雨の降る道
1
ふむ、と霧雨魔理沙は口の中で呟いた。
いつものように夕飯をごちそうになろうと博麗神社へ向かう途中、ふと寄り道のつもりで立ち入った木立の中、そこへ伸びている獣道に、雨が降っていたからである。
こちらのほう、つまり獣道の入り口へ立つ魔理沙のいる辺りに雨は降っていない。赤く焼ける空には雲ひとつ見当たらないので、当然のことだ。夕立は獣道の中だけに降り続いていた。
「おかしなこともあるもんだな」
帽子のつばへ指をかけ、ひとりごちた魔理沙はその雨の降る獣道へ足を踏み入れてみた。冷たい。たしかに雨だ。お湯が降っているわけではないらしい。服を濡らしながらさらに奥へ進んでみると、道の真ん中に女性が一人、立っているではないか。あらぬ方向を眺めており、雨ざらしで、髪も服もびしょびしょになっている。
「よう」
と、その女性に魔理沙は声をかけた。
「あんた、こんなところで突っ立ってると風邪ひいちまうぜ」
女性は返事をせず、物寂しい瞳で魔理沙を一瞥してから、もと向いていた方へ顔を戻した。それきりであった。
いささか腑に落ちない様子で口をつぐんでいた魔理沙であったが、やがてこりゃなにを言っても駄目そうだなということを悟ったのか、来た道を戻り、木立を抜け、箒に跨がると当初の目的である博麗神社へひとっ飛びするのであった。
2
「……とまぁ、そういうわけなんだよ。おかしな話だろ?」
博麗神社へつくなり、先ほどの木立での出来事をはなして聞かせる魔理沙の前へ、淹れたての煎茶を注いだ湯飲みと茶菓子の煎餅、そして手ぬぐいを置いた博麗霊夢が、自分の湯飲みでお茶をすすりつつ、興味のなさそうな声で、
「そうね、幻想郷らしいおかしな話だわ」
ため息をつきつつ返すのだった。
「まったく、急にびしょ濡れでうちに来て何を言い出すかと思ったら……」
ぼやきつつ、多めに用意した煎餅に手を伸ばす。魔理沙も手ぬぐいで顔をふき、頭へかけて、出されたお茶をうまそうに飲みながら、
「しかし変だよな、あの道にだけ雨が降ってるなんてさ。もしかすると、新しい異変の前触れかなにかかもしれん」
「そう考えるには、ちょっと早いんじゃない」
「なんだよ、じゃあ霊夢はあれになにか心当たりでもあるのか?」
「あるわけないじゃない。でも、ひとつだけ分かることがある」
「……それは?」
「その小道に降り続く雨は、妖怪の仕業だということよ」
霊夢はきっぱりと言い切った。これに、魔理沙がいぶかしげな顔をして、
「どっからどうなってそういう結論にいきつくんだ?」
「決まってるじゃない。この幻想郷でおかしなことが起こったら、それは十中八九妖怪の仕業なの」
「はぁ、そうですか……」
「雨と関わりの深い妖怪くらい、あんたも知ってるでしょ?」
「あいにく私の専門は退治でな。妖怪のことなんてよく知らん」
「あ、そう」
呆れたように返し、湯のみのお茶をもうひとすすりした霊夢が居住まいを正して、口を開いた。
「雨を司る妖怪や、雨に関連する妖怪っていうのはいくつか確認されているけど、あんたが見たっていうのは、女の人だったのよね?」
「いかにも。なかなかの美人だったぜ」
「だったら多分、その妖怪は《雨女》でまちがいないわ」
「アメオンナだって? おい、妖怪の話かと思ったら私の悪口かよ」
「ああ……そういえばあんたも雨女だったわね、筋金入りの。って、そういう意味の雨女じゃなくて、れっきとした妖怪の名前なのよ、もともとは。いつしか雨に遭いやすい女の人もそう呼ぶようになったけれど」
「どうしてそうなっちまったんだろうな。妖怪と同義に扱われるなんてたまったもんじゃない。私だって、好きで雨に遭ってるわけじゃないんだぞ」
「それは妖怪の方も同じよ。文献によると、雨女は別に雨を司っているわけじゃないの。雨の日に見かけるから、そう呼ばれているだけっていう話。もしかすると、あんたみたいに運悪く雨に遭っているだけなのかもね」
なるほどね、と魔理沙は相槌を返し、続けざまに訊いた。
「でも、それだとそいつが人間か、妖怪か、どうやって見分けるんだよ」
