Coolier - 新生・東方創想話

風神太平記 第五話

2013/02/27 00:02:50
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「そこな軍勢、いま直ぐにお立ち止まりなされ! これより先、洩矢亜相諏訪子さまの治むる御料のうちにありて、下諏訪が御所たる神殿! 斯様に武器兵器を帯びたる不埒者どもが、そのままに足を踏み入れて良い場所ではない! もし諏訪子さまに対しご用向き在りとせば、即刻下馬し、剣、矛、弓矢をその身より外さるるべし! さすれば、われら神人衆、お取り次ぎをいたす! 斯様に申しても未だ武装を解くこと認めぬようであれば、いま直ぐお立ち退きあれ!」

 秋の盛りに子供たちが思い思いに蝗(いなご)を追い立てていた豊かな稲田は、刈り入れを終えた後にて稲穂の金色も消え失せている。各々の土地も山々の稜線も、後は本格的な冬の訪れを寒々と待つのみだ。晩秋の酉の刻近くゆえに、夜の帳ももうだいぶ重々しいのだが、件(くだん)の薄闇に穴を開けようとするかのようにまず大声を上げたのは、諏訪御所の門前警護を仰せつかった神人たちであった。

 警護番の神人たちの頭領役は、三十過ぎほどの男である。
 腰に帯剣、片手には矛を持っただけで甲冑をまとわない軽装だったが、眼光、絶えず爛々とし、御所守護の気概――というよりかは、むやみやたらな血気盛んぶりを内包しているようでもある。頭領役を取り巻くように、おおよそ二十歳代から三十歳前後と思しい諏訪御所の神人たちは、揃いの白い袍(ほう)に袖を通し、剣と矛、幾人かは弓に矢をつがえて、眼前、諏訪御所を目指して進んできた『不埒者』たちと睨み合っているのである。

 相手方の軍勢は、幾度かの警告を神人たちに受けたことで立ち止まりはしたが、怯む気配も立ち退く素振りも見せなかった。夕刻になって、田畑の向こうから現れた連中だ。おそらくは彼らを率いる首領格の下知を待っているのであろうか。ともかくも、騎馬数騎を含めた二十人あまりの軍勢もまた、装備のうえでは諏訪御所の神人たちと五十歩百歩。剣と矛、弓矢を手にした程度の軽装で、甲冑らしいものを身にまとっている様子もない。

 神人たちの方から睨みつければ、軍勢の方でも同じく睨みつけてくる。
 やがて馬上の者のうち、一騎が最前へと進み出て来た。矛の穂先を彼に向ける神人衆。頭領役は、片手でその軽率な行動を制した。

「まずは、名を名乗られよ。神前に姿見せるは、それが礼儀」
「ならば名乗る。おれは、諏訪の豪族トムァクが長子、ガト。今宵、洩矢諏訪子さまより宴の招きに与ったゆえ、父と共にこうして御所へとまかり越した。今まで政のうえでの談合にて、幾度も御所にはやって来たことがある。だというのに、かかる乱暴な歓迎を受くるとは、まったく予想のほかであったわ」

 馬上の男――ガトは、これで務めを果たしたと言わんばかりにふんぞり返った。まるで野生動物が敵対する相手を威嚇するかのような仕草だった。彼には、どうやら気持ちが昂ぶってくると深く呼吸をする癖のようなものがあるらしい。彼の部下たちが持つ松明の明かりが、そのしたり顔を赤々と照らしだす。大きな鼻の穴をよりいっそう膨らませながら、周囲に見せびらかすごとく次の言を叫ぶガトである。

「……どうじゃ、皆もそう思わぬか。これまで諏訪の政は、わが父トムァクはじめ、豪族方が諏訪子さまをお支えし奉ることによって成り立っていた。だというに、いざ八坂の神に膝を屈して新たな政に参じた途端、われらの顔を神人衆は忘れてしまったか。そうでなくとも先ほどの横柄さ、見知った客人に対する態度ではあるまい。いくら何でも無礼が過ぎようぞ。それとも、仕えているのが神というだけで、根はそこらの奴婢と同じく恥知らずの卑しき者ということか?」

