁぁ!!」
ここまで辿り着いた者達は全員盾を捨てて腕を捲くり、声を張り上げた。
「男の浪漫のために、ここで討たせて候!!」
「うるせぇ土方上がりのチンピラ共が! 貴様等にウシワカ君はやらん!!」
「往生しなっせ!!」
「こいやぁぁぁ! 全員水洗いされたチワワみたいにしたる!!」
一斉に飛び掛る隊員達。上がる砂煙。
屈強な体躯の男達を千切っては投げ千切っては投げを繰り返す大天狗。それでも立ち上がり果敢に挑む隊員。
「勇気あるなぁアイツ等」
それを傍観する椛。
「あの隊長」
「どうした?」
戦闘に参加していた女性隊員数名が椛の元へ戻ってくる。
「ドサクサに紛れて丸太回収してきました」
「おおそうか。ご苦労だった。大天狗様ー! もう帰っていいですかー!?」
「ああ、うん。お疲れモミちゃん」
「「「大天狗様覚悟ォ!!」」」
「しゃらくせえ餓鬼ども!!」
更に高く舞い上がる白狼天狗の男達。
「許可も取れたし帰るか」
「それにしても汗かきましたね。銭湯寄ってきましょう銭湯!」
「そうだな、寄ってくか」
「あ、あと今日って特別手当が付くんですよね? 銭湯の帰りに一杯飲みましょうよ?」
「私は構わないが、お前たちはどうする?」
「「「ご一緒しまーす!!」」」
返事をして。椛の後を軽やかな足取りでついてく面々。
「あ、モミちゃん! 私もその女子会みたいなのに参加させ…」
「御印頂戴!!」
「邪魔すんな!」
「おぐっ!」
まるで獲物に群がる蟻のように、オオスズメバチに挑むミツバチのように、大天狗に次から次へ飛びかかる。
「うわああああん! なんでじゃぁ! なんで私にはこんな形でしか男が寄ってこんのじゃああああ!!」
椛達の後方で、そんな悲痛な叫びが上がった。
【 episode.2 学校へ行こう 】
大天狗の自室。
「えーと、合同演習の成績と侵入者撃退数を足して」
帳簿を見ながらそろばんを弾く大天狗を、椛はソワソワと落ち着かない様子で見守っていた。
「普段の素行としては、隊員同士での喧嘩が何度かあり一度厳重注意を受けている。マイナス7点っと。以上を踏まえての合計は…」
大天狗の手が止まり、机の隅にある印鑑に伸びる。印鑑は『優』『良』『劣』の三種類がある。
「限りなく『劣』に近いけど、ギリギリ『良』ね」
椛の名が書かれた書類に『良』の印鑑が捺される。それを見届けた椛は、肩の荷が下りたといわんばかりに脱力した。
「ありがとうございます」
「次期への期待値込みでこの評価だからね?」
「はい、がんばります」
畳みに手を付き、椛は深い礼をした。
査定で『良』の評価を貰ったことで椛の給金の上昇が確定した。
「それじゃあモミちゃんの印鑑ココに押して。それで手続き完了だから」
「はい」
大天狗の印の右側に椛は持参した判を捺した。
「あとこっちにも印鑑ちょうだい」
「はいはい」
机の上に書類を広げ、椛の判が必要な位置を指で指し示す。
椛はその誘導に従い印を捺していく。
「でも、モミちゃんもすっかり隊長が板について来たわね」
手を止めることなく大天狗が話しかける。
「そうですかね?」
「今回の合同演習に限らず、山童捕獲を頼んで以降の演習じゃ、どれも良い成績残してるじゃない」
以前、大天狗の命で山童化した河童を連れ戻す任務をこなしてから、隊員同士の連携が格段に良くなった。
お陰で毎回の演習では中の上あたりには名前を残せるようになった。
「いやぁ、流石はモミちゃん。指揮官もバッチリね」
「私はこれといって何も。もともと優秀な奴が揃ってましたから」
「謙遜しちゃってもう」
印鑑をつき終わった書類をまとめ、新たな書類を広げる。
「誰にも心を開こうとしなかった孤児が、今じゃ隊長やってるなんてねぇ。時間の流れを感じるわ」
「また年寄り臭いことを…って危なっ!」
大天狗が指差す紙。『転属希望書』と銘打たれた紙に判を捺しそうになり慌てて手を引っ込める。
「なんですかこの紙?」
「結構前にさ、隊長職をある程度経験したら訓練生の教官やらないか、って聞いたこと覚えてる?」
「その話はお断りしたハズですが?」
「酒の席だったしさ。もう一回考えてくれないかな? 優秀な教官を必要とする学び舎があるのよ」
大天狗は厚紙を渡す。印刷所で正式に作られているパンフレットのようだった。
綺麗な校舎と道場、広い演習林の写真が掲載されている。
怪訝な表情をしながら、椛は最も気になる一文を読み上げる。
「『未来の優れた白狼天狗を養成』?」
「うん。そこは白狼天狗限定の学園。2年くらい前に設立したの知らない?」
「いえ全く」
「3年以内に入隊可能な年齢の白狼天狗の子が対象なんだけどね」
白狼天狗の子供は、鴉天狗や鼻高天狗、山伏天狗と違い、義務教育を課せられていない。
そのため、哨戒部隊に入隊可能な年齢になるまでは、両親から教わったり、近所の寺子屋に通ったりして読み書きと必要最低限の教養を身につけるのが一般である。
「この学園はいわばエリート養成所なのよ。鴉天狗と同等の教育を受け、優秀な師範のいる道場で剣の腕を鍛え、学園裏の演習林で実戦の感覚を養う。中々の英才教育よ」
「子供は子供らしく好きに遊んでいれば良いんですよ。そんな所に誰が我が子を預けるのか」
「それがね募集を開始したら即満席になっちゃったのよ。結構な学費なんだけどね」
「どこの馬鹿親ですか?」
「長いこと隊長職とか上官職やってる白狼天狗の親が是非とも我が子をって感じで」
「金持ちはもっと金持ちになって、貧乏人は貧乏人のまま。これからは白狼天狗の間でも貧富の差が広がるワケですか」
嫌だ嫌だとぼやきながら首を振る。
「しかしよく他の天狗が許可しましたね。白狼天狗に自分達と同等の教育なんて良い顔しなかったんじゃないですか?」
「立案者が八坂神奈子だからねぇ」
「なんですって?」
「白狼天狗差別を撤廃するために、彼らにも適正な教育の場をって訴えてきたのよ。必要な費用と資材は提供するからって」
「それで許可したんですか?」
「八坂神奈子が山に来てすぐ、本性出す前に持ちかけてきた話だったから、善意で言ってるとばかり思ってたのよ。私もまぁ、白狼天狗には教育の場が少ないと前々から思ってたし」
もし今、神奈子が同じ提案を持ちかけてきたら確実に断っている。
「何か目的があるに決まってるじゃないですか。裏で洗脳でもしてるんじゃないですか?」
「その辺は大丈夫よ。教材は検閲済みだし、ちゃんと教員は信頼できるのを選んでる。教員の中には保守派の連中もあえて入れてるから、下手に動けないハズよ」
「だと良いんですがね」
「そんなに心配ならモミちゃんもココで働きなさい。この書類に犬走の印鑑捺したらすぐ異動させてあげるわよ?」
「慎んでお断りします」
「まま、そう言わず」
新聞の束が押し込められた鞄を肩にかけた姫海棠はたては、大天狗の屋敷の前に着地した。
「こんにちはー」
「おや、これはこれは。新聞の配達ですか?」
門前で水を撒いていた従者が彼女に気付き会釈する。
「はい。新刊ができましたので」
「大天狗様なら今、自室で椛殿とご歓談中のようです。行けば喜ばれますよ」
(椛来てるんだ、じゃあ行こうかな)
一対一で大天狗といられるほど図太い神経をしていないため、普段は従者に渡したり、郵便受けに入れて去る事が多いのだが、椛がいると知り直接渡すことにした。
玄関で下駄を脱ぎ、まっすぐ大天狗の部屋を目指す。
「いいからサインしなさい! ココに『犬走』って!」
「嫌です」
「そもそも何、犬走って!? あそこを実際に犬が走ってるところ見たことないんだけど!」
「そんなこと言ったら階段の『踊り場』だって誰も踊ってないじゃないですか」
「踊ってやるわよ私が! リンボーでもコサックでもマイムマイムでも!」
「皆が通れないんでやめてください」
(何を言い合ってるんだろう?)
