『霧雨魔理沙ここにあり』
1
不意に寝苦しさを覚えて、博麗霊夢は眠りからめざめると、ゆっくり身を起こした。
季節は秋にさしかかり、散々安眠を妨害してきた熱帯夜がやっとなりをひそめはじめたというのに、何だというのだろう。
思いながらあくびを噛み殺し、とりあえず寝覚めの水でも飲みに行こうと布団に手をついて立ち上がろうとした時、その布団についたはずの手が何やら暖かくて柔らかいものに触れた。
布団の感触ではない。不思議に思って隣に目を向けると、金髪の少女が心地よさそうに寝息を立てているではないか。
「……まりさ?」
そう、金髪の少女とは誰あろう霧雨魔理沙その人であった。
霊夢は混乱した。まだ霞がかった頭の中で、これがどういうことなのかを考える。
しかし考えても考えても、彼女が同じ布団に入ってきて、あげく隣で気持よさそうに寝ている理由がわからない。
酒の勢いで間違いをおかしてしまったわけではないらしい……のは幸いだが、そもそも魔理沙はここ数日神社へ姿を見せていなかったので、まず酒を酌み交わしていない。
久しぶりに現れたかと思ったら、いきなり人様の布団に潜り込んで寝ているなんて、こいつは一体、何を考えているのだろう。なんだか腹が立ってきた霊夢は、少々苛立たしげに魔理沙の肩を掴み、揺さぶりながら言った。
「ちょっとあんた、起きなさい」
しかし、魔理沙は起きない。爆睡である。
――まったく、こいつは……。小さくつぶやき、さらに力を込めてもう一度。
「こら、起きなさいってば。魔理沙!」
それでも起きない。
頬のひとつでもひっぱたいてやろうかしら……そう思った霊夢だったが、ふと、魔理沙の肩を揺さぶる手をとめた。
彼女の視線は魔理沙の頬に注がれている。つやっとして、つるっとしていて、すごく触り心地がよさそうな頬。ためしに指先でつついてみると、やはり手触りがよくて、おまんじゅうのようにふにふにしている。
面白くなってきてもっとつついたりつまんだりしていると、さすがに気がついたのか、魔理沙が「ん……」と声をもらしつつ身じろぎした。そして、そろそろとまぶたを開き、目をしばたたかせてから、自分の頬に指をめり込ませている霊夢へ視線を向けてきた。
「あ」
すぐに手を引っ込めて、霊夢は取り繕うように咳払いをひとつし、
「やっと起きたわね。勝手にひとの布団に入ってきて寝てるだなんて、どういうつもり?」
これに魔理沙は答えず、ゆるやかに体を起き上がらせると、まだ寝ぼけたままと思しい細めた眼差しで霊夢を見つめるのだった。
「な、なによ?」
文句でもあるの――そう言おうとした霊夢はしかし、その言葉を発することができなかった。彼女が何かを言うよりも、ぐっと顔を寄せてきた魔理沙が「霊夢」と熱っぽい声で呟きつつ、唇を重ねてくるほうがはやかったからだ。
柔らかくて、でもそれだけではない不思議な感触に霊夢は目を丸くし、お互いの唇が離れた瞬間、はっと我に返って魔理沙を無意識にどん、と押していた。
「な、ななな……なにすんのよっ!」
慌てて袖で口をこすり、叫ぶ霊夢をよそに、突き飛ばされた魔理沙はすっと立ち上がって、彼女らしからぬ何かを含んだ妖しい笑みを浮かべつつ、言った。
「遊ぼうぜ」
それは魔理沙のものだけれど魔理沙らしくない、どろりとした濃い闇のような声だった。
――違う。眼前のこの少女は魔理沙だけれど、魔理沙ではない。魔理沙の格好をした、得体の知れないものだ。巫女の勘で霊夢はそう感じた。
「あんた……、いったい、誰?」
問うと、魔理沙の姿をした何かは妖しい笑みを崩さず、体重を感じさせない動きですっと後ろに下がっていった。そしてそいつが襖をすり抜けていったのをみて、いよいよ霊夢も立ち上がり、襖を開け放ってそいつのあとを追った。
そいつは闇が広がる鎮守の森のそばに立っていた。
「遊ぼうぜ、霊夢」
手を差しだしてきながら、魔理沙の声でそいつは言う。ほら、遊ぼう、遊ぼうと。
霊夢は険しい表情で懐から御札を抜き放ち、そいつめがけて力いっぱい投げつけた。
いくら友人の姿をしているとはいえ、妖怪の類に容赦はしない。しかし投げつけた御札は虚しく空を切り、鎮守の森の大木へ突き刺さるだけだった。いつの間にか、そいつの姿はかき消えてしまっている。
――遊ぼう。遊ぼう……。
その声はしばらくの間、辺りへ木霊のように響き渡り、やがて聞こえなくなっていった。後には、秋の夜の静寂だけがあるばかりだ。
「……なんだっていうのよ」
忌々しげに呟き、霊夢はしばし外を睨んでいたが、やがて探すのを諦めたのか襖を閉め、再び布団にもぐり込んだ。
こんな遅い時間だ、今から奴を追うつもりはない。それに魔理沙の姿を借りて悪さをしそうな妖怪には心当たりがある。
朝になってから、そいつをぞんぶんにとっちめてやろうと決め、とにかく眠ろうと目を閉じた霊夢だったが、何気なく唇に指をやり、ふと、いくら本物ではないらしいとはいえ、それでも魔理沙に口づけられてしまったことを思い出した途端、わけも分からず顔がかぁっと熱くなってくるのだった。
