――0/天狗on昼時ウォッチ――
夏まっただ中。
日差しは強く、空には雲一つ無い。そんな絶好のピクニック日和に、アリスは霧の湖に出かけていました。手にはサンドウィッチの入ったバスケット。それから、紅茶の入った魔法瓶。珍しく彼女の娘たち……上海人形や蓬莱人形は、連れておりません。
「~♪」
たまにはひとりで、ピクニック。
そう意気込んで朝早くからお弁当を拵えたアリスは、鼻歌交じりに湖畔の芝生に腰を下ろします。アリスはバスケットを開くと、サンドウィッチを小さな口でかぷりと咥え、それからほっこりと微笑みました。たまには、こんなのもいいわね、なんて口ずさむアリスは、とても嬉しそうです。そうして食事を再開しようとしましたが、アリスは幻想郷でも人目妖怪目をこれでもかというほど集めてしまう美しい容貌をしています。陽光が反射する金砂の髪に気が付かない妖怪は、いません。
「おお、美味しそうですねぇ。ご相伴にあずかってもいいですか?」
ばさりと音を立てて舞い降りたのは、黒い翼の鴉天狗――射命丸文でした。文はアリスの持つサンドウィッチを見て瞳を輝かせると、アリスにそう告げました。どうやら彼女はお腹が減っているらしく、両手でお腹を押さえています。
そんな文の姿を見て、アリスは思わず苦笑いします。今日はひとりの気分だったのに、なんて口にしながらも、そっと腰を上げて文の座るスペースを作ってあげました。そんなアリスの姿に文は満面の笑みを浮かべると、サンドウィッチを手に取ります。
「おお、さすがアリスさん。器用ですねぇ。嫁に来ませんか?」
文がちょっとだけ本気を滲ませて、アリスにそんな提案をします。けれどアリスはそれを冗談としか捉えず、「はいはい、そういうの良いから」と流してしまいます。そんなアリスに、文はちょっぴり不満そうでしたが、直ぐに気を取り直して食事を再開しました。やはり、美味しいご飯は笑顔で食べるのに限るのです。
「もう、あんまり勢いよく食べると喉に詰まらせるわよ。ほら、お茶もあるから」
「ありがとうございます!」
アリスのさりげない気遣いに嬉しく思いながら、文は紅茶を受け取り、一気に呷ります。紅茶はハーブティでしょうか。爽やかな甘味は苦みのある紅茶の良いアクセントになっています。
アリスも嬉しそうに食べる文の姿に思うところがあったのでしょう。いつのまにか、まるで妹を気遣うお姉さんのような表情で文を見ていましたが、文はその視線に気が付かずサンドウィッチを堪能していました。
「ほらほら、口元。もうしょうがないわね」
「あやや……め、面目ないです」
口元をハンカチで拭われて、文はやっとアリスの表情に気が付きます。それからその優しげな微笑みを見て、思わず顔を逸らしてしまいました。けれど朱くなった耳朶はアリスに隠すことが出来なくて、アリスはくすくすと笑っています。
「ごほんっ……いささか私らしくないですね」
「文?」
赤い顔を誤魔化しながらそう零す文に、アリスは首を傾げます。文はそんなアリスにこれ以上主導権を握られてはたまらないと、咳き込み一つでいつもの文に戻りました。
そんな文にちょっとだけ残念そうな瞳を向けるアリスには、極力気が付かれないように頑張りながら。
「なんでもありません。さて、それではアリスさんに、耳寄りな情報をお届けしましょう!」
「情報?」
「ええ、サンドウィッチのお礼です」
文はそう言うと、愛用の手帖を取り出します。この頃には、赤さの残る耳朶以外、すべていつもの文に戻っているようでした。
「なんでもここ最近、ある占いが流行っているそうです」
「占い?」
ぴんと指を立てて、文はすっかり解説モードです。そんな文にまた苦笑を零すと、アリスは彼女の話に付き合うことにしたようです。アリスは、基本的に面倒見が良くお人好しな妖怪でした。
「そうです。占いの内容は、単純明快。アリスさんもぜひ、興味があったらやってみて、私に感想を教えて下さい」
「ふぅん? それは別に良いけど、内容は?」
聞いて欲しくてたまらないと言わんばかりに羽をぱたぱたと動かす文に、アリスはぱたつく羽に気が付いていないフリをしながら、訊ねます。すると文は“その質問を待っていました”とばかりに瞳を輝かせ、そして――
「へ?」
――アリスは、文にいわれた言葉に、思わず首を傾げてしまいました。
わたしのかわいいアリス“たち”
――1/魔理沙in切っ掛けタイム――
『動物に好きなひとの名前を付けて飼うと、その想いが成就するのです』
得意げな表情で語った文のことを思い出しながら、アリスは帰路についていました。結局文は最後まで居座り、片付けを手伝うと、笑顔で去っていったのでした。
「しかし、好きな人の名前を、かぁ。呪いの類かしら? でもそんなもの流行ったら霊夢に怒られそうだけれど……」
不可解だ、とアリスは首を捻って呻ります。色恋事に鈍感な彼女は、いまいち、こういったことへ対しては頭の回転が弱くなってしまうのです。
アリスはあーでもない、こーでもないと端正なかんばせを歪めて考えます。そうしているうちに何かに思い至ったのか、ぽん、と手を叩きました。
「そうか、ジンクスね」
ようは、願掛け。こうなったらいいな、という可愛い考え方だということに気が付くと、アリスはすっきりとした表情で頷きました。
生憎、アリスは自分が誰の名前を付けて良いかわかりません。けれどこの可愛い流行になんらかの形で加わりたくて、人形劇にしようか、それとも人形に色んな人の名前を付けてみようか、などたくさんのことを考えながら家へと帰るのでした。
どういう形で関わればいいか。そんなことを考えながら十五時のおやつを作っていたせいでしょうか。どうやらアリスは、クッキーを作りすぎてしまったようです。どうしようかと首を捻り、けれど直ぐに思い至って行動に移します。アリスは出来る子。解決策を出すことなど、ちょちょいのちょいなのです。
アリスはクッキーを幾つかの包装に分けると、バスケットに詰め込みました。そして家を出てふわりと飛ぶと、一直線に“お隣さん”のところへ向かいます。そう、アリスはせっかくだからお裾分けをしようと考えたのです。
「あの子も、食いしん坊だから」
そう微笑むアリスの横顔は、大事な妹を愛でるお姉さんのようです。アリスにとって、“お隣さん”――魔理沙は、手の掛かる妹のように思っている存在でした。
魔理沙の家が見えてくると、アリスはスカートが乱れないように片手で押さえながら、魔理沙の家の庭に着地します。それから、こんこんとノックをしました。けれど、待てど暮らせど、魔理沙の反応が返ってくることはありません。
「まだ寝ているのかしら? もう、しょうがない子ね」
アリスはそうため息を吐くと、そっと、合い鍵を取り出します。これは以前、魔理沙から、『いつでも味噌汁を作りに来てくれていいんだぜ』と何故か震える声で言われて、貰ったモノでした。
