『六番、セカンド、雛。背番号、89』
「お願いします」
「ええ、こちらこそ……」
鍵山雛を知る全ての人々は、丁寧にお辞儀して右打席に入る彼女を見て、とある想像を膨らませていた。
「「「「「「「ドキドキ……!」」」」」」」
「……師匠」
「普通ならあり得ない。ただ、あの神様なら或いは……」
今のところ構えはごく普通のオープンスタンスで、ここから劇的にフォームが変わるとは考えにくい。
しかし、皆の期待が揺らぐことはない。なぜなら、野球を経験した者なら誰もが一度は夢見たであろう打法が、目の前で見られるかもしれないからだ。
厄神様といえば、鍵山雛。鍵山雛といえば、回転。回転といえば、秘打『白鳥の湖』――
「プレイッッ!」
心なしか力強い映姫のコール、そして、投球モーションに入るアリスまでもが期待に目を輝かせている中での、初球――
観客&選手『!!!』
それは、アリスがボールをリリースした瞬間だった。
それまでの何の変哲もないオープンスタンスから打って変わって、雛の体が高速回転を始めたのだ。
観客&選手『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォ!!!』
観客の中に選手も混じり、間違いなくこの日ここまでで一番の大歓声である。
それを一身に受け、物凄いスピードで回転しながら、雛は――
スパンッ!
「……ストォォォライッ!」
――ボールを見送ったのだった。
しかし、たかが一球見送っただけで皆の期待は変わらない。
それを裏付けるように、スタンドからは引き続き割れんばかりの大歓声が響いている。
と、ここで雛は映姫にタイムを要求し、一旦打席を外した。
「それと、拡声器をお借りしてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
穏やかな表情、優雅な足取りでマイクを借り受け、軽く息を吸うと、雛は爽やかな笑顔でマイクを口元へと近付けた。
『――出来るわけないでしょう?』
そして、熱狂していた観客及び選手たちを、一瞬にして凍り付かせたのだった。
《ここまでの経過》
フランドリームス 1-2 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手 1打数0安打
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 1打数0安打
③風見 幽香(右投左打)中堅手 1打数0安打
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 1打数1本塁打1打点
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 0打数0安打1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 1打数1安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 1打数0安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手 0打数0安打1犠打
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 1打数0安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 1打数1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 1打数0安打
③秋 穣子(右投右打)右翼手 1打数0安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 1打数1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 1打数0安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 0打数0安打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 0打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 0打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 0打数0安打
野球しようよ! SeasonⅩⅡ
二回の裏、守矢シャイニングバーニングライトニングスの攻撃は、先頭の雛が1ストライク1ボールからのナックルを引っ掛けてセカンドゴロ。因みに、初球以降は回転しなかった。
そして二人目、七番のにとりも――
「(落ち……る!)く……!」
キンッ!
「オーライオーラーイ!」
2ストライク1ボールから、キレのいいナックルを引っ掛けてファーストへのゴロに打ち取られる。それを萃香が捕球後に自らベースを踏んで処理し、早々とツーアウトとなった。
得点した後の守りは流れを決める重要な場面。相手の追撃をシャットアウトして攻撃に繋げる事が出来れば、流れを大きく引き寄せられる。
特に、次の回の攻撃が先頭のフランドールから始まるフランドリームスの場合、その意味合いはさらに大きいと言える。
「ツーアウトーッ!!」
メンバー一同「オーッッ!!」
初回に手痛い先制攻撃を受けた事など過去の話。
先程からの追撃ムードは健在で、キャプテンの声に呼応するメンバーの士気は高い。
勢いに乗り出すと止まらない、いけいけの押せ押せチームの好例である。
「――お手柔らかにね」
「こちらこそ」
そんないけいけのフランドリームスが打席に迎えるのは、守矢チームのキャッチャーであり、山坂と湖の権化、八坂神奈子。
「八番……には見えないわね」
「八坂だから、とか?」
「………」
「黙らないでよ、お姉ちゃん」
一度背中を大きく後方に反り、迫力満点のクラウチングスタンスでアリスを睨み付ける。
その威圧感は、ここまで打席に立ったいかなる強打者よりも上である。
(さすがは軍神様、と言ったところね)
それを受けて、パチュリーは時間を掛けずにサインを出す。
間を置けば置くほど呑まれてしまう、と感じたのが一つ。今のチームのいいテンポを崩したくないのが二つ。そして三つ目、とある『予感』があったからだった。
スパンッ!
「ストォォォライッ!」
初球、真ん中低めに落ちるナックルだが、神奈子は一切反応しない。球筋を見極めるためにどっしり構えて見送った、という印象を受ける。
そして、二球目――
ブンッッ!
「ストオォライッ!」
今度はやや外角の低め、ボールゾーンに落ちるナックルに、豪快な空振り。
しっかりと腰が入った力強いスイング、ではあるのだが……
ブンッッッ!!
「ストォォォォォライッ! バッターアウッ! チェンジ!!」
そのバットはキレのいいナックルに対して、ボール五つ分ほど上を通過していた。
そう――神奈子はバッティングが大の苦手なのであった。
「はは、ドンマイ!」
「……笑うな」
「まあまあ。たださ、あんな形相で睨まれちゃあ、投げるほうはすんごい疲れたと思うよ!」
「フォローになってない……!」
こうして二回の裏、守矢チームの攻撃は三者凡退に終わった。
下位打線とはいえ、ほとんどまともにボールを捉えさせず、球数も僅かに十球。アリスの好投が光るイニングとなった。
そして、勢いをそのまま攻撃に繋げたいフランドリームスだが――
ギィィン!
「つッ……!」
そこには、守矢チームの絶対的エースが立ちはだかる。
まずは先頭のフランドール、カウント1ストライクから、やや内角の高めボールゾーンへ伸びるストレートで詰まらせ、レフト後方へのフライに打ち取る。
続く美鈴も、フォーク、フォークと続けてストライクを取った後の三球目――
ガギン!
「いづッ!?」
フランドールを打ち取った球とほぼ同じ球で詰まらせ、ショートへの小フライに仕留めた。
そして、初回にいきなりヒット性の打球を飛ばした、三番、幽香でさえも――
ギィィィン!
「……ちッ」
1ストライク2ボールから、外角いっぱいのストレートでセカンドライナーに切って取り、勢いに乗るフランドリームスの上位打線を球数わずか八球、見事三者凡退に抑えたのだった。
「――っしゃあァ!!」
「諏訪子様ナイピッチっす!」
「さすがねケロちゃん!」
「サンキュー! にとりん、しずちゃん!」
だが、見事なのはその『結果』だけではない。
諏訪子が打者三人を打ち取った決め球は、全てストレートなのである。
各打者がストレートに強いフランドリームスの上位打線にストレートで挑み、そして抑えたという『過程』は、味方の選手たちに試合の流れを引き戻したと思わせるには十分な快投だった。
「すっっごい速かったですね、紫様……!」
「ええ。それにコントロールも抜群。甘い球は一つもなかった」
「こうなるとフランドリームスは嫌ですね」
「そうね。迎え撃つ側からしたら最悪の光景だもの。……それにしても」
「「にしても?」」
「本当、お互い見事なピッチングねえ」
そして始まる三回の裏。いい雰囲気そのままに引き離したい守矢チームの攻撃は九番ピッチャーの諏訪子からだ。
次打者にホームランを打っている霊夢が控えているだけに、何とか出塁したい場面だが、
「――こいやァァ!!」
興奮醒めやらない諏訪子に、何とか出塁、などという気はなさそうだ。
対する引き離されたくないフランドリームス、マウンド上のアリスは、鬼気迫る神様相手にも落ち着いている。
それは、前のイニングを三者凡退に打ち取った事で得た自信と、
(今度は、打たせない……!)
ネクストバッターズサークル上――初回に浴びたホームランの借りを必ず返す、という、霊夢への対抗心から来るものである。
強い思い同士がぶつかり合う打席、その結果は――
ブンッッ!
「――ありゃ!」
「バッターアウッッ!」
スイングを躱すかのように変化するナックルにより三球三振。アリスに軍配が上がった。
「キレッキレだね!」
「一段と鋭さが増したわね。出会い頭でもない限り、捉えるのは難しそう」
観客『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォォォ!!!』
「――こいしは、どっちが勝つと思う?」
「分かんない!」
「うふふ、私もよ。ただ……」
「ただ?」
「楽しみよ」
「あはは! 私も!」
悔しそうに打席を後にするさなか、自分の打席のそれとはあまりに違う歓声を聞かされ、諏訪子は思わず苦笑いしてしまう。
こりゃあ投げる方がムキになるのも頷ける――そう思ったからだった。
因みに歓声を受ける当の本人はというと相変わらずの仏頂面で、緊張やら使命感やらとは無縁の面構えだ。
すれ違う際に「頑張れ」と声を掛けても、やはり普段通りの声色で「はいよ」と返事をもらい、その得体の知れない頼もしさに、再び苦笑いする諏訪子だった。
そして――
『一番、サード、霊夢。背番号、1』
アナウンスとともに、アリスの表情が一層引き締まった。
◆
『さあさあやってきました! ホームラン競争から前の打席まで、何と何と十一打席連続ホームラン中のこの人! 霊夢選手の登場です! 阿求さん、すごい歓声ですねえ!』
『凄いですね。先程の雛選手の時も凄かったですが、この歓声、同等かそれ以上ですね。スタンドのお客さんの期待がいかに大きいか伺えます』
『霊夢選手は人気者ですからね! 貧乏だけど。……おっと、一瞬寒気がした気がしますが気を取り直して行きましょう! ところで阿求さん、前の回からアリス選手のピッチングが非常に安定している印象を受けますが、本日二度目のこの対戦、どう見ますか?』
『そうですね、確かにアリス選手は安定していますが、私の印象としては、七対三で霊夢選手に分があると見ます』
『ほう、七対三ですか。それはなぜですか?』
『まず霊夢選手ですが、ホームラン競争を含めたここまでのバッティングを見ると、全て軸が一切ブレない綺麗で均等なフォームで打っているのが分かります。つまり、球筋を見極めた上でスイングしているんです。簡単に言ってしまえば、よく見えているんですね。対するアリス選手は球速こそありませんが、キレのいいナックルと、ナックルという球の特性を考えると驚異的なコントロールで、的を絞らせずに打たせて取るスタイルです。見えている打者にとって、この手の軟投派のピッチャーはあまり苦にはならないんですよ。例えて言うなら『はい! 物凄く分かりやすい解説をありがとうございます! それではこの対決、注目して参りましょう! 引き続き解説は稗田阿求さん、実況はわたくし、射命丸文でお届けして参ります!』
パチュリー・ノーレッジは、試合開始から今この瞬間に至るまで、あらゆる場面で霊夢の動向を観察していた。
正確には、対戦する可能性のある全ての選手を観察しているのだが、霊夢に対するそれはまた別物だ。
理由は単純にして明快、興味があるからである。
ほとんど素人同然の状態でチーム入り(マネージャーという形式ではあるが)してから守矢チームに籍を移すまでの短い期間で、霊夢は凄まじい上達を見せた。
それこそ一を聞いて十を知るどころの話ではなく、一を聞く前に見よう見まねで十出来てしまう始末であるから、魔理沙やアリスが対抗心を燃やすのも頷けるだろう。
そんな彼女が、フランドリームスを離れてから今日までの日々、つまり自分の知り得ない所でどれだけレベルを上げたか――パチュリーのみならず共に汗を流したメンバーならば誰もが考える事だが、日々興味のままに観察していたパチュリーにとってはそんな考えもひとおしである。
そして、その結果は――
(……予想通りね。困ったものだわ)
『天才』は『怪物』となり、チームの前に立ちはだかる。
別れ際に交わした、お礼をするなら球場で、という言葉を体現するかのように。
(……なのに不思議ね。嬉しさを感じてしまうなんて)
そんな怪物を前に、アリスの様子はどうか――パチュリーはマウンドへと目を向ける。
そこには、はやく勝負させてくれ、とでも言いたそうな姿があった。
「――プレイッ!」
込み上げる嬉しさを胸にしまい、パチュリーはサインを出す。
頷き、投球に入るアリスの流れるようなフォームは、思わず見惚れてしまいそうなほど綺麗なものだ。
「ふッ――!」
初球、コースはボール三つ分程外れた外角の、丁度霊夢の目線ほどの高さのボール。一見コントロールミスの暴投に近いこのボールだが、外角低めにミットを構えたままパチュリーは動かない。
スパンッッ!
