「もう勘弁してくれよ、アリス」
と魔理沙はついに情けない声で懇願した。
一方のアリスはというと、真剣な表情で聞いてない。
「やはり赤は駄目ね。かと言ってピンクは……、でもアクセントに使うならアリか」
そうしてアリスはううむと考え込む。様々な色の組み合わせを試算しているようだ。
考えながらアリスは、備え付けの洋箪笥から新たな衣服を引っ張り出す。
「何だっていいじゃないか。アリスは美人さんだから何を着ても似合うさ」
「それはそうだけど、やっぱりこういうのはちゃんと決めたいじゃない」
アリスは魔理沙の世辞を肯定しつつも、魔理沙を解放する気はないようだ。
魔理沙はその大きな洋箪笥に視線を移す。箪笥の中から続々と出現する衣服の量に、まだまだ時間が掛かりそうだと、がっくり肩を落とした。
ことの起こりは三時間前に遡る。魔理沙がまだ自宅でのんびりと過ごしていた時のことだ。
その時魔理沙は遅い朝食を摂っていた。静かな朝の一時である。魔理沙の家は森の奥に建てられており、その分不便も多いが、こうして静かに過ごせるのは利点であった。
魔理沙は優雅に――と言っても散らかり放題の部屋にキノコ茶漬けという朝食は、見るものにそれを感じさせないが――ひとりきりの時間を満喫していた。
邪魔をする者は誰もいない。気分だけはブルジョワジーの心持ちであった。
だが、そんな時間にドアベルによる音の介入があった。魔理沙は少し不機嫌だ。こんな朝からわざわざ森の奥まで訪問してくる物好きは誰だと玄関の扉を開けてみれば、そこに立っていたのは顔見知りの魔女であるアリス・マーガトロイドだったのだ。
「服を選んで欲しい」
とアリスは言った。季節の変わり目、春物に衣替えをしたいから、それを選ぶのを手伝って欲しいのだそうだ。
魔理沙は余りにもな理由に小さく憤慨する。そんなもの自分一人で選べと一蹴したが、彼女は殊の外執拗だった。ずいと、招いても無いのに半身を滑り込ませ、
「明日実家に帰るのよ。ヘンな服じゃ恥ずかしいじゃない」
などと言う。
何でも彼女の母君は、愛娘のファッションに対して非常に厳格な考えの持ち主で、彼女のお眼鏡に適わない衣服の場合、その場で即着替えを命じられるのだそうだ。
珍しい志向のご家庭である。
「もう親に服を用意してもらう年じゃないっていうのに」
とはアリスの言。
しかし、そんなアリスの事情も魔理沙には関係のない話だ。言ってしまえば「知ったことか」という具合である。
魔理沙はその通りにアリスに伝え、この話を終了させようとした。これから用意しようと思っていた食後のえのき茶の方が重要に思えた。
だが、アリスの言った次の言葉に魔理沙の決心は揺らぐことになる。
「今なら先着一名様にキノコのパイを焼いてあげます」
踵を返そうとした魔理沙の動きがぴたりと止まる。それは非常に魅力的な提案だった。
「……食後の紅茶は?」
「もちろん。先着一名様まで」
「うむぅ」
そうして魔理沙は、内なる葛藤に悶え苦しむ。正直、アリスの焼いたパイなら食べたいし、食後はえのき茶よりも紅茶の方が優雅に見える。見栄ッ張りな魔理沙は口にこそしないが、ここのところまともな食べ物を口にしていないのだ。豪華な食事になら釣られていいとも考える。
自分の好きなキノコ料理というのも心が揺らぐ原因だった。
(それに……)
魔理沙はアリスの顔を見やる。アリスは小さく俯いて、「駄目かな?」などと言っている。
はあ、と魔理沙は観念したように息を漏らした。
――それに魔理沙は、この頃アリスが調子の悪そうにしていたのを知っているのだ。
最近アリスの様子が変だ――、
そう言ったのは紫の魔女・パチュリーだった。アリスもアンタにだけは言われたくないだろうと茶化したが、確かに魔理沙から見るアリスも、どこか調子が悪いように見えた。