当然、そうなってしまえばとても眠れるものではなく、布団の中で悶々としているうちに朝を迎えることとなった。
2
まだ日も昇ったばかりの時分。
博麗神社境内のど真ん中に、縛り上げられた妖狐が一匹、転がされている。
その妖狐の前で腕を組みつつ仁王立ちする紅白の巫女は、昨晩まんじりともしなかったせいか、隈の浮き出た目が完全に据わっており、今にも妖狐の毛皮を生きたままひん剥かんばかりの修羅の形相になっていた。まともに目が合おうものなら、きっと高名な妖怪ですら命の危険を感じるに違いない、
縛られた妖狐はもう、ただただ震え上がりながら、
「わ、私が何をしたっていうんですかぁ!」
涙ながらに訴えるが、妖怪退治を性分とするこの巫女に泣き落としなど通用するはずもなく、
「自分の胸によぉくきいてみることね」
お祓い棒を手でぽんぽんさせつつ、どすの効いた声でもって言うのだった。
「霊夢さんに悪いことした覚えなんてないですよぉ」
「すっとぼけるつもり? 私にあんなことやこんなことしておいて」
「してませんよっ。ちょっと興味はありますがっ!」
「あぁん?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「とにかく、よりにもよってこの私を化かすなんて、いい度胸してるじゃない。狐の毛皮って人里だと高く売れるのよねぇ……」
「後生ですからそれだけはご勘弁をー! それに人を化かすのは狐だけじゃないですよぉ」
「……ふむ」
言われてみれば――と、霊夢の脳裏に、食えない化け狸の姿が浮かんだ。
二ッ岩マミゾウとか言ったか。確かにあいつなら、魔理沙に化けていたずらの一つでも仕掛けてきそうである。かといって、それでこの妖狐の疑いが晴れたわけでもない。
「じゃあ、確かめに行ってくるわ。あんたの言ってることが事実かどうか」
「え、その間、私はどうなるんです?」
「あんたはまだ容疑者。私が帰ってくるまでそこに転がってなさい」
「そんな殺生な。どうかお慈悲を、お慈悲をー!」
妖狐の叫びを無視して、霊夢は空を翔んだ。あの化け狸がいるとすれば、妙蓮寺あたりだろう。まずぼこぼこにして、そのあと真偽を確かめるつもりであった。あらあら、という声がきこえてきたのはその時である。
空を翔びながら声をした方を見ると、宙にぱっくりとあいた異次元――いわゆる、スキマから、よくよく知っているスキマ妖怪が顔を出して、こちらに笑顔を向けてきていた。
「ずいぶん、ごきげんななめのようね」
「あによ。なんか用なの、紫」
「別に。面白そうだったから顔を出しただけ」
「ならおとなしく引っ込んでて。私は今、妖怪退治で忙しいんだから」
「それって昨夜の魔理沙のことでしょ?」
たちまち、霊夢の顔が火を吹いたように赤くなった。
「ち、ちがっ、違う!」
「あら、真っ赤になっちゃって。かわいい」
「うるさい! 邪魔するならついでにあんたも退治しちゃうわよ!」
「まぁ、怖い怖い。あ、そういえば、面白いことを一つ、教えてあげましょうか」
「面白いこと?」
「そう。なぜだか知らないけれど、今、この幻想郷には魔理沙が“二人”いるみたいなのよ。まったく不思議よねぇ」
「魔理沙が、二人? それってどういうこと。マミゾウが化けてるんじゃなくて?」
「さぁ……どうかしら。その異変を調べて、解決するのがあなたの仕事でしょ」
もう一度、八雲紫はにっこり笑って、
「それじゃあ、頑張ってね。かわいい博麗の巫女さん」
バァイ、と手を振りながらスキマへ消えていくのだった。
霊夢は舌打ちをして、苦々しい表情になり、
「どういうことなのよ。魔理沙が二人……?」
呟いてみるが、疑問の答えはすぐには浮かんでこなかった。だから、進路を変えず妙蓮寺へ急いだ。すべてはマミゾウを問い詰めたその後だ。
3
一方、古道具屋「香霖堂」は大掃除の真っ最中である。ふらっと立ち寄った際に店主の森近霖之助に捕まってしまった魔理沙はあわれ、その大掃除にずっと付き合わされており、疲労を積もらせていた。
「香霖、まだ終わんないのかよ」
大掃除に巻き込まれてから数日も経つのに、店内はあまり片付いた様子が見られない。
霖之助の収集癖は魔理沙以上であり、商品の他にもどこかから拾ってきた売る気のない品物があっちへこっちへ転がっているものだから、整理しても整理してもいっこうに片付かないのである。
「終わったように見えないのならそれは終わっていないということだよ。ほら、休んでないでちゃっちゃか動いてくれ」
「もう疲れたぜ……。なぁ、断捨離っての知ってるか?」
「君にだけは言われたくないね、それ。僕の店に要らないものは何一つとしてないよ」
「どうだかな。それよりいいかげん休憩いれようぜ。喉が乾いてしかたないんだ」
「……しょうがないな。少しだけだぞ」
持っていた品物を棚に置いて、霖之助はお茶を入れに立った。店に残った魔理沙は、いつも座っている、売り物であるらしい壷に腰かけて窓の外をぼんやり眺めていた。
ここ数日、博麗神社へ顔を出していない。霊夢は元気にしているだろうか。あんなに暑かった日々が嘘のように思えるほと冷たい風が吹いたりする季節の変わり目だ、風邪でもこじらせていないか心配になる。
