最初
第一章 夢見る理由を探すなら
一つ前
第九章 月で世界を謀るなら
第十章 愛が全てに勝るなら
「まあ、経緯は分かったけどさぁ」
霊夢が納得いかない様子でこたつ越しに紫に似た少女を睨む。
睨まれたメリーは困った様に微笑みながら出されたお茶に口を付けた。
月に友達を攫われたから月へ行く為の方法を探しているという少女。霊夢は少女の語った、境界を見る目を持ちそれが暴走して幻想郷へ来た、という説明を疑っている訳じゃない。
拭い切れない不信感は別の場所から来ている。
似ている。見れば見る程、紫に似ている。
またいつもの様に外見年齢の境界を操って、少女の姿をしているのじゃないかと疑う位に似ている。似ているけれど、紫の持つ隠し切れない胡散臭さを持っていない。だから紫じゃない事は分かるけれど、どうしてここまで似ているのか分からない。
「あんた、本当に紫と関係無い訳?」
「多分。全然心当たりが無い」
霊夢がじっとメリーを見つめる。
嘘を言っている様には見えない。だが何の関係も無いとは思えない。
しばらくして霊夢は溜息を吐いてメリーへの追求を打ち切った。
「もう良いわ。埒が明かない」
「ごめんなさい」
「別に謝んなくても良いわよ。とにかく、月に行く方法を探しに来たのよね?」
「はい!」
「なら丁度良いんじゃない? まだどう転ぶか分からないけれど」
不思議そうにするメリーに、霊夢は幻想郷で起こっている事を説明した。かつて月に攻め込み負けた事。それが数ヶ月経った今になって、突然新聞に取り上げられた事。その内容は幻想郷の実力者の顔に泥を塗るもので、これから大事が起きそうである事。そうして、もしかしたら何かの切っ掛けで月へ乗り込むかもしれない事を付け加えた。
最後は予感だけれど、何となくそうなる気がしてならなかった。
そうなったらまた面倒だ。
そう考えながら息を吐いて、霊夢はメリーを見つめた、すると再び不信感が鎌首をもたげてくる。
よくよく考えてみれば、奇妙な符合が気になった。月に関わる異変が起こっている時に偶偶月に行きたいと望む少女がやってくる。それだけでなく、偶偶結界を緩めたのと、境界をくぐってきたのが同時だったなんて。
いや、考えても仕方がない。
霊夢は思考を打ち切って再び息を吐いた。
月へ乗り込むかもしれないという事を聞いても、メリーの反応は薄かった。月に行きたいんじゃなかったのだろうかと霊夢は訝しむ。何だか心此処に在らずといった様子で天井を見上げている。
「どうしたの?」
「いえ、ただ境界が」
境界が見えるのだろうか?
霊夢も天井を見つめたが、勿論そこには何も無く、いつもの天井が見えるだけだ。
境界が見えるとどの様な景色になるのだろう。そんな事をふと思う。もしもそれに人間と妖怪という種族の違いも加われば、それはきっと永遠の時を経ても理解出来無いに違いない。
そんな事を考えていると、頭の上から声が聞こえた。
「結界を解くなっていつも言っているでしょ」
その瞬間、目の前にねっとりとした逆さの笑みが現れた。霊夢は驚いて体を仰け反らせる。
声の主は天井から降り立って空いていたこたつに足をもぐりこませた。
「どうせまた私に用があるんでしょ? だったら普通に呼び出してよ」
突然現れた紫を霊夢が睨む。
「私達の話、聞いてたわね?」
すると紫がきょとんとして首を傾げた。
「何の事?」
あっさりとかわされて霊夢は舌打ちした。
きっと隙間でこちらの様子を窺っていたに違いない。いつもであれば結界を緩めればすぐにでもすっ飛んでくるのだから。姿を表さずに盗み聞きしていたというのはきっと、メリーという存在が紫にとって何か特別な意味を持っているからだろう。
メリーは紫に「お久しぶりです」と挨拶している。紫もそれに笑顔で応じて、何だか平穏な光景を作っていた。
霊夢はその光景を壊す為に、新聞を取り出し、こたつに叩きつけてみせる。
「紫、呼んだのは他でもないこれの事。もう読んでは居るんでしょ?」
紫はこたつの上の新聞を覗き込み、真剣な顔で頷いた。
「なら単刀直入に聞くわよ。あんたはこの記事についてどう考えている訳?」
「どういう意味かしら?」
「この内容は明らかにあんたの顔に泥を塗った。それに対してあんたはどう思ってるの?」
霊夢の追求に紫は首を横に振る。
「何も。そこに書いてあるのは多分に真実で、訂正する必要は無い。勿論恥をかいたけれど、それで抗議したところで更に恥をかくだけじゃない。どうしようも無いわ」
「本気でそう言っているの? ならあんたは天狗に対して何もする気が無いって事?」
「いいえ。流石に記事の後半に書かれている事は見逃せない。月が攻め込んでくるという話が本当かどうか問い質し、本当であれば対策を講ずる必要がある」
霊夢が驚いて目を見張る。
「復讐はしないの?」
紫が微笑みを返す。
「私はね、幻想郷を愛している。愛するものの為であれば、私は自分なんてどうだって良いのよ」
そのあまりにも善人ぶった言葉で逆に信用がならなくなった。「胡散臭い」と呟く霊夢と魔理沙のじっとりとした目に、紫が「本当よ!」と抗議するものの二人の疑いの目は収まらない。
「とりあえずこれ以上情報は引き出せそうにないな」
「はぐらかされて終わりよね」
「本当なのにぃ」
紫が悔しそうな顔をしたが、魔理沙と霊夢は肩を竦めて立ち上がった。
「じゃあ、次はレミリアの所か?」
「そうね。メリー、あなたも来る? そこに居る連中は、この前月へ行った時に、ロケットを用意した奴等なんだけど」
「行きます!」
メリーが勢い込んで立ち上がったのを見て、霊夢は苦笑しながら湯のみを回収して台所へと持っていった。魔理沙は箒を取りに行ってくると行って外へ出て行った。部屋にはメリーと紫が残される。
メリーは何となしに紫の事を見つめた。似ている。先程霊夢はそれを不思議がっていたが、メリーには不思議な事には思えなかった。似ているというのは、同じものという訳では無い。
メリーが紫の事を見つめていると、紫が昏く笑った。
「あなたは私と同じね」
唐突な言葉に面食らう。
「良い目をしているのね」
目?
