3/4. 全力少女、チルノちゃん
妖怪の山のふもと、特設スタジアム。
だだっぴろい原っぱの周囲に、円形状の客席が設けられている。
そこに、幻想郷のあらゆると言っていいほどの人妖がひしめき合っている。
「レディース、アンド、ジェントルメーン! 今日は参加してくれてありがと! 実況は私、ミスティア・ローレライがお送りします!」
スピーカーから流れるその声に、歓声がどっと沸く。
別室にいるであろうミスティアは、何やら巨大なスクリーンに映し出されている。
「今回は、命名決闘法改正の賛成、反対の代表者に、スペルカード戦をしてもらいます。敗者は勝者に従う、いつも通りのルールだよ!」
スクリーンに、補足ルールが書かれている。
戦闘がこう着状態になった場合は、観客による投票で命名決闘法の扱いが決まる、とのことである。
また、客席には結界がほどこされているので、ファールボールに注意しなくていいんだとか。
「さあ、選手の入場です。まずは改正賛成側! 通称、大妖精さんです!」
コロシアムの端に、入場ゲートがある。スモークともに、大妖精が現れる。
だが、客席は少しばかりざわつくのみ。裏スペル業界に詳しいマニアだけが、黄色い声を飛ばした。
「対する反対側は、ルーミアさんです!」
こちらに対しても、観客は首を傾げるばかりだ。
命名決闘法の行方を決める、大事な勝負。にも関わらず、力の無い妖怪ばかりが出てくる。
霊夢や紫はどうしたんだという声が広がってゆく。
「さあさあ、両者にらみ合っております! どう? 始める前に、一言あるー?」
その声に応じ、大妖精は右手を大きく振って、客席にアピールする。
「……遊びは、皆と仲良くするためのもの。でも、今の弾幕じゃ、駄目。私が、妖精らしく、仲良しな弾幕に変えてみせるよ!」
観客たちはいまいち状況が飲みこめないらしい。とはいえ、小さな拍手から、喝采へと波が広がっていく。
そう。今や観客の多くも、命名決闘法の改正に賛成している。彼らの期待は、大妖精の手にかかっている。
一方のルーミアといえば。珍しく緊張の面持ちであった。
「……大丈夫。今までずっと頑張ってきたんだから。私なら、やれる」
こちらには、まばらな拍手。一部の熱狂的な金髪愛好家が声援を送っただけだ。
大多数の観客は、なぜ彼女がここにいるのかも分かっていなかった。
「それでは、準備もいいみたいだし。決闘、スタートだよ!」
まずはお互いに向き合って、一枚ずつカードを取り出す。
そして、カードを高く掲げて、詠唱開始。
「契約者、チルノを宣言するよ! 決闘の代理人として、チルノちゃん、召喚!」
「契約者、リグルを宣言。代理人として、召喚」
カードがまばゆく輝き始め、光の塊が現れる。その光の中からはじけるように、まずはチルノ、それからリグルがフィールドに出現。
出てくるなり、リグルが頬を膨らませて大抗議。
「ちょっと待ってよ! 何なの、このシステム! あっちのルールじゃん! 絶対不利だよ私たち!」
「リグル、落ち着いて。基本的なことは変わらない。こっちだって、自由にスペルカードとかアイテムカードを使用できるから」
ルーミアがリグルの肩をぽんぽんして、落ち着かせる。
裏スペルカードルール。命名決闘法のルールの穴をついた、グレーゾーンのシステムだ。
敵やUFOからスペルをもらっても、魔女の箒を何本も使って蹴ってきても、ナマズを落としてきても構わない、無法地帯だ。
だが、それなら相手と同じことをするまでと、ルーミアは提案した。
「今日のためにいくつか霊撃カードを集めといたよ。これでリグルを支援してあげるから」
「いいや。そんなのはいらない。ルーミアは黙ってみてくれればいい」
「ちょっと、正気?」
「これは、弾幕の伝統をかけた戦いでもあるんだよ。私の知ってるルールで堂々と戦って、実力だけでねじ伏せてみせる!」
今度はリグルが高々と腕を掲げて、客席に向けてアピール。アピールしたはいいが、反応が全く返ってこない。
リグルもまた、大妖精とのように、しがない妖怪の一人としか見られていない。
妖怪としての力の強さと弾幕の強さは、ノットイコール。むしろ、ノットイコールにしたのが、命名決闘法だというのに。
不服そうなリグルの前まで、チルノがずんずん進んで仁王立ち。
「リグル。……本気できなよ。あたい、ずっとこの日を待っていたんだ」
チルノが笑みを浮かべながら、挑発する。
しかし、嫌味な笑顔ではない。心からこの勝負を楽しみに待っていたかのような、満面の笑みだ。
「いい顔だね、チルノ。じゃあ、まずは小手調べといこうか」
「さあ、こーい! 修行の成果、見せてあげるんだから!」
今回は、リグルから勝負を仕掛ける。
ごく当たり前のことのように、自然な声で宣言を開始した。
「いくよ。季節外れのバタフライストーム!」
客席の一部にどよめきが生まれた。
知る人ぞ知る、彼女のラストワード。その技を小手調べと称するリグルに、観客の期待が高まっていく。
さて、まずは卵がリグルの周囲に展開。急激に成長が進み、蝶が生まれる。
チルノは警戒して、リグルから距離を取った。しかし、肩透かし。20m先のチルノめがけ、黄と緑の蝶がふわふわちんたら向かってくる。
「へん。こんなしょぼい弾幕、凍らせるまでもないわ!」
「それは、どうかな?」
よく観察すると、蝶が不自然に、一斉に羽ばたいていることが分かる。
「おかしいな? 今日、こんなに風、強かったっけ?」
急激な大気の変化を、チルノは肌で感じていた。
だが、気づいた時にはもう遅い。
リグルの周囲に、砂埃が渦を巻いている。それは局地的な竜巻といってよいだろう。
「知っているかい? 蝶の小さな羽ばたきは、大きな嵐をも生んでしまうんだよ?」
利用するのは、風のエネルギー。時速50kmのつむじ風にのって、蝶の群れがうねりながらチルノに襲いかかる。
蝶の発射からチルノに到達するまで、1秒あまり。
初見で対峙する相手にとって、弾道を見極める猶予は皆無に等しい。
「チルノちゃん、危ない! 霊撃、発動!」
突如、チルノの指から霊力が展開され、周囲の弾が吹き飛ばされる。
「むむむ、敵ながらナイスボムじゃないの!」
よく見ると、チルノは銀の指輪をしている。アイテムカードの効果を作動する装置なのだろう。