動作のひとつひとつも何かぎこちなく、偶に見る横顔は引きつっているように見える。
しばらくアリスには近付かない方がいい――、
と魔女は続けて忠告する。疑問に思った魔理沙はどういうことか尋ねるが、結局はぐらかされてしまった。同じく《魔女》だから分かるのだ、とだけ言う。
魔理沙はパチュリーの態度に首を捻る。だが、パチュリーの真意はどうあれ、実際にアリスの顔色は悪い。魔女が風邪を引くとは思えないので、精神的な問題だろうと考える。そして魔理沙は、その原因についても心当たりがあった。
魔理沙は、たまにアリスが、自分に熱っぽい視線を送ってきているのに気付いている。魔理沙自身には「そっちの気」は無いが、そのせいで無意識の内にアリスを避けていたのかも知れない。アリスの不調に自分の態度が関係あるのではないかと思うのだ。
だから魔理沙は、そのような事情も鑑み、ここでまた断ってしまうのも気が引けた。
どのみち大した予定もないのである。服を選ぶくらい手伝っても悪くはないだろう。
「……仕方ないな。少しなら手伝ってやるよ」
魔理沙はせいぜい偽悪的に言ってやった。内心は恐る恐るアリスを窺う。
「本当? やったぁ」
見えたアリスは春の花のように微笑んでいた。魔理沙は少し肩の荷が降りたように思える。こんな風に笑ってくれるなら、案外、安い仕事だったかも知れない。
そうして魔理沙は、やれやれと嘯きながらアリスの家に向かう事に同意した――、
――……のだったが。
「まさか私が着せ替え人形にされるとは思わなかったぜ……」
魔理沙は嫌見たらしく愚痴ってみせる。そんな魔理沙の言葉に、やはりアリスは聞いていない。取り敢えず今の服には否決が下ったようだ。
アリスはまた洋箪笥の中から一着を取り出した。魔理沙はげんなりしながらそれを見る。箪笥の扉の奥には闇がある。魔理沙はそれが魔物の巣窟のようにも思えた。
現在、魔理沙はアリス邸に訪れていた。アリスの家も魔理沙と同じく森の奥にある。常ならばひっそりと静かで、しかし、魔理沙邸と違うのは綺麗に整理整頓されているところか。
魔理沙はそんなアリス邸の一室、大きな洋箪笥のある部屋で立ち竦んでいた。その表情にはどこか疲れが見える。対するアリスは、真剣な表情で衣服の査定を行なっていた。
「なぁ、アリス。これって私が必要だったのか?」
と魔理沙は半分無駄と知りつつも訊く。アリスは何を今さらと反論する。
「仕方がないじゃない。客観的な分析のためには、これが一番確実なんだから」
「だったら私が見ればいいじゃないか。アリスが着るんだからその方が確実だろう?」
「駄目よ。魔理沙のセンスはアテにならないんだから」
「アテにならない人材に手伝わせるなよ」
「他に使えそうな人がいなかったのよ。私だって人を選ぶわ」
「ぐぬぬ……」
論破、というよりは無理矢理丸め込められた魔理沙は、仕方なく次の洋服に腕を通した。あまりに見事な言われように、ひっそりと傷付く魔理沙だ。
魔理沙は大きな姿見の前に立っていた。アリスの春物を見立てるために、だが服を着せられていたのは魔理沙の方だった。
アリス曰くこれが「客観的な分析」とのことで、背格好の似ている魔理沙に試着させて、アリス自身はその審査に徹している。
当然、その試みに「魔理沙の審美眼に期待する」という要素は入っていない。
「なぁ、アリス。こんな立派な鏡があるなら一人でも……、」
「少し黙ってて」
アリスは射殺さんばかりの視線に、魔理沙は大人しく従うしかない。仕方なく魔理沙は、横目の洋箪笥に不満をぶつける事にする。無駄に大きな箪笥だ、と罵った。
自慢の箪笥だとアリスは言った。黒のゴシック調の箪笥で、装飾は抑えめで派手さは無いが、妙な威圧感を感じる箪笥だ。両開きの扉は開け放たれ、奥には全てを吸い込みそうな闇が見える。
