Coolier - 新生・東方創想話

風神太平記 第八話

2013/07/15 22:13:46
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 岡谷の散所に上がった兵火が鎮まるには、十日ほどの日数を要した。
 散所の元締めの男――諏訪子はずっと諏訪に居たので名も顔も知らぬのだが――が急死し、その跡目争いとやらで内輪揉めが起こったのである。

 事態の原因というのは……その元締めというのが、ある寄合の最中、急に倒れてそのまま息を吹き返さなかったことだというのだ。彼は元から方々の女を閨(ねや)に引き込むような男だったので、何か別の土地の厄介な病を移されたのではないかとも噂が立った。

 しかし、ともかく。
 後継者が指名されないまま、散所の頭領の地位には空白ができてしまったのだ。

 その跡目を欲する水運の頭たちが、各々の部下たちを動員して殴り合いや投石合戦といった喧嘩を始め、やがて匕首やつるぎを振りかざしての殺し合い紛いのものを始めてしまった。挙句の果てに漁夫の利を狙ってか、川下の土地を根城にする別の散所の船乗り連中まで岡谷に乗り込んできて、騒ぎは天竜川沿いの諸地域を巻き込まんばかりの大規模なものと化してしまったのである。

 むろん、その間、天竜川の水運は止まる。各地に品物も届かない。
 困ったのは下流域に土地を持つ豪族たちだった。しかし、どうにも手がつけられない。さっさと誰かしらに散所を継がせて騒擾(そうじょう)を終わらせたいが、下手にどこかに力を貸すと後で妙に角が立つ。そこで、諏訪方に収拾を依頼する陳情があったのである。

 直ぐさま八坂神奈子は五百ほどの軍勢を送って岡谷の水運散所を制圧し、次いで川下の土地にまで踏み込んで騒ぎを鎮めなければならなかった。その結果として、散所を継いだのは“河城の丹鳥”とかいう男らしい。彼は今後、諏訪方に河手を支払って庇護を受けることを求めている。騒擾は収拾したといえ、諸方を安定させるためには未だ手間も時間も掛かろう。懸命な判断かもしれない、と、諏訪子は報告の書状を読んで思った。もっとも、この丹鳥という男がどんなやつかにはまるで興味もなかったが。しかし。

“河城の丹鳥”と諏訪との間を仲介したのは、他ならぬギジチだったのである。
 ということは、よもやギジチが何かを……という疑問もまた、ないではなかった。だが、詮無いことだ。今は自分の仕事に専念しなければならない。

「よし、では出発を」

 伊那辰野へ向けて発つ輿の上で、諏訪子は散所がどうののよけいな懸念を振り払った。
 ともかくも事態は進行している。散所の側から諏訪に接近したということは、もう水運商人はこちらの手に落ちたと考えても良いだろう。“オンゾ”と“南科野豪族”と“水運商人”。辰野のユグルを支える柱は、三本ともすでに折れている。現にユグルの元へ糧食を届けに向かうはずだった岡谷からの舟は、辰野の渡しを素通りして川下を目指すようになっている。ユグルの陣営は、もうすっかり痩せ細っているはずだ。

 そう確信しながら、諏訪からの使者である諏訪子たち一行は伊那辰野を目指した。
 冬模様も進み、寒さも増すなかでの旅である。襟巻きで首元を隠す諏訪子でも、つい気を抜くとぶるぶると震えてしまうほど。腰を担ぐ者たちや、護衛の兵たちはもっと寒かろう。なかなかに辛い務めを強いることに、内心のことながら諏訪子は申しわけなく思うのだった。

 かくて一行は、十二月十一日に伊那辰野へ到達した。
 諏訪子自身は、ユグルの城を始めて目にする。
 小さいながらもいくさのことをよく考えられてつくられていると聞いていたので、とりあえず「おお、あれがか――!」という感嘆の声を上げておいた。ひょっとすると、半分くらい物見遊山の気分が混じっていたかもしれないが、しかし。

「どうだ。何か変わりはあるか」

 かたわらの将に、そう問うことを忘れない。
 顎に手を当て、将は思案する。数月前の戦いを思い出しているのだ。その将とは、安和麻呂(あわまろ)と嶋発に従ってこの城を攻め、負けいくさとなったときにどうにか生還した者のひとりである。その頬には、矢が顔を掠めていったときの傷跡もまだ生々しく残っていた。彼は、しばしじろりと周囲を見回し、そして。