アリスとしても、妹分が生活習慣を乱して身体をこわしてしまう所など、見たくありません。ついつい寝過ぎな自分を起こしてくれ、と、そう言っているのだと解釈したアリスは、魔理沙からの提案をため息混じりで了承したのでした。
「魔理沙ー? まだ寝てるのかしら」
そう良いながら、アリスは魔理沙の寝室に足を向けます。そして、アリスが休んで居るであろう部屋に到着すると、ノックをしてお邪魔しようとして――
『――――』
――ふと、漏れ出た声に、手を止めます。そして、本当は良くないと解りつつも、音を立てないように少しだけ扉を開きました。
「おまえ、けっこうあったかいんだな」
あれは、ツチノコでしょうか。そういえば魔理沙はツチノコをペットにしていたな、と、今更ながらに思い出します。まだまだ甘えたい盛りなのでしょう。魔理沙はツチノコの首に抱きつくと、頬ずりを繰り返しています。
そんな魔理沙の様子に、アリスはくすりと微笑むと、ちょっとだけ悪戯心が芽生えました。たまには、いつも驚かされてばかりの自分が驚かしても、バチは当たらないだろう。アリスはそう悪戯っぽく笑うと、魔理沙が背を向けているのを良いことに、ゆっくりと、音を立てずに扉を開いていきます。けれど。
「ふふ、今日は、はなさないぜー、“アリス”」
魔理沙の口から出た言葉に、アリスはぴしりと固まります。
昼間、文はなんと言っていたでしょうか。昼間文は、なにが流行っていると、言ったでしょうか。文が教えてくれた言葉が、アリスの頭の中をぐるぐると回ります。
『動物に好きなひとの名前を付けて飼うと、その想いが成就するのです』
『動物に好きなひとの名前を付けて飼う――』
『動物に好きなひとの名前――』
『好きなひとの名前――』
魔理沙の、朱くなった耳朶。嬉しそうな声。全身で発する桃色オーラ。いくら巷でフラグクラッシャーと名高い鈍感なアリスでも、ここまで情報を提示されて、気が付かないはずがありません。
「うへへ、アリス。ぎゅー。って、どうした、アリス?」
気が付けば、ツチノコがアリスの方を見て居ました。その視線を、魔理沙は自然に追います。最早、逃げられませんでした。
「へ? あ、りす?」
「お、おはよう、まりさ」
二人とも、カタコトです。アリスは追求せずに帰りたく思いましたが、それではあまりにも不自然。そう考え、アリスは意を決してツチノコを指さしました。
「あああの、その、名前……」
「い、いいいい、いやこれはあれだそのあの、そう! ライバルの名前を付ける勝てるっていう占いなんだ!」
誤魔化しているということは、一目で分かりました。けれど顔から火が出そうになっているアリスは、ここぞとばかりにその嘘に乗ることにします。
「そ、そうなの、ふ、ふぅん?」
「そ、そうそう、そうなんだよ! っと、ころで! 何の用だよ!?」
「へっ? あ、ああああ、そうそうこれお裾分けってことでそれじゃあ私用があるからこれで!」
アリスはクッキーの包みを渡すと、脱兎の如く逃げ出します。そして魔理沙の声が聞こえなくなるところまで飛び去ると、そのまま頭を抱えて蹲りました。鈍い鈍いと言われるアリスでも、ここまでくれば流石にわかります。というか、わかりやすすぎました。
「ま、まりさって、わたしのこと……」
顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で唇を噛みます。嬉しいとか戸惑いとかそんな感情よりも何よりも、恥ずかしくて死にそうでした。
こんなときは、どうすれば良いのだろう。悩んだアリスの脳裏に、ひとりの少女の顔が思い浮かびます。会えば憎まれ口ばかり。けれどその実力を本当に尊敬している、心の師匠でライバル。そんな、大切な友人のことを思い浮かべました。
「相談、しましょう。もう、それしかないわ」
アリスはそう決意すると、一目散に飛び立ちます。向かう先は、紅魔館。アリスの友人の暮らす、大図書館でした。
――2/パチュリーdeパニック――
紅魔館の真っ赤な門を見つめると、アリスはようやく落ち着いてきました。赤から元の白磁の肌に戻ったアリスは、門番に挨拶をします。
「こんにちは、美鈴」
「おや、アリスさん。今日も図書館ですか?」
「ええ、そう。ちょっとお裾分けに、ね」
アリスはそう言うと、美鈴にクッキーの包みを渡します。すると美鈴はぱぁっと破顔して、アリスのために門を開けました。礼儀正しく、門番にまで敬意を払ってくれるアリスは、最早顔パスで入ることが出来るのです。
「ありがとう、美鈴」
「いえ、こちらこそ!」
笑顔の美鈴に迎えられ、アリスは紅魔館に足を踏み入れます。そしてもう何度とおったか解らない地下への道を行くと、その先に構えた観音開きの扉をゆっくりと開きました。
ふわふわと舞い上がり、アリスは図書館の中央に向かって飛んでいきます。
「パチュリー、いるー?」
声をかけながら飛行すると、図書館の中央の側に置かれた机の上で、蠢くモノを見つけました。紫色の寝間着のような服装と、同じ色の帽子。たくさんの本を抱えて読む“本の虫”。アリスの友達、パチュリー・ノーレッジです。
「パチュリー」
「また来たの? 未熟者」
「また来たわよ。相変わらず口が悪いわね。嫁のもらい手が無くなるわよ」
「私の嫁は本よ。それともなに、貴女が貰われてくれるのかしら?」
「貴女が貰われるのはこれよ。ほら」
いつものように軽口を叩き合うと、アリスはパチュリーにクッキーの包みを投げ渡します。するとパチュリーは、きょとんと目を瞠り、それから微かに笑いました。
「あら、ありがとう。小悪魔! お茶を淹れて頂戴」
パチュリーが小悪魔にそう告げると、小悪魔は二人の間にお皿とアリスのクッキーと、それからカップを二つ用意して紅茶を注いでくれます。そんな小悪魔にアリスは小さく「ありがとう」と告げると、湯気の立ち上る紅茶を一口、含みました。
「あら、美味しい。腕を上げたわね」
「えへへ……ありがとうございます。アリスさん」
ほっこりと笑い合う、小悪魔とアリス。そんな二人の様子に何処か思うところがあったのか、パチュリーはこほんっとわざとらしく咳き込みました。そんなパチュリーを後目に、アリスはもう一口、紅茶のカップに口を付けます。
――けれど。
「そうそう小悪魔。“アリス”にミルクはあげてくれた?」
「ええ、もちろん。美味しそうに飲んでましたよ」
「っ!? こほっ、こほっ、えふっ、え? え?」
油断していたのが悪かったのでしょうか。アリスは思わず咳き込みます。そんなアリスの様子に気がついて、パチュリーはきょとんと首を傾げ、それから得心がいったとばかりに頷きました。
