「死にたいわ」
最初に霊夢がそう言ったのは、いつもの三人で鍋をつついているときだった。
今の今まで談笑していたはずなのに、その一言で場は静まり返り、グツグツと煮える音と、目の前に沸き上がる湯気と、鼻をくすぐる鶏肉の香りの全てが、どこか遠い世界のものに成り下がった。
「……はっ、あは、ははは、あっはっはっはははははは!」
最初に動き出したのは魔理沙だった。
突然気が狂ったのかのように大声で笑い出し、目には涙まで溜めている。
ようやく笑い終わった時には真顔になっており、霊夢を指さしてハッキリと言った。
「面白くない、5点だな」
「あら、そんなに点数くれるのね」
霊夢はというと、特に何もないのか無表情。言葉だけでおどけて返し、鍋から豆腐を一つ掬い取る。
その反応に安心したのか、魔理沙は紅魔館での話を再会した。先ほどまでは私も楽しんで聞いていたが、もうその話は耳に入ってこない。
結局私は何もしなかったが、その一言から、確実に何かが変わっていた。
~~~~~~~~~~
「じゃあ、風呂使うぜー」
「早くあがりなさいよ。あんたが長風呂すぎるせいで、アリスはいつも半分寝ながら入っているんだから」
「魔女は寝る必要ないんだぜ~」
魔理沙は忠告に対して右手をぶらぶらと振りながら、部屋から出ていった。
やかましい足音が聞こえなくなってから、鏡の前に座る霊夢を見る。
長く艶やかな髪に櫛を通している姿は、やっぱり日本的な美しさがある。
「霊夢」
「なぁに?」
櫛を操る手を止めずに、霊夢は声だけで応えた。
「死にたいの?」
その手も、すぐに止まった。霊夢は櫛を置いてこちらへと振り返る。
普段と変わらない笑顔のはずなのに、どこか見てて辛かった。
「あんたは冗談だとは思わないのかしら?」
「霊夢はあんな冗談は言わないわ」
言うと、「参ったわね」と呟きながら、せっかくとかした髪をかき乱すように、少々乱暴に頭を掻いた。
「もー、なんで口走っちゃったのかしら」
「霊夢には死んでほしくないわ。どうしてあんなこと言ったの?」
「……あー、まぁ、アリスにならいいか。魔理沙と違って口堅そうだし」
霊夢は布団の上へと移動し、どっしりとあぐらをかく。
薄く浮かべている笑顔を見たときに薄ら寒いものが背中を走ったが、私はしっかりと向き合って座った。
「他言はしちゃ駄目よ」
霊夢のただならぬ雰囲気に言葉を吐き出すこともできず、私は頷くことで返事とした。
「私はね、ずっと死にたかったの」
耳に飛び込んできた、その言葉。
不意打ちだったとはいえ一度耳にしているのに、これだけハッキリと言われても霊夢自身が言っているのだとは信じられなかった。
どこか遠い世界から、声だけが脳に響いている。そんな感覚に囚われる。
「アリスと出会う前から、魔理沙と出会う前から、私はずっと死ぬ機会を伺っていたわ。結局、未だにこうして生きているけれどね。はいおしまい」
それだけ言うと、霊夢は黙ってしまった。
「まだ、肝心の理由を話してもらっていないのだけど」
「別に理由なんていいでしょう?ただ、博麗の巫女が死にたがっているなんて知れたら、大騒ぎになる。だから他言してほしくないだけ」
それっぽい言葉を並べ、再び口を閉ざす。
その態度に釈然としないものを感じるが、これ以上は梃子でも動かないだろう。霊夢の頑固さはよく知っている。
「一つだけでいいから、確認させて」
目を、見つめた。本当のことを言ってくれるか見極めるために。
「私は、霊夢に死んでほしくない。魔理沙もきっとそう。だけど、霊夢が死にたいのって、私たちのせい?……私のせい?」
もしそうだとしたら縁を切ろうと、聞く最中に覚悟した。
「どうしてそう思うのよ。会う前からだって言ってるじゃない」
「……」
ただ不安だから。怖いから。そんなことを言うほんの少しの勇気も、持ち合わせていない。
霊夢はまた後頭部を掻きながら、ちょっと俯いてこちらから目線を外した。
「あんたたちがいなかったら、多分もう死んでるわ。あんたたちが遊びに来てくれるから、私は生きてる」
ああ、よかった。心から安堵して、深いため息を吐いてしまう。
それは、自殺願望の原因が私たちだったからではなく、「私たちが遊びに来ているから死なない」という物言いは、霊夢が迷っている証拠だと思ったからだ。
三人で過ごすことは楽しい。それは魔理沙も、霊夢も同じだと確信している。
この何気ない日常が、立ち止まらせているというのなら。
「霊夢、明日も泊まってもいいかしら」
「え、魔法の研究をやりたいんじゃなかったの?」
「別に、そんなことはいつでもできるわ。もしかして、駄目?」
「……駄目じゃないけど」
「なら決まりね」
きょとんとする霊夢を尻目に、私は笑った。
ああ、知れて良かった。無知のまま、手遅れにならなくて良かった。
立ち止まらせるだけじゃない、振り返らせて引っ張りあげてやろう。
堕ちていかないように、私が空を飛ばせてやろう。とびっきり楽しい、「日常」という名の人形劇を見せてやるのだ。
独りにさせないように、悩む隙を与えないように。
そんな決意を、私は固めた。
~~~~~~~~~~
初めは、ただの顔見知りだった。
あの時のことを恨んではいたが、別に復讐なんて大それたことを考えてはいなかったし、この幻想郷という場所では重要な存在らしいから適当に付き合いを持って適当に宴会で会って。彼女との関係はそれで十分だと思っていた。
その関係が変わったのは、すべてあの馬鹿……霧雨魔理沙のせいだ。
なにかと人にちょっかいを出し、異変は出しゃばって解決したがり、他人に迷惑をかけても何とも思わないやつ。
そう思っていたし、それを利用して異変解決を共に行ったりもしたが、正直ただただうるさいだけの存在だった。
そしてあの日、魔理沙に連れられて博麗神社へと向かった時のこと。
連れてくるだけ連れてきておいて、「そうだ、急用を思い出した。ちょっと行ってくるぜ!」と言い残しさっさと飛び去られて、やり場のない憤りがこみ上げてきたのだ。
何であんなやつに私は付き合ってやっているのだろうか。相手が人間だからと遠慮せずに、いっそ頭から食ってやろうか。
本気で襲撃計画を脳内で練るくらいには精神にキていたし、あの怖い物知らずに妖怪の怖さを教えてやろうかなんてらしくないことも考えていた。
「あんた、相当参ってるみたいね」
隣から聞こえてきたのは霊夢の声。
こんな時は、誰と話していてもイライラしてしまう。
「何が?」
「何がって、あんた、口から漏れてたわよ」
しまった。無意識に思っていることを口に出してしまうのは私の悪い癖だ。
あまり知られたくない相手に知られてしまったと後悔し、すぐに臨戦態勢を取る。妖怪が人間を襲おうと画策しているのだ、退治されてもおかしくはない。
だが、帰ってきた反応は予想外のものだった。
「あんたもそう感じるのねー。異変の度に組んでたから、魔理沙の悪行を全て許せるような聖人君子かと思ったわ」
「……私がそんなんじゃないってことは、私の言葉が証明したでしょう?」
「そうね、安心したわ」
どうやら退治はされないようなので、こっそりと臨戦態勢を解いて耳を傾ける。
霊夢は茶を一口啜って、ほぅと息をついてから続けた。
「私も何度も折檻してやろうかと思ったし」
「あら、意外ね。それこそあんたが聖人君子かと思ってたわ」
「冗談。あいつと付き合って良かったことなんて片手で数えきれるくらい少ないわ。悪かったことを数えるのには手が足りない」
苦笑しながらそんなことを言う。
そこには、今までに見たことないような博麗霊夢がいた。
「それにしても、巫女のくせに妖怪が人間を襲おうとしているのを止めはしないの?」
「あいつは人の恨みをかなり買っているだろうし、痛い目を見たほうが世のためよ」
「なるほど」
「まぁでも、あんなやつでもいいところはあるのよ?」
「え、いや、それは無いわね」
「……ほんっと、嫌われてるわねぇ魔理沙のやつ」
くっくっくっと喉をならし笑いを堪えている。その姿を見て「ああ、この子も人間なんだ」なんて、人事のように考えていた。
「あいつは人に近づきたがる癖に、相手との距離を考えてないのよ。だから、急に近づかれて驚いたりイラついたりしちゃうわけ」
「……よくわからないけど、確かに図々しいわね」
「いくら引き離そうとしても寄ってくるから、対処法はただ一つ」
「何?」
「あいつを好きになって、それなりに良い人間関係を作ること」
すでに観念しているようで、人間らしい苦笑を顔に張り付けている。
ただただ巫女の責務を全うするだけのマシーンのようなやつかと思っていただけに、そのありふれた反応には新鮮味を感じた。
「好きになれる自信が無いし、それより先にグーで殴ってる気がするわ」
「そうよね。私もずっと、井戸に落としたいとか呪いでもかけてやろうかとか思ってた。思ってたじゃないわね、今も時々そう思うことがあるわ」
「意外ね」
私と同じようなことを霊夢が考えていることも、そんな気持ちを持って魔理沙と仲良くしていることも意外だ。
「霊夢はもっと、自分に素直な人間かと思っていたわ。好きなら好き、嫌いなら嫌いって言うタイプかと」
「あら、その通りよ。魔理沙のことは好きだけど嫌いってところかしら」
どうして相反する感情が両立できるのだろうか。そこがわからない。
「良いところは、正面から向き合えばわかってくるわ。昔の私みたいに付き合おうともせず、嫌々流されているだけじゃあわからない」
「それは、私に言っているの?」
「他にだれがいるのよ」
そんなことできるわけがない。そのうち私は魔理沙に手を出すのだろう、なんとなくわかる。
「……」
「まぁ、いきなり好きになれって言われても無理よね。じゃあ嫌いなところでも語りましょうか」
霊夢は、黙った私に茶のおかわりを渡してきたので、受け取って一口啜るが、やっぱり緑茶は不味かった。
「嫌いなところなんて、多すぎて語り尽くせる気がしないわ」
「同感ね」
顔を見合わせて笑い、盛大な愚痴り合いが始まった。
その日その時、私と霊夢は赤の他人ではなくなった。
神社へと行く回数は増え(といっても、八割は魔理沙に連れられてだが)、なにかと文句を垂れ流し合う。
初めは魔理沙のことだけだったが、そのうち巫女の仕事のことや魔法の研究のことも聞いてもらって聞いてあげて。
いつからだろう。
気がついたら私は、霊夢とも魔理沙とも友達になっていた。
なぜ魔理沙とそうなれたのかは本当に自分でもわからないが、まぁ、「正面から向き合った結果」ということにしておこう。普段隠している勤勉さとかは見習うべきだし、くだらない嘘はつくが肝心なところでは誠実なやつだ。
私は、誰かを無条件で信じるなんて狂気の沙汰だと思うし、それがあの霊夢と魔理沙だというのなら尚更。
でも、もう考えるのはやめた。
すでにそうなってしまったことをいつまでもうじうじ考えるなんて面倒くさい。
今は、二人とも親友。大好きな友達。
それでいいじゃないか。
~~~~~~~~~~
「――んぁ」
夢か。
懐かしい夢だった気がするが、あまり覚えていない。
どうやら日が昇る前に目が覚めてしまったようで、障子の外はまだ薄暗くしばらく陽は登りそうにない。
上半身を起こして目を擦りながら左へ首を曲げると、寝言のような唸り声をあげている霊夢と、持参した抱き枕にしがみついて寝ている魔理沙がいた。
霊夢の顔は苦痛に歪んでおり、汗も沢山かいているように見えた。
暗闇だからわかり辛いが、目の下には涙の通った跡もある。寝ながら泣いていたらしい。
悪夢に苦しんでいるのだろうか。
「……れいむ、霊夢」
体を揺すって呼びかけると、すぐに唸り声は止み、目がゆっくりと開かれた。
「あ……りす?」
「霊夢、大丈夫?酷く唸され――」
「う、ああっあ゛あ゛!」
突然飛び起きたかと思うと、そのまま私にしがみついてきて、危うく後ろに倒れそうになる。なんとか手を床について体を支えるが、その最中がくがくと震えだした霊夢を見たとたん頭の中が真っ白になり、思考回路は吹っ飛んだ。
「うっ、ひっく……ぐすっ」
私の胸で泣きじゃくるその姿を見て驚き、震える背中を見て驚く。
霊夢、霊夢、博麗霊夢。これが、博麗霊夢?
