『ねぇ、倫敦。
あれ、何してるのかな?』
『あれ、とは何だ? というか、そこにいられると見えないんだが。西蔵』
『だから、ほら。あれだよ、あれ』
窓から外を眺め、ちょいちょいとその先を示す彼女の名前(?)は西蔵人形。
その後ろで、床の雑巾がけを命じられている、こちらもやっぱり人形の倫敦人形は、『どれどれ』と、彼女の上にふわりと舞い上がる。
窓から眺める外の光景は、いつも変わらない――そう思っていた倫敦だったが『おや?』と首をかしげる光景が、そこにあった。
『ミス魔理沙じゃないか。彼女はあそこで何をしているんだ』
『ねぇ、倫敦。
前々から疑問に思っていたんだけど、何でマスター以外の人には『ミス』ってつけたりするわけ?』
『結婚していないからな』
『へー』
あんまり理解してない様子の西蔵にそれ以上の説明は避け、倫敦は、『ふむ』と腕組みした。
くだんの人物は、何やら窓の前……というか、この家の前をうろうろしており、こちらを見たり、あちらを見たり、立ち去ろうとして踵を返して、だけどやっぱりやめたり、ということを繰り返している。
何か困っているようにも見えたため、倫敦は『ゴリアテに出迎えさせるか』と窓から離れて、
『あ、どっか行っちゃった』
そのすぐ後に、後ろからの西蔵の声を聞く。
『珍しいね。
普段なら、『アリス、邪魔するぜー』ってノックもせずに勝手に入ってきてマスターに怒られるのに』
『……ふぅん?』
首をかしげる倫敦。
ちょうどその時、家の奥から、「二人とも、お部屋の掃除、終わったー?」という声が響いてきたのだった。
「ありがとうございましたー」
――と言う声が響く空間はお店の店内。
ここは、太陽の畑に佇む一軒のお店――その名も喫茶『かざみ』である。
朝もはよから大勢の人々がずらりと列を作って並ぶ中、彼女もそれに倣って一時間待ちで入店した後、イートインスペースの一角で時間を潰している。
「相変わらずの繁盛っぷりだね」
フォークを口にくわえて上下にぴこぴこさせるというはしたないことをしている彼女は、原色豊かなこの空間とは対照的にツートンモノクロカラーの魔法使い、その名も霧雨魔理沙嬢。
すでにテーブルの上に並べたお皿とカップの中身は空っぽだった。
『幽香さんっ!』
「は、はい!?」
「お久しぶりです! 会員ナンバー0193です!」
「同じく、会員ナンバー0334です! 俺たち、本日は、『ゆうかりんファンクラブ』の遣いで参りました!」
「こちらを、どうぞお納めください!」
「……あの、これって何?」
「見ての通り、『デラックスゆうかりんフィギュア』です!」
「東風谷早苗先生に作り方を教えてもらって作り上げた、ファンクラブの魂がこもった逸品です! どうぞ、お受け取りくださいっ!」
「ままー、あのお人形さん、かわいいねー。あたし、ほしい!」
「うん、そうね。だけど、あれは売ってないものだからね」
「いや、あの、もらって……って言われても……」
「……くっ! やはり、幽香さんのお眼鏡にかなう出来ではなかったかっ……!」
「だから、俺が、スカートのなびき方が不自然だと指摘をしただろう!」
「仕方ない! 作り直しだ! 出直すぞ!
あ、その前に、ここからここまでを大紙幣3枚分で!」
「……お、お買い上げありがとうございます……」
何なんだあれは、と誰もが思う不思議な光景ではあるが、この建物の中では至極当たり前の光景であった。
笑顔が暑苦しい二人の紳士たちは、店主の風見幽香から商品を受け取ると、『一週間の徹夜は覚悟しろ!』『応!』とわめきながら店を後にする。
それを引きつり笑顔で見送った後、店主は、何やら頭痛でも覚えたのか、額に手をやってため息をつく。
その光景を眺めていた魔理沙は、ややしばらくして、わずかに客の流れが途絶えたところで『……よし!』とつぶやき、椅子から腰を浮かして――、
「ちょっと、幽香。外の人の並び、長くなりすぎよ!」
そんなことを言いながら入ってきた人物の姿を見て、その動作を止めてしまう。
「仕方ないじゃない。ちょっとディスプレイの商品が少なくなってきたんだもの」
「こっちにも店員を雇ったほうがいいかもしれないわね。
私の人形たちを使うのにも限界があるし……」
「そうしてくれるとありがたいわね。
あ、そうそう、アリス。あっち、朝から魔理沙が……」
「さーて、長居しちまったな」
話題の対象が自分に移ってきたことを認めて、魔理沙は椅子の背もたれに引っ掛けていた帽子と箒を手に取ると、皿とカップをトレイに載せてやってくる。
彼女は、「悪いね、込んでるのによ」と幽香の肩を叩くと、手にしたトレイをディスプレイの上に置く。
「ちょっと、魔理沙。これを返すのはあっち」
「んな心の狭いこと言うなよ、アリス。返しといてくれ。
それに、私は客だぜ」
「マナーのなってないお客はお断りよ」
「金は払ったさ。
んじゃな~」
「あ、ちょっと、こら!」
いつもと同じ、飄々とした態度で肩をすくめて、すたこらさっさと逃げ出していく魔理沙の後ろ姿に『もう』と彼女――アリスは腰に手を当てる。
それから、彼女は仕方なく、トレイを手に取ると、
「……ねぇ、幽香」
「何?」
「あいつ、いつからここにいたの? 朝から、って言っていたけれど」
「ああ……もうずいぶんになるわね。
開店からだから……二時間近く?」
「珍しいわね」
中身が空っぽになってずいぶん経っているためか、すっかり乾いたカップを認めて尋ねたアリスは、返ってきた答えに小さく首をかしげたのだった。
「文」
「ここに」
音一つ立てず現れる、毎度おなじみ射命丸。
彼女の視線の先には、木立の影に佇む魔理沙の姿。
「例のものは?」
「こちらに」
「悪いな」
「いいえ」
彼女から受け取る茶封筒。
その中身を見ると、魔理沙は『確かに』とうなずいた。
「……しかし、魔理沙さん。一体、なぜ今回の依頼を私に? 失礼ですが、あなたならば、私に話を持ってこずとも……」
「文。
私はお前に依頼をした時、言ったな? 謝礼はする。だから、必要以上のことを聞くな――とな」
二人の間に流れる、ぴんと張り詰めた空気。
周囲の林の中に暮らす生き物たちが、何かを察したのか、その場から立ち去っていく。
鳥たちのさえずりは聞こえなくなり、虫たちの声もしんと静まり返る中――、
「……ふっ、確かに」
ニヒルに笑い、その静寂を破るのは文だった。
「ご安心を、魔理沙さん。私は、依頼人の秘密は守る女です。加えて、謝礼も頂いている――余計な相手へ口外することはありません。そしてもちろん、必要以上の詮索も」
「そうだな」
「また何かありましたらどうぞ。今なら文々。新聞を三か月分、お付けいたします」
「悪いがそっちはいらん」
「……そうですか」
がっくり肩を落とし、しょんぼりしながら文は飛び去って行った。
彼女の後ろ姿を見送った後、魔理沙はおもむろに、封印のなされた茶封筒を開く。
中から現れたのは――、
「……普段の態度や性格はどうにもならない奴だが、こと、こっち方面に限っては使える女だぜ、射命丸」
にやりと笑う魔理沙。
彼女の手元には、数枚の、ある人形遣いの写真と彼女の行動記録と思われる書類が握られていたのだった。
「最近、何か視線を感じるのよ」
「それはきっと、アリスさんが美人だからでは」
「はたくわよ」
「まあまあ」
軽い冗談の投げあいをして笑う二人――アリスと、その対面に座る東風谷早苗嬢。彼女たちを眺める位置に座っている紅白めでたい巫女さん――博麗霊夢は「どうせまた文でしょ」と一言。
「まあ、間違いないとは思うんだけどね」
「あいつは人のスキャンダルを撮影することのみに心血注いでいるバカだからね。生粋のバカ、バカオブザバカよ。
何か文に目をつけられるようなことしたの?」
「正直、心当たりはないわね」
最近は目立つことはしていないわ、というのがアリスの言い分であった。
それを聞いて早苗は「単に被写体として追いかけてるだけなんじゃ?」と問いかける。
要するに、くだんの人物が、毎月、ローテーションを組んで追いかけている(という噂であるのだが、限りなく真実に近いと言っていいだろう)『被写体』の今月担当がアリスなのではないかと言うことだった。
『迷惑な話ね』とため息をついて、アリスはテーブルの上に頬杖を突く。
「そういう時はね、アリス。
あいつの家に乗り込んで、おもむろにネガとかを人質に取りながら『やめないとこれ燃やす』って言ったら、あいつ、土下座して謝るから」
「……それはどうなんでしょう」
「さすがにそこまでやらなきゃいけないほど困ってないわよ……」
「そう? 普通でしょ」
博麗の巫女に曰く。
口で言ってわからない奴には致命的なまでの実力行使がちょうどいい、ということであった。
ちなみに、霊夢は文が土下座した後、自分が撮影されたネガなどを提出させ、その場で燃やしてやったらしい。それを聞かされた思わず早苗とアリスが『うわぁ……』な顔になったのは言うまでもないだろう。
「けど、困っているならちゃんと言った方がいいですよ。それはともかくとして」
「確証がないからね。現行犯じゃないと、さすがに倫理的にどうかと思うのよ。それはともかくとして」
「何で後ろの言葉を協調するかなあんたらは」
一応、文もまがりなりにも友人であるため、『犯人』扱いするのは裏が取れてからでないと気が進まないと言うのがアリスの意見であった。
思わず、なるほど、とうなずいてしまった早苗は、湯飲みのお茶を一口して、
「何かあったんでしょうか」
「その辺りのことは、あいつに聞いても仕方ないしね」
「まぁ……確かに……」
「はたてか椛辺りにでも話をして、あいつを監視してもらうことにするわ」
「……それがいいですね」
というわけで、とアリス。
彼女は傍らに置いてあった、小さな箱をテーブルの上に取り上げる。
「何それ?」
「この前、作ったのよ。かぼちゃのパイなんだけどね」
「かぼちゃですか」
お裾分けにどうぞ、ということだった。
取り出されたそれを、早速、『いただきまーす』と早苗はぱくり。途端、「美味しいです~!」と率直な感想をアリスへプレゼントした。
「ひんやりひえひえですね~。夏のデザートにちょうどいい感じです。
それに、甘くて美味しいし」
「ちょっと砂糖は入れたけどね。なるべくカロリー控えめにはしたわ」
「アリスさん、さすが!」
ダイエットを年中行事としている早苗は『ぐっじょぶ!』とアリスに対して親指を立てる。
一方、霊夢はというと『ふーん。こんなのもあるんだ』と思いながら、ぱくぱくパイを平らげている。
「二人に喜んでもらえてよかったわ」
「いえいえ。
うちだと、なかなかこういうお菓子は出てきませんからね。というか、うちは他二人がそろって酒飲みなので、甘いものが登場する機会って滅多にないんですよ」
「だから、あちこちに買いに出かける、と」
「そうなんですけどね……」
体重と言う強敵がいなければ、とつぶやく早苗の瞳には、何と言うか、気力と言うものが存在していなかった。
