Coolier - 新生・東方創想話

尼公殉難

2014/06/04 22:31:11
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 そしてまた、決定的な事件がここに起こる。
 それは、尼公とその弟子たちが洛中を追放されるに至る出来事だった。

 尼公らが都で名声を獲得し、多くの人々を引き連れて歩きまわるようになっていくのに連れ、ある『一団』がその腹のうちに、沸々たる憤怒を溜めこみ始めていた。尼公の弟子を自称するならず者によって財産を奪われた人々だろうか? 違う。では、尼公に付き従う人の列に屋敷の門前を汚された公家だろうか? いや、それも違っている。

 その正体は、鴉のように、あるいは野良猫のように、都中を這い回る者たちであった。派手な色や紋様に染め抜いた摺衣(すりぎぬ)と豊かな顎髭、蓬髪には立烏帽子という、当時の風俗からすればおよそ異形の出で立ちをした人々――検非違使庁に仕える放免たちの一団である。

『放免』(ほうめん)というのは、元は罪人だったのを赦されて、都の警察や裁判を司る検非違使庁に雇われた下級の刑吏たちのことだ。彼らは罪人の捕縛や護送、刑の執行といった仕事を請け負っている、いわば検非違使庁という官衙(かんが)のうちにおける、いちばんの『実動』の部隊と言えた。

 その彼らのうちの何人かが集まって薄い酒を飲(や)っているとき、肴となるのは食い物よりも、大抵の場合は仕事の愚痴だとか、かつて成し遂げた火付け、盗賊、人殺しなどの自慢話だった。だが、いつの頃からか、彼らの口の端に上るのは愚痴でも自慢話でもなく、ひとりの女僧への恨みごとばかりがもっぱらとなっていく。検非違使庁の官舎の目と鼻の先にある獄舎のなかで「出せ、出せ」と喚く罪人たちの手や顔を、ときどき樫の棒で殴りつけながら、放免たちは語り合うのだ。ともすれば渇いてしまいがちなその舌を、滓の浮いたなけなしの安酒で潤わせつつ。

「しかし、どうにも困っちまう。あの田舎者のくそ坊主め、尼公なんぞと呼ばれて図に乗っているのか知れねえが」
「まったくだ。洛中でおっ死んだ連中の屍体をかっさらって棄てに行くなんて仕事が、俺たち放免のものだって知らねえと見える」
「そのせいでこっちァ飯の食い上げ、稼ぎの方も減っちまってるんだから世話はねえよ。何か、ここらでガツンと身の程を思い知らせてやらなきゃあならねえな……」
「樋口の善二の奴なんかは、尼公どもが片づけた屍体を自分(てめえ)の手柄とお上に言って、稼ぎだけをちゃっかりもらってるらしいがな。元は詐欺(だまし)で捕まっただけあって何とも目端の利く野郎だが、それとても長くは続くまいぜ。やはり、何とかして尼公どもをこの都から追いださなきゃ話にならん」

 そう言って、放免たちは酒臭い息とともにげらげらと笑い合う。

 だが、ただ酔っぱらって溜飲を下げているばかりが彼らの能では決してない。
 彼らの眼(まなこ)には、尼公への憎しみと、彼女を都から追い出すための狡猾な術策の色がはっきりと燃え上がり始めていた。悪徳を生業として生きていたことのある者たちは、悪知恵を巡らすときにだけは常人よりはるかに賢しくなるものである。

 そして放免たちは瓶子の酒が空になると、各々の得物である魔除けのための長い鉾(ほこ)を手に手に、気勢を上げて尼公追放を叫ぶのがお定まりだ。すべては、自分たちの稼ぎと飯の種、大事な権益を護らんがための『正当なる闘い』であった。

 そもそも彼らが尼公を目の仇にすること自体、彼らの職掌に端を発する当然の怒りと言えた。放免にとっては罪人の捕縛や刑罰の執行と同時に、洛中に放置された骸を処理して都から穢れを取り除く仕事もまた、重要な仕事だったのだ。いわば、一種の魔除けである。穢れと直に相対する仕事であるから常民ではない放免たちの出番となるわけだが、それは彼らにしか果たせぬ職掌であったがゆえに、同時に彼らだけの重要な『特権』と成り得る。それは当時の政治的、宗教的な感覚からしても疑うべくもない当然の事実であった。

だからこそ、元罪人の荒くれ集団たる放免たちが自身の権益を侵されたとき。
尼公への復讐は苛烈な、そして陰湿なかたちとなって結実してしまうことだろう。

「ちょっと、おめえら耳を貸しな。この俺の頭ン中に良い策が閃いたのよ……」

 そう言って、放免たちのうちもっとも年嵩らしい者が皆を呼び集める。
朱雀帝元服の折に大赦を経て検非違使庁の尖兵となったこの男は、同時に、もっとも罪人時代の悪辣さを留めたような性格をしてもいた。そのことを、尼公たちは知る由もないのだが――――。


――――――


 放免たちの計画は、死者の鎮魂のために行われる御霊会の祭礼の日、神仏に奉納される山鉾が都を練り歩く頃合いを選んで決行されることとなった。

 祭礼のときならば方々から見物人が集まるのだから、いつにも増して洛中は多くの人々で溢れ返る。その方が尼公を巻き込んだ騒乱を、より大きなものにできるであろうと。牢獄の罪人どもを気晴らしに殴りつけたりしながら行われた、放免たちによる念入りな協議は、その熱意だけを見れば、大学寮に通って学問に打ち込む学生(がくしょう)たちにも優るとも劣らぬものがあったかもしれない。

