草木も眠る丑三つ時。
三人の妖怪が命蓮寺の墓地に集まった。
「さて、誰にも見つかっておらんだろうな?」
「まぁ、みんな寝てたし大丈夫だと思うよ。念の為に通り道には正体不明のタネを仕込んでおいたから」
「小傘、お前さんはどうじゃ?」
「今日は夕方からここで人が来ないか隠れてたから大丈夫だよ。人も妖怪も誰も来なかったよ」
「……そうか」
大きな尻尾を揺らしながら二ツ岩マミゾウは口を開く。
「それでは。新春化かし芸大会をやるぞ」
「何それ?」
興味が無さそうに封獣ぬえが答える。
「外の妖怪達の間じゃ毎年、年明けにやるんじゃ。誰が一番人を化かし、驚かせることができるかを競うんじゃ」
眼鏡を人差し指でくいっと持ち上げると、力のこもった声でマミゾウは説明をした。
対して、やる気のない声で頬杖を突いたぬえが答える。
「そんなのいつもやってる事だし、今更競ったって面白くないじゃん」
「それに二人と比べたら私なんて力不足だし、二人と競うだんて無理無理」
力強く首を左右に振り多々良小傘は答える。
「まったく、二人ともやる気がないのう」
かこんっと下駄を鳴らし墓石の上に飛び乗ると、マミゾウは二人を見下ろしながら話を続ける。
「良いか、新年が始まってもう一週間過ぎている。幻想郷の妖怪どもときたら神社や屋台で酒を飲んだり、地底の温泉に行ったり、炬燵で丸くなったりしているんじゃ。こんなの正月休みの人間と変わらんぞ。おぬし等、化かし妖怪としての誇りはないのか?」
「ほら、郷に入っては郷に従えって言うし」
炬燵で丸くなっていた妖怪その一、もとい封獣ぬえは答える。
「そうそう、親分さんはまだ幻想郷に来て日が浅いからわからないと思うけど、一月の前半は大人しくしてるのが幻想郷の妖怪なんだよ」
山の神社で酒を飲んでいた妖怪その一、もとい多々良小傘は答える。
「はぁ、情けないのう。物で釣るのは余り好きじゃないんじゃが、新春化かし芸大会の優勝賞品を教えてやろう。これじゃ」
ポケットから紙切れを取り出すと高々に掲げる。
「地霊温泉二泊三日の旅、二名様招待券じゃ」
「詳しいルールを教えてもらおうか、マミゾウ」
目を輝かせたぬえがマミゾウに駆け寄る。
「現金な奴じゃのう。村紗船長でも誘うつもりか?」
「う、うるさい。早くルール説明してよ」
「まぁ、まて、小傘はどうするんじゃ?」
「えへへ、もちろん参加するよ。早苗と一緒に温泉行きたいから二人には負けないよっ!」
現金な妖怪その一と二を落ち着かせ、ルール説明を始める。
「まぁ、簡単じゃ。ターゲットを一人選ぶ。誰が一番ターゲットを化かし驚かす事が出来るか競うだけじゃ」
「余裕だね」
「だね。それで、それで、ターゲットは誰?」
「うむ。儂が幻想郷に来てから一度も驚いた顔を見たことがない相手じゃ」
マミゾウがそう言うと一瞬の沈黙が訪れる。
「白蓮じゃ」
「やっぱりやめる」
ぬえと小傘の声が同時に響く。
「なんでじゃ?」
「いや、怒らせると怖いし」
「うんうん、親分さんはあの笑顔の奥に隠された恐ろしさを知らないの?」
「それに聖はよっぽどの事がないと驚かないと思うよ」
「まったく情けない連中じゃ。失敗を恐れず挑む姿勢が大切なんじゃ」
「失敗しようと成功しようとその後の事が恐ろしいんだって」
「私なんてこの間、お墓参りに来た人間を驚かせて転ばせただけで半日お説教されたんだよ。もうあれは懲り懲りだなぁ」
「小傘よ。いつもにこにこしている白蓮が驚いたらそれはそれは、美味だとは思わんか?」
「うーん。確かに美味しそうだとは思うけど」
「その味がお前さんを成長させるんじゃ。威厳ある唐笠妖怪になる為にも白蓮は越えなくてはいけない壁なんじゃ」
「越えなくてはいけない壁……わかったよ。どこまで通用するかわからないけど、私頑張ってみるよ」
握り拳を作り、意気揚々と参加表明をする小傘だった。
「小傘に比べるとぬえは情けないのう。京の都に名を馳せた大妖怪が、たかだか千年程生きた人間に怯えているなんてのう」
「私が、聖に怯えてるだって?」
鋭い目つきでマミゾウを睨みつけたぬえが口を開く。
「違うのか?」
「ふん。京の都を恐怖に陥れた大妖怪、封獣ぬえ様の力を見せてやろうじゃないか」
「それでこそ儂のダチ公じゃ」
言葉巧みに二人の妖怪のやる気に火をつけたあたりは流石と言える。
「それで、いつから始めるんだ?」
「各々作戦を練る時間が必要じゃろう。明日の日の出から開始ということでどうじゃ?」
「おっけー」
「私も平気」
「それじゃあ、今日はこれにて解散じゃ」
そうして三人の妖怪は墓地を後にする。
そして戦いの日が訪れた。
太陽が顔を出し始め、薄らと明りが射す命蓮寺の境内に三人の姿があった。
ターゲットの聖白蓮は、弟子たちと朝の読経の為に本堂に籠っている。
と言っても、まだ正月が終わったばかり。
正月に食べ過ぎてお腹を壊している村紗は不参加で、星とナズーリンは毘沙門天の元へ新年の挨拶に出かけている。
響子とこいしは年末に里帰りをしたまま、まだ戻ってきていない。
ターゲットの白蓮を狙うには絶好のチャンスだった。
「さて、誰から行くかのう」
「はいっ」
元気一杯手を挙げたのは小傘だった。
「随分と張り切ってるじゃんか。何か名案でも浮かんだの?」
「ふっふっふ。こういう時は直球勝負。勢いでなんとかなる作戦だよっ」
マミゾウとぬえは顔を見合わせる。
「ま、まあ、そういう作戦も悪くないと思うよ? ねえマミゾウ?」
「そ、そうじゃな。シンプルイズベストって言葉もある位だし……のう?」
二人とも疑問形だった。
「よーし、そろそろ本堂から出てくる時間だ。それじゃあ、多々良小傘、行きますっ」
びしっと敬礼を作るとそのまま本堂入り口に飛んで行く。
「小傘の奴、扉が開いたと同時に驚かせるだけなんじゃない?」
「儂もまったく同じことを思ったわ」
「まぁ、それ位じゃ聖は驚かないだろうね」
「じゃろうな。白蓮程の僧侶なら妖気を感じ取って扉の向こうに誰がいるか判断する位朝飯前じゃろう」