そして、そのミットに導かれるようにボールは急激に軌道を変えた。
「ストオオライッ!」
さしもの霊夢もこれには手が出ず、この試合初めてのストライクを喫する。
「いいコースにうまく決まりましたね。あれじゃあ手が出なくても仕方ない」
「うまく決まった……か。確かにそうね」
「え……?」
「私もはっきりとは言い切れないけど……次の球を見てみましょう」
続く二球目、初球と同じく大きく外れたコースにボールが飛ぶ。
これも初球と同じく、そこから急激に軌道を変えるのだが、今度は逆にストライクゾーンから遠ざかるように変化してしまったため、パチュリーのミットは追い付けずに後ろに逸らしてしまった。
仮にランナーがいればまず間違いなく進塁したであろう大暴投である。
「うーむ……?」
「どうしたの、てゐ」
「師匠は今の球、どう思います?」
「暴投にしては綺麗だったわね」
「あたしも同感です。……でも、そんな事って出来るんですかね」
「理論上は可能よ。ただ、並の難しさじゃないわ。これも全て……」
「全て?」
「愛の力、かしらね」
「愛の力、ですねえ」
カウントは1ストライク1ボール。パチュリーのミットの位置は初球から一貫して変わらない。アリスの綺麗な投球フォームもまた、変わらない。
放たれた第三球、三たび同じコースにボールが飛ぶ。
(………)
打席の霊夢は、一切構えを崩すことなくその軌道のみを見据えている。
左右、高低、緩急、そして読み、そのいかなるものにも縛られず純粋に来た球を打つ――彼女の最大の強みは、他の誰にも真似できないこの『不動』のスタイルにある。
三たび軌道を変え始めるボールを見据え、スイングを始動する霊夢。
狙いは右方向――
(……!)
観客『……!!?』
しかしその視線の先には、三人しか映らないはずの野手が少なくとも六人。
反射的、いや、本能的に霊夢のバットが止まる。
スパァン!!
「ストォライッッ!」
初球と全く同じ、外角低めギリギリを掠めるボールがミットに納まる。
カウント変わって、これで2ストライク1ボール。初めて喫したストライクに続き、初めて追い込まれる形となった。
「ブードローシフト……! 実戦でお目にかかるとは」
「え、あれって確か『オーシフト』じゃなかったですか?」
「意味は同じよ。にしても見事なタイミングとチームワークだわ。動き出しが早過ぎたら落ち着いて三塁側に打たれるし、逆に遅すぎても意味がない。まさに、ここしかない、っていうタイミングね。ただ……」
「ただ……?」
「なぜこんな見事な作戦を決め球に使わなかったのか、と思わない?」
「あ、確かに……!」
予想外の展開で追い込まれた霊夢。しかし本人はそれを全く感じさせない落ち着いた表情をしている。
彼女の頭にあるのは、初球から変わらない『来た球を打つ』という考えのみ。ゆえに、焦る必要などこれっぽっちもないのである。
(さて……と)
横目でそんな霊夢を確認し、パチュリーはマウンドに目をやる。そして、マスクの下で嬉しそうに微笑み、迷わずサインを出す。
打席の霊夢と同じく落ち着いた表情のアリスは迷わずそれに大きく頷いた。
カウント2ストライク1ボールからの第四球、アリスの体が大きく沈み――
「ふッッ!!」
リリース。瞬間、霊夢は僅かな違和感を覚えた。
コースは真ん中やや高めだが、初速がこれまでの球に比べて明らかに速い。
それ以上に違うのはアリスの手先の使い方だ。それに伴い球に強い回転が掛かっている。
普通に考えれば何らかの変化球、しかし見たことのない回転である。回転軸が綺麗にホームベース方向を向いているのだ。
(――打つ!)
僅かに球が沈み始めるが動きにそれ以上の変化はない。しっかりと見据えて霊夢はこれまで同様にスイングを始動する。
タイミングは完璧、軌道の予測も完璧、狙うはレフトスタンド。
しかし――
(――振り、遅れてる……!)
軌道、コースは見極め通り。しかし完璧のはずのタイミングだけが遅れている。
咄嗟に狙いを右方向に切り替えるが、その視界に映るのはまたしても六人の野手たち。打ち取られるのは目に見えている。
見逃して仕切り直そうにも、追い込まれている上に軌道はストライク――と、このへんで面倒臭くなり、霊夢は考えるのをやめた。
瞬間、左肩が前に沈んだ。
(――そう、来たか……!)
キィンッ!!
左肩が下がった事でバットのヘッドが上を向き、右方向以外に飛ばされる筈が無かった打球は、ホームベース近くの三塁線上で大きくワンバウンド。
まるでスイカ割りのようにボールのほぼ真上を叩く、常識破り且つ超高難度、そして想定外のバッティングである。
しかもボールの飛んだ位置は、絶妙なセーフティバントを思わせる三塁線ギリギリ。パチュリーとアリスが処理に向かっているが、到底間に合いそうになかった。
「どけぇぇぇぇぇぇェェェ!!」
「「――魔理沙っ!」」
しかし、話はそう簡単に終わらない。
本来ショートの守備位置のカバーに回っているはずの魔理沙が、サインプレーを無視して三塁線前方に突っ込んで来たのだ。
打った瞬間からそれを認識していた霊夢は、一瞥もする事なく一塁へ全力疾走する。
高く弾んだ打球は魔理沙のダッシュに対して絶妙のタイミングで落ちてきた。それを素手で掴み、投げる。
奇しくも二回表のパチュリーの時と同じく、タイミングは完全に五分。霊夢は、一塁ベースに向かって体を投げ出した。
「――セーフッッ!」
アウトとセーフの境界は、僅かな、ほんの僅かな『身長』の差だった。
◆
『さあ、状況変わりましてワンアウトランナー一塁で二番の静葉選手の打順を迎えるわけですが、なんというか阿求さん、序盤のワンアウトランナー無しとは到底思えないような熱い勝負でしたね!』
『はい。こういう熱い勝負こそ野球の醍醐味です。非常に見応えがありましたね』
『特にどの場面が印象的でしたか?』
『そうですね、特定の場面というよりも、全ての投球にしっかりと意味を持たせたフランドリームスバッテリーの組み立て、その全てですね。まるで詰め将棋のように少しずつ追い込んでいく緻密な作戦と、それを実現可能にしたアリス投手の抜群のコントロール、結果的には巧みなバットコントロールによって出塁を許しましたが、ここまでの霊夢選手の成績を考えたら、自分のバッティングをさせなかっただけでも大きな意味があると思います』
『ここまで十一打席連続ホームラン中の霊夢選手ですからね。内野安打なら十分満足いく結果、というわけですね』
『ええ。ですが、果たしてアリス投手もそのように考えるか、というのは別の話です。仮に、打たれてしまった、また抑えられなかった、と考えているとすれば、危ないですよ……と、霊夢選手が動きましたね』
『初球スチール、パチュリー選手投げられませんでしたね。ここから守矢チームがどういった攻めを見せていくのか、注目して参りましょう!』
一旦タイムを取り、パチュリーはマウンドに内野手を集めた。
四者四様、みな違う顔をしている。
「くっそー……私にめーりん並みのサイズがあれば……!」
「ドンマイドンマイ。でもこれ、動きづらくて結構大変なのよ?」
「誰もおっぱいの話なんてしてねえよ!」
「まあまあ萃香……でも、羨ましいなあ。身長大して変わらないのに、私なんてこんなんだもん」
「はっは! うどんげ、敗れたり!」
「う……うっさい!(ホントだ……魔理沙、意外とおっきい……!)」
「……ごくり……」
「……やれやれ」
パチュリーは溜め息をつき、サインプレーの確認だけして解散させた。
序盤とはいえ、好投手相手に一点ビハインドでワンアウトランナー二塁と、状況は決して良くないにもかかわらず、せっかく取ったタイムでこの能天気な会話である。何だか馬鹿らしくなるのも頷けるだろう。
ただ、馬鹿らしさの中に頼もしさも感じていたりする。
こんな場面でもこういう馬鹿話ができるのは、彼女達の確かな自信のあらわれでもあるのだ。
「――プレイッ!」
初球、盗塁を許しはしたが、投球はストライク。要求通りしっかりとコントロールされたナックルで取ったカウントだ。
アリスの状態に心配がないと分かれば、ランナーの動きを気にする必要はない。バッターとの勝負に徹すればいい。
スパンッ!
「ストライツーッ!」
三盗を成功させた霊夢に一瞥もなく、パチュリーは三球連続となるナックルのサインを出す。遊び球を使うつもりはさらさらなく、三球勝負である。
バッターの静葉はナックルに対応出来ておらず、ここまでの二球は共に空振り。ならば落ち着く間を作らせず、仕留める。
第三球、セットポジションから肩越しに一度ランナーを確認し、アリスの右足が上がった、その瞬間――
「――走ったッ!!」
霊夢がホームに向かってスタートを切り、バッターの静葉は素早くバントの構えを取った。まさかのスリーバントスクイズである。
ここまでのタイミングが合っていない空振りは、全てこのスクイズの為の布石だったのだ。
瞬間、パチュリーの口元に笑みが浮かんだ。
「(遠い、読まれた……!?)……くっ!」
アリスの投球は、大きくアウトコースに外れた丁度静葉の目線ほどの高さのボール。パチュリーは立ち上がってそれを待ち構えている。
狙いを読まれて外された――そう思って一瞬動揺した静葉だったが、ボールの遅さと外す距離の不十分さに気付いて気を持ちなおす。
(これなら、届く……!)
意を決し、静葉は確実にミートするためにボールに向かって体を投げ出した。
「(嘘、ナックル……?)あ……!」
しかし、その先にボールはなかった。
鋭く軌道を変えたボールは、立ち上がったパチュリーの左膝近く、下向きに構えられたミットに納まった。
そして、ホームベースにヘッドスライディングで飛び込んだ霊夢を間一髪でタッチし、
「――バッターアウッ! ランナーアウトォ! チェンジ!」
三振ゲッツー。ワンアウトランナー三塁のピンチから、一転して守矢チームの攻撃を終わらせた。
「っしゃあ! ぱっつぁん、あんた天才だよ!」
「ナイピッチ、アリス!」
「読み通り、ってやつね!」
「さぁーて、打つかァ!」
ピンチを最高の形で凌ぎ、俄然盛り上がるフランドリームス。
一方、チャンスを潰した守矢チームだが、
「……ごめんなさい。あの位置からのナックルも想定してたはずなのに」
「気にする事なんてないわよ。それよりほら、諏訪子が何か言いたそうよ」
「?」
「ふっふっふ……この諏訪子様に任せときな! 一点たりともやるつもりなんてないから、ね!」
「だ、そうよ」
「ふふっ、ええ。信頼してるわ、エース!」
まだまだ流れをやるまいと、こちらの士気も衰えていない。
さて、激しい攻防となった序盤が終わり、ここから試合は中盤に入る。
各打者が相手投手の球に慣れ始める中盤、ここまでの展開から見てさらなる乱打戦になることも予想されたが、実際は全く逆の結果となった。
まず四回表、フランドリームスの攻撃は前の打席でホームランを放っている萃香からという好打順だが、完全にエンジンが掛かった諏訪子はそれをものともせず、萃香をどん詰まりのライトフライ、妹紅と魔理沙をキレのいいフォークボールで連続三振に切って取った。
続く四回の裏、守矢チームもクリーンナップ全員が打席に立つ好打順だが、諏訪子に負けじとアリスの抜群のコントロールが光り、穣子をショートライナー、早苗をセカンドゴロに仕留める。ツーアウトから天子にライト前へ痛烈な打球を飛ばされはしたが――
「萃香ッ!」
「フラン! 思いっき……いや、七割くらいでこいッ!」
「(七割七割……これくらいかな)ふッッ!!」
ズドオォォォォォォン!!
「ナ、ナイスボールッ!(いっ……てええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)」
「バッターアウッ!! チェンジ!」
「ドンマイ天子」
「ま、また外野ゴロ……穣子様、地上の野球はどうなってるの……?」
「あの人たちは特別。運が悪かった、としか言えないよ」
「そんなあ……」
「さ、気を取り直していこう!(あれで本当に七割だとしたら……とんでもないわね)」
フランドールの強肩に助けられてライトゴロ。こちらも三者凡退にて切り抜けた。
五回になっても両投手の調子は翳りを見せない。
上位打線を抑えた勢いそのままに、諏訪子が五者連続となる三者三振に仕留めれば、アリスは丁寧に低めを突いて内野ゴロ三つで抑えてみせる。
剛と柔、対照的な投球スタイルの二人だが、共通して言えることは、どちらも付け入る隙が全く見いだせないという事だ。
そんな状況で迎えた六回の表、先頭のフランドールが打席に入った。
「お願いします」
そこで神奈子はとある変化に気付く。
前の打席までは、元気良く「よろしくお願いします!」と笑顔で打席に入っていたフランドールが、今回は少々強張った面持ちで、さらに挨拶も控えめなものだったのだ。
(……焦り、か)
それだけではなく、ちらりと三塁側ベンチを見てみると、やはりどこか皆の表情は固く、応援の声はやけに強く感じる。
硬直した試合展開が、ビハインドを背負っているフランドリームスに少しずつ焦りをもたらしている――そんな印象を受ける。
「プレイッ!」
ここまで分かりやすい付け入る隙を、百戦錬磨の軍神である神奈子が見逃す筈もない。
顔サインで投球の組み立ての変更を諏訪子に伝え、薄々そんな気がしていた諏訪子は「了解」と、こちらも顔サインで返した。
その初球――
ギィン――!