アリスは小さな声で「……プラス2キロくらいなら許容範囲よ」と言うのだが、早苗はがっくりと肩を落として「3キロですぅ~……」と呻いた。
そっと、アリスは彼女の肩を叩く。そうして、余計な言葉をかけずに「霊夢はどう?」と尋ねた。
「ん~、美味しいんじゃない?」
「相変わらずの感想ね」
「そりゃね。私がこういう系統の甘いもの、苦手なの知ってるでしょ?」
「知ってるけど、もう少し、こっちの苦労をいたわって欲しいわね」
「なら、魔理沙とかにでも聞いたら? あいつの方が適切なアドバイス、してくれんじゃない?」
「……ったくもう」
困った友人だ、とばかりにアリス。
――と、何かを思い出したのか「そういえば、魔理沙なんだけど」と話を切り出す。
「最近、魔理沙を見ないんだけど、どうしたの?」
「は?」
「そのままの意味。
たまに顔をあわせたと思ったらそそくさ逃げ出したり。何か企んでるとか知らない?」
「さあ? 特に何も」
「……ふぅん」
腕組みするアリスは『……なるほどね』とつぶやく。
「あいつが何か企んでいるのだとしたら、ちょっとお灸を据えてやらないといけないかしら」
「逆に、最近、大人しいなって思ってるんだけど」
普段なら、二日か三日に一度は何やらトラブル起こしたり、無目的に神社へとやってきては霊夢に夢想封印ぶちかまされていたというのに、この頃はとんと姿を見せないのだとか。
その話を聞いて『え?』と尋ねるのはアリス。どうやら、そのような事態は予想していなかったらしい。
「あんたの方があいつの家には近いんだから、何か知っているかなとか思っていたんだけど」
「……そう……でもないのよね。
ああ、だけど、そうなの……。いつ頃から?」
「さあ? 一週間か二週間か。もしかしたら、もっと前からかもね」
「ますます怪しいわね。何かよからぬ実験とかしてるんじゃないかしら」
「あ~……ありうるわね」
怪しい爆発物なども嬉々として持ち歩くあの友人のことである。
ひょっとしたら、霊夢たちの想像も超えた『とんでもないこと』を企んでいたとしても、全くおかしくはなかった。
ここは一度、魔理沙の家に乗り込んでみるべきだろうか。
話の内容はその辺りにまで踏み込んだところで、ようやく早苗が復活してくる。
「あの、だけど、わたし、先日、魔理沙さんを見ましたよ」
「どこで?」
「人里です。わたしが声をかけたら、慌てて逃げていきましたけど……」
「……これはますます怪しいわね」
大抵、人間が挙動不審になっている時は、その裏側に何かを隠し持っている。それがよからぬことであることが多いのは、もはや言うまでもないだろう。
そして、霊夢とアリスの間で、かの人物の評価はかなり低い。言うまでもなく、問答無用のトラブルメーカーであるからなのだが、その評価が憶測に憶測を呼び、ついには『魔理沙を警戒しなければ』と言うところで意見が収束してしまう。
「今度、準備が出来たら魔理沙の家に行って来るわ」
「気をつけなさいよ。マスパのよけ方は、言わなくてもわかるわね?」
「任せておきなさい」
「……あの、お二人の間で魔理沙さんってどういう人なんですか?」
とはいえ、曲がりなりにも友人として付き合っている相手にそういうのってどうなんだろうと悩む早苗の、何とも言えない微妙なツッコミがその場に入れられるのは言うまでもないことであった。
「ちょっと、魔理沙。いるんでしょ?」
そして、早速、その日の夕方のことである。
家への帰り際に魔理沙の家に立ち寄ったアリスは、ドアをノックして声を上げる。
ややしばらくして、室内から『誰もいないぜー』といういつもの返答。
「入るわよ」
ドアをがちゃりと開ければ、なぜか、出迎えてくれるのは本の山に埋まった魔理沙の姿だった。
「あんた、何やってるわけ?」
「あー、いや、本を抜き取ろうと思ったら崩れた」
――そういえば、ドアをノックしたとき、何かが崩れる音を聞いたような……?
つと首を傾げてから、アリスは『気をつけなさいよ』と、魔理沙の手を引っ張って、その本の山から助け出してやる。
魔理沙はぱんぱんと服の埃をほろってから、「これ、どうやって片付けるかなー」とぼやいた。
「これ、大半がパチュリーのところから盗んできたやつなんでしょ? いい機会だから返しに行きなさい」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。これはきちんと借りてきたやつだぜ」
「また『私が生きてる間、借りてくぜ』とか何とか言って持ってきたんでしょ?」
「半分はな。だけど、もう半分は図書カードを作った」
ほれ、と取り出すそれを見て、アリスは『へぇ』と声を上げた。
「どういう心変わりよ?」
「これ作ったら、あいつがすんなり本を貸してくれたんだ」
「まぁ、いい傾向ね」
その後に魔理沙は、『さらにレアな本も貸してくれたからな』と、やっぱり打算まみれの一言を続けてきた。
アリスは肩をすくめるものの、生活態度も他者への礼儀も最悪な友人(仮)がわずかに更生の道を歩み始めたことに感心したのか、それ以上は何も言わなかった。
「本、片付けるの手伝ってあげるわ」
「へっ?」
「どうせ適当に並べてあるんでしょ。整理すれば、もう少し見栄えもよくなるだろうし、落ちたりすることも……」
「あー、い、いや、いい!」
「どうして?」
「いや、その、何ていうか……」
いつもなら、この図々しい友人は『おお、ほんとか! じゃ、任せるぜ』と作業をアリスに丸投げしようとして、『あんたも一緒にやるのよ』と蹴られるのがセオリーである。
しかし、魔理沙はなんと「いや、その、アリスに悪いだろ? せっかく来てくれたのにさ」と、なんとアリスを気遣うような発言をしたのである。
「……魔理沙」
「な、何だよ」
「永遠亭に行きましょう。大丈夫、永琳さんなら、きっと、魔理沙の病気を治してくれるわ」
「こら待て。人を勝手に病人扱いすんな」
「だって、普段の魔理沙じゃ、そんな発言はしないでしょう!」
ずばりと言われて、魔理沙は一瞬、色々なものにくじけたような表情を浮かべるものの、何とか気を取り直したのか、『あのな!』と反論してきた。
「私だって、たまにゃ、他人に仏心を出す時だってあるわ!」
「たまに、って自分で言い切れるのがすごいわね」
さらりと魔理沙の発言を流すと、『ま、いいか』とアリスはその話題をスルーするようだった。
彼女は、『はい、おみやげ』と霊夢たちのところに持っていったかぼちゃのパイが入った入れ物をテーブルの上に。
そうして、
「魔理沙。あなた、最近、何か悪巧みしてない?」
「は? 何のことだよ」
「何か最近、挙動不審よね」
「そんなことはないだろ」
普段からふてぶてしい態度を崩さない彼女は、『気のせい、気のせい』などと言いながら、アリスがテーブルの上に置いた入れ物の口を開く。
「何を企んでるのか知らないけど、悪事の片棒は担がないからね」
「信用がないねぇ」
普段の自分の言動を顧みているのなら、こんな発言は出てこないはずなのだが、そこはさすがは魔理沙であった。
彼女はかぼちゃのパイを取り出すと、それを口に放り込み、「ちょいと甘さがきついな」とコメント。
「砂糖を小さじ一つ分少なくした方がいい。あと、水気をもう少し出した方がいいな」
「アドバイスありがとう。
で、最近の言動について、何か申し開きをすることはある?」
と、最近、自分や早苗が見かけた魔理沙の奇妙な行動の数々について問いただしてみる。
すると魔理沙は、「私だって、たまには色々、思うこともあるのさ」と話をはぐらかすだけだ。
――大抵、そういう時は『ほっとけよ』とふてくされるのに、である。
「ふぅん……」
「何だよ」
「別に。
ま、いいわ。わかった。
とりあえず、これからも怪しい行動を続けるなら、こっちも反撃するからね。よろしく」
「ひどいぜ。純真無垢な美少女に理由もなく攻撃を仕掛けるなんて」
「あんたのその言葉、胸の中で、最低百回は反芻しなさい」
よよよと泣き崩れてみせる魔理沙にぴしゃりと言い放つと、アリスは『それじゃね』と踵を返した。
今日のところは出直し。魔理沙を探るのはまたの機会。
そんな風に背中で語るアリスを見送ってから、やれやれ、と魔理沙は肩をすくめる。
「相変わらず鋭いね」
そうつぶやく彼女は、崩れた本の下から『こんなものを見られちゃかなわないからな』と、先日、文を通して入手したアリスの写真などなどを取り出す。
そして、それをテーブルの上に広げて『ふむ』と腕組みをする。
「……アリスが感づいてきたとなると、なるべく早めに行動を起こした方がよさそうだな」
彼女は、室内だというのに、相変わらずかぶったままの帽子のつばを軽く下げた。
そうして踵を返して、室内の掃除を始める。その時、ふわりと、室内を風がなでたのだった。
「最近、うちでは天狗を一人、広報として雇ったの」
「へぇ。文? 彼女はうちの広報もやってもらっているけれど」
「彼女のライバルを自称している天狗よ。名前は忘れた」
それからまた数日後。
いつもおなじみ、紅魔館の大図書館にやってきて調べ物をしているアリスは、そこの主の、何気ない言葉に相槌を打つ。
「彼女、大丈夫なの? 取材能力とかあまりなさそうだけど」
「けれど、記事自体はそれなりのものを書くようよ。
取材のいろはを覚えるにもちょうどいいでしょう」
要するに、ここの主は単純なのだから、ちょっと話術に長けていれば話を聞きだすのも難しくないということらしい。逆に言うと、その主からすら話を聞き出せないようでは記者失格の烙印を押されるということにもなりかねないのだが。
なるほどね、とアリスはうなずき、手にした本を机の上に広げる。
「そういえば、アリス。あなた最近、幽香のところに、よく足を運んでいるわね」
「まぁね。
というか、あいつ、私がほったらかしてると、いつ店を潰すかわからないし」
「少しずつひとり立ちさせていると聞くけれど」
「だけど、完全に任せた月の赤字の額は……ああ、思い出したくないわ」
その帳簿を見た時の記憶を呼び起こしてしまい、アリスは額に手を当て、思いっきり深いため息をついた。
さすがに、その様を見せられると図書館の主――パチュリーとしても、アリスがちょっぴり不憫に思えるのか『努力と根性よ』とよくわからないアドバイスをしたりする。
「で? 何、唐突に」
「別に」
「そう」
「ただ、それを不満に思っている人間も、数は少ないけれど、いるということよ」
「まさか、あなたが? 冗談はやめてよね」
まさかと笑うパチュリー。彼女曰く、『私は友人よりも知識のほうが大事だから』ということだ。
こんなことを友人の目の前で面と向かって言える辺り、この魔女の性格もなかなかのものである。
とはいえ、アリスも、そんな相手の性格は熟知している。その言葉に腹を立てることもなく、「そうよね」と同意するだけだ。
「今日は小悪魔の姿を見ないけれど」
