Coolier - 新生・東方創想話

歩け! イヌバシリさん vol.11

2014/06/15 12:47:54
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【 episode.3 大人の義務と子供の特権 】




大天狗の屋敷。
大天狗と椛のいつも通り過ぎるやり取りがこの日も交わされていた。

「ハイッ、天狗社会は未曾有の経済難です!」
「それは大天狗様に限っての話でしょう。今年の予算は去年より一割増だと通達されたばかりじゃないですか?」
「私が小遣い不足なのよ? 天狗社会が潤ってるワケないじゃない」
「無駄遣いしすぎて、従者さんに財布の紐を握られただけでしょうが」
「私に入ってくる給料がもっとあればこんな事にはならなかったの! だから増税します! 増税! ついでにカップル税も導入します!」
「まだ諦めてなかったんですかその法案? 何回天魔様に破り捨てられたかお忘れですか?」
「失敗は成功のシングルマザーよ。今度は『別れたカップルには還付金を支払う』という条文を書き足す。これで巷にはフリーの男がわんさか」
「ちょっと何言ってるか、わからないですね」

結果は目に見えていた。

「そんな意味不明な制度に心血注ぐなら、哨戒部隊の携帯武器の規制緩和をですね…」
「なにサラっと恐ろしいこと言ってるのよ」

渋い顔をする大天狗。

「携帯武器の規制は緩めちゃだめでしょ?」
「自分の命が掛かってるんだから何持ってても良いじゃないですか?」

任務中に携帯が許されている武器の種類が少なすぎると椛は常々思っていた。

「風紀ってものがあるの。皆が思い思いの武器持ち寄ってみなさい。山賊にしか見えないわよ?」
「私等なんて山賊みたいなモンでしょうが」
「何言ってるのよちょっと。そもそも隊長格には特権として『審査が通った武器・防具に関しては所持を許可する』ってのがあるじゃない」
「その審査が通らないんじゃないですか。何度も申請してるのに一度も許可が下りません」
「そりゃカギ爪とか南蛮篭手とか、万力分銅とか、あげく刃物仕込みの下駄って、誰暗殺する気よ」
「ろくに扱えもしない焼肉鉄板みたいな馬鹿デカイ剣担いでる隊長が何人もいるのに、袖に隠せる武器が駄目ってのが納得いきません」
「だから風紀の問題なの。ああいうデカい剣っていうのは外部に対して威圧感とか威厳を示せるから良いの。あれ担ぎたくて隊長目指すやつだっているくらいだし」
「そういうもんですか?」
「モミちゃんの言いたいこともわかるわよ。『効率』と『実用性』に拘るのも。でもね、多少の効率より体裁を重んじるのが組織ってモノなのよ」
「下っ端の私には一生理解できない価値観ですね」

そろそろ退室しようと立ち上がる。

「そういえばモミちゃん、はたてちゃんの好物知ってる?」
「なぜそのようなことを?」
「この前、自称保守派の連中との小競り合いに巻き込んじゃったお詫び、実はまだしてなくて」
「あれ? まだ何もしてなかったんですか?」
「ちょっとあの後面倒事が続いてねぇ、すっかり後回しにしちゃってたのよ」

ようやく公務のゴタゴタも治まり、彼女を食事にでも招待しようと考えていた。

「辛口のお酒は苦手ですから。甘い、果実を使ったお酒を用意してあげてください。あと、脂っ濃い物はあまり口にしません」
「今の若い子ってそういうのが好きみたいね。私も甘い酒飲んで若さをアピールすべきかしら?」
「大天狗様が普段のペースで果実酒飲んだら三日で糖尿病ですよ」









天魔の屋敷。

「次、お願いします」

屋敷の中の道場。
はたては肩で息をしながら薙刀を手にした女中と対峙していた。

「今日はもう、このくらいにしません?」

鍛錬に付き合う女中は、はたての疲労具合を見て、切り上げることを提案する。

「もうちょっとだけ」
「かなりお辛そうに見えますが?」
「平気ですから」
「そこまで仰るなら…」
「今日はもうココまでじゃ」

背丈がはたての半分程度しかない女児が、まるで煙のように突然二人の間に現れた。

「天魔様」

彼女こそが、天狗社会の統括者にして最強の天狗。天魔だった。

「鍛錬はもう終わりにせよ」
「でも、天魔様」
「儂の言う事が聞けんのか?」
「あっ…」

その可愛らしい見た目のどこに押し込めれていたのか、尋常ではない威圧感がはたての心臓を鷲づかみにする。

「女中よ。しばらくしたら出かける故、支度をしてくれんか?」
「はい。ただいま」
「ゆっくりで良い。お前も疲れておるじゃろう」

女中を退室させて、はたてを見る。

「天魔様、その、すみませんでした」
「良い。向上心があるのは結構じゃが、方向性を間違えるな」
「はい」
「最近、熱心だと聞いたがどうした? 誰かにコテンパンにされたか?」
「そういうわけでは」
「では何故そうも焦っておる?」
「…」

椛の為、などと身の程知らずな事を言えるわけがなかった。

「言いたく無いならそれで構わん。そもそも力を欲するのに理由などいらんからな」

ずいっとはたてとの距離を詰める。

「はたてよ。強くなりたいか?」
「はい」

天魔の目を真っ直ぐに見て答えた。

「ならばしばらくの間、お前との鍛錬を休止する」
「へ?」

予想していなかった回答に困惑する。

「どうしてですか?」
「お前は今、『強くなりたい』という焦りの他に、以前のような上達を見せない己に対して憤りを感じておる。違うか?」
「…」

図星だった。
天魔の言う通り、ここ最近のはたては伸び悩んでいた。
少し前までは、体捌きや妖力の制御等、練習すればするほど身についた。
しかし今はいくら鍛錬を積んでも強くなっていく実感がなかった。

「お前からは強い焦燥感がにじみ出ておる。そんな危うい精神状態の者に、施しをするつもりはない」
「でもここで鍛錬を止めたら余計に上達が…」
「今は一種のスランプと呼ばれる状態じゃ。そういう時は体を休め、気分転換するに限る。よいな?」
「…」
「どうした?」

不安そうな顔のはたてを案じて尋ねる。

「才能がある人ならそうかもしれません。でも、今が私の限界のような気がして。不安でたまらないんです」
「お前の一番の欠点は、一度躓くと立ち直るのに時間が掛かる事だ。成長したくばその心配性な性格を改善するところから始めよ」

その壁を破ればはたては更に強くなる。
その確信が天魔にはあった。

「今回の休止は新聞作りに専念できる良い機会だと考えろ。わかったな?」
「そうさせてもらいます」
「良し。ところではたてよ」
「はい?」
「さっそく気分転換に、少し付き合わんか?」

天魔からの外出の誘いに、はたては頷いた。







山のとある場所。

「良いんですか? 私までおじいさんの蔵に入ちゃって?」
「構わん。どうせガラクタばかりじゃ」

天魔とはたては、埃の舞う広い蔵の中にいた。
この蔵は、かつて誤認で椛の一族郎党を粛清した過去を持つ老天狗の遺産だった。
蔵の中には薄汚れた調度品、用途の分からぬ河童製のカラクリ、中身のわからない多数の桐箱が所狭しと並んでいる。

「大天狗殿が『勝手に処分して』などど無責任なことを仰ってな」
「これ全部、本当に相続放棄しちゃったんですか?」

遺産は生前世話になった天狗社会の幹部に譲ると遺言にあり、蔵の中身は大天狗に譲られたのだが、彼女はそれを断った。
蔵の中身は手付かずのまま長らく放置され、そして先日、天魔が引き取るという形で決着がついた。
そして今日、蔵の中を見に来た。

「結構な量ですね」
「これを全部運ぶとなると人手がかかるな」

少し歩き二人は奥の壁に到着した。

「まだ全部じっくり見とらんから何とも言えんが、値打ち物はそんなになさそうじゃな」

宝探しのような展開を期待していたはたては、その言葉に若干落胆した。

「天魔様ー、少しよろしいですかー?」

蔵の外から女中の呼ぶ声がした。

「儂は外すが、お前はまだ色々と見ておってかまわんぞ。ガラクタといっても珍しい物が揃っておる。何か面白い物が見つかるかもしれん」

そう告げて天魔ははたてを残して外へ出た。
その言葉に甘え、探索を開始した。

(これ宝石かな? それともただのガラス?)

適当に流し見をしながら歩く。

(お、なんだろこの箱)

黒い漆塗りの箱だった。紫色の紐が結ばれている。周りの他の箱よりも高級感が漂っていたため自然と目に付いた。
気になって紐を解く。

(玉手箱とかじゃないよね?)

一瞬、そんな不安を感じつつ、好奇心に任せて蓋を開けた。

「なんだ…」

中には紙切れが数枚入っていた。
どんな珍しい物が出てくるか期待していたはたては、またしても肩透かしを食らった。

(でも、もしかしたらすごい機密文書だったりして)

筆で書かれるその文面に目を通す。しかし、それも裏切られた。

「ただの名簿か」

苗字からして白狼天狗のものだろう。名前と一緒に生まれた日、住んでいた場所等が記載されている。どうやら戸籍票のようだった。
他に何か書かれていないかと、紙の束をめくるはたて。
途中、ある名前が目に飛び込んできて、手が止まった。

「…嘘」

この紙は間違いなく、はたてが想像した機密文書だった。

「これって」

犬走“椛”と名乗る前、犬走***の名がそこに書かれていた。














鴉天狗が多く暮らす集落の喫茶店で、はたては文に事の顛末を説明した。

「それで、天魔様の目を盗んで持ってきたのですか?」
「うん」
「度胸ありますね貴女」

文ははたてから戸籍票を受取り、改める。

「当時の椛さんの年齢と、あの惨事があった時期を照らし合わせると、矛盾はほとんどないですね」
「じゃあやっぱりこれ」
「白狼天狗の戸籍登録は割りと後になってから普及しましたが、この地域は他よりも早い時期に住人の登録が行われていたみたいですね」
「椛を守るためにやったのかな? 生き残りがいたって分かれば探されるだろうし」

椛以外を皆殺しにした後、謀叛の知らせが誤認だったとわかった彼は当然この戸籍票を見ただろう。
討ち取った人数と戸籍に載っている人数を調べれば生き残りがいるかどうかすぐわかる。
その時わかったハズだ、幼い少女がまだ一人見つかっていないことに。

「椛のために戸籍をあそこに封印したのかも」

もし、生き残りがいると上層部に知られれば、山狩りでもなんでもして椛を見つけ、謀叛を企てた一家の娘として処罰することになっただろう。

「そう思いたいですが、今となってはもうわかりません」
「勢いで持ってきちゃったけど、どうしようこの紙」
「それははたて、貴女が考えなさい」

助言を期待していたはたてにとって、その言葉は少しショックだった。

「別に突き放しているワケじゃありませんよ。これを見つけたのは貴女の手柄です。これをどう使うかは貴女が決めるべきです」
「自分でもどう扱って良いか分からないから訊いてるのに」
「私が『椛さんに渡せ』と言えば渡しますか?」
「文がそういうんなら、きっと」
「椛さんはあの方を深く深く憎んでいました。あの方へ復讐するという執念だけで生涯の半分以上を過ごしました。そんな椛さんに『貴女が生きてるのはあの人のお陰かもしれませんよ?』と言って戸籍票を渡すつもりですか?」
「それは…」

