ふと、私が目をやると、彼女は笑っていた。
「なあに、暇なの?」
そう聞くと、彼女は首を横に振る。
そしてこてんと倒れ込み、私の膝の上に頭を乗せた。
「貴女がね、お母さんに見えたの」
「お母さん?」
失礼な。
外見年齢はそんなに変わらない筈。
「やわらかあい。貴女の膝枕は天下一品ね」
そう言われると悪い気はしないが、しかし徐々に重さが気になってくる。
これでもか弱い乙女なのだ。
「ねえ、頭を撫でてくれない? 優しくね」
上目遣いをされると、断り辛いなあ。
つくづく私は甘えられると弱い。直していかなきゃ。
「貴女の髪、凄く柔らかいわ。まるでシルクのよう」
「そうなの?」
「そうよ」
そう言えば、古い友人の髪もこんな風な手触りだった。
あの黒髪の彼女。
星見の少女も。
少女。
私もそうだった。何も知らない幼気な少女だった。
「怖い顔」
唇。
細くて白い指が、私の唇をなぞる。
か弱く、力の無い指が私の息を止めた。
「大丈夫よ、貴女は幸せだから大丈夫」
「……根拠が無いわ」
「いいの。いいのよ、貴女は幸せになるって断言してあげる」
そう言うと、彼女は私の肩を持って起き上がった。
あんまりに頼りないので、起き上がれるように私も両手で持ち上げてあげる。
すると彼女はにっこり笑って、そのまま私を抱き締めた。
か弱く、細く、頼りないのに。
とても温かい。
「だってそうでしょう? 優しい人が幸せにならないなんて、私は認めないわ」
だから、私は彼女に弱いのだ。
「そうだ、ご飯作ってくれる? おなか減っちゃったわ」
「……もう、しょうがないわねえ」
私は足に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。
先程まで頭が乗っていたので、少し痺れてしまった。
そして彼女の頭を優しく撫でて、台所を準備する。
まだちょっと、動きづらい。
そして気付いたら、彼女が包丁を私の手から奪っていた。
「………………え?」
「だから、ごめんね。私は優しくないから、貴女を一人置いてゆく。こんな私は、幸せに生きていてはいけないのよ」
何を言っているのか、分からなかった。
足が痺れて、私は足を引っ掛けて転んでしまう。
だから、走り去る彼女に手は届かなくて。
私は彼女を呼ぶ事しか出来なかった。
「ゆ」
「貴女が死んでしまう前に、私が逝くわ」
鮮血はとても赤かったが、私は目の前が真っ暗になったようだった。
しかし満開の桜は、もっと美しいのだろう。
そして世界は静かになって、最後の言葉はよく聞こえる。
「紫だけでも、どうか幸せに……」
◆
「紫様、昼ですよ。起きてください」
私を揺する声がする。
薄らと瞼を開けると、金の髪に大きな尻尾が九本。
私の愛する式がそこにいる。
「お早うございます。今日の御予定はどうしますか?」
「結界は?」
「問題ありません」
「なら、良いわ」
少し寒いと思ったら、服を着ていなかったので藍に服を要求する。
すると用意していたかのようにさっと取出し、私に着せた。
この並々ならぬ手際には感服する。誰が躾けたのだろう。
私だ。
「自画自賛は心の中でお願いします」
「それもそうね」
服を着た私の髪を、藍はさっと取り出した櫛で梳く。
「橙の修行はどのくらい進んでいるの?」
「まずは本人に実力を付けようと思いまして、柔軟と精神統一。そして日替わりで友人を呼んで組手をさせています」
藍が私の髪をいじり始めた。
暇になってしまったのね、と納得する。
いいでしょう、殺戮の九尾が妖怪賢者をどうコーディネートするか試しましょう。
「勿論、友人は信頼できる者を選びました」
「よろしい。どうせあの白狼か青い尼でしょう?」
藍の手が一瞬止まり、動揺したことが窺える。