「そりゃあ、かんたんよ。あからさまに変な雨に遭ってるやつが妖怪。そう、あんたが木立の中だけで見たっていう雨みたいなね」
「……それだけ?」
「それだけ。人の姿をとる妖怪っていうのは、変なところを探せばいいのよ。座敷わらしは……まぁ、難しいかもしれないけれど、一つ目小僧やのっぺらぼうは、後ろから見たらただの人間でしょ? で、正面から見ると一つ目だったり顔が無かったりで、ああ、妖怪だ、ってわかる。私くらいになるとだいたいわかっちゃうけど、普通の人間はそういう違いから見分けるしかないし、実際そうして、妖怪たちは分類されてきたわ」
目を閉じたまま茶をすすり、一息ついてから、霊夢は言葉を続けた。
「――でも、私達と妖怪の違いなんて、本当はあいまいなものなのかもしれないわね。妖怪は人の恐怖心から生まれたものだし、人間から妖怪に変じるやつもいる。時には、妖怪よりも人間のほうが怖いこともあるんだから……」
「確かに妖怪にとっちゃ、同じ妖怪よりお前の方がよっぽど怖いだろうな」
茶化すようにいうと、霊夢はふふんと得意気に鼻を鳴らした。
「当然よ。なんたって、妖怪退治の専門家だもの」
「そして異変解決の、な……」
そこで言葉を止めて、魔理沙は空を見た。夕日は山の向こうへ消えかけていて、辺りに薄闇が立ち込めてきている。雲はひとつもない。
少しぬるくなったお茶を口にし、魔理沙がぽつりと呟く。
「……あの雨女、なんであんなところに突っ立ってたんだろうな」
「さあね。女が妖怪になる理由なんてだいたい決まってるから、おおかた、愛しい誰かと待ち合わせでもしているんじゃない? 外の世界と幻想郷とで離れ離れになってしまった誰かを」
博麗神社は外の世界と幻想郷の境界にある。なので、この神社の周りでは時として、外の世界のものが唐突に現れることがあるのだ。霊夢が何の気なしに返した言葉は、もしかしたら事実を言い得ているのかもしれない……。
「待ち人、来ずか……。あいつ、いつかその待ち人と逢えるといいんだが」
「そうね。いつもならさっさと退治してやるところだけど、今からそいつ探すのめんどくさいし、しばらくは放っておこうかしら。でもまぁ、あまり目につくようなら考えるかも。参拝客がその雨女を見て、逃げ出したりされちゃかなわないし」
「杞憂だと思うぞ、それは」
いもしない参拝客の心配をする霊夢をよそに、魔理沙は夕闇の空をもう一度見上げて、ため息をついた。
「……それにしても、こっちじゃあ雨、降りそうにないな」
「なによ、やぶからぼうに」
「いや、ここでこの魔理沙さんの雨女っぷりを盛大に披露できたら、夕飯と帰り道の心配をしなくてすむだろ?」
この言葉に、霊夢は呆れて、ため息をつくばかりだった。
「まわりくどいわね、まったく。なにかやりたいことがあるならはっきり言いなさい」
たはー、と苦笑する魔理沙に、さらに霊夢が肩をすくめて言う。
「ま、いいわ。そういえば、紫がいいお酒と肴をくれたのよ。どういう風の吹き回しかしらね。一人じゃ片付けられそうになかったから、ちょうど相手がほしかったところなの。準備をしてくるから、あんたはそこの押入れにしまってる浴衣にでも着替えたら? 服が濡れっぱなしじゃ風邪ひくでしょ。服が乾くまで、うちにいていいわよ」
それじゃ、と霊夢は立ち上がり、いそいそと台所へ消えていった。
「――まったく、まわりくどいのはどっちだよ」
と、どこか嬉しそうに呟く魔理沙なのであった。
3
後日談として、博麗神社で一夜を過ごした魔理沙は、数日の後、再び博麗神社へ遊びにでかけた。その際、ふと思い立って、先日立ち寄ったと思しき小道へ再び足を踏み入れてみたが、見覚えのある獣道に雨は降っておらず、例の美しい女の姿もなかった。
道には、魔理沙以外の足跡が二つ、くっつくようにしてかすかに残っている。帽子のつばをつまんでにやりと笑った彼女は、箒へまたがり、博麗神社へ向かい飛び去っていった。
雨の降る道 了
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ふむ、と霧雨魔理沙は口の中で呟いた。