なにも考えないまま震わせる体を抱きしめたら、今にも折れてしまいそうな細さと脆弱さが肌から伝わってきて、見ていられなくなってしまう。
私の胸まで痛みだして、切なさが溢れてきて、だから優しく背をさすってやる。
「大丈夫よ、大丈夫」
「っく、……っ……」
「大丈夫だから」
震えが止まるまでの間、私には胸を貸してやることしかできなかった。
~~~~~~~~~~
「ごちそー様でした!」
今日の朝食担当の魔理沙が、自分で作った食事をぺろりと平らげ、両手を合わせて言った。
すでに太陽は昇り始め、鶏も鳴くのを止める時間帯。朝食の場はいつもと同じように見えて、どこか違っていた。
「お前ら、私の朝食が不味くて食えたもんじゃないって言うんじゃないだろうな?」
霊夢は好物の鮭の塩焼きを半分以上残し、私は一尾丸々残してしまっていた。そりゃあ魔理沙も言いたいところがあるのだろう。
「ごめんなさいね魔理沙、私食欲が無くって」
「……私もよ。美味しかったわ」
私の言葉に合わせて、霊夢も同じように言い、二人で食器を片づけ始める。魔理沙はそれが大層ご立腹だったらしく、「もうお前らに私の飯を食う資格はないぜ!」などと漏らしていた。だが、なんだかんだ言っても来週くらいにはまた作ってくれるのだろう、そういうやつだ。
三人で片づけを終え、食卓を囲って茶を啜る。
小鳥のさえずりが、直に来る春を予兆しているようだ。
「おいおいおい辛気くさいぜ?なんだお前たちなんで黙ってるんだよ」
普段なら談笑が繰り広げられているのだが、今日に限っては会話らしい会話がない。
私は楽しくしゃべるような気分ではなかったし、霊夢もずっと手元の湯呑みを見つめて俯いている。
「……なぁ、本当にどうしたんだ。なにかあったのか?」
沈黙は続く。魔理沙の表情にも困惑の色が出始めており、滅多に見せない気遣いまでし始めた。
「大丈夫、大丈夫だから」
「……」
私はなんとか取り繕うとするが、霊夢にはそれすらない。普段なら軽口の一つや二つは返すだろうに、悪夢は相当気分を落ち込ませたらしい。
そして、再び静寂が戻った。
茶を啜る音と、湯呑みを置く音が、今のこの場での全ての音色だった。
「ああもう、辛気くさいのは嫌いだ!私は先にお暇させてもらうぜ!」
とうとう我慢ができなくなったようで、魔理沙は勢いよく立ち上がると部屋から出て行ってしまった。
そして、なにやら玄関で戸が閉まる音が聞こえたと思うと、今度は縁側から声が響いてくる。
「アリスー!お前もちょっと来てくれー!」
チラリと霊夢を流し見る。
一瞬だけこちらを見たが、すぐにまた俯いてしまい、その感情までを慮ることはできない。
「ちょっと、行ってくるわ」
話が終わったら、今日はずっとそばにいてやろう。そう心に決めてから、一言だけ残して玄関へと向かう。外にでると、蒼天が眩しすぎて憎らしかった。
縁側へと歩いて移動するが、魔理沙の姿が見当たらず、どこへ行ったのかと周囲を見渡す。
「こっちだー、来てくれ」
しばらく探していると、どこからか聞こえてきた力無い声。鳥居をくぐって長い石段を見下ろすと、魔理沙がちょこんと座っていた。カツンコツンと石段を鳴らし、隣まできてから同じように座る。高台から野を見下ろして浴びる風も、今は気持ち良くない。
「で、何?」
「……」
どうも様子がおかしい。返答はなく、表情は曇っていて、石段の下を見つめるばかり。
「自分から呼びつけておいて、どうしたの?」
別に責めているわけではないので、優しい声色で尋ねる。魔理沙はこちらを見ることなく、動きもしない。
「……なにがあったんだ?」
「えっ?」
「なんか、あったんだろ?」
ようやく絞り出したかのようなか細い声は、私の中にいる傍若無人な霧雨魔理沙像を静かに壊していった。
「私だけ仲間外れなんて寂しいじゃないか」
ようやくこちらを向いてくれたと思ったら、今にも泣きそうな表情で。また、別の痛みで心が軋む。
「お願いだ、教えてくれ。私とアリスの仲じゃないか」
仲、か。
「そうね、魔理沙には話しておくべきよね」
私と同じように、魔理沙も霊夢のことを助けたいと、そう思ってくれるはず。
だって、友達だから。助けたいと思うなんて、当り前のことだから。
そう思って、霊夢が死にたがっていること、うなされていたこと、全部話した。
話しているうちに今朝の様子を思い出してしまい、心が揺れる。私の悲しみは魔理沙にも伝播したのか、普段はハツラツとした表情も曇り、歪んでいった。
「ごめんなさいね、ご飯食べれなくて」
「……いや、いい。そんな場合じゃないかもしれないしな。時間もあまりなさそうだ」
魔理沙の言うとおりだ。霊夢が何かに苦しんでいるのは明白で、限界はすぐにでも訪れてしまうかもしれない。
それは悪夢を生み、心を崩し、死をも望ませてしまうほどの、強大な何か。
「アリス」
先ほどまでの弱々しさは消え去り、威風堂々とした雰囲気を身に纏い、魔理沙は立ちあがる。
「元から絶たなきゃ、霊夢は本当に死んじまうかもしれない。それを指を咥えて見てるだけなんて、私はごめんだ」
同じ気持ちだとわかって、安心した。やっぱり話して正解だった。
「一緒に霊夢を助けよう」
「ええ、もちろん」
一人では不安だが、二人なら大丈夫。きっとなんとかできる。
死にたいなんて二度と思わせないように、幸せにしてやらないといけない。
「さて、そうと決まれば行動あるのみだ!」
「え、あ、ちょっとどこ行くの!?」
石段に置いてあった箒を掴んだ魔理沙は、魔力をバネに空中へと飛び上がる。推進力にする魔力を箒へと送りこみながら、私を見下ろしニカッと笑った。
「まずは原因を探らなきゃいけないだろ?霊夢のやつが素直に話すとも思えないし、私は神社や巫女のことを調べてくることにするぜ。だからアリスは霊夢の傍に居てやってくれ」
魔力が溜まり、星屑を撒き散らしながら私の隣にまで降りてくる。そして、真剣そのものといった表情で、小さく呟いた。
「隣に居てやるのは、アリスの方が適任だ。だから、頼んだ」
言い返す間も与えずに、魔力を爆発させて北西の空へと飛んで行った。
星の瞬きは太陽の下でも激しく自己主張し、そのうち見えなくなって、消えてしまった。
「―――あぁあもう!なによ勝手に言いたいことだけ言って!」
これこそが霧雨魔理沙だと改めて思い知らされ悪態をつくも、今日だけは感謝した。
きっと何かを見つけて来てくれるはずだ。
残光をいつまでも見続けているわけにもいかない。
飛ぶのは流れ星に任せて、霊夢の元に戻らないと心配だ。
普段通りの晴天に戻ったことを確認してから、ゆっくりと歩いて神社へと引き返した。
~~~~~~~~~~
「霊夢、人形がお風呂沸かしたわよ」
「……ありがとう」
隣に居ること数刻余り。
居間や縁側で一緒に座り、ボーっとしているだけですっかり日も落ちてしまった。
結局霊夢は昼も碌な食事をせず、あとは茶だけを啜り、私の話に相槌を打つだけ。
元気づけられればいいのだが、その方法がまるで思いつかない。
「夕飯はどうする?」
「今日は、いらないわ」
「朝も昼もそんなに食べてないでしょう。人間なんだから食べなきゃ駄目よ」
「いらない」
このまま、何も食べずに餓死してしまうんじゃないか。そんな最悪の未来まで想像してしまうほどに、霊夢は生気も覇気も失っていた。
会話も続かず、食事も取ってもらえず、あとは一体何をしてあげられるのか。
考えに考えて、気晴らしになるかもわからないが、思いついたことを提案してみる。
「なら、せめてお風呂に入りましょう。今日は私と一緒に」
「アリスと?」
「二人くらいなら入れるだろうし、たまにはいいでしょう」
拒否される前に押し切ってしまうことにして、人形に着替えなどを用意させながら霊夢の体を脱衣所まで押していく。
「ほらほら、ほらほら風呂風呂」
「え、アリス、まって、ちょっとこら!」
「はい到着、ほら脱ぎなさい」
「待ってってば、うわっ脱がさないで、人形は卑怯よ!待ちなさいってばー!」
大きすぎず、小さすぎない、どの家庭にもある小さい空間に、ひん剥いた巫女を押しこむ。
普段なら抵抗の一つもあったのだろうが、今の霊夢なら有無を言わせず連行することができた。
「あああもう、乱暴すぎる!頭脳派が聞いて呆れるわね」
「普段のあなたほど力押しなつもりはないわ」
「うっさい」
抵抗も口だけになり、自分から風呂桶を持ち浴槽の湯をすくい始めた。
ここには私の家のように魔法で水を出す機構が無いため、前もって湯を汲んでおかなければ髪も洗い流せない。
木で組まれた椅子に腰かけ体を洗い始めたのを見て、とりあえず一安心。
悩むから動かず、動かないから悩むのだ。体を動かさせ、頭の中を空っぽにするのが一番。
楽しいことでいっぱいにできるように努めた。
壁際に置かれていたもう一つの椅子を持ち、霊夢にならって体を洗う用意をする。その間になにやらブツブツと呟いているのが聞こえてきて、どうやら私に対する文句をまだ垂れ流しているようで、まるで子供だと心の中でほくそ笑んだ。
ごしごしと、タオルで体を擦る音だけが浴室に響いている。
無言だが、別段悪い気はしない。暖かい沈黙とでも言うのだろうか。
全て一人でこなそうと、森の奥に引きこもっていた頃には感じることが無かった感覚だ。
昔は、どこかで読んだ大仰な本の「沈黙とは停滞であり、生物の停滞は死である」……なんて小難しいことを大真面目に信じていて、だからこそ無音は恐怖の対象だった。
夜、一人だけの風呂や就寝。今でも恐ろしさを感じることがあるくらいだ。
こんな、暖かい感覚があることを知れたのも、友人たちのおかげで、それ以外にもたくさんの物を貰っていて。
全てお返し出来るわけじゃないけれど、私ができる限りは何かしてあげたい。
ああもう、魔女とは思えない思考回路になっちゃったわね、馬鹿みたい。
霊夢が湯を被っている音で意識が現実に戻される。
隣を見ると、もう全て洗い終えたのか椅子をかたしていた。
湯に浸かる音を背後に聞きながら、慌てて擦るのを再開した。
「遅かったわね」
「ちょっと考え事をしながら洗ってたのよ」
「悩みなんてないんじゃなかったの?」
「……」
悩みの種の癖にと口に出したくなるのを堪え、湯船に入り、隣に陣取った。
疲れがため息と一緒に口から出ていくようで、気持ちが良い。
正面の壁には木の格子が組んである窓があり、そこからはまんまるお月さまが見えた。今日は綺麗な満月だ。
「綺麗ね」
「ん?……そうね」
なんの気なしに呟いた言葉に、霊夢はゆっくりと返してくれる。
ほんの少しの雲と、月光、梟の鳴き声。
詫び寂びなんて感覚は知らないが、これがそうだとしたら、なるほど日本人はとても芸術的な人種だと素直に思った。
どんな顔をしてるのか気になり顔を傾けると、風呂に入る前までの陰鬱なものに戻ってしまっていた。
頭の中で、なにか悪いものが蠢いているらしい。
「ねぇ、今も死にたいの?」
一瞬だけ、聞くべきかどうか迷った。
もし『死にたい』と淀みなく言われてしまったら、私には止めることができなくなってしまうのではないかと、思ったから。
「わからない」
だから、中途半端な返答だったけれども、まだ心が決まっていないことは私にとって救いだった。
「辛くて死にたいのなら、楽になれると思うことをしなさい。もちろん、死ぬこと以外で」
聞いてくれているか、心に伝わっているか、わからない。
「私ができることくらいなら、いくらでもしてあげるわ」
でも、私は霊夢を救いたい、そう思ったからもう一度訴えた。
答えは帰ってこない。
ついさっきまでは心地よく感じていた沈黙が、今は針のようでチクチクと痛い。
やっぱり、私には何もできないの?信頼してもらえていないの?
悪い方へと考えが傾き、自分で自分を追い詰め始めていた。
そんなとき、右手がぎゅっと掴まれた。
驚いて湯船の中へと視線を落とすと、霊夢の小さな左手が覆いかぶさっていて、しばらく思考が止まる。
「――あの、さ」
固く閉ざされていた口は開き、震えた声を絞り出し始めた。
「怖い、の」
「怖い?」
握られる力は次第に増し、しかも段々と震えだした。
霊夢の顔は風呂の中だというのに蒼白で、怖がっているようでもあり痛がっているようにも見える苦悶の表情になっていた。
「夢を、見るの。昔の……夢」
「昔の?」
「最近は、毎晩見て、苦しくて、怖くて。昨日も見たの」
手が離され、霊夢は自分で自分を抱きしめるように、両手で自らの肩を抱く。
「それだけじゃ、なくて……今や、これからのことまで、昔みたいになっていく夢を……みて……本当に、そうなっちゃいそうな気がして」
目をギュッと閉じて震える姿は、私の心をズタズタにしていく。苦しみや痛みが伝播してきてるようで、見ていられない。
「怖い、こわいよ、寝たくないの、もうみたくないの」
ようやく見つけた本心は、もう壊れる寸前で、どうすれば治してあげられるかわからなくて。
私は衝動的に、震える彼女を抱きしめた。
ぽたりぽたりと滴り落ちる水滴の音が聞こえる。
どこから落ちている雫の音なのかは、わからなかった。
~~~~~~~~~~
「本当に大丈夫かしら」
「大丈夫よ、心配しないで」
いつもの部屋に敷かれた二組の布団。
その片方に横になった霊夢を、私は反対側の布団から見ていた。
風呂の時と同じように、私の右手は彼女の左手と繋がっている。
「うなされたら起こしてあげるし、ちゃんと隣にいるから。心配しないで眠りなさいな」
「……うん」
不安を吐き出したおかげかはわからないけど、霊夢は普段と違って素直で、捻くれてなくて、少しだけだが憑き物が落ちたように見えた。
でもやっぱりこんな弱々しい姿は見たくない。
「さ、寝ましょう。電気消すわね」
「わかった」
人形に灯りを落とさせ、目を閉じる。
しっかりと手を握ると、それ以上の力で握り返され安心した。
それを肌で感じながら、私は霊夢が眠るのを、静かに待った。
草木も眠り、巫女も眠る丑三つ時。
霊夢が夢に堕ちているのを確信してから、起こさないようにゆっくりと起き上がる。
見ると、落ち着いていた寝顔は少しづつ苦悶に変わり、悪夢が始まりつつあるのがわかった。
用意してきた魔導書を手提げ袋から取り出し、パラパラとめくりとある項目を探す。
霊夢の悪夢が過去の出来事からきているものだとするのなら、死にたがっていることと何か関連があるのかもしれない。
だとすれば、その悪夢を見ておくことで、影ながら霊夢を助けることができるのではないだろうか。
今の調子では過去のことを話してくれるとは思えないし、だからといってこのまま悪夢で苦しみ続けるのを指をくわえて見ているだけなんてゴメンだ。
ようやく該当する項目を見つけ、頭の中で読み上げる。
――【夢見の魔法】――
被術者が見ている夢に、術者の意識を滑り込ませて体感できる魔法。これによって私は夢の中で霊夢と一体になり、その苦しみを全て刻むことが出来る。同調率を高くしすぎると相手の感情に取り込まれてしまうかもしれない危険な魔法だが、同じ苦しみの中に飛び込むことで、何か解決策を見出すヒントを得られるかもしれない。そう考えるとこれが一番だと思った。
霊夢の額にそっと手を当て、術式を小声で詠唱する。
細心の注意を払いながら魔力を本へと送りこみ、魔法を展開させていく。
最後にもう一度、苦しんでいる友人の顔を見てから、私は詠唱を終えた。
瞬間、意識はまどろみ、吸い込まれ、溶けていく。
薄ぼんやりとした夢の中で、私は霊夢になった―――
~~~~~~~~~~
『これは決まったことなの』
『そんなの、絶対に許さない!』
おかあさん、どなってる。こわい。
『わかるでしょ?中立を重んじるように育てるには、里から離すのが一番』
『友人すら作れなくなってしまうじゃないか!霊夢がどうなってしまうか、少しは考えないの!?』
きれいなおねえさんにどなってる、こわい。
『こうしないと、雑多な妖怪に睨まれるのは霊夢よ?諦めなさい』
『なんとか、なんとかしてよ、ゆかりぃ……』
『――自分で守りなさい。できるなら、ね』
◇
やだ、泣かないで。
おかあさん、泣いちゃやだよ。
『霊夢、大丈夫よ』
おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。
『あなたは優しい子だから、きっと素晴らしい友達ができるわ』
ともだち?
『そうよ。大丈夫、ね?』
うん!
『ねぇ、霊夢』
なぁに?
『もし、お母さんが居なくなっちゃっても、霊夢は平気?』
えっ?いなくなっちゃうの?
『もしも、もしもの話で――』
やだよ!おかあさん、いっしょにいようよ!
『……』
ずっとずーっといっしょだよ!……おかあさん?
『うん、そうよ。大丈夫、お母さんも友達も、ずっと一緒』
ずっといっしょ!
◇
『まさか妖怪に殺られちまうとは、怖いねぇ』
『博麗の巫女って言っても、歴代最弱だったんでしょう?霊力も全然なかったらしいし』
ねぇ
『あんなんが巫女だったから、人間が舐められちまったんだろ?』
『どうすんだよ!先月も五人食われたんだぞ!』
お母さん
『それより、次の巫女はどうするのさ!あたしゃ死ぬのはゴメンだよ!』
『霊夢ちゃんはまだ八歳じゃ、巫女に立てるのは早すぎるかのう』
どこ?
『あの女の娘じゃあ、たかが知れてるだろ』
『その女に守って貰っていたくせに』
『そりゃてめぇだって同じだろうが!』
ねえってばっ!!
『……』
『……』
『……』
『……』
お母さん、どこ?ねぇ、どこにいるの?
『知りたい?』
し、知りたい!
『それはね』『お星様になったんだ』『天に昇っていったのよ』『土に還ったんだ』『神様になったわ』
なんでみんな違うの?
ほんとは、どこにいるの?
『…………』
『死んだよ』『死んじまった』『死んだわ』『死んだ』『死んじゃった』
シヌって、なに?
『もうどこにも居ないってことだよ』
いない……?
◇
『あなたは今から博麗の巫女よ』
それ、お母さんのお仕事だよ。
『今日からはあなたがやるの。やり方は私が教えてあげるから、お母さんみたいに頑張りなさい』
お仕事……
◇
さむいよ くらいよ こわいよ
なんでひとりぼっちなの?
なんで、なんでっ……!
お母さん、お母さん。
嘘つき。
お母さんが弱かったから、お母さんが死んじゃうから!
お母さんっ……
◇
『あら、霊夢ちゃんどうしたの?』
ちょっと妖怪が悪さをしてないか見回ってるの。
『頼もしいわ!歴代最強なんて言われてるあなたが毎日のように来てくれて、すごく安心よ』
大丈夫、わたしはあの女みたいにはならないわ。
あんたたちはなんの心配もしないでいなさい。
◇
はぁー、もう、新年会とはいえ飲み過ぎたかしら。村の人に勧められると断れないわね。
あー、あー、外の風に当たろう。
『――!』
あれ、この部屋確か、もう使ってない倉庫のはずじゃ……
『――だから、俺はもう話したい、話さなきゃいけないだろう!』
『忘れるんだ』
『そんなことできるか!俺はもう、巫女さんを憎んでる霊夢ちゃんを見てられないんだよ!』
『だから忘れるんだ!もうどうにもならないことでうだうだと――っ!?』
何の話?
『れ、霊夢ちゃん』
『聞いてたのか?』
ねぇ、何の話?巫女さんって、あの女の事よね。
教えて、教えなさい。
『ああ、話させてくれ』
『おいばか、やめろ話すな!』
あんたは黙ってて!
『っ!』
ねぇお願い、話して頂戴。
『ああ、もちろんだ。里のやつらに口止めされて言えなくてすまなかった』
『……』
『実はな、巫女さんは妖怪に襲われて死んだってことになっているが、本当は違うんだ』
何……それ、どういうこと?
『巫女さんはな、霊夢ちゃんの教育方針にずっと反対してたんだ。里から離して育てるなんて友達もできない、もし私が死んだら、心の支えが居なくなるってな。でも長老たちには、心の支えなんてものを作らない、全てに中立の巫女を育てる義務があった』
義務って、何?
『妖怪の賢者との密約だ。詳しい内容は知らないが、そういう約束らしいんだ』
なによ、それ、賢者って誰よ。
『霊夢ちゃんも見たことはあるだろう。八雲紫っていう妖怪だ』
……紫。
『そうだ。そして、そこまで強くない巫女さんよりも、長老たちには霊夢ちゃんの方が重要だった。子供のころから専用の教育を施したかったが、そのためには巫女さんが邪魔。だから、霊夢ちゃんが十分に戦える力を身につけたと賢者様が確信したあの日、巫女さんには、死んでもらうことになった。』
『おい、もう言うな、よせ!』
『巫女さんは、遅効性の痺れ薬を飲んだ状態で妖怪退治に行き、死んだ』
……は?
『そして、巫女さんに痺れ薬入りの茶を差し入れたのが、俺だ』
『よせって言ってるだろうが!』
なに、それ?
お母さんは妖怪に殺されて、だから、妖怪は憎くて、退治しなくちゃいけなくって。
長老は優しくて、みんな優しくて、でも、お母さんを殺したの?
なんで?どうして?お母さんが弱いから?弱いってなに?邪魔ってどうして?
お母さん、頑張ってたんだよ?私知ってるもん。妖怪退治も神事も頑張ってたの知ってるもん。
なのにころしたの?薬を盛ったの?
なんで私、お母さんを恨んでたの?こんなに憎んでたの?
誰のせい?ねえ、だれのせいなの?
ちょうろうたちのせい?確かにそういってたよね?
だとしたら、わたしは今までおかあさんをころしたひとたちをまもっていたの?
あんなにやさしいおかあさんを、ウラギリモノだと思わされたの?
なんか、二人ともさけんでる。どなってる。おかあさんをころしたやつらがわめいてる。
うるさい うるさいよ
お母さんをころしたのに わたしにまもられて
のうのうと生きて うるさい だまれ
だまれ だまれ黙れ黙れだまれだまれえええええええええぇぇぇぇ!!