境内の茂みからこっそりと様子を伺う二人の心配を余所に、小傘は本堂の扉の横で待機している。
「お、小傘の奴、上手く妖気を消したか」
感心したようにマミゾウが呟く。
「得意の一発勝負に出るか」
二人は息を飲み、小傘の様子を伺う。
茄子色の不気味な傘を畳み、息を殺しその一瞬を待つ。
血に飢えた肉食獣が獲物を狙う様な眼差しで小傘は扉が開かれるのを待つ。
どれほど小傘はその時を待っただろうか。僅かな時間だが、彼女には永遠に続くかと思えたに違いない。
それほど彼女は集中していた。
扉が開くその瞬間を狙う為。
そしてその瞬間がついに訪れた。
がたっと音を立てて扉が開いた瞬間、小傘は床を蹴り勢いよく飛び掛かる。
空中で唐笠を大きく振りかぶり、反動をつけ大きく一直線に振り抜く。
「ぅぅうらめしやぁぁぁぁっ」
その一振りは扉から出てきた白蓮の頭頂を目掛けて振り下ろされた。
マミゾウもぬえも、そして誰よりも狙いを定めていた小傘も捉えたと確信した。
が、唐笠は空しく空を切り、空振りに終わった。
「あら、小傘。明けましておめでとうございます」
「お、おめでとう」
「お正月はどこに行っていたの? ちっとも顔を出してくれないから皆で心配していたのですよ?」
「い、いやぁ、早苗の神社に遊びに行ってたの」
「まぁ、そうだったんですね。あっ、そうだ。はい、これ」
そう言うと白蓮は懐からぽち袋を取り出し、小傘に差し出す。
「私に?」
「えぇ、お年玉です。今年もよろしくお願いしますね」
「うん。こちらこそ」
驚き、照れながら小傘はぽち袋を受け取った。
「それと……」
「狭い所で傘を振り回してごめんなさい」
「はい。良く言えました」
「えへへ、ありがとう。聖」
優しく小傘の頭を撫でると白蓮は母屋へと歩いて行ってしまった。
境内の茂みでは二人の妖怪がため息をついていた。
「予想を遥かに下回る結末じゃったのう」
「小傘の奴が驚かされてたしね」
笑顔で二人の元へ駆け寄って来る小傘。
「えへへ、失敗しちゃった」
「失敗しちゃった。じゃないよ。あんた逆に驚かされてたでしょ?」
「うん。まさかあそこでお年玉貰えるなんて予想してなかったし」
「大体、作戦と呼べないよ。あんな――」
「うわっ! 三千円も入ってるよっ」
「聞けっ!」
「はっはっは。やはり強敵じゃのう。さて、次は儂が行こうかのう」
「待ちなよ、マミゾウ。次は私だ」
「まぁ構わんが」
「がんばってねー」
目の前のお年玉にご満悦の小傘はもはや、化かし芸大会の事など頭にない様子だった。
「ふふ、ぬえ的ビックリショーの開幕だ」
そう言うと彼女は準備に取り掛かった。
準備をしてくると自室に戻ったぬえが、小包を片手に白蓮の寝室の扉を叩く。
「聖、私だけど」
「どうぞ」
そわそわしながらぬえは白蓮の寝室へと入っていく。
「どうしました?」
「いや、去年もお世話になったから聖に恩返しをしようと思ってお弁当を作ったんだ」
恥ずかしそうに振る舞うぬえ。
「あらあら、それは嬉しいですね。お昼前ですけど皆に内緒で頂こうかしら」
「せっかく良い天気だし、少し散歩しようよ」
「わかりました。今日は特に予定もないですし、二人で遠足というのも悪くないでしょう」
そう言うと白蓮は上着を羽織り、ぬえと二人で寝室を後にした。
「いやぁ、ぬえってば流石の名演技だね、親分さん」
「うむ。まるで、憧れの先輩をデートに誘った女学生のようじゃのう」
茂みから双眼鏡を使い、窓越しに二人の様子を眺めていたマミゾウと小傘は感心して声をこぼす。
「お、どうやら移動する様じゃのう」
「手が込んでるね」
慌てて二人の後をつける。
ぬえが白蓮を連れ出した先は、人里から少し離れた田園地帯だった。
畦道に腰掛けるとぬえは風呂敷を広げ、弁当箱を取り出す。
「一輪にこっそり料理を教えてもらってたんだ」
「まぁそうだったんですね」
手を焼いた不良生徒が改心したことに喜ぶ教師の様に、白蓮は嬉しそうにぬえから弁当箱を受け取る。
「開けて良いかしら?」
「うん」
小さめの弁当箱を開ける白蓮。
「……随分と変わった食材ね」
ぬえの予想に反して彼女は冷静だった。
二人から離れること百メートル。
大きな針葉樹の上にマミゾウと小傘は隠れていた。
「ぬえの奴、正体不明のタネも使わずに挑んだのか。その心意気は立派じゃが、なんじゃあれは?」
「うげぇ、お弁当箱のおかず動いてるよ」
双眼鏡越しに見てもその弁当箱の中の異様さが二人に伝わっていた。
「ぬえ、この奇声を上げている大根は何ですか?」
人の形を模した植物の根を箸で持ち上げると白蓮はぬえに質問をする。
「そ、それは、マンドラゴラの姿煮」
「随分と元気いっぱいな木の枝は?」
うねうねと動く触手のような物体を箸で突きながら白蓮はぬえに質問をする。
「ビオランテの茎のおひたし……です」
「このチャーハンに入っている赤と白の模様の茸は?」
「ス、スーパーキノコ……」
「珍しい食材ばかりですね……きっと頑張って手に入れてくれたのでしょう?」
「ぅん、地底の市場とか、魔法の森の奥地まで探しに行ったんだ」
ぬえの作戦はすでに失敗に終わっていた。
ゲテモノ弁当を見せて驚かせる作戦だったのだが、白蓮は耐えてしまったのだ。
白蓮は、ぬえが作ってくれたお弁当ということで、必死に耐えた。
きっと彼女は蓋を開け、視界に飛び込んで来た異様なおかずを見た瞬間に弁当箱を放り投げたかったに違いないが、ぬえを思う気持ちで見事に耐えてみせたのだ。
「ふふふ、ゲテモノ料理なら法界で慣れていますよ」
笑顔を崩さず強がる白蓮だった。
「そ、それじゃこのマンドラゴラの姿煮から頂こうかしら」
ガンガン行く僧侶は大きく口を開け、マンドラゴラの腹部に喰らいついた。
「ウギャァァァシヌゥゥ」
悲鳴を上げるマンドラゴラを無視し、一口、二口と続けた。
「聖……」
「と、とっても美味しいわ、少し喧しいけど。次はこのうねうね動いているビオランテでしたっけ? どんな味がするのかしら」
プルプルと震える箸でビオランテのおひたしを口まで運ぶ。