恐らく箪笥の中も広いのだろう。魔理沙には、その闇に果てなど無いように見えた。だが、その広さに見合う量の衣服が収納されているのだとすれば、魔理沙は嘆かずにはいられない。
今度こそ、心からやれやれと思った魔理沙だ。
(まあ、これでアリスが元気になったのなら……)
と魔理沙は無理矢理自分を納得させる。
ここ数日観察したアリスとは打って変わって、今日のアリスは快調のようだった。その姿は活き活きとして見えるし、表情に影は見当たらない。
元々、ファッションに対して並々ならぬ情熱を持つアリスだ。自分の衣服は全て自分で作るし、その所有量も並大抵ではない。恐らくアリスにとって、自分を飾る衣服とは、アリスが熱心に研究している自立人形に次ぐ、もう一つの柱となっているのだろう。この作業も楽しくて楽しくて仕方が無いはずだ。
これで少しでも気分転換になったのなら、と魔理沙は喜ぶべきなのかも知れない。
(とは言え今度は私が変になりそうだけど……)
されるがままにアリスに何十着も着せ替えられて、しかし、魔理沙の限界こそ近かった。
「なあ、アリス。お腹空かないか」
と魔理沙。アリスの目的が果せているなら、これから先は自分の目的も果させて欲しいを思う。
昼食にキノコのパイを焼くと約束したのはアリスの方だ。
だが、返答は見当違いの角度からやってくる。
「ああもう、魔理沙ったら着せ替えのし甲斐があるわ」
「お褒めに与り光栄だが、これを着るのはアリスなんだろう? だったら……」
「あれもこれも良くて迷うわ。……ああッ、何て贅沢な悩みなのかしら!」
アリスは自分の世界にトリップしているようだった。もう魔理沙の注文はまったく耳に届かない。アリスもそうだが、そういえばパチュリーもこういうところがあるなと、場違いにもそのような感想を持った魔理沙だ。
「楽しいのは分かるんだが、私は結構キツイんだよ。一度休憩しようぜ?」
「次はこれもいいわね。ああっこっちの服も可愛い。……ん? 男装も意外といいかも」
身の危険を感じる魔理沙。今のアリスなら冗談で済まない可能性がある。箪笥の闇に魅入られたのでは、と思う魔理沙だった。
浮かれるアリスと沈む魔理沙は、それからも衣服との格闘を続けた。攻防の行方はかなり一方的だったが、アリスはそんなことに頓着しない。
そうして様々な想いを交えつつも、ようやく一着の衣服に至ったのは、さらに一時間が経過した頃だった。
アリスはそれを手に熱っぽい笑みを浮かべる。
「これね。やっぱりこれしかないわ」
アリスは満足気に頷く。決して短くはない時間が過ぎ去り、朝方から始めて、時計の針はすでに昼過ぎを示している。
「ようやく終わったのか……」
魔理沙もまた感慨深げに頷く。何かをやり遂げたような、ある種、晴れ晴れとした顔だ。その魔理沙の足元には、百を越える没の群れが横たわっている。
「やっぱり黒ね。それと白。もうこれしかないって組み合わせだわ」
「そうだなそうだな。もう本当そうだよ」
魔理沙はアリスの気が変わらないように必死で同調してみせる。その魔理沙が着用しているのは、いつも魔理沙が着ているのと大して変わらない、黒の下地に白のエプロンドレスという組み合わせだった。
散々拘りを見せたアリスの落着がこれとは、何時もの魔理沙なら一言あって然るべきだが、今は触らぬ神に祟りなしだ。何としてでもこれで終いにしたかった。
「やっぱり――が――だし、それに――も――で、」
「うん。全くそうだ。アリスの言う通りだ」
人はそれを太鼓持ちと言う。
魔理沙は藪蛇を恐れて、一度もアリスに視線を合わさず、例の洋箪笥を見ながらアリスの称賛を続けた。ああ闇よこれで終わりにしてくれ――と箪笥に向かって懇願していたのは魔理沙だけの秘密だ。