しかし、また淀みなく私の髪を弄りはじめる。
「それとも、風見幽香かしら? 彼女は子供好きだものね」
「紫様」
「あら、ごめんごめん」
少しいじめ過ぎたかも知れない。
また藍の手が止まる。
いや、これは髪弄りが終了したようだ。
私はスキマから手鏡を取出し、自分の髪がどうなったかを確認する。
「……どこかの宇宙人を連想させるわね、この三つ編み」
「素敵ですよ」
「仕方ないわね」
まったく、これも悪戯心だろうか。
これだからうちの式は可愛いんだ。
「後でお仕置き。だけど、今日はちょっと待ってあげる」
「はい?」
そう言うと、藍は小首をかしげる。
ああもう、かあいいなあ。
「ちょっと約束を思い出してね。お買い物しなくちゃなのよ」
藍は分からないと言ったような顔をしていたが、それでも立ち上がり。
「では、行ってらっしゃいませ。紫様」
と言い、頭を下げたので。
「うん、行ってきます」
私もそう言って、すぅっとスキマを開いた。
◆◆◆
彼女は強かな笑みを浮かべ、私を笑う。
「やあ、また来たのかい?」
「ええ、また来てやったわよ」
大木をくりぬいたような家の、小さな部屋で彼女は一人ふんぞり返っていた。
ふんぞり返っていた。
「すごい偉そうだわ」
「そりゃあ偉いさ。私はこの家の主だからな」
「それじゃあ確かに敵わないわ」
私は彼女が造ったと言う、お手製の寝台の上に座る。
あっぴるしてみる仙人ちゃん。
おバカに届け、この想い!
「おい危ないぞ、それもう老朽化して使ってない奴だからな」
「うわああなんか湿ってみしみし言ってるぅ!?」
ビックリした、なんか気持ち悪い感触だった。まだお尻に感触が残っている。
そんな姿を見ながら、彼女はけたけたと笑う。
私はそれにむすっとして、何か座れるものがあるかどうか探してみた。
結論、床しかない。
彼女も机に脚を乗せて椅子を傾けふんぞり返ってるので、まるで譲る気が見えなかった。
「あんたぐらいよ、この邪仙様をここまで虚仮にできるのは」
「なんて言ったって私だからな」
「これだよ、まったく」
両手を派手に広げ、非常に不遜な態度を取っている。
ここまで来ると感心してしまう。
「遊びに来た友人に茶も出さないのかしら?」
「おまえが友人って面かい?」
言葉の端々に棘が見える。まるで剣山だ。
「あんたの友達になるには顔面偏差値まで求められるの?」
「最低でも世界征服する気満々で来ないと門前払いだ。例外としてピンク髪で弄り甲斐があれば良し」
「じゃあ可憐で華やかな私は、世界征服したも同然の例外以上ね」
「壁から入ってきてるだろうお前」
あれ、言い勝てない。
もうあれなので、拗ねてやることにした。
ぷくっと頬を膨らませて、地面に寝っころがってやる。
「ガキかお前は」
「大人にはね、子供に戻りたい時があるのよ……」
「口喧嘩で負けた時とかか」
「うっさい、減らず口」
何を言っても言い返される。
段々みじめになってきたが、しかし自ら乗り込んできた手前とんずらこくと言うのは少々性に合わない。
どうしたらこいつを言い負かせるのか、そんな事を考えながら床で背筋を伸ばす。
眼が冴える。あ、着物まくれた。
「え、なに今度は色仕掛け?」
「違うわよ。事故よ事故」
「ふうん、そうかい」
そう言うと、彼女は椅子を正位置に戻して立ち上がる。
何を思い立ったか、袖を捲り上げて紐で縛った。
「ガキが構ってくれって言ってしょうがねえから、お母さんがごはん作ってやるんだよ」
「はあ? 誰があんたのガキになったのよ」
「お前以外誰がいるんだよ」
屈辱的だ。
これでも祖国に帰れば、傾国の一つや二つしてやれる美人邪仙だと言うのに。
髪の輪っかで首でも絞めてやろうかしら、なんてね。
「大体、料理だったら私が造ってやるわよ」