 さて此度の御霊会は、水害と疫病で命を落とした人々の御霊を慰めるためという名目で、七月のさなかに挙行された。都中の有力者が競うようにして歌舞音曲や山鉾を奉ったこの年は、このところ災害や戦乱によって暗く沈みがちだった都人の表情を、束の間ながらに明るいものへと変えつつある。洛中の真ん中を貫く朱雀大路を華やかに飾られた山鉾が行き過ぎる度に、方々から詰めかけていた見物人たちは、身分階層に関わりなく歓声を上げて喜んだ。

 だが、そのようななかでやはり街に繰り出した放免たちだけは、山鉾奉納の列には目もくれない。人混みの渦の奥へと自ら飛び込んで、姿と気配とを消し去らんと欲するかのように動き回る彼らである。とはいえ摺衣に髭面、蓬髪という放免たちの格好は、大勢の見物人がひしめき合う祭礼の日には、ひときわそぐわない。それでも人々の注目が祭りに向いている今ならば、路傍に転がっているちょっと変わった形の石ころに対する程度の注意さえ、払われることはなかった。

 彼らは水か風にでもなったかのように洛中の人波をするするとすり抜けて、自分たちの目当てとしているものを探す。

 一方は直ぐに見つかった。
 ともすれば興奮のあまり列を押し乱しそうになる群衆から、神聖な奉納物を護らんと絶え間なく目を光らせている、祇園社に仕える神人(じにん。神社に仕え、雑用や護衛・警護などを担当した俗人)たちである。御霊会を取り仕切る権限を持っているのは祇園社なのだから、その神人たちが山鉾の警護を行うのだ。白い水干に立烏帽子というごく簡素な格好で、彼らは百人ばかりも連なって歩いていただろうか。「自分たちは神仏の庇護のもとにあるのだ」という、半ば傲岸とも思える態度をその眼(まなこ)に爛々とみなぎらせつつ、薄笑いさえ浮かべながら、奉納物を取り巻く群衆数千を睥睨して止まない綽々たる余裕であった。

 その一方で放免たちは、もう一方の目当ての人物をも苦労しながら見つけ出した。

 気分でも優れなかったのであろうか、尼公と、寅丸を筆頭とする従者たちは、七条室町小路の辺りでしばらく立ち尽くしていたようである。朱雀大路を埋め尽くす華やかな喧騒からはほど遠く、人々の列が行き過ぎるまで、尼公たちはそこでやり過ごそうとでも思っていたのかもしれない。やはりいつものように非人たちに取り巻かれていたようだが、傀儡子などおよそ芸能を生業とする者たちは、今日のような祭りや祝いこそが稼ぎどきなので、商売のため尼公たちの列からは離れている様子である。そのため一行は、いつもより明らかに人が少ない。そのことに、放免の『刺客』は人知れずほくそ笑んだ。

「あなたさまはもしかして、あの名高き尼公どのではござりませぬか?」

 ごほん、と、いちど大きな咳払いをして、さもさも人々が蹴立てた砂埃のなかを苦労して突っ切ってきたのだという態までも演じながら、その放免は白々と尼公に話しかけた。むろん、尼公の人の好さである。「はい。そのように私を呼ぶ者たちは大勢おりまする」と正直に答えた。

 傍近くに控えて在った寅丸たちはさすがに怪訝な顔をしたようであるのだが、彼女の眉間に浮かんだわずかな皺も直ぐに消え去ることとなる。仲間同士で示し合わせて尼公に近づくことになっていたのは、今日の計画を考え出した、あの朱雀帝元服の恩赦を受けたという年嵩の放免であった。そのときの彼は、常の装束である摺衣を身につけてはいない。紋様らしいもののない地味な柿色の狩衣を身につけたうえで、髭をきれいに剃りあげて鳥の卵を思わせる丸っこい顎の輪郭を露わにしていた。そして烏帽子の下にある蓬髪もしっかりと整えて元結をつくり、髻(もとどり)のかたちを成していた。さらには、放免の象徴ともいえる魔除けの鉾も今日は持ち歩いていなかった。一見して、その身分職掌を見破られるような気遣いはどこにもなかったのである。

 尼公は、この男――放免のよほど慌てたような様子にただならぬものを感じ、錫杖をしゃりんと鳴らして近づいた。男は今しも泣きだしそうな顔をつくり、巧みとも言えるほどに涙を誘う口ぶりで語り出す。

「ああ、良うございました。数日前から洛中洛外を歩きまわり、あなたさまをお探ししておりましたが、なにぶん京の都のこの広さ。いかに多くの人々を引き連れてお歩きになっておられようとも、私ひとりの力では御身お探しすること難しきものございました。人づてに色々な噂話を耳に容れ、今はどうにか室町の辺りに居られると聞き知った次第」
「は、はあ。その様子ではよほどに困ったことがおありでしょう。この尼公にできることあらば、憚りなく申して下さりませ」