「はやく霊夢に会いたいなぁ……」
しみじみ呟きつつ眺める幻想郷の空を、今まさに霊夢が異変解決のために飛び回っていることを、彼女は知らない。
4
霊夢は目的の妖怪である二ッ岩マミゾウをすぐに見つけた。いや、マミゾウのほうが霊夢を見つけるほうがはやかったかもしれない。手を振ってくるマミゾウのもとへ霊夢が降り立つと、マミゾウはからからと笑って、
「おやおや、博霊の巫女どの。いったいどうなされた?」
人懐っこい声で言ってくるので、当初のぶっ飛ばしてから問い詰めようという気持ちがたちまち失せてしまった霊夢は、ため息をついて、
「ちょっとあんたに用があったの」
「用? この儂にかね」
「他に誰がいるのよ。率直に聞くけど、あんた最近、魔理沙に化けたりした?」
「魔理沙どのに? はて、そんな覚えはまったくないが……どうしてそのようなことを?」
霊夢が、自分にされたことを伏せつつ事の顛末を説明すると、マミゾウは何やら面白そうに二度、三度頷いて、
「ははぁ、魔理沙どのが二人……。それはもしかすると“二重身”かもしれんのう」
「何よ、“二重身”って」
「別名を“どっぺるげんがー”とも言ってな、同じ姿形をした人間がまったく別の場所でそれぞれ見られる不思議な現象じゃよ。外の世界では“同じ顔をした人間が三人はいる”という言葉もあるくらいでな。頻繁にというわけじゃあないが、時折起こる異変じゃな」
「その、“どっぺるげんがー”……だっけ、それは妖怪じゃないの?」
「いやいや、あれは妖怪じゃあない。うまく言い表すのが難しいが、しいて言えば魔理沙どの本人かな」
「……どういうこと?」
「うぅむ、魔理沙どのの魂の一部かもしれない、というべきか。ほれ、心ここにあらず、という言葉があるじゃろ。外の世界にある“すぴりちゅある”という分野の学問で言うと、あれは正しいらしくてな。実際に魂の一部が体から抜け出て、別の場所へ飛んでいる状態らしい。もしかしたら“どっぺるげんがー”はその抜けだした魂が実体を持ったものかもしれんのう。他にも“自分のどっぺるげんがーを見ると死ぬ”なんて話もあるが、噂の域を出んな。何しろ“どっぺるげんがー”については不明なことが多くて、ちゃんとした正体は、まだ解き明かされておらん」
そこで一度息をついて、
「要するに、もう一人の魔理沙どのというのは、巫女どのへの想いがあまりに強すぎて、巫女どののもとへ飛んできた魂の一部が実体を持ったものかもしれん、ということじゃな。だから、そのもう一人の魔理沙どのは、本物の魔理沙どのがしたいと思っていることを代わりに実行しているだけなのかもしれん。ま、何をされても、巫女どのの広い心をもって許してやりなされ」
そう締めて、ほっほっほとマミゾウは笑った。
「……詳しいのね、そっち方面の話に」
「ま、ちょっとした企業努力じゃよ」
「どうだか……。」
そこで、マミゾウは何かに気がついたように顔をあげた。
「おや、あそこにいるのは魔理沙どのではないか」
「えっ」
見ると、確かにマミゾウの指さした先、かなり離れたところに魔理沙がいた。昨日の妖しい笑みを浮かべて、手招きをしている。偽物のほうの魔理沙だ。
「あいつ……!」
霊夢が走り寄ろうとするそぶりを見せた瞬間、ニセ魔理沙はどこからともなく取り出した箒にまたがり、空へ舞い上がっていった。
「待ちなさいっ」
急いで追いかける霊夢。それをマミゾウは、彼女が来た時と同じように笑顔で手を振りながら見送るのだった。
5
「待ちなさい! 待ちなさいってば!」
霊夢の静止もきかず、ニセ魔理沙は空を翔ける。それになんとか追いつこうと試みるが、どれだけ速度をあげても距離が縮まる気配を見せない。こちらが加速すれば、向こうも加速する――まるで逃げ水を追っているような感覚だ。
「待ちなさいって……言ってるでしょ!」
業を煮やして、霊夢は御札を抜き放つとニセ魔理沙へ向けて手加減なしの弾幕を飛ばした。
だが、ニセ魔理沙は振り向かず、まるで背中に目でも付いているように霊夢の放った弾幕をたやすく躱してみせた。そして顔だけを振り向かせて、霊夢と目があうと、妖しい笑みを浮かべる。
――遊ぼうぜ。
あの、濃い闇のような声が蘇った。
魔理沙のものと同じはずなのに、ひどく気に障る声。
あのニセ魔理沙は魔理沙の魂の一部が実体化したものなのかもしれない――マミゾウにはそう言われたが、それならばこんなに胸がざわついてしまうのは何故だろう。あれも、もとを辿れば魔理沙と同じ存在かもしれないのに……。
それはもしかすると、同じ人間が同時に二人存在しているという異様な現象のせいもあるかもしれない。ともかく、ニセ魔理沙に手加減をするつもりは、霊夢にはない。
普段ならやらないであろう、全力の弾幕を打ち込むも、ニセ魔理沙には当たらなかった。
いらだちをさらにつのらせた霊夢が、いよいよスペルカードを放とうとしたとき、ニセ魔理沙が急降下を始めた。後に続く霊夢は、ふと、ここが魔法の森の上であることに気づいた。