「お前のはなんか字が違うからやだ」
「親孝行だとでも思いなさいよ良香おかあさま~ん」
「はいはい、じゃあ今度作ってよ。馬鹿娘」
楽しみに待ってなさいよ。と、言った時にはもうあいつはいなくて。
地下にある調理場に行ったんだと、私は思った。
でも、それから一時間待っても帰ってこなかった。
どうして、気付かなかったのか。
仙人だろうが、死の病からは逃れられないということに。
だから、気付かなかったこの時の私は、主のいなくなった家でたった一人。
待っていたのだ。
待っていたのだ。
◆
自然と目が覚める。長年の習慣の所為だろうか。
朝一で実験、ご飯を作ってまた実験。
たまに遊びに出かけて、また遊ぶ。
「……ニートよりひどい生活ですわ」
「あるじー」
私の横から、間の抜けた声がした。
体を揺すりながら、私に腕をぺしぺしと当ててきているキョンシーを一瞥する。
「からだまた固くなったからおこしてー」
「はいはい、まったく芳香はしょうがないわねえ」
行為の最中だけは、体を柔らかくする術を使って楽しんでいるのだが、朝になればまた元に戻る為この有様である。
純然に私が悪いってことはない。だって芳香もその方が気持ちいいもの。
「折れちゃわないように、慎重に起こすわね」
「おー」
まずは上半身から、ゆっくり起こす。
下半身の辺りはかぴかぴしていたので、ばりばりっと剥がした。
「あるじー、いいことあったのかー?」
「は?」
「とってもえがおー」
そう言われて、芳香を部屋の椅子に全裸のまま座らせて、顔を触ってみる。
なるほど、確かにあれな感じのにやけ面だ。
あんな夢を見たのに不思議だと思う。
「あるじー、かわいいぞー」
「はいはい、貴女の方が可愛いわよ」
ああそうか。
芳香が話しかけてくれて、嬉しかったんだ。
例え外法の結果だったとしても、例えこの愛情がどんなに醜く歪んでいても。
ここに彼女がいれば、私は幸せだ。
「ねえ芳香。お買い物行ってくるから、お留守番お願いできる?」
「おやすいごようだぞー」
「じゃあ、まずは服を着せてあげるわね」
正直、この外道ライフも好き好んでやっているのだから何の悔いも無ければ反省もしないのだが。
普通の恋人みたいに、夫婦みたいに生きて行くのも悪くない。
◆◆◆
「「おっちゃん、じゃがいもくださいな」」
バチィっと火花が弾ける。
二人の美女が、八百屋を前にして恐ろしいまでの殺気をばら撒いていた。
肉じゃがの材料をコロッケ!並みに奪い合っていた。あ、あれってカレーだっけ?
ところで私はこれを見てどうすればいいのでしょう。
仲裁? 逃亡? 漁夫の利でもかっさらってしまいましょうか?
いえ、いずれも一介の御阿礼如きには無謀すぎるので、ここは迎合と洒落込みましょう。
「えーっと、お二人は一体何をしてらっしゃるんですか?」
そう聞いた途端、二人は『ぐりんっ』と首を回して私を睨む。
怖いよ、妖怪か。あ、妖怪だ。
まるで藤田和日郎のようなタッチで妖怪妖怪してる、なんて恐ろしい。
「あらぁ、阿求ちゃんじゃないの。まさかあなたも……」
「い、いえ滅相もございません私はただ風邪を引いた先生のためによいお野菜をばと手ずから東奔西走しているわけでして決しておふたかたのじゃまをしたいわけでわ」
「じゃあ丁度いいわね。スキマ妖怪さん、この子をレフェリーにしましょう」
「はいっ!?」
あれれ、おかしいぞ~。どうして素直に逃げようとした私の足首をスキマで固定してまで巻き込もうとするのでしょうか。
早く白馬に乗ってまもってだーりん……。
そう言えばこういう状況、というか殺気のせめぎ合いはどこかで見たような。
そうだ、幻想郷縁起を書くために各宗教の代表者を集めた時だ。もっと静かな殺意だったけど、明らかに仏教と道教が殺意撒き散らしてた!