メリーが片目を手で抑える。
「とても淀んだ目をしているわ」
「淀んだ目?」
「そう。やっぱりあなたは私と同じ。それはそうよね。私はあなたを元に作られたんだから」
「どういう事ですか?」
「あら、今のあなたにはまだ言っていなかったかしら?」
目の前に妖怪が何を言っているのか、メリーにはさっぱり分からない。ただ自分に向けられる、酷く嬉しそうな笑顔が何となく不快だった。
「あなたは私と同じよ、メリーさん。あなたにとっても、愛は全てに打ち勝つのでしょう?」
それは。
「勿論です」
「そしてそれ以外の全ては色褪せている。私達の見ている世界はそんな世界。普通に生きていくのに必要な繋がりにすら何ら興味を持っていないから、私達には世界が継ぎ接ぎに見える」
紫が何を言いたいのか分からない。
「私とあなたにとって、世界は自分の愛が為される舞台でしかない。世界に存在するものは全て愛を為す道具でしかない。でも決してそれは特殊な事では無いと私は思う。私達の持つ、世界を覆い尽くす巨大な自己中心思考は、きっと世界中の誰もが少なからず持っていて、しかも昔に比べてずっと強くなっている。もはや共同体を保つ事は出来ず、そして共同体の産物である妖怪も存続出来ず、そしてきっと幻想郷もまた」
そこで言葉を切って、紫は悲しげに虚空を見上げた。
「何が言いたいんですか?」
メリーの問いに、紫が弱弱しい微笑みを見せる。
「ただあなたにだけは私の事を分かっていて欲しかっただけ」
「分からないです」
「そう、残念」
会話はそこで終わった。霊夢の足音が聞こえてきた拍子に、紫は「用事があるから」と言って隙間の中に消えた。メリーは一人残された部屋の中でじっと紫の消えた場所を見つめていたが、霊夢が障子を開けたので振り返る。
「どうしたの? 紫は?」
「紫さんは用事があるからって何処かへ」
「用事? 本当に? やっぱり怪しいわね、あいつ」
霊夢がぶつぶつと呟きながら縁側に出て、メリーを手招いた。メリーもそれについて、魔理沙の箒に乗せてもらいレミリアの住む紅魔館へと飛び立った。
紅魔館に辿り着くと、門番がいつもの美鈴では無く、メイド長の咲夜だった。降り立った魔理沙が笑顔で咲夜へ近づいていく。
「おう、美鈴はどうした? 風邪でもひいたのか?」
すると咲夜が背後の屋敷を親指で差し示した。
「中に居るわよ。ただ会うのはお勧めしないけど」
「別に私達は美鈴に会いに来た訳じゃないの。レミリアは? 中に居るんでしょ?」
「お嬢様も妹様も中に居るわよ。中に居るのはその三人。いずれともお会いしない方が良いと思うけど」
「三人? 他の使用人は? 後、パチュリーとか。パチュリーにも用事があるんだけど」
「残りは全員屋敷の裏手の庭に避難中」
「何かあったのか?」
「今現在、起こっているのよ」
その瞬間、紅魔館の壁が爆発して、炎の中から現れた美鈴が庭の中心に着地した。そして盛大に笑い声を上げる。
「流石、お嬢様! 今のは中中痛かったですよ!」
すると爆発した壁の向こうからレミリアが飛び上がった。その目は明確な殺意に満ちている。手には紅の槍が握られていた。
魔理沙が驚いて咲夜に問いかける。
「おい、何かグングニル投げようとしているみたいだけど?」
「みたいね。パチュリー様の掛けた魔法も耐え切れなくなったみたいだし、これは本当に屋敷が全壊するかも」
その瞬間、槍が放たれた。光速で飛来した槍が構えをとった美鈴に着弾し、凄まじい閃光が辺りに満ちた。真紅の閃光の向こうから今度はフランの無邪気な声が聞こえてくる。
「美鈴、こっちもこっちも!」
閃光が晴れると、フランが屋敷よりも更に長大な紅の剣を振り上げて、笑みを浮かべる美鈴に狙いをつけていた。
「行くよ! 当たってね!」
「どうぞ! 周りを壊さない様に、外さないで下さいね!」
フランの剣が振り下ろされる。それに美鈴が掌底を合わせ、再び紅い閃光が膨れ上がった。
美鈴が吸血鬼姉妹から一方的に攻撃され続ける光景を眺めながら、魔理沙は不安そうに咲夜へ尋ねる。
「おい、あいつ等何やってるんだ? 美鈴、死ぬぞ?」
すると咲夜が懐から新聞を取り出して魔理沙達に掲げた。
「この新聞、あなた達はもう見た?」
それは月に攻め込んだ事が書かれた文々。新聞だった。魔理沙達はそれを読んでこの紅魔館へやって来たのだ。
三人の表情から察した咲夜は再び懐に新聞をしまう。
「この新聞に書かれた内容にお嬢様が怒られて、というより恥ずかしがって、その照れ隠しに美鈴が付き合って上げてるの」
「照れ隠しが壮絶過ぎるだろ。フランは? 関係無いだろ?」
「触発されて、じゃれてるだけよ」
「姉妹とも感情表現の度合いが酷すぎるぞ。美鈴、大丈夫なのか?」
「まあ、死にはしないでしょ」
レミリアの照れ隠しとフランのじゃれつきはそれからしばらく、屋敷が全壊するまで続いた。
「天狗に仕返し? そんなのする訳無いでしょ」
全壊した屋敷を背に、折りたたみの椅子に尊大な態度で座るレミリアがそう言った。魔理沙が目を見張って、辺りを見回す。崩れ去った屋敷と幾つもの巨大なクレータがレミリアの怒りを表している。
「しないのか? てっきり怒り狂って突っ込むかと思ったけど」
「そんな事したら記事の内容が本当ですって言う様なものじゃない。だからこそ、仕方なくその鬱憤晴らしを美鈴に付き合ってもらったんだから」
「出来ればもうちょっと平和的な憂さ晴らしを」
傍で手の傷に消毒液を塗っていた美鈴が呟いたものの、レミリアはそれを無視して霊夢達を睨む。
「それで、何しに来たの? まさか馬鹿にしに来た?」
レミリアが睨んできたので、霊夢も睨み返す。
「んな自殺願望持ってないわよ」
「懸命ね。じゃあ、何?」
「一つはあんたが暴れたりしないかどうかの確認。それから何か、今回の件で知っている事が無いか聞きに来たの」
「私は天狗がこの馬鹿げた新聞を作って幻想郷中にばら撒いている事しか知らないわよ」
「幻想郷中に?」
