Coolier - 新生・東方創想話

歩け! イヌバシリさん ~ andante ~(vol.9)

2013/08/25 10:26:48
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【四日目】

翌朝。

「おはよう。落ち着いたか?」
「うわっ」

目を開けてすぐ、目の前に天狗の面があることに驚き、体を跳ねさせた。

「二日連続で驚くなよ」
「寝起きにそのお面は無理ですって!」
「その様子なら、気分が少しは晴れたようだな」
「…」

押し黙るはたて。
昨日は文と別れ、家に戻ると、仮面の天狗に事の顛末を話し、ありったけの愚痴を吐き出した。
仮面の天狗は、それをただ黙って聞いていた。

「喚き足りなきゃ、まだまだ聞いてやるぞ?」
「いえ、止めときます。虚しくなるだけなので」
「そうか」

はたては窓から外を覗き込む。
彼女の心境とは裏腹に空は快晴だった。

「今日も暑くなりそうだな」
「仮面さんは」
「うん?」
「強いんですよね?」
「おう。すんごい強いぞ。千年後のお前くらい強い」
「?」

よくわからない返答に首をかしげつつ続ける。

「やっぱり強いと、白狼天狗のことなんてどうでも良くなっちゃうんでしょうか?」
「俺様は違う。白狼天狗には大事な友人がいたし、白狼天狗のために何度も戦った」
「そうなんですか?」
「戦って戦って、救える奴には片っ端から手を差し伸べた。徒労に終わることの方が多かったがな。それでも続けた」

着物の袖や袴を捲くると。はっきりとわかる古傷の痕や、不自然な窪みがあった。

「敵は外にも中にもうじゃうじゃいた。肉が削げようが、骨が折れようが、指が飛ぼうが、必死に戦った」
「っ」

その傷の生々しさに思わず息を呑み、言葉を失った。

「ところで行かなくていいのか? 天魔の取材。今日、再訪問するんだろ?」
「あ、そういえば」

昨日、天魔の元を訪れたが、会合に一日出ているということで会うことができなかった。

「そんな気分じゃないか?」
「いえ。行きます。私を信じて任せてくれた事なので」
「そうか」
「といっても天魔様が何も知らなかったら意味ありませんけど」
「知ってるに決まってるだろ。当時、笛捜索を仕切っていたのはあの人だ」
「そうなんですか?」
「ああ。だから話してもらえるように上手に聞け」
「どうやって」
「情報吐かせる方法なんて今も未来も一つだろ。脅せ」
「脅すって天魔様をですか?」
「そうビビるな。いいから耳を貸せ。取って置きのを伝授する」

耳打ちする。

「どうだ? 多分お前にしかできないやり方だ」
「そうですけど」










天魔の屋敷。
いつも居る女中に用向きを伝えると、天魔の部屋まで案内された。

「天魔様。はたてさんがお見えです」
「入れ」
「お邪魔します」

天魔は読書の手を止めてはたての方を向いた。

「体の方はもう良いのか?」
「すっかり」
「昨日も足を運んでくれたらしいな。生憎と昨日は会合でな」
「いえ、勝手に来たのは私ですから」
「それで、聞きたいこととは何じゃ?」
「はい。今、噂で出回っている笛のことです。それの正体が知りたくて」
「笛とな?」
「なんでも白狼天狗にとってあまり良くない笛みたいで」
「さぁ。わからんのう。大昔、そんな噂が流行ったような気はするが」

腕を組み、体を傾けた。仮面の天狗の情報があるせいか、その動作がひどくわざとらしく見えた。

「ご存知ありませんか?」
「済まんのう。力になれず」
「いえ、そんな」

「失礼しますね」

女中がお茶と菓子を持って部屋に入ってくる。
湯飲みは三人分あった。

「洗濯物が乾くまで特にやることも無くて、ご一緒してもよろしいですか?」
「儂は構わぬがはたては?」
「私も、どちらかと言えば色んな人に聞きたい事ですので」
「では失礼しますね」

女中は柔らかな物腰で二人と正三角形の位置になる所に座った。
実はこの展開、はたてにとっては願っても無い状況だった。

「女中さんにも聞いていいですか?」
「そうじゃな。お主、何か知っておるか? 最近、笛にまつわる妙な噂が出回っているという」
「そうなんですか? すみません私は特に」

頬に手を当てて困り顔を浮かべた。
こちらは演技なのか、本当に知らないのかはわからない。

「なぁ。そんな妙ちくりんな話はやめて。今後のお主の鍛錬の内容について話さんか? あれから色々と案が浮かんでな…」
「天魔様、本当にご存知ないですか?」
「すまんな」
「隠してないですか?」
「隠しておらん」
「本当に本当ですか?」
「本当に本当じゃ」
「絶対で…」
「ちぃとしつこいぞはたてよ?」

露骨にムッとする天魔だが、幼い子が拗ねているようにしか見えないため、大した威圧感はない。

「いらぬ詮索は敵を作るぞ」
「当時。笛の捜索を指揮していたのは天魔様だと聞きました。知らないはずがありません」
「…なんじゃ、もうそこまで調べておったか」

肘掛に持たれて、やれやれと首を振った。

「その情報を仕入れたのは評価するが、儂にカマを掛けたいならもっと経験を詰め。今日は出直すことじゃな」
「教えてください」
「これは天狗社会の暗部じゃ。無闇にお前の耳に入れて良い事ではない」
「あのこと、女中さんにバラしますよ?」
「ッ!?」

天魔の体が、一瞬だけ硬直する。
不思議そうな表情で女中が天魔を見る。

「『あのこと』とは何でしょうか天魔様?」
「さ、さあのぅ。は、はったりであろう。ききき、気にするで、な…」
「行灯の裏にある銀色の箱」
「あ、コラ!」

女中は立ち上がり、部屋の隅にある行灯の傍に置いてあった箱を開ける。

「……天魔様? これは一体?」

笑顔のそう言った女中の背後に、般若の面が浮かんでいるように二人には見えた。
行灯に使う油やマッチが入っていると思われた箱の中には飴やチョコレートなどの砂糖をふんだんに使った菓子が詰まっていた。

「また人間の里の駄菓子屋に行きましたね! ご自分の身分がわかっておいでですか!」
「ふん! 天魔を舐めるな! ばっちり寺子屋の生徒に溶け込んで買ってきてやったわ!」
(威張れることなのそれ?)

「それに! 砂糖ばかりを使った甘味は控えるよう御忠告したハズ!!」
「食べたらすぐに歯を磨いておるじゃろうが!」
「天魔様の歯は赤子の乳歯並の耐久力しかないのですよ? 何度虫歯になれば気が済むのですか!」
「馬鹿め! 歯などいくらでも生えてくるわ! 所詮は消耗品よ!」
「とにかく! これは没収します。一日一個、この中から私から支給いたします」
「せめてニ個にしろ、朝10時と昼3時に。慈悲を」
「一日一個です」
「鬼かぁ…鬼なのか貴様ぁ…」

女中の着物に縋り付き、上目遣いで懇願する。

「そんな目をしても駄目です」
「ぐぬぬぬ」

箱を持って女中は退室した。

「教えてくれませんか?」
「こうなっては意地でも話さんぞ」
「女中さーーん! 天魔様のタンスの上から2番目のォー!」
「わかった! 話す! 話そう!」
(すごい。仮面さんの言った通りだった)

こうして、居候から賜った策は見事にハマった。

(でもなんで。私が天魔様の代理でたまに里に買いに行ってきてることを知ってるんだろう)

「いいか、話すからもう下手な気を起こすでないぞ?」
「ありがとうございます」
「全く、いらぬ知恵ばかりつけおって。本当に母親に似てきたな」
「母さんのこと、知ってるんですか?」
「それは今度話してやる。今は笛についてじゃ」