 瞬間、ガトの部下たちは矛を抱えたままゲラゲラと大笑いを始めた。
 本当に可笑しがっているというよりも、よくよく見れば、それはことさらに相手を嘲って挑発するための大笑いであった。松明が必要な薄闇の中でも、落ち着いて冷静に眼を凝らせば、その程度の安い挑発に神人たちは乗らずに済んだかもしれない。しかし、互いに刃を向けて威嚇し合うという極度の緊張状態にあっては、本来あるはずの理性がはたらくことは毛頭期待のしようもなかった。

 さっき、部下が矛を動かすのを制したはずの頭領自身が、今度はいささか激昂の態で言い返す。門前の篝火にくべられた薪の爆ぜる音は、彼の大声でかき消された。

「な、何たる言い草か。そも、御所に参ずるに当たりて武器をその身に帯びぬことは、最低限の礼儀にして掟であろう。われら警護の神人が、その掟を侵すおぬしたちに対して咎めを行うは理の当然。名と用向きを承るもまた当然。誰か彼かの威に憚って自らの任を枉げる(まげる)ことあらば、王の御名にこそ傷がつくのだ。ガトどの、先の言、即刻に撤回されよ!」
「黙れい! 神人風情が小賢しい口を聞きおって! 御所のうちにて武装が許されぬと言うのなら、きさまたち神人の帯剣はどう説明するつもりじゃ! 神人ばかりが御所のうちにて武器を帯び、外の者に向かっては武器を棄てよと命じる。かかる不公平があろうかよ!」
「小賢しいのはどちらか、この痴れ者! おぬしたちのように、武装した一団が突如として御所に現れたとき、真っ先に諏訪子さまの元に馳せ参じ、御身、お守りすることこそがわれら神人の使命なるぞ! 欲得ずくでつるぎを振りかざす浅はかな豪族どもと一緒くたにされては困る。そんな風に物の道理も解らぬから諏訪の所領を召し上げられて、トムァクの一族は筑摩へと移封させられるのだ!」
「おお、おお、涙ぐましい忠節よのう。ならば、その諏訪子さまの元へと疾く(とく)駆けつけ、ご助勢を願い奉れば良いではないか。……いや待てよ。順序立てて考えると、今ごろあのお方は例の九つのご夫君に、閨(ねや)のうちで夜伽の手ほどきでもしておられるのではないか? なるほど、それならば神人どもに武器持たせ、御所に人を容れさせぬのも合点がいくわ!」

 いっとき、またもや高らかに豪族方の嘲笑が響いた。
 今度のは意図的な挑発ではない。下世話な話題に乗っかったあからさまな爆笑である。
 それが、ただの挑発よりも神人たちを怒らせた。誰彼と言わず、矛の柄を持つ手がわなわなと震え、空手の者はつるぎに向かって手を伸ばす。弓を構えた者などは、豪族たちの列の最後尾まで射抜いてやらんとするかのように、弦がちぎれそうなほど力一杯に弓弦を引いていた。

「おのれ、何という薄汚い物言いを……! われらの神を、諏訪子さまを愚弄しおって!」
「祟り下るぞ! ミシャグジさまの、神罰下るぞ!」
「いいや、諏訪子さまやミシャグジさま方の御裁可を待つにも及ばず! われらが刃にて恥知らずの豪族一党に、いま直ぐ天誅下すべし!」

 豪族方の嘲笑に対抗するかのようにして、神人たちは口々に勇ましい言葉を叩き出す。若く、血気盛んな彼らは、自ら奉ずるところの王にして神を愚弄されて、そう易々と引き下がれるだけの素直さを持ち合わせていなかった。やがて頭領役は部下たちを見回して、矛を振り上げ、闘志に突き上げられるまま堂々と宣した。