白熱する議論のようなモノが聞こえてきて、入るのに少し戸惑うが、意を決して取っ手を掴む。
「失礼します」
恐る恐る襖を開ける。
「じゃあ鶯(ウグイス)張りのここの廊下は、床の底に鶯埋まってるんですか?」
「鶯張りなんてしませんー! 廊下が単に老朽化してるだけですぅー!」
「大工呼べばいいじゃないですか」
「資金難なのよ! どっかの隊にいろいろ貢いだせいで!」
「布団ありがとうございました」
「どういたしまして!」
「…」
ただ立ち尽くすことしか出来ないはたて。
「失礼しました」
諦めてゆっくり襖を閉じようとすると。
「お、はたてちゃん。ちょうど良かった!」
「ひゃわっ!?」
気付いた大天狗に腕をガシリと掴まれ、中に引き込まれた。
「はたてちゃんからもモミちゃんに言ってやってよ!」
「あの、何をですか?」
「あれ? そういえば何で言い合いになったんだっけ?」
「なんででしたっけ?」
はたての登場で冷静さを取り戻す二人。
「えっと。教官になるならないで押し問答を始めたのが切欠でしたっけ?」
「あーそうそう。それよ」
「ごめん椛。私には何がなんだか」
「そうね。順を追って話すわ」
大天狗ははたてに、学園の紹介と、今回の口論の経緯について話した。
「へー椛が先生かぁ…」
「素敵だと思わない?」
「椛って教えるのが上手いから先生に向いてるって前々から思ってたんです。私も剣術を教わった時はメキメキ上達して…」
「「…」」
「なんで顔を横に!?」
はたての剣術の才能の無さは、この二人に気を使わせる程であった。
「そういえばモミちゃん。昼は非番だって言ってたわね?」
「それが何か?」
「この小包、学園に届けに行ってくれない?」
椛が興味を持つ切欠になればと、学園への使いを頼む。
「鴉にでも運ばせれば良いじゃないですか」
「それなりに大事な物だから信頼してる子に持ってって欲しいのよ。あ、もちろんタダとは言わないわよ」
券を二枚、小包の上においた。
「学園の近くに甘味処があるから、そこで休憩していきなさい」
「これってまさか限定杏仁豆腐の優待チケット!?」
やや興奮気味に大天狗の持つ券を見つめるはたて。
「流石スイーツ記事の記者。やはり知ってたわね」
「なんですかそれ?」
「厳選された素材を使うせいで一日限定30食しか売られてなくて、早朝から並ばないと食べられない幻の杏仁豆腐があるの」
「このチケットはすごいわよ。すでに30食完売しててもこれを渡せば31食目が運ばれてくるんだもの」
「まさか本当に実在してたなんて」
甘いものに目が無い天魔の個人的な圧力により誕生した券なのは極秘である。
「ちょうど二枚あるし、はたてちゃんも一緒に行ってくれるならあげちゃおっかなぁ」
「本当ですか!?」
(くっ、やられた)
喜ぶはたてを盾にして断りづらい状況を作り出された。
「渡したらすぐ帰りますからね?」
「契約成立ね」
小包と駄賃である券を受取り、二人は学園の方角へと向かった。
夕刻。
学び舎の書庫。
眼鏡を掛けた白狼天狗の少女が、大きな本棚により掛かり読書に勤しんでいた。
そんな彼女に近づく二つの影。
「やはりここでしたか姉者」
「そろそろ帰りましょう。今宵は主(ぬし)様と夕食のお約束があるのをお忘れか? 御忙しい中、わざわざ時間を割いてくれたのだ、一秒でも遅れれば切腹ものぞ」
「忘れるわけないだろう」
眼鏡の少女は本を閉じると元の位置に戻した。
「本当に姉者は読書が好きだな。倭ぁには理解できん」
「倭ぁもです。そんな近くのモノばかり見ておったら、ただでさえ悪ぅ目がもっと悪ぅなってしまいますぞ?」
「主様は仰っておった。『これからの時代は腕っ節よりも、頭の良い白狼天狗の方が重宝される』と。お前達も素振りやクナイ投げばかりしてないで、少しは本を読め」
「「そういうものですか?」」
自らを『倭』と呼んだ二人の少女は双子だった。言葉と挙動が綺麗に重なる。
「よし、それじゃあ帰る……ぞ?」
眼鏡の少女は換気で開けていた窓を閉じようとした時、あるものが目に止まった。
「あれは…」
「どうした姉者?」
「野良犬でも入ってきたのですか?」
「もっと凄いのが入ってきた」
椛とはたては学園の敷地に足を踏み入れていた。
「事務室はどこでしょうか?」
「守衛さんにちゃんと聞いておけば良かったね」
教員達が詰めている場所がわからず学内をうろついていた。
「これじゃあ完全に不審者だ」
「そうだね。あ、そだ。これに地図とか載ってるかも」
はたてはが現在地を確認しようと、大天狗から貰ったパンフレットを開こうとした時。
「下がって!!」
「わっ」
椛がはたての体を強く押した。
直後、木刀の先が椛の額を掠めた。
白狼天狗の少女が屋根から飛び降りながら振るってきたのだ。
「せやっ!!」
着地と同時に二撃目の太刀を振るう。
「おっと」
脛を狙ったを下段の太刀を、椛は一歯下駄の底で事もなげに受け止めた。
「あの。ちょっと待ってください、別に怪しい者では…」
木刀の先を掴み、落ち着いた口調で事情の説明を試みる椛。
「今だやれ!」
「応っ!」
少女が叫ぶと窓が突然開き、両手にクナイを持った少女が姿を見せる。
木刀を振る少女と、クナイの少女はまったく同じ顔立ちだったため、椛はわずかばかり驚いた。
「そりゃぁ!」
両手のクナイを同時に投げる。玩具ではない、鋼材製で鋭利な先端を持つ、正真正銘の凶器である。
椛は目の前の少女から木刀を奪い、一振りで二本のクナイを払い落とした。
「動かないでください」
双子を睨みつける椛。その眼光に気圧されたのか、二人はあっと息を呑み、体が硬直した。
「そこの貴女もです」
双子に視線を送ってから素早く背後に木刀を向けた。向けた先には短刀を手にした眼鏡の少女がいた。
(この学園は、この年の子にこんな戦術を教えているのか?)
木刀もクナイも囮。二人が騒ぐその背後で、本命である彼女が静かに標的に近づき仕留める。
集団で一人を狙うときに有効な戦術なのだが、年端もいかぬ子達が実践したのを見るのは初めてだった。
(すごい。一瞬で制圧しちゃった)
はたては、完璧な連携をあっさりと返り討ちにした椛の姿に、呼吸も忘れて見惚れていた。
(私もいつか、あんな風に…)
「はたてさんからも言ってください。我々が不審者でないと」
「あ、う、うん。そうだね」
椛の言葉で現実に引き戻された。
「別に手前共を不審者とは思っておらん。お前、犬走椛で相違ないな?」
「なぜ私のことを?」
「やはりそうだったか」
「姉者はすごいなぁ。ずっと前に写真で一度見ただけなのに覚えてるとは」
「記憶力には自信がある」
胸を張る眼鏡の少女。
「あの、それと私に仕掛けてきたことに何の関係が?」
三人の中で、眼鏡の少女が長女らしかったので、椛は彼女に事情を尋ねることにした。
「主(ぬし)様がな、お前を見つけたら『挑み、一本取ってみよ』とずっと前に仰っておった」
「主様とはどなたですか?」
「それは言えん」
そう言うと、背後にいる双子は同じタイミングで両手を口に当てて横に首を振った。
「なぜ私を標的に?」
「それはわからん。主様は聡明な方だ。きっと深い事情があるに違いない。そして我々も腕試しとして挑んでみたいと前々から思っておった」
「腕試し?」
「訓練生の頃から数々の偉業と伝説を残した白狼天狗。どれほどの腕前か見てみたいと思っておった」
「伝説って何?」
気になったはたてが訊いた。
「一緒にいるのに知らぬのか鴉天狗殿?」
「うん」
「どれも常軌を逸しておる。有名なのを挙げると…」
「真に受けたら駄目ですよはたてさん。尾ひれがついただけですから。実際は大した事ありません」
呆れ、謙遜する椛を余所に眼鏡の少女が挙げ連ねる。
「地獄の樹海演習で唯一、最終日まで音を上げなかったどころか、晴耕雨読な快適樹海ライフを満喫していたそうだ」
「そういえばやりましたね樹海演習」
「因縁をつけてきた番長グループを返り討ちにして、三十人川に流したそうだ」
「流したのはせいぜい番長とその取巻き四、五人ですよ。あとは勝手に飛び込んだんです」
「訓練中に乱入してきた暴れヒグマを一撃で沈めたそうだ」
「あんな化物殴って倒せるわけないじゃないですか。後ろから組み付いて裸締めで絞め落としただけです」
「初代河童組の組長を半殺しにして、彼らが仕切る川で唯一ガチンコ漁するのを許された存在だと」
「半殺しになんてしてません。相撲で負かしただけです。開始直後の跳び膝蹴りで」
「十分すごい気がするよ椛?」
「そうですか?」
その後、ここへ来た理由を話し、事務室まで案内してもらえることになった。
「あそこが教員達の詰所だ」
「道場の中にあったんですね」
「盲点だったね。校舎側をずっと探してたから」
事務室に入るべく道場に上がった。
「お願いだからカタログだけでも置かせてよ」
「生憎。ウチはそういうのは結構ですので」
先客がいたらしく、事務所の前で女性職員の応対する声が聞こえた。
「申し訳ありませんが、どうか御引取りを」
「ちぇー」
肩を落としながら河城にとりは道場の玄関まで戻ってきた。
「何やってるんですかにとり?」
「え? あ、椛じゃん。どうしたのこんな所で?」
「私達は届け物を。そちらは何か営業をしていたようですが?」
「子供達の練習の効率が上がりそうな発明が色々あるから買ってくれないかな~と思って」
にとりの背後には大中小、様々な大きさの箱がいくつも置かれていた。
一番大きな箱を見たはたてが尋ねる。
「これの中身ってひょっとして地下工房に設置されている」
「うん。ヒグマロボだよ。改良に改良を重ねた自信作だよ」
自慢したいのか、一つ棺に近づき『起動』と書かれているスイッチを押した。
棺が自立するとひとりでに扉が開き、中からヒグマの姿をしたロボットが姿を現した。
ロボットは剥製か作り物なのかはわからないが、本物の熊と相違無い姿をしていた。
「過去の敗北から色々と学んだからね。これまでとは段違いだよ?」
ヒグマロボが周囲を見渡す。椛の姿を見つけると、二足立ちになり爪を剥き出しにした。
「私に向かってにじり寄って来てるんですが?」
「おかしいな。こんな動作はプログラミングして…」
突然、前足で床を強く叩き跳躍、椛に急接近して鉤爪を振るってきた。
「なんですかいきなり?」
半歩引き、事も無げに回避する。
「あ、しまった。拠点防衛モードのままにしてあるから、ロボに『要注意侵入者』として登録されてる椛を排除しようとしているんだ」
「なるほど。そういうワケですか」
納得していると、先刻と同じ動作で跳躍し鉤爪で椛を狙う。
「遅い」
あっさりと避けて、顔面を思い切り蹴飛ばす。
首が根元から不自然な方向に曲がった。それでヒグマロボの動きが停止した。
「犬走様はおっかないなぁ姉者」
「蹴ったとき、爆発のような音がしましたぞ」
「うむ。あの巨体に一歩も退かぬとは」
姉妹は椛の動きに羨望の眼差しを向けていた。
「さあにとり、早く箱に戻し…」
話しの途中、膝を起点にして直角に、生物学的に有り得ない動作で起き上がった。
体をガクガクと震わせながら椛に接近する。
「完全に壊したと思ったんですけどね」
「自動修復機能として、ナノマシンとES細胞を移植してみたんだ。効果覿面だねこりゃ」
「偶に貴女が河童より恐ろしい何かに思える時があります」
ヒグマロボが前足を浮かせて立ち上がった。
この動作は別段驚くことではないが、この後の行動に椛は言葉を失った。
「なっ…」
ヒグマロボが構えた。まるで武術家のような、野生のヒグマが到底取らない姿勢を。
「あの構えは截拳道(ジークンドー)!?」
長女が驚きの声を上げる。
「「知っているのか姉者!?」」
「外の世界の人間が使う拳法の一つだ。急所攻撃を容認し、効率良く相手を倒す技を良しとする、実戦をどこまでも重視した流派だ。学園の書庫にあった」
流石は姉者だ、と双子は姉のわかりやすい解説に拍手する。
「あちゃー。子供たちの良い練習相手になるよう、外の世界の武術は一通りインプットしたのが仇になっちゃたかぁ」
「なんて面倒な事を」
直後、ヒグマロボが動く。ヒグマとは思えぬ俊敏な動きで蹴り4発、鉄拳6発を一瞬の間に繰り出した。
(早すぎてほとんど見えなかった)
持ち前の直勘と動体視力でなんとか捌けたものの、両腕と全身の関節の痺れが尋常ではなかった。
「『開始五秒以内に決着』がジークンドーの理想的とする所。故に手数の多さと、鋭い突きがこの武術の真骨頂だ」
「へー」
「暢気に観戦してないで加勢してくださいよ!」
ヒグマロボが椛に向けストレートリードと呼ばれる最短軌道を描き放たれる拳を撃つ。
「こんのっ!」
椛はそれに合わせる形で、拳を潜って回避しつつ、回し蹴りを打ち込んだ。
体重の乗った椛の踵がヒグマロボの膝にめり込み、姿勢を崩す。
よろける一瞬の隙を見逃さず、膝部分に執拗に蹴りを叩き込む。
鍛えられた重い蹴りを何度も受け、ヒグマロボはとうとう片膝をついた。
「どっらぁ!!」
ヒグマロボの胸倉を掴んで引き寄せ頭突きを入れてから顎への掌底、そこから脇腹への鉤突き、側頭部への肘打ち、顔面と股間への諸手突き、首への手刀、鳩尾への貫手、と流れるように連打を打ち込む。
「はあああああ!!」
裏拳、裏打ち、鉄槌、肘打ち、手刀、肘振り上げ、と休むことなく更に打ち続ける。
技と技の間に一切の隙がなく、攻めの手はまだ止まらない。
「あの動き。まさか“煉獄”か!?」
「「知っているのか姉者!?」」
「初手が決まれば、それ以降の技は必ずヒットするという魔法みたいな連続技だ。まさか使い手がいたとは」
「それより椛がどうして使えるのかが気になるんだけど」
恐らく相手の姿勢に合わせた最善手を選んだ結果、自然とその型になっているようだった。
結局、三百発以上殴られ、酷い有様になってからヒグマロボは解放された。
「にとり。また再生する前に桶に戻してください」
「うん、すぐに」
その時、にとりが持ってきていた箱の一つが爆発した。
「なんだ!?」
上がる煙の中で、蠢くシルエット。
「馬鹿な!? あれはネオヒグマロボ!? あまりに危険性故に封印したはず!!」
驚愕するにとりと、
(じゃあなんで持ってきたんだろう?)