天魔が姿勢を正したので、慌ててはたても背筋を伸ばす。

「お主は笛がどういうモノだと聞いておる?」
「えっと『全ての白狼天狗がひれ伏し、彼らを意のままに操れる』だとか」
「随分と脚色されとるのう。実際はそんな超常的な物ではない。あれは只の犬笛じゃよ」
「犬笛?」
「といっても、白狼天狗曰く『刃物同士が擦れる音』を100倍くらい鋭くした音らしいがな。一晩檻に閉じ込められてその音を聞かせ続けられた被害者は、自ら耳を潰し、頭蓋骨が露出するのも厭わず頭を掻きむしったという」

その音を聞けばどんな白狼天狗も頭を抱えてひれ伏す。
その音をもって脅せばどんな言う事も聞くという事から、笛の効果がそう謳われるようになった。

「素材が龍の骨というのも噂の尾ヒレじゃ。実際はイチイかクヌギかなんかを削って作ってある」
「一体誰がそんなものを?」
「河童じゃよ。元々は民芸用の笛なんかを作っておったのじゃが、偶然の産物か、そのような音の鳴る笛を作ってしまったらしい」

元々好奇心旺盛な河童だったらしく、次第にその笛の力と魅力に取り憑かれ、次々と被害者を生み出した。

「その笛は最後は?」
「わからん。職人を討伐後、忽然と消えてしまった。3年ほど方々を探させたが見つからず、とうとう捜索を打ち切ってしまった」
「誰かが持ち去ったのでしょうか?」
「それもわからん。まぁ今日まで被害者がでておらぬという事は、既にこの世に無いのではないか?」
「じゃあどうして今更噂なんて」
「所詮、噂は噂じゃ。そう真に受けることもあるまい」

知っていることを話し終えたのか、天魔は姿勢を崩して楽にした。

「まったく、お主のせいでとんだ散財じゃよ」

取り上げられた菓子のことを根に持っていた。

「ごめんなさい」

ここまで言って、はたては天魔に耳打ちする。

「お詫びにこれから人里で買ってきますから」
「それでチャラにしろと?」
「天魔様、いつも大通りの駄菓子屋にしか行ってないようですけど、西側にある所は行かれてますか?」
「なに? そこにもあったのか?」
「大通りの店より安くはないのですが、代わりに品揃えが良くて。レコードみたいな大きさのチョコや、可愛い動物の飴細工とか」
「誠なのかそれはぁ!?」
「はい。次回の花果子念報のスイーツ特集に載せる記事にしようとしています」
「今すぐに向かい、女中に気付かれぬように持って来い」
「はっ!!」

敬礼し、屋敷を出て里の方へ向かった。
ちなみにこれは仮面天狗の指示ではなく、はたてなりに考えたアフターケアの方法だった。

「おっと、その前に」

途中、文の家に寄って、天魔から聞いた情報を記入したメモ帳の切れ端をポストに投函した。
昨晩のことがあり、顔を合わせるのが気まずかった。














天魔からの任務が片付いたには夕刻頃だった。

「ただいま」
「おお。お帰り」
「疲れたー」

玄関で大の字に倒れこむはたて。
炎天下に中、里まで菓子を買いに行き、女中に見つからずに天魔に渡すというのは、想像以上に体力を消費した。
だがそれで天魔の機嫌が直ったので、とりあえず良しとした。

「その様子だと。上手くいったようだな」

天狗の面が寝転ぶはたてを覗き込む。

「お陰様で」
「どうだ? 少しはイライラを忘れられたか?」
「はい」

その表情に朝の時のような翳りは無かった。

「今はとりあえず笛の件を片付けて、アイツへの仕返しはその後じっくり文と考えたいと思います」
「そうか。まぁアイツを叩き潰すには、偉くなるのが一番だが、いつになるか分からんからな。とびきり陰湿なのを考えてやれ」
「仮面さんって強いだけじゃなくて偉いんですよね?」
「当然だ、俺様の名を知らない奴は上層部にいない」
「どうしてご自分のことを『俺様』っていうんですか? 女の子なのに」
「俺様も今の役職についた時はまだまだ若手だったからな。普通に女子の喋り方してたんじゃ舐められると思って使い始めたのがキッカケだな」
「上層部に入るって、やっぱり大変ですか?」

昨晩、文に言われた『悔しかったら偉くなりなさい。それで片っ端から締め出しなさい』という言葉がふと脳裏を過ぎった。
自分が偉くなったら、何かが変わるのだろうかとぼんやり思った。

「大変だったよ」
「どんな風にですか?」
「こればっかりは口じゃ説明しきれないな。こっち来い」
「あっちょっと」

玄関で寝そべるはたての首根っこを掴んでベッドまで運ぶ。

「寝ろ。眼を閉じてリラックスしろ」
「あの、私に何を?」
「面白いモノを見せてやる。大幹部に出世したどっかの誰かさんの記憶だ」

右手を自身の頭に、左手をはたての頭に当てた。

「途中で気持ち悪くなって吐くなよ?」

その言葉の後、はたての頭に、自分が体験したことのない記憶が流れ込んできた。



























哨戒部隊の詰所。

「隊長。また今日も剣の相手をしてもらえませんか?」

隊が結成されてから今日まで、椛が詰所にいる時に毎回挑んでくる隊員がいる。

「すぐ近くに木が茂って日陰になってる場所があります。そこでやりましょう」
「お前も飽きないな」
「そりゃあもう。隊長から一本取るのが今のオレの目標ですから」

二人が移動すると、その戦いを見物しようと他の隊員もぞろぞろとついていく。

「アイツまた隊長に挑むのか?」
「懲りねぇな」
「暇さえあればいつもいつも『隊長、俺に稽古つけてください』だもんな」
「あの乱暴者で有名な奴が謙虚にお辞儀なんてしちゃってなぁ」
「最初の頃、粋がってたのが嘘みたいだ」
「そりゃあ犬走隊長の前じゃなぁ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

部隊結成初日。

「お前がイヌバシリか?」
「隊長を呼び捨てにするのはどうかと思うぞ?」
「アンタの武勇伝も、大天狗様のお気に入りだというのも知っている。だが…ごっ!!」

男の腹に拳をめり込ませた。

「いいから並べ、話しはそれからだ」
「テメェ、何しやがる!」
「水月突きだが?」
「技名聞いてんじゃねぇよ!!」
「いい加減に並べ、帰る時間が遅れるぞ?」
「うるせぇ! 言う事聞いて欲しけりゃ力ずくでやってみな!!」
「なんだ、それならそうと早く言ってくれ」

言われた通り、力づくでいう事を聞かせることした。
この日、全員が思い知った。
この隊で誰が最もガサツで乱暴者なのかを。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「隊長が勝つほうに徳利一本」
「俺も隊長で」
「アタイも隊長」
「某も隊長に」
「それじゃあ賭けにならんだろ」
「じゃあアイツが10秒で負けるに徳利一本」
「じゃあ俺は30秒」
「40秒」
「20秒」

「うるせえぞテメェら!!」

自身を酷評する仲間に怒声をぶつける。

「外野は気にするな。早く来い」
「はっ! では参ります!」

両者、木刀を手ににらみ合う。

「でぇぇりゃ!!」

先に動いたのは隊員の方だった。






「はい解散」
「3秒とか誰も賭けてねぇよ」
「次からはどこを叩かれ負けるかにするか」
「そうだな」

見物していた者達がぞろぞろと詰所の中に戻っていく。
椛に瞬殺された隊員は担架で運ばれていった。

「お疲れ様です隊長」
「ああ。助かる」

女性の隊員が椛に手拭を手渡す。

「今日は、いつにも増して容赦が無かったですね?」
「そう見えたか?」
「そりゃもう。ひょっとして、何か嫌なことでもありましたか?」
「…」

昨晩の居酒屋での出来事が、椛の脳裏を掠める。

「嫌なことがあったらパーッと飲むのが一番ですよ? どうですこの後? 行き着けの店があるんですよ」
「すまない。大天狗様から呼び出しを受けていて、もう少ししたら行かなければならないんだ」
「むー。そうなんですか。残念です」