アイテム使用担当者の大妖精、胸を張って得意げだ。
「へへん。私はチキンボムの天才ですから。さあチルノちゃん、やっちゃって!」
「オーケー! こういう弾幕だったら、お茶の子さいさい!」
ラストワードといえど、一度弾道を見てしまえば問題ない。チルノにとっては、一波避ければ十分だ。
風に乗る蝶の隙間に潜り込み、チルノ、魔力をチャージ。
すぐさま魔力全開バリバリとなり、氷塊がチルノの眼前に放たれる。
「くらえ、アイスバリア!」
一匹の蝶が氷塊に触れるとともに、一瞬のうちで凍りつく。
その凍った蝶が、さらに別の蝶を凍らせ、連鎖反応を起こしてゆく。
その光景はまるで樹氷だ。一つの氷の種から蝶を巻き込み、幹と枝を作り上げる。
樹氷の目指す先は、当然、リグル! リグルの周囲に展開していた卵が、みるみるうちに氷漬け。まん丸い氷像がすっかりできあがった。
「へっへーん。ちょいとでもあたいにかなうとでも思った? でも残念。リグルにはもっとも残酷な死を贈ってあげよう!」
チルノが冷気の出力を弱めるとともに、氷塊にひびが入る。
相手の弾幕を凍らせ、そして破裂させる。これにより、敵の弾幕の数倍の濃度の弾幕を生み出すことができる、最強のカウンター攻撃である。
だが、氷を破裂させるその瞬間。チルノは一つの疑念があった。
「……おかしい。氷の中に、リグルのあったかさがない」
冷気を操る妖精は、温度感覚に敏感だ。そこにあるはずのリグルの体温が感じられないでいた。
チルノは脳裏に浮かんだ嫌な予感を、顔をぶんぶんして振り払う。
それと同時に、氷塊を爆発させる。
「い、いない!? じゃあ、どこに……!」
「チルノちゃん、上! 上だよ!」
「気づくのが遅いんだよ!」
天からの強襲、急降下リグルキック。
弾幕が駄目なら、体当たり攻撃だと言わんばかりの特攻精神だ。
これには、さすがのルーミアも驚きを隠せない。
「さすがはリグル。竜巻の砂埃と風を利用して、見えないように上空に飛んでいたのかー!」
「まずは一発目、いただくよ!」
「さ、させない! リトルアイスバーグ!」
チルノ、とっさに氷塊を生成し、そのまま頭上に投げ飛ばす。
だが、即席アイスでは硬度不十分。かたや、リグルは高度十分。
重力にまかせ、そのまま氷山をまっぷたつに砕きながら、チルノめがけて急降下!
「れ、霊撃!」
「うおお!?」
大妖精の判断で、またも霊撃が発動される。チルノに触れた瞬間、リグルの体が吹き飛ばされる。
両者ともに距離をとって、振り出し状態に戻った。
想定以上の激戦に、観客席はいつの間にかヒートアップ。拍手が巻き起こっている。
「リグル、大丈夫? さっさと本気出していいんだよ?」
ルーミアが心配そうに尋ねるも、リグルは余裕のスマイルだ。
「……思ったより強いね。霊夢さんが負けたのも分かる。でも、大丈夫。アイスバリアには弱点がある。チルノが魔理沙さんに苦戦していたのを、私はしっかり覚えているんだ!」
レーザーは凍らせることができない。それどころか、そのエネルギーで氷を砕くことすらあるのだ。
「これでどう? モルフォ蝶レーザー!」
真っ青に輝くモルフォ蝶が集まり、太陽光を反射する。
モルフォ蝶の鱗粉は青色の光だけを反射し、かつ光を干渉することにより強めあう。
青色のレーザーが蝶同士で反射され、レーザーの輝度が高まってゆく。
ジグザグ模様を描くブルーレーザーが、コロシアムを駆ける。直接見ると、目を傷めてしまうだろう。
「愚かな! 紫とかいうやつも、そうやって負けていったのさ!」
「な、何!?」
「見るがいい。あたいの新必殺技、カウンターレーザーをね!」
チルノの両手から3方向に冷凍光線が射出される。
すると、何ということでしょう。蝶の放ったレーザーが干渉され、押し返されていくではありませんか!
「目には目を、レーザーにはレーザー! あたいにはもう、一つも弱点なんてないんだよ!」
「うぐぐぐ……」
リグル、歯ぎしり。少しずつ、チルノの恐ろしさを理解し始めていた。
弾幕も、生半可なレーザーも無効化されてしまう。霊夢と紫を破るほどの戦法だ。これでは何をやっても無駄な気がする。
「こいつは思ったより厄介な相手だな……。どっから攻めよう?」
「何を言ってるの。リグルなら簡単に勝てるでしょうが」
ルーミアが、妙に不機嫌そうだ。いらいらしているのか、言葉に棘がある。
リグルはそれに対し、うなづくでもなく、じっとうなだれている。
「どうしたの? こないなら、こっちからいくよ?」
今度はチルノが攻撃準備。と、思いきや、スペルカード宣言は大妖精の方からだ。
「スペルカードアシスト発動! 光り輝く水底のトラウマ!」
「やはり来たね、裏スペル! 他人のスペルで勝とうなんて、思わない方がいいよ?」
大妖精が宣言。それとともに、チルノの指輪から魔力が放出され、リグルをぐるりと覆うように魔法陣が展開される。
水の弾幕がうねるようにして、リグルを取り囲んでいく。だが、弾幕の濃度は高いものの、安全な場所がいくつかある。
リグル、ひとまず安全地帯で策を考える。
「ふふん。のんびりしてちゃだめだよ? いくよー、アイスバリア!」
裏スペルカードの新しい使い方だ。他人のスペルカードと自分の能力を組み合わせ、新たな弾幕へと昇華される。
リグルを完全に覆っていた川は、氷河へ変貌。今度こそ回避困難な氷のシェルターの完成だ。
「やっと閉じ込めたー! あとはこれを壊すだけで、みんなやられちゃうんだよねー」
氷を砕けば、間違いなくリグルは被弾するはず。
チルノ、勝利を確信、したいところだった。
「ご、ごめん。大ちゃん。ボムの用意、お願い!」
「ちょ、ちょっと待って! あと一つだけど使っていい?」
「いいよ。何か来たらすぐ撃って! すごく、嫌な予感がするの!」
チルノは、明らかに自然界では起こらないことを察知していた。
今度は、氷の中から高温が感知されている。
「あり得ない……。あり得ないよ! 虫が炎を使うなんて、できっこないはずでしょう!?」
砕かれるはずの氷が、みるみるうちに溶かされていく。
穴の開いた氷のドームから、チルノめがけて虫が一匹、飛び出した。
それと共に、騒霊もかくやという勢いで鳴きはじめた!