はたてが言い淀む。

「あの御方の名誉の為に、『あの人はずっと椛に償いをしたかった』と事実かどうかもわからない報告をしますか?」
「…」
「それとも、椛さんを混乱させないために、こっそりこの紙を燃やしてしまいますか?」
「…」
「あるいは、国民の知る権利を守る正義のジャーナリストとして、何の脚色も歪曲もせずただ黙ってこの紙を渡しますか?」
「…」
「さあはたて。お望み通り選択肢を提示してあげましたよ? 好きなモノを選びなさい」
「わかんないよそんなの」

ぐったりと項垂れてしまった。
その姿を見て、文は自分が少々やり過ぎてしまったことを自覚した。

「ああ、ごめんなさい。別に貴女を追い詰めようと、困らせようと思って言ったわけじゃありません」

文は彼女の髪をクシャクシャと撫でた。

「そろそろ貴女も自身の言動と行動に責任を持っても良い時期です」
「責任?」
「本当の意味で独り立ちする頃合だということです。いつまでも周囲は貴女を子供扱いしてはくれませんよ」
(子供、かぁ)

子供という言葉が、なぜか心に引っ掛かった。

「そういうワケではたて。その紙をどうするか、貴女の考えに委ねます。私はそれを見守ることにします」
「…」
「では私はこれで、アポイントを取っている場所があるので」

踵を返しこの場を去ろうとする。

「ずっと考えてきた」

去り際の文の背にそう投げかけた。

「私なりに、どうしたら椛が報われるかずっと考えてた。でも考えれば考えるほど、今の私じゃ何も出来ないって思い知らされた」
「はたて」

去ろうとしていた文だが、浮いていた足を地に着け、俯くはたてのもとまで歩き、しゃがむ。

「仮に、本当に仮の話として、将来貴女が偉くなり天魔様のような地位に就いたとしましょう」
「うん」
「持てる権限を総動員して、椛さんを山の功労者と賞賛し、みんなの前で表彰し、莫大な報奨金と豪邸を与えれば、椛さんは報われますか? これまでの受難苦難を帳消しに出来る喜びを与えられますか?」
「それは、違うと思う」

椛を救うという意味では間違っていないが、正解ではない気がした。

「答えは必ずあると信じています。探して歩き続ければ、いつか辿り着けるはずです。だからかつての私のように、答えを焦り早合点だけはしないでください。碌な結果になりませんから」

自分の命と引換えに文は椛の恨みを解きほぐそうとした、その事を言っているのだとはたてはわかった。

「存分に考えなさい。考えた分だけ、ゴールに近づけます。時間をかけてゆっくり探していけば良いんです」

そう言って、今度こそ文は飛び去った。

「焦っちゃだめ、か」

未だ光明は見えない。しかし、少しだけ気持ちは楽になった。

「とにかく、まずは強くならないと……ん? 誰のだろうこのカラス? 手紙、私に?」

そんな時だった。大天狗からの招待状を預かったカラスが飛んできたのは。
そこに記された日時は、二日後の夕刻だった。
















守矢神社。
山道と鳥居を繋ぐ石段の上に二柱は腰をおろしていた。

「私は反対だ」
「聞き分けなさい諏訪子。私達に日取りを選んでいる余裕はない。明日を逃せば機会はずっと先になる」

博麗神社、命蓮寺、道教、その他の有象無象。信仰を得るための争いが日に日に激化する中、時間を無駄に出来ないと神奈子は諭す。

「それなら早苗も連れて行くべきだ」
「旧灼熱地獄に早苗を? それこそ早苗を殺すことになる」

ヤタガラスの力を与えた地獄鳥の最終調整。
それが二人が地底に赴く目的だった。
そのために地底の最深部まで行く必要があった。

「少し離れた所に待機させてれば良い」
「あの子の好奇心の強さを知ってるでしょう? 勝手に出歩いて誰かと接触したら面倒になる。地底における私達の評判は極低よ。ここの元支配者だった鬼も大勢いる」
「だからって、山に留守番させるのか? 保守派がこの隙を見逃すと思うか?」

無防備と分かれば即座に牙を剥くことを諏訪子は懸念していた。

「一日二日の辛抱よ。奴等が私達の不在に勘付く前に戻ってくれば良い。それに早苗の奇跡の力を信じなさい」
「また、早苗の命を的にしてよからぬ事を企んでないだろうな?」

早苗の扱いで何度も二人は衝突していた。
早苗の件で二人が和解した事は一度も無い。

「白状するわ諏訪子。私は早苗に万が一があったら、間違いなく同情するでしょうけど、余所で代わりを探せば済む話だと割り切っている」
「んなこったろうと思ったよクズ神が。お前が早苗を消耗品としてしか見てないことくらいとっくに気付いてたよ」
「しかし今は、幻想郷中の信仰を得るための戦いで最も重要な時期。もし今早苗に万が一があって、新しい風祝を用意し終えた頃には、我々が獲得できる信仰は残っていないでしょうね」
「だから早苗を危険に晒したくないのが本心だって?」
「そうよ。わかってくれるかしら?」
「良いだろう、その話。お前が信者を前で語るモノよりもよっぽど説得力がある」

神奈子は諏訪子にあまり知られたくない本心をあえて語ることで、信頼を得ることに成功した。

「しくじれば私達全員が等しくリスクを負う。一蓮托生よ」
「わかったよ神奈子。ここからは身内同士での腹の探り合いは無しだ」

二人は拳を合わせる。

「ただし、早苗をよ…」
「早苗を嫁入りできない体にしてしまったら、私のことは好きにしてくれて構わない」

言葉を先取りされてキョトンとする諏訪子。

「耳にタコが出来るくらい聞かされたんだ。いい加減覚えたわ」












守矢の二柱が結束を固めた頃、文ははたてに言った。『アポイントを取っている場所』に到着していた。

二人の鼻高天狗に両脇を固められ、山の片隅に存在する廃寺に通された。

「連れて参りました主」

広い講堂に一人の女性が正座していた。
身に着けている薄い藍色の着物に銀の髪飾りが、清楚な雰囲気を持つ彼女に良く似合う。

「ご苦労様。下がって構いません」
「しかしこの者と二人きりというのは…」
「構いません。下がりなさい」
「はっ」

文を残して、彼女の側近と思わしき二人は去っていった。

「そう硬くならず。どうぞ座ってください」

促され文は家主の正面に敷かれた座布団の上に正座する。

「まさかこの廃寺も保守派の拠点だったとは、気付きませんでした」
「ええ、近々こういう場所が必要でして、大急ぎで改修したんですよ」
(必要?)

文は部屋を見渡す。古ぼけた講堂だが、壁の所々から不自然に光沢のある金具が飛び出していた。

(あれはひょっとして…)

こういう構造の部屋には見覚えがあった。この部屋の正体に気付いた文は背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

「好奇心は猫を殺すと言いますが。鴉も例外ではありませんよ?」

はっとして、正面の女性に視線を戻す。
彼女こそが、天狗社会に仇なす者すべてを積極的に排斥しようとする集団、俗に言う『保守派』の首領であった。
過激な思想を持つ連中を取りまとめる猛者である。一瞬たりとも気を抜くことは許されない。

「なぜ呼び出されたか理解してますよね?」
「さあ? 皆目見当もつきません」

ワザとらしく惚けてみせて、相手の様子を窺う。
これで相手が激昂するようなら全身全霊を持って逃げ出すつもりでいた。

「最近、我々の同行を探っているみたいですね?」

しかし帰ってきた反応は穏やかなものだった。

「ありゃ、バレてました?」

相手に合わせ自分も穏やかな表情を顔に貼り付ける。

「私達と接触するためにワザとバレるような嗅ぎ回り方をしていたのではなくて?」
「なんと。そこまでお見通しでしたか」

引き続き、相手の出方を窺う。
文は不本意ながら守矢神社と関係を持ってしまっている。もし相手がそれに気付いているなら、ここで間違いなく始末される。相手の挙動には細心の注意を払った。

「我々のことを調べてどうするんです?」
「いつも通り、新聞のネタですよ。『これが謎のベールに包まれる保守派の全貌だ』っていう見出しの記事なら、間違いなく今年の1位を狙えます」
「本当にそれだけですか? 大天狗様から我々を探るよう指示を受けたのでは?」
「そうだったら色々と支援が受けられて良かったんですが、生憎と今回は私用で……あの、なにか?」

急に近づいてきて、彼女は文の匂いを嗅ぎ始めた。

「貴女から大天狗様の匂いがするからてっきり大天狗様の使いかと。残念です」
(分かるんでしょうか?)

先日、集落の大通りで偶然でくわし、その際、昼飯をご馳走になったが、もう何度も風呂に入っている。
カマを掛けられているようにも思えたが、呼吸の荒さと瞳孔全開の目が、彼女のそれを演技だと思わせてくれなかった。

「我々の全貌を知りたいのでしたら、どうぞ好きなだけお調べください。質問にもできるだけお答えしましょう」
「本当ですか?」
「ただし、一つ条件が」
「条件? はて? それは一体?」

だいたいどんな要求が来るかは予想できたが、続きを促す。

「ここだけの話。上層部の幹部定例会で、次期幹部候補の一人に貴女の名前が挙がるようになりましたよ。そろそろどこの派に組するか決めておいた方がよろしいかと」
「私も保守派に加われと?」
「貴女の目聡さと、情報収集力、天狗個人としての能力は他の幹部より高く評価しているつもりです」
「新聞の内容に口出しされるのはちょっと」
「私のところに籍だけを置いて、あとは好き勝手してても構いませんよ? 貴女と敵対しないだけでも大きな利益です」
「この場でお返事したいところですが、一生を左右する事。ちゃんと考えてお返事します」
「ええ。良い返事を期待していますわ」

愛想笑いを浮かべて文は立ち上がる。
足早に去りたい衝動を必死に押さえつけて、身の潔白を示すようにゆったりとした足取りで廊下を進んだ。






門を潜りしばらく歩く、周囲に監視の目がない事を入念に確認してから立ち止まると大きく息を吐いた。

「はぁ。生きた心地がしませんでしたねぇ…それにしても」

振り返り廃寺を見る。

(あの講堂。改造されてましたね。座敷牢に)

文が先ほどまで居た場所は、捕らえた者を軟禁するための部屋だった。
何らかの操作をすれば窓や戸に鉄格子が降りるよう設計されていると文は看破した。

(一瞬、私を閉じ込めるためかと肝を冷やしましたが、どうやら違うようですね)

――― 近々こういう場所が必要でして、大急ぎで改修したんですよ。
という彼女の発言を思い出す。

(ここには注意を払った方が良さそうです)

