「やぁ射命丸。元気してるかい?」
「あやや、これはこれは頭領様」
冷たい風が巡り行く、冬の妖怪の山。
相も変わらず新聞のネタを集めていたところを、上司に呼び止められた。
胡散臭い中年男性のような風体だが、烏天狗の中で一番偉いお方だ。
「来週の末って予定空いてるかな? 頼みたい事があるんだが」
「なんなりと」
このところネタ探しに奔走していて疲れているのだけど、上司の頼みとあっては断れない。一体なんだろう。
「白狼自警団の年次演習。それで敵役をやって欲しい」
「敵役……ですか」
「春から配属になる新人達の歓迎会、だそうだ。君はとにかく飛び回って、ひよっこ達をあしらい続ければいい」
「ははぁ」
なぜ白狼の新人の相手を、烏天狗の私がやるのかしら。まあ簡単そうだし、いいか。
「正式な仕事だからね。キッチリやってくれよ」
「勿論ですとも。清く真面目な射命丸にお任せです」
今思えば気軽に受けたものだけど、そりゃそうよ。誰があんな事態、想定するものか。
▽
「このクソカラス! 絶対この世から追い出してやる!!」
「いやん霊夢さんこわいですーウフフフフ」
今日も今日とて射命丸。博麗神社を張っていたら、スクープを激写してしまったのです。
よもや黒Tバックをご所有とは、霊夢も大人の階段を上り始めたのね。お姉さん感激。
「あれは紫のヤツなの! 宴会の時に忘れてったのよ!」
「ほほう! それはそれで素敵なスクープ!」
宴会場に下着を忘れるって時点で首が傾ぐ事態なのだけど。まあ面白いならそれでいい。
次の見出しは『博麗の巫女、賢者の下着でパルプンテ』で決まりだ。爆売れの予感。
「来週の霊夢さんは人気者ですよ。それでは、チャオ!」
「待ちなさいッ!」
この私を追いかけようとは、なんたる無謀。
翼を広げ、大気を打つ。それだけで霊夢が紅白の点となる。ノンビリ屋さんですねぇ霊夢さんは。
そして、更に突き放すべく翼を振るったその時。
突如、右の翼が硬直した。
「へっ? あれ!?」
頬を撫でる風が、優しさを増していく。再度翼を振るうも左側しか動かない。いや、いやいや、何で!?
幾らやっても右の翼は震えるばかり。痛いというか、重い。鉛の荊でも絡まってるのか?
突然の事態に戸惑っている内に、引き離したはずの霊夢が追いついてきた。
「殊勝な烏ね。わざわざ私を待っているなんて」
「ち、ちがっ、動け! 動いて! パワアアアアア!」
「……霊符」
もはや霊夢は目前だ。既にカードを抜いた彼女に、莫大な霊力が集っていく。
「霊夢さん待ってください話し合いましょう人類みな兄弟チェケラッチョ!」
「――『夢想封印』」
煌く殺意が私に迫る。炸裂する神性に吹っ飛ばされながらも、頭の中は翼の事でいっぱいだった。
▽
「はぁ……」
絶賛絶不調。翼に異常なんて初めてだ。
あの後色々試してみたが、翼に一定以上の負荷がかかると動きが歪になるようだ。呂律が回らない、とでも言おうか。
つまり今の私は、加速、減速、旋回……飛行に関わるあらゆる要素が制限されてしまっている。もどかしい事この上ない。
「どうしたものか、ねぇ」
「珍しい顔をしてますね。文さん」
後ろを向くと椛が立っていた。非番らしく私服を着ている。制服を着ていない姿を見るのは久しぶりだ。
だが今は、彼女の華の無い私服を堪能する余裕は無い。
「翼がおかしいのよ。上手く動かないっていうか」
「お疲れなのでは? お休みになったらどうです」
「そうしようかな、仕方ない。今日はのんびホワアアアアアアアアア!!」
思い出した。今の私に、その猶予が無い事を。
愛用の手帳をポケットから抜き、近日の予定が書かれたページを開く。
明日の欄には『自警団演習の手伝い』と書かれていた。
「どうしました急に」
「あわわ、あわわ」
「はあ、 明日仕事があると」
「あわわわ」
「それって年次演習じゃないですか」
「あばばばば」
「しかも頭領様からの依頼とは。大変ですね」
「ホント大変だわ。あばばで会話が成り立つ貴方の脳が」
僅か数音で会話可能な言語の爆誕である。これほど簡単かつ難解な言語もそうあるまい。
「年次演習の新人歓迎会……あれは、サボられると困りますね」
「かといってこのまま参加したら、白狼達の前で恥を晒した挙句、私を選んだ頭領様のメンツを潰すことに……」
ヘロヘロと空を飛び、ひよっこ達にフクロにされる私の姿が脳裏に浮かぶ。お嫁どころか、近所の八百屋にも行けなくなるだろう。
野菜不足で便秘になる未来に頭を抱えつつ、ふと椛のほうを見ると、口角に違和感。
「ねえ、貴方笑ってるでしょ。私の事嗤ってるでしょ」
「まさか。他人の不幸を笑うなど、そんな無神経な事……プヒュッ」
「尻尾ブッこ抜いて腋に移植するぞお前ェ」
表情自体はいつもの無愛想だが、こうも露骨に吹かれれば流石に解る。実に腹立たしい。
「まあまあ。とりあえず、病院行ったほうがいいですよ。文さん」
「……そうね。それじゃあ行くわよ椛」
「いや、病院くらいお一人で行けるでしょう」
「嗤った罰よ。色々聞きたいコトあるしね」
ブツブツとブー垂れる椛を引っ張りながら、私は迷いの竹林へ向けて。
「ところで、ちゃんと外山許可は出してますか? 文さん」
「……モチロンデスヨ椛サン。天狗の義務デスカラネー」
「これだから、報道の連中は」
湿った目線でこちらを見る椛。
ちゃんと『報道』のタグは置いてきたから。そう彼女に伝えると、澱んだため息をついた。
固いなぁ。これだから、自警の連中は。
▽
「で、新人歓迎会っていうのは何なの?」
「研修最後のお遊びみたいなモノです」
幻想郷上空、竹林行きルート。
澄んだ空に柔らかい風。こんなにノンビリ飛ぶのは何時ぶりだろう。懐かしいが、物足りない。
「研修こなしたからって調子に乗るな、という意味合いも含んでます。新人の負けが前提の歓迎会です」
「でも、なんで烏天狗の私が。自警団に先生みたいなのは居ないの?」
「居ますけど、先輩や上司が相手では気が引けてしまうので、対象外なのです」
「なるほど」
私だって訓練の名目があったとしても、大天狗様をボコすことなど出来ない。
天狗という種族の上下関係は厳格だ。地位という力は、ペンや剣をも鈍らせる。
「身内かつ、思いっきり手を出せて、ひよっこに対処出来ない機動力をもつ標的。それが烏天狗という訳です」
「ということは、昔から烏天狗にやって貰ってたの?」
「ええ。私の時も、烏天狗を的にした歓迎会をやりました。聞けば撃墜を達成した世代もあったとか」
昔からの恒例行事というわけだ。無様を晒すわけにはいかない。
「なんとしても、明日までに治さないといけないわね」
「そうですね……おや、到着ですね」
眼下に広がる竹の海。迷いの竹林だ。空から永遠亭は見つからないので竹林の中に入る。
本来は案内人が必要なのだが、私程の実力者になると出迎えが来るので問題無い。迎撃ともいう。
それまでの間、視界を過ぎ去る緑と茶のコントラストを楽しんでいると。
『そこで止まって。取材も号外もお断りよ』
耳元で声がした。椛でも、まして私でもない。姿の無い声。
「喋る竹とお知り合いで?」
「まさか。これはニセ耳ウサギの声よ」
鈴仙の波長弄りだ。本人が遠くにいても声だけは明瞭に届く。便利そうではあるが、何とも気味が悪い。
『誰がニセ耳よ。ちゃんと専門家の鑑定書貰ってるんだから』
「専門……鑑定……?」
「深く考えちゃ駄目」
付け耳にしか見えない不自然っぷりなのだが、鈴仙の感情に合わせて立ったり寝たりするし、息を吹きかけると彼女の悶える姿を拝める。
だがコイツを侮ってはいけない。掴む支えるはお手の物。電灯の紐に近づけばフルオートでシャドーボクシングを繰り広げる。
更に鈴仙を蓄音機に繋げば、耳がウーファーばりの重低音を部屋中に響かせてくれる……ホント何なんだろアレ。
『今日は姫も妹紅も、珍しく喧嘩しないで仲良くしてるの。だから刺激しないで欲しいのよ』
「大丈夫ですよ鈴仙さん。この清く優しい射命丸、憩いの時をジャマする無粋は致しません!」
『めっちゃ取材モードじゃん……』
「これだから報道の連中は……」
だって、仲良くしてる妹紅さんと輝夜さんなんて超レアじゃないですか。撮って書くのが礼儀というもの。
『いいわ、どうしてもジャマするのなら』
竹林の奥で、小さな火花が見えた。
大気を裂く鋭い音が、私の鼓膜を引っ叩く。耳元を狙った射撃だ、怖いなぁ。
「椛、場所と距離は?」
問われると同時、椛の鮮やかな赤い瞳が光を失っていく……彼女の能力、千里眼だ。
「12時方向。距離は1000といったところですね」
「たったそれだけ? ひとっ飛びだわ」
「今の文さんじゃ無理でしょう」
「……うん」
もどかしさで死にそうだ。全力で飛べないことが、こうも苦痛であったとは。
不調の翼で、相手のホーム。幾ら私でも、この状態で5ボスを相手にしたくはない。
とりあえず、今の私が取るべき行動は……。
「鈴仙さん。私は唯、学術的にお二人の関係改善の理由を」
『弾種変更、HEAT-MP』
「やばっ」
「ちょ、待ってくデゅグッほォォ!!」
遠方からくぐもった轟音。私の必死の説得虚しく、私の腹で盛大な爆発。
容赦の無い腹パンは私から呼吸を奪い去り、お代とばかりに莫大な熱量を押し付けた。
「文さん無事ですか?」
「ハァーッ! ハァーッッ!! ンフゥゥゥゥ!」
「無事みたいですね」
何を以ってして無事と判断したのか。無事の意味を辞書で引け、辞書で。
『さあ、そっちのあんたも……』
「待ってください。我々は、患者として永遠亭に向かっているのです」
ナイス椛! 今更かつ自業自得な気もするが、何とか本題に入れたようだ。
『そんな嘘に騙されないわよ。明らかに取材態勢だったじゃないの』
「すみません、文さんは特ダネ欠乏症にかかっていまして」
『満たされた事あるの?』
「このままだと金切り声を上げながら、落ちてる光り物を片っ端からパンツに仕舞い始めます」
『新聞屋ってストレスたまるんだなぁ』
……翼が治ったら、お前らのおピンクで号外を彩ってやる。それまでせいぜい、仮初めの平和を謳歌するがいい。