「神人たちよ! トムァク一党の鼻っ柱、遠慮なくへし折ってやるべし! たとえそのとき、連中の手足の一本や二本ちぎれることになろうとも、神前に供え奉れば良き進物ともなろうぞ!」

 おお――ッ! と、神人衆の鬨の声が雄々しく弾け飛ぶ。
 矛の穂先をぎらつかせ、ある者は剣を抜き払い、またある者は待ち切れずとばかりに矢を放つ。その鏃(やじり)が豪族方のうち、徒歩(かち)の者の足下に威嚇のごとく突き立つに及んでは、挑発と嘲笑にのみ徹していた彼らもまた、爆発せざるをえなかった。

「おお、やるか! 何が神だ、この石頭どもが!」
「どうせこっちは諏訪から遠くに飛ばされる身、土着の神たる諏訪子さまのご威光とも、ミシャグジさまの祟りとも、やがては手切れになる定めよ!」
「今のうちに言いたいだけ生意気を言っておれよ、神人ども! 直ぐにその口を抉り取って膾(なます)にし、宴の料理をひとつ増やしてやるわい!」

 売り言葉に買い言葉、さらにまた双方から矢が飛び交い、諏訪の夕暮れを切り裂いた。

 初め幾度かの矢合わせは威嚇であり、直接に相手を標的にするものではなかった。宙に向けて放たれた互いの矢は、姿勢を低めればどうにか回避が可能な程度だ。しかし、やがて神人方の放った矢の一本が、豪族方の騎馬の尻に突き刺さる。ひひィ……ンという間抜けた悲鳴と共に馬が暴れ出し、御者を振り落とし、周りの雑兵たちをその蹄で蹴っ飛ばしていく。それに追い立てられるかのごとく、豪族方は抜剣した刃の切っ先を向けて突撃し、神人たちも応戦の構えを取る。

 拳や剣の柄で鼻先を遠慮なく殴りつける。矛で足払いを仕掛け、鳩尾(みぞおち)を踏みつける。かと思えばやはり矛の石突きで相手の喉を打って吹っ飛ばし、それを見た別の仲間がやんやと囃し立て喝采を上げる。天誅を下すの何のと言い合っても、正式ないくさ支度を経ていないものであり、統制された指揮下にあるわけでもない。つまりは神人衆と豪族方の無軌道な乱闘である小競り合いは、直ぐさま本当の殺し合いに発展せぬだけの節度は、この時点ではかろうじてあった。しかし、やがて互いに矢が尽きたため、辺りの石を拾い上げての投石合戦に及んだうえは、ついに流血は避けられなかった。飛んできた石で額がぶち割られる者あり、飛礫(つぶて)が耳に直撃する者あり。痛みのあまり戦闘不能となった者も双方の陣営から数名あり。激昂は互いの激昂をかき立てて、いよいよ矛で相手の腿を突き刺したり、剣で腕の筋を斬り裂いたりする者までが出始めた。

 宴の晩であるにも関わらず殺気混じりの騒擾(そうじょう)は甚だしく、神人衆と豪族方の乱闘はあと一歩で本当の『戦争』にまで発展しそうなほど血なまぐささを濃くしていく。罵倒に次ぐ罵倒もいつ果てるともなく、しかし、烈しい乱闘で双方の体力が尽きかけてきたころ、戦いの切れ目を見計らうようにして、朗々と若い男の声が響き渡った。

「鎮まれ! 双方、鎮まらぬかッ! 此度は神前なるぞ! 洩矢諏訪子さまの御前なるぞ!」

 神人衆と豪族方、双方ともに武器を手にしたまま声のした方を振り返る。
 門扉を軋る音もさせず、御所の門が開かれていたのである。
 そして神人衆は、そこに姿を現した人影にぎょッと驚いて、血振りもせぬままつるぎを鞘にし、豪族方もまた戦意をくじかれて引き下がった。彼らの眼に映ったものは、御所のうちからやってきた神人頭のアザギ。そして、やはり数人の神人たちを護衛に引き連れた、洩矢諏訪子その人であった。