至極まっとうな突っ込みを入れる面々。
「にとり、あれは一体?」
「魔改造を施して強くなったものの制御しきれず、危険と判断して封印したロボなんだ。きっと兄弟機のピンチに反応して起動したんだ」
煙が晴れ、ネオヒグマロボと呼ばれた機械の全貌が明らかになる。
「前足を伸ばしてリーチの差を克服。弱点だった腹筋と胸襟を増強。耳は掴まれることを考慮して機内組込みに。精密な動作をモノにするために骨格を人間寄りに。それがネオヒグマロボさ!!」
それはヒグマとはあまりにもかけ離れた姿をしていた。
「というか…」
はたては知っていた。その姿をした動物の名を。
「これゴリラだ!!」
にとりがネオヒグマロボと呼んだそれは、紛う事なきゴリラの姿をしていた。
「にとり、あれゴリラだよね!?」
「ゴリラって何?」
「ゴリラ知らないで作ったの!? ある意味すごいよ!」
ネオヒグマロボは道場を壁沿いにグルグルと移動し始めた。
「見たことない種類のヒグマですね」
「なんで椛も知らないの!? あれ霊長類! なんでヒグマに見えるの!?」
「霊長類って、ボノボやオラウータン、シファカの事でしょう? あれは違いますよ」
「なんでそんなマニアックなところ知っててゴリラ知らないの!? ワザと!? ワザとなの!?」
最後の希望である眼鏡の少女を見る。
博識な彼女なら知っているハズと、大きな期待を寄せた。
「ヒグマではないのですか? 四速歩行だが?」
「ナックルウォーク!!」
ネオヒグマロボは壁に掛かる竹刀取り、興味深そうに眺めだした。
「ほら見て椛! 物を掴んでるでしょ!? 指が無いヒグマじゃ無理でしょ!?」
「大体わかりました」
「ほっ」
「独自の進化を遂げたヒグマというわけですね」
「駄目だこりゃ」
持っていた竹刀をへし折ると、床に投げ捨てて、胸を激しく叩いた。
「良いドラミングです。なるほど、今までのヒグマロボとは格が違うようですね」
「今ドラミングって言ったよね!? ゴリラ知らないとまず出てこないワードだよね!? てか何!? 皆の中じゃゴリラはヒグマの亜種なの!?」
結局、ネオヒグマロボも椛の鉄拳の前に沈み、事なきを得た。
「にとりの発明品で戦い方を学ぶのは賛成しかねます」
「うーん、しょうがないかぁ」
「あの、河童殿」
諦めて肩を落とすにとりに双子が話しかける。
「あれだけの強さなら、門番として使って貰ったらいかがでしょうか?」
「それだ! ナイスだよそれ! 守衛さーん!! ちょっと見せたいものがー!」
喜び勇んでにとりは正門の方へと駆けて行った。
その後、お試しで一ヶ月置いてもらい、良ければ採用するという約束を取り付けるのだが、それはまた別の話。
「私達も小包渡して帰りましょうか」
「そうだね」
「もし…」
「 ? 」
姉妹の長女が椛達のもとへやって来た。
「犬走殿はどこの道場で今の戦い方を学ばれた? 師は誰でありますか?」
「私は我流です。師と呼べる方はいません」
昔、勧められ入門した道場があったが、見た目に拘って実用性の低い技ばかり扱っていたためすぐに止めた。
「それは残念だ」
「残念?」
「貴女の後に続きたいというのが我々の願い。どんな任務も忠実にこなし、生き延びる強い白狼天狗になるのが…」
「それはやめたほうがいいです」
彼女と同じ目線になる、優しい口調で言った。
「その道には何もありません。最後には自分の足跡すら残りません」
「しかし、それでも我々は・・・」
「あっ! そうだ姉者! そろそろ行かねば主様との約束に遅れるぞ」
「まずいぞ姉者! 走るぞ!」
約束を思い出した双子は姉の肩を掴む。
「それではいずれ、オイ馬鹿、引張るな!」
走っていく姉妹を見送り、大天狗から預かった小包を事務局に渡した後、椛達は学園を出た。
帰り、大天狗から貰った券を使うために甘味処へ立ち寄る。
「あの子、椛のことすごい尊敬してたね」
「そうでしたか?」
「本当に、ここの先生になる気はないの?」
はたては椛の教官入りに賛成だった。
「こんな良い話滅多に無いと思うし。お給料もすごく良いんじゃない?」
「確かに、大天狗様からのお話にしてはこれまでに無い破格の内容です」
「それなら受けるべきだよ」
教官など、なりたいと思ってもそうそうなれる職業ではない。
実力と人格の両方が認められ、十分に信頼に足る人物でなければならない。
これ以上に無い誉なのではないかと、はたては感じた。
「私はなるつもりはありません」
「なんで?」
「教員というのは聖職者と言うらしいです。昔、色々とやらかした私みたいなのがなって良い職業だとは」
「関係ないよそんなの」
「それに私は山に嫌われています。そんな奴が子供の前で何かを語る資格なんてありません」
「嫌われてる?」
「因果応報という奴です。はたてさんとは無縁の話です。お気になさらず」
強引に話題を打ち切ろうとする椛。
(まただ)
かつて隊長昇格試験の勉強を見た時も、自身の出世に対して消極的だったのを思い出す。
「どうして?」
「?」
「どうしてそうやって…」
幸せから遠ざかろうとしてるのか。
いつだってはたての目には、椛がそうしているように見えた。
「そんなんじゃ、椛がいつまで経っても報われない」
「良いんです私は。はたてさん、文さん、にとり、隊員達がいてくれる今の生活が気に入ってますし。これ以上望んでは分不相応です」
(そんなわけない)
組織の面子のために一族郎党を殺され、汚れ仕事ばかりを押し付けられ、大切に守ってきた場所すらも守矢神社に奪われた。
(誰よりも辛い思いをして、その見返りが『今』なの?)
今以上の幸せを望むことを、彼女は分不相応だと言った。
同意などできるわけなかった。
(でも、だからといって)
はたて個人の力でどうにか出来るモノでは決してない。
(私は無力だ。あの頃と何一つ変わってない)
自分が射命丸文ならここで気の利いた台詞の一つでも言って椛のその言葉をやんわりと否定できたのだろう。
自分が天魔や大天狗のような地位なら、彼女の頑張りに見合う褒賞を用意できたのだろう。
(今の私じゃ、椛に何もしてあげられない)
知識も経験も、力も地位も権力も無い自分がひどく惨めに思えた。
(私にもっと、力があれば)
何かが変えられると、そんな漠然とした考えが頭を過ぎった。
「しかし将来、あんな人材が増えると思うと、楽しみです」
「う、うん。そうだね」
今考えていたネガティブな感情を心の奥へ押し込んで、はたては強引に笑った。
「あの子達、また会えるかな?」
「何年かしたら哨戒部隊に配属されるでしょう」
「なら大天狗様に言って、椛の隊に入るよう根回ししておかないと」
「良いですね。あの姉妹は見込みがありますから」
近日中に、史上最悪の形で姉妹と再会することを椛はまだ知らない。
今はただ、杏仁豆腐に舌鼓を打ちつつ、彼女らの将来の姿についてあれこれ語り合うのだった。
※一部残虐表現有り。
一作目は作品集144
二作目は作品集148
三作目は作品集154
四作目は作品集159
五作目は作品集165
六作目は作品集171
七作目は作品集174
八作目は作品集178
九作目は作品集188
十作目は作品集192 にあります。
【登場人物】
犬走椛:哨戒が仕事の白狼天狗。現在は隊長職。彼女を慕う部下は多い。大天狗とは古くからの付き合い。
射命丸文:鴉天狗の新聞記者。椛のことを好いている。頭脳と実力は幹部から高い評価を得ている。
姫海棠はたて:鴉天狗の新聞記者。天魔と血縁関係にあるが本人はそのことを知らない。周囲が色々と世話を焼いてくれる。
大天狗:椛の上司。天狗社会のNo.2。天狗社会の裏番長的存在。
天魔:天狗社会の最高統括者。見た目は童女、頭脳は老婆。お菓子好き。いつもはたての事を心配している。
【 episode.1 狼たちの午後 】
大天狗に報告書を提出しにやってきた椛。
今日も今日とて雑談に花を咲かせる。
「今日は機嫌が良いですね?」
「わかる? 今度の合コンにね。天魔ちゃんが参加してくれることになったのよ。『いつも断ってばかりで悪いから』って言ってさ」
「良かったですね」
「天魔ちゃんが参加するってなると、いつもより大勢集まるからね。捗るわ」
「それだと参加する男達はみんな天魔様にしか興味がないって事になりません?」
「…」
「…」
「……なんてこったッ!!?」
(本気で気付いてなかったのかこの人?)