「そう。こんな新聞、みんな取ってないでしょ? それなのに、今回はうちみたいに新聞を取ってない所にも新聞を届けているらしいわよ。ああ、また苛苛してきた」
レミリアの傍に居た美鈴以外の従者達が身を固くする。だがレミリアは何もせずに座ったままなので、ほっと安堵の息を吐いた。
「それ以外は知らない。聞くなら天狗に聞きなさいよ」
「聞いたけど、大した答えが得られなかったのよ」
「あ、そう。あんたが動いているって事は異変なんでしょ? もしも天狗の起こした事なら手伝うわよ。完膚無きにまで叩き潰してやる」
「まだ分からないわ」
攻撃的に笑うレミリアに霊夢は肩を竦めてから辺りを見回した。
「パチュリーは?」
「さあ? 多分まだ裏手に居るんじゃないの? 運び出した本を戻すにも、屋敷が直らなくちゃしょうがないし」
ゴブリン達が必死で再建する屋敷をレミリアが指さした。
「パチェに何の用?」
レミリアの問いに、霊夢がメリーを指し示す。
「この子、友達を助ける為に月へ行きたいらしいの。だからロケットが作れるかどうか」
途端にレミリアの目が鋭く輝いた。
「何? 月へリベンジに行く? 手伝うけど?」
「そんな事言ってないわよ」
如何にも暴れたくて仕方が無いといった態度のレミリアに、霊夢は呆れた様子で溜息を吐いた。レミリアが不服そうに目を細めたが、霊夢は気にせず踵を返す。
「じゃ、パチュリーに会いに裏手に行くから」
「どうぞ」
レミリアの許可をもらって裏手に行こうとした時、正門から従者の一人が慌てた様子で駆けて来た。
「大変です!」
レミリアが立ち上がって下問する。
「何があった!」
「月が!」
従者の泣きそうな叫びに全員が色めき立つ。
「月が攻めてきました!」
霊夢達が従者の語った場所まで飛んで行くと、丘の上から不安そうな顔で自分達の村を眺めている人間達と、村の中央で家を切り倒す何者かが居た。丁度霊夢達が辿り着いた時、何者かは最後の家を切り倒したところで、村に存在する全ての建物が半分の高さになり、酷く見通しが良くなっていた。
霊夢達が村に降り立つと、幻想郷を守る英雄の到着に丘の上に居る人間達が大歓声を上げ始める。普段であれば恐怖の対象であるレミリア・スカーレットにまで歓声が送られる。村を壊滅させた敵を討ち果たしてくれる様に、懇願してくる。人人の家を奪い去った何者かの行為はそれ程までに度し難い行為だった。
何者かは太刀を鞘に収めると振り返って霊夢達と対峙する。黒いローブに黒いフードで全身を隠して、男か女かすら分からない。体型も分からないが、長身で、そしてあろう事か、頭のフードからは兎の耳が飛び出ていた。事情を知る誰もが正体は月人であると判断し、そして霊夢達の脳裏には自分達を歯牙にも掛けずあしらった月の使者が思い浮かぶ。
「博麗霊夢と霧雨魔理沙だな」
依姫の声ではない甲高い声だった。抑揚の無い機会音声。霊夢達はその異質な声に驚いていたが、メリーはさして驚かずに、自立歩行型のロボットを簡単に作り出せる月の科学技術を思い出した。ローブの下の姿が見えず、容姿も性別も何も分からない、それどころか人間ですら無いのかもしれない。
「月の人間ね?」
霊夢の問いに兎の耳を生やした相手が首肯する。
「どうしてこんな事を?」
「お前達を誘き出す為だ。騒ぎを起こせばやってくると思っていた」
丘の上の喚声に憎悪の声が混じりだす。人間達の敵意に晒されても、兎の耳は微動だにしない。
「何の為に」
「決まっている。八雲紫、レミリア・スカーレット、博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜、この五名を殺す為だ」
兎耳の宣言で場が凍りついた。うさ耳が何かをした訳では無い。ただ威圧感を放っただけだ。しかしただのそれだけで、四人の脳裏に死がよぎった。まるで濃縮された死をそのまま浴びせかけられている様な不思議な圧迫感が辺りを包んでいた。丘の上の人間達も息をのんで呼吸を止める。ふざけるなと叫び返す者は誰一人として居なかった。全員がうさ耳に気圧されていた。
「私達を殺す?」
霊夢が掠れた声で辛うじて疑問を呈す。
再びうさ耳が首肯する。
「本意ではない。こうして民家を切り裂いた事も。我我は地上の民とは違う。こんな野蛮な事をしたい等とは誰も考えていない。だがやらねばお前達は分からない。分からなければお前達は同じ愚を繰り返す。外の世界の人間達が月へ攻め込もうという時に、幻想郷にまで攻めこまれては困るのだ。だから見せしめが必要だ。攻め込めばどうなるかという見せしめがな」
「何を言ってるの? 外の世界の人達が月へ攻める?」
霊夢の疑問に、背後に控えたメリーの呟きが答えた。
「蓮子を取り返す為に、今アメリカが月へ攻め込もうと」
「そうなの? でもあなたさっきの説明じゃそんな事何も」
うさ耳が哄笑を上げる。
「何だ、ここに居たのか。マエリベリー・ハーン。これは手間が省けた。我等はお前の帰りを待ち侘びている。五人を殺したら一緒に帰ろう。宇佐見蓮子も月で待っているぞ」
魔理沙が驚いてメリーへ振り返る。
「どういう事だ? 何で月の人間がお前の帰りを待っているんだ?」
不審げな魔理沙の視線にメリーは思わず身を竦ませた。
「私が月の民だから」
魔理沙が目を剥いた。
「じゃあ、あいつの仲間なのか? 最初から? ここに来たのも?」
「違う。私は、蓮子を助けたいだけ。私は月から逃げてきて」
メリーの悲しげが言葉を上書きする様に、うさ耳が大仰な動きで手を広げて声を張った。
「安心すると良い! 月の民は君に危害を加える事は無い。何か誤解があったんだ。さあ一緒に帰ろう」
「いや!」
「どうして? そんなに月が嫌いなのか?」
「いいえ、月は、別に、昔と違って、月に戻るのも良いと思ってる。でもまだ、蓮子はそれを望んでいない。私は、蓮子と一緒に居られるのなら何処だって行くけれど、蓮子が嫌がっているなら、蓮子が私を月に返したくないと思っているなら、私は絶対に月に戻らない!」