 その言葉を待っていたとばかり、放免はさらにずいと進み出て、まるで閨で抱く女を口説くときのように尼公の前まで近づくと、次のように言った。

「はい。私の縁者の者で、今にも死にそうな翁がひとり居りまする。数日前よりだいぶ危うい様で、周りの者はみな死出の仕度を整えてやらんとしておるほどに。この翁は年老いてより御仏の教えに触れ、尼公どのの説法も十幾度と拝聴した者でありましたから、今生の別れにせめて一遍の経でも聞かせてやりとうござりまするが、なにぶん周りに経を知る者ひとりとてございませぬ。加えてこの御霊会に際すれば洛中の僧どもことのほか忙しく、私ごとき卑賤の者の頼みを引き受けてくれるだけの謂われもない。しかしながら、都で多くの貧者を助け参らせてきた尼公どのなら、翁の願いに適うことできるのではないかと考え、こうしてあなたさまを探し回っていたのです」

 どうか頼まれてくださりませぬか、翁の死に水を取る手伝いをしてはくださりませぬか……。そのように、放免は何度も何度も尼公に向けて頭を下げた。必死に身を縮こまらせる彼の様子は、何も知らぬ人が見れば、尼公の方が男に謝罪を要求しているようにさえ思えたかもしれない。それだけ、放免による懇願の演技は執拗だった。

 しかし尼公は、自身の眼に容れた放免の執拗さが、その実は狡猾な計略によるものだという事実など知る由もない。彼女は頭を下げ続ける放免の顔と同じ高さになるまで身を屈めると、「お受けいたしましょう。案内(あない)をお願い致します」と、微笑んだ。

 すると、さっきまで神妙にしていた放免は急ににっかりと笑むと「それはまことにようございました。では、さっそく案内を致しまする。さあ、こちらへ……」と呟き、足早に大路の向こうへと歩きだした。尼公と、尼公の従者たちは遅れまいと必死に歩を進める。道中、この柿色の衣の男の氏素性を問うことも忘れるほどに。それほどまでに、その日の都の喧騒は人の心を波立たせる何かがあった。平静の心を失わせ、浮き足立たせる魔力のような何かが。それは、もしかしたら尼公自身の与り知らぬあの大きすぎる名声と相対したとき、もっとも危険な色彩に変化する力であったかもしれない。

 尼公たちを誘導する放免は、中途においてあちこちの道を幾度も幾度も曲がり、回り込み、ときには同じ場所を数回も辿ったと思える足取りを見せた。従者の寅丸などは「本当に正しい方へと案内をしているのか」と疑っていたが、そのたび放免は「なにぶん御霊会の祭りにござりまする。こうして人の少ない場所を選んで通って行かねば、すぐに人波に呑まれて道を失うてしまうのですから」とはぐらかす。尼公たちが御霊会の祭りのとき都に身を置くのはこの年が初めてだったから、これを自分たちを惑わすための嘘であると悟ることはできなかった。

 そして、――幾度目かの大路を抜けだしたとき、放免はにわかに足の運びを早めた。

 彼の行く先には祭りの喧騒、その源である人混みが在る。
 柿色の狩衣は、大勢の見物人たちのなかにその背をずんずんと埋没させていく。
 尼公は、洛中の道筋に慣れているらしいこの案内人に引き離されることを怖れた。焦りは、人波のなかに入り込んだときもっとも大きなものとなる。男の名を呼ぼうにも、その名を明かされていなかったことがそのとき初めて悔いられた。そうするうちに、人波、人垣の向こう側にあの柿色の衣が見えたような気がした。ようく眼を凝らすと、相手の方でも尼公へ向けて手を振っているようにも思える。そのときである、はっきりと、“人混みのなかの誰かからドンと背を押され”、人の列の向こう側へと尼公が弾き出されてしまったのは。

「何じゃ貴様は! これなるは御霊会に際し祇園社に奉る、神聖な山鉾の列であるぞ!」
「さっさと道を開けぬか、ばか者が!」
「見ればその薄汚い格好(なり)……なるほど、乞食と交わり遊ぶ女僧かよ。去ね、去ね!」

 頭上から浴びせかけられる罵倒に突き動かされるごとく、彼女は辺りを見回した。
 祭りを楽しむあの華やかな喧騒は、一瞬間を経て異質な響きのものとなっている。
朱雀大路の真ん中に転び出た自分に――尼公に向けられた怪訝さを示すものだ。

 一方、先ほどから尼公を罵倒して止まぬ声の主は、白水干に立烏帽子の男たち。
 山鉾の列を護衛する祇園社の神人たちである。その顔には、祭礼の執行を妨げられたことへのいら立ちが一様に浮かんでいた。尼公は、どうやら自分が何かの拍子に祇園社への奉納の列の真っ正面に飛び出し、山鉾の巡行を乱してしまったらしいということに気づいた。「も、申しわけございませぬ。直ぐに退散を致しますゆえ、どうかご容赦を……」。彼女は衣についた土埃を払うこともなく、辞儀ひとつを残して直ぐに人混みのなかへと引っ込もうとしたが、しかし。