使役している鴉でここの監視で最適な固体を考えながら、文はそこから離れた。









大天狗の屋敷。

「合鍵を渡した覚えはないけど?」

自室で寛ぐ八坂神奈子を見下ろす。
はたて宛ての招待状を持たせた鴉を送り出し、そのまま散歩に出かけて帰って来てみたら、入り込まれていた。

「この部屋、機密書類がわんさかあるから無断で入られると困るんだけど」
「通りで。さっきから箪笥も戸棚も箱も、厳重な封が施されてるわけね?」
「見た?」
「見ようと思ったが出来なかったわ。うちの風祝や博麗の巫女でもこの結界は手こずるでしょうね」

焼け焦げた手の平を大天狗に向けて悪びれることなく笑った。

「それで何の用? 合コンの誘い以外は事前に連絡入れてから来いって言わなかった?」
「ちょっとばかし火急でね。明日から、私と諏訪子が数日神社を開けることになる。それを伝えに来たの」
「早苗っちは?」
「神社を無人にするわけにはいかないからね。留守番してて貰うわ」
「それはオススメしないわね」

天狗の中には守矢を排除しようと画策する勢力がある。

「保守派の連中のことかしら?」
「それを分かっていながら一人残してくって何考えてんの? 獣の群れのド真ん中に生肉置いてくようなものよ?」

保守派は常に神奈子と諏訪子を監視している。
地底に向かったとなれば、少なく見積もっても半日は帰ってこられない。
その間に、保守派が何もしてこない保証は無い。

「だからこうして、連絡する間も惜しんでやってきたのさ。早苗の事を頼みたくてね」
「引き受けると思う?」
「別に護衛をつけろとも、部下に通達しろとも言わない。ただお前さん一人で構わない。気にかけてやって置いて欲しい」
「じゃあ傍観に徹しちゃうけど?」
「それでも構わない。けれど早苗に万が一があればそれが諍いの火種になる。そうなるのは天魔も望んではいないでしょう?」
「チッ」

悔しいが事実だった。身内である天狗が早苗に手を出したとなっては、天狗の立場が幻想郷の中において一気に危うくなる。

「そうだとしても、それが誰かにモノを頼む態度とは思えないわね。『お願いします大天狗様。何卒、お聞き受けください』くらい言って貰わないと。ちゃんと手をついて」
「お願いします大天狗様。何卒、お聞き受けください」

言われ、神奈子は即実行した。

「あらまぁ」

これには大天狗も面くらう。

「四六時中ふんぞり返ってばかりの奴だと思ってたけど」
「傲慢さは己に絶大な自信を与え力を増倍させるが、時にそれが仇となる。いい加減学習したさ」

慣れない姿勢で肩が凝ったのか大袈裟に肩を回しながら立ち上がる。

「あぁそうそう。ロープウェイの件。考えてくれたかしら?」
「架空索道のこと? 最近、色んな幹部がその話してたけど、やっぱりアンタの差し金?」
「通行料はちゃんと払うわ。悪い話ではないでしょう。それに電気の利便性を幻想郷中に大々的にアピールできる格好のアイテムになる」
「電気? あんたちょっと何しようって…」
「内緒よ。楽しみにしてると良いわ」

立てた人差し指を口に当て、神奈子は妖艶に嗤い、襖を開ける。
廊下に出た神奈子を追うべく大天狗も自室を出るが、神奈子の姿はどこにもなかった。


















翌日。
白狼天狗。哨戒部隊詰所前。

「えいやっ!!」
「とりゃぁ!!」

椛の部隊は全員外に出て剣の修練を行っていた。威勢の良い声があちらこちらから聞こえる。
実践を想定した試合をする者、素振りと腕立てを我武者羅に繰り返す者、組み手に精を出す者、と各々真剣に取り組んでいた。

「隊長! 私に稽古つけてください稽古!」
「お前が稽古したいなんて珍しいな?」

隊員達を見て回っていた椛に、少女がそう願い出た。彼女は哨戒よりも詰所内の事務仕事に重きを置いているため、珍しい申し出だと思った。

「あん畜生どもが『お前なんて目を瞑ってでも勝てる』なんてぬかすんですよ!」

彼女が指差した先、手加減無しでお互いの木刀をぶつけ合い鍛錬に励む、青年の白狼天狗達がいた。

「あながち間違ってないんじゃないか?」
「隊長まで!?」
「腕力の差が圧倒的だからなぁ」

ほぼ内勤の彼女が、最前線で戦う彼らに勝てるとは到底思えなかった。

「私だって伊達に白狼天狗やってません! これでも入門してた道場じゃ目録の腕前なんですよ!」
「そうなのか?」
「その目は信じてませんね! いいでしょう! 私の太刀、ご覧に入れます!」

こうしてなし崩しに鍛錬に付き合うことになった。

「てい! やぁ! ッハァ!!」

部下である女性隊員の振るう木刀。それを椛は最小限の動きでかわす。

「突っ込みすぎだ」
「きゃっ」

椛は彼女の懐に飛び込むと、肩を強く押して転倒させた。

「剣の大振りと蹴りで相手を牽制して距離を詰めるって、顔に似合わずチンピラみたいな戦い方するんだな」
「『猪突猛進』が私の流派の理念だったもので」
「腕前は認めるが、あいつらに勝つのは諦めた方が良い」
「そんな…」
「その悔しさを覚えていれば、いつかは勝てる」
「私は今勝ちたいんです!」
「無理なものは無理だ」
「なんか無いですか!? 必殺技とか!?」
「あるわけないだろ」
「体格が私とそう変わらないんですから、ガタイの良い相手向けの技とかあるでしょう!?」

椛が屈強な隊員たちを軽く捻るのを何度も見ている彼女は、それを教わりたかった。

「まぁ、あるにはあるが」
「お願いします! 教えてください! この通りです!」

土下座までされては教える他なかった。

「突きは得意か?」
「大得意です。空中のハエを打落としたことだってあります」
「ゆっくり実践するから、真似をしろ」
「はい!」
「相手が剣を振り下ろしてきたら、背伸びする猫みたいに姿勢を低くしつつ、限界まで腕を伸ばし、剣先を相手の指にこう『チョン』と押し付ける。これで八割がた勝ちだ」
「エゲツないですね」

「すんません隊長!!」

隊員の一人が血相を変えて走ってきた。

「どうした?」
「打ち合ってたら頭に良いのが入ったみたいで」

彼が向いた方向を見ると、手拭で頭に押さえる青年がいた。座り込む彼の足元には血痕がいくつもあった。
椛は負傷した彼のもとまで駆け寄り、傷の具合を確認する。

「またお前か?」
「面目ないです」

怪我をしたのは、いつも椛に剣の指南という名目で決闘を挑んでくる、剣豪を目指す青年であった。

「目は霞むか?」
「大丈夫です。多分、ちょっと切れてるだけだと思います」
「鍛錬に熱心なのは良いことだが、度を過ぎれば逆効果だぞ?」
「気をつけます」
「この傷は縫ってもらった方が良い。診療所まで歩けるか?」
「問題ありません」
「あ、私も付き添います」

椛達は近くの診療所へ向かった。





詰所から最も近い診療所。
診察の結果、額を切っただけで、脳には異常は無いとのことだった。
女性隊員に彼の付き添いを任せて、椛は診療所の外の木陰で待つことにした。

(相変わらずボロいなこの診療所は)

この診療所が妖怪の山で最も古いことを知っているのは椛を含めごく僅かだった。

(ここにはあまり、良い思い出がないな)

ここに来ると、過去の出来事が、嫌でも思い起こされた。



――――――――――――――――――――――――――――――――


月明かりもろくにない、不気味な薄暗さが山全体を覆っていた。

「医者はいますか!!」

深夜。息を切らせて椛は診療所へ飛び込んだ。
診察の時間は終わっていたが、幸い医者はまだ起きていた。

「どうした?」
「かなりの深手なんです。早く止血しないと!」

椛の背後には、道着を自らの血で染めた白狼天狗の少年と、そんな彼に肩を貸す白狼天狗の少女がいた。
椛達三人は大天狗から、妖怪の山を根城にする賊の棟梁を始末するように命じられており、任務は果たせたものの、仲間の一人が重傷を負わされた。

「奥に診療台がある、急げ」
「ありがとうございます」
「ありがとな先生!」

良かったと安堵する椛達。しかしそこへ、

「邪魔だどけ」

突然入ってきたと思ったら、椛を肩で突き飛ばし、医者に詰め寄る者が居た。

「倅(せがれ)が一大事だ。すぐに手当てしろ」

椛を押したのは鼻高天狗の中年の男だった。男の傍らには腕を押さえる青年の姿があった。痛そうに顔をしかめていたが、出血はしてないようだった。
夜中に馬に乗って仲間達と鹿狩りを楽しんでいる最中に誤って馬から落ちてしまい、枝で腕を負傷したらしいと中年は早口で説明し、気の毒な倅を早く癒せと捲くし立てた。

「ちょいと待っとくれよ!」
「ぬ?」

血まみれの少年に肩を貸す少女が声を荒げる。

「私らが先なんでさぁ! 順番は守っておくんなまし天狗様!」
「なんだと?」
「お願いします。死に掛けてるんです! 早く縫わないと!」

ぶっきらぼうな言葉使いの先輩天狗にキモを冷やしつつ、自身も順番を譲って貰うよう頼み込む。

「黙れ! 丈夫さだけが取り得なのが貴様らだろうが! 他を当たれ! こっちは一大事ぞ! 我が跡取りの腕が一生使い物にならなんだら、貴様等全員の首でも釣り合わんぞ!!」
「なにとぞお慈悲を!」

小さな診療所のため、医者は一人しかいない。刻一刻を争う状況で、他を探すなど論外だった。

「おい医者。普段の倍、いや三倍の治療費を払おう。我輩を先に診ろ」

必死の頼み込みも虚しく、結局三人は診療所を追い出された。






「くそっ、ここも駄目か」

休診中、と書かれた看板を殴る椛。
ようやく辿り着いた別の診療所だったが、時間が時間のため、中は無人だった。
椛は歯噛みして先輩と負傷者が待つ木の陰に戻った。

「どうだった?」

先輩からの問いに、椛は静かに首を振る。

「そうか」
「医者は、まだ、か? 寒い…」

木に寄りかかる負傷した白狼天狗の少年。道着の前側はほとんどが赤色だった。
血を流しすぎたせいで意識は朦朧とし、視力はすでに失われていた。

「もう大丈夫だからな。今、お前を手当てする準備を大急ぎでしてしてもらっている」

少年の手を握り、先輩は優しく語りかけた。

「今回の仕事でたんまり報酬が入ったからな。何に使うかじっくり考えてろ」
「な…なぁ…?」
「話ならあとでじっくり聞いてやる。今は安静にして…」
「お、俺、こないだ、元服ぃた、んだ」
「ああ。知ってるよ。一人前の男として認められる年んなったって散々喜んでたもんな」
「お前は、好いてる男はいるのか?」
「なんだい薮から棒に?」
「俺、じゃ。駄、めか?」
「ひょっとして、私なんかと所帯持ちたいのか?」