は、ははは、ころ、しちゃった。
へんなこと、言うから、はは、はははははははっ!
だまれだまれって、うるさいし、ははは……
わた、し、人ころ、ころしちゃ、ころっ
うぇ、ぅげえぇぇえっ うえっ
けふっ うぷっ っげぇえ
っははは、は……はっ、長老たち、が、殺した。
お母さんを、お母さん。
お母さんっ……!
殺してやる
今度は、私が……殺してやる……
『駄目よ』
どいて、裏切り者。
私、お母さんを怨んじゃってたの。あんなに優しくて、大好きだったのに。
一人ぼっちにした、嘘つきの、弱い女だって、そう思いこんで、そう思うしか無くて。
でも、悪いのは全部あんたと長老たちなのよね。
お母さん、なにも悪くないのよね。
あはははっ。もう殺さないと収まらないの。殺したいの。殺させて。殺させろ。
『駄目。彼らは彼らのやり方で里を守っている。そして、そのやり方は私が教えたもの』
今はそんなこと関係ないわ、どいて。
『どうしてもというなら、あなたを殺さなきゃならなくなるわ』
……なんで?どうして?なんなの、なんなのよぉ!?
あんたから、あんたから先に殺してやる!表へ出ろぉ!
◇
『気が済んだ?』
……
『あなたじゃ、私には勝てない。あの男達は私が処理しておくから、大人しく巫女として働き、あなたの母親が守ってきたものを受け継ぐのよ』
……長老たちは、守りたくない
『それこそ、博麗の巫女失格。分け隔てなく妖怪を退治し、人間を守り、バランスを保つのがあなたの仕事。死にたくなければ、今のままの生活を送りなさい』
は、はは。私が、死んでもいいみたいな言い方ね。
私は特別なんじゃ、なかったの?
『そうね、あなたは特別。でも、だからと言って重要じゃない。今の巫女の血が途絶えれば、新たな才能ある血筋が代わりに巫女になる。代わりくらいいくらでも用意できるの。それを忘れないで』
それじゃあ何、私が生きてても死んでも関係ないの?
死んでも復讐にならないの?
わたし、結局、良いように使われて終わるだけなの?
なに、それ。
ごめん。
お母さん、ごめんね。
私なにもできない。
ああ
わたし、なんのために生きてるんだろ
お母さんの仇を助けるため?
ああ
消えてしまいたい
死にたい
~~~~~~~~~~
何かが割れるような音が頭に響き渡り、魔法を解いた。
一体どれだけの時間、夢を見ていたのだろうか。
見ると、苦悶の表情を浮かべている友人が、うなされて唸り声をあげていた。
「――うぅ、う――――ぁあ――」
痛い、痛い、いたい、いたい、いタイ、イタい、イタイ。
もう見ていられない。
「待っててね、霊夢」
今にも壊れそうで、潰れそうで、消えてしまいそうで。
気丈で強いと信じていたのに、中身はとっくにぼろぼろ。
こんなに優しい子を、これほどまでに追い込んだのは、何?
「…………殺してやる」
気付かぬうちに漏れ出ていた殺意を胸に押し込んで、ゆっくりと立ち上がる。
夢見ているうちはあんなにも煮えたぎっていた怒りは、湧きだした憎しみに冷やされて、どこか冷静に戻っていた。
ただ、衝動に任せて頭脳を回転させる。
闇討ち・数押し・罠設置・守護者の対応、考えるべきことや備えるべきものは沢山ある。けれども、霊夢にこれ以上こんな思いはさせていたくない。
外に出ると、赤みがかかった満月が私を出迎えた。
今日は妖怪跋扈の日。まだ丑三つ時を過ぎてから、十数分程度しかたっていない。
なんだ、まるで今日やってしまえとお膳立てされているようではないか。
「殺してやる」
自然と吐きだした同じ言葉をどこか遠くに聞きながら、全てを終わらせる準備をするために森へと向かい、飛んだ。
~~~~~~~~~~
振りかけただけで骨まで溶かす毒薬に、人肉くらいなら軽く捌ける特性の操り糸。秘蔵の魔法薬、鎧を着込んだ人形たち、封印していたグリモワール。
しっかりと用意をして戦う魔法使いは最強だ、負ける道理がない。里のハクタクだろうと、妖怪の賢者だろうと、私と人形たちならすべてを討ち滅ぼせる。
愛用している蒼いドレスは脱ぎ捨てて、同じ装飾の黒いドレスを用意した。人間は目がよくないから、暗闇に紛れれば魔法詠唱の機会も増えるだろう。
着々と準備を進めているうちに、机の上に置いてある銀の椀から光が漏れだす。水鏡に映し出されたのは、静まり返った夜の里の様子。遠見の魔法によると、どうやら里は平和そのもので人間たちはみな寝入っているようだ。唯一、ハクタクの家からは明かりが漏れているところを見ると、この時間帯は日常的に警戒をしているらしい。もしくは、満月だから歴史の編纂でもしているのかもしれない。
狙うは長老と、その賛同者。
いったい何人が黒なのか想像もできないが、確実に関与している長老に賛同者が誰か吐かせればいいだろう。
拷問はやったことがないが、今なら誰よりも上手く吐かせる自信がある。
「行くわよ、あなたたち」
一声かけると、部屋の住人たちがカタカタと笑いだした。木材同士が幾度となくぶつかり合う音は人形遣いには心地よく、頼もしい。
右手にグリモワール、腰のベルトには三十を越える薬剤の瓶。ブーツの先には刃物を取り付け殺傷力を上げ、魔力を増強するポーションも飲んでおいた。
後はもう、飛び出すだけ。
「おーい、アリス!起きてるか!」
そんなときになって、玄関から聞こえてきたのは霧雨魔理沙の声だった。
もう出発するつもりで外に出ると驚き顔に迎えられる。
「おい……なんだ、その格好は」
「どうかしら、どこか準備が足りないところはある?」
「えっと、いや、足りないってなんだよ。戦争でもおっぱじめるつもりか?」
「そのつもりよ」
自分でもぞっとするような低い声が出て、魔理沙もそれを聞いてだろう、固まった。
右手には紙の束を握りしめているのをみると、今の今まで調べものをしていてくれたらしい。
魔理沙なら、私の味方として手伝ってくれるかもしれない。
「その紙は、何?」
「うぇ!?えっ、あ。これは、先代の博麗の巫女の歴史を綴ったものだ。慧音に頼んで貸してもらった。」
「見せてもらえる?」
「……ああ。ほら」
差し出された紙の束を受け取り、一番最後のページをめくる。
慧音……里のハクタクの編纂した歴史書には、一体どこまでのことが書いてあるのかは気になった。
最後のページの、最後の一行を見ると、「第○○代博麗の巫女、妖怪退治中に死亡」という薄っぺらい一言が綴られていた。知ってて隠蔽しているのか、何も知らずに人間を信じているのか、それはわからない。
ともかく、事実が書かれてはいるが、真実は載っていなかった。
「ありがとう、魔理沙」
歴史書を返そうと差し出すが、魔理沙はひったくるように奪い取って、少しかすれた声で言う。
「アリス、何があった」
普段のおちゃらけた姿は無く、自信に満ちた笑顔も無い。目の前には、しかめっ面で眉根を寄せている少女が居た。
「何がって?」
「そんな格好で、妖気も出しまくって、何があったんだよ。これから、何をする気なんだよ」
澄んだ瞳の中には真っ黒な自分が居て、どこもかしこも濁っている。これこそが、妖怪としてのアリス・マーガトロイドの真の姿なのではないだろうか。
「復讐に行くの」
「復……?」
「霊夢をボロボロにした人間どもを、殺してくるの」
「んなっ!?」
同族を殺すという言葉は、魔理沙を動揺させてしまったのだろう。焦りを隠しもせずにうろたえている。
だが、奴らが霊夢にしたことを知れば、同じ意見を出してくれるはずだ、殺さなくちゃいけないって。
「霊夢の夢を覗いて、全部見たのよ。あなたも見ればわかってくれるはず。生きる意味まで根こそぎ奪った長老たちを、私は絶対に許さない」
「夢を覗いてって、おまえ、夢見の魔法を使ったのか!?どれくらいの同調率で使ったんだ!」
「100%よ。当然じゃない、そうしないと霊夢の苦しみを真には理解できないわ」
「な、何やってんだ!その怒りや憎しみはお前のものじゃなくて霊夢のものだ!何を勘違いしてるんだ!」
「勘違い?なにそれ?私は霊夢を苦しめてる奴らが憎いだけ、だから殺す」
「おい、やめろよ。お前はそんな奴じゃないだろう?」
「腐りきった里上層部の決定で霊夢は苦しんだ。これからもずっとそう。だから、腐った部分は排除しないと」
話すうちに心が燃え上がり、怒りがわき出し、もう止められなかった。魔理沙の隣を通り過ぎ、屋外へ出る。
やはり今日は絶好の日だ。月がこんなにも大きくて、紅くて、今にも落ちてきそう。
月光が体に染み込むほどに、魔力が高ぶっていくのがわかる。これなら、どんな強力な魔法を連発しても魔力が底をつくことはないんじゃないだろうか。
「あはっ!すごい、今ならなんでもできそう!あははっあはははははははははは!」
「待てよ」
背後でドアが閉まる音。次いで魔理沙の凛とした声。
「夢見の魔法は同調しすぎると自分と対象者の境界が無くなる。そんな基本的なことはお前だって知ってたはずだろうに、すっかり飲まれちまって」
振り返って見ると、何故か悲痛な面持ちで佇んでいた。
「今のお前は普通じゃない。我を忘れて激情で動くなんて、頭脳派の名が泣くぞ」
「頭脳派ね、そうね、私らしくはないかもしれないわ」
「だったら、まずは落ち着け。じっくりと考えてから――」
「落ち着いてなんていられないわよ!」
ああ、さっきまではあんなに頼もしく見えていたのに、今は見ているだけで苛つく。友達の顔なのに。
「あんなの見て!あんな霊夢を見て!我慢できるわけないでしょ!?霊夢じゃ何もできない!復讐も、反逆も、なにも!そんなのってあんまりじゃない!」
溜まりに溜まった感情の爆発は激しくて、涙まで出てきて、でもいくら吐き出しても減らない。それどころか叫べば叫ぶほど霊夢の無念が私の中に渦巻くようで、さらなる憎しみが顔を出す。
「だからっ、私が代わりに終わらせてあげるの。霊夢が心から守りたいと思える人間だけを残して、後はみんなみんな私が消す。止めないでね、止めたらたとえ魔理沙でも容赦しないわ」
それだけを告げて、宵闇へと飛び上がった。
「――っ、アリス!」
魔理沙の声が背後で唸るのを無視し、里の方角へと向かお
うと森の上空をめざし急上昇しようとしてーーしかし、できなかった。
轟音と共に私の右小指の先を光が包み込み一瞬にして焼く。魔理沙の十八番である熱のスペル、マスタースパークであることは瞬間的に理解した。
熱で焼けただれた小指を確認するが、このままでは人形を操れそうもない。だからなんだ。魔力を左手に集中させて呪文を詠唱、ものの十秒で元通りに治癒した。
魔法のキレも素晴らしく、今日の私はまさに絶好調だ。
「まてよ、七色馬鹿」
治癒している間に飛んできたのだろう、顔をあげると眼前には箒に乗った魔理沙が、八卦炉を構えて浮いていた。
「霊夢のためとか、復讐とか、そんなのは建前だ。お前は自分の中に入り込んできた霊夢の感情にあてられて暴走してるだけなんだよ」
「何よ、わかったような事言って。あんたに何がわかるっていうのよ」
「わかるさ。お前がどんだけ霊夢を心配してたのかも、そのせいで道を間違えようとしているのもな」
「……邪魔、するの?」
「ああ、させてもらうぜ。これでも友達だ」
なにそれ、わけがわからない。
友達なら、霊夢を助けようって、思うはずでしょう?そうでしょう?
「なん、で、なんで止めるの……」
「お前の友達は霊夢だけか?そうじゃないんだろう?」
魔理沙だって、友達だって、そうだって、信じてたの。
なのに、邪魔するのね。
「助けてやるぜ、アリス」
――訳が
「っわけがわからないわよおおおお!!!」
正面へ、飛ぶ。すぐそこにいる、分からず屋めがけて拳を振り下ろす。ともかく黙らせる、黙らせて、早く、霊夢を助ける……
だが、拳は魔理沙に届くよりも前に、虚空に現れた光の壁に阻まれる。
「ぐぅっ!」
脳髄に駆け巡る電気信号。鈍い痛みが顔まで歪ませ、ひきつらせる。
突如として現れた光の壁は、私の進行方向を塞ぐだけでは済まなかった。
「なっ、なに!?」
続けざまに右・左・上・後ろ……最後に足下に壁が出現し光の密室を形作り、完全に閉じこめられた。
これは、見たことがある壁。いや、結界だ。幻想郷で結界を扱う者はそう多くないが、結界の中心に浮き出ている陰陽一体のマークは、間違いなく――
「間に合ったわね」
声の主ならもうわかっていた。だが、納得がいかない。私は、あなたのために、あなたの代わりに、すべてを終わらせたくて!
「れい、む」
わからない、わからない、わからない。
私、あなたが大好きで、大切で、だから、だから殺そうと思ったのよ?あなたのために!
わからないよ、もう、わからない。
「ようやく来たか霊夢!」
なんで、どうして、あなたはあんなに苦しんでいたじゃない。それは私が一番よく知ってるのに。
結界に触れると、それは霊力が込められていたのか、妖怪である私の体はバチンと弾かれた。
痛い、痛い、いたいよう。
「よくわからないんだけど、止めさせてもらったわ。拳が魔理沙に届く前に展開できるとは思わなかったけど」
「助かったぜ。おかげでうら若き乙女の柔肌は守られた」
「まぁ、別にそこは間に合わなくてもよかったんだけども」
「おいおい、悲しいことを言うなって」
話していた霊夢は、ふわり軽やかにこちらへと飛んでくる。そして、するりと結界の中に入ってきて、私をじっと見つめてきた。
「アリス、どうしたのよ。怖い夢見てたら起こしてくれるって言ってたのに私が寝てる間に居なくなっちゃうし、こんな禍々しい妖気を出してるし。らしくないわよ」
今までに見たことが無い優しい微笑みで、ずっと見たかった笑顔で、だからこそわからない。
「なんで、どうして、止めるの……?」
「私はあんたが何をしようとしてたのか、詳しくはわからないわ。だけど、止めた方がいいと思ったから止めた。それだけ」
濡れた頬を、そっと優しく撫でられる。暖かくて優しくて、昨日まで折れそうだったのが嘘みたい。
「何をしようとしたの?異変なら私が解決するし、あんたの頼みならちょっとくらい聞いてあげるわよ」
なによ、私が助けてあげなくちゃいけないのに。
これじゃ私が助けられてるみたいじゃないの。
「れいむ、れいむが、霊夢を苦しめた長老たちを、代わりに私が、殺して、殺したいの。れいむに、死んで欲しくない……たすけたいの」
涙まで溢れてきて、せっかく見れた笑顔もぼやけて霞んでしまう。
「やだ……霊夢壊れちゃう。あんな、前も後ろも見えないような真っ暗闇にずっといたら、耐えられない、無理よ」
繋がっていた時に入り込んできた途方もない絶望、怒り、憎しみ。信じていた全てに裏切られた悔しさ、悲しさ。
いくら逃れたくても逃れられない、選択肢が一つもない、それがまた心を蝕んで腐らせる。
生きていても無力に苦しみ、死ぬことの無意味さに苦しみ、ようやく逃げ込んだ夢の中でまで苦しむ。
霊夢は弱さを隠してたって思ってたけど、たぶんそれも合ってるけど、私が思ってた以上に、強いんだ。
こんな状態で今まで消えることを選ばなかった、安らかな死に折れなかった。
私は、私には耐えられなかったのに。
「……消えようと思ったこともあったわ」
ああ、やっぱり。
「綱を梁から吊して首をかけようとしたこともあるし、空高くから地面に墜ちようともしたし、異変の最中にわざと弾幕に突っ込もうと思ったこともあるわ。これで楽になれるなんて、そんなことを本気で考えて、でも死ぬのは怖かった」
霊夢は、消えかかってた。でも、なんで笑っているの?
そんなことを話してて、辛くないの?
「笑っちゃうわよね、結局、私が怖いから死ねなかったの。守らなきゃいけないもの、たくさんあるはずなのに。死にたいって気持ちが死にたくないって気持ちを越えたときに私は死ぬんだろうなって、そんなことを他人事みたいに考えてた」
優しくて暖かい手。霊夢は、ちゃんとこうして生きていて、でも今も死にたがってる。
さっきまでは綺麗に見えていた笑顔も、いつの間にか無理をしているような気がしてきて、ドス黒い何かがまた這い上がって来てた。
「でもね」
手が頬から離れ、今度はおでこを突っつかれる。
伝わってくるこそばゆさは、霊夢から溢れた涙を見た瞬間、感覚から消えた。
「私、もう死ねないの。あんたたちのせいで」
「私たちの、せい?」
「そう。初めてできた友達だから……私が守らなきゃいけないでしょう?」
霊夢からはっきりと友達って言われたのは初めてで、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「わたし、わたし妖怪なのに。巫女として守る価値、ないのに」
「ひっぱたくわよ。私が私の友達を守りたいって言ってるだけ。魔理沙が異変に顔突っ込んで死んじゃうのも駄目だし、アリスが妖怪として殺されちゃうのも私が許さない。私は強い巫女だから、ちゃんとそれを利用して、絶対に手は出させないわ」
今度は頭を撫でられた。涙が止まらない私は、たぶんあやされてる子供だ。
「だから、さ。私にあんたを退治させないで」
「……あっ」
「そんな物騒な装備で、私のために長老たちを殺す?嬉しくて涙が止まらないわよ。でも、そのあとにあんたを殺さなきゃいけなくなる。私がやらなくても、ほかの誰かあんたを狙うわ。そうなったらもう一緒に鍋も食べれないじゃない」
ころさなきゃいけなくなる。
霊夢は、巫女だから、私を止めなきゃいけないの?それも結局村長たちの思惑通りなんじゃないの?