「ファールボーッ!」
要求通りの外角低め、僅かに外に外したストレートだ。
球速は八割程度だが威力は十分のこの球、強引にスイングに行ったところでフェアグランドには飛ばない。
続く二球目は、さらにボール一つ分外に外したストレートで、フランドールは出し掛けたバットを止める。
三球目、アウトコースやや高めからの落差のあるフォークに空振り、カウントは2ストライク1ボールとなった。
(よし、仕上げだ!)
(がってん!)
神奈子は自信を持って『インハイのストレート』のサインを出し、分かってたよ! と言わんばかりに、諏訪子は即座に頷いた。
ここまで執拗に外を攻めていたため、フランドールの小柄な体は少しずつバッターボックスの内側に引き寄せられている。
どんなに早く反応したとしても、インハイを打ち返せないであろう位置まで、である。
ならば、遊び球など必要ない。詰め将棋の最後の一手を『ミスがないように』打つだけだ。
「お嬢様、これは私の推測なのですが……」
「うん、私もそう思っていたところ。多分間違ってないわ」
「……? なんの話ですか?」
「ねえ、さとり。こいしの好きな食べ物は?」
「え? うーん、そうですね、筑前煮とか栗ご飯とか「松茸ー!」……あたりですね。でも、何で突然そんな事を?」
「それと同じだからよ。身内だから分かる事。さあ、振りかぶったわよ」
「はあ、なるほど(答えになっていないような……)」
高々と上がる足、躍動する全身、びしびしと伝わってくる気迫――それらを前にして、フランドールはパチュリーと交わした会話を思い出していた。
――フラン、少し不安になってきた?
――あ、やっぱり分かっちゃったか…… でも大丈夫、絶対悟られないようにするから
――ううん、むしろそのままでいいわ
――え?
――フラン、憶えておいて
踏み込まれる左足も、鞭のようにしなる右腕も、球を弾き出した指先も、勝利を確信したかのような眼差しも……全て、よく見えた。
(見えた――? あれ、私何だか凄いよく見えてる……)
そしてフランドールは、左足を外側に向かって強く踏み出した。
――ツーワンからのインハイ、狙い目よ
キイィィィィイィィィィィン!!
◆
「――惜しかったわね」
「はい。飛距離だけ言えば、萃香以上だったんじゃないでしょうか」
「あのスイングスピードなら当然よ。前の二打席とは桁外れの速さだった」
「逆にそれが仇になったという事ですね」
「そうね」
「バッターアウトッ!」
「……フラン様、焦っておられるようですね」
「………」
カウント2ストライク1ボールからの五球目、インコースから落ちる釣り球のフォークにバットが止まらず、フランドールは三振を喫していた。
四球目のインハイのストレート、パチュリーの読み通りだったそれをジャストミートした打球は、レフトポール遥か上空、しかし客席六席分ほど左に逸れた位置の天井に直撃する大ファール。そして、そこから先のことは考えていなかったため、あっさり次の釣り球に引っ掛かってしまったのである。
同点に追い付く絶好のチャンスを逃してしまったフランドリームス、しかし問題はそれだけには留まらない。
「――くっ……!」
スパァン!
「ストライッ! バッターアウッ!」
さらなる問題、それは守矢バッテリーの警戒心を再び揺り起こしてしまった事だ。
中盤も終わりかけの六回、ここまで正攻法では打ち崩せていない諏訪子にきっちり投げられたら厳しいのは、誰の目にも明らかである。
ましてや、ビハインドを背負っている今の状況、焦りもどんどん募っていく。その証拠に美鈴が三振を喫した球は、2ナッシングからの釣り球、見え見えの外角ボールゾーンへ落ちるフォークだ。
「――どうだった?」
「パチュリー様の読み通りでした」
「悪いわね、もっと気持ち良く打たせてあげたかったんだけど」
「なんのなんの! チームの勝ちには替えられませんよ」
「良いこと言うわね。さ、ここからよ」
『――三番、センター、幽香。背番号、8』
決勝進出に黄信号が灯り始める中、打席に入るのは、四季のフラワーマスター、風見幽香。
フランドールや美鈴とは違い、焦燥している様子はなく、それどころか不自然なほど無表情で、前の二打席で放っていた凄まじい闘気も感じられない。
上段に構えたバットを上下にゆったりと揺らす独特の打撃フォームと相まって、守矢バッテリーからすれば非常に不気味な相手だ。
(二打席凡退とはいえ、当たりは出ていた。要注意だね……)
ツーアウトランナー無しだが、組み立ては今まで以上に慎重なものである。
初球、まずはアウトコース低めにストレートを決める。
続いてインコース低めにボール一つ分外しカウントは1ストライク1ボール。
ここまで幽香の様子に変化はない。
(コントロールミスを狙ってるのか? 残念だけど、コントロールを重視した時の諏訪子に限って――)
スパアァァァァン!!
(――それは、ない)
しっかりコントロールされたアウトコース低めのストレートで追い込んだ。
この三球目に対してもやはり幽香に変化はなく、構えたバットそのままにボールを見送っただけだった。
「……どうした? 随分と余裕じゃないか」
そんな彼女の姿は、どこか対戦を破棄しているようにも映る。
見兼ねた神奈子が返球の傍ら少々不愉快そうに声を掛けると、表情はそのままに幽香は深いため息を吐いた。
「余裕? フン……つまらない球しか来ないから、打つ気も失せたというだけの話よ」
「……なに?」
「思い当たらないんなら、思い出すまで付き合ってもらう」
「………」
挑発に近い幽香の言葉を受けるも、神奈子はブレずに元々の組み立て通りインコース低めを要求。大きくサインに頷き、諏訪子は第四球を投げ込んだ。
構えられたミットに向かって一直線に疾るストレート、内側ギリギリ低め一杯の素晴らしいコースだ。
ギィン!
「ファールボォッ!」
しかし、この素晴らしいボールを幽香は巧みにカットする。追い込まれていながらも、そのバットコントロールに澱みはない。
(あれを当てるか……やっぱり油断ならないねえ)
仕切り直しの五球目は、アウトコースのボールゾーンへ落ちるフォーク。美鈴を空振り三振に切って取った球の、より正確にコントロールされた一球だが――
ギィン!
「ファールボーッ!」
これも難なく幽香はカット。そして、ここから圧巻のカット劇が幕を開ける。
ギィン!
「ファールボオッ!」
ギィィン!
「ファールボーッ!」
キィィン!!
「ファールボーッッ!」
スパァァァァン!
「ボールツー!」
キィン!
「ファールボォッ!」
「予定外ですね……」
「ええ、予定外ね。ふふっ」
「……? 何だか嬉しそうですね」
「嬉しいっていうか、初めて幽香と対戦した時を思い出してるだけ。ほら、ファーストコーチャーやってるフランも笑ってるでしょ?」
「あ、ホントだ」
キィィン!!
「ファールボーッ!」
――これで十一球目、諏訪子の表情に一切の余裕は無くなっていた。
どんなにストライクゾーンの四隅を突いても、どんなに緩急変化球を交えても、幽香のバットは悉くそれらを捉えてくる。
一球だけ挟んだ際どいアウトローもきっちり見送られ、もはや投げられるボールがない状態だ。
ならばいっその事打たせてしまえばいい――のだが、なかなかその考えに踏み切る事ができない。この回の先頭打者、フランドールの大ファールがあったからである。
「おーーーい幽香ァ! 待ちくたびれてるよー!」
さらに、ネクストバッターズサークルに控えている萃香の存在も大きな要因の一つだった。
セットポジションが苦手な諏訪子にとって、フランドリームスで最も恐いバッターの萃香は出来る限りランナーがいない状態、つまりワインドアップで当たりたい相手だ。
ましてやリードが一点だけという状況、ランナーを背負って萃香を迎えるのは、絶対に避けたいところである。
しかし――
キィン!
「ファールボオッ!」
スパァン!
「ボールスリーッ!」
幽香を仕留めることができない。
トントン拍子で追い込んでからこれで十球、ついにカウントはツースリーとなった。
(風見幽香……まさか、ここまでやるとは……)
ここに至り、ついに神奈子は幽香を歩かせることを決断する。
不本意極まりないが、諏訪子の体力と精神の両面を考えたら、四の五の言ってもいられない。
(外側にボール二つ分。悪いな、諏訪子)
(……がってん)
十四球目、諏訪子は構えられたミットより少し左側に狙いを付けてストレートを投げ込んだ。
悔しさは、それはもう滅茶苦茶にある。けれど、それが神奈子の決断なら自分はそれに従うだけ――
キイイイィィィン!!
「「――!」」
やられた――!
打球音が響いた瞬間、神奈子は安易な選択をしてしまった事を後悔した。
それは、諏訪子のプライドを傷つけないために大きく外すのを要求しなかった事だ。
そう、幽香の狙いは、この狙って外す力のない一球だったのである。
(何をやってる……! 萃香に打たれた時と同じじゃないか! くそっ……馬鹿か、私は!)
「……フン、言ったでしょう。思い出すまで付き合ってもらう、とね」
「――あ……?」
「ファールボオッッ!!」
「ファール……か?」
「軍神ともあろう者が何を呆けているのかしら?」
「……これも狙ってやったのか」
「フン……」
「しっかしまあ……味方で良かったとしか言えないぜ」
「同感。あんな事出来る人なんて、師匠くらいのものだと思ってた」
「永琳出来るのかよ……」
「うん。でも、あの神様の速球相手には分からない。やっぱり幽香は凄いよ……!」
「世の中、広いよなあ」
十四球目の大ファールを受けて、守矢の二柱共に目付きが変わった。
それは、傲慢な妖怪に天罰を与えんとする、怒れる神の目だ。
その怒りは球場内の隅々に至るまで行き渡り、静まり気味だった観客はさらに声を潜めて勝負の行く末を見守る。
そして、十五球目。
「……あー……」
諏訪子の左足が勢い良く天に蹴り上げられ、残忍さを孕んだ薄ら笑いとともに、神の鉄槌が――
「うらあああぁぁぁぁぁぁァァァ!!」
振り下ろされる――!
バキッッ!!
「ファールボーッ!」
結果はまたしてもファール、だが先程までの百花繚乱と謳われるバットコントロールによって生み出されたファールではない。
インコース高めに食い込むスイングが追い付けないほどの、根元からバットを砕く規格外の豪速球によって生み出されたファールだ。
「……くくく、やれば出来るじゃない」
「幽香、大丈夫か?」
「野暮なことを聞かないで頂戴。ようやく楽しくなってきた所なんだから」
「ああ、悪い悪い。がんばってな!」
妹紅から替えのバットを受け取りながら、幽香は鋭い笑顔で諏訪子を見据えている。
対する諏訪子は、今のファールも故意的に打たれたものだと思ったらしく、未だ怒りに満ちた目をしている。
「プレイッ!」
十六球目……いい流れの時であれば、とうに一つのイニングが終わっているであろう球数だ。
この熾烈な勝負を制するのはどちらか……観客、選手たちが固唾を飲む中、幕切れは意外な形で訪れた。
ドゴッッ……!
「うぐ……っ!」
「あ――!(しまっ……た……!)」
バットを砕き割る豪球が、幽香の脇腹に突き刺さった。
◆
「幽香っ!」
「幽香ァ!」
「っ……!」
一塁コーチャーズボックスからフランドールが、ネクストバッターズサークルから萃香が、そしてマウンドから諏訪子が、球を受けて倒れこんだ幽香のもとへ駆け付けた。
球の速さと衝突音、どちらをとって見てもただではすまない事が容易に想像できてしまうデッドボールだ。
「……フン、たかがデッドボール一つで、騒々しいことね」
しかし、そんな心配をよそに幽香は平然と立ち上がり、ユニフォームの土を払っている。
痛がる様子も表情が変わることもなく、普段通りの立ち振舞いである。
「すまなかった……大丈夫かい?」
「ご、ごめん……」
「あら、二柱から謝罪を頂けるとは光栄ね」
「幽香……!」
「キャプテンがそんなしおらしくちゃ締まらないでしょう? もっと堂々となさい。審判、コールを」
「……ボールデッド!」
映姫のコールを聞き届けると、相変わらず心配顔の面々に構うことなく幽香は一塁へゆっくり走っていき、フランドールがそれに並走する。
「そうそう……フラン、一つ言っておくわ」
「ん、なに?」
「あなたの真っ直ぐの方が上よ」
「――! うん!」
「……本当に大丈夫なのか?」
「本人がそう言ってる以上、大丈夫なんじゃないかな。……さあて、そんじゃあいっちょよろしく!」
「………」
「……? よろしくお願いーっす!」
「え? あ、ああ、よろしくっ!」
「………」
状況変わって、ツーアウトランナー一塁となる。
次に迎えるバッターは、第一打席でホームランを放っている四番打者、萃香だ。
「………」
そんな最も警戒する相手に対して、神奈子の決断は早かった。
早々に立ち上がって大きく外側に逸れ、ボールを要求する。敬遠である。
「……悪いね、萃香」
「はは、光栄だよ!」
力ないボールが四つミットに収まり、萃香は鼻歌を歌いながら駆け足で一塁へ向かっていった。
ツーアウトランナー一塁二塁、ホームランはもちろん長打一つで逆転というピンチに際し、神奈子はマウンドに走る。
野手は集めず、諏訪子と二人だけである。
「よ。気分はどうだい?」
「……ヤバイね。冗談抜きに」
「はは、らしくないじゃあないか。しゃきっとしなよ、この守備終わったらあんたが先頭打者なんだからね」
「ん、がってん」
最後にポンと肩を軽く叩き、神奈子は早々とマウンドを後にした。
本来、諏訪子クラスのピッチャーであれば、調子の善し悪しに関わらず相当な打者でもない限りまず打たれる事はない。
それはこの試合も例外ではなく、ここまでで綺麗なヒットは一本たりとも許していないのだ。
なら、今ここで長話などする必要はない。肩に入った無駄な力を抜いてやるだけでいい。
「――さあ、こいやァ!」
打席に迎える妹紅。スイングの速さはかなりのもので、フランドリームスの打者の中でもトップクラスのそれを持っている。
しかし、三番幽香、四番萃香の怪物二人に比べれば些か怖さは無く、さらに前の打席で決定的な弱点を露呈しているため、相手取るのは容易かった。
ブンッッ!!