彼は血の泡を吐いた。そして力強く『そうだ』と言った。

「お前も物好きな奴だな。私のどこに惚れたんだか」
「傍にいたい…そ、ぅ感じ、た、んダ。それじゃ、駄目、か?」
「いいや。十分さ。こんな不束者で良いいんなら。いくらでも貰ってくれ」
「良、かっ………た」

これ以降二度と、彼が動くことも喋ることもなかった。

「あははは。椛。私、結婚した瞬間に未亡人になっちまったよ。まいったねこりゃ」

先輩は困ったように笑いつつ、彼の衣服に手を忍び込ませる。

「死んじまったんだから、もういらないよな?」

懐から血が付いた巾着袋を抜き取る。逆さに振ると、質の悪い金属で出来た小銭が4枚出てきた。

「これと交換しとくれ」

髪を一箇所に纏めるために使っていた細い紐を解くと、巾着袋の中に入れて懐に戻した。

「そんなことしなくても良いじゃないですか。勿体無い」
「良いんだよ。私達は追い剥ぎじゃない」

少年の亡骸、その襟を椛は掴み、担いだ。

「そんなことより、早くこいつを樹海に捨てにいきましょう」

任務で死んだ仲間は樹海で処理するように指示されていた。
戦死者が出ない任務など皆無なため、椛はこの手の処理はもう小慣れたものだった。

「捨てるじゃない。埋めるだ。そんなこと言う奴は死んだ時、埋めてやんねーぞ?」
「別に私は野晒しのままで構いませんよ」
「アホな事言ってんじゃねぇよ」

椛の頭を、先輩は優しく小突いた。




――――――――――――――――――――――――――――――――






「犬走。オイ犬走」
「え? あ、ああ」

掛けられた声によって現実に引き戻された。
声を掛けてきたのは、先日、椛と殺しあった保守派に属する、巨躯の白狼天狗だった。

「どうした? 呆けていたようだが具合が悪いのか?」
「御気になさらず。私は付き添いです。どこも不調はありません」
「そうか」
「貴方は?」
「崖から落ちて骨があちらこちらイカれたからな。主から言われ、定期的に通い診てもらっている」
「謝りませんよ?」
「無論だ。仕掛けたのは俺。お前はそれを返り討ちにしたに過ぎない」

男は椛を恨んではいなかった。むしろ迷惑をかけたという申し訳なさを抱いていた。

「具合の方は?」
「いたって健康だ。腹の傷ももう塞がり跡形もない」
「けっこう深く、広く抉りましたよ?」
「俺は丈夫さだけが取柄だ」
(丈夫さだけが取柄、か)

先ほどの回想で、鼻高天狗から言われた事を思い出してしまった。

「骨も、臓腑ももう問題ない。医者にかかるのも今日で最後にするつもりだ」
「やめちゃうんですか?」
「む?」

椛は立ち上がり、男の腹の位置に額をつけ、体を預けていた。

「医者に通えるなら、何度でも通うべきです」
「あ、ああ。そ、そうかもしれないな」

弱々しさと儚さ。今の椛を端的に表すとそれがぴったりだった。

(こいつは本当にあの犬走椛か?)

普段とあまりにかけ離れた雰囲気に戸惑う。
目の前にいるのは武人然とした白狼天狗の戦士ではなく、自身の身を案じるか弱い少女だった。
先日の死闘から、少なからず椛の事を意識していた男が、このような姿を見てしまったらどうなるか。

――抱きしめたい

そんな衝動に駆られた。
細い体を両腕で包み込み、安心させたい、体温を感じたい。そんな男としての本能が鎌首もたげてくる。

(待て、落ち着け)

理性と遠慮が働き、寸でのところで腕が止まる。椛の肩の真上で、男の腕は行ったり来たりを繰り返す。

(ここで腹を括らねば、いつ括る)

そしてとうとう意を決した。ぎこちなかった腕の動きが、徐々に滑らかになっていく。
しかし、椛の肩に触れる寸前で、腕は止まった。

(それ以上動かないでください)

耳元でそう囁かれた。
椛の隊の少女が男の首筋に木刀を押し付け、頭に包帯を巻いた青年が、男の指を掴んでいた。

(ウチの隊長に手を出したら、折ります)

確かな殺意がそこにはあった。







「あっ、すみません。私、何てことを」

我に返った椛は、自身がしていることに対して赤面し体を引いた。

「なんですかその姿勢? まるで一本締めするみたいな?」

不自然な格好で固まる彼に怪訝な顔を向ける。

「背骨の歪みを矯正するのには、この姿勢が良いと医者が言っていてな」
「へぇそれは知りませんでした」
「隊長ー! 包帯巻いてもらえたんで帰りましょう!」
「では、私達はこれで。お大事にしてください」
「そちらも達者でな」

会釈をして、部下達と共に診療所を出発する。
まだ日は高く、正午を過ぎたばかりのようだ。

「どこかで食べてから戻りましょうよ隊長」
「そうだな」
「ゴチになります!」
「並以上を頼んだら承知しないからな」

部下の二人と定食屋で昼食を取り、詰所へ向かう。
詰所に続く道の途中、ふと視界の端に、かつて樹海だったダムの壁が見えた。

「すまない。用事を思い出した。先に戻っていてくれ」

部下を先に帰らせると、椛の足はダムの傍にある慰霊碑に向かっていた。
今日は報告の日ではないが、どうしても来たかった。














ダム。慰霊碑前。

「こないだ夢を見ました。貴女が生きてたらという『もしも』の世界の夢です」

一人、慰霊碑の前で近況を語った後、椛はそう切り出した。

「夢の中の貴女は職場の同僚と結婚して、寿除隊し家庭を持っているんです。子供は二人、二人とも男で次生まれてくる子は女の子が良いと、遊びに来た私に語るんです」

その夢には友達の二人も出ていた。

「先輩の人柄に文さんとはたてさんも惹かれてて、その二人もしょっちゅう差し入れ持って遊びに来るんです」

文とはたてが子供たちと遊んでいる間、椛は彼女に日頃の愚痴を延々と語り、それを最後まで聞いてくれた後、あの頃のように椛を励ましてくれる。そんな夢だった。

「女々しい奴です私は、貴女と別れたのは遥か昔だというのに、心のどこかでまだ貴女に依存している」

最後に手を合わせて黙祷を捧げてから立ち上がる。

(貴女の年齢などとうの昔に超えたというのに、まだまだずっと貴女の方が大人に見える)

そんなことを考えつつ遠くを見つめる。

「ん?」

山をぐるりと見渡したその眼に、知り合いが二人、偶然映った。始めて見る、珍しい組み合わせだった。











二柱から神社の留守を任された東風谷早苗は眼鏡をかけた白狼天狗の少女と共に山道を歩いていた。

「このあたりはウルシが多く群生しておりますゆえ、ご注意を」
「そうなんですか?」

山の各所に設置してある分社の見回りの最中に声を掛けられた。聞けば、大天狗からの命令で早苗に付き添うよう仰せ付かったという。
断ろうと思ったが、天狗からの厚意を無碍にするわけにもいかず、巡回に付き合ってもらうことにした。

「あれはヌルデ、こっちはヤマハゼ。ヤハマゼは毒が強いので覚えておいた方が良いかと」
「へぇ、いつも通っていましたが全然気付きませんでした。気をつけますね」
「そして早苗殿が今まさに寄りかかろうとしている木から生えているのがツタウルシ。毒はウルシの中でも最強です」
「わわっ! そうだったんですか!?」

慌てて木から離れる早苗を見て、彼女はクスリと笑う。

「そんなにオカシしな動きでした?」
「あ、いえ。気を悪くしたのなら謝ります。ただ、神事の時に拝見させている御姿とは随分と違うもので」

守矢神社の神事の時の早苗は、威厳と風格、自信に満ち溢れていたが、今はハイキングを楽しむ女学生にしか見えず。
その差を彼女は面白く感じた。

「姉者ー」

遠くから声がして、そちらの方を向く。

「こっちだ姉者ー」

山道を外れ、声を頼りに進んでいくと、こちらに向け手を振る双子を発見した。

「あいつ等、なんて格好を…」

小さな滝があり、そこで双子の少女は一糸纏わぬ姿で水浴びをしていた。

「お前達、そろそろ恥じらいを覚えろ」

特に隠そうとしない妹たちを姉が叱る。

「この場所は他よりも低く木々に囲まれているので、外からは見えませぬ」
「倭ぁ等だけの穴場です」

早苗は周囲を見渡す。
確かに彼女らの言う通り、窪んだ地形に生い茂る木々が遮蔽物となり、外部からの視界を遮断していた。

「冷たくはないか?」

太ももの位置まで川の水に浸かる妹に尋ねた。

「先ほどまで走りこみをしておりましたので、この脚には良い塩梅です。姉者もどうですか?」
「今は早苗殿のお付の身だ。遊んでいる暇はない」
「まぁまぁ。ここまでずっと歩き詰めでしたし、ココで少し休憩していきましょう………くふふふ、眼福です眼福」
「早苗殿?」

目が先ほどまでとは明らかに違う輝きを放つ早苗。
双子の身体に舐めるようなねちっこい視線を送る。

「早苗様はいかがですか? 脚を入れるだけでも気持ちが良いですよ」
「ふふふ。そうですねぇ。御言葉に甘えちゃいましょうかねぇ。なんなら私も生まれたままの格好に…」

垂れるよだれをぬぐいつつ、ブーツと靴下を脱ぎ、スカートのホックに手を掛けたその時だった。

「か、っぁ、ひゅ」

早苗は背後から忍び寄った何者かに裸締めを掛けられた。首に回された腕が、脳に流れるはずだった血液の一切を遮断する。

「…」

五秒。早苗の意識が完全に墜ちるのはそれだけあれば十分だった。
眠ったように穏やかな表情で気絶する早苗の体をゆっくりと横たえた首絞めの張本人である椛を、姉妹は敵意を顕わにして睨みつける。

「なんのつも…」

少女が口を開いた瞬間、椛は地面を強く蹴り、彼女が反応するよりも早く間合い詰め、間髪入れずに裏拳で顎を叩いた。
眼鏡が直接触れたわけでもないのに遠くまで転がる。

「貴様、何が目的だ」
「早苗様をどうするつもりだ?」
「早苗さんをどうにかしようとしているのは貴女達のほうでしょう?」
「倭ぁ達が早苗様を? 何を言っている?」
「足に結んである匕首が見えてますよ? もっと上手く隠してください」
「「ッ!?」」

言われ、二人は自分の足元を見る。二人の足首にはそれぞれ、抜き身のままの刃物が結び付けられていた。

「私達も昔、その方法で何人か始末したことがありますから。色欲のお盛んな奴はこれであっさり油断してくれたから重宝しましたよ。水に足が取られて、相手はすぐに逃げられないという利点も大きかったです」