ビオランテは必死に抗い、聖の顔に張り付く。
「……あらあら、元気一杯ね」
裏返った声で明るく振る舞う。
箸先で器用にビオランテを剥がすと再び口に運ぶ。
「ごめんなさい。聖、もう止めて。私の悪戯だったんだ」
「大丈夫です。ぬえが作ってくれたお弁当ですから」
「大丈夫じゃないよ。こんなの食べたらお腹壊しちゃうよぉぉ」
ぬえは耐えきれず泣き出してしまう。
「聖ぃ、ごめんってばぁ。もう食べないでぇぇ」
少し離れた針葉樹の上。
「……ねぇ親分さん、ぬえ泣き出しちゃったよ」
「奴にも良心ってものがあるということがわかったのう」
「ぬえ的ビックリショー、ある意味ビックリだね」
「じゃのう」
肉体強化の魔法を使い、魔物の群れの様な弁当を平らげた白蓮は、泣きじゃくるぬえを連れ命蓮寺に帰っていった。
泣きすぎて両目を真っ赤に腫らしたぬえが二人の元へ帰ってきた。
「……」
「…………」
沈黙に耐えきれずぬえが口を開く。
「惜しかったんだよ」
「どこがじゃっ」
「ぬえが大泣きしてるのばっちり見てたからね」
「ははは、お前ら私に化かされてるな」
朦朧としているぬえの精一杯の強がりだった。
「まあ良い。儂が二人の敵討ちといこうかのう」
「親分さん、頑張って」
「ま、せいぜい泣かされないようにね」
「お前さんには言われたくないわい」
「化け狸の恐ろしさ、お前さんたちに見せてやろう」
そう言い、マミゾウは境内の掃除をしている白蓮の元へ向かった。
「白蓮、どうしたんじゃ? 具合が悪そうじゃが?」
「そうですか? もしかしたら、食べ過ぎかもしれないですね。少し胃もたれしちゃって」
「なんと、それは良くない。儂が診てやろう」
「だ、大丈夫ですよ」
「おてんばな連中を纏めているんじゃ、心労もあるじゃろうて。どれどれ、まずは熱が無いか見てやろう」
そう言い、無理矢理白蓮の額に手を当てる。
「む、これはいかん。お前さん、すごい熱じゃ」
「熱ですか? 魔法で体を強化していますから、風邪や病には一度もかかったことがないんですけど」
「となると、何かに取り憑かれておるのかもしれん」
「本当に大丈夫です。ちょっと食べ過ぎただけで――」
と言いかけ、先ほど食べたゲテモノ弁当の事を思い出す白蓮。
「なんじゃ、心当たりでも?」
「いえ、本当に何も」
「そうか。それじゃ良いんじゃが」
そう言うとマミゾウは一旦白蓮から離れ、その場を去ってしまう。
境内の茂みから二人の様子を伺うぬえと小傘。
「マミゾウの奴、私の失敗を利用するつもりか」
「さすが親分さんってとこだね」
「まぁ、あの抜け目なさはさすがかな」
「でも、一旦離れてどこ行くつもりなんだろう?」
二人の心配を余所に、マミゾウは母屋に入ってしまう。
「おいおい敵前逃亡か?」
「親分さんが逃げるとは思わないけどなぁ」
しばらくすると再びマミゾウが白蓮の元へ戻ってきた。
「白蓮や、少し良いか?」
「何でしょう」
「昨日、古道具屋で面白い物を見つけてのう」
首から下げた写真機を片手に白蓮の前に立つ。
「写真機ですか? 烏天狗さんたちが使っている物より小さいですね」
「うむ。これはポラロイド写真機と言ってのう。撮った写真をその場ですぐ見る事が出来るんじゃ」
「まぁ、それは凄いですね」
「それじゃ試に一枚撮らせてくれんかのう」
「私をですか?」
「そうじゃ。せっかくなら鼻垂れ妖怪どもを撮るより、お前さんみたいな綺麗なお姉さんを写した方が写真機も喜ぶじゃろう」
そんなおっさんのような写真機があってたまるかとツッコミを茂みから入れるぬえと小傘の視線を遮り、マミゾウは続ける。
「よし、それじゃそこに立ってにっこりと笑ってくれ」
「はい」
マミゾウの言うとおりの場所に立ち、にっこりと笑顔を浮かべる白蓮。
「それじゃ撮るぞ。ハイチーズ」
パシャっという音と同時にフラッシュが焚かれ、ジーっという音と共に写真を吐き出すポラロイド写真機。
「上手く撮れました?あら、真っ白ですね……」
「まぁそう慌てるんじゃない。少しすれば撮った映像が写しだされる」
右手で抓んだ写真をパタパタと扇ぐ。
そしてこっそり写真に妖気を送る。
「ほれ、見えて……き……たってこれはいかんっ」
「ど、どうしたんですか?」
「お前さん、最近、人の形をした植物を食わなかったか?」
「た、食べましたけど。それが何か?」
「それはマンドラゴラと言って食われた相手を呪い殺すんじゃ」
「呪い殺すだなんて物騒ですね。私は何ともないですよ?」
「この写真を見ても同じことが言えるか」
そう言うとマミゾウは現像された写真を白蓮に見せる。
命蓮寺を背景に微笑みながら写る姿はさながら、聖母と言ったところだろうか。
しかし、残念ながら聖母と呼ぶには問題のある物が写っていた。
それは白蓮の顔の下半分を覆う長髭。
その姿はさながら異教の救世主様と言ったところだろうか。
ジーザス。
「まぁ、なんですかこれは?」
慌てた様子で自分の頬を摩る白蓮。
「この髭の様に見えるのはマンドラゴラの根じゃ。まだ、取り憑かれてそんなに時間が経ってないから実体は見えんし触れる事もできんが、写真にはしっかりと霊根が写っておる」
「……」
白蓮の顔色が変わる。
その様子を横目で確認したマミゾウは勝利を確信し、話を始める。
「怖かろう。じゃが安心せい。儂がマンドラゴラの呪いを取り払ってやるぞ」
「マミゾウさん。実はそのマンドラゴラ、食べたのは今日が初めてじゃないんです」
「そうじゃろう。そうじゃろう。ってなんじゃと?」
「実は法界にいる時に、良く食べていました。その植物の本当の呪いをマミゾウさんはご存知ないようですね」
「マンドラゴラの本当の呪いじゃと?」
「あっいけません。その名を一日に四回以上口にすると、どんなに強大な妖怪でも翌朝にはマンドラゴラになってしまうんです」
真剣な目つきで白蓮はマミゾウに語る。
「な、なんと」
「法界で沢山の仲間がその植物の犠牲になりました。また、食料の少ない法界では友の為、仲間の為、進んでその呪いを受ける方もいました」