「とりあえず運びますか……あれ、文さん太りました?」
「フ、太ッ!? げほっ! ゴホゴホッ!」
「おぬしらも尸解仙……だな?」
「暴れないで下さい、文さん」
『え、ちょっと今誰か』
私は断じて太ってなどいない。どれだけ私を貶めれば気が済むのか。仕返しか、普段の仕返しなのか。
だが、碌な抗議も出来やしない。増量疑惑をかけられたまま、私は永遠亭へと運ばれていった。
▽
「まさかナースに怪我を増やされるとはね。とんだマッチポンプだわ」
「だから謝ってるじゃないのー」
永遠亭に着いた私は、鈴仙から腹の治療を受けていた。痛みの割りに大したものでは無かったのが救いか。
なお、妹紅は結局姫君と喧嘩して帰ったそうだ。凄く残念。
「それにしても、アレを喰らってこの程度で済むなんて……天狗って頑丈なのね」
「一体何を撃ったのよ、何を」
「こんなの」
宙に光線で銃弾が描かれ、次いで白い妖弾となって出現した。
……デカイ。銃弾というより砲弾だ。コレを喰らって無事だったのか。天狗って頑丈なのね。
「明らかに殺す気だったでしょコレ」
「もしそうなら、最初に脳天フッ飛ばしてるって」
「……とりあえず、この上着は洗って返すわね」
「別にいいんだけどね」
腹より上着のほうが被害甚大だったので、鈴仙のYシャツを借りる事としたのだ。
サイズも見た目もほぼ同じ、違和感ゼロだ。うーん、洗剤の香り。
「いやちょっと、嗅ぐな!」
「これ里でオークションにかけていい?」
「駄目に決ってるでしょ! というか、欲しがる人間がいないでしょうに……」
そんなことは無い。一般的には不気味な薬売りと評されてしまっている彼女だが、水面下での……特に若い男性からの評価は高い。
何せ、制服美少女が合法的にお宅訪問してくれるのだから。思春期の少年や独身男性にとっては華である。欲しがる者は必ず居る。
だがその評価に安心してはいけない。寺子屋の先生、人形劇の少女、稗田の当主、貸本屋の娘、賢者の式やヒマワリお姉さん……人里は美少女激戦区なのだから。
「応援してるわよ、頑張ってね」
「あ、はい、どうも?」
「鈴仙ちゃーん。シショー連れてきたよ」
怪訝なお礼を言われたところで、詐欺ウサギが永琳を連れてきた。
「珍しい事もあるのね。貴方がココに、治療目的でくるなんて」
「まあ、偶にはこういうこともね」
「翼だったかしら、見せてもらえる?」
背を向けて翼を見せる。早速診療が始まった。
「解ったわ」
「はえーよ」
まだ1行も経ってないぞ、天才かお前は。疑いを載せた視線を送っていると、先生殿の返事が帰ってきた。
「端的にいえば、疲労ね」
「疲労って、そんなバカな……」
そりゃあ、締め切りに追われてみたり、取材対象に追われてみたりと、疲れの原因なんて山ほどある。
しかしそれでへこたれるような翼は背負っちゃいない。その証拠に、疲労で翼がやられる事なんて、今まで一度も無かった。
「今まで無かった、なんていうのは根拠にならないわよ」
「心読まないでくれますか」
「取るに足らない疲労が、ある日突然思わぬ異常を起こす。妖怪にだって十分ありえる事よ。まあ、2、3日大人しくしていれば治るわよ」
「あー、それが、明日にでも快調に持っていく必要が」
その2、3日が致命的なのだ。つもりに積もった信頼や信用を、崩すわけにはいかない。
「医者としては止めたいところだけど。どうしてもっていうなら、イカツイのを処方するわよ」
「是非お願い」
「ウドンゲ、ちょっと材料の確認して頂戴」
「はい師匠」
鈴仙に紙を渡すと、そのクスリとやらの説明を始めた。
「一種の栄養剤なんだけど、一時的に疲労を誤魔化すだけだから、後で物凄い疲れが出るわよ」
「構わないわ。別に、一生飛べなくなるとかじゃないんでしょう?」
「そういうのもあるけど」
「けっこうです」
「あら残念。調合に時間が掛かるから、明日の朝方にでも取りに来て頂戴」
朝、か。演習のどこでやるか聞いてなかったわね。まあ、新入生の歓迎会を真っ先にやるとも思えないが。
「師匠~。材料の在庫なんですが、2種類ほど不足があります」
「どれどれ。ん……新聞屋さん。ちょっと一仕事してもらえるかしら」
「患者をパシるおつもりで?」
「鈴仙だけじゃ間に合わないけど、いいかしら」
それは非常に困る。まあ翼以外は健康体だ、大丈夫だろう。
「貴方の担当は魔法の森に生えているキノコよ。これ写真ね」
「うわっ……」
紫を基調に黄色や緑の斑点がついている。キモい。毒キノコ以外の何物でもない。
「別のと混ぜて使うのよ。沢山生えてるし、見た目も分かり易いから採取は簡単よ。ね、ウドンゲ」
「ええ、これの採取なら誰でも楽勝です」
「そんなフラグっぽいこと言わないで」
何か起こったらどうするんだ。ただでさえ不調だというのに、これ以上の面倒は御免こうむりたい。
「新聞屋は心配性だなぁ。戸棚の茶碗が全部爆散してたけど、きっと大丈夫だよ」
「そうですよ文さん。さっき靴紐が切れた13匹の黒猫が横切って行きましたが、何の問題もないでしょう」
「喧嘩売っとんのか、お前らはよ」
別室からわざわざ旗立てに来るな。破片に変えられたいのかお前ら。
その時、慌しい足音と共に姫君……蓬莱山輝夜が駆け込んできた。かなり急いでいるようだ。
「どうしたの輝夜、そんなに慌てて」
「何かあったんですか姫様?」
「はぁ……はぁ……」
彼女は切れた息を整えつつ、満面の笑みで叫んだ。
「私、この戦争が終わったら結婚するの!!」
誰も返事を返せない。余りに突っ込み所が多過ぎて、言葉を発せない。
何故かドヤ顔で胸を張る姫君に対し、我々は、余りに無力だった。
お姫様、恐るべし。
▽
魔法の森。薄闇と瘴気に覆われた、妖怪も避けて通る魔境である。
その環境ゆえ、特殊な植物や菌類の宝庫となっている。件のキノコも沢山生えている……ハズなのだが。
「いっっっぽんも生えてないじゃないの!」
「予想以上に予想通りですね」
キノコは山ほどあるのだが、目的の品だけが見当たらない。神様ってヤツは本当に意地が悪い。
「なんで? キノコナンデ?」
「早いトコ探しましょう。ここは環境が悪過ぎます」
「んん、そうね」
不快な湿気と毒胞子。こんな所に長居したら気が変になりそうだ。歩調を速め、腐った地面と睨めっこを続けていく。
四半刻ほど経っただろうか。木々の向こうから私を呼ぶ声が聞こえた。
「どうしたの? キノコあった?」
「ええ、この先の木の根に。見えますか?」
「見える。でかしたわ椛」
さすがは哨戒員といったところか。ともあれ、これで不快な森とはオサラバだ。
キノコに向かって駆けていく。そして今まさに、目の前の毒々しいキノコが―――消えてしまった。
「お、おおっ?」
「あれ、文さんキノコは」
いや、確かにあったはずなのだ、ここに。キノコがテレポートや光学迷彩を使う訳もないし。
「幻覚だったのでしょうか」
「対幻覚のクスリ飲んだじゃない」
「シーカー」
「まさかキノコに足が生えて」
「いや何スルーしてんの。なんか聞こえたわよ」
地面のほうからだ。木の根の辺りを見回してみると、何かが蠢いている。
「……人形?」
「ですね」
私の膝下くらいの大きさだろうか。金の髪に青い瞳。こげ茶色が基調のドレスを纏い、首から双眼鏡、腰回りにポーチを沢山下げた、実に可愛らしいお人形が二体。
そして、その手には。
「あ、あのキノコ!」
「人形もキノコ食べるんですかね」
「んなワケないでしょ。この人形は、森の人形遣いのよ」
「呼んだ?」
背後から声。振り返ると、人間サイズの人形……のような容姿の彼女、アリス・マーガトロイドが立っていた。
「あら、見つかったのね。二人とも偉いわ」
マスターに褒められ、えっへんと胸を張る人形達、可愛い。何度見ても、操っているように見えない自然さだ。
「簡単な作業や仕草なら、ある程度自動化できるわよ」
「だから心を読むの止めて」
「表情を読んだのよ」
澄まし顔で返すアリス。そんなに顔に出るタイプだったかな私。
いや、そんなことより本題だ。あのキノコをなんとか手に入れないと。
「そのキノコ、私に譲ってもらえませんかね」
「いつもならいいんだけど、最近どこぞの黒白が乱獲しちゃってねぇ」
あの泥棒娘、よりによってこのタイミングでか。いやらしさ全開のフォトアルバムを作って神社に奉納してやる。
「なんとかなりませんか、マーガトロイドさん。このままだと文さん、唯でさえ行けないお嫁が通行禁止に」
「……よそ行きの服とか作ってあげようか?」
「でっかいお世話ァ!!」
他人にどうこう言える立場じゃないクセに。それに私は、新聞が楽しいからいいのだ、まだその時じゃないだけ……ふんだ。
「そもそも新聞屋の貴方が、何故キノコなんて」
「あーそれは、かくかくしかじか、しかくいむーぶというワケで」
「ふぅん、治療に。意外と真っ当な使い道なのね」
「だから何で今ので解るんだよ」
7文字のフレーズにどれほどの情報が詰まっているんだ。ゲームのパスワードじゃないんだぞ。
いや言ったのは私なんだけどさ。
「そうねぇ、じゃあこうしましょう。この子達……シーカードールズからキノコを奪えたら譲るわ」
「追いかけっこ?」
「ええ。最近この子達の素体を新しくしたから、慣らしに丁度いいわ」
アリスはあまりキノコに拘りは無い様だ。少しほっとした。頑なに拒否されたら面倒だし。
「しかしマーガトロイドさん。奪い合いでキノコが破損してしまうかもしれません」
「そうねぇ……じゃあキノコじゃなくて、このワッペンを着けた子を捕まえたらにしましょう」
それがいいわ。キノコが破損しては元も子もないし。アリスが一枚のワッペンを取り出し、此方に見せてきた。
ぺたんと座り、双眼鏡を覗くコミカルな人形のイラスト。その上下にそれぞれ『Swift, Silent, Gracefully』『SeekerDolls』と書かれている。
なんとも凝ったワッペンだ。まあ彼女の人形達を見れば、アリスが凝り性だというのは直ぐにわかる事だけど。
「この子達用にデザインしたんだけど、まだ全員分作れてなくて」
「もっと単純にすればいいのに」
