天人、比那名居天子は、じめじめとした森の中を一人歩いていた。
生い茂り重なる木々から、どうにか空を覗くと、厚い雲が立ち込めている。
もうしばらくすれば、降ってきそうである。
天子は懐を覗き込む。そこに収められた、扇子を見てため息をついた。
降り出す前に、白黒魔女の家を見つけて、これを返さないと。
先日、白黒魔女こと霧雨魔理沙に借りて、返しそびれてしまった扇子であった。
「見つからないわねえ」
魔理沙の家は魔法の森にあるという、大雑把な情報しかもっていなかったのが失敗だった。
朝方から探しているのだが、昼に差し掛かりそうな今現在、いまだに見つからないでいた。
前準備無しに行動を開始するのは、いつものことである。
発生したトラブルも含めて楽しむのが、比那名居天子という天人だ。
とはいえ、楽しくないのでは本末転倒。
天子は、大きな倒れ木を越えたところで、立ち止まって考え込む。
魔法使いの、彼女のことだ。
もしかしたら、人目避けの結界なんかを張っている可能性もある。
天子はそう考え、目を閉じ、気の流れを探った。
一際、気の流れの濃い小道を発見する。普通に見た感じでは、獣道といった具合の道だ。
これくらいの気の流れを持つ道は、そう珍しいものでもない。
しかし、何も目印無しに歩くよりはマシだろう。天子はそれを辿るように、歩き出した。
半刻ほど歩いた頃、目の前の木々が開けた。
視線を巡らせると、奥にこじんまりとした家が目に入る。
「やった、見つけたわ!」
天子は嬉々として、その家に走り寄った。
見た感じ、扉らしきものはない。どうやらこちらは、裏手口のようだ。
表に向かうべく、壁沿いに移動する。
家の白い壁面に、植物の蔦が少し伸びている。まるで、物語の中に出てくる家のようだ。
いくつかプランターが置かれ、色々な草花が生えている。
スッキリと綺麗に手入れされた、小さな庭だった。
白黒魔女のイメージには合わないな。もっと散らかってるイメージなんだけど。
そんなことを考えながら歩いていると、窓が目に入った。
中を覗き込むと、可愛らしい人形がたくさん座っている。
「あれ、これって」
天子は、顎に手を当て記憶をたどる。
この人形、どこかで見たことがある。
前に起こした異変時に、手合わせした人形使いが、使役していた人形に似ている。
というよりも、この郷にこういった人形を扱う者を、それ以外には知らなかった。
「人の家の中を窓から覗き見るのは、感心しないわね」
更に奥の小窓から、声がかかる。
天子がそちらを向くと、金髪碧眼の女の子が、窓から顔を出してこちらを見ていた。
思ったとおりである。
この家の主は、人形使いアリス・マーガトロイドだ。
「あ、ごめんなさい。やっぱり、あなたの家だったのね」
「何の用かしら。道にでも迷った?」
「えーと。まあ、そんな所かしら」
「まあいいわ。窓越しに話すのもなんだし、表から上がってらっしゃい。お茶くらい出すわよ」
そう言って、アリスは顔を引っ込めた。
魔理沙の家を探していた天子であるが、この人形使いに案内してもらえるなら、それが早道だろう。
そう考え、言われた通りに玄関へ向かって、歩いて行った。
正面玄関に来ると、取っ手に手を伸ばそうとしたが、見当たらない。あるのは、ノッカーだけである。
「この扉、どうやって開けるのよ?」
首をかしげていると、扉の下の方に備え付けられていた小窓から、人形が顔を出す。
人形はこちらを確認すると、小窓が閉じ、扉が開いた。
人形が開けてくれたようだ。
「しっかし、芸が細かいわね……」
天子は前を行く人形について歩く。
廊下は、綺麗に整えられた簡素な調度品が並ぶ、なんとも落ち着いた内装だった。
突き当たりで人形が扉を開けると、部屋の中でアリスがソファにゆったりと座っていた。
手元では、布と針糸を細かく動かしている。
縫い物をしているようだ。
「いらっしゃい。そこ、座っていいわよ。今お茶を入れるわ。作業しながらで、ごめんなさいね」
「素敵な家ねー。なんだか、御伽噺の中にいるようだわ。それ、何を縫ってるの?」
「三日後の新月の日に、人里で人形劇をするのよ。その準備の衣装を見繕ってるの」
天子がアリスの縫い物作業を見ていると、部屋の奥からカラカラという音がしてきた。
そちらへ視線を向けると、二体の人形が茶具を乗せた食器車を押して入ってきた。
台の上には、もう一体人形が座っている。
卓の隣に来ると、上に乗っていた人形が、ぴょこんと卓へ移動し、器用に食器を並べていく。
台を運んでいた二体は、お茶を蒸らしたり、カップにお湯を入れて捨てたりしている。
天子は、それらを楽しげに見つめながら言った。
「あなたと前に戦ったときは、そんなにじっくり見てなかったからあれだけど……こうして間近で見ると、この人形達、本当によくできてるわ」
「お褒めに預かり、光栄ね」
三体の人形が、お茶の準備を終えると、ペコリとお辞儀する。
その動作に堪りかねた天子は、両腕を広げて三体の人形を抱え込んだ。
人形達は、逃げ出そうと手足をじたばたさせる。
「ああ、もう! やっばい、これ、凄いかわいい!」
人形を抱きかかえて興奮する天人に、アリスは微笑んだ。
「あなたみたいに反応してくれる人は、珍しいわね」
アリスの言葉に、天子は意外そうな顔を向けた。
「他の人は、驚かないの?」
「そういう訳じゃないけど。男性は驚いても、あなたみたいに素直な反応は示さないし、人里の小さな女の子なんかだと、私に遠慮してるのか、そこまで思い切った行動はしないわ」
「なるほどね……皆、自分の気持ちを隠しすぎじゃないかしら」
「そう言ってしまうのは、かわいそうよ。誰もが、あなたみたいに強いわけではないもの。身も、心も、ね」
「そういうものかしら」
「そういうものよ。あなただって、天人になる前はどうだったのかしら。ただの人だったのではなくて?」
アリスの言葉に、天子はどこか遠い目をして黙り込んだ。
「そうね」
そう言って、天子は人形たちを開放する。
アリスはそんな天人の様子を暫し観察していたが、紅茶を一口飲むと、再び手作業に戻る。
「ところで、道に迷っているって言っていたけれど。この森に用があるとしたら、怖いもの知らずの冒険家さんか、私と同じ魔法使い。そうでないなら……」
「あなたの思っている通りよ。この森の白黒魔女の家を探していたの。ちょっと借りていたものを返そうと思ってね」
「あの子に物を持っていかれることはあっても、借りることができる人がいたなんて、驚きだわ」
「なんせ、あなたが言ったとおり、ただの人間ではないからね」
天子はそう言って、苦笑した。アリスはふむと息をつく。
「このお茶を飲み終わったら、人形にあの子の家へ、案内させるわ」
「そうしてくれると、助かるわね。あー、でも……」
言葉を濁す天人に、アリスが手を止めて訝しげな視線を向ける。
それに対し、天子が困ったように笑った。
「もし邪魔じゃなかったらでいいんだけど、もう少し居させてもらえないかしら」
「私はいいけど……魔理沙に何か、返す予定だったのではないの?」
そういって、アリスは再度手元に視線を落とす。天子はお茶を一口飲んで、息をついた。
「すぐに返さなきゃならないものでもないわ。それに、暇してる身だしね。せっかく、あなたとこうしてご一緒する機会に恵まれたんだし、どうせならこの出会いを楽しみたいわ」
「……そう。私の邪魔をしないのなら、何していてもかまわないわ。話をするくらいなら、ね」
「よかった。嫌われてるんじゃないかと思ってたけど、そんなことはないって思ってよいのかしら」
その言葉に、アリスは顔を上げた。
「どうして、そう思ったの?」
「え? だって、さっきからずっと、楽しそうな顔してないじゃない」
「……ごめんなさい。あまり、感情を表に出すのって得意じゃないの。あなたの事を嫌ってるなんてことはないわ。さっき言ったように、人形達をほめてくれて、逆にうれしく思っていたくらいよ」
「ならよかった。ねえ、話すくらいならいいんでしょう。人形について、もっと教えてくれないかしら。この子達って、どうやって動かしているの?」
「いいけど……あなたは魔法について、あまり詳しくはないでしょう?」
「まあ、その辺は頑張るわ。だから、いいでしょ? 知らないことを知るって、とても楽しいことなのよ」
「分かったわ。じゃあ、人形達の駆動系と感覚系から説明しましょうか」
アリスは作業する手を止めることなく、天子に人形を動かしている原理を説明した。
視覚系制御術式、自動処理制御術式、言語制御型術式、感覚共有型術式、人形への魔力の伝達方法など、説明は様々なものへ及んだ。
だが、天子は飽きる気配は見せずに、熱心に耳を傾けている。
時折、相槌に混ざって、はっとさせられる様な質問をも投げるほどである。
アリスは、目の前の天人の予想以上の聡明さに、内心驚いていた。
それと同時に、自身も楽しんでいるということに、気がついた。
本来、魔法使いというものは、手の内をさらすのを嫌う。
そして、それとは相反することなのだが、自らの知識を披露することにも、喜びを見出す種族なのである。
アリスにとって、天子は打てば心地よく響く、非常に良い生徒であった。
「ということは、各部位の重量にあわせて、うまくバランスをとるように、自動処理が行われているのね」
「そう。特に、歩行といったものを行うのと、擬似的にそう見せているのでは、難しさが別次元なの。人形によって、各部位の重量もだいぶ違うから、それぞれにあった重心制御の術式を、予め施工する必要があるわ」
「こんなに小さな体に、そんな複雑な魔法術式が刻まれているなんて、びっくりだわ」
「簡単なものを組み上げて、複雑なことをこなしているのよ。まあ、さらに魔力の伝達効率などを突き詰めると、きりがないんだけどね」
「へえ、やりこみって感じね、楽しそう」
「そうなの! とても楽しいのよ」
カチャリと、卓の上の食器が鳴った。
どうやら、体がぶつかってしまっていたようだ。
アリスは、そこでようやく、すっかり手元の裁縫作業を忘れて、身を乗り出すほど説明に夢中になっているのに気がついた。
「ごめんなさい。私ったら、ちょっと興奮しちゃってたわ」
「ううん。そうやって楽しそうにしてるアリス、とても可愛いし素敵よ? 会ったばかりの時は、近寄りがたい彫像さんって感じだったけど、今は身近なお姉さんって感じだわ」
「そ、そう……ええと、ちょっと喉も渇いたし、お茶入れるわね」
アリスは人形に入れさせるのではなく、自ら立ち上がり、台所に湯を沸かしに向かった。
隣の部屋へ移動すると、そっと、自分の首に手を伸ばし触れた。
結構、熱い。
気づかれただろうか?
人形の話で興奮して、熱くなったのだと思ってもらえていれば良いが。
大きく息を吐くと、戸の隙間から隣の部屋の天人に、そっと視線を向けた。
天子は、抱えた人形の手足を持ち上げたり、目を覗き込んだりしている。
まったく、あの天人は、どこぞの白黒魔女のように、突然とんでもないことを言ってくる。
良くも悪くも、裏表のない人物なのだろう。
アリスはほてった体を冷やすように、水を一杯コップへ注ぎ飲み干した。
アリスが戻ってくると、天子がひとつ提案をした。
一から十まで説明してもらうと作業にも多少支障を来たすだろうということで、アリスの家にある、人形や魔法関連の本を読んで、どうしても分らない部分だけ質問する形はどうかと、持ちかけたのだ。
アリスはそれに特に何の問題もなかったので、了承し書物をいくつか天子へ渡した。
追加の要望で、一冊のメモ帳と筆も後から渡された。
時折質問する天人と、それに答えながら縫い物をする人形使い。
そして、お茶を入れる人形だけが部屋での動きとなり、静かな時間が過ぎていった。
アリスは縫い物作業に一区切りがついたあたりで、窓の外に視線を向けた。
完全に、日が落ちてしまっていた。耳を澄ますと、雨の音らしきものも聞こえる。
周囲の明るさに合わせて、自動で光源量を増減させる魔法照明のせいか、全く気づかなかった。
天子を見ると、自分と同じように、周りの風景など微塵も見えていないといった感じで、渡した本を読んでいる。
「天子。もう結構な時間よ?」
「あ、ほんとだ」
アリスの声に、天子は真っ暗な外を見て、大きく伸びをした。
「すっかり夢中になってたわ。どうしようかしら。この本、借りて行くのとか、駄目かしら?」
「その本、実は紅魔館から借りている物も入っているのよ。なんか前に問題があったとかで、また貸しが禁止になっているらしいの」
「そっかー……」
「ねえ、もし……そっちが問題ないのであれば、うちに泊まって行ってもいいわよ?」
「え?」
アリスの言葉に、天子はきょとんとした顔を向けた。
天子の反応に、何故かアリスがどぎまぎして、視線をそらす。
「あ! ほら、変な意味じゃなくてね? 今、雨も降ってるみたいだし、私の家って、結構あなたみたいに道に迷った人が来るのよ。そうした時に、場合によっては客室にお泊めすることも結構あってね?」
「ほんと!?」
ずいっと、身を乗り出して声を張り上げた天人に、人形使いは驚いて身を引いた。
「え!? いや、嘘なんてついてないわよ?!」
「ええと、嘘だなんて思ってないけど」
「あ、そう?」
「うん」
天子は不思議そうな顔をしていたが、思い出したように、笑顔になった。
「本当に泊めてくれるのよね? 嬉しいわ!」
「ええ、大丈夫よ」
アリスは冷たくなった紅茶を一気に飲み干すと、縫い終わった人形衣装を片付け始めた。
天子は立ち上がって手伝おうとしたが、アリスが手をかざして大丈夫だと、やんわり断った。
「そういえば、お昼から何も食べていなかったわよね。何か食べる?」
「食べる食べる! けどいいの? 宿を提供してもらってるのに、食事までなんて」
「いいのよ。こうやっておもてなしするのも、ひとつの趣味みたいなものだから」
「じゃあせめて、食事の用意くらい、何か手伝うわ。いつまでもお世話になりっぱなしなんて、我慢できないし」
背を向けて片づけをしていたアリスが、振り返って天子を見た。
真剣な顔をした天人に、人形使いは軽く微笑み返す。
「そうね、それだけ言うってことは、多少なりとも料理はできるってことかしら?」
「まあ、それなりには」
アリスが指を動かすと、奥の扉が開く。中から、良い匂いが流れ出してきた。
「この時間になると、自動で人形達に下ごしらえさせるようにしているの。もうそろそろ、ソフリットが炒め終わるころだから、それを使ってパスタソースとスープを仕上げてもらって良いかしら?」
「あ、えと……主に和風料理しか……」
「和風でもかまわないわ。よろしくね」
「ん、わかった。任せて」
アリスは、腕まくりをしてキッチンへ向かう天子を笑顔で見送った。
そして、客室のベッドメイクを人形に指示し、居間の片づけを始めた。
その後、天子の仕上げた和風パスタとトマトスープで二人は一息つき、また同じように、本読み天人と、縫い物人形使いになって、のんびりした時間を過ごしていた。
「あの味付け、結構癖になるかもしれないわね。また、良ければ作ってもらえたら嬉しいわ」
「そう? ソフリットだっけ、あれベースにすると、味に深みがでて良いわね。今度、西洋料理についても調べてみようかしら」
「私の家の外の庭を見たでしょう。あそこに、色々なスパイスやハーブを栽培しているの。今度、それらについても教えてあげるわ。味と知識、両方ね」
「いいわねー。楽しみだわ! このクッキーも、独特な風味があるけど、ハーブとか入れているの?」
「そうよ。こっちのピンクのが、ローズヒップとハイビスカス。こっちがジンジャーとシナモンね」
笑いながらクッキーを指し示してみせるアリスに、天子が柔らかな笑顔を向ける。
アリスはその視線に気がつき、どうしたのかと首をかしげた。
「なんだか、アリスと話していると、天人になる前に世話になった、侍女を思い出しちゃうわ。その人が、とても物知りで、あなたみたいに色々教えてくれたのよ」
「そうなの」
「うん。だからかな、なんだか、普段より素直に話をしている気がする」
アリスは、その見も知らぬ侍女に、軽く嫉妬を覚えた。
この可愛らしい天人の、さらに幼く無垢であった時代。
その尊敬を、一身に浴びていたのだから。
「でも、その人は私が天界に上がるときに、別れ離れになってしまった。私の家の使いの者達も、皆天界行きを許されていたの。でもその人は、断った。楽土である天界行きを断った人は、彼女以外にはいなかったわ。どうして一緒に行ってくれなかったのかしら……最後まで、その理由は教えてくれなかった」
「そう……」
悲しい顔で俯く天人に、アリスはそっと手を伸ばした。だが、触れることなく手を引く。
「もしかしたら、私、嫌われてたのかもしれないって思っているの。当時から我侭ばかり言っていたからね。その人に結構無茶なこととか頼んだりしてたのよ。だから……」
「そんなことないと思うわ。あなたとは、そこまで長く付き合っていた訳じゃないけど、なんていうか……きちんと知れば、そんなに嫌われる性格だとは思わないもの」
「そう? ふふ、ありがとう。アリスに言われると、そう信じられる気がするわ」
天子は笑うと、ソファに身を伸ばした。
アリスが合図すると、人形が新しいお茶を入れ始める。
「結構疲れたでしょ。新しいことすると、頭への疲労も大きいから」
「まあ、多少ね。でも、このくらいなら、まだまだ平気よ。一人遊びには慣れてるもの。一つ楽しいことにはまると、数日は寝ないでのめり込んじゃったりするし」
「あなた結構、魔法使いの素質あるかもしれないわね。それにしても、剣とか使っていたから、こういったものに興味を持つのは、少し意外だったわ」
「それって、もっと男の子っぽいものが好きそうだってことかしら。まあ、確かにそういう遊びなんかも好きだけど、私も一応女の子だしね。可愛いものにも興味津々よ。なんていうの、両刀遣いってやつ?」
「……趣味が広いのは、いいことだわ」
アリスは立ち上がると、ゆっくりと扉へ歩み寄り、天子へ振り返った。
「天子、私結構疲れてきちゃったから、先に休んでるわね。さっき案内した部屋の中は自由にしていいわ。それじゃあ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
翌朝、日が昇って間もない頃、アリスはベットから起きだした。
昨夜は一睡もできなかった。
意味もなく、自分の部屋の戸が気になって仕方がなかったのだ。
数日寝ないでいても平気な体だが、寝ようとして寝れない今の様な時は、逆に眠気がひどいことになる。
目の血行が悪いのだろうか。だいぶ疲れを感じた。
水でも飲もうと居間へ行き、そこで驚きの声をあげた。
「天子、まだ起きてたの!」
「おはよう、アリス。ちょっと区切りがいい所まで、調べちゃおうと思ってたんだけど……もうそんな時間?」
寝る前とあまり変わった様子のない天人が、そこにいた。
ソファで寝そべりながら、魔法書を読んでいる。
