ところが、そこの山ベにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた。
(日本聖書協会『口語訳聖書』ルカによる福音書8章32-36節)
1 進歩的な人々
幻想郷の教育水準は外の世界のそれと比較にならぬほど低く、里に暮らす子供たちにとって教育と言ったら、親の仕事の手伝いをするかたわら小さな私営の寺子屋へ通うのが精々で、貧家の子供などはそれさえままならぬことも決して珍しいことではなかった。もっとも、こんなことは私が改めて述べ立てるまでもなく、諸君もすでにご承知のことと思う。では、なぜ私はこんな愚にもつかない話題から稿を起こしたのか? それは、当然これが物語の本筋に関わることであるからなのだが、私がここで是非とも述べておきたかったのは、「貧家の教育は先述のとおりだったとして、では反対に、富家の教育事情はどうであったか?」と言うことなのである。私がこれから述べるのは、諸君の良く知る、素朴で、善良で、牧歌的で、謙虚で、貧しくとも罪のない、無学だけども信仰心の厚い、文明社会から隔絶された山奥の村々でしばしば出会うような、そういった人たちの話ではなく、商店主や地主といった、隔絶された世界にあってなお比較的裕福な人たちの話なのである。
諸君の中には、幻想郷は皆が平等で、貧富の差など存在せず、平穏で、幸福で、自由な人たちが勝って気ままに暮らす、つまりは
幻想郷の教育事情に話を戻そう。商店主や地主といった比較的裕福な暮らし向きの家では、跡取りに、それなりに高度な教育を施そうと、自前で教師を雇う例も少なくなかった。そして、そのような場合に、教師として外の世界の人間――いわゆる外来人を雇うことが、何というか、一種のステータスのように見なされていた。幸か不幸か幻想郷に流れ着いた外来人の多くは、外の世界で何かしら「高等教育」と呼べるものを受けていたし、勤め人であれば、経営や経理に関するノウハウを持つ者も少なくなかったので、そういう高度な知識や技能を持った外来人を教師(あるいは経営コンサル)として雇い入れ「経営基盤の強化を図る」のが狙いらしいのだが、そもそも里に点在する商店の間に経営戦略云々が必要なほどにレベルの高い熾烈な競争があったかどうか怪しいもので、実際のところ、これは裕福な資産家が「物珍しい外来人を手元に置いておきたい」あるいは「外の世界の話を聞いて己が知識欲を満足させたい」もっと包み隠さずに言ってしまうなら「博識な外来人を手元に置いている自分は、外の世界の文化に理解のある、知的で、進歩的で、リベラルな思想の持ち主なのだ」と暗に主張したいだけなのではないか、とさえ私は思うのである。とは言え、これは少々邪推が過ぎたかもしれない。外来人を雇った当の本人たちは、大真面目に経営戦略を練っていた可能性もあるのだから……。閑話休題、こうして外来人から教育を受けた裕福な家庭の子供たちは、やがて、少なからず外の世界にあこがれを抱くようになっていくのである。
裕福な家庭で育ち、外来人から外の世界の教育を受けた子供たちが、長ずるにつれ、自らの知識を生かして「何か新しい事業を起こせないか」と考えたとしても、それは全く無理からぬことである。なぜなら、どこの世界でもそうなのだが、富める者が次に欲するのは名声だからである。要するに、彼らは何か奇抜なことをして、里の人たちから一目置かれる人物になりたかったのだ。彼らの中には家業を継がず、独立して文筆家や作曲家、画家や彫刻家といった、芸術的な方面で業績を残そうと考える者も少なくなかったが、元来が裕福な家の出身者たちであったので、こうした半ば道楽のような仕事(ここで私は決して芸術一般を道楽と評しているのではないことを念のため申し添えておく。彼らの創作物は、芸術と呼ぶにはあまりに稚拙過ぎる!)であっても、それなりに暮らしていくことができた。彼らは互いの持つ情報を交換するために小規模なサークルをいくつも形成し、やがてそれらは、ある種の思想的な集まり、いうなれば
彼らは外の世界の情報に敏感で、外来人が何か新しい知識を持ち込む度に、その知識について、ああでもないこうでもないと熱心に議論するのが常だったので、里の人たちからは、いつしか『進歩派』とあだ名されるようになっていた。進歩派の中でもより過激な連中は、ちょうど明治時代初期の日本が、西欧文化を無条件に「進んだ文化」と見なし、この国のすべてを西欧風に作り変えようとしたのに似て、外の世界の文化の優位性を盲目的に信じ込んでさえいた。これから物語に登場する人たちは、無論そうした過激な思想の持ち主ばかりではないのだが、少なくとも、諸君の良く知る、貧しくとも純朴で牧歌的な大多数の里人とは明らかに一線を画し、進歩的でリベラルな思想を持つ一握りの人たちだということを頭の隅に留めておいて頂きたい。
2 利巧な外来人