その旨を他の隊員にも伝えるように頼み、椛は大天狗の屋敷に向かった。














先日の約束通り大天狗は椛を、例の屋台に連れてきていた。

「改めて、隊長半年お疲れ様」
「どうも」

お猪口を軽くぶつけてから、中の酒を二人はあおる。

「やっぱりここのお酒は違いますね」
「でしょ? 今日も私が全部出すから、好きな奴頼んじゃって」
「じゃあ遠慮なく」

出された料理を一通り平らげて、程よく満腹になった二人。

「貴女の依頼で文さんが笛について色々と調べてましたけど」
「やっぱり文ちゃんに誘われたんだ」
「河童の村長、あの人、かなり怪しいですね」
「なんで?」
「当時のことを、かなり鮮明に語っていました。恐らく、なんらかの形で関わってますよ」
「噂を流したのも村長かな?」
「明日、もうちょっと探ってみます」
「お願い」

そして話題は部隊の事に移った。

「どう? 隊のみんなと上手く行ってる?」
「言うことは聞いてくれますが、慕われているかどうか。後輩ってのは何人も面倒みてきましたけど、部下ってなるとどう接していいか正直わかりません」
「部下なんてねぇ、会話の最後に『お前は我が隊の主力だ。期待しているぞ』って感じのことを付け加えておけば、勝手についてくるもんよ」
「そんなもんですかね?」
「今の隊になにか不満は?」
「皆、良くやってくれています。これ以上何かを望んだらバチが当たります。むしろ私の方に問題があるような気が」
「どんなこと?」
「こんな性分のせいか、中々打ち解けられないみたいで。飲みに誘われても、どうも」
「以前は顔を合わせるのも煩わしいってスタンスだったんだから、大躍進だと思うけど」

「あの、大天狗様」
「どうしたの大将?」

話しに割り込み、一升瓶を掲げる大将。

「ちょうど今日、私でも滅多に手に入らない一級品の酒が入ったんですけど、どうします?」
「マジで! 開けちゃって大将。出世払いで」
「出世って、これ以上どうやって偉くなる気ですか?」
「まぁまぁ。野暮なツッコミは置いといて。モミちゃんも飲んで飲んで」
「そりゃあ頂きますけど」

この時、大天狗は完全に失念していた。椛が酔っ払うとタチが悪くなることに。


数分後。


「んだあぁぁぁあんのクソ餓鬼よぉ!」
「ひぃぃぃぃ!」

進撃の椛、戦慄の大天狗。

「椛って漢字使い始めて数年後、教本で埖って単語見つけて『あれ?』って思ったよ! 絶対にいつかネタにされるって思ったよ! 昨日とうとうされちまったよ!!」
「さ、左様ですか?」
「そういうテメーはどうなんだよ!? お坊ちゃんだの若旦那だの、二代目だの、いつ名前で呼ばれてるんだよって話だよ! ひょっとして本名無くても支障ねえんじゃねぇのか!?」
「忘れてた。モミちゃん滅多に酔っ払わない分、酔っ払うと滅茶苦茶タチが悪くなるんだった」
「大天狗様もそう思いますよね!」
「はい、はい」


それから数十分後。

「はーー。ようやく嵐が去った」

突っ伏して眠る椛を見て安堵する大天狗。
一人静かに瓶を傾ける。

「しっかし相変わらず出会いが無いわ大将」
「まだ良い男には出会えませんか?」
「結婚したらこんな役職ソッコーで他の奴に譲るのにねぇ」

ふと、傍らで眠る椛を見る。

「モミちゃんはさ、隊長をあと何年か経験したら、新入りに基礎を教える教官になったら良いと思うの。モミちゃんの持ってる生存スキルを教えてあげたらきっと優秀な子が増えるわよ」
「…」
「もうさ、ガタガタでしょうその体? 幼い頃に入隊して、ずっと最前線や裏方で戦ってきた老兵なんだから、所々イカれてる部分とかあるんじゃないの?」
「…」
「その目だって。いつ使い物にならなくなるかわからないし。さっさと一線から退いて、教官にでもなったほうが良いわよ。そんでそれなりにイイ男引っ掛けて、寿退社でもしちゃいなさい。そんで子供作って、孫に囲まれて」
「嫌ですよ絶対に」
「モミちゃん?」
「そんな辛気臭い話されたら、酔いだって冷めちゃいますよ」

椛は体を起すと、ゆっくりと首を回した。

「私なんかが、畳みの上で死んでいいわけないでしょう。私が何してきたか、貴女が一番良く知ってるじゃないですか?」
「モミちゃんは命令に従っただけじゃない」
「それでも殺したのはこの手なんです。間違いなくこの手が、あの数々の非道を働いたんです」

これまで数え切れないほどのマメを潰してきた手をジッと見つめた。

「私は生涯現役です。貴女もですよ大天狗様。貴女も私も、死ぬまで生涯現役です。途中で降りるなんて許しません。それが死んでいった仲間や、手に掛けた者に対するケジメです」
「……そっかー」

大天狗は、グラスに残っていた酒を、勢いに任せて一気に飲み干した。
今晩はとことん飲もうと思った。




























深夜。はたて宅。

「うぷっ」
「だから言ったのに、吐くなって」

トイレで悶絶するはたての背中に仮面の天狗は言う。

「やっと楽になりました」
「そりゃ良かった」

口元を拭いたはたてが戻ってきた。

「あれって、仮面さんの過去ですか?」
「そうだよ。中々最悪だったろ?」

はたてが見せられた光景は酷く陰惨なものだった。

「外で生きていけなくなった連中がこの幻想郷には流れ込んでくる。次から次へと際限なく。しかし幻想郷は狭い、領土が欲しくてしょうが無い新参共がこの山に目を付けるのは時間の問題だった。
 勢力が増えすぎた、ルールを守らない奴が増えすぎた。開戦のきっかけは小さな火の粉で十分だった。あとは生存本能に従い競争するだけでよかった。
 その時に若造だった俺様は知ったよ。この幻想郷はものすごく燃え易いんだって。くしゃくしゃに丸めた新聞紙みたいに。ちょっとした火種ですぐに炎上してしちまう新聞紙なんだって」

それが『幻想郷の内戦』の始まりだった。

「女だろうが子供だろうが老人だろうが、五体満足の奴は全員戦うように命じられた。当時、新聞記者だった私も兵隊に鞍替えさせられた。
 偉い奴も下っ端もどんどん死んでいった。気付けば師匠や先輩と仰いでいた連中はいなくなってた。友達も、ちょっと目を離すと死んでいた」

何年も何年も戦争は続いた。

「幻想郷の人口が半分に減って、どいつもこいつも立ち上がるのが億劫になるくらい疲弊した頃に、ようやくそれは終わった。仲の良かった連中はもう皆死んでた。
 上にいた連中が大勢死んで、これまでの功績が認められた俺様は、その後釜に納まった。皮肉なもんだよ。偉くなろうと躍起になってた頃は何も進展がなかったクセに、戦争になった途端あれよあれよと出世しちまったんだから」

仮面の隙間から、自身を中傷するような笑い声が漏れた。

「仲間を守るために偉くなりたかったのに、それが叶った時、俺様の周りには守る価値の無い連中で溢れかえっていた。どいつもこいつも、俺様の後釜を狙う自分勝手な連中ばっかりさ。休む暇なんか、ありゃしない」

語る仮面の少女は、気付けば膝を抱えていた。

(今の話って、妖怪の山を鬼が去ってから今日に至るまでの話だよね?)