だとしたら、あなたを救い出すことは、私にはできないの?
「……ごめん、れいむ、助けられなくて、私、あなたと、お母さんを、救いたかったのに」
懺悔の言葉が止まらない、涙と一緒に溢れだしてくる。
そしたら私をぎゅっと抱きしめて、耳元で囁いた。
「ありがとう、ありがとうアリス。でも、お願いだから何もしないでね。私にはもう、あんたたちしか居ないんだから」
あったかい、でも、細くて折れそう。
こんなか弱いこの子を、守りたい。それだけ、それだけなんだ。
でも、私にはそれもできない。
無力だ。妖怪のくせに。
「話は終わったか?」
「まあ、おおよそは」
「そうか。ならアリスと一緒に神社にお邪魔するぜ」
「来るの?まぁ勝手にしなさい」
「そうさせてもらうぜ。ほら、アリス行くぞ」
結界が消えた後、外で待っていた魔理沙はにこやかに話しかけてきて、霊夢は普段通りに対応した。
私の周りがいつも通りの、とても居心地のいい雰囲気になっていることを感じながらも、これは二人が気を使っているんだろうなって、頭のどこかでわかっていた。
「いつまでもしょぼくれてんなって!ほら、結構疲れたし神社で茶でも淹れてくれ」
「そうね、私もアリスの淹れたお茶が飲みたいわ」
二人の優しさが痛くて、嬉しくて、もどかしくて、情けない。まだ止まらない涙も、苦しい心も、全部が嫌になってくる。
やり場のない怒りと憎しみは向ける方向がわからないままに段々と小さく薄くなってしまう、そんな予感がしたから、消えてしまう前に思い切り爆発させておこう。
「―――っ、っっぐ、っぅぁあっ!うわぁぁあああああああああああああああ!!!」
そう思って、吠えた。
驚きの表情を浮かべながら一歩下がった二人を気にせず、体中に渦巻いている満月の魔力を右手の先に集中する。全部全部搾り出して空になってしまいたくて、魔力も血も命も使いきるつもりで溜めに溜め、満月めがけて吐き出した。
「あああああああああっ、ぃああああぁぁぁぁ!!!」
手の先からほとばしった赤い閃光は、魔理沙のマスタースパークと同じか、それ以上の巨大なレーザーを形作って雲一つない夜の虚空に消えていった。
カラッカラになるまで出し続け、次第にレーザーは細くなり、最後にはふっとかき消え、直後に私は倒れた。
肩で息をしながら星と月を見て、ぼやけ始めた視界の中ですっきりした気持ちになった、ような気になっておく。
「とつぜんどうした、驚かせるなよ」
「いいから。この子もまだ子供なのよ」
「子供?」
「そ。私たちもガキ、アリスもガキ。どうにもならないことを受け入れられなくていらいらして、当たり散らしただけよ」
――嗚呼、やっぱり霊夢にはお見通しか。
魔理沙にも、みっともないとこ見せちゃって。
一人で空回りして迷惑もかけて、なのに私は今甘えたい。
「結局この娘は、初めて会ったあの時と何も変わってないのよ。見た目だけ先に大人になっちゃって」
魔力を一気に放出した反動で、体は一気に疲労し意識が薄れ始める。
いいや、甘えちゃえ。明日には神社の布団の中だ。
瞼が閉じていく中で、のぞき込む二人の笑顔が確かに見えて、情けなさとやるせなさに包まれながら、私は意識を闇へと手放した。
~~~~~~~~~~
「で、一体何を見てあんなことしたんだ?」
「言えないわ、霊夢との約束で」
「そ、私との約束で」
博麗神社の母屋の卓袱台を囲んで、茶をゆったりと啜りながら、三人で顔を合わせて笑って話をする。心許せて、だから楽しくて。気を使わなくて、だから笑い合える。
でも、やはり出る話題は昨日のことばかり。特に私の奇行についての質問攻めが主に魔理沙から飛んできていたが、霊夢と一緒に全てかわしている……つもり。
「……ちぇ、そればっかかよ。ま、話したくないことを無理には聞かないぜ」
「珍しいわね、引き下がるなんて」
「私は淑女だからな、礼節はわきまえてる」
「どの口が言ってるの?」
「この口さ」
言いながら二カッと笑い、口を指さして見せる。その仕草に呆れを半分ほど混ぜて苦笑した。
あんなことを言ってはいるが、きっと薄々はわかっているはずなのだ。あれだけ『長老長老』と憎々しげに騒ぎ立てたのだから、目の前で聞いていた魔理沙はきっと里が怪しいと思っている。
でもそれ以上を知っても、何もできない自分の無力さに立ち尽くす事になるだけだから、特に教えるつもりはなかった。
それに、霊夢もあんな過去を知られたくはないだろうしね。
「……ねぇ、今日も鍋、食べない?」
「おっ、いいねぇ。今日は何にするんだ?」
「水炊きなんかいいかなって。アリスもいいかしら」
「かまわないわ、そうしましょう」
まだまだ私はガキらしいから、まずはガキらしく楽しいことをしよう。
大好きな二人といっしょに笑って、笑顔を絶やさずに、ゆっくりと解決策を探していこう。
たとえ答えがない問題なのだとしても、いつか救って見せる。
もう、死にたいなんて、言わせたくないから。
~~~~~~~~~~
月は丸いけども、ほんの少しだけ欠けていて、昨日のような魔力のたぎりは感じられない。
それでも寝ないでずっと見ていたい。そんな気分。
酒をずいぶんあおったと思ったけれど、今日はなぜだか酔えなくて、先に二人が潰れてしまった。
一人で見上げる月は手を伸ばせば掴めそうなほどに近いのに、絶望的に遠くて、まるで今回の件を象徴しているみたいだった。
もう、何が正しくてどこで間違ったのか、わからない。里を襲えば悲しい思いをさせてしまうって事はよく考えればわかったはずなのに、あのときは完全に頭に血が上ってた。
止めてくれた魔理沙にも、霊夢にも、いくら感謝してもし足りない。
と、背後から障子の開く音が聞こえて、首だけで振り返ると魔理沙がゆったりとした足取りで近づいてきて、私の隣に座って足をぶらぶらと揺らし始めた。
「よう、気分はどうだ?」
「そうね、上々かしら」
魔理沙は私の隣に置いてあるお猪口と徳利を見て「月見酒か」と呟いた。
「私にも一杯くれよ」
「駄目。さんざん呑んで倒れてたでしょう?」
「いいから、ちょっとだけ」
「……仕方ないわね」
許可が下りるとすぐに顔を綻ばせる単純魔法使いめ。ひょいと持ち上げたお猪口に私が酒を注いでやると、一息で体内に流し込んだ。
「っはぁ、美味い」
「今日も楽しくて美味しかったわね」
「ああ、最高だ。美味い料理には美味い酒に尽きる」
それから顔も見合わせずに、ただただ私は月を見る。
顔を合わせ辛いわけじゃないけれど、珍しい沈黙が妙にくすぐったかったから。
「なぁ」
「なに?」
「また、私は仲間外れなのか?」
横目に見ると、月を見上げている友人の、どこか哀愁が亜漂う笑顔が見えた。
「アリスがあんなに激昂するくらいだ、霊夢のやつは相当重くて暗い『もの』に縛られてるんだろう?」
「そうよ」
「お前もそれを背負って、きっと霊夢の負担は減ったと思うんだ。鍋つついてる時の霊夢はどこか憑き物が落ちたみたいなすっきりした笑顔でさ、長いつきあいだけどあんな表情を見たのは初めてだ」
体は酔ってはいるけれど、心は違うらしい。その声はどこか昨日の私と似通っていた。
「私には、背負わせてくれないのか?」
「いくら友達とはいえ、憎しみや怒りを背負うことはできないわ。実際に経験していないことを理解する事なんてできない。だから、友情なんてものは脆くて壊れやすいのよ。結局は血の繋がっていない赤の他人の出来事だもの」
「……もしかして、お前わざと100%で同調したのか?」
「その結果暴走してちゃ世話無いけどね」
自虐に苦笑しながら、酒を流し込む。思考も何もかも溶けてしまいたい気分だが、魔理沙がそれを許さなかった。
「なら、私にも同じ体験をさせてくれ」
馬鹿な発言に耳を一瞬疑い目を見ると、奥に溜まった淀み・濁りは深くて底が見えない。
「私にはな、もうこーりんとお前らしか居ないんだよ」
言いながら二杯目の酒をお猪口に注ぎ、一息に流し込む。やけ酒を制止する気も起きず、猪突猛進娘が後ろを振り返っている姿を初めて目の当たりにして、何も言葉が出なかった。
聞いた話では、魔理沙は親に勘当され今は一人暮らし。霊夢と同じで一番の心のより所を失っているのだ。
まだ両親を失うという苦しみを経験していない私には理解は……いや、今の私にならわかるか。
もしかしたら、常日頃の彼女が距離感を度外視して人に近づこうとしていたのは、居場所を作りたかったからなのかもしれない。
「幻想郷には私の知らない知識が、魔法がある。見たこともない空間、時間もある。何より、いつも勝手気ままにそこにいる馬鹿共がいる。それは全部素敵で楽しいことだけどな……お前らは、お前らしか居ないんだ」
今の魔理沙にあれを同調させるのははばかられるけれど、このままでは納得しないだろう。こういう一直線な馬鹿だから好きになれたのかもしれない。
「頼む、私だって守りたいんだ、だから、二人だけで背負い込むなよ」
袖を引っ張る力強い手、お節介な友人が真剣な顔で私を見つめていた。
「……そうね。魔理沙も大切な友達だものね」
「ああ、頼む。私にも『それ』を持たせてくれ。二人して潰れちまうとこなんて見たくない」
魔理沙には助けて貰っいっぱなしだ、またここでも巻き込んでしまう。それが嬉しくて、少しだけ肩が軽くなった。
「一緒に来て」
立ち上がって、居間に通じる障子を開ける。魔理沙がついてきてるのを確認してから、こたつで眠っている霊夢の隣に座り込んだ。
「寝てるな」
「ええ」
「こんな、幸せそうな顔して」
酒に呑まれて潰れた巫女は、昨日までとは打って変わって朗らかに微笑んで眠っている。
「霊夢はね、死にたいって言ってたの」
「ああ」
「死にたいって。でも、私たちが居るから死ぬわけにはいかないって」
昨日受け取ったその一言が、私の激情を押さえつけてくれている。
やっぱり私、霊夢に守ってもらってばっかりだ。
「昨日は止めてくれてありがとうね」
「いいさ、友達だろ?」
「……これに、全てが詰まってるわ」
そう言って、霊夢が枕代わりにしていた本を引き抜いて見せる。
「それは?」
「この本には、夢見の魔法が書き記されてるの。どんなものか知ってるかしら」
「まぁ、一通りはな」
「この本は魔法を発動させる触媒になる他に、見た夢を保存しておくこともできるわ。これからあなたにそれを見せる」
本を開いて呪文を詠唱する。本はうっすらと輝き始め、準備ができたことを知らせた。
「いいのよね?」
「ああ、いいぜ。見せてくれ」
「後悔しない?」
「見ない方が絶対に後悔する」
「……そうね。じゃあ、本を額に押しつけて。そうしたら再生を始めるわ」
「わかった」
恐る恐る受け取った魔理沙は、悪夢の詰まった映画館に足を踏み入れる。準備ができたことを確認してから魔法を発動させると、たちまち魔理沙の体から力が抜け、夢の世界へ旅だったことを教えてくれた。
どう受け止めるかは、魔理沙次第。
「……なにしてんの?」
「ああ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
「人の枕引っこ抜いておいてよくもまぁぬけぬけと」
焦点の合っていない寝ぼけ眼を擦っている霊夢は、どうやらまだ半分ほど夢の中らしい
「で、私の枕で寝てるこの馬鹿が犯人?」
「いいえ、犯人は私。だから起こさないであげてね」
「……むぅ、ならしょうがない」
「あいた!?」
前触れもなくポカリと頭を叩かれた。加減されていなくて結構痛い。
「で、魔理沙は何してるの?」
「えっ」
目を擦りながらぼーっとしてはいるが、うっすらと発光し起動している魔本とそこから溢れてくる魔力をしっかりと捉えていた。
「アレ。まーた普通じゃないことしてるでしょ」
「え、その、まぁ」
流石に巫女の感は鋭い。
まあ、おかしな事をしてるのは一目瞭然か。
「何してるの?」
「……」
「言えないこと?」
「……言っていいか、わからないこと」
「また、私の過去に関係してること?」
「……うん」
「なら言いなさい」
俯いている私の肩を掴んできて、驚いて顔を上げると真っ直ぐな黒の瞳。
この眼には、嘘をつきたくはなかった。
霊夢には、私が暴走した顛末を洗いざらい話した。もちろん、今の魔理沙の状態のことも忘れずに。
「ったく、勝手に人の過去にずかずかと。私にだって知られたくない事があるのよ?」
「――あっ」
鋭い視線で射ぬかれて、こんなところでやっと気がついた。
私は、霊夢の気持ちを何も考えていなかったってことに。
「ごめん、なさい」
霊夢のためとか言って、夢を覗いて、勝手に暴走して。私がやったことは全然霊夢のためになってない。
結局私は、私が霊夢を失いたくなかったからやったんだ。
「ごめんなさ、い」
「ほら、泣かないの」
「だって、だってわたし」
「いいから」
かすむ視界の奥に、苦笑している顔が薄ぼんやりと見えて、たまらなくなった。
「いつものアリスならこんなことしない。私が余計なことを言ったせいだって、わかってる」
「そんな、そんなこと」
「そんなことあるわよ。あんた達の事はよく知ってるんだから」
私が一番欲しかったものが、見れた気がした。
「怒ってないし、許すとか許さないとか、そういうことは考えていないのよ。そんなに気にしないで」
向き合った時から心の奥底を揺さぶるそれを、私はちゃんと守れたのだろうか?