気絶し、倒れている長女の襟を掴んでお越し、その首に腕を回す。

「質問します。これに正直に答えればお姉さんは無事にお返ししますし、上にも報告しません。早苗さんには『疲労で倒れた』と上手く誤魔化しておきます」
「「…」」

二人は黙ったままお互いに目配せし、まったく同じ間で頷いた。

「わかりました。犬走殿、降参です。いかようにもお尋ねください」
「貴女方は、保守派に組みするものですね?」
「左様。学園に通いつつ、保守派の支部で訓練を日々詰んでおる」

出会った時、何となくそうなんじゃないかと予感していた。
その予感は外れて欲しいと、心の底から願っていた。

「早苗さんをどうするつもりでした?」
「脅して主様の所へ連れて行くつもりだった」
「連れて行ってからは?」
「倭ぁ達は攫って来いとだけ賜った。それ以上のことは知らん」
「そうですか、わかり…」

突然。腹部に鈍い痛みと、強烈な嘔吐感が椛を襲った。
腕の中にいた長女の肘鉄が椛の脇腹にめり込んでいた。幼子なれど保守派のもとで特別な訓練をいくつも詰んで鍛えられた者が放った技である。椛をひるませるには十分な威力だった。

「やるぞお前たち!!」
「「応っ!!」」

長女の号令で双子が足首の匕首を抜いた。
椛は目の前の長女の胸に手加減無しの掌底を打ち込む。今度こそ間違いなく意識を刈り取った。

「武器を捨てなさい。今度こそ本当に姉が死にますよ?」

気絶した長女の首根っこを掴み川の中に入れる。双子が武装を解くまで引上げる気はなかった。姉妹の情に期待した。
しかし椛の期待は悲しくも外れ、双子は匕首を手に川の中を駆け出した。

(くそっ)

双子を仕留めるのは容易かった。一人は陸に上がる直前に鳩尾を蹴飛ばして悶絶させ、陸にあがれたもう片方は、匕首を取り上げた後、頭突きを見舞い脳震盪に至らしめた。
鳩尾を蹴られて悶絶する最後の一人にそっと近づき頚動脈を絞めれば、そこに立っているのは椛だけとなった。









早苗と白狼天狗の姉妹を見る。全員、当分目を覚ましそうにない。

「何をやっているんだ私は?」

椛の胸に、突然虚しさがこみ上げてきた。

「ついこの間、元同僚と斬り合ったかと思えば、今度は年端もいかぬ後輩たちを一方的に暴行か?」

自分のしている事に、深い疑問が生まれた瞬間だった。

「私達の敵は守矢と、白狼天狗を蔑ろにする連中だろう? なんで同胞同士殺しあわなければならない?」

勝利の喜びなど何処にも無い。否、こんなもの勝ちですらなかった。

「なんで私達がこんな目に合わなければならない」

恨みの声は、少しずつ、嗚咽が混ざりはじめる。
何度も経験したはずなのに、今回ばかりは我慢できなかった。

「もういい加減ウンザリだ」

両膝をつき、その場でボロボロと涙をこぼし始めた。
今は泣いている場合じゃないと、頭ではわかっていても、感情を抑えることが出来なかった。

「いつもそうだ。憎くも無い相手と殺しあって、自分には一文の得にならない権力争いに巻き込まれて」

山の覇権を握るための血みどろの抗争、それが終わった後の束の間の平和、そして再び始まる権力者同士の抗争。
その繰り返しがこの山の歴史だった。そんな思い出が、椛の記憶の大部分を占めていた。

「昔、跡目争いでアレだけ殺し合わせておいて、今度は守矢を潰す為の捨て駒か? 何回同じことを繰り返す」

気絶する姉妹たちを見る。

「私達は一体なんの為に戦っているんだ?」

誰も答えてはくれなかった。





















その後、椛は早苗を自分の部隊の隊員に預け、気がつくまで詰所で保護するように指示した。
預ける際『日頃の疲れが溜まって眠ってしまった』と取り繕っておいた。早苗本人も、突然背後から絞め落とされた為、前後の記憶が曖昧になっているからそれで誤魔化せると思った。

「問題は」

自宅へ連れ帰り、柱に括りつけた三姉妹を見る。

「私達をどうするつもりだ?」
「それを今考えている」

彼女らの処遇を椛は決めかねていた。
このまま大天狗に早苗誘拐を企てた者として即突き出せばそれで終わる話なのだが、そうする気にはなれなかった。

(大天狗様、頭に血が昇ると子供でも手加減しないからなぁ)

事が事だけに、大天狗もこの件には重きを置くだろう。

(最悪、首が飛ぶ。未遂で終わったといえ、東風谷早苗誘拐の実行犯だ)

ベニア板の上に頭だけ並ぶ姉妹。
その想像が、幼い頃に見た家族の最期の姿と重なり。慌てて首を振った。

(とりあえず夕飯にしよう)

日も大分傾き、軽い空腹感を感じた椛は夕飯の支度にかかる。

(干した魚がまだあったはず)

にとりからお裾分けして貰った干物と山菜を煮た鍋を作る。
どちらも軽く火を通すだけで完了のため、すぐに準備が終わった。

(よし、食べるか)
「…」
「…」
「…」

三人の瞳が注がれているのが嫌でもわかった。

(食べづらい)

明日用にと取っておいた残りの干物も、軽く火を通して塩を振る。

「ほら」

全員の口に轡として噛ませていた布を取ってやり、一人に一枚ずつ干物を差し出した。

「くれるのか?」
「すぐに食べきってください。少しでも外に助けを求める素振りを見せれば、即刻取り上げますからね」

椛からの魚を咥えて受取ると、落とさないように器用に頭から尾までを食べきった。

「旨かった。感謝する。最後の晩餐がこれなら悪くない」

長女が礼を言ってきた。

「これから自分達がどうなるかちゃんと理解できてるんですね」
「任務失敗は死と同義だ」
「にしてはえらく落ち着いていますね」
「死ぬのは怖くない。もとより拾って貰った命だ。それよりも今は、主様の期待に応えられなかった申し訳無さで、胸が一杯だ」

左右の双子を見る。俯くその表情は、任務失敗による罪悪感とも、死への恐怖とも取れた。

「姉妹一緒に過ごす最後の夜になるのかもしれませんが、会話は控えてもらいます」

椛は再び、姉妹全員の口に捻った布を巻いて轡した。

「今から朝になるまでその轡は絶対に取りませんし、仕草で厠に行きたいだとか、腹が痛いといった病気を訴えてきても、一切聞き入れませんから。いいですね?」

そう警告してから、余っていた布団を全員にかかるように敷く。
その後、椛は普段の哨戒で使用する武器や道具の手入れを始める。

「?」

作業の最中、ギシギシと柱が軋む音がして、姉妹の方をふと見る。

(なんだ。やっぱり怖いんじゃないか)

彼女らの体は、小刻みに震えていた。
それを確認して椛は作業を再開させた。








やや欠けた月が妖しい光を放つ丑三つ時。
囲炉裏の小さな火が、部屋の中を明るく照らす。

「ふぅ」

道具の手入れがひと段落つき、凝り固まった肩を上下させる。
子供たちは全員、いつの間にか眠っていた。近づき、三人の表情を順番に見て回る。

「こうして見る…」
≪こうして見ると、普通の子供だね≫

声がした自分のすぐ真横を見る。幼い容姿の童が、柱に縛られ眠る姉妹を覗き込んでいた。
童は姉妹よりもはるかに小さい。

≪なんでこの子達の邪魔をしたの? 放っておけば、この子達が敵を始末してくれたかもしれないんだよ?≫

それは幼い頃の自分だった。

「早苗さんは敵じゃない」
≪敵だよ? 守矢の手先。私達白狼天狗を冒涜した連中の一味。どうして助けたりなんかしたの?≫
「敵だからといって、保守派の行動は看過できない。守矢との関係が下手に拗れれば、山が乱れる」
≪じゃあ今回はそうならなくて良かったね。明日、大天狗様にこの子たちを届けて一件落着≫
「それなんですがね」
≪?≫
「彼女達は明日、保守派の連中に返そう思います」
≪どうしてこの子達を大天狗様に突き出さないの? そうすれば保守派はしばらく大人しくなる。山が少しだけ平和になる≫
「彼女達の命と引換えに、ですか?」
≪それにどこが不都合なの? アカの他人のこの子達がどうなろうと、私達には関係ない≫

幼い自分は腑に落ちない顔を向ける。

「私だって、数刻前はそういう考えでした」
≪じゃあなんで?≫
「見たくないと思ったんです。年端もいかぬ子が、何が正しいのか間違っているのかも碌にわからないまま、ただ命じられるがままに戦わされて命を落とすのが」
≪昔の自分と重ね合わせて、同情しちゃったの?≫
「かもしれません」
≪今まで散々仲間を見捨ててきたクセに? これくらいの子だって飽きるくらい見捨ててきたのになんで今更?≫
「しょうがないじゃないですか。思ってしまったんですから」
≪隊長なんてやってるせいで、自分が真っ当な白狼天狗に戻れたと勘違いしちゃってるの?≫
「…」

否定したいのに、反論の言葉が出てこなかった。

≪この子達を保守派に返したその後、誘拐を邪魔をした貴女を保守派は許さない。返した瞬間殺されちゃうよ?≫

きっとそうなる。否、そういう展開にならない方がおかしい。
この子達を返すということは、自分の身を危険にさらすということである。

≪貴女が今日まで生きて来られたのはどうして? 与えられた仕事だけをこなし、他は一切関わろうとしなかったからでしょ? 間違ってるよそんな生き方≫
「間違っていますか私は?」
≪何をしてでも生き延びるという自分の生き方から、大きく外れようとしている。異常だよこんなの≫
「異常なのは分別のつかない子供や身分の低い者を利用して勢力を拡げようとしてる連中の方でしょう。自分は一切傷付かず、弱い者に全ての危険を押し付け、利益を貪る」
≪それが弱肉強食だと、自然の摂理だと受け入れて今日までやって来たんじゃない≫
「私だっていつまでも獣や畜生のままでいるつもりはありません。こんなのもうウンザリです」
≪死んじゃうくらいなら、私は獣のままで良い。この件に関わってしまった事はしょうがない。だって山の平和を守るのが貴女の仕事だから。でも、この子達を返すのには賛成できない≫
「三人です」
≪何の話?≫
「先輩、文さん、はたてさん。こんなどうしようもない私を助けるために命を賭けてくれた方たちの数です」
≪だから?≫
「誰一人救おうとしなかった私を、三人もの仲間が救ってくれたんですよ? 今ここで、目の前にある三つの命を見捨てたら、一生その三人に顔向けできません」
≪別に気にしなくても良い。私が怖いのは死だけ。今更後悔が増えたところでなんともない≫
「死なないことばかりに気を取られていたあの頃の私は、結局何一つ成し遂げられなかったじゃないですか」
≪あの頃の自分を否定するの?≫
「そうじゃありません。もういい加減、新しい一歩を踏み出すべきだと言っているんです。文さんとはたてさんの横に、並ぶためにも」
≪…≫

