「ごきげんよう」
アリスは本を探す手を止め、この図書館の主たるパチュリーに声をかけた。
パチュリーが、この図書館共有スペースである区域にいるのは、比較的珍しい。
普段なら、自分用の個室部屋に本を持ってこさせて、読んでいることが多いからだ。
その上、そんな彼女が手元でなにやら道具をいじっているのだから、好奇心旺盛な魔法使いという種族としては、見過ごすという選択肢は、存在しないだろう。
共有スペースにいるのだし、見られてまずいものでもあるまい。アリスはそう思い、肩越しから覗き込む。
その手元を見ると、白黒魔女の道具に似た、何かを持っている。
というよりも、そのものに見えた。
「あら、それって魔理沙の八卦炉じゃない。どうして、あなたが持っているの?」
パチュリーは、人形使いの声に対し、向かいの椅子を指し示して見せた。
そして、また手の中で、道具をくるくると動かしはじめる。
アリスは、それを同席許可の意だと汲み、向かいに腰掛けた。
「魔理沙、来ているの? 見かけなかったけど」
「来てないわ。でもこれがここにある以上、気づけばすぐにでも来るでしょうね」
「ということは、レプリカなどというわけでは、ないのね」
アリスは不思議そうな顔で、目の前の魔女の持つ道具を見つめ、考え込んだ。
魔理沙が渡したのだろうか。理由が思い浮かばない。
修理なら、霖之助さんに頼むはずだ。
もしかして、目の前の魔女が、あの子から奪い取ったのだろうか。
アリスが怪訝な視線を向けているのに気がつくと、図書館の主は声を出すのも億劫そうに、呟いた。
「あの子が、昨日忘れていったのよ。たぶんね」
そう言って、ポーチから小瓶を取り出し、瓶の中の粉末を一つまみする。
確かこのポーチも、魔理沙のものだ。
パチュリーが粉を少しずつ卓に撒きながら、短い呪文を詠唱すると、青い炎が一瞬燃え上がり、すぐに消えた。
そしてまた、八卦炉を手に取り、くるくると手の中でひっくり返したり、中を覗いたりしはじめた。
「勝手に触っちゃって、大丈夫なの?」
「もしかしたら、あの泥棒魔法使いが、意図的に置いて行ったものかもしれないから」
「というと?」
「トロイの二の舞には、なりたくないってことよ」
「なるほど、ありえなくないわね。それで、何か見つかった?」
「いいえ、特にこれと言った仕掛けの無い、ただの魔具だったわ。だからこそ……ちょっと、気になることができたわけ」
パチュリーはふうとため息をつくと、机のメモをアリスに示して見せた。
「これが、この八卦炉の増幅効果の概算値。こっちが、あの子の魔力キャパシティの予想値ね。それらに、大気マナや、このキノコの粉末媒介の増幅効果を加えたとして……」
魔女は指で書かれたメモの説明をし、最後にさらさらと総合値を書き込む。
アリスは、その値を見ると、眉根を寄せて、頬に指を当てた。
「魔理沙のファイナルスパーク、いや 、マスタースパークにすら……」
「そうなの。あの泥棒魔女の魔力出力を、これらが支えているのは理屈に合わない」
「……そうね。私も前に、少し疑問に思ったことがあったわ」
純粋な魔法使いである私でも、この魔具だけではあの威力の魔砲を放つのは骨が折れる。
それを人間の身でありながら、やすやすとこなしている。
それだけではない。
前に夜が終わらない異変が起きた際、私は、魔理沙をサポートしたことがあった。
その時の火力が、想定していたものより、遥かに強力だったのだ。
「一体、どんな原理なのかしら」
「気になるでしょう?」
「……興味深いわね」
□ □ □
うだる様な暑さで、私は目を覚ました。
時計に目をやると、十時を指している。
この時間でこの暑さかと思うと、気も滅入る。
私はいつもの様に、ぬるい汲み水で顔を洗い、歯を磨き、汗かいた衣類をかごに放り込んで、新しいものに着替える。
髪にブラシをかけながら、天狗の新聞に目を通し、何か面白そうなことが無いか、確認する。
比較的、ブラフを書くことが少ない数紙だ。
とは言え、そこは天狗の新聞。誇張表現が半端ではない。
だがそれも、無意識的にそれらを差し引いて読めるくらいには、読み慣れている。
とりあえず、新聞には面白そうなことが起きていると、伝える記事はなさそうだ。
金庫のダイヤルを回し、中身を確認する。
まだ、稼ぎに回らないでもよさそうな位には、蓄えがある。
それに、比較的高価に売れる、薬草やキノコの類の在庫もあったはず。
人里で買い置きしてあったおにぎりと、昨夜紅魔館で貰ったスープの残りを胃に流し込む。
そして、いつもの白黒ルックに身支度したところで、気がついた。
「あーくそ、魔法道具、昨日パチュリーのところに忘れてきたか。取りに行かないとだなぁ」