「ストライッ!」
ブンッッッ!!
「ストライツーッッ!」
そう、妹紅はフォークに対してまるっきり対応できていないのだ。
持ち前のスイングスピードも宝の持ち腐れで、ぎこちないダウンスイングから空振りを量産するのみである。
「ちッ……!」
好調時とは程遠い出来の諏訪子ではあるが、それでも打たれる気はしない。
フォーク二球で早々と追い込み、三球目も――
ブンッッッ!!
――落とす。
「ストライッ! バッターアウトォ! チェンジッッ!」
球速が落ちた代わりに変化量が増したフォークに、妹紅のバットは虚しく三度空を切った。
スリーアウトチェンジ、ツーアウトから得点圏にランナーを出したものの得点は入らず、守矢チームの一点リードは変わらない。
「――ナイピッチです諏訪子様っ!」
「おつかれ」
「ありがと。ちょいと情けないとこ見せちゃったけどね」
「さあさあ諏訪子様! ピンチの後にチャンスあり! バビュッと打っちゃって下さいねっ!」
「暑苦しい」
「はは、任せな!」
こうなるとやはり、リードしている守矢チームの士気は高まる。
特に一番の霊夢に打順が回るイニングだけに、追加点を狙うには絶好の機と言えるだろう。
「みんな、悪い……!」
「ドンマイ妹紅! 切り替えてこう!」
「……そうだな! ありがと、フラン!」
「っし! ちゃっちゃか三人で終わらしてバンバン打とうぜ! てなわけで頑張れアリス!」
「もちろん。あなたこそエラーしないでよね」
「それならいい方法があるぜ。私のとこに打たせなきゃいいんだ」
「何よそれ。ふふっ」
「はっはっは!」
対するフランドリームスだが、チャンスを逃した事による落胆の様子はない。
というよりも、ツーアウトランナー無しからチャンスを作ったという見方の方が強いらしく、むしろムードは良くなっているようだ。
「緒戦からアツい試合ねえ。こっちも熱くなってきちゃうわ。……ん? 永琳、どうしたの? 何だか難しい顔してるわよ」
「……本人から言いださない限りこちらから干渉するべきではないのでしょうね」
「ん、それって……」
「ええ……折れています」
「――!」
『九番、ピッチャー、諏訪子。背番号、14』
「……覚悟、か」
「覚悟です」
六回の裏、守矢チームの先頭打者は諏訪子から。前の打席は打ち気満点のところをナックルに翻弄されて三振を喫していた。
その時には目一杯に長く持っていたバットを、今は拳一つ分程短く持っている。何としてでも出塁する――そんな諏訪子の意志の表れであろう。
「よくよく考えてみたら、霊夢以外にはほとんど打たれて無いのよねえ」
「ですね。初回こそ失点しましたが、それ以降は内野安打一本だけです」
「すごーい……。あんまり速くないのに」
「打席に立ってみないと分からない、って事よ。二人とも、投球のリズムだけはしっかり把握しておきなさい」
「はい、紫様」
「はーい!」
しかし、その姿を前にしてもアリスの投球に翳りもブレも見当たらない。
外、内、外、内と揺さぶり、カウント2ストライク2ボールからの五球目、ど真ん中から鋭く落として引っ掛けさせ、ピッチャーゴロに打ち取った。
「オーライッ!」
叩きつけるようなスイングになったため、打球は少し高くバウンドしている。アリスは素早く落下点に入りボールを掴むが――
(――速い……!)
守矢チーム最速を誇る諏訪子は、既に一塁手前まで達している。
素早く送球するも中途半端なバウンドとなり、一塁は悠々セーフ。守矢チームにとっては念願の、フランドリームスにとっては痛恨のノーアウトのランナーが出た。
「ナイラン、諏訪子!」
「さんきゅー、神奈子! 欲言えばもうちょい綺麗にやりたかったけどね」
「関係ないさ。値千金だよ」
「まあね! さて、と、そいじゃあ後は――」
観客『うおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォ!!!』
「――主人公に任せるとするか!」
『一番、サード、霊夢。背番号、1』
六回表、守矢チームが萃香の前に何としてもランナーを出したくなかったのと同様、フランドリームスにとって霊夢は何としてもランナーがいない状態で迎えたい打者だ。
大歓声を浴びても相変わらず一切動じない霊夢の姿は、真っ向から勝負するのが憚られるほど怖く見える。
「ここまでチャンスに思えるノーアウト一塁も、ここまでピンチに思えるノーアウト一塁もないですね」
「あら、妖夢にしては珍しくいい事言うわね。私も同じふうに思ってた所よ」
「珍しく、は余計です……!」
敬遠策――それが一番の最善策であろう事は簡単に想像がつく。
仮に敬遠してノーアウト一塁二塁になった場合、うまくいけばダブルプレーやトリプルプレーを狙えるし、先程盗塁を決めている霊夢も釘付けにできるのである。
しかし、唯一にして最大の問題は一塁ランナーにあった。
そう、守矢チーム最速の足を持つ諏訪子の存在だ。
(――おっと!)
スパンッ!
「セーフ!」
「ナイス牽せーい!」
「ふー……(怖い怖い、ホントに見分け付かないなあ)」
走られたら刺せない――自分の弱肩と諏訪子の快足、天秤に掛けたらどちらに傾くかは火を見るより明らかである。
いかにアリスの牽制球が巧みでも、効力を発揮するのは一塁ランナーに対してのみ。二塁への牽制は普通のそれと変わらない。
そうなれば例え諏訪子がスタートに失敗したとしても、ピッチャーゴロを内野安打にしてしまうスピードで三塁を陥れられるのが容易に想像できる。
ノーアウトのまま三塁にランナーを背負うのは、さすがにリスクが大きい。
(あ……!)
霊夢に対するアリスの初球、外側にボール一個分外す『前の打席で決め球に使った』球。しかしこれがボール一個分ストライクゾーン側に甘く入ってしまう。
そして、一度だけとはいえ球筋を見ているこの甘い球を、霊夢が見逃すはずがなかった。
キイィィィィィン!
(しまった……――!)
打球は二塁手美鈴の頭上を越えてややセンター寄りの右中間でワンバウンド。
スタートが良かった諏訪子は既に三塁手前まで差し掛かっていて、傍では三塁コーチャーのにとりが腕をぐるぐる振り回している。本塁を狙え、とサインしているのである。
「……フン」
幽香が回り込んで打球を処理した時、諏訪子は既に三塁ベースを蹴っていた。
あの快足ならばホームインまであと三秒もない――そんな事を思いながら、
「ふッッ――!」
迷わず幽香はホームに向かって左足を踏み出した。
ズドオオオオオオォォォォォン!!
そして、ホームベースに向かって一直線に滑り込んでくる諏訪子の足――その延長線上に構えられていたパチュリーの下向きのミットに、針の穴を通す正確さでボールが着弾した。
「――ランナーアウトォォ!!」
観客『ワアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』
外野手の華ともいえる本塁補殺、あまりにも見事なその守備にスタンドからは歓声と拍手が鳴り響く。
だが、それ以上に盛り上がるのはフランドリームスのメンバー達だ。
「ナイス幽香っ!」
「お見事ですッ!」
「ははっ! 天晴れ天晴れ!」
「フン……」
「ワンアウトーーーッッ!!」
フランドリームス一同「オオーーーーッッ!!」
表情を変えない幽香をよそに、各ポジションの選手達は大盛り上がりだ。
しかしそれもそのはず、誰もが失点を覚悟した状況から一転、ド派手なプレーでアウトをもぎ取ったのだから、皆のこの喜びようも当然と言える。
「………」
しかしそんな中、パチュリーはとある違和感を覚えていた。
左手に残る幽香の送球の感覚……これまで幾度も受けてきたそれに比べ、今回は僅かに力強さがないように思えたのだ。
(まさか……ね)
「くっそー……! しずちゃん、仇を討ってくれー……!」
「勿論。あと、ナイスラン!」
「さんきゅー……!」
状況変わってワンアウトランナー二塁(本塁送球の間に霊夢が進塁した)。バッターボックスに立つ静葉は静かに熱い闘志を心中に滾らせていた。
霊夢に比べて明らかに小さい歓声に悔しさを覚えているのは、諏訪子だけではないのだ。
しかし、今の自分に歓声を求める資格などない事も彼女は分かっている。
初回の牽制死にチャンスでの三振ゲッツー……そんな不甲斐ない自分に期待しろなど、まこと図々しい話である。
しかし――
「――がんばれーッ! お姉ちゃんッ!」
しかし、自身の次を打つ優しい妹が、そんな不甲斐ない自分を気にして本来のスイングが出来ていない事、それだけは看過できなかった。
「プレイッ!」
狙うは初球。例えボール球だろうと、必ず打つ。そう心に決めた静葉への初球はアウトコース高め、そこからボールゾーンへ逃げるナックルだ。
決して打ちやすい球ではない。しかし静葉は迷わず体を投げ出し、短く持ったバットを思い切り伸ばした。
キィィンッ!
「――!(この状況で初球エンドラン……!?)」
崩れる体勢なれどしっかり芯でミートされた打球は、思い切り手を伸ばしたアリスの頭上を越えた。
鈴仙と美鈴がダイビングで追いすがるも捕球出来ず、ボールは転々とセンター前に転がっていく。
「……! バックホームッ!」
しかし、話はまだ終わりではない。
普通、ツーアウトの場面を除く直接捕球される可能性のある飛球の場合、ランナーは落ちたのを確認してから進塁するのが定石だ。
ゆえに、この状況ならば二塁ベース付近にいるはずのランナーが、どういうわけか既に三塁ベースを蹴っているのだ。
「霊夢……っ!」
打球の速度は遅く、ここまで見事なスタートを切ったのならば楽々ホームインできるタイミングである。
しかし霊夢は一切スピードを落とさず全力疾走。理由は言わずもがな、センターからレーザービーム攻撃が来るのを確信しているからだ。
ズドオオオオオォォォォン!!
タイミングは五分、いや僅かに送球の方が早かった。しかし――
「(霊夢……ッ!)くっ……!」
タッチに向かったパチュリーのミットを掻い潜るように滑り込んだ霊夢。その伸ばした手が、僅かにホームベースの隅に触れたのだった。
「――セーフッッ!!」
『硬直していた試合が遂に遂に動きました! 守矢シャイニングバーニングライトニングス、秋静葉選手にタイムリーヒットが飛び出し、スコアは3ー1となっています。阿求さん、それにしても見事なエンドランの作戦でしたね!』
『そうですね。ただ今の一連のプレーはエンドランではなかったように思います』
『エンドランではない、ですか?』
『ええ。霊夢選手のスタートは打球が飛んでからでしたからね。恐らく静葉選手はどんなボールが来ても初球打ちと決めていたのではないでしょうか。霊夢選手の走塁は、そうですね、説明出来ない部分も多いですが、直感とでも言いますか、打球が落ちる事を確信した上での走塁だったように映ります。いずれにしてもこれで2点差ですね。大きな追加点です』
『大きな追加点が入り、さらにこれからクリーンナップを迎える守矢シャイニングバーニングライトニングスと、これ以上の失点は絶対に避けたいフランドリームス、引き続き注目して参りましょう! 解説は稗田阿求さん、実況はわたくし、射命丸文でお届けして参ります!』
《ここまでの経過》
フランドリームス 1-3 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手 3打数0安打
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 3打数0安打
③風見 幽香(右投左打)中堅手 2打数0安打1死球
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 2打数1安打1本塁打1打点1四球
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 2打数0安打1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 2打数1安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手 1打数0安打1犠打
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 2打数0安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 3打数3安打1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 3打数1安打1打点
③秋 穣子(右投右打)右翼手 2打数0安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 2打数1安打1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 2打数0安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 2打数0安打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 2打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 2打数1安打
続く
「お願いします」
「ええ、こちらこそ……」
鍵山雛を知る全ての人々は、丁寧にお辞儀して右打席に入る彼女を見て、とある想像を膨らませていた。
「「「「「「「ドキドキ……!」」」」」」」
「……師匠」
「普通ならあり得ない。ただ、あの神様なら或いは……」
今のところ構えはごく普通のオープンスタンスで、ここから劇的にフォームが変わるとは考えにくい。
しかし、皆の期待が揺らぐことはない。なぜなら、野球を経験した者なら誰もが一度は夢見たであろう打法が、目の前で見られるかもしれないからだ。
厄神様といえば、鍵山雛。鍵山雛といえば、回転。回転といえば、秘打『白鳥の湖』――
「プレイッッ!」
心なしか力強い映姫のコール、そして、投球モーションに入るアリスまでもが期待に目を輝かせている中での、初球――
観客&選手『!!!』
それは、アリスがボールをリリースした瞬間だった。
それまでの何の変哲もないオープンスタンスから打って変わって、雛の体が高速回転を始めたのだ。
観客&選手『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォ!!!』
観客の中に選手も混じり、間違いなくこの日ここまでで一番の大歓声である。
それを一身に受け、物凄いスピードで回転しながら、雛は――
スパンッ!