両目に涙を浮かべながら白蓮はマミゾウの肩に手を置く。
「今、何度その植物の名を口にしましたか?」
「えーっと。よ、四回かのう」
「あぁ、なんということでしょう」
白蓮はそのままマミゾウを強く抱く。
「貴女ほどの大妖怪がマンドラゴラになってしまうなんて」
「……なんて事じゃ。儂はお前さんを驚かせてやろうと思って、つい嘘をついただけじゃったんだがのう。瓢箪から駒か」
ぐったりと力の抜けたマミゾウはその場に崩れてしまう。
「実はのう、今日お前さんを誰が一番驚かす事が出来るかぬえと小傘を焚き付けて、化かし芸大会を開いていたんじゃ」
「そうだったのですか……どうりでおかしいと思いました」
「あの二人を責めないでやってくれんか」
その話を聞いていたぬえと小傘が茂みから飛び出してマミゾウの元へ駆け寄る。
「マミゾウ! あんな気持ち悪い植物になっちゃうなんてあんまりだよ」
「うぅえぇぇん。親分さぁぁん」
二人は泣きながらマミゾウに抱き着く。
「良いんじゃよ二人とも。儂はこれまで数えきれん程嘘をついて来たんじゃ。その報いじゃ」
「聖、お願いだよ。嘘だと言ってよ」
白蓮は泣きじゃくるぬえと小傘の頭を抱き寄せる。
「嘘です」
「へ?」
三人の鳴き声混じりの声が重なる。
「あの植物は瘴気の多い所で育った大根です。流石に普通の人間が食べたらお腹を壊すでしょうけど、誰かを呪い殺す力も無ければ、その名前を口にした人の姿を変えてしまうような魔力なんてありません」
目を丸くして、白蓮を見上げるマミゾウ。
「はっはっは、はー、こりゃ見事に騙されたわい。二ツ岩マミゾウまだまだ修行が足りんようじゃ」
「親分さん良かった。マンドラゴラにはならないんだね」
小傘がマミゾウの元へ駆け寄る。
白蓮はそんな微笑ましい二人を見ながら法力を纏う。
「……」
危険を察知し、無言でその場から去ろうとしたぬえの首根っこを掴み白蓮はにっこりと笑みを浮かべる。
「さて、あなた達がこれ以上誰かを化かさないように足止めしないと行けませんね」
その後、三人は命蓮寺の本堂に連れて行かれ、白蓮のありがたいお話を延々と聞かされることになったそうだ。
その日、幽谷響子は里帰りをしていた妖怪の山にある実家から命蓮寺に戻って来た。
命蓮寺の門を潜り、師匠である白蓮に新年の挨拶をすべく寺中を探し回った。
白蓮の寝室、台所、裏庭、どこを探してもその姿は見つからなかった。
どこかに出かけてしまったのだろうかと心配になる。
妖怪の山では山彦妖怪など時代遅れだと散々馬鹿にされ、やさぐれていたが、白蓮は優しく手を差し伸べてくれた。
「元気良く大きい声を出せることは素敵なことですよ」
瞳を閉じればいつでも、あの日の白蓮の優しい笑顔を思い出す事が出来る。
響子はそれ程に白蓮を慕っていた。
「聖に新年の挨拶しなきゃいけないのになー。どこいっちゃったんだろ。星もナズもいないし、村紗もいないし、親分さんもぬえも見当たらないし」
響子は耳を澄まし、命蓮寺の中を進む。
「おっ、話し声」
微かではあるが、本堂の方から聞こえた声を拾い上げた垂れ耳はぴくりと反応した。
わずかに開いた本堂の扉から中を覗くと、白蓮の後ろ姿としょんぼりした顔で正座をさせられている三人の妖怪の姿が見えた。
「なんだ、こんな所にいたのか。って聖のお説教タイムかな」
本堂に入っていくのを躊躇ったが、少しでも早く白蓮に新年の挨拶をしたい一心で体を動かす。
勢いよく本堂の扉を滑らせ、白蓮目掛けて全力疾走をする。
「あけまして、おめでとーございます」
と言う掛け声と共に響子は弾丸になった。
全員が突然の事に驚き、びくっと肩を竦める。
そして振り向き途中の白蓮に全速力で抱き着いた。
「きゃっ」
突然の響子の登場と全速力の抱擁に驚き、声を上げる白蓮。
「聖、あけましておめでとーございます」
「げふっ。あ、あけましておめでとうございます。響子。こ、今年もよろしくね」
響子に悪気が無い事を知っている白蓮は、肋骨の痛みを耐えながら返事をすると優しく響子の頭を撫でる。
イヌ科の性なのだろうか。頭を撫でられた響子のテンションは更に上がり、尻尾を振り回し、聖を更に強く抱きしめる。
そして、勢い余って白蓮の豊満な双丘に顔を埋める。
「聖ぃ、聖ぃ、今年も私、大きな声で元気一杯頑張りますねっ」
「わ、わかりました。わかりましたから、少し離れて下さい。ね?」
真っ赤に染まった白蓮とおかしなテンションの響子を三人の妖怪は若干引いた目で見ていた。
「まさか、山彦に優勝を奪われるとはのう」
「あぁ、聖の驚いた顔初めてみたよ」
「うー温泉行きたかったけど、あんなに驚いた顔見せられたら文句のつけようがないもんね」
マミゾウは立ち上がると、ポケットから一枚のチケットを取り出し響子に差し出す。
「これはお前さんのもんじゃ」
「何これ?」
続いて立ち上がったぬえがそっと響子に耳打ちをする。
「温泉旅館で聖を好きに出来る券さ」
「へっ?」
妄想全開の響子は興奮の余り耳まで赤くなる。
茄子色の傘を広げ、小傘は振り向きざまに響子に言う。
「えーっと、うらめしやっ」
言う事無いなら黙ってれば良いのにと、その場にいた全員が思った。
そして三人は本堂を後にしたのだった。
半ば別の意味で襲われかけていた白蓮は買い物から帰ってきた一輪に保護され、ハッスルし過ぎた響子は雲山の拳骨を喰らい正気を取り戻したそうだ。
響子唆した三人は翌日、再び白蓮のありがたい話を聞く羽目になり、真っ白に燃え尽きた姿で発見されたそうだ。
件の地霊温泉の招待券はこいしのこねで人数分手に入り、命蓮寺の皆で温泉旅行を楽しんだというが、それはまた別のお話。
三人の妖怪が命蓮寺の墓地に集まった。
「さて、誰にも見つかっておらんだろうな?」
「まぁ、みんな寝てたし大丈夫だと思うよ。念の為に通り道には正体不明のタネを仕込んでおいたから」
「小傘、お前さんはどうじゃ?」
「今日は夕方からここで人が来ないか隠れてたから大丈夫だよ。人も妖怪も誰も来なかったよ」
「……そうか」
