尼公が御身、再び検非違使庁の外に出てきたのは、翌日の昼近くなってからであった。
彼女を奉ずる人々は、みなこぞって朝早くから検非違使庁の官舎の前に集まって、今か今かと尼公の帰りを待っていた。門扉が開かれて人影が出入りするたび、それが自分たちの探し求めていたものではないかと期待の眼差しを向けずにはいられぬ。彼らは、一心に、愚直なまでに頑なに、信じていた。尼公は決して過ちを犯してはいない、公の裁きの場にて自らを陥れる不正義の存在を証し、己が正しさを示してくれることだろうと。
いつも海風のにおいをその髪に孕んでいる、尼公の弟子のひとりである村紗は、唇を噛み締めて事態を注視していた。帽子(もうす)の下の一輪の顔は、果たして公の意に基づく沙汰のいかなることかとすっかり青ざめている。寅丸は両の拳を握り締め、そのうつくしい顔(かんばせ)が歪みかけるほどに力ある眼差しを保ち続けるばかりだった。
――――なれど、彼女たち信奉者の顔へ、一様にかなしみの影が差す。
検非違使庁の門構えを潜って尼公が再び姿を現したとき、否、より正しく記せば刑吏の放免によって連れ出されてきたとき。数十人の信奉者たちは、刑吏たちから鉾で打たれるのも構わず尼公のもとへ駆け寄った。その場の誰の“まなじり”も、冷たい涙で切り裂かれてしまっているのである。場所は検非違使庁を擁する、大内裏も近い都の往来というのに、そのことも忘れて人々は泣いた。そして放免の手から半ば強引に、奪い取るごとく尼公の身を引き取ると、洛中の人波のなかに沈んでいった。
皆の元に戻って来た尼公は、自力で立って歩くことも叶わなかった。
そのため戸板の上に身を横たえられたまま、放免から信奉者たちの手に委ねられたのだ。
刑の執行を終えて後、着物を身につける暇(いとま)もなかったのだろう半裸の肉体には、せめてもの情けか、彼女の元々の装束であった薄墨衣が掛け物代わりとして与えられていた。寅丸は、意を決してその衣をめくる。うつぶせになり息も絶え絶えの尼公の身体には、思わず眼を背けたくなるような傷が今もって血の香を漂わせている。
刑房のうちにて課されたのは杖による七十叩きというごく単純な刑罰であったけれど、肩から背中、腰まで万遍なく、放免たちからの憎しみを余すところなく叩きつけるように為された責めは、尼公にとっては、足腰の力を根こそぎ奪っても未だ余りある絶無の苦痛だったに相違ない。とはいえ、杖罪の傷そのものは膚(はだ)が破れて血が滲む程度で済んでもいる。罪人に重傷を負わせたり殺したりしてはならぬと、法で定められていたからである。
そう、あくまでそれは、法で定められた範囲での刑罰のことであった。
実際のところ尼公の身体を本当に傷つけていたのは法に則った刑罰よりも、放免たちによる私刑、虐待の方だったのだ。おそらくはあの魔除けの鉾で殴られたのであろう、尼公の腕や脚には血の溜まった青い痣が幾つも幾つも刻まれている。片方の頬などはすっかり腫れ上がっていたし、唇の切り傷から流れ出た血が口の中で唾と混じり合い、溢れ出し、顎を伝って垂れ落ちていた。
これが、あの、検非違使の捕り手に対して怯むことなく決然と相対した尼公の成れの果てだというのか。皆は、人目も憚らず嗚咽した。嗚咽しながら、駆け出した。なるべく、衆目に尼公の哀れな姿を晒してはならぬ――と、人間の壁で尼公を覆った。一団は朱雀大路を突っ切って洛外に出、賀茂川へと足を向ける。この一年、自分たちの信ずる正義が為されてきた賀茂川へ。しかし、その正義の生ける象徴(きざし)であった尼公、彼女はもはや『命あるぼろ屑』がごとき惨状なのだ。涙は、後から後から流れ出てきた。
「まことにござりまするか、尼公。まことに、われらを洛中より追い放つと」
河原に尼公を降ろし、裂けた膚に血化粧も無惨な師の背中を河水に浸した布で拭いてやりながら、寅丸は問うた。検非違使庁の前を離れるとき、役人が此度の裁きを皆に告げていたのである。
「はい。何も嘘偽りはありませぬ。この白蓮に対する杖罪七十度と、われらを洛中から追放するというかたちですべて手打ちと相成りました」
布が傷に触れるたび痛みに顔を歪めつつも、努めて落ち着きを見せながら尼公は答えた。数十の人影が立つ河原は静かであり、さらさらと水の流れる音だけが絶えず耳に響いている。けれどその自然の音を聞いている者は誰も居ない。突きつけられた事実は愕然たるものを皆にもたらし、眼には見えない鎚で脳天を打ち割られたような衝撃を与えたのだ。役人が宣したのみにあらず、信奉する尼公その人の口から告げられたがゆえに。