いつものように夕飯をごちそうになろうと博麗神社へ向かう途中、ふと寄り道のつもりで立ち入った木立の中、そこへ伸びている獣道に、雨が降っていたからである。
こちらのほう、つまり獣道の入り口へ立つ魔理沙のいる辺りに雨は降っていない。赤く焼ける空には雲ひとつ見当たらないので、当然のことだ。夕立は獣道の中だけに降り続いていた。
「おかしなこともあるもんだな」
帽子のつばへ指をかけ、ひとりごちた魔理沙はその雨の降る獣道へ足を踏み入れてみた。冷たい。たしかに雨だ。お湯が降っているわけではないらしい。服を濡らしながらさらに奥へ進んでみると、道の真ん中に女性が一人、立っているではないか。あらぬ方向を眺めており、雨ざらしで、髪も服もびしょびしょになっている。
「よう」
と、その女性に魔理沙は声をかけた。
「あんた、こんなところで突っ立ってると風邪ひいちまうぜ」
女性は返事をせず、物寂しい瞳で魔理沙を一瞥してから、もと向いていた方へ顔を戻した。それきりであった。
いささか腑に落ちない様子で口をつぐんでいた魔理沙であったが、やがてこりゃなにを言っても駄目そうだなということを悟ったのか、来た道を戻り、木立を抜け、箒に跨がると当初の目的である博麗神社へひとっ飛びするのであった。
2
「……とまぁ、そういうわけなんだよ。おかしな話だろ?」
博麗神社へつくなり、先ほどの木立での出来事をはなして聞かせる魔理沙の前へ、淹れたての煎茶を注いだ湯飲みと茶菓子の煎餅、そして手ぬぐいを置いた博麗霊夢が、自分の湯飲みでお茶をすすりつつ、興味のなさそうな声で、
「そうね、幻想郷らしいおかしな話だわ」
ため息をつきつつ返すのだった。
「まったく、急にびしょ濡れでうちに来て何を言い出すかと思ったら……」
ぼやきつつ、多めに用意した煎餅に手を伸ばす。魔理沙も手ぬぐいで顔をふき、頭へかけて、出されたお茶をうまそうに飲みながら、
「しかし変だよな、あの道にだけ雨が降ってるなんてさ。もしかすると、新しい異変の前触れかなにかかもしれん」
「そう考えるには、ちょっと早いんじゃない」
「なんだよ、じゃあ霊夢はあれになにか心当たりでもあるのか?」
「あるわけないじゃない。でも、ひとつだけ分かることがある」
「……それは?」
「その小道に降り続く雨は、妖怪の仕業だということよ」
霊夢はきっぱりと言い切った。これに、魔理沙がいぶかしげな顔をして、
「どっからどうなってそういう結論にいきつくんだ?」
「決まってるじゃない。この幻想郷でおかしなことが起こったら、それは十中八九妖怪の仕業なの」
「はぁ、そうですか……」
「雨と関わりの深い妖怪くらい、あんたも知ってるでしょ?」
「あいにく私の専門は退治でな。妖怪のことなんてよく知らん」
「あ、そう」
呆れたように返し、湯のみのお茶をもうひとすすりした霊夢が居住まいを正して、口を開いた。
「雨を司る妖怪や、雨に関連する妖怪っていうのはいくつか確認されているけど、あんたが見たっていうのは、女の人だったのよね?」
「いかにも。なかなかの美人だったぜ」
「だったら多分、その妖怪は《雨女》でまちがいないわ」
「アメオンナだって? おい、妖怪の話かと思ったら私の悪口かよ」
「ああ……そういえばあんたも雨女だったわね、筋金入りの。って、そういう意味の雨女じゃなくて、れっきとした妖怪の名前なのよ、もともとは。いつしか雨に遭いやすい女の人もそう呼ぶようになったけれど」
「どうしてそうなっちまったんだろうな。妖怪と同義に扱われるなんてたまったもんじゃない。私だって、好きで雨に遭ってるわけじゃないんだぞ」
「それは妖怪の方も同じよ。文献によると、雨女は別に雨を司っているわけじゃないの。雨の日に見かけるから、そう呼ばれているだけっていう話。もしかすると、あんたみたいに運悪く雨に遭っているだけなのかもね」
なるほどね、と魔理沙は相槌を返し、続けざまに訊いた。
「でも、それだとそいつが人間か、妖怪か、どうやって見分けるんだよ」
「そりゃあ、かんたんよ。あからさまに変な雨に遭ってるやつが妖怪。そう、あんたが木立の中だけで見たっていう雨みたいなね」
「……それだけ?」