大きな尻尾を揺らしながら二ツ岩マミゾウは口を開く。
「それでは。新春化かし芸大会をやるぞ」
「何それ?」
興味が無さそうに封獣ぬえが答える。
「外の妖怪達の間じゃ毎年、年明けにやるんじゃ。誰が一番人を化かし、驚かせることができるかを競うんじゃ」
眼鏡を人差し指でくいっと持ち上げると、力のこもった声でマミゾウは説明をした。
対して、やる気のない声で頬杖を突いたぬえが答える。
「そんなのいつもやってる事だし、今更競ったって面白くないじゃん」
「それに二人と比べたら私なんて力不足だし、二人と競うだんて無理無理」
力強く首を左右に振り多々良小傘は答える。
「まったく、二人ともやる気がないのう」
かこんっと下駄を鳴らし墓石の上に飛び乗ると、マミゾウは二人を見下ろしながら話を続ける。
「良いか、新年が始まってもう一週間過ぎている。幻想郷の妖怪どもときたら神社や屋台で酒を飲んだり、地底の温泉に行ったり、炬燵で丸くなったりしているんじゃ。こんなの正月休みの人間と変わらんぞ。おぬし等、化かし妖怪としての誇りはないのか?」
「ほら、郷に入っては郷に従えって言うし」
炬燵で丸くなっていた妖怪その一、もとい封獣ぬえは答える。
「そうそう、親分さんはまだ幻想郷に来て日が浅いからわからないと思うけど、一月の前半は大人しくしてるのが幻想郷の妖怪なんだよ」
山の神社で酒を飲んでいた妖怪その一、もとい多々良小傘は答える。
「はぁ、情けないのう。物で釣るのは余り好きじゃないんじゃが、新春化かし芸大会の優勝賞品を教えてやろう。これじゃ」
ポケットから紙切れを取り出すと高々に掲げる。
「地霊温泉二泊三日の旅、二名様招待券じゃ」
「詳しいルールを教えてもらおうか、マミゾウ」
目を輝かせたぬえがマミゾウに駆け寄る。
「現金な奴じゃのう。村紗船長でも誘うつもりか?」
「う、うるさい。早くルール説明してよ」
「まぁ、まて、小傘はどうするんじゃ?」
「えへへ、もちろん参加するよ。早苗と一緒に温泉行きたいから二人には負けないよっ!」
現金な妖怪その一と二を落ち着かせ、ルール説明を始める。
「まぁ、簡単じゃ。ターゲットを一人選ぶ。誰が一番ターゲットを化かし驚かす事が出来るか競うだけじゃ」
「余裕だね」
「だね。それで、それで、ターゲットは誰?」
「うむ。儂が幻想郷に来てから一度も驚いた顔を見たことがない相手じゃ」
マミゾウがそう言うと一瞬の沈黙が訪れる。
「白蓮じゃ」
「やっぱりやめる」
ぬえと小傘の声が同時に響く。
「なんでじゃ?」
「いや、怒らせると怖いし」
「うんうん、親分さんはあの笑顔の奥に隠された恐ろしさを知らないの?」
「それに聖はよっぽどの事がないと驚かないと思うよ」
「まったく情けない連中じゃ。失敗を恐れず挑む姿勢が大切なんじゃ」
「失敗しようと成功しようとその後の事が恐ろしいんだって」
「私なんてこの間、お墓参りに来た人間を驚かせて転ばせただけで半日お説教されたんだよ。もうあれは懲り懲りだなぁ」
「小傘よ。いつもにこにこしている白蓮が驚いたらそれはそれは、美味だとは思わんか?」
「うーん。確かに美味しそうだとは思うけど」
「その味がお前さんを成長させるんじゃ。威厳ある唐笠妖怪になる為にも白蓮は越えなくてはいけない壁なんじゃ」
「越えなくてはいけない壁……わかったよ。どこまで通用するかわからないけど、私頑張ってみるよ」
握り拳を作り、意気揚々と参加表明をする小傘だった。
「小傘に比べるとぬえは情けないのう。京の都に名を馳せた大妖怪が、たかだか千年程生きた人間に怯えているなんてのう」
「私が、聖に怯えてるだって?」
鋭い目つきでマミゾウを睨みつけたぬえが口を開く。
「違うのか?」
「ふん。京の都を恐怖に陥れた大妖怪、封獣ぬえ様の力を見せてやろうじゃないか」
「それでこそ儂のダチ公じゃ」
言葉巧みに二人の妖怪のやる気に火をつけたあたりは流石と言える。
「それで、いつから始めるんだ?」
「各々作戦を練る時間が必要じゃろう。明日の日の出から開始ということでどうじゃ?」
「おっけー」
「私も平気」
「それじゃあ、今日はこれにて解散じゃ」
そうして三人の妖怪は墓地を後にする。
そして戦いの日が訪れた。
太陽が顔を出し始め、薄らと明りが射す命蓮寺の境内に三人の姿があった。
ターゲットの聖白蓮は、弟子たちと朝の読経の為に本堂に籠っている。
と言っても、まだ正月が終わったばかり。
正月に食べ過ぎてお腹を壊している村紗は不参加で、星とナズーリンは毘沙門天の元へ新年の挨拶に出かけている。
響子とこいしは年末に里帰りをしたまま、まだ戻ってきていない。
ターゲットの白蓮を狙うには絶好のチャンスだった。
「さて、誰から行くかのう」
「はいっ」
元気一杯手を挙げたのは小傘だった。
「随分と張り切ってるじゃんか。何か名案でも浮かんだの?」
「ふっふっふ。こういう時は直球勝負。勢いでなんとかなる作戦だよっ」
マミゾウとぬえは顔を見合わせる。
「ま、まあ、そういう作戦も悪くないと思うよ? ねえマミゾウ?」
「そ、そうじゃな。シンプルイズベストって言葉もある位だし……のう?」
二人とも疑問形だった。
「よーし、そろそろ本堂から出てくる時間だ。それじゃあ、多々良小傘、行きますっ」
びしっと敬礼を作るとそのまま本堂入り口に飛んで行く。
「小傘の奴、扉が開いたと同時に驚かせるだけなんじゃない?」
「儂もまったく同じことを思ったわ」
「まぁ、それ位じゃ聖は驚かないだろうね」
「じゃろうな。白蓮程の僧侶なら妖気を感じ取って扉の向こうに誰がいるか判断する位朝飯前じゃろう」
境内の茂みからこっそりと様子を伺う二人の心配を余所に、小傘は本堂の扉の横で待機している。
「お、小傘の奴、上手く妖気を消したか」
感心したようにマミゾウが呟く。
「得意の一発勝負に出るか」
二人は息を飲み、小傘の様子を伺う。
茄子色の不気味な傘を畳み、息を殺しその一瞬を待つ。
血に飢えた肉食獣が獲物を狙う様な眼差しで小傘は扉が開かれるのを待つ。