「う、うああああ!」
「れ、霊撃! 霊撃!」
霊力の爆発により、あたりの氷がすべて吹き飛び、消滅。
それと同時に、リグルの姿が完全に現れた。その両腕には小さな甲虫が何匹も張り付いている。
「チキンボムがアダとなったね、大ちゃん! そいつはおとりのセミさ!」
「大丈夫だよ大ちゃん。私はノーボムでも、アイスバリアで耐え切っちゃうから!」
「そうはいかない。いくよ! 爆撃甲虫、ボンバルディアビートル、発進!」
ボンバルディアビートル。体内で化学物質を合成することにより、100度を超える体液を尻から噴出することができる。
それを、毎秒500~1000発の連射、それも前方270度の方向に撃ち分けられるという、弾幕のために生まれてきたかのような虫だ。
リグル、飛翔。チルノに向かってガトリングガンのように高温物質を浴びせかけにくる。
「この物量ならアイスバリアなんて貫通するはず! 勝負あったね、チルノ!」
目標、チルノまであと数メートル! 着弾確実であろう地点にまで急接近。
だが、リグルの視界の端に、不可解な光景が見えた。
チルノの後ろにスタンバイしている大妖精。その隣に、ルーミアがいる。
何やら、受け渡しをしているように見えたが。
「と、とにかく。このまま蜂の巣にしてくれよう!」
「残念だね、リグルちゃん! 霊撃、だよ!」
「な、何だって!?」
放出される霊力の爆風に、甲虫が吹き飛ばされてしまう。
空中でふんばるのが精一杯なリグルの隙が狙われる。
チルノ、すぐさま滑空。リグルの足もとに潜り込んだ。このチャンスを逃さないのが大妖精だ。
「アイテムカード発動! 否徳の法輪!」
チルノの目の前にお椀のような法輪が出現。そこから、入道の拳が勢いよく飛び出る!
そこに、冷気をたっぷりと流し込んだ。
「いっけえ、れいとうパーンチ!」
追い込んでいたのは、リグルの方だった。観客の誰もが、リグルの勝ちを予想していた。
しかし、それはたった今、過去のことと化してしまった。
全身にはしる衝撃を、上空に吹き飛ばされる感覚を、凍り始めていくわが身を、リグルは信じることができなかった。
だが、最も信じられなかったのは、もちろん。
「ルーミア、どう、して……!」
チルノを追いこんでいた、あの瞬間。ルーミアは大妖精に、霊撃符を差し出していた。
その裏切りに深い疑念と憎しみを抱きながら、リグルは遥か雲の上。
「社員に給料を与えるのは、当然のことだから。今のは、現物支給だけどね」
スピーカーを通して、ルーミアの声が響く。
巨大な疑惑は、確信に変わってゆく。
「みなさん。改めまして、こんにちは。みす帝愛グループの副社長、ルーミアです」
最初から、騙されていた。味方などいない、1対3の戦いだったのだ。
だが、後悔しても遅い。リグルの凍りついた体に雲の水分が張り付いていって、とうとう真っ白な氷塊に閉ざされてしまった。
巨大な雹が地面に落ち、会場から大きなどよめきがわいた。
=====
「みなさーん! やりましたー! 皆の安全を守れるのは、みす帝愛グループなんですよー!」
ミスティアのテンションはすっかりマックスだ。次から次に営業トークが飛び出してくる。
「万一、弾幕の強い妖怪が流れてきても大丈夫! このように、社員の人なら絶対に勝てるようになっているのです!」
そう、アイテムやスペルカードを購入して戦うシステムには、隠されたポイントがあった。
社員が課金アイテムを購入し、そのお金を給料として社員に渡せば、実質的にアイテム代はゼロとなるのだ。
つまり、みす帝愛グループの社員のみ、対戦に有利なアイテムが使い放題となるのだ。
「さてですねー。こんな素敵システムを考えてくれたのは、我らが副社長、ルーミアなんです! 拍手―!」
会場からはまばらな拍手が送られる。
反則に近いこのシステム、素直に同意できないものも多いようだ。
「ずっとこの日が来るのを待っていたんです! ルーミアに勧められて、屋台を始めて資金を集め、早5年。やっと、改正できるなんて!」
ミスティアの言う大仏様とは、ルーミアのことだったのだ。
会場のスクリーンには、勝利の雀酒を飲み始めるミスティアの笑顔がアップで映っていた。
「手荒でごめんね、リグル。でも、これであなたも、皆と同じように遊べるはずだから」
ミスティアの野望は、今まさに現実のものとなる、はずだった。
このゆるみきった空気を、またも彼女が動かした。
「なに、言ってるの、ミスティア。勝負はまだ、分からない」
控えめだが、しんのある口調。淡々としていて、それでいてどこか楽しんでような声。
それは、ルーミアだった。彼女の胸元についた小型マイクから、会場へ、そしてミスティアに声を届けてゆく。
スクリーンに映るミスティアは、少し目をぱちくりしたものの、まだ酔いが冷めていない様子だ。
「なーに警戒してるの? どっからどう見ても、戦闘不能じゃないの。あんなに凍っちゃってるもの」
「分かってるよね? 決闘は、やる気がある限り続けられる。そういうルールなのよ、社長さん?」
挑発気味に、にやにやとした笑いを隠さない。
ただごとではない空気を感じ取って、ミスティアの桃色チークが青ざめてしまった。
「ルーミア、何言ってるの!? 私たち、味方でしょう? リグルを倒して、今日のお仕事終わりの予定でしょう!?」
その声に反応したのか、真っ白な霜ボールがぴくりと揺れ動く。
それを見たチルノは、「やっぱり」と頬をほころばせた。
「リグルはまだ、やる気があるよ。分かるもん。だって、あいつはまだ、本気を出していない」
「ほほう、そーなのか?」
ルーミアが興味深そうにチルノを眺めた。
対するチルノはあっけらかんと答える。