彼女の話しから、そう推測して聞いていた。


「なぁはたてよ。お前、今、楽しいか?」
「楽しいです。嫌なこともたまにありますけど」

胸を張ってそう言えた。

「その時間が、永久に続くと思うか?」
「それは…」
「ああ、別に『今を大事にして、その幸せを噛み締めよう』なんてクソの役にも立たない綺麗ごとを言うつもりは無い。ただな、覚悟しておけよって思って」
「覚悟?」
「そう遠くない未来。俺様が経験したような悲惨な内戦が再び起こる。楽しかった時間はそこで終わる。決定事項だ」
「そうなん、ですか?」

不安げな表情のはたて。
ここまで話して仮面の天狗はハッとした。

「あ、いや。えっと、その。そうなるかもなーって話だ。いつそうなっても良い様に、今を大事にして、その幸せを噛み締めように」
「あれ?」

何かを恐れるように、慌てて取り繕った。







【五日目】

翌朝。
仮面の天狗がおきてリビングに向かうと、すでにはたては起きていた。

「おはよう」
「あ、おはようございます。ごはん机の上にありますから」
「ああ。悪いね」

先に朝食を済ませたはたては、着替え。カメラの充電が満タンになっていることを確認してから取材道具一式を鞄に詰め込みはじめた。

「今日も、笛の取材かい?」
「はい。今日こそ噂の出所を」
「…」

仮面の天狗はバツが悪そうに頭を掻いた。

「なぁはたて。昨日のことなんだが」
「何か?」
「これから先、厄災が起こるようなこと言ったろ?」
「そうですね」
「あれはまぁ、なんというか冗談だ。お前を怖がらせようと思って言ったことだ。だから気にするな」
「はぁ。わかりました」

はたて自身、あの言葉をさして気にしていなかったようで、その反応は薄い。

「それじゃあ気をつけて」
「はい、行ってきます」

はたてを見送り、朝食にしようと踵を返したとき、カレンダーが偶然目についた。

「あれ? そういえば今日って……ああ゛!!」

急ぎ、玄関を開けてはたての姿を探す。
幸いなことに彼女はまだ家のすぐ近くにいた。

「おいはたて! お前、今日はどこを回る!?」
「人間の里にも笛の噂が行ってないか調べに」
「逆だ馬鹿! 今から河童の村長の家に行け!!」

はたてが向かおうとしているのとは反対方向を指差した。

「あの、それって一体」
「笛の秘密が知りたいんだろ! 時間が無ぇぞ。早く行かないとスクープを逃すぞや!」
(ぞや?)

とりあえず言われた通りにすることにした。





言われた通り、河童の村長の家の前までやってきたはたて。
まだ早朝なせいか、あたりに人通りは無い。

(とりあえずノックしてみようかな?)

門を叩こうと手を挙げた時だった。
なにやら門の向こう側から複数の足音が聞こえて、反射的に曲がり角まで跳んで身を隠した。

「くれぐれも妙な真似はするなよ」
「心得ております」

(アイツはっ!)

村長と一緒に出てきたのは、先日、椛を居酒屋で侮辱した天狗だった。
その男の後に、取り巻きと思わしき男の鴉天狗二人が付き添う。

(どういうこと!? なんか見た感じ村長が無理矢理連れかれてるように見えるけど!?)

事態を飲み込めていないはたては、あたふたと両手を振る。

(お、大声出せばいいのかな!? 『河童攫い!!』って叫んだら誰かが出てきてくれるよね? よし叫ぼう!!)

短絡的に導き出した結論を実行しようと息を大きく吸った時、背後からその口を塞がれた。

「むぐっ!!」

音も無く背後から襲い掛かってきた者に抵抗しようと、必死に体を揺する。

「落ち着いてください。私です」
「ん゛ん゛?」

ゆっくりと顔を向けると、椛の顔がすぐ近くにあった。若干酒臭いような気がした。

「まさか貴女がいるとは。どこで情報、を?」
「……」
「あ、すみません」
「ぷはぁ! ぜぇぜぇ!」

息を吐こうとしていた状態で塞がれていたはたては、ようやく開放された。
村長達の姿はもう通りから消えていた。

「はぁはぁ。一体何がどうなってるの?」
「知らないでココに来たのですか?」
「ぐ、偶然通りかかっただけで」

正体不明の天狗からココに向かえと言われたなど、口が裂けても言えなかった。
一方の椛は大天狗と飲み明かした帰りだった。最も、酒をずっと飲んでいたのは大天狗だけで、椛は水を片手に愚痴を聞いていただけだったが。

「どうやら噂の出所は特定できたみたいです。ここから先は大天狗様の方で預かると文さん伝えてください」

そう告げると、大天狗がある屋敷の方向に向かい駆けて行った。
その場にポツリと残される。
どう動くのが最適かを考える。

(とりあえず文にまず伝えないと)

はたては文の家を目指した。










文の家に着くと、せわしなくドアをノックする。

「大変だよ文! ちょっと文!?」
「あーもう五月蝿いですよ。どうしたんですかこんな早くに?」
「さっき村長さんの家にいったら、村長さんが居酒屋のやつに連れてかれて、私が椛に口ふさがれて、私達はお役御免で、椛が大天狗様の所に行っちゃって」

持ち前の口下手を発揮してしまい、しどろもどろになりながら、先ほどの状況を説明しようとする。

(あー駄目だ。全然説明になってない)
「なるほど。河童の村長があの七光り君に拉致されて、それを貴女と椛さんが目撃。あとは大天狗様の方で処理するから私達はもう関わるな、と?」
(伝わったぁ!!)

家の中に通され、適当な所に座る。

「昨日貴女がくれた情報のお陰で、だいぶ事態が鮮明になってきました」

文はスクラップ帳を机の上に置く。
昨日は丸一日かけて、過去の笛にまつわる資料を探り、まとめていた。

「これ一日で作ったの?」
「本気をだせば、ざっとこんなもんです」

笛の件であの一派が関わっているのは決定的だったため、笛の件で彼らを告発すれば、先日椛が受けた屈辱が僅かでも返せると思い、それを原動力として徹底的に調べ上げた。
資料欲しさに関係者以外立入禁止の場所にも侵入していた。

「それで、今は何が起こってるの?」
「はたてには言っていませんでしたが、笛を執拗に探し回る天狗が上層部に一人いるんです。七光り君のパパさんです」
「そうだったの? ん? それと村長さんの拉致に何の関係が?」
「これは仮説ですが。村長が笛を作った職人の弟子じゃなかったのでしょうか?」
「じゃあ。捜索隊から笛を奪ったのは村長?」
「村長は心根の優しい方です。笛が天狗の上層部に渡り、悪用されるのを恐れ、彼らの隙を見て持ち去った。しかし、尊敬する師匠の遺作ということもあり壊せずに今まで隠し持っていた」

それをあの天狗に嗅ぎつけられて連れて行かれた。というのが文の推測である。

「噂は、奴らが師匠の弟子を炙り出すために流したってこと?」
「確証はありませんが」
「これからどうしよう。大天狗様のほうで全部やるなら静観してた方がいいのかな?」
「…」

文は考え込む。

(多分、大天狗様が踏み込む頃には、奴等が笛を手に入れてるでしょうね)

大勢で動こうとするとどうしても時間がかかる。彼らの方が早いと思った

(だがどの道、守矢神社の手に渡った時点で笛は破壊される。山には大して害はない)

それならわざわざ首を突っ込むべきではない、という方向に思考が傾く。が。

(でも、それじゃあ。あまりにも不愉快)

守矢は更なる信仰を得て、老害幹部はその地位をさらに磐石にさせる。
そして何より。

(椛さんを侮辱した落とし前は、キッチリつけてもらわないと)

文は出立の準備を始める。

「村長の救出に行きますよはたて。ここで動かなければ新聞記者の名が廃ります」
「ええっ!?」
「そもそも、大天狗様のような組織だって動くところは、すぐに動けませんからね。動けても昼過ぎですよ。その間に何もかも終わっています」
「でも幹部の家だよ? 兵隊とか一杯いるんじゃ?」
「天魔様のお屋敷には何人詰めていますか?」
「ああ、そういえば」