とりあえず、今日の最初の目的地は、決まったわけだ。
戦闘用の魔法ポーチを丸ごと、紅魔館に忘れてきてしまうとは、私としたことが、とんだミスだ。
予備のスペルカードと、新しく用意した魔法触媒を持って、箒に跨り、紅魔館へ飛ぶ。
まあ、これだけあれば十分だろう。
後は、状況次第だ。
空を仰ぐ。
今日も、無駄に元気な太陽がそこにあった。
この白黒の衣装は、多少魔法で冷却効果を持たせてある。
それでも、この日差しと気温は堪えた。
森を抜け、湖から流れる支流の横を飛んでいたとき、氷精の姿が目に入った。
まあ、珍しいものでもない。
私の装備も普段より貧弱だし、あえてちょっかい出すことも無いだろう。
そう思い通り過ぎようとしたが、ふと気になってもう一度視線を向ける。
なんだか、いつもと雰囲気が違うような。
軽く旋回して、上空に停止。氷精に目を凝らす。
そうか。分かった。
あいつの頭を飾っているリボンが、いつもの大きなリボンではなく、細身のロングリボンになっているからだ。
ちょっとした変化だが、少しでも気になったなら、確認せずには居られないのが、魔法使いというものだ。
一直線に、氷精チルノのところに飛んでいく。
「よう。どうしたんだそれ。リボン、いつものやつと違うな」
「あ、魔理沙。リボン、遊んでたら、木に引っ掛けちゃって……今、大ちゃんが家で直してくれてる。これは、とりあえずつけておきなって、大ちゃんが貸してくれた」
「そうか」
これはこれは……リボンひとつ変わるだけで、結構イメージ変わるもんだ。
いつもの氷精の雰囲気と、大分違って見える。
今つけてるリボンは、白い細身のレース生地に、小さなフリルが細かく据えられた、なんとも上品なものだ。
リボンの違いもあるが、お気に入りのリボンが無くなってしまって、気落ちしてる様子が、また雰囲気の違いに一役かってるのかもしれない。
「チルノ、ちょっとこっち来いよ」
「え、何?」
私は箒を近くの岩に立てかけて、土のかぶっていない岩に、足を広げて座った。
そして、ぽんぽんとひざを叩いてみせる。
「なんなのよ?」
「どうせなら、そのリボンに合う髪型にしてやるよ。悪くはしないから、安心しろ。ほら、来いって。クシで梳くだけだから」
「えー……いいよ」
「いいから、こいって!」
しつこい私に根負けしたのか、氷精がおずおずと歩み寄って、私の足の間に、すとんと腰を下ろした。
「うぉ!」
「うぁ!? な、何よ?」
「ごめんごめん、思ったよりお前が、ひんやりしててな。少し驚いた」
「……びっくりさせないでよ」
この暑さに、これは非常にありがたい。
意図してなかったが、思わぬ役得である。
帽子の内ポケットから、櫛を取り出す。
小さめの櫛で、常時五本はストックしているうちの一つだ。
実は、こうやって小さい連中の髪をいじるのが、結構好きだったりする。
一人暮らしする前は、時折人里の女の子の髪を、こうやって樋たり結ったりしたものだ。
小さいころ、香霖に髪をよく手入れしてもらってたのが、そうさせたのかもしれない。
チルノの髪は、細くて柔らかい、とてもふんわりした感触だった。
どこで寝てるかもわからない妖精である。手入れなんて、してはいないだろう。
それでこの質感とは……少々うらやましい。
人外を比較にすること自体が、間違いなのだろうが。
指の間で少し遊ばせた後、顎に手を当て考える。
せっかく、普段と違ったリボンをしているのだ。
それにあわせる形でいいだろう。
少しだけ、帽子から取り出した花の油を手に取り、チルノの髪になじませる。
そして、櫛でゆっくり梳きあげる。
痛くないように、優しく。
お腹のひんやりと、背中の太陽の日差しに挟まれた中、のんびりした時間が流れる。
「できたぜ」
私は、鏡を取り出して、前の氷精に渡してやった。
気持ちもよかったのか、チルノは軽く船を漕いでいたが、声をかけるとはっと顔を上げた。
我ながら、結構な出来栄えである。
思いのほか、びっくりなイメチェン具合だ。
全体的に癖っ毛だった髪をほぼストレートにして、耳の辺りの毛を内側にシャギーっぽくカールさせた。
氷精は、目をこすりながら、鏡を見て、
「うわ!? ……これ、あたいなのか?」
興奮したように、鏡に見入っている。
私は鏡越しに、にやにやと笑いかけた。
「どうだ、気に入ったか?」
「ええと、なんか、あたいじゃないみたいだ。なんか変な感じ」
口ではそういっているが、様子はまんざらでもなさそうだ。
氷精が、頬を赤らめながら、ちらりとこちらに視線を投げてくる。
何か、期待するような眼差しだ。
くっそ、可愛いじゃないか……!