「……ストォォォライッ!」
――ボールを見送ったのだった。
しかし、たかが一球見送っただけで皆の期待は変わらない。
それを裏付けるように、スタンドからは引き続き割れんばかりの大歓声が響いている。
と、ここで雛は映姫にタイムを要求し、一旦打席を外した。
「それと、拡声器をお借りしてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
穏やかな表情、優雅な足取りでマイクを借り受け、軽く息を吸うと、雛は爽やかな笑顔でマイクを口元へと近付けた。
『――出来るわけないでしょう?』
そして、熱狂していた観客及び選手たちを、一瞬にして凍り付かせたのだった。
《ここまでの経過》
フランドリームス 1-2 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手 1打数0安打
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 1打数0安打
③風見 幽香(右投左打)中堅手 1打数0安打
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 1打数1本塁打1打点
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 0打数0安打1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 1打数1安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 1打数0安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手 0打数0安打1犠打
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 1打数0安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 1打数1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 1打数0安打
③秋 穣子(右投右打)右翼手 1打数0安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 1打数1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 1打数0安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 0打数0安打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 0打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 0打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 0打数0安打
野球しようよ! SeasonⅩⅡ
二回の裏、守矢シャイニングバーニングライトニングスの攻撃は、先頭の雛が1ストライク1ボールからのナックルを引っ掛けてセカンドゴロ。因みに、初球以降は回転しなかった。
そして二人目、七番のにとりも――
「(落ち……る!)く……!」
キンッ!
「オーライオーラーイ!」
2ストライク1ボールから、キレのいいナックルを引っ掛けてファーストへのゴロに打ち取られる。それを萃香が捕球後に自らベースを踏んで処理し、早々とツーアウトとなった。
得点した後の守りは流れを決める重要な場面。相手の追撃をシャットアウトして攻撃に繋げる事が出来れば、流れを大きく引き寄せられる。
特に、次の回の攻撃が先頭のフランドールから始まるフランドリームスの場合、その意味合いはさらに大きいと言える。
「ツーアウトーッ!!」
メンバー一同「オーッッ!!」
初回に手痛い先制攻撃を受けた事など過去の話。
先程からの追撃ムードは健在で、キャプテンの声に呼応するメンバーの士気は高い。
勢いに乗り出すと止まらない、いけいけの押せ押せチームの好例である。
「――お手柔らかにね」
「こちらこそ」
そんないけいけのフランドリームスが打席に迎えるのは、守矢チームのキャッチャーであり、山坂と湖の権化、八坂神奈子。
「八番……には見えないわね」
「八坂だから、とか?」
「………」
「黙らないでよ、お姉ちゃん」
一度背中を大きく後方に反り、迫力満点のクラウチングスタンスでアリスを睨み付ける。
その威圧感は、ここまで打席に立ったいかなる強打者よりも上である。
(さすがは軍神様、と言ったところね)
それを受けて、パチュリーは時間を掛けずにサインを出す。
間を置けば置くほど呑まれてしまう、と感じたのが一つ。今のチームのいいテンポを崩したくないのが二つ。そして三つ目、とある『予感』があったからだった。
スパンッ!
「ストォォォライッ!」
初球、真ん中低めに落ちるナックルだが、神奈子は一切反応しない。球筋を見極めるためにどっしり構えて見送った、という印象を受ける。
そして、二球目――
ブンッッ!
「ストオォライッ!」
今度はやや外角の低め、ボールゾーンに落ちるナックルに、豪快な空振り。
しっかりと腰が入った力強いスイング、ではあるのだが……
ブンッッッ!!
「ストォォォォォライッ! バッターアウッ! チェンジ!!」
そのバットはキレのいいナックルに対して、ボール五つ分ほど上を通過していた。
そう――神奈子はバッティングが大の苦手なのであった。
「はは、ドンマイ!」
「……笑うな」
「まあまあ。たださ、あんな形相で睨まれちゃあ、投げるほうはすんごい疲れたと思うよ!」
「フォローになってない……!」
こうして二回の裏、守矢チームの攻撃は三者凡退に終わった。
下位打線とはいえ、ほとんどまともにボールを捉えさせず、球数も僅かに十球。アリスの好投が光るイニングとなった。
そして、勢いをそのまま攻撃に繋げたいフランドリームスだが――
ギィィン!
「つッ……!」
そこには、守矢チームの絶対的エースが立ちはだかる。
まずは先頭のフランドール、カウント1ストライクから、やや内角の高めボールゾーンへ伸びるストレートで詰まらせ、レフト後方へのフライに打ち取る。
続く美鈴も、フォーク、フォークと続けてストライクを取った後の三球目――
ガギン!
「いづッ!?」
フランドールを打ち取った球とほぼ同じ球で詰まらせ、ショートへの小フライに仕留めた。
そして、初回にいきなりヒット性の打球を飛ばした、三番、幽香でさえも――
ギィィィン!
「……ちッ」
1ストライク2ボールから、外角いっぱいのストレートでセカンドライナーに切って取り、勢いに乗るフランドリームスの上位打線を球数わずか八球、見事三者凡退に抑えたのだった。
「――っしゃあァ!!」
「諏訪子様ナイピッチっす!」
「さすがねケロちゃん!」
「サンキュー! にとりん、しずちゃん!」
だが、見事なのはその『結果』だけではない。
諏訪子が打者三人を打ち取った決め球は、全てストレートなのである。
各打者がストレートに強いフランドリームスの上位打線にストレートで挑み、そして抑えたという『過程』は、味方の選手たちに試合の流れを引き戻したと思わせるには十分な快投だった。
「すっっごい速かったですね、紫様……!」
「ええ。それにコントロールも抜群。甘い球は一つもなかった」
「こうなるとフランドリームスは嫌ですね」
「そうね。迎え撃つ側からしたら最悪の光景だもの。……それにしても」
「「にしても?」」
「本当、お互い見事なピッチングねえ」
そして始まる三回の裏。いい雰囲気そのままに引き離したい守矢チームの攻撃は九番ピッチャーの諏訪子からだ。
次打者にホームランを打っている霊夢が控えているだけに、何とか出塁したい場面だが、
「――こいやァァ!!」
興奮醒めやらない諏訪子に、何とか出塁、などという気はなさそうだ。
対する引き離されたくないフランドリームス、マウンド上のアリスは、鬼気迫る神様相手にも落ち着いている。
それは、前のイニングを三者凡退に打ち取った事で得た自信と、
(今度は、打たせない……!)
ネクストバッターズサークル上――初回に浴びたホームランの借りを必ず返す、という、霊夢への対抗心から来るものである。
強い思い同士がぶつかり合う打席、その結果は――
ブンッッ!
「――ありゃ!」
「バッターアウッッ!」
スイングを躱すかのように変化するナックルにより三球三振。アリスに軍配が上がった。
「キレッキレだね!」
「一段と鋭さが増したわね。出会い頭でもない限り、捉えるのは難しそう」
観客『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォォォ!!!』
「――こいしは、どっちが勝つと思う?」
「分かんない!」
「うふふ、私もよ。ただ……」
「ただ?」
「楽しみよ」
「あはは! 私も!」
悔しそうに打席を後にするさなか、自分の打席のそれとはあまりに違う歓声を聞かされ、諏訪子は思わず苦笑いしてしまう。
こりゃあ投げる方がムキになるのも頷ける――そう思ったからだった。
因みに歓声を受ける当の本人はというと相変わらずの仏頂面で、緊張やら使命感やらとは無縁の面構えだ。
すれ違う際に「頑張れ」と声を掛けても、やはり普段通りの声色で「はいよ」と返事をもらい、その得体の知れない頼もしさに、再び苦笑いする諏訪子だった。
そして――
『一番、サード、霊夢。背番号、1』
アナウンスとともに、アリスの表情が一層引き締まった。
◆
『さあさあやってきました! ホームラン競争から前の打席まで、何と何と十一打席連続ホームラン中のこの人! 霊夢選手の登場です! 阿求さん、すごい歓声ですねえ!』
『凄いですね。先程の雛選手の時も凄かったですが、この歓声、同等かそれ以上ですね。スタンドのお客さんの期待がいかに大きいか伺えます』
『霊夢選手は人気者ですからね! 貧乏だけど。……おっと、一瞬寒気がした気がしますが気を取り直して行きましょう! ところで阿求さん、前の回からアリス選手のピッチングが非常に安定している印象を受けますが、本日二度目のこの対戦、どう見ますか?』
『そうですね、確かにアリス選手は安定していますが、私の印象としては、七対三で霊夢選手に分があると見ます』
『ほう、七対三ですか。それはなぜですか?』
『まず霊夢選手ですが、ホームラン競争を含めたここまでのバッティングを見ると、全て軸が一切ブレない綺麗で均等なフォームで打っているのが分かります。つまり、球筋を見極めた上でスイングしているんです。簡単に言ってしまえば、よく見えているんですね。対するアリス選手は球速こそありませんが、キレのいいナックルと、ナックルという球の特性を考えると驚異的なコントロールで、的を絞らせずに打たせて取るスタイルです。見えている打者にとって、この手の軟投派のピッチャーはあまり苦にはならないんですよ。例えて言うなら『はい! 物凄く分かりやすい解説をありがとうございます! それではこの対決、注目して参りましょう! 引き続き解説は稗田阿求さん、実況はわたくし、射命丸文でお届けして参ります!』
パチュリー・ノーレッジは、試合開始から今この瞬間に至るまで、あらゆる場面で霊夢の動向を観察していた。
正確には、対戦する可能性のある全ての選手を観察しているのだが、霊夢に対するそれはまた別物だ。
理由は単純にして明快、興味があるからである。
ほとんど素人同然の状態でチーム入り(マネージャーという形式ではあるが)してから守矢チームに籍を移すまでの短い期間で、霊夢は凄まじい上達を見せた。
それこそ一を聞いて十を知るどころの話ではなく、一を聞く前に見よう見まねで十出来てしまう始末であるから、魔理沙やアリスが対抗心を燃やすのも頷けるだろう。
そんな彼女が、フランドリームスを離れてから今日までの日々、つまり自分の知り得ない所でどれだけレベルを上げたか――パチュリーのみならず共に汗を流したメンバーならば誰もが考える事だが、日々興味のままに観察していたパチュリーにとってはそんな考えもひとおしである。
そして、その結果は――
(……予想通りね。困ったものだわ)
『天才』は『怪物』となり、チームの前に立ちはだかる。
別れ際に交わした、お礼をするなら球場で、という言葉を体現するかのように。
(……なのに不思議ね。嬉しさを感じてしまうなんて)
そんな怪物を前に、アリスの様子はどうか――パチュリーはマウンドへと目を向ける。
そこには、はやく勝負させてくれ、とでも言いたそうな姿があった。
「――プレイッ!」
込み上げる嬉しさを胸にしまい、パチュリーはサインを出す。
頷き、投球に入るアリスの流れるようなフォームは、思わず見惚れてしまいそうなほど綺麗なものだ。
「ふッ――!」
初球、コースはボール三つ分程外れた外角の、丁度霊夢の目線ほどの高さのボール。一見コントロールミスの暴投に近いこのボールだが、外角低めにミットを構えたままパチュリーは動かない。
スパンッッ!