何が彼女の目をここまで曇らせるのか理解できない椛。
「なんで皆天魔ちゃんを選ぶわけ!? あっちの方が私より歳行ってるからね!!」
「まぁ天狗の男って小さい体型の者を好む傾向にありますし、どうか気を落とさず」
「それは逆よモミちゃん」
「逆とは?」
「ロリコンが多いから天魔ちゃんが人気なんじゃなくて、天魔ちゃんがいるからロリコンが多いのよ」
「仰ってる意味が?」
「天魔ちゃん、あんなナリでも天狗じゃ長老でしょ? 天狗の大半はあの子見ながら育ったワケよ。あの美幼女を」
天魔が初恋の相手。という男は少なくない。
「そしてついたあだ名が『ロリコン製造天狗』」
「本人が聞いたら、人里まで殴り飛ばされますね」
「でも事実だからねぇ。昔、寝ぼけた天魔ちゃんに『母上』って呼ばれた事があったけど、マジで母乳でそうになったわ」
「聞きたくなかったなぁその話」
「ホント、小さいってマジ反則」
「そこまで言うなら術で見た目変えれば良いじゃないですか」
「私、変化の術と相性悪いみたいで。色々と練習したんだけどねぇ」
「プライド無いんですか貴女は」
そこは『この姿でなければ意味が無い』と言って欲しかったと思う椛。
「私がちんまい時は、種族を超えていろんな男が寄って来たのよ。みんなお姫様みたいに扱ってくれてさぁ」
「時間の流れって残酷ですね」
「あの時の栄光をもう一度」
「無理なんじゃないですかね?」
「どうしても体験したくて、こんな企画を用意したわ」
クリップで纏められた紙の束を渡される。
「賊が人質を取って立てこもった場合を想定した訓練?」
表紙の題目を見て首を傾げた。
「人質を取る侵入者から、人質を救出する訓練よ」
「ちなみに人質役は?」
「私自身です。囚われの姫である大天狗様の為に、みんなが命を賭けて頑張って貰う感じの訓練です」
企画書を持つ椛の手に自然と力が入る。
「待って! 破かないで! 冗談だから、実はこれ天魔ちゃん直々の頼みで、結構真面目な訓練だから!」
「天魔様の?」
「うん。今の山に必要な訓練だって言ってた」
「立て篭もりなんて、そんなに頻発するようなものですか?」
「だからあえてやるのよ。最近、不用意に山に近づく新参の連中も増えてきたから、『想定外の事態が起こるかもしれない』って心構えも持たせるために」
緊急時、その心構えが有ると無いとでは、初動の早さが大きく違ってくる。
人質救出自体はそれほど重要ではなく、どんな事態でも狼狽える事のない精神を養うのが狙いだと大天狗は語った。
「そういう事なら、やっといて損は無いと思いますけど、具体的に何やらせる気ですか?」
訓練を行うよう天魔から命じられてはいたが、軍権はすべて大天狗が握っているため、訓練の詳細については全て大天狗が考えることになっている。
「色々と考えてみたんだけど、いい案が浮かばなくて。不思議と立て篭もり現場の風景が想像できないのよ。なんでかしら?」
「いつも。立て篭もりの状況になる前に『人質? 面倒臭ぇ。まとめてやっちまえ』という、非常に気持ちの良い決断を下すからですよ」
「えへへ」
「褒めてません」
「とりあえず、侵入者が人質を取った状態からスタートして、人質の救出と侵入者の確保までの流れを各部隊に体験でどうかな?」
「それでちゃんと訓練になるんですか? なんかグダグダになりそうな気がするんですけど」
「やっぱりそう思う?」
大天狗は気だるそうに息を吐いて、頬杖をついた。
「初めての試みだし、やっぱり一回どっかの部隊で予行練習しときたいなー」
白々しい声色でそう言って、椛に視線を送る。
「わかりました。うちの隊員を集めます。その代わり特別出動手当てをつけてくださいよ?」
数日後。
雑木林の中で予行演習は行われた。
「んじゃ、非常に不本意だけど私が犯人役やるから」
椛率いる哨戒部隊の前で大天狗が簡単な流れを説明する。
「今回人質役はこの丸太君」
ちょうど大人一人分の重さの丸太に、大天狗は『人質』と書かれた紙を貼る。
「私は『とある目的で山に侵入するが発見され、逃走中に幸運にも人質が手に入り、人質を利用して目的の達成と山からの脱出を図る侵入者』って設定でアドリブで動くから、そっちは人質の救出と侵入者確保の為に動いてね。何か質問は? はい、そこのブ男」
「始まった時の我々の状態は?」
「私を取り囲んだ状態でスタートしてちょうだい。他には? はいモミちゃん」
「昨日の天魔様を交えての合コンの結果は?」
「聞かないで!!」
こうして訓練が始まった。
「無駄な抵抗は止めて。大人しく人質を解放しなさい」
椛はメガホン片手に犯人役の大天狗に呼びかける。
「うるさい! それ以上近づいたら人質の命は無いわよ! 人質を返してほしきゃ私の言うこと聞きなさい!」
「そちらの要求は?」
「良い男」
「は?」
「良い男と逃走用の車を用意しなさい!!」
「真面目にやってくれませんかね?」
額に青筋を浮かべながら大天狗に警告する。
「なんかこういうロールプレイングってボケたくならない?」
「わざわざボケなくても、大天狗様が丸太を抱えている時点で十分ネタになってるからいらないです」
気を取り直して最初から。
「無駄な抵抗は止めて。大人しく人質を解放しなさい」
「無事に返して欲しかったら河童の秘薬を持ってきなさい! そいつと交換よ!」
「その要求は呑めない。諦めて投降しろ。人質が無事ならば大天狗様の名において寛大な処置を下すことを約束する」
『大天狗様の名において寛大な処置を下す』とは、罪人を説得する際によく用いられる、常套句のようなものだった。
「なんかこの状況でその台詞聞くと、私が自分にすごい甘い奴みたいな感じに聞こえるわね」
「大天狗様あのですね?」
軽くイラつく椛。
「貴女が考えた台本ですよね? なんでそれ通りにできないんですかね?」
「私がルールブックよ!」
「こっちは非番の隊員までかりたててやってるんです。真面目にやらないと帰りますよ」
「はーい」
仕切りなおしてもう一回最初から。
「げへへへ。この人質の命が惜しければ山のロリコン共を全員駆逐し…」
「解散」
「「「御疲れ様でしたー」」」
メガホンを投げ捨てて踵を返す椛。部下もその後をぞろぞろと続いていく。
「ごめん! 本当にごめん! だからワンモアチャンス!!」
「私が犯人役やりますから大天狗様は隅っこで見ててください」
「いいけど、折角だし私に人質役やらせてよ」
「余計な事しないって約束してください」
「うん」
役を入れ替えてやり直し。
「無駄な抵抗は止めて。大人しく人質を解放しろ」
椛にメガホンを渡された隊員が説得の言葉を投げかける。
「河童の秘薬と交換だ」
「それで何をするつもりだ!?」
(そういえば考えてなかったな)
役柄を変えたものの、そこまで考えていなかった椛。大天狗に小声で尋ねる。
「侵入者って河童の秘薬で何をするつもりなんでしょうね?」
「私に聞かれても知らないわよ。モミちゃんのアドリブに任せるわ」
「ふむ」
このまま演習を止めるワケにもいかないため、思いつきに任せて椛は口を開いた。
「えーと。私には生まれつき足の不自由な妹がいてな…」
椛は語った。存分に語った。
足の不自由な妹を持った姉という設定で、その身の上を。
―――――【ある侵入者の半生】―――――
障害を理由に口減らしにされそうになった妹を抱えて姉は家出した。
貧困街で物乞いをして命を繋ぐ日々、しかし、どんなに飢えていても妹の身体だけは穢すまいと心に誓い、妹の為なら下賎に身をやつす事も厭わなかった。
貧困街で生きること数年。体も大きくなり選べる仕事も増えて、貧しいながらも安定した生活を得た。
そんなある日、姉妹に転機が訪れた。
興味本位で見物に来た富裕層の青年が、彼女を気に入ったのだ。
嫁には出来ないが、妾としてなら受け入れようと打診された。
これ以上にない絶好の機会だった。
しかし一つ問題が上がった。妾となる約束を結ぶ直前に、足の不自由な妹は連れて行けないと、いくら金銭に余裕があるからとはいえ、妹の介護までする義理は無いと青年が言い出したのだ。
歩けない妹がこの街で一人で生きているはずがない。
姉は食い下がり「では妹が歩けるようになれば、一緒に連れて行ってくれるか?」と尋ねると、彼は是と応えた。
妹と共にこの街を脱出する為に、彼女は幻の薬があるとされる妖怪の山へ向かった。
―――――【ある侵入者の半生】―――――
「青年とかいう奴、なんて甲斐性のねぇ野郎だ…」
「あんまりだそんな現実」
自身の極貧体験を交えて語ったその物語は凄まじい程にリアルで、隊員達の心を打った。
中には涙を流す者もいた。
「続きは! 隊長続きは!?」
「今まさにこの状況だ。だから早く薬を持ってきてください。妹の為にも」
「早まっちゃいけねぇよお嬢さん! アンタが死んだら妹さんはどうなる!」
「俺らが秘薬持って来てやるからよぉ。滅多な事はしちゃいけねぇ!!」
あろうことか予行演習を忘れて真剣に説得する者が出てきた。
「人情深い連中が多いのねモミちゃんの部隊」
「チンピラ上がりなせいか、変に義理堅い所とかありますからね」