「もう、お日様が昇ってきてるわ」
「そっか。まあ、まだ眠くないし平気よ。それより、アリス。今日はどういった予定なの? 明後日に、人形劇があると聞いたけど」
「今日は……そうね。残りの人形衣装の作成と、新しく必要になった布地を里に買いに行くくらいかしら」
「うん、わかった。結構忙しいってことでいいのよね? なら、私がご飯作るわ。里へは何時くらいに行くの?」
「何件か回る予定だから、お昼前に行って、夕方前には戻る感じかしら」
「じゃあ、お昼用のお弁当も作ってあげる」
天子はそう言うと、勢いよく立ち上がり、勝手口へ向かう。
「ああ、いいのよ。私がやるわ。お客様にそんなことさせるなんて、悪いもの」
「いいってば。お世話になってるのは、こっちだし。それに、まだ数日いさせて欲しいなって思ってるんだけど……駄目かな? ほんと、この魔力伝達理論体系書、面白くてさ」
「え、私はいいけど。……そう。そうね、じゃあ、うん。では、ご飯は任せたわ」
「任せて任せて! とりあえず、そこの寝起きのお姉さんは、まず顔洗ってくるといいわよ」
天子はそう言って笑うと、軽く手を振って台所へ行った。
残されたアリスは、何故か緩む頬に手を当て、天人が去った後の空間を見つめていた。
そして、水差しから水を汲んで飲むと、洗面所へ向かい、鏡を見て自分の顔のひどさに、慌てふためいた。
そんな調子で数日が過ぎ、新月の日の朝。
台所で天子から弁当を受け取ったアリスは、困ったように言った。
「天子、あなたまだ寝てないんでしょう? いい加減、見た目からして寝ないとまずいわよ」
「そうかもね。今日はいい頃合になったら、ベッド使わせてもらうわ」
「そうしなさいな」
「あーあ。せっかくアリスが人形劇やるってのに、寝不足過ぎて動けなくなるとは、私としたことが見通しが甘かったわ」
「人形劇は毎月やってるから、次回見に来るといいわ。それよりも、ちゃんと寝るのよ?」
「わかったって。気をつけて行ってらっしゃい」
「ええ」
扉へ手をかけたアリスが、何かを思い出したように立ち止まった。
「言い忘れてたけど、今日私の家に、配達の方が来るかもしれないわ。いつも頼んでいる人で、私がいなくても、人形達だけで対応できるから、特に気にしないで休んでて」
「ん、わかった」
天子はアリスを見送ると、居間へ戻る。
三日寝ないで、本ばかり読んでいた体は、天人と言えども疲労の色は隠せなかった。
それでも、ちらりと本が目に入ると、無意識的にそれを手にとって読み始めてしまう。
わからないところは、メモしておいて他の文献で調べる。
それでも分からないところは、アリスにまとめて聞くことにする。
大きくひとつあくびをすると、上海人形を呼んだ。
「お茶、いれてくれるかしら?」
居間に入ってきた3体の人形に、そう頼んでまた本に目を落とす。
この人形たちは、アリスが天子の命令もある程度聞くように、調整してくれていた。
人形たちが、小さな体でお茶の用意を始める。
天子がなんとなく、ソーサーを並べている人形が後ろを向いているうちに、所定位置に置かれた砂糖瓶の位置をずらした。
ソーサーを綺麗に配置した人形が振り返ると、砂糖瓶の位置を見て、慌てたように位置修正する。
その隙に、後ろのソーサーをひっくり返した。
振り返った人形は、ひっくり返ったソーサーを見て、焦ったように元に戻す。
その反応に面白くなった天子は、さらにお茶を入れる人形にちょっかいを出した。
そして、とうとう我慢できずに人形を抱き上げる。
「あー、もう! ほんと、あんた達ってば可愛いわね!」
抱き上げられた人形は、もうこの天子の行動にも慣れたのか、暴れはせず、されるがままに顔を見上げている。
そこで、ふと視線を感じ振りかえる。
残り二体の人形が、困ったように紅茶の入ったカップとミルクを持って浮かんでいる。
天子が気まずそうに抱き上げた人形を開放すると、人形が手に持ったままだったソーサーをきちんと配置し、行き場を失っていたカップがカチャリと置かれた。
そして、三人の人形がいつものように並ぶと、お辞儀をするのかなと思ったが、腰に手を当て、一本指を立てるようにして「メ!」と一言。
そして、ふわふわと部屋を出て行く。
「……人形に叱られてしまったわ」
天子は頬をかいて、人形たちが出て行くのを見送った。そして、息をつくとお茶を一口飲んだ。
ぼんやりと窓外に視線を向ける。
あんなふうに怒られたのって、いつ振りかしら。
異変時に、管理者様から豪快に物理説教されたのは、別として。
やっぱり、思い返されるのは人であった時代だ。
天人になってからというもの、説教される、叱りを受ける、なんてのは殆どない。というか、皆無である。
人であった頃も、大分甘やかされていたから、あまり叱られた記憶も無い。
思い出として浮かぶのが、世話になった侍女のことだった。
姉のように優しく、厳しい人だった。
思えば、このアリスの家にお邪魔になっているのも、あの侍女に彼女を重ね合わせているからではなかっただろうか。
あの、一緒にいて心地のよかった彼女と。
そんな事を考えていると、コンコンと音がした。
ノッカーの音だ。アリスが言っていた、配達人だろう。
確か人形たちだけで、対応できるとも言っていた。
ならば、この体に鞭打って出迎える必要もあるまい。
そう考えたが、この魔法の森を毎度のように荷運びしているという人物である。
この森はそれなりに危険で、多少腕に自信のある者でなければ、そんなことは出来ないだろう。
どんな人なのか、少し気になってきた。
天子はソファから身を起こすと、玄関へ向かい歩き出した。
「アリス、いるかい? いつもの竹炭、届けに来たんだけど」
外から声がかかる。若い女の声だ。
廊下で天子は、自分と同じ方向に飛ぶ人形達と合流した。
荷物を受け取る命令を受けていた子達だろう。首にお財布を下げている。
「はーい。今出るよー」
天子はそう答えて、扉を開けた。
「あれ、アリスじゃないな。あんた誰だい?」
相手は天子を見て、そう声を掛けてきた。
声のとおりの若い女の子だった。大きな木箱を背負っている。
紅いもんぺと白いシャツ。
純白の長い髪。そして、紅の目。
そこで天子は、固まった。
相手の少女を見つめて、絞り出すように、一言呟く。
「紅子、さん?」
少女は、怪訝な顔をして背負っていた荷物をおろした。
「紅子だって? 私は妹紅って言うんだ。紅子なんて……ん、紅子?」
その相手、妹紅はそう繰り返し、天子の顔を注視した。
そして、はっと思いついたように表情を変え、言った。
「お前さん、もしかして……地子、なのか?」
「うそ……こんなことって。あの、さっき丁度あなたのことを思い出してて、そうしたら、こうして」
「そうか、本当に地子なんだね。……いや、驚いた。そうか、うん。確かに、あの頃の面影があるわ」
そう言うと、妹紅は表情を緩め、優しげに微笑んだ。
その顔を見た天子は、顔をくしゃりと歪めて勢いよく、妹紅の体に抱きついた。
妹紅は、一瞬戸惑ったように体を強張らせたが、体の力を抜くと天子の背に手を回して、優しく撫でてやった。
「ああ、紅子さん。また、あなたにお会いできるなんて……!」
感極まったように興奮する天子に、妹紅は落ち着いた声で言う。
「……そういえば、地子は天人になると言っていたっけ」
「そうです。私、天人になったんですよ! 今は地子ではなくて、天子と名乗っているんです」
「そうなのね」
「紅子さんも、この幻想郷に流れ着いていたんですね」
「ああ。大分前にね。あと、実は私の名前も紅子ではなくて、妹紅と言うんだ。あの時は、色々と事情があって、偽名を使っていて……」
「そうでしたか」
「とりあえず、この荷物を置いてしまいたいんだけど、いいかな?」
妹紅が傍に置かれた木箱を指差すと、天子は名残惜しそうに、妹紅から離れた。
「上海、お邪魔するよ」
妹紅はそう言って、近くを飛んでいた人形の頭を軽く撫でてやった。
そして、首に吊られた財布から、竹炭の代金を受け取る。
「荷物は、いつもの所でいいんだよね?」
人形がコクコクと頷く。
妹紅はそれを確認すると、荷物を背負い直し、勝手口へ向かって歩き出した。
後ろから、天子が声をかける。
「あ、妹紅さん。お茶入れますので、荷物置いたら、居間にいらして下さい」
「うん。わかったよ」
妹紅は、竹炭が入った木箱を勝手口に置くと、息をついた。
平静を装っていたが、内心、ひどく驚いていた。
自分の過去を知る者と出会うというのは、なんとも落ち着かない。
蓬莱人になり、3、40年経った頃くらいか。少し世話になった家が幾つかあった。
その一つが比奈家。地子の住む家だったのだ。
成長しないこの体である。怪しまれないように、世話になると言っても、1、2年だ。
大抵は、適当にでっち上げた偽名を使い、下働きや用心棒として居候した。
当時は、まだ妖怪退治などを多くこなしていない頃で、戦闘技術も未熟であったため、たぶん下女や侍女をしていた筈だ。
会った時の彼女は、呂律も定まらぬ幼子であった。
だいぶ、私のことを気に入ってくれていたのが、印象的だったことを思い出す。
随分と、美しく成長したもんだ。
こう思い返してみると、別段、悪い気もしない。
慕ってくれていた幼子との再開だ。気後れすることなど、何もない。
妹紅はそう心を落ち着かせると、居間へ向かった。
居間に入ると、天子が妹紅に歩み寄り、腕を取るようにしてソファに案内した。
二人で、並びあうように座る。
「久しいね。元気にしていたかい?」
「はい。これでも一応天人ですので、体の頑強さに関しては胸を張れます」
「そうか。それはいいんだけど、こう、もっと砕けた感じに接してくれてかまわないわよ?」
「ええと、なんだか紅……妹紅さんには、こうやって話すほうが落ち着くんです。すみません」
「ああ、無理にとは言わないけど」
「それよりも、妹紅さんは本当に、お変わりありませんね」
やはり、この話題からは逃れられないか。
「ただの人であった私が、どうして、あの時のままの姿でいるのか……疑問に思っているのだろう?」
天子が、こくりと頷いた。妹紅はため息をついて、それに答えた。
「私は、蓬莱人なのさ。天人なら、知っているだろう。蓬莱人が、いかに醜悪な存在であるかを」
天子はそれを聞いて、驚いたように目を見開いた。
妹紅は悲しそうに微笑む。
「蓬莱人は、穢れの塊だ。世が課す輪廻からもはずれた、法規外の存在。穢れを嫌う天人のお前さんなら、こうして私と同じ空気を吸うだけで嫌悪してしまってもおかしくない」
だが天子はそれを聞くと、妹紅の腕を、さらに強く抱きしめた。
「いいえ。私はそんなこと思いません。確かに、他の天人は穢れを嫌います。でも、私はこの穢れ多き大地が、下界が大好きなんです。もし、穢れを恐れているのなら、こうして下界に来たりなどしません!」
そうして、真剣なまなざしで妹紅を見ていたが、ふっと表情をやわらかくした。
「ねえ、妹紅さん。私、今楽しくてしょうがないんです。この、幻想の郷。ここで送る毎日が」
「……それは、私も同じだよ。ここに来る前は、楽しいことより辛いことのほうが多かった」
その妹紅の言葉に、天子は視線を逸らし、どこか遠くを見るように呟く。
「ということは、私といた時間も辛いものだったんでしょうか……」
「いや! そんなことはない。あなたといた時間は、とても心安らぐものだったよ」
「本当ですか?」
不安げに言う天子の顔が、幼き日の彼女のそれと重なった。
妹紅は天子の肩を寄せ、昔そうしたように、優しく頭を撫でてやる。
「ああ、もちろんさ」
そうして暫く、天子の頭を撫でていると、天人は、心地よさそうに目を細めた。
なんだか、そのまま寝てしまいそうなくらいである。
「天界での生活はどうだったんだい?」
「そうですね……天界での生活なんて、妹紅さんと過ごしていた、あの頃の一年にも満たない感じでした」
妹紅は、それは流石に言いすぎだろう、そう言おうと声を出しかけたが、飲み込んだ。
自分も、一人で平坦な日常を送っていた頃は、十数年などあっという間に過ぎ去ったものだ。
思い出そうとしても、特にこれといった記憶も無い、そんな年月はいくらでもある。
平和な楽土であると聞く天界ならば、そんな時間が流れても、なんら不思議ではない。
「私が天界に行っても、他の天人のようにならなかったのは、きっと下界にいたときに、妹紅さんと過ごした時間があったからなんだと思います」
天子は紅茶を一口飲んで、妹紅の瞳をまっすぐ見つめて言った。
「こうやって会って、確信しました。妹紅さんは、とても濃い生命のにおいがするんです。私、下界の自然だとか、土だとか、そういった匂いが大好きなんですよ。天界では忌避される、穢れ。それはつまるところ、生命の匂いなんです」
そう言って、妹紅の胸に、頭を預ける。
「私は、ずっとあなたのことを尊敬していたんだと思います。私の知らないたくさんのことを教えてくれたあなたを」
「よしてくれよ。私は、そんな大層な者じゃない。ただの咎負い人さ……」
「いいえ。あなたのおかげで、今こうして、この幻想の郷で、楽しい毎日を送ることができているんです。感謝してもしきれない。でも……」
そこで天子の声に、震えが交じる。
「でも一つ、とても不安に思っていたことがあったんです。天界に上る時、あなたは何も言わずに去ってしまった。私、嫌われたんじゃないかと、それだけがずっと……」
「地……いや、天子」
「妹紅さん、私のことは、二人のときは地子と呼んでかまいません。むしろ、そう呼んでくれるほうが、嬉しいです」
妹紅も一口紅茶を飲むと、そっと天子の頭に手を添えた。
「そうか、では地子。私も一つ、お前さんに言いたかったことがあるんだ」
「言いたかったこと?」
「……ああ。天界行きを断った理由だよ。それは勿論、私が蓬莱人だったから。あの時にそれを伝えられなかったのは、無垢なあなたに、それを伝えるのが怖かったからなの……あなたに嫌われてしまうのではないかと、怖かった。でも、それが逆にあなたに辛い思いをさせてしまうことになるなんて……本当にすまなかったわ」
懺悔するように言う妹紅に、天子が首を振って答える。
「いいんです。また、こうして会えたんですから。そうでしょう?」
「……ああ、そうだね」
天子は妹紅の体に手を回し、抱き寄せるようにして笑った。
その表情は、まさに夢心地といった感じである。とろんとした目で妹紅を見上げる。
「ねえ、妹紅さん。また、昔みたいに、寝る前にそうしてくれたように、詠ってくださいな。私、天界の酒歌踊りの生活には飽き飽きしてたんですけど、中でも歌だけは、それなりに楽しんでもいたんですよ。そうさせてくれたのが、あなたの歌なんです」
「懐かしいな、うん。いいとも。久々だから、お手柔らかにね」
そう言って、妹紅は一つ歌を紡いだ。
遠き日に あわくみゆるは 青髪の わが心なか 千々と乱れん
こほんと息をつき、どうかな、と苦笑してみせる。天子は笑顔で、それに答えた。
あいまみえ 二人を分かつ 年月は その時がための 縁とならん
「……ちょっと、堅苦しかったでしょうか?」
「いや、良いんじゃないかな」
「妹紅さん。またこうして、こんな時間をあなたと過ごすことができるなんて、私、幸せです……」
「私もさ。とても嬉しいよ」
妹紅の言葉は、天子へ届いてはいないようだった。
見ると、天人は胸で静かな寝息を立てている。
妹紅はしばらく、そうして天子の頭を撫でてやっていたが、周りを漂っている人形たちに気がつくと、そっと天子を抱き上げた。
「お前たち、この子を寝かせてやれる所に案内してくれないか」
そう言うと、人形たちは天子のために用意された部屋へ飛んでいった。
腕に抱いた天人を見る。
あの頃は、不老不死の体になったというのに、人恋しくて往生際悪く、人々の間を転々としていた。
そうすることにも苦しむようになり、俗世を離れ隠棲することになるのだが。
この子と生活したあの時は、まだそうなる少し前。本当にかけがえの無い時だったのだ。
ベッドのある部屋に入ると、そっと天子を横たえる。
離れようとすると、袖が握られていることに気がついた。
引き剥がそうという気になれず、枕元に腰を下ろす。
そして、そっと頭を撫でてやった。
あの頃は、こうしてよく頭を撫でて寝かせつけたものだ。
この子はとても怖がりで、森で迷子になる事件があって以来、それはさらに顕著なものになった。
昼であろうと、一人で用も足せないほどである。
こうやって、夜は誰かが一緒にいないと、絶対に寝付かなかった。
臆病だった地子が、今や天人とは。
そういえば聞いた話だと、とある天人が神社を倒壊させ、人々の気質で大遊びを繰り広げたらしい。
あの巫女の神社を倒壊させるほどの、豪胆ぶりである。
もう、当時の臆病さなど微塵も無い。
「なんとも、感慨深いね」
妹紅が窓から外を眺めると、日が赤く染めた空を鴉が飛んでいる。
あの頃と変わらぬ空が、そこにあった。
「ただいま」
人形に玄関を開けさせ家に入り、少し声を落として、帰りを告げる。
家の奥からは、天子の返事は帰ってこない。気づいていないのか、はたまた寝ているのか。
人里での人形劇は、無事に終わった。
新しい衣装を新調した人形たちは、人里の皆にも気に入ってもらえたようで、満足だった。
だが、その後が問題だった。劇のあと、烏天狗にしつこく絡まれたのだ。
内容はというと、最近私の家に泊まっている天子についてだった。
同棲がどうだの、監禁がどうだの、まったくもって失礼極まりない。
そうだ、天子はきちんと寝ているのだろうか。
扉を開けてくれた人形に、視線を向ける。
「天子、ちゃんと寝てる?」
人形に尋ねると、コクコクと頷いて答える。
さすがに三日間一睡もしないで、ずっと魔法書や技術書を読んでいたのだ。疲れて寝ていて当たり前だろう。
家の中のいくつかの人形と視覚共有してみると、台所と居間の映像が映った。
どうやら、居間にはいないようだ。きちんと、自分の部屋で寝ているのだろう。
靴を脱いで、室内履きに変えるところで、靴がひとつ多いことに気がつく。
家に来る予定だったのは、竹炭を届けてくれる妹紅くらいである。
ということは、彼女の物だろうか。
普段、私がいるときは、荷物を届けた後に少しお茶をしたりするのが恒例だ。
だが今回は、私は家にいなかったし、天子も寝ているはずである。
それに何より、先ほど見た映像では、居間にはいないようであった。
「トイレでも借りているのかしら?」
人形劇で使った荷物を人形部屋に置くと、人形達に妹紅がいるのかと尋ねた。すると、首肯が返ってくる。
やはり、妹紅は家にいるらしい。
居間に行き、ソファに座りしばし待つが、妹紅が姿を現す気配がない。
なんとなく落ち着かない気持ちになり、天子に充てがった部屋に行く。
「天子、入るわよ」
静かにノックし、中に入る。
見ると、ベッドで横になる天子、そして寄り添うように座っている妹紅の姿があった。
どういうことだろう。何故、妹紅さんと天子が一緒に?