天魔の屋敷には、門番と周囲を警戒する数人の警備。内部は女中をはじめとした僅かな使用人だけだったのを思い出す。

「別に悪代官の屋敷に踏み込むわけでも、破壊兵器を作ってる要塞に侵入するわけでもないんですよ。いてもせいぜい門番と使用人数名、警備5,6人の所帯です」
(それでも多い気がする)
「上手く立ち回れば、村長一人くらいワケなく外に連れ出せますよ」
「立ち回るってどうやって?」
「ちょっと先日、便利なものを手に入れまして」

文は引き出しを開け、神奈子からもらった札を取り出した。









集落を見下せる高い場所に幹部の屋敷はポツンと建っていた。
物怖じすることなく、文は門前に立つ二人に声をかける。

「どうも。いつもご贔屓にしていただいてる文々。新聞の記者、射命丸文です」
「なんだ貴様等は?」
「用向きを言え」

二人の門番はそれぞれ持っていたサスマタを、文の行く手を塞ぐように交差させた。

「八坂神奈子様の使いです。直々にお耳に入れたいことが」

文は先日神奈子から借りた御札を見せた。

「…」

門番は互いに視線を送り、やがて道を開けた。

「通れ。このまま真っ直ぐ進み、玄関にいる者にその札を見せ、用件を伝えろ」
「ありがとうございます」

会釈をして悠々と門を潜る。屋敷の玄関は50mほど先だった。

「どうしたのその札? っていうか何?」
「ちょっとしたツテで、それよりも中に入ってからですが…」

「なんだ貴様は!」

二人が通ってすぐ、門番が声を荒げた。
振り返ると、瓶底メガネをかけ、頭にほっかむり、年季の入った厚手の半被を着て大工道具を手にした者が門を訪れていた。

「なぁにぃってぇ、雨漏りの点検修繕に来゛だだけですけんどもぉ?」
「そんな話は聞いておらんぞ」
「きんのう、こち゛らの若旦那様がぁ、物置の壁が濡れとると言ぅてまして、すぐに大工を呼ぶようにとぉ。お代もいだだいでおりまずしぃ」
「わかったわかった。確認してくる」

一人の門番が踵を返して、屋敷の中へと歩いていった。


(ねぇ文。あれってさ)
(ええ、多分)


門前には、大工を名乗る垢抜けない少女と門番一人が残される。

「いんやぁ。ごんな゛朝っぱらがら、門番ごぐろうさんどす」
「黙れ。お前の話し方はイライラしてしょうが無い」
「じゃあこういう話し方の方がいいか」

突然、口調を変えた大工は門番の髪を掴むと、自分の方へ引き寄せて後頭部を肘で叩いた。
掴んでいた髪を離すと、門番は力なく地面に横たわった。

少し待っていると、確認に行っていた門番が戻ってきた。

「確認しようにも坊ちゃんは今急用で手が離せん。また明日にでも出直して参れ」
「あい、そうじます」
「オイ。ところであいつは何処に行っ…」

同じ方法で気絶させられた。

「ふぅ」

人目につきづらい場所に門番二人を隠し、彼女は門を潜る。

「なに笑ってるんですか?」

玄関の脇で、大工を名乗る少女を文とはたてが出迎えた。

「だってその格好。くく」
「ベンゾーさんかと思った」
「これが一番、相手が油断するですよ」

椛は瓶底眼鏡とほっかむりを取り、脱いだ半被に包んで小脇に抱え、大工道具の箱に入れておいた小刀数本を袖の中に仕舞った。

「椛さんだけですか? 大天狗様が隊を率いてくるとばかり」
「大天狗様は昨晩の深酒が祟って半死状態で、報告すらできませんでした」

今日はもう起き上がれないらしい。
せめて従者に報告をと思ったが、大天狗の介抱の際に酔って放たれた鉄拳をまともに受けてしまい、彼もまた半死状態だった。
止む終えず、書置きだけを残し、一人で村長の救出に向かった。

「それで良いの?」
「組織なんてそんなもんですよ。それよりも、なんで来たんですか?」
「愚問ですね。私達新聞記者ですよ?」
「それにお礼参りもしたいし」
「死んでも自己責任ですからね」

過去のように、危険だから帰れと言うつもりは無かった。
二人は頼れる存在だと、これまでの付き合いで嫌というほど思い知らされてきた。

「望むところです」
「ありがと椛」

話がまとまったところで、玄関の戸を文があけた。

「いらっしゃいませ」

玄関には帳簿を記入する年配の男の天狗がいた。

「おや? いらしたのは二人だと聞いておりましたが?」
「用が済んだらすぐ帰る」

応対した男に向け、椛は抱えていた半被を放り投げた。
投げられた半被を本能的に受け取る。
それを持って両手が塞がった男の顎を、遠慮なく椛は殴った。

「うわぁ。良い音した」
「河童を拉致した時点で、この屋敷にいる全員が逆賊です。手加減無用です」

玄関に飾られていた屏風の裏に気絶した男を屏風に隠して廊下を進む。





「ぐぁ!」

椛の道選びは的確で。

「ぎゃあ!!」

持ち前の知識と経験、

「おぐっ!!」

音と臭いで安全な道を割り出し。

「ひぃ!!」

確実に屋敷の戦力を削いでいった。

「あぐっ!」
「これで良しっと。はい。どんどん行きましょう」

椛が通った後には、首がありえない方向に曲がった天狗達が残った。

「大丈夫なのあれ?」
「心配ないですよ。頚椎を外してあるだけですから、二日も安静にしてれば元通りです」
「だってさ。知ってた文?」
「知るわけないでしょう」
「なんならやり方を教えましょうか? 幸い、練習台はまだあるようですし」
「いや。いい」

さらに奥へと進んで行く。

「お二人とも、どうしてそうも恐る恐る歩いているのですか?」
「椛が堂々とし過ぎてるような気が」
「こんなスッカスカな警備の屋敷なんて、山賊の根城に侵入して頭領を暗殺する任務に比べれば、見学気分でも良いくらいです」
「さらっとすごい過去暴露しないでください」
「だからこんなにも舐めプレイなんだ」

そしてある一室で椛は立ち止まった。

「恐らくここかと」
「何この部屋?」
「座敷牢ってやつですね」

壁の外観から、文はそう看破する。

「鍵が掛かってますし。確定ですね」

入り口に掛かっている装飾の凝った錠を椛は掴む。

「哨戒で使う剣があれば叩き壊せたんですけどね」

素手や袖に仕込んだ刃物で壊せるような代物ではなかった。

「このタイプなら開けられそう」
「?」

はたてはヘヤピンを咥えて鍵穴を覗き込む。
数秒眺めてグッと拳を握った。

「いける。ピッキング通信講座の中級編でこれに似たのをあけたことある」
「そういえばそんな特技ありましたね」

鍵穴と格闘すること30秒。ゴトリと錠が床におちて、木板に小さな窪みを作った。
戸を開けると、部屋の真ん中に村長が目を閉じて正座していた。
文だけが入り声をかける。

「村長さん?」
「は、はひぃ!?」

声に反応して目を開ける。

「まあ。貴女もこちらの陣営だったのですか? 通りで色々と聞いてきたのですね」
「違います。我々はここの連中と敵対しています。貴女を救出すべく忍び込んだのです」
「そうだったのですか」
「笛はもう彼らの手に?」
「いえ。笛はある場所に隠してあります。これから彼らをそこに案内することになっています」

その返事に文は安堵する。

「それは僥倖。では早く脱出を」
「しかし…」
「大丈夫。私達これでも結構強いですから」

村長を連れ出して二人と合流すると、椛が今後の方針についての相談を持ちかける。

「脱出の仕方ですけどどうします? このまま全員固まって脱出するか、私が騒ぎを起こすのでその隙にそっちが安全に脱出するか」
「全員でお願いします」
「全員で」
「しかし、忍び込んでそれなりに時間が経ちました。誰かが異変に気付くころでしょうし…おや?」