しばらくアリスの自画自賛と魔理沙の諂いが続き、この件にようやく決着が着いた。
アリスの春物に決着が着き、元の服装に着替えた魔理沙は、ぐったりとソファに沈み込んでいた。余り愉快でないタイプの疲労を感じている。その横ではアリスが、幸せそうな顔で投げ放られた洋服たちを介抱していた。
魔理沙はそんなアリスの姿をぼんやりと眺めている。それにしても――、と呟きが漏れた。
「本当にすごい服の数だな」
魔理沙は感心したような呆れた様な調子で言う。目に入るのは大量の服の山だ。
この全てを着せられたわけではないが、覚えのある服も多々ある。
「これはみんな春物なんだろ? 全部合わせたらどれだけあるんだ」
アリスは、春物を選ぶという目的にこれだけの数の洋服を用意した。無論、アリスは夏物も冬物も持っているはずで、目の前にある山は氷山の一角に過ぎないのだ。いかにお洒落好きな女の子といえ、この量は異常と言えた。
「そうね。長く生きてきたから。色んな服を作ったわ」
アリスは若干遠い目をしながら言う。魔理沙はそんなアリスに、自分とアリスの違いを改めて思い出した。
アリスは魔女で魔理沙は人間だ。魔女は人間よりずっと長生きなのだ。アリスとて魔理沙とは比較にならないほど長い時間を過ごしている筈だった。
その時代を共に生きたそれぞれの服にも、それぞれの思い出があるのかも知れない。
「全部自作なんだもんなぁ。よくやるよ。……って採寸間違えてる奴もあるけど」
魔理沙は話題を逸らそうと、そして明らかにサイズ違いの一着を見つけた。自分にもアリスにも着れそうにない。その一着を摘まみながら、もしかしてアリスにも、よく失敗をしていた時代があったのかも知れない、と思った。
「あら失礼ね。それだってちゃんと着てたわよ。今は無理だけど……」
「何だ、アリス。アリスは背が高くなったり低くなったりするのか」
「んー、まあそうね」
「何だよ、そりゃ」
よく分からないことを言うアリスだった。単に失敗を認めたくないだけかも知れない。
そんなアリスから視線を外し、魔理沙が気になるのは、アリスの背後にある大きな洋箪笥だった。この箪笥は次から次へと洋服を吐き出した、魔理沙の宿敵とも言える存在である。だが、改めて見ると奇妙な箪笥だなと思う。
試着中は箪笥の闇がただ憎らしかったが、これほど大量の衣服が納められていたこの箪笥は、普通の箪笥などでは無いのではないか、と思えるのだ。
周囲に散らばっている洋服たちの量は多い。その全てがこの箪笥の中に入るとはとても思えない。明らかに容量を超えて収納している。もしかすると何かのマジックアイテムかも知れない。
箪笥に見とれていた魔理沙に、アリスがニヤリと笑った。
「なーに? 気になるの?」
「まあな。大きな箪笥だと思って。私が中に入ってもまだ十分な余裕がある」
魔理沙はそれとなく探りを入れてみた。魔理沙の蒐集癖は有名で、これがマジックアイテムだとすれば素直に教えてくれないかも知れない。尤もその危惧は正解で、貴重なマジックアイテムなら是非欲しいと、虎視眈眈と狙う魔理沙がいた。
「まあね。これだけ多くあるから箪笥も大きくないと入らないでしょ?」
部屋中に散らばった洋服を畳みながらアリスが言う。
そこまでは誰でも思うこと。魔理沙はその続きが知りたかった。焦れったい思いをしながら魔理沙は待つ。
「それにね、この箪笥にはちょっとした仕掛けがあるのよ」
「仕掛け?」
そらきたと思う魔理沙。惚けた返事をしながらも、魔理沙の眼光はキラリと光った。
これだけ苦労したのだから、対価がパイと紅茶だけでは割に合わない。余りにも大量の衣服を持て余すアリスに、せめて普通の箪笥に入る程度というものを教えてやっても良かった。
魔理沙は我欲の正当化としていらん節介心を抱きつつ、しかし表面上はおくびにも出さずに次の言葉を待った。