さて、ずいぶんと寄り道をしてしまったが、我らが主人公――鬼人正邪君の話をしよう。彼女が里にやってきたのは、今から数ヶ月前(正確な日時は失念してしまったが、ちょうど、あの宗教家たちが起こした恥知らずな乱痴気騒ぎの前後だったと記憶している)で、そのころの彼女と言ったら、Tシャツにジーンズというラフな格好で、とある商店主の下で何か小間使いのような仕事をしていた。彼女自身の言を信じるなら、彼女は外来人で、外の世界の大学生ということであった。彼女は持ち前の博識ぶりと巧みな話術をことあるごとに商店主の前で披露した。一度などは、何かの商談の折、たまたまその場に居合わせた彼女が、この商談が実は手の込んだ詐欺行為であることをその場で見破り、商談相手に扮した詐欺グループの眼前にその証拠を突きつけて商店から追い払うという場面さえあった。しかし、これなどは少々でき過ぎた感のあるエピソードではないだろうか。このタイミングで詐欺事件が起こり、そこにたまたま彼女が居合わせるというのが、まず不自然である。彼女は事前に詐欺事件が起こることを知っていた。もっと言うなら、この憐れな詐欺グループを焚きつけて、件の商店に誘導したのも、正邪君本人ではなかったかと私は推測するのである。とは言え、商店主はこの弁舌さわやかな外来人が一遍で気に入り、今年十三歳になる一人息子の家庭教師に是非ともなってくれるよう、屋敷の離れを住まいとしてあてがう条件付きで頼み込んだのは確かである。こうして彼女は商店主の息子の家庭教師という地位を得たのである。
断じて言うのだが、商店主に息子がいたことも、彼がその家庭教師を探していたことも、家庭教師には外来人が相応しいと考えていたことも、すべて偶然ではなかった。彼女は事前にすべてを調べ上げ、承知していた。彼女は初めからこうなることを予測したうえでこの商店に狙いを定めたのである。つまり、商店主は彼女の計画にまんまと乗せられたわけなのだが、当の商店主は彼女を雇えたことに満足さえしていた。商店主の屋敷に来客があると、商店主は必ずと言っていいほど彼女を同伴させ、外の世界の新しい思想に関する話を披露させては、この聡明な家庭教師を褒めそやし、自慢するのだった。こうして、彼女は里の(こう言って良ければ)社交界の中に、着実に交友関係を広げていったのである。
この頃、進歩派の人たちの間で頻繁に議論されていたテーマは、もっぱら宗教に関することであった。ここ数年、仏教や道教などの新しい概念が立て続けに幻想郷に流入していたこと、さらには、ちょうどこの頃、世間を騒がせていた、あの破廉恥ともいえる宗教家同士の決闘騒ぎ(結果的には、どこぞの妖怪の放つ妖気にあてられた者たちが起こした、一過性の異変ということで片付けられるのだが)が、進歩派の人たちをして、宗教について議論せしめるに十分なインパクトを持った、いわば起爆剤になったであろうことは想像に難くなかった。正邪君も、弁舌に関してはそこらの青二才のボンボンに引けを取るような人ではなかったから、進歩派の人たちからもすぐに歓迎されて、弁の立つ外来人として、ある種の特別な地位を築いていた。
ある時、進歩派のサークル(この時の議題もやはり宗教に関することだった)の席で、彼女は「今度、皆で命蓮寺の見学に行かないか」と提案した。進歩派の人たちは、宗教について熱心に議論はするけれど、特定の宗教に対して信仰心を持つ者は皆無だったので、実際に寺を訪れたことがない者も少なくなかった。皆は彼女の提案に賛成し、それならば、次の説法会の日にでも皆で命蓮寺に行ってみようということになった。
3 ビッグ・ブラザーをやっつけろ
当日、四台の馬車に分乗した正邪君たち一行は、件の説法会に参加すべく命蓮寺へと向かった。途中、くすんだ赤い外套姿の人物を路傍に見つけた彼女は、すぐに馬車を停め、車窓から身を乗り出すようにして声をかけた。「赤君! 赤君じゃないか!」
赤蛮奇は声の方へ振り返り、無言で馬車を見つめた。
正邪君は馬車の中に身を引っ込めると「あれは僕の友達なんです。もしお邪魔でなければ、彼女も仲間に加えたいのですが」と早口で言った。
「お邪魔だなんて、とんでもない!」彼女のとなりに座っていた女性が言った。
「僕らは誰だって大歓迎ですよ。どうぞ、お友達を呼びに行ってください。僕らはここで待っていますから」今度は向かいの席の男性が言った。
「ありがとう」と短く言って馬車を降りた正邪君は、赤蛮奇の方に小走りに駆け寄った。
「やあ、赤君、見たまえよ。あれが前に話した進歩派の連中だよ。連中、たかだか里の外れまで行くのに、馬車を四台も用意してくれるんだぜ。金持ちだからね、どいつもこいつも……。僕らがこれからどこへ向かうかって? 聞いておどろけ、命蓮寺に説法を聞きに行くのさ。……まあ聞きなよ。あそこにいる進歩派の連中というのは、宗教なんて大昔から伝わる迷信みたいなもので、自分自身はほとんど信じていないか、場合によっては全く信じていないと言い張るような人たちの集まりなんだ。自分で自分を賢いと思い込んでいる連中は、やたらと迷信を否定したがるからね。で、そんな連中を大勢集めてこれから寺に乗り込もうって寸法さ。ことによっては、何か面白い騒動が期待できるかもしれないぜ?」正邪君は自分の声が馬車まで届かないように、いくらか小声でしゃべっていたが、明らかにこの珍妙ともいえる企画に気分が高揚している様子で、正邪君本人もそのことは隠そうとしていなかった。