「神人ごときが調子に乗りおって。その御方をどなたと心得る!」

 突如、人混みの中から声が飛ぶ。

「いま貴様たちが罵倒の言葉を浴びせかけた御方はのう、この一年ばかり洛中にて人々を救い参らせてきた聖、尼公どのじゃ! 祇園社の堂宇の中でふんぞり返っている神人どもが大きな口を聞いて良い御方にあらず! 見知り置くが良いぞ!」

 そうした声々が誰のものかは知れない。色が変わったとはいえ依然としてざわざわと騒がしい人波からの声である。眼の届く限りの誰もがそんなことを言ったと疑うこともできるし、いやいや、もっと遠くから響いてきたのだと考えることもできる。だが、どこから聞こえてきたものであるにせよ、その『声』がはっきりと尼公に味方し、――というよりも、むしろ祇園社の神人たちを非難、罵倒しているものであるというのは、この場の誰からしても明らかであった。

「祇園社の権勢を笠に着て、肥え太るだけ太った醜い神人どもが!」
「貴様たちなど社の庇護なくば、ただの野良犬と何も変わらぬではないか!」
「都大路を我が物顔で歩きおって。臭き香が街に移って都人の鼻が曲がる!」

 立て続けに叩きつけられた神人たちへの罵倒。
声を聞くに、その主はひとりではなく複数であったけれど、いっそう大きくなっていく人々のざわめきに覆い隠され、いったい大路のどこから発されたものであったのか、まるで判らなくなっていく。「誰じゃ、我らに楯突く者は。姿を見せい! こちらは祇園社の神人なるぞ、神奴なるぞ!」。むろん、神人たちもこのような罵倒を見過ごせるはずもない。口々に姿の見えぬ誰かを威嚇しまくるが、代わって飛んできたのは罵倒ではなかった。

 ひゅう、と、いう風切る音とともに、石礫が飛んできたのである。

 何者かが行った投石だ。投石は四度、五度と続き、人越しゆえ狙いは大雑把だが神人たちをこそ打ち据えるべくくり出される。やがて石礫は神人らの頭や肩に命中する。中には烏帽子を石で打ち落とされて露頂を晒した者まであった。つい先ほどまで威勢よくがなり立てていた神人のひとりが、烏帽子の下の秘所を露わにされて「ひえッ……」と少女じみた悲鳴を上げる。地面に落ちた自らの烏帽子を慌てて拾い上げるが、もはやごまかしようがないほどに土と砂にまみれたそれは、彼の身に刻まれた辱めを意味する何よりの証だ。というのはこの時代、髷の髻(もとどり)を直に公衆に見られるということは、非常な恥辱とされていたのである。

 先ほどからの非難と罵倒で十二分に気が立っていた神人たちであったが、ここに至ってはもはや怒りも度を越した。「貴様か! 貴様がやったか! 祇園社の御意に逆ろうてただで済むと思うなよ!」と、眼についた人々へ片っ端から迫り、威し始める。大路に詰めかけていたあらゆる階層の人々はその列を、並びを、あっという間に乱し、ざわめきは悲鳴へと拡がっていく。

 何人かの神人は「さては貴様の差し金かよ!」と、転変していく事態に色を失って立ち上がれずにいた尼公を足蹴にし始める有り様である。すると、尼公の信奉者らしい者たちから、また別にどよめきが浮かぶ。

 そのうち、さらに悪いことが起きた。
 誰かが再び、

「おのれ神人どもめ! これは尼公どのを貶め足蹴にしたことへの仏罰じゃ! 神妙に受けよッ!」

 などと叫び、ひときわ大きな石礫を奉納の列に向けて投げつけたのだ。

 そしてその投石は、――こともあろうに奉納の列のうち、神人たちが護るべき対象であった山鉾へと覿面にぶち当たり、その一部をほんのわずかだが傷つけてしまったのである。神仏の条理に則って運行される山鉾を傷つけられたとあっては、事は神人たちの体面云々で済む問題ではなかった。それは、ともすれば祇園社そのものの権威の毀損である。そしていざそうなってしまったからには、神人らもまた怒りを抑えている道理とてない。彼らは、警護や護衛のために武器を持ち歩くことが許されていたという。その手に手に棍棒を振るい、小太刀の柄で殴りつけ、手当たり次第に群衆たちを、そして尼公をも打擲し始めたのである。

 人々の方でも、自分は何もしていないのにただ殴られている法などない。
 彼らもまた怒りに任せて神人たちに襲いかかると殴る蹴るの限りを尽くして暴れ回り、そうでない者は石礫を飛ばした。悲鳴と怒号、土埃と流血のにおいが大路に立ち込め、人波は乱れ、荒れ狂い、左の者は右の者を殴打し、右の者は左の者に石を投げるという惨状。あれだけ整然と、また華やかに行われていた御霊会の祭礼は、たった数瞬の後には凄惨な闘乱の場へと変貌してしまったのである。

 わけがわからぬ。と、尼公は呟きたい思いに駆られた。

 そう、尼公にとっては何もかもわけがわからぬ。なぜ、眼前で人々による斯様な殴り合い、大暴れが始まってしまったのか。大勢の人々がいちどに暴れ回るせいで地面が踏み荒らされ、土埃が舞いあがる。それを吸い込んで咳き込んだ彼女を助け起こしたのは寅丸と、そして随身の弟子である村紗と一輪、その三人。