「もう良い! 次! 次の予行演習やるわよ!!」
この形での演習は不向きと判断した大天狗は、演習内容を変えることにした。
「お前等、今の状況を整理するぞ?」
隊員達が円になっている真ん中に椛が立ち、説明を始める。
「侵入者が人質をとって小屋に立て篭もっている。私達は小屋に突入して速やかに人質の救出と侵入者の確保しなければならない」
「そう言われましても」
隊員達が掘っ立て小屋の方向を見る。
窓に肘を付いた大天狗が優雅に手を振っていた。
「アレに挑めと?」
隊員達の目には、ただの掘っ立て小屋が要塞のように見えた。
「ちょっとー、何時まで固まってるのよー。ペナルティエリアからのフリーキックじゃないんだかさー」
「なんですかその例え?」
痺れを切らせた大天狗が隊員達を急かす。
「ちょっとくらい待っててくださいよ。これから作戦を練るんですから」
「こっちは暇なのよ。話し相手もいないし」
『人質』の張り紙をされた丸太を恨めしそうに見る。
「堪え性の無い女は好かれませんよ?」
「もともとモテないからいいもんねーだ」
「大天狗様の事が大好きだという奴なら一人知ってますよ」
「ホントに!? 誰!?」
「昔、貴女の右腕を務め、今は保守派の頭をやってる方です」
「クソサイコレズじゃん! この前久しぶりに会ったけど相変わらず気持ち悪かったわよ!」
「昔はもっと酷かったですよ。大天狗様の使用した櫛から毛髪を採取したり、呉服屋で貴女が試着したけど買わなかった着物を買い取ったり」
「そんな事してたのアイツ!?」
「もっとエグいのもありますけど聞きたいですか? 貴女との恋愛を描いた同人誌を800部刷って配ったとか」
「それは知ってる。回収するのに滅茶苦茶苦労したわ」
「ところで大天狗様」
「なに?」
「人質救出しちゃったんですけど」
「へ?」
振り返る。隊員が丸太を抱えて小屋から脱出していた。
「訓練終わっちゃいましたけど、帰っていいですか?」
「ノーカン! 今のノーカン! もっかいやらせて!!」
「我々も暇じゃないのでそろそろ」
「そういわずに!」
「そういえば詰所の畳がかなり色あせておりまして」
「わかったわよ。修繕費の予算組んでおくわよ」
「あと、仮眠室の布団がカビ臭いんですよね」
「あのね? いくら私の地位でも公費の操作には手間と労力がかかるのよ? 内部監査が毎回小姑みたいに細かいところまで予算の調査するのよ?」
「ゴホッ、ゴホッ、汚い布団で寝たからか結核と思わしき症状が」
「来週あたり匿名でお布団が詰所に届いてるんじゃないかな!? 誰かさんのポケットマネーで買ったお布団がね!」
こうして泣きの一回が行われることになった。
「始める前にちょっと良い?」
「なんですか?」
「人質が丸太ってのがいけないわ。緊迫感が欠けるわ」
「我々の中から人質役を提供しろと?」
「うん」
「ちょっと会議させてください」
大天狗から聞こえない位置まで離れ円になる。
「人質を志願する者は?」
全員、口を真一文字に結んで首を振った。
「だよなぁ」
誰がすき好んで猛獣と同じ檻の中に入るのか。
「となると、大天狗様には引き続きこの丸太を人質として使ってもらうしかないな」
「しかしどうやって継続で使うようお願いするんです?」
「一つ考えがある。紙と筆はあるか?」
話し合いが終わり、椛一人が丸太を抱えて大天狗のもとまで戻ってくる。
「モミちゃんが人質役?」
「いいえ。人質役はこの『ウシワカ君』です」
「ウシワカ君?」
「彼の身の上について話しましょう」
「え? 身の上? え?」
つらつらと語り始める。
「彼の父親はライバル店の汚い計略により膨大な借金を背負わされて、それを苦に自殺。美人で有名な母親は、借金の肩代わりを条件にライバル店の社長の妾になっています」
「なにその設定?」
「彼は現在、父を自殺に追いやった店に奉公に出されているのですが、そこでの扱いは酷いもので、常に冷遇されて育ちました」
「ちょっと待って! 昔に知り合った人間とすごい状況が酷似してるんだけど!」
「そんな彼はある日、押し付けられた水汲みの帰り道、侵入者に運悪く捕まってしまい人質となりました」
『ウシワカ君』と書かれた紙が貼られた丸太を大天狗に渡す。
「どうしよう。ちょっと気になっちゃう。ただの丸太なのに」
「ただの丸太ではありません。『ウシワカ君』です。少女と見紛う程に容姿端麗な美少年です」
「あれ? 嘘? なんかすっごいドキドキしてきた」
「人質役は引き続き彼に任せて構いませんね?」
「ま、まぁいいかな」
丸太を先ほどより大事に抱えて小屋へと戻っていった。
「よし」
「隊長、こっちも準備できました」
椛が振り返ると木刀を携えた隊員数名が整列していた。
彼らは隊の中でも屈指の実力を誇る精鋭である。彼らが先陣を切る。
「いつでも行けます!」
彼らを一斉に小屋に突入させて、数で圧倒して丸太を奪うという作戦である。
「何を言ってる? まだこれを忘れているぞ」
椛は有刺鉄線がギチギチに巻かれた鉄パイプを、突入班全員に持たせた。
「あの隊長、いくら相手が大天狗様とはいえ、流石にこれはマズイんじゃ?」
「大丈夫だ。大天狗様は伝説の剣(つるぎ)で、体の八箇所に埋まっている核を同時に破壊しない限り不死身だ」
「どこの魔王ですかそれ…いや、実際に人間に『魔王』って呼ばれてたんでしたっけあの人?」
「鞍馬山魔王大僧正って、呼ばれると異常に拗ねるからな。間違っても本人の前でその話はするなよ?」
こうして椛監修のもと全員の装備が整った。
「『殺す気でやれ』なんて半端な事を言うつもりは無い。殺して来い」
「訓練でそんな事言うヒト初めてみたよ」
そして椛は精鋭達を見送る。
「大丈夫でしょうかアイツ等?」
椛の隊に所属する、実戦よりも事務職を主に行う白狼天狗の少女が椛に尋ねる。
かつて、椛に片思いをしている事を文に告げ、その直後にロメロスペシャルを掛けられた少女である。
「大天狗様を抑えつつ丸太を奪ってくるだけだから、案外成功したりするんじゃ……うおっ!」
空から、たった今見送ったはずの隊員が降ってきた。
小屋の方を見る。
「何アンタ等!? 平家か!? 平家の手先か!?」
窓から顔を出した大天狗が叫んでいた。
「あの、大天狗様?」
「この子は私が育てる!! 次こそ征夷大将軍まで押し上げる!!」
丸太を抱えそう宣言する大天狗。
「ひょっとして? 大天狗様、元彼の人間のこと思い出して変なスイッチ入ったんでしょうか?」
「どうやらそうみたいだ」
「この場合営利目的の立て篭もりというより、ショタコン拗らせた行き遅れのおば…」
軽口を叩いた隊員の頬を固い小石のような物体が亜高速で通過した。
「聞こえてるゾ♪」
大天狗の指先から煙が上がっていた。天狗礫を放った証拠である。
指から上がる煙をふっと息で散らしてから、懐に手を入れて札を五枚取り出す。
外に向けて放ると札が小屋の壁に張り付いた。
「隊長、なんでしょうかあのお札?」
「最悪だ」
「何かご存知なんですか?」
「あれには見覚えがある。大天狗様が弾幕ごっこに興じているのを見た時だ。大天狗様の傍らを漂い、常に弾幕を放っていた」
いわゆる『オプション』と呼ばれているモノである。
椛の説明が終わると札が青白く発光し始めた。
「まずい! 散れ!!」
大天狗の凶弾が、濁流のごとく周囲にばら撒かれる。
一発一発が、先ほど指先から放った天狗礫と同等の威力だった。
「ちょっと隊長! これ死にますって私達! 木が持ちませんよ!」
機関銃のように連射される天狗礫、椛達は自身から最も近い立木に隠れ事なきを得る。
しかし天狗礫を受けた木の表面は徐々に削られ、倒木は時間の問題となっていた。
「これじゃ弾幕ごっこじゃなくてインベーダーゲームですよ!」
「言ってる場合か!」
椛は辺りを見回して他の隊員達の様子を見る。
幸い全員、遮蔽物の陰に隠れていた。
「大天狗様! 冷静になってください! これはただの訓練ですよ!」
「今度は武芸だけじゃなくて、敗因となったコミュ力も鍛えちゃる!」
「やめた方がいいですってばっ! あの時代、社交性がある奴の方がかえって早死にしてますから!」
「人んちの教育方針に口出しは許さん!」
「駄目だ。完全にのめりこんでる」
そうこうしている間に、椛達が隠れている木の根元が嫌な音を立て始めた。
「この状況は、もう駄目なんじゃないか?」
ゴロンと木に背中を預ける。
「みんな仲良く全治一ヶ月だなこれは」
「何弱気な事言ってるんですか」
「隊長!!」
すぐ近くの木に身を隠す隊員が椛に向かい叫んだ。
「俺が突破口を開きます。突入の許可を」
「止めておけ、冗談抜きで死ぬぞ?」
「確かに死ぬかもしれません。だから聞いてください」
「なにをだ?」
「もし生きて帰ってこれたら、今晩。デー…いでっ!」
同じ木に隠れていた隊員が、背後から彼の頭に拳骨を入れた。
二人にしか聞こえない音量で話す。
(テメェなにドサクサに紛れて隊長に告白しようとしてんだ!)
(んだよ? テメェも隊長狙いかよ)
(俺だけじゃねぇ。周りを良く見てみろ)
(あ?)