そして鮮やかに着地したニセ魔理沙は、ある建物へ一直線に走って行き、その扉をすり抜けていった。
行きつけの古道具屋、香霖堂の入り口である。しめた、と霊夢は思った。店の中なら袋小路だ。店の中で暴れるなと霖之助に怒られるかもしれないが、そんなことは二の次だ。
霊夢も全速力でそちらへ向かい、
「魔理沙ぁー!」
大声をあげながら扉を勢い良く開いた。すると、
「……霊夢? だわぁぁぁっ!?」
なにやら大量の書物を抱えていた魔理沙が、急に入ってきた霊夢に驚いて見事にひっくり返っていた。
「いてて……、急にどうしたんだよ」
お尻をさすりつつ訊いてくるのを無視して、魔理沙に近づいた霊夢は、おもむろに魔理沙の頬を掴んでつねりあげた。たちまち魔理沙は涙目になり、
「いひゃいいひゃい! ひゃにふんだよひぇいむ!」
この反応、間違いない。目の前の魔理沙は本物だ。頬から手を離して、霊夢はつかれた様子でため息をついた。なにがなんだか分からない魔理沙は、涙目のまま、つねられた頬をさすりつつ、
「もう、なんなんだよ、いったい」
「私を困らせた罰よ」
「はぁ? 私がなにしたってんだ」
「自分の胸に聞きなさい」
「聞くもくそも、心当たりがまったくないんだが」
「ともかく、罰よ罰。あんたのせいなんだから、甘んじて受け入れなさい」
一方的な霊夢に、魔理沙はなんなのぜ……とぼやくのだった。そこで、店が騒がしいのに気づいたのか、お茶を入れに立っていたらしい霖之助が戻ってきて、
「なんだ霊夢、来てたのか。どうしたんだい。今日はもう店じまいだよ。今日というか、ここ数日は。見ての通り、大掃除中でね。もうすぐ終わるけれど」
「大掃除……」
なるほど、と霊夢は思った。
魔理沙はそれにずっと付き合わされていたのだろう。だから“どっぺるげんがー”が出るような異変が起こったのだ。
そんなに博麗神社へ、しいては自分に会いたがっていたのかと考えると、ありがたさ三割、迷惑さ七割といったところだが……。
魔理沙は、先ほど転んだ時にぶちまけた書物をかき集め、棚の上に適当に並べると、
「ほら、終わったぜ、香霖」
「ああ、ご苦労様。働いた分のツケは引いておくよ。お茶、いるだろう? 霊夢もついでに飲んでいくかい。って聞くまでもないか」
「当然」
お茶が出ないと怒るが、出るお茶は拒まない主義だ。果たして本当に片付いているのか、素人目には分からない香霖堂の店内でまったりとお茶をしているうちに、日がとっぷりとくれていた。
「さて……そろそろ帰るかな」
魔理沙が言い出すと、霊夢も続けて、
「私もそうするわ。お茶ありがとう、霖之助さん」
「構わないよ、いつものことだからね」
そうして、二人は香霖堂を後にする。魔法の森はすでに薄暗くなっていた。秋の風が少し肌寒い。軽く身を震わせて、
「なぁ、霊夢」
「うん?」
「今からお前んちに行ってもいいか? 久しぶりに」
「いや、今日は私があんたんちに行くわ。ここからならそっちのほうが近いでしょ」
「えっ」
驚いて目を丸くする魔理沙。当然だろう。魔理沙が霊夢の家へ来ることはあっても、霊夢のほうが魔理沙の家に行くことなど、めったにないのだから。
「寒くなってきたし、きのこ鍋でもやりましょ。きのこ、たっぷり持ってるんでしょ」
「あ、ああ。そりゃもう腐るほど備蓄してるけど……ほんとに来るのか?」
「嫌なの?」
「嫌じゃない!」
首をぶんぶん振って魔理沙が言い、
「嫌じゃない……。むしろ、うれしい、かな。そんなこと言ってくれたの、はじめてだし」
次いで、嬉しそうに笑うと霊夢の手をとった。
「さ、はやくいこうぜ。風邪引いちまう前にさ」
「そうね」
霊夢も笑い返して、二人は魔理沙の家を目指す。
――そこで、何かを感じて霊夢が目をよそにむけると、少し離れた木々の間に、ニセ魔理沙が立っているのを見つけることができた。ニセ魔理沙は霊夢にむけて、ウインクをしてからニヤリと笑うと、手を振りつつ薄闇に溶けるようにして消えていった。
……ほんとに、会いたかっただけなんだなぁ、と霊夢は胸の中で呟く。まったく、こいつは人騒がせな魔法使いだ。でも、本物の魔理沙はここにいる。一人で十分だ。こいつが二人もいたら、とても相手をできる自信がない。
ふと、霊夢の脳裏にマミゾウの言葉がよみがえる。
『――そのもう一人の魔理沙どのは、本物の魔理沙どのがしたいと思っていることを代わりに実行しているだけなのかもしれん』
……まてよ。ということはつまり、私のところに来たのはまぁ、いいとして、同じ布団に入ってきて眠っていたのも、いきなり口づけてきたのも全部……。
そこまで思い至って、たちまち霊夢は顔が燃え盛るように熱くなってくるのを感じた。そして、自分の手を引くはた迷惑な友人の顔を、今夜はまともに見ることができるだろうか……という心配にかられてくるのだった。
『霧雨魔理沙ここにあり』 了
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不意に寝苦しさを覚えて、博麗霊夢は眠りからめざめると、ゆっくり身を起こした。