「それじゃあ、実際に見てみましょうか」
とアリスは立ち上がる。次いで魔理沙もソファから身を起こした。
アリスは箪笥の前に立って手招きをしている。
「もともと魔理沙にも見せてあげようと思ってたのよ」
アリスは嬉しそうに笑っている。途端に魔理沙は嫌な予感がした。大体にしてアリスがそんなことを言う時はろくなことが無いのだ。
魔理沙は箪笥に近付きつつも、それを警戒していた。もしかして今ある以上の衣服が吐き出されるかも知れない。今度は夏物を選ぶと言われそうな気がした。
魔理沙は恐る恐る箪笥の中を覗く。近くで見ると本当に暗いなと思った。
そして、何があるんだとアリスの方へ振り向こうとした瞬間、
「え――?」
突然、アリスに肩を掴まれた。何事かと思う間もなく、信じられない力で押し倒される。
全身を打つ衝撃があって、ようやく思考が追い付いた時には、魔理沙はその箪笥の中に突き飛ばされていた。
「痛てて……。何の真似だよ、アリス」
魔理沙は一連の動作で肘を何処かに打ち付けたらしく、苦い顔で撫でながら訊いた。
アリスは怒っているようにも楽しんでいるようにも見えない。強いて言えば、窓の外の雲を眺めるような表情だ。
「少し待っててね。すぐに終わるから」
そう言ってアリスは箪笥の扉を閉める。暗闇の中に押し込められて、流石の魔理沙も焦った。
押しても引いても扉は開かない。鍵を掛けられたようだ。
「おいおい、何なんだぜ!? 冗談が過ぎるぞ!」
魔理沙は、幼少の頃に父親に叱られて押し入れに閉じ込められた時の事を思い出す。その時のトラウマかどうかは知れないが、魔理沙は狭い場所が苦手だった。
魔理沙は開けてくれる様に扉を叩く。アリスからの反応はなかった。
魔理沙は、アリスが「そっちの気」を暴走させたのではないかと訝しむ。自分の物に出来ないなら閉じ込めてしまえ――、とか。
だが、それにしてはアリスが淡白なのが気になった。
魔理沙は次第に焦りの色を濃くしていく。こんなのは稚拙な悪戯だ。本気で怖がる必要なんてない。さっきまではあんなに穏やかだったじゃないか。そう理解しようと思っているのに、視界を占領する暗闇に魔理沙の焦りは濃くなっていく。
――最近アリスの様子が変だ、
――しばらくアリスには近付かない方がいい、
パチュリーに言われた言葉が、重みを増して蘇ってきた。
「衣替えなのよ、魔理沙。古くなった衣を脱ぎ捨てて新しい衣を羽織るの」
アリスは平坦な調子で述べる。魔理沙にはアリスの言っている事がよく理解出来なかった。
だが、魔理沙が次の言葉を投げかけようとしたその時、不意に自分の頬を何かが触れたのを感じた。
「ひ――ッ!?」
魔理沙は驚愕に心臓が跳ね上がりそうになる。ゆっくりと肩を掴むそれは何者かの手で、とても人間のものとは思えなかった。
「アリス! 何かいる! ここ何かいるぞ!!」
魔理沙は箪笥の扉を内側から強く叩いた。余りの恐怖に魔理沙の語彙力は急激に低下している。
「出してくれよ、アリス。――出せって言ってんだろッ!!」
怒鳴る魔理沙を余所に、外に居るアリスは相変わらず平然としている。
魔理沙にはそれが一層恐ろしく思えた。
(こんなに怖い思いをしているのに)
(こんなに助けてと叫んでいるのに)
(何故そうも平然としていられるのだろうか――?)
大きな手が魔理沙の身体を押さえ付けていく。そして。そのまま強引に引き寄せられる。
一本ではない。二本、三本――いや、それ以上。
無数の手が魔理沙に絡みついた。
「――! ――!」
口を塞がれた。魔理沙は叫ぶことすら出来ずに奥へ奥へと引きずり込まれる。外から見た以上の広さがあったのは確かだった。
魔理沙はこの箪笥の闇を思い出す。それは少し前に自分で思った言葉だ。
“この闇に果てなどあるのだろうか――?”