「館の裏で畑耕してるわ」
「……は?」
「この前、魔界の友人から、『いい野菜の種をもらったんですよ』って。
せっかくだから育ててみるつもりみたい」
「……あ、ああ、そう」
「……ま、フランドールが楽しそうにしてたからいいんじゃない?」
自分の知らないことにはとかく興味を持つ吸血鬼の少女が一人。なるほど、彼女がこの図書館の司書の隣できゃっきゃとはしゃいでいる姿が目に浮かぶ。
そんなわけで、またしばらく、静かな時間。
大体、それが一時間ほど経過した頃だろうか。
「失礼します」
唐突に、館のメイドが一人、現れる。
言うまでもなく、この館のメイド長である十六夜咲夜女史である。
「どうしたの?」
「アリス。あなたに用事」
「あら、そうなの」
パチュリーの問いに、咲夜はアリスへと視線を向けて一言。パチュリーはそれで納得したのか、手元の本に視線を戻す。
「どうしたんですか?」
「さっき、はたてがやってきてね。こんなものを」
「はあ」
と、渡されるのは次回の新聞のネタか何かだろうか。A4の用紙に走り書きされたメモと、一枚の写真。
「……何これ?」
「さあ?」
それを見て、アリスの眉間にしわがよる。
彼女の声音の変化を敏感に感じ取ったのか、パチュリーが少しだけ、そちらの方へと身を乗り出した。
「……咲夜さん。これは?」
「私にもわからないわ。
ただ、彼女が突然、ここにやってきて、『こんな記事を仕入れたのだけど、一度、アリスに話をして』って」
「文と違って、そこはほめられるべき、というのかしら」
行くなら本人のところに行けばいいのに、と言外に込めてつぶやくパチュリー。
アリスは咲夜から渡されたものをじっと見つめ、『失礼します』と席を立った。
「パチュリー様。止めないのですか?」
「どうして?」
「ひと波乱ありますよ」
「別にいいじゃない。刺した殺したの話にはならないだろうし」
「何か事情をご存知、というわけでもなさそうですね」
「あいにくと、知識の魔女は万能ではないの。……アカシックレコードってどこかに売ってないかしら」
「いやぁ、さすがにそれはどうでしょう……」
「魔理沙っ!」
轟音と共に、霧雨邸のドアの目前が抉れた。
その音に『何だ何だ』と慌てふためいて、館の主が現れる。
「お、おお、何だアリス。目を三角にして……」
「あなた、これはどういうつもり?」
そう言って、彼女が取り出したものを見て、『げっ』と魔理沙は内心で声を上げた。
アリスが取り出したもの――それは、先日、アリスが訪れ、立ち去った後の出来事を克明に記した写真だった。
テーブルの上に広げられたアリスの写真。それを眺める魔理沙の姿がしっかりと写されている。それとセットになったメモには『特ダネ? だけど下世話』などという丸文字の走り書きがあった。
「何って……見ての通り、お前の写真じゃないか」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。
何であなたが私の写真なんか眺めているのか、って聞いてるのよ」
「そりゃお前、あれだよ。暇つぶし」
ははは、とへらへら笑う魔理沙の姿。それを見てアリスは『……なるほど。悪巧みの内容はこれか』と内心で看破する。
どうやら、彼女は、魔理沙が自分に何かよからぬことを企んでいるのだと考えたようだ。
「まぁ、いいわ。
写真、全部、よこしなさい。どうせ文に頼んだんでしょ?」
「ご名答。
渡して欲しいなら別に構わないぜ。もう用済みだしな」
「素直ね」
写真片手に呪いかけるような職業にはついてないぜ、と彼女は冗談を言う。
しかし、アリスはにこりとも笑わなかった。というか、目がかなりきつい感じに逆立っていて、じっと魔理沙をにらみすえていた。
魔理沙は『ははは』と笑いはするものの、その笑顔は乾いている。
恐る恐る、家の中の例の茶封筒を持ってくる魔理沙。アリスはそれを彼女から奪い取るようにして受け取ると、中身をしっかりと確認する。
「へぇ。人の写真だけじゃなく、行動記録まで。また気合が入ってるわね」
「ま、まぁ、私は本格派だからな」
「最近、態度がおかしかったのはこういうこと?
人のこと監視して、何をしようと考えていたのかはわからないけれど、そういうのを悟られまいと」
「別段、そういうわけじゃないんだが……」
「ま、いいわ。
じゃあ、これ、処分させてもらうから」
焼き増しとかはしてないでしょうね、とアリスはじろり。
魔理沙は頬に汗一筋流しながら「それで全部だ」と答える。
「あとそれから。
あんたは暇つぶしに人のことを監視したり、人の写真を見たりするような悪い癖があるみたいだから。
それなら、私は暇つぶしに、これからしばらく、あんたには関わり合いにならないようにするわ」
「な、何でそうなるんだよ!」
「いいの? 言って。こっぴどく」
「いや、あの、その……」
「少しは反省しなさい。いいわね?」
彼女はそう言うと、踵を返して魔理沙の前から去っていった。
ぽつんと、その場に佇むように残された魔理沙は『……どうしよう』と、思わず小さな声でつぶやいたのだった。
「――まぁ、そういうわけでした」
紅魔館へと戻ってきたアリスは事の顛末を、咲夜とパチュリーに語って聞かせる。
魔理沙から取り上げた、自分の写真などが入った茶封筒はテーブルの上に広げていた。
「なるほど。
他人の写真を使った魔法か……。何かいいネタが作れそうね。虚像とも言える写し身をターゲットに魔法を使用することで、その対象にも直接魔法がかけられる……これって呪いの一種かしら」
何やらぶつぶつつぶやきだすパチュリーはほったらかしておいて、アリスの視線は咲夜に戻る。
咲夜に、『ありがとうございました』と、例の魔理沙の写真が載ったメモやら何やらを返してから、
「ったく。あのバカ、何考えてるのかしら」
と、腕組みしてぷりぷりと怒る。
「まぁ、何かの目的があったんでしょうね」
「目的があったにせよ、何か気味悪いですよ。理由もなく、自分の写真が撮られて、しかもそれを友人が眺めてる、なんて」
「確かに、ちょっと嫌悪感はあるかも」
「みんなで撮影した記念写真とかならまだしも、それ、私しか写ってませんからね。しかもプライベートまで。
何なのよ、ったく」
これで、普段から魔理沙が冗談を得意としたいたずら好きでなければ、恐らく、アリスは本気で怒っていたことだろう。そうなると友人関係破棄、悪ければ刺した殺したの状況にも陥りかねない。この彼女、冷静なように見えて、意外と沸点が低いのだ。
アリスが今回、この程度の仕打ちで魔理沙を許したのも、よく言えば、普段の彼女の行いが功を奏したというところか。
「あとで文もとっちめないと。どんな理由があって魔理沙からこんな依頼を引き受けたのか、問いたださないと気がすまないわ」
「まぁ、適度にしておきなさい。
あんまりぼこぼこにすると、変な噂をかけられるわよ。『魔法の森の暴力魔法使い、文々。新聞記者に暴行!』だなんて。
いいスキャンダルだわ」
「あいつの場合、そういうこともやりそうですよね」
ネタのためなら命も捨てる、その根性だけは誰から見てもほめられる対象である幻想郷生きる迷惑部門連続受賞者のことを考えて、アリスはため息を一つ。
「けれど、案外、どうでもいい理由だったりしてね」
「どうでもいい理由ですか?」
「そう。
たとえば、アリスがしばらく構ってやってなかったから寂しかった、とかね」
「そんなことありませんよ。魔理沙だし」
「……いや、確かにそうなんだけどね」
自分で言っておいて『そりゃないや』と思ってしまったのか、咲夜の顔がちょっぴり引きつったりする。
「意外と、魔理沙もかわいいところはあるわよ?」
「それ、年上の余裕ですね」
「私よりも年上のくせに何を言うの」
「外見年齢では、咲夜さんが、私たちの中では一番ですから」
なかなか歯に衣を着せない物言いである。
あっさりと、それでいてしれっと言葉を返されて、咲夜は『やられたわね』と肩をすくめる。
「ともあれ、しばらくほったらかしておけば反省するでしょう。
ちゃんと反省して、こっちに頭を下げてきたら許してあげますよ」
「天邪鬼なところもあるから、なかなか頭は下げないと思うわよ」
「それならそれで、こっちも意地の見せ所です」
「アリスが張る意地って意味あるのかしら?」
「どうでしょうね」
これは別段、ケンカではないのだ、とアリスは言う。
たとえば、今日、今すぐにでも魔理沙が『悪かった』とアリスに頭を下げに来ればすぐにでも今までの行為を許してやる程度のことにしか、アリスは感じていないのだ。
彼女が許せなかったのは、魔理沙が自分のプライベートにまで足を踏み込んできていたからである。
そして恐らくだが、魔理沙はアリスが何で怒っているのかも察していることだろう。
となれば、遠からず、彼女は自分に頭を下げるだろうとアリスは考えていた。何せ、今回の一件、魔理沙が全面的に悪いのだから。
「いや、意外とそうじゃないような気がするわね」
「は?」
「どういうことですか? パチュリー様」
「何となく。理由はないわ。
理論と論理に基づかない発言も、時にはしてしまうお茶目さが、私たちには必要よ。アリス」
「……何が言いたいのよ」
何だか微妙に聞き捨てならないことを、何だかどうでもいいような理由と共に言ってのける彼女のことは、やっぱりまだよくわからないな、とアリスは思ったのだった。
しかし、である。
それから一日経っても、二日経っても、三日経っても魔理沙は謝りに来なかった。
「いよいよおかしいわね」
そんなことをアリスが言い出したのは、一週間が経過した頃である。
「どうせ魔理沙のことだから意地張ってんじゃないの」
と、神社の主は完全他人事である。
お茶をずず~とすすり、ぷは~、と息をついたりする。
「や~、華扇。あんたの持って来てくれたお茶、美味しいわ。あんがと」
「これ、ただの緑茶じゃないですよね。もしかして、ものすっごく上等なお茶なんじゃ?」
「当然です。……というか、他人に出すものまで粗末なものを使うのはどうかと思いますし」
「ちょっと表に出るかこら」
今日は、先日集まった三人組の他に、もう一人、来客が増えている。
茨木華仙という仙人で、彼女曰く、『自堕落を極めきった巫女を更生し、幻想郷にふさわしい巫女になるのを見届ける』と言う理由で、この神社に足を運んできているらしい。
無論、その評価を聞いた霊夢がぶちきれて暴れだしたのは言うまでもない。
「いや、あいつが意地を張るにしても、そろそろ限界だと思うのよね」
「また何を根拠に」
「家が近いと、割と腐れ縁があったりするのよ」
アリスの言葉に、霊夢は『なるほど』と納得した。
それで通じ合ってしまえる二人の会話に、早苗と華扇はそろって頭の上に『?』マークを浮かべる。
「……ったく。
仕方ないな。こっちから顔を見に行ってあげようかしら」
「何だかんだで、アリスさんって優しいですよね」
「そう?