季節は秋にさしかかり、散々安眠を妨害してきた熱帯夜がやっとなりをひそめはじめたというのに、何だというのだろう。
思いながらあくびを噛み殺し、とりあえず寝覚めの水でも飲みに行こうと布団に手をついて立ち上がろうとした時、その布団についたはずの手が何やら暖かくて柔らかいものに触れた。
布団の感触ではない。不思議に思って隣に目を向けると、金髪の少女が心地よさそうに寝息を立てているではないか。
「……まりさ?」
そう、金髪の少女とは誰あろう霧雨魔理沙その人であった。
霊夢は混乱した。まだ霞がかった頭の中で、これがどういうことなのかを考える。
しかし考えても考えても、彼女が同じ布団に入ってきて、あげく隣で気持よさそうに寝ている理由がわからない。
酒の勢いで間違いをおかしてしまったわけではないらしい……のは幸いだが、そもそも魔理沙はここ数日神社へ姿を見せていなかったので、まず酒を酌み交わしていない。
久しぶりに現れたかと思ったら、いきなり人様の布団に潜り込んで寝ているなんて、こいつは一体、何を考えているのだろう。なんだか腹が立ってきた霊夢は、少々苛立たしげに魔理沙の肩を掴み、揺さぶりながら言った。
「ちょっとあんた、起きなさい」
しかし、魔理沙は起きない。爆睡である。
――まったく、こいつは……。小さくつぶやき、さらに力を込めてもう一度。
「こら、起きなさいってば。魔理沙!」
それでも起きない。
頬のひとつでもひっぱたいてやろうかしら……そう思った霊夢だったが、ふと、魔理沙の肩を揺さぶる手をとめた。
彼女の視線は魔理沙の頬に注がれている。つやっとして、つるっとしていて、すごく触り心地がよさそうな頬。ためしに指先でつついてみると、やはり手触りがよくて、おまんじゅうのようにふにふにしている。
面白くなってきてもっとつついたりつまんだりしていると、さすがに気がついたのか、魔理沙が「ん……」と声をもらしつつ身じろぎした。そして、そろそろとまぶたを開き、目をしばたたかせてから、自分の頬に指をめり込ませている霊夢へ視線を向けてきた。
「あ」
すぐに手を引っ込めて、霊夢は取り繕うように咳払いをひとつし、
「やっと起きたわね。勝手にひとの布団に入ってきて寝てるだなんて、どういうつもり?」
これに魔理沙は答えず、ゆるやかに体を起き上がらせると、まだ寝ぼけたままと思しい細めた眼差しで霊夢を見つめるのだった。
「な、なによ?」
文句でもあるの――そう言おうとした霊夢はしかし、その言葉を発することができなかった。彼女が何かを言うよりも、ぐっと顔を寄せてきた魔理沙が「霊夢」と熱っぽい声で呟きつつ、唇を重ねてくるほうがはやかったからだ。
柔らかくて、でもそれだけではない不思議な感触に霊夢は目を丸くし、お互いの唇が離れた瞬間、はっと我に返って魔理沙を無意識にどん、と押していた。
「な、ななな……なにすんのよっ!」
慌てて袖で口をこすり、叫ぶ霊夢をよそに、突き飛ばされた魔理沙はすっと立ち上がって、彼女らしからぬ何かを含んだ妖しい笑みを浮かべつつ、言った。
「遊ぼうぜ」
それは魔理沙のものだけれど魔理沙らしくない、どろりとした濃い闇のような声だった。
――違う。眼前のこの少女は魔理沙だけれど、魔理沙ではない。魔理沙の格好をした、得体の知れないものだ。巫女の勘で霊夢はそう感じた。
「あんた……、いったい、誰?」
問うと、魔理沙の姿をした何かは妖しい笑みを崩さず、体重を感じさせない動きですっと後ろに下がっていった。そしてそいつが襖をすり抜けていったのをみて、いよいよ霊夢も立ち上がり、襖を開け放ってそいつのあとを追った。
そいつは闇が広がる鎮守の森のそばに立っていた。
「遊ぼうぜ、霊夢」
手を差しだしてきながら、魔理沙の声でそいつは言う。ほら、遊ぼう、遊ぼうと。
霊夢は険しい表情で懐から御札を抜き放ち、そいつめがけて力いっぱい投げつけた。
いくら友人の姿をしているとはいえ、妖怪の類に容赦はしない。しかし投げつけた御札は虚しく空を切り、鎮守の森の大木へ突き刺さるだけだった。いつの間にか、そいつの姿はかき消えてしまっている。
――遊ぼう。遊ぼう……。
その声はしばらくの間、辺りへ木霊のように響き渡り、やがて聞こえなくなっていった。後には、秋の夜の静寂だけがあるばかりだ。
「……なんだっていうのよ」
忌々しげに呟き、霊夢はしばし外を睨んでいたが、やがて探すのを諦めたのか襖を閉め、再び布団にもぐり込んだ。
こんな遅い時間だ、今から奴を追うつもりはない。それに魔理沙の姿を借りて悪さをしそうな妖怪には心当たりがある。
朝になってから、そいつをぞんぶんにとっちめてやろうと決め、とにかく眠ろうと目を閉じた霊夢だったが、何気なく唇に指をやり、ふと、いくら本物ではないらしいとはいえ、それでも魔理沙に口づけられてしまったことを思い出した途端、わけも分からず顔がかぁっと熱くなってくるのだった。
当然、そうなってしまえばとても眠れるものではなく、布団の中で悶々としているうちに朝を迎えることとなった。
2
まだ日も昇ったばかりの時分。