そして、そのミットに導かれるようにボールは急激に軌道を変えた。
「ストオオライッ!」
さしもの霊夢もこれには手が出ず、この試合初めてのストライクを喫する。
「いいコースにうまく決まりましたね。あれじゃあ手が出なくても仕方ない」
「うまく決まった……か。確かにそうね」
「え……?」
「私もはっきりとは言い切れないけど……次の球を見てみましょう」
続く二球目、初球と同じく大きく外れたコースにボールが飛ぶ。
これも初球と同じく、そこから急激に軌道を変えるのだが、今度は逆にストライクゾーンから遠ざかるように変化してしまったため、パチュリーのミットは追い付けずに後ろに逸らしてしまった。
仮にランナーがいればまず間違いなく進塁したであろう大暴投である。
「うーむ……?」
「どうしたの、てゐ」
「師匠は今の球、どう思います?」
「暴投にしては綺麗だったわね」
「あたしも同感です。……でも、そんな事って出来るんですかね」
「理論上は可能よ。ただ、並の難しさじゃないわ。これも全て……」
「全て?」
「愛の力、かしらね」
「愛の力、ですねえ」
カウントは1ストライク1ボール。パチュリーのミットの位置は初球から一貫して変わらない。アリスの綺麗な投球フォームもまた、変わらない。
放たれた第三球、三たび同じコースにボールが飛ぶ。
(………)
打席の霊夢は、一切構えを崩すことなくその軌道のみを見据えている。
左右、高低、緩急、そして読み、そのいかなるものにも縛られず純粋に来た球を打つ――彼女の最大の強みは、他の誰にも真似できないこの『不動』のスタイルにある。
三たび軌道を変え始めるボールを見据え、スイングを始動する霊夢。
狙いは右方向――
(……!)
観客『……!!?』
しかしその視線の先には、三人しか映らないはずの野手が少なくとも六人。
反射的、いや、本能的に霊夢のバットが止まる。
スパァン!!
「ストォライッッ!」
初球と全く同じ、外角低めギリギリを掠めるボールがミットに納まる。
カウント変わって、これで2ストライク1ボール。初めて喫したストライクに続き、初めて追い込まれる形となった。
「ブードローシフト……! 実戦でお目にかかるとは」
「え、あれって確か『オーシフト』じゃなかったですか?」
「意味は同じよ。にしても見事なタイミングとチームワークだわ。動き出しが早過ぎたら落ち着いて三塁側に打たれるし、逆に遅すぎても意味がない。まさに、ここしかない、っていうタイミングね。ただ……」
「ただ……?」
「なぜこんな見事な作戦を決め球に使わなかったのか、と思わない?」
「あ、確かに……!」
予想外の展開で追い込まれた霊夢。しかし本人はそれを全く感じさせない落ち着いた表情をしている。
彼女の頭にあるのは、初球から変わらない『来た球を打つ』という考えのみ。ゆえに、焦る必要などこれっぽっちもないのである。
(さて……と)
横目でそんな霊夢を確認し、パチュリーはマウンドに目をやる。そして、マスクの下で嬉しそうに微笑み、迷わずサインを出す。
打席の霊夢と同じく落ち着いた表情のアリスは迷わずそれに大きく頷いた。
カウント2ストライク1ボールからの第四球、アリスの体が大きく沈み――
「ふッッ!!」
リリース。瞬間、霊夢は僅かな違和感を覚えた。
コースは真ん中やや高めだが、初速がこれまでの球に比べて明らかに速い。
それ以上に違うのはアリスの手先の使い方だ。それに伴い球に強い回転が掛かっている。
普通に考えれば何らかの変化球、しかし見たことのない回転である。回転軸が綺麗にホームベース方向を向いているのだ。
(――打つ!)
僅かに球が沈み始めるが動きにそれ以上の変化はない。しっかりと見据えて霊夢はこれまで同様にスイングを始動する。
タイミングは完璧、軌道の予測も完璧、狙うはレフトスタンド。
しかし――
(――振り、遅れてる……!)
軌道、コースは見極め通り。しかし完璧のはずのタイミングだけが遅れている。
咄嗟に狙いを右方向に切り替えるが、その視界に映るのはまたしても六人の野手たち。打ち取られるのは目に見えている。
見逃して仕切り直そうにも、追い込まれている上に軌道はストライク――と、このへんで面倒臭くなり、霊夢は考えるのをやめた。
瞬間、左肩が前に沈んだ。
(――そう、来たか……!)
キィンッ!!
左肩が下がった事でバットのヘッドが上を向き、右方向以外に飛ばされる筈が無かった打球は、ホームベース近くの三塁線上で大きくワンバウンド。
まるでスイカ割りのようにボールのほぼ真上を叩く、常識破り且つ超高難度、そして想定外のバッティングである。
しかもボールの飛んだ位置は、絶妙なセーフティバントを思わせる三塁線ギリギリ。パチュリーとアリスが処理に向かっているが、到底間に合いそうになかった。
「どけぇぇぇぇぇぇェェェ!!」
「「――魔理沙っ!」」
しかし、話はそう簡単に終わらない。
本来ショートの守備位置のカバーに回っているはずの魔理沙が、サインプレーを無視して三塁線前方に突っ込んで来たのだ。
打った瞬間からそれを認識していた霊夢は、一瞥もする事なく一塁へ全力疾走する。
高く弾んだ打球は魔理沙のダッシュに対して絶妙のタイミングで落ちてきた。それを素手で掴み、投げる。
奇しくも二回表のパチュリーの時と同じく、タイミングは完全に五分。霊夢は、一塁ベースに向かって体を投げ出した。
「――セーフッッ!」
アウトとセーフの境界は、僅かな、ほんの僅かな『身長』の差だった。
◆
『さあ、状況変わりましてワンアウトランナー一塁で二番の静葉選手の打順を迎えるわけですが、なんというか阿求さん、序盤のワンアウトランナー無しとは到底思えないような熱い勝負でしたね!』
『はい。こういう熱い勝負こそ野球の醍醐味です。非常に見応えがありましたね』
『特にどの場面が印象的でしたか?』
『そうですね、特定の場面というよりも、全ての投球にしっかりと意味を持たせたフランドリームスバッテリーの組み立て、その全てですね。まるで詰め将棋のように少しずつ追い込んでいく緻密な作戦と、それを実現可能にしたアリス投手の抜群のコントロール、結果的には巧みなバットコントロールによって出塁を許しましたが、ここまでの霊夢選手の成績を考えたら、自分のバッティングをさせなかっただけでも大きな意味があると思います』
『ここまで十一打席連続ホームラン中の霊夢選手ですからね。内野安打なら十分満足いく結果、というわけですね』
『ええ。ですが、果たしてアリス投手もそのように考えるか、というのは別の話です。仮に、打たれてしまった、また抑えられなかった、と考えているとすれば、危ないですよ……と、霊夢選手が動きましたね』
『初球スチール、パチュリー選手投げられませんでしたね。ここから守矢チームがどういった攻めを見せていくのか、注目して参りましょう!』
一旦タイムを取り、パチュリーはマウンドに内野手を集めた。
四者四様、みな違う顔をしている。
「くっそー……私にめーりん並みのサイズがあれば……!」
「ドンマイドンマイ。でもこれ、動きづらくて結構大変なのよ?」
「誰もおっぱいの話なんてしてねえよ!」
「まあまあ萃香……でも、羨ましいなあ。身長大して変わらないのに、私なんてこんなんだもん」
「はっは! うどんげ、敗れたり!」
「う……うっさい!(ホントだ……魔理沙、意外とおっきい……!)」
「……ごくり……」
「……やれやれ」
パチュリーは溜め息をつき、サインプレーの確認だけして解散させた。
序盤とはいえ、好投手相手に一点ビハインドでワンアウトランナー二塁と、状況は決して良くないにもかかわらず、せっかく取ったタイムでこの能天気な会話である。何だか馬鹿らしくなるのも頷けるだろう。
ただ、馬鹿らしさの中に頼もしさも感じていたりする。
こんな場面でもこういう馬鹿話ができるのは、彼女達の確かな自信のあらわれでもあるのだ。
「――プレイッ!」
初球、盗塁を許しはしたが、投球はストライク。要求通りしっかりとコントロールされたナックルで取ったカウントだ。
アリスの状態に心配がないと分かれば、ランナーの動きを気にする必要はない。バッターとの勝負に徹すればいい。
スパンッ!
「ストライツーッ!」
三盗を成功させた霊夢に一瞥もなく、パチュリーは三球連続となるナックルのサインを出す。遊び球を使うつもりはさらさらなく、三球勝負である。
バッターの静葉はナックルに対応出来ておらず、ここまでの二球は共に空振り。ならば落ち着く間を作らせず、仕留める。
第三球、セットポジションから肩越しに一度ランナーを確認し、アリスの右足が上がった、その瞬間――
「――走ったッ!!」
霊夢がホームに向かってスタートを切り、バッターの静葉は素早くバントの構えを取った。まさかのスリーバントスクイズである。
ここまでのタイミングが合っていない空振りは、全てこのスクイズの為の布石だったのだ。
瞬間、パチュリーの口元に笑みが浮かんだ。
「(遠い、読まれた……!?)……くっ!」
アリスの投球は、大きくアウトコースに外れた丁度静葉の目線ほどの高さのボール。パチュリーは立ち上がってそれを待ち構えている。
狙いを読まれて外された――そう思って一瞬動揺した静葉だったが、ボールの遅さと外す距離の不十分さに気付いて気を持ちなおす。
(これなら、届く……!)
意を決し、静葉は確実にミートするためにボールに向かって体を投げ出した。
「(嘘、ナックル……?)あ……!」
しかし、その先にボールはなかった。
鋭く軌道を変えたボールは、立ち上がったパチュリーの左膝近く、下向きに構えられたミットに納まった。
そして、ホームベースにヘッドスライディングで飛び込んだ霊夢を間一髪でタッチし、
「――バッターアウッ! ランナーアウトォ! チェンジ!」
三振ゲッツー。ワンアウトランナー三塁のピンチから、一転して守矢チームの攻撃を終わらせた。
「っしゃあ! ぱっつぁん、あんた天才だよ!」
「ナイピッチ、アリス!」
「読み通り、ってやつね!」
「さぁーて、打つかァ!」
ピンチを最高の形で凌ぎ、俄然盛り上がるフランドリームス。
一方、チャンスを潰した守矢チームだが、
「……ごめんなさい。あの位置からのナックルも想定してたはずなのに」
「気にする事なんてないわよ。それよりほら、諏訪子が何か言いたそうよ」
「?」
「ふっふっふ……この諏訪子様に任せときな! 一点たりともやるつもりなんてないから、ね!」
「だ、そうよ」
「ふふっ、ええ。信頼してるわ、エース!」
まだまだ流れをやるまいと、こちらの士気も衰えていない。
さて、激しい攻防となった序盤が終わり、ここから試合は中盤に入る。
各打者が相手投手の球に慣れ始める中盤、ここまでの展開から見てさらなる乱打戦になることも予想されたが、実際は全く逆の結果となった。
まず四回表、フランドリームスの攻撃は前の打席でホームランを放っている萃香からという好打順だが、完全にエンジンが掛かった諏訪子はそれをものともせず、萃香をどん詰まりのライトフライ、妹紅と魔理沙をキレのいいフォークボールで連続三振に切って取った。
続く四回の裏、守矢チームもクリーンナップ全員が打席に立つ好打順だが、諏訪子に負けじとアリスの抜群のコントロールが光り、穣子をショートライナー、早苗をセカンドゴロに仕留める。ツーアウトから天子にライト前へ痛烈な打球を飛ばされはしたが――
「萃香ッ!」
「フラン! 思いっき……いや、七割くらいでこいッ!」
「(七割七割……これくらいかな)ふッッ!!」
ズドオォォォォォォン!!
「ナ、ナイスボールッ!(いっ……てええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)」
「バッターアウッ!! チェンジ!」
「ドンマイ天子」
「ま、また外野ゴロ……穣子様、地上の野球はどうなってるの……?」
「あの人たちは特別。運が悪かった、としか言えないよ」
「そんなあ……」
「さ、気を取り直していこう!(あれで本当に七割だとしたら……とんでもないわね)」
フランドールの強肩に助けられてライトゴロ。こちらも三者凡退にて切り抜けた。
五回になっても両投手の調子は翳りを見せない。
上位打線を抑えた勢いそのままに、諏訪子が五者連続となる三者三振に仕留めれば、アリスは丁寧に低めを突いて内野ゴロ三つで抑えてみせる。
剛と柔、対照的な投球スタイルの二人だが、共通して言えることは、どちらも付け入る隙が全く見いだせないという事だ。
そんな状況で迎えた六回の表、先頭のフランドールが打席に入った。
「お願いします」
そこで神奈子はとある変化に気付く。
前の打席までは、元気良く「よろしくお願いします!」と笑顔で打席に入っていたフランドールが、今回は少々強張った面持ちで、さらに挨拶も控えめなものだったのだ。
(……焦り、か)
それだけではなく、ちらりと三塁側ベンチを見てみると、やはりどこか皆の表情は固く、応援の声はやけに強く感じる。
硬直した試合展開が、ビハインドを背負っているフランドリームスに少しずつ焦りをもたらしている――そんな印象を受ける。
「プレイッ!」
ここまで分かりやすい付け入る隙を、百戦錬磨の軍神である神奈子が見逃す筈もない。
顔サインで投球の組み立ての変更を諏訪子に伝え、薄々そんな気がしていた諏訪子は「了解」と、こちらも顔サインで返した。
その初球――
ギィン――!