ここは、期待通りの言葉をかけてやるべきだろう。
なにより、私のメイキングなのだ。
「すっごい、可愛いぜ。チルノ」
私の言葉に、氷精がびくりと体を震わせ、鏡を抱え込むように前かがみになった。
「う……、なんかすごい、はずかしい」
「何言ってんだ。本当のことだぜ? ほらほら、鏡もっと見てみろって」
「ううう……」
「おやー、照れてるのか?」
「ああー! もう!」
いじりすぎたか、チルノが顔を真っ赤にして、私の足の上から、空へと舞い上がる。
「やめてよ! 恥ずかしい!」
「悪かったって。でも お前だって、その髪、気に入ったんだろ?」
私は、ちらりとポケットの中を確認した。
出るときに持ってきた、魔力空っ穴だった、スペルカード。
見たところ、一枚と半分ほど、魔力が溜まっている。
この可愛い氷精のおかげで、ある程度の妖怪なら余裕でぶっ飛ばせるくらいの、魔力が貯められたようだ。
「ねえ、魔理沙。私、もっと、おふとやかにした方が、いいのかな?」
「お淑やかか?」
ふと氷精がそんな事を言ってきた。
きっと、さっき私が可愛いと言ったからだろう。
このわんぱく妖精も、女の子だということだ。
「そうだなー。別に、私はお前はいつものまんまで、いいと思うぜ」
「そう?」
「おう。でも、たまーに、そうやって私に髪いじらせてくれると、嬉しいかもな。たまのイメチェンだからこそ、より際立つってもんだ」
「うん。いいよ。また、髪いじって!」
大きく笑う氷精をじっと見ていられなくて、視線をそらした。
心の中で、この清楚チルノを独り占めできたら尚良いが、と付け加えた。
私は大きく伸びをすると、話題を変えるように、氷精に言った。
「おい、チルノ。せっかくイメチェンしたんだし、気分転換に弾幕ごっこでもしないか?」
「え、弾幕ごっこ?」
「おう。大妖精を待ってるんだろ。来るまででいいし、付き合えよ」
スペルカードをかざそうと思ったが、ポケットに戻す。
まだ枚数が心もとない。
もし、図書館の魔女様とやり合うとなったら、これでは少ないくらいだ。
今回は、チルノの弾幕を受けきる方向で楽しむとしよう。
「最後にやったのはいつだったっけか。夏入る前じゃなかったか?」
「そんなに前だっけ。……そっか。わかった、やろう魔理沙!」
何かを思いついたか、思い出したか。急にやる気になった氷精。
私は箒にまたがると、空に舞い上がって間合いを取った。
「今回は、あまりこっちからは攻撃しない。お前の弾幕を楽しませてもらうぜ」
「わかった。そんなこと言って、後悔するなよ!」
□ □ □
チルノとの弾幕ごっこで、高まった体温を冷ますように風を切り飛ぶ。
日の強さは、お昼を過ぎた今くらいの時間はピークと言ったところだろう。
だが、先程の興奮からか、あまり暑さを感じることはなかった。
それにしても、チルノのやつ、結構弾幕の腕を上げていた。
氷塊を湖に落とし、それから上がった水柱をそのまま凝固させ、私の行動範囲を縮める作戦は、見事だった。
「アイスケージだったか、使える場所は限られるが、詰めれば面白い技になりそうだな」
あれを避けるのは随分と楽しかった。
楽しいといえば、終わり間際に飛んできた大妖精の、チルノを見たときの反応だ。
まあ、あんだけ可愛いチルノだ。
あの反応も仕方ないというものだろう。なんせ私のメイキングだし。
暫く飛んだあたりで、珍しいものを見つけた。
小川の脇の、大岩が入り組んだあたりで、青髪が揺れている。
天人、比那名居天子である。
天人は、岩に腰を下ろし、下を流れる川を見つめている。
あの天人とは、例の気質異変の後、2.3回酒を酌み交わしたことがある。
しかし、こちらのことを質問するばかりで、あまり自分のことを語らないやつだった。
そいつが、こんな辺鄙なところにいるのだ、気にもなる。
「何の用かしら?」