誰のものかはわからないが、自分に向け様々な方向から怨嗟の視線が注がれているのがわかった。
「おいどうしたんだ突然殴ったりして?」
不審に思った椛が声を掛けた。
「あ。いえ。コイツの頭に毛虫がいたんで取ってやったんですよ」
「そういえばソイツ。何か言いかけてたみたいだが? 今晩どうとか?」
「『今晩。一杯おごってくれ』って言いたかったみたいです」
「この状態をなんとか出来るなら、何でもしてやるよ。一杯でも二杯でも気がするまで労ってやる」
椛のその言葉に一部の隊員達が反応する。
「ん?」
「今」
「なんでもって?」
どこからともなくそんな声が湧いてきて。椛に確認を求める。
「『なんでも』ってアレですよ? 『バスタオル姿で背中流して』ってお願いしたら本当にやってくれるんですか?」
「お前等が大天狗様に勝てるワケないだろ」
「万が一、億が一にでも俺らが大天狗様を倒したらやってくれるんですか?」
「ああいいぞ。お前達があの状態の大天狗様をどうにかできたら、天下を取ったも同然だからな」
この時、隊員達の目の色が変わった。
掘っ立て小屋の中。
「愛いやつ、愛いやつ」
丸太を強く抱えて頬擦りをする大天狗。
「いとたまらん。なぜお前はこうも芳しい? まるでヒノキのような香りぞ?」
材質がヒノキなので当然である。
「すっごい落ち着………ハッ!?」
急に冷静さを取り戻した大天狗。
「やばい、軽く死にたくなってきた」
丸太をそっと壁に立て掛ける。
「あ、そういえば札貼ったままじゃん。皆大丈夫かな?」
弾幕を解除すべく窓から顔を出す。
「うおおおおおおおお!!」
「なんか特攻してきてるぅ!!?」
盾を前にかざし雁型の陣形を組んでこちらに向かい走ってくる椛の部下達。
「アゥチッ!!」
「右舷が一人やれた!!」
「おい! 大丈夫か!!」
「振り返るな! 持ち場を死守しろ!」
「仲間がやられたと思うな! ライバルが減ったと思え!!」
札からの凶弾に一人、また一人と脱落していく中、誰一人は怯むことなく果敢に吶喊(とっかん)していく。
「バスタオル! 隊長のバスタオル姿!!」
「バスタオルなど陳腐! 背中を流す女子の衣装はサラシに褌が正装と古より決まっている!」
「素肌にハッピ姿こそ正義!」
「スク水一択! それ以外はまかりならん!!」
「白装束! 水で濡れた透け透けの白装束!!」
「マイクロビキニ! マイクロビキニ!!」
(なんなのコイツら? 血走った目で意味不明な事言ってる)
気迫だけならまぎれもなく一流だった。
「せいやぁ!!」
そしてとうとう小屋に到達し、そのまま体当たり、札の破壊に成功した。
同時に壁は砕け、屋根が崩れ落ち、小屋はどこにも存在しなくなった。
「おーすごいすごい。まさか私のオプションを壊すとは」
「大天狗様ぁぁ!!」
ここまで辿り着いた者達は全員盾を捨てて腕を捲くり、声を張り上げた。
「男の浪漫のために、ここで討たせて候!!」
「うるせぇ土方上がりのチンピラ共が! 貴様等にウシワカ君はやらん!!」
「往生しなっせ!!」
「こいやぁぁぁ! 全員水洗いされたチワワみたいにしたる!!」
一斉に飛び掛る隊員達。上がる砂煙。
屈強な体躯の男達を千切っては投げ千切っては投げを繰り返す大天狗。それでも立ち上がり果敢に挑む隊員。
「勇気あるなぁアイツ等」
それを傍観する椛。
「あの隊長」
「どうした?」
戦闘に参加していた女性隊員数名が椛の元へ戻ってくる。
「ドサクサに紛れて丸太回収してきました」
「おおそうか。ご苦労だった。大天狗様ー! もう帰っていいですかー!?」
「ああ、うん。お疲れモミちゃん」
「「「大天狗様覚悟ォ!!」」」
「しゃらくせえ餓鬼ども!!」
更に高く舞い上がる白狼天狗の男達。
「許可も取れたし帰るか」
「それにしても汗かきましたね。銭湯寄ってきましょう銭湯!」
「そうだな、寄ってくか」
「あ、あと今日って特別手当が付くんですよね? 銭湯の帰りに一杯飲みましょうよ?」
「私は構わないが、お前たちはどうする?」
「「「ご一緒しまーす!!」」」
返事をして。椛の後を軽やかな足取りでついてく面々。
「あ、モミちゃん! 私もその女子会みたいなのに参加させ…」
「御印頂戴!!」
「邪魔すんな!」
「おぐっ!」
まるで獲物に群がる蟻のように、オオスズメバチに挑むミツバチのように、大天狗に次から次へ飛びかかる。
「うわああああん! なんでじゃぁ! なんで私にはこんな形でしか男が寄ってこんのじゃああああ!!」
椛達の後方で、そんな悲痛な叫びが上がった。
【 episode.2 学校へ行こう 】
大天狗の自室。
「えーと、合同演習の成績と侵入者撃退数を足して」
帳簿を見ながらそろばんを弾く大天狗を、椛はソワソワと落ち着かない様子で見守っていた。
「普段の素行としては、隊員同士での喧嘩が何度かあり一度厳重注意を受けている。マイナス7点っと。以上を踏まえての合計は…」
大天狗の手が止まり、机の隅にある印鑑に伸びる。印鑑は『優』『良』『劣』の三種類がある。
「限りなく『劣』に近いけど、ギリギリ『良』ね」
椛の名が書かれた書類に『良』の印鑑が捺される。それを見届けた椛は、肩の荷が下りたといわんばかりに脱力した。
「ありがとうございます」
「次期への期待値込みでこの評価だからね?」
「はい、がんばります」
畳みに手を付き、椛は深い礼をした。
査定で『良』の評価を貰ったことで椛の給金の上昇が確定した。
「それじゃあモミちゃんの印鑑ココに押して。それで手続き完了だから」
「はい」
大天狗の印の右側に椛は持参した判を捺した。
「あとこっちにも印鑑ちょうだい」
「はいはい」
机の上に書類を広げ、椛の判が必要な位置を指で指し示す。
椛はその誘導に従い印を捺していく。
「でも、モミちゃんもすっかり隊長が板について来たわね」
手を止めることなく大天狗が話しかける。
「そうですかね?」
「今回の合同演習に限らず、山童捕獲を頼んで以降の演習じゃ、どれも良い成績残してるじゃない」
以前、大天狗の命で山童化した河童を連れ戻す任務をこなしてから、隊員同士の連携が格段に良くなった。
お陰で毎回の演習では中の上あたりには名前を残せるようになった。
「いやぁ、流石はモミちゃん。指揮官もバッチリね」
「私はこれといって何も。もともと優秀な奴が揃ってましたから」
「謙遜しちゃってもう」
印鑑をつき終わった書類をまとめ、新たな書類を広げる。
「誰にも心を開こうとしなかった孤児が、今じゃ隊長やってるなんてねぇ。時間の流れを感じるわ」
「また年寄り臭いことを…って危なっ!」
大天狗が指差す紙。『転属希望書』と銘打たれた紙に判を捺しそうになり慌てて手を引っ込める。
「なんですかこの紙?」
「結構前にさ、隊長職をある程度経験したら訓練生の教官やらないか、って聞いたこと覚えてる?」
「その話はお断りしたハズですが?」
「酒の席だったしさ。もう一回考えてくれないかな? 優秀な教官を必要とする学び舎があるのよ」
大天狗は厚紙を渡す。印刷所で正式に作られているパンフレットのようだった。
綺麗な校舎と道場、広い演習林の写真が掲載されている。
怪訝な表情をしながら、椛は最も気になる一文を読み上げる。
「『未来の優れた白狼天狗を養成』?」
「うん。そこは白狼天狗限定の学園。2年くらい前に設立したの知らない?」
「いえ全く」
「3年以内に入隊可能な年齢の白狼天狗の子が対象なんだけどね」
白狼天狗の子供は、鴉天狗や鼻高天狗、山伏天狗と違い、義務教育を課せられていない。
そのため、哨戒部隊に入隊可能な年齢になるまでは、両親から教わったり、近所の寺子屋に通ったりして読み書きと必要最低限の教養を身につけるのが一般である。
「この学園はいわばエリート養成所なのよ。鴉天狗と同等の教育を受け、優秀な師範のいる道場で剣の腕を鍛え、学園裏の演習林で実戦の感覚を養う。中々の英才教育よ」
「子供は子供らしく好きに遊んでいれば良いんですよ。そんな所に誰が我が子を預けるのか」
「それがね募集を開始したら即満席になっちゃったのよ。結構な学費なんだけどね」
「どこの馬鹿親ですか?」
「長いこと隊長職とか上官職やってる白狼天狗の親が是非とも我が子をって感じで」
「金持ちはもっと金持ちになって、貧乏人は貧乏人のまま。これからは白狼天狗の間でも貧富の差が広がるワケですか」
嫌だ嫌だとぼやきながら首を振る。
「しかしよく他の天狗が許可しましたね。白狼天狗に自分達と同等の教育なんて良い顔しなかったんじゃないですか?」
「立案者が八坂神奈子だからねぇ」
「なんですって?」
「白狼天狗差別を撤廃するために、彼らにも適正な教育の場をって訴えてきたのよ。必要な費用と資材は提供するからって」
「それで許可したんですか?」
「八坂神奈子が山に来てすぐ、本性出す前に持ちかけてきた話だったから、善意で言ってるとばかり思ってたのよ。私もまぁ、白狼天狗には教育の場が少ないと前々から思ってたし」
もし今、神奈子が同じ提案を持ちかけてきたら確実に断っている。
「何か目的があるに決まってるじゃないですか。裏で洗脳でもしてるんじゃないですか?」
「その辺は大丈夫よ。教材は検閲済みだし、ちゃんと教員は信頼できるのを選んでる。教員の中には保守派の連中もあえて入れてるから、下手に動けないハズよ」
「だと良いんですがね」
「そんなに心配ならモミちゃんもココで働きなさい。この書類に犬走の印鑑捺したらすぐ異動させてあげるわよ?」
「慎んでお断りします」
「まま、そう言わず」
新聞の束が押し込められた鞄を肩にかけた姫海棠はたては、大天狗の屋敷の前に着地した。
「こんにちはー」
「おや、これはこれは。新聞の配達ですか?」
門前で水を撒いていた従者が彼女に気付き会釈する。
「はい。新刊ができましたので」
「大天狗様なら今、自室で椛殿とご歓談中のようです。行けば喜ばれますよ」
(椛来てるんだ、じゃあ行こうかな)
一対一で大天狗といられるほど図太い神経をしていないため、普段は従者に渡したり、郵便受けに入れて去る事が多いのだが、椛がいると知り直接渡すことにした。
玄関で下駄を脱ぎ、まっすぐ大天狗の部屋を目指す。
「いいからサインしなさい! ココに『犬走』って!」
「嫌です」
「そもそも何、犬走って!? あそこを実際に犬が走ってるところ見たことないんだけど!」
「そんなこと言ったら階段の『踊り場』だって誰も踊ってないじゃないですか」
「踊ってやるわよ私が! リンボーでもコサックでもマイムマイムでも!」
「皆が通れないんでやめてください」
(何を言い合ってるんだろう?)