「ファールボーッ!」
要求通りの外角低め、僅かに外に外したストレートだ。
球速は八割程度だが威力は十分のこの球、強引にスイングに行ったところでフェアグランドには飛ばない。
続く二球目は、さらにボール一つ分外に外したストレートで、フランドールは出し掛けたバットを止める。
三球目、アウトコースやや高めからの落差のあるフォークに空振り、カウントは2ストライク1ボールとなった。
(よし、仕上げだ!)
(がってん!)
神奈子は自信を持って『インハイのストレート』のサインを出し、分かってたよ! と言わんばかりに、諏訪子は即座に頷いた。
ここまで執拗に外を攻めていたため、フランドールの小柄な体は少しずつバッターボックスの内側に引き寄せられている。
どんなに早く反応したとしても、インハイを打ち返せないであろう位置まで、である。
ならば、遊び球など必要ない。詰め将棋の最後の一手を『ミスがないように』打つだけだ。
「お嬢様、これは私の推測なのですが……」
「うん、私もそう思っていたところ。多分間違ってないわ」
「……? なんの話ですか?」
「ねえ、さとり。こいしの好きな食べ物は?」
「え? うーん、そうですね、筑前煮とか栗ご飯とか「松茸ー!」……あたりですね。でも、何で突然そんな事を?」
「それと同じだからよ。身内だから分かる事。さあ、振りかぶったわよ」
「はあ、なるほど(答えになっていないような……)」
高々と上がる足、躍動する全身、びしびしと伝わってくる気迫――それらを前にして、フランドールはパチュリーと交わした会話を思い出していた。
――フラン、少し不安になってきた?
――あ、やっぱり分かっちゃったか…… でも大丈夫、絶対悟られないようにするから
――ううん、むしろそのままでいいわ
――え?
――フラン、憶えておいて
踏み込まれる左足も、鞭のようにしなる右腕も、球を弾き出した指先も、勝利を確信したかのような眼差しも……全て、よく見えた。
(見えた――? あれ、私何だか凄いよく見えてる……)
そしてフランドールは、左足を外側に向かって強く踏み出した。
――ツーワンからのインハイ、狙い目よ
キイィィィィイィィィィィン!!
◆
「――惜しかったわね」
「はい。飛距離だけ言えば、萃香以上だったんじゃないでしょうか」
「あのスイングスピードなら当然よ。前の二打席とは桁外れの速さだった」
「逆にそれが仇になったという事ですね」
「そうね」
「バッターアウトッ!」
「……フラン様、焦っておられるようですね」
「………」
カウント2ストライク1ボールからの五球目、インコースから落ちる釣り球のフォークにバットが止まらず、フランドールは三振を喫していた。
四球目のインハイのストレート、パチュリーの読み通りだったそれをジャストミートした打球は、レフトポール遥か上空、しかし客席六席分ほど左に逸れた位置の天井に直撃する大ファール。そして、そこから先のことは考えていなかったため、あっさり次の釣り球に引っ掛かってしまったのである。
同点に追い付く絶好のチャンスを逃してしまったフランドリームス、しかし問題はそれだけには留まらない。
「――くっ……!」
スパァン!
「ストライッ! バッターアウッ!」
さらなる問題、それは守矢バッテリーの警戒心を再び揺り起こしてしまった事だ。
中盤も終わりかけの六回、ここまで正攻法では打ち崩せていない諏訪子にきっちり投げられたら厳しいのは、誰の目にも明らかである。
ましてや、ビハインドを背負っている今の状況、焦りもどんどん募っていく。その証拠に美鈴が三振を喫した球は、2ナッシングからの釣り球、見え見えの外角ボールゾーンへ落ちるフォークだ。
「――どうだった?」
「パチュリー様の読み通りでした」
「悪いわね、もっと気持ち良く打たせてあげたかったんだけど」
「なんのなんの! チームの勝ちには替えられませんよ」
「良いこと言うわね。さ、ここからよ」
『――三番、センター、幽香。背番号、8』
決勝進出に黄信号が灯り始める中、打席に入るのは、四季のフラワーマスター、風見幽香。
フランドールや美鈴とは違い、焦燥している様子はなく、それどころか不自然なほど無表情で、前の二打席で放っていた凄まじい闘気も感じられない。
上段に構えたバットを上下にゆったりと揺らす独特の打撃フォームと相まって、守矢バッテリーからすれば非常に不気味な相手だ。
(二打席凡退とはいえ、当たりは出ていた。要注意だね……)
ツーアウトランナー無しだが、組み立ては今まで以上に慎重なものである。
初球、まずはアウトコース低めにストレートを決める。
続いてインコース低めにボール一つ分外しカウントは1ストライク1ボール。
ここまで幽香の様子に変化はない。
(コントロールミスを狙ってるのか? 残念だけど、コントロールを重視した時の諏訪子に限って――)
スパアァァァァン!!
(――それは、ない)
しっかりコントロールされたアウトコース低めのストレートで追い込んだ。
この三球目に対してもやはり幽香に変化はなく、構えたバットそのままにボールを見送っただけだった。
「……どうした? 随分と余裕じゃないか」
そんな彼女の姿は、どこか対戦を破棄しているようにも映る。
見兼ねた神奈子が返球の傍ら少々不愉快そうに声を掛けると、表情はそのままに幽香は深いため息を吐いた。
「余裕? フン……つまらない球しか来ないから、打つ気も失せたというだけの話よ」
「……なに?」
「思い当たらないんなら、思い出すまで付き合ってもらう」
「………」
挑発に近い幽香の言葉を受けるも、神奈子はブレずに元々の組み立て通りインコース低めを要求。大きくサインに頷き、諏訪子は第四球を投げ込んだ。
構えられたミットに向かって一直線に疾るストレート、内側ギリギリ低め一杯の素晴らしいコースだ。
ギィン!
「ファールボォッ!」
しかし、この素晴らしいボールを幽香は巧みにカットする。追い込まれていながらも、そのバットコントロールに澱みはない。
(あれを当てるか……やっぱり油断ならないねえ)
仕切り直しの五球目は、アウトコースのボールゾーンへ落ちるフォーク。美鈴を空振り三振に切って取った球の、より正確にコントロールされた一球だが――
ギィン!
「ファールボーッ!」
これも難なく幽香はカット。そして、ここから圧巻のカット劇が幕を開ける。
ギィン!
「ファールボオッ!」
ギィィン!
「ファールボーッ!」
キィィン!!
「ファールボーッッ!」
スパァァァァン!
「ボールツー!」
キィン!
「ファールボォッ!」
「予定外ですね……」
「ええ、予定外ね。ふふっ」
「……? 何だか嬉しそうですね」
「嬉しいっていうか、初めて幽香と対戦した時を思い出してるだけ。ほら、ファーストコーチャーやってるフランも笑ってるでしょ?」
「あ、ホントだ」
キィィン!!
「ファールボーッ!」
――これで十一球目、諏訪子の表情に一切の余裕は無くなっていた。
どんなにストライクゾーンの四隅を突いても、どんなに緩急変化球を交えても、幽香のバットは悉くそれらを捉えてくる。
一球だけ挟んだ際どいアウトローもきっちり見送られ、もはや投げられるボールがない状態だ。
ならばいっその事打たせてしまえばいい――のだが、なかなかその考えに踏み切る事ができない。この回の先頭打者、フランドールの大ファールがあったからである。
「おーーーい幽香ァ! 待ちくたびれてるよー!」
さらに、ネクストバッターズサークルに控えている萃香の存在も大きな要因の一つだった。
セットポジションが苦手な諏訪子にとって、フランドリームスで最も恐いバッターの萃香は出来る限りランナーがいない状態、つまりワインドアップで当たりたい相手だ。
ましてやリードが一点だけという状況、ランナーを背負って萃香を迎えるのは、絶対に避けたいところである。
しかし――
キィン!
「ファールボオッ!」
スパァン!
「ボールスリーッ!」
幽香を仕留めることができない。
トントン拍子で追い込んでからこれで十球、ついにカウントはツースリーとなった。
(風見幽香……まさか、ここまでやるとは……)
ここに至り、ついに神奈子は幽香を歩かせることを決断する。
不本意極まりないが、諏訪子の体力と精神の両面を考えたら、四の五の言ってもいられない。
(外側にボール二つ分。悪いな、諏訪子)
(……がってん)
十四球目、諏訪子は構えられたミットより少し左側に狙いを付けてストレートを投げ込んだ。
悔しさは、それはもう滅茶苦茶にある。けれど、それが神奈子の決断なら自分はそれに従うだけ――
キイイイィィィン!!
「「――!」」
やられた――!
打球音が響いた瞬間、神奈子は安易な選択をしてしまった事を後悔した。
それは、諏訪子のプライドを傷つけないために大きく外すのを要求しなかった事だ。
そう、幽香の狙いは、この狙って外す力のない一球だったのである。
(何をやってる……! 萃香に打たれた時と同じじゃないか! くそっ……馬鹿か、私は!)
「……フン、言ったでしょう。思い出すまで付き合ってもらう、とね」
「――あ……?」
「ファールボオッッ!!」
「ファール……か?」
「軍神ともあろう者が何を呆けているのかしら?」
「……これも狙ってやったのか」
「フン……」
「しっかしまあ……味方で良かったとしか言えないぜ」
「同感。あんな事出来る人なんて、師匠くらいのものだと思ってた」
「永琳出来るのかよ……」
「うん。でも、あの神様の速球相手には分からない。やっぱり幽香は凄いよ……!」
「世の中、広いよなあ」
十四球目の大ファールを受けて、守矢の二柱共に目付きが変わった。
それは、傲慢な妖怪に天罰を与えんとする、怒れる神の目だ。
その怒りは球場内の隅々に至るまで行き渡り、静まり気味だった観客はさらに声を潜めて勝負の行く末を見守る。
そして、十五球目。
「……あー……」
諏訪子の左足が勢い良く天に蹴り上げられ、残忍さを孕んだ薄ら笑いとともに、神の鉄槌が――
「うらあああぁぁぁぁぁぁァァァ!!」
振り下ろされる――!
バキッッ!!
「ファールボーッ!」
結果はまたしてもファール、だが先程までの百花繚乱と謳われるバットコントロールによって生み出されたファールではない。
インコース高めに食い込むスイングが追い付けないほどの、根元からバットを砕く規格外の豪速球によって生み出されたファールだ。
「……くくく、やれば出来るじゃない」
「幽香、大丈夫か?」
「野暮なことを聞かないで頂戴。ようやく楽しくなってきた所なんだから」
「ああ、悪い悪い。がんばってな!」
妹紅から替えのバットを受け取りながら、幽香は鋭い笑顔で諏訪子を見据えている。
対する諏訪子は、今のファールも故意的に打たれたものだと思ったらしく、未だ怒りに満ちた目をしている。
「プレイッ!」
十六球目……いい流れの時であれば、とうに一つのイニングが終わっているであろう球数だ。
この熾烈な勝負を制するのはどちらか……観客、選手たちが固唾を飲む中、幕切れは意外な形で訪れた。
ドゴッッ……!
「うぐ……っ!」
「あ――!(しまっ……た……!)」
バットを砕き割る豪球が、幽香の脇腹に突き刺さった。
◆
「幽香っ!」
「幽香ァ!」
「っ……!」
一塁コーチャーズボックスからフランドールが、ネクストバッターズサークルから萃香が、そしてマウンドから諏訪子が、球を受けて倒れこんだ幽香のもとへ駆け付けた。
球の速さと衝突音、どちらをとって見てもただではすまない事が容易に想像できてしまうデッドボールだ。
「……フン、たかがデッドボール一つで、騒々しいことね」
しかし、そんな心配をよそに幽香は平然と立ち上がり、ユニフォームの土を払っている。
痛がる様子も表情が変わることもなく、普段通りの立ち振舞いである。
「すまなかった……大丈夫かい?」
「ご、ごめん……」
「あら、二柱から謝罪を頂けるとは光栄ね」
「幽香……!」
「キャプテンがそんなしおらしくちゃ締まらないでしょう? もっと堂々となさい。審判、コールを」
「……ボールデッド!」
映姫のコールを聞き届けると、相変わらず心配顔の面々に構うことなく幽香は一塁へゆっくり走っていき、フランドールがそれに並走する。
「そうそう……フラン、一つ言っておくわ」
「ん、なに?」
「あなたの真っ直ぐの方が上よ」
「――! うん!」
「……本当に大丈夫なのか?」
「本人がそう言ってる以上、大丈夫なんじゃないかな。……さあて、そんじゃあいっちょよろしく!」
「………」
「……? よろしくお願いーっす!」
「え? あ、ああ、よろしくっ!」
「………」
状況変わって、ツーアウトランナー一塁となる。
次に迎えるバッターは、第一打席でホームランを放っている四番打者、萃香だ。
「………」
そんな最も警戒する相手に対して、神奈子の決断は早かった。
早々に立ち上がって大きく外側に逸れ、ボールを要求する。敬遠である。
「……悪いね、萃香」
「はは、光栄だよ!」
力ないボールが四つミットに収まり、萃香は鼻歌を歌いながら駆け足で一塁へ向かっていった。
ツーアウトランナー一塁二塁、ホームランはもちろん長打一つで逆転というピンチに際し、神奈子はマウンドに走る。
野手は集めず、諏訪子と二人だけである。
「よ。気分はどうだい?」
「……ヤバイね。冗談抜きに」
「はは、らしくないじゃあないか。しゃきっとしなよ、この守備終わったらあんたが先頭打者なんだからね」
「ん、がってん」
最後にポンと肩を軽く叩き、神奈子は早々とマウンドを後にした。
本来、諏訪子クラスのピッチャーであれば、調子の善し悪しに関わらず相当な打者でもない限りまず打たれる事はない。
それはこの試合も例外ではなく、ここまでで綺麗なヒットは一本たりとも許していないのだ。
なら、今ここで長話などする必要はない。肩に入った無駄な力を抜いてやるだけでいい。
「――さあ、こいやァ!」
打席に迎える妹紅。スイングの速さはかなりのもので、フランドリームスの打者の中でもトップクラスのそれを持っている。
しかし、三番幽香、四番萃香の怪物二人に比べれば些か怖さは無く、さらに前の打席で決定的な弱点を露呈しているため、相手取るのは容易かった。
ブンッッ!!