 双方の陣営とも、地面に倒れる怪我人を抱きかかえたり引きずったりして、諏訪子たちへ道を譲る。護衛の神人たちが掲げる松明は、騒乱など知らぬかのごとく燃え続け、一行の横顔をことさら凛々しくも見せていただろうか。未だ血と鉄の香の濃い乱闘の現場を目の当たりにしても、洩矢諏訪子は眉ひとつ動かすことはない。むしろ事の次第について見聞をはっきりさせようとするかのごとく、ぐるりと視線を巡らしさえした。

「何やら門前が騒がしいと思えば、このような無為なる乱闘騒ぎを起こしおるか。……ガト!」

 諏訪子は負傷と返り血でみな血まみれになっている豪族方から、過たずトムァクの長子を向き直り、その名を呼んだ。すでに下馬して乱闘に加わっていた彼は、小さく舌打ちをしながら「は!」と応じる素振りである。

「わが館に足を踏み入れるうえは、鉄の気いっさい帯びてはならぬ。其許もまた、父に従いて政に参画してきた身なればこそ、よう知った掟のはず。それがなぜ、斯様な騒ぎを起こしたのか」
「いやいや。そういう掟が在ることは、おれどもとてよう知っておりまするわ。しかし、此度はせっかくの宴というに、客を迎える神人衆の態度があまりに横柄だったゆえ。つい、引き下がることできぬまま、このような騒ぎに」

 弁解――というよりも、のらりくらりとした実のない言いわけである。「解った。そういうことなら、神人衆にも“客人に対しては礼節をわきまえるべし”との旨、あらためて申し伝えよう」と、諏訪子は溜め息まじりに応じて見せた。

「しかし。此度の宴に呼んだはガトとその一党のみにあらず。其許の父を招いたからこそ、長子のガトも同道をしたのであろう」
「左様にござる」

 と、ガトはへらへらと逃れるような笑みを見せた。
 それ自体には何の興味も示さず、諏訪子は思いきり彼の父の名を呼んだ。

「トムァク! 諏訪子の前に姿を見せよ! この騒ぎにいかなる由(よし)のありたるか、其許の口からよう明かせ!」

 暗い虚空に少女の声が凛々とこだまする。
 ……と、それほど間を置くこともなく、豪族方の列の向こうから複数の人影が駆け寄って来た。見ればその中心に居たのは他ならぬ、奴婢に担がせた手輿に乗った、トムァク自身であった。

「お久しうございまするな、諏訪子さま。わざわざ門前にてトムァクをお出迎えくださるとは」
「あいさつは良い。それより、」

 相手が輿から下りて辞儀を見せるも待たず、諏訪子は詰問の構えであった。

「そなたの子であるガトとその部下どもが、わが方の神人たちと乱闘に及んだとき、本来の一族の長である其許は、いったい何をしていたのか。よもや、輿の上にて居眠りをしておったわけでもあるまい」

 心もち頭を低くしながら、トムァクは答える。
 見れば、彼も輿には剣を佩いているのであった。

「居眠りなど滅相もございませぬ。むろん、息子どもが神人衆と乱闘に及びしこともよう見えておりましたわ。しかし、いざ騒ぎを止めんと欲して声を嗄らせど、血気盛んな若人たちは、私のごとき老骨にはもはや止められず。すでに昂ぶった互いの戦意を押し留めるには甚だ遅きに失したのです。気づけば、いくさをするごとき流血の惨事。いや、いかに申し開きを述べても今さら足りますまい……」

 いかにも申しわけが立たぬというように、トムァクは沈鬱な声と表情で謝罪を見せる。諏訪子はおとなしくその言を容れておきながらも、表情はどこまでも怪訝さのそれだった。聞くには値する。しかし、信ずるべきものではない。洩矢諏訪子ならずとも、そのように直感したことだろうが。