私の姿を見た妹紅さんは、そっと口に人差し指を当てた。
私は声のトーンを落として言った。
「妹紅さん。どうしてこちらに?」
「いやね。天子にお茶をいれてもらってたんだけど、話してる途中で寝てしまってさ。人形さんに聞いて、こっちへ運んだんだ」
「そうでしたか……」
妹紅は優しく、天子の頭に手を添えている。
よく見ると、天子の手が妹紅の袖口を握りこんでいた。
私がじっとそれを見つめていると、視線に気づいた妹紅が、慌てたように立ち上がった。
だが、天子は妹紅の袖を離そうとしない。
妹紅が天子の手を外そうとすると、天人の目がぱちりと開いた。
「紅子! 行っちゃやだよ!」
そう言って、妹紅へ飛びつくと、怒ったように声を上げた。
「紅子、いつも寝てる時は離れないでって、言ってるでしょ!」
「天子、お前、寝ぼけて――」
「そんなのいいから、厠に連れてって頂戴」
「お、おい天子!」
「何よ。いつもみたいに……――」
天子が周りに視線を移し、そしてそれを巡らせて、私と目が合う。
途端に、飛び退くように、妹紅から身を離した。
私は、二人のやりとりに絶句した。
これは、一体何なんだ?
ずいぶんと親しそうではないか。いや、そんなレベルには見えない。
まるで、長年共に過ごしたかのような、馴れ馴れしさだ。
あんな風に、天子が話すのは、はじめて見た。
いつもの知的な彼女からは想像もつかない、何か幼い少女のような話し方。
それに、この竹林の蓬莱人を紅子と呼んでいた。聞いたこともない愛称だ。
二人の間だけで分かる、何かの隠語だろうか。
何か、蚊帳の外のような疎外感を感じる。
私は唇を噛んで、二人を見据えた。
問題はその後だ。
天子は、厠と言ったか。一緒に厠へ行こうと。
厠とは、トイレのことである。
一緒にそんなところへ行ってどうするというのだ。
しかもである、いつもみたいに、と言った。
いつも。
普段。
日常。
わからない。そんなところで、二人で日常的に行うこと。
わからない。
私は、健全な二人の女性が、そんな場所で行う何かの知識など、持ち合わせていない。
きっと、あまり公にはできない、趣味的な何かなのだろう。
というより、そんなの知りたくない。推察したくもない。
何故か、私は自分の気が立っているのを感じていた。
一体何に、怒りを感じているのだろう。
この二人が、どんな趣味を持ち合わせていようと、関係の無いことだ。
迷惑を掛けなければ、当人たちの自由であろう。
そこで、私は自分の怒りの理由に思い至った。
そうか。
どんな趣味を持とうと勝手だが、その趣味を私の家で行うことに、怒りを感じていたのだ。
見ると、天子は焦ったように、顔を赤くしている。
隣にいる妹紅も同様だ。
思ったとおりだ。
やはり、公にするのは憚られる趣味なのだろう。
それを家の主がいないところで、こそこそと行っていたのである。
それは怒りを覚えて、不思議ではない。
「……趣味が広いのは、いいことよね。でも、人の家でそういうことするのって、どうかと思うわ」
とりあえず、不快であるとやんわり伝える。
これ以上、私の家をこのおかしな趣味に利用されても困る。
天子は聡明だ。
きちんと伝えれば、理解してくれる。
今後は行わないでくれるだろう。
顔を赤くしていた天子と妹紅が、揃えて口を開いたとき、部屋の中を激しい閃光が包んだ。
見ると、窓が開いて風に揺れている。
きっと、あの烏天狗だ。
帰ってくるときに、不自然な動きをしているカラスがいたから、もしかしたら張ってるのではないかとは、思っていた。
妹紅は舌打ちすると、窓から外へ飛び出していった。
勝手に家の内を撮影されたのには腹が立つが、何故か文句を言う気力がなかった。
私は、ため息をついて天子に視線を向ける。
天子は何かを言いかけて、それを飲み込むといった事を繰り返していたが、やっと声を出した。
「ねえ、アリス。妹紅さんとは、すごく前からの知り合いでね?」
そんなことは、説明されなくても分かっている。
あのような、普通ではない趣味を共有する間柄だ。
それなりに、付き合いはあるのだろう。
「そうでしょうね。ああ言ったプレイを楽しむ仲ですものね。うん。いいんじゃないかしら? そういうのって、別にその人たちの勝手ですし、私がとやかく言う事ではないものね」
何故か、棘のある言い方をしてしまった。
私の悪い癖だ。
でも、それは天子が言い訳をしようとしたからだ。
素直に謝ってくれれば、特にこれ以上、責めるつもりは無いのに。
けど、天子の次の言葉に、私の怒りは跳ね上がった。
「ちょっと、アリス誤解してる! お願い、説明させて。話せば分かるから!」
説明だと?
その、それはつまり、公には憚られる趣味を、私にも理解させようと言うことか。
自らのしたことに謝罪しさえすればいいのに、よりにもよって、こちらをそちら側へ引きずり込もうというのか。
言い訳ですら、生ぬるい。
なんて、見苦しい。
なんて……汚らわしい!
「ごめんなさい。私、そういうのは話を聞いても、好きになれそうにないわ」
「ねえ、アリス、あれは寝ぼけてて!」
「ああ、そういうこと。寝ぼけている時に、自然に口にしてしまうほど、慣れた行動だと!」
寝ぼけていただと?
なお悪いではないか。
もしかしたら、私が寝ている間に、その、なんだか分からない趣味の相手をさせられていたかもしれないのだ。
なんとなく、そんな可能性もあるのではと思っていたが、間違っていなかった。
何かの間違いだと、思っていたかった。
なんということだ。
私は、こんな危険な人物を家に泊めていたのか。同じ屋根の下で生活していたのか。
……いい子だと思ってたのに。
いい友達になれると、思っていたのに。
私は、目頭が熱くなるのを感じた。
「……不潔よ!」
「アリスお願い、話を聞いて!」
涙目で訴えてくる天子。でも、泣きたいのはこっちだ。
伸ばされた天子の手を払うと、『最終決戦防衛術式"死地と定めし防衛戦"』を発動させた。
この家中の人形に、私以外の生き物を全力で排除させる命令術式だ。
「お願い、出てって……」
「アリふ!」
天子の声は、のしかかる無数の人形たちによって阻まれた。
そして、その人形たちによって、天人が部屋の外へ運ばれていく。
私はそれを見送ると、目の前のベッドに突っ伏した。
桃の匂いがする。
数日、一緒に暮らしていた彼女のにおい。
涙が溢れた。
でも、本当にあの子といる時間は、楽しかったのだ。
言い訳なんてしないで、素直に謝ってくれれば、よかったのだ。
かっとして追い出してしまったけど、もしまた謝りに来るようなら、少しなら聞いてあげてもいいかもしれない。
人形たちの響き渡らせる、つんざくような戦闘音を聞きながら、私はそう思った。
天子は放心したように、空を見上げていた。もう間もなく、日も沈むだろう。
衣服はぼろぼろである。人形達の総攻撃で、アリスの家から大分遠くまで、追いやられてしまった。
反撃する気はおきなくて、されるがままにしていたので、当たり前と言えば当たり前だった。
「ははは。嫌われちゃった、か」
天子は一本の木の根元に腰を下ろすと、膝の間に頭を抱え込むように俯いた。
「あそこまで、拒絶されちゃったら、さすがの私でもどうしようもないわね……」
「地子」
天子が顔を上げると、息を切らせた妹紅が歩み寄ってきた。
「天狗には逃げられてしまったよ。アリスの方はどうなった?」
「嫌われちゃいました」
痛々しく笑う天人に、妹紅は沈痛な面持ちで、人形師の家の方向に視線を向けた。
妹紅は、天狗を取り逃がした後にアリスの家へ戻ったが、天子同様、人形達に追い返されてしまった。
荷物も届けて代金も受け取っていたので、無理強いして押し入る訳にもいかず、仕方なく次の配達先へ向かう途中で、天子を見つけたのであった。
「彼女は、誤解しているだけだと思うんだ。説明すれば、きっと分かってくれるわ」
「しようとしたんですけどね。それすら拒絶されてしまいました」
天子はそう言うと、口をつぐんだ。妹紅もそれ以上何も言えずに、押し黙る。
「ねえ、妹紅さん。魔理沙の家って分かりますか?」
「魔理沙の家か、分かるよ。行きたいのかい?」
「はい。実はアリスの家に行く前に、本当は魔理沙の家へ向かっていたんです。借りていたものを返そうと思っていて」
「そうか。分かった案内しよう。私はまだ荷運びが残ってるから、申し訳ないが、案内したら仕事に戻るよ」
「すみません。お手数おかけしてしまって」
「いや、こっちこそ、喧嘩の原因になってしまったようだし、本当に申し訳ない……」
その後、魔理沙の家の前まで案内してもらい妹紅と別れた天子は、扉の前でドアノブを見つめていた。
ただ、扇子を返すだけである。
何を戸惑っているというのだろう。
人と会うのが怖くなっている。何故?
またアリスのように、拒絶されてしまうかもしれないから?