「あんた達が私を想ってやってくれることで私が怒るわけないでしょう?だから、これからはちゃんと私にも言ってよね」
「うんっ」
少なくとも、これからは守っていこう。
大丈夫、私は一人じゃないんだから。
「……さーて、辛気くさい話はここまでにしましょう。なんだか眠気が飛んじゃったからアリス、付き合いなさい」
「ん。何するの?」
「まぁ、先に縁側に出ていて頂戴」
涙を拭きながら、言われたとおりに外へでる。まださっきの月見酒がそのまま残っていたので、霊夢が来たら一献勧めてみることにしよう。
そう考えながら待つこと数分。お盆を持って霊夢が出てきた。
「お待たせ」
「何それ」
「はい、月見酒!……って、何よ。もうやってたんじゃないの」
「霊夢が寝てる間に、魔理沙とね」
「なによ、仲間外れにしてくれちゃって」
「ごめんなさいね、ぐっすり寝てたから」
「いいわよ、今からとことん付き合ってもらうからね」
わざとらしく口を尖らせて隣に腰を下ろす霊夢は、なんだかいつもより近いところに居るように感じた。
「でも、霊夢の話ばかりだったわよ」
「なにそれ、私の話なんかして楽しいの?」
「楽しかったわね」
「うーん、それじゃあとりあえず魔理沙の話でもしましょうか」
「仲間外れは話の種にされるのね、恐ろしいわ」
「これからはせいぜい気を付けなさい」
顔を見合わせてクスクス笑いながら、そっと差し出されたお猪口にお酒を注いだ。
「アリス、ほら持って」
「はいはい」
「乾杯」
「乾杯」
一息に飲み干して、冷たくて熱いものが喉から胃へと流れ込んだ。隣では「か~!美味い!」などと漏らして、とても楽しそう。
「さて、それじゃあ久しぶりに魔理沙の嫌いなところでも語る?」
「……今日は別なこと話しましょう」
「どんな?」
「魔理沙の好きなところについて」
少しだけ驚いたような顔をした霊夢が「へぇ」と小さく呟いたりして、そこでやっと私は、自分がこんなにも変わったのだと理解した。
結局は霊夢の同じように、私自身もこんなに寛容な妖怪になったわけだ。
「まだ殴りたいって思うのに?」
「まだ殴りたいって思うのに」
悪戯っ子のように尋ねられても、正直な気持ちをそのまま言っているだけなのだから、何も面白い発展などしない。なんとなく、今日はそういうことを話してみたいって思っただけ。
「じゃあ、先に好きなとこ言えなくなった方が負けね」
「何よそれ」
「言いだしっぺのアリスからよ。ほらほら話して」
「ちょっと、卑怯よ!」
「語りたかったんじゃないの?ねぇ?」
「この、霊夢!あんたわかっててやってるでしょ!」
恨みと、無理矢理な再開から始まった関係だけれど、今の私にはかけがえのない宝物。
ずっと三人で、笑って過ごしたい。
心からそう思って、今日得た全ての激情を腹の底へと沈めた。
出てこないように。だけど決して忘れないように。
FIN
最初に霊夢がそう言ったのは、いつもの三人で鍋をつついているときだった。
今の今まで談笑していたはずなのに、その一言で場は静まり返り、グツグツと煮える音と、目の前に沸き上がる湯気と、鼻をくすぐる鶏肉の香りの全てが、どこか遠い世界のものに成り下がった。
「……はっ、あは、ははは、あっはっはっはははははは!」
最初に動き出したのは魔理沙だった。
突然気が狂ったのかのように大声で笑い出し、目には涙まで溜めている。
ようやく笑い終わった時には真顔になっており、霊夢を指さしてハッキリと言った。
「面白くない、5点だな」
「あら、そんなに点数くれるのね」
霊夢はというと、特に何もないのか無表情。言葉だけでおどけて返し、鍋から豆腐を一つ掬い取る。
その反応に安心したのか、魔理沙は紅魔館での話を再会した。先ほどまでは私も楽しんで聞いていたが、もうその話は耳に入ってこない。
結局私は何もしなかったが、その一言から、確実に何かが変わっていた。
~~~~~~~~~~
「じゃあ、風呂使うぜー」
「早くあがりなさいよ。あんたが長風呂すぎるせいで、アリスはいつも半分寝ながら入っているんだから」
「魔女は寝る必要ないんだぜ~」
魔理沙は忠告に対して右手をぶらぶらと振りながら、部屋から出ていった。
やかましい足音が聞こえなくなってから、鏡の前に座る霊夢を見る。
長く艶やかな髪に櫛を通している姿は、やっぱり日本的な美しさがある。
「霊夢」
「なぁに?」
櫛を操る手を止めずに、霊夢は声だけで応えた。
「死にたいの?」
その手も、すぐに止まった。霊夢は櫛を置いてこちらへと振り返る。
普段と変わらない笑顔のはずなのに、どこか見てて辛かった。
「あんたは冗談だとは思わないのかしら?」
「霊夢はあんな冗談は言わないわ」
言うと、「参ったわね」と呟きながら、せっかくとかした髪をかき乱すように、少々乱暴に頭を掻いた。
「もー、なんで口走っちゃったのかしら」
「霊夢には死んでほしくないわ。どうしてあんなこと言ったの?」
「……あー、まぁ、アリスにならいいか。魔理沙と違って口堅そうだし」
霊夢は布団の上へと移動し、どっしりとあぐらをかく。
薄く浮かべている笑顔を見たときに薄ら寒いものが背中を走ったが、私はしっかりと向き合って座った。
「他言はしちゃ駄目よ」
霊夢のただならぬ雰囲気に言葉を吐き出すこともできず、私は頷くことで返事とした。
「私はね、ずっと死にたかったの」
耳に飛び込んできた、その言葉。
不意打ちだったとはいえ一度耳にしているのに、これだけハッキリと言われても霊夢自身が言っているのだとは信じられなかった。
どこか遠い世界から、声だけが脳に響いている。そんな感覚に囚われる。
「アリスと出会う前から、魔理沙と出会う前から、私はずっと死ぬ機会を伺っていたわ。結局、未だにこうして生きているけれどね。はいおしまい」
それだけ言うと、霊夢は黙ってしまった。
「まだ、肝心の理由を話してもらっていないのだけど」
「別に理由なんていいでしょう?ただ、博麗の巫女が死にたがっているなんて知れたら、大騒ぎになる。だから他言してほしくないだけ」
それっぽい言葉を並べ、再び口を閉ざす。
その態度に釈然としないものを感じるが、これ以上は梃子でも動かないだろう。霊夢の頑固さはよく知っている。
「一つだけでいいから、確認させて」
目を、見つめた。本当のことを言ってくれるか見極めるために。
「私は、霊夢に死んでほしくない。魔理沙もきっとそう。だけど、霊夢が死にたいのって、私たちのせい?……私のせい?」
もしそうだとしたら縁を切ろうと、聞く最中に覚悟した。
「どうしてそう思うのよ。会う前からだって言ってるじゃない」
「……」
ただ不安だから。怖いから。そんなことを言うほんの少しの勇気も、持ち合わせていない。
霊夢はまた後頭部を掻きながら、ちょっと俯いてこちらから目線を外した。
「あんたたちがいなかったら、多分もう死んでるわ。あんたたちが遊びに来てくれるから、私は生きてる」
ああ、よかった。心から安堵して、深いため息を吐いてしまう。
それは、自殺願望の原因が私たちだったからではなく、「私たちが遊びに来ているから死なない」という物言いは、霊夢が迷っている証拠だと思ったからだ。
三人で過ごすことは楽しい。それは魔理沙も、霊夢も同じだと確信している。
この何気ない日常が、立ち止まらせているというのなら。
「霊夢、明日も泊まってもいいかしら」
「え、魔法の研究をやりたいんじゃなかったの?」
「別に、そんなことはいつでもできるわ。もしかして、駄目?」
「……駄目じゃないけど」
「なら決まりね」
きょとんとする霊夢を尻目に、私は笑った。
ああ、知れて良かった。無知のまま、手遅れにならなくて良かった。
立ち止まらせるだけじゃない、振り返らせて引っ張りあげてやろう。
堕ちていかないように、私が空を飛ばせてやろう。とびっきり楽しい、「日常」という名の人形劇を見せてやるのだ。
独りにさせないように、悩む隙を与えないように。
そんな決意を、私は固めた。
~~~~~~~~~~
初めは、ただの顔見知りだった。
あの時のことを恨んではいたが、別に復讐なんて大それたことを考えてはいなかったし、この幻想郷という場所では重要な存在らしいから適当に付き合いを持って適当に宴会で会って。彼女との関係はそれで十分だと思っていた。
その関係が変わったのは、すべてあの馬鹿……霧雨魔理沙のせいだ。
なにかと人にちょっかいを出し、異変は出しゃばって解決したがり、他人に迷惑をかけても何とも思わないやつ。
そう思っていたし、それを利用して異変解決を共に行ったりもしたが、正直ただただうるさいだけの存在だった。
そしてあの日、魔理沙に連れられて博麗神社へと向かった時のこと。
連れてくるだけ連れてきておいて、「そうだ、急用を思い出した。ちょっと行ってくるぜ!」と言い残しさっさと飛び去られて、やり場のない憤りがこみ上げてきたのだ。
何であんなやつに私は付き合ってやっているのだろうか。相手が人間だからと遠慮せずに、いっそ頭から食ってやろうか。
本気で襲撃計画を脳内で練るくらいには精神にキていたし、あの怖い物知らずに妖怪の怖さを教えてやろうかなんてらしくないことも考えていた。
「あんた、相当参ってるみたいね」
隣から聞こえてきたのは霊夢の声。
こんな時は、誰と話していてもイライラしてしまう。
「何が?」
「何がって、あんた、口から漏れてたわよ」
しまった。無意識に思っていることを口に出してしまうのは私の悪い癖だ。
あまり知られたくない相手に知られてしまったと後悔し、すぐに臨戦態勢を取る。妖怪が人間を襲おうと画策しているのだ、退治されてもおかしくはない。
だが、帰ってきた反応は予想外のものだった。
「あんたもそう感じるのねー。異変の度に組んでたから、魔理沙の悪行を全て許せるような聖人君子かと思ったわ」
「……私がそんなんじゃないってことは、私の言葉が証明したでしょう?」
「そうね、安心したわ」
どうやら退治はされないようなので、こっそりと臨戦態勢を解いて耳を傾ける。
霊夢は茶を一口啜って、ほぅと息をついてから続けた。
「私も何度も折檻してやろうかと思ったし」
「あら、意外ね。それこそあんたが聖人君子かと思ってたわ」
「冗談。あいつと付き合って良かったことなんて片手で数えきれるくらい少ないわ。悪かったことを数えるのには手が足りない」
苦笑しながらそんなことを言う。
そこには、今までに見たことないような博麗霊夢がいた。
「それにしても、巫女のくせに妖怪が人間を襲おうとしているのを止めはしないの?」
「あいつは人の恨みをかなり買っているだろうし、痛い目を見たほうが世のためよ」
「なるほど」
「まぁでも、あんなやつでもいいところはあるのよ?」
「え、いや、それは無いわね」
「……ほんっと、嫌われてるわねぇ魔理沙のやつ」
くっくっくっと喉をならし笑いを堪えている。その姿を見て「ああ、この子も人間なんだ」なんて、人事のように考えていた。
「あいつは人に近づきたがる癖に、相手との距離を考えてないのよ。だから、急に近づかれて驚いたりイラついたりしちゃうわけ」
「……よくわからないけど、確かに図々しいわね」
「いくら引き離そうとしても寄ってくるから、対処法はただ一つ」
「何?」
「あいつを好きになって、それなりに良い人間関係を作ること」
すでに観念しているようで、人間らしい苦笑を顔に張り付けている。
ただただ巫女の責務を全うするだけのマシーンのようなやつかと思っていただけに、そのありふれた反応には新鮮味を感じた。
「好きになれる自信が無いし、それより先にグーで殴ってる気がするわ」
「そうよね。私もずっと、井戸に落としたいとか呪いでもかけてやろうかとか思ってた。思ってたじゃないわね、今も時々そう思うことがあるわ」
「意外ね」
私と同じようなことを霊夢が考えていることも、そんな気持ちを持って魔理沙と仲良くしていることも意外だ。
「霊夢はもっと、自分に素直な人間かと思っていたわ。好きなら好き、嫌いなら嫌いって言うタイプかと」
「あら、その通りよ。魔理沙のことは好きだけど嫌いってところかしら」
どうして相反する感情が両立できるのだろうか。そこがわからない。
「良いところは、正面から向き合えばわかってくるわ。昔の私みたいに付き合おうともせず、嫌々流されているだけじゃあわからない」
「それは、私に言っているの?」
「他にだれがいるのよ」
そんなことできるわけがない。そのうち私は魔理沙に手を出すのだろう、なんとなくわかる。
「……」
「まぁ、いきなり好きになれって言われても無理よね。じゃあ嫌いなところでも語りましょうか」
霊夢は、黙った私に茶のおかわりを渡してきたので、受け取って一口啜るが、やっぱり緑茶は不味かった。
「嫌いなところなんて、多すぎて語り尽くせる気がしないわ」
「同感ね」
顔を見合わせて笑い、盛大な愚痴り合いが始まった。
その日その時、私と霊夢は赤の他人ではなくなった。
神社へと行く回数は増え(といっても、八割は魔理沙に連れられてだが)、なにかと文句を垂れ流し合う。
初めは魔理沙のことだけだったが、そのうち巫女の仕事のことや魔法の研究のことも聞いてもらって聞いてあげて。
いつからだろう。
気がついたら私は、霊夢とも魔理沙とも友達になっていた。
なぜ魔理沙とそうなれたのかは本当に自分でもわからないが、まぁ、「正面から向き合った結果」ということにしておこう。普段隠している勤勉さとかは見習うべきだし、くだらない嘘はつくが肝心なところでは誠実なやつだ。
私は、誰かを無条件で信じるなんて狂気の沙汰だと思うし、それがあの霊夢と魔理沙だというのなら尚更。
でも、もう考えるのはやめた。
すでにそうなってしまったことをいつまでもうじうじ考えるなんて面倒くさい。
今は、二人とも親友。大好きな友達。
それでいいじゃないか。
~~~~~~~~~~
「――んぁ」
夢か。
懐かしい夢だった気がするが、あまり覚えていない。
どうやら日が昇る前に目が覚めてしまったようで、障子の外はまだ薄暗くしばらく陽は登りそうにない。
上半身を起こして目を擦りながら左へ首を曲げると、寝言のような唸り声をあげている霊夢と、持参した抱き枕にしがみついて寝ている魔理沙がいた。
霊夢の顔は苦痛に歪んでおり、汗も沢山かいているように見えた。
暗闇だからわかり辛いが、目の下には涙の通った跡もある。寝ながら泣いていたらしい。
悪夢に苦しんでいるのだろうか。
「……れいむ、霊夢」
体を揺すって呼びかけると、すぐに唸り声は止み、目がゆっくりと開かれた。
「あ……りす?」
「霊夢、大丈夫?酷く唸され――」
「う、ああっあ゛あ゛!」
突然飛び起きたかと思うと、そのまま私にしがみついてきて、危うく後ろに倒れそうになる。なんとか手を床について体を支えるが、その最中がくがくと震えだした霊夢を見たとたん頭の中が真っ白になり、思考回路は吹っ飛んだ。
「うっ、ひっく……ぐすっ」
私の胸で泣きじゃくるその姿を見て驚き、震える背中を見て驚く。
霊夢、霊夢、博麗霊夢。これが、博麗霊夢?