「では、再び問う。御所のうちにては、神人以外が武装をすること禁ずるのが掟。で、あるにも関わらず、トムァクの与党二十数名が、此度、軽装とはいえつるぎや矛を帯びたるは、これ、いかなる仕儀か」
「余興のためにございまする」
「余興――っ?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった諏訪子だが、むろん、可笑しいと思って笑う者はひとりもいない。どう考えてもそういう空気ではない。とはいえ、あまりにも突拍子のないトムァクの返答には、諏訪子自身が「この男は冗談を言っているのではないか」と、一瞬、疑ってしまうほどだった。

「其許の部下たちと、儂の神人衆が喧嘩をすることが果たして余興か」
「否、否でござる。ま、いわば、御所まで参上をつかまつる道中、余興の“種”を護るための武装にございました」
「種だと……」

 諏訪子がその言葉の意味を問いただすより早く、トムァクは「傀儡子女(くぐつめ)を、これへ!」と部下たちに声をかけた。遠くで父の様子を見ていたガトが、部下の差し出す布で顔の返り血を拭いながら「例の四人組の傀儡子女じゃ、急げ!」と、さらなる烈しさで命じた。

「腕利きの一座を、此度、呼び求めましてなあ。私が知る限り、この科野国中においては無双の腕前と器量良し。今宵の宴に、ささやかながら花を添えさせていただきとうございまする」

 やがて、諏訪子の前に引き出され姿を現したのは、四人の女たちである。見れば未だ歳若く――みな、少女と言っても良かった。外見は諏訪子と同じく十五、六歳ほどか、あるいはもっと幼いようにも思える。彼女たちのうち、三人までは禿(かむろ)みたいに髪の毛が短い。しかし毛先はおおよそ肩までの長さとはいえ、幾分、散らされているようでもあり、はっきりと禿風の髪として切り揃えられているわけでもないようだ。そしてどうやら残るひとりだけが、長い黒髪を背中まで垂らし、きっちりと結っていたようだった。

 彼女たちは各々地面に膝を突き、恭しく諏訪子を拝した。

「芸を披露つかまつるうえは、白粉をはたいて唇に紅も引きましょうけれど、今はひとまずご紹介にのみ与る段なれば、どうかご容赦のほどを」

 ひとりが少年めいた、中性的な凛とした声で告げた。

「虹河の一座の傀儡子女、瑠那佐(るなさ)にございます」

 と、彼女は名乗る。
 三日月の鋭さを宿したごとく、鋭い目元はうつくしい。

「傀儡子女、梅琉藍(めるらん)と申します」

 続いて声を上げたのは、梅の蕾がほころんだような楚々とした印象を与える少女だ。
 とはいえ浮かべた微笑には、己の花を咲かす頃合いを熟知した色が滲んでいる。

「傀儡子女、李々香(りりか)です」

 三人目の彼女は、一見してそれまでのうちでもっとも快活な笑みを見せた。
 見るだに可愛らしいものだが、阿諛(あゆ)とも違えどどこか媚びに似たものがあるようにも思えるのは、その職業柄のことであろうか。

「傀儡子女、黎蘭(れいら)と言います」

 最後の少女は少しおどおどとし、辺りに満ちる血と鉄のにおいにも、未だ慣れぬという風である。四人の傀儡子女たちのうちではもっとも年下らしく、口ぶりもどこかおぼつかない。けれど、まったく動揺しているようにも見えないのは、さすがに芸事の徒であるというべきかもしれなかった。長い黒髪を結っているのは、彼女であった。

「このたびは御尊顔を拝し奉り、傀儡子女の卑しき身の上には過ぎた誉れとも心得ます。トムァクさまのお招きに与り、洩矢亜相さまの催さるる宴への同道を命ぜられ、われら虹河一座の姉妹四人、参上つかまつりました。未だ若輩ゆえ数多居る傀儡子の先達には到底及ばぬ者どもなれど、洩矢さまの深き御心がお許しになるのであれば、ぜひとも神前にて歌舞を捧げ奉り、もってこれを神楽に代えさせていただきとうございます」