こちらと比べることすら馬鹿らしいほど希薄だった、天界の人間関係。
そんな中で、長年生きてきたのだ。
いまさら、何を臆することがあるというのか。
しかし、知ってしまった。
また、思い出してしまった。
あの優しく、温かい時間を。
でも、失われてしまった。得たものを無くす喪失感。
久しく感じていなかった、痛烈な感情。
心が、痛い。
ダメだ。いくら奮い立たそうとしても、気分が乗ってきてくれない。
扉から視線をそらすと、配達受けが目に入る。
扇子はここに置いて、去るとしよう。
今は、人と会いたい気分じゃない。
「おいおい、そのまま帰るつもりか?」
上から声がかかる。家の屋根に座った魔理沙が、天子を見下ろしている。
「そんな所で、何してるのよ?」
「自分の家で何していようと勝手だろ。と言いたい所だが、いやなに、大したことじゃない。何処かの誰かが、近くでドンパチしてるようだから、見学していたんだ。一方的な展開だったけどな」
「見てたのね」
屋根から移動して、隣に立った魔理沙に、天子は自嘲気味に笑った。
「なら分かるでしょう。色々疲れてるの」
「分かるのは、目の前の気落ちする少女に手を差し伸べないと女がすたるってことくらいだな。……あー、あとな」
魔理沙は言おうか迷っている風であったが、困ったように笑った。
「天狗のやつに言われたんだ。どこぞの人形使いと天人が、仲違いになってしまったようだから、面倒見てやってくれないかとね。これは内緒にしておいてくれって言われてたんだが……だから、黙っておいてくれよ?」
そう言って、白黒魔女は口に指を当て、ウィンクして見せた。
「そんな訳で、お前らの間に首を突っ込ませてもらおうと思ったわけだ。さ、何事も早いほうがいい。さっさと、あいつの家に行くぞ」
「ちょっと待ってよ、そんな勝手に話を進めないで!」
楽しそうに笑う魔理沙に、天子は怒声を上げた。
魔理沙は気にした様子もなく、帽子の位置を直している。
「仲直りしたいんだろ?」
「……」
「我侭天人様が、何を躊躇う?」
「……」
「お前は、私と結構近い考え方してると思ってたんだけどな。楽しいことには一直線、その間に障害があるなら、それを全力でぶっ壊してでも突き進む。進んで進んで、進み続ける」
「……途中で、疲れてしまうことだってあるわ」
「そうだな」
魔理沙は何処か遠くを見るようにして黙していたが、天子へ視線を戻して微笑んだ。
「そんな時、誰かが肩貸してやったっていいじゃないか。 そう思わないか?」
そう言って後ろを向き、箒に跨って、柄を叩いてみせる。
「遠慮はいらないぜ」
天子は、暫く白黒魔女の背中を見つめていたが、ゆっくりと歩み寄り、箒の後ろに腰掛けた。
そして、その小さな背中に身を寄せて、ありがとう、と小さく呟いた。
「気にするな。まあ、貸しさ。いつか、返してくれればいい」
そう言うと、魔理沙は箒を浮き上がらせ、急加速した。
「いくぜ!」
こんな、小さな背中なのに、なんて頼もしいのだろう。
天子は込みあがりそうになる感情を押さえ込んで、魔理沙を掴む腕に力を込めた。
箒の後ろに乗せてもらえて、助かった。
こんな、情けない顔を見せないで済んだのだから。
魔理沙と天子を乗せた箒がアリスの家に近づいてくと、木々の陰から、人形達が様々な武器を持って、奇襲してくる。
魔理沙は、巧みに軌道を操作し、縫うように突き進んでいく。
途中、魔弾でいくつか人形を打ち落とす。
目の前の白黒魔女は、普段からこんなにも強引な旋回飛行をしているのかと、天子は息をのんだ。
そして、何よりその顔から笑みが絶えない。
今この瞬間も、楽しんでいるのだ。
進むにつれ、人形の数と攻撃力が増してくる。
通り過ごした人形達も、後方から追ってきているから、尚更だ。
「天子、頭を低くしろ。飛ばすぜ」
言われたとおりに、魔理沙の背中から、わき腹へ頭を移動させて姿勢を低くする。
次の瞬間、今まで十分早いと思っていた速度が、更に跳ね上がる。
一瞬、後方で爆発が起きて、吹き飛ばされたのではと勘違いしたほどである。
呼吸がまともに出来ないような速度だ。
あらかじめ、霊力で身体防御を高めていなかったら、気圧の変化で気絶してもおかしくない。
そんな速度で、木々の間を縫うようにして飛ぶ。
反射神経には自信のある天子だが、背景が追いきれない。
目の前の魔法使いは、何かの魔法で動体視力強化しているのだろうか。
視界が開けた。
徐々に速度が緩まり、見るとアリスの家が目の前にあった。
周りに、人形の姿は無い。
後方にほとんどが集まっていたのだろう。
魔理沙が、八卦炉を構える。
そして、何の前触れもなく、目の前の人形師の家へ極大の魔砲を放った。
爆音が轟き、空気が揺れる。
閃光が迸り、視界を埋め尽くす。
音と光が引いた後、空を舞う木片や砂土の隙間に、人影を見る。
アリスだ。
十数体の人形を従え、扉の前に立っている。
「一体、何なの!? 防壁を張ってなかったら、家が吹き飛んでるわよ!」
「いやなに、ちょっとノッカーまで行くのが億劫でな。しかも、苦労してノッカーを叩いても、出てきてくれる可能性が低いときてる。そんなわけで、ちょっと大きめな音で呼び出してみた」
「私は今、気が立ってるの。それ以上ちょっかいを出すなら、容赦――」
そこで、アリスは魔理沙の後ろにいる天子に気がつき、黙りこんだ。
「さぁ、行って来な」
天子は魔理沙に促され、箒を降りてアリスに向かい合う。
「アリス、お願い。話を聞いてほしいのよ」
「私に、その気はないわ」
アリスの取り付く島も無い様子に、魔理沙は肩をあげて見せる。
「よくもまあ、アイツをここまで怒らせれたもんだ。まあ、大体の話は天狗から聞いたが」
魔理沙は、二人へ視線を向けた後、懐に手を入れた。
「どんな理由だろうが、自分の意見を押し通したいなら、こいつで決めるのがここでの流儀だろ」
そういって、スペルカードを取り出した。
天子とアリスはそれを見て、意を決したようにお互いカードを取り出す。
「いいでしょう、天子。私が負けたら、あなたのそれを、理解できるか分からないけど、受け入れられるよう努力してみるわ。でも、私が勝ったら、もう話は聞かない。すっぱり諦めることね」
「わかったわ」
アリスが空に舞い上がり、空中に魔法書を放り投げる。
蛇腹のように魔法書の紙片が広がると、燃え上がる。
燃えた後には、白く輝く線が空中に残される。魔法陣だ。
間もなく中から、大量の人形達が飛び出してくる。
人形達は綺麗な網目のように、一糸乱れぬ動きで空を埋め尽くしていく。
アリスが腕を上げると、人形達がそれぞれの獲物を構える。
「行くわよ」
対する天子は、棒立ち姿勢のままだ。
アリスが腕を振り下ろすと、後方に配置された人形達から、矢が飛来する。一本一本は筆ほどの長さしかないが、着弾すると森の木々の幹をえぐり、石を砕く。
魔法で強化された、高質量の矢だ。
天子は最小限の動きで交わし、まるで平時であるかのように、アリスへ向け歩を進める。
アリスも牽制の弓が当たるとは思っていなかった。少しでも浮き足立ってくれれば十分だったが、冷静な彼女には、その効果も見込めそうにない。
天子の表情を伺うと、鋭くこちらを見据えている。
前に、彼女が起こした異変時の表情とは、別人のように見えた。
以前刃を交えた際は、もっと余裕のある、楽しむような顔だった。
しかし、今は。
天子が、歩みから走りへと移行する。
アリスは、天子の内で高まる霊気を感じ、第二陣を放った。
体の数倍はある大槍を携えた、人形達による突進。
網を投げたかのように、編隊を組み六列にわたる波状突撃が、天子へ収束していく。
人形達と天子がぶつかる。
何かしらの防御弾幕を張るものと思っていたが、天子は何も展開せずに、人形槍兵へと接触する。
そして、先頭の一団の刺突を、小さく身をひねり避けると、素手で槍を側面から握りこみ、振り回した。
人形が遠心力に耐えられずに、槍から手を離して飛ばされていく。
天子はその槍の柄を握りなおすと、次に迫りくる人形槍兵を迎え撃った。
一閃、天子が槍を薙ぐ度に、打ち据えられた人形達の持つ槍が、ひしゃげて空を舞う。
同じ強度の槍を持つ天子の槍が壊れていないのは、霊力で強度強化しているのだろう。
アリスは槍兵を下がらせると、両側に翼のように展開していた人形の一団へ、魔力を送る。
「天子。悪いけど、ちょっと軽く、本気で行かせて貰うわ」
複雑に組上げられた人形達の内部魔法術式に、魔力が満たされていく。
十体の人形が魔力を放出し、アリスの前面に弧を描いた薄い魔法障壁を展開する。
天子は防御の結界かと思ったが、それが薄すぎると判断すると、何か危険信号を感じて腕に霊力を集中した。
更に後ろに配置された人形達が、その薄い結界に向け、大きな丸い光弾を放つ。
薄い結界に接触した瞬間、強烈な光弾が、天子の頬を掠めて通り過ぎていった。
後方で、直撃を受けた木が、爆散する。
うっすらと、天子の頬に血が滲む。
威力重視の魔力大弾を、レンズ状にした結界を経由させ、高速で射出。
魔法のコンビネーション。本来なら、こんな威力の光線を放つのは容易ではないが、分担させることで、可能にさせている。
人形達が、次々と魔力の大玉をレンズ結界へ叩き込んでいく。
高速、高威力の魔法弾が地面を抉る。
落ちていた槍が、魔法弾の直撃を受け、熱で融解する。
「おい、天子! お前、人形への攻撃を避けているだろう! そんなんじゃ、あいつを倒すことはできないぞ!」
戦いを見ていた魔理沙から、天子へ対して怒声が飛ぶ。
「だって、人形が」
「人形は平気だ! あの人形使いが、どれだけ人形を大切にしているか知ってるだろ。それを壊すかもしれないような戦闘に、出していると思うか? 壊さない自信があるのさ。あいつの膨大な魔力容量の大部分は、人形への防壁に割いているといっても過言じゃない」
「で、でも」
「あいつへの想いは、そんなものだったのか? もう一度、思い出してみろ。お前は、どうしたいんだ?」
そこで、天子ははっと肩を震わせた。
「お前の、その気持ちを全力で叩きつけたって、あいつなら軽く受け止めてくれるさ」
魔理沙が楽しそうに笑う。
「大丈夫だ。それに、あいつは頭がいいくせに、凄い鈍感なんだよ。きちんと伝えないと、まったく伝わらない。嫌になるくらいな。だから、分からせてやれ」
天子は頷くと、アリスへ視線を向けた。
もう既に日は落ちて暗く、距離もそれなりにあるため、その表情は伺えない。
高速高威力の魔力弾が、再び飛来する。
何とかそれをギリギリで避けるが、常軌を逸した威力と速度である。いつまでもは持たない。
高い霊力による防御の高さには自信があるが、この威力では一撃貰ったら、おしまいだろう。
天子は懐から、小さな白紙片を取り出す、それを空にばらまいた。
白紙片は、空中で数珠つなぎのように連なり、円上の紙垂となる。
そして、腕に溜めていた霊力を注ぎ込む。
紙垂の輪の中心から、巨大な岩石が飛び出し、アリスへ向かって突き進む。巨大な要石だ。
魔力弾が岩石へ放たれるが、神岩の概念を纏ったこの要石は、そう簡単に破壊できない。
天子は要石の後ろについて、一直線にアリスへ向かって接近する。
だが、巨大な要石が次の瞬間に砕け散った。
砕け散った隙間からアリスを伺うと、先程のレンズを複数展開し、さらには、もっと巨大なレンズ結界を展開していた。
魔力弾が、雨あられのように降り注ぐ。
そして、巨大レンズ結界に大きな魔力弾が九つ同時に、叩き込まれた。
「集魔符『ノナゴンレイ』!!」
超高出力高速魔力弾が、地面に突き刺さる。
次の瞬間、地面が爆熱し、土砂が上空高く巻き上がった。土砂は、拡散しそれを受けた木々が幹をえぐり取られ、はじけ飛ぶ。
叩き上げられた土砂は、下手すれば半里は飛んでいるのではないだろうか。
直撃は免れたが、霊力で高めてるはずの、天女の衣である天子の衣服の端が、焦げ始めている。
直撃を貰えば、命も危ないかもしれない。
「ア、アリス、私を殺す気!?」
「やっこさん、ちょっと頭に血が上ってるのかもしれないな。こりゃガチだぜ」
いつの間にかに隣に避難していた魔理沙が、天子に向かい苦笑する。
アリスは、融解する地面を見つめた。
夜の闇の中、目がくらむような溶岩の赤が、森を照らす。
粉塵が巻き上がり、天子の姿を見失ってしまった。
ちょっとやりすぎただろうか。でも、これで天子も私が本気だとわかったはず。
あれを直撃させたら、ただでは済まない。
もちろん、直撃させる気などなく、威嚇として使用しただけだ。
これで、諦めてくれればいいのだが。
天人である彼女に近接されたら、そのまま一本取られてしまうかもしれない。
かと言って、彼女を遠距離から仕留めるのは中々に難しい。
そのため、これを使わせてもらったのだ。
まだ、レンズ結界は展開中である。この技の構成上、この形に入ってしまえば基本的に負けることはまずない。
今の威力の魔法弾を、数秒置きに連射すら可能なのだ。
「天子! 聞こえる? あなたが私をその道に引きずり込もうとする限り、なんとしても阻止させてもらうわ!」
反応はない。
辺りを見ると、いつの間にかに白紙が空を覆い尽くしている。
火炎の起こす上昇気流に乗り、巻き上げられているのだ。
巻き上がっていた白紙が、微かに霊気をおびたと思うと連なり始めた。
一瞬後に、百寸程の要石が、空を覆い尽くす。
まずいだろうか。
いや、大丈夫だ。360度全方位に視界を向けた人形たちに、自動迎撃術式を命令してある。
不意打ちはない。
いざとなれば、魔法弾による一点突破で脱出できる。
視線を巡らせていると、離れたところに天子の姿を見つける。
望遠暗視レンズを装備した人形の視界を経由し、その表情を伺う。
まだ、諦めたような顔をしてはいないようだ。
「まだやる気なのね」
巨大レンズによる威嚇攻撃を再開しようとしたとき、天子に動きがあった。
天子はスペルカードをかざし、大きく足を踏み下ろした。
重く、空気が震える。
そして、さらにもう一枚スペルカードをかざす。
すると、周りを漂っていた要石が目で見えるほどの、白色の霊気をまとい始める。
それが、要石と要石をつないでいく。
まずい!
アリスは巨大レンズ結界を使用し、魔力弾を射出する。
だが、魔力弾は、要石が放つ結界網に徐々に威力を削られ、いくつか破壊しただけで、消失してしまう。
あの要石は、この魔法の森にみちる大気の気質を吸収し、結界と化している。
私が森を荒らしたせいで、様々な生物の感情が渦巻き、大量の気質を生み出してしまっているのだ。
だが、気質は上へ上へと集まるもの。地面に近づけば、その濃度はみるみるうちに低下する。
外泊するため、緋想の剣は天界へ転送してしまっている。今の天子に、強引な気質収集は無理だ。
そう考え、アリスは地面へと急降下する。
そして、天子を見る。その時、天子がにやりと笑っているように見えた。
次の瞬間、地面が急激な勢いで、盛り上がる。
自ら急降下する勢いは止められず、地面と激突する。
「ああぁ!!」
足首に激痛が走る。
アリスは倒れ込み、上昇する地面に張り付けにされる。
そのまま地面はぐんぐんと上昇し、空いっぱいの要石が目の前に隙間なく取り囲む形となった。
倒れたアリスに、天子が歩み寄ってくる。
「私の勝ちよね」
「そう、ね。私の負けだわ」
「アリス……あ、足、怪我したの!?」
天子はアリスに駆け寄ると、そっとその身を起こした。
「大丈夫、少しひねっただけだから」
「おーい、随分とド派手なバトルだったな。天子、もう地面下げてくれ。下は消火しておいたぞ」
魔理沙が箒に跨って、隣に来る。
「私、負けちゃったのね」
アリスは、観念したように目を閉じた。そして、ゆっくり目を開け、自分を抱きかかえている天子を見つめる。
「ねえ、天子。私、あなたに好意を持っていたのは確かみたい。あなたといた時間は、とても落ち着く心地よいものだったわ。それは本当」
そこで、言葉を区切って視線を下に向ける。徐々に、顔の赤みが増していく。
「でも、その……趣味の方は、時間をもらえるかしら。理解できるように努力するけれど、気持ちを整理する時間が欲しいの」
「趣味?」
「あなたが妹紅さんとしてたっていう」
「何の事だか分からないけど……妹紅さんは、私が天人になる前に、少しの間、侍女としてお世話してくれた人なのよ。あなたにも話したでしょ? ほら、あの小さい頃にお世話になった侍女の人よ」
「え……侍女の?」
アリスの頭の中で、新しく追加された情報が、今まで固めていた情報を根元から破壊する。
過去、侍女、天子の幼少期。
それは間もなく再構築された。
そして、気がついた。自分が思い切り、勘違いをしていたことに。
「天子、私、なんか勘違いしてたみたい……」
そう、か細く呟いた。
「うん。分かってる。だから、それを説明しようとしてたんだけど。……あれ? よく考えてみたら、なんでアリスって怒ってたの?」
「いや、それは……」
「おいおい、天子……わかってなかったのか」
魔理沙は機嫌良さそうに、天子の肩を叩いた。
「それはな。アリスは、お前と親しくしてた妹紅に、嫉妬していたんだ。それを認められず、その感情を無意識的に、別のものへ思考誘導していたのさ。何に思考誘導してたかまでは、わからないがな」
そういう魔理沙に、アリスが食ってかかった。
「な、何もかも、分かったように言うのね! どんな根拠があって、そんなこと言うの!?」
「根拠なんて無い。強いてあげるとすれば、私が恋の魔法使いだからかな。どこかの鈍感な魔女さんと違って、私はそう言うのに敏感なんだ」
魔理沙は、いやらしい笑みを浮かべる。
「なに、にやにや笑ってるのよ!」
「ん? 顔に出ちゃってたか。まあ、あれさ。揺れ動く少女たちの繊細な心。それを見て、ときめかないほうがおかしいってもんだぜ。なあ、いつまでもこうやって引き伸ばされると、私の顔が筋肉疲労おこすぜ。引きつった私の顔なんて、見たくないだろ? いいのか、引きつっちゃうぞ?」
「なによその意味不明な脅し……!」
「おい天子、お前アリスの家での勝手にも慣れたんだろ。喉渇いたし、お茶入れてくれよ」
「わ、わかったわ。アリス、お勝手、借りるわよ」
天子はそう答えて、アリスを魔理沙に任せると、アリスの家へと向かう。
周りの地面は、もう通常の高さまで下がっていた。
魔理沙は、アリスへと顔を寄せた。
「なあアリス。私も勝負に勝った訳だし、何か頂くけどいいよな? そうだ、お前こないだ魔界から凄い魔法書一冊取り寄せたって言ってただろ。あれちょっと貸してくれよ」
「なんで、あなたに貸さないとならないの。それより、あなたに負けたって何のことよ!」
「さっきの勝負だ。私と天子のタッグマッチだったんだから、当たり前だろ? 最初に私もスペル提示したし」
「ちょ、あれってそういうことだったの!? それって詐欺でしょ!」
「まあ。スペル提示するまでもなく、はじめから、森の中で人形達を切り抜けて、天子をここまで導いたのは私だ。どうみたって、これは共闘だろ」
「なにそれ。屁理屈よ。話にならないわ!」
魔理沙はやれやれと肩を上げてみせる。
「お前と天子の間を取り持った私に、魔本の一つも渡せないのか……まあ、それはつまり、天子との友情は、魔本の一冊より軽いって判断しても、いいんだな?」
「あ、あなたね。その言い方は、卑怯よ!?」
「お褒めに預かり、光栄だぜ」
「褒めてなんか無いわよ!」