私が近づくと、結構距離があるにもかかわらず、そう問うてきた。
天人への距離を一気に詰めて、すぐ隣に舞い降りる。
「いや、それはこっちのセリフだぜ。こんな所で何をしてるんだ?」
「あら。ここってば、あなたの私有地だったのかしら」
「何か異変の前触れなら、大きくなる前に潰すのも、一興かと思ってな」
私がにやにやと笑いながらそう答えると、天人は、困ったように溜息をついた。
「何も、怪しいことなんて、してないわ。人を待ってるのよ」
「おいおい、いったい何処のどいつを誑かしたんだ?」
「何を想像してるのか知らないけど、紫のところの藍を待ってるの」
「こいつぁ、意外な組み合わせだな」
天人は、全く減らず口をと言いながら、肩を上げてみせた。
「結界についての相談よ」
「結界? なんでお前が」
天人は、説明するとちょっと長くなるから、座りなさいなと言って、座っている岩を叩いた。
私は言われた通り、隣に腰を下ろす。
「大地は常に力を移動させていて、それが溜まって爆発すると地震が起こるのよ」
「らしいな。前に見た本に書いてあったぜ」
「なら、話は早いわね。要石で押さえてはいるけど、限界がある。だから、大地震が起こる前に、定期的にガス抜きみたいな感じで、弱い地震を意図的に、起こしてあげる必要がある」
「なるほど。適度にストレス発散させてやってるんだな」
「言い得て妙ね。こないだ、小さな地震があったでしょう? あれ、私が被害が出ない所にエネルギーを誘導して、意図的に起こしたのよ。それでも、多少地形に影響が出るから、藍と大結界の補強の相談ってわけ」
「へぇ、お前が人の役に立つことしてるなんて、意外だな」
天子はこほんと咳き込むと、少し恥ずかしそうな顔で続ける。
「まあ、前の異変もぶっちゃけ、この状況を狙って起こしたっていう、一面もあったのよ。建前では責任を取って、償いのために下界に降り、仕事するってね。おかげで、なんの手間もなく、こっちに来れるようになったわ」
「神社ぶっ壊して、紫にボコボコにされたのも想定内か?」
「あ、あれは、この郷についての勉強不足だったのよ……私だって、ここのこと好きだもの。そんな大事になるかもしれないって知ってたら、あんなことしなかったわ」
「へぇ。まあ、そんな気にする必要はないんじゃないか。やり過ぎそうになったら、管理者様が出てきて教えてくれるだろ。何か異変起こしたくなったら、遠慮なくやっていいんだぜ?」
「他人事だと思って……」
「ああ、他人事だ。楽しい事件はばんばん起こしてやってくれ。遠慮なく、首を突っ込ませてもらうから。……それにしても、あっついな……」
話に一区切りついたのを確認すると、あたりを見渡す。
岩による照り返しからか、ここはとても暑い。
「そうね、ここ紫のやつが提示した待ち合わせ場所なんだけど、岩の照り返しもあって、ほんと辛いのよね……意図的にここにして待たせてるんじゃないかと、疑いたくなるわ」
「ありえそうだから、困るな。……あれ、お前、汗かいてないか?」
「ん? かいてるわよ」
天子の答えに、私は背筋がヒヤッとする。
なんてったって、天人が汗をかくのは、死期が近いのを示すという、
「天人が汗かくのって、五衰の一つなんじゃないのか!?」
「あーまあ、そうなんだけどねー」
目の前の天人は、なんでもないというように、苦笑する。
「下界に来てると、結構普通にかくわよ。だって、下界は穢れに満ちてるもの。その影響ね。あと、上と違って気候も穏やかじゃないし」
「全然、答えになってないじゃないか! 体、大丈夫なのか!?」
「あーえと、あと付け加えるなら、五衰を指す汗かきは、いやな臭いを発する汗の場合、よ」
天子はそう言って、頬を掻いた。何故か、頬に少し朱が差している。
私は安堵すると、体の力を抜いて、大きく息を吐いた。