 瑠那佐が自らの言葉を終えると同時に、虹河一座の四人は改めて辞儀をした。
 卑しき身の上――と謙遜する口ぶりの彼女だったが、頭を下げる物腰ひとつとっても、さすが科野国中の無双と言われるだけあってか、実に滑らかで優美なものがある。そして、着物が発する衣擦れの音さえ雑音でしかないのだというかのように、その声さえもがすでにして細やかな歌のようでもある。

 しばし、諏訪子は黙考する。
 品定めをするかのように、虹河の姉妹たちを端から端まで見遣っていた。男好きのしそうな、美少女たちだった。野の花が野の花であるそのままに、しかし、根ごと土ごと植え替えて、豪奢な鉢に住まわせてやっているような。それを愛でるに、男女の別をことさら云々する必要はないのかもしれなかった。科野一という歌舞の腕前に、加えて斯様な美貌である。なるほど、宴に花を添えるには“あつらえ向き”の人材であろう。

「アザギ」

 と、諏訪子は、かたわらに侍していた神人頭に声をかけた。
 盲目ながらも、アザギは自分を呼ぶ諏訪子の場所をはっきりと認知している。直ぐさま身を屈め、主の指示に耳を傾ける構えだった。

「遠路、せっかく来てくれたものを、無碍に追い返すわけにもいくまい。かの者たち……虹河の一座に、今宵の宴の余興を任す。そのように取り計ろうてくれ」
「御意に」

 ちらと、諏訪子はトムァクを見た。
 彼女から見られていることに気づいたか、豪族の長はふいと顔を背ける素振りである。しかし焦りのようなものは一切ない。相も変わらず涼しい顔をして、ことの成行きはいかばかりかと傍観を決め込んでいるようなのである。ふん、と、荒い息が諏訪子の鼻を抜けていった。

 神人衆や豪族方は、いつしかどちらも消沈した様子で落ち着きを取り戻し始めたようである。諏訪子の登場で騒乱に拍車がかかるかと期待していたのが、存外、穏当に事態が収拾されてしまった。そのことを、どこか無意識に残念がっているごとく。

「ともかくも、館のうちで怪我人の手当てを。宴に招かれた者たちは、武器を神人たちに預けたうえでやって来るが良い」

 最後にそう命じると、諏訪子はアザギひとりを伴って、御所のうちへと踵を返していった。


――――――


「一時はどうなることかと思いましたが、諏訪子さまの采配によりて事無きを得ました。お見事にございまする」
「褒められるようなことではないぞ、アザギ。儂とても、今日の宴が未だ始まってもいないのに要らぬ“けち”をつけたくはなかった。それだけのこと」

 幾分荒々しかった諏訪子の足音も、御所の廊下を歩くうちに少しずつ鎮まっていく気配だった。アザギは盲目ゆえ、先導役の別の少年神人に手を引かれながらその数歩後ろを歩く。どこか追従めいた称賛を口にする彼を、諏訪子が振り返るようなことはない。そのくらいには、未だ彼女にもいら立ちが残っているのかもしれなかった。

 その気持ちを聡く察してか、アザギはまた声をかける。

「それにしても、あのトムァクどのにございまする。二重三重に言いわけの種を揃えておくところは、さすが堂に入った奸物ぶりにございまするな」

 やはり立ち止まりはしなかったが、諏訪子も思わず歩みをゆるめて口を開いた。

「うん。傀儡子女たちを護るために武装をしたというのは上手い方便。思わず、感心してしまったわ」

 いつか彼らは、御所の中庭に差し掛かっている。晩秋ゆえ実も花も忘れ果てたかのように寂しくたたずむだけの梅の木が、彼女の眼の端には入っていた。皮肉げに、諏訪子は笑みを浮かべる。