「照れるなって」
「照れてない!」
天子は少し遠くから、そんなアリスと魔理沙のやり取りを見て、軽い羨望のようなものを抱いた。
いつか、私もあの二人のような気兼ねしない関係に、なれるだろうか。
天子はぐっと拳を握り締める。
いや、なって見せようじゃないか。
私は、この幻想の郷を楽しみつくすと決めたのだ。
そうだ。ひとまず、このお茶会で次へ繋がる約束を取り付ける。
狡猾? 構わない。利用できるものは、何でも利用して楽しんでやろうじゃないか。
なにせ、私は不良天人。自分の欲には忠実なのだ。
天子は、アリスの家の中で嗅ぎなれた空気を吸うと、中で出迎えた人形たちに笑いかけた。
「さあ、あなたたち、お茶会の準備をするわよ!」
後日、勘違いした人形師が、メイド服に身を包んで天人の家に侍女として訪れたのは、別の話。
生い茂り重なる木々から、どうにか空を覗くと、厚い雲が立ち込めている。
もうしばらくすれば、降ってきそうである。
天子は懐を覗き込む。そこに収められた、扇子を見てため息をついた。
降り出す前に、白黒魔女の家を見つけて、これを返さないと。
先日、白黒魔女こと霧雨魔理沙に借りて、返しそびれてしまった扇子であった。
「見つからないわねえ」
魔理沙の家は魔法の森にあるという、大雑把な情報しかもっていなかったのが失敗だった。
朝方から探しているのだが、昼に差し掛かりそうな今現在、いまだに見つからないでいた。
前準備無しに行動を開始するのは、いつものことである。
発生したトラブルも含めて楽しむのが、比那名居天子という天人だ。
とはいえ、楽しくないのでは本末転倒。
天子は、大きな倒れ木を越えたところで、立ち止まって考え込む。
魔法使いの、彼女のことだ。
もしかしたら、人目避けの結界なんかを張っている可能性もある。
天子はそう考え、目を閉じ、気の流れを探った。
一際、気の流れの濃い小道を発見する。普通に見た感じでは、獣道といった具合の道だ。
これくらいの気の流れを持つ道は、そう珍しいものでもない。
しかし、何も目印無しに歩くよりはマシだろう。天子はそれを辿るように、歩き出した。
半刻ほど歩いた頃、目の前の木々が開けた。
視線を巡らせると、奥にこじんまりとした家が目に入る。
「やった、見つけたわ!」
天子は嬉々として、その家に走り寄った。
見た感じ、扉らしきものはない。どうやらこちらは、裏手口のようだ。
表に向かうべく、壁沿いに移動する。
家の白い壁面に、植物の蔦が少し伸びている。まるで、物語の中に出てくる家のようだ。
いくつかプランターが置かれ、色々な草花が生えている。
スッキリと綺麗に手入れされた、小さな庭だった。
白黒魔女のイメージには合わないな。もっと散らかってるイメージなんだけど。
そんなことを考えながら歩いていると、窓が目に入った。
中を覗き込むと、可愛らしい人形がたくさん座っている。
「あれ、これって」
天子は、顎に手を当て記憶をたどる。
この人形、どこかで見たことがある。
前に起こした異変時に、手合わせした人形使いが、使役していた人形に似ている。
というよりも、この郷にこういった人形を扱う者を、それ以外には知らなかった。
「人の家の中を窓から覗き見るのは、感心しないわね」
更に奥の小窓から、声がかかる。
天子がそちらを向くと、金髪碧眼の女の子が、窓から顔を出してこちらを見ていた。
思ったとおりである。
この家の主は、人形使いアリス・マーガトロイドだ。
「あ、ごめんなさい。やっぱり、あなたの家だったのね」
「何の用かしら。道にでも迷った?」
「えーと。まあ、そんな所かしら」
「まあいいわ。窓越しに話すのもなんだし、表から上がってらっしゃい。お茶くらい出すわよ」
そう言って、アリスは顔を引っ込めた。
魔理沙の家を探していた天子であるが、この人形使いに案内してもらえるなら、それが早道だろう。
そう考え、言われた通りに玄関へ向かって、歩いて行った。
正面玄関に来ると、取っ手に手を伸ばそうとしたが、見当たらない。あるのは、ノッカーだけである。
「この扉、どうやって開けるのよ?」
首をかしげていると、扉の下の方に備え付けられていた小窓から、人形が顔を出す。
人形はこちらを確認すると、小窓が閉じ、扉が開いた。
人形が開けてくれたようだ。
「しっかし、芸が細かいわね……」
天子は前を行く人形について歩く。
廊下は、綺麗に整えられた簡素な調度品が並ぶ、なんとも落ち着いた内装だった。
突き当たりで人形が扉を開けると、部屋の中でアリスがソファにゆったりと座っていた。
手元では、布と針糸を細かく動かしている。
縫い物をしているようだ。
「いらっしゃい。そこ、座っていいわよ。今お茶を入れるわ。作業しながらで、ごめんなさいね」
「素敵な家ねー。なんだか、御伽噺の中にいるようだわ。それ、何を縫ってるの?」
「三日後の新月の日に、人里で人形劇をするのよ。その準備の衣装を見繕ってるの」
天子がアリスの縫い物作業を見ていると、部屋の奥からカラカラという音がしてきた。
そちらへ視線を向けると、二体の人形が茶具を乗せた食器車を押して入ってきた。
台の上には、もう一体人形が座っている。
卓の隣に来ると、上に乗っていた人形が、ぴょこんと卓へ移動し、器用に食器を並べていく。
台を運んでいた二体は、お茶を蒸らしたり、カップにお湯を入れて捨てたりしている。
天子は、それらを楽しげに見つめながら言った。
「あなたと前に戦ったときは、そんなにじっくり見てなかったからあれだけど……こうして間近で見ると、この人形達、本当によくできてるわ」
「お褒めに預かり、光栄ね」
三体の人形が、お茶の準備を終えると、ペコリとお辞儀する。
その動作に堪りかねた天子は、両腕を広げて三体の人形を抱え込んだ。
人形達は、逃げ出そうと手足をじたばたさせる。
「ああ、もう! やっばい、これ、凄いかわいい!」
人形を抱きかかえて興奮する天人に、アリスは微笑んだ。
「あなたみたいに反応してくれる人は、珍しいわね」
アリスの言葉に、天子は意外そうな顔を向けた。
「他の人は、驚かないの?」
「そういう訳じゃないけど。男性は驚いても、あなたみたいに素直な反応は示さないし、人里の小さな女の子なんかだと、私に遠慮してるのか、そこまで思い切った行動はしないわ」
「なるほどね……皆、自分の気持ちを隠しすぎじゃないかしら」
「そう言ってしまうのは、かわいそうよ。誰もが、あなたみたいに強いわけではないもの。身も、心も、ね」
「そういうものかしら」
「そういうものよ。あなただって、天人になる前はどうだったのかしら。ただの人だったのではなくて?」
アリスの言葉に、天子はどこか遠い目をして黙り込んだ。
「そうね」
そう言って、天子は人形たちを開放する。
アリスはそんな天人の様子を暫し観察していたが、紅茶を一口飲むと、再び手作業に戻る。
「ところで、道に迷っているって言っていたけれど。この森に用があるとしたら、怖いもの知らずの冒険家さんか、私と同じ魔法使い。そうでないなら……」
「あなたの思っている通りよ。この森の白黒魔女の家を探していたの。ちょっと借りていたものを返そうと思ってね」
「あの子に物を持っていかれることはあっても、借りることができる人がいたなんて、驚きだわ」
「なんせ、あなたが言ったとおり、ただの人間ではないからね」
天子はそう言って、苦笑した。アリスはふむと息をつく。
「このお茶を飲み終わったら、人形にあの子の家へ、案内させるわ」
「そうしてくれると、助かるわね。あー、でも……」
言葉を濁す天人に、アリスが手を止めて訝しげな視線を向ける。
それに対し、天子が困ったように笑った。
「もし邪魔じゃなかったらでいいんだけど、もう少し居させてもらえないかしら」
「私はいいけど……魔理沙に何か、返す予定だったのではないの?」
そういって、アリスは再度手元に視線を落とす。天子はお茶を一口飲んで、息をついた。
「すぐに返さなきゃならないものでもないわ。それに、暇してる身だしね。せっかく、あなたとこうしてご一緒する機会に恵まれたんだし、どうせならこの出会いを楽しみたいわ」
「……そう。私の邪魔をしないのなら、何していてもかまわないわ。話をするくらいなら、ね」
「よかった。嫌われてるんじゃないかと思ってたけど、そんなことはないって思ってよいのかしら」
その言葉に、アリスは顔を上げた。
「どうして、そう思ったの?」
「え? だって、さっきからずっと、楽しそうな顔してないじゃない」
「……ごめんなさい。あまり、感情を表に出すのって得意じゃないの。あなたの事を嫌ってるなんてことはないわ。さっき言ったように、人形達をほめてくれて、逆にうれしく思っていたくらいよ」
「ならよかった。ねえ、話すくらいならいいんでしょう。人形について、もっと教えてくれないかしら。この子達って、どうやって動かしているの?」
「いいけど……あなたは魔法について、あまり詳しくはないでしょう?」
「まあ、その辺は頑張るわ。だから、いいでしょ? 知らないことを知るって、とても楽しいことなのよ」
「分かったわ。じゃあ、人形達の駆動系と感覚系から説明しましょうか」
アリスは作業する手を止めることなく、天子に人形を動かしている原理を説明した。
視覚系制御術式、自動処理制御術式、言語制御型術式、感覚共有型術式、人形への魔力の伝達方法など、説明は様々なものへ及んだ。
だが、天子は飽きる気配は見せずに、熱心に耳を傾けている。
時折、相槌に混ざって、はっとさせられる様な質問をも投げるほどである。
アリスは、目の前の天人の予想以上の聡明さに、内心驚いていた。
それと同時に、自身も楽しんでいるということに、気がついた。
本来、魔法使いというものは、手の内をさらすのを嫌う。
そして、それとは相反することなのだが、自らの知識を披露することにも、喜びを見出す種族なのである。
アリスにとって、天子は打てば心地よく響く、非常に良い生徒であった。
「ということは、各部位の重量にあわせて、うまくバランスをとるように、自動処理が行われているのね」
「そう。特に、歩行といったものを行うのと、擬似的にそう見せているのでは、難しさが別次元なの。人形によって、各部位の重量もだいぶ違うから、それぞれにあった重心制御の術式を、予め施工する必要があるわ」
「こんなに小さな体に、そんな複雑な魔法術式が刻まれているなんて、びっくりだわ」
「簡単なものを組み上げて、複雑なことをこなしているのよ。まあ、さらに魔力の伝達効率などを突き詰めると、きりがないんだけどね」
「へえ、やりこみって感じね、楽しそう」
「そうなの! とても楽しいのよ」
カチャリと、卓の上の食器が鳴った。
どうやら、体がぶつかってしまっていたようだ。
アリスは、そこでようやく、すっかり手元の裁縫作業を忘れて、身を乗り出すほど説明に夢中になっているのに気がついた。
「ごめんなさい。私ったら、ちょっと興奮しちゃってたわ」
「ううん。そうやって楽しそうにしてるアリス、とても可愛いし素敵よ? 会ったばかりの時は、近寄りがたい彫像さんって感じだったけど、今は身近なお姉さんって感じだわ」
「そ、そう……ええと、ちょっと喉も渇いたし、お茶入れるわね」
アリスは人形に入れさせるのではなく、自ら立ち上がり、台所に湯を沸かしに向かった。
隣の部屋へ移動すると、そっと、自分の首に手を伸ばし触れた。
結構、熱い。
気づかれただろうか?
人形の話で興奮して、熱くなったのだと思ってもらえていれば良いが。
大きく息を吐くと、戸の隙間から隣の部屋の天人に、そっと視線を向けた。
天子は、抱えた人形の手足を持ち上げたり、目を覗き込んだりしている。
まったく、あの天人は、どこぞの白黒魔女のように、突然とんでもないことを言ってくる。
良くも悪くも、裏表のない人物なのだろう。
アリスはほてった体を冷やすように、水を一杯コップへ注ぎ飲み干した。
アリスが戻ってくると、天子がひとつ提案をした。
一から十まで説明してもらうと作業にも多少支障を来たすだろうということで、アリスの家にある、人形や魔法関連の本を読んで、どうしても分らない部分だけ質問する形はどうかと、持ちかけたのだ。
アリスはそれに特に何の問題もなかったので、了承し書物をいくつか天子へ渡した。
追加の要望で、一冊のメモ帳と筆も後から渡された。
時折質問する天人と、それに答えながら縫い物をする人形使い。
そして、お茶を入れる人形だけが部屋での動きとなり、静かな時間が過ぎていった。
アリスは縫い物作業に一区切りがついたあたりで、窓の外に視線を向けた。
完全に、日が落ちてしまっていた。耳を澄ますと、雨の音らしきものも聞こえる。
周囲の明るさに合わせて、自動で光源量を増減させる魔法照明のせいか、全く気づかなかった。
天子を見ると、自分と同じように、周りの風景など微塵も見えていないといった感じで、渡した本を読んでいる。
「天子。もう結構な時間よ?」
「あ、ほんとだ」
アリスの声に、天子は真っ暗な外を見て、大きく伸びをした。
「すっかり夢中になってたわ。どうしようかしら。この本、借りて行くのとか、駄目かしら?」
「その本、実は紅魔館から借りている物も入っているのよ。なんか前に問題があったとかで、また貸しが禁止になっているらしいの」
「そっかー……」
「ねえ、もし……そっちが問題ないのであれば、うちに泊まって行ってもいいわよ?」
「え?」
アリスの言葉に、天子はきょとんとした顔を向けた。
天子の反応に、何故かアリスがどぎまぎして、視線をそらす。
「あ! ほら、変な意味じゃなくてね? 今、雨も降ってるみたいだし、私の家って、結構あなたみたいに道に迷った人が来るのよ。そうした時に、場合によっては客室にお泊めすることも結構あってね?」
「ほんと!?」
ずいっと、身を乗り出して声を張り上げた天人に、人形使いは驚いて身を引いた。
「え!? いや、嘘なんてついてないわよ?!」
「ええと、嘘だなんて思ってないけど」
「あ、そう?」
「うん」
天子は不思議そうな顔をしていたが、思い出したように、笑顔になった。
「本当に泊めてくれるのよね? 嬉しいわ!」
「ええ、大丈夫よ」
アリスは冷たくなった紅茶を一気に飲み干すと、縫い終わった人形衣装を片付け始めた。
天子は立ち上がって手伝おうとしたが、アリスが手をかざして大丈夫だと、やんわり断った。
「そういえば、お昼から何も食べていなかったわよね。何か食べる?」
「食べる食べる! けどいいの? 宿を提供してもらってるのに、食事までなんて」
「いいのよ。こうやっておもてなしするのも、ひとつの趣味みたいなものだから」
「じゃあせめて、食事の用意くらい、何か手伝うわ。いつまでもお世話になりっぱなしなんて、我慢できないし」
背を向けて片づけをしていたアリスが、振り返って天子を見た。
真剣な顔をした天人に、人形使いは軽く微笑み返す。
「そうね、それだけ言うってことは、多少なりとも料理はできるってことかしら?」
「まあ、それなりには」
アリスが指を動かすと、奥の扉が開く。中から、良い匂いが流れ出してきた。
「この時間になると、自動で人形達に下ごしらえさせるようにしているの。もうそろそろ、ソフリットが炒め終わるころだから、それを使ってパスタソースとスープを仕上げてもらって良いかしら?」
「あ、えと……主に和風料理しか……」
「和風でもかまわないわ。よろしくね」
「ん、わかった。任せて」
アリスは、腕まくりをしてキッチンへ向かう天子を笑顔で見送った。
そして、客室のベッドメイクを人形に指示し、居間の片づけを始めた。
その後、天子の仕上げた和風パスタとトマトスープで二人は一息つき、また同じように、本読み天人と、縫い物人形使いになって、のんびりした時間を過ごしていた。
「あの味付け、結構癖になるかもしれないわね。また、良ければ作ってもらえたら嬉しいわ」
「そう? ソフリットだっけ、あれベースにすると、味に深みがでて良いわね。今度、西洋料理についても調べてみようかしら」
「私の家の外の庭を見たでしょう。あそこに、色々なスパイスやハーブを栽培しているの。今度、それらについても教えてあげるわ。味と知識、両方ね」
「いいわねー。楽しみだわ! このクッキーも、独特な風味があるけど、ハーブとか入れているの?」
「そうよ。こっちのピンクのが、ローズヒップとハイビスカス。こっちがジンジャーとシナモンね」
笑いながらクッキーを指し示してみせるアリスに、天子が柔らかな笑顔を向ける。
アリスはその視線に気がつき、どうしたのかと首をかしげた。
「なんだか、アリスと話していると、天人になる前に世話になった、侍女を思い出しちゃうわ。その人が、とても物知りで、あなたみたいに色々教えてくれたのよ」
「そうなの」
「うん。だからかな、なんだか、普段より素直に話をしている気がする」
アリスは、その見も知らぬ侍女に、軽く嫉妬を覚えた。
この可愛らしい天人の、さらに幼く無垢であった時代。
その尊敬を、一身に浴びていたのだから。
「でも、その人は私が天界に上がるときに、別れ離れになってしまった。私の家の使いの者達も、皆天界行きを許されていたの。でもその人は、断った。楽土である天界行きを断った人は、彼女以外にはいなかったわ。どうして一緒に行ってくれなかったのかしら……最後まで、その理由は教えてくれなかった」
「そう……」
悲しい顔で俯く天人に、アリスはそっと手を伸ばした。だが、触れることなく手を引く。
「もしかしたら、私、嫌われてたのかもしれないって思っているの。当時から我侭ばかり言っていたからね。その人に結構無茶なこととか頼んだりしてたのよ。だから……」
「そんなことないと思うわ。あなたとは、そこまで長く付き合っていた訳じゃないけど、なんていうか……きちんと知れば、そんなに嫌われる性格だとは思わないもの」
「そう? ふふ、ありがとう。アリスに言われると、そう信じられる気がするわ」
天子は笑うと、ソファに身を伸ばした。
アリスが合図すると、人形が新しいお茶を入れ始める。
「結構疲れたでしょ。新しいことすると、頭への疲労も大きいから」
「まあ、多少ね。でも、このくらいなら、まだまだ平気よ。一人遊びには慣れてるもの。一つ楽しいことにはまると、数日は寝ないでのめり込んじゃったりするし」
「あなた結構、魔法使いの素質あるかもしれないわね。それにしても、剣とか使っていたから、こういったものに興味を持つのは、少し意外だったわ」
「それって、もっと男の子っぽいものが好きそうだってことかしら。まあ、確かにそういう遊びなんかも好きだけど、私も一応女の子だしね。可愛いものにも興味津々よ。なんていうの、両刀遣いってやつ?」
「……趣味が広いのは、いいことだわ」
アリスは立ち上がると、ゆっくりと扉へ歩み寄り、天子へ振り返った。
「天子、私結構疲れてきちゃったから、先に休んでるわね。さっき案内した部屋の中は自由にしていいわ。それじゃあ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
翌朝、日が昇って間もない頃、アリスはベットから起きだした。
昨夜は一睡もできなかった。
意味もなく、自分の部屋の戸が気になって仕方がなかったのだ。
数日寝ないでいても平気な体だが、寝ようとして寝れない今の様な時は、逆に眠気がひどいことになる。