もしあの状況を「仲良いんですね」って言われたら私は助走つけて殴るレベル。
あっきゅんマジ大ピンチ。
「行くわよ!?」
「せえの」
「「じゃん、けんっ!」」
幻想郷マジこえぇ。
「なあに、暇なの?」
そう聞くと、彼女は首を横に振る。
そしてこてんと倒れ込み、私の膝の上に頭を乗せた。
「貴女がね、お母さんに見えたの」
「お母さん?」
失礼な。
外見年齢はそんなに変わらない筈。
「やわらかあい。貴女の膝枕は天下一品ね」
そう言われると悪い気はしないが、しかし徐々に重さが気になってくる。
これでもか弱い乙女なのだ。
「ねえ、頭を撫でてくれない? 優しくね」
上目遣いをされると、断り辛いなあ。
つくづく私は甘えられると弱い。直していかなきゃ。
「貴女の髪、凄く柔らかいわ。まるでシルクのよう」
「そうなの?」
「そうよ」
そう言えば、古い友人の髪もこんな風な手触りだった。
あの黒髪の彼女。
星見の少女も。
少女。
私もそうだった。何も知らない幼気な少女だった。
「怖い顔」
唇。
細くて白い指が、私の唇をなぞる。
か弱く、力の無い指が私の息を止めた。
「大丈夫よ、貴女は幸せだから大丈夫」
「……根拠が無いわ」
「いいの。いいのよ、貴女は幸せになるって断言してあげる」
そう言うと、彼女は私の肩を持って起き上がった。
あんまりに頼りないので、起き上がれるように私も両手で持ち上げてあげる。
すると彼女はにっこり笑って、そのまま私を抱き締めた。
か弱く、細く、頼りないのに。
とても温かい。
「だってそうでしょう? 優しい人が幸せにならないなんて、私は認めないわ」
だから、私は彼女に弱いのだ。
「そうだ、ご飯作ってくれる? おなか減っちゃったわ」
「……もう、しょうがないわねえ」
私は足に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。
先程まで頭が乗っていたので、少し痺れてしまった。
そして彼女の頭を優しく撫でて、台所を準備する。
まだちょっと、動きづらい。
そして気付いたら、彼女が包丁を私の手から奪っていた。
「………………え?」
「だから、ごめんね。私は優しくないから、貴女を一人置いてゆく。こんな私は、幸せに生きていてはいけないのよ」
何を言っているのか、分からなかった。
足が痺れて、私は足を引っ掛けて転んでしまう。
だから、走り去る彼女に手は届かなくて。
私は彼女を呼ぶ事しか出来なかった。
「ゆ」
「貴女が死んでしまう前に、私が逝くわ」
鮮血はとても赤かったが、私は目の前が真っ暗になったようだった。
しかし満開の桜は、もっと美しいのだろう。
そして世界は静かになって、最後の言葉はよく聞こえる。
「紫だけでも、どうか幸せに……」
◆
「紫様、昼ですよ。起きてください」
私を揺する声がする。
薄らと瞼を開けると、金の髪に大きな尻尾が九本。
私の愛する式がそこにいる。
「お早うございます。今日の御予定はどうしますか?」
「結界は?」
「問題ありません」
「なら、良いわ」
少し寒いと思ったら、服を着ていなかったので藍に服を要求する。
すると用意していたかのようにさっと取出し、私に着せた。
この並々ならぬ手際には感服する。誰が躾けたのだろう。
私だ。
「自画自賛は心の中でお願いします」
「それもそうね」
服を着た私の髪を、藍はさっと取り出した櫛で梳く。
「橙の修行はどのくらい進んでいるの?」
「まずは本人に実力を付けようと思いまして、柔軟と精神統一。そして日替わりで友人を呼んで組手をさせています」
藍が私の髪をいじり始めた。
暇になってしまったのね、と納得する。
いいでしょう、殺戮の九尾が妖怪賢者をどうコーディネートするか試しましょう。
「勿論、友人は信頼できる者を選びました」
「よろしい。どうせあの白狼か青い尼でしょう?」
藍の手が一瞬止まり、動揺したことが窺える。
しかし、また淀みなく私の髪を弄りはじめる。
「それとも、風見幽香かしら? 彼女は子供好きだものね」
「紫様」
「あら、ごめんごめん」
少しいじめ過ぎたかも知れない。
また藍の手が止まる。
いや、これは髪弄りが終了したようだ。
私はスキマから手鏡を取出し、自分の髪がどうなったかを確認する。
「……どこかの宇宙人を連想させるわね、この三つ編み」
「素敵ですよ」
「仕方ないわね」
まったく、これも悪戯心だろうか。
これだからうちの式は可愛いんだ。
「後でお仕置き。だけど、今日はちょっと待ってあげる」
「はい?」
そう言うと、藍は小首をかしげる。
ああもう、かあいいなあ。
「ちょっと約束を思い出してね。お買い物しなくちゃなのよ」
藍は分からないと言ったような顔をしていたが、それでも立ち上がり。
「では、行ってらっしゃいませ。紫様」
と言い、頭を下げたので。
「うん、行ってきます」
私もそう言って、すぅっとスキマを開いた。
◆◆◆
彼女は強かな笑みを浮かべ、私を笑う。
「やあ、また来たのかい?」
「ええ、また来てやったわよ」
大木をくりぬいたような家の、小さな部屋で彼女は一人ふんぞり返っていた。
ふんぞり返っていた。
「すごい偉そうだわ」
「そりゃあ偉いさ。私はこの家の主だからな」
「それじゃあ確かに敵わないわ」
私は彼女が造ったと言う、お手製の寝台の上に座る。
あっぴるしてみる仙人ちゃん。
おバカに届け、この想い!