どれほど小傘はその時を待っただろうか。僅かな時間だが、彼女には永遠に続くかと思えたに違いない。
それほど彼女は集中していた。
扉が開くその瞬間を狙う為。
そしてその瞬間がついに訪れた。
がたっと音を立てて扉が開いた瞬間、小傘は床を蹴り勢いよく飛び掛かる。
空中で唐笠を大きく振りかぶり、反動をつけ大きく一直線に振り抜く。
「ぅぅうらめしやぁぁぁぁっ」
その一振りは扉から出てきた白蓮の頭頂を目掛けて振り下ろされた。
マミゾウもぬえも、そして誰よりも狙いを定めていた小傘も捉えたと確信した。
が、唐笠は空しく空を切り、空振りに終わった。
「あら、小傘。明けましておめでとうございます」
「お、おめでとう」
「お正月はどこに行っていたの? ちっとも顔を出してくれないから皆で心配していたのですよ?」
「い、いやぁ、早苗の神社に遊びに行ってたの」
「まぁ、そうだったんですね。あっ、そうだ。はい、これ」
そう言うと白蓮は懐からぽち袋を取り出し、小傘に差し出す。
「私に?」
「えぇ、お年玉です。今年もよろしくお願いしますね」
「うん。こちらこそ」
驚き、照れながら小傘はぽち袋を受け取った。
「それと……」
「狭い所で傘を振り回してごめんなさい」
「はい。良く言えました」
「えへへ、ありがとう。聖」
優しく小傘の頭を撫でると白蓮は母屋へと歩いて行ってしまった。
境内の茂みでは二人の妖怪がため息をついていた。
「予想を遥かに下回る結末じゃったのう」
「小傘の奴が驚かされてたしね」
笑顔で二人の元へ駆け寄って来る小傘。
「えへへ、失敗しちゃった」
「失敗しちゃった。じゃないよ。あんた逆に驚かされてたでしょ?」
「うん。まさかあそこでお年玉貰えるなんて予想してなかったし」
「大体、作戦と呼べないよ。あんな――」
「うわっ! 三千円も入ってるよっ」
「聞けっ!」
「はっはっは。やはり強敵じゃのう。さて、次は儂が行こうかのう」
「待ちなよ、マミゾウ。次は私だ」
「まぁ構わんが」
「がんばってねー」
目の前のお年玉にご満悦の小傘はもはや、化かし芸大会の事など頭にない様子だった。
「ふふ、ぬえ的ビックリショーの開幕だ」
そう言うと彼女は準備に取り掛かった。
準備をしてくると自室に戻ったぬえが、小包を片手に白蓮の寝室の扉を叩く。
「聖、私だけど」
「どうぞ」
そわそわしながらぬえは白蓮の寝室へと入っていく。
「どうしました?」
「いや、去年もお世話になったから聖に恩返しをしようと思ってお弁当を作ったんだ」
恥ずかしそうに振る舞うぬえ。
「あらあら、それは嬉しいですね。お昼前ですけど皆に内緒で頂こうかしら」
「せっかく良い天気だし、少し散歩しようよ」
「わかりました。今日は特に予定もないですし、二人で遠足というのも悪くないでしょう」
そう言うと白蓮は上着を羽織り、ぬえと二人で寝室を後にした。
「いやぁ、ぬえってば流石の名演技だね、親分さん」
「うむ。まるで、憧れの先輩をデートに誘った女学生のようじゃのう」
茂みから双眼鏡を使い、窓越しに二人の様子を眺めていたマミゾウと小傘は感心して声をこぼす。
「お、どうやら移動する様じゃのう」
「手が込んでるね」
慌てて二人の後をつける。
ぬえが白蓮を連れ出した先は、人里から少し離れた田園地帯だった。
畦道に腰掛けるとぬえは風呂敷を広げ、弁当箱を取り出す。
「一輪にこっそり料理を教えてもらってたんだ」
「まぁそうだったんですね」
手を焼いた不良生徒が改心したことに喜ぶ教師の様に、白蓮は嬉しそうにぬえから弁当箱を受け取る。
「開けて良いかしら?」
「うん」
小さめの弁当箱を開ける白蓮。
「……随分と変わった食材ね」
ぬえの予想に反して彼女は冷静だった。
二人から離れること百メートル。
大きな針葉樹の上にマミゾウと小傘は隠れていた。
「ぬえの奴、正体不明のタネも使わずに挑んだのか。その心意気は立派じゃが、なんじゃあれは?」
「うげぇ、お弁当箱のおかず動いてるよ」
双眼鏡越しに見てもその弁当箱の中の異様さが二人に伝わっていた。
「ぬえ、この奇声を上げている大根は何ですか?」
人の形を模した植物の根を箸で持ち上げると白蓮はぬえに質問をする。
「そ、それは、マンドラゴラの姿煮」
「随分と元気いっぱいな木の枝は?」
うねうねと動く触手のような物体を箸で突きながら白蓮はぬえに質問をする。
「ビオランテの茎のおひたし……です」
「このチャーハンに入っている赤と白の模様の茸は?」
「ス、スーパーキノコ……」
「珍しい食材ばかりですね……きっと頑張って手に入れてくれたのでしょう?」
「ぅん、地底の市場とか、魔法の森の奥地まで探しに行ったんだ」
ぬえの作戦はすでに失敗に終わっていた。
ゲテモノ弁当を見せて驚かせる作戦だったのだが、白蓮は耐えてしまったのだ。
白蓮は、ぬえが作ってくれたお弁当ということで、必死に耐えた。
きっと彼女は蓋を開け、視界に飛び込んで来た異様なおかずを見た瞬間に弁当箱を放り投げたかったに違いないが、ぬえを思う気持ちで見事に耐えてみせたのだ。
「ふふふ、ゲテモノ料理なら法界で慣れていますよ」
笑顔を崩さず強がる白蓮だった。
「そ、それじゃこのマンドラゴラの姿煮から頂こうかしら」
ガンガン行く僧侶は大きく口を開け、マンドラゴラの腹部に喰らいついた。
「ウギャァァァシヌゥゥ」
悲鳴を上げるマンドラゴラを無視し、一口、二口と続けた。
「聖……」
「と、とっても美味しいわ、少し喧しいけど。次はこのうねうね動いているビオランテでしたっけ? どんな味がするのかしら」
プルプルと震える箸でビオランテのおひたしを口まで運ぶ。
ビオランテは必死に抗い、聖の顔に張り付く。
「……あらあら、元気一杯ね」
裏返った声で明るく振る舞う。
箸先で器用にビオランテを剥がすと再び口に運ぶ。
「ごめんなさい。聖、もう止めて。私の悪戯だったんだ」
「大丈夫です。ぬえが作ってくれたお弁当ですから」
「大丈夫じゃないよ。こんなの食べたらお腹壊しちゃうよぉぉ」
ぬえは耐えきれず泣き出してしまう。