対象的に、蒼白い顔をして、冷ややかな目つきで正邪君の様子を見つめていた赤蛮奇は、やがて話を聞き終えると、ぼそぼそと聞き取りにくい声でこう言った。「最近のあなたときたら、ふいに里の商店に出入りし始めたかと思ったら、今度は妙な連中とお友達になって、それで今日は、そのお友達と馬車で遠乗りってわけですか。結構なご身分ですね。あなたは本気で《事業》を成し遂げる気があるのですか?」
「真面目だねェ、きみは」正邪君は顔をしかめながら言った。「でも、きみのそういうところ嫌いじゃないぜ。よろしい、ならば説明してあげよう。我々の《事業》を成功させるために必要なものはいったい何だと思う?(貧乏長屋の一室で、夜な夜なきみがこしらえている、あの手製の爆弾のことを言ってるんじゃないぜ)……答えは思想だよ。現状に対する不満だけで《事業》が起こせると考えているのなら、それは大きな間違いだぜ。皆が不満を抱えているのは事実だけれど、全員が同じ種類の不満を抱えているとは限らないからね。そんな状態で離陸しても、舞い上がったとたんに空中分解が関の山だよ。そこで思想ってものが必要になる。皆が同じ思想を共有することで、共通の目的意識が生まれるのさ」
正邪君はそこで一度言葉を切って赤蛮奇の顔を見た。赤蛮奇は相変わらずの無表情で、話を理解しているのか、話の続きを聞く気があるのか、そもそもここまでの話をちゃんと聞いていたのか、それすらも、その表情から一切読み取ることができなかった。
正邪君はふんと一度鼻を鳴らしてから、また続きを話し始めた。「僕は今、外の世界の最新の思想というふれこみで、あの人たちに自由主義を啓蒙しているところさ。思想ならまあ何でもよかったのだけれど、自由主義が一番分かりやすくて、かつ華やかで魅力的に見えるからね。『個人の自由が何にも増して尊重される』なんて教えられたら、よほどしっかりとした倫理観を持った人か、さもなくば、長年この思想に慣れ親しんで、この思想の長所も短所も、もうすっかり心得ているといった人でもない限り、誰も彼も、すぐに傲慢な性格になってしまうだろうね。なぜって、そうなったら個人の権利に一切の歯止めがきかなくなってしまうからさ。……ところで、僕は自由主義を蔓延させた後で、もう誰もが自己の権利を熱心に主張するのがあたりまえになって、反対に自己の権利を侵害するものは一つ残らず悪であると、当然のように論じるようになったその頃合いを見計らって、彼らの耳元でこうささやいてやるつもりなんだ。『賢者達はきみたちの権利を侵害している』ってね。事実、賢者達は結界によって、外の世界からの情報の流入を制限しているのだから、彼らが外の世界について《知る権利》を侵害しているという考えが成立するわけだ。なかなか便利だろ? あとはお決まりのパターンさ。『賢者達は自分たちの支配を磐石なものとするために、我々が必要以上に賢くならないように、知識の流入を不当に制限している!』『賢者達が知識の流入を自由化すれば、我々の生活は今より格段に進歩する!』『我々の権利を守れ!』『賢者達をやっつけろ!』……ってね」
正邪君は革命スローガンを合唱する民衆さながらに拳固を高く振り上げたまま、にやりと笑ってみせた。
「そんなことができると本気で考えているんですか?」赤蛮奇が無表情のまま尋ねた。
「できるさ!」正邪君は笑顔で答えた。「なんたって僕らはこれから、かの命蓮寺に願掛けに行くんだからね。……そうだ、僕はきみを誘いに来たのをすっかり忘れていたよ。もちろんきみも一緒に行きますね?」
赤蛮奇は冗談はよしてくれというふうに、顔の前で素早く何度か手を振った後「用事がありますので」と短く言って踵を返した。
赤蛮奇が立ち去り際にちらと後ろを振り返った時には、正邪君もすでに馬車の方へと引き返し始めていた。赤蛮奇は立てた外套の襟の中に深く顔をうずめるようにして、静かにつぶやいた。「賢者達をやっつけろ……」
4 神の必要性について――白蓮住職との対談Ⅰ
命蓮寺に到着した正邪君たち一行は、説法会の開始までまだ少し時間に余裕があったので、寺の境内を散策したり拝殿を参拝するなどして思いおもいに時間を潰した後、予定の時刻になると、説法会の会場となる講堂へと足を運んだ。説法会は午後二時から二時間の予定で、白蓮住職は予定どおり正確に二時間講話したので、午後四時にはお開きということになった。