「おい危ないぞ、それもう老朽化して使ってない奴だからな」
「うわああなんか湿ってみしみし言ってるぅ!?」
ビックリした、なんか気持ち悪い感触だった。まだお尻に感触が残っている。
そんな姿を見ながら、彼女はけたけたと笑う。
私はそれにむすっとして、何か座れるものがあるかどうか探してみた。
結論、床しかない。
彼女も机に脚を乗せて椅子を傾けふんぞり返ってるので、まるで譲る気が見えなかった。
「あんたぐらいよ、この邪仙様をここまで虚仮にできるのは」
「なんて言ったって私だからな」
「これだよ、まったく」
両手を派手に広げ、非常に不遜な態度を取っている。
ここまで来ると感心してしまう。
「遊びに来た友人に茶も出さないのかしら?」
「おまえが友人って面かい?」
言葉の端々に棘が見える。まるで剣山だ。
「あんたの友達になるには顔面偏差値まで求められるの?」
「最低でも世界征服する気満々で来ないと門前払いだ。例外としてピンク髪で弄り甲斐があれば良し」
「じゃあ可憐で華やかな私は、世界征服したも同然の例外以上ね」
「壁から入ってきてるだろうお前」
あれ、言い勝てない。
もうあれなので、拗ねてやることにした。
ぷくっと頬を膨らませて、地面に寝っころがってやる。
「ガキかお前は」
「大人にはね、子供に戻りたい時があるのよ……」
「口喧嘩で負けた時とかか」
「うっさい、減らず口」
何を言っても言い返される。
段々みじめになってきたが、しかし自ら乗り込んできた手前とんずらこくと言うのは少々性に合わない。
どうしたらこいつを言い負かせるのか、そんな事を考えながら床で背筋を伸ばす。
眼が冴える。あ、着物まくれた。
「え、なに今度は色仕掛け?」
「違うわよ。事故よ事故」
「ふうん、そうかい」
そう言うと、彼女は椅子を正位置に戻して立ち上がる。
何を思い立ったか、袖を捲り上げて紐で縛った。
「ガキが構ってくれって言ってしょうがねえから、お母さんがごはん作ってやるんだよ」
「はあ? 誰があんたのガキになったのよ」
「お前以外誰がいるんだよ」
屈辱的だ。
これでも祖国に帰れば、傾国の一つや二つしてやれる美人邪仙だと言うのに。
髪の輪っかで首でも絞めてやろうかしら、なんてね。
「大体、料理だったら私が造ってやるわよ」
「お前のはなんか字が違うからやだ」
「親孝行だとでも思いなさいよ良香おかあさま~ん」
「はいはい、じゃあ今度作ってよ。馬鹿娘」
楽しみに待ってなさいよ。と、言った時にはもうあいつはいなくて。
地下にある調理場に行ったんだと、私は思った。
でも、それから一時間待っても帰ってこなかった。
どうして、気付かなかったのか。
仙人だろうが、死の病からは逃れられないということに。
だから、気付かなかったこの時の私は、主のいなくなった家でたった一人。
待っていたのだ。
待っていたのだ。
◆
自然と目が覚める。長年の習慣の所為だろうか。
朝一で実験、ご飯を作ってまた実験。
たまに遊びに出かけて、また遊ぶ。
「……ニートよりひどい生活ですわ」
「あるじー」
私の横から、間の抜けた声がした。
体を揺すりながら、私に腕をぺしぺしと当ててきているキョンシーを一瞥する。
「からだまた固くなったからおこしてー」