「聖ぃ、ごめんってばぁ。もう食べないでぇぇ」
少し離れた針葉樹の上。
「……ねぇ親分さん、ぬえ泣き出しちゃったよ」
「奴にも良心ってものがあるということがわかったのう」
「ぬえ的ビックリショー、ある意味ビックリだね」
「じゃのう」
肉体強化の魔法を使い、魔物の群れの様な弁当を平らげた白蓮は、泣きじゃくるぬえを連れ命蓮寺に帰っていった。
泣きすぎて両目を真っ赤に腫らしたぬえが二人の元へ帰ってきた。
「……」
「…………」
沈黙に耐えきれずぬえが口を開く。
「惜しかったんだよ」
「どこがじゃっ」
「ぬえが大泣きしてるのばっちり見てたからね」
「ははは、お前ら私に化かされてるな」
朦朧としているぬえの精一杯の強がりだった。
「まあ良い。儂が二人の敵討ちといこうかのう」
「親分さん、頑張って」
「ま、せいぜい泣かされないようにね」
「お前さんには言われたくないわい」
「化け狸の恐ろしさ、お前さんたちに見せてやろう」
そう言い、マミゾウは境内の掃除をしている白蓮の元へ向かった。
「白蓮、どうしたんじゃ? 具合が悪そうじゃが?」
「そうですか? もしかしたら、食べ過ぎかもしれないですね。少し胃もたれしちゃって」
「なんと、それは良くない。儂が診てやろう」
「だ、大丈夫ですよ」
「おてんばな連中を纏めているんじゃ、心労もあるじゃろうて。どれどれ、まずは熱が無いか見てやろう」
そう言い、無理矢理白蓮の額に手を当てる。
「む、これはいかん。お前さん、すごい熱じゃ」
「熱ですか? 魔法で体を強化していますから、風邪や病には一度もかかったことがないんですけど」
「となると、何かに取り憑かれておるのかもしれん」
「本当に大丈夫です。ちょっと食べ過ぎただけで――」
と言いかけ、先ほど食べたゲテモノ弁当の事を思い出す白蓮。
「なんじゃ、心当たりでも?」
「いえ、本当に何も」
「そうか。それじゃ良いんじゃが」
そう言うとマミゾウは一旦白蓮から離れ、その場を去ってしまう。
境内の茂みから二人の様子を伺うぬえと小傘。
「マミゾウの奴、私の失敗を利用するつもりか」
「さすが親分さんってとこだね」
「まぁ、あの抜け目なさはさすがかな」
「でも、一旦離れてどこ行くつもりなんだろう?」
二人の心配を余所に、マミゾウは母屋に入ってしまう。
「おいおい敵前逃亡か?」
「親分さんが逃げるとは思わないけどなぁ」
しばらくすると再びマミゾウが白蓮の元へ戻ってきた。
「白蓮や、少し良いか?」
「何でしょう」
「昨日、古道具屋で面白い物を見つけてのう」
首から下げた写真機を片手に白蓮の前に立つ。
「写真機ですか? 烏天狗さんたちが使っている物より小さいですね」
「うむ。これはポラロイド写真機と言ってのう。撮った写真をその場ですぐ見る事が出来るんじゃ」
「まぁ、それは凄いですね」
「それじゃ試に一枚撮らせてくれんかのう」
「私をですか?」
「そうじゃ。せっかくなら鼻垂れ妖怪どもを撮るより、お前さんみたいな綺麗なお姉さんを写した方が写真機も喜ぶじゃろう」
そんなおっさんのような写真機があってたまるかとツッコミを茂みから入れるぬえと小傘の視線を遮り、マミゾウは続ける。
「よし、それじゃそこに立ってにっこりと笑ってくれ」
「はい」
マミゾウの言うとおりの場所に立ち、にっこりと笑顔を浮かべる白蓮。
「それじゃ撮るぞ。ハイチーズ」
パシャっという音と同時にフラッシュが焚かれ、ジーっという音と共に写真を吐き出すポラロイド写真機。
「上手く撮れました?あら、真っ白ですね……」
「まぁそう慌てるんじゃない。少しすれば撮った映像が写しだされる」
右手で抓んだ写真をパタパタと扇ぐ。
そしてこっそり写真に妖気を送る。
「ほれ、見えて……き……たってこれはいかんっ」
「ど、どうしたんですか?」
「お前さん、最近、人の形をした植物を食わなかったか?」
「た、食べましたけど。それが何か?」
「それはマンドラゴラと言って食われた相手を呪い殺すんじゃ」
「呪い殺すだなんて物騒ですね。私は何ともないですよ?」
「この写真を見ても同じことが言えるか」
そう言うとマミゾウは現像された写真を白蓮に見せる。
命蓮寺を背景に微笑みながら写る姿はさながら、聖母と言ったところだろうか。
しかし、残念ながら聖母と呼ぶには問題のある物が写っていた。
それは白蓮の顔の下半分を覆う長髭。
その姿はさながら異教の救世主様と言ったところだろうか。
ジーザス。
「まぁ、なんですかこれは?」
慌てた様子で自分の頬を摩る白蓮。
「この髭の様に見えるのはマンドラゴラの根じゃ。まだ、取り憑かれてそんなに時間が経ってないから実体は見えんし触れる事もできんが、写真にはしっかりと霊根が写っておる」
「……」
白蓮の顔色が変わる。
その様子を横目で確認したマミゾウは勝利を確信し、話を始める。
「怖かろう。じゃが安心せい。儂がマンドラゴラの呪いを取り払ってやるぞ」
「マミゾウさん。実はそのマンドラゴラ、食べたのは今日が初めてじゃないんです」
「そうじゃろう。そうじゃろう。ってなんじゃと?」
「実は法界にいる時に、良く食べていました。その植物の本当の呪いをマミゾウさんはご存知ないようですね」
「マンドラゴラの本当の呪いじゃと?」
「あっいけません。その名を一日に四回以上口にすると、どんなに強大な妖怪でも翌朝にはマンドラゴラになってしまうんです」
真剣な目つきで白蓮はマミゾウに語る。
「な、なんと」
「法界で沢山の仲間がその植物の犠牲になりました。また、食料の少ない法界では友の為、仲間の為、進んでその呪いを受ける方もいました」
両目に涙を浮かべながら白蓮はマミゾウの肩に手を置く。
「今、何度その植物の名を口にしましたか?」
「えーっと。よ、四回かのう」
「あぁ、なんということでしょう」
白蓮はそのままマミゾウを強く抱く。
「貴女ほどの大妖怪がマンドラゴラになってしまうなんて」
「……なんて事じゃ。儂はお前さんを驚かせてやろうと思って、つい嘘をついただけじゃったんだがのう。瓢箪から駒か」