住職の講和の内容は、一言で言えば仏教説話であった。ただし、難解な用語の使用は極力避け、住職自身の体験談も交えるなどして、全体として、身近で親しみやすい印象を与えることに成功していた。また、住職の見るからに穏和そうな人柄も、聞き手に好印象を与えるのに一役買っていた。私は二時間分の講和の内容を一語一句記憶しているわけではもちろんないのだが、それでも最後の部分はいくらか印象に残っていた。確か住職は最後にこう言って講和を締めくくったのだった。「……ですから、皆さん、今日このあと家に帰られたら、奥様に、旦那様に、ご両親に、あなたの大切な人に『いつもありがとう』と一言、たった一言です、それだけで結構ですから、是非言ってみてください。……いま恥ずかしいって顔しましたね? 照れくさい気持ちは分かりますけど、恥ずかしがる必要なんて全然ありませんよ。大丈夫。大切な人からこう言われて気分を害する人なんていませんからね。むしろ感激して、あなたのことを抱きしめてくれるかもしれませんよ? きっとそうなりますとも! ですから、さあ、勇気を持って。言ってみてください。『ありがとう』たったそれだけです。たった一言の言葉から、良縁の歯車は回り出し、《善》なる循環が始まるのです。身近な人たちのあなたを見る目が変わるはずです。あなたという人物に対するの認識が変わるんですね。認識が変われば、見え方が変わる。世界が変わる。皆さん、この世は心の持ちようひとつで天国にも極楽にもなるのですよ! もちろん、輪廻も来世も大切ではありますけども、そのために現世の生活をおろそかにして良いというものでは決してございません。善行を積むことによって、現世の生活も、精神的により豊かなものに変えてゆく、これこそが宗教本来のあるべき姿であります!……」
講堂の出入り口が開き、外へ出た一行は、境内で思い切り手足を伸ばしたり、軽い運動をするなどして、二時間座り通しで硬くなった体を十分にほぐし終えると、またいつもの慣例で、皆一ところに集まって、講話の感想を述べ合うのだった。
そうこうしているうちに、会場のかたづけを終えた雲居一輪と村紗水蜜の後に続いて、黒い法衣をまとった聖白蓮住職が、講堂から姿を現した。まだ境内で感想を述べ合っていた人たちは、講堂の出入り口に住職の姿を見つけると、我先に、住職のもとへ駆け寄ったので、すぐに周囲に人だかりができた。人々は口々に講話の感想や賛辞を述べ、住職は笑顔でそれに応えた。やがて、人垣の中から一人が前に進み出て、住職と正対する格好になった。正邪君だった。彼女の登場に、それまで無秩序に話していた人たちが会話をやめ、にわかに場が静まり返った。彼女が住職の講話に対していかなる感想を持ったのか、皆興味深々といった様子で聞き耳を立てた。
正邪君は落ち着いた口調で話し始めた。「僕たちは最新の思想や、哲学や、社会制度――言うなれば、人々の暮らしをより良いものにするための方策について論じ合う集まりなのですが、最近はもっぱら宗教に関する事柄ばかり議論しておりまして、ですが、ここにいるほとんどすべての人たちが知識としての宗教は知っているものの、実際の信仰とは縁遠い暮らしをしているものですから、ここはひとつ、後学のために、ご高名な白蓮和尚の、ありがたいお説法なぞ拝聴しようではないか、と言うことになって、こちらに伺った次第です。(大勢で押しかけたりしてご迷惑ではなかったでしょうか?)僕なぞが宗教についてとやかく言える立場にないことは重々承知しておりますが、それでも、あなたに是非ともお伝えしておきたいことがありまして……つまりその、このたびの講和ですが、これ一言で言ってしまうなら……」
正邪君はそこで一旦言葉を切って、周囲の様子をぐるりと見回した。
人々はどこか期待するような眼差しで彼女の次の一言を待っていた。村紗と一輪の表情に、あからさまな警戒の色が浮かんだ。この招かれざる珍客が、次の瞬間、何かとんでもない侮辱的なこと言い出すのではないかと誰もが想像し、身構えていたのだった。言いようのない緊張感が周囲に充満していた。ただ一人、白蓮住職だけが笑顔を崩さずにいた。
それを見た正邪君は、ふいに自分も笑顔になって言った。「実にすばらしいお話でした。来てよかった」
正邪君は住職に握手を求め、住職はそれに応じた。村紗と一輪はほっと胸をなでおろした。
彼女は感想を続けた。「あなたは現世利益を否定しているものとばかり思っていましたが、どうやらこれは僕の勘違いだったようですね」
「おっしゃるとおり」と白蓮住職は答えた。「わたくしたちは、享楽的な暮らしは戒めておりますけれど、現世利益そのものを否定するつもりはございません。享楽的な暮らしはいずれ我と我が身を滅ぼしますからね。健康で長生きしたいのなら、質素でつつましい生活を送るべきです。これは現世利益を追求する考えと何ら矛盾するものではございません」
「なるほど、あなたの考えはとても現実的だ。妖怪相手にも同じような説法を?」