メリーがいつになく感情的になって叫んだ。うさ耳は肩を竦めて首を振る。
「その話は月に帰ってから聞くとしよう」
そうして太刀に手を掛けた。
「さてお喋りが過ぎたな」
そのまま身を沈めて半身になる。
距離は十メートル以上離れている。普通に考えれば、刀の届く筈が無かったが、何か飛び道具があるとも分からない。霊夢達が構えを取った時、うさ耳が大地を蹴った。
「死ね」
うさ耳が真っ直ぐ突っ込んでくる。それに向けて、霊夢が御札を構え、魔理沙がミニ八卦炉を構えた。だが次の瞬間、いつの間にか目前に迫ったうさ耳が抜刀して御札を切り払い、ミニ八卦炉を弾き飛ばしていた。あまりの速攻に二人は反応すら出来なかった。
霊夢と魔理沙が小さく呆けた声を上げるのと、うさ耳が凄まじい殺気を込めて刀を振り上げたのが同時だった。刀を振り上げたうさ耳を前にして、殺される事を予感して二人の全身に悪寒が走る。
その時、二人の前に人影が現れた。ナイトキャップを被り、紫色の服を来た金色の妖怪は魔理沙と霊夢を守る様にして腕を広げた。うさ耳は突然現れた妖怪に驚く事無く、躊躇う事無く刀を振り下ろす。
そして鮮血が飛び散った。
「紫!」
霊夢と魔理沙が目を見張る。辺りに悲鳴がこだまする。胸を半ばまで切り裂かれた紫は太刀を掴まえて、弱弱しげに振り返った。
「二人共、怪我は無い?」
「紫、何で!」
「あなた達を愛しているから。それじゃあ駄目?」
うさ耳が力を込めると、刀は紫の手を抜けて、そのまま紫の体を最後まで切り下ろした。再び鮮血が飛び、紫が呻き声を漏らす。
「八雲紫か。丁度良い」
冷たく言い放ったうさ耳に向かって、紫が笑みを作る。
「私はね、幻想郷を、この子達を愛している。だから必ず守ってみせる。その為なら、私は自分なんてどうだって良いのよ」
紫の頭上に隙間が現れ、どろりとした黒い粘液が意思を持った様に這い出てきた。それは人の悪意を具象化したもの。見る物に怖気を呼ぶ概念。守られている霊夢達ですら戦慄する程で、まともに対峙しているうさ耳は言わずもがな。舌打ちをして後ろに飛び退ろうとする。それを紫の両腕が掴んだ。
「逃さないわよ」
紫が昏く笑ってうさ耳を捕らえ、悪意の触手を伸ばしていく。
うさ耳は迅速だった。
その光景を見ていた誰もがその動きを目で追えなかった。
気が付いた時には既に、うさ耳が刀を振り切った態勢で飛び退っていた。
見ていた誰もが、紫が手を放してしまったのだろうと考え、うさ耳が着たローブの前面に垂れ下がった腕の形をした装飾に疑念を抱き、突然紫から血が吹き上がったのを見て恐慌した。
紫の腕を切り取ったうさ耳は自分のローブにひっついた腕をもぎ取り地面に捨てる。対する紫は血の噴き出る腕をお腹で抑える。
「嘘! ちょっと紫!」
霊夢と魔理沙が慌てて紫の傍に駆け寄ると、肘から先の両腕を無くした紫が膝をついた。
「大丈夫か? おい!」
魔理沙の言葉に紫は顔を上げ、笑みを作り、そして口を動かした。声は出なかった。けれどこう言っていた。
「大丈夫」
そうして空を見上げる。
「ちゃんと策は打ってある」
全員がその視線を追って空を見上げた。
空から声が降ってくる。
「そいつがさっき言っていた敵か?」
注連縄を背負い胡座をかいた八坂神奈子が頭上からうさ耳を一睨みする。それから腕を切り落とされた紫を、住む家を失った人人を、壊滅した村落を見渡し、最後に再びうさ耳を睨みつけた。
「聞くまでもないな。随分と酷い事をしてくれたじゃないか。なぁ?」
ぞわりとその場に居た全員の体に悪寒が駆けた。
神奈子の放つ言葉は力を持っていた。聞くだけで頭を垂れそうになる程の絶対的な圧迫感を伴っていた。心の内から畏怖の念を引き出す言葉。それと同時に、耳を傾かせる強制力を持った言葉。まるでその言葉を一言一句聞き逃してはならないとでも言う様に、誰もが口を閉ざし、世界が静まり返る。
静寂に満ちた世界で、うさ耳の息を飲む音がはっきりと辺りに響く。
頭上から見下ろす神奈子を見上げて、うさ耳は辛うじてといった様子で声を振り絞った。
「お前は何者だ」
「神だ」
間髪入れずに答えた神奈子は頬杖をついて凶暴に笑う。
「神の怒りを見せてやろう」
空が陰った。
振り仰ぐと、天が御柱で埋め尽くされていた。
巨大な御柱が、落ちる。
うさ耳を囲う様に幾つかの御柱が落下して逃げ場を奪うと、更にもう一本が凄まじい加速度で一気にうさ耳の居た場所へ落下する。飛び退いて避けたうさ耳を追尾する様に御柱が次次に落下し、地響きを立てていく。御柱は散乱する民家の残骸を押しつぶしながらうさ耳を追う。うさ耳はそれを避けながら四方八方へ兎の様に跳ね回っていたが、次第に立ち並ぶ御柱に邪魔されて行動を制限されていった。
やがて御柱がうさ耳の周りを埋め尽くし、完全に逃げ場の無くなったところへ、止めの一柱が落下し、うさ耳の立つ場所に突き立った。
空を覆う御柱が消え、辺りが森閑とする。
動くものが居なくなる。
やがて御柱を引き上げられた。現れた地面は、御柱によって建物も何も押しつぶされて整地されていた。だがその地面に、引き潰れたうさ耳は居なかった。
「逃げられたか」
舌打ちした神奈子は視線を霊夢達へと移した。倒れた紫の周りに霊夢や魔理沙達が集まっている。紫の傍に座り込んだ万能の医者の姿を見つけて、神奈子は息を吐いた。
一先ず死ぬ事は無いだろう。
だが生死に関わらず幻想郷の実力者である紫がやられたという事は重大な意味を持つ。見れば、村を奪われた人間達だけでなく、様子を見に来た妖怪達の姿も数多く見えた。これで噂は矢よりも速く飛んで行くだろう。人間の村が潰されたと。妖怪の賢者である八雲紫が傷つけられたと。その犯人は月であると。
今の段階では未来がどの様に転がるか分からなかったが、それが良い方向へ行く等と楽観視する事は出来なかった。
続き
第十一章 他人の思いを語るなら
第一章 夢見る理由を探すなら
一つ前
第九章 月で世界を謀るなら
第十章 愛が全てに勝るなら