博麗神社境内のど真ん中に、縛り上げられた妖狐が一匹、転がされている。
その妖狐の前で腕を組みつつ仁王立ちする紅白の巫女は、昨晩まんじりともしなかったせいか、隈の浮き出た目が完全に据わっており、今にも妖狐の毛皮を生きたままひん剥かんばかりの修羅の形相になっていた。まともに目が合おうものなら、きっと高名な妖怪ですら命の危険を感じるに違いない、
縛られた妖狐はもう、ただただ震え上がりながら、
「わ、私が何をしたっていうんですかぁ!」
涙ながらに訴えるが、妖怪退治を性分とするこの巫女に泣き落としなど通用するはずもなく、
「自分の胸によぉくきいてみることね」
お祓い棒を手でぽんぽんさせつつ、どすの効いた声でもって言うのだった。
「霊夢さんに悪いことした覚えなんてないですよぉ」
「すっとぼけるつもり? 私にあんなことやこんなことしておいて」
「してませんよっ。ちょっと興味はありますがっ!」
「あぁん?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「とにかく、よりにもよってこの私を化かすなんて、いい度胸してるじゃない。狐の毛皮って人里だと高く売れるのよねぇ……」
「後生ですからそれだけはご勘弁をー! それに人を化かすのは狐だけじゃないですよぉ」
「……ふむ」
言われてみれば――と、霊夢の脳裏に、食えない化け狸の姿が浮かんだ。
二ッ岩マミゾウとか言ったか。確かにあいつなら、魔理沙に化けていたずらの一つでも仕掛けてきそうである。かといって、それでこの妖狐の疑いが晴れたわけでもない。
「じゃあ、確かめに行ってくるわ。あんたの言ってることが事実かどうか」
「え、その間、私はどうなるんです?」
「あんたはまだ容疑者。私が帰ってくるまでそこに転がってなさい」
「そんな殺生な。どうかお慈悲を、お慈悲をー!」
妖狐の叫びを無視して、霊夢は空を翔んだ。あの化け狸がいるとすれば、妙蓮寺あたりだろう。まずぼこぼこにして、そのあと真偽を確かめるつもりであった。あらあら、という声がきこえてきたのはその時である。
空を翔びながら声をした方を見ると、宙にぱっくりとあいた異次元――いわゆる、スキマから、よくよく知っているスキマ妖怪が顔を出して、こちらに笑顔を向けてきていた。
「ずいぶん、ごきげんななめのようね」
「あによ。なんか用なの、紫」
「別に。面白そうだったから顔を出しただけ」
「ならおとなしく引っ込んでて。私は今、妖怪退治で忙しいんだから」
「それって昨夜の魔理沙のことでしょ?」
たちまち、霊夢の顔が火を吹いたように赤くなった。
「ち、ちがっ、違う!」
「あら、真っ赤になっちゃって。かわいい」
「うるさい! 邪魔するならついでにあんたも退治しちゃうわよ!」
「まぁ、怖い怖い。あ、そういえば、面白いことを一つ、教えてあげましょうか」
「面白いこと?」
「そう。なぜだか知らないけれど、今、この幻想郷には魔理沙が“二人”いるみたいなのよ。まったく不思議よねぇ」
「魔理沙が、二人? それってどういうこと。マミゾウが化けてるんじゃなくて?」
「さぁ……どうかしら。その異変を調べて、解決するのがあなたの仕事でしょ」
もう一度、八雲紫はにっこり笑って、
「それじゃあ、頑張ってね。かわいい博麗の巫女さん」
バァイ、と手を振りながらスキマへ消えていくのだった。
霊夢は舌打ちをして、苦々しい表情になり、
「どういうことなのよ。魔理沙が二人……?」
呟いてみるが、疑問の答えはすぐには浮かんでこなかった。だから、進路を変えず妙蓮寺へ急いだ。すべてはマミゾウを問い詰めたその後だ。
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一方、古道具屋「香霖堂」は大掃除の真っ最中である。ふらっと立ち寄った際に店主の森近霖之助に捕まってしまった魔理沙はあわれ、その大掃除にずっと付き合わされており、疲労を積もらせていた。
「香霖、まだ終わんないのかよ」
大掃除に巻き込まれてから数日も経つのに、店内はあまり片付いた様子が見られない。
霖之助の収集癖は魔理沙以上であり、商品の他にもどこかから拾ってきた売る気のない品物があっちへこっちへ転がっているものだから、整理しても整理してもいっこうに片付かないのである。
「終わったように見えないのならそれは終わっていないということだよ。ほら、休んでないでちゃっちゃか動いてくれ」
「もう疲れたぜ……。なぁ、断捨離っての知ってるか?」
「君にだけは言われたくないね、それ。僕の店に要らないものは何一つとしてないよ」
「どうだかな。それよりいいかげん休憩いれようぜ。喉が乾いてしかたないんだ」
「……しょうがないな。少しだけだぞ」
持っていた品物を棚に置いて、霖之助はお茶を入れに立った。店に残った魔理沙は、いつも座っている、売り物であるらしい壷に腰かけて窓の外をぼんやり眺めていた。
ここ数日、博麗神社へ顔を出していない。霊夢は元気にしているだろうか。あんなに暑かった日々が嘘のように思えるほと冷たい風が吹いたりする季節の変わり目だ、風邪でもこじらせていないか心配になる。