「妖怪向けのアレンジはしてありますが、基本的に同じですね。世の中は自業自得ですから、何かを得るためには何かを差し出さなければなりません。周囲との関係を改善したいのなら、まず自分自身の考えを改めなければなりません。周囲に依存するあまり真の意味での自立ができていない――妖怪にはそういった心の弱い方が多いように見受けられますね」
「一部では、あなたが妖怪を擁護していると訴える者もいるそうですが、僕はそうは思いませんね。あなたは人間も妖怪も平等に愛せる広い心を持った人だ! それはそうと、ひとつ質問してもよろしいですか? あなたにとって神仏の位置付けというのは、いかがなものでしょう? その、これもやはり平等とお考えで?」正邪君は慎重に探るような口調で尋ねた。
「平等と考えます」住職はよどみなく答えた。
「平等! やはり、あなたは徹底した平等主義者だ! しかし、実際問題、そんなことが可能でしょうか? もし、あなたが言うように、神仏と人間が対等だとするなら、誰も神仏を畏れなくなるのではないですか? 誰も神仏を敬わなくなる。畏れは敬意ですからね。人は神仏を自分たちより高位の存在と認めるからこそ畏敬の念をいだくのだし、その教えにも従おうというものです。神仏と人間が対等であってご覧なさい、いったい誰が彼らの尊い教えに耳を傾けるというのです? 人々が神仏の教えを熱心に守るのは、決してそれが正しいからではなく、単に神罰が恐ろしいからだと僕は思いますね」
白蓮住職の目の奥に信仰の灯がきらりと輝いた。
「仏は偉大であります。けれども、その偉大さはいったいどこから来るのでしょう? それは積み上げた徳の量に由来するのであって、決して仏が恐ろしいからではないのです。わたくしたちは『教えに従わぬと恐ろしい罰が下るぞ』と言って、人々を脅しつけたりはしませんし、事実、教えに背いてひどい目にあう人がいたとしても、それは因果応報による当然の報いですから、『それ見たことか、言うことを聞かぬから仏罰が下ったぞ』などと言って、その人を震え上がらせるようなことも決してありません。わたくしたちが仏の教えに従うのは、彼らが気の遠くなるほど永い時間をかけて、それこそ無限に徳を積み上げた存在だからであり、そして『そんな彼らの教えだからこそ、真に尊く、耳を傾けるだけの価値がある』と、そう信じているからに他なりません。誤解をおそれずに言うなら、仏の教えというのはより幸福に生きるための、ある種の行動指針のようなものですから、決して仏罰その他の罰則によって強制されるべきものではないということです」
「おや、あなたがたは厳しい戒律を課せられ、従わない場合には、ことによっては破門さえされかねないと聞きましたが?」
「それは出家信者のお話ですね。出家信者はわたくしたちと共に、迷える人々を救い導くための指導者となるべく修行している者たちですから、仏の教えを実践することでより幸福になれることを人々に証明していかなくてはなりません。この者たちは飲酒や肉食も戒律により厳しく制限されています。しかし、一般の在家信者の方々に戒律を強制することはありません。それが正しい行為だと認識されたなら、できる範囲で実践して頂ければよいのです」
「なるほど、そいつは理想的ですね」正邪君は慇懃な言葉遣いこそ崩さなかったものの、いくらか挑発的な口調になって言った。「あなたのおっしゃりようは、つまり『自分たちは強制も命令もしないので、どう行動するかはあなた方自身で決めなさい』と突き放しているように聞こえますね。いいですか、民衆の大部分はまともな教育を受けていないのです。文字の読み書きさえろくにできない人もいるというのに、そういった人たちが、それが《正しい行為》かどうか自身で判断が下せると本気でお考えですか? 例えば、人を殺すことは悪いことだと誰もが知っていますが、何も知らない、純粋無垢な子供にそれを教えなければならないとしたら……どうです? ある者は『法律で決まっているから』と説明するかもしれません。また、別の者は『習慣としてそういうことになっているのだ』と言うかもしれません。しかし、もしそうなら『法律や習慣の異なる異国でならば人を殺してもかまわない』ということになってしまいます。事実、昨今では、人を殺しておきながら、自ら精神病みを気取って、弁護人を通じて『責任能力がないので無罪だ』なぞと平気で主張する輩が跡を絶ちませんね。また、もう少し気の利いた人たちは『殺された人にも(おまえと同じように)家族や友人があって、きっとその人たちが悲しむだろう』と諭すかもしれません。しかし、これも『それなら周囲に悲しむ者のいない(すべての人たちから忌み嫌われているような)性悪な人であれば殺してもかまわないのか?』という議論に陥りますね。また、さらに別な人たちは『おまえだって突然他人に殺されるのはいやだろう。自分がされていやなことは、他人にもしてはいけない』と至極まっとうなことを言うかもしれません。しかし、僕に言わせればこれでもまだ不十分です。自殺志願者は他人を殺してもいいということになりますからね。……ところで、どうです? こうして見ると、人殺しを《悪》と定義するだけでもずいぶんと骨が折れますね。殺人という最も重大な犯罪行為でさえ、それがなぜ悪いのかと、いざ説明を試みると、ご覧の有様でしてね。今は話を分かりやすくするために殺人というテーマに限定しましたが、ましてこれより遥かに複雑な、日常生活で遭遇する種々の雑多な出来事について、いちいちそれが善なのか悪なのか論理的に導き出すことなんて(それこそきちんとした教育を受けた人たちであっても)不可能だと僕は思いますね」