まぁ、こっちから顔を出すと、大抵、大慌てになるあいつの顔を見るのが面白いから、っていうのもあるけどね」
そして、魔法使いと言うやつは、すべからくそういう一面でもあるのか、何やら『にやり』な笑みを浮かべたりするアリスに、早苗の浮かべた笑顔が引きつる。
「常にそうした関係にあるのがふさわしいとは言いませんが、仲がよくとも、時には互いにぶつかり合うことも必要。
人の世の関係と言うものは、常につかず離れずだったりするものです」
「あんたもわけのわからないこと言ってないで。
ああ、早苗。さっき、アリスが持ってきたパイ、出してよ」
「あ、はーい」
「パイですって!? 頂きます!」
先日、幽香の店に行ったせいで洋菓子の魅力に取り付かれてしまった仙人さまは背筋と居住まいを正して、マイフォークを片手に取り出したりする。
「じゃ、私、帰るから。
ああ、お茶、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。
こ、これは、何のパイなのですか!?」
「これはアップルパイかな。えっと……」
「もう少し大きめにお願いします!」
仙人というやつは俗世と我欲から離れた生き物だと聞いていたが、その華扇の様を見ていると、『仙人っていうのも色々よね』とアリスは思ったとか思わないとか。
ひょいと肩をすくめて空に舞い上がる彼女。その後ろ姿を見送ってから、霊夢は、「腐れ縁、ねぇ」と何やらつぶやいたのだった。
そうして家に戻ってきたアリスは、まず、キッチンへと向かった。
冷蔵庫の中に入れてある、魔理沙の分のパイを取り出すと、それを入れ物に入れて人形たちに持たせる。
『全く、世話が焼けるんだから』
そんなことをぼやきながら、彼女は再び、空へと舞い上がり――、
「文っ!」
「おわったたた!?」
何の偶然か、今回の一件の片棒をわっしょいわっしょいと担いだであろう人物に遭遇する。
文は、アリスの顔を見て慌てて逃げ出そうとするのだが、その背後をアリスの人形に固められ、あえなく逃げ道を塞がれる。
「ちょうどよかった。
あなた、魔理沙に手を貸したわね? その理由を聞かせてもらうわ」
「え? い、いや、あの……」
「どうしても言えない?」
「と、当然です! 依頼者の秘密を守るのは新聞記者として当然ですから!」
胸を張る文。
ふぅん、とうなずくアリスは、スカートのポケットから12枚つづりになったクーポン券を取り出す。
それを、文の眼前に突きつけると、
「スペシャルフルーツケーキ一年間ご優待チケット!」
「なっ……!?」
「季節と共に移り変わる果物と甘いクリームの饗宴、ぜひともお楽しみくださいませ。お客様」
幽香の店の手伝いを始めてからというもの、文の篭絡に最も貢献している『お店の商品優待チケット』の効果はいつだって絶大である。
笑顔の裏に静かな怒りを隠すアリスを前にしても、胸を張って依頼者を守るような発言をした文が、その紙切れを前にした途端、あっさりと前言撤回しかけているのだから。
「今ならプレミアム・ティーの割引クーポンもセットにするわよ。
どう?」
誠、世の中、ジャーナリズムを相手にした時の武器とは『買収』であった。
文は、そのチケットの魅力には勝てない。ふらふらと、アリスに向かって手を伸ばしてしまう。
――ちょろいわね。
アリスが、そう、勝利を確信したときだ。
「ってぇぇぇぇぇぇいっ!」
文の伸ばした手がアリスのスカートを掴む。
そして、それを一気に上に向かって跳ね上げた。
「なっ……!?」
「アリスさんのTバックげっとぉぉぉぉぉ!」
「こっ、このっ……!」
そのセリフと共に光るカメラのフラッシュ――それを想定して、翻るアリスの蹴りは、しかし、すかっと宙を薙いだ。
なんと文は、その言葉と動作でアリスの判断ミスを誘い、その隙に高速でその場から離脱していたのだ。
「まっ、待ちなさい、こらっ! 文っ!」
「すみませんが、今回ばかりはどうしても秘密は秘密なんですっ! クーポンは惜しいですが、私はこれにてぇっ!」
――実に意外な発言であった。
あっという間に幻想郷の彼方に飛び去り、その姿が見えなくなる文。彼女の残した言葉に『……どういう意味よ?』とアリスは眉をひそめる。
「痛い目にあうのは慣れてるくせに……」
と言うか、普通ならどう考えても死ぬような目にあっても復活できるのが射命丸文と言うナマモノである。
今更、腕や足の一本、二本程度を恐れるようなたまではない。にも拘わらず、あの態度だ。
さすがに納得がいかないのか、首を傾げてから、アリスは『仕方ない』とその場に背を向ける。
「追いかけても追いつけないし、魔理沙のところに行くわよ」
天狗の足の速さは超一級。
そればっかりはアリスにもどうしようもない事実であった。
スカートめくりされたことだけは忘れないよう、胸の内に留めると、アリスは魔理沙の家への道を急ぐ。
――それから、およそ10分ほど後。
ひゅうと風を切って大地に着地したアリスは『魔理沙ー、いるんでしょー?』とドアをノックして、しばし待つ。
相変わらず返答のないことを不審に思ってドアを開ければ、部屋の中はしんと静まり返っていた。
「何よ、留守? 鍵もかけずに無用心ね……」
テーブルの上にお土産のパイを置いてから、『仕方ないわね』と踵を返そうとして、
『マスター。魔理沙さま、いらっしゃいました』
「え? どこ? 仏蘭西」
連れてきた人形が『こちらです』とアリスを案内して飛んでいく。
それに案内されるまま、やってくるのは魔理沙の寝室だった。
ドアをそっと開けると、家の主がベッドに横になってる姿が見える。
何だ、寝てるのか。そう思って苦笑するアリスだが、
『マスター。魔理沙さま、どうやらお体の具合が悪いようです』
「そう?」
言われて、その顔を覗きこむ。
確かに、彼女は顔を赤くしており、心なしか吐く息も荒かった。
ベッド脇のチェストには、『文へ。悪いが、風邪引いた。永琳連れてきてくれ』という手紙が置かれている。
「……何やったのよ、このバカは」
本当に付き合ってられないわね。
そんな口調で大仰に言うアリスの耳に『ごめんくださーい』という声が聞こえてきたのは、その時だった。
「ん……む……」
「目が覚めた?」
「うをっ!?」
がばっ、とベッドの上に身を起こした魔理沙は、慌てて、声の主――アリスを見る。
アリスは片手に本を広げ、『あんた、これ、パチュリーのところから盗んできたでしょ』とじろりと魔理沙を見る。
「な、何でアリスがいるんだよ!?」
「さて、何でかしらね。
永琳さんとうどんげが来ていったわよ。『注射を打っておきますから、目が覚めたらほぼ完治してます』だって」
言われて、自分の右手を見る魔理沙。
真新しいガーゼが、肘の内側辺りにテープで留められている。
「何で風邪なんて引いたのよ」
「あ、いやー……その……ちょっと風呂入った後にさ、この頃、暑いだろ? 少し体を冷やしすぎてさ」
「なるほどね」
バカ丸出しね、と辛らつな一言を投げてから、アリスは立ち上がる。
「な、何だよ。
しばらく顔を見せないつもりじゃなかったのか?」
「そうよ」
「はっはっは。何だ、素直じゃないな。アリス、私に逢いたかったのか。モテる女は辛いぜ」
「はいはい」
『これは持っていくわね』とアリス。ちなみに、その本は、先日、図書館の主が血眼になって探していた本だったりする。
「いつもの減らず口が叩けるなら大丈夫ね。
じゃあ、栄養とって、二、三日はしっかり寝てなさいよ」
「お、おう!」
「下にアップルパイ、置いてあるから。おなかすいたら食べなさい」
そんじゃね。
そう言って、アリスは部屋を後にしようとして――、
「……何よ」
ベッドから何かが落ちる音。そして、その音の直後、アリスは動きを拘束されて前のめりにつんのめる。
腰の辺りが重たい。
視線を後ろにやれば、魔理沙が、アリスの腰にしがみついていた。
「離して」
魔理沙は子供のように、いやいやと首を左右に振りながら、顔をアリスのお尻の辺りに押し付けてくる。
「……もう」
――家に帰るのは少し遅くなりそうだな。
自分にしがみついて離れない魔理沙を見て、彼女は苦笑を浮かべて『はいはい』と息をついたのだった。
「……で?」
「……その……」
目元を少し赤くして、それ以上にほっぺたを赤くして、魔理沙は椅子の上に座していた。
ふてくされるようにほっぺた膨らます彼女は、『その……えっと……』と言葉に詰まる。
「観念しなさい」
「あいてっ」
おでこの辺りをぺちんとはたかれ、魔理沙は小さな悲鳴を上げた。
ほっぺた膨らましたまま、魔理沙はそっぽを向くと、
「その……文に、お前が暇そうな時って、いつごろか、調べてもらってた」
「は?」
「……だって、お前、最近、幽香の店とかパチュリーのところとかばっかりで私のところに来ないから……」
「……はあ」
「……だから、お前が暇そうな時を見計らって押しかけてやろうって思ってた」
しばらく、沈黙。
アリスは魔理沙の言葉の意味を反芻してから、『それってつまり』と言う。
「あんた、私に構って欲しかったの?」
そのアリスの一言に、それまで以上に顔を真っ赤に染めて、ふん、と魔理沙は後ろを向いてしまった。
――何ともまぁ、意外なオチである。
そして、先日の、咲夜の一言が思い出される。
『単に寂しいから』
へぇ、とアリスは笑う。意地悪く。
「そっかそっか。魔理沙ちゃんは寂しかったのね。
ごめんなさいね~。私、ぜ~んぜん気づかなかったわ」
「ちっ、違うわ! 何、勘違いしてんだよ! その……お前をからかうことがなくなって退屈だったからだっての!」
「はいはい、わかったわかった。
それなら、もう充分、からかったでしょ? 私、帰ってもいい?」
「だー、もーっ!