「うん。あたい、ずっと舐められているから分かるんだ。魔理沙もリグルもいつもそう。分かるよ、子供だましって」
「なるほど。直感も馬鹿にできないものだね。そうさ。リグルは今の今まで舐めプレイを続けていた、大馬鹿ものなんだよ」
あたかも、ルーミアは答えを知っているかのような言葉だった。
リグルはまだ戦える。そしてもっと強いはず。そのことを信じた発言だった。
ルーミアはゆったりと氷塊に近づき、両手を広げ、まるで呪文でも唱えるかのように叫んだ。
「さあ、お目覚めの時間だ! 幻想郷史上最凶のクリーチャーよ、再会しようじゃないか!」
その氷に、亀裂。卵に力を加えていくように、みるみるうちにひびが表面を覆っていく。
中から、何かが膨張していく。
ゆで卵の殻が剥がれるように、氷がばらばらと落ちてゆく。中から現れた異様な物体に、大妖精は恐怖を隠せない。
「あれは……。あれは、巨大な、蜂の巣!?」
直径3mも4mもあろうかというサイズの、スズメバチの巣の完成だ。木の肌の色と土の色をマーブル状に混ぜたような色をしていた。
巣の中から、エコーのかかった声が響く。
「分からない。分からないよ、ルーミア……」
息が小刻みに震えていて、怒りを抑えてやっとという声だ。
「確かに私も、馬鹿だったよ。みすちーの会社にまんまと案内されて。おかしいと思えばよかったんだ」
ルーミアが朝から起こしにきたのも、会社のパスワードを知っていたのも。
全て、リグルをみす帝愛グループに誘導するためだった。
実力を測るための弾幕というのも、もちろん嘘。おそらく、霊夢と紫を撃破させるまでの、時間稼ぎをしていたのだろう。
だが、今のリグルにとって、そんなのは些細なこと。
正々堂々とした戦いを壊された怒りに、満ち溢れている。
「でも、なんでここまでするの!? ねえ、ルーミア。私、何か悪いことでもした!? 恨みでもあるっていうの!?」
「あるに決まってるじゃないか。ずっと前から、あなたのこと、恨んでた」
会場の全員が、心臓を同時に脈動させてしまうほどの、爆弾発言だった。
太陽は雲に隠れ、夜ではないかと勘違いしてしまうほどに、暗い。
冷え切った空気をさらに凍らせるように、ルーミアがくすくすと笑った。
「そろそろ、薄々気づいてきた頃なんじゃない?」
「……どちらかというと、信じたくないってだけだよ」
「ほほう。聞かせてもらおうか」
期待も、不安も、怒りも、恐れさえある。
ぐちゃぐちゃに混ざったリグルの心は、蜂の巣のマーブル模様のようだった。
「私を恨んでいる奴なんて、一人しか知らないんだよ! でも、でも……!」
「……リグル、いいことを教えてあげるよ」
未だ確信が持てないリグルに、ルーミアはとどめを刺しにきた。
普段より数段と落ち着いた、暗く、怒りを抑えるような声だった。
「脳に特定の刺激を与えると、たとえ人間でも爆発的な身体能力を得て、吸血鬼になる、というお話。知ってる?」
「ちょっとちょっとルーミア、さっきから何の話しているの!?」
ミスティアもこの流れは想定外だったらしい。あわあわとせわしなく翼をはためかせる彼女がスクリーンに映っている。
すっかり制御不能となったルーミアを、もう誰も止めることはできない。
「もし、脳に銀を刺したりして、不純な刺激を与えるとどうなるのかな? そうすればこんなに力も弱くなって、こんな子供みたいな見た目になったりするんだろうね」
ルーミア自身がそうであるかのような、皮肉めいた言い方であった。
脳への負担。リグルはルーミアの頭についている、血のように赤いリボンを思い出した。
「ま、まさかルーミア。お前のリボンって……!」
「そう、銀さ。それが刺さっている。いや、刺したんだ! 誰にもばれぬため、復讐の気持ちを忘れぬため、ただの野良妖怪となって潜伏していたのさ!」
声にならない叫びが、蜂の巣から響く。
最悪の形で、彼女たちは今、再会を果たす。
「そうさ! 私こそが第二の吸血鬼! 太陽も恐れぬ最強の吸血鬼とは、私のことだったんだよ!」
その言葉に、リグルの感情はとうとう摩天楼に達する。
丸い蜂の巣を裂くように、ひびが入ってゆく。崩れゆく巣の中から表れたのは、獄滅極戮虫たちだ!
「ずっと会えるのを待っていた……。必ず死なす!」
「いきなり死ねとは物騒な話じゃあないか」
「いいや許せないね。私に復讐、そんなケチな理由で、私もみすちーも裏切る、その卑怯なやり方が許せないんだ!」
現れたのは、8匹の、機械じかけの蜂だった。
最終鬼畜蜂兵器を従えながら、リグルは赤色のカブトムシの上に乗っていた。
「教えてやるよ。いつだって弾幕のラストを飾るのは、虫なんだってことを!」
ルーミア、すぐさま大妖精をキャッチ。そのまま結界のある客席に連れて逃れてゆく。
チルノが残される形となり、大妖精が小さな悲鳴を上げる。
当のチルノはといえば、すっかり目を輝かせている。爆発的な魔力を前に、心を躍らせていた。
「さあ、リグル! 来なよ! あたい、ずっと楽しみにしてたんだ!」
「邪魔をするなチルノ! くそう、みんなみんな私の敵だ! ひとり残らず死ぬがよい!」
もはやリグルの理性は吹き飛んでしまっている。相手がチルノでも構わない。一瞬で吹き飛ばしたい欲求に駆られてしまっている。
蜂たちは太陽のように、緋色の火で燃え盛る。
「ダダダダダダダダダー!」
血に飢えた弾丸が、一斉にチルノに飛びつきにかかる。
1匹だけで高速かつ高密度の弾。それが、8体分。さらにカブトムシからは、視界一面を紫に染め上げるような高密度弾幕がゆったりと放たれる。
あまりの弾量に、客席からは何も見えなくなってしまうほどであった。
「アイス、バリアー!」