目の血行が悪いのだろうか。だいぶ疲れを感じた。
水でも飲もうと居間へ行き、そこで驚きの声をあげた。
「天子、まだ起きてたの!」
「おはよう、アリス。ちょっと区切りがいい所まで、調べちゃおうと思ってたんだけど……もうそんな時間?」
寝る前とあまり変わった様子のない天人が、そこにいた。
ソファで寝そべりながら、魔法書を読んでいる。
「もう、お日様が昇ってきてるわ」
「そっか。まあ、まだ眠くないし平気よ。それより、アリス。今日はどういった予定なの? 明後日に、人形劇があると聞いたけど」
「今日は……そうね。残りの人形衣装の作成と、新しく必要になった布地を里に買いに行くくらいかしら」
「うん、わかった。結構忙しいってことでいいのよね? なら、私がご飯作るわ。里へは何時くらいに行くの?」
「何件か回る予定だから、お昼前に行って、夕方前には戻る感じかしら」
「じゃあ、お昼用のお弁当も作ってあげる」
天子はそう言うと、勢いよく立ち上がり、勝手口へ向かう。
「ああ、いいのよ。私がやるわ。お客様にそんなことさせるなんて、悪いもの」
「いいってば。お世話になってるのは、こっちだし。それに、まだ数日いさせて欲しいなって思ってるんだけど……駄目かな? ほんと、この魔力伝達理論体系書、面白くてさ」
「え、私はいいけど。……そう。そうね、じゃあ、うん。では、ご飯は任せたわ」
「任せて任せて! とりあえず、そこの寝起きのお姉さんは、まず顔洗ってくるといいわよ」
天子はそう言って笑うと、軽く手を振って台所へ行った。
残されたアリスは、何故か緩む頬に手を当て、天人が去った後の空間を見つめていた。
そして、水差しから水を汲んで飲むと、洗面所へ向かい、鏡を見て自分の顔のひどさに、慌てふためいた。
そんな調子で数日が過ぎ、新月の日の朝。
台所で天子から弁当を受け取ったアリスは、困ったように言った。
「天子、あなたまだ寝てないんでしょう? いい加減、見た目からして寝ないとまずいわよ」
「そうかもね。今日はいい頃合になったら、ベッド使わせてもらうわ」
「そうしなさいな」
「あーあ。せっかくアリスが人形劇やるってのに、寝不足過ぎて動けなくなるとは、私としたことが見通しが甘かったわ」
「人形劇は毎月やってるから、次回見に来るといいわ。それよりも、ちゃんと寝るのよ?」
「わかったって。気をつけて行ってらっしゃい」
「ええ」
扉へ手をかけたアリスが、何かを思い出したように立ち止まった。
「言い忘れてたけど、今日私の家に、配達の方が来るかもしれないわ。いつも頼んでいる人で、私がいなくても、人形達だけで対応できるから、特に気にしないで休んでて」
「ん、わかった」
天子はアリスを見送ると、居間へ戻る。
三日寝ないで、本ばかり読んでいた体は、天人と言えども疲労の色は隠せなかった。
それでも、ちらりと本が目に入ると、無意識的にそれを手にとって読み始めてしまう。
わからないところは、メモしておいて他の文献で調べる。
それでも分からないところは、アリスにまとめて聞くことにする。
大きくひとつあくびをすると、上海人形を呼んだ。
「お茶、いれてくれるかしら?」
居間に入ってきた3体の人形に、そう頼んでまた本に目を落とす。
この人形たちは、アリスが天子の命令もある程度聞くように、調整してくれていた。
人形たちが、小さな体でお茶の用意を始める。
天子がなんとなく、ソーサーを並べている人形が後ろを向いているうちに、所定位置に置かれた砂糖瓶の位置をずらした。
ソーサーを綺麗に配置した人形が振り返ると、砂糖瓶の位置を見て、慌てたように位置修正する。
その隙に、後ろのソーサーをひっくり返した。
振り返った人形は、ひっくり返ったソーサーを見て、焦ったように元に戻す。
その反応に面白くなった天子は、さらにお茶を入れる人形にちょっかいを出した。
そして、とうとう我慢できずに人形を抱き上げる。
「あー、もう! ほんと、あんた達ってば可愛いわね!」
抱き上げられた人形は、もうこの天子の行動にも慣れたのか、暴れはせず、されるがままに顔を見上げている。
そこで、ふと視線を感じ振りかえる。
残り二体の人形が、困ったように紅茶の入ったカップとミルクを持って浮かんでいる。
天子が気まずそうに抱き上げた人形を開放すると、人形が手に持ったままだったソーサーをきちんと配置し、行き場を失っていたカップがカチャリと置かれた。
そして、三人の人形がいつものように並ぶと、お辞儀をするのかなと思ったが、腰に手を当て、一本指を立てるようにして「メ!」と一言。
そして、ふわふわと部屋を出て行く。
「……人形に叱られてしまったわ」
天子は頬をかいて、人形たちが出て行くのを見送った。そして、息をつくとお茶を一口飲んだ。
ぼんやりと窓外に視線を向ける。
あんなふうに怒られたのって、いつ振りかしら。
異変時に、管理者様から豪快に物理説教されたのは、別として。
やっぱり、思い返されるのは人であった時代だ。
天人になってからというもの、説教される、叱りを受ける、なんてのは殆どない。というか、皆無である。
人であった頃も、大分甘やかされていたから、あまり叱られた記憶も無い。
思い出として浮かぶのが、世話になった侍女のことだった。
姉のように優しく、厳しい人だった。
思えば、このアリスの家にお邪魔になっているのも、あの侍女に彼女を重ね合わせているからではなかっただろうか。
あの、一緒にいて心地のよかった彼女と。
そんな事を考えていると、コンコンと音がした。
ノッカーの音だ。アリスが言っていた、配達人だろう。
確か人形たちだけで、対応できるとも言っていた。
ならば、この体に鞭打って出迎える必要もあるまい。
そう考えたが、この魔法の森を毎度のように荷運びしているという人物である。
この森はそれなりに危険で、多少腕に自信のある者でなければ、そんなことは出来ないだろう。
どんな人なのか、少し気になってきた。
天子はソファから身を起こすと、玄関へ向かい歩き出した。
「アリス、いるかい? いつもの竹炭、届けに来たんだけど」
外から声がかかる。若い女の声だ。
廊下で天子は、自分と同じ方向に飛ぶ人形達と合流した。
荷物を受け取る命令を受けていた子達だろう。首にお財布を下げている。
「はーい。今出るよー」
天子はそう答えて、扉を開けた。
「あれ、アリスじゃないな。あんた誰だい?」
相手は天子を見て、そう声を掛けてきた。
声のとおりの若い女の子だった。大きな木箱を背負っている。
紅いもんぺと白いシャツ。
純白の長い髪。そして、紅の目。
そこで天子は、固まった。
相手の少女を見つめて、絞り出すように、一言呟く。
「紅子、さん?」
少女は、怪訝な顔をして背負っていた荷物をおろした。
「紅子だって? 私は妹紅って言うんだ。紅子なんて……ん、紅子?」
その相手、妹紅はそう繰り返し、天子の顔を注視した。
そして、はっと思いついたように表情を変え、言った。
「お前さん、もしかして……地子、なのか?」
「うそ……こんなことって。あの、さっき丁度あなたのことを思い出してて、そうしたら、こうして」
「そうか、本当に地子なんだね。……いや、驚いた。そうか、うん。確かに、あの頃の面影があるわ」
そう言うと、妹紅は表情を緩め、優しげに微笑んだ。
その顔を見た天子は、顔をくしゃりと歪めて勢いよく、妹紅の体に抱きついた。
妹紅は、一瞬戸惑ったように体を強張らせたが、体の力を抜くと天子の背に手を回して、優しく撫でてやった。
「ああ、紅子さん。また、あなたにお会いできるなんて……!」
感極まったように興奮する天子に、妹紅は落ち着いた声で言う。
「……そういえば、地子は天人になると言っていたっけ」
「そうです。私、天人になったんですよ! 今は地子ではなくて、天子と名乗っているんです」
「そうなのね」
「紅子さんも、この幻想郷に流れ着いていたんですね」
「ああ。大分前にね。あと、実は私の名前も紅子ではなくて、妹紅と言うんだ。あの時は、色々と事情があって、偽名を使っていて……」
「そうでしたか」
「とりあえず、この荷物を置いてしまいたいんだけど、いいかな?」
妹紅が傍に置かれた木箱を指差すと、天子は名残惜しそうに、妹紅から離れた。
「上海、お邪魔するよ」
妹紅はそう言って、近くを飛んでいた人形の頭を軽く撫でてやった。
そして、首に吊られた財布から、竹炭の代金を受け取る。
「荷物は、いつもの所でいいんだよね?」
人形がコクコクと頷く。
妹紅はそれを確認すると、荷物を背負い直し、勝手口へ向かって歩き出した。
後ろから、天子が声をかける。
「あ、妹紅さん。お茶入れますので、荷物置いたら、居間にいらして下さい」
「うん。わかったよ」
妹紅は、竹炭が入った木箱を勝手口に置くと、息をついた。
平静を装っていたが、内心、ひどく驚いていた。
自分の過去を知る者と出会うというのは、なんとも落ち着かない。
蓬莱人になり、3、40年経った頃くらいか。少し世話になった家が幾つかあった。
その一つが比奈家。地子の住む家だったのだ。
成長しないこの体である。怪しまれないように、世話になると言っても、1、2年だ。
大抵は、適当にでっち上げた偽名を使い、下働きや用心棒として居候した。
当時は、まだ妖怪退治などを多くこなしていない頃で、戦闘技術も未熟であったため、たぶん下女や侍女をしていた筈だ。
会った時の彼女は、呂律も定まらぬ幼子であった。
だいぶ、私のことを気に入ってくれていたのが、印象的だったことを思い出す。
随分と、美しく成長したもんだ。
こう思い返してみると、別段、悪い気もしない。
慕ってくれていた幼子との再開だ。気後れすることなど、何もない。
妹紅はそう心を落ち着かせると、居間へ向かった。
居間に入ると、天子が妹紅に歩み寄り、腕を取るようにしてソファに案内した。
二人で、並びあうように座る。
「久しいね。元気にしていたかい?」
「はい。これでも一応天人ですので、体の頑強さに関しては胸を張れます」
「そうか。それはいいんだけど、こう、もっと砕けた感じに接してくれてかまわないわよ?」
「ええと、なんだか紅……妹紅さんには、こうやって話すほうが落ち着くんです。すみません」
「ああ、無理にとは言わないけど」
「それよりも、妹紅さんは本当に、お変わりありませんね」
やはり、この話題からは逃れられないか。
「ただの人であった私が、どうして、あの時のままの姿でいるのか……疑問に思っているのだろう?」
天子が、こくりと頷いた。妹紅はため息をついて、それに答えた。
「私は、蓬莱人なのさ。天人なら、知っているだろう。蓬莱人が、いかに醜悪な存在であるかを」
天子はそれを聞いて、驚いたように目を見開いた。
妹紅は悲しそうに微笑む。
「蓬莱人は、穢れの塊だ。世が課す輪廻からもはずれた、法規外の存在。穢れを嫌う天人のお前さんなら、こうして私と同じ空気を吸うだけで嫌悪してしまってもおかしくない」
だが天子はそれを聞くと、妹紅の腕を、さらに強く抱きしめた。
「いいえ。私はそんなこと思いません。確かに、他の天人は穢れを嫌います。でも、私はこの穢れ多き大地が、下界が大好きなんです。もし、穢れを恐れているのなら、こうして下界に来たりなどしません!」
そうして、真剣なまなざしで妹紅を見ていたが、ふっと表情をやわらかくした。
「ねえ、妹紅さん。私、今楽しくてしょうがないんです。この、幻想の郷。ここで送る毎日が」
「……それは、私も同じだよ。ここに来る前は、楽しいことより辛いことのほうが多かった」
その妹紅の言葉に、天子は視線を逸らし、どこか遠くを見るように呟く。
「ということは、私といた時間も辛いものだったんでしょうか……」
「いや! そんなことはない。あなたといた時間は、とても心安らぐものだったよ」
「本当ですか?」
不安げに言う天子の顔が、幼き日の彼女のそれと重なった。
妹紅は天子の肩を寄せ、昔そうしたように、優しく頭を撫でてやる。
「ああ、もちろんさ」
そうして暫く、天子の頭を撫でていると、天人は、心地よさそうに目を細めた。
なんだか、そのまま寝てしまいそうなくらいである。
「天界での生活はどうだったんだい?」
「そうですね……天界での生活なんて、妹紅さんと過ごしていた、あの頃の一年にも満たない感じでした」
妹紅は、それは流石に言いすぎだろう、そう言おうと声を出しかけたが、飲み込んだ。
自分も、一人で平坦な日常を送っていた頃は、十数年などあっという間に過ぎ去ったものだ。
思い出そうとしても、特にこれといった記憶も無い、そんな年月はいくらでもある。
平和な楽土であると聞く天界ならば、そんな時間が流れても、なんら不思議ではない。
「私が天界に行っても、他の天人のようにならなかったのは、きっと下界にいたときに、妹紅さんと過ごした時間があったからなんだと思います」
天子は紅茶を一口飲んで、妹紅の瞳をまっすぐ見つめて言った。
「こうやって会って、確信しました。妹紅さんは、とても濃い生命のにおいがするんです。私、下界の自然だとか、土だとか、そういった匂いが大好きなんですよ。天界では忌避される、穢れ。それはつまるところ、生命の匂いなんです」
そう言って、妹紅の胸に、頭を預ける。
「私は、ずっとあなたのことを尊敬していたんだと思います。私の知らないたくさんのことを教えてくれたあなたを」
「よしてくれよ。私は、そんな大層な者じゃない。ただの咎負い人さ……」
「いいえ。あなたのおかげで、今こうして、この幻想の郷で、楽しい毎日を送ることができているんです。感謝してもしきれない。でも……」
そこで天子の声に、震えが交じる。
「でも一つ、とても不安に思っていたことがあったんです。天界に上る時、あなたは何も言わずに去ってしまった。私、嫌われたんじゃないかと、それだけがずっと……」
「地……いや、天子」
「妹紅さん、私のことは、二人のときは地子と呼んでかまいません。むしろ、そう呼んでくれるほうが、嬉しいです」
妹紅も一口紅茶を飲むと、そっと天子の頭に手を添えた。
「そうか、では地子。私も一つ、お前さんに言いたかったことがあるんだ」
「言いたかったこと?」
「……ああ。天界行きを断った理由だよ。それは勿論、私が蓬莱人だったから。あの時にそれを伝えられなかったのは、無垢なあなたに、それを伝えるのが怖かったからなの……あなたに嫌われてしまうのではないかと、怖かった。でも、それが逆にあなたに辛い思いをさせてしまうことになるなんて……本当にすまなかったわ」
懺悔するように言う妹紅に、天子が首を振って答える。
「いいんです。また、こうして会えたんですから。そうでしょう?」
「……ああ、そうだね」
天子は妹紅の体に手を回し、抱き寄せるようにして笑った。
その表情は、まさに夢心地といった感じである。とろんとした目で妹紅を見上げる。
「ねえ、妹紅さん。また、昔みたいに、寝る前にそうしてくれたように、詠ってくださいな。私、天界の酒歌踊りの生活には飽き飽きしてたんですけど、中でも歌だけは、それなりに楽しんでもいたんですよ。そうさせてくれたのが、あなたの歌なんです」
「懐かしいな、うん。いいとも。久々だから、お手柔らかにね」
そう言って、妹紅は一つ歌を紡いだ。
遠き日に あわくみゆるは 青髪の わが心なか 千々と乱れん
こほんと息をつき、どうかな、と苦笑してみせる。天子は笑顔で、それに答えた。
あいまみえ 二人を分かつ 年月は その時がための 縁とならん
「……ちょっと、堅苦しかったでしょうか?」
「いや、良いんじゃないかな」
「妹紅さん。またこうして、こんな時間をあなたと過ごすことができるなんて、私、幸せです……」
「私もさ。とても嬉しいよ」
妹紅の言葉は、天子へ届いてはいないようだった。
見ると、天人は胸で静かな寝息を立てている。
妹紅はしばらく、そうして天子の頭を撫でてやっていたが、周りを漂っている人形たちに気がつくと、そっと天子を抱き上げた。
「お前たち、この子を寝かせてやれる所に案内してくれないか」
そう言うと、人形たちは天子のために用意された部屋へ飛んでいった。
腕に抱いた天人を見る。
あの頃は、不老不死の体になったというのに、人恋しくて往生際悪く、人々の間を転々としていた。
そうすることにも苦しむようになり、俗世を離れ隠棲することになるのだが。
この子と生活したあの時は、まだそうなる少し前。本当にかけがえの無い時だったのだ。
ベッドのある部屋に入ると、そっと天子を横たえる。
離れようとすると、袖が握られていることに気がついた。
引き剥がそうという気になれず、枕元に腰を下ろす。
そして、そっと頭を撫でてやった。
あの頃は、こうしてよく頭を撫でて寝かせつけたものだ。
この子はとても怖がりで、森で迷子になる事件があって以来、それはさらに顕著なものになった。
昼であろうと、一人で用も足せないほどである。
こうやって、夜は誰かが一緒にいないと、絶対に寝付かなかった。
臆病だった地子が、今や天人とは。
そういえば聞いた話だと、とある天人が神社を倒壊させ、人々の気質で大遊びを繰り広げたらしい。
あの巫女の神社を倒壊させるほどの、豪胆ぶりである。
もう、当時の臆病さなど微塵も無い。
「なんとも、感慨深いね」
妹紅が窓から外を眺めると、日が赤く染めた空を鴉が飛んでいる。
あの頃と変わらぬ空が、そこにあった。
「ただいま」
人形に玄関を開けさせ家に入り、少し声を落として、帰りを告げる。
家の奥からは、天子の返事は帰ってこない。気づいていないのか、はたまた寝ているのか。
人里での人形劇は、無事に終わった。
新しい衣装を新調した人形たちは、人里の皆にも気に入ってもらえたようで、満足だった。
だが、その後が問題だった。劇のあと、烏天狗にしつこく絡まれたのだ。
内容はというと、最近私の家に泊まっている天子についてだった。
同棲がどうだの、監禁がどうだの、まったくもって失礼極まりない。
そうだ、天子はきちんと寝ているのだろうか。
扉を開けてくれた人形に、視線を向ける。
「天子、ちゃんと寝てる?」
人形に尋ねると、コクコクと頷いて答える。
さすがに三日間一睡もしないで、ずっと魔法書や技術書を読んでいたのだ。疲れて寝ていて当たり前だろう。
家の中のいくつかの人形と視覚共有してみると、台所と居間の映像が映った。
どうやら、居間にはいないようだ。きちんと、自分の部屋で寝ているのだろう。
靴を脱いで、室内履きに変えるところで、靴がひとつ多いことに気がつく。
家に来る予定だったのは、竹炭を届けてくれる妹紅くらいである。
ということは、彼女の物だろうか。
普段、私がいるときは、荷物を届けた後に少しお茶をしたりするのが恒例だ。
だが今回は、私は家にいなかったし、天子も寝ているはずである。
それに何より、先ほど見た映像では、居間にはいないようであった。
「トイレでも借りているのかしら?」
人形劇で使った荷物を人形部屋に置くと、人形達に妹紅がいるのかと尋ねた。すると、首肯が返ってくる。
やはり、妹紅は家にいるらしい。
居間に行き、ソファに座りしばし待つが、妹紅が姿を現す気配がない。
なんとなく落ち着かない気持ちになり、天子に充てがった部屋に行く。
「天子、入るわよ」
静かにノックし、中に入る。
見ると、ベッドで横になる天子、そして寄り添うように座っている妹紅の姿があった。
どういうことだろう。何故、妹紅さんと天子が一緒に?