「ともかく、ああももっともらしい名目を押し立てられては、ひとまず受け容れるほかあるまいよ。下らぬ小競り合いごときで、せっかくの宴を台無しにされてはたまらない」

 とは申せ、彼女にもどうにか騒ぎが鎮まってくれたという思いは確かにあった。
語る口ぶりにも、諏訪子自身も気づかぬような安堵が滲んでいる。だが、その微笑にあえて挑みかかるかのように「しかし……」とアザギが呟く。朧気なものながら、諌めの風である。そのとき初めて諏訪子は足を止め、彼の居る方へ向き直る。その手を引く先導の少年が畏まって頭を下げるところは眼にも容れず、「追従ならば、これ以上は聞かぬぞ」と釘を刺す。

「追従に非ず。……ただ、此度の騒ぎがいかなる姦策であるものか、それがアザギには気がかりなのです」

 閉じていた目蓋をわずかに開きかけ、彼はさらに言を続けた。

「長子のガトを使って当方の神人たちと乱闘騒ぎを起こさせ、諏訪子さまの宴に泥を被せる。トムァクどのが目前であえて騒動を傍観せるは、そういった目論見によるものでございましょう。たちの悪い嫌がらせ」
「で、あろうな。相も変わらず姑息なやつ」

 と、諏訪子は肩をすくめる仕草を見せた。
 いささかおどけたような格好だったが、盲のアザギには見えるまい。
 直ぐさま「それで?」と先を促し、彼の言葉に耳を向ける。

「思うに、豪族方が斯様に堂々と嫌がらせを仕掛けてくるということ自体が、何かしら異様なこととは考えられませぬか。実際はどうあれ諏訪子さまが諏訪王として君臨せし頃は、豪族方が政を恣(ほしいまま)にすることはあっても、此度のごとくあからさまな挑発を見せることはなかった。彼らの政は、“諏訪さま”という神威のもと証されなければならない類のものだからにございます。しかし今は、この諏訪に八坂の神が御新政を打ち建てておられる。その折に此度の乱闘騒ぎ。双方のあいだで流血の事態となってもなおトムァクどのは傍観を決め込み、諏訪子さまご自身による幕引きを待つかのごとき振る舞い。いやしくも前王に仕えし者が、その前王に対してあまりに不遜な行いであると言わざるを得ませぬ」

 諏訪子は、開きかけたアザギの目蓋のうちを、じいと覗き込みたい衝動に駆られた。
 祭祀者としては何の才能もない盲目の彼に、実務官僚としての能力を見出して寵を与えてきたのは他ならぬ諏訪子自身なのだ。もはや光を捉えることのない彼の潰れた両の眼には、未だ諏訪子の気づいていないものがすでに見えているのかもしれなかった。

 トムァクが、何か姑息なことを企てて乱闘を傍観していたのだろうというのは、諏訪子にももちろん察しがついていた。察しがついていたからこそ、彼女はアザギの言葉の裏にあるかもしれないものに対して邪推をしてしまう。だからなのか、自分でも驚くくらい低い声でアザギに問いを発してしまった。

「――この洩矢諏訪子が、王として祀り上げられるだけの信望さえ失くし始めていると申したいのか、其許は」
「滅相もございませぬ。されど、洩矢諏訪子さまが御新政に与するということが連中の反発に繋がり、“諏訪さま”の御威光を軽んじさせ、此度の乱闘騒ぎを引き起こしたとするのなら、事態の根は思いのほか深いものがあるのではないかと」

 アザギは、いささかの動揺も見せなかった。
 言い逃れでも言いわけでもない。純粋に、自らの思うところの正しさを述べ奉る構えであった。開きかけた盲の目蓋を、再び彼は閉じてしまう。闇のなかで、さらに思案を深くしようと試みるかのごとく。