「ああ、ジンクスよ。切磋琢磨したい相手の名前を、動物に付けて飼うの。面白いでしょう? あやかって、私も猫を飼ってみたの」
「そ、そうなんだ、へ、へぇ」
これで魔理沙に会う前だったら、アリスはパチュリーのポーカーフェイスに釣られて納得していたことでしょう。けれどアリスは、もう、そんな言葉に騙されることは出来ませんでした。
いつもと同じ無表情。けれど首筋はほんのり朱に染まり、瞳は伏せられたままで決してアリスに視線を合わせようともせず、カップを持つ手は震えています。ここまで来て、気が付かずに居ることは、最早叶いません。
「まったく、小悪魔も妹様もレミィも、みんな自分の蝙蝠に“アリス”って付けるのだもの。困るわ。ごっちゃになって」
困るのは私だ。アリスはそう叫び出したくなる自分を一生懸命抑えると、引きつった顔で「そう」とだけ告げました。最早、紅茶の味などわかりません。
せめて、咲夜は。咲夜はただの友達だ。そう、自身の心に唱えます。けれど、その希望はあっさりと打ち砕かれました。
「咲夜さんの“アリス”にも、ミルクは与えておきましたよ」
「そう。咲夜、忙しいモノね。まったく咲夜にも困ったモノよ。私の“アリス”の姉妹に同じ名前を付けるのだから」
アリスはもう、何も言うことが出来ません。ただひたすら、朱くなった頬を隠すように俯いていました。そんなアリスを前に、パチュリーたちは気が付かれていないつもりなのでしょう。和やかに“アリス”について談笑しています。
そんな空気にアリスが耐えきれなくなるのも、時間の問題でした。
「そ、それじゃあ私はそろそろ行くわ。まだ回らなければならないし」
「そう――また来なさい」
「え、ええ、そうね、うん」
どことなく残念そうなパチュリーの視線から逃げるように、アリスは飛び出します。そして息を切らせて門まで辿り漬くと、先程名前の出てなかった美鈴を見て、ほっと息を吐きました。
流石に、彼女の下なら安全でしょう。アリスは安堵から顔色を戻して、美鈴に近づきます。
「お邪魔したわ」
「あ、はい。とんでもないです。またお越し下さいね」
「ふふ、そうね。ほとぼりがさめたら、ね」
「? ああ、そうだ、アリスさん。私、実は犬を飼い始めたんですけど――」
ふと、嫌な予感がして、アリスは身体を硬直させます。そんなアリスに気が付かず、美鈴は続きを言ってしまいました。
「――アリスさんの名前、つけても良いですか?」
律儀なのでしょう。事前に許可を取る姿勢は、妖怪らしくなく、好感の持てるモノです。けれどそれも、普段ならば、という言葉が頭に着いてしまいます。
アリスは紅魔館の門に溶け込んでしまうのではないかというほどに顔を真っ赤にさせると、口をぱくぱくと開いたり閉じたりしながら後ずさりました。
「あ、アリスさん!?」
そしてアリスは、耐えきれなくなり、その場から飛び立ちます。もう、信じられるモノはなにもないのかと、自問自答を繰り返しながら、心の拠り所を求めて紅魔館から遠ざかっていくのでした。
――3/霊夢toハプニング――
それから、アリスは色々な場所を巡りました。どこか一箇所でも構わないから、心を落ち着かせて相談出来る相手が欲しかったのです。けれど、アリスのそんな願いは、悉く打ち崩されていきました。
――妖怪の山の神社では、早苗が蛇に“アリス”と付けて可愛がっていました。
――人里の端っこでは、慧音が牛に“アリス”と名付けていました。
――竹林では、妹紅が鳥に“アリス”と名付け、鳥かごに入れて大事そうにしていました。
――墓場では、ゾンビフェアリーの何割かが“アリス”という名前な様です。
――永遠亭では、ウサギの三分の二が“アリス”という名前になっていました。
アリスは混乱しました。迷い家の猫が三匹ほど“アリス”という名前になっていた辺りで、もう訳が分らなくなっていました。最早満足に飛ぶ元気も頭を整理する冷静さも失って、最後の希望とばかりに博麗神社に降り立ちます。
この頃には、アリスは疑心暗鬼になっていて、また動物たちが“アリス”と名付けられているのではないかとびくびくしています。そんな震える子ウサギのようなアリスに、かかる声がありました。
「アリス? そんなところでなにをやっているのよ」
「れ、れいむ……」
アリスは境内の掃除をしていた霊夢にふらふらと近づくと、彼女の巫女服の袖をぎゅっと掴みます。そして幾分か逡巡をみせた後、潤んだ瞳で霊夢を見上げて、問いかけました。
「あの、霊夢はなにか、動物、飼ってる?」
「は? うちにそんな余裕無いわよ。変なアリスね」
何時もどおりの霊夢の様子に、アリスは大きく安堵の息を吐きます。始めから、霊夢の下へ来ておくべきだった。アリスはそんな風にさえ考えました。
「まぁ良いわ。上がりなさい。お茶くらい出してあげるわよ」
「ありがとう、たすかるわ」
そうして、アリスは霊夢の後を着いて行きます。背を向けた霊夢がどのような表情をしているかなど、気にも留めずに――。
温かい緑茶を含むと、アリスはようやく一心地つけたような気分になりました。そうするとようやく、頭の中を整理することが出来ました。恥ずかしくなって逃げてきてしまいましたが、結局の所、みんながアリスに好意を持っているということは、自惚れなのではなく事実なのでしょう。けれど急に、それも一度に大量にそんなことがわかっても、対処のしようがありません。
今日の朝まで、アリスはみんなのことを仲の良い友達や、可愛い妹分、頼れる姉のように思ってきたのです。急に“それ以上のとくべつ”として考えることは、できませんでした。けれど、それでもアリスは思うのです。彼女たちの気持ちに気が付いてしまった以上、うやむやにしていいのか、と。
はぁっと悩ましげな息を吐くアリス。そんなアリスに、霊夢もまたため息を吐きました。
「言ってみなさい。聞いてあげるから」
相談に乗ってくれるのではなく、聞くだけ。霊夢らしく、けれど今は何よりも安心出来る言葉に、アリスはこくりと頷きます。そして、今日の昼間のピクニックから今に至るまでの出来事を、ぽつりぽつりと話し出すのでした。
「そう、そんなことがああったの」
聞き終えても、霊夢はいつもの霊夢でした。アリスはそれがなにより嬉しく思いながら、頷きます。
「もう、どうしたら良いか解らないの」
「みんなあんたのことが好きなら、あんたが好きなやつに応えてあげればいいじゃない」
「――そう言われても、わからないわ。誰かをその、そういった意味で好きになったことなど、ないのだもの」
アリスはそう告げると、困ったように眉を顰めます。魔理沙は妹分、パチュリーはライバル、紫には何処か母性を感じていたし、早苗は気の合う友人。アリスはそれぞれ友達に役割を与えていましたが、“恋心”を抱くような相手は居ませんでした。
アリスがそう告げると、霊夢は、いつものように何気なく、彼女に答えを導きます。