ぐったりと力の抜けたマミゾウはその場に崩れてしまう。
「実はのう、今日お前さんを誰が一番驚かす事が出来るかぬえと小傘を焚き付けて、化かし芸大会を開いていたんじゃ」
「そうだったのですか……どうりでおかしいと思いました」
「あの二人を責めないでやってくれんか」
その話を聞いていたぬえと小傘が茂みから飛び出してマミゾウの元へ駆け寄る。
「マミゾウ! あんな気持ち悪い植物になっちゃうなんてあんまりだよ」
「うぅえぇぇん。親分さぁぁん」
二人は泣きながらマミゾウに抱き着く。
「良いんじゃよ二人とも。儂はこれまで数えきれん程嘘をついて来たんじゃ。その報いじゃ」
「聖、お願いだよ。嘘だと言ってよ」
白蓮は泣きじゃくるぬえと小傘の頭を抱き寄せる。
「嘘です」
「へ?」
三人の鳴き声混じりの声が重なる。
「あの植物は瘴気の多い所で育った大根です。流石に普通の人間が食べたらお腹を壊すでしょうけど、誰かを呪い殺す力も無ければ、その名前を口にした人の姿を変えてしまうような魔力なんてありません」
目を丸くして、白蓮を見上げるマミゾウ。
「はっはっは、はー、こりゃ見事に騙されたわい。二ツ岩マミゾウまだまだ修行が足りんようじゃ」
「親分さん良かった。マンドラゴラにはならないんだね」
小傘がマミゾウの元へ駆け寄る。
白蓮はそんな微笑ましい二人を見ながら法力を纏う。
「……」
危険を察知し、無言でその場から去ろうとしたぬえの首根っこを掴み白蓮はにっこりと笑みを浮かべる。
「さて、あなた達がこれ以上誰かを化かさないように足止めしないと行けませんね」
その後、三人は命蓮寺の本堂に連れて行かれ、白蓮のありがたいお話を延々と聞かされることになったそうだ。
その日、幽谷響子は里帰りをしていた妖怪の山にある実家から命蓮寺に戻って来た。
命蓮寺の門を潜り、師匠である白蓮に新年の挨拶をすべく寺中を探し回った。
白蓮の寝室、台所、裏庭、どこを探してもその姿は見つからなかった。
どこかに出かけてしまったのだろうかと心配になる。
妖怪の山では山彦妖怪など時代遅れだと散々馬鹿にされ、やさぐれていたが、白蓮は優しく手を差し伸べてくれた。
「元気良く大きい声を出せることは素敵なことですよ」
瞳を閉じればいつでも、あの日の白蓮の優しい笑顔を思い出す事が出来る。
響子はそれ程に白蓮を慕っていた。
「聖に新年の挨拶しなきゃいけないのになー。どこいっちゃったんだろ。星もナズもいないし、村紗もいないし、親分さんもぬえも見当たらないし」
響子は耳を澄まし、命蓮寺の中を進む。
「おっ、話し声」
微かではあるが、本堂の方から聞こえた声を拾い上げた垂れ耳はぴくりと反応した。
わずかに開いた本堂の扉から中を覗くと、白蓮の後ろ姿としょんぼりした顔で正座をさせられている三人の妖怪の姿が見えた。
「なんだ、こんな所にいたのか。って聖のお説教タイムかな」
本堂に入っていくのを躊躇ったが、少しでも早く白蓮に新年の挨拶をしたい一心で体を動かす。
勢いよく本堂の扉を滑らせ、白蓮目掛けて全力疾走をする。
「あけまして、おめでとーございます」
と言う掛け声と共に響子は弾丸になった。
全員が突然の事に驚き、びくっと肩を竦める。
そして振り向き途中の白蓮に全速力で抱き着いた。
「きゃっ」
突然の響子の登場と全速力の抱擁に驚き、声を上げる白蓮。
「聖、あけましておめでとーございます」
「げふっ。あ、あけましておめでとうございます。響子。こ、今年もよろしくね」
響子に悪気が無い事を知っている白蓮は、肋骨の痛みを耐えながら返事をすると優しく響子の頭を撫でる。
イヌ科の性なのだろうか。頭を撫でられた響子のテンションは更に上がり、尻尾を振り回し、聖を更に強く抱きしめる。
そして、勢い余って白蓮の豊満な双丘に顔を埋める。
「聖ぃ、聖ぃ、今年も私、大きな声で元気一杯頑張りますねっ」
「わ、わかりました。わかりましたから、少し離れて下さい。ね?」
真っ赤に染まった白蓮とおかしなテンションの響子を三人の妖怪は若干引いた目で見ていた。
「まさか、山彦に優勝を奪われるとはのう」
「あぁ、聖の驚いた顔初めてみたよ」
「うー温泉行きたかったけど、あんなに驚いた顔見せられたら文句のつけようがないもんね」
マミゾウは立ち上がると、ポケットから一枚のチケットを取り出し響子に差し出す。
「これはお前さんのもんじゃ」
「何これ?」
続いて立ち上がったぬえがそっと響子に耳打ちをする。
「温泉旅館で聖を好きに出来る券さ」
「へっ?」
妄想全開の響子は興奮の余り耳まで赤くなる。
茄子色の傘を広げ、小傘は振り向きざまに響子に言う。
「えーっと、うらめしやっ」
言う事無いなら黙ってれば良いのにと、その場にいた全員が思った。
そして三人は本堂を後にしたのだった。
半ば別の意味で襲われかけていた白蓮は買い物から帰ってきた一輪に保護され、ハッスルし過ぎた響子は雲山の拳骨を喰らい正気を取り戻したそうだ。
響子唆した三人は翌日、再び白蓮のありがたい話を聞く羽目になり、真っ白に燃え尽きた姿で発見されたそうだ。
件の地霊温泉の招待券はこいしのこねで人数分手に入り、命蓮寺の皆で温泉旅行を楽しんだというが、それはまた別のお話。
三人の中ではぬえの話が面白かったです。
響子良いぞ。もっとやれ!
それだけではなく、3人を鮮やかに打ち負かす白蓮の佇まいは流石の一言、マミゾウ親分も一本とられましたね。聖の説教とか羨ましい。
でも、その後の小傘と一緒にマミゾウを心配するぬえちゃんの泣きじゃくるところで持っていかれました。なんだよう、マミゾウさんパルパル!
響子を絡めたオチも鮮やかですね。悪意なき天然に白蓮は弱いのかもしれません。ぬえは温泉で水蜜に接近できたのか?!
新年から好い作品を読ませて頂きました。ありがとうございます!
最高じゃないですか!!
内容は悪く無いと思います。
来年は、もっと参加者を増やした化かし芸大会にすると面白いかなーと。てゐとか。書籍版に出てきた狸とか。