「おかしい」

 と呟いた。

「おかしい、とは?」
「前は、もっと城門近くに兵の影があったはずにございます。また、敵の侵攻を防ぐための逆茂木(さかもぎ)も盛んにあった。だというのに……」

 今は、それがない。
 むろん、諏訪子は訝しむ。
 ユグルは計略をもって、諏訪方の兵を一敗地にまみれさせたほどの者。あえて兵が姿を見せず、防備も粗末になっているというのは、やはり何かの計略というおそれがある。此度の目的はいくさではなく純粋に使者であるとはいえ、十分に警戒をする必要があるのは確かなのだろう。

「いかがいたしますか」

 さっきとは別の将が、諏訪子に指示を求める。

「うう、む。やむを得ぬ。まずは普通に城門を訪ね、この洩矢諏訪子との会見を受くるか否か、問うてみなければ」

 その意を受け、直ぐに騎馬の使者がひとり、白旗掲げて発っていった。
 十二月の科野の荒野、風を受けてたなびく白い旗は、本来以上に澄んで見えた。諏訪子たちは城近い麓において、城方と使者との交渉が終わるのを待つ。山上の様子は木々の向こうにあるためよくは見えぬ。よくは見えぬが、少なくとも城門の兵と何かの遣り取りをしているようだ。話に聞いていたような、一も二もなく諏訪方の使者を射殺すという真似はせぬらしい。

 しばらくして、城から使者が戻ってきた。

「首尾は?」
「上々にございます。ユグル方は、城内にて諏訪子さまと会見に及ぶとの返答!」

 おおッ……と、将たちから感嘆の声が上がる。
 むろん中には「何かの罠では? 諏訪子さまを城内に引き込み、一気に害し奉らんと欲する策略やも」と危ぶむ声もある。だが、諏訪子はそれを遮るかたちで首を振った。

「この身ひとつが喪われても、其許たち将兵さえ残っておれば、いざというときには次の行動に移ることができる」
「しかし、諏訪子さまは諏訪の亜相にございまする。国家の政が……」
「自分だけが高御座(たかみくら)の上から四方を睥睨(へいげい)していたのでは、真実(まこと)は見えぬ。……いざというときには兵たちを連れ、矛や弓矢を棄ててでも諏訪へと走れ。そして、変事あるをいち早く八坂さまにお伝えするのだ」

 諏訪子の身を案じる将らは、まるで母と離れることをかなしむ子供のようだ。
 そんな彼らを見かねてか、諏訪子は、つけ加える。

「心配は無用。公の使者であるこの諏訪子を害すれば、伊那辰野は王権にとって、もはや許す余地のない絶対の敵ということになる。なれば、今度こそ数千の諏訪勢により四百の辰野勢は皆殺しにされる。ユグルとて、今さらそのような愚は犯すまい」

 説いたのは、ごく当たり前の道理であった。
 そこまで言って聞かされて、ようやく将らは納得したようだ。とはいえ、『渋々』といったところだが。ともかくも部下たちの了解が得られたのなら、供として連れていく者を選ばねばならぬ。少しばかり時をかけ、三人の将と十数の兵が選抜された。これに諏訪子の輿を担う四人を含めての、ごく最低限の数だった。

 麓に据えられた、ごく簡便な陣所が開く。
 ついに諏訪子らがユグルの城に赴くのである。
 供回りの者たち、そして待機を命ぜられた者たち。各々の顔を見回し、諏訪子は右手を掲げる。「出発せよ」、と。


――――――


 城を構えるだけあって、山道はなかなかに急だった。
 重い甲冑を着込んで武器を持つ将兵はもちろんのこと、もっと大変なのは輿を担ぐ方の兵たちだ。いかに諏訪子が少女で身軽だとしても、人ひとり乗った輿を山上まで持っていくのはものすごく面倒である。四半刻と少しを掛けて、一行は城門までたどり着く。諏訪子以外の者らはすっかり息を荒くしていた。彼らの疲労を垣間見て、

「……済まぬ」

 と、ぽつりと呟く諏訪子であった。

 一方、諏訪からの使者たちの姿を認めた城兵は、諏訪子たちから名乗り出ずとも互いに連絡を取り合って、城内にまで『諏訪方の使者、到着』の旨を伝えに行く。詳しい命令が返ってくるまでには、いま少し時間が掛かるだろう。その間、諏訪子は好奇心に駆られた子供のように装って、城兵の姿を観察し始める。