「はいはい、まったく芳香はしょうがないわねえ」
行為の最中だけは、体を柔らかくする術を使って楽しんでいるのだが、朝になればまた元に戻る為この有様である。
純然に私が悪いってことはない。だって芳香もその方が気持ちいいもの。
「折れちゃわないように、慎重に起こすわね」
「おー」
まずは上半身から、ゆっくり起こす。
下半身の辺りはかぴかぴしていたので、ばりばりっと剥がした。
「あるじー、いいことあったのかー?」
「は?」
「とってもえがおー」
そう言われて、芳香を部屋の椅子に全裸のまま座らせて、顔を触ってみる。
なるほど、確かにあれな感じのにやけ面だ。
あんな夢を見たのに不思議だと思う。
「あるじー、かわいいぞー」
「はいはい、貴女の方が可愛いわよ」
ああそうか。
芳香が話しかけてくれて、嬉しかったんだ。
例え外法の結果だったとしても、例えこの愛情がどんなに醜く歪んでいても。
ここに彼女がいれば、私は幸せだ。
「ねえ芳香。お買い物行ってくるから、お留守番お願いできる?」
「おやすいごようだぞー」
「じゃあ、まずは服を着せてあげるわね」
正直、この外道ライフも好き好んでやっているのだから何の悔いも無ければ反省もしないのだが。
普通の恋人みたいに、夫婦みたいに生きて行くのも悪くない。
◆◆◆
「「おっちゃん、じゃがいもくださいな」」
バチィっと火花が弾ける。
二人の美女が、八百屋を前にして恐ろしいまでの殺気をばら撒いていた。
肉じゃがの材料をコロッケ!並みに奪い合っていた。あ、あれってカレーだっけ?
ところで私はこれを見てどうすればいいのでしょう。
仲裁? 逃亡? 漁夫の利でもかっさらってしまいましょうか?
いえ、いずれも一介の御阿礼如きには無謀すぎるので、ここは迎合と洒落込みましょう。
「えーっと、お二人は一体何をしてらっしゃるんですか?」
そう聞いた途端、二人は『ぐりんっ』と首を回して私を睨む。
怖いよ、妖怪か。あ、妖怪だ。
まるで藤田和日郎のようなタッチで妖怪妖怪してる、なんて恐ろしい。
「あらぁ、阿求ちゃんじゃないの。まさかあなたも……」
「い、いえ滅相もございません私はただ風邪を引いた先生のためによいお野菜をばと手ずから東奔西走しているわけでして決しておふたかたのじゃまをしたいわけでわ」
「じゃあ丁度いいわね。スキマ妖怪さん、この子をレフェリーにしましょう」
「はいっ!?」
あれれ、おかしいぞ~。どうして素直に逃げようとした私の足首をスキマで固定してまで巻き込もうとするのでしょうか。
早く白馬に乗ってまもってだーりん……。
そう言えばこういう状況、というか殺気のせめぎ合いはどこかで見たような。
そうだ、幻想郷縁起を書くために各宗教の代表者を集めた時だ。もっと静かな殺意だったけど、明らかに仏教と道教が殺意撒き散らしてた!
もしあの状況を「仲良いんですね」って言われたら私は助走つけて殴るレベル。
あっきゅんマジ大ピンチ。
「行くわよ!?」
「せえの」
「「じゃん、けんっ!」」
幻想郷マジこえぇ。
ゆかりんは幸せだった過去を永劫に持ち続けるのか。
肉じゃが食べるssかと思ったら予想をうわあまって、ご馳走様でした。
またあれですね。肉じゃがつつきつつ遠い目で過去を振り返ったりするんでしょうね。