「愛ゆえにですわ。あ、私を直接狙うのは無しだから、ね?」
アリスと人形達の間で、鋭い光が線を描いた。人形達がスカートを摘み一礼する、ゲームスタートだ。
「ようし、気張るわよ椛!」
「あ、はい」
「力抜けるわねぇ」
相変わらずな椛につい脱力してしまう。気を取り直して……えーっとワッペン付きは、あの子ね。
「神妙にお縄につきなさい!」
「イヤーン、オカサレルー」
「人聞きの悪い事いわない!!」
けらけらと笑いながら逃げ回るワッペン付き。なんか、本当に追いかけっこみたいだ。
四方八方から照射されるレーザーが無ければ、だけど。
「椛! そっち行ったわよ!」
「すみません、囲まれ、っと、あっ」
人形のレーザーは思った以上に大出力だ。大気を焦がして迫る緋色は、それなりに迫力がある。
しかしそれ以上に厄介なのが、照射の仕方。不利になる方向へと誘導されてしまう。都会派ブレインは伊達じゃない。
「うぐぐ。この私を制御するなど……」
「アハハ、クヤシガッテル」
「ワレラニオイツク、テングナシ!」
「言われてますよ、文さん」
「貴方もねっ」
くるくる、ふわり。
機械のように精密な機動防御。それを柔らかく、踊るようにこなしていく。
澱んだ森に一瞬、華やかな舞台が映った。思わず眼を擦る。
やはり操り主のアリスもダンスとか得意なのだろうか。ちょっと見てみたい気もする。彼女は見た目が華やかだから、きっと映えるだろう。
下手たったらそれはそれで、いいモノが見れそうで―――。
「文さん、文さん。私思ったんですが」
「と、撮って脅してボーナスエロス……はい?」
「……文さんの内臓は何色なんでしょうね」
いけない、少々惚けてしまったようだ。私にうつつを抜かせるとは、人形遣い恐るべし。
「それで、ナニがナンだって?」
「いえね、別に追いかけっこなんかする必要ないんじゃないか、と」
「え、ああ、まあ……」
指定の人形を捕まえれば良いワケで、なるほど、えっちらおっちら徒歩で追う必要は無いわよね。
私としたことが。翼一つでこうも鈍るものなのか? どうにも、いけない。
「言われてみれば、そうね」
「スペカか何かで状況を崩しましょう。そこから」
「いや、どうせなら一発でキメるわよ」
ポケットからカードを抜く。黒地に竜巻、舞い散る羽柄。
アリスが大きく銀糸を手繰った。人形達の動きが変わる。感づいたらしい。
神速の如き判断と行動。素晴らしいが、それでも遅い!
「竜巻『天孫降臨の道しるべ』」
輝くカードを団扇に添えて、地から天へと縦一文字。
大気が震え、風が鳴き、私を軸に烈風が巡る。
「ウワー!」
「メガマワルゥー」
「つ、捕まる物! つかまるもの!」
枝葉も土も、人形達も、風の思うが儘に。アリスも操術どころではないようで、飛ばされないよう必死になっている。
このスペカは効果時間が短い、あっという間に終了。役目を終えたカードは崩れ、風に溶けて消えていった。
さあ、ここからが腕の見せ所。
「人形はあっちに飛んだから、こうね」
銀糸を振り切って吹き飛んだ人形達を、風でこちらに手繰り寄せる。いまだ混乱しているらしく、誰も抵抗しない。
風に運ばれてきた人形達から、ワッペン付きを選んで掴む。
「ワッペン付き、ゲットだぜ」
「ココハドコ? ワタシハダレー?」
ふらふらしているワッペン付きを掲げて、地面に這い蹲っているくアリスに勝利宣言。
「ほらアリス、私達の勝ちよ」
「……おめでと」
何か言いたそうな表情でこちらを見上げるアリス。
どうやら糸で木と腕を繋いで凌いだらしい。しかし、髪はグシャグシャ服はボロボロ。おまけに木に繋がれた状態で、なんというか、こう。
「まるで春画か何かのようですね! 実にいやらしい!」
「誰のせいでこんな……あ、ちょっと撮らないでよ!」
「いいですねー! 出来ればもっと悲壮感のある表情を」
「あ や さ ん」
背後から響く、地の底から這い出るかのような声。
ゆっくりと後ろを振り返るとそこには、ボロ雑巾と化した椛が立っていた。
しまった、私の隣に居たんだ椛。いつも通りの無表情。それが逆に怖い。
「……ありがとう椛、その、貴方の尊い犠牲のおかげで勝利を手に」
「殺します」
「違うんです」
「短い遺言ですね」
「そ、その、私の話……あ、ああッ! だ、駄目! そこは、そこは曲がるとごぇァ―――」
▽
気がつくと私はバイドになっていた。うそうそ。
ここはアリスの家らしい。椛の世にも恐ろしい報復により気絶した私だが、時計を見ると大した時間は経って居ない様だ。
ソファーから身を起こすと、気がついたアリスと椛がこちらに寄ってきた。
「お目覚めね」
「いやはや、面倒かけちゃったわね」
「では、今度こそ『おやすみなさい』文さん」
「ちょっ、ちょっ、待って椛、ホントゴメンなさい、マジで」
「冗談です」
でも眼が本気だ。後で美味しい酒でも贈っておこう。
「あれ、その服借りたの? 似合ってるわよ」
「……おべっかは結構です」
「本音よ」
アリスの普段着を黒くして、リボンをベルトに。更にケープには紅葉のワンポイント。
色やベルトはともかく、紅葉は今つけたのだろうか。スカートの様子から、尻尾用の穴も作ったようだ。凝り性にも程がある。
「ありがとうございます、マーガトロイドさん。わざわざこんな」
「気にしなくていいわ。あと、名前で呼んで。なんかくすぐったい」
「はぁ」
椛は親しい相手か否かで、名前と苗字を呼び分ける。
唯一カッパのにとりにだけタメ口を利くらしいが、聞いた事のある者は非常に少ない。私も実は聞いた事が無い。
「アリス。キノコはどこにあるの?」
「テーブルの上にあるから持っていって。あ、服はサービスするわ」
「よし、椛! 永遠亭に戻るわよ!」
「そういえばそうでしたね」
コイツ忘れてたのかよ。いや実は私も忘れかけてたんだけど。
とにかく急ごう。永琳は調合に時間が掛かると言っていた。余り遅いと間に合わなくなるかもしれない。
アリスに礼を告げて、彼女が用意した先導の人形を追って飛び立つ。
森から林、永遠亭。そして自宅。その道中は問題なく進む事が出来た。
後、私に出来る事といえば、間に合う事を祈るだけ。
夜は雲一つなかったが、流れ星は見えなかった。
▽
『教練、対空戦闘用意。教練、対空戦闘用意』
『おせんにキャラメルー、飲み物はいかがですかー』
『天霧、如月各班はただちに出動。侵入者迎撃に向かえ』
『あ、そこの美人さん! 焼きそばどう? おまけするよ!』
「ねえ椛。年に一回の演習よね? お祭りとかじゃないのよね?」
「演習ですよ。同時に、数少ないイベント事でもありますからね」
フル装備で飛び立つ団員達。緊迫した表情から少し目線をズラすと、屋台で焼きそばを買う天狗が目に写る。そんな演習当日。
結局、薬は朝に間に合わず、演習が開始してしまった。
ただ私の出番は最後の方らしいので、まだ猶予はある。完成次第、ブレザーウサギが届けてくれるらしい。
「結構、お偉方も来てるのね」
「頭領格や大天狗様は必ず来ますよ。ご覧の通り、暇な天狗や妖怪達も大勢」
「ふ、ふーん」
予想以上に派手な催しのようだ。永遠亭マジ急いでお願い。
「そういえば、貴方は参加しないの?」
「ローテーション制でやってるので、今年はお休みです。今日はのんびりと――」
「あ、椛。それに天狗様も」
前から近づいて来たのは河童のにとり。彼女も野次馬だろうか。
「なんだにとりか。新装備の件で来たのか?」
「そうだよー。何しろ私が造った作品が基礎だからね、むふん」
「まあ、お前にしてはマトモな――あっ」
しまった、という表情でこちらを見る椛。ははぁ、成る程。
「あー、文さん。耳、塞いでてもらえます?」
「イヤよ。その表情いただき、ぱしゃり」
「ちょっ、うぐ……にとり、さんに、しては……あっ私急用思い出しましたそれじゃまたあとで」
何処へと無く走り去る椛。タメ口もうろたえる姿もかなりのレアモノだ。いい写真が撮れて幸せだ。
「タメ口聞かれた位で、意外ねぇ」
「椛ってば、変なところで恥ずかしがるんですよねぇ。演技も出来ないし」
「結構カッコいい口調なのね」
「似合ってると思いますよ」
後でこれをネタに弄り倒してやろう。もっと面白いところが見れるかもしれない。
「ところで、新装備って言ってたけど」
「はい! 私の空中魚雷に限定的な誘導能力と近接信管の付与を行った『雷装』です! 持ちやすいサイズと軽量さ、そして妖怪工学に基いたデザインが」
「すいません勘弁して下さい」
迂闊だった。河童に作品の事を聞けばこうなるって解ってたハズのに。とりあえず話を逸らそう。
「ね、ねえ。この辺で永遠亭のウサギを見なかったかしら?」
「ウサギ? いえ、見かけてませんけど」
「あらそう、じゃあちょっと探してこないとね」
「私も装備の調整に戻りますね」
咄嗟に出た言葉だったが、フムン、実はもう来てることもありえるか。迷子という可能性。
ンモー、鈴仙ったらお間抜けさんっ。
屋台で焼きそばと豚串を買い、少し早い昼食をとりつつ探してみる。
しかし正午を過ぎても彼女は見つからず、すでに時計の短針は2にたどり着こうとしている。
お間抜けさんは私のほうだ。ベンチに腰掛け、ペンを高速で回す。時計の針も回る、回る。
焦燥が心を満たし、ペンの回転が風を生むほどになった頃。
「失礼。射命丸文様ですね?」
「え、ええ。そうだけど」
通りの良い声で尋ねてきたのは、精悍かつ清楚な顔立ちの白狼天狗。
「新人歓迎会の事前説明を行いますので、演習本部までお越しください」
へし折れる罪無きペン。流れる汗は滝の如く。彼女は私に、世の無常を叩き込んだ。
▽
説明、といっても非常に簡単なものだった。
攻撃、反撃をするな。遠くに行き過ぎるな。常識に則れ、などなど。要するに時間制限まで逃げ切ればいい、簡単だ。いつもだったら。
「以上ですが、何か質問はありますか?」
「その綺麗なお顔は何か秘訣が? ハイポーズ」
「え、あ、ぴーす……で、では、後30分程で歓迎会となりますので、準備をお願いしますね」
「はい、ごちそう様です」