視線を感じ、そちらの方を椛は向いた。

「貴様等、そこで何をしているッ!!」

この屋敷の家主の倅が肩を震わせて彼女らを見ていた。
先日、居酒屋で散々椛を侮辱した張本人である。

「二人は村長を連れて行ってください」
「アイツを一人で相手にする気!?」
「奴は性格は最悪ですが、山じゃそれなりの実力者ですよ。高度な術も扱えます」
「そういうのを潰す事を、私は最も得意としてます。というか潰させてください今この場で」

椛は目の前の仇敵に一秒でも早く飛びかかりたくてうずうずしていた。

「存分にやっちゃってください」
「後でどうやって倒したか教えてね」

村長と共に文とはたてはその場から離れる。
そんな彼女らの背中を守るように、一歩踏み出して彼に立ち塞がる。

「我々をこそこそと嗅ぎ回っている連中がいると思ったが、よもや貴様等とはな」
「仲間を呼んだ方がいいんじゃないのかお坊ちゃん? 足が震えてるぞ?」
「ふん。貴様など一振りで終わらせて、すぐに奴等を追おう。あの二人にはきつめの灸を据えてやらねばな」
「あっそう」

椛は袖を真下に向ける、そこから仕込んでおいた刃物がポロポロと落ちてくる。

「なんの真似だ?」
「お前を倒すのに邪魔だからな」
「ほざけ!」

男が腕を振るうと同時に椛は横に跳び、座敷牢の中に逃げ込んだ。
たった今、椛のいた床に刀で斬ったような切り傷がついていた。

「さっそく逃げか? 拍子抜けだな」

意気揚々と男も牢の中に入ってくる。

「何処だ?」

首を180℃回すが椛の姿は見当たらない。
この時、椛は入り口の真上、男の頭上の壁に張り付いていた。
重力に従い落下した椛は、男の頭を掴むと、そのまま畳みに顔面を叩き付けた。

「ぶっ!」
「拍子抜けだな」

頭を二度、壁に打ち据えてから、その体を担ぎ、すぐ横にあった押入れの襖に向かって背負い投げた。
襖が倒れると、空っぽの押入れが顕わになる。

「丁度良い」
「ごっ!!」

腹を蹴飛ばして、何も入っていない押入れの下段に男の体を押し込む。

「お前は、こんな狭い場所で誰かと殺し合いをしたことはあるか?」

男は首はおろか、腕さえ満足に動かせない空間に四苦八苦している。
それを見て椛は嗤う。

「私はあるぞ。何十、何百回と」
「寄るなぁ!」

潜り込もうと近づいた椛に、咄嗟に蹴りを繰り出す。しかし椛はそれを軽く受け止めると、掴み直して、関節を極めた。
低い押入れの壁に足を押し付けると、関節は簡単に逆方向に曲がった。

「アア゛ッ!! 貴様ッ! やめっ! 無礼なるぞ!」
「今の内に私が喜ぶ言葉を考えておいた方がいいぞ?」

狭い空間の中で、椛は男の腰に跨る。
乗られたことで腹筋から下は固定され、腕と頭はすぐ背後の壁と低い天井のせいで満足に動かせない。

「男は極限まで痛めつけられると。母親の名を叫ぶというが本当だと思うか? 答えを教えてくれ」

嬉々として腕を振りかぶり、拳を落とした。

「ごっ! がぁ! ぎっ! ぶふぅ! ま゛ァ!」


後に、椛と大天狗の間でこのようなやり取りがある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ここに、とある天狗の診断書があるんだけど読むわね」
「はい」
「両足靭帯断裂、両足首脱臼、右腿螺旋骨折、右上腕圧迫骨折、左鎖骨単純骨折、両手上腕二等筋裂傷、中指剥離骨折、肝臓破裂、右肺破裂、右側アバラ3本、
 腹筋断裂、腎不全、頚椎捻挫、頭部打撲、眼底陥没、顎関節症、歯上下合計19本喪失、右睾丸破裂、………私が何言いたいかわかる?」
「足りませんでしたか?」
「うん。優しすぎ。玉一個残してあげるとかモミちゃんマジ天使」
「流石にアレ以上やると私の手が痛くなりますし」
「精神科医の方の診断書もあるけど読もうか? こっちも中々よ?」
「特に興味ありません」
「そう。まあ最後に上に乗った相手がモミちゃんなんだから、もう思い残すことは無いでしょうね」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「お゛があちゃあああああぁああぁぁあん!!」






「なんか背後から面白い悲鳴が」
「ここぞとばかりに鬱憤を晴らしてますね」
「『お゛があちゃあああああぁああぁぁあん!!』だって」
「大の男が情けない」
「着メロにしよ」

庭を目指して文、はたて、村長は廊下を走る。

「しかし妙です」
「何が?」
「誰も追っても、飛び出しても来ません」
「そういえば、こんなに音立ててるのにね。まさか全員やっつけちゃった?」
「それにしたって数が少なすぎます。最低でももう3,4人はいても不思議ではないのですが」

そうこう言う内に庭が一望できる縁側まで辿り着く。

「村長さん、しっかり捕まっててください。全力で飛びますからね。はたても準備……はたて?」

振り返ると、はたての姿はそこに無かった。

「あれ? 今の今まで居たハズなんですが?」
「射命丸さんあそこ」
「どうかされましたか?」

村長が指差す先に一本の大きな広葉樹があった。

「なっ!?」

その広葉樹にここの警備と思わしき鴉天狗達が、縄でまとめて縛られ、吊るされていた。

(大天狗様の援軍でしょうか? それとも別勢力の回し者?)

ここに来て村長を狙う第三勢力の出現という可能性も拭いされない今、文は何を優先すべきかを考える。

「早く脱出しましょう村長さん」
「しかし姫海棠さんが」
「あの子なら大丈夫です。ああ見えて、本気を出したら強い子ですから」

村長の確保を最優先として彼女の体を抱きかかえる。

(うっわ、なんですかこの身体? 滅茶苦茶柔らかくて、滅茶苦茶良い匂いがする! マシュマロ? これマシュマロ!?)

着痩せする村長の身体の感触に役得を感じながら屋敷を飛び出した。









縁側手前の一室。

「ぐえっ!」

背中から畳に叩きつけられる衝撃で肺に溜まっていた空気を吐き出すはたて。

(何が起こったんだっけ?)

直後、二の腕にじんわりとした痛みが走る。

(あ、そうだ。腕、掴まれたんだ。それから畳に背中を)

文と村長の後ろを走っている最中、真横にあった部屋の襖の隙間から、太い腕が突然飛び出して自分を掴み、部屋の中に引っ張りこんだのだ。

「村長を捕らえようとしたのだがな。ワシの勘も鈍ったな」
(あーこの人見たことあるわー、偉い人が出席する会合の場にいっつもいる人だわー、ていうかここのボスだわー)

絶望的な状況に若干現実逃避ぎみのはたて。
こうでもしてないと、心が呑まれ、恐怖で足がすくんでしまうような気がした。

目の前にいる年配の男こそが、骨董品集めで有名な幹部本人であった。
白髪の長髪に蓄えられた口髭、高級そうな羽織りの上からでもわかる盛り上がった筋肉は歴戦の戦士を嫌でも窺わせる。

「外に逃げた河童ともう一匹は手下に任せるとして、童(わっぱ)には誰の指示でここに来たのか洗いざらい吐いてもらおうか?」
(うわー、完璧に詰んだわこれ)
「少々勿体無いが、その脚の筋、削がせてもらうぞ」

腰に掛けていた刀の柄を握る。通常の刀を二枚重ねたような分厚い刀身の根元が顕わになる。
が、それは次の瞬間には鞘の中に戻されていた。

「ぬぅ…」

刀の柄を掴んだ右手首を、はたては蹴飛ばし、無理矢理に納刀させた。
寝転んでいた体勢からこの動作に移るまで一秒にも満たなかった。
手首の最も脆い部分を蹴ったせいか、手首がみるみる腫れていく。