「はやく霊夢に会いたいなぁ……」
しみじみ呟きつつ眺める幻想郷の空を、今まさに霊夢が異変解決のために飛び回っていることを、彼女は知らない。
4
霊夢は目的の妖怪である二ッ岩マミゾウをすぐに見つけた。いや、マミゾウのほうが霊夢を見つけるほうがはやかったかもしれない。手を振ってくるマミゾウのもとへ霊夢が降り立つと、マミゾウはからからと笑って、
「おやおや、博霊の巫女どの。いったいどうなされた?」
人懐っこい声で言ってくるので、当初のぶっ飛ばしてから問い詰めようという気持ちがたちまち失せてしまった霊夢は、ため息をついて、
「ちょっとあんたに用があったの」
「用? この儂にかね」
「他に誰がいるのよ。率直に聞くけど、あんた最近、魔理沙に化けたりした?」
「魔理沙どのに? はて、そんな覚えはまったくないが……どうしてそのようなことを?」
霊夢が、自分にされたことを伏せつつ事の顛末を説明すると、マミゾウは何やら面白そうに二度、三度頷いて、
「ははぁ、魔理沙どのが二人……。それはもしかすると“二重身”かもしれんのう」
「何よ、“二重身”って」
「別名を“どっぺるげんがー”とも言ってな、同じ姿形をした人間がまったく別の場所でそれぞれ見られる不思議な現象じゃよ。外の世界では“同じ顔をした人間が三人はいる”という言葉もあるくらいでな。頻繁にというわけじゃあないが、時折起こる異変じゃな」
「その、“どっぺるげんがー”……だっけ、それは妖怪じゃないの?」
「いやいや、あれは妖怪じゃあない。うまく言い表すのが難しいが、しいて言えば魔理沙どの本人かな」
「……どういうこと?」
「うぅむ、魔理沙どのの魂の一部かもしれない、というべきか。ほれ、心ここにあらず、という言葉があるじゃろ。外の世界にある“すぴりちゅある”という分野の学問で言うと、あれは正しいらしくてな。実際に魂の一部が体から抜け出て、別の場所へ飛んでいる状態らしい。もしかしたら“どっぺるげんがー”はその抜けだした魂が実体を持ったものかもしれんのう。他にも“自分のどっぺるげんがーを見ると死ぬ”なんて話もあるが、噂の域を出んな。何しろ“どっぺるげんがー”については不明なことが多くて、ちゃんとした正体は、まだ解き明かされておらん」
そこで一度息をついて、
「要するに、もう一人の魔理沙どのというのは、巫女どのへの想いがあまりに強すぎて、巫女どののもとへ飛んできた魂の一部が実体を持ったものかもしれん、ということじゃな。だから、そのもう一人の魔理沙どのは、本物の魔理沙どのがしたいと思っていることを代わりに実行しているだけなのかもしれん。ま、何をされても、巫女どのの広い心をもって許してやりなされ」
そう締めて、ほっほっほとマミゾウは笑った。
「……詳しいのね、そっち方面の話に」
「ま、ちょっとした企業努力じゃよ」
「どうだか……。」
そこで、マミゾウは何かに気がついたように顔をあげた。
「おや、あそこにいるのは魔理沙どのではないか」
「えっ」
見ると、確かにマミゾウの指さした先、かなり離れたところに魔理沙がいた。昨日の妖しい笑みを浮かべて、手招きをしている。偽物のほうの魔理沙だ。
「あいつ……!」
霊夢が走り寄ろうとするそぶりを見せた瞬間、ニセ魔理沙はどこからともなく取り出した箒にまたがり、空へ舞い上がっていった。
「待ちなさいっ」
急いで追いかける霊夢。それをマミゾウは、彼女が来た時と同じように笑顔で手を振りながら見送るのだった。
5
「待ちなさい! 待ちなさいってば!」
霊夢の静止もきかず、ニセ魔理沙は空を翔ける。それになんとか追いつこうと試みるが、どれだけ速度をあげても距離が縮まる気配を見せない。こちらが加速すれば、向こうも加速する――まるで逃げ水を追っているような感覚だ。
「待ちなさいって……言ってるでしょ!」
業を煮やして、霊夢は御札を抜き放つとニセ魔理沙へ向けて手加減なしの弾幕を飛ばした。
だが、ニセ魔理沙は振り向かず、まるで背中に目でも付いているように霊夢の放った弾幕をたやすく躱してみせた。そして顔だけを振り向かせて、霊夢と目があうと、妖しい笑みを浮かべる。
――遊ぼうぜ。
あの、濃い闇のような声が蘇った。
魔理沙のものと同じはずなのに、ひどく気に障る声。
あのニセ魔理沙は魔理沙の魂の一部が実体化したものなのかもしれない――マミゾウにはそう言われたが、それならばこんなに胸がざわついてしまうのは何故だろう。あれも、もとを辿れば魔理沙と同じ存在かもしれないのに……。
それはもしかすると、同じ人間が同時に二人存在しているという異様な現象のせいもあるかもしれない。ともかく、ニセ魔理沙に手加減をするつもりは、霊夢にはない。
普段ならやらないであろう、全力の弾幕を打ち込むも、ニセ魔理沙には当たらなかった。
いらだちをさらにつのらせた霊夢が、いよいよスペルカードを放とうとしたとき、ニセ魔理沙が急降下を始めた。後に続く霊夢は、ふと、ここが魔法の森の上であることに気づいた。