「ストライッ!」
ブンッッッ!!
「ストライツーッッ!」
そう、妹紅はフォークに対してまるっきり対応できていないのだ。
持ち前のスイングスピードも宝の持ち腐れで、ぎこちないダウンスイングから空振りを量産するのみである。
「ちッ……!」
好調時とは程遠い出来の諏訪子ではあるが、それでも打たれる気はしない。
フォーク二球で早々と追い込み、三球目も――
ブンッッッ!!
――落とす。
「ストライッ! バッターアウトォ! チェンジッッ!」
球速が落ちた代わりに変化量が増したフォークに、妹紅のバットは虚しく三度空を切った。
スリーアウトチェンジ、ツーアウトから得点圏にランナーを出したものの得点は入らず、守矢チームの一点リードは変わらない。
「――ナイピッチです諏訪子様っ!」
「おつかれ」
「ありがと。ちょいと情けないとこ見せちゃったけどね」
「さあさあ諏訪子様! ピンチの後にチャンスあり! バビュッと打っちゃって下さいねっ!」
「暑苦しい」
「はは、任せな!」
こうなるとやはり、リードしている守矢チームの士気は高まる。
特に一番の霊夢に打順が回るイニングだけに、追加点を狙うには絶好の機と言えるだろう。
「みんな、悪い……!」
「ドンマイ妹紅! 切り替えてこう!」
「……そうだな! ありがと、フラン!」
「っし! ちゃっちゃか三人で終わらしてバンバン打とうぜ! てなわけで頑張れアリス!」
「もちろん。あなたこそエラーしないでよね」
「それならいい方法があるぜ。私のとこに打たせなきゃいいんだ」
「何よそれ。ふふっ」
「はっはっは!」
対するフランドリームスだが、チャンスを逃した事による落胆の様子はない。
というよりも、ツーアウトランナー無しからチャンスを作ったという見方の方が強いらしく、むしろムードは良くなっているようだ。
「緒戦からアツい試合ねえ。こっちも熱くなってきちゃうわ。……ん? 永琳、どうしたの? 何だか難しい顔してるわよ」
「……本人から言いださない限りこちらから干渉するべきではないのでしょうね」
「ん、それって……」
「ええ……折れています」
「――!」
『九番、ピッチャー、諏訪子。背番号、14』
「……覚悟、か」
「覚悟です」
六回の裏、守矢チームの先頭打者は諏訪子から。前の打席は打ち気満点のところをナックルに翻弄されて三振を喫していた。
その時には目一杯に長く持っていたバットを、今は拳一つ分程短く持っている。何としてでも出塁する――そんな諏訪子の意志の表れであろう。
「よくよく考えてみたら、霊夢以外にはほとんど打たれて無いのよねえ」
「ですね。初回こそ失点しましたが、それ以降は内野安打一本だけです」
「すごーい……。あんまり速くないのに」
「打席に立ってみないと分からない、って事よ。二人とも、投球のリズムだけはしっかり把握しておきなさい」
「はい、紫様」
「はーい!」
しかし、その姿を前にしてもアリスの投球に翳りもブレも見当たらない。
外、内、外、内と揺さぶり、カウント2ストライク2ボールからの五球目、ど真ん中から鋭く落として引っ掛けさせ、ピッチャーゴロに打ち取った。
「オーライッ!」
叩きつけるようなスイングになったため、打球は少し高くバウンドしている。アリスは素早く落下点に入りボールを掴むが――
(――速い……!)
守矢チーム最速を誇る諏訪子は、既に一塁手前まで達している。
素早く送球するも中途半端なバウンドとなり、一塁は悠々セーフ。守矢チームにとっては念願の、フランドリームスにとっては痛恨のノーアウトのランナーが出た。
「ナイラン、諏訪子!」
「さんきゅー、神奈子! 欲言えばもうちょい綺麗にやりたかったけどね」
「関係ないさ。値千金だよ」
「まあね! さて、と、そいじゃあ後は――」
観客『うおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォ!!!』
「――主人公に任せるとするか!」
『一番、サード、霊夢。背番号、1』
六回表、守矢チームが萃香の前に何としてもランナーを出したくなかったのと同様、フランドリームスにとって霊夢は何としてもランナーがいない状態で迎えたい打者だ。
大歓声を浴びても相変わらず一切動じない霊夢の姿は、真っ向から勝負するのが憚られるほど怖く見える。
「ここまでチャンスに思えるノーアウト一塁も、ここまでピンチに思えるノーアウト一塁もないですね」
「あら、妖夢にしては珍しくいい事言うわね。私も同じふうに思ってた所よ」
「珍しく、は余計です……!」
敬遠策――それが一番の最善策であろう事は簡単に想像がつく。
仮に敬遠してノーアウト一塁二塁になった場合、うまくいけばダブルプレーやトリプルプレーを狙えるし、先程盗塁を決めている霊夢も釘付けにできるのである。
しかし、唯一にして最大の問題は一塁ランナーにあった。
そう、守矢チーム最速の足を持つ諏訪子の存在だ。
(――おっと!)
スパンッ!
「セーフ!」
「ナイス牽せーい!」
「ふー……(怖い怖い、ホントに見分け付かないなあ)」
走られたら刺せない――自分の弱肩と諏訪子の快足、天秤に掛けたらどちらに傾くかは火を見るより明らかである。
いかにアリスの牽制球が巧みでも、効力を発揮するのは一塁ランナーに対してのみ。二塁への牽制は普通のそれと変わらない。
そうなれば例え諏訪子がスタートに失敗したとしても、ピッチャーゴロを内野安打にしてしまうスピードで三塁を陥れられるのが容易に想像できる。
ノーアウトのまま三塁にランナーを背負うのは、さすがにリスクが大きい。
(あ……!)
霊夢に対するアリスの初球、外側にボール一個分外す『前の打席で決め球に使った』球。しかしこれがボール一個分ストライクゾーン側に甘く入ってしまう。
そして、一度だけとはいえ球筋を見ているこの甘い球を、霊夢が見逃すはずがなかった。
キイィィィィィン!
(しまった……――!)
打球は二塁手美鈴の頭上を越えてややセンター寄りの右中間でワンバウンド。
スタートが良かった諏訪子は既に三塁手前まで差し掛かっていて、傍では三塁コーチャーのにとりが腕をぐるぐる振り回している。本塁を狙え、とサインしているのである。
「……フン」
幽香が回り込んで打球を処理した時、諏訪子は既に三塁ベースを蹴っていた。
あの快足ならばホームインまであと三秒もない――そんな事を思いながら、
「ふッッ――!」
迷わず幽香はホームに向かって左足を踏み出した。
ズドオオオオオオォォォォォン!!
そして、ホームベースに向かって一直線に滑り込んでくる諏訪子の足――その延長線上に構えられていたパチュリーの下向きのミットに、針の穴を通す正確さでボールが着弾した。
「――ランナーアウトォォ!!」
観客『ワアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』
外野手の華ともいえる本塁補殺、あまりにも見事なその守備にスタンドからは歓声と拍手が鳴り響く。
だが、それ以上に盛り上がるのはフランドリームスのメンバー達だ。
「ナイス幽香っ!」
「お見事ですッ!」
「ははっ! 天晴れ天晴れ!」
「フン……」
「ワンアウトーーーッッ!!」
フランドリームス一同「オオーーーーッッ!!」
表情を変えない幽香をよそに、各ポジションの選手達は大盛り上がりだ。
しかしそれもそのはず、誰もが失点を覚悟した状況から一転、ド派手なプレーでアウトをもぎ取ったのだから、皆のこの喜びようも当然と言える。
「………」
しかしそんな中、パチュリーはとある違和感を覚えていた。
左手に残る幽香の送球の感覚……これまで幾度も受けてきたそれに比べ、今回は僅かに力強さがないように思えたのだ。
(まさか……ね)
「くっそー……! しずちゃん、仇を討ってくれー……!」
「勿論。あと、ナイスラン!」
「さんきゅー……!」
状況変わってワンアウトランナー二塁(本塁送球の間に霊夢が進塁した)。バッターボックスに立つ静葉は静かに熱い闘志を心中に滾らせていた。
霊夢に比べて明らかに小さい歓声に悔しさを覚えているのは、諏訪子だけではないのだ。
しかし、今の自分に歓声を求める資格などない事も彼女は分かっている。
初回の牽制死にチャンスでの三振ゲッツー……そんな不甲斐ない自分に期待しろなど、まこと図々しい話である。
しかし――
「――がんばれーッ! お姉ちゃんッ!」
しかし、自身の次を打つ優しい妹が、そんな不甲斐ない自分を気にして本来のスイングが出来ていない事、それだけは看過できなかった。
「プレイッ!」
狙うは初球。例えボール球だろうと、必ず打つ。そう心に決めた静葉への初球はアウトコース高め、そこからボールゾーンへ逃げるナックルだ。
決して打ちやすい球ではない。しかし静葉は迷わず体を投げ出し、短く持ったバットを思い切り伸ばした。
キィィンッ!
「――!(この状況で初球エンドラン……!?)」
崩れる体勢なれどしっかり芯でミートされた打球は、思い切り手を伸ばしたアリスの頭上を越えた。
鈴仙と美鈴がダイビングで追いすがるも捕球出来ず、ボールは転々とセンター前に転がっていく。
「……! バックホームッ!」
しかし、話はまだ終わりではない。
普通、ツーアウトの場面を除く直接捕球される可能性のある飛球の場合、ランナーは落ちたのを確認してから進塁するのが定石だ。
ゆえに、この状況ならば二塁ベース付近にいるはずのランナーが、どういうわけか既に三塁ベースを蹴っているのだ。
「霊夢……っ!」
打球の速度は遅く、ここまで見事なスタートを切ったのならば楽々ホームインできるタイミングである。
しかし霊夢は一切スピードを落とさず全力疾走。理由は言わずもがな、センターからレーザービーム攻撃が来るのを確信しているからだ。
ズドオオオオオォォォォン!!
タイミングは五分、いや僅かに送球の方が早かった。しかし――
「(霊夢……ッ!)くっ……!」
タッチに向かったパチュリーのミットを掻い潜るように滑り込んだ霊夢。その伸ばした手が、僅かにホームベースの隅に触れたのだった。
「――セーフッッ!!」
『硬直していた試合が遂に遂に動きました! 守矢シャイニングバーニングライトニングス、秋静葉選手にタイムリーヒットが飛び出し、スコアは3ー1となっています。阿求さん、それにしても見事なエンドランの作戦でしたね!』
『そうですね。ただ今の一連のプレーはエンドランではなかったように思います』
『エンドランではない、ですか?』
『ええ。霊夢選手のスタートは打球が飛んでからでしたからね。恐らく静葉選手はどんなボールが来ても初球打ちと決めていたのではないでしょうか。霊夢選手の走塁は、そうですね、説明出来ない部分も多いですが、直感とでも言いますか、打球が落ちる事を確信した上での走塁だったように映ります。いずれにしてもこれで2点差ですね。大きな追加点です』
『大きな追加点が入り、さらにこれからクリーンナップを迎える守矢シャイニングバーニングライトニングスと、これ以上の失点は絶対に避けたいフランドリームス、引き続き注目して参りましょう! 解説は稗田阿求さん、実況はわたくし、射命丸文でお届けして参ります!』
《ここまでの経過》
フランドリームス 1-3 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手 3打数0安打
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 3打数0安打
③風見 幽香(右投左打)中堅手 2打数0安打1死球
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 2打数1安打1本塁打1打点1四球
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 2打数0安打1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 2打数1安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手 1打数0安打1犠打
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 2打数0安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 3打数3安打1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 3打数1安打1打点
③秋 穣子(右投右打)右翼手 2打数0安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 2打数1安打1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 2打数0安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 2打数0安打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 2打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 2打数1安打
続く
大変面白かったです。
幽香がどうなるのか、試合の結果はどうなるのか等たのしみです。
また恒例の一話から読み直しに行ってきます!