ああ、そうだよ! 寂しかったんだよ! 何か悪いかよ!?」
振り向き、目元に涙まで浮かべて抗議する魔理沙の姿は年相応――もしかしたら、それよりも幼いような感じにすら見える。
そんなかわいいところを見せる彼女に、『はいはい』と笑うのがアリスである。
「なら、言えばいいじゃない。ちょっと付き合って、とかさ」
「……言えるか、ばーか」
「あんたは本当に天邪鬼ね」
「お前に言われたくないわい」
何だと、とアリスは魔理沙のほっぺたをつねる。
痛い痛いと暴れる魔理沙はアリスの手を払うと、用意されたアップルパイにフォークを突き刺し、それにかぶりつく。
「何だって、それで風邪を引いたのよ」
「だから、風呂入って、体を冷やしたからだよ! どうしたもんかって悩んでたんだよ!」
「……なるほどね。あの文が、どうして今回ばかりは魔理沙に義理立てするのか、何となくわかったわ」
「……ふんっ」
「仕方ないわね」
立ち上がるアリス。
彼女は一度、大きく伸びをすると、「風邪引きは栄養をとるのが一番でしょ」と言う。
「ちゃんと肉とか野菜とか買い置きしてあるんでしょうね」
「心配しなくていい。霊夢と違う」
「あっそ。
じゃあ、何か作ってあげる。何かリクエストとかあるの?」
「……別に、ない。うまいものなら何でもいい」
「じゃ、適当に作るわ。感謝しなさいよ」
「誰がするか」
べー、と舌を出す彼女に、アリスは軽く指を動かした。
その動きに応じた人形の一体が、魔理沙の頭をぺちんとはたく。
「なるべく、今度からあんたにも声をかけるようにするから。
今回みたいなことはしないように。わかった?」
「……わかった」
「よし。いい子」
魔理沙の頭をはたいた人形が、ぐりぐりと魔理沙の頭を乱暴になでた。
魔理沙は『痛い痛い! やめろよ、おい!』とアリスに抗議するのだが、アリスは「しばらくかわいがってあげてね」と『彼女』に言って、キッチンへと歩いていく。
「困った奴よね」
『そうですね』
「どう思う? あれ」
『年相応です』
アリスは笑いながら、そんな会話を人形と交わした。
両手に取り出した食材を持って、包丁とまな板に向かう彼女。
「たまには美味しいもの、作りに来てやらないと、あいつはまた同じことをやりそうね」
自分の行いを反省しない人間としては超一級の人物、それが魔理沙である。
本当に困ったものね、と笑うアリスの顔は、何だか妙に『いたずらっ子』な笑みに輝いていたのだった。
あれ、何してるのかな?』
『あれ、とは何だ? というか、そこにいられると見えないんだが。西蔵』
『だから、ほら。あれだよ、あれ』
窓から外を眺め、ちょいちょいとその先を示す彼女の名前(?)は西蔵人形。
その後ろで、床の雑巾がけを命じられている、こちらもやっぱり人形の倫敦人形は、『どれどれ』と、彼女の上にふわりと舞い上がる。
窓から眺める外の光景は、いつも変わらない――そう思っていた倫敦だったが『おや?』と首をかしげる光景が、そこにあった。
『ミス魔理沙じゃないか。彼女はあそこで何をしているんだ』
『ねぇ、倫敦。
前々から疑問に思っていたんだけど、何でマスター以外の人には『ミス』ってつけたりするわけ?』
『結婚していないからな』
『へー』
あんまり理解してない様子の西蔵にそれ以上の説明は避け、倫敦は、『ふむ』と腕組みした。
くだんの人物は、何やら窓の前……というか、この家の前をうろうろしており、こちらを見たり、あちらを見たり、立ち去ろうとして踵を返して、だけどやっぱりやめたり、ということを繰り返している。
何か困っているようにも見えたため、倫敦は『ゴリアテに出迎えさせるか』と窓から離れて、
『あ、どっか行っちゃった』
そのすぐ後に、後ろからの西蔵の声を聞く。
『珍しいね。
普段なら、『アリス、邪魔するぜー』ってノックもせずに勝手に入ってきてマスターに怒られるのに』
『……ふぅん?』
首をかしげる倫敦。
ちょうどその時、家の奥から、「二人とも、お部屋の掃除、終わったー?」という声が響いてきたのだった。
「ありがとうございましたー」
――と言う声が響く空間はお店の店内。
ここは、太陽の畑に佇む一軒のお店――その名も喫茶『かざみ』である。
朝もはよから大勢の人々がずらりと列を作って並ぶ中、彼女もそれに倣って一時間待ちで入店した後、イートインスペースの一角で時間を潰している。
「相変わらずの繁盛っぷりだね」
フォークを口にくわえて上下にぴこぴこさせるというはしたないことをしている彼女は、原色豊かなこの空間とは対照的にツートンモノクロカラーの魔法使い、その名も霧雨魔理沙嬢。
すでにテーブルの上に並べたお皿とカップの中身は空っぽだった。
『幽香さんっ!』
「は、はい!?」
「お久しぶりです! 会員ナンバー0193です!」
「同じく、会員ナンバー0334です! 俺たち、本日は、『ゆうかりんファンクラブ』の遣いで参りました!」
「こちらを、どうぞお納めください!」
「……あの、これって何?」
「見ての通り、『デラックスゆうかりんフィギュア』です!」
「東風谷早苗先生に作り方を教えてもらって作り上げた、ファンクラブの魂がこもった逸品です! どうぞ、お受け取りくださいっ!」
「ままー、あのお人形さん、かわいいねー。あたし、ほしい!」
「うん、そうね。だけど、あれは売ってないものだからね」
「いや、あの、もらって……って言われても……」
「……くっ! やはり、幽香さんのお眼鏡にかなう出来ではなかったかっ……!」
「だから、俺が、スカートのなびき方が不自然だと指摘をしただろう!」
「仕方ない! 作り直しだ! 出直すぞ!
あ、その前に、ここからここまでを大紙幣3枚分で!」
「……お、お買い上げありがとうございます……」
何なんだあれは、と誰もが思う不思議な光景ではあるが、この建物の中では至極当たり前の光景であった。
笑顔が暑苦しい二人の紳士たちは、店主の風見幽香から商品を受け取ると、『一週間の徹夜は覚悟しろ!』『応!』とわめきながら店を後にする。
それを引きつり笑顔で見送った後、店主は、何やら頭痛でも覚えたのか、額に手をやってため息をつく。
その光景を眺めていた魔理沙は、ややしばらくして、わずかに客の流れが途絶えたところで『……よし!』とつぶやき、椅子から腰を浮かして――、
「ちょっと、幽香。外の人の並び、長くなりすぎよ!」
そんなことを言いながら入ってきた人物の姿を見て、その動作を止めてしまう。
「仕方ないじゃない。ちょっとディスプレイの商品が少なくなってきたんだもの」
「こっちにも店員を雇ったほうがいいかもしれないわね。
私の人形たちを使うのにも限界があるし……」
「そうしてくれるとありがたいわね。
あ、そうそう、アリス。あっち、朝から魔理沙が……」
「さーて、長居しちまったな」
話題の対象が自分に移ってきたことを認めて、魔理沙は椅子の背もたれに引っ掛けていた帽子と箒を手に取ると、皿とカップをトレイに載せてやってくる。
彼女は、「悪いね、込んでるのによ」と幽香の肩を叩くと、手にしたトレイをディスプレイの上に置く。
「ちょっと、魔理沙。これを返すのはあっち」
「んな心の狭いこと言うなよ、アリス。返しといてくれ。
それに、私は客だぜ」
「マナーのなってないお客はお断りよ」
「金は払ったさ。
んじゃな~」
「あ、ちょっと、こら!」
いつもと同じ、飄々とした態度で肩をすくめて、すたこらさっさと逃げ出していく魔理沙の後ろ姿に『もう』と彼女――アリスは腰に手を当てる。
それから、彼女は仕方なく、トレイを手に取ると、
「……ねぇ、幽香」
「何?」
「あいつ、いつからここにいたの? 朝から、って言っていたけれど」
「ああ……もうずいぶんになるわね。
開店からだから……二時間近く?」
「珍しいわね」
中身が空っぽになってずいぶん経っているためか、すっかり乾いたカップを認めて尋ねたアリスは、返ってきた答えに小さく首をかしげたのだった。
「文」
「ここに」
音一つ立てず現れる、毎度おなじみ射命丸。
彼女の視線の先には、木立の影に佇む魔理沙の姿。
「例のものは?」
「こちらに」
「悪いな」
「いいえ」
彼女から受け取る茶封筒。
その中身を見ると、魔理沙は『確かに』とうなずいた。
「……しかし、魔理沙さん。一体、なぜ今回の依頼を私に? 失礼ですが、あなたならば、私に話を持ってこずとも……」
「文。
私はお前に依頼をした時、言ったな? 謝礼はする。だから、必要以上のことを聞くな――とな」
二人の間に流れる、ぴんと張り詰めた空気。
周囲の林の中に暮らす生き物たちが、何かを察したのか、その場から立ち去っていく。
鳥たちのさえずりは聞こえなくなり、虫たちの声もしんと静まり返る中――、
「……ふっ、確かに」
ニヒルに笑い、その静寂を破るのは文だった。
「ご安心を、魔理沙さん。私は、依頼人の秘密は守る女です。加えて、謝礼も頂いている――余計な相手へ口外することはありません。そしてもちろん、必要以上の詮索も」
「そうだな」
「また何かありましたらどうぞ。今なら文々。新聞を三か月分、お付けいたします」
「悪いがそっちはいらん」
「……そうですか」
がっくり肩を落とし、しょんぼりしながら文は飛び去って行った。
彼女の後ろ姿を見送った後、魔理沙はおもむろに、封印のなされた茶封筒を開く。
中から現れたのは――、
「……普段の態度や性格はどうにもならない奴だが、こと、こっち方面に限っては使える女だぜ、射命丸」
にやりと笑う魔理沙。
彼女の手元には、数枚の、ある人形遣いの写真と彼女の行動記録と思われる書類が握られていたのだった。
「最近、何か視線を感じるのよ」
「それはきっと、アリスさんが美人だからでは」
「はたくわよ」
「まあまあ」
軽い冗談の投げあいをして笑う二人――アリスと、その対面に座る東風谷早苗嬢。彼女たちを眺める位置に座っている紅白めでたい巫女さん――博麗霊夢は「どうせまた文でしょ」と一言。
「まあ、間違いないとは思うんだけどね」
「あいつは人のスキャンダルを撮影することのみに心血注いでいるバカだからね。生粋のバカ、バカオブザバカよ。
何か文に目をつけられるようなことしたの?」
「正直、心当たりはないわね」
最近は目立つことはしていないわ、というのがアリスの言い分であった。
それを聞いて早苗は「単に被写体として追いかけてるだけなんじゃ?」と問いかける。
要するに、くだんの人物が、毎月、ローテーションを組んで追いかけている(という噂であるのだが、限りなく真実に近いと言っていいだろう)『被写体』の今月担当がアリスなのではないかと言うことだった。
『迷惑な話ね』とため息をついて、アリスはテーブルの上に頬杖を突く。
「そういう時はね、アリス。
あいつの家に乗り込んで、おもむろにネガとかを人質に取りながら『やめないとこれ燃やす』って言ったら、あいつ、土下座して謝るから」
「……それはどうなんでしょう」
「さすがにそこまでやらなきゃいけないほど困ってないわよ……」
「そう? 普通でしょ」
博麗の巫女に曰く。
口で言ってわからない奴には致命的なまでの実力行使がちょうどいい、ということであった。
ちなみに、霊夢は文が土下座した後、自分が撮影されたネガなどを提出させ、その場で燃やしてやったらしい。それを聞かされた思わず早苗とアリスが『うわぁ……』な顔になったのは言うまでもないだろう。
「けど、困っているならちゃんと言った方がいいですよ。それはともかくとして」
「確証がないからね。現行犯じゃないと、さすがに倫理的にどうかと思うのよ。それはともかくとして」
「何で後ろの言葉を協調するかなあんたらは」
一応、文もまがりなりにも友人であるため、『犯人』扱いするのは裏が取れてからでないと気が進まないと言うのがアリスの意見であった。
思わず、なるほど、とうなずいてしまった早苗は、湯飲みのお茶を一口して、
「何かあったんでしょうか」
「その辺りのことは、あいつに聞いても仕方ないしね」
「まぁ……確かに……」
「はたてか椛辺りにでも話をして、あいつを監視してもらうことにするわ」
「……それがいいですね」
というわけで、とアリス。
彼女は傍らに置いてあった、小さな箱をテーブルの上に取り上げる。
「何それ?」
「この前、作ったのよ。かぼちゃのパイなんだけどね」
「かぼちゃですか」
お裾分けにどうぞ、ということだった。
取り出されたそれを、早速、『いただきまーす』と早苗はぱくり。途端、「美味しいです~!」と率直な感想をアリスへプレゼントした。
「ひんやりひえひえですね~。夏のデザートにちょうどいい感じです。
それに、甘くて美味しいし」
「ちょっと砂糖は入れたけどね。なるべくカロリー控えめにはしたわ」
「アリスさん、さすが!」
ダイエットを年中行事としている早苗は『ぐっじょぶ!』とアリスに対して親指を立てる。
一方、霊夢はというと『ふーん。こんなのもあるんだ』と思いながら、ぱくぱくパイを平らげている。
「二人に喜んでもらえてよかったわ」
「いえいえ。
うちだと、なかなかこういうお菓子は出てきませんからね。というか、うちは他二人がそろって酒飲みなので、甘いものが登場する機会って滅多にないんですよ」
「だから、あちこちに買いに出かける、と」
「そうなんですけどね……」
体重と言う強敵がいなければ、とつぶやく早苗の瞳には、何と言うか、気力と言うものが存在していなかった。
アリスは小さな声で「……プラス2キロくらいなら許容範囲よ」と言うのだが、早苗はがっくりと肩を落として「3キロですぅ~……」と呻いた。
そっと、アリスは彼女の肩を叩く。そうして、余計な言葉をかけずに「霊夢はどう?」と尋ねた。
「ん~、美味しいんじゃない?」
「相変わらずの感想ね」
「そりゃね。私がこういう系統の甘いもの、苦手なの知ってるでしょ?」
「知ってるけど、もう少し、こっちの苦労をいたわって欲しいわね」
「なら、魔理沙とかにでも聞いたら? あいつの方が適切なアドバイス、してくれんじゃない?」
「……ったくもう」
困った友人だ、とばかりにアリス。
――と、何かを思い出したのか「そういえば、魔理沙なんだけど」と話を切り出す。
「最近、魔理沙を見ないんだけど、どうしたの?」