照れた笑みと、頬に添えるようなピース。いい写真が撮れた。椛もこれ位、愛想があればいいのにねぇ。
いやそんなことより、死んだ翼で空中戦をやる羽目になってしまった。
こうなったら最後の希望に賭けるしかない。それは即ち、演習中での受け渡し。彼女なら波長をズラして姿を隠す事が出来る。
そしてその場で飲めばまだイケる。即効性だと言っていたし、多分その場で効くのだろう。そうであってくれ。
「では、お願いします」
「え、もう30分?」
『それでは次の演目は、新人歓迎会です』
説明役が趣旨の説明を始める。私の相手となる新人達をチラリ……ナマイキそうなツラしてるわ。
数は4人、新人達の中から選ばれた成績優秀者だそうだ。
「標的離昇」
コールに従って飛び立つ。駄目だ、鈍い。こんな速度で逃げ切れるだろうか。
次いで、新人達が上昇してくる。そしてお互い真正面に向き合って飛び、通り過ぎる。これが開始の合図だ。
「目指せ撃墜!」
「標的落とせば伝説よ!」
威勢のいい声と共に、早速弾幕を放ってきた。
大したものじゃない。4人合わせてようやく下位ボス程度だ。しかし、その薄い弾幕に、絡め取られている私がいる。
「ぬあああああ! もどかしさで死にそうよ!」
「あいつ叫んでるぞ」
「なんか今年の標的は楽そうね」
そしてこの舐められっぷり。いつもの私ならあんた達なんか! なんていう三下のセリフしか浮かばないのが泣けてくる。
苛立ちつつも、首を巡らせ周辺警戒。眼前を駆け抜けた弾に一瞬、意識が逸れた。
「獲ったァ!」
意識の隙間を突いた1人が、上方から抜刀突撃。刃を無くした模擬剣だが、それに当たれば当然負けだ。
ただちに回避運動。翼を目一杯広げ、身体の下に敷くように、分厚い風を流す。
風の絨毯に煽られて、身体がふわり。何も無い空間を剣が滑る。回避成功だ。
「惜しいー」
「攻撃前に叫ぶバカは居ませんて」
しかし、次も回避できる保証は無い。早くもこちらの飛び方に慣れて来たらしく、弾幕がより効果的になってきている。
戦いの中で成長するとは、さすが選ばれし者達よ。なんて軽口叩きたいんだけど、実際シャレにならない。
ああああ、鈴仙早く―――。
『……や、文、聞こえる?』
「れっ、鈴仙? 鈴仙なのね!」
『遅くなってゴメン。クスリを届けに来たよ』
「きたああああああ!!」
何とか間に合ったようだ。
覚悟しろひよっこども、クスリを飲んだその時が貴様らの最後だ!
「どこっ! どこに居るの!?」
『えーっと、見える? 赤い光』
何も無い空間に赤く淡い光が灯った。光の中には小瓶が一つ、あれが例のクスリか。
希望目掛けて全速全進。あと少し! あと少しでいつもの私に――。
『痛っ!』
――光が弾け、小瓶が踊る。弾幕が、よりによって鈴仙の手に着弾。支えを失った小瓶が重力に招かれ落下する。
「そりゃ無いでしょォォ!」
「逃がすかっ、今度は外さない!」
「残りは弾幕で萩風を援護。野分は『アレ』の用意」
落ちる、落ちる、小瓶が落ちる。ここまでおいでと言わんばかりに、くるり、くるりと舞い落ちる。
硬直寸前まで翼を打つ。流石にこちらの方が速い。しかし、弾幕も追ってくる。例えるなら円錐を被せるような弾幕。逃げ場を奪うつもりか。
だが、今はクスリだ。左右に身体を振りながら、逃げる小瓶を追いかける。あと、少し。
「あとちょっと……あとちょっと……獲った! ねんがんのクスリを」
「―――今だ! 雷装放て!」
「えっ」
しゅごっ。何かを撃ち出すような音。雷装……河童が言ってた新装備か!
一刻の猶予も無い。小瓶のフタを急いで開ける。
「うわ、臭っ!」
『全部飲んで。超マズいけど5秒で効くから』
それってもはや劇薬じゃないの? いや、四の五の言っていられない。
緑色のそれを一気に煽る……マズイ上に粘っこい。昼ドラに味があったらこんな感じだろうか。正直吐き出したいが、気合で全て胃に落とす。
4秒。地表が近い。制動をかけつつ身体を反転。雲を引いて迫る筒状の物体、雷装を見上げる。
3秒。風を手繰り、眼前に強力な乱気流を生み出す。雷装がそれに突入。
2秒。制御を乱された雷装が私を避けて飛んでいく。方々から爆音を浴びつつスタンバイ。
1秒。青空から降り注ぐ弾幕。その中心を射抜くように、抜刀したひよっこが翔け降りる。
今。
「きた……!」
解る、感じる。元気とやる気が全身を満たし、枯れた羽毛が艶を振り撒く。
溢れる力は青天井。脳内の出力計が、振り切れんばかりに跳ね上がる。
「やっと、やっとあのヌルい空とお別れ……」
待ちに待った無制限。思いっきり翼を振るう。渾身のゼロマックスが、視界からひよっこを消し飛ばした。
「標的討ち獲っ……消えた?」
強烈な加速が私に、抵抗と爽快を供給する。気持がちいい、すンごく気持ちがいい。やはり空はこうでなくては!
気色の悪い笑みを浮かべ、青空目掛けてまっしぐら。縋り付く重力を引き剥がし、大気の壁を突き破る。
「え、ちょ、こっち来――」
戸惑うひよっこ達。彼女らの隣に来た瞬間に急制動、完全に静止する。背後で巻いていた風が行き場を失い、厚ぼったい音と共に霧散する。
ひよっこ達が息を呑むのが判る。実にいい反応だ。
「お待たせしました、ひよっこの皆さん。ここからが本番です」
はっとした表情、次いで自分達の状況を思い出し、一斉に抜刀する。やる気を失わない辺りは流石だ。
なのでご褒美をあげようと思う。無双を冠した、とっておきのスペルカードを。
溢れる力を言葉に変えて、ひよっこ達に大見得一つ。
「手加減してあげるから、本気でかかってきなさい!」
▽
結果を言えば、歓迎会は大成功であった。
ひよっこ達からは無事に逃げ切る事が出来た。当然だけど。
頭領様も特別席でご満悦。その他オーディエンス達も、空を駆ける私の姿に惚れ惚れしていた。いや、流石私といったところね。
「なにニヤニヤしてるんですか、文さん」
「ちょっと自画自賛を……うぐっ! いた、痛たたたた!」
最速の翼を取り戻した私だが、現在は自宅の布団で亀になっている。
永琳の言っていた『後で物凄い疲れが出る』を今まさに体感している。全身が痛い、だるい、辛い。
「バカみたいよねー。自爆して見栄張って、このザマだもんねー」
「ていうか、なんではたてが居るのよ……椛喋った?」
「はい」
「少しは誤魔化せよ」
私の家に来る途中ではたてに会い、速攻でバラしたようだ。配慮ってモノを知らないのか。
当の椛は抗議の視線を物ともせず、食事を作ってきますね、と言って台所へ消えた。
む、これは仕返しのチャンス。
はたてに耳を貸せとジェスチャー。怪訝な表情で顔を寄せる市松娘に、潜めた声で語りかける。
「凄いスクープ教えてあげる」
「は? なにそれ」
「何と椛のタメぐむぅ」
「はたてさん、布団剥いで、文さんの脚持ってください」
ぐおお、台所からノータイムかよ。物音も気配も一切無かった。ステルスにも程がある、化け物か。
「よいしょっと。文の脚、持ち心地いいね。太った?」
「何で皆太った扱いするの!?」
再三言うが、断じて太っていない。不肖、射命丸。体型維持には自信があるのだ。
いや、そんな事誇ってる場合じゃ無いなコレ。
「それで、片足を交差させて。そうです」
「あのー椛サン。私、一応病人なんですが……あ、うでっ、腕キメないで!」
「殺れるときに殺る。それが私のポリシーです」
まな板の上の鯉。布団の上の私。いかん、調理される。鍋で熱湯とルームシェアだ。
しかし全身バキバキな私に、もはや解約は不可能だった。
「こっ、これだから自警の連中は! ペンは剣より強いのよ! その意味解ってる!?」
「なれど折れないペンも無し。はたてさん、イきますよ」
「むふふ。こんな文見るの初めてかも」
「何その嗜虐的な顔……あっ、ああッ!! ソレ駄目! それは構造的にありえなっ……あ、あや や や や ァ ァ ー ッ ! ! 」
今度から定期的に健康診断を受けよう。霞む眼で窓の外を見る、恨めしいほどに青い。
愛しい空へと帰るには、もう少し時間がかかりそうである。
「あやや、これはこれは頭領様」
冷たい風が巡り行く、冬の妖怪の山。
相も変わらず新聞のネタを集めていたところを、上司に呼び止められた。
胡散臭い中年男性のような風体だが、烏天狗の中で一番偉いお方だ。
「来週の末って予定空いてるかな? 頼みたい事があるんだが」
「なんなりと」
このところネタ探しに奔走していて疲れているのだけど、上司の頼みとあっては断れない。一体なんだろう。
「白狼自警団の年次演習。それで敵役をやって欲しい」
「敵役……ですか」
「春から配属になる新人達の歓迎会、だそうだ。君はとにかく飛び回って、ひよっこ達をあしらい続ければいい」
「ははぁ」
なぜ白狼の新人の相手を、烏天狗の私がやるのかしら。まあ簡単そうだし、いいか。
「正式な仕事だからね。キッチリやってくれよ」
「勿論ですとも。清く真面目な射命丸にお任せです」
今思えば気軽に受けたものだけど、そりゃそうよ。誰があんな事態、想定するものか。
▽
「このクソカラス! 絶対この世から追い出してやる!!」
「いやん霊夢さんこわいですーウフフフフ」
今日も今日とて射命丸。博麗神社を張っていたら、スクープを激写してしまったのです。
よもや黒Tバックをご所有とは、霊夢も大人の階段を上り始めたのね。お姉さん感激。
「あれは紫のヤツなの! 宴会の時に忘れてったのよ!」
「ほほう! それはそれで素敵なスクープ!」
宴会場に下着を忘れるって時点で首が傾ぐ事態なのだけど。まあ面白いならそれでいい。
次の見出しは『博麗の巫女、賢者の下着でパルプンテ』で決まりだ。爆売れの予感。
「来週の霊夢さんは人気者ですよ。それでは、チャオ!」
「待ちなさいッ!」
この私を追いかけようとは、なんたる無謀。
翼を広げ、大気を打つ。それだけで霊夢が紅白の点となる。ノンビリ屋さんですねぇ霊夢さんは。
そして、更に突き放すべく翼を振るったその時。
突如、右の翼が硬直した。
「へっ? あれ!?」
頬を撫でる風が、優しさを増していく。再度翼を振るうも左側しか動かない。いや、いやいや、何で!?