「まあ、経緯は分かったけどさぁ」
霊夢が納得いかない様子でこたつ越しに紫に似た少女を睨む。
睨まれたメリーは困った様に微笑みながら出されたお茶に口を付けた。
月に友達を攫われたから月へ行く為の方法を探しているという少女。霊夢は少女の語った、境界を見る目を持ちそれが暴走して幻想郷へ来た、という説明を疑っている訳じゃない。
拭い切れない不信感は別の場所から来ている。
似ている。見れば見る程、紫に似ている。
またいつもの様に外見年齢の境界を操って、少女の姿をしているのじゃないかと疑う位に似ている。似ているけれど、紫の持つ隠し切れない胡散臭さを持っていない。だから紫じゃない事は分かるけれど、どうしてここまで似ているのか分からない。
「あんた、本当に紫と関係無い訳?」
「多分。全然心当たりが無い」
霊夢がじっとメリーを見つめる。
嘘を言っている様には見えない。だが何の関係も無いとは思えない。
しばらくして霊夢は溜息を吐いてメリーへの追求を打ち切った。
「もう良いわ。埒が明かない」
「ごめんなさい」
「別に謝んなくても良いわよ。とにかく、月に行く方法を探しに来たのよね?」
「はい!」
「なら丁度良いんじゃない? まだどう転ぶか分からないけれど」
不思議そうにするメリーに、霊夢は幻想郷で起こっている事を説明した。かつて月に攻め込み負けた事。それが数ヶ月経った今になって、突然新聞に取り上げられた事。その内容は幻想郷の実力者の顔に泥を塗るもので、これから大事が起きそうである事。そうして、もしかしたら何かの切っ掛けで月へ乗り込むかもしれない事を付け加えた。
最後は予感だけれど、何となくそうなる気がしてならなかった。
そうなったらまた面倒だ。
そう考えながら息を吐いて、霊夢はメリーを見つめた、すると再び不信感が鎌首をもたげてくる。
よくよく考えてみれば、奇妙な符合が気になった。月に関わる異変が起こっている時に偶偶月に行きたいと望む少女がやってくる。それだけでなく、偶偶結界を緩めたのと、境界をくぐってきたのが同時だったなんて。
いや、考えても仕方がない。
霊夢は思考を打ち切って再び息を吐いた。
月へ乗り込むかもしれないという事を聞いても、メリーの反応は薄かった。月に行きたいんじゃなかったのだろうかと霊夢は訝しむ。何だか心此処に在らずといった様子で天井を見上げている。
「どうしたの?」
「いえ、ただ境界が」
境界が見えるのだろうか?
霊夢も天井を見つめたが、勿論そこには何も無く、いつもの天井が見えるだけだ。
境界が見えるとどの様な景色になるのだろう。そんな事をふと思う。もしもそれに人間と妖怪という種族の違いも加われば、それはきっと永遠の時を経ても理解出来無いに違いない。
そんな事を考えていると、頭の上から声が聞こえた。
「結界を解くなっていつも言っているでしょ」
その瞬間、目の前にねっとりとした逆さの笑みが現れた。霊夢は驚いて体を仰け反らせる。
声の主は天井から降り立って空いていたこたつに足をもぐりこませた。
「どうせまた私に用があるんでしょ? だったら普通に呼び出してよ」
突然現れた紫を霊夢が睨む。
「私達の話、聞いてたわね?」
すると紫がきょとんとして首を傾げた。
「何の事?」
あっさりとかわされて霊夢は舌打ちした。
きっと隙間でこちらの様子を窺っていたに違いない。いつもであれば結界を緩めればすぐにでもすっ飛んでくるのだから。姿を表さずに盗み聞きしていたというのはきっと、メリーという存在が紫にとって何か特別な意味を持っているからだろう。
メリーは紫に「お久しぶりです」と挨拶している。紫もそれに笑顔で応じて、何だか平穏な光景を作っていた。
霊夢はその光景を壊す為に、新聞を取り出し、こたつに叩きつけてみせる。
「紫、呼んだのは他でもないこれの事。もう読んでは居るんでしょ?」
紫はこたつの上の新聞を覗き込み、真剣な顔で頷いた。
「なら単刀直入に聞くわよ。あんたはこの記事についてどう考えている訳?」
「どういう意味かしら?」
「この内容は明らかにあんたの顔に泥を塗った。それに対してあんたはどう思ってるの?」
霊夢の追求に紫は首を横に振る。
「何も。そこに書いてあるのは多分に真実で、訂正する必要は無い。勿論恥をかいたけれど、それで抗議したところで更に恥をかくだけじゃない。どうしようも無いわ」
「本気でそう言っているの? ならあんたは天狗に対して何もする気が無いって事?」
「いいえ。流石に記事の後半に書かれている事は見逃せない。月が攻め込んでくるという話が本当かどうか問い質し、本当であれば対策を講ずる必要がある」
霊夢が驚いて目を見張る。
「復讐はしないの?」
紫が微笑みを返す。
「私はね、幻想郷を愛している。愛するものの為であれば、私は自分なんてどうだって良いのよ」
そのあまりにも善人ぶった言葉で逆に信用がならなくなった。「胡散臭い」と呟く霊夢と魔理沙のじっとりとした目に、紫が「本当よ!」と抗議するものの二人の疑いの目は収まらない。
「とりあえずこれ以上情報は引き出せそうにないな」
「はぐらかされて終わりよね」
「本当なのにぃ」
紫が悔しそうな顔をしたが、魔理沙と霊夢は肩を竦めて立ち上がった。
「じゃあ、次はレミリアの所か?」
「そうね。メリー、あなたも来る? そこに居る連中は、この前月へ行った時に、ロケットを用意した奴等なんだけど」
「行きます!」
メリーが勢い込んで立ち上がったのを見て、霊夢は苦笑しながら湯のみを回収して台所へと持っていった。魔理沙は箒を取りに行ってくると行って外へ出て行った。部屋にはメリーと紫が残される。
メリーは何となしに紫の事を見つめた。似ている。先程霊夢はそれを不思議がっていたが、メリーには不思議な事には思えなかった。似ているというのは、同じものという訳では無い。
メリーが紫の事を見つめていると、紫が昏く笑った。
「あなたは私と同じね」
唐突な言葉に面食らう。
「良い目をしているのね」
目?