少女はしばらく考え込んだ。そして顔を上げた。

≪わかった≫
「ありがとうございます」
≪でもこれだけは覚えておいて≫
「?」
≪貴女はあの先輩のようにはなれないし、山は貴女を愛さない≫

そして幼い自分の幻影は消えた。
静寂だけが部屋に残った。











「ん、あ?」

幼い自分が消えた次の瞬間、気付けば椛は床に突っ伏していた。

「…夢か?」

どうやら道具の手入れの途中で眠ってしまったらしい。
東の空が紅く染まっている。まだ早朝のようだ。

「先輩のように、か」

夢の中で、最後に彼女が言った言葉を思い出す。
椛の脳裏にふと、かつて慕っていた先輩天狗の姿が浮かぶ。
命に代えて自分を守ってくれた、この世で最も尊敬する人物。

「わかってるさ。あの人のようになれないことも、愛されてないことも」

今日はなんとなく、新しい一歩を踏み出せる気だけはした。













山道。

「多少痛いかもしれませんが、我慢してください」

ロープが結ばれた扇形のシート。ソリのように扱うことで一人でも丸太を運ぶことが出来るという河童のアイデア商品。
そのシートに椛は簀巻きにした三姉妹を乗せ山道を進んでいた。

「私達を返すなど正気か?」
「貴女方は手間隙掛けて育てた兵隊です。悪いようにはしないでしょう」
「自分の心配をしているのではない。私達を送り届けた後、我らの仲間が犬走殿を見逃すハズなかろう」
「それで構いません。保守派の連中には、言いたい事が山ほどありますから」

姉妹の上には毛布が掛けてあるため、傍から見れば荷物を運んでいるようにしか見えない。
縛った子供三人を歩かせている所を見られたら都合が悪いのは椛の方であるため、このような方法で移動している。
滝で気絶させた彼女らを家まで運んだのもこのシートだ。

「楽チンだ」
「楽しいですね姉者」
「今度、河童のところへ行き、このシートを買おう」
「あの屋敷で間違いないですね?」

千里先を見通せる椛の目が、小山一つ超えた先に佇む廃寺を捉える。

「そう。あそこに今日の昼までに東風谷早苗を連れて行く手はずになっていた」
「ということは、まだ貴女達が失敗したことを向こうは知らないわけですね」

到着は、まだ少し先になりそうだった。







三人を引きずり、飛ばずに行くとなると、結構な時間がかかる。
無言でいるのに飽きた椛は、その道中で姉妹に話しかけた。

「貴女達は姉妹ですよね?」
「何故そんなことを聞く?」

眼鏡の長女が返事をする。

「双子と、貴女の髪質が妙に異なっているのが気になったもので」

双子は長くて固く、姉はウェーブ掛かっていて枝毛が多い。
いくら両親のどちらかに似るとはいっても、ここまでハッキリと分かれるのは稀だった。
こういう場合、相場は決まっている。

「そうだ。私とこの二人に血の直接の繋がりは無い」
「「姉者」」
「孤児だったところを主様とやらに拾われたと?」
「私は生まれつき目が悪ぅかったからな。物心つく頃に両親から見切りをつけられた。そしてこの二人は双子だと縁起が悪いという迷信を信じた愚かな親によって捨てられた」
「親は違えど倭ぁらは家族じゃ。そこは譲れん」
「何も貴女達の関係を否定するものじゃありませんよ。家族なら大事にしてください。任務と命なら命を取ってください」

昨日、姉妹を人質にとっても躊躇わず攻撃してきたことを咎めた。

「それは出来ん。主様に拾ってもらった命。主様の為に使おうと我ら心に決めておる」
「敵もろとも刺し殺すことになっても、恨みっこなしだと誓い合った」
「姉妹だからこそ出来ることだ」
「今時、大した忠誠心ですね」

やっと廃寺の前まで辿り着く。

「どーして貴方がいるんですかね?」
「犬走?」

門の前には、昨日診療所で会ったばかりの男の白狼天狗がいた。

「貴方がいるということは、やはりここは保守派の拠点で間違いないですね」
「その荷はなんだ?」
「お届けものです」

毛布を捲り、対面させてやる。

「そうか。失敗したか」
「私がいなきゃ十中八九成功してましたよ」
「だろうな。この姉妹は下手な哨戒天狗より優秀だ」
「貴方も首謀者の一人ですか?」
「いや、計画を知らされたのはつい先程だ」

朝、呼び出しを受けて訪ねると、計画の全貌と、ここの番兵をするよう仰せ付かったと彼は説明した。
この件は保守派の首領が極秘に極秘を重ねて進めていた計画のため、まだ保守派の幹部にすら知らせていないらしい。

「つまりこの件を知っているのは保守派の主と貴方達だけというわけですね」
「大天狗様にこの事は?」
「話してませんよ。首と胴体が繋がっているのがその証拠です」

話していたなら今頃、刎ねられた彼女らの首と警告文を届けさせられている。

「東風谷早苗本人も攫われそうになったとは思っていないハズです」
「恩に着る」

男は上半身が地面と平行になる角度まで頭を下げた。

「私がここまで気を配ってやったんです。任務失敗により制裁なんて時代錯誤なことしないでくださいよ?」
「そんな事は俺が許さん」
「頼りにしていますよ本当に」

シートに繋がるロープを男に渡した。

「で、任務を邪魔した私はどうなります? 帰っていいんですか?」
「それは出来ない。俺はお前を拘束しなければならない。恩を仇で返し、本当にすまない」
「いちいち頭を下げなくていいですから。さっさと連行してください」

男は廃寺の奥にいる首領に報告するために、いったん中に入っていった。
その間に、縄を解かれた姉妹が椛を拘束する。

「イマイチ貴女が何をしたいのかわからん」
「おしゃべりする暇があったら縄の結びを確認しなさい。私は貴女達の敵なんですよ?」

長女が椛を縛り、双子が椛の体を入念に調べる。

「すごいなぁ。あっちこっちから刃物が出てきよる」
「おぉ、ここからも」

袖や懐から想像を超える数の武器が出てきて驚嘆の声を繰り返す。

「下駄底の中にも隠してあります」
「本当だ。引き戸みたいに開くようになってる」
「胴着の背中から針金みたいなのが出てきたがこれも武器か?」
「目に入ればなんだって凶器になりますよ」

数分後に男が戻ってきた。

「これみんなお前が隠し持っていたものか?」

ゴザの上に並べられた凶器を見て彼は目を丸くする。

「露天商でもこんなに置いてないぞ?」
「コツを掴めば結構隠せるものですよ? 教えましょうか?」
「いらん。それよりも主がお待ちだ」

男が縄を引っ張った。

「おっと」

段差に躓き、椛は倒れた。

「他よりも馬鹿力なんですから加減してくださいよ」
「ああ、すまん」

この時椛は、地面の上の小指の先程の大きさの石をこっそり呑み込んだ。

それに気付く者はいなかった。木の上から彼女らを食い入るように見つめる、毛並みの良い一匹のカラス以外は。


















廃寺の中に講堂。
そこで待っていた保守派の首領の前に椛は引っ立てられた。

「こうして面と向かうのは、大昔、大天狗様の組合にいた頃以来ですかね?」

先に口を開いたのは椛だった。

「それくらいですね。といっても、私は大天狗様の右腕、貴女は鉄砲玉でしたけど」

皮肉たっぷりに返しながら、手を合わせると、椛を拘束する縄が切れて落ちた。

「良いんですか解いてしまって?」
「解いた所で貴女が私に何かできますか?」
「出来ませんね残念ながら」

自由になった手足を軽く動かしながら用意された座布団の上に座る。

「どうでしたか、私の育てた尖兵は?」
「仲間を人質に取られても躊躇わず、任務のためなら羞恥心を簡単に捨てられる。反吐が出ます」
「昔の自分を見ているようだから?」
「…フッ」
「なにか?」
「いえ、別に」

夢の中で同じような事を言われたのを思い出し、ワケもなく噴出しそうになった。

「それで、貴女がココへ来た目的はなんですか?」
「用向きならあの男から聞いたでしょう。あの子達を返しに来たんですよ」
「嘘おっしゃい。他の白狼ならいざ知らず。貴女が己の身を危険にさらしてまで助けるとは到底思えません。裏があると考えて当然でしょう」
「本当に何もないんです。あの三人が処刑されるのは、いささか気の毒な気がして、魔が差したのでしょう」

彼女は椛をじっと見つめる。椛の表情と挙動から真言かを見極める。
長考し、椛に偽りがないと悟ったのだろう。驚嘆し、目を大きく見開いた。
そして表情を険しくさせた。

「ひょっとして、隊長に昇格して真っ当な白狼天狗になれたと思ってるんですか?」
「思っちゃいけませんか?」

これも夢の中で言われていた。事前に言われていたお陰でさほど精神的なダメージは受けなかった。

「駄目に決まっているでしょう。あれだけ畜生以下の事をしてきた貴女ですよ? 今さら善人面する気ですか?」
「私の生き方をとやかく言われる筋合いはありません」
「いいえ言わせてもらいます。その生き方だけは絶対に許しません。私から全てを奪っていったその生き方を変えるなんて認めません」
「何のことですか?」
「なんて白々しいんでしょうか貴女は。ええ、いいでしょう。頭の構造が残念な白狼天狗の貴女にもわかるよう。順序立ててご説明致しましょう」

咳払いを一つして、彼女は語りだす。

「私は、大天狗様を愛しています。これはもう崇拝・信仰と言ってもいいでしょう」
「存じてます。この界隈じゃ有名な話しです」
「当時の大天狗様は冷酷無比な御方でした。私はそんな大天狗様に惹かれておりました。頭の端から爪先まであの御方の為に捧げることを誓いました」

言って、彼女は愛おしそうに髪飾りを撫でた。

「しかし、貴女のせいで、私の敬愛して止まない大天狗様は変わってしまった。冷酷無比ではなくなってしまった」
「大天狗様が勝手に日和っただけでしょう」
「貴女も他の白狼天狗同様、任務の中でスッパリ死んでおけば、大天狗様が白狼天狗という下賎な存在を意識する事も、ましてや愛着を持つ事なんてなかった」

大天狗が変わる切欠を作ったその生き方をあっさり変えることが、我慢ならなかった。

「この際だから告白しますが。私は貴女のことが大嫌いです。以前、あの男に保守派入りしなかった場合は殺すよう命じたのも私です」
「逆恨みもここまできたらいっそ清々しいですね」
「その通り。これは単なる逆恨み。大天狗様の傍に居る貴女への嫉妬なのでしょうね」
「言ってくれればいつでもお譲りしたのにあんな場所」
「貴女はどこまでも」

指先を椛に向ける。その瞬間、椛は自身の体が見えない何かに押さえ込まれているような感覚に陥った。

「貴女の影を縫いました。貴女はもうここまでです」

自らの妖力を相手に纏わせて動きを封じる術のため、妖術の素質の薄い白狼天狗では自力で解くのが難しい。
体を動かそうと試みるが、体が小刻みに震えるだけでそれ以上の事は起きない。