チルノ、まずは冷静に弾を凍らせてダメージを奪う、予定だった。
だが、氷の破片程度では、ビクともしない。
「ふん。蜂は一日に100kmも飛べるスタミナの持ち主だ。そんな攻撃、屁でもないわー!」
リグルの合図とともに、蜂が三匹、チルノの後ろに回り込んだ。
数十本ものレーザーを敷き詰め、さながら光の海が背中から迫ってくるかのようだ。
冷凍光線で応戦しなければ、被弾必死。
だが、押し返しきれない。残ったエネルギーが、弾幕として辺りに飛び散ってしまう。
身動きを取れなくした状態で、前方からは巨大なエネルギー弾がじわじわとチルノに近づいてゆく。
もはや回避不可能に近い暴力でしかない。
「れ、霊撃!」
「バーリヤ! ボムなんかに頼ってんじゃないよ!」
大妖精、霊撃で必死にカバー。チルノの指輪を中心に、弾幕が除去される。ぐちゃぐちゃに塗られたキャンパスの一部が、白紙に戻っていくかのよう。
しかし、蜂たちにはこうかがないようだ。キャンパスに向かってペンキをぶっかけるような物量が、すぐさま襲いかかる。
「霊撃! 霊撃!」
「そのボムをやめろ! ちっきしょう、いくら撃ってもきりがない……!」
最強の矛と、最強の盾が、ここに生まれた。
常人には絶対に避けられない弾幕と、無限のボムを持つアタッカー。
弾を撃たなければ反撃される。かたや、ボムを撃たなければ即死。お互い、今の行動を繰り返すことしか、できない。
今ここに、完全なこう着状態が生まれた。
「観衆たちよ、よく見るがいい。あれが、遊びというものの末路だ」
それはルーミアの声だった。
胸をそらして腕を広げ、会場全体にアピールしているようだ。
「遊びが上達して何になる。最終的には無意味な知識と技能と金を積み重ねるだけ。残るのは、形ばかりの最強戦。こんなくだらない戦いだけだ!」
支離滅裂な弾幕を撃つだけの、ボムを撃つだけの決闘。
観客も大妖精も、リグルでさえも、ルーミアを否定することができなかった。
会場に、ミスティアの涙まじりの声が響いた。
「やめてよ、計画が無茶苦茶じゃない! あなたの言いたい事もやりたいことも、全部全部、分かんないよ!」
「私は、この世界のルールを変えたいんだ。遊びで揉め事を解決する、この歪んだ世界を皆に分かってほしかったんだ。こんな遊びで無駄になる時間を、仕事や研究に当てられたらどうなる? もっともっと、妖怪社会を発展させられるんだ!」
ルーミア。一度深呼吸。
幻想郷全土に自分の声を届けるかのように、めいっぱいの息を使って訴える。
「幻想郷に弾幕なんていらない! 女の子が仲良く平穏に暮らしていれば、それでいいんだよ!」
リグルが一瞬、弾を出し忘れてしまうほどの暴論だった。
間違っているはずだと、心の底から叫びたい。なのに、それができない。リグル自身に、戸惑いがあったからだ。
強くなって、もっと強い相手と、心の踊るような戦いをしたかった。
チルノは確かに強い。しかし、今の戦いに熱さも楽しさも感じられない。何のために強くなってきたのか、リグル自身、分からなくなっていたのだ。
やけくそに弾幕をまき散らすリグルを確認し、ルーミアはひそかにほくそ笑んだ。さらに、演説を続ける。
「皆が仕事をして助け合えば、仲間もできる。皆の役に立てたら、遊ばなくても心は満たされる。揉め事は裁判とお金で解決すればいい。弾幕なんて、不要なんだ」
「無茶苦茶、言わないでよ!」
「果たしてそーかな? 慢性弾幕依存症第一級患者め。たかが遊びで相手を従わせ、強弱を決めるこの世界は不安定だ。私は、この幻想郷をより良いものに変えたいだけなんだ!」
客席は少しずつ、ルーミアの波にのまれていっている。とうとう、小さな拍手が起こってしまった。
この流れに乗って、ルーミア、チェックメイトの体制に入る。
「遊びの世界から、お金と仕事の世界にチェンジする。その実現には、強力な政治が必要だ! 私は幻想郷を改め、神聖ルーミス帝国にしたい! 私は王として、皆を導くのだ!」
「ルルル、ルーミス帝国!?」
「そうさ。私が王で、ミスティアが姫。なに、トップと言っても、今の私はただの雑魚。力で独裁なんか、できやしない。ただ、皆が新しい世界にしたいというのなら、面倒くさいリーダーの仕事を買って出てやろうって話さ」
革命だった。まごうことなく、第二次吸血鬼異変であった。きっとルーミアは、最初から幻想郷を征服するつもりで吸血鬼異変を起こしていたのだ。
にも関わらず、拍手が止まらない。むしろ、ルーミアコールが起こるほどだ。
リグルの胸に、違和感。妖怪たちは金に無頓着な者が、多いはずなのに。リグル、ちらりと横目で客席を見る。
「河童……。それに、天狗たちも……!」
かたや技術者集団。かたやマスコミを含む巨大組織。お金稼ぎ社会にめっぽう強いエキスパートたちだ。
リグルの背筋が、急に寒くなった。
このままでは、弾幕は引き分け。その場合、人気投票によって幻想郷の未来が変わってしまう。そうなると、集団票を勝ち取れるルーミアサイドに大きく有利だ。
もはやリグルはなりふり構っていられない。徹底抗戦の構えを見せる。
「皆、目を覚まして! ルーミアが幻想郷のトップなんてあり得ないでしょう!? こんな横暴、許しちゃ駄目! いっそ私がトップになる!」
「私はこれでも元吸血鬼。上に立つものとしての帝王学に政治学に軍事学に社交ダンスを叩き込まれている。どこぞのアホと違って、私は遊ぶ暇なんてなかったものでね」
「ぐ、ぐぐぐぐ……!」
どうすることもできないのに、リグルは弾幕を出すのを止められない。止めたところで、みす帝愛グループの勝ちに近づいてしまうだけ。
絶望的な状況。だが、諦めたくない。
去りゆく恋人相手にしがみつくくらいに、リグルは必死になっていた。