 数のうえでは圧倒的に優勢だった諏訪勢を退けた者たちなれば、きっと優れた体躯をしているのだろうと、彼女は漠然と考えていた。しかし、事実は決してそうではなかった。見るだに、諏訪子の予想は裏切られた。

 端的に言えば――城兵たちは痩せているのである。

 骨と皮ばかりというほどに酷いわけではない。しかしながら、せっかくその身に着込んだ甲冑が身体に合わず、身体と鎧とのあいだに大きな隙間が空いている。つまりは人が痩せているせいで、甲冑の寸法に身体の大きさが合わなくなってしまったのだ。ははあ、と、諏訪子は得心した。どうやら、糧食の供給を絶つ搦め手の策は、なかなかに『効いている』ようだ。向こうは敵で、それだというのに見ていてあわれになってしまうほど。ひょっとすると、城方が今回、諏訪方に対してあっさりと交渉に応じるのは、籠城を続ける余力がなくなりかけているからではないだろうか。未だ推測の域を出るものではないが、そういう考えも十分に成り立つ。

 と、そのとき。
 諏訪子の感慨など知る由もなく、連絡役の城兵が戻ってきた。
 改めて見ると、やはり痩せている。体力も低下しているのか、山道を登ってきた使者たちよりもずっと疲労しているようにも見える。

「ユグルさまにお伝えして参った」
「御苦労にござる。して、われらはどちらに入ればよろしいのか」

 諏訪子に代わって、側近の将が答えた。
 城兵は、息の荒さのためかしわがれて聞こえる声を張り上げ、答える。

「ユグルさま御自ら、まずはこの城門まで赴いてごあいさつを奉るとの由」
「なに……!?」

 驚いたのは、諏訪子も将兵も全員である。
 叛乱の首謀者自らが、門まで出向いてあいさつをする。まるで大事な客人に対してへりくだり、もてなしを始めるかのような態度。大胆といえば大胆だ。いや、あまりにも大胆すぎる。諏訪方にだって、少ないとはいえ兵は居る。下手をすれば、ユグルの方が暗殺されてしまうかもしれないというのに。

「よろしいか、諏訪の方々」

 驚き呆けていた諏訪子は、言葉も返せぬままこくこくとうなずいた。
 まずはユグルの思惑を見極めなければなるまい。
 城兵も大きくいちどうなずくと、また城内に駆け戻っていく。諏訪子たちが了承したことを伝えに行くのだろう。

「いったい、何のつもりでしょう」

 将のひとりが、輿の上の諏訪子にこっそりと訊く。
 むろん、彼女が知っているはずもない。「さあ、……儂にも見当がつかぬ」と答えることしかできなかった。それから、また少し。

「ユグル様が参られた。洩矢さまにお会いになる」
「解った。その通りにしてくれ」
「ようし。……門を開け!」

 城兵の頭であろう男が命ずると――城の内側から門衛の兵たちのうなりが聞こえてきた。おう、おう、という掛け声とともに、城門を閉鎖のかたちに繋ぎ止めていた縄が力強く引かれる。丸太を繋ぎ合わせてつくられた門は、その軋み音を冬山の梢の隅々にまで轟かせながら開かれていく。ついに城門が完全に開かれると、巨大な物体が動いたがために発生した、生ぬるい風が吹き抜けていった。そのわずらわしさを厭い、諏訪子は着物の袖で顔を覆う。

 そして、その後に彼女は見つけた。
 開かれた城門の向こうに、たくさんの人影が待ち構えていたのを。

 五、六十人ほどは居ただろうか。大半は矛や盾で武装しているが……よく見ると“いくさのための格好”をしていない者までが混じっている。鋤(すき)に鍬(くわ)、草刈り鎌をかたちばかりの武器と為し、敵意だけは兵たち同様にみなぎらせた女子供、それに老人。みな程度の差こそあれ頬はこけ、手足が細っていた。足取りがおぼつかず、隣の者の肩を借りてどうにか立っている者までいる。驚かぬわけにいかなかった。斯様な者たちまでも、――兵ではない者、飢えかけた者さえも、城に引き入れていくさに備えねばならぬ。それが、辰野勢の内情であることに。

 諏訪子が眼を見張れば見張るだけ、城の人々の敵意はその硬度を増していくように思える。対抗したいわけではない。しかし、彼女とて眼を逸らすことができなかった。眼前の悲惨さを見ねばならないと思った。そのときである。