正邪君はそこで言葉を切り、今話した内容が皆の意識に定着するのを待った。彼女は再び話し始めた。「そこで、宗教なんです。神という名の絶対君主が登場して『人殺しは悪なり』と断じてくれるわけです。人々は悩み――自らの行為が善なのか悪なのかという心の葛藤から開放され、真の意味での精神的自由を得るのです」
「精神的自由!」まるで霊感に打たれたように白蓮住職が突然声を上げた。「まさしく、わたくしたち宗教家共通の目標はそこにあると思います。善を正しく理解し、あらゆる迷いから解き放たれること――ああ、それこそが悟りの境地でありましょう。……しかし、それは人から与えられるものでしょうか? わたくしたちは乞われれば助言もしますし、指導もします。ただ、強制はしません。人は命令に従うだけの機械ではございませんからね。自らの意思で考え、自らの判断で選択しなければなりません。これは難しいことかもしれませんが、そうしなければならないのです。そうでなくては意味がありません!」
「あなたは『絶対君主としての神は必要ない』と、こうおっしゃる。事実、そんな神は存在しないのかもしれない。だとしても、やはり人はそういう神を自らの心の中に勝手に創り上げるでしょうよ。なぜって、その方が楽だからです。日常生活は判断の連続です。そうした日々の生活の中に現れる無数の選択肢に対して、いちいちそれが正しいのか、誤っているのか、あるいはまた過去にさかのぼって、あの時の選択は正しかったのか、あの時こうすべきではなかったか、なぞと思い悩み、神経をすり減らしていては、とてもじゃないですが生活どころではありませんね。あなたはこの善良な人々から、善悪を測る物差しを取り上げて『絶対的な基準なぞ存在しない』と言い放っているに等しいのですよ。あなたは人々を混沌の中に叩き込もうとしている」
「あなたのおっしゃることは……そのとおりかもしれません。しかし、それでもやはり考えることを否定してはならないのです。もし、わたくしたちが安易に答えを出してしまったなら、もし、これこれは善だ、これこれは悪だなどと言ったなら、純粋な人々は無邪気にそれを受け入れて、たちどころに信じ込んでしまうでしょう。(あなたのおっしゃるとおり、その方が楽ですからね)しかし、それでは駄目なのです。人は命令されたとおりに動く肉でできた人形ではございませんでしょう。自ら考え、選択することによってのみ、人は人たりうるのです。そうでなくては、生きてる意味がないじゃありませんか!」
「わかりませんね」正邪君はことさら深刻そうな表情で尋ねた。「あなたにとって生きる意味とは、いったい何なんです?」
「《善》を知ること! 環境によって左右されない、時代によって変質しない、不変的で普遍的な至高の存在、究極の知識! それを知った刹那、わたくしたちはすべてを理解するのです。宇宙の真理、心の神秘。すべての悩みから開放され、悟りの境地――極楽浄土へと至るのです! おお、その時こそ、わたくしたちは真の自由を獲得するのです!」
5 神の赦しについて――白蓮住職との対談Ⅱ
「あなたは、あくまで人と神仏は対等で、人の上に君臨する神は必要ないとおっしゃる。でも僕にはそれが必要だと考えるもうひとつの理由があるんです。これについても是非あなたの意見を拝聴したいのですがね」正邪君はなおも質問を続けた。「そのもうひとつの理由と言うのが、他ならぬ《赦し》についてです。先ほどの人殺しを例に話しましょう。人殺しの何がいけないって、その罪が決して赦されないことです。窃盗や傷害やその他(まあ何でも良いのですが)の罪であれば、僕らは被害者に対して赦しを請うことも、罪をつぐなうこともできます。では、殺人の場合はどうでしょう? 罪をつぐなおうにも、被害者はもうこの世に存在しないのですから、この人殺しが、たとえ不幸な事故の結果であったにせよ、過失であったにせよ、あるいはまた、悪意を持ってことに臨んだ後、まるで憑き物が落ちたように、ふいに後悔の念に襲われたにせよ、いずれにせよ僕らは一生罪の意識を抱えて生きて行かねばならないことになりますね。これは考えるだに恐ろしいことです。いや、ひょっとすると、考えられる限り最も恐ろしいことの一つかもしれませんよ。僕らがどんなに後悔しようとも、決して赦されることがないのだとしたら……。『しかるべき場所に出頭して、懲役なり禁固なりの刑に服せばいい』なんて言わないでくださいよ。