そのなかにあってなお、村紗は髪を振り乱して仲間たちの輪を突き破るような勢いで一歩踏み出した。横でぎょっとする一輪にも構わず。
「七十度!? 尼公、この傷のいったいどこが七十度の杖罪で済んでいるのです! この幾つもの痣、痛々しく腫れ上がった御尊顔……。刑吏たちが気の向くままに鉾を叩きつけた、道理に背いた卑劣な責めではありませぬか。追い放ちの沙汰もきっとそういうことに違いありませぬ! お上は尼公を嫌うておいでなのです、その御力を怖れておいでなのです。だから、このような姑息なやり方で都から追い出そうとする!」
激情にまみれた私見を一息に並べ立てる村紗は、自身の烈しい怒りに溺れそうにさえ見えた。けれども少しだけ落ち着いたと見え、次に彼女の疑問は尼公自身の振る舞いにも及ぶ。
「尼公。このような時だというのに、あなたさまはいささか要領がお悪いのではありませぬか。神通力をもって御身お強くしますれば、放免輩の卑劣な責めなど受けつけずに済みましたものを」
「いいえ。それでは意味がないのです、村紗」
頬が腫れ上がっているため言葉も上手く発せぬ口で、それでも尼公はこの随身に向き直り、いつもと同じように微笑んだ。
「わが神通力をもってすれば杖罪の刑罰など、確かに何でもないもの。いかに堅い杖に打ち据えられたとしても、柔らかな木の葉で背中を撫でられるがごときものです。なれどそれは、己が不正義と呼ばれるを怖れているからに他ならないのではありませぬか。まことに自身の正義信ずるならば、自らの膚が破られ血の滲む痛苦でさえも、洛中の貧者たちの幸を贖うた代償であると思うことできましょう」
痩せ我慢、というのでは、どうやらなかったらしい。
本心で、尼公はそう言っているのである。村紗は二の句が継げなかった。師への反駁が思いつかなかったからではない。それだけの覚悟を持つという尼公の思いに息を呑んだのであった。彼女は、肩を落として引き下がった。
すると村紗に入れ替わるようにして、今度は寅丸が師へと訊ねる。
ようやく血が止まってきた尼公の背中を、何度目か冷たい河水に浸した布で拭きながら。
「尼公よ。確かに御仏に身命捧ぐると誓うたわれらではござりまするが、それは理非曲直を枉(ま)げてまで成すべき事柄にございましょうや。正義のはずの行いが、悪として裁かれるなどあってはならぬこと。今からでも検非違使庁に掛け合うて、審理のやり直しを頼みましょう。お上とて決して無情というのではなし、杖罪にかかった痛苦を後から消し去ることこそできませぬが、洛中からの追い放ちだけなら取り消してもらえるかも」
時季は夏、尼公の身体を拭くという仕事を一時も休まず続けたために、寅丸の額には汗の粒が張りついていた。彼女自身はそんなことにも気づかずに、なお河中へ布をさらして水を吸い込ませてやるのだった。この“生き仏”はなおも説く。
「あの闘乱のあった御霊会の日、洛中で祭礼の警備に当たっていた“摺衣を身に付けた者ら”が盛んに神人たちへの罵倒と投石を煽り立てていたと、わが従者(ナズーリン)の調べにより幾人かから聞き出すことできました。それに、あのときわれらに近寄ってきたあの柿色の衣を着た男、どうもあれが怪しい。あの男が尼公を連れだしたのは、神人らによる山鉾の列の前へと、ちょうど良い頃合いを見計らってあなたさまを立たせるためではなかったかと」
ややあって、その言葉に――尼公はゆっくりと首を横に振った。
かなしみとも諦めとも違う、不可思議な笑みがその眼には宿っている。そのように、周りの弟子たちには思われてならなかった。この笑みの意味を問うた者は、彼らのなかには未だなかった。けれど、旅の途中でもう何度も見てきたものでもある。瀬戸内で、奥州で、鎮西で、そして坂東で。およそあらゆる場所で尼公はその笑みを見せたのだ。土地の人々から迫害され追い立てられるたびに。しかし、そのすべてを赦すのだとでも言いたげな笑みを。
「検非違使に訴えを起こしたのは、他ならぬ祇園社。都大路にて祭礼を挙行することができるほどの大権の持ち主です。当然、政に対しても大きな力を持っています。われらのような根なし草がいくら審理のやり直しを訴えようとも、聞き入れられるということは、万にひとつも」