なにも考えないまま震わせる体を抱きしめたら、今にも折れてしまいそうな細さと脆弱さが肌から伝わってきて、見ていられなくなってしまう。
私の胸まで痛みだして、切なさが溢れてきて、だから優しく背をさすってやる。
「大丈夫よ、大丈夫」
「っく、……っ……」
「大丈夫だから」
震えが止まるまでの間、私には胸を貸してやることしかできなかった。
~~~~~~~~~~
「ごちそー様でした!」
今日の朝食担当の魔理沙が、自分で作った食事をぺろりと平らげ、両手を合わせて言った。
すでに太陽は昇り始め、鶏も鳴くのを止める時間帯。朝食の場はいつもと同じように見えて、どこか違っていた。
「お前ら、私の朝食が不味くて食えたもんじゃないって言うんじゃないだろうな?」
霊夢は好物の鮭の塩焼きを半分以上残し、私は一尾丸々残してしまっていた。そりゃあ魔理沙も言いたいところがあるのだろう。
「ごめんなさいね魔理沙、私食欲が無くって」
「……私もよ。美味しかったわ」
私の言葉に合わせて、霊夢も同じように言い、二人で食器を片づけ始める。魔理沙はそれが大層ご立腹だったらしく、「もうお前らに私の飯を食う資格はないぜ!」などと漏らしていた。だが、なんだかんだ言っても来週くらいにはまた作ってくれるのだろう、そういうやつだ。
三人で片づけを終え、食卓を囲って茶を啜る。
小鳥のさえずりが、直に来る春を予兆しているようだ。
「おいおいおい辛気くさいぜ?なんだお前たちなんで黙ってるんだよ」
普段なら談笑が繰り広げられているのだが、今日に限っては会話らしい会話がない。
私は楽しくしゃべるような気分ではなかったし、霊夢もずっと手元の湯呑みを見つめて俯いている。
「……なぁ、本当にどうしたんだ。なにかあったのか?」
沈黙は続く。魔理沙の表情にも困惑の色が出始めており、滅多に見せない気遣いまでし始めた。
「大丈夫、大丈夫だから」
「……」
私はなんとか取り繕うとするが、霊夢にはそれすらない。普段なら軽口の一つや二つは返すだろうに、悪夢は相当気分を落ち込ませたらしい。
そして、再び静寂が戻った。
茶を啜る音と、湯呑みを置く音が、今のこの場での全ての音色だった。
「ああもう、辛気くさいのは嫌いだ!私は先にお暇させてもらうぜ!」
とうとう我慢ができなくなったようで、魔理沙は勢いよく立ち上がると部屋から出て行ってしまった。
そして、なにやら玄関で戸が閉まる音が聞こえたと思うと、今度は縁側から声が響いてくる。
「アリスー!お前もちょっと来てくれー!」
チラリと霊夢を流し見る。
一瞬だけこちらを見たが、すぐにまた俯いてしまい、その感情までを慮ることはできない。
「ちょっと、行ってくるわ」
話が終わったら、今日はずっとそばにいてやろう。そう心に決めてから、一言だけ残して玄関へと向かう。外にでると、蒼天が眩しすぎて憎らしかった。
縁側へと歩いて移動するが、魔理沙の姿が見当たらず、どこへ行ったのかと周囲を見渡す。
「こっちだー、来てくれ」
しばらく探していると、どこからか聞こえてきた力無い声。鳥居をくぐって長い石段を見下ろすと、魔理沙がちょこんと座っていた。カツンコツンと石段を鳴らし、隣まできてから同じように座る。高台から野を見下ろして浴びる風も、今は気持ち良くない。
「で、何?」
「……」
どうも様子がおかしい。返答はなく、表情は曇っていて、石段の下を見つめるばかり。
「自分から呼びつけておいて、どうしたの?」
別に責めているわけではないので、優しい声色で尋ねる。魔理沙はこちらを見ることなく、動きもしない。
「……なにがあったんだ?」
「えっ?」
「なんか、あったんだろ?」
ようやく絞り出したかのようなか細い声は、私の中にいる傍若無人な霧雨魔理沙像を静かに壊していった。
「私だけ仲間外れなんて寂しいじゃないか」
ようやくこちらを向いてくれたと思ったら、今にも泣きそうな表情で。また、別の痛みで心が軋む。
「お願いだ、教えてくれ。私とアリスの仲じゃないか」
仲、か。
「そうね、魔理沙には話しておくべきよね」
私と同じように、魔理沙も霊夢のことを助けたいと、そう思ってくれるはず。
だって、友達だから。助けたいと思うなんて、当り前のことだから。
そう思って、霊夢が死にたがっていること、うなされていたこと、全部話した。
話しているうちに今朝の様子を思い出してしまい、心が揺れる。私の悲しみは魔理沙にも伝播したのか、普段はハツラツとした表情も曇り、歪んでいった。
「ごめんなさいね、ご飯食べれなくて」
「……いや、いい。そんな場合じゃないかもしれないしな。時間もあまりなさそうだ」
魔理沙の言うとおりだ。霊夢が何かに苦しんでいるのは明白で、限界はすぐにでも訪れてしまうかもしれない。
それは悪夢を生み、心を崩し、死をも望ませてしまうほどの、強大な何か。
「アリス」
先ほどまでの弱々しさは消え去り、威風堂々とした雰囲気を身に纏い、魔理沙は立ちあがる。
「元から絶たなきゃ、霊夢は本当に死んじまうかもしれない。それを指を咥えて見てるだけなんて、私はごめんだ」
同じ気持ちだとわかって、安心した。やっぱり話して正解だった。
「一緒に霊夢を助けよう」
「ええ、もちろん」
一人では不安だが、二人なら大丈夫。きっとなんとかできる。
死にたいなんて二度と思わせないように、幸せにしてやらないといけない。
「さて、そうと決まれば行動あるのみだ!」
「え、あ、ちょっとどこ行くの!?」
石段に置いてあった箒を掴んだ魔理沙は、魔力をバネに空中へと飛び上がる。推進力にする魔力を箒へと送りこみながら、私を見下ろしニカッと笑った。
「まずは原因を探らなきゃいけないだろ?霊夢のやつが素直に話すとも思えないし、私は神社や巫女のことを調べてくることにするぜ。だからアリスは霊夢の傍に居てやってくれ」
魔力が溜まり、星屑を撒き散らしながら私の隣にまで降りてくる。そして、真剣そのものといった表情で、小さく呟いた。
「隣に居てやるのは、アリスの方が適任だ。だから、頼んだ」
言い返す間も与えずに、魔力を爆発させて北西の空へと飛んで行った。
星の瞬きは太陽の下でも激しく自己主張し、そのうち見えなくなって、消えてしまった。
「―――あぁあもう!なによ勝手に言いたいことだけ言って!」
これこそが霧雨魔理沙だと改めて思い知らされ悪態をつくも、今日だけは感謝した。
きっと何かを見つけて来てくれるはずだ。
残光をいつまでも見続けているわけにもいかない。
飛ぶのは流れ星に任せて、霊夢の元に戻らないと心配だ。
普段通りの晴天に戻ったことを確認してから、ゆっくりと歩いて神社へと引き返した。
~~~~~~~~~~
「霊夢、人形がお風呂沸かしたわよ」
「……ありがとう」
隣に居ること数刻余り。
居間や縁側で一緒に座り、ボーっとしているだけですっかり日も落ちてしまった。
結局霊夢は昼も碌な食事をせず、あとは茶だけを啜り、私の話に相槌を打つだけ。
元気づけられればいいのだが、その方法がまるで思いつかない。
「夕飯はどうする?」
「今日は、いらないわ」
「朝も昼もそんなに食べてないでしょう。人間なんだから食べなきゃ駄目よ」
「いらない」
このまま、何も食べずに餓死してしまうんじゃないか。そんな最悪の未来まで想像してしまうほどに、霊夢は生気も覇気も失っていた。
会話も続かず、食事も取ってもらえず、あとは一体何をしてあげられるのか。
考えに考えて、気晴らしになるかもわからないが、思いついたことを提案してみる。
「なら、せめてお風呂に入りましょう。今日は私と一緒に」
「アリスと?」
「二人くらいなら入れるだろうし、たまにはいいでしょう」
拒否される前に押し切ってしまうことにして、人形に着替えなどを用意させながら霊夢の体を脱衣所まで押していく。
「ほらほら、ほらほら風呂風呂」
「え、アリス、まって、ちょっとこら!」
「はい到着、ほら脱ぎなさい」
「待ってってば、うわっ脱がさないで、人形は卑怯よ!待ちなさいってばー!」
大きすぎず、小さすぎない、どの家庭にもある小さい空間に、ひん剥いた巫女を押しこむ。
普段なら抵抗の一つもあったのだろうが、今の霊夢なら有無を言わせず連行することができた。
「あああもう、乱暴すぎる!頭脳派が聞いて呆れるわね」
「普段のあなたほど力押しなつもりはないわ」
「うっさい」
抵抗も口だけになり、自分から風呂桶を持ち浴槽の湯をすくい始めた。
ここには私の家のように魔法で水を出す機構が無いため、前もって湯を汲んでおかなければ髪も洗い流せない。
木で組まれた椅子に腰かけ体を洗い始めたのを見て、とりあえず一安心。
悩むから動かず、動かないから悩むのだ。体を動かさせ、頭の中を空っぽにするのが一番。
楽しいことでいっぱいにできるように努めた。
壁際に置かれていたもう一つの椅子を持ち、霊夢にならって体を洗う用意をする。その間になにやらブツブツと呟いているのが聞こえてきて、どうやら私に対する文句をまだ垂れ流しているようで、まるで子供だと心の中でほくそ笑んだ。
ごしごしと、タオルで体を擦る音だけが浴室に響いている。
無言だが、別段悪い気はしない。暖かい沈黙とでも言うのだろうか。
全て一人でこなそうと、森の奥に引きこもっていた頃には感じることが無かった感覚だ。
昔は、どこかで読んだ大仰な本の「沈黙とは停滞であり、生物の停滞は死である」……なんて小難しいことを大真面目に信じていて、だからこそ無音は恐怖の対象だった。
夜、一人だけの風呂や就寝。今でも恐ろしさを感じることがあるくらいだ。
こんな、暖かい感覚があることを知れたのも、友人たちのおかげで、それ以外にもたくさんの物を貰っていて。
全てお返し出来るわけじゃないけれど、私ができる限りは何かしてあげたい。
ああもう、魔女とは思えない思考回路になっちゃったわね、馬鹿みたい。
霊夢が湯を被っている音で意識が現実に戻される。
隣を見ると、もう全て洗い終えたのか椅子をかたしていた。
湯に浸かる音を背後に聞きながら、慌てて擦るのを再開した。
「遅かったわね」
「ちょっと考え事をしながら洗ってたのよ」
「悩みなんてないんじゃなかったの?」
「……」
悩みの種の癖にと口に出したくなるのを堪え、湯船に入り、隣に陣取った。
疲れがため息と一緒に口から出ていくようで、気持ちが良い。
正面の壁には木の格子が組んである窓があり、そこからはまんまるお月さまが見えた。今日は綺麗な満月だ。
「綺麗ね」
「ん?……そうね」
なんの気なしに呟いた言葉に、霊夢はゆっくりと返してくれる。
ほんの少しの雲と、月光、梟の鳴き声。
詫び寂びなんて感覚は知らないが、これがそうだとしたら、なるほど日本人はとても芸術的な人種だと素直に思った。
どんな顔をしてるのか気になり顔を傾けると、風呂に入る前までの陰鬱なものに戻ってしまっていた。
頭の中で、なにか悪いものが蠢いているらしい。
「ねぇ、今も死にたいの?」
一瞬だけ、聞くべきかどうか迷った。
もし『死にたい』と淀みなく言われてしまったら、私には止めることができなくなってしまうのではないかと、思ったから。
「わからない」
だから、中途半端な返答だったけれども、まだ心が決まっていないことは私にとって救いだった。
「辛くて死にたいのなら、楽になれると思うことをしなさい。もちろん、死ぬこと以外で」
聞いてくれているか、心に伝わっているか、わからない。
「私ができることくらいなら、いくらでもしてあげるわ」
でも、私は霊夢を救いたい、そう思ったからもう一度訴えた。
答えは帰ってこない。
ついさっきまでは心地よく感じていた沈黙が、今は針のようでチクチクと痛い。
やっぱり、私には何もできないの?信頼してもらえていないの?
悪い方へと考えが傾き、自分で自分を追い詰め始めていた。
そんなとき、右手がぎゅっと掴まれた。
驚いて湯船の中へと視線を落とすと、霊夢の小さな左手が覆いかぶさっていて、しばらく思考が止まる。
「――あの、さ」
固く閉ざされていた口は開き、震えた声を絞り出し始めた。
「怖い、の」
「怖い?」
握られる力は次第に増し、しかも段々と震えだした。
霊夢の顔は風呂の中だというのに蒼白で、怖がっているようでもあり痛がっているようにも見える苦悶の表情になっていた。
「夢を、見るの。昔の……夢」
「昔の?」
「最近は、毎晩見て、苦しくて、怖くて。昨日も見たの」
手が離され、霊夢は自分で自分を抱きしめるように、両手で自らの肩を抱く。
「それだけじゃ、なくて……今や、これからのことまで、昔みたいになっていく夢を……みて……本当に、そうなっちゃいそうな気がして」
目をギュッと閉じて震える姿は、私の心をズタズタにしていく。苦しみや痛みが伝播してきてるようで、見ていられない。
「怖い、こわいよ、寝たくないの、もうみたくないの」
ようやく見つけた本心は、もう壊れる寸前で、どうすれば治してあげられるかわからなくて。
私は衝動的に、震える彼女を抱きしめた。
ぽたりぽたりと滴り落ちる水滴の音が聞こえる。
どこから落ちている雫の音なのかは、わからなかった。
~~~~~~~~~~
「本当に大丈夫かしら」
「大丈夫よ、心配しないで」
いつもの部屋に敷かれた二組の布団。
その片方に横になった霊夢を、私は反対側の布団から見ていた。
風呂の時と同じように、私の右手は彼女の左手と繋がっている。
「うなされたら起こしてあげるし、ちゃんと隣にいるから。心配しないで眠りなさいな」
「……うん」
不安を吐き出したおかげかはわからないけど、霊夢は普段と違って素直で、捻くれてなくて、少しだけだが憑き物が落ちたように見えた。
でもやっぱりこんな弱々しい姿は見たくない。
「さ、寝ましょう。電気消すわね」
「わかった」
人形に灯りを落とさせ、目を閉じる。
しっかりと手を握ると、それ以上の力で握り返され安心した。
それを肌で感じながら、私は霊夢が眠るのを、静かに待った。
草木も眠り、巫女も眠る丑三つ時。
霊夢が夢に堕ちているのを確信してから、起こさないようにゆっくりと起き上がる。
見ると、落ち着いていた寝顔は少しづつ苦悶に変わり、悪夢が始まりつつあるのがわかった。
用意してきた魔導書を手提げ袋から取り出し、パラパラとめくりとある項目を探す。
霊夢の悪夢が過去の出来事からきているものだとするのなら、死にたがっていることと何か関連があるのかもしれない。
だとすれば、その悪夢を見ておくことで、影ながら霊夢を助けることができるのではないだろうか。
今の調子では過去のことを話してくれるとは思えないし、だからといってこのまま悪夢で苦しみ続けるのを指をくわえて見ているだけなんてゴメンだ。
ようやく該当する項目を見つけ、頭の中で読み上げる。
――【夢見の魔法】――
被術者が見ている夢に、術者の意識を滑り込ませて体感できる魔法。これによって私は夢の中で霊夢と一体になり、その苦しみを全て刻むことが出来る。同調率を高くしすぎると相手の感情に取り込まれてしまうかもしれない危険な魔法だが、同じ苦しみの中に飛び込むことで、何か解決策を見出すヒントを得られるかもしれない。そう考えるとこれが一番だと思った。
霊夢の額にそっと手を当て、術式を小声で詠唱する。
細心の注意を払いながら魔力を本へと送りこみ、魔法を展開させていく。
最後にもう一度、苦しんでいる友人の顔を見てから、私は詠唱を終えた。
瞬間、意識はまどろみ、吸い込まれ、溶けていく。
薄ぼんやりとした夢の中で、私は霊夢になった―――
~~~~~~~~~~
『これは決まったことなの』
『そんなの、絶対に許さない!』
おかあさん、どなってる。こわい。
『わかるでしょ?中立を重んじるように育てるには、里から離すのが一番』
『友人すら作れなくなってしまうじゃないか!霊夢がどうなってしまうか、少しは考えないの!?』
きれいなおねえさんにどなってる、こわい。
『こうしないと、雑多な妖怪に睨まれるのは霊夢よ?諦めなさい』
『なんとか、なんとかしてよ、ゆかりぃ……』
『――自分で守りなさい。できるなら、ね』
◇
やだ、泣かないで。
おかあさん、泣いちゃやだよ。
『霊夢、大丈夫よ』
おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。
『あなたは優しい子だから、きっと素晴らしい友達ができるわ』
ともだち?
『そうよ。大丈夫、ね?』
うん!
『ねぇ、霊夢』
なぁに?
『もし、お母さんが居なくなっちゃっても、霊夢は平気?』
えっ?いなくなっちゃうの?
『もしも、もしもの話で――』
やだよ!おかあさん、いっしょにいようよ!
『……』
ずっとずーっといっしょだよ!……おかあさん?
『うん、そうよ。大丈夫、お母さんも友達も、ずっと一緒』
ずっといっしょ!
◇
『まさか妖怪に殺られちまうとは、怖いねぇ』
『博麗の巫女って言っても、歴代最弱だったんでしょう?霊力も全然なかったらしいし』
ねぇ
『あんなんが巫女だったから、人間が舐められちまったんだろ?』
『どうすんだよ!先月も五人食われたんだぞ!』
お母さん
『それより、次の巫女はどうするのさ!あたしゃ死ぬのはゴメンだよ!』
『霊夢ちゃんはまだ八歳じゃ、巫女に立てるのは早すぎるかのう』
どこ?
『あの女の娘じゃあ、たかが知れてるだろ』
『その女に守って貰っていたくせに』
『そりゃてめぇだって同じだろうが!』
ねえってばっ!!
『……』
『……』
『……』
『……』
お母さん、どこ?ねぇ、どこにいるの?
『知りたい?』
し、知りたい!
『それはね』『お星様になったんだ』『天に昇っていったのよ』『土に還ったんだ』『神様になったわ』
なんでみんな違うの?
ほんとは、どこにいるの?
『…………』
『死んだよ』『死んじまった』『死んだわ』『死んだ』『死んじゃった』
シヌって、なに?
『もうどこにも居ないってことだよ』
いない……?
◇
『あなたは今から博麗の巫女よ』
それ、お母さんのお仕事だよ。
『今日からはあなたがやるの。やり方は私が教えてあげるから、お母さんみたいに頑張りなさい』
お仕事……
◇
さむいよ くらいよ こわいよ
なんでひとりぼっちなの?
なんで、なんでっ……!
お母さん、お母さん。
嘘つき。
お母さんが弱かったから、お母さんが死んじゃうから!
お母さんっ……
◇
『あら、霊夢ちゃんどうしたの?』
ちょっと妖怪が悪さをしてないか見回ってるの。
『頼もしいわ!歴代最強なんて言われてるあなたが毎日のように来てくれて、すごく安心よ』
大丈夫、わたしはあの女みたいにはならないわ。
あんたたちはなんの心配もしないでいなさい。
◇
はぁー、もう、新年会とはいえ飲み過ぎたかしら。村の人に勧められると断れないわね。
あー、あー、外の風に当たろう。
『――!』
あれ、この部屋確か、もう使ってない倉庫のはずじゃ……
『――だから、俺はもう話したい、話さなきゃいけないだろう!』
『忘れるんだ』
『そんなことできるか!俺はもう、巫女さんを憎んでる霊夢ちゃんを見てられないんだよ!』
『だから忘れるんだ!もうどうにもならないことでうだうだと――っ!?』
何の話?
『れ、霊夢ちゃん』
『聞いてたのか?』
ねぇ、何の話?巫女さんって、あの女の事よね。
教えて、教えなさい。
『ああ、話させてくれ』
『おいばか、やめろ話すな!』
あんたは黙ってて!
『っ!』
ねぇお願い、話して頂戴。
『ああ、もちろんだ。里のやつらに口止めされて言えなくてすまなかった』
『……』
『実はな、巫女さんは妖怪に襲われて死んだってことになっているが、本当は違うんだ』
何……それ、どういうこと?
『巫女さんはな、霊夢ちゃんの教育方針にずっと反対してたんだ。里から離して育てるなんて友達もできない、もし私が死んだら、心の支えが居なくなるってな。でも長老たちには、心の支えなんてものを作らない、全てに中立の巫女を育てる義務があった』
義務って、何?
『妖怪の賢者との密約だ。詳しい内容は知らないが、そういう約束らしいんだ』
なによ、それ、賢者って誰よ。
『霊夢ちゃんも見たことはあるだろう。八雲紫っていう妖怪だ』
……紫。
『そうだ。そして、そこまで強くない巫女さんよりも、長老たちには霊夢ちゃんの方が重要だった。子供のころから専用の教育を施したかったが、そのためには巫女さんが邪魔。だから、霊夢ちゃんが十分に戦える力を身につけたと賢者様が確信したあの日、巫女さんには、死んでもらうことになった。』
『おい、もう言うな、よせ!』
『巫女さんは、遅効性の痺れ薬を飲んだ状態で妖怪退治に行き、死んだ』
……は?
『そして、巫女さんに痺れ薬入りの茶を差し入れたのが、俺だ』
『よせって言ってるだろうが!』
なに、それ?
お母さんは妖怪に殺されて、だから、妖怪は憎くて、退治しなくちゃいけなくって。
長老は優しくて、みんな優しくて、でも、お母さんを殺したの?
なんで?どうして?お母さんが弱いから?弱いってなに?邪魔ってどうして?
お母さん、頑張ってたんだよ?私知ってるもん。妖怪退治も神事も頑張ってたの知ってるもん。
なのにころしたの?薬を盛ったの?
なんで私、お母さんを恨んでたの?こんなに憎んでたの?
誰のせい?ねえ、だれのせいなの?
ちょうろうたちのせい?確かにそういってたよね?
だとしたら、わたしは今までおかあさんをころしたひとたちをまもっていたの?
あんなにやさしいおかあさんを、ウラギリモノだと思わされたの?
なんか、二人ともさけんでる。どなってる。おかあさんをころしたやつらがわめいてる。
うるさい うるさいよ
お母さんをころしたのに わたしにまもられて
のうのうと生きて うるさい だまれ
だまれ だまれ黙れ黙れだまれだまれえええええええええぇぇぇぇ!!
は、ははは、ころ、しちゃった。
へんなこと、言うから、はは、はははははははっ!