「は?」
「そのままの意味。
たまに顔をあわせたと思ったらそそくさ逃げ出したり。何か企んでるとか知らない?」
「さあ? 特に何も」
「……ふぅん」
腕組みするアリスは『……なるほどね』とつぶやく。
「あいつが何か企んでいるのだとしたら、ちょっとお灸を据えてやらないといけないかしら」
「逆に、最近、大人しいなって思ってるんだけど」
普段なら、二日か三日に一度は何やらトラブル起こしたり、無目的に神社へとやってきては霊夢に夢想封印ぶちかまされていたというのに、この頃はとんと姿を見せないのだとか。
その話を聞いて『え?』と尋ねるのはアリス。どうやら、そのような事態は予想していなかったらしい。
「あんたの方があいつの家には近いんだから、何か知っているかなとか思っていたんだけど」
「……そう……でもないのよね。
ああ、だけど、そうなの……。いつ頃から?」
「さあ? 一週間か二週間か。もしかしたら、もっと前からかもね」
「ますます怪しいわね。何かよからぬ実験とかしてるんじゃないかしら」
「あ~……ありうるわね」
怪しい爆発物なども嬉々として持ち歩くあの友人のことである。
ひょっとしたら、霊夢たちの想像も超えた『とんでもないこと』を企んでいたとしても、全くおかしくはなかった。
ここは一度、魔理沙の家に乗り込んでみるべきだろうか。
話の内容はその辺りにまで踏み込んだところで、ようやく早苗が復活してくる。
「あの、だけど、わたし、先日、魔理沙さんを見ましたよ」
「どこで?」
「人里です。わたしが声をかけたら、慌てて逃げていきましたけど……」
「……これはますます怪しいわね」
大抵、人間が挙動不審になっている時は、その裏側に何かを隠し持っている。それがよからぬことであることが多いのは、もはや言うまでもないだろう。
そして、霊夢とアリスの間で、かの人物の評価はかなり低い。言うまでもなく、問答無用のトラブルメーカーであるからなのだが、その評価が憶測に憶測を呼び、ついには『魔理沙を警戒しなければ』と言うところで意見が収束してしまう。
「今度、準備が出来たら魔理沙の家に行って来るわ」
「気をつけなさいよ。マスパのよけ方は、言わなくてもわかるわね?」
「任せておきなさい」
「……あの、お二人の間で魔理沙さんってどういう人なんですか?」
とはいえ、曲がりなりにも友人として付き合っている相手にそういうのってどうなんだろうと悩む早苗の、何とも言えない微妙なツッコミがその場に入れられるのは言うまでもないことであった。
「ちょっと、魔理沙。いるんでしょ?」
そして、早速、その日の夕方のことである。
家への帰り際に魔理沙の家に立ち寄ったアリスは、ドアをノックして声を上げる。
ややしばらくして、室内から『誰もいないぜー』といういつもの返答。
「入るわよ」
ドアをがちゃりと開ければ、なぜか、出迎えてくれるのは本の山に埋まった魔理沙の姿だった。
「あんた、何やってるわけ?」
「あー、いや、本を抜き取ろうと思ったら崩れた」
――そういえば、ドアをノックしたとき、何かが崩れる音を聞いたような……?
つと首を傾げてから、アリスは『気をつけなさいよ』と、魔理沙の手を引っ張って、その本の山から助け出してやる。
魔理沙はぱんぱんと服の埃をほろってから、「これ、どうやって片付けるかなー」とぼやいた。
「これ、大半がパチュリーのところから盗んできたやつなんでしょ? いい機会だから返しに行きなさい」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。これはきちんと借りてきたやつだぜ」
「また『私が生きてる間、借りてくぜ』とか何とか言って持ってきたんでしょ?」
「半分はな。だけど、もう半分は図書カードを作った」
ほれ、と取り出すそれを見て、アリスは『へぇ』と声を上げた。
「どういう心変わりよ?」
「これ作ったら、あいつがすんなり本を貸してくれたんだ」
「まぁ、いい傾向ね」
その後に魔理沙は、『さらにレアな本も貸してくれたからな』と、やっぱり打算まみれの一言を続けてきた。
アリスは肩をすくめるものの、生活態度も他者への礼儀も最悪な友人(仮)がわずかに更生の道を歩み始めたことに感心したのか、それ以上は何も言わなかった。
「本、片付けるの手伝ってあげるわ」
「へっ?」
「どうせ適当に並べてあるんでしょ。整理すれば、もう少し見栄えもよくなるだろうし、落ちたりすることも……」
「あー、い、いや、いい!」
「どうして?」
「いや、その、何ていうか……」
いつもなら、この図々しい友人は『おお、ほんとか! じゃ、任せるぜ』と作業をアリスに丸投げしようとして、『あんたも一緒にやるのよ』と蹴られるのがセオリーである。
しかし、魔理沙はなんと「いや、その、アリスに悪いだろ? せっかく来てくれたのにさ」と、なんとアリスを気遣うような発言をしたのである。
「……魔理沙」
「な、何だよ」
「永遠亭に行きましょう。大丈夫、永琳さんなら、きっと、魔理沙の病気を治してくれるわ」
「こら待て。人を勝手に病人扱いすんな」
「だって、普段の魔理沙じゃ、そんな発言はしないでしょう!」
ずばりと言われて、魔理沙は一瞬、色々なものにくじけたような表情を浮かべるものの、何とか気を取り直したのか、『あのな!』と反論してきた。
「私だって、たまにゃ、他人に仏心を出す時だってあるわ!」
「たまに、って自分で言い切れるのがすごいわね」
さらりと魔理沙の発言を流すと、『ま、いいか』とアリスはその話題をスルーするようだった。
彼女は、『はい、おみやげ』と霊夢たちのところに持っていったかぼちゃのパイが入った入れ物をテーブルの上に。
そうして、
「魔理沙。あなた、最近、何か悪巧みしてない?」
「は? 何のことだよ」
「何か最近、挙動不審よね」
「そんなことはないだろ」
普段からふてぶてしい態度を崩さない彼女は、『気のせい、気のせい』などと言いながら、アリスがテーブルの上に置いた入れ物の口を開く。
「何を企んでるのか知らないけど、悪事の片棒は担がないからね」
「信用がないねぇ」
普段の自分の言動を顧みているのなら、こんな発言は出てこないはずなのだが、そこはさすがは魔理沙であった。
彼女はかぼちゃのパイを取り出すと、それを口に放り込み、「ちょいと甘さがきついな」とコメント。
「砂糖を小さじ一つ分少なくした方がいい。あと、水気をもう少し出した方がいいな」
「アドバイスありがとう。
で、最近の言動について、何か申し開きをすることはある?」
と、最近、自分や早苗が見かけた魔理沙の奇妙な行動の数々について問いただしてみる。
すると魔理沙は、「私だって、たまには色々、思うこともあるのさ」と話をはぐらかすだけだ。
――大抵、そういう時は『ほっとけよ』とふてくされるのに、である。
「ふぅん……」
「何だよ」
「別に。
ま、いいわ。わかった。
とりあえず、これからも怪しい行動を続けるなら、こっちも反撃するからね。よろしく」
「ひどいぜ。純真無垢な美少女に理由もなく攻撃を仕掛けるなんて」
「あんたのその言葉、胸の中で、最低百回は反芻しなさい」
よよよと泣き崩れてみせる魔理沙にぴしゃりと言い放つと、アリスは『それじゃね』と踵を返した。
今日のところは出直し。魔理沙を探るのはまたの機会。
そんな風に背中で語るアリスを見送ってから、やれやれ、と魔理沙は肩をすくめる。
「相変わらず鋭いね」
そうつぶやく彼女は、崩れた本の下から『こんなものを見られちゃかなわないからな』と、先日、文を通して入手したアリスの写真などなどを取り出す。
そして、それをテーブルの上に広げて『ふむ』と腕組みをする。
「……アリスが感づいてきたとなると、なるべく早めに行動を起こした方がよさそうだな」
彼女は、室内だというのに、相変わらずかぶったままの帽子のつばを軽く下げた。
そうして踵を返して、室内の掃除を始める。その時、ふわりと、室内を風がなでたのだった。
「最近、うちでは天狗を一人、広報として雇ったの」
「へぇ。文? 彼女はうちの広報もやってもらっているけれど」
「彼女のライバルを自称している天狗よ。名前は忘れた」
それからまた数日後。
いつもおなじみ、紅魔館の大図書館にやってきて調べ物をしているアリスは、そこの主の、何気ない言葉に相槌を打つ。
「彼女、大丈夫なの? 取材能力とかあまりなさそうだけど」
「けれど、記事自体はそれなりのものを書くようよ。
取材のいろはを覚えるにもちょうどいいでしょう」
要するに、ここの主は単純なのだから、ちょっと話術に長けていれば話を聞きだすのも難しくないということらしい。逆に言うと、その主からすら話を聞き出せないようでは記者失格の烙印を押されるということにもなりかねないのだが。
なるほどね、とアリスはうなずき、手にした本を机の上に広げる。
「そういえば、アリス。あなた最近、幽香のところに、よく足を運んでいるわね」
「まぁね。
というか、あいつ、私がほったらかしてると、いつ店を潰すかわからないし」
「少しずつひとり立ちさせていると聞くけれど」
「だけど、完全に任せた月の赤字の額は……ああ、思い出したくないわ」
その帳簿を見た時の記憶を呼び起こしてしまい、アリスは額に手を当て、思いっきり深いため息をついた。
さすがに、その様を見せられると図書館の主――パチュリーとしても、アリスがちょっぴり不憫に思えるのか『努力と根性よ』とよくわからないアドバイスをしたりする。
「で? 何、唐突に」
「別に」
「そう」
「ただ、それを不満に思っている人間も、数は少ないけれど、いるということよ」
「まさか、あなたが? 冗談はやめてよね」
まさかと笑うパチュリー。彼女曰く、『私は友人よりも知識のほうが大事だから』ということだ。
こんなことを友人の目の前で面と向かって言える辺り、この魔女の性格もなかなかのものである。
とはいえ、アリスも、そんな相手の性格は熟知している。その言葉に腹を立てることもなく、「そうよね」と同意するだけだ。
「今日は小悪魔の姿を見ないけれど」
「館の裏で畑耕してるわ」
「……は?」
「この前、魔界の友人から、『いい野菜の種をもらったんですよ』って。
せっかくだから育ててみるつもりみたい」
「……あ、ああ、そう」
「……ま、フランドールが楽しそうにしてたからいいんじゃない?」
自分の知らないことにはとかく興味を持つ吸血鬼の少女が一人。なるほど、彼女がこの図書館の司書の隣できゃっきゃとはしゃいでいる姿が目に浮かぶ。
そんなわけで、またしばらく、静かな時間。
大体、それが一時間ほど経過した頃だろうか。
「失礼します」
唐突に、館のメイドが一人、現れる。
言うまでもなく、この館のメイド長である十六夜咲夜女史である。
「どうしたの?」
「アリス。あなたに用事」
「あら、そうなの」
パチュリーの問いに、咲夜はアリスへと視線を向けて一言。パチュリーはそれで納得したのか、手元の本に視線を戻す。
「どうしたんですか?」
「さっき、はたてがやってきてね。こんなものを」
「はあ」
と、渡されるのは次回の新聞のネタか何かだろうか。A4の用紙に走り書きされたメモと、一枚の写真。
「……何これ?」
「さあ?」
それを見て、アリスの眉間にしわがよる。
彼女の声音の変化を敏感に感じ取ったのか、パチュリーが少しだけ、そちらの方へと身を乗り出した。
「……咲夜さん。これは?」
「私にもわからないわ。
ただ、彼女が突然、ここにやってきて、『こんな記事を仕入れたのだけど、一度、アリスに話をして』って」
「文と違って、そこはほめられるべき、というのかしら」
行くなら本人のところに行けばいいのに、と言外に込めてつぶやくパチュリー。
アリスは咲夜から渡されたものをじっと見つめ、『失礼します』と席を立った。
「パチュリー様。止めないのですか?」
「どうして?」
「ひと波乱ありますよ」
「別にいいじゃない。刺した殺したの話にはならないだろうし」
「何か事情をご存知、というわけでもなさそうですね」
「あいにくと、知識の魔女は万能ではないの。……アカシックレコードってどこかに売ってないかしら」
「いやぁ、さすがにそれはどうでしょう……」
「魔理沙っ!」
轟音と共に、霧雨邸のドアの目前が抉れた。
その音に『何だ何だ』と慌てふためいて、館の主が現れる。
「お、おお、何だアリス。目を三角にして……」
「あなた、これはどういうつもり?」
そう言って、彼女が取り出したものを見て、『げっ』と魔理沙は内心で声を上げた。
アリスが取り出したもの――それは、先日、アリスが訪れ、立ち去った後の出来事を克明に記した写真だった。
テーブルの上に広げられたアリスの写真。それを眺める魔理沙の姿がしっかりと写されている。それとセットになったメモには『特ダネ? だけど下世話』などという丸文字の走り書きがあった。
「何って……見ての通り、お前の写真じゃないか」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。
何であなたが私の写真なんか眺めているのか、って聞いてるのよ」
「そりゃお前、あれだよ。暇つぶし」
ははは、とへらへら笑う魔理沙の姿。それを見てアリスは『……なるほど。悪巧みの内容はこれか』と内心で看破する。
どうやら、彼女は、魔理沙が自分に何かよからぬことを企んでいるのだと考えたようだ。
「まぁ、いいわ。
写真、全部、よこしなさい。どうせ文に頼んだんでしょ?」
「ご名答。
渡して欲しいなら別に構わないぜ。もう用済みだしな」
「素直ね」
写真片手に呪いかけるような職業にはついてないぜ、と彼女は冗談を言う。
しかし、アリスはにこりとも笑わなかった。というか、目がかなりきつい感じに逆立っていて、じっと魔理沙をにらみすえていた。
魔理沙は『ははは』と笑いはするものの、その笑顔は乾いている。
恐る恐る、家の中の例の茶封筒を持ってくる魔理沙。アリスはそれを彼女から奪い取るようにして受け取ると、中身をしっかりと確認する。
「へぇ。人の写真だけじゃなく、行動記録まで。また気合が入ってるわね」
「ま、まぁ、私は本格派だからな」
「最近、態度がおかしかったのはこういうこと?