「…」

鬱血したその手を、はたては冷ややかな目で見ていた。
危機的状況になると実力以上の力を発揮するはたての特性が、この時も発動していた。

「恐れず間合いに入ったのは褒めてやろう」

しかし、それだけでは埋まらない力の差が存在する。
次の瞬間、はたての身体は枕のように軽々と宙を舞い、壁にぶつかった。
男は、腫れあがったその手で、はたての顔を殴りつけていた。
畳の上に倒れ微動だにしないはたてにゆっくりと近づいてくる。

「思い出したわ。童、天魔のお気に入りだな? なるほど、あの老童が傍に置きたくなるのも得心いった。良き素質を持っておる」

気を失うはたての顎に手を添えてこちらを向かせる。

「器量も良し。気に入った。貴様に倅の子種をくれてやろう。我が息子とお前の才が混ざれば、神童が生まれるであろう」

―― 汚ぇ手で俺様に触れるんじゃねぇよ

そっと老兵のわき腹に手が触れる。
たったそれだけの挙動で2m近くの巨体が両足を擦った状態で押し戻された。

「俺様があの穀潰しの嫁だって? 面白いジョークだな。どこが笑いどころかいまいちピンと来ないが」
「何奴だ」
「未来の天魔様だ。覚えとけ」

気絶するはたての前に立ち、仮面の天狗は中指を立てた。







「ここまでくれば大丈夫でしょう」

木々が生い茂り、視界が悪い木陰の中に文達は逃げ込んだ。

「後は村長さんがあいつらの悪巧みを大天狗様に証言すれば、奴らはめでたくお家御取り潰しです」
「その前にどうしてもお願いしたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「笛の破壊に協力していただけないでしょうか?」

村長は文に、笛の在り処を伝えた。













「あっははははははは!! 楽んのしいいぃぃぃぃ!!」

足を掴まれ、まるでボールのように軽々と投げ捨てられた老兵は、壁をぶち破り隣の部屋に転がった。

「テメェだけはこの手で生命活動を停止させたいって思ってたんだよ! 周りに散々迷惑かけたあげく老衰なんぞでポックリ逝きやがって!」
「だ、だれぞおらぬの、か?」

圧倒的暴力によって、何度も何度も壁に叩きつけられた老兵は既に虫の息だった。

「何度言わせるんだよお爺ちゃん? ここの連中の大半は俺様が凹って吊るしたって言ってるだろうが。で、残りは椛達がやったからこの屋敷で動けるのはもうお前だけなんだよ」

その背中をグリグリと踏みつける。

「あ、が…」
「はー、しかしまぁ」

おもむろに、足元に転がっている壷を手に取る。
もともとはどこかに大事に飾られていたのが衝撃で転がってきたのだろう、一目で値打ちのある品だとわかる。

「お前が大昔から今まで、夢中になって買い漁ってる骨董品の金は、白狼天狗たちから不当に搾取して得たものなんだろう? この下らん道楽のせいで、どれだけの白狼天狗が不幸になったか知ってるか?」

無造作に放られた壷は、老人の頭に当たり粉々に砕け散った。

「お゛ぁ!!」
「てめぇらも不幸にならなきゃ、不公平だろ?」

今ので老兵は完全に気絶していた。

「おいおいおい! 何もう寝てんだよ! 興ざめもいいところじゃねぇか! 体が暖まってきたんだ、お楽しみはこれからだろうが!」
「…」

つま先で脇腹を突くが、しばらく起きそうにはなかった。

「しょうがねぇ、後は上手に偽装工作しないとな。私がやったってバレたら一大事だからな」

彼をはたてが気絶している部屋まで運び、亀裂が入っている壁の近くに置いて、その足元の位置に一升瓶を転がした。

「これで『一升瓶を踏んずけて転んで後頭部を壁にぶつけて気絶した』ってことで処理されるだろ」

指で作ったフレームにその景色を納めて、ひとり納得した後、彼女は姿を消した。









仮面の天狗が去ってからすぐ。

「て……さ、ん。はたてさん?」
「んん」

椛に肩を揺すられて目を覚ます。

「大丈夫ですか。頬、擦りむいているようですけど」
「うん。大丈夫。ちょっと頭がグワングワンいってるけど。あ、そだ!」
「どうしました?」
「私、幹部のお爺ちゃんに捕まってそれで…」
「あいつのことですか?」

倒れて伸びている老人を指差す。

「これは『一升瓶を踏んずけて転んで後頭部を壁にぶつけて気絶した』っていうことでしょうか?」
「多分そうなんじゃないかな?」

周囲を警戒しつつ、二人はその場を離れる。

「ねぇ椛」
「はい」
「胴着がすっごい血なんだけど大丈夫なの?」
「平気です。全部、他人の血ですから」











笛が隠されている場所に続く地下通路を、文と村長は進んでいた。

「射命丸さんの推測した通り、笛を作った職人は私の師匠です」
「やはりそうでしたか。お悔やみ申し上げます」
「師匠が天狗様に討たれたことについては、これっぽちも恨んでおりません。当然の報いだと思っています」

通路を進む先頭は文。道が安全かを確認し、危険ならその箇所を排除して、村長を安全に誘導する。

「しかし、私は師匠を尊敬しておりました。これ以上、師匠の作ったもので誰かが不幸になるのが許せませんでした」
「それで盗んだのですか?」
「はい、そしてここに隠したんです」
「壊さなかったのはやはり」
「師匠の遺作だと思うと。どうしても壊せなくて」
「それでここに封印いしたというわけですね」
「ですが今回の件で決心がつきました。あっても不幸になるだけのものは例え優れた発明であっても存在してはならないと」

そしてついに最後の扉の前まで辿り着く。

「これを開ければご対面ですよ」
「そうですか」
「あ。その前に村長」

文は鞄からカメラを取り出した。

「ゴール目前ですし、記念写真撮りませんか?」
「え? この状況でですか?」
「駄目ですか?」
「か、構いませんよ」
「ありがとうございます。はい、笑ってください」

上手く笑えていない村長をフレームに納めてシャッターを押した。

「では開けますよ?」
「お願いします」

ハンドルを回して、分厚い鉄の扉が開かれた。








「ゴォォォォォル!!」
「ひゅいぃ!?」

突然扉を開けて入ってきた文に驚くにとり。

「お邪魔するわねにとりちゃん」
「え? なに? 村長も?」
「どの辺ですか村長」
「確かこの辺りです」

床の一箇所を村長は指し示す。

「にとりさん。この部分を剥がすことは出来ますか?」
「あ、うん。ちょっと待ってて」

にとりの協力により、その箇所の鉄板は切り取られた。
そこを50cmほど掘ると黒塗りの木箱が出現した。

「何これ? タイムカプセル?」

状況を教えられていないにとりは首を捻る。

「この箱で間違いありません」
「そうですか。では早速中を」
「あ、待ってください」
「どうしました?」

文は顔を上げると。自身の胸元に、鉄の筒先が突きつけらている事に気付いた。

「その箱から離れてください。にとりちゃんもです」
「へ?」

村長は、つい先日、文に嬉々として紹介していた火縄銃を手にしていた。
二人は突然のことに戸惑いながら壁際まで追いやられる。

「どういうことですか村長?」
「実は笛の噂を流したのは私なんです」
「なんですって?」
「私はもっと前から、この笛を手に入れたいと思っていました。しかしそう思った頃、ココをにとりちゃんが工房に改造してしまいました」

笛を奪ってすぐ、地下通路として機能していたこの場所に埋めて隠しておいた。
しかし月日は流れ、村長が回収しようと思い立った時には、にとりがすでにここに工房を構えてしまっていた。
知ってのとおり、生半可な力ではこの工房に辿り着くことは出来ない。

「私一人ではココに辿り着けない。かといって無関係なにとりちゃんを巻き込むわけにもいかない。結局、巻き込んでしまいましたけど」
「だから噂を流して、協力者を探したというわけですか。自分をここまで連れてきてくれる」
「はい。あの幹部の方は笛に大変興味がおありでしたので。『自分を連れていってくれれば笛を渡す。自分は設計図が手に入ればそれで良い』と持ちかけました」
「設計図?」