幾らやっても右の翼は震えるばかり。痛いというか、重い。鉛の荊でも絡まってるのか?
突然の事態に戸惑っている内に、引き離したはずの霊夢が追いついてきた。
「殊勝な烏ね。わざわざ私を待っているなんて」
「ち、ちがっ、動け! 動いて! パワアアアアア!」
「……霊符」
もはや霊夢は目前だ。既にカードを抜いた彼女に、莫大な霊力が集っていく。
「霊夢さん待ってください話し合いましょう人類みな兄弟チェケラッチョ!」
「――『夢想封印』」
煌く殺意が私に迫る。炸裂する神性に吹っ飛ばされながらも、頭の中は翼の事でいっぱいだった。
▽
「はぁ……」
絶賛絶不調。翼に異常なんて初めてだ。
あの後色々試してみたが、翼に一定以上の負荷がかかると動きが歪になるようだ。呂律が回らない、とでも言おうか。
つまり今の私は、加速、減速、旋回……飛行に関わるあらゆる要素が制限されてしまっている。もどかしい事この上ない。
「どうしたものか、ねぇ」
「珍しい顔をしてますね。文さん」
後ろを向くと椛が立っていた。非番らしく私服を着ている。制服を着ていない姿を見るのは久しぶりだ。
だが今は、彼女の華の無い私服を堪能する余裕は無い。
「翼がおかしいのよ。上手く動かないっていうか」
「お疲れなのでは? お休みになったらどうです」
「そうしようかな、仕方ない。今日はのんびホワアアアアアアアアア!!」
思い出した。今の私に、その猶予が無い事を。
愛用の手帳をポケットから抜き、近日の予定が書かれたページを開く。
明日の欄には『自警団演習の手伝い』と書かれていた。
「どうしました急に」
「あわわ、あわわ」
「はあ、 明日仕事があると」
「あわわわ」
「それって年次演習じゃないですか」
「あばばばば」
「しかも頭領様からの依頼とは。大変ですね」
「ホント大変だわ。あばばで会話が成り立つ貴方の脳が」
僅か数音で会話可能な言語の爆誕である。これほど簡単かつ難解な言語もそうあるまい。
「年次演習の新人歓迎会……あれは、サボられると困りますね」
「かといってこのまま参加したら、白狼達の前で恥を晒した挙句、私を選んだ頭領様のメンツを潰すことに……」
ヘロヘロと空を飛び、ひよっこ達にフクロにされる私の姿が脳裏に浮かぶ。お嫁どころか、近所の八百屋にも行けなくなるだろう。
野菜不足で便秘になる未来に頭を抱えつつ、ふと椛のほうを見ると、口角に違和感。
「ねえ、貴方笑ってるでしょ。私の事嗤ってるでしょ」
「まさか。他人の不幸を笑うなど、そんな無神経な事……プヒュッ」
「尻尾ブッこ抜いて腋に移植するぞお前ェ」
表情自体はいつもの無愛想だが、こうも露骨に吹かれれば流石に解る。実に腹立たしい。
「まあまあ。とりあえず、病院行ったほうがいいですよ。文さん」
「……そうね。それじゃあ行くわよ椛」
「いや、病院くらいお一人で行けるでしょう」
「嗤った罰よ。色々聞きたいコトあるしね」
ブツブツとブー垂れる椛を引っ張りながら、私は迷いの竹林へ向けて。
「ところで、ちゃんと外山許可は出してますか? 文さん」
「……モチロンデスヨ椛サン。天狗の義務デスカラネー」
「これだから、報道の連中は」
湿った目線でこちらを見る椛。
ちゃんと『報道』のタグは置いてきたから。そう彼女に伝えると、澱んだため息をついた。
固いなぁ。これだから、自警の連中は。
▽
「で、新人歓迎会っていうのは何なの?」
「研修最後のお遊びみたいなモノです」
幻想郷上空、竹林行きルート。
澄んだ空に柔らかい風。こんなにノンビリ飛ぶのは何時ぶりだろう。懐かしいが、物足りない。
「研修こなしたからって調子に乗るな、という意味合いも含んでます。新人の負けが前提の歓迎会です」
「でも、なんで烏天狗の私が。自警団に先生みたいなのは居ないの?」
「居ますけど、先輩や上司が相手では気が引けてしまうので、対象外なのです」
「なるほど」
私だって訓練の名目があったとしても、大天狗様をボコすことなど出来ない。
天狗という種族の上下関係は厳格だ。地位という力は、ペンや剣をも鈍らせる。
「身内かつ、思いっきり手を出せて、ひよっこに対処出来ない機動力をもつ標的。それが烏天狗という訳です」
「ということは、昔から烏天狗にやって貰ってたの?」
「ええ。私の時も、烏天狗を的にした歓迎会をやりました。聞けば撃墜を達成した世代もあったとか」
昔からの恒例行事というわけだ。無様を晒すわけにはいかない。
「なんとしても、明日までに治さないといけないわね」
「そうですね……おや、到着ですね」
眼下に広がる竹の海。迷いの竹林だ。空から永遠亭は見つからないので竹林の中に入る。
本来は案内人が必要なのだが、私程の実力者になると出迎えが来るので問題無い。迎撃ともいう。
それまでの間、視界を過ぎ去る緑と茶のコントラストを楽しんでいると。
『そこで止まって。取材も号外もお断りよ』
耳元で声がした。椛でも、まして私でもない。姿の無い声。
「喋る竹とお知り合いで?」
「まさか。これはニセ耳ウサギの声よ」
鈴仙の波長弄りだ。本人が遠くにいても声だけは明瞭に届く。便利そうではあるが、何とも気味が悪い。
『誰がニセ耳よ。ちゃんと専門家の鑑定書貰ってるんだから』
「専門……鑑定……?」
「深く考えちゃ駄目」
付け耳にしか見えない不自然っぷりなのだが、鈴仙の感情に合わせて立ったり寝たりするし、息を吹きかけると彼女の悶える姿を拝める。
だがコイツを侮ってはいけない。掴む支えるはお手の物。電灯の紐に近づけばフルオートでシャドーボクシングを繰り広げる。
更に鈴仙を蓄音機に繋げば、耳がウーファーばりの重低音を部屋中に響かせてくれる……ホント何なんだろアレ。
『今日は姫も妹紅も、珍しく喧嘩しないで仲良くしてるの。だから刺激しないで欲しいのよ』
「大丈夫ですよ鈴仙さん。この清く優しい射命丸、憩いの時をジャマする無粋は致しません!」
『めっちゃ取材モードじゃん……』
「これだから報道の連中は……」
だって、仲良くしてる妹紅さんと輝夜さんなんて超レアじゃないですか。撮って書くのが礼儀というもの。
『いいわ、どうしてもジャマするのなら』
竹林の奥で、小さな火花が見えた。
大気を裂く鋭い音が、私の鼓膜を引っ叩く。耳元を狙った射撃だ、怖いなぁ。
「椛、場所と距離は?」
問われると同時、椛の鮮やかな赤い瞳が光を失っていく……彼女の能力、千里眼だ。
「12時方向。距離は1000といったところですね」
「たったそれだけ? ひとっ飛びだわ」
「今の文さんじゃ無理でしょう」
「……うん」
もどかしさで死にそうだ。全力で飛べないことが、こうも苦痛であったとは。
不調の翼で、相手のホーム。幾ら私でも、この状態で5ボスを相手にしたくはない。
とりあえず、今の私が取るべき行動は……。
「鈴仙さん。私は唯、学術的にお二人の関係改善の理由を」
『弾種変更、HEAT-MP』
「やばっ」
「ちょ、待ってくデゅグッほォォ!!」
遠方からくぐもった轟音。私の必死の説得虚しく、私の腹で盛大な爆発。
容赦の無い腹パンは私から呼吸を奪い去り、お代とばかりに莫大な熱量を押し付けた。
「文さん無事ですか?」
「ハァーッ! ハァーッッ!! ンフゥゥゥゥ!」
「無事みたいですね」
何を以ってして無事と判断したのか。無事の意味を辞書で引け、辞書で。
『さあ、そっちのあんたも……』
「待ってください。我々は、患者として永遠亭に向かっているのです」
ナイス椛! 今更かつ自業自得な気もするが、何とか本題に入れたようだ。
『そんな嘘に騙されないわよ。明らかに取材態勢だったじゃないの』
「すみません、文さんは特ダネ欠乏症にかかっていまして」
『満たされた事あるの?』
「このままだと金切り声を上げながら、落ちてる光り物を片っ端からパンツに仕舞い始めます」
『新聞屋ってストレスたまるんだなぁ』
……翼が治ったら、お前らのおピンクで号外を彩ってやる。それまでせいぜい、仮初めの平和を謳歌するがいい。
「とりあえず運びますか……あれ、文さん太りました?」
「フ、太ッ!? げほっ! ゴホゴホッ!」
「おぬしらも尸解仙……だな?」
「暴れないで下さい、文さん」
『え、ちょっと今誰か』
私は断じて太ってなどいない。どれだけ私を貶めれば気が済むのか。仕返しか、普段の仕返しなのか。
だが、碌な抗議も出来やしない。増量疑惑をかけられたまま、私は永遠亭へと運ばれていった。
▽
「まさかナースに怪我を増やされるとはね。とんだマッチポンプだわ」
「だから謝ってるじゃないのー」
永遠亭に着いた私は、鈴仙から腹の治療を受けていた。痛みの割りに大したものでは無かったのが救いか。
なお、妹紅は結局姫君と喧嘩して帰ったそうだ。凄く残念。
「それにしても、アレを喰らってこの程度で済むなんて……天狗って頑丈なのね」
「一体何を撃ったのよ、何を」
「こんなの」
宙に光線で銃弾が描かれ、次いで白い妖弾となって出現した。
……デカイ。銃弾というより砲弾だ。コレを喰らって無事だったのか。天狗って頑丈なのね。
「明らかに殺す気だったでしょコレ」