「お怪我はございませぬか」
「大事ありませぬ。しかし、都の人々が……ああ、なぜこのようなことに」
「話している暇はありません。ひとまずこの場よりは退散をするが先決。さ、お早く」

 言うが早いか、三人は今にも泣き出しそうな尼公の身を抱え上げ、未だ騒ぎの収まらぬ朱雀大路に背を向けて一目散に遁走したのである。


――――――


 右京八条から九条の片隅に身を潜めていた尼公らのもとに、逮捕の手が伸びたのは、御霊会の挙行から数日が経ってからのことである。夜の終わりのにわか雨に叩かれ、泥濘(ぬかるみ)に変わった洛中の地面へばしゃばしゃと足音を踏み連ねて、追捕(ついぶ)の使者たちは肩を怒らせた様子で現れた。

 ちょうど、その辺りは京の都の入り口である朱雀門も近い。

 一帯は――憧れの都というやつにやって来たのは良いものの、一財産を使い尽くしたかそれとも臆してしまったかで、行き場を失くした者どもの吹き溜まりのようになっていた。みな、獣の皮や蓑や蒲でつくった薄っぺらい粗末な外套を雨除けに、またそれをそのまま寝具として無気力に寝入ってばかりいる。事が起こったのはそのなかでも、鎮護国家のため造営された寺院という西寺の門前近くで起こった。

 常として、寺の門前というのは貧者や非人たちや宿なし者の寝床代わりとなっていたが、――捕り手たちは、まずはそのような者たちからなけなしの薄外套を容赦なく剥ぎ取って、ひとりひとりの顔を検めては、また次の者に目を移していくということをくり返した。ここのどこかに尼公が潜んでいるというのはあらかじめ調べがついていたのである。そして、そのうち。

 ばさり、という音とともに取り払われた蒲の穂の掛け物の下から、過たず尼公の姿が現れた。

「紫雲がごとく輝く髪。埃にまみれ端の擦り切れた薄墨衣。そなたが尼公じゃな。過日、西寺の者から報せがあった通りじゃ」

 尼公が見たのは、腰に太刀、手には弓ひと張り、背には矢の束を詰め込んだ箙(えびら)を負うた府生(ふしょう)の武官。そして、府生に率いられた赤狩衣の火長と、摺衣の放免が合わせて十数名ばかり。紛れもなく検非違使庁から遣わされた者たちだ。放免たちは尼公を見遣ってにやにやと笑うと、尼公本人のみならず周りの者たち――彼女の従者や信奉者たちの身からも薄外套を剥ぎ取って、なかば面白半分にその面を未だ上りきらぬ朝日の下に引きずり出していた。

 尼公は、ともすれば彼女を護るべく追捕の使者たちの前に立ちはだからんとする、寅丸、村紗や一輪たち随身の弟子を片手で制しながら、しかし意思は強く、きッ、とした眼で検非違使庁の役人たちと相対した。だが彼らもまた、しょせんは女の意地っ張りだと侮っているのか、少しも怯むことはない。捕り手の長なのだろう、四十を越えたあたりと思われる府生は告げた。

「われらは尼公(そなた)の身柄を捕縛し、どうあっても検非違使庁まで連れて行かねばならぬ。祇園社からの嘆願があってのう……先だっての御霊会での騒乱は、尼公が己の弟子を使うて祭礼を辱めたることがそもそもの由であるから、即刻の捕縛、断固たる処罰を行うべしと強く訴えられたのじゃ。おとなしく従うなら良し、言い逃れや抗いを企てるのならばそれもまた良し。力づくでも引っ張っていくのみよ」
「お、お待ちください。あれは姐さんの仕業ではありませぬ。きっと誰かが姐さん――いえ、尼公を陥れようと………!」
「お待ちなさい、一輪」

 帽子(もうす)頭巾の下の顔を怒りに赤らめながら、捕り手に食ってかかろうとする一輪。だが、尼公自身がそれを阻む。一輪は「でも……」と言いかけるが、「良いのです」とする師の言葉の前に、唇を噛んで引っ込んだ。代わりに、尼公がはっきりと答える。

「検非違使庁の方々の仰せのとおり、この私こそがあの祭礼の日、朱雀大路の闘乱に居合わせた尼公自身に相違ございませぬ。祇園社の神人の方々と相まみえましたし、人垣の中から罵声と石礫(つぶて)の飛ぶところも確かに見ました」

 ゆっくりと、はっきりと、言ってのける尼公の様子に、寅丸ら弟子たちは絶句せずにはいられなかった。正真、彼らは「自分たちの師は何ひとつ悪事と呼ばれる行為に加担したはずはない」と信じているのだから、検非違使庁からの捕り手にも堂々と自身の正当を主張して憚らぬはずだと思っていた。しかし、実際は。

 尼公の殊勝さを目の当たりにした府生は感心したように笑むと、あらためて尼公に「では、そなたを検非違使庁にまで連れていく。さ、立て!」と命じた。こくりとうなずくと、ためらいなく尼公は立ち上がった。部隊の長である府生から顎で指示を下された放免たちは、直ぐさま縄を取り出して尼公をきつく――縄目の食い込む痛みが尼公の表情(かお)を歪ませることに卑猥な愉悦を感じながら――縛りあげた。加えて振るわれたのは、あの魔除けの鉾である。放免たちは押し倒さんばかりの勢いで強引に尼公を歩かせると、鉾で彼女の背や頭を小突きまわすのだ。だが、寅丸たちはそれを止めさせることができぬ。公の意に従って縄目に与るというのは、他ならぬ尼公その人の意思である。師の決意を、弟子が曲げることはできない。