人のこと監視して、何をしようと考えていたのかはわからないけれど、そういうのを悟られまいと」
「別段、そういうわけじゃないんだが……」
「ま、いいわ。
じゃあ、これ、処分させてもらうから」
焼き増しとかはしてないでしょうね、とアリスはじろり。
魔理沙は頬に汗一筋流しながら「それで全部だ」と答える。
「あとそれから。
あんたは暇つぶしに人のことを監視したり、人の写真を見たりするような悪い癖があるみたいだから。
それなら、私は暇つぶしに、これからしばらく、あんたには関わり合いにならないようにするわ」
「な、何でそうなるんだよ!」
「いいの? 言って。こっぴどく」
「いや、あの、その……」
「少しは反省しなさい。いいわね?」
彼女はそう言うと、踵を返して魔理沙の前から去っていった。
ぽつんと、その場に佇むように残された魔理沙は『……どうしよう』と、思わず小さな声でつぶやいたのだった。
「――まぁ、そういうわけでした」
紅魔館へと戻ってきたアリスは事の顛末を、咲夜とパチュリーに語って聞かせる。
魔理沙から取り上げた、自分の写真などが入った茶封筒はテーブルの上に広げていた。
「なるほど。
他人の写真を使った魔法か……。何かいいネタが作れそうね。虚像とも言える写し身をターゲットに魔法を使用することで、その対象にも直接魔法がかけられる……これって呪いの一種かしら」
何やらぶつぶつつぶやきだすパチュリーはほったらかしておいて、アリスの視線は咲夜に戻る。
咲夜に、『ありがとうございました』と、例の魔理沙の写真が載ったメモやら何やらを返してから、
「ったく。あのバカ、何考えてるのかしら」
と、腕組みしてぷりぷりと怒る。
「まぁ、何かの目的があったんでしょうね」
「目的があったにせよ、何か気味悪いですよ。理由もなく、自分の写真が撮られて、しかもそれを友人が眺めてる、なんて」
「確かに、ちょっと嫌悪感はあるかも」
「みんなで撮影した記念写真とかならまだしも、それ、私しか写ってませんからね。しかもプライベートまで。
何なのよ、ったく」
これで、普段から魔理沙が冗談を得意としたいたずら好きでなければ、恐らく、アリスは本気で怒っていたことだろう。そうなると友人関係破棄、悪ければ刺した殺したの状況にも陥りかねない。この彼女、冷静なように見えて、意外と沸点が低いのだ。
アリスが今回、この程度の仕打ちで魔理沙を許したのも、よく言えば、普段の彼女の行いが功を奏したというところか。
「あとで文もとっちめないと。どんな理由があって魔理沙からこんな依頼を引き受けたのか、問いたださないと気がすまないわ」
「まぁ、適度にしておきなさい。
あんまりぼこぼこにすると、変な噂をかけられるわよ。『魔法の森の暴力魔法使い、文々。新聞記者に暴行!』だなんて。
いいスキャンダルだわ」
「あいつの場合、そういうこともやりそうですよね」
ネタのためなら命も捨てる、その根性だけは誰から見てもほめられる対象である幻想郷生きる迷惑部門連続受賞者のことを考えて、アリスはため息を一つ。
「けれど、案外、どうでもいい理由だったりしてね」
「どうでもいい理由ですか?」
「そう。
たとえば、アリスがしばらく構ってやってなかったから寂しかった、とかね」
「そんなことありませんよ。魔理沙だし」
「……いや、確かにそうなんだけどね」
自分で言っておいて『そりゃないや』と思ってしまったのか、咲夜の顔がちょっぴり引きつったりする。
「意外と、魔理沙もかわいいところはあるわよ?」
「それ、年上の余裕ですね」
「私よりも年上のくせに何を言うの」
「外見年齢では、咲夜さんが、私たちの中では一番ですから」
なかなか歯に衣を着せない物言いである。
あっさりと、それでいてしれっと言葉を返されて、咲夜は『やられたわね』と肩をすくめる。
「ともあれ、しばらくほったらかしておけば反省するでしょう。
ちゃんと反省して、こっちに頭を下げてきたら許してあげますよ」
「天邪鬼なところもあるから、なかなか頭は下げないと思うわよ」
「それならそれで、こっちも意地の見せ所です」
「アリスが張る意地って意味あるのかしら?」
「どうでしょうね」
これは別段、ケンカではないのだ、とアリスは言う。
たとえば、今日、今すぐにでも魔理沙が『悪かった』とアリスに頭を下げに来ればすぐにでも今までの行為を許してやる程度のことにしか、アリスは感じていないのだ。
彼女が許せなかったのは、魔理沙が自分のプライベートにまで足を踏み込んできていたからである。
そして恐らくだが、魔理沙はアリスが何で怒っているのかも察していることだろう。
となれば、遠からず、彼女は自分に頭を下げるだろうとアリスは考えていた。何せ、今回の一件、魔理沙が全面的に悪いのだから。
「いや、意外とそうじゃないような気がするわね」
「は?」
「どういうことですか? パチュリー様」
「何となく。理由はないわ。
理論と論理に基づかない発言も、時にはしてしまうお茶目さが、私たちには必要よ。アリス」
「……何が言いたいのよ」
何だか微妙に聞き捨てならないことを、何だかどうでもいいような理由と共に言ってのける彼女のことは、やっぱりまだよくわからないな、とアリスは思ったのだった。
しかし、である。
それから一日経っても、二日経っても、三日経っても魔理沙は謝りに来なかった。
「いよいよおかしいわね」
そんなことをアリスが言い出したのは、一週間が経過した頃である。
「どうせ魔理沙のことだから意地張ってんじゃないの」
と、神社の主は完全他人事である。
お茶をずず~とすすり、ぷは~、と息をついたりする。
「や~、華扇。あんたの持って来てくれたお茶、美味しいわ。あんがと」
「これ、ただの緑茶じゃないですよね。もしかして、ものすっごく上等なお茶なんじゃ?」
「当然です。……というか、他人に出すものまで粗末なものを使うのはどうかと思いますし」
「ちょっと表に出るかこら」
今日は、先日集まった三人組の他に、もう一人、来客が増えている。
茨木華仙という仙人で、彼女曰く、『自堕落を極めきった巫女を更生し、幻想郷にふさわしい巫女になるのを見届ける』と言う理由で、この神社に足を運んできているらしい。
無論、その評価を聞いた霊夢がぶちきれて暴れだしたのは言うまでもない。
「いや、あいつが意地を張るにしても、そろそろ限界だと思うのよね」
「また何を根拠に」
「家が近いと、割と腐れ縁があったりするのよ」
アリスの言葉に、霊夢は『なるほど』と納得した。
それで通じ合ってしまえる二人の会話に、早苗と華扇はそろって頭の上に『?』マークを浮かべる。
「……ったく。
仕方ないな。こっちから顔を見に行ってあげようかしら」
「何だかんだで、アリスさんって優しいですよね」
「そう?