私の姿を見た妹紅さんは、そっと口に人差し指を当てた。
私は声のトーンを落として言った。
「妹紅さん。どうしてこちらに?」
「いやね。天子にお茶をいれてもらってたんだけど、話してる途中で寝てしまってさ。人形さんに聞いて、こっちへ運んだんだ」
「そうでしたか……」
妹紅は優しく、天子の頭に手を添えている。
よく見ると、天子の手が妹紅の袖口を握りこんでいた。
私がじっとそれを見つめていると、視線に気づいた妹紅が、慌てたように立ち上がった。
だが、天子は妹紅の袖を離そうとしない。
妹紅が天子の手を外そうとすると、天人の目がぱちりと開いた。
「紅子! 行っちゃやだよ!」
そう言って、妹紅へ飛びつくと、怒ったように声を上げた。
「紅子、いつも寝てる時は離れないでって、言ってるでしょ!」
「天子、お前、寝ぼけて――」
「そんなのいいから、厠に連れてって頂戴」
「お、おい天子!」
「何よ。いつもみたいに……――」
天子が周りに視線を移し、そしてそれを巡らせて、私と目が合う。
途端に、飛び退くように、妹紅から身を離した。
私は、二人のやりとりに絶句した。
これは、一体何なんだ?
ずいぶんと親しそうではないか。いや、そんなレベルには見えない。
まるで、長年共に過ごしたかのような、馴れ馴れしさだ。
あんな風に、天子が話すのは、はじめて見た。
いつもの知的な彼女からは想像もつかない、何か幼い少女のような話し方。
それに、この竹林の蓬莱人を紅子と呼んでいた。聞いたこともない愛称だ。
二人の間だけで分かる、何かの隠語だろうか。
何か、蚊帳の外のような疎外感を感じる。
私は唇を噛んで、二人を見据えた。
問題はその後だ。
天子は、厠と言ったか。一緒に厠へ行こうと。
厠とは、トイレのことである。
一緒にそんなところへ行ってどうするというのだ。
しかもである、いつもみたいに、と言った。
いつも。
普段。
日常。
わからない。そんなところで、二人で日常的に行うこと。
わからない。
私は、健全な二人の女性が、そんな場所で行う何かの知識など、持ち合わせていない。
きっと、あまり公にはできない、趣味的な何かなのだろう。
というより、そんなの知りたくない。推察したくもない。
何故か、私は自分の気が立っているのを感じていた。
一体何に、怒りを感じているのだろう。
この二人が、どんな趣味を持ち合わせていようと、関係の無いことだ。
迷惑を掛けなければ、当人たちの自由であろう。
そこで、私は自分の怒りの理由に思い至った。
そうか。
どんな趣味を持とうと勝手だが、その趣味を私の家で行うことに、怒りを感じていたのだ。
見ると、天子は焦ったように、顔を赤くしている。
隣にいる妹紅も同様だ。
思ったとおりだ。
やはり、公にするのは憚られる趣味なのだろう。
それを家の主がいないところで、こそこそと行っていたのである。
それは怒りを覚えて、不思議ではない。
「……趣味が広いのは、いいことよね。でも、人の家でそういうことするのって、どうかと思うわ」
とりあえず、不快であるとやんわり伝える。
これ以上、私の家をこのおかしな趣味に利用されても困る。
天子は聡明だ。
きちんと伝えれば、理解してくれる。
今後は行わないでくれるだろう。
顔を赤くしていた天子と妹紅が、揃えて口を開いたとき、部屋の中を激しい閃光が包んだ。
見ると、窓が開いて風に揺れている。
きっと、あの烏天狗だ。
帰ってくるときに、不自然な動きをしているカラスがいたから、もしかしたら張ってるのではないかとは、思っていた。
妹紅は舌打ちすると、窓から外へ飛び出していった。
勝手に家の内を撮影されたのには腹が立つが、何故か文句を言う気力がなかった。
私は、ため息をついて天子に視線を向ける。
天子は何かを言いかけて、それを飲み込むといった事を繰り返していたが、やっと声を出した。
「ねえ、アリス。妹紅さんとは、すごく前からの知り合いでね?」
そんなことは、説明されなくても分かっている。
あのような、普通ではない趣味を共有する間柄だ。
それなりに、付き合いはあるのだろう。
「そうでしょうね。ああ言ったプレイを楽しむ仲ですものね。うん。いいんじゃないかしら? そういうのって、別にその人たちの勝手ですし、私がとやかく言う事ではないものね」
何故か、棘のある言い方をしてしまった。
私の悪い癖だ。
でも、それは天子が言い訳をしようとしたからだ。
素直に謝ってくれれば、特にこれ以上、責めるつもりは無いのに。
けど、天子の次の言葉に、私の怒りは跳ね上がった。
「ちょっと、アリス誤解してる! お願い、説明させて。話せば分かるから!」
説明だと?
その、それはつまり、公には憚られる趣味を、私にも理解させようと言うことか。
自らのしたことに謝罪しさえすればいいのに、よりにもよって、こちらをそちら側へ引きずり込もうというのか。
言い訳ですら、生ぬるい。
なんて、見苦しい。
なんて……汚らわしい!
「ごめんなさい。私、そういうのは話を聞いても、好きになれそうにないわ」
「ねえ、アリス、あれは寝ぼけてて!」
「ああ、そういうこと。寝ぼけている時に、自然に口にしてしまうほど、慣れた行動だと!」
寝ぼけていただと?
なお悪いではないか。
もしかしたら、私が寝ている間に、その、なんだか分からない趣味の相手をさせられていたかもしれないのだ。
なんとなく、そんな可能性もあるのではと思っていたが、間違っていなかった。
何かの間違いだと、思っていたかった。
なんということだ。
私は、こんな危険な人物を家に泊めていたのか。同じ屋根の下で生活していたのか。
……いい子だと思ってたのに。
いい友達になれると、思っていたのに。
私は、目頭が熱くなるのを感じた。
「……不潔よ!」
「アリスお願い、話を聞いて!」
涙目で訴えてくる天子。でも、泣きたいのはこっちだ。
伸ばされた天子の手を払うと、『最終決戦防衛術式"死地と定めし防衛戦"』を発動させた。
この家中の人形に、私以外の生き物を全力で排除させる命令術式だ。
「お願い、出てって……」
「アリふ!」
天子の声は、のしかかる無数の人形たちによって阻まれた。
そして、その人形たちによって、天人が部屋の外へ運ばれていく。
私はそれを見送ると、目の前のベッドに突っ伏した。
桃の匂いがする。
数日、一緒に暮らしていた彼女のにおい。
涙が溢れた。
でも、本当にあの子といる時間は、楽しかったのだ。
言い訳なんてしないで、素直に謝ってくれれば、よかったのだ。
かっとして追い出してしまったけど、もしまた謝りに来るようなら、少しなら聞いてあげてもいいかもしれない。
人形たちの響き渡らせる、つんざくような戦闘音を聞きながら、私はそう思った。
天子は放心したように、空を見上げていた。もう間もなく、日も沈むだろう。
衣服はぼろぼろである。人形達の総攻撃で、アリスの家から大分遠くまで、追いやられてしまった。
反撃する気はおきなくて、されるがままにしていたので、当たり前と言えば当たり前だった。
「ははは。嫌われちゃった、か」
天子は一本の木の根元に腰を下ろすと、膝の間に頭を抱え込むように俯いた。
「あそこまで、拒絶されちゃったら、さすがの私でもどうしようもないわね……」
「地子」
天子が顔を上げると、息を切らせた妹紅が歩み寄ってきた。
「天狗には逃げられてしまったよ。アリスの方はどうなった?」
「嫌われちゃいました」
痛々しく笑う天人に、妹紅は沈痛な面持ちで、人形師の家の方向に視線を向けた。
妹紅は、天狗を取り逃がした後にアリスの家へ戻ったが、天子同様、人形達に追い返されてしまった。
荷物も届けて代金も受け取っていたので、無理強いして押し入る訳にもいかず、仕方なく次の配達先へ向かう途中で、天子を見つけたのであった。
「彼女は、誤解しているだけだと思うんだ。説明すれば、きっと分かってくれるわ」
「しようとしたんですけどね。それすら拒絶されてしまいました」
天子はそう言うと、口をつぐんだ。妹紅もそれ以上何も言えずに、押し黙る。
「ねえ、妹紅さん。魔理沙の家って分かりますか?」
「魔理沙の家か、分かるよ。行きたいのかい?」
「はい。実はアリスの家に行く前に、本当は魔理沙の家へ向かっていたんです。借りていたものを返そうと思っていて」
「そうか。分かった案内しよう。私はまだ荷運びが残ってるから、申し訳ないが、案内したら仕事に戻るよ」
「すみません。お手数おかけしてしまって」
「いや、こっちこそ、喧嘩の原因になってしまったようだし、本当に申し訳ない……」
その後、魔理沙の家の前まで案内してもらい妹紅と別れた天子は、扉の前でドアノブを見つめていた。
ただ、扇子を返すだけである。
何を戸惑っているというのだろう。
人と会うのが怖くなっている。何故?
またアリスのように、拒絶されてしまうかもしれないから?