「直ぐに戻って参りまする。少しのあいだ、待っていてください」

 幾度となく放免の鉾で叩かれながら、尼公はただそれだけの望みを寅丸たちに託した。
 その顔に悔いや恐怖といったものはなかった。あるべきことがあるのなら、従容と受け容れるだけだという顔であった。途上、彼女は自身を小突く放免のひとりに、それとなく「縁者という翁どのに、経を奉ること叶いましたか」と訊ねたが、その髭のない放免は痛烈な嫌味の類とでも受け取ったのか、さらに強く尼公を叩く。

「なぜにござりまするか、尼公。なぜにあたなさまは、御自身の正しきを検非違使の役人輩の面前にて、何よりわれらの眼前にて、はっきりと申し上げてくださらぬのですか」

 後に残された者たちが悲嘆ゆえの沈黙に苛まれるなかで――寅丸ばかりが、そう呟いていた。


――――――


 尼公の審理は、検非違使庁のうちにてさほどの時も置かずに始まった。

 出廷した大尉(たいじょう)の判官――彼がこの場の司であり、裁きの長である――は、どことなく猛禽を思わせるような鋭い目つきで、縄で縛られ両脇からは放免に押さえこまれたままでいる尼公をじろり、見下ろした。一方、ひざまずく尼公はといえば、公の威の前にすっかり伏した様子で畏まり、もはや顔を上げようともしない。さても、これがまことに先の闘乱を主導せる不埒者かよとばかり、大尉のその眼に寸時の疑念が宿るのも無理からぬこと。

「祇園社から訴えがあったのは、この者に相違あるまいな」

 と、上官たる大尉の意を汲む少尉(しょうじょう)は、傍らにあった八位の大志に問うた。大志は「人相、体格、年格好。いずれも訴え通りにござりまする」と手短に応ずる。それを受けた大尉、命じて尼公に面を上げさせると、「改めて問うが。御霊会の日、あの闘乱の場に居合わせたはそなたか」と噛んで含めるようにゆっくりと訊ねる。尼公もまた、あえて見せつけるかのようにはっきりとうなずいた。

 やはり、大尉に代わり少尉が尼公へ訊ねる。

「そなた、ここ一年ばかり都にて己が考えを仏法と呼び、洛中の民に広めおると聞く。いったい何を目当てにそのようなこと行うておるのか」
「人のみならず悪鬼でさえも、仏性の目覚めれば共に救われんと信ずるがためにござりまする。さすればあらゆる者どもは生きながらにしてみな仏と成り、地上はあまねく法の世界と成りまする。そこには、輝かしき光満ちまする」
「悪鬼でさえも生きながら、か。餓鬼道や修羅道をさまよう者ども、悪鬼、物の怪の類でさえ、やがては生まれ変わりて極楽往生できるかもしれぬが、人の身にて生きていながら誰もみなそれを成すことできると言い切るは、御仏に対していささか驕慢が過ぎはせぬかな」
「では反対にお訊ねいたしまするが、こちらに居られる判官の方々はまことの御仏なるもの、その御目に見たことがござりまするか」
「なに?」

 重々しい唇を開いた尼公だったが、放免たちから抑え込まれて言葉を遮られる。しかし彼女と少尉との話に興味を惹かれたのか、大尉が「構わぬ。続けようではないか」と先を促した。

「確かに、御仏のお姿なるもの直に拝し奉ったことはない。だが、世の中にはそのうつくしき姿かたちを写し取った像や画が在る。尊き教えについて書き表した経典や、それを伝える僧どもも居る。これをもってすれば、世の中に御仏がおわすことと、すなわち同じではないかな」
「像や画は、ただの像や画にござりまする。それらを拝むのみでは仏を拝むことにはなりませぬ。また同様に、経典や僧どもばかりありがたがることは、すなわち“まやかし”に時を捧げるも同然。やはり意味なきことにござりまする」
「は、は、は……。御仏に対して不遜と言おうか、仏僧ながらに豪胆な物言いと言おうか。女にしておくのが惜しいほどじゃ、弓矢でも引かせればなかなかの使い手となるかもしれぬ」

 苦笑しながら、大尉はなお問う。

「では、そなたは何とすれば人が御仏を奉ることになると考えるか。先ほどの言い分をそのまま採れば、この世には御仏など初めから在りはせぬ。我々は、在りもせぬものに手を合わせて祈っていることになるのう。それは滑稽じゃ」
「大尉の判官殿の仰せの通りにござりまする。この世に果たして御仏の在りや無しや――それは人の身にて一朝のうちに計り知れるものではございませぬ。否、御仏が人を救うときよりも、御仏が人を救わぬときの方がより多くございましょうが。この数年うち続く戦乱、天変地異。その苦界のさなか、経典や仏画仏像の類にただ念じるばかりで人の救われたことが、果たしていちどとてありましょうや」