けれど。
「なら、これから好きになってしまえば良いじゃない」
「え? それって、どういう――」
「例えば、私とか、ね」
「――え」
けれど、そう、けれど、導かれた答えが、アリスの望むモノとは限りません。アリスが言葉の真意を聞き返す前に、異変に気が付きました。いつのまにか、足首に貼られた御札。妖怪の動きを封印するそれは、アリスを決して逃がしません。
「みんな、奥手よね」
「れ、れいむ?」
「アリスの名前を付けた動物を飼う、だなんて遠回りなこと、しなくても――」
「あの、れい、む? なに? どうしたの?」
じりじりと壁際に後退していくアリスを、霊夢は追い詰めていきます。そしてついに、もう逃げられないという所まで詰め寄ると、霊夢はアリスの頬に手を添えました。
「――アリス自身を飼えば、良いじゃない」
無茶苦茶である。そして、暴論である。霊夢は思いきりアウトな発言をすると、顔を青くして震えるアリスの頬を撫でます。思い切り性犯罪者の目をした霊夢は、アリスの耳元にそっと唇を寄せました。
「ひっ」
「だいじょうぶよ、アリス。痛いのは最初だけだから」
「ぜんぜん大丈夫じゃない?!」
欠片も安心出来ないようなことを言う霊夢を前に、アリスは悲鳴を上げます。
けれど、アリスがどんなに身を捩ろうと、どんなに助けを求めようと、束縛された身体は動いてはくれませんでした。
「れれれれ、霊夢、お願い、考え直して! あなた、正気じゃないわ」
「正気よ。式は和式、洋式?」
「正気じゃないっ!」
にじりよる霊夢の唇が、アリスの唇に近づいてきます。気が付けば、ろくに抵抗も出来ないまま、霊夢の吐息がアリスの唇に当たる距離まで近づいてきています。最早、逃げ場はありません。
そしてもう絶体絶命かと思われた、その瞬間――
「お願い、待って、霊夢……っ!?」
――博麗神社に飛び込む姿がありました。
「助けに来たぜ! アリス!」
「まったく、無防備だからこうなるのよ」
「アリスさんは、渡しません!」
魔理沙、パチュリー、早苗。その背後には、紫や藍、慧音に青娥たちの姿さえ見えます。その姿にアリスは、言いしれぬ頼もしさを覚えていました。けれど、アリスは霊夢のインパクトが強すぎて、忘れていたのです。彼女たちもまた、アリスの悩みの種であると言うことを。
「ちっ、嗅ぎつけるのが早いわね」
「アリス独占条約に違反だぞ! 霊夢!」
「第千七百九十一条! アリスさんに迫るときはアリスさんが明確な意思を持って誘ったときに限る! ですよ!」
「ちなみに誘い受けは入らない。天然でやっているのはカウントしない――そうよね? 霊夢」
おもえたちはなにをいっているんだ。アリスは喉もまで出かかった言葉を、必死で呑み込みます。いったいその条文はいつできたのか。いったい何条まであるのか。だれが天然だちくしょう。そんな言葉が、ぐるぐるとアリスの頭を巡ります。
そして、ついに、キャパシティを越えてしまいました。
「独占条約? 千七百? 天然? 誰が誰をすきできらいでどくせんしてて――――きゅぅ」
目をぐるぐると回して、アリスはぱたんと倒れ込みます。意識を失う寸前、アリスは自分の名を呼ぶ友人だと思っていた少女たちの声を聞いた気がしましたが、最早、夢の中に逃げ出す以外に選択肢を持たなかったアリスは、ただ遠のいてゆく意識に身を任せるのでした。
――4/アリスno日常――
小鳥の囀り。それから、誰かの声。アリスは微睡みから這い出すように、ゆっくりと目を開けました。
「アリス? 大丈夫か?」
「あ、アリスさん、目が覚めたんですね!」
「アリス……まったく、無茶しすぎよ」
魔理沙、早苗、パチュリー。その三人の姿を見て、アリスは顔を青くしました。ベッドに横になっているこの状態では、どんなに頑張っても逃げられません。逃げ出した代償は重かった。アリスは朱くなったり蒼くなったりと、忙しなく顔色を変えます。
「あ、あの、あのあとどうなったの?」
蒸し返すのはこわい。けれど、いつまでも逃げては居られません。アリスはぎゅっと肩に力を入れると、真剣な瞳で魔理沙の顔を覗き込みます。
けれどその反応は、アリスにとって、予想外なモノでした。
「あのあと? なんのことだ?」
「へ?」
「なぁ、覚えてないのか? アリス、真っ昼間の湖畔でぶっ倒れていたんだぜ?」
「え、あ、あれっ?」
絶好のピクニック日和。そんな風に出かけていって、熱中症で倒れた。そこを霊夢が見つけて運び、道中で偶々あった魔理沙や早苗、パチュリーたちと看病していたのだというのです。
そこまで聞いて、アリスは恥ずかしさから顔を真っ赤に染め上げました。なんという、破廉恥な夢を見てしまったのだろう、と。
「あ、ありがとうみんな。その、助かったわ」
アリスはもう、恥ずかしさから、それだけ言うのが精一杯でした。そしてぺこりと頭を下げると、真っ赤な顔を隠すように布団に潜り込みます。
「ま、元気そうなら良かったわ」
「私たちはいったん戻りますから、なにかあったら、なんでもお申しつけ下さいね」
「じゃあな、アリス。クッキー、美味しかったぜ」
口々に告げて去っていく魔理沙たちの姿を布団の隙間から見送ると、アリスはほっと息を吐きました。
「ふふ、そうよね、私のことをみんなが好きだなんてそんなこと、あるわけ――」
そしてなんであんな夢を見たのかと、恥ずかしさを紛らわすために別のことを考えようとして――違和感を、覚えます。
『じゃあな、アリス。“クッキー”、美味しかったぜ』
確かに魔理沙は、そう告げたはずです。クッキーなど、最後にご馳走したのはいつだったか、覚えていません。そう、“夢の中”を除けば、ですが。
クッキーを作ったのは、ピクニックの後です。そして、自分が倒れたと聞いたのは、クッキーを作る前。アリスはぐるぐると色々な事を考えて、ぽんっと顔を売れたトマトのように真っ赤にすると、布団の中に倒れ込みました。
「どっちが夢でどっちが現実? もう、だれか、たすけて……――っ!!」
アリスの叫びがマーガトロイド邸に響き渡ります。そしてアリスは、今度こそ全てが夢になっていることを望んで、気を失うのでした。
――了――
夏まっただ中。
日差しは強く、空には雲一つ無い。そんな絶好のピクニック日和に、アリスは霧の湖に出かけていました。手にはサンドウィッチの入ったバスケット。それから、紅茶の入った魔法瓶。珍しく彼女の娘たち……上海人形や蓬莱人形は、連れておりません。
「~♪」
たまにはひとりで、ピクニック。