そして鮮やかに着地したニセ魔理沙は、ある建物へ一直線に走って行き、その扉をすり抜けていった。
行きつけの古道具屋、香霖堂の入り口である。しめた、と霊夢は思った。店の中なら袋小路だ。店の中で暴れるなと霖之助に怒られるかもしれないが、そんなことは二の次だ。
霊夢も全速力でそちらへ向かい、
「魔理沙ぁー!」
大声をあげながら扉を勢い良く開いた。すると、
「……霊夢? だわぁぁぁっ!?」
なにやら大量の書物を抱えていた魔理沙が、急に入ってきた霊夢に驚いて見事にひっくり返っていた。
「いてて……、急にどうしたんだよ」
お尻をさすりつつ訊いてくるのを無視して、魔理沙に近づいた霊夢は、おもむろに魔理沙の頬を掴んでつねりあげた。たちまち魔理沙は涙目になり、
「いひゃいいひゃい! ひゃにふんだよひぇいむ!」
この反応、間違いない。目の前の魔理沙は本物だ。頬から手を離して、霊夢はつかれた様子でため息をついた。なにがなんだか分からない魔理沙は、涙目のまま、つねられた頬をさすりつつ、
「もう、なんなんだよ、いったい」
「私を困らせた罰よ」
「はぁ? 私がなにしたってんだ」
「自分の胸に聞きなさい」
「聞くもくそも、心当たりがまったくないんだが」
「ともかく、罰よ罰。あんたのせいなんだから、甘んじて受け入れなさい」
一方的な霊夢に、魔理沙はなんなのぜ……とぼやくのだった。そこで、店が騒がしいのに気づいたのか、お茶を入れに立っていたらしい霖之助が戻ってきて、
「なんだ霊夢、来てたのか。どうしたんだい。今日はもう店じまいだよ。今日というか、ここ数日は。見ての通り、大掃除中でね。もうすぐ終わるけれど」
「大掃除……」
なるほど、と霊夢は思った。
魔理沙はそれにずっと付き合わされていたのだろう。だから“どっぺるげんがー”が出るような異変が起こったのだ。
そんなに博麗神社へ、しいては自分に会いたがっていたのかと考えると、ありがたさ三割、迷惑さ七割といったところだが……。
魔理沙は、先ほど転んだ時にぶちまけた書物をかき集め、棚の上に適当に並べると、
「ほら、終わったぜ、香霖」
「ああ、ご苦労様。働いた分のツケは引いておくよ。お茶、いるだろう? 霊夢もついでに飲んでいくかい。って聞くまでもないか」
「当然」
お茶が出ないと怒るが、出るお茶は拒まない主義だ。果たして本当に片付いているのか、素人目には分からない香霖堂の店内でまったりとお茶をしているうちに、日がとっぷりとくれていた。
「さて……そろそろ帰るかな」
魔理沙が言い出すと、霊夢も続けて、
「私もそうするわ。お茶ありがとう、霖之助さん」
「構わないよ、いつものことだからね」
そうして、二人は香霖堂を後にする。魔法の森はすでに薄暗くなっていた。秋の風が少し肌寒い。軽く身を震わせて、
「なぁ、霊夢」
「うん?」
「今からお前んちに行ってもいいか? 久しぶりに」
「いや、今日は私があんたんちに行くわ。ここからならそっちのほうが近いでしょ」
「えっ」
驚いて目を丸くする魔理沙。当然だろう。魔理沙が霊夢の家へ来ることはあっても、霊夢のほうが魔理沙の家に行くことなど、めったにないのだから。
「寒くなってきたし、きのこ鍋でもやりましょ。きのこ、たっぷり持ってるんでしょ」
「あ、ああ。そりゃもう腐るほど備蓄してるけど……ほんとに来るのか?」
「嫌なの?」
「嫌じゃない!」
首をぶんぶん振って魔理沙が言い、
「嫌じゃない……。むしろ、うれしい、かな。そんなこと言ってくれたの、はじめてだし」
次いで、嬉しそうに笑うと霊夢の手をとった。
「さ、はやくいこうぜ。風邪引いちまう前にさ」
「そうね」
霊夢も笑い返して、二人は魔理沙の家を目指す。
――そこで、何かを感じて霊夢が目をよそにむけると、少し離れた木々の間に、ニセ魔理沙が立っているのを見つけることができた。ニセ魔理沙は霊夢にむけて、ウインクをしてからニヤリと笑うと、手を振りつつ薄闇に溶けるようにして消えていった。
……ほんとに、会いたかっただけなんだなぁ、と霊夢は胸の中で呟く。まったく、こいつは人騒がせな魔法使いだ。でも、本物の魔理沙はここにいる。一人で十分だ。こいつが二人もいたら、とても相手をできる自信がない。
ふと、霊夢の脳裏にマミゾウの言葉がよみがえる。
『――そのもう一人の魔理沙どのは、本物の魔理沙どのがしたいと思っていることを代わりに実行しているだけなのかもしれん』
……まてよ。ということはつまり、私のところに来たのはまぁ、いいとして、同じ布団に入ってきて眠っていたのも、いきなり口づけてきたのも全部……。
そこまで思い至って、たちまち霊夢は顔が燃え盛るように熱くなってくるのを感じた。そして、自分の手を引くはた迷惑な友人の顔を、今夜はまともに見ることができるだろうか……という心配にかられてくるのだった。
『霧雨魔理沙ここにあり』 了
あのまま一日以上ほっとかれるだろう妖狐に僅かに同情。
とても参考になります。
良いレイマリをありがとうございました。
そもそも『遊ぼう』ってどういう意味の遊ぼうなんでしょうねぇ…?