僕らは法律の話をしているのじゃなくて、心の問題につて議論しているのですからね。――またしても僕は、話を単純明快にするために殺人というテーマを持ち出しましたけれども、あるいはこれも、殺人に限った話ではなくて、たとえそれが日常生活におけるもっと些細な、犯罪とすら呼べないような小さな罪であっても、場合によってはこれと全く同じことが言えるのです。と言うのも、何か小さな過ちを犯してしまって、また、すぐにその過ちに気付いて相手に謝罪したとして、たとえ相手が『赦す』と言ったとしても、それが、正真正銘、心の底から発せられた真実の言葉であるか、言った本人以外誰にも分からないわけですから、『いまさっきこの人は《赦す》と言ってくれたけれど、心の奥底ではまだお前のことを恨んでいて、ひょっとすると、もう一生、お前のことなぞ顔も見たくないと思っているかもしれないぜ!』と心の声がささやきかけるのです。この声の主は、誰の心の中にも棲みついていて、ほんの些細な罪に対しても、すぐにしゃしゃり出てきて、後悔と自責の念を煽るのです。――とどのつまり、このような罪の意識から人々を開放するために、本当の意味での《赦し》を与えられるのは神だけなのですね。それも、あなたの言う《人に似た》神ではなく、抽象的だけど、人の心の中に普遍的に存在する、絶対的正義の存在たる神だけですね!」
「それは魔境です!」白蓮住職がほとんど叫ぶように声を上げた。「わたくしたちも厳しい修行の最中に、仏に出逢うことがあります。しかし、わたくしたちは、これが精神の作り出す幻であって、本当の仏でないことをちゃんと承知していますから、このような偽りのイメージを、わたくしたちは《槍で突き刺して》殺してしまうのです。悟りの境地は、このような魔境を超えた先にこそ存在するのです。人の心は、何でも――それこそ神でも悪魔でも思いどおりに作り上げてしまう力を持つものですから、それに従うことは、場合によっては重大な結果を招きかねません。そう、人の心は、しばしば自分自身をも欺くのです」
「《赦し》は必要ない?」正邪君が意地の悪い表情で尋ねた。「憐れな罪人たちは一生消えない烙印を押されて、苦悩に満ちた人生を歩めばいいとでも?」
「そうは言いません。罪はつぐなわれるべきだし、いずれすべてが赦されるべきです。ただし、現世でつぐない切るには、大きすぎる罪というのもございますでしょう。果てしない輪廻の輪の中で、善行を積むことによって、徐々に罪を減じていくというのがわたくしたちの考えです」
「それでは、あなた自身はいつ赦されるのです?」
「なんですって?」
「『あなた自身はいつ赦されるのか』と聞いたんです。だって、あなた自身、その《輪廻の輪》とやらから逃れたのでしょう?」
白蓮住職の顔がさっと蒼ざめた。そばにいた村紗と一輪が、今ではもう彼女を侮辱するつもりでここに来たことが明らかな、この無礼な客人をいいかげん黙らせようと、ほぼ同時に一歩前に踏み出した。それを戒めるように、彼女はなおも懸命に声をふりしぼり、話し続けた。
「お待ちなさい、二人とも! この人のおっしゃることは真実です。わたくしはこの人のおっしゃるとおり、輪廻の輪に背を向け、なりふりかまわず、死の恐怖から逃げ出したのです。わたくしは怖かった。そう、怖かったのです。為すべきことを成し遂げられず、すべてを失い、孤独に死んでいくことが。(彼女は目に涙を浮かべていた)……ああ、何という浅はかな思慮ッ! 何という軽薄な行為ッ! 誠に浅く、大欲非道であるッ!」
6 住職の後悔――白蓮住職との対談Ⅲ
正邪君は、この時にはもう、自分の勝利を揺るぎないものと確信していて、もし、いま、このタイミングで救いの手を差し伸べたなら、自分に対する人々の評価はいっそう高まるだろうことを予感していたし、うまくすれば、後々《事業》を遂行するうえで、命蓮寺の権威を利用できるかもしれないとさえ考えていた。しかし、同時に、この時の正邪君が、白蓮住職を追い詰めることで、ある種の愉悦に浸っていたこともまた事実で、この純粋な尼僧をとことんまで追い詰めてみたいというサディスティックな欲求は、彼女の心の奥底に確かに存在した。結局、正邪君は本能に突き動かされるままに行動した。つまり、次のように言ったのである。
「ところで、あなたは神も人も妖怪も平等と言うけれど、神と人と妖怪の区別はしっかり認めていらっしゃる」正邪君は右の目を細め、左の頬をつり上げて、見るものにどこか悪魔的な印象を与える、薄暗く、奇妙に歪んだ表情で微笑んだ。「そういう区別自体、差別的だと僕らは感じていましてね」
住職は真っ蒼な顔で、おびえた子供のように目を見開いて、不安そうに、何かを言おうとして口を開き、すぐにまた閉じた。彼女は正邪君がこれから何を言おうとしているか、漠然とではあるが予感していた。彼女は不安におののき、小刻みに震えていた。