そう意気込んで朝早くからお弁当を拵えたアリスは、鼻歌交じりに湖畔の芝生に腰を下ろします。アリスはバスケットを開くと、サンドウィッチを小さな口でかぷりと咥え、それからほっこりと微笑みました。たまには、こんなのもいいわね、なんて口ずさむアリスは、とても嬉しそうです。そうして食事を再開しようとしましたが、アリスは幻想郷でも人目妖怪目をこれでもかというほど集めてしまう美しい容貌をしています。陽光が反射する金砂の髪に気が付かない妖怪は、いません。
「おお、美味しそうですねぇ。ご相伴にあずかってもいいですか?」
ばさりと音を立てて舞い降りたのは、黒い翼の鴉天狗――射命丸文でした。文はアリスの持つサンドウィッチを見て瞳を輝かせると、アリスにそう告げました。どうやら彼女はお腹が減っているらしく、両手でお腹を押さえています。
そんな文の姿を見て、アリスは思わず苦笑いします。今日はひとりの気分だったのに、なんて口にしながらも、そっと腰を上げて文の座るスペースを作ってあげました。そんなアリスの姿に文は満面の笑みを浮かべると、サンドウィッチを手に取ります。
「おお、さすがアリスさん。器用ですねぇ。嫁に来ませんか?」
文がちょっとだけ本気を滲ませて、アリスにそんな提案をします。けれどアリスはそれを冗談としか捉えず、「はいはい、そういうの良いから」と流してしまいます。そんなアリスに、文はちょっぴり不満そうでしたが、直ぐに気を取り直して食事を再開しました。やはり、美味しいご飯は笑顔で食べるのに限るのです。
「もう、あんまり勢いよく食べると喉に詰まらせるわよ。ほら、お茶もあるから」
「ありがとうございます!」
アリスのさりげない気遣いに嬉しく思いながら、文は紅茶を受け取り、一気に呷ります。紅茶はハーブティでしょうか。爽やかな甘味は苦みのある紅茶の良いアクセントになっています。
アリスも嬉しそうに食べる文の姿に思うところがあったのでしょう。いつのまにか、まるで妹を気遣うお姉さんのような表情で文を見ていましたが、文はその視線に気が付かずサンドウィッチを堪能していました。
「ほらほら、口元。もうしょうがないわね」
「あやや……め、面目ないです」
口元をハンカチで拭われて、文はやっとアリスの表情に気が付きます。それからその優しげな微笑みを見て、思わず顔を逸らしてしまいました。けれど朱くなった耳朶はアリスに隠すことが出来なくて、アリスはくすくすと笑っています。
「ごほんっ……いささか私らしくないですね」
「文?」
赤い顔を誤魔化しながらそう零す文に、アリスは首を傾げます。文はそんなアリスにこれ以上主導権を握られてはたまらないと、咳き込み一つでいつもの文に戻りました。
そんな文にちょっとだけ残念そうな瞳を向けるアリスには、極力気が付かれないように頑張りながら。
「なんでもありません。さて、それではアリスさんに、耳寄りな情報をお届けしましょう!」
「情報?」
「ええ、サンドウィッチのお礼です」
文はそう言うと、愛用の手帖を取り出します。この頃には、赤さの残る耳朶以外、すべていつもの文に戻っているようでした。
「なんでもここ最近、ある占いが流行っているそうです」
「占い?」
ぴんと指を立てて、文はすっかり解説モードです。そんな文にまた苦笑を零すと、アリスは彼女の話に付き合うことにしたようです。アリスは、基本的に面倒見が良くお人好しな妖怪でした。
「そうです。占いの内容は、単純明快。アリスさんもぜひ、興味があったらやってみて、私に感想を教えて下さい」
「ふぅん? それは別に良いけど、内容は?」
聞いて欲しくてたまらないと言わんばかりに羽をぱたぱたと動かす文に、アリスはぱたつく羽に気が付いていないフリをしながら、訊ねます。すると文は“その質問を待っていました”とばかりに瞳を輝かせ、そして――
「へ?」
――アリスは、文にいわれた言葉に、思わず首を傾げてしまいました。
わたしのかわいいアリス“たち”
――1/魔理沙in切っ掛けタイム――
『動物に好きなひとの名前を付けて飼うと、その想いが成就するのです』
得意げな表情で語った文のことを思い出しながら、アリスは帰路についていました。結局文は最後まで居座り、片付けを手伝うと、笑顔で去っていったのでした。
「しかし、好きな人の名前を、かぁ。呪いの類かしら? でもそんなもの流行ったら霊夢に怒られそうだけれど……」
不可解だ、とアリスは首を捻って呻ります。色恋事に鈍感な彼女は、いまいち、こういったことへ対しては頭の回転が弱くなってしまうのです。
アリスはあーでもない、こーでもないと端正なかんばせを歪めて考えます。そうしているうちに何かに思い至ったのか、ぽん、と手を叩きました。
「そうか、ジンクスね」
ようは、願掛け。こうなったらいいな、という可愛い考え方だということに気が付くと、アリスはすっきりとした表情で頷きました。
生憎、アリスは自分が誰の名前を付けて良いかわかりません。けれどこの可愛い流行になんらかの形で加わりたくて、人形劇にしようか、それとも人形に色んな人の名前を付けてみようか、などたくさんのことを考えながら家へと帰るのでした。
どういう形で関わればいいか。そんなことを考えながら十五時のおやつを作っていたせいでしょうか。どうやらアリスは、クッキーを作りすぎてしまったようです。どうしようかと首を捻り、けれど直ぐに思い至って行動に移します。アリスは出来る子。解決策を出すことなど、ちょちょいのちょいなのです。
アリスはクッキーを幾つかの包装に分けると、バスケットに詰め込みました。そして家を出てふわりと飛ぶと、一直線に“お隣さん”のところへ向かいます。そう、アリスはせっかくだからお裾分けをしようと考えたのです。
「あの子も、食いしん坊だから」
そう微笑むアリスの横顔は、大事な妹を愛でるお姉さんのようです。アリスにとって、“お隣さん”――魔理沙は、手の掛かる妹のように思っている存在でした。
魔理沙の家が見えてくると、アリスはスカートが乱れないように片手で押さえながら、魔理沙の家の庭に着地します。それから、こんこんとノックをしました。けれど、待てど暮らせど、魔理沙の反応が返ってくることはありません。
「まだ寝ているのかしら? もう、しょうがない子ね」
アリスはそうため息を吐くと、そっと、合い鍵を取り出します。これは以前、魔理沙から、『いつでも味噌汁を作りに来てくれていいんだぜ』と何故か震える声で言われて、貰ったモノでした。
アリスとしても、妹分が生活習慣を乱して身体をこわしてしまう所など、見たくありません。ついつい寝過ぎな自分を起こしてくれ、と、そう言っているのだと解釈したアリスは、魔理沙からの提案をため息混じりで了承したのでした。
「魔理沙ー? まだ寝てるのかしら」
そう良いながら、アリスは魔理沙の寝室に足を向けます。そして、アリスが休んで居るであろう部屋に到着すると、ノックをしてお邪魔しようとして――
『――――』
――ふと、漏れ出た声に、手を止めます。そして、本当は良くないと解りつつも、音を立てないように少しだけ扉を開きました。