まぁ、こっちから顔を出すと、大抵、大慌てになるあいつの顔を見るのが面白いから、っていうのもあるけどね」
そして、魔法使いと言うやつは、すべからくそういう一面でもあるのか、何やら『にやり』な笑みを浮かべたりするアリスに、早苗の浮かべた笑顔が引きつる。
「常にそうした関係にあるのがふさわしいとは言いませんが、仲がよくとも、時には互いにぶつかり合うことも必要。
人の世の関係と言うものは、常につかず離れずだったりするものです」
「あんたもわけのわからないこと言ってないで。
ああ、早苗。さっき、アリスが持ってきたパイ、出してよ」
「あ、はーい」
「パイですって!? 頂きます!」
先日、幽香の店に行ったせいで洋菓子の魅力に取り付かれてしまった仙人さまは背筋と居住まいを正して、マイフォークを片手に取り出したりする。
「じゃ、私、帰るから。
ああ、お茶、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。
こ、これは、何のパイなのですか!?」
「これはアップルパイかな。えっと……」
「もう少し大きめにお願いします!」
仙人というやつは俗世と我欲から離れた生き物だと聞いていたが、その華扇の様を見ていると、『仙人っていうのも色々よね』とアリスは思ったとか思わないとか。
ひょいと肩をすくめて空に舞い上がる彼女。その後ろ姿を見送ってから、霊夢は、「腐れ縁、ねぇ」と何やらつぶやいたのだった。
そうして家に戻ってきたアリスは、まず、キッチンへと向かった。
冷蔵庫の中に入れてある、魔理沙の分のパイを取り出すと、それを入れ物に入れて人形たちに持たせる。
『全く、世話が焼けるんだから』
そんなことをぼやきながら、彼女は再び、空へと舞い上がり――、
「文っ!」
「おわったたた!?」
何の偶然か、今回の一件の片棒をわっしょいわっしょいと担いだであろう人物に遭遇する。
文は、アリスの顔を見て慌てて逃げ出そうとするのだが、その背後をアリスの人形に固められ、あえなく逃げ道を塞がれる。
「ちょうどよかった。
あなた、魔理沙に手を貸したわね? その理由を聞かせてもらうわ」
「え? い、いや、あの……」
「どうしても言えない?」
「と、当然です! 依頼者の秘密を守るのは新聞記者として当然ですから!」
胸を張る文。
ふぅん、とうなずくアリスは、スカートのポケットから12枚つづりになったクーポン券を取り出す。
それを、文の眼前に突きつけると、
「スペシャルフルーツケーキ一年間ご優待チケット!」
「なっ……!?」
「季節と共に移り変わる果物と甘いクリームの饗宴、ぜひともお楽しみくださいませ。お客様」
幽香の店の手伝いを始めてからというもの、文の篭絡に最も貢献している『お店の商品優待チケット』の効果はいつだって絶大である。
笑顔の裏に静かな怒りを隠すアリスを前にしても、胸を張って依頼者を守るような発言をした文が、その紙切れを前にした途端、あっさりと前言撤回しかけているのだから。
「今ならプレミアム・ティーの割引クーポンもセットにするわよ。
どう?」
誠、世の中、ジャーナリズムを相手にした時の武器とは『買収』であった。
文は、そのチケットの魅力には勝てない。ふらふらと、アリスに向かって手を伸ばしてしまう。
――ちょろいわね。
アリスが、そう、勝利を確信したときだ。
「ってぇぇぇぇぇぇいっ!」
文の伸ばした手がアリスのスカートを掴む。
そして、それを一気に上に向かって跳ね上げた。
「なっ……!?」
「アリスさんのTバックげっとぉぉぉぉぉ!」
「こっ、このっ……!」
そのセリフと共に光るカメラのフラッシュ――それを想定して、翻るアリスの蹴りは、しかし、すかっと宙を薙いだ。
なんと文は、その言葉と動作でアリスの判断ミスを誘い、その隙に高速でその場から離脱していたのだ。
「まっ、待ちなさい、こらっ! 文っ!」
「すみませんが、今回ばかりはどうしても秘密は秘密なんですっ! クーポンは惜しいですが、私はこれにてぇっ!」
――実に意外な発言であった。
あっという間に幻想郷の彼方に飛び去り、その姿が見えなくなる文。彼女の残した言葉に『……どういう意味よ?』とアリスは眉をひそめる。
「痛い目にあうのは慣れてるくせに……」
と言うか、普通ならどう考えても死ぬような目にあっても復活できるのが射命丸文と言うナマモノである。
今更、腕や足の一本、二本程度を恐れるようなたまではない。にも拘わらず、あの態度だ。
さすがに納得がいかないのか、首を傾げてから、アリスは『仕方ない』とその場に背を向ける。
「追いかけても追いつけないし、魔理沙のところに行くわよ」
天狗の足の速さは超一級。
そればっかりはアリスにもどうしようもない事実であった。
スカートめくりされたことだけは忘れないよう、胸の内に留めると、アリスは魔理沙の家への道を急ぐ。
――それから、およそ10分ほど後。
ひゅうと風を切って大地に着地したアリスは『魔理沙ー、いるんでしょー?』とドアをノックして、しばし待つ。
相変わらず返答のないことを不審に思ってドアを開ければ、部屋の中はしんと静まり返っていた。
「何よ、留守? 鍵もかけずに無用心ね……」
テーブルの上にお土産のパイを置いてから、『仕方ないわね』と踵を返そうとして、
『マスター。魔理沙さま、いらっしゃいました』
「え? どこ? 仏蘭西」
連れてきた人形が『こちらです』とアリスを案内して飛んでいく。
それに案内されるまま、やってくるのは魔理沙の寝室だった。
ドアをそっと開けると、家の主がベッドに横になってる姿が見える。
何だ、寝てるのか。そう思って苦笑するアリスだが、
『マスター。魔理沙さま、どうやらお体の具合が悪いようです』
「そう?」
言われて、その顔を覗きこむ。
確かに、彼女は顔を赤くしており、心なしか吐く息も荒かった。
ベッド脇のチェストには、『文へ。悪いが、風邪引いた。永琳連れてきてくれ』という手紙が置かれている。
「……何やったのよ、このバカは」
本当に付き合ってられないわね。
そんな口調で大仰に言うアリスの耳に『ごめんくださーい』という声が聞こえてきたのは、その時だった。
「ん……む……」
「目が覚めた?」
「うをっ!?」
がばっ、とベッドの上に身を起こした魔理沙は、慌てて、声の主――アリスを見る。
アリスは片手に本を広げ、『あんた、これ、パチュリーのところから盗んできたでしょ』とじろりと魔理沙を見る。
「な、何でアリスがいるんだよ!?」
「さて、何でかしらね。
永琳さんとうどんげが来ていったわよ。『注射を打っておきますから、目が覚めたらほぼ完治してます』だって」
言われて、自分の右手を見る魔理沙。
真新しいガーゼが、肘の内側辺りにテープで留められている。
「何で風邪なんて引いたのよ」
「あ、いやー……その……ちょっと風呂入った後にさ、この頃、暑いだろ? 少し体を冷やしすぎてさ」
「なるほどね」
バカ丸出しね、と辛らつな一言を投げてから、アリスは立ち上がる。
「な、何だよ。
しばらく顔を見せないつもりじゃなかったのか?」
「そうよ」
「はっはっは。何だ、素直じゃないな。アリス、私に逢いたかったのか。モテる女は辛いぜ」
「はいはい」
『これは持っていくわね』とアリス。ちなみに、その本は、先日、図書館の主が血眼になって探していた本だったりする。
「いつもの減らず口が叩けるなら大丈夫ね。
じゃあ、栄養とって、二、三日はしっかり寝てなさいよ」
「お、おう!」
「下にアップルパイ、置いてあるから。おなかすいたら食べなさい」
そんじゃね。
そう言って、アリスは部屋を後にしようとして――、
「……何よ」
ベッドから何かが落ちる音。そして、その音の直後、アリスは動きを拘束されて前のめりにつんのめる。
腰の辺りが重たい。
視線を後ろにやれば、魔理沙が、アリスの腰にしがみついていた。
「離して」
魔理沙は子供のように、いやいやと首を左右に振りながら、顔をアリスのお尻の辺りに押し付けてくる。
「……もう」
――家に帰るのは少し遅くなりそうだな。
自分にしがみついて離れない魔理沙を見て、彼女は苦笑を浮かべて『はいはい』と息をついたのだった。
「……で?」
「……その……」
目元を少し赤くして、それ以上にほっぺたを赤くして、魔理沙は椅子の上に座していた。
ふてくされるようにほっぺた膨らます彼女は、『その……えっと……』と言葉に詰まる。
「観念しなさい」
「あいてっ」
おでこの辺りをぺちんとはたかれ、魔理沙は小さな悲鳴を上げた。
ほっぺた膨らましたまま、魔理沙はそっぽを向くと、
「その……文に、お前が暇そうな時って、いつごろか、調べてもらってた」
「は?」
「……だって、お前、最近、幽香の店とかパチュリーのところとかばっかりで私のところに来ないから……」
「……はあ」
「……だから、お前が暇そうな時を見計らって押しかけてやろうって思ってた」
しばらく、沈黙。
アリスは魔理沙の言葉の意味を反芻してから、『それってつまり』と言う。
「あんた、私に構って欲しかったの?」
そのアリスの一言に、それまで以上に顔を真っ赤に染めて、ふん、と魔理沙は後ろを向いてしまった。
――何ともまぁ、意外なオチである。
そして、先日の、咲夜の一言が思い出される。
『単に寂しいから』
へぇ、とアリスは笑う。意地悪く。
「そっかそっか。魔理沙ちゃんは寂しかったのね。
ごめんなさいね~。私、ぜ~んぜん気づかなかったわ」
「ちっ、違うわ! 何、勘違いしてんだよ! その……お前をからかうことがなくなって退屈だったからだっての!」
「はいはい、わかったわかった。
それなら、もう充分、からかったでしょ? 私、帰ってもいい?」
「だー、もーっ!
ああ、そうだよ! 寂しかったんだよ! 何か悪いかよ!?」
振り向き、目元に涙まで浮かべて抗議する魔理沙の姿は年相応――もしかしたら、それよりも幼いような感じにすら見える。
そんなかわいいところを見せる彼女に、『はいはい』と笑うのがアリスである。
「なら、言えばいいじゃない。ちょっと付き合って、とかさ」
「……言えるか、ばーか」
「あんたは本当に天邪鬼ね」
「お前に言われたくないわい」
何だと、とアリスは魔理沙のほっぺたをつねる。
痛い痛いと暴れる魔理沙はアリスの手を払うと、用意されたアップルパイにフォークを突き刺し、それにかぶりつく。
「何だって、それで風邪を引いたのよ」
「だから、風呂入って、体を冷やしたからだよ! どうしたもんかって悩んでたんだよ!」
「……なるほどね。あの文が、どうして今回ばかりは魔理沙に義理立てするのか、何となくわかったわ」
「……ふんっ」
「仕方ないわね」
立ち上がるアリス。
彼女は一度、大きく伸びをすると、「風邪引きは栄養をとるのが一番でしょ」と言う。
「ちゃんと肉とか野菜とか買い置きしてあるんでしょうね」
「心配しなくていい。霊夢と違う」
「あっそ。
じゃあ、何か作ってあげる。何かリクエストとかあるの?」
「……別に、ない。うまいものなら何でもいい」
「じゃ、適当に作るわ。感謝しなさいよ」
「誰がするか」
べー、と舌を出す彼女に、アリスは軽く指を動かした。
その動きに応じた人形の一体が、魔理沙の頭をぺちんとはたく。
「なるべく、今度からあんたにも声をかけるようにするから。
今回みたいなことはしないように。わかった?」
「……わかった」
「よし。いい子」
魔理沙の頭をはたいた人形が、ぐりぐりと魔理沙の頭を乱暴になでた。
魔理沙は『痛い痛い! やめろよ、おい!』とアリスに抗議するのだが、アリスは「しばらくかわいがってあげてね」と『彼女』に言って、キッチンへと歩いていく。
「困った奴よね」
『そうですね』
「どう思う? あれ」
『年相応です』
アリスは笑いながら、そんな会話を人形と交わした。
両手に取り出した食材を持って、包丁とまな板に向かう彼女。
「たまには美味しいもの、作りに来てやらないと、あいつはまた同じことをやりそうね」
自分の行いを反省しない人間としては超一級の人物、それが魔理沙である。
本当に困ったものね、と笑うアリスの顔は、何だか妙に『いたずらっ子』な笑みに輝いていたのだった。
で、文が最後に撮った写真はその後どうなりました?(チラチラ
最近は昔よりずっとアリマリが増えている気がしますね。