「それはそうかも知れませぬ。しかし、尼公は嘘と謀(はかりごと)とによって陥れられたのです。これを見過ごすなど、断じて御仏の正義に適うものではございませぬ!」
「お止めなさい、寅丸!」
それまではまがりなりにも鷹揚であった尼公が、初めて激した。
生き仏――と奉られる身とはいえ、尼公は寅丸の師である。これにたしなめられて、肩を震わさずにいられる彼女ではない。師は、一転して優しげな声音となる。
「寅丸。かなしきことではありますが、この世の道理は御仏の正義をさえ踏み越えて、理非曲直を定めてしまうものです。それゆえに正が邪となり、邪が正となるのもまた珍しからざること。なれどそのさなかにて、われらは誰ひとりとして正しき道を踏み外したことなどありませぬ。そう、ただのいちども。正しき道を行くからこそ、痛苦を受けまする。正しき道を行くからこそ、痛苦を耐えることもできまする。この尼公ひとりが責めを負うことでその証が得られるのであれば、私は笞(むち)にであろうと杖にであろうと、幾百回、幾千回と、進んで叩かれに参りましょうぞ」
美丈夫の顔(かんばせ)が歪み、新しい涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
寅丸のまなじりを濡らす涙、なるもの、――今のそれは、かなしみの嗚咽とは違うものであるのかもしれなかった。名を問われても、実を訊ねられても、決して言葉にはできない熱が、涙になってこぼれ落ちてしまったのだ。何と不甲斐ないことだろうか、と、寅丸は思ったに違いない。仮にも“生き仏”たる己が、斯様に、子供のように泣くなど。彼女の涙は眼に見えぬ導線をたどるようにか他の者たちにも波及し、一帯は数十のすすり泣きで満たされて行く。一輪も、村紗も、みな泣いていた。人々のまなじりは冷たくはなかった。焔のような意志がそこには宿っていた。熱く、焔のような――惨たらしく、哀しい意志だった。
数日の後、尼公の傷と足腰の具合を見計らって、一団は検非違使庁の役人たちに取り囲まれながら、一年余りを過ごした都を離れた。刑の執行におとなしく従うかたちである。
途上、寅丸を始めとする弟子たちは、一歩ごとに遠く離れつつある羅城門を振り返り、思う。
以前はあれだけ大勢で尼公の後をついて回った洛中の人々は、尼公が放免に捕らえられたときに無実の証人となったり、また一行が都を離れるという今このときに見送ったりということを、とうとうしなかったのだと。繁栄も退廃も瞬く間に過ぎゆく京の都にあっては、尼公の存在もまた瘧(おこり)に生ずる熱のような、一瞬の流行に過ぎなかったのである。
ならばその瘧めいた熱狂のなかで、果たしてこの一年の尼公たちは、ひとりの人をも救うことができたのであろうか。
それをここに書き記すことはできない。神にも仏にもあらざる者の筆では、人の魂の行方など解らないからである。都を追放された尼公たちが、このあとどこに向かったのか。それと同様、今は未だ何も判りはしない。
それでも、ひとつばかり確かなことはある。
新たな旅路についた尼公たちの一団に、見慣れぬ者がひとり増えていたのである。
餓鬼めいて痩せ細った身体にぼろの衣をまとった、女がひとり。物の怪か、それとも人間なのだろうか。尼公にもっとも近い立場にある随身の弟子たちにも、その正体は一見して判然とはしない。
けれど――その痩せた女は、寅丸たちの知らぬ傷を知っている。
尼公の腿に未だ密かに残っているはずの、刃物で肉が抉れた傷跡のことを。
それこそが杖罪に滲んだ血の香よりも、放免の鉾に殴られた痣よりも、はるかに尊いものとして、この女の心を尼公のもとに導いたのだということを。そのことを、尼公でさえも知らなかった。
語り口やどこまで説明するかの匙加減もこれまでより優しい(易しいではなく)なぁと思いながら読みました
細かいところですが、各キャラの特徴付け(筒の中の雲山に話しかける一輪)がうまい。
すみません。始め斜め読みした事を恥じます。気持ちの静まった時にまた読ませて貰います。条理も不条理も共に焼き付ける作者ならではの話。灰濃い活動写真のようで目に楽しい。泥は泥、汚れは汚れ、と書く正直さは相変わらずですが、そこから尚綺麗な物を書き出す姿勢が何より好き。まあ この作者の物語はいつだって綺麗ですけどね。ご馳走様でした。
ああ こうずさんにキャラ萌えを無理やり書かせたい(下卑た妄想)
この作品も例外ではないです。やはり聖は聖人だった。
聖の過去話で一番好きかもしれない