「おまえ、けっこうあったかいんだな」
あれは、ツチノコでしょうか。そういえば魔理沙はツチノコをペットにしていたな、と、今更ながらに思い出します。まだまだ甘えたい盛りなのでしょう。魔理沙はツチノコの首に抱きつくと、頬ずりを繰り返しています。
そんな魔理沙の様子に、アリスはくすりと微笑むと、ちょっとだけ悪戯心が芽生えました。たまには、いつも驚かされてばかりの自分が驚かしても、バチは当たらないだろう。アリスはそう悪戯っぽく笑うと、魔理沙が背を向けているのを良いことに、ゆっくりと、音を立てずに扉を開いていきます。けれど。
「ふふ、今日は、はなさないぜー、“アリス”」
魔理沙の口から出た言葉に、アリスはぴしりと固まります。
昼間、文はなんと言っていたでしょうか。昼間文は、なにが流行っていると、言ったでしょうか。文が教えてくれた言葉が、アリスの頭の中をぐるぐると回ります。
『動物に好きなひとの名前を付けて飼うと、その想いが成就するのです』
『動物に好きなひとの名前を付けて飼う――』
『動物に好きなひとの名前――』
『好きなひとの名前――』
魔理沙の、朱くなった耳朶。嬉しそうな声。全身で発する桃色オーラ。いくら巷でフラグクラッシャーと名高い鈍感なアリスでも、ここまで情報を提示されて、気が付かないはずがありません。
「うへへ、アリス。ぎゅー。って、どうした、アリス?」
気が付けば、ツチノコがアリスの方を見て居ました。その視線を、魔理沙は自然に追います。最早、逃げられませんでした。
「へ? あ、りす?」
「お、おはよう、まりさ」
二人とも、カタコトです。アリスは追求せずに帰りたく思いましたが、それではあまりにも不自然。そう考え、アリスは意を決してツチノコを指さしました。
「あああの、その、名前……」
「い、いいいい、いやこれはあれだそのあの、そう! ライバルの名前を付ける勝てるっていう占いなんだ!」
誤魔化しているということは、一目で分かりました。けれど顔から火が出そうになっているアリスは、ここぞとばかりにその嘘に乗ることにします。
「そ、そうなの、ふ、ふぅん?」
「そ、そうそう、そうなんだよ! っと、ころで! 何の用だよ!?」
「へっ? あ、ああああ、そうそうこれお裾分けってことでそれじゃあ私用があるからこれで!」
アリスはクッキーの包みを渡すと、脱兎の如く逃げ出します。そして魔理沙の声が聞こえなくなるところまで飛び去ると、そのまま頭を抱えて蹲りました。鈍い鈍いと言われるアリスでも、ここまでくれば流石にわかります。というか、わかりやすすぎました。
「ま、まりさって、わたしのこと……」
顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で唇を噛みます。嬉しいとか戸惑いとかそんな感情よりも何よりも、恥ずかしくて死にそうでした。
こんなときは、どうすれば良いのだろう。悩んだアリスの脳裏に、ひとりの少女の顔が思い浮かびます。会えば憎まれ口ばかり。けれどその実力を本当に尊敬している、心の師匠でライバル。そんな、大切な友人のことを思い浮かべました。
「相談、しましょう。もう、それしかないわ」
アリスはそう決意すると、一目散に飛び立ちます。向かう先は、紅魔館。アリスの友人の暮らす、大図書館でした。
――2/パチュリーdeパニック――
紅魔館の真っ赤な門を見つめると、アリスはようやく落ち着いてきました。赤から元の白磁の肌に戻ったアリスは、門番に挨拶をします。
「こんにちは、美鈴」
「おや、アリスさん。今日も図書館ですか?」
「ええ、そう。ちょっとお裾分けに、ね」
アリスはそう言うと、美鈴にクッキーの包みを渡します。すると美鈴はぱぁっと破顔して、アリスのために門を開けました。礼儀正しく、門番にまで敬意を払ってくれるアリスは、最早顔パスで入ることが出来るのです。
「ありがとう、美鈴」
「いえ、こちらこそ!」
笑顔の美鈴に迎えられ、アリスは紅魔館に足を踏み入れます。そしてもう何度とおったか解らない地下への道を行くと、その先に構えた観音開きの扉をゆっくりと開きました。
ふわふわと舞い上がり、アリスは図書館の中央に向かって飛んでいきます。
「パチュリー、いるー?」
声をかけながら飛行すると、図書館の中央の側に置かれた机の上で、蠢くモノを見つけました。紫色の寝間着のような服装と、同じ色の帽子。たくさんの本を抱えて読む“本の虫”。アリスの友達、パチュリー・ノーレッジです。
「パチュリー」
「また来たの? 未熟者」
「また来たわよ。相変わらず口が悪いわね。嫁のもらい手が無くなるわよ」
「私の嫁は本よ。それともなに、貴女が貰われてくれるのかしら?」
「貴女が貰われるのはこれよ。ほら」
いつものように軽口を叩き合うと、アリスはパチュリーにクッキーの包みを投げ渡します。するとパチュリーは、きょとんと目を瞠り、それから微かに笑いました。
「あら、ありがとう。小悪魔! お茶を淹れて頂戴」
パチュリーが小悪魔にそう告げると、小悪魔は二人の間にお皿とアリスのクッキーと、それからカップを二つ用意して紅茶を注いでくれます。そんな小悪魔にアリスは小さく「ありがとう」と告げると、湯気の立ち上る紅茶を一口、含みました。
「あら、美味しい。腕を上げたわね」
「えへへ……ありがとうございます。アリスさん」
ほっこりと笑い合う、小悪魔とアリス。そんな二人の様子に何処か思うところがあったのか、パチュリーはこほんっとわざとらしく咳き込みました。そんなパチュリーを後目に、アリスはもう一口、紅茶のカップに口を付けます。
――けれど。
「そうそう小悪魔。“アリス”にミルクはあげてくれた?」
「ええ、もちろん。美味しそうに飲んでましたよ」
「っ!? こほっ、こほっ、えふっ、え? え?」
油断していたのが悪かったのでしょうか。アリスは思わず咳き込みます。そんなアリスの様子に気がついて、パチュリーはきょとんと首を傾げ、それから得心がいったとばかりに頷きました。
「ああ、ジンクスよ。切磋琢磨したい相手の名前を、動物に付けて飼うの。面白いでしょう? あやかって、私も猫を飼ってみたの」
「そ、そうなんだ、へ、へぇ」
これで魔理沙に会う前だったら、アリスはパチュリーのポーカーフェイスに釣られて納得していたことでしょう。けれどアリスは、もう、そんな言葉に騙されることは出来ませんでした。
いつもと同じ無表情。けれど首筋はほんのり朱に染まり、瞳は伏せられたままで決してアリスに視線を合わせようともせず、カップを持つ手は震えています。ここまで来て、気が付かずに居ることは、最早叶いません。
「まったく、小悪魔も妹様もレミィも、みんな自分の蝙蝠に“アリス”って付けるのだもの。困るわ。ごっちゃになって」