白熱する議論のようなモノが聞こえてきて、入るのに少し戸惑うが、意を決して取っ手を掴む。
「失礼します」
恐る恐る襖を開ける。
「じゃあ鶯(ウグイス)張りのここの廊下は、床の底に鶯埋まってるんですか?」
「鶯張りなんてしませんー! 廊下が単に老朽化してるだけですぅー!」
「大工呼べばいいじゃないですか」
「資金難なのよ! どっかの隊にいろいろ貢いだせいで!」
「布団ありがとうございました」
「どういたしまして!」
「…」
ただ立ち尽くすことしか出来ないはたて。
「失礼しました」
諦めてゆっくり襖を閉じようとすると。
「お、はたてちゃん。ちょうど良かった!」
「ひゃわっ!?」
気付いた大天狗に腕をガシリと掴まれ、中に引き込まれた。
「はたてちゃんからもモミちゃんに言ってやってよ!」
「あの、何をですか?」
「あれ? そういえば何で言い合いになったんだっけ?」
「なんででしたっけ?」
はたての登場で冷静さを取り戻す二人。
「えっと。教官になるならないで押し問答を始めたのが切欠でしたっけ?」
「あーそうそう。それよ」
「ごめん椛。私には何がなんだか」
「そうね。順を追って話すわ」
大天狗ははたてに、学園の紹介と、今回の口論の経緯について話した。
「へー椛が先生かぁ…」
「素敵だと思わない?」
「椛って教えるのが上手いから先生に向いてるって前々から思ってたんです。私も剣術を教わった時はメキメキ上達して…」
「「…」」
「なんで顔を横に!?」
はたての剣術の才能の無さは、この二人に気を使わせる程であった。
「そういえばモミちゃん。昼は非番だって言ってたわね?」
「それが何か?」
「この小包、学園に届けに行ってくれない?」
椛が興味を持つ切欠になればと、学園への使いを頼む。
「鴉にでも運ばせれば良いじゃないですか」
「それなりに大事な物だから信頼してる子に持ってって欲しいのよ。あ、もちろんタダとは言わないわよ」
券を二枚、小包の上においた。
「学園の近くに甘味処があるから、そこで休憩していきなさい」
「これってまさか限定杏仁豆腐の優待チケット!?」
やや興奮気味に大天狗の持つ券を見つめるはたて。
「流石スイーツ記事の記者。やはり知ってたわね」
「なんですかそれ?」
「厳選された素材を使うせいで一日限定30食しか売られてなくて、早朝から並ばないと食べられない幻の杏仁豆腐があるの」
「このチケットはすごいわよ。すでに30食完売しててもこれを渡せば31食目が運ばれてくるんだもの」
「まさか本当に実在してたなんて」
甘いものに目が無い天魔の個人的な圧力により誕生した券なのは極秘である。
「ちょうど二枚あるし、はたてちゃんも一緒に行ってくれるならあげちゃおっかなぁ」
「本当ですか!?」
(くっ、やられた)
喜ぶはたてを盾にして断りづらい状況を作り出された。
「渡したらすぐ帰りますからね?」
「契約成立ね」
小包と駄賃である券を受取り、二人は学園の方角へと向かった。
夕刻。
学び舎の書庫。
眼鏡を掛けた白狼天狗の少女が、大きな本棚により掛かり読書に勤しんでいた。
そんな彼女に近づく二つの影。
「やはりここでしたか姉者」
「そろそろ帰りましょう。今宵は主(ぬし)様と夕食のお約束があるのをお忘れか? 御忙しい中、わざわざ時間を割いてくれたのだ、一秒でも遅れれば切腹ものぞ」
「忘れるわけないだろう」
眼鏡の少女は本を閉じると元の位置に戻した。
「本当に姉者は読書が好きだな。倭ぁには理解できん」
「倭ぁもです。そんな近くのモノばかり見ておったら、ただでさえ悪ぅ目がもっと悪ぅなってしまいますぞ?」
「主様は仰っておった。『これからの時代は腕っ節よりも、頭の良い白狼天狗の方が重宝される』と。お前達も素振りやクナイ投げばかりしてないで、少しは本を読め」
「「そういうものですか?」」
自らを『倭』と呼んだ二人の少女は双子だった。言葉と挙動が綺麗に重なる。
「よし、それじゃあ帰る……ぞ?」
眼鏡の少女は換気で開けていた窓を閉じようとした時、あるものが目に止まった。
「あれは…」
「どうした姉者?」
「野良犬でも入ってきたのですか?」
「もっと凄いのが入ってきた」
椛とはたては学園の敷地に足を踏み入れていた。
「事務室はどこでしょうか?」
「守衛さんにちゃんと聞いておけば良かったね」
教員達が詰めている場所がわからず学内をうろついていた。
「これじゃあ完全に不審者だ」
「そうだね。あ、そだ。これに地図とか載ってるかも」
はたてはが現在地を確認しようと、大天狗から貰ったパンフレットを開こうとした時。
「下がって!!」
「わっ」
椛がはたての体を強く押した。
直後、木刀の先が椛の額を掠めた。
白狼天狗の少女が屋根から飛び降りながら振るってきたのだ。
「せやっ!!」
着地と同時に二撃目の太刀を振るう。
「おっと」
脛を狙ったを下段の太刀を、椛は一歯下駄の底で事もなげに受け止めた。
「あの。ちょっと待ってください、別に怪しい者では…」
木刀の先を掴み、落ち着いた口調で事情の説明を試みる椛。
「今だやれ!」
「応っ!」
少女が叫ぶと窓が突然開き、両手にクナイを持った少女が姿を見せる。
木刀を振る少女と、クナイの少女はまったく同じ顔立ちだったため、椛はわずかばかり驚いた。
「そりゃぁ!」
両手のクナイを同時に投げる。玩具ではない、鋼材製で鋭利な先端を持つ、正真正銘の凶器である。
椛は目の前の少女から木刀を奪い、一振りで二本のクナイを払い落とした。
「動かないでください」
双子を睨みつける椛。その眼光に気圧されたのか、二人はあっと息を呑み、体が硬直した。
「そこの貴女もです」
双子に視線を送ってから素早く背後に木刀を向けた。向けた先には短刀を手にした眼鏡の少女がいた。
(この学園は、この年の子にこんな戦術を教えているのか?)
木刀もクナイも囮。二人が騒ぐその背後で、本命である彼女が静かに標的に近づき仕留める。
集団で一人を狙うときに有効な戦術なのだが、年端もいかぬ子達が実践したのを見るのは初めてだった。
(すごい。一瞬で制圧しちゃった)
はたては、完璧な連携をあっさりと返り討ちにした椛の姿に、呼吸も忘れて見惚れていた。
(私もいつか、あんな風に…)
「はたてさんからも言ってください。我々が不審者でないと」
「あ、う、うん。そうだね」
椛の言葉で現実に引き戻された。
「別に手前共を不審者とは思っておらん。お前、犬走椛で相違ないな?」
「なぜ私のことを?」
「やはりそうだったか」
「姉者はすごいなぁ。ずっと前に写真で一度見ただけなのに覚えてるとは」
「記憶力には自信がある」
胸を張る眼鏡の少女。
「あの、それと私に仕掛けてきたことに何の関係が?」
三人の中で、眼鏡の少女が長女らしかったので、椛は彼女に事情を尋ねることにした。
「主(ぬし)様がな、お前を見つけたら『挑み、一本取ってみよ』とずっと前に仰っておった」
「主様とはどなたですか?」
「それは言えん」
そう言うと、背後にいる双子は同じタイミングで両手を口に当てて横に首を振った。
「なぜ私を標的に?」
「それはわからん。主様は聡明な方だ。きっと深い事情があるに違いない。そして我々も腕試しとして挑んでみたいと前々から思っておった」
「腕試し?」
「訓練生の頃から数々の偉業と伝説を残した白狼天狗。どれほどの腕前か見てみたいと思っておった」
「伝説って何?」
気になったはたてが訊いた。
「一緒にいるのに知らぬのか鴉天狗殿?」
「うん」
「どれも常軌を逸しておる。有名なのを挙げると…」
「真に受けたら駄目ですよはたてさん。尾ひれがついただけですから。実際は大した事ありません」
呆れ、謙遜する椛を余所に眼鏡の少女が挙げ連ねる。
「地獄の樹海演習で唯一、最終日まで音を上げなかったどころか、晴耕雨読な快適樹海ライフを満喫していたそうだ」
「そういえばやりましたね樹海演習」
「因縁をつけてきた番長グループを返り討ちにして、三十人川に流したそうだ」
「流したのはせいぜい番長とその取巻き四、五人ですよ。あとは勝手に飛び込んだんです」
「訓練中に乱入してきた暴れヒグマを一撃で沈めたそうだ」
「あんな化物殴って倒せるわけないじゃないですか。後ろから組み付いて裸締めで絞め落としただけです」
「初代河童組の組長を半殺しにして、彼らが仕切る川で唯一ガチンコ漁するのを許された存在だと」
「半殺しになんてしてません。相撲で負かしただけです。開始直後の跳び膝蹴りで」
「十分すごい気がするよ椛?」
「そうですか?」
その後、ここへ来た理由を話し、事務室まで案内してもらえることになった。
「あそこが教員達の詰所だ」
「道場の中にあったんですね」
「盲点だったね。校舎側をずっと探してたから」
事務室に入るべく道場に上がった。
「お願いだからカタログだけでも置かせてよ」
「生憎。ウチはそういうのは結構ですので」
先客がいたらしく、事務所の前で女性職員の応対する声が聞こえた。
「申し訳ありませんが、どうか御引取りを」
「ちぇー」
肩を落としながら河城にとりは道場の玄関まで戻ってきた。
「何やってるんですかにとり?」
「え? あ、椛じゃん。どうしたのこんな所で?」
「私達は届け物を。そちらは何か営業をしていたようですが?」
「子供達の練習の効率が上がりそうな発明が色々あるから買ってくれないかな~と思って」
にとりの背後には大中小、様々な大きさの箱がいくつも置かれていた。
一番大きな箱を見たはたてが尋ねる。
「これの中身ってひょっとして地下工房に設置されている」
「うん。ヒグマロボだよ。改良に改良を重ねた自信作だよ」
自慢したいのか、一つ棺に近づき『起動』と書かれているスイッチを押した。
棺が自立するとひとりでに扉が開き、中からヒグマの姿をしたロボットが姿を現した。
ロボットは剥製か作り物なのかはわからないが、本物の熊と相違無い姿をしていた。
「過去の敗北から色々と学んだからね。これまでとは段違いだよ?」
ヒグマロボが周囲を見渡す。椛の姿を見つけると、二足立ちになり爪を剥き出しにした。
「私に向かってにじり寄って来てるんですが?」
「おかしいな。こんな動作はプログラミングして…」
突然、前足で床を強く叩き跳躍、椛に急接近して鉤爪を振るってきた。
「なんですかいきなり?」
半歩引き、事も無げに回避する。
「あ、しまった。拠点防衛モードのままにしてあるから、ロボに『要注意侵入者』として登録されてる椛を排除しようとしているんだ」
「なるほど。そういうワケですか」