「いやだよ! 私、弾幕が一番の友だちなの! 弾幕、ほら、楽しいもん! 弾幕無くすなんて駄目だってば!」
悪あがきだった。口からでまかせだった。その言葉は、観客に届かなかった。
弾幕の行きつく先は、美しさのかけらも無い殺意の塊。それを目の前で見せられながら「弾幕楽しい」と言われても、皮肉にしか聞こえない。
ルーミアはリグルを無視し、最後の仕上げに手をかけた。
「さあ、戦闘もすっかりこう着状態だ。皆の投票で、未来を決めようじゃないか。弾幕の無い、素晴らしい時代を迎えるか。それとも、こんな無意味でつまらない遊びを続ける時代にするか!」
ルーミアの執念の勝利だった。種族を捨ててまで、吸血鬼異変を成功させるその執念には、勝てっこない。
誰もが彼女の勝利を信じていた、はずだった。
「つまらない、だって? それは違うよ!」
その声に会場がびりりと震えて、しいんと静まり返った。
「あたいは今、すっごく楽しいよ。やっとリグルが本気出してくれたんだから! リグルだって、さっき楽しいって言ってくれたもん。それが、嬉しいんだ!」
その甲高くも力強い声の主は、チルノであった。
蜂兵器の出力が、抑えられる。それとともに、弾幕に埋もれていた彼女が、姿を見せた。
息で肩が大きく上下しているのは、大声によるものか、疲労によるものか。
「あたいは、ずっと目指してたんだよ。最強のリグルに楽しいって言ってもらえるくらいに、強くなりたかった。そしたら、あたいも最強だもん。だから今、あたいは最強なんだ!」
リグルの心臓がずきりずきりと痛む。
ほとんど嘘だった「楽しい」という発言で、チルノを喜ばせてしまった罪悪感がある。
チルノが自分を目標に最強になったというのも、嬉しさ半分悲しさ半分であった。
手加減しても全力でも、どっちにしても誰も楽しませられないのが最強の宿命だ。そんな境遇にさせてしまったことに、胸が苦しくなる。
「……最強になって、それから、どうするっていうの? もう誰も、チルノと遊んでくれなくなるかもしれないのに」
「えー。そんなの簡単じゃん。そんなことも分かんないのー?」
霊撃を発動しながらも、チルノは指をちっちと振って余裕の笑顔で答えた。
「最強になったら、もっかい最強になる。そうすればモアベスト最強No.1になれるんだから!」
その瞬間、悲鳴が聞こえた。大妖精のものだ。
チルノが振った、その人差し指。その指輪が、引き抜かれているのだ。
リグルがやったわけでもない。ルーミアがやったわけでもない。チルノが、自分自身で、命の綱である指輪を抜き取っているのだ。
その行方は、左手の握りこぶし。そこから弾幕がかき消されている。
「あたい、妖精だから知ってるんだ。リセットしちゃえば、ずーっと楽しいってこと」
チルノの左手が、ゆっくりと開かれる。霊撃を放つ指輪が地面に吸い込まれていく。
あまりに、突然のことだった。弾幕を止める暇など、なかった。
鈍い音。楔形の弾が、2つ3つ、チルノの腹を突いていた。
弾幕を停止させるものの、時すでに遅し。すでにチルノは、草原に叩きつけられていた。
あわてて後を追って、リグル、着地。泥まみれのチルノが、ゆっくりと立ちあがった。
「チ、チルノ! 大丈夫!? 何やってんだよ!」
「……言った、でしょう? あたいはもっかい最強になる。新しいあたいで、もっかいリグルを楽しませる!」
何を思ったのか、チルノ、正座し始める。そして傍らに生えている草にめがけ、冷気を発した。
根がつながっているタイプの草らしい。凍りついた草の塊を引っこ抜くと、細長いのこぎりのような形になった。
居合切りをするように、その氷を一振りして、リグルに対峙した。
「あたいは伝説の『アイスリーフブレード』を使いし勇者。チルノ・ザ・ブルーであるぞ!」
アイスリーフブレードとかいうわりに、形はぼこぼこ。伝説というわりに、その辺で拾ってきている。
フリーダムすぎるチルノの行動に、リグルの思考回路がぐちゃぐちゃにされてしまう。
チルノの行動が無茶苦茶だから、というだけではない。
チルノが、いとも簡単に新しいチルノになってしてしまった。このことに、脳がショックを受けたのだ。
自らの多大な努力と時間と金をかけて手に入れた最強の称号を、ぽんと捨ててしまった彼女を、リグルは信じることができなかったのだ。
「こいよリグル。ヒバチなんか捨てて、かかってこい!」
今の自分を捨てて、やり直す。
弾幕にばかり時間をかけてきたリグルにとって、それは一旦死ぬことと同じだった。
何の取り柄も無い、ただの冴えない妖怪になってしまう恐怖があった。
「どうしたリグル? ……怖いのか?」
無意味に積み重なった知識と技術とプライドが、遊びを邪魔しているというのに。
過去の栄光にしがみついて離さない自分を、リグルはひどく醜く思えた。
そんな自分は、殺してしまえ。新しい未来を切り開けるのは、新しい自分だけなんだ。
「くくく……。ふふふふふ……。ふはぁーはっはっはぁー!」
顔を手で多い、眼光だけでチルノを射抜く。そしてマントをひるがえらせて、一回転。
蜂たちの装甲が音を立ててぼろぼろと崩れ、砕け散ってしまった。
噴煙の中から現れたリグルの両手には、鞭のようなものが握られていた。
「おもしろい。おもしろいぞ勇者よ。よかろう。お前を、『血に飢えし鋳薔薇』の錆にしてくれよう!」
チルノに合わせ、即興で作ったのは伸縮自在のいばらムチ。
三角になっている棘の一つ一つが、緑と赤のまだら模様の、イバラツノゼミで出来ている。
弾力性のある、一本の蜘蛛の糸にセミをしがみつかせている。これにより、しなやかな鞭の完成だ。