メリーが片目を手で抑える。
「とても淀んだ目をしているわ」
「淀んだ目?」
「そう。やっぱりあなたは私と同じ。それはそうよね。私はあなたを元に作られたんだから」
「どういう事ですか?」
「あら、今のあなたにはまだ言っていなかったかしら?」
目の前に妖怪が何を言っているのか、メリーにはさっぱり分からない。ただ自分に向けられる、酷く嬉しそうな笑顔が何となく不快だった。
「あなたは私と同じよ、メリーさん。あなたにとっても、愛は全てに打ち勝つのでしょう?」
それは。
「勿論です」
「そしてそれ以外の全ては色褪せている。私達の見ている世界はそんな世界。普通に生きていくのに必要な繋がりにすら何ら興味を持っていないから、私達には世界が継ぎ接ぎに見える」
紫が何を言いたいのか分からない。
「私とあなたにとって、世界は自分の愛が為される舞台でしかない。世界に存在するものは全て愛を為す道具でしかない。でも決してそれは特殊な事では無いと私は思う。私達の持つ、世界を覆い尽くす巨大な自己中心思考は、きっと世界中の誰もが少なからず持っていて、しかも昔に比べてずっと強くなっている。もはや共同体を保つ事は出来ず、そして共同体の産物である妖怪も存続出来ず、そしてきっと幻想郷もまた」
そこで言葉を切って、紫は悲しげに虚空を見上げた。
「何が言いたいんですか?」
メリーの問いに、紫が弱弱しい微笑みを見せる。
「ただあなたにだけは私の事を分かっていて欲しかっただけ」
「分からないです」
「そう、残念」
会話はそこで終わった。霊夢の足音が聞こえてきた拍子に、紫は「用事があるから」と言って隙間の中に消えた。メリーは一人残された部屋の中でじっと紫の消えた場所を見つめていたが、霊夢が障子を開けたので振り返る。
「どうしたの? 紫は?」
「紫さんは用事があるからって何処かへ」
「用事? 本当に? やっぱり怪しいわね、あいつ」
霊夢がぶつぶつと呟きながら縁側に出て、メリーを手招いた。メリーもそれについて、魔理沙の箒に乗せてもらいレミリアの住む紅魔館へと飛び立った。
紅魔館に辿り着くと、門番がいつもの美鈴では無く、メイド長の咲夜だった。降り立った魔理沙が笑顔で咲夜へ近づいていく。
「おう、美鈴はどうした? 風邪でもひいたのか?」
すると咲夜が背後の屋敷を親指で差し示した。
「中に居るわよ。ただ会うのはお勧めしないけど」
「別に私達は美鈴に会いに来た訳じゃないの。レミリアは? 中に居るんでしょ?」
「お嬢様も妹様も中に居るわよ。中に居るのはその三人。いずれともお会いしない方が良いと思うけど」
「三人? 他の使用人は? 後、パチュリーとか。パチュリーにも用事があるんだけど」
「残りは全員屋敷の裏手の庭に避難中」
「何かあったのか?」
「今現在、起こっているのよ」
その瞬間、紅魔館の壁が爆発して、炎の中から現れた美鈴が庭の中心に着地した。そして盛大に笑い声を上げる。
「流石、お嬢様! 今のは中中痛かったですよ!」
すると爆発した壁の向こうからレミリアが飛び上がった。その目は明確な殺意に満ちている。手には紅の槍が握られていた。
魔理沙が驚いて咲夜に問いかける。
「おい、何かグングニル投げようとしているみたいだけど?」
「みたいね。パチュリー様の掛けた魔法も耐え切れなくなったみたいだし、これは本当に屋敷が全壊するかも」
その瞬間、槍が放たれた。光速で飛来した槍が構えをとった美鈴に着弾し、凄まじい閃光が辺りに満ちた。真紅の閃光の向こうから今度はフランの無邪気な声が聞こえてくる。
「美鈴、こっちもこっちも!」
閃光が晴れると、フランが屋敷よりも更に長大な紅の剣を振り上げて、笑みを浮かべる美鈴に狙いをつけていた。
「行くよ! 当たってね!」
「どうぞ! 周りを壊さない様に、外さないで下さいね!」
フランの剣が振り下ろされる。それに美鈴が掌底を合わせ、再び紅い閃光が膨れ上がった。
美鈴が吸血鬼姉妹から一方的に攻撃され続ける光景を眺めながら、魔理沙は不安そうに咲夜へ尋ねる。
「おい、あいつ等何やってるんだ? 美鈴、死ぬぞ?」
すると咲夜が懐から新聞を取り出して魔理沙達に掲げた。
「この新聞、あなた達はもう見た?」
それは月に攻め込んだ事が書かれた文々。新聞だった。魔理沙達はそれを読んでこの紅魔館へやって来たのだ。
三人の表情から察した咲夜は再び懐に新聞をしまう。
「この新聞に書かれた内容にお嬢様が怒られて、というより恥ずかしがって、その照れ隠しに美鈴が付き合って上げてるの」
「照れ隠しが壮絶過ぎるだろ。フランは? 関係無いだろ?」
「触発されて、じゃれてるだけよ」
「姉妹とも感情表現の度合いが酷すぎるぞ。美鈴、大丈夫なのか?」
「まあ、死にはしないでしょ」
レミリアの照れ隠しとフランのじゃれつきはそれからしばらく、屋敷が全壊するまで続いた。
「天狗に仕返し? そんなのする訳無いでしょ」
全壊した屋敷を背に、折りたたみの椅子に尊大な態度で座るレミリアがそう言った。魔理沙が目を見張って、辺りを見回す。崩れ去った屋敷と幾つもの巨大なクレータがレミリアの怒りを表している。
「しないのか? てっきり怒り狂って突っ込むかと思ったけど」
「そんな事したら記事の内容が本当ですって言う様なものじゃない。だからこそ、仕方なくその鬱憤晴らしを美鈴に付き合ってもらったんだから」
「出来ればもうちょっと平和的な憂さ晴らしを」
傍で手の傷に消毒液を塗っていた美鈴が呟いたものの、レミリアはそれを無視して霊夢達を睨む。
「それで、何しに来たの? まさか馬鹿にしに来た?」
レミリアが睨んできたので、霊夢も睨み返す。
「んな自殺願望持ってないわよ」
「懸命ね。じゃあ、何?」
「一つはあんたが暴れたりしないかどうかの確認。それから何か、今回の件で知っている事が無いか聞きに来たの」
「私は天狗がこの馬鹿げた新聞を作って幻想郷中にばら撒いている事しか知らないわよ」
「幻想郷中に?」
「そう。こんな新聞、みんな取ってないでしょ? それなのに、今回はうちみたいに新聞を取ってない所にも新聞を届けているらしいわよ。ああ、また苛苛してきた」
レミリアの傍に居た美鈴以外の従者達が身を固くする。だがレミリアは何もせずに座ったままなので、ほっと安堵の息を吐いた。