 いよいよもって、大胆至極な尼公の物言いであった。
 さすがの大尉にも不遜というより不穏な言葉であると思われる。
彼は眉間に皺を寄せ始めた。

「ならば、そなたのその姿形(なり)は何とする。御仏を信じぬ者が仏徒の格好をして功徳を説いて回ろうというのか?」
「それもまた否。この地上に影も形も御仏なきがゆえに、私は自らの手で御仏つくり上げようと図って参りました。誰もが御仏にふさわしき行いすれば、人も悪鬼も変わりなく御仏に成れると信じて。この世に御仏がないのであれば、人は人の手で御仏をつくらねばなりませぬ」

 む、……と、思わず大尉は唸った。

 彼とても、仏に対して多少なりとはいえ信心を持っているつもりだが、うっかりとすれば釣り込まれてうなずいてしまいそうなほど、尼公の考えは筋が通っているとも思われる。だが、それでも彼は依然として、職務に忠実であろうとする有能な官人であった。未だ話し足りないという様子の尼公から眼を逸らすと、「この女性(にょしょう)のものの考え方についてはようく解った。――おい、この者の詳しい素性を改めて申せ」と部下に命ずる。大志は軽くうなずき、手元の文書の記述をすらすらと読み上げた。

「……この女僧がいつの頃から尼公と称されるようになったかは判然としませぬが、調べによりますれば、法号を“白蓮”。近しい者らからは“聖”とまで呼ばれておったとか。当初、洛中にては自らを奉ずる者――主に諸国の非人どもを数多引き連れ、辻々に打ち捨てられた死人の骸を賀茂川沿いで焼き、弔いの真似事をしていたとのことにござりまする。当地の河原者はじめ、洛中の民や周辺の寺社の者らも、その様子はたびたび目にしておった様子にて」

 大尉は大きくうなずくと、再び尼公へと向き直った。
 いちど眉間に寄った皺は、今はもう消え去っている。

「なるほど、坂東で平将門が、西国で藤原純友が、不埒にも御稜威(みいつ)に叛き奉ってより、いや、それと相前後するようにか、洛中のみならず日本国の各所で天変地異が相次いだと聞き及ぶ。郷里から逃散してきた百姓輩が、行く当てもなくたどり着いた京の都で野垂れ死ぬのも、近ごろでは決して珍しい見物ではなかった。そればかりか、酷暑、水害から発する疫病(えやみ)の害もまた甚だしい。だが、それに対するは公の役目、検非違使庁の役目ぞ。尼公、そなたが非人どもを引き連れて行うていた弔いの真似ごとはのう、洛中からの触穢の祓いを飯の種とする放免輩より、たいそうな恨みを買っておったのだ。他人から恨まれてまで積むべき功徳が、そなたのつくりたいと申す御仏にふさわしいのか」

 対する尼公の返答に淀みはなかった。
 一点の曇りもない瞳が、大尉の顔を見つめる。

「穢れと相対するような辛き務めをある決まった人々にのみ託すことは、苦役を押しつけるのと何らも変わるところがございませぬ。それを誰しもが行うことができると示すことこそ、万人が等しく同じ地に立つということのはず」
「こいつ! 俺たち放免の仕事を侮りおって!」

 尼公のその発言に、激昂した放免たちからの容赦ない責めが加わる。
 髪の毛をつかんで地面に抑え込み、彼女の背といわず肩といわず、彼らは鉾で何度も何度も突きまくった。とはいえ、肌が裂けたり傷ができたりするほどひどいものでもない。苦しみのうめきを上げはするが、乱れた髪の毛のあいだから眼を上げて、なお尼公は上下の官人たちに訴えんとする。

「私の……私の申しようは、ことによっては傲慢であるのやもしれませぬ。それはあらゆる者たちを等しく、平らかにすると称しておきながら、その実は穢れあるなかに生き働く人々を、怖れているがゆえの行いだったのかもしれませぬ。なれど、わが元に参じてくれた人々は、そのような怖れを厭うことはとうとうございませんでした。紛れもなく、人は誰しもが貴賎なく同じ振る舞いのなかに在ることができるのです。それは、死に際しても変わらぬこと。この尼公に――聖白蓮にできることは、苦しみながら哀れに死にゆく者、すでに死したる者たちを、何の別もなく弔うことだけでありました。それを為すことこそが、人の手にて御仏をつくり出すということだと祈念しておりました」

 ぶうん、と、風切りの音さえして放免の鉾が振り下ろされる。
 それはあと数尺で尼公の脳天にぶち当たるというところであったが、

「止めよ、放免ども! ここは厳正なる審理の場であるぞ! 打擲を加えるはこの者の罪科が明らかとなり、課されるべき罰が定まってからに致せ!」

 という少尉の怒号が飛ぶ。
 渋々、男たちは振り上げた鉾を引っ込めた。

 一連の様子を黙って観察していた大尉は、指先で顎を撫でながら「はああ――……」と、いちど大きな溜め息を吐いた。

「道理の有る無しで言えば、道理の有ることを申しているようにも思われる。だが、それはあくまでそなた自身の理屈であろう。そなた自身がいかに立派で高邁な思いを抱いていようと、膝下に集まった者たちの行いを御することできなければ、それはそなたの責ともなる」
「それは……」
「尼公の名声が洛中に広まるに連れ、その門下と名乗る者が師の御為と称して悪事に走ること甚だしい。すでにそなたの名は、そなたひとりだけの物ではない。尼公を知るすべての者たちに等しく分け与えられたと同じ物じゃ。放免が与するは検非違使庁であり、検非違使庁が組み込まれて在るは公の朝政であるぞ。検非違使庁の放免が為す公の仕事を自ら行うということは、公の意に叛き奉り、自らがそれに取って代わるとする野心を抱いている……というようにも考えられるのう。いや、たとえそなた自身にそのような野心なかったとしても、そなたの名さえあればこそ、洛中の民は自ら手を上げることができる。それが、此度の騒動では明らかとなってしまったかたちなのじゃ。違うか」