「神、人、妖怪の区別をすべてとっぱらってこそ、真の平等だと思いませんか? 妖怪に対する差別はなくなり。神はここに(正邪君は自分の胸に手を当てた)、万能にして、絶対正義たる、偉大なただ一人の神様がね」
「その考えは……いけません!」住職は熱に浮かされたように叫んだ。「それは神仏と妖怪の存在そのものを否定するものです。平等だなんて……茶番です。その考えはいずれ神仏も妖怪も駆逐してしまいます。それこそ外の世界のように……」
住職の言葉を遮るように、正邪君はすかさず矢継ぎ早に言葉を浴びせかけた。「妖怪とは、そも何です? 人間と妖怪の差とは? 外見の違いですか? 人知を超えた力を持っているから? では、あなた自身はどうなんです? あなたは……何者です? 人間ですか? それとも妖怪ですか? さあ、どうです? ご自分が人間(あるいは妖怪)であると、ご自身で証明してご覧なさい! さあ!」
周囲を取り囲んでいた群衆からどよめきが起きた。
「もう、たくさんッ!」顔を真っ赤にして一輪が叫んだ。「それ以上の侮辱はこのわたしが赦しませんよッ!」
いつでも飛びかかれる態勢を維持したまま、村紗は相棒の合図を待った。まさに一触即発の様相であった。
「『赦しません』ですってェ?」突然、正邪君が頓狂な声を上げた。「皆さん、お聞きになりましたか? この人たちは僕を赦してはくれないそうです。でも、ご安心ください。それでも僕は、憐れなこの人たちをちゃんと赦して差し上げますから。僕らの神は無限の愛によってすべてを赦すことのできる存在なのです。なに、罪の一つや二つ誰にでもあるものです。ただの一度も過ちを犯さない人間なんて、それこそこの世に存在しませんからね。大事なのは、罪を犯さないことではなく、罪を認め、悔い改めることです。贖罪の気持ちを忘れない人たちを、神は必ずお赦しになります。そうでなくてはなりません。……まてよ、こういう時にうってつけの文句がありましたね。……思い出したぞ『
もし、この論戦に勝敗というものが存在したなら、正邪君はおそらく勝者であったろう。少なくとも、周囲で事の成り行きを見ていた人たちの目にはそう映った。その証拠に、周囲の取り巻き連中は一人残らず立ち去る彼女の後に続いた。憐れな白蓮住職の周りには、一輪と村紗を除けば誰も残らなかった。
話し好きの人たちはさっそくこの論戦に関する互いの意見を述べ合い、それよりいくらか下世話な人たちは「あの住職の最後の表情ときたら……」などと言って笑い合った。若い女が、かん高い下品な笑い声を上げ、白蓮住職の耳にもそれが届いた。
「悪魔め……」村紗が吐き捨てるようにつぶやいた。
白蓮住職は何も言わずに、悲しげな表情で立ち去る人々の後ろ姿をただ見つめていた。
ぜひ完結まで続けて欲しい
宗教と思想のテーマは難解なものが多いですが、
それを読みやすく、ここまで平易に仕上げた手腕に感服しました。
まぁこれも私が正邪の言う「学のない大衆」だからですが・・・。
ここからの革命はどうなるのか、楽しみです。
そこからさらに、これまで正邪が利用してきた「貸す側」たる資本家階級に対し、「搾取」される「借りる側」たる労働者階級が今度は社会主義革命を起こすとなれば、下克上は完遂されることでしょう。ああ恐ろしい。
オフィシャルな設定より、妖怪が人間を襲うという構造が崩れることは幻想郷にとって致命的ですから、この革命は異変の域を超えた体制を揺るがしうるものになり得ます。最大の弱点は、これだけ大掛かりな工作は座敷童子はじめ体制側にすぐに気づかれるということ。さあどうなることやら。
ともかく、こんなに設定を練りこんで、それ以上にキャラクターの思想を突き詰めて想像しているのは、とてつもないことです。素晴らしい作品をありがとうございます。
この一言ですね
これってあれですよね、話に付き合った時点で負けが確定してるとかそういう。村紗と一輪がもう少ししっかりしてればこうも恥はかかなかっただろう。
聖が神と口に出す時、それは多神教的な神で正邪が口にする神は一神教的なもので、
双方はまったく別のものについて語っていて、正邪はそこにつけこむ訳ですが
そんな事にも気付かない聖でいいの?(高校生レベルの詐術だよね?
聖が疑う事を知らぬ無垢な人だとしても
正邪の「赦しを与えられるのは神だけ」という部分で気付かないとおかしいよね
不老不死になってしまって悟ることなく四苦八苦から逃れた聖と言う存在が胡散臭いのは極めて同意できるのですが、あまりにも愚かすぎないかな
また、濃いめのテーマでありながら作者さんのオリジナル性の強い主張や考え方があまり感じられなかったのが残念です。
どうしても現代日本人からしたら宗教なんてというのがあるからやっぱ噛ませになっちゃいますね
本来なら多分胡散臭いけどカリスマがあって人を引きつける海千山千なイメージですけど私は
いうならかつての細木数子とかみたいな
噛ませにされる聖も不憫可愛い
とても面白かったです
是非最後まで書ききってほしいです
でも聖はもうちょっと頑張れたような気もします