「もしそうなら、最初に脳天フッ飛ばしてるって」
「……とりあえず、この上着は洗って返すわね」
「別にいいんだけどね」
腹より上着のほうが被害甚大だったので、鈴仙のYシャツを借りる事としたのだ。
サイズも見た目もほぼ同じ、違和感ゼロだ。うーん、洗剤の香り。
「いやちょっと、嗅ぐな!」
「これ里でオークションにかけていい?」
「駄目に決ってるでしょ! というか、欲しがる人間がいないでしょうに……」
そんなことは無い。一般的には不気味な薬売りと評されてしまっている彼女だが、水面下での……特に若い男性からの評価は高い。
何せ、制服美少女が合法的にお宅訪問してくれるのだから。思春期の少年や独身男性にとっては華である。欲しがる者は必ず居る。
だがその評価に安心してはいけない。寺子屋の先生、人形劇の少女、稗田の当主、貸本屋の娘、賢者の式やヒマワリお姉さん……人里は美少女激戦区なのだから。
「応援してるわよ、頑張ってね」
「あ、はい、どうも?」
「鈴仙ちゃーん。シショー連れてきたよ」
怪訝なお礼を言われたところで、詐欺ウサギが永琳を連れてきた。
「珍しい事もあるのね。貴方がココに、治療目的でくるなんて」
「まあ、偶にはこういうこともね」
「翼だったかしら、見せてもらえる?」
背を向けて翼を見せる。早速診療が始まった。
「解ったわ」
「はえーよ」
まだ1行も経ってないぞ、天才かお前は。疑いを載せた視線を送っていると、先生殿の返事が帰ってきた。
「端的にいえば、疲労ね」
「疲労って、そんなバカな……」
そりゃあ、締め切りに追われてみたり、取材対象に追われてみたりと、疲れの原因なんて山ほどある。
しかしそれでへこたれるような翼は背負っちゃいない。その証拠に、疲労で翼がやられる事なんて、今まで一度も無かった。
「今まで無かった、なんていうのは根拠にならないわよ」
「心読まないでくれますか」
「取るに足らない疲労が、ある日突然思わぬ異常を起こす。妖怪にだって十分ありえる事よ。まあ、2、3日大人しくしていれば治るわよ」
「あー、それが、明日にでも快調に持っていく必要が」
その2、3日が致命的なのだ。つもりに積もった信頼や信用を、崩すわけにはいかない。
「医者としては止めたいところだけど。どうしてもっていうなら、イカツイのを処方するわよ」
「是非お願い」
「ウドンゲ、ちょっと材料の確認して頂戴」
「はい師匠」
鈴仙に紙を渡すと、そのクスリとやらの説明を始めた。
「一種の栄養剤なんだけど、一時的に疲労を誤魔化すだけだから、後で物凄い疲れが出るわよ」
「構わないわ。別に、一生飛べなくなるとかじゃないんでしょう?」
「そういうのもあるけど」
「けっこうです」
「あら残念。調合に時間が掛かるから、明日の朝方にでも取りに来て頂戴」
朝、か。演習のどこでやるか聞いてなかったわね。まあ、新入生の歓迎会を真っ先にやるとも思えないが。
「師匠~。材料の在庫なんですが、2種類ほど不足があります」
「どれどれ。ん……新聞屋さん。ちょっと一仕事してもらえるかしら」
「患者をパシるおつもりで?」
「鈴仙だけじゃ間に合わないけど、いいかしら」
それは非常に困る。まあ翼以外は健康体だ、大丈夫だろう。
「貴方の担当は魔法の森に生えているキノコよ。これ写真ね」
「うわっ……」
紫を基調に黄色や緑の斑点がついている。キモい。毒キノコ以外の何物でもない。
「別のと混ぜて使うのよ。沢山生えてるし、見た目も分かり易いから採取は簡単よ。ね、ウドンゲ」
「ええ、これの採取なら誰でも楽勝です」
「そんなフラグっぽいこと言わないで」
何か起こったらどうするんだ。ただでさえ不調だというのに、これ以上の面倒は御免こうむりたい。
「新聞屋は心配性だなぁ。戸棚の茶碗が全部爆散してたけど、きっと大丈夫だよ」
「そうですよ文さん。さっき靴紐が切れた13匹の黒猫が横切って行きましたが、何の問題もないでしょう」
「喧嘩売っとんのか、お前らはよ」
別室からわざわざ旗立てに来るな。破片に変えられたいのかお前ら。
その時、慌しい足音と共に姫君……蓬莱山輝夜が駆け込んできた。かなり急いでいるようだ。
「どうしたの輝夜、そんなに慌てて」
「何かあったんですか姫様?」
「はぁ……はぁ……」
彼女は切れた息を整えつつ、満面の笑みで叫んだ。
「私、この戦争が終わったら結婚するの!!」
誰も返事を返せない。余りに突っ込み所が多過ぎて、言葉を発せない。
何故かドヤ顔で胸を張る姫君に対し、我々は、余りに無力だった。
お姫様、恐るべし。
▽
魔法の森。薄闇と瘴気に覆われた、妖怪も避けて通る魔境である。
その環境ゆえ、特殊な植物や菌類の宝庫となっている。件のキノコも沢山生えている……ハズなのだが。
「いっっっぽんも生えてないじゃないの!」
「予想以上に予想通りですね」
キノコは山ほどあるのだが、目的の品だけが見当たらない。神様ってヤツは本当に意地が悪い。
「なんで? キノコナンデ?」
「早いトコ探しましょう。ここは環境が悪過ぎます」
「んん、そうね」
不快な湿気と毒胞子。こんな所に長居したら気が変になりそうだ。歩調を速め、腐った地面と睨めっこを続けていく。
四半刻ほど経っただろうか。木々の向こうから私を呼ぶ声が聞こえた。
「どうしたの? キノコあった?」
「ええ、この先の木の根に。見えますか?」
「見える。でかしたわ椛」
さすがは哨戒員といったところか。ともあれ、これで不快な森とはオサラバだ。
キノコに向かって駆けていく。そして今まさに、目の前の毒々しいキノコが―――消えてしまった。
「お、おおっ?」
「あれ、文さんキノコは」
いや、確かにあったはずなのだ、ここに。キノコがテレポートや光学迷彩を使う訳もないし。
「幻覚だったのでしょうか」
「対幻覚のクスリ飲んだじゃない」
「シーカー」
「まさかキノコに足が生えて」
「いや何スルーしてんの。なんか聞こえたわよ」
地面のほうからだ。木の根の辺りを見回してみると、何かが蠢いている。
「……人形?」
「ですね」
私の膝下くらいの大きさだろうか。金の髪に青い瞳。こげ茶色が基調のドレスを纏い、首から双眼鏡、腰回りにポーチを沢山下げた、実に可愛らしいお人形が二体。
そして、その手には。
「あ、あのキノコ!」
「人形もキノコ食べるんですかね」
「んなワケないでしょ。この人形は、森の人形遣いのよ」
「呼んだ?」
背後から声。振り返ると、人間サイズの人形……のような容姿の彼女、アリス・マーガトロイドが立っていた。
「あら、見つかったのね。二人とも偉いわ」
マスターに褒められ、えっへんと胸を張る人形達、可愛い。何度見ても、操っているように見えない自然さだ。
「簡単な作業や仕草なら、ある程度自動化できるわよ」
「だから心を読むの止めて」
「表情を読んだのよ」
澄まし顔で返すアリス。そんなに顔に出るタイプだったかな私。
いや、そんなことより本題だ。あのキノコをなんとか手に入れないと。
「そのキノコ、私に譲ってもらえませんかね」
「いつもならいいんだけど、最近どこぞの黒白が乱獲しちゃってねぇ」
あの泥棒娘、よりによってこのタイミングでか。いやらしさ全開のフォトアルバムを作って神社に奉納してやる。
「なんとかなりませんか、マーガトロイドさん。このままだと文さん、唯でさえ行けないお嫁が通行禁止に」
「……よそ行きの服とか作ってあげようか?」
「でっかいお世話ァ!!」
他人にどうこう言える立場じゃないクセに。それに私は、新聞が楽しいからいいのだ、まだその時じゃないだけ……ふんだ。
「そもそも新聞屋の貴方が、何故キノコなんて」
「あーそれは、かくかくしかじか、しかくいむーぶというワケで」
「ふぅん、治療に。意外と真っ当な使い道なのね」
「だから何で今ので解るんだよ」
7文字のフレーズにどれほどの情報が詰まっているんだ。ゲームのパスワードじゃないんだぞ。
いや言ったのは私なんだけどさ。
「そうねぇ、じゃあこうしましょう。この子達……シーカードールズからキノコを奪えたら譲るわ」
「追いかけっこ?」
「ええ。最近この子達の素体を新しくしたから、慣らしに丁度いいわ」
アリスはあまりキノコに拘りは無い様だ。少しほっとした。頑なに拒否されたら面倒だし。
「しかしマーガトロイドさん。奪い合いでキノコが破損してしまうかもしれません」
「そうねぇ……じゃあキノコじゃなくて、このワッペンを着けた子を捕まえたらにしましょう」
それがいいわ。キノコが破損しては元も子もないし。アリスが一枚のワッペンを取り出し、此方に見せてきた。
ぺたんと座り、双眼鏡を覗くコミカルな人形のイラスト。その上下にそれぞれ『Swift, Silent, Gracefully』『SeekerDolls』と書かれている。
なんとも凝ったワッペンだ。まあ彼女の人形達を見れば、アリスが凝り性だというのは直ぐにわかる事だけど。
「この子達用にデザインしたんだけど、まだ全員分作れてなくて」
「もっと単純にすればいいのに」
「愛ゆえにですわ。あ、私を直接狙うのは無しだから、ね?」