こちらと比べることすら馬鹿らしいほど希薄だった、天界の人間関係。
そんな中で、長年生きてきたのだ。
いまさら、何を臆することがあるというのか。
しかし、知ってしまった。
また、思い出してしまった。
あの優しく、温かい時間を。
でも、失われてしまった。得たものを無くす喪失感。
久しく感じていなかった、痛烈な感情。
心が、痛い。
ダメだ。いくら奮い立たそうとしても、気分が乗ってきてくれない。
扉から視線をそらすと、配達受けが目に入る。
扇子はここに置いて、去るとしよう。
今は、人と会いたい気分じゃない。
「おいおい、そのまま帰るつもりか?」
上から声がかかる。家の屋根に座った魔理沙が、天子を見下ろしている。
「そんな所で、何してるのよ?」
「自分の家で何していようと勝手だろ。と言いたい所だが、いやなに、大したことじゃない。何処かの誰かが、近くでドンパチしてるようだから、見学していたんだ。一方的な展開だったけどな」
「見てたのね」
屋根から移動して、隣に立った魔理沙に、天子は自嘲気味に笑った。
「なら分かるでしょう。色々疲れてるの」
「分かるのは、目の前の気落ちする少女に手を差し伸べないと女がすたるってことくらいだな。……あー、あとな」
魔理沙は言おうか迷っている風であったが、困ったように笑った。
「天狗のやつに言われたんだ。どこぞの人形使いと天人が、仲違いになってしまったようだから、面倒見てやってくれないかとね。これは内緒にしておいてくれって言われてたんだが……だから、黙っておいてくれよ?」
そう言って、白黒魔女は口に指を当て、ウィンクして見せた。
「そんな訳で、お前らの間に首を突っ込ませてもらおうと思ったわけだ。さ、何事も早いほうがいい。さっさと、あいつの家に行くぞ」
「ちょっと待ってよ、そんな勝手に話を進めないで!」
楽しそうに笑う魔理沙に、天子は怒声を上げた。
魔理沙は気にした様子もなく、帽子の位置を直している。
「仲直りしたいんだろ?」
「……」
「我侭天人様が、何を躊躇う?」
「……」
「お前は、私と結構近い考え方してると思ってたんだけどな。楽しいことには一直線、その間に障害があるなら、それを全力でぶっ壊してでも突き進む。進んで進んで、進み続ける」
「……途中で、疲れてしまうことだってあるわ」
「そうだな」
魔理沙は何処か遠くを見るようにして黙していたが、天子へ視線を戻して微笑んだ。
「そんな時、誰かが肩貸してやったっていいじゃないか。 そう思わないか?」
そう言って後ろを向き、箒に跨って、柄を叩いてみせる。
「遠慮はいらないぜ」
天子は、暫く白黒魔女の背中を見つめていたが、ゆっくりと歩み寄り、箒の後ろに腰掛けた。
そして、その小さな背中に身を寄せて、ありがとう、と小さく呟いた。
「気にするな。まあ、貸しさ。いつか、返してくれればいい」
そう言うと、魔理沙は箒を浮き上がらせ、急加速した。
「いくぜ!」
こんな、小さな背中なのに、なんて頼もしいのだろう。
天子は込みあがりそうになる感情を押さえ込んで、魔理沙を掴む腕に力を込めた。
箒の後ろに乗せてもらえて、助かった。
こんな、情けない顔を見せないで済んだのだから。
魔理沙と天子を乗せた箒がアリスの家に近づいてくと、木々の陰から、人形達が様々な武器を持って、奇襲してくる。
魔理沙は、巧みに軌道を操作し、縫うように突き進んでいく。
途中、魔弾でいくつか人形を打ち落とす。
目の前の白黒魔女は、普段からこんなにも強引な旋回飛行をしているのかと、天子は息をのんだ。
そして、何よりその顔から笑みが絶えない。
今この瞬間も、楽しんでいるのだ。
進むにつれ、人形の数と攻撃力が増してくる。
通り過ごした人形達も、後方から追ってきているから、尚更だ。
「天子、頭を低くしろ。飛ばすぜ」
言われたとおりに、魔理沙の背中から、わき腹へ頭を移動させて姿勢を低くする。
次の瞬間、今まで十分早いと思っていた速度が、更に跳ね上がる。
一瞬、後方で爆発が起きて、吹き飛ばされたのではと勘違いしたほどである。
呼吸がまともに出来ないような速度だ。
あらかじめ、霊力で身体防御を高めていなかったら、気圧の変化で気絶してもおかしくない。
そんな速度で、木々の間を縫うようにして飛ぶ。
反射神経には自信のある天子だが、背景が追いきれない。
目の前の魔法使いは、何かの魔法で動体視力強化しているのだろうか。
視界が開けた。
徐々に速度が緩まり、見るとアリスの家が目の前にあった。
周りに、人形の姿は無い。
後方にほとんどが集まっていたのだろう。
魔理沙が、八卦炉を構える。
そして、何の前触れもなく、目の前の人形師の家へ極大の魔砲を放った。
爆音が轟き、空気が揺れる。
閃光が迸り、視界を埋め尽くす。
音と光が引いた後、空を舞う木片や砂土の隙間に、人影を見る。
アリスだ。
十数体の人形を従え、扉の前に立っている。
「一体、何なの!? 防壁を張ってなかったら、家が吹き飛んでるわよ!」
「いやなに、ちょっとノッカーまで行くのが億劫でな。しかも、苦労してノッカーを叩いても、出てきてくれる可能性が低いときてる。そんなわけで、ちょっと大きめな音で呼び出してみた」
「私は今、気が立ってるの。それ以上ちょっかいを出すなら、容赦――」
そこで、アリスは魔理沙の後ろにいる天子に気がつき、黙りこんだ。
「さぁ、行って来な」
天子は魔理沙に促され、箒を降りてアリスに向かい合う。
「アリス、お願い。話を聞いてほしいのよ」
「私に、その気はないわ」
アリスの取り付く島も無い様子に、魔理沙は肩をあげて見せる。
「よくもまあ、アイツをここまで怒らせれたもんだ。まあ、大体の話は天狗から聞いたが」
魔理沙は、二人へ視線を向けた後、懐に手を入れた。
「どんな理由だろうが、自分の意見を押し通したいなら、こいつで決めるのがここでの流儀だろ」
そういって、スペルカードを取り出した。
天子とアリスはそれを見て、意を決したようにお互いカードを取り出す。
「いいでしょう、天子。私が負けたら、あなたのそれを、理解できるか分からないけど、受け入れられるよう努力してみるわ。でも、私が勝ったら、もう話は聞かない。すっぱり諦めることね」
「わかったわ」
アリスが空に舞い上がり、空中に魔法書を放り投げる。
蛇腹のように魔法書の紙片が広がると、燃え上がる。
燃えた後には、白く輝く線が空中に残される。魔法陣だ。
間もなく中から、大量の人形達が飛び出してくる。
人形達は綺麗な網目のように、一糸乱れぬ動きで空を埋め尽くしていく。
アリスが腕を上げると、人形達がそれぞれの獲物を構える。
「行くわよ」
対する天子は、棒立ち姿勢のままだ。
アリスが腕を振り下ろすと、後方に配置された人形達から、矢が飛来する。一本一本は筆ほどの長さしかないが、着弾すると森の木々の幹をえぐり、石を砕く。
魔法で強化された、高質量の矢だ。
天子は最小限の動きで交わし、まるで平時であるかのように、アリスへ向け歩を進める。
アリスも牽制の弓が当たるとは思っていなかった。少しでも浮き足立ってくれれば十分だったが、冷静な彼女には、その効果も見込めそうにない。
天子の表情を伺うと、鋭くこちらを見据えている。
前に、彼女が起こした異変時の表情とは、別人のように見えた。
以前刃を交えた際は、もっと余裕のある、楽しむような顔だった。
しかし、今は。
天子が、歩みから走りへと移行する。
アリスは、天子の内で高まる霊気を感じ、第二陣を放った。
体の数倍はある大槍を携えた、人形達による突進。
網を投げたかのように、編隊を組み六列にわたる波状突撃が、天子へ収束していく。
人形達と天子がぶつかる。
何かしらの防御弾幕を張るものと思っていたが、天子は何も展開せずに、人形槍兵へと接触する。
そして、先頭の一団の刺突を、小さく身をひねり避けると、素手で槍を側面から握りこみ、振り回した。
人形が遠心力に耐えられずに、槍から手を離して飛ばされていく。
天子はその槍の柄を握りなおすと、次に迫りくる人形槍兵を迎え撃った。
一閃、天子が槍を薙ぐ度に、打ち据えられた人形達の持つ槍が、ひしゃげて空を舞う。
同じ強度の槍を持つ天子の槍が壊れていないのは、霊力で強度強化しているのだろう。
アリスは槍兵を下がらせると、両側に翼のように展開していた人形の一団へ、魔力を送る。
「天子。悪いけど、ちょっと軽く、本気で行かせて貰うわ」
複雑に組上げられた人形達の内部魔法術式に、魔力が満たされていく。
十体の人形が魔力を放出し、アリスの前面に弧を描いた薄い魔法障壁を展開する。
天子は防御の結界かと思ったが、それが薄すぎると判断すると、何か危険信号を感じて腕に霊力を集中した。
更に後ろに配置された人形達が、その薄い結界に向け、大きな丸い光弾を放つ。
薄い結界に接触した瞬間、強烈な光弾が、天子の頬を掠めて通り過ぎていった。
後方で、直撃を受けた木が、爆散する。
うっすらと、天子の頬に血が滲む。
威力重視の魔力大弾を、レンズ状にした結界を経由させ、高速で射出。
魔法のコンビネーション。本来なら、こんな威力の光線を放つのは容易ではないが、分担させることで、可能にさせている。
人形達が、次々と魔力の大玉をレンズ結界へ叩き込んでいく。
高速、高威力の魔法弾が地面を抉る。
落ちていた槍が、魔法弾の直撃を受け、熱で融解する。
「おい、天子! お前、人形への攻撃を避けているだろう! そんなんじゃ、あいつを倒すことはできないぞ!」
戦いを見ていた魔理沙から、天子へ対して怒声が飛ぶ。
「だって、人形が」
「人形は平気だ! あの人形使いが、どれだけ人形を大切にしているか知ってるだろ。それを壊すかもしれないような戦闘に、出していると思うか? 壊さない自信があるのさ。あいつの膨大な魔力容量の大部分は、人形への防壁に割いているといっても過言じゃない」
「で、でも」
「あいつへの想いは、そんなものだったのか? もう一度、思い出してみろ。お前は、どうしたいんだ?」
そこで、天子ははっと肩を震わせた。
「お前の、その気持ちを全力で叩きつけたって、あいつなら軽く受け止めてくれるさ」
魔理沙が楽しそうに笑う。
「大丈夫だ。それに、あいつは頭がいいくせに、凄い鈍感なんだよ。きちんと伝えないと、まったく伝わらない。嫌になるくらいな。だから、分からせてやれ」
天子は頷くと、アリスへ視線を向けた。
もう既に日は落ちて暗く、距離もそれなりにあるため、その表情は伺えない。
高速高威力の魔力弾が、再び飛来する。
何とかそれをギリギリで避けるが、常軌を逸した威力と速度である。いつまでもは持たない。
高い霊力による防御の高さには自信があるが、この威力では一撃貰ったら、おしまいだろう。
天子は懐から、小さな白紙片を取り出す、それを空にばらまいた。
白紙片は、空中で数珠つなぎのように連なり、円上の紙垂となる。
そして、腕に溜めていた霊力を注ぎ込む。
紙垂の輪の中心から、巨大な岩石が飛び出し、アリスへ向かって突き進む。巨大な要石だ。
魔力弾が岩石へ放たれるが、神岩の概念を纏ったこの要石は、そう簡単に破壊できない。
天子は要石の後ろについて、一直線にアリスへ向かって接近する。
だが、巨大な要石が次の瞬間に砕け散った。
砕け散った隙間からアリスを伺うと、先程のレンズを複数展開し、さらには、もっと巨大なレンズ結界を展開していた。
魔力弾が、雨あられのように降り注ぐ。
そして、巨大レンズ結界に大きな魔力弾が九つ同時に、叩き込まれた。
「集魔符『ノナゴンレイ』!!」
超高出力高速魔力弾が、地面に突き刺さる。
次の瞬間、地面が爆熱し、土砂が上空高く巻き上がった。土砂は、拡散しそれを受けた木々が幹をえぐり取られ、はじけ飛ぶ。
叩き上げられた土砂は、下手すれば半里は飛んでいるのではないだろうか。
直撃は免れたが、霊力で高めてるはずの、天女の衣である天子の衣服の端が、焦げ始めている。
直撃を貰えば、命も危ないかもしれない。
「ア、アリス、私を殺す気!?」
「やっこさん、ちょっと頭に血が上ってるのかもしれないな。こりゃガチだぜ」
いつの間にかに隣に避難していた魔理沙が、天子に向かい苦笑する。
アリスは、融解する地面を見つめた。
夜の闇の中、目がくらむような溶岩の赤が、森を照らす。
粉塵が巻き上がり、天子の姿を見失ってしまった。
ちょっとやりすぎただろうか。でも、これで天子も私が本気だとわかったはず。
あれを直撃させたら、ただでは済まない。
もちろん、直撃させる気などなく、威嚇として使用しただけだ。
これで、諦めてくれればいいのだが。
天人である彼女に近接されたら、そのまま一本取られてしまうかもしれない。
かと言って、彼女を遠距離から仕留めるのは中々に難しい。
そのため、これを使わせてもらったのだ。
まだ、レンズ結界は展開中である。この技の構成上、この形に入ってしまえば基本的に負けることはまずない。
今の威力の魔法弾を、数秒置きに連射すら可能なのだ。
「天子! 聞こえる? あなたが私をその道に引きずり込もうとする限り、なんとしても阻止させてもらうわ!」
反応はない。
辺りを見ると、いつの間にかに白紙が空を覆い尽くしている。
火炎の起こす上昇気流に乗り、巻き上げられているのだ。
巻き上がっていた白紙が、微かに霊気をおびたと思うと連なり始めた。
一瞬後に、百寸程の要石が、空を覆い尽くす。
まずいだろうか。
いや、大丈夫だ。360度全方位に視界を向けた人形たちに、自動迎撃術式を命令してある。
不意打ちはない。
いざとなれば、魔法弾による一点突破で脱出できる。
視線を巡らせていると、離れたところに天子の姿を見つける。
望遠暗視レンズを装備した人形の視界を経由し、その表情を伺う。
まだ、諦めたような顔をしてはいないようだ。
「まだやる気なのね」
巨大レンズによる威嚇攻撃を再開しようとしたとき、天子に動きがあった。
天子はスペルカードをかざし、大きく足を踏み下ろした。
重く、空気が震える。
そして、さらにもう一枚スペルカードをかざす。
すると、周りを漂っていた要石が目で見えるほどの、白色の霊気をまとい始める。
それが、要石と要石をつないでいく。
まずい!
アリスは巨大レンズ結界を使用し、魔力弾を射出する。
だが、魔力弾は、要石が放つ結界網に徐々に威力を削られ、いくつか破壊しただけで、消失してしまう。
あの要石は、この魔法の森にみちる大気の気質を吸収し、結界と化している。
私が森を荒らしたせいで、様々な生物の感情が渦巻き、大量の気質を生み出してしまっているのだ。
だが、気質は上へ上へと集まるもの。地面に近づけば、その濃度はみるみるうちに低下する。
外泊するため、緋想の剣は天界へ転送してしまっている。今の天子に、強引な気質収集は無理だ。
そう考え、アリスは地面へと急降下する。
そして、天子を見る。その時、天子がにやりと笑っているように見えた。
次の瞬間、地面が急激な勢いで、盛り上がる。
自ら急降下する勢いは止められず、地面と激突する。
「ああぁ!!」
足首に激痛が走る。
アリスは倒れ込み、上昇する地面に張り付けにされる。
そのまま地面はぐんぐんと上昇し、空いっぱいの要石が目の前に隙間なく取り囲む形となった。
倒れたアリスに、天子が歩み寄ってくる。
「私の勝ちよね」
「そう、ね。私の負けだわ」
「アリス……あ、足、怪我したの!?」
天子はアリスに駆け寄ると、そっとその身を起こした。
「大丈夫、少しひねっただけだから」
「おーい、随分とド派手なバトルだったな。天子、もう地面下げてくれ。下は消火しておいたぞ」
魔理沙が箒に跨って、隣に来る。
「私、負けちゃったのね」
アリスは、観念したように目を閉じた。そして、ゆっくり目を開け、自分を抱きかかえている天子を見つめる。
「ねえ、天子。私、あなたに好意を持っていたのは確かみたい。あなたといた時間は、とても落ち着く心地よいものだったわ。それは本当」
そこで、言葉を区切って視線を下に向ける。徐々に、顔の赤みが増していく。
「でも、その……趣味の方は、時間をもらえるかしら。理解できるように努力するけれど、気持ちを整理する時間が欲しいの」
「趣味?」
「あなたが妹紅さんとしてたっていう」
「何の事だか分からないけど……妹紅さんは、私が天人になる前に、少しの間、侍女としてお世話してくれた人なのよ。あなたにも話したでしょ? ほら、あの小さい頃にお世話になった侍女の人よ」
「え……侍女の?」
アリスの頭の中で、新しく追加された情報が、今まで固めていた情報を根元から破壊する。
過去、侍女、天子の幼少期。
それは間もなく再構築された。
そして、気がついた。自分が思い切り、勘違いをしていたことに。
「天子、私、なんか勘違いしてたみたい……」
そう、か細く呟いた。
「うん。分かってる。だから、それを説明しようとしてたんだけど。……あれ? よく考えてみたら、なんでアリスって怒ってたの?」
「いや、それは……」
「おいおい、天子……わかってなかったのか」
魔理沙は機嫌良さそうに、天子の肩を叩いた。
「それはな。アリスは、お前と親しくしてた妹紅に、嫉妬していたんだ。それを認められず、その感情を無意識的に、別のものへ思考誘導していたのさ。何に思考誘導してたかまでは、わからないがな」
そういう魔理沙に、アリスが食ってかかった。
「な、何もかも、分かったように言うのね! どんな根拠があって、そんなこと言うの!?」
「根拠なんて無い。強いてあげるとすれば、私が恋の魔法使いだからかな。どこかの鈍感な魔女さんと違って、私はそう言うのに敏感なんだ」
魔理沙は、いやらしい笑みを浮かべる。
「なに、にやにや笑ってるのよ!」
「ん? 顔に出ちゃってたか。まあ、あれさ。揺れ動く少女たちの繊細な心。それを見て、ときめかないほうがおかしいってもんだぜ。なあ、いつまでもこうやって引き伸ばされると、私の顔が筋肉疲労おこすぜ。引きつった私の顔なんて、見たくないだろ? いいのか、引きつっちゃうぞ?」
「なによその意味不明な脅し……!」
「おい天子、お前アリスの家での勝手にも慣れたんだろ。喉渇いたし、お茶入れてくれよ」
「わ、わかったわ。アリス、お勝手、借りるわよ」
天子はそう答えて、アリスを魔理沙に任せると、アリスの家へと向かう。
周りの地面は、もう通常の高さまで下がっていた。
魔理沙は、アリスへと顔を寄せた。
「なあアリス。私も勝負に勝った訳だし、何か頂くけどいいよな? そうだ、お前こないだ魔界から凄い魔法書一冊取り寄せたって言ってただろ。あれちょっと貸してくれよ」
「なんで、あなたに貸さないとならないの。それより、あなたに負けたって何のことよ!」
「さっきの勝負だ。私と天子のタッグマッチだったんだから、当たり前だろ? 最初に私もスペル提示したし」
「ちょ、あれってそういうことだったの!? それって詐欺でしょ!」
「まあ。スペル提示するまでもなく、はじめから、森の中で人形達を切り抜けて、天子をここまで導いたのは私だ。どうみたって、これは共闘だろ」
「なにそれ。屁理屈よ。話にならないわ!」
魔理沙はやれやれと肩を上げてみせる。
「お前と天子の間を取り持った私に、魔本の一つも渡せないのか……まあ、それはつまり、天子との友情は、魔本の一冊より軽いって判断しても、いいんだな?」
「あ、あなたね。その言い方は、卑怯よ!?」
「お褒めに預かり、光栄だぜ」
「褒めてなんか無いわよ!」
「照れるなって」
「照れてない!」
天子は少し遠くから、そんなアリスと魔理沙のやり取りを見て、軽い羨望のようなものを抱いた。
いつか、私もあの二人のような気兼ねしない関係に、なれるだろうか。
天子はぐっと拳を握り締める。
いや、なって見せようじゃないか。
私は、この幻想の郷を楽しみつくすと決めたのだ。
そうだ。ひとまず、このお茶会で次へ繋がる約束を取り付ける。
狡猾? 構わない。利用できるものは、何でも利用して楽しんでやろうじゃないか。
なにせ、私は不良天人。自分の欲には忠実なのだ。
天子は、アリスの家の中で嗅ぎなれた空気を吸うと、中で出迎えた人形たちに笑いかけた。
「さあ、あなたたち、お茶会の準備をするわよ!」
後日、勘違いした人形師が、メイド服に身を包んで天人の家に侍女として訪れたのは、別の話。
アリスてんぱりすぎww
名居神社の全国建立、不比等の活躍時期から考えると二人が出会っている可能性もあるわけですね
ほのぼのなのに、考察を差し入れているのがよかったです
ところで、その新聞一部頂こうか
貴重なご意見、有難う御座います。
自分では気づかなかった点や、必要なことなどが色々分かりました。
今後は、頂いた意見を参考に、精進して行きたいと思います。
重ねて、感謝申し上げます。本当に有難う御座いました。
ただ、シメが投げっぱなしなのが気になります
続きあるよ、な?
でも綺麗に終わった物語を見たかったという感想。
感情の表現や風景描写などは素直に上手だなと思いました。
何といっても終わり方がとても良くなっていますが、加筆された戦闘も良かったです
要石の出し方とか楽しかったです
これで枕を高くして眠れzzZ
もう少し、こぉ、そのままの味付けでどっしりしたボリュームがあると、もっと嬉しいかもw
・・・とか言いながら、読むの2度目なんだよなぁw
ちょいと感情の起伏が唐突に感じましたが楽しめました