といっても、見てくれはやはりグロテスクというか、虫そのもの。
だが、今のリグルにとっては間違いなく、魔王専用の最強武器であった。
「うおおお、いくぞ、魔王め! アイシングスラーッシュ! シュシュシュイーン!」
氷の剣を真横に薙ぎ払って、そのままぐるぐると回転をはじめる。
剣先から氷をまき散らす、近接攻撃と弾幕攻撃の両方を使った攻撃だ。
飛んでいく方向は無茶苦茶で、実用性は特にない。
「甘い! 喰らえ、我が超必殺奥義、星震わせ! ズゴゴゴーン」
二つの鞭をクロスさせて、地面にたたきつける。
地震など起きるわけがないが、今、チルノとリグルにとっては震度100を超える大地震が幻想郷を襲っていた。
「ちくしょう、体が動かない!」
「今だ! 我が最強スペルカード、『リトルバグ』でとどめだ!」
「アイスバーリヤー! 平気だもーん!」
あまりに馬鹿馬鹿しい、子供の戦いだ。だが、ルーミアにとっては一大事。完全にチルノのコントロールを失ってしまっている。
「あいつら、何をしている? 大妖精、チルノを何とか止めるんだ!」
「無理だよルーミアちゃん。こんな楽しそうなチルノちゃん、久しぶりだもん。止めちゃ、可哀そう」
「楽しいとかそういう問題じゃないよ! これは我々の大切な計画で……!」
「ううん。楽しいのは大切だよ。弾幕ごっこは楽しくない、無意味だって言い出したの、ルーミアちゃんじゃないのー」
「ぐっ……! ば、馬鹿な。あんな低次元の遊びのどこが、楽しいというんだ! このままじゃ、投票にうつれない……。計画が、崩れてしまう……!」
リグルは、弾幕ごっこという言葉を思い出していた。
馬鹿で幼稚な、ごっこ遊び。だから、頭を空っぽにできる。空っぽの頭だから、めいっぱいの歓びを詰められる。
「もう一度、星震わせ!」
「馬鹿め! あたいに羽がついているのが見えないの!?」
戦場は上空へと移る。長引く大戦争のせいか、すっかり夕焼けのほおずき色に染まった空だった。
観客は、空に映る二つの影を、ぽかんと見上げていた。彼女たちの遊びに、目が吸い込まれていたのだ。
「見せてやるよ。奥義、アイシクルフォール、イージー!」
「懐が、がら空きだぁーっ!」
チルノの両手からリグルを挟むように、弾幕を展開。しかし、正面に弾が届いていない。
リグル、誘われるように接近戦を試みる。
「馬鹿め! これはお前をおびき寄せるための罠さ!」
チルノ、すかさずアイスリーフブレードでカウンター。
袈裟懸けで斬りつけるチルノに対し、リグル、持ち前の機動力で後方に飛び退く。
それと同時に、2本のイバラを展開。ムチによる真剣白刃取りだ。
「かかったな、アホが! アイスバリアー!」
ムチを伝って冷気が流れてゆく。
これには勇気の切断をもって対応するしかない。
千切ったイバラをそのまま振り回し、遠心力でトゲトゲを射出する。
「新必殺技、ツノゼミとげキャノン!」
「し、しまったー。これはあたい、ピンチだぞー」
見え見えのばらまき射撃。今までのチルノなら、十分回避可能。だが、大げさに隙を見せた。
チャンスとばかりにリグルは連続攻撃の体勢に入る。だが、チルノは、なおも動かない。
必殺技を受け切るつもりだ。遊び心と観客へのサービス精神と、リグルへの信頼が無ければできないだろう。
まずはリグル、トゲを射出しきった糸に手首のスナップをきかせ、カウボーイのように横回転させる。
2本の蜘蛛の糸がチルノに向かって伸びてゆく!
「覚悟しな! 伝説の新必殺奥義、ナゲナワいづな落とし!」
糸の先端には、粘液の塊。文字通り、ナゲナワグモが獲物に糸を飛ばして捉えるためのものだ。
チルノの両腕を巻き込んだのを確認して、リグル、急降下!
糸に引っ張られる形となり、チルノは地へと真っ逆さま。強制的にフリーフォールだ。
地平線に乗っかった、丸く大きな夕日。二人の影が、それを真っ二つに割るように映し出された。
その豪快なパフォーマンスに、観客は拍手喝采だ。すっかり弾幕ごっこにのめり込んでいる。
最後はチルノを糸ごと、地面に投げつけてフィニッシュ。
チルノを投げ飛ばす瞬間、糸を軽く上に引いて速度を落としていたのは、リグルだけの秘密である。
「な、なんだこれ! 地面に何か……?」
リグルのコンボはまだ終わらない。仰向けになったチルノが、立ち上がることもままならぬ様子だ。
「やだ、べたべたして動けない……!」
チルノの下には、蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
手足をじたばたさせるも、逃げられない。むしろ動かすほどに、羽に、スカートに、ふくらはぎに、糸が絡みついてゆく。
「そうか……。あの地震攻撃、本当はこれを張るのが目的だったんだな! この卑怯者め!」
「ふふん。今頃気がついても、もう手遅れさ。お前はここでくたばってしまう運命なのさ!」
「な、何をー! くそ、こんな蜘蛛の糸なんて……」
チルノの手のひらに、冷気が集中していく。
アイスバリアのチャージを始めるが、リグルのご親切な忠告によって中断させられてしまった。
「おおっと、そいつはやめた方がいいよ。そんな状態で周りを凍らせたら、誰が最初に氷漬けになっちゃうんだい?」
「う、うぐぐぐ……。おのれ魔王めー!」
「くっくっく。お得意のアイスバリアが使えないんじゃ、どうしようもあるまい。どれ、たっぷりいたぶってから料理してやるよ」
まずはリグル、観客席に向かって何やらウィンク。
かと思いきや、すぐにチルノに向き直る。サディスティックな笑みとともに、舌なめずりだ。
「勇者チルノよ。ここが貴様の墓場となるのだー!」
獲物へと飛びかかるその瞬間。チルノが、蜘蛛の巣からいなくなっている!