今まで笛について調査していたが、設計図という単語が出てきたのは初めてだった。

「文さん達が来てくださった時、この計画は頓挫したと思いましたが、まさかお一人でもココまで連れてきていただけるなんて、こんなことから最初から全部文さんにお願いしておけば良かったです」

乾いた笑い声の後、銃を二人に向けつつ、片手で箱を開ける。
中から染み一つ無い、美しい薄黄色の笛が出てきた。
長さは手の平に乗せるとちょっとだけはみ出る程で、指穴の無い尺八のような形をしていた。
これまで散々もったいぶった割りには、肩透かしを受ける見た目だった。
箱の中にはそれ以外は何も入っていない。

「さっきから笛とか言ってるけど何の話?」

にとりは両手を挙げながら文に尋ねる。

「凄く嫌な音が出る犬笛があそこに埋まっていたんです。私達はそれを回収しに来たんです」
「それがどうしてこの状況に繋がるわけ!?」
「にとりちゃん。こっちに来てください」
「え? 私ですか?」
「そう怯えないで。大丈夫、危害は加えません」

まるで母親のように優しく微笑んだ。
文より前もににとりが来ると、村長は笛をにとりに向けて放った。

「わっ、わ、わっと!」

二回お手玉をして、ようやく笛を掴む。

「にとりちゃんは正しいエンジニアだと知っています。だからそれの処分をお願いします」
「あれ? 結局壊しちゃうんですか?」

意味がわからないという表情の文。

「はい。壊すのが目的ですので」
「こんな事をするもんだから、てっきり横取りするとばかり」
「念の為です。射命丸さんのことは信頼していますけど、万が一ということもありますから。本当に申し訳ありません」

銃を下ろして、深く頭を下げた。

「そんな謝らないでくださいよ。物が物です。慎重になって当然です。天狗なんて口先の奴等ばかりですし」
「いえ。危険を冒してあの屋敷からここまで連れてきてくださった大恩人にすべき行為ではありませんでした。ごめんなさい」
「いいんですってそんな」

二人のやりとりが長引きそうな気がしたので、にとりが割り込む。

「ところで、なんで村長が処分しないの?」
「私はこれから“設計図”を処分しないといけませんから」

下ろしていた銃をゆっくりと上げる。

(設計図ってまさか)

嫌な予感がして、文は駆け出そうとする。
直後、乾いたタオルを叩くような音がして、文の太ももから血が滴った。

「ぐぅ」

文は片膝をついて蹲る。

「近づかないでください」
「なんでさ村長!」

突然のことに、笛を抱えて硬直するにとり。

「自殺する気なんですよ村長さんは。自身の頭の中にある設計図を処分するために」
「そうです。私のココには、その笛の制作方法がしっかり残っているんです」

銃口で自らのコメカミを叩く。

「貴女が一生黙ってれば済む話じゃないですか!」
「駄目です。この幻想郷には他人の頭を覗き込んだり、意のままに操ってしまう恐ろしい能力を持った者が跋扈しています。いつ外部に漏れてもおかしくありません。だから」

銃の上部をスライドさせて、新たな弾を詰める。
勢い良くスライドを戻すとカラコロと銃内部で音がした。

「不安の芽はここで潰さなければなりません。山の平和のために」

確実に死ぬために銃口を咥えようとする。
しかしそれを妨害する者がいた。

「村長自殺の記事なんて死んでも書きたくありませんよ」

文の伸ばす手が村長の手を掴み邪魔をした。

「離してください! また撃ちますよ!」

村長は銃口を文の肩に向けた。

「望むところです」
「なっ!?」

肩に向いていた銃口の先を掴むと、あろうことか文は自らの額に押し当てた。

「そんなに死にたいなら、私を殺してからにしてください」
「正気ですから貴女!?」
「正気じゃないのは村長さんの方でしょうが! そんな杞憂な理由で死ぬとか馬鹿ですか!? 白狼天狗の防衛力を舐めないでください!」
「これは償いでもあるんです! 白狼天狗を始めとした大勢の方に対する私達師弟の!」
「そんなのは逃げです! 本当に償いたいと思うなら山中の白狼天狗に師匠さんの罪状を告白して『憎いなら弟子の私を殺してください』って言いなさい!」
「ッ!」

文の言葉と気迫に、村長は僅かに圧された。

「それが出来なきゃ日頃の態度で示しなさい! もっともっと、今まで以上に河童と白狼天狗が親しくなれるように努めてください! 不幸にした倍の数幸せにしなさい!」
「…」
「死ぬことが最善かどうか、今一度良く考えてください」

銃はそのままで、村長は俯いた。そんな彼女を、文が気の毒そうな目で見つめた。

(私もかつてはそうだった。死んで椛さんに償おうと思っていた)

しかし椛は、これからの態度で償いの意を示せと文に新しい道を教えた。

(村長さんもきっとお師匠さんのことでずっと罪の意識に苛まれてきた。もういい加減、前に進めなきゃ可哀想だ)

先ほどの喧々囂々としたやり取りが嘘のように、沈黙が部屋を支配した。

(私は、一体)

潰れてしまいそうな沈黙の中で村長は呆然とする。

「射命丸さん。私はこれからどうしたら」
「…」

文に視線を送るが、彼女は目を閉じ、決めるのはお前だと言わんばかりに押し黙る。ただ力強く銃口を握っていた。

(どうしてこの人は、死の一歩手前にいるのに。震えが一つ無いの? 死ぬのが怖くないの?)

奇妙な光景だった。
銃を持ち圧倒的に優位であるはずの村長が、小鹿のように怯えていた。

(私は怖い、死ぬのが。でも死ぬ以外にどうしたら良いか具体的にわからない)

「死ぬのは怖いですか村長?」

今まで黙っていた文は、ここで再び口を開いた。

「怖いです。この日のために何度も覚悟を固めてきたつもりでした。それでもやっぱり怖いです」
「じゃあ止めればいいじゃないですか。生きて、これからどうしたらいいか、一緒に考えましょう」
「私は、生きていてもいいのでしょうか?」
「少なくとも、貴女が生きていると私は嬉しいです。貴女のことを慕っている河童も、白狼天狗も同じことを言うでしょう」

隣で話しを聞いていたにとりは、その場で強く何度も頷いた。
それを見て、村長の指が引き金から離れた。

そこで村長は気を失った。

「はぁ。何やってるんですか貴女は?」

倒れる村長の体を椛が支えた。彼女の意識を刈り取ったのは他ならぬ椛だった。

「大丈夫なの文?」

はたてが心配そうに足の傷を覗き込む。
椛もはたても、いつでも動けるように、ずっと前から扉の裏に待機していた。

「はたてさんが念写してここを突き止められたから良かったものの、来なかったらどうするつもりだったんです?」
「来てくれるって信じてましたよ? お二人は機転が利きますから」

椛とはたては屋敷を出てすぐ、文達を追うためにはたての念写を利用することにした。
携帯型カメラに『河童の村長』『最近』と打ち込んで念写を掛けた。
画面には、先ほど文が撮影した写真が映り、居場所を特定できた。


「たまに信じられないような無茶をしますね。足を怪我してなかったらゲンコツしてますよ」
「新聞記者は度胸ですからね。それじゃあ椛さんお姫様抱っこしてください」
「おんぶでいいですね?」
「駄目です。お姫様抱っこ」
「…今回だけですよ」
「やったあ!」

その後、にとりが自分が入退場するためのリフトを開放し、全員乗るように指示する。

(あ、そうだ)

全員が乗るのを確認したとき、村長の銃が床に落ちたままだったことを思い出した。

「ごめん、ちょっとだけ待ってて」

急ぎ、落ちているそれを拾う。

(暴発したら危ないし、弾を抜いて……あれ? これって?)

銃の状態を見て、にとりは首を傾げた。


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