だまれだまれって、うるさいし、ははは……
わた、し、人ころ、ころしちゃ、ころっ
うぇ、ぅげえぇぇえっ うえっ
けふっ うぷっ っげぇえ
っははは、は……はっ、長老たち、が、殺した。
お母さんを、お母さん。
お母さんっ……!
殺してやる
今度は、私が……殺してやる……
『駄目よ』
どいて、裏切り者。
私、お母さんを怨んじゃってたの。あんなに優しくて、大好きだったのに。
一人ぼっちにした、嘘つきの、弱い女だって、そう思いこんで、そう思うしか無くて。
でも、悪いのは全部あんたと長老たちなのよね。
お母さん、なにも悪くないのよね。
あはははっ。もう殺さないと収まらないの。殺したいの。殺させて。殺させろ。
『駄目。彼らは彼らのやり方で里を守っている。そして、そのやり方は私が教えたもの』
今はそんなこと関係ないわ、どいて。
『どうしてもというなら、あなたを殺さなきゃならなくなるわ』
……なんで?どうして?なんなの、なんなのよぉ!?
あんたから、あんたから先に殺してやる!表へ出ろぉ!
◇
『気が済んだ?』
……
『あなたじゃ、私には勝てない。あの男達は私が処理しておくから、大人しく巫女として働き、あなたの母親が守ってきたものを受け継ぐのよ』
……長老たちは、守りたくない
『それこそ、博麗の巫女失格。分け隔てなく妖怪を退治し、人間を守り、バランスを保つのがあなたの仕事。死にたくなければ、今のままの生活を送りなさい』
は、はは。私が、死んでもいいみたいな言い方ね。
私は特別なんじゃ、なかったの?
『そうね、あなたは特別。でも、だからと言って重要じゃない。今の巫女の血が途絶えれば、新たな才能ある血筋が代わりに巫女になる。代わりくらいいくらでも用意できるの。それを忘れないで』
それじゃあ何、私が生きてても死んでも関係ないの?
死んでも復讐にならないの?
わたし、結局、良いように使われて終わるだけなの?
なに、それ。
ごめん。
お母さん、ごめんね。
私なにもできない。
ああ
わたし、なんのために生きてるんだろ
お母さんの仇を助けるため?
ああ
消えてしまいたい
死にたい
~~~~~~~~~~
何かが割れるような音が頭に響き渡り、魔法を解いた。
一体どれだけの時間、夢を見ていたのだろうか。
見ると、苦悶の表情を浮かべている友人が、うなされて唸り声をあげていた。
「――うぅ、う――――ぁあ――」
痛い、痛い、いたい、いたい、いタイ、イタい、イタイ。
もう見ていられない。
「待っててね、霊夢」
今にも壊れそうで、潰れそうで、消えてしまいそうで。
気丈で強いと信じていたのに、中身はとっくにぼろぼろ。
こんなに優しい子を、これほどまでに追い込んだのは、何?
「…………殺してやる」
気付かぬうちに漏れ出ていた殺意を胸に押し込んで、ゆっくりと立ち上がる。
夢見ているうちはあんなにも煮えたぎっていた怒りは、湧きだした憎しみに冷やされて、どこか冷静に戻っていた。
ただ、衝動に任せて頭脳を回転させる。
闇討ち・数押し・罠設置・守護者の対応、考えるべきことや備えるべきものは沢山ある。けれども、霊夢にこれ以上こんな思いはさせていたくない。
外に出ると、赤みがかかった満月が私を出迎えた。
今日は妖怪跋扈の日。まだ丑三つ時を過ぎてから、十数分程度しかたっていない。
なんだ、まるで今日やってしまえとお膳立てされているようではないか。
「殺してやる」
自然と吐きだした同じ言葉をどこか遠くに聞きながら、全てを終わらせる準備をするために森へと向かい、飛んだ。
~~~~~~~~~~
振りかけただけで骨まで溶かす毒薬に、人肉くらいなら軽く捌ける特性の操り糸。秘蔵の魔法薬、鎧を着込んだ人形たち、封印していたグリモワール。
しっかりと用意をして戦う魔法使いは最強だ、負ける道理がない。里のハクタクだろうと、妖怪の賢者だろうと、私と人形たちならすべてを討ち滅ぼせる。
愛用している蒼いドレスは脱ぎ捨てて、同じ装飾の黒いドレスを用意した。人間は目がよくないから、暗闇に紛れれば魔法詠唱の機会も増えるだろう。
着々と準備を進めているうちに、机の上に置いてある銀の椀から光が漏れだす。水鏡に映し出されたのは、静まり返った夜の里の様子。遠見の魔法によると、どうやら里は平和そのもので人間たちはみな寝入っているようだ。唯一、ハクタクの家からは明かりが漏れているところを見ると、この時間帯は日常的に警戒をしているらしい。もしくは、満月だから歴史の編纂でもしているのかもしれない。
狙うは長老と、その賛同者。
いったい何人が黒なのか想像もできないが、確実に関与している長老に賛同者が誰か吐かせればいいだろう。
拷問はやったことがないが、今なら誰よりも上手く吐かせる自信がある。
「行くわよ、あなたたち」
一声かけると、部屋の住人たちがカタカタと笑いだした。木材同士が幾度となくぶつかり合う音は人形遣いには心地よく、頼もしい。
右手にグリモワール、腰のベルトには三十を越える薬剤の瓶。ブーツの先には刃物を取り付け殺傷力を上げ、魔力を増強するポーションも飲んでおいた。
後はもう、飛び出すだけ。
「おーい、アリス!起きてるか!」
そんなときになって、玄関から聞こえてきたのは霧雨魔理沙の声だった。
もう出発するつもりで外に出ると驚き顔に迎えられる。
「おい……なんだ、その格好は」
「どうかしら、どこか準備が足りないところはある?」
「えっと、いや、足りないってなんだよ。戦争でもおっぱじめるつもりか?」
「そのつもりよ」
自分でもぞっとするような低い声が出て、魔理沙もそれを聞いてだろう、固まった。
右手には紙の束を握りしめているのをみると、今の今まで調べものをしていてくれたらしい。
魔理沙なら、私の味方として手伝ってくれるかもしれない。
「その紙は、何?」
「うぇ!?えっ、あ。これは、先代の博麗の巫女の歴史を綴ったものだ。慧音に頼んで貸してもらった。」
「見せてもらえる?」
「……ああ。ほら」
差し出された紙の束を受け取り、一番最後のページをめくる。
慧音……里のハクタクの編纂した歴史書には、一体どこまでのことが書いてあるのかは気になった。
最後のページの、最後の一行を見ると、「第○○代博麗の巫女、妖怪退治中に死亡」という薄っぺらい一言が綴られていた。知ってて隠蔽しているのか、何も知らずに人間を信じているのか、それはわからない。
ともかく、事実が書かれてはいるが、真実は載っていなかった。
「ありがとう、魔理沙」
歴史書を返そうと差し出すが、魔理沙はひったくるように奪い取って、少しかすれた声で言う。
「アリス、何があった」
普段のおちゃらけた姿は無く、自信に満ちた笑顔も無い。目の前には、しかめっ面で眉根を寄せている少女が居た。
「何がって?」
「そんな格好で、妖気も出しまくって、何があったんだよ。これから、何をする気なんだよ」
澄んだ瞳の中には真っ黒な自分が居て、どこもかしこも濁っている。これこそが、妖怪としてのアリス・マーガトロイドの真の姿なのではないだろうか。
「復讐に行くの」
「復……?」
「霊夢をボロボロにした人間どもを、殺してくるの」
「んなっ!?」
同族を殺すという言葉は、魔理沙を動揺させてしまったのだろう。焦りを隠しもせずにうろたえている。
だが、奴らが霊夢にしたことを知れば、同じ意見を出してくれるはずだ、殺さなくちゃいけないって。
「霊夢の夢を覗いて、全部見たのよ。あなたも見ればわかってくれるはず。生きる意味まで根こそぎ奪った長老たちを、私は絶対に許さない」
「夢を覗いてって、おまえ、夢見の魔法を使ったのか!?どれくらいの同調率で使ったんだ!」
「100%よ。当然じゃない、そうしないと霊夢の苦しみを真には理解できないわ」
「な、何やってんだ!その怒りや憎しみはお前のものじゃなくて霊夢のものだ!何を勘違いしてるんだ!」
「勘違い?なにそれ?私は霊夢を苦しめてる奴らが憎いだけ、だから殺す」
「おい、やめろよ。お前はそんな奴じゃないだろう?」
「腐りきった里上層部の決定で霊夢は苦しんだ。これからもずっとそう。だから、腐った部分は排除しないと」
話すうちに心が燃え上がり、怒りがわき出し、もう止められなかった。魔理沙の隣を通り過ぎ、屋外へ出る。
やはり今日は絶好の日だ。月がこんなにも大きくて、紅くて、今にも落ちてきそう。
月光が体に染み込むほどに、魔力が高ぶっていくのがわかる。これなら、どんな強力な魔法を連発しても魔力が底をつくことはないんじゃないだろうか。
「あはっ!すごい、今ならなんでもできそう!あははっあはははははははははは!」
「待てよ」
背後でドアが閉まる音。次いで魔理沙の凛とした声。
「夢見の魔法は同調しすぎると自分と対象者の境界が無くなる。そんな基本的なことはお前だって知ってたはずだろうに、すっかり飲まれちまって」
振り返って見ると、何故か悲痛な面持ちで佇んでいた。
「今のお前は普通じゃない。我を忘れて激情で動くなんて、頭脳派の名が泣くぞ」
「頭脳派ね、そうね、私らしくはないかもしれないわ」
「だったら、まずは落ち着け。じっくりと考えてから――」
「落ち着いてなんていられないわよ!」
ああ、さっきまではあんなに頼もしく見えていたのに、今は見ているだけで苛つく。友達の顔なのに。
「あんなの見て!あんな霊夢を見て!我慢できるわけないでしょ!?霊夢じゃ何もできない!復讐も、反逆も、なにも!そんなのってあんまりじゃない!」
溜まりに溜まった感情の爆発は激しくて、涙まで出てきて、でもいくら吐き出しても減らない。それどころか叫べば叫ぶほど霊夢の無念が私の中に渦巻くようで、さらなる憎しみが顔を出す。
「だからっ、私が代わりに終わらせてあげるの。霊夢が心から守りたいと思える人間だけを残して、後はみんなみんな私が消す。止めないでね、止めたらたとえ魔理沙でも容赦しないわ」
それだけを告げて、宵闇へと飛び上がった。
「――っ、アリス!」
魔理沙の声が背後で唸るのを無視し、里の方角へと向かお
うと森の上空をめざし急上昇しようとしてーーしかし、できなかった。
轟音と共に私の右小指の先を光が包み込み一瞬にして焼く。魔理沙の十八番である熱のスペル、マスタースパークであることは瞬間的に理解した。
熱で焼けただれた小指を確認するが、このままでは人形を操れそうもない。だからなんだ。魔力を左手に集中させて呪文を詠唱、ものの十秒で元通りに治癒した。
魔法のキレも素晴らしく、今日の私はまさに絶好調だ。
「まてよ、七色馬鹿」
治癒している間に飛んできたのだろう、顔をあげると眼前には箒に乗った魔理沙が、八卦炉を構えて浮いていた。
「霊夢のためとか、復讐とか、そんなのは建前だ。お前は自分の中に入り込んできた霊夢の感情にあてられて暴走してるだけなんだよ」
「何よ、わかったような事言って。あんたに何がわかるっていうのよ」
「わかるさ。お前がどんだけ霊夢を心配してたのかも、そのせいで道を間違えようとしているのもな」
「……邪魔、するの?」
「ああ、させてもらうぜ。これでも友達だ」
なにそれ、わけがわからない。
友達なら、霊夢を助けようって、思うはずでしょう?そうでしょう?
「なん、で、なんで止めるの……」
「お前の友達は霊夢だけか?そうじゃないんだろう?」
魔理沙だって、友達だって、そうだって、信じてたの。
なのに、邪魔するのね。
「助けてやるぜ、アリス」
――訳が
「っわけがわからないわよおおおお!!!」
正面へ、飛ぶ。すぐそこにいる、分からず屋めがけて拳を振り下ろす。ともかく黙らせる、黙らせて、早く、霊夢を助ける……
だが、拳は魔理沙に届くよりも前に、虚空に現れた光の壁に阻まれる。
「ぐぅっ!」
脳髄に駆け巡る電気信号。鈍い痛みが顔まで歪ませ、ひきつらせる。
突如として現れた光の壁は、私の進行方向を塞ぐだけでは済まなかった。
「なっ、なに!?」
続けざまに右・左・上・後ろ……最後に足下に壁が出現し光の密室を形作り、完全に閉じこめられた。
これは、見たことがある壁。いや、結界だ。幻想郷で結界を扱う者はそう多くないが、結界の中心に浮き出ている陰陽一体のマークは、間違いなく――
「間に合ったわね」
声の主ならもうわかっていた。だが、納得がいかない。私は、あなたのために、あなたの代わりに、すべてを終わらせたくて!
「れい、む」
わからない、わからない、わからない。
私、あなたが大好きで、大切で、だから、だから殺そうと思ったのよ?あなたのために!
わからないよ、もう、わからない。
「ようやく来たか霊夢!」
なんで、どうして、あなたはあんなに苦しんでいたじゃない。それは私が一番よく知ってるのに。
結界に触れると、それは霊力が込められていたのか、妖怪である私の体はバチンと弾かれた。
痛い、痛い、いたいよう。
「よくわからないんだけど、止めさせてもらったわ。拳が魔理沙に届く前に展開できるとは思わなかったけど」
「助かったぜ。おかげでうら若き乙女の柔肌は守られた」
「まぁ、別にそこは間に合わなくてもよかったんだけども」
「おいおい、悲しいことを言うなって」
話していた霊夢は、ふわり軽やかにこちらへと飛んでくる。そして、するりと結界の中に入ってきて、私をじっと見つめてきた。
「アリス、どうしたのよ。怖い夢見てたら起こしてくれるって言ってたのに私が寝てる間に居なくなっちゃうし、こんな禍々しい妖気を出してるし。らしくないわよ」
今までに見たことが無い優しい微笑みで、ずっと見たかった笑顔で、だからこそわからない。
「なんで、どうして、止めるの……?」
「私はあんたが何をしようとしてたのか、詳しくはわからないわ。だけど、止めた方がいいと思ったから止めた。それだけ」
濡れた頬を、そっと優しく撫でられる。暖かくて優しくて、昨日まで折れそうだったのが嘘みたい。
「何をしようとしたの?異変なら私が解決するし、あんたの頼みならちょっとくらい聞いてあげるわよ」
なによ、私が助けてあげなくちゃいけないのに。
これじゃ私が助けられてるみたいじゃないの。
「れいむ、れいむが、霊夢を苦しめた長老たちを、代わりに私が、殺して、殺したいの。れいむに、死んで欲しくない……たすけたいの」
涙まで溢れてきて、せっかく見れた笑顔もぼやけて霞んでしまう。
「やだ……霊夢壊れちゃう。あんな、前も後ろも見えないような真っ暗闇にずっといたら、耐えられない、無理よ」
繋がっていた時に入り込んできた途方もない絶望、怒り、憎しみ。信じていた全てに裏切られた悔しさ、悲しさ。
いくら逃れたくても逃れられない、選択肢が一つもない、それがまた心を蝕んで腐らせる。
生きていても無力に苦しみ、死ぬことの無意味さに苦しみ、ようやく逃げ込んだ夢の中でまで苦しむ。
霊夢は弱さを隠してたって思ってたけど、たぶんそれも合ってるけど、私が思ってた以上に、強いんだ。
こんな状態で今まで消えることを選ばなかった、安らかな死に折れなかった。
私は、私には耐えられなかったのに。
「……消えようと思ったこともあったわ」
ああ、やっぱり。
「綱を梁から吊して首をかけようとしたこともあるし、空高くから地面に墜ちようともしたし、異変の最中にわざと弾幕に突っ込もうと思ったこともあるわ。これで楽になれるなんて、そんなことを本気で考えて、でも死ぬのは怖かった」
霊夢は、消えかかってた。でも、なんで笑っているの?
そんなことを話してて、辛くないの?
「笑っちゃうわよね、結局、私が怖いから死ねなかったの。守らなきゃいけないもの、たくさんあるはずなのに。死にたいって気持ちが死にたくないって気持ちを越えたときに私は死ぬんだろうなって、そんなことを他人事みたいに考えてた」
優しくて暖かい手。霊夢は、ちゃんとこうして生きていて、でも今も死にたがってる。
さっきまでは綺麗に見えていた笑顔も、いつの間にか無理をしているような気がしてきて、ドス黒い何かがまた這い上がって来てた。
「でもね」
手が頬から離れ、今度はおでこを突っつかれる。
伝わってくるこそばゆさは、霊夢から溢れた涙を見た瞬間、感覚から消えた。
「私、もう死ねないの。あんたたちのせいで」
「私たちの、せい?」
「そう。初めてできた友達だから……私が守らなきゃいけないでしょう?」
霊夢からはっきりと友達って言われたのは初めてで、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「わたし、わたし妖怪なのに。巫女として守る価値、ないのに」
「ひっぱたくわよ。私が私の友達を守りたいって言ってるだけ。魔理沙が異変に顔突っ込んで死んじゃうのも駄目だし、アリスが妖怪として殺されちゃうのも私が許さない。私は強い巫女だから、ちゃんとそれを利用して、絶対に手は出させないわ」
今度は頭を撫でられた。涙が止まらない私は、たぶんあやされてる子供だ。
「だから、さ。私にあんたを退治させないで」
「……あっ」
「そんな物騒な装備で、私のために長老たちを殺す?嬉しくて涙が止まらないわよ。でも、そのあとにあんたを殺さなきゃいけなくなる。私がやらなくても、ほかの誰かあんたを狙うわ。そうなったらもう一緒に鍋も食べれないじゃない」
ころさなきゃいけなくなる。
霊夢は、巫女だから、私を止めなきゃいけないの?それも結局村長たちの思惑通りなんじゃないの?