納得していると、先刻と同じ動作で跳躍し鉤爪で椛を狙う。
「遅い」
あっさりと避けて、顔面を思い切り蹴飛ばす。
首が根元から不自然な方向に曲がった。それでヒグマロボの動きが停止した。
「犬走様はおっかないなぁ姉者」
「蹴ったとき、爆発のような音がしましたぞ」
「うむ。あの巨体に一歩も退かぬとは」
姉妹は椛の動きに羨望の眼差しを向けていた。
「さあにとり、早く箱に戻し…」
話しの途中、膝を起点にして直角に、生物学的に有り得ない動作で起き上がった。
体をガクガクと震わせながら椛に接近する。
「完全に壊したと思ったんですけどね」
「自動修復機能として、ナノマシンとES細胞を移植してみたんだ。効果覿面だねこりゃ」
「偶に貴女が河童より恐ろしい何かに思える時があります」
ヒグマロボが前足を浮かせて立ち上がった。
この動作は別段驚くことではないが、この後の行動に椛は言葉を失った。
「なっ…」
ヒグマロボが構えた。まるで武術家のような、野生のヒグマが到底取らない姿勢を。
「あの構えは截拳道(ジークンドー)!?」
長女が驚きの声を上げる。
「「知っているのか姉者!?」」
「外の世界の人間が使う拳法の一つだ。急所攻撃を容認し、効率良く相手を倒す技を良しとする、実戦をどこまでも重視した流派だ。学園の書庫にあった」
流石は姉者だ、と双子は姉のわかりやすい解説に拍手する。
「あちゃー。子供たちの良い練習相手になるよう、外の世界の武術は一通りインプットしたのが仇になっちゃたかぁ」
「なんて面倒な事を」
直後、ヒグマロボが動く。ヒグマとは思えぬ俊敏な動きで蹴り4発、鉄拳6発を一瞬の間に繰り出した。
(早すぎてほとんど見えなかった)
持ち前の直勘と動体視力でなんとか捌けたものの、両腕と全身の関節の痺れが尋常ではなかった。
「『開始五秒以内に決着』がジークンドーの理想的とする所。故に手数の多さと、鋭い突きがこの武術の真骨頂だ」
「へー」
「暢気に観戦してないで加勢してくださいよ!」
ヒグマロボが椛に向けストレートリードと呼ばれる最短軌道を描き放たれる拳を撃つ。
「こんのっ!」
椛はそれに合わせる形で、拳を潜って回避しつつ、回し蹴りを打ち込んだ。
体重の乗った椛の踵がヒグマロボの膝にめり込み、姿勢を崩す。
よろける一瞬の隙を見逃さず、膝部分に執拗に蹴りを叩き込む。
鍛えられた重い蹴りを何度も受け、ヒグマロボはとうとう片膝をついた。
「どっらぁ!!」
ヒグマロボの胸倉を掴んで引き寄せ頭突きを入れてから顎への掌底、そこから脇腹への鉤突き、側頭部への肘打ち、顔面と股間への諸手突き、首への手刀、鳩尾への貫手、と流れるように連打を打ち込む。
「はあああああ!!」
裏拳、裏打ち、鉄槌、肘打ち、手刀、肘振り上げ、と休むことなく更に打ち続ける。
技と技の間に一切の隙がなく、攻めの手はまだ止まらない。
「あの動き。まさか“煉獄”か!?」
「「知っているのか姉者!?」」
「初手が決まれば、それ以降の技は必ずヒットするという魔法みたいな連続技だ。まさか使い手がいたとは」
「それより椛がどうして使えるのかが気になるんだけど」
恐らく相手の姿勢に合わせた最善手を選んだ結果、自然とその型になっているようだった。
結局、三百発以上殴られ、酷い有様になってからヒグマロボは解放された。
「にとり。また再生する前に桶に戻してください」
「うん、すぐに」
その時、にとりが持ってきていた箱の一つが爆発した。
「なんだ!?」
上がる煙の中で、蠢くシルエット。
「馬鹿な!? あれはネオヒグマロボ!? あまりに危険性故に封印したはず!!」
驚愕するにとりと、
(じゃあなんで持ってきたんだろう?)
至極まっとうな突っ込みを入れる面々。
「にとり、あれは一体?」
「魔改造を施して強くなったものの制御しきれず、危険と判断して封印したロボなんだ。きっと兄弟機のピンチに反応して起動したんだ」
煙が晴れ、ネオヒグマロボと呼ばれた機械の全貌が明らかになる。
「前足を伸ばしてリーチの差を克服。弱点だった腹筋と胸襟を増強。耳は掴まれることを考慮して機内組込みに。精密な動作をモノにするために骨格を人間寄りに。それがネオヒグマロボさ!!」
それはヒグマとはあまりにもかけ離れた姿をしていた。
「というか…」
はたては知っていた。その姿をした動物の名を。
「これゴリラだ!!」
にとりがネオヒグマロボと呼んだそれは、紛う事なきゴリラの姿をしていた。
「にとり、あれゴリラだよね!?」
「ゴリラって何?」
「ゴリラ知らないで作ったの!? ある意味すごいよ!」
ネオヒグマロボは道場を壁沿いにグルグルと移動し始めた。
「見たことない種類のヒグマですね」
「なんで椛も知らないの!? あれ霊長類! なんでヒグマに見えるの!?」
「霊長類って、ボノボやオラウータン、シファカの事でしょう? あれは違いますよ」
「なんでそんなマニアックなところ知っててゴリラ知らないの!? ワザと!? ワザとなの!?」
最後の希望である眼鏡の少女を見る。
博識な彼女なら知っているハズと、大きな期待を寄せた。
「ヒグマではないのですか? 四速歩行だが?」
「ナックルウォーク!!」
ネオヒグマロボは壁に掛かる竹刀取り、興味深そうに眺めだした。
「ほら見て椛! 物を掴んでるでしょ!? 指が無いヒグマじゃ無理でしょ!?」
「大体わかりました」
「ほっ」
「独自の進化を遂げたヒグマというわけですね」
「駄目だこりゃ」
持っていた竹刀をへし折ると、床に投げ捨てて、胸を激しく叩いた。
「良いドラミングです。なるほど、今までのヒグマロボとは格が違うようですね」
「今ドラミングって言ったよね!? ゴリラ知らないとまず出てこないワードだよね!? てか何!? 皆の中じゃゴリラはヒグマの亜種なの!?」
結局、ネオヒグマロボも椛の鉄拳の前に沈み、事なきを得た。
「にとりの発明品で戦い方を学ぶのは賛成しかねます」
「うーん、しょうがないかぁ」
「あの、河童殿」
諦めて肩を落とすにとりに双子が話しかける。
「あれだけの強さなら、門番として使って貰ったらいかがでしょうか?」
「それだ! ナイスだよそれ! 守衛さーん!! ちょっと見せたいものがー!」
喜び勇んでにとりは正門の方へと駆けて行った。
その後、お試しで一ヶ月置いてもらい、良ければ採用するという約束を取り付けるのだが、それはまた別の話。
「私達も小包渡して帰りましょうか」
「そうだね」
「もし…」
「 ? 」
姉妹の長女が椛達のもとへやって来た。
「犬走殿はどこの道場で今の戦い方を学ばれた? 師は誰でありますか?」
「私は我流です。師と呼べる方はいません」
昔、勧められ入門した道場があったが、見た目に拘って実用性の低い技ばかり扱っていたためすぐに止めた。
「それは残念だ」
「残念?」
「貴女の後に続きたいというのが我々の願い。どんな任務も忠実にこなし、生き延びる強い白狼天狗になるのが…」
「それはやめたほうがいいです」
彼女と同じ目線になる、優しい口調で言った。
「その道には何もありません。最後には自分の足跡すら残りません」
「しかし、それでも我々は・・・」
「あっ! そうだ姉者! そろそろ行かねば主様との約束に遅れるぞ」
「まずいぞ姉者! 走るぞ!」
約束を思い出した双子は姉の肩を掴む。
「それではいずれ、オイ馬鹿、引張るな!」
走っていく姉妹を見送り、大天狗から預かった小包を事務局に渡した後、椛達は学園を出た。
帰り、大天狗から貰った券を使うために甘味処へ立ち寄る。
「あの子、椛のことすごい尊敬してたね」
「そうでしたか?」
「本当に、ここの先生になる気はないの?」
はたては椛の教官入りに賛成だった。
「こんな良い話滅多に無いと思うし。お給料もすごく良いんじゃない?」
「確かに、大天狗様からのお話にしてはこれまでに無い破格の内容です」
「それなら受けるべきだよ」
教官など、なりたいと思ってもそうそうなれる職業ではない。
実力と人格の両方が認められ、十分に信頼に足る人物でなければならない。
これ以上に無い誉なのではないかと、はたては感じた。
「私はなるつもりはありません」
「なんで?」
「教員というのは聖職者と言うらしいです。昔、色々とやらかした私みたいなのがなって良い職業だとは」
「関係ないよそんなの」
「それに私は山に嫌われています。そんな奴が子供の前で何かを語る資格なんてありません」
「嫌われてる?」
「因果応報という奴です。はたてさんとは無縁の話です。お気になさらず」
強引に話題を打ち切ろうとする椛。
(まただ)
かつて隊長昇格試験の勉強を見た時も、自身の出世に対して消極的だったのを思い出す。
「どうして?」
「?」
「どうしてそうやって…」
幸せから遠ざかろうとしてるのか。
いつだってはたての目には、椛がそうしているように見えた。
「そんなんじゃ、椛がいつまで経っても報われない」
「良いんです私は。はたてさん、文さん、にとり、隊員達がいてくれる今の生活が気に入ってますし。これ以上望んでは分不相応です」
(そんなわけない)
組織の面子のために一族郎党を殺され、汚れ仕事ばかりを押し付けられ、大切に守ってきた場所すらも守矢神社に奪われた。
(誰よりも辛い思いをして、その見返りが『今』なの?)
今以上の幸せを望むことを、彼女は分不相応だと言った。
同意などできるわけなかった。
(でも、だからといって)
はたて個人の力でどうにか出来るモノでは決してない。
(私は無力だ。あの頃と何一つ変わってない)
自分が射命丸文ならここで気の利いた台詞の一つでも言って椛のその言葉をやんわりと否定できたのだろう。
自分が天魔や大天狗のような地位なら、彼女の頑張りに見合う褒賞を用意できたのだろう。
(今の私じゃ、椛に何もしてあげられない)
知識も経験も、力も地位も権力も無い自分がひどく惨めに思えた。
(私にもっと、力があれば)
何かが変えられると、そんな漠然とした考えが頭を過ぎった。
「しかし将来、あんな人材が増えると思うと、楽しみです」
「う、うん。そうだね」
今考えていたネガティブな感情を心の奥へ押し込んで、はたては強引に笑った。
「あの子達、また会えるかな?」
「何年かしたら哨戒部隊に配属されるでしょう」
「なら大天狗様に言って、椛の隊に入るよう根回ししておかないと」
「良いですね。あの姉妹は見込みがありますから」
近日中に、史上最悪の形で姉妹と再会することを椛はまだ知らない。
今はただ、杏仁豆腐に舌鼓を打ちつつ、彼女らの将来の姿についてあれこれ語り合うのだった。