怖い。怖かった。
「……」
アリスは扉の外からそれを眺めるだけだった。扉を激しく叩く音にも関心を示さない。すぐにその音さえ聞こえなくなったとしても、特別な感情を抱きはしなかった。
まるでパイが焼き上がるのを待っているだけのように。アリスは事の始終を静観していた。
一方、声も出せず身動きも取れない魔理沙は、やがて全ての現実を否定するようになる。
そう、これは夢なのだ。
朝に食べたあのキノコは幻覚を起こすもので、だから自分は夢を見ているだけなのだ。
アリスは友達でいい奴だった。だから、こんな酷い事をする訳が無い。
全ては夢で、きっとそうに違いないんだ――、、、
バキッ
次に箪笥から聞こえてきたのは、何かが弾ける様な音だった。生木を裂く様な、動物の骨を折る様な、そんな音だ。およそ民家の箪笥から聞こえてくる筈もない、背筋も凍りつきそうなおぞましい音。音は断続的に続き、しかし、やがて何も聞こえなくなった。
当然、魔理沙の声も聞こえてこない。完全な静寂だった。とてもそこに人間が入っていたとは思えない、不気味すぎる静寂がある。
アリスはそれを確認すると、ようやく扉を開いた。
「出来た」
アリスはそう一言呟くと、箪笥の中に残された“人間の皮”のようなものを手に取った。暫く観察を続け、やがて満足したように頷く。
アリスは早速着ていた衣服を脱ぎ捨てた。そのまま、古くなったアリスの皮も脱ぎ捨てる。今日は随分と無理をさせた為、脱ぎ捨てた瞬間に灰になってしまった。
アリスは出来たばかりの新しい皮をもう一度眺める。ふっと微笑むと、それを羽織り始めた。
手足を通してみると、それはアリスの見立て通り自分の身体によく馴染んだ。衣に合わせて体格を変える必要もなく、昔から使っていたのではないかと思うほど具合が良い。初めて魔理沙に会った時から「使えそうだ」と見ていたが、やはり魔理沙を狙ったのは正解だった。
裸のアリスはその上から服を着る。手に取るのは魔理沙と一緒に決めたあの洋服だ。魔理沙をモデルにして確かめた為、当然、今のアリスにもよく似合っていた。これなら母も納得するだろうと、アリスは満足気だ。《魔女》という種はこういった作業が必要なので面倒だが、新しい自分を誰かに紹介するのは楽しみでもあった。
アリスは部屋中に散乱した衣服を眺める。それぞれの服にも、それの似合う衣があった。アリスはその人物たちを思い起こし、少しだけ目を細めた。
アリスはふと壁掛けの時計を見る。すると、一人分のパイをオーブンに入れたままなのを思い出した。魔理沙が来る前に、昼食用に作っていたのだ。魔法で火の時間を設定していたので焦げてはいないだろうが、もう冷えてしまっただろうと思う。
また作り直さなければと悔やみながら、アリスは慌てて部屋を飛び出した。
読了ありがとうございました。
※2013/5/12 以下修正しました。
●同じく魔女だから分かるのだ、とだけ言う。→同じく《魔女》だから分かるのだ、とだけ言う。
●魔女はこういった作業が必要なので面倒だが、→《魔女》という種はこういった作業が必要なので面倒だが、
みすゞ※2013/5/12 以下修正しました。
●同じく魔女だから分かるのだ、とだけ言う。→同じく《魔女》だから分かるのだ、とだけ言う。
●魔女はこういった作業が必要なので面倒だが、→《魔女》という種はこういった作業が必要なので面倒だが、
お見事でした
そこが一番の突っ込みどころ、別にここの魔理沙とパチュリーは仲が悪くないんでしょ?