だとしたら、あなたを救い出すことは、私にはできないの?
「……ごめん、れいむ、助けられなくて、私、あなたと、お母さんを、救いたかったのに」
懺悔の言葉が止まらない、涙と一緒に溢れだしてくる。
そしたら私をぎゅっと抱きしめて、耳元で囁いた。
「ありがとう、ありがとうアリス。でも、お願いだから何もしないでね。私にはもう、あんたたちしか居ないんだから」
あったかい、でも、細くて折れそう。
こんなか弱いこの子を、守りたい。それだけ、それだけなんだ。
でも、私にはそれもできない。
無力だ。妖怪のくせに。
「話は終わったか?」
「まあ、おおよそは」
「そうか。ならアリスと一緒に神社にお邪魔するぜ」
「来るの?まぁ勝手にしなさい」
「そうさせてもらうぜ。ほら、アリス行くぞ」
結界が消えた後、外で待っていた魔理沙はにこやかに話しかけてきて、霊夢は普段通りに対応した。
私の周りがいつも通りの、とても居心地のいい雰囲気になっていることを感じながらも、これは二人が気を使っているんだろうなって、頭のどこかでわかっていた。
「いつまでもしょぼくれてんなって!ほら、結構疲れたし神社で茶でも淹れてくれ」
「そうね、私もアリスの淹れたお茶が飲みたいわ」
二人の優しさが痛くて、嬉しくて、もどかしくて、情けない。まだ止まらない涙も、苦しい心も、全部が嫌になってくる。
やり場のない怒りと憎しみは向ける方向がわからないままに段々と小さく薄くなってしまう、そんな予感がしたから、消えてしまう前に思い切り爆発させておこう。
「―――っ、っっぐ、っぅぁあっ!うわぁぁあああああああああああああああ!!!」
そう思って、吠えた。
驚きの表情を浮かべながら一歩下がった二人を気にせず、体中に渦巻いている満月の魔力を右手の先に集中する。全部全部搾り出して空になってしまいたくて、魔力も血も命も使いきるつもりで溜めに溜め、満月めがけて吐き出した。
「あああああああああっ、ぃああああぁぁぁぁ!!!」
手の先からほとばしった赤い閃光は、魔理沙のマスタースパークと同じか、それ以上の巨大なレーザーを形作って雲一つない夜の虚空に消えていった。
カラッカラになるまで出し続け、次第にレーザーは細くなり、最後にはふっとかき消え、直後に私は倒れた。
肩で息をしながら星と月を見て、ぼやけ始めた視界の中ですっきりした気持ちになった、ような気になっておく。
「とつぜんどうした、驚かせるなよ」
「いいから。この子もまだ子供なのよ」
「子供?」
「そ。私たちもガキ、アリスもガキ。どうにもならないことを受け入れられなくていらいらして、当たり散らしただけよ」
――嗚呼、やっぱり霊夢にはお見通しか。
魔理沙にも、みっともないとこ見せちゃって。
一人で空回りして迷惑もかけて、なのに私は今甘えたい。
「結局この娘は、初めて会ったあの時と何も変わってないのよ。見た目だけ先に大人になっちゃって」
魔力を一気に放出した反動で、体は一気に疲労し意識が薄れ始める。
いいや、甘えちゃえ。明日には神社の布団の中だ。
瞼が閉じていく中で、のぞき込む二人の笑顔が確かに見えて、情けなさとやるせなさに包まれながら、私は意識を闇へと手放した。
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「で、一体何を見てあんなことしたんだ?」
「言えないわ、霊夢との約束で」
「そ、私との約束で」
博麗神社の母屋の卓袱台を囲んで、茶をゆったりと啜りながら、三人で顔を合わせて笑って話をする。心許せて、だから楽しくて。気を使わなくて、だから笑い合える。
でも、やはり出る話題は昨日のことばかり。特に私の奇行についての質問攻めが主に魔理沙から飛んできていたが、霊夢と一緒に全てかわしている……つもり。
「……ちぇ、そればっかかよ。ま、話したくないことを無理には聞かないぜ」
「珍しいわね、引き下がるなんて」
「私は淑女だからな、礼節はわきまえてる」
「どの口が言ってるの?」
「この口さ」
言いながら二カッと笑い、口を指さして見せる。その仕草に呆れを半分ほど混ぜて苦笑した。
あんなことを言ってはいるが、きっと薄々はわかっているはずなのだ。あれだけ『長老長老』と憎々しげに騒ぎ立てたのだから、目の前で聞いていた魔理沙はきっと里が怪しいと思っている。
でもそれ以上を知っても、何もできない自分の無力さに立ち尽くす事になるだけだから、特に教えるつもりはなかった。
それに、霊夢もあんな過去を知られたくはないだろうしね。
「……ねぇ、今日も鍋、食べない?」
「おっ、いいねぇ。今日は何にするんだ?」
「水炊きなんかいいかなって。アリスもいいかしら」
「かまわないわ、そうしましょう」
まだまだ私はガキらしいから、まずはガキらしく楽しいことをしよう。
大好きな二人といっしょに笑って、笑顔を絶やさずに、ゆっくりと解決策を探していこう。
たとえ答えがない問題なのだとしても、いつか救って見せる。
もう、死にたいなんて、言わせたくないから。
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月は丸いけども、ほんの少しだけ欠けていて、昨日のような魔力のたぎりは感じられない。
それでも寝ないでずっと見ていたい。そんな気分。
酒をずいぶんあおったと思ったけれど、今日はなぜだか酔えなくて、先に二人が潰れてしまった。
一人で見上げる月は手を伸ばせば掴めそうなほどに近いのに、絶望的に遠くて、まるで今回の件を象徴しているみたいだった。
もう、何が正しくてどこで間違ったのか、わからない。里を襲えば悲しい思いをさせてしまうって事はよく考えればわかったはずなのに、あのときは完全に頭に血が上ってた。
止めてくれた魔理沙にも、霊夢にも、いくら感謝してもし足りない。
と、背後から障子の開く音が聞こえて、首だけで振り返ると魔理沙がゆったりとした足取りで近づいてきて、私の隣に座って足をぶらぶらと揺らし始めた。
「よう、気分はどうだ?」
「そうね、上々かしら」
魔理沙は私の隣に置いてあるお猪口と徳利を見て「月見酒か」と呟いた。
「私にも一杯くれよ」
「駄目。さんざん呑んで倒れてたでしょう?」
「いいから、ちょっとだけ」
「……仕方ないわね」
許可が下りるとすぐに顔を綻ばせる単純魔法使いめ。ひょいと持ち上げたお猪口に私が酒を注いでやると、一息で体内に流し込んだ。
「っはぁ、美味い」
「今日も楽しくて美味しかったわね」
「ああ、最高だ。美味い料理には美味い酒に尽きる」
それから顔も見合わせずに、ただただ私は月を見る。
顔を合わせ辛いわけじゃないけれど、珍しい沈黙が妙にくすぐったかったから。
「なぁ」
「なに?」
「また、私は仲間外れなのか?」
横目に見ると、月を見上げている友人の、どこか哀愁が亜漂う笑顔が見えた。
「アリスがあんなに激昂するくらいだ、霊夢のやつは相当重くて暗い『もの』に縛られてるんだろう?」
「そうよ」
「お前もそれを背負って、きっと霊夢の負担は減ったと思うんだ。鍋つついてる時の霊夢はどこか憑き物が落ちたみたいなすっきりした笑顔でさ、長いつきあいだけどあんな表情を見たのは初めてだ」
体は酔ってはいるけれど、心は違うらしい。その声はどこか昨日の私と似通っていた。
「私には、背負わせてくれないのか?」
「いくら友達とはいえ、憎しみや怒りを背負うことはできないわ。実際に経験していないことを理解する事なんてできない。だから、友情なんてものは脆くて壊れやすいのよ。結局は血の繋がっていない赤の他人の出来事だもの」
「……もしかして、お前わざと100%で同調したのか?」
「その結果暴走してちゃ世話無いけどね」
自虐に苦笑しながら、酒を流し込む。思考も何もかも溶けてしまいたい気分だが、魔理沙がそれを許さなかった。
「なら、私にも同じ体験をさせてくれ」
馬鹿な発言に耳を一瞬疑い目を見ると、奥に溜まった淀み・濁りは深くて底が見えない。
「私にはな、もうこーりんとお前らしか居ないんだよ」
言いながら二杯目の酒をお猪口に注ぎ、一息に流し込む。やけ酒を制止する気も起きず、猪突猛進娘が後ろを振り返っている姿を初めて目の当たりにして、何も言葉が出なかった。
聞いた話では、魔理沙は親に勘当され今は一人暮らし。霊夢と同じで一番の心のより所を失っているのだ。
まだ両親を失うという苦しみを経験していない私には理解は……いや、今の私にならわかるか。
もしかしたら、常日頃の彼女が距離感を度外視して人に近づこうとしていたのは、居場所を作りたかったからなのかもしれない。
「幻想郷には私の知らない知識が、魔法がある。見たこともない空間、時間もある。何より、いつも勝手気ままにそこにいる馬鹿共がいる。それは全部素敵で楽しいことだけどな……お前らは、お前らしか居ないんだ」
今の魔理沙にあれを同調させるのははばかられるけれど、このままでは納得しないだろう。こういう一直線な馬鹿だから好きになれたのかもしれない。
「頼む、私だって守りたいんだ、だから、二人だけで背負い込むなよ」
袖を引っ張る力強い手、お節介な友人が真剣な顔で私を見つめていた。
「……そうね。魔理沙も大切な友達だものね」
「ああ、頼む。私にも『それ』を持たせてくれ。二人して潰れちまうとこなんて見たくない」
魔理沙には助けて貰っいっぱなしだ、またここでも巻き込んでしまう。それが嬉しくて、少しだけ肩が軽くなった。
「一緒に来て」
立ち上がって、居間に通じる障子を開ける。魔理沙がついてきてるのを確認してから、こたつで眠っている霊夢の隣に座り込んだ。
「寝てるな」
「ええ」
「こんな、幸せそうな顔して」
酒に呑まれて潰れた巫女は、昨日までとは打って変わって朗らかに微笑んで眠っている。
「霊夢はね、死にたいって言ってたの」
「ああ」
「死にたいって。でも、私たちが居るから死ぬわけにはいかないって」
昨日受け取ったその一言が、私の激情を押さえつけてくれている。
やっぱり私、霊夢に守ってもらってばっかりだ。
「昨日は止めてくれてありがとうね」
「いいさ、友達だろ?」
「……これに、全てが詰まってるわ」
そう言って、霊夢が枕代わりにしていた本を引き抜いて見せる。
「それは?」
「この本には、夢見の魔法が書き記されてるの。どんなものか知ってるかしら」
「まぁ、一通りはな」
「この本は魔法を発動させる触媒になる他に、見た夢を保存しておくこともできるわ。これからあなたにそれを見せる」
本を開いて呪文を詠唱する。本はうっすらと輝き始め、準備ができたことを知らせた。
「いいのよね?」
「ああ、いいぜ。見せてくれ」
「後悔しない?」
「見ない方が絶対に後悔する」
「……そうね。じゃあ、本を額に押しつけて。そうしたら再生を始めるわ」
「わかった」
恐る恐る受け取った魔理沙は、悪夢の詰まった映画館に足を踏み入れる。準備ができたことを確認してから魔法を発動させると、たちまち魔理沙の体から力が抜け、夢の世界へ旅だったことを教えてくれた。
どう受け止めるかは、魔理沙次第。
「……なにしてんの?」
「ああ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
「人の枕引っこ抜いておいてよくもまぁぬけぬけと」
焦点の合っていない寝ぼけ眼を擦っている霊夢は、どうやらまだ半分ほど夢の中らしい
「で、私の枕で寝てるこの馬鹿が犯人?」
「いいえ、犯人は私。だから起こさないであげてね」
「……むぅ、ならしょうがない」
「あいた!?」
前触れもなくポカリと頭を叩かれた。加減されていなくて結構痛い。
「で、魔理沙は何してるの?」
「えっ」
目を擦りながらぼーっとしてはいるが、うっすらと発光し起動している魔本とそこから溢れてくる魔力をしっかりと捉えていた。
「アレ。まーた普通じゃないことしてるでしょ」
「え、その、まぁ」
流石に巫女の感は鋭い。
まあ、おかしな事をしてるのは一目瞭然か。
「何してるの?」
「……」
「言えないこと?」
「……言っていいか、わからないこと」
「また、私の過去に関係してること?」
「……うん」
「なら言いなさい」
俯いている私の肩を掴んできて、驚いて顔を上げると真っ直ぐな黒の瞳。
この眼には、嘘をつきたくはなかった。
霊夢には、私が暴走した顛末を洗いざらい話した。もちろん、今の魔理沙の状態のことも忘れずに。
「ったく、勝手に人の過去にずかずかと。私にだって知られたくない事があるのよ?」
「――あっ」
鋭い視線で射ぬかれて、こんなところでやっと気がついた。
私は、霊夢の気持ちを何も考えていなかったってことに。
「ごめん、なさい」
霊夢のためとか言って、夢を覗いて、勝手に暴走して。私がやったことは全然霊夢のためになってない。
結局私は、私が霊夢を失いたくなかったからやったんだ。
「ごめんなさ、い」
「ほら、泣かないの」
「だって、だってわたし」
「いいから」
かすむ視界の奥に、苦笑している顔が薄ぼんやりと見えて、たまらなくなった。
「いつものアリスならこんなことしない。私が余計なことを言ったせいだって、わかってる」
「そんな、そんなこと」
「そんなことあるわよ。あんた達の事はよく知ってるんだから」
私が一番欲しかったものが、見れた気がした。
「怒ってないし、許すとか許さないとか、そういうことは考えていないのよ。そんなに気にしないで」
向き合った時から心の奥底を揺さぶるそれを、私はちゃんと守れたのだろうか?
「あんた達が私を想ってやってくれることで私が怒るわけないでしょう?だから、これからはちゃんと私にも言ってよね」
「うんっ」
少なくとも、これからは守っていこう。
大丈夫、私は一人じゃないんだから。
「……さーて、辛気くさい話はここまでにしましょう。なんだか眠気が飛んじゃったからアリス、付き合いなさい」
「ん。何するの?」
「まぁ、先に縁側に出ていて頂戴」
涙を拭きながら、言われたとおりに外へでる。まださっきの月見酒がそのまま残っていたので、霊夢が来たら一献勧めてみることにしよう。
そう考えながら待つこと数分。お盆を持って霊夢が出てきた。
「お待たせ」
「何それ」
「はい、月見酒!……って、何よ。もうやってたんじゃないの」
「霊夢が寝てる間に、魔理沙とね」
「なによ、仲間外れにしてくれちゃって」
「ごめんなさいね、ぐっすり寝てたから」
「いいわよ、今からとことん付き合ってもらうからね」
わざとらしく口を尖らせて隣に腰を下ろす霊夢は、なんだかいつもより近いところに居るように感じた。
「でも、霊夢の話ばかりだったわよ」
「なにそれ、私の話なんかして楽しいの?」
「楽しかったわね」
「うーん、それじゃあとりあえず魔理沙の話でもしましょうか」
「仲間外れは話の種にされるのね、恐ろしいわ」
「これからはせいぜい気を付けなさい」
顔を見合わせてクスクス笑いながら、そっと差し出されたお猪口にお酒を注いだ。
「アリス、ほら持って」
「はいはい」
「乾杯」
「乾杯」
一息に飲み干して、冷たくて熱いものが喉から胃へと流れ込んだ。隣では「か~!美味い!」などと漏らして、とても楽しそう。
「さて、それじゃあ久しぶりに魔理沙の嫌いなところでも語る?」
「……今日は別なこと話しましょう」
「どんな?」
「魔理沙の好きなところについて」
少しだけ驚いたような顔をした霊夢が「へぇ」と小さく呟いたりして、そこでやっと私は、自分がこんなにも変わったのだと理解した。
結局は霊夢の同じように、私自身もこんなに寛容な妖怪になったわけだ。
「まだ殴りたいって思うのに?」
「まだ殴りたいって思うのに」
悪戯っ子のように尋ねられても、正直な気持ちをそのまま言っているだけなのだから、何も面白い発展などしない。なんとなく、今日はそういうことを話してみたいって思っただけ。
「じゃあ、先に好きなとこ言えなくなった方が負けね」
「何よそれ」
「言いだしっぺのアリスからよ。ほらほら話して」
「ちょっと、卑怯よ!」
「語りたかったんじゃないの?ねぇ?」
「この、霊夢!あんたわかっててやってるでしょ!」
恨みと、無理矢理な再開から始まった関係だけれど、今の私にはかけがえのない宝物。
ずっと三人で、笑って過ごしたい。
心からそう思って、今日得た全ての激情を腹の底へと沈めた。
出てこないように。だけど決して忘れないように。
FIN
この二人だから霊夢は死にたいと告白できたのかな…
失いたくない、って思える人がいるのはとても幸せなことだと思うのです
過去の顛末、もう少し説得力があればと思った。
あとストーリーの重厚感が足りないような気がします。
ラストが少し物足りなさを感じさせるのが惜しいです
根底なにも解決してないけど…そんな風呂敷の畳み方で大丈夫か?
三人のバランスが良かった
依姫&豊姫「いきなり何するのよ!?」