「これでよく、出来の悪い白狼天狗を甚振ってましたっけ? 進歩が無いですね」

押さえられているのは輪郭だけのため、目や口はなんとか動かせた。

「あなたの罪は二つ。守矢排除の好機を邪魔した事と、大天狗様を変えた事。今ここできっちり清算していただきますからね」
「死ぬ前に私からも二つほどよろしいですか?」
「いいでしょう。聞いてあげます。これで最期なのですから」
「子供たちを真っ当な道に戻してあげてください」
「それは出来ません。山の秩序を保つためには、彼女達のような存在が必要不可欠です」
「善悪の区別もままらない子供を利用する。それがどれだけ異常な事かわからないんですか?」
「そんなこと百も承知です。ひょっとしてそれが正常だとでも思っていたんですか?」
「ええ、お恥ずかしながら」
「つくづく救えない生物ですね白狼天狗は。飼い主の命令ならなんでも鵜呑みにする。だから死ぬまで利用されていることに気がつかないんですよ」
「二つ目なんですがね。あの子達に伝言を」
「大先輩からの御言葉。それは素敵ですね。一字一句漏らすことなく伝えてあげましょう」
「では伝えてください『調べるなら。腹の中まできっちり確認しろ』と」
「?」

椛の頬が膨らむ。

「ぷっ」

引っ立てられる途中で呑み込んだ小石が吐き出され、首領の右目に直撃した。

「くっっ!!?」

その瞬間、椛の体が自由になった。

(よし)

床を蹴り、講堂の出口へと走る。

「逃がしませんよ?」

彼女の指が上から下に動くと、それに連動し、講堂の出口に木製の格子がシャッターのように降りてきて、椛の行く手を阻んだ。

「この講堂。捕らえた東風谷早苗を閉じ込めるための座敷牢に改修したんです。貴女のせいで無駄になってしまいましたが」

椛の体が再び金縛りに襲われる。

「この程度で私を出し抜けるとでも?」

充血した右目のまま、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

「さあ。覚悟を決めてください」

「ちょっと不謹慎なんですが、こういうピンチの場に颯爽と登場するっていうシチュエーションに、実は憧れてたんですよ」

何者かが発したその言葉の直後、出口を塞いでいた格子が砕けた。

「どうも首領さん。アポなしですみません」
「ようこそ射命丸さん。わざわざ起こしくださって嬉しいのですが、少しお待ちくださいね。今取り込みですので」
「そうはいきません、私も大事な用がありますので」

格子を破壊し中に入ってきたのは文だった。

「文さん。どうしてココに?」
「椛さんが困ってるからに決まってるじゃないですか」

立ちはだかるように椛の前に立ち、文は背後に向け盾を放った。

「門の方たちに見つからないようこっそり忍び込んだので、それくらいしか調達できませんでした」

盾は哨戒部隊に支給されているものだった。

「拾いたいのは山々なんですがね。あいつの術で動けないんですよ。文さんならこれ解けるでしょう? 早くなんとかしてください」
「あの御方の術ですよ? 流石の私も難儀します……あ、キスすればすぐ解けますよ? 口経で私の妖術を流し込めば一発です。よしそうと決まればしっぽり出来る場所にでも行きますか」
「別にそれって、指を口に入れても良いんじゃ…」

会話の途中で文は椛を担ぐ。

「そうはいきません」

文がバラバラにした格子が無理やり組み合わさり、穴を塞いだ。

「おかしいですね。貴女方二人は犬猿の仲だと聞いていますが?」
「古いですね情報が。新聞を読むことをオススメしますよ」
「保守派には入ってくれないのですか?」
「生憎と、犯罪者になるつもりはありませんので」
「残念です」

その言葉を皮切りに、講堂の空気が震えだした。

「用心してください文さん。アイツは触れることなく物を動かすことが出来ます」
「神通力ってやつですか?」
「どうします? 見逃してくれそうにありませんよ?」
「椛さん、受身は取れそうですか?」
「努力します」

文が椛を後方に放り、素早く団扇を取り出すと、それを振り上げ、自身を中心に突風を発生させた。
講堂で固定されていない物が一斉に巻き上げられる。

「くっ」

首領が怯んだ一瞬の隙に文は自身の身に旋風を纏いながら急接近。
彼女の真上を取ると団扇の先から局所的な暴風を生み出す。それを肩に受けた彼女は床に足を付けたまま、五メートル程下がった。

(あれを喰らってタタラを踏む程度ですか)

流石は幹部、一筋縄ではいかないと実感した時、

「痛っ」

唐突に背中に痛みを感じ、能力使用の際に顕現させた己の羽を見る。

「何時の間に」

羽の一部分がごっそりと削り取られていた。刃物によるモノではない。粗い何かで千切られたような痕だった。

「残念、至極残念です。これだけ有能な力を持つ貴女と敵対しなければいけないなんて」

首領の手が狒々の顔となって、文の羽の一部を咀嚼していた。

「体の一部を獣に変え使役する部分変化に神通力。随分とトリッキーな術をお持ちのようですね」
「当然ですよ。そいつ、飯綱三郎天狗の血縁者ですから」

部屋の隅っこで転がるもみじが告げる。彼女は今、首領を挟んで文とは反対側の位置にいた。

「ええ! あの御方の子孫なんですか!?」

文の反応に彼女は気を良くする。

「師父は神通力を極めた天狗として有名ですからね、まぁ知っていて当然…」
「あのくそ不味い『天狗の麦飯』を開発した有名人ですからね。嫌でも覚えてます」
「はぁ!?」

飯綱三郎天狗(飯縄権現)は、妖術や忍術の他に、『天狗の麦飯』という食べられる砂を発明し、飢饉の際それで多くの民を救ったことで有名である。

「文さんもあれ食べたことあるんですか?」
「子供の頃、寺子屋の帰り道にあの方の家があって「お腹すいたろう? 持っていきんさい」ってたまに貰ってました」
「それはご愁傷様でしたね」
「もちろん速攻で庭に捨ててましたけどね」
「味も栄養価もクソなくせに、作った本人は美味しいと思ってたのが余計にタチ悪かったですよね」
「全くです」

「美味しいじゃないですかアレ!」

たまらず反論する首領。

「え!? あれが美味しいとか正気ですか首領さん!」
「きっと味覚障害ってやつですよ文さん」
「普通に美味しいですってば! 師父との鍛錬が終わった後の麦飯は絶品でしたよ!」
「身長の割りに胸が貧相なのはそのせいですか?」
「飢饉の時はあれが大勢の命を救ったんです! みんな美味しいと言って感謝しながら口に運んだという文献も」
「空腹は最高の調味料っていいますからね」
「あれ食べ続けた修験者が天狗に昇格したんでしょ? 食べることが苦行ってことじゃないですか?」
「黙りなさい!! 良いでしょう! 貴女方二人は捕らえた後、麦飯の素晴らしさを徹底的に教え込んで…」

叫んでいる最中の彼女の後頭部に強い衝撃が走った。

「っあ…?」

揺れる視界の中で振り返ると、盾を振り下ろしている椛の姿があった。
椛は躊躇も手加減もせず、盾の鋭利な側面で再び彼女の後頭部を強打した。
うつ伏せになって倒れる彼女の背中に跨り、さらに殴打を浴びせる。

「あの、椛さん。さすがにそれはオーバーキルな気がするような」

文の言葉を無視して椛は殴打を続ける。
そして止めといわんばかりに盾を大きく振り上げたときだった。

「っ!?」

首領の背中から着物を突き破り数匹の蛇が飛び出し、それらが一斉に椛に喰らいつこうと口を開ける。

「やっぱりか」

殴っている時、まるでウロコでも叩いているかのような感触しかしなかった。
大方、首筋を別の生物に変化させていたのだろう。
蛇の牙に触れる寸前、飛び去って文の横に着地した。

「恐れ入りました。いつ金縛りを解いたのですか?」

蛇を体に戻しながら平然と立ち上がり、尋ねてきた。

「貴女に特攻する前、椛さんを放る直前にチュチュっと」
「本当は別の方法でも解けたんじゃないですか?」

椛は渋い顔をしながら、袖で口元を拭う。

「ぶん殴りますか? あの時みたいに?」
「いえ。今回はカラスに突かれたと思って諦めます」
「これは手厳しい」

金縛りが解かれた後も、しばらく掛かったフリをしていた。

「なるほど。そして天狗の麦飯が不味いなどという卑劣な嘘で私を惑わし、その隙を突いたというワケですか」
「いやアレが不味いのは事実ですよ?」
「現実見ましょうよいい加減」
「あ゛あ゛ぁぁぁぁあああぁああぁぁ!!!」

高出力の妖力を宿した両手が、二人に向けそれぞれ振り払われる。
接しただけで肌が焼け焦げるその手を、椛は床を這うようにして潜り、文は身を捻りながら真上に跳躍し回避する。
回避行動を取りつつ、椛はガラ空きとなった鳩尾につま先をめり込ませ、文は延髄に踵を落とした。

「う゛ごっ」

上と下、重い蹴りを急所に同時に受け、彼女は初めて表情を引き攣らせた。
立ち上がった椛は居合いの構えを取る。持っているのが剣ではなく盾でという以外、姿勢に違いはなかった。
その盾に文は団扇を重ねる。
別段、この動作はお互いに打ち合わせたわけではない、目の前の相手を排除しようとしたら、体が勝手にこうなるよう動いていた。

「いっ」
「せー」
「「のっ!!」」

椛の腕力と文の風力。二つの力を推進力に打ち出された盾は、首領の腹に直撃するとそのまま壁まで吹っ飛ばした。
格子に背中からぶち当たった首領は、二人に苦悶の表情を見た後、俯き、動かなくなった。

「見ました椛さん!? 愛の勝利ですよ!! やっぱり最後に勝つのは愛です、愛!」
「まだ気を抜かないでください。あとアイアイアイ五月蝿いです」
「むぎゅ」

喜び、抱きつこうとした文の顔を椛は押し返した。

「むー、二体一とはいえ、幹部を打ち倒した大金星ですよ。もっと喜んでも…」
「あいつはこっからが強いですよ。ほら」

視線を戻すと首領は二人のすぐ目の前にいた。
彼女は静かに微笑む。

「これから本気で殺しにかかりますけど、良いですよね?」

穏やかに笑うその顔とは裏腹に、彼女が纏う着物の下では、ガキゴキと何かが折れ曲がる音がして、不自然な盛り上がり方を始めた。

「駄目に決まってるでしょう。全力で抵抗させてもらいます」
「私だけじゃなく椛さんの命が掛かってるんです。私も真面目にやらせてもらいましょうか」

怯む事無くそう言い放ったが『戦わずに逃げるべきだ』と本能が二人に告げていた。
逃げる算段を立てようと思考を巡らせた時、突然首領が頭に礫を受けて仰け反った。



「ギリ間に合ったかんじ?」

その声と同時に、格子が派手に砕けた。
現れた人物に三人は驚愕する。

「えへへ、来ちゃった」
「大天狗様!?」

おどけながら手を振る天狗社会の軍事統括者。

「文ちゃん、知らせてくれてありがとう。にしても毛並みの良い伝令鴉持ってるのねぇ、今度ウチのと交配させない?」
「何故大天狗様が直々に? てっきりどこかの部隊を派遣するとばかり」
「身内の恥だからねぇ。内々に処理しようと思って。幸い、この事態を知る関係者も少ないみたいだし。さて」