「それ以外は知らない。聞くなら天狗に聞きなさいよ」
「聞いたけど、大した答えが得られなかったのよ」
「あ、そう。あんたが動いているって事は異変なんでしょ? もしも天狗の起こした事なら手伝うわよ。完膚無きにまで叩き潰してやる」
「まだ分からないわ」
攻撃的に笑うレミリアに霊夢は肩を竦めてから辺りを見回した。
「パチュリーは?」
「さあ? 多分まだ裏手に居るんじゃないの? 運び出した本を戻すにも、屋敷が直らなくちゃしょうがないし」
ゴブリン達が必死で再建する屋敷をレミリアが指さした。
「パチェに何の用?」
レミリアの問いに、霊夢がメリーを指し示す。
「この子、友達を助ける為に月へ行きたいらしいの。だからロケットが作れるかどうか」
途端にレミリアの目が鋭く輝いた。
「何? 月へリベンジに行く? 手伝うけど?」
「そんな事言ってないわよ」
如何にも暴れたくて仕方が無いといった態度のレミリアに、霊夢は呆れた様子で溜息を吐いた。レミリアが不服そうに目を細めたが、霊夢は気にせず踵を返す。
「じゃ、パチュリーに会いに裏手に行くから」
「どうぞ」
レミリアの許可をもらって裏手に行こうとした時、正門から従者の一人が慌てた様子で駆けて来た。
「大変です!」
レミリアが立ち上がって下問する。
「何があった!」
「月が!」
従者の泣きそうな叫びに全員が色めき立つ。
「月が攻めてきました!」
霊夢達が従者の語った場所まで飛んで行くと、丘の上から不安そうな顔で自分達の村を眺めている人間達と、村の中央で家を切り倒す何者かが居た。丁度霊夢達が辿り着いた時、何者かは最後の家を切り倒したところで、村に存在する全ての建物が半分の高さになり、酷く見通しが良くなっていた。
霊夢達が村に降り立つと、幻想郷を守る英雄の到着に丘の上に居る人間達が大歓声を上げ始める。普段であれば恐怖の対象であるレミリア・スカーレットにまで歓声が送られる。村を壊滅させた敵を討ち果たしてくれる様に、懇願してくる。人人の家を奪い去った何者かの行為はそれ程までに度し難い行為だった。
何者かは太刀を鞘に収めると振り返って霊夢達と対峙する。黒いローブに黒いフードで全身を隠して、男か女かすら分からない。体型も分からないが、長身で、そしてあろう事か、頭のフードからは兎の耳が飛び出ていた。事情を知る誰もが正体は月人であると判断し、そして霊夢達の脳裏には自分達を歯牙にも掛けずあしらった月の使者が思い浮かぶ。
「博麗霊夢と霧雨魔理沙だな」
依姫の声ではない甲高い声だった。抑揚の無い機会音声。霊夢達はその異質な声に驚いていたが、メリーはさして驚かずに、自立歩行型のロボットを簡単に作り出せる月の科学技術を思い出した。ローブの下の姿が見えず、容姿も性別も何も分からない、それどころか人間ですら無いのかもしれない。
「月の人間ね?」
霊夢の問いに兎の耳を生やした相手が首肯する。
「どうしてこんな事を?」
「お前達を誘き出す為だ。騒ぎを起こせばやってくると思っていた」
丘の上の喚声に憎悪の声が混じりだす。人間達の敵意に晒されても、兎の耳は微動だにしない。
「何の為に」
「決まっている。八雲紫、レミリア・スカーレット、博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜、この五名を殺す為だ」
兎耳の宣言で場が凍りついた。うさ耳が何かをした訳では無い。ただ威圧感を放っただけだ。しかしただのそれだけで、四人の脳裏に死がよぎった。まるで濃縮された死をそのまま浴びせかけられている様な不思議な圧迫感が辺りを包んでいた。丘の上の人間達も息をのんで呼吸を止める。ふざけるなと叫び返す者は誰一人として居なかった。全員がうさ耳に気圧されていた。
「私達を殺す?」
霊夢が掠れた声で辛うじて疑問を呈す。
再びうさ耳が首肯する。
「本意ではない。こうして民家を切り裂いた事も。我我は地上の民とは違う。こんな野蛮な事をしたい等とは誰も考えていない。だがやらねばお前達は分からない。分からなければお前達は同じ愚を繰り返す。外の世界の人間達が月へ攻め込もうという時に、幻想郷にまで攻めこまれては困るのだ。だから見せしめが必要だ。攻め込めばどうなるかという見せしめがな」
「何を言ってるの? 外の世界の人達が月へ攻める?」
霊夢の疑問に、背後に控えたメリーの呟きが答えた。
「蓮子を取り返す為に、今アメリカが月へ攻め込もうと」
「そうなの? でもあなたさっきの説明じゃそんな事何も」
うさ耳が哄笑を上げる。
「何だ、ここに居たのか。マエリベリー・ハーン。これは手間が省けた。我等はお前の帰りを待ち侘びている。五人を殺したら一緒に帰ろう。宇佐見蓮子も月で待っているぞ」
魔理沙が驚いてメリーへ振り返る。
「どういう事だ? 何で月の人間がお前の帰りを待っているんだ?」
不審げな魔理沙の視線にメリーは思わず身を竦ませた。
「私が月の民だから」
魔理沙が目を剥いた。
「じゃあ、あいつの仲間なのか? 最初から? ここに来たのも?」
「違う。私は、蓮子を助けたいだけ。私は月から逃げてきて」
メリーの悲しげが言葉を上書きする様に、うさ耳が大仰な動きで手を広げて声を張った。
「安心すると良い! 月の民は君に危害を加える事は無い。何か誤解があったんだ。さあ一緒に帰ろう」
「いや!」
「どうして? そんなに月が嫌いなのか?」
「いいえ、月は、別に、昔と違って、月に戻るのも良いと思ってる。でもまだ、蓮子はそれを望んでいない。私は、蓮子と一緒に居られるのなら何処だって行くけれど、蓮子が嫌がっているなら、蓮子が私を月に返したくないと思っているなら、私は絶対に月に戻らない!」
メリーがいつになく感情的になって叫んだ。うさ耳は肩を竦めて首を振る。
「その話は月に帰ってから聞くとしよう」
そうして太刀に手を掛けた。
「さてお喋りが過ぎたな」
そのまま身を沈めて半身になる。
距離は十メートル以上離れている。普通に考えれば、刀の届く筈が無かったが、何か飛び道具があるとも分からない。霊夢達が構えを取った時、うさ耳が大地を蹴った。
「死ね」