アリスと人形達の間で、鋭い光が線を描いた。人形達がスカートを摘み一礼する、ゲームスタートだ。
「ようし、気張るわよ椛!」
「あ、はい」
「力抜けるわねぇ」
相変わらずな椛につい脱力してしまう。気を取り直して……えーっとワッペン付きは、あの子ね。
「神妙にお縄につきなさい!」
「イヤーン、オカサレルー」
「人聞きの悪い事いわない!!」
けらけらと笑いながら逃げ回るワッペン付き。なんか、本当に追いかけっこみたいだ。
四方八方から照射されるレーザーが無ければ、だけど。
「椛! そっち行ったわよ!」
「すみません、囲まれ、っと、あっ」
人形のレーザーは思った以上に大出力だ。大気を焦がして迫る緋色は、それなりに迫力がある。
しかしそれ以上に厄介なのが、照射の仕方。不利になる方向へと誘導されてしまう。都会派ブレインは伊達じゃない。
「うぐぐ。この私を制御するなど……」
「アハハ、クヤシガッテル」
「ワレラニオイツク、テングナシ!」
「言われてますよ、文さん」
「貴方もねっ」
くるくる、ふわり。
機械のように精密な機動防御。それを柔らかく、踊るようにこなしていく。
澱んだ森に一瞬、華やかな舞台が映った。思わず眼を擦る。
やはり操り主のアリスもダンスとか得意なのだろうか。ちょっと見てみたい気もする。彼女は見た目が華やかだから、きっと映えるだろう。
下手たったらそれはそれで、いいモノが見れそうで―――。
「文さん、文さん。私思ったんですが」
「と、撮って脅してボーナスエロス……はい?」
「……文さんの内臓は何色なんでしょうね」
いけない、少々惚けてしまったようだ。私にうつつを抜かせるとは、人形遣い恐るべし。
「それで、ナニがナンだって?」
「いえね、別に追いかけっこなんかする必要ないんじゃないか、と」
「え、ああ、まあ……」
指定の人形を捕まえれば良いワケで、なるほど、えっちらおっちら徒歩で追う必要は無いわよね。
私としたことが。翼一つでこうも鈍るものなのか? どうにも、いけない。
「言われてみれば、そうね」
「スペカか何かで状況を崩しましょう。そこから」
「いや、どうせなら一発でキメるわよ」
ポケットからカードを抜く。黒地に竜巻、舞い散る羽柄。
アリスが大きく銀糸を手繰った。人形達の動きが変わる。感づいたらしい。
神速の如き判断と行動。素晴らしいが、それでも遅い!
「竜巻『天孫降臨の道しるべ』」
輝くカードを団扇に添えて、地から天へと縦一文字。
大気が震え、風が鳴き、私を軸に烈風が巡る。
「ウワー!」
「メガマワルゥー」
「つ、捕まる物! つかまるもの!」
枝葉も土も、人形達も、風の思うが儘に。アリスも操術どころではないようで、飛ばされないよう必死になっている。
このスペカは効果時間が短い、あっという間に終了。役目を終えたカードは崩れ、風に溶けて消えていった。
さあ、ここからが腕の見せ所。
「人形はあっちに飛んだから、こうね」
銀糸を振り切って吹き飛んだ人形達を、風でこちらに手繰り寄せる。いまだ混乱しているらしく、誰も抵抗しない。
風に運ばれてきた人形達から、ワッペン付きを選んで掴む。
「ワッペン付き、ゲットだぜ」
「ココハドコ? ワタシハダレー?」
ふらふらしているワッペン付きを掲げて、地面に這い蹲っているくアリスに勝利宣言。
「ほらアリス、私達の勝ちよ」
「……おめでと」
何か言いたそうな表情でこちらを見上げるアリス。
どうやら糸で木と腕を繋いで凌いだらしい。しかし、髪はグシャグシャ服はボロボロ。おまけに木に繋がれた状態で、なんというか、こう。
「まるで春画か何かのようですね! 実にいやらしい!」
「誰のせいでこんな……あ、ちょっと撮らないでよ!」
「いいですねー! 出来ればもっと悲壮感のある表情を」
「あ や さ ん」
背後から響く、地の底から這い出るかのような声。
ゆっくりと後ろを振り返るとそこには、ボロ雑巾と化した椛が立っていた。
しまった、私の隣に居たんだ椛。いつも通りの無表情。それが逆に怖い。
「……ありがとう椛、その、貴方の尊い犠牲のおかげで勝利を手に」
「殺します」
「違うんです」
「短い遺言ですね」
「そ、その、私の話……あ、ああッ! だ、駄目! そこは、そこは曲がるとごぇァ―――」
▽
気がつくと私はバイドになっていた。うそうそ。
ここはアリスの家らしい。椛の世にも恐ろしい報復により気絶した私だが、時計を見ると大した時間は経って居ない様だ。
ソファーから身を起こすと、気がついたアリスと椛がこちらに寄ってきた。
「お目覚めね」
「いやはや、面倒かけちゃったわね」
「では、今度こそ『おやすみなさい』文さん」
「ちょっ、ちょっ、待って椛、ホントゴメンなさい、マジで」
「冗談です」
でも眼が本気だ。後で美味しい酒でも贈っておこう。
「あれ、その服借りたの? 似合ってるわよ」
「……おべっかは結構です」
「本音よ」
アリスの普段着を黒くして、リボンをベルトに。更にケープには紅葉のワンポイント。
色やベルトはともかく、紅葉は今つけたのだろうか。スカートの様子から、尻尾用の穴も作ったようだ。凝り性にも程がある。
「ありがとうございます、マーガトロイドさん。わざわざこんな」
「気にしなくていいわ。あと、名前で呼んで。なんかくすぐったい」
「はぁ」
椛は親しい相手か否かで、名前と苗字を呼び分ける。
唯一カッパのにとりにだけタメ口を利くらしいが、聞いた事のある者は非常に少ない。私も実は聞いた事が無い。
「アリス。キノコはどこにあるの?」
「テーブルの上にあるから持っていって。あ、服はサービスするわ」
「よし、椛! 永遠亭に戻るわよ!」
「そういえばそうでしたね」
コイツ忘れてたのかよ。いや実は私も忘れかけてたんだけど。
とにかく急ごう。永琳は調合に時間が掛かると言っていた。余り遅いと間に合わなくなるかもしれない。
アリスに礼を告げて、彼女が用意した先導の人形を追って飛び立つ。
森から林、永遠亭。そして自宅。その道中は問題なく進む事が出来た。
後、私に出来る事といえば、間に合う事を祈るだけ。
夜は雲一つなかったが、流れ星は見えなかった。
▽
『教練、対空戦闘用意。教練、対空戦闘用意』
『おせんにキャラメルー、飲み物はいかがですかー』
『天霧、如月各班はただちに出動。侵入者迎撃に向かえ』
『あ、そこの美人さん! 焼きそばどう? おまけするよ!』
「ねえ椛。年に一回の演習よね? お祭りとかじゃないのよね?」
「演習ですよ。同時に、数少ないイベント事でもありますからね」
フル装備で飛び立つ団員達。緊迫した表情から少し目線をズラすと、屋台で焼きそばを買う天狗が目に写る。そんな演習当日。
結局、薬は朝に間に合わず、演習が開始してしまった。
ただ私の出番は最後の方らしいので、まだ猶予はある。完成次第、ブレザーウサギが届けてくれるらしい。
「結構、お偉方も来てるのね」
「頭領格や大天狗様は必ず来ますよ。ご覧の通り、暇な天狗や妖怪達も大勢」
「ふ、ふーん」
予想以上に派手な催しのようだ。永遠亭マジ急いでお願い。
「そういえば、貴方は参加しないの?」
「ローテーション制でやってるので、今年はお休みです。今日はのんびりと――」
「あ、椛。それに天狗様も」
前から近づいて来たのは河童のにとり。彼女も野次馬だろうか。
「なんだにとりか。新装備の件で来たのか?」
「そうだよー。何しろ私が造った作品が基礎だからね、むふん」
「まあ、お前にしてはマトモな――あっ」
しまった、という表情でこちらを見る椛。ははぁ、成る程。
「あー、文さん。耳、塞いでてもらえます?」
「イヤよ。その表情いただき、ぱしゃり」
「ちょっ、うぐ……にとり、さんに、しては……あっ私急用思い出しましたそれじゃまたあとで」
何処へと無く走り去る椛。タメ口もうろたえる姿もかなりのレアモノだ。いい写真が撮れて幸せだ。
「タメ口聞かれた位で、意外ねぇ」
「椛ってば、変なところで恥ずかしがるんですよねぇ。演技も出来ないし」
「結構カッコいい口調なのね」
「似合ってると思いますよ」
後でこれをネタに弄り倒してやろう。もっと面白いところが見れるかもしれない。
「ところで、新装備って言ってたけど」
「はい! 私の空中魚雷に限定的な誘導能力と近接信管の付与を行った『雷装』です! 持ちやすいサイズと軽量さ、そして妖怪工学に基いたデザインが」
「すいません勘弁して下さい」
迂闊だった。河童に作品の事を聞けばこうなるって解ってたハズのに。とりあえず話を逸らそう。
「ね、ねえ。この辺で永遠亭のウサギを見なかったかしら?」
「ウサギ? いえ、見かけてませんけど」
「あらそう、じゃあちょっと探してこないとね」
「私も装備の調整に戻りますね」
咄嗟に出た言葉だったが、フムン、実はもう来てることもありえるか。迷子という可能性。
ンモー、鈴仙ったらお間抜けさんっ。
屋台で焼きそばと豚串を買い、少し早い昼食をとりつつ探してみる。
しかし正午を過ぎても彼女は見つからず、すでに時計の短針は2にたどり着こうとしている。
お間抜けさんは私のほうだ。ベンチに腰掛け、ペンを高速で回す。時計の針も回る、回る。