今回の首謀者である保守派の首領を、鋭い眼光が射抜く。

「自分が何やったかわかってる?」
「光栄です。大天狗様、直々に出向いていただけ…」

大天狗は彼女の頭を掴み上げると、そのまま床に叩きつけた。

「お゛がッ!」
「私は『自分が何やったかわかってる?』のかって聞いてるんだけど?」

本来なら痛みと恐怖しか感じないこの状況で、首領は歓喜に震えていた。

「嗚呼。その表情、その表情です。貴女様がその表情に戻るのをずっと心待ちにしておりました。私が愛して止まなかった大天狗様が、今ようやく…」
「おい」
「アガァアガッアガガッ!!」

大天狗の腕に力が篭る。手の中にある彼女の頭蓋骨から嫌な音が鳴り始めた。

「アンタはここで何やってんの? これ以上ボケた回答するようなら潰して肥溜めの中に捨てるわよ?」
「天狗に仇なす、敵を、排除しようと、して、おりました」
「それで東風谷早苗を誘拐しようとしたわけ?」
「誘拐は、兼ねてより、計画しており、その機、会をずっと窺っており、ました」

そして監視に送っている使い魔から二柱が地底に向かったという報告を受け、その日の夕方に実行した。

「あの野良犬が邪魔さえしなければ全て上手く行ったんです。本当なら今頃は風祝の命と引換えに山からの退去、断ったなら殺害し力を削ぐ事ができたんです」
「いつも余計なことばっかりしてくれるわねアンタは」

手を離し、代わりに腹に拳を叩き込んだ。
殴られた体は、格子と壁を突き破り、廊下まで転がる。

「ぁ、か、はぁ…ぁ」

呼吸できず、胃液がせり上がってくる痛みと苦しみでのたうつ。

「本当ならこの後、ケツから鉄棒突っ込んで口まで貫通させて、大衆の面前で何日もかけて鳥葬してやりたいトコだけど。これまでのアンタの功績もあるからね。それは勘弁したげる」

彼女を追って廊下に出た大天狗は、腕を真上に伸ばして天井を掴んだ。

「よいっしょぉぉ!!」

まるで棚の上の物を取るような動作で、いとも簡単に天井を落として彼女を下敷きにした。

「おーいどこ行ったー? 今楽にしたげるから返事しなさーい」

瓦礫の山を蹴飛ばし、踏み砕きながら彼女を探す。
やがて瓦礫の隙間から、荒い呼吸を繰り返す首領の顔を見つけた。

「今気付いたけど、なにアンタ? 未だにこれ付けてたの?」

銀の髪飾りを摘み、掌の上に乗せる。

「駆け出しの頃に私が贈った安物じゃん。本気で引くんだけど」

手を握り込むと、それは不細工な銀色の塊に形を変えた。

「次はアンタがこうなる番」

髪をつかみ瓦礫の山から引上げる。
顕わになった彼女の体、手足はあらぬ方向へ曲がり、血がつま先から滴り続けていた。

「これでも感謝してたのよ? 組合解体以降、アンタ率いる保守派が影で反乱分子潰し回ってくれてたお陰で、私もだいぶやり易かったし」
「っ、あ、はっ。ひ、ひひへ」

こんな状態でも褒められてよほど嬉しいのか、悶絶する顔を強引に歪ませて笑おうとして、喉から不気味な音が漏れた。

「昔から気持ち悪い奴だとは思ってたけど、別にそこまで嫌いじゃないのよ? 今回は特別に御咎め無しにしたげるから、怪我が治ったら遊びに来なさい。茶ぐらい出すわよ」

彼女の額に指先をくっ付ける。

「怪我が治ったら、ね」

スイカが割れるような音がした。

「一生治んないでしょうけど」

仰向けに倒れ、手足を痙攣させるソレを見下ろしながら小さく呟いた。

「あー終わった終わった。ゴメンね文ちゃん。もっと早く来る予定だったんだけど邪魔が入っちゃって」
「邪魔、ですか?」
「あれ? ところでモミちゃんは?」

辺りを見渡すが、椛の姿がない。

「椛さんでしたら、大天狗様が来ると同時に廊下へ走り出しましたけど」
「なんで?」
「さあ?」










「おい! おい!!」

椛は門の前で倒れている巨体の白狼天狗の頬を叩いていた。

「ん…」

男の目が開くと、椛は間髪いれずに尋ねた。

「あの子達は何処だ!?」

大天狗が来た時、嫌な予感がした。
最悪の事態が頭を過ぎった。

「わからん」
「わからないだと?」
「大天狗様が現れた時、俺は主の元へ行かせまいと剣を抜いた。その直後にこの様だ」

彼の体は崩れた門の下敷きになっており、自力で出るのは不可能だった。

「まさかあの子達も大天狗様に挑んだのか!?」
「大天狗様は俺を倒した後、子供たちには目もくれず中に入っていった」
「じゃあ、何処かに逃げ…」
「その直後に奴が来た」
「奴?」
「もう俺たちではどうする事もできない」















木々が乱雑に生え、岩が無造作に突き出す獣道。

「急いで用事を済ませて神社に帰ってきたら早苗がちゃんと居てくれて、ホっとしたんだ」

軽やかなステップを踏みながら諏訪子は上機嫌に話す。

「でも、早苗の首に妙なアザがあってね。本人は気付いていないけど、アレは誰かに絞められて出来た痕だ」

諏訪子の手には三本のリードが握られていた。

「それとなく聞いたんだ。昨日何してたのか。そしたらある姉妹と遊んでいたら疲労で倒れたんだそうだ」

諏訪子は早苗から聞いた姉妹の特徴と、神奈子から知らされていた保守派の要注意人物の特徴を重ね合わせた。
そして彼女らの存在に辿り着いた。

「お前等、保守派の手先なんだってなぁ? 早苗をどうするつもりだったんだ?」

リードの先は鉄の輪と繋がっており。その鉄の輪は、姉妹の首にそれぞれガッチリと嵌っていた。
輪と首の間に隙間は殆どなく、満足に呼吸することすら許されない。
息をしようともがく姉妹を諏訪子は楽しそうに引きずっていた。

「お前等、自分が殺されても文句言えないことしてる自覚はあるか?」

振り返り、爬虫類のような無機質な目で姉妹を見下ろす。

「三人引きずるのはちょっと疲れるなぁ、ここで一人減らして軽くす…」
「待て!!」

ようやく椛が追いついた。

「何しにきた? ここにお前の来る理由は無いぞ?」
「いえ、あります。仲間を助けに来ました」
「仲間だぁ?」

顔をしかめる諏訪子。不愉快極まりないという表情で椛を見る。

「死んだら祟り神確定のクズ野郎が寒いこと言ってんじゃないぞ?」
「なんでどいつもコイツも、私が仲間を助けようとするだけでこんなに批難するんですか」
「自分の胸に聞けよ」
「私のことなんて今はどうでも良いんです。この子達を返してもらいますよ」

来る直前に男から借りた身の丈ほどの大太刀を一息で鞘から抜き出して、その切先を諏訪子に向ける。

「おいおい良いのかそんな事して? こいつ等で今回の件はチャラにしてやるって言ってるんだぞ?」
「関係ないでしょうその子達は」
「ないワケないだろ! 実行犯だぞ!?」
「償いなら年端もいかない子にやらせた大人にさせろ!」
「大天狗とはコイツ等で手打ちにするよう話がついてんだよ! 今更ゴチャゴチャ言うな! こいつ等無罪放免にしたら筋が通らないんだよ!」
「筋が通れば良いんですか?」
「あん?」

椛は大太刀を捨てた。

「早苗さんの首を絞めた奴を探してるんですよね? あれをやったのは私です。痣の痕を確認してみてください。私の腕の位置とぴったり合いますから」
「正気かお前?」
「ええ」
「止めとけ止めとけ。こいつらさっき『主君を失うならここで散るのが本望』つってたぞ? 忠義に水を注すなよ」
「本当にそれが本心なんでしょうか?」

椛は姉妹の元まで歩き、彼女達に問いかける。

「命乞いするなら今の内ですよ?」

その問いかけに眼鏡の少女は首を横に振った。

「この神は容赦がないですよ? 神社に連れて行かれた貴女達は。爪をすべて匕首で剥がされ、皮を鋸で削ぎ落とされ、肉をペンチで千切られ、骨を万力で砕かれ、目玉を小刀で潰され、鼻を槌で折られ、
 口を素手で裂かれ、耳を刀で切り落とされ、貴女方が絶望し、生存を諦め、死ぬことが唯一の救済だと心から思うようになった時、ようやく本当の拷問を始めます」

この時、その光景を鮮明に思い描いたのか、双子の片方の奥歯がガチガチと鳴る音が聞こえた。

「洩矢諏訪子も八坂神奈子も、貴女方の命が終わるその瞬間まで、寝ることも、休むことも、気を失うことも、狂うことも許さず、ただただ苦痛を与え続けます。とても楽しそうにね。
 ようやく死ねた後も、貴女方の魂はあの祟り神の腹に収まり、祟り神の一部となり、永久に痛みと飢えと恐怖を味わい続けることになります。ですよね諏訪子様?」
「早苗に手を出しといてそんなんで許すわけないだろ。その前にたっぷりと恥辱も味あわせてやる。山の住人全員の見ている前で徹底的に陵辱してから、拷問してやるよ」
「だそうです。良かったですね。そこまで苦しめば、きっと主も許してくれるでしょう。これまで貴女方が詰んできた訓練とは比べ物にならない痛みでしょうが、どうか頑張って」
「い…や、だ」
「はい?」

呼吸が制限されている状態で、少女は必死に訴えた。

「嫌だ、死にと、うない。痛いのも、怖いのも、嫌だ」

目尻に涙を溜めながら、切れそうな息でそう漏らした。

「まだ、たくさん、読みたい本がある」
「饅頭を腹いっぱい食べたい」
「おかあちゃん、おかあちゃん、怖いよ、やだよ」

堰を切ったように姉妹は次々未練の言葉を零す。
その言葉に安堵の息を漏らし、諏訪子を見る椛。

「この子達、解放してくれますね?」
「本当にいいんだな?」

ここで諏訪子は椛に顔を近づけると、こっそり耳打ちしてきた。

「ここだけの話。私も神奈子も、この餓鬼共の命取ろうだなんて思ってない。実行犯なのは確かだが、半分被害者だってことくらいわかってる」

二度と守矢神社に逆らう気が起きない程度のトラウマを植えつけたら、返してやるつもりでいた。

「だがお前は手加減しないぞ? それでもいいのか?」
「子供を守るのが、大人の役割ですから」
「そうかい。ちょっと見ない内に、すっかり詰まらない奴になったなぁお前」
「光栄です」

諏訪子が手を地面につけると、大ガマが現れ、一口で椛を呑み込んだ。





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