いや、途中までは浅瀬で水を掛け合うかの如き心持ちで読んでいたのですよ? 『春の花のように微笑んでいた』なんて可愛らしい表現でアリスを描いていて、ニヤニヤしながらマリアリを楽しんでいたのですよ。実家に帰る用におしゃれをしなければならない、付き合うのにやぶさかでない魔理沙。良い。掛け合う水も清らかで、陽射しの輝きがうおっまぶしってなもんです。
ですが読み進めて、箪笥の暗闇という満潮が迫ってくるわけですよ。とっぷりと、気づいたときには胸元まで浸かってしまって、ちょっとした魔理沙の好奇心で、溺れてしまう。潮の満引きと同じく最初から決まっていたかのように、箪笥の中に引きずり込まれてゆく。先だってからの会話やパチュリーの忠告にそれが現れていたのだから、そりゃあそうです。でもそこに気付かさずに読ませるのがお上手で、巧い。きっと僕も魔理沙と一緒で『マリアリ』という甘言に釣られてしまったからなのです。きっとそうです。
アリスが何故このような行為を続けているのか気になりましたが、『ご家庭の事情』というところからきっとそこに起因しているのかなと、想像してみたり。
読み返すと「もう親に服を用意してもらう年じゃないっていうのに」の台詞に日常的に続けられていることなのだと若干の恐怖を覚えたり。
いろんなお味を楽しめた作品でございました。
面白いけど怖いですね
読むんじゃなかった、グロ注意してほしかった
原作に忠実と言われればそれまでですが(笑)
お話自体は面白かったですよ。
山場もオチもちゃんとあって、それでいて読みやすかったです。上手くまとまっているなぁと思いました。
原作に忠実と言われればそれまでですが(笑)
グロならその手のタグを付けて下さい。
この手の話は人を選びますね
個人的には好きですよ
こういうのは別の場所の方が受けると思いますよ
こういう話は不意打ちの方が楽しめますね。
かと言って、苦手な人もいるから難しい。
時折スパイス欲しくなる私としては、大満足でした。
たぶんこのアリスは、人脈という抑止力がどれほど絶望的に強力かわかってないんでしょう。そしてそれゆえにこそ、この物語は最悪のデッドエンドとなっているわけです。言うなれば「森の奥には魔女が棲んでいた」。
>7
長文コメント有難うございます。
>5,>23
上手く伝えられていなかったので修正しました。
>11,>37
とくに言及していない要素なので色々な解釈が出来そうですね。
※意見が多かったので、概要部分に「一部残酷な表現あり」と追記しました。
これが魔女の本質というものですか。
人の形弄び少女をまさしく表現していますね。
もちろん原曲を批判しているわけではないですよ。 本当ですよ!
文章としては良かったので多少なりに評価します。
それにしても・・・・・読まなきゃよかった。
里人はともかく手前の好きで魔法の森に住んでる魔理沙が死んでも、それが問題になるかどうかはわからない。もちろん問題になって霊夢が仇討ちに来てもそれはあり。作者さんが自由に設定する所だろってね。
とゆーか、魔理沙が人気者ってのは二次設定で、原作では結構やっかい者と評されてるんだが、人脈てwwwww
魔理沙だからって言うわけじゃないけどこれは霊夢か紫出てくるんじゃないかなぁ。
これが通ったら人里に人間なんて居なくなってるよ。
人間に忌み嫌われる奴らは地底に居るって原作があんだし、嫌われない要素もないし。
あー怖かった
でも淡々としてはいるんだけど、余裕はなさそうで。
魔理沙の皮を被ったアリスが、精神的にこの後一体どんな影響を受けたんだろうか、とか考えてしまいます。
病的な親の存在も、このアリスの在り方を匂わせる狂気を醸し出していたと思います。
自分には予想できない展開で、楽しんで読むことができました。
皮を着替えたときに0歳とカウントするのかそのままなのか
これが初めてでもないでしょうし…恐ろしい話です
殺意や真実の時をワザワザ相手に知らせる親切な奴より隠す漆黒の殺意の持ち主の方が多い
パチェの助言は余りに不親切で冷酷ですらあるが、全部教えたらアリスに敵対することになってしまう
ならば親切は冷淡な程度に留める方が安全
問い詰めても親切を強要するのは甘えというだけであろう
誤魔化される真実の時
冷淡で不親切な親切
これらは結構ありふれているし、しかも大変深刻で重大なシーンでこのような態度を取られることが多い
何故なら深刻で重大な事柄ならこのような態度が有利なことが多いから
重大な事柄こそ人は重大だとわからさないように軽い態度で接してくることがあるから怖い
普通なら助言すらないはずだし
人里に住んでない奴がたかが一人死んだ所で霊夢や紫が出張らないのもよかった
そんなわけないですからね
知り合いとはいえ、自分から人里から出て魔法の森なんて危険地帯に住んでるのに
死んだとしてもそれは自業自得扱いであって態々霊夢紫が出る程の事じゃない。
人里に住んでいたとしたら問題だけど、基本的に人里外は自己責任