「お初にお目に掛かりまする、洩矢諏訪子さま」

 人々のなかから、凛とした声が響いてくる。

 城方の者がみなそちらを見る。さっきまで諏訪子たちに敵意をぶつけていた者たちが、瞬きほどのあいだに希望を湛えた顔になる。砂の山をふたつに掘り分けるごとく、群衆がその真ん中から真っ二つに割れた。ひとりの人が通るための道を、かたちづくるためにである。人々に待望された誰かがやってくる。腰にひと振りのつるぎを佩いて、飢えた軍勢の長とも思われぬほどの威風を感じさせながら。

 しかし。
 諏訪子は、そこから現れた者への驚嘆を、隠すことができなかった。
 なぜなら。

「其許が、この城の主だというのか……!?」
「ええ。私こそがこの城の主にして、伊那辰野の領主。ユグルにございまする」
「しかし、――その身は、未だ少年ではないか!」

 叛逆者の長たる者が、未だ十四、五歳ほどの少年でしかなかったからである。(続く)
オリキャラの割合が多すぎたような気がしますが、
問題なければ次へ続きます。
こうず
http://twitter.com/kouzu
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コメント



0.200簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
待ってました!
2.100名前が無い程度の能力削除
わーい河城丹鳥はオトコノコー、ユグルまでオトコノコ…だと(リグル?
問題?大ありです!!!! 一番大事な黎蘭と“水の蜂”との濡場がカットされてますよね!!?
完成の暁にはでぃれくたーずカット版として同人誌刊行しても良いのですよ?
ともあれ一周年おめでとうございます。
3.100非現実世界に棲む者削除
待ってました!
この作品の連載が始まって一年か。
一ヶ月前に読み始めてもうはまってしまいました。
物語の展開は漸く核心へ。
この先の展開を気長にお待ちしております。
最後に改めて
一周年おめでとうございます。
4.100名前が無い程度の能力削除
えと、おりじなるデヤレ…という無粋なツッコミを無しにすれば、最高でしたね!!
こういう大河ものが書ける知識と才覚にただただ驚くばかりです!
日本語の使い方も豊富で勉強になりました
この作品みたく、片方の手で握手しながら片方の手で匕首を握るような話は大好きですね
また、キャラがキチンと大人をしていたのが良かったです
豪族のオジサマ達もいい感じに賢く狡く強く弱いのが大変魅力的でした
オジサマが少年漫画しているのもなんですし、完璧なのもおかしいし、終始強いのは人間味も魅力も私は感じないので、この作品のオジサマは人間臭く大好きです やっぱ昔の豪族が今のフツーのサラリーマンと同じ感覚なのも変ですし
長くなりましたが要は面白かったです

オンゾと侍者かわいいよ萌え(熱射病特有の撹乱)
5.100名前が無い程度の能力削除
こっそり諏訪子のもとへやってきてじゃれつくミシャグジ様が可愛かったです。絵面を想像するとほっこりします。こういうミシャグジ様なら一匹欲しいなあ、と一瞬思ってしまいました。まあ、祟り神なので、神ならぬ人の身では諏訪子のように御せないでしょうが…。

ギジチはやはり弟のイゼリの仇討ちをしようとしていたのですね。でも権勢欲にも駆られていて…と。彼は、心情的に親近感を覚えるというか理解しやすい。人間らしい人間といいますか。目的がいつのまにかすり替わるのは自分にも身に覚えがありますので。

そしてオンゾの件が終わったと思ったら、予想に反して随分年若かったユグル。一難去ってまた一難。どうなるのか次回投稿も楽しみにして待っています。
6.100削除
面白いねこれ
9.100愚迂多良童子削除
ギジチの政権関与が強まる一方、モレヤは中々絡んできませんねえ。そこら辺、今後はどうなるのやら。
またしても東方キャラの名を冠するキャラが出てきましたが、ここまでの内容なら諏訪子と神奈子以外は完全なオリキャラでも問題ないと思うんですが、それとも東方キャラの名を使うことが後々シナリオ上で生きてくるのでしょうか・・・。オリジナル要素がかなり強い作品なだけに、主役二人以外の東方キャラの名前がちょっと浮いているように感じてしまう。
それと、性的描写が規約に引っかからないか少々心配でもあります。
10.100名前が無い程度の能力削除
今回も面白かったです。特に今回諏訪子様がいきいきしていて可愛かった。あと、侍者カワス(´・ω・`)
12.90r削除
問題なぞ全くない!
13.100名前が無い程度の能力削除
目的と手段がいつの間にか入れ替わってる…
悲しいことだと思うのですがそれも人が故でしょうか。