焦燥が心を満たし、ペンの回転が風を生むほどになった頃。
「失礼。射命丸文様ですね?」
「え、ええ。そうだけど」
通りの良い声で尋ねてきたのは、精悍かつ清楚な顔立ちの白狼天狗。
「新人歓迎会の事前説明を行いますので、演習本部までお越しください」
へし折れる罪無きペン。流れる汗は滝の如く。彼女は私に、世の無常を叩き込んだ。
▽
説明、といっても非常に簡単なものだった。
攻撃、反撃をするな。遠くに行き過ぎるな。常識に則れ、などなど。要するに時間制限まで逃げ切ればいい、簡単だ。いつもだったら。
「以上ですが、何か質問はありますか?」
「その綺麗なお顔は何か秘訣が? ハイポーズ」
「え、あ、ぴーす……で、では、後30分程で歓迎会となりますので、準備をお願いしますね」
「はい、ごちそう様です」
照れた笑みと、頬に添えるようなピース。いい写真が撮れた。椛もこれ位、愛想があればいいのにねぇ。
いやそんなことより、死んだ翼で空中戦をやる羽目になってしまった。
こうなったら最後の希望に賭けるしかない。それは即ち、演習中での受け渡し。彼女なら波長をズラして姿を隠す事が出来る。
そしてその場で飲めばまだイケる。即効性だと言っていたし、多分その場で効くのだろう。そうであってくれ。
「では、お願いします」
「え、もう30分?」
『それでは次の演目は、新人歓迎会です』
説明役が趣旨の説明を始める。私の相手となる新人達をチラリ……ナマイキそうなツラしてるわ。
数は4人、新人達の中から選ばれた成績優秀者だそうだ。
「標的離昇」
コールに従って飛び立つ。駄目だ、鈍い。こんな速度で逃げ切れるだろうか。
次いで、新人達が上昇してくる。そしてお互い真正面に向き合って飛び、通り過ぎる。これが開始の合図だ。
「目指せ撃墜!」
「標的落とせば伝説よ!」
威勢のいい声と共に、早速弾幕を放ってきた。
大したものじゃない。4人合わせてようやく下位ボス程度だ。しかし、その薄い弾幕に、絡め取られている私がいる。
「ぬあああああ! もどかしさで死にそうよ!」
「あいつ叫んでるぞ」
「なんか今年の標的は楽そうね」
そしてこの舐められっぷり。いつもの私ならあんた達なんか! なんていう三下のセリフしか浮かばないのが泣けてくる。
苛立ちつつも、首を巡らせ周辺警戒。眼前を駆け抜けた弾に一瞬、意識が逸れた。
「獲ったァ!」
意識の隙間を突いた1人が、上方から抜刀突撃。刃を無くした模擬剣だが、それに当たれば当然負けだ。
ただちに回避運動。翼を目一杯広げ、身体の下に敷くように、分厚い風を流す。
風の絨毯に煽られて、身体がふわり。何も無い空間を剣が滑る。回避成功だ。
「惜しいー」
「攻撃前に叫ぶバカは居ませんて」
しかし、次も回避できる保証は無い。早くもこちらの飛び方に慣れて来たらしく、弾幕がより効果的になってきている。
戦いの中で成長するとは、さすが選ばれし者達よ。なんて軽口叩きたいんだけど、実際シャレにならない。
ああああ、鈴仙早く―――。
『……や、文、聞こえる?』
「れっ、鈴仙? 鈴仙なのね!」
『遅くなってゴメン。クスリを届けに来たよ』
「きたああああああ!!」
何とか間に合ったようだ。
覚悟しろひよっこども、クスリを飲んだその時が貴様らの最後だ!
「どこっ! どこに居るの!?」
『えーっと、見える? 赤い光』
何も無い空間に赤く淡い光が灯った。光の中には小瓶が一つ、あれが例のクスリか。
希望目掛けて全速全進。あと少し! あと少しでいつもの私に――。
『痛っ!』
――光が弾け、小瓶が踊る。弾幕が、よりによって鈴仙の手に着弾。支えを失った小瓶が重力に招かれ落下する。
「そりゃ無いでしょォォ!」
「逃がすかっ、今度は外さない!」
「残りは弾幕で萩風を援護。野分は『アレ』の用意」
落ちる、落ちる、小瓶が落ちる。ここまでおいでと言わんばかりに、くるり、くるりと舞い落ちる。
硬直寸前まで翼を打つ。流石にこちらの方が速い。しかし、弾幕も追ってくる。例えるなら円錐を被せるような弾幕。逃げ場を奪うつもりか。
だが、今はクスリだ。左右に身体を振りながら、逃げる小瓶を追いかける。あと、少し。
「あとちょっと……あとちょっと……獲った! ねんがんのクスリを」
「―――今だ! 雷装放て!」
「えっ」
しゅごっ。何かを撃ち出すような音。雷装……河童が言ってた新装備か!
一刻の猶予も無い。小瓶のフタを急いで開ける。
「うわ、臭っ!」
『全部飲んで。超マズいけど5秒で効くから』
それってもはや劇薬じゃないの? いや、四の五の言っていられない。
緑色のそれを一気に煽る……マズイ上に粘っこい。昼ドラに味があったらこんな感じだろうか。正直吐き出したいが、気合で全て胃に落とす。
4秒。地表が近い。制動をかけつつ身体を反転。雲を引いて迫る筒状の物体、雷装を見上げる。
3秒。風を手繰り、眼前に強力な乱気流を生み出す。雷装がそれに突入。
2秒。制御を乱された雷装が私を避けて飛んでいく。方々から爆音を浴びつつスタンバイ。
1秒。青空から降り注ぐ弾幕。その中心を射抜くように、抜刀したひよっこが翔け降りる。
今。
「きた……!」
解る、感じる。元気とやる気が全身を満たし、枯れた羽毛が艶を振り撒く。
溢れる力は青天井。脳内の出力計が、振り切れんばかりに跳ね上がる。
「やっと、やっとあのヌルい空とお別れ……」
待ちに待った無制限。思いっきり翼を振るう。渾身のゼロマックスが、視界からひよっこを消し飛ばした。
「標的討ち獲っ……消えた?」
強烈な加速が私に、抵抗と爽快を供給する。気持がちいい、すンごく気持ちがいい。やはり空はこうでなくては!
気色の悪い笑みを浮かべ、青空目掛けてまっしぐら。縋り付く重力を引き剥がし、大気の壁を突き破る。
「え、ちょ、こっち来――」
戸惑うひよっこ達。彼女らの隣に来た瞬間に急制動、完全に静止する。背後で巻いていた風が行き場を失い、厚ぼったい音と共に霧散する。
ひよっこ達が息を呑むのが判る。実にいい反応だ。
「お待たせしました、ひよっこの皆さん。ここからが本番です」
はっとした表情、次いで自分達の状況を思い出し、一斉に抜刀する。やる気を失わない辺りは流石だ。
なのでご褒美をあげようと思う。無双を冠した、とっておきのスペルカードを。
溢れる力を言葉に変えて、ひよっこ達に大見得一つ。
「手加減してあげるから、本気でかかってきなさい!」
▽
結果を言えば、歓迎会は大成功であった。
ひよっこ達からは無事に逃げ切る事が出来た。当然だけど。
頭領様も特別席でご満悦。その他オーディエンス達も、空を駆ける私の姿に惚れ惚れしていた。いや、流石私といったところね。
「なにニヤニヤしてるんですか、文さん」
「ちょっと自画自賛を……うぐっ! いた、痛たたたた!」
最速の翼を取り戻した私だが、現在は自宅の布団で亀になっている。
永琳の言っていた『後で物凄い疲れが出る』を今まさに体感している。全身が痛い、だるい、辛い。
「バカみたいよねー。自爆して見栄張って、このザマだもんねー」
「ていうか、なんではたてが居るのよ……椛喋った?」
「はい」
「少しは誤魔化せよ」
私の家に来る途中ではたてに会い、速攻でバラしたようだ。配慮ってモノを知らないのか。
当の椛は抗議の視線を物ともせず、食事を作ってきますね、と言って台所へ消えた。
む、これは仕返しのチャンス。
はたてに耳を貸せとジェスチャー。怪訝な表情で顔を寄せる市松娘に、潜めた声で語りかける。
「凄いスクープ教えてあげる」
「は? なにそれ」
「何と椛のタメぐむぅ」
「はたてさん、布団剥いで、文さんの脚持ってください」
ぐおお、台所からノータイムかよ。物音も気配も一切無かった。ステルスにも程がある、化け物か。
「よいしょっと。文の脚、持ち心地いいね。太った?」
「何で皆太った扱いするの!?」
再三言うが、断じて太っていない。不肖、射命丸。体型維持には自信があるのだ。
いや、そんな事誇ってる場合じゃ無いなコレ。
「それで、片足を交差させて。そうです」
「あのー椛サン。私、一応病人なんですが……あ、うでっ、腕キメないで!」
「殺れるときに殺る。それが私のポリシーです」
まな板の上の鯉。布団の上の私。いかん、調理される。鍋で熱湯とルームシェアだ。
しかし全身バキバキな私に、もはや解約は不可能だった。
「こっ、これだから自警の連中は! ペンは剣より強いのよ! その意味解ってる!?」
「なれど折れないペンも無し。はたてさん、イきますよ」
「むふふ。こんな文見るの初めてかも」
「何その嗜虐的な顔……あっ、ああッ!! ソレ駄目! それは構造的にありえなっ……あ、あや や や や ァ ァ ー ッ ! ! 」
今度から定期的に健康診断を受けよう。霞む眼で窓の外を見る、恨めしいほどに青い。
愛しい空へと帰るには、もう少し時間がかかりそうである。
各人の造形は結構良かったと思うのですが、話にもう少し盛り上がるところが欲しかったかな。平坦に感じたので…
凸凹してるというか。
楽しませてもらいました