困るのは私だ。アリスはそう叫び出したくなる自分を一生懸命抑えると、引きつった顔で「そう」とだけ告げました。最早、紅茶の味などわかりません。
せめて、咲夜は。咲夜はただの友達だ。そう、自身の心に唱えます。けれど、その希望はあっさりと打ち砕かれました。
「咲夜さんの“アリス”にも、ミルクは与えておきましたよ」
「そう。咲夜、忙しいモノね。まったく咲夜にも困ったモノよ。私の“アリス”の姉妹に同じ名前を付けるのだから」
アリスはもう、何も言うことが出来ません。ただひたすら、朱くなった頬を隠すように俯いていました。そんなアリスを前に、パチュリーたちは気が付かれていないつもりなのでしょう。和やかに“アリス”について談笑しています。
そんな空気にアリスが耐えきれなくなるのも、時間の問題でした。
「そ、それじゃあ私はそろそろ行くわ。まだ回らなければならないし」
「そう――また来なさい」
「え、ええ、そうね、うん」
どことなく残念そうなパチュリーの視線から逃げるように、アリスは飛び出します。そして息を切らせて門まで辿り漬くと、先程名前の出てなかった美鈴を見て、ほっと息を吐きました。
流石に、彼女の下なら安全でしょう。アリスは安堵から顔色を戻して、美鈴に近づきます。
「お邪魔したわ」
「あ、はい。とんでもないです。またお越し下さいね」
「ふふ、そうね。ほとぼりがさめたら、ね」
「? ああ、そうだ、アリスさん。私、実は犬を飼い始めたんですけど――」
ふと、嫌な予感がして、アリスは身体を硬直させます。そんなアリスに気が付かず、美鈴は続きを言ってしまいました。
「――アリスさんの名前、つけても良いですか?」
律儀なのでしょう。事前に許可を取る姿勢は、妖怪らしくなく、好感の持てるモノです。けれどそれも、普段ならば、という言葉が頭に着いてしまいます。
アリスは紅魔館の門に溶け込んでしまうのではないかというほどに顔を真っ赤にさせると、口をぱくぱくと開いたり閉じたりしながら後ずさりました。
「あ、アリスさん!?」
そしてアリスは、耐えきれなくなり、その場から飛び立ちます。もう、信じられるモノはなにもないのかと、自問自答を繰り返しながら、心の拠り所を求めて紅魔館から遠ざかっていくのでした。
――3/霊夢toハプニング――
それから、アリスは色々な場所を巡りました。どこか一箇所でも構わないから、心を落ち着かせて相談出来る相手が欲しかったのです。けれど、アリスのそんな願いは、悉く打ち崩されていきました。
――妖怪の山の神社では、早苗が蛇に“アリス”と付けて可愛がっていました。
――人里の端っこでは、慧音が牛に“アリス”と名付けていました。
――竹林では、妹紅が鳥に“アリス”と名付け、鳥かごに入れて大事そうにしていました。
――墓場では、ゾンビフェアリーの何割かが“アリス”という名前な様です。
――永遠亭では、ウサギの三分の二が“アリス”という名前になっていました。
アリスは混乱しました。迷い家の猫が三匹ほど“アリス”という名前になっていた辺りで、もう訳が分らなくなっていました。最早満足に飛ぶ元気も頭を整理する冷静さも失って、最後の希望とばかりに博麗神社に降り立ちます。
この頃には、アリスは疑心暗鬼になっていて、また動物たちが“アリス”と名付けられているのではないかとびくびくしています。そんな震える子ウサギのようなアリスに、かかる声がありました。
「アリス? そんなところでなにをやっているのよ」
「れ、れいむ……」
アリスは境内の掃除をしていた霊夢にふらふらと近づくと、彼女の巫女服の袖をぎゅっと掴みます。そして幾分か逡巡をみせた後、潤んだ瞳で霊夢を見上げて、問いかけました。
「あの、霊夢はなにか、動物、飼ってる?」
「は? うちにそんな余裕無いわよ。変なアリスね」
何時もどおりの霊夢の様子に、アリスは大きく安堵の息を吐きます。始めから、霊夢の下へ来ておくべきだった。アリスはそんな風にさえ考えました。
「まぁ良いわ。上がりなさい。お茶くらい出してあげるわよ」
「ありがとう、たすかるわ」
そうして、アリスは霊夢の後を着いて行きます。背を向けた霊夢がどのような表情をしているかなど、気にも留めずに――。
温かい緑茶を含むと、アリスはようやく一心地つけたような気分になりました。そうするとようやく、頭の中を整理することが出来ました。恥ずかしくなって逃げてきてしまいましたが、結局の所、みんながアリスに好意を持っているということは、自惚れなのではなく事実なのでしょう。けれど急に、それも一度に大量にそんなことがわかっても、対処のしようがありません。
今日の朝まで、アリスはみんなのことを仲の良い友達や、可愛い妹分、頼れる姉のように思ってきたのです。急に“それ以上のとくべつ”として考えることは、できませんでした。けれど、それでもアリスは思うのです。彼女たちの気持ちに気が付いてしまった以上、うやむやにしていいのか、と。
はぁっと悩ましげな息を吐くアリス。そんなアリスに、霊夢もまたため息を吐きました。
「言ってみなさい。聞いてあげるから」
相談に乗ってくれるのではなく、聞くだけ。霊夢らしく、けれど今は何よりも安心出来る言葉に、アリスはこくりと頷きます。そして、今日の昼間のピクニックから今に至るまでの出来事を、ぽつりぽつりと話し出すのでした。
「そう、そんなことがああったの」
聞き終えても、霊夢はいつもの霊夢でした。アリスはそれがなにより嬉しく思いながら、頷きます。
「もう、どうしたら良いか解らないの」
「みんなあんたのことが好きなら、あんたが好きなやつに応えてあげればいいじゃない」
「――そう言われても、わからないわ。誰かをその、そういった意味で好きになったことなど、ないのだもの」
アリスはそう告げると、困ったように眉を顰めます。魔理沙は妹分、パチュリーはライバル、紫には何処か母性を感じていたし、早苗は気の合う友人。アリスはそれぞれ友達に役割を与えていましたが、“恋心”を抱くような相手は居ませんでした。
アリスがそう告げると、霊夢は、いつものように何気なく、彼女に答えを導きます。
けれど。
「なら、これから好きになってしまえば良いじゃない」
「え? それって、どういう――」
「例えば、私とか、ね」
「――え」
けれど、そう、けれど、導かれた答えが、アリスの望むモノとは限りません。アリスが言葉の真意を聞き返す前に、異変に気が付きました。いつのまにか、足首に貼られた御札。妖怪の動きを封印するそれは、アリスを決して逃がしません。
「みんな、奥手よね」
「れ、れいむ?」
「アリスの名前を付けた動物を飼う、だなんて遠回りなこと、しなくても――」
「あの、れい、む? なに? どうしたの?」