「諏訪子さまの宴に泥を塗るということは、すなわちその後見を自負せらるる八坂さまにまでも泥を塗りかねぬ行い。八坂さまに泥を塗るということは、今宵の宴に小さからぬ援助を行ってきた御新政にまでも泥を塗るということ。それがいかに危うきことか、トムァクどのとて知らぬものでもないでしょう。しかし獣の尾を自ら踏みつけるような愚挙に走ってまで、連中がわれらに逆らう兆しあるのもまた事実。旧来の王が新たなる王に、取り込まれているという事実ゆえにか……」

 きッ、と、諏訪子はアザギを睨んだ。

 アザギの先導役の少年が、その気迫に圧されてかまごついた素振りを見せる。やはり神なるものゆえ、高まった喜怒哀楽の様が空気を染めることは、人間よりもさらに烈しい。加えてここは諏訪子の御所だ。さきほどから、梅の林の根元で事態を観察するミシャグジ蛇神たちが、無言ながらも面白がって鎌首をもたげているのが諏訪子には見えていた。びりびりと、吹き渡る秋風がその切っ先を研いでいく。

「アザギ! 其許はまた……それほどまでに諏訪子の還幸を望むか」
「確かにこの下諏訪御所に諏訪子さまが御身、いち早くご還幸あるべしとアザギは何度でも申し上げ奉る所存! しかし、それとこれとは別儀。私がこの乱闘騒ぎについて申し上げたきことはただひとつ」

 固く閉じていた目蓋を今度ははっきりと開き、アザギは言った。
 見えぬ眼からほとばしる気概には似合わぬほどの、清廉で落ち着いた声音であった。

「“科野の政情、未だ定かならず。埋伏の毒、いずれにや在らん”と」

 その言葉に対する有意な反駁(はんばく)を、諏訪子はとっさに持ち得なかった。
 埋伏の、毒……と、ぽつりと彼女は呟いた。昼間、謁見の間での会見でしきりに還幸を勧めるアザギに対し、八坂政権が未だ砂上の楼閣であることを説いたのは、他ならぬ諏訪子自身であった。だが今になってよく考えてみれば――いかに強固な建造物とても、土台を喰い荒らす白蟻はどこに潜んでいるものか知れたものではない。トムァクのような“解りやすい敵”は未だ良い。しかし、今は服従を誓っている科野国中の豪族たちが皆、その懐に毒を隠し持っていないという保証もない。そしてひとたび叛乱が起これば、それは川の堤が決壊するかのように、止めどもない裏切りの嵐となって八坂政権を揺るがすことであろう。

「……うかつに挑発に乗れば、敵も味方も等しく危うい、か」

 今の彼女には、それだけ答えるのが精いっぱいだった。
 指先で頬を掻き、乾きかけていた唇を舐める。心のどこかでは気づいていた“危うさ”を、いま改めて眼前に突きつけられたような焦りがあった。

「昼間にも申し上げましたが。御新政に恨み持つ輩は、いかなる難癖をつけて叛旗を翻すものか知れたものではございませぬ。神人たちの応対ひとつとっても此度のごとき乱闘に発展したうえは、もし諏訪子さまがあの傀儡子女たちを追い返しなどしていた日には、」
「豪族どもはその面目を潰されたとして、一戦に及ぶ仕儀となったかもしれぬ、か?」
「その通り。此度の騒動は、薄氷を踏むごとき勝負にございました」
「そして、今のところは引き分けたということか……」

 思いきり、諏訪子は溜め息を吐く。
 話をすべてし終えたのか、アザギは「では、私はこれにて」と、先導の少年と共に諏訪子より先に廊下の向こうに姿を消していった。日はもうすでに落ち切り、御所のうちにもあちこちに松明や篝火の明かりが灯っている。宴に招いた諸所方々の豪族たちの気配も、そろそろと増え始めている頃だった。

 ――――いくさなれば、“諏訪さま”、ミシャグジは直ぐに力を貸すぞ。

 梅の木の根元で、どこか嬉々とした声で蛇神たちは蠢いていた。

「いいや。未だそれには及ばぬ。其許たちは、休んでいて良い」

 御所に吹く風は、いつの間にかひどく生ぬるいものに変わっている。


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