蜘蛛の巣は刃物のようなもので完全に断ち切られてしまっていた。
「お、おのれ……。何者だ!」
左右にせわしなく首を振って、リグルは敵の正体をつかもうとする。だが、どこにもいない。
ふと、足元を見る。リグルの後ろから、長い影が伸びている。
回れ右すると、夕日を背に立つ、彼女の姿があった。
「闇に潜んで闇を狩る。疾風迅雷のくノ一妖精……。大ちゃん・ザ・グリーン、見参!」
彼女の両腕に、チルノが抱きかかえられている。
まずはチルノを自らの後ろに立たせ、苦無を両手にもって戦闘準備、完了。
「ここは私にまかせて。この『瞬刻殺』で、チルノちゃんを守る!」
「雑魚が群れても所詮は雑魚よ。その友情ごっこをぶち壊してくれるわ!」
「守るべき人がいるから、強くなれるんだから。いくよ、かげぶんしん!」
その瞬間、大妖精が三人にも四人にもなったように見えた。
高速でテレポートを繰り返すことにより、分身したかのように見せている。
どの大妖精も苦無を握りしめており、どこから攻撃が飛んでくるか分からない。
「……ちょこざいな。だが、弾幕の前には無力だ!」
速さには速さで対抗。触れた者に時速200kmで噛み付くアギトアリを、360°全方向に展開。
だが、アリたちはまっすぐ飛んでいっただけ。まるで手ごたえがない。
「残念、下でした!」
リグルの陰から、大妖精、ジャンプ。跳びあがると同時に、苦無で切り上げた。
空中でくるりと一回転してから、膝を立てて着地。
それと同時に、リグルのマントが真っ二つに引き裂かれた。
「ぬぅぅ!?」
「追い詰めたよ、チルノちゃん。魔王の体力も、そろそろ限界ってところじゃないかしら?」
切られているのはマントだけ。だが、大妖精の言葉に、リグルはなんだか全身を斬りつけられた気分になった。
仁王立ちから一転、片膝をついて苦しみはじめる。
「おのれ、この魔王が不覚をとるとは……」
「さすがは大ちゃん・ザ・グリーン! さあ、一気に決着をつけるよ! やつはもう、伝説の武器を持っていない。あとは近づいてぼこぼこにするだけだよ!」
「近づかせるか! 甘く見てもらっちゃ困る。私はまだ、本気の変身を残しているんだ!」
切り裂かれたマントを、真横に広げて羽ばたかせる。
そのまま宙に浮けば、空中戦に特化したトンボのような飛行形態となった。
「二人まとめて葬ってやる。最終奥義、銀色の嵐!」
ギンヤンマの大群が二人に突進する。
チルノ、まずはアイスリーフブレードで応戦。だが、あまりの素早さに対応できない。
時速60kmと昆虫界最速の飛行速度を誇るギンヤンマ。そのスピードは、バタフライストームの風速を超える。直接斬るのも困難だ。
まして、飛んでいるのは生きた虫だ。高速で体当たりしてきたかと思えば、ひらりと横に身をかわす。弾筋をとらえることができない。
「やつめ、まだこんな力を残していたのね! こんなに多く撒かれちゃ、分身が役に立たない!」
「く、くそう。ここまで追い詰めたっていうのに……!」
変幻自在に空を駆ける、まさに嵐であった。チルノも大妖精も、全く歯が立たない。
接近戦に持ち込めれば、武器を失ったリグルに勝てるというのに。
「残念だったね! 虫を統べることは自然を統べること。この魔王に勝とうなどとは、思わないことだ!」
リグルが人差し指を伸ばして、指揮を執る。
虫たちは一旦、妖精たちから距離を離す。そして彼女たちを取り囲むように、円の陣形をなした。
逃げ場所を封じ、とどめを刺すつもりだ。
だが、こんな絶望的な状況でさえも、チルノ・ザ・ブルーは諦めない。
「大丈夫だよ。あたい達は、大切な絆で結ばれているんだから!」
「この機におよんで、まだそんなことを抜かすのかい? 誰も助けてくれやしないさ。ゆけ! 我がしもべたちよ! 二人まとめて食らい尽くせ!」
ギンヤンマたち、急発進。チルノと大妖精に襲いかかる、はずだった。
何やら、虫どうしが、喧嘩をしている。ギンヤンマと別の虫が交戦し、思うように攻撃に移れない。
その隙をついて、妖精二人はリグルから後退。形成をたてなおす。
「な、なんだ……! 何をしているのだギンヤンマ隊! 敵はあいつらだ! 虫はみんな、仲間だろう!?」
そのとき、会場に、耳慣れない金属音が鳴り響いた。
コロシアムの入場ゲートから、噴煙。そのシルエットを見て、リグルは場違いながらも胸をなでおろしてしまった。
「やっぱり、来てくれたんだ」
そのつぶやきをかき消すように、会場のスピーカーから彼女の朗々とした口上が流される。
「敵か味方か、分からない。鳥か虫だか、分からない――。人呼んでさすらいのストリートミュージシャン。ミスティア・ザ・ブラック、ズバッと参上!」
帽子も服も黒いコスチュームに、サングラス。プラスチック製の真っ赤なギターが映えている。
ミスティア・ローレライが、ストリートライバー時代の服装とともに帰ってきた!
ギターをひとかきすると、彼女の背後から新手の虫が現れた。
「虫は虫でも、スズメガはこっちの管轄さ。ゆけ、コスズメ隊よ! わが『哀愁のギターソード』に従うのだ!」
三角形で扁平な姿に、茶色くて地味な配色のコスズメ。まさに、ステルス戦闘機を思い起こさせるデザインだ。
エレキギターの波に乗り、時速50kmとギンヤンマに次ぐスピードを誇るコスズメが、ギンヤンマ隊へ襲いかかる。
スピードは上だと言わんばかりにギンヤンマが体当たりをしかけるも、コスズメはすんでのところで避けてゆく。
スズメガの最大の武器は、空中で完全に静止することのできる、ホバリング能力だ。
小回りの利いた空中制御能力で、ギンヤンマの唯一の死角である、背後からの体当たり攻撃で沈めてゆく。
「お嬢さんよ。これを受け取りたまえ」
ミスティアが大妖精に、何か棒のようなものを投げ渡した。棒のようなものというより、棒そのものだった。
「こ、これは……! えーっと……」
大妖精、魔力を手のひらに込めて、炎を生成。
棒っきれに火がついて、新たな武器の誕生だ。
「これは、伝説の魔剣、『レーヴァテイン』ではないですか! なぜ、あなたがそんなものを……!」
「そんなことはどうでもいい。お行きなさい、お嬢さんたち。やつの攻撃は、私がここで食い止める!」
リグルの虫弾幕が無効化された今がチャンス。
チルノと大妖精、息を合わせて飛びかかる。
「この私が、ここまで追い詰められるだと!? これが……。これが絆の力というものなのか……!」
「いくよ、大ちゃん!」
「とどめだよ、チルノちゃん!」
チルノのアイスリーフブレードと、大妖精のレーヴァテインがクロスする。
二人の思いが一つになって、何が何やら奇跡を起こす!
「せーの。合体剣、スーパー・デンジャラス・アイス・フレイム・ブレード・スラッシュ・アルティメットー!」
「ぐわああああああああああああ!」
吹き飛ばされてゆくリグルは、宵闇の中に溶けていってしまった。
残るのは、妖精二人の息切れの音だけ。ようやく、静寂が訪れたのであった。
「これで、終わり……。かな?」
「待って! まだ、虫がいるよ!?」
流れ星が、地上から戻っていくように見えた。緑色の輝きが、天へと昇っていく。蛍の群れだった。
すっかり暗くなった夜空をバックに、蛍たちがまたたき、星座をつくってゆく。
銀河を流し、乙姫と彦星を描いては、今度はさそり座の物語をつづる。
リグルの得意な、弾幕あやとりであった。
「魔王は……。魔王は星になったんだね。夜空を彩る、優しい弾幕に変わったんだ」
その弾幕プラネタリウムに、客席は感嘆の息を漏らしながら見入っていたとか。
すっかり投票のことなど忘れてしまっていたのだとか。