うさ耳が真っ直ぐ突っ込んでくる。それに向けて、霊夢が御札を構え、魔理沙がミニ八卦炉を構えた。だが次の瞬間、いつの間にか目前に迫ったうさ耳が抜刀して御札を切り払い、ミニ八卦炉を弾き飛ばしていた。あまりの速攻に二人は反応すら出来なかった。
霊夢と魔理沙が小さく呆けた声を上げるのと、うさ耳が凄まじい殺気を込めて刀を振り上げたのが同時だった。刀を振り上げたうさ耳を前にして、殺される事を予感して二人の全身に悪寒が走る。
その時、二人の前に人影が現れた。ナイトキャップを被り、紫色の服を来た金色の妖怪は魔理沙と霊夢を守る様にして腕を広げた。うさ耳は突然現れた妖怪に驚く事無く、躊躇う事無く刀を振り下ろす。
そして鮮血が飛び散った。
「紫!」
霊夢と魔理沙が目を見張る。辺りに悲鳴がこだまする。胸を半ばまで切り裂かれた紫は太刀を掴まえて、弱弱しげに振り返った。
「二人共、怪我は無い?」
「紫、何で!」
「あなた達を愛しているから。それじゃあ駄目?」
うさ耳が力を込めると、刀は紫の手を抜けて、そのまま紫の体を最後まで切り下ろした。再び鮮血が飛び、紫が呻き声を漏らす。
「八雲紫か。丁度良い」
冷たく言い放ったうさ耳に向かって、紫が笑みを作る。
「私はね、幻想郷を、この子達を愛している。だから必ず守ってみせる。その為なら、私は自分なんてどうだって良いのよ」
紫の頭上に隙間が現れ、どろりとした黒い粘液が意思を持った様に這い出てきた。それは人の悪意を具象化したもの。見る物に怖気を呼ぶ概念。守られている霊夢達ですら戦慄する程で、まともに対峙しているうさ耳は言わずもがな。舌打ちをして後ろに飛び退ろうとする。それを紫の両腕が掴んだ。
「逃さないわよ」
紫が昏く笑ってうさ耳を捕らえ、悪意の触手を伸ばしていく。
うさ耳は迅速だった。
その光景を見ていた誰もがその動きを目で追えなかった。
気が付いた時には既に、うさ耳が刀を振り切った態勢で飛び退っていた。
見ていた誰もが、紫が手を放してしまったのだろうと考え、うさ耳が着たローブの前面に垂れ下がった腕の形をした装飾に疑念を抱き、突然紫から血が吹き上がったのを見て恐慌した。
紫の腕を切り取ったうさ耳は自分のローブにひっついた腕をもぎ取り地面に捨てる。対する紫は血の噴き出る腕をお腹で抑える。
「嘘! ちょっと紫!」
霊夢と魔理沙が慌てて紫の傍に駆け寄ると、肘から先の両腕を無くした紫が膝をついた。
「大丈夫か? おい!」
魔理沙の言葉に紫は顔を上げ、笑みを作り、そして口を動かした。声は出なかった。けれどこう言っていた。
「大丈夫」
そうして空を見上げる。
「ちゃんと策は打ってある」
全員がその視線を追って空を見上げた。
空から声が降ってくる。
「そいつがさっき言っていた敵か?」
注連縄を背負い胡座をかいた八坂神奈子が頭上からうさ耳を一睨みする。それから腕を切り落とされた紫を、住む家を失った人人を、壊滅した村落を見渡し、最後に再びうさ耳を睨みつけた。
「聞くまでもないな。随分と酷い事をしてくれたじゃないか。なぁ?」
ぞわりとその場に居た全員の体に悪寒が駆けた。
神奈子の放つ言葉は力を持っていた。聞くだけで頭を垂れそうになる程の絶対的な圧迫感を伴っていた。心の内から畏怖の念を引き出す言葉。それと同時に、耳を傾かせる強制力を持った言葉。まるでその言葉を一言一句聞き逃してはならないとでも言う様に、誰もが口を閉ざし、世界が静まり返る。
静寂に満ちた世界で、うさ耳の息を飲む音がはっきりと辺りに響く。
頭上から見下ろす神奈子を見上げて、うさ耳は辛うじてといった様子で声を振り絞った。
「お前は何者だ」
「神だ」
間髪入れずに答えた神奈子は頬杖をついて凶暴に笑う。
「神の怒りを見せてやろう」
空が陰った。
振り仰ぐと、天が御柱で埋め尽くされていた。
巨大な御柱が、落ちる。
うさ耳を囲う様に幾つかの御柱が落下して逃げ場を奪うと、更にもう一本が凄まじい加速度で一気にうさ耳の居た場所へ落下する。飛び退いて避けたうさ耳を追尾する様に御柱が次次に落下し、地響きを立てていく。御柱は散乱する民家の残骸を押しつぶしながらうさ耳を追う。うさ耳はそれを避けながら四方八方へ兎の様に跳ね回っていたが、次第に立ち並ぶ御柱に邪魔されて行動を制限されていった。
やがて御柱がうさ耳の周りを埋め尽くし、完全に逃げ場の無くなったところへ、止めの一柱が落下し、うさ耳の立つ場所に突き立った。
空を覆う御柱が消え、辺りが森閑とする。
動くものが居なくなる。
やがて御柱を引き上げられた。現れた地面は、御柱によって建物も何も押しつぶされて整地されていた。だがその地面に、引き潰れたうさ耳は居なかった。
「逃げられたか」
舌打ちした神奈子は視線を霊夢達へと移した。倒れた紫の周りに霊夢や魔理沙達が集まっている。紫の傍に座り込んだ万能の医者の姿を見つけて、神奈子は息を吐いた。
一先ず死ぬ事は無いだろう。
だが生死に関わらず幻想郷の実力者である紫がやられたという事は重大な意味を持つ。見れば、村を奪われた人間達だけでなく、様子を見に来た妖怪達の姿も数多く見えた。これで噂は矢よりも速く飛んで行くだろう。人間の村が潰されたと。妖怪の賢者である八雲紫が傷つけられたと。その犯人は月であると。
今の段階では未来がどの様に転がるか分からなかったが、それが良い方向へ行く等と楽観視する事は出来なかった。
続き
第十一章 他人の思いを語るなら
複雑に各所に散らばったパズルのピースが正しい角度で嵌まる時、最終的にどのような一枚の絵を見せるのか。
わくわくしてきました。
この地に足がついているハズなのについてない感じは好き
月人なら強いのはわかるけど紫を斬れて神奈子から逃げるあたり策略臭くもあるし、月人なら仕方ない感もある
次回も楽しみ
アメリカで月に行けるすんでのところで幻想郷に飛ばされた割に、紫に元の世界に戻してもらおうとせずに幻想郷で月に行く方法を模索してる違和感。
後は他の方が指摘してるところとか。・・・ふむ。
紫はともかく、レミリアは話に噛んでたわけではないのかー
それにしても美鈴すごすぎるぜ・・・。
この月人はウサミミついてるしロボットぽいし神奈子知らないしで関係無いのかな?
それとも全く関係ないところで事態が進行してる?
色々伏線があって先が楽しみです