 尼公は、今度は何も答えなかった。
 唇を引き結び、大尉が次に何を言うのか待つばかりである。

「尼公よ、そなたがいかに清く、また素晴らしき考えの持ち主であったとしても。そなたを慕う者がそなたの名を慕って騒乱を起こし、またその者が明らかにならぬ以上、我々は、膝下の者どもを御することできなかった尼公の方を裁くことしなければなぬ。“いずれ誰かに責を負ってもらわねば、この騒ぎは鎮まらぬのだ”」

 ぎろりとした大尉の眼光が、過つことなく尼公を射すくめた。

 それはもはや悪を裁く人というよりは、狩人の眼に近かった。
 糧を得るために、見つけた獲物を決して逃すことはしない狩人の眼だ。
 その眼に睨まれて、尼公は震えばかりか息をすることさえも止まってしまいそうに思われた。彼女は、すべてを悟った。“この裁きは裁きに非ず”。政の機微と官公庁の面子の関わった審理であるこの場は、裁きというよりも、むしろ結果の決まりきった事実に対して最後の承認を行う場であったのだろう。初めから尼公を罪人として仕立て上げるために仕向けられた、万にひとつも勝ち目のないものなのだ。

「……祇園社の方々を向こうに回すことの分の悪さ、この尼公の名にとっても、また検非違使庁にとっても御同様にござりましょう」

 ふ、と笑って、尼公は答えた。
 この検非違使庁での審理の場にては、初めて見せた彼女の笑み。
 それはいったい誰を嘲るためのものであったか、尼公自身にも判然とはせぬ。

「そのような皮肉を申すな。うかつなことを口走れば、さらにまた向こうの社に余計な口実を与えることになろう。さればこそ、そなたの不遜な思い入れが此度の闘乱を招いたこと、疑いようもないとな」

 ゆっくりと、大尉は答えた。
 彼もまた、皮肉げな笑みがその顔に張りついている。
 官人であるがゆえの職務への忠実さは、この男には少々窮屈なものであるのかもしれないと尼公は感じる。なればこそ、この裁きが彼の手に委ねられたのは幸であったか不幸であったか。その判断もつきかねるまま、大尉の口から最後の問いが発された。

「のう、尼公。そなたの名を慕って集まった者が重要なる祭礼の場で闘乱を巻き起こしたと、“そういうことになっておるのだ”。そなたは、その企てに関わったのか否か」
「私は。私は、あのとき――――」

 すべてが、尼公にはもはや解っていた。

 自分たちを快くは思わぬ何者かの――おそらくは検非違使庁の放免たちの策略に嵌められて、自分はいまこの裁きの場に引き出されているのであると。それなら正義は依然として尼公の側にあり、不正義は放免たちの方にあろう。寅丸はじめ随身の弟子たちであればまず間違いなく尼公の立場をそのようにかばってくれるはずである。だが、尼公の心は彼女の唇を、舌を、がちりと重々しく縫いつけたままでいる。

 果たしてこの場で己の正しきを主張し続けることが、まことの正義と言えるのであろうか。この地上にて御仏をつくり得る手段として、自らは洛中の死者たちを弔い、生者たちの最期を看取って来た。それが間違っていなかったとは今もって尼公も信じている。だが、信念が正義であったとしても、その手段が不正義であったがために――すべては『悪』として断じられようとしているのではなかったか。

 ごくりと、その場の誰もが唾を呑む音が聞こえたような気がした。
 そのように研ぎ澄まされた、鋭利な刃のような一瞬である。
 尼公は、ついに決意した。

「――――確かに、関わっておりました。あの御霊会の日、山鉾の列の前に出ることで人々を煽り立て、私は闘乱が導かれるよう仕向けましてござりまする」

 尼公の言葉を確かに聞き入れ、数瞬の後。
 大尉の眼は、くわりと見開かれた。

 怒りではない、歓喜としてでもない。
 そこには驚愕と、ほんのわずかの失望が宿っていることに、相対していた尼公は気づく。だが、その意図までは判らなかった。大尉のどこかかなしげな表情(かお)は、尼公の罪なきを半ば確信していたがゆえの反応ではあったけれど、心のうちに秘めたることばかりは決して通ぜぬ人という生き物の悲しさ、互いの意図を読み合うことはとうとうできなかった。

 大きく息を吸い込み、審理の場を揺るがすほどに大尉は宣する。

「裁きは決した。尼公こと聖白蓮には杖罪の咎ありとみなし、その背を七十度打ち据えるべし。そして刑を終えて後には、この者を奉ずる一団もろともに洛中から追い立てよ。二度と羅城門を潜らせること相成らぬ」


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