じりじりと壁際に後退していくアリスを、霊夢は追い詰めていきます。そしてついに、もう逃げられないという所まで詰め寄ると、霊夢はアリスの頬に手を添えました。
「――アリス自身を飼えば、良いじゃない」
無茶苦茶である。そして、暴論である。霊夢は思いきりアウトな発言をすると、顔を青くして震えるアリスの頬を撫でます。思い切り性犯罪者の目をした霊夢は、アリスの耳元にそっと唇を寄せました。
「ひっ」
「だいじょうぶよ、アリス。痛いのは最初だけだから」
「ぜんぜん大丈夫じゃない?!」
欠片も安心出来ないようなことを言う霊夢を前に、アリスは悲鳴を上げます。
けれど、アリスがどんなに身を捩ろうと、どんなに助けを求めようと、束縛された身体は動いてはくれませんでした。
「れれれれ、霊夢、お願い、考え直して! あなた、正気じゃないわ」
「正気よ。式は和式、洋式?」
「正気じゃないっ!」
にじりよる霊夢の唇が、アリスの唇に近づいてきます。気が付けば、ろくに抵抗も出来ないまま、霊夢の吐息がアリスの唇に当たる距離まで近づいてきています。最早、逃げ場はありません。
そしてもう絶体絶命かと思われた、その瞬間――
「お願い、待って、霊夢……っ!?」
――博麗神社に飛び込む姿がありました。
「助けに来たぜ! アリス!」
「まったく、無防備だからこうなるのよ」
「アリスさんは、渡しません!」
魔理沙、パチュリー、早苗。その背後には、紫や藍、慧音に青娥たちの姿さえ見えます。その姿にアリスは、言いしれぬ頼もしさを覚えていました。けれど、アリスは霊夢のインパクトが強すぎて、忘れていたのです。彼女たちもまた、アリスの悩みの種であると言うことを。
「ちっ、嗅ぎつけるのが早いわね」
「アリス独占条約に違反だぞ! 霊夢!」
「第千七百九十一条! アリスさんに迫るときはアリスさんが明確な意思を持って誘ったときに限る! ですよ!」
「ちなみに誘い受けは入らない。天然でやっているのはカウントしない――そうよね? 霊夢」
おもえたちはなにをいっているんだ。アリスは喉もまで出かかった言葉を、必死で呑み込みます。いったいその条文はいつできたのか。いったい何条まであるのか。だれが天然だちくしょう。そんな言葉が、ぐるぐるとアリスの頭を巡ります。
そして、ついに、キャパシティを越えてしまいました。
「独占条約? 千七百? 天然? 誰が誰をすきできらいでどくせんしてて――――きゅぅ」
目をぐるぐると回して、アリスはぱたんと倒れ込みます。意識を失う寸前、アリスは自分の名を呼ぶ友人だと思っていた少女たちの声を聞いた気がしましたが、最早、夢の中に逃げ出す以外に選択肢を持たなかったアリスは、ただ遠のいてゆく意識に身を任せるのでした。
――4/アリスno日常――
小鳥の囀り。それから、誰かの声。アリスは微睡みから這い出すように、ゆっくりと目を開けました。
「アリス? 大丈夫か?」
「あ、アリスさん、目が覚めたんですね!」
「アリス……まったく、無茶しすぎよ」
魔理沙、早苗、パチュリー。その三人の姿を見て、アリスは顔を青くしました。ベッドに横になっているこの状態では、どんなに頑張っても逃げられません。逃げ出した代償は重かった。アリスは朱くなったり蒼くなったりと、忙しなく顔色を変えます。
「あ、あの、あのあとどうなったの?」
蒸し返すのはこわい。けれど、いつまでも逃げては居られません。アリスはぎゅっと肩に力を入れると、真剣な瞳で魔理沙の顔を覗き込みます。
けれどその反応は、アリスにとって、予想外なモノでした。
「あのあと? なんのことだ?」
「へ?」
「なぁ、覚えてないのか? アリス、真っ昼間の湖畔でぶっ倒れていたんだぜ?」
「え、あ、あれっ?」
絶好のピクニック日和。そんな風に出かけていって、熱中症で倒れた。そこを霊夢が見つけて運び、道中で偶々あった魔理沙や早苗、パチュリーたちと看病していたのだというのです。
そこまで聞いて、アリスは恥ずかしさから顔を真っ赤に染め上げました。なんという、破廉恥な夢を見てしまったのだろう、と。
「あ、ありがとうみんな。その、助かったわ」
アリスはもう、恥ずかしさから、それだけ言うのが精一杯でした。そしてぺこりと頭を下げると、真っ赤な顔を隠すように布団に潜り込みます。
「ま、元気そうなら良かったわ」
「私たちはいったん戻りますから、なにかあったら、なんでもお申しつけ下さいね」
「じゃあな、アリス。クッキー、美味しかったぜ」
口々に告げて去っていく魔理沙たちの姿を布団の隙間から見送ると、アリスはほっと息を吐きました。
「ふふ、そうよね、私のことをみんなが好きだなんてそんなこと、あるわけ――」
そしてなんであんな夢を見たのかと、恥ずかしさを紛らわすために別のことを考えようとして――違和感を、覚えます。
『じゃあな、アリス。“クッキー”、美味しかったぜ』
確かに魔理沙は、そう告げたはずです。クッキーなど、最後にご馳走したのはいつだったか、覚えていません。そう、“夢の中”を除けば、ですが。
クッキーを作ったのは、ピクニックの後です。そして、自分が倒れたと聞いたのは、クッキーを作る前。アリスはぐるぐると色々な事を考えて、ぽんっと顔を売れたトマトのように真っ赤にすると、布団の中に倒れ込みました。
「どっちが夢でどっちが現実? もう、だれか、たすけて……――っ!!」
アリスの叫びがマーガトロイド邸に響き渡ります。そしてアリスは、今度こそ全てが夢になっていることを望んで、気を失うのでした。
――了――
読まないから。
とてもよかった。
とても可愛かったです
童話文体でこの内容ってシュールで笑える。ただ、誤字がちょっと。
「震える」が「振るえる」になっちゃってるのはまだ許せるとして、「売るんだ」って何を売るのさ、と。
全くおもしろくない。
おっと、うちのアリスにもエサをやっておかないと
でもアリスからしたらホラー以外のなにものでもないよなコレww
最近でトップレベルの面白さだった。
百合ハーレム最高!!
マジで関係ないけどデイウォッチはとてもいい映画でした。
アリスなだけに
そしてやっぱりアリスは可愛いな!
是非文を応援したい。
I・Bさんの過去作品はどう検索すれば見れますか
なぜか出てこない…
ホントだ出ないですねw
こちらからどうぞ!
創想話
ttp://coolier.sytes.net/sosowa/ssw_l/author/I%E3%83%BBB
ジェネリック
ttp://coolier.sytes.net/sosowa/ssw_p/author/I%E3%83%BBB
逃げ道ないですわぁ。
期待通りでした!!
そこにしびれるあこがれる
いや、一妻多夫制?それとも、一妻多婦制?
とにかくアリス可愛いです
面白かったです。