「それだけ。人の姿をとる妖怪っていうのは、変なところを探せばいいのよ。座敷わらしは……まぁ、難しいかもしれないけれど、一つ目小僧やのっぺらぼうは、後ろから見たらただの人間でしょ? で、正面から見ると一つ目だったり顔が無かったりで、ああ、妖怪だ、ってわかる。私くらいになるとだいたいわかっちゃうけど、普通の人間はそういう違いから見分けるしかないし、実際そうして、妖怪たちは分類されてきたわ」
目を閉じたまま茶をすすり、一息ついてから、霊夢は言葉を続けた。
「――でも、私達と妖怪の違いなんて、本当はあいまいなものなのかもしれないわね。妖怪は人の恐怖心から生まれたものだし、人間から妖怪に変じるやつもいる。時には、妖怪よりも人間のほうが怖いこともあるんだから……」
「確かに妖怪にとっちゃ、同じ妖怪よりお前の方がよっぽど怖いだろうな」
茶化すようにいうと、霊夢はふふんと得意気に鼻を鳴らした。
「当然よ。なんたって、妖怪退治の専門家だもの」
「そして異変解決の、な……」
そこで言葉を止めて、魔理沙は空を見た。夕日は山の向こうへ消えかけていて、辺りに薄闇が立ち込めてきている。雲はひとつもない。
少しぬるくなったお茶を口にし、魔理沙がぽつりと呟く。
「……あの雨女、なんであんなところに突っ立ってたんだろうな」
「さあね。女が妖怪になる理由なんてだいたい決まってるから、おおかた、愛しい誰かと待ち合わせでもしているんじゃない? 外の世界と幻想郷とで離れ離れになってしまった誰かを」
博麗神社は外の世界と幻想郷の境界にある。なので、この神社の周りでは時として、外の世界のものが唐突に現れることがあるのだ。霊夢が何の気なしに返した言葉は、もしかしたら事実を言い得ているのかもしれない……。
「待ち人、来ずか……。あいつ、いつかその待ち人と逢えるといいんだが」
「そうね。いつもならさっさと退治してやるところだけど、今からそいつ探すのめんどくさいし、しばらくは放っておこうかしら。でもまぁ、あまり目につくようなら考えるかも。参拝客がその雨女を見て、逃げ出したりされちゃかなわないし」
「杞憂だと思うぞ、それは」
いもしない参拝客の心配をする霊夢をよそに、魔理沙は夕闇の空をもう一度見上げて、ため息をついた。
「……それにしても、こっちじゃあ雨、降りそうにないな」
「なによ、やぶからぼうに」
「いや、ここでこの魔理沙さんの雨女っぷりを盛大に披露できたら、夕飯と帰り道の心配をしなくてすむだろ?」
この言葉に、霊夢は呆れて、ため息をつくばかりだった。
「まわりくどいわね、まったく。なにかやりたいことがあるならはっきり言いなさい」
たはー、と苦笑する魔理沙に、さらに霊夢が肩をすくめて言う。
「ま、いいわ。そういえば、紫がいいお酒と肴をくれたのよ。どういう風の吹き回しかしらね。一人じゃ片付けられそうになかったから、ちょうど相手がほしかったところなの。準備をしてくるから、あんたはそこの押入れにしまってる浴衣にでも着替えたら? 服が濡れっぱなしじゃ風邪ひくでしょ。服が乾くまで、うちにいていいわよ」
それじゃ、と霊夢は立ち上がり、いそいそと台所へ消えていった。
「――まったく、まわりくどいのはどっちだよ」
と、どこか嬉しそうに呟く魔理沙なのであった。
3
後日談として、博麗神社で一夜を過ごした魔理沙は、数日の後、再び博麗神社へ遊びにでかけた。その際、ふと思い立って、先日立ち寄ったと思しき小道へ再び足を踏み入れてみたが、見覚えのある獣道に雨は降っておらず、例の美しい女の姿もなかった。
道には、魔理沙以外の足跡が二つ、くっつくようにしてかすかに残っている。帽子のつばをつまんでにやりと笑った彼女は、箒へまたがり、博麗神社へ向かい飛び去っていった。
雨の降る道 了
「雨女なんだから外出時に傘持ってけばいいじゃん」なんてツッコミは無粋の極み。待ち人と相合い傘ができなくなってしまいますもの!
それだけと言ってしまえばそれまでなんですが、それが本当によく描かれていると感じます。
なんとなく、シリーズとしていろいろ読んでみたくなりますね。