「ったく、はじめからそう言えってんだ」
「いや、だってそんなに心配されるなんて、思わなかったし……」
「まあ、確かに天界は涼しそうだもんなあ。あんな過ごしやすいところから、わざわざこっちに来てるなんて、お前も物好きだよな」
「なら、あなたが上に行けばいいじゃない?」
「あんな、暇そうなところはゴメンだぜ」
「私もよ」
ひとしきり笑い合うと、私はあるものを思い出して、帽子の中をまさぐった。
中から取り出したのは、一振りの扇子。
それを、天子の方に差し出した。
「これ、使うか?」
「気が利くじゃない。どんな風の吹き回し?」
「まあ、気にするな」
天子は訝しげな顔で、その扇子と私の顔を見ていたが、扇子を広げると、ゆっくり煽ぎだした。
そして、何かに気がついたように、はっとする。
「これって、もしかして」
「そ。紫のだぜ。前にちょっとした賭けをして、その時に頂いた」
「そ、そう」
「欲しいか?」
「……別に。欲しかったら、自分で倒して奪い取るわ」
「そうか、応援してるぜ」
「ほんと、他人事だと思って」
天子が扇で自らを煽ぐと、私の方にほのかな香りが流れてくる。
桃のにおいだ。
こいつ、見た目も桃なら、においも桃と来ている。
無意識的に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
鼓動が早まり、手の平が暑さ以外のもので、汗ばむのを感じた。
まてまて、私は一体何に胸高鳴らせてるんだ。
まさかこの、我侭天人にか?
ちらりと、天子の方に視線を向ける。
首のリボンを解き、ボタンを外して首元を煽ぐ天人がそこにいる。
さすが穢れの少ない天界にいるだけあって、肌はびっくりするほど、透き通るような白。
だがそれも、暑さでほてっているのか、微妙に朱が差していて、
……なにこいつ、えろいな。
って、おい! ばかばかばか! 何考えてるんだ、私は! 相手はあの厚顔無恥の天人様だ!
そうだ、あの咲夜のナイフだって通らないって言う、強靭な肉体の持ち主、むしろ妖怪寄りじゃないか。
落ち着け、落ち着くんだ。
「よし、大丈夫だ」
「はー、涼しいわね」
見ると、天子が自らのスカートの裾を腿の中間辺りまで引き上げ縛り、ブーツを脱ぎ去っている。
普段はロングスカートとそのブーツで完全に隠れてしまっている足が、あられもない姿で、落ち着こうとする私の目の前に、その白さを主張していた。
「風をこんなに気持ちよく感じたのは、いつ以来かしら。天界だと暑いってこと自体が無いから、扇子なんて使ったこともなかったけど、これは必須アイテムね」
そんなことを言いながら、腿なんかも煽いだりし始める。
なんて、恥じらいの無い。
私だって、多少暑くてもこの白黒ルックで、足なんて出したりなんか、しないってのに。
そうは思っていても、その白い腿から目が離せない。
この香りと、この見た目、いや、反則だろ。なんだこれ、おかしい。
人間が出していい匂いじゃないだろ。ああ、こいつは人間じゃないんだっけか。
強い直射日光と、岩の照り返し、そして高鳴る鼓動。
なんだか、視界もぼやける。
「……ねえ、ちょっと……この手は、何?」
怪訝そうな天子の声で、はっと焦点が正常に戻る。
天子の視線を追うと、それは天人の太ももに伸び、その足には私の手が添えられていて。
「うっぉ、ぁぁぁあ!?」
「な、何よ!? わっととと!!」
私は飛びのくようにして、手を引いた。
天子も私の突然の行動に驚いたのか、扇子を岩下の川に落としそうになって、なんとかそれを手で掴む。
いつの間にかに、天子の足に触れてしまっていたらしい。
何も、こんなときに悪い手癖が出るなんて、自分の行動とはいえ本当に困ったものだ。
私は、自分の手を抱え込むようにして、視線を彷徨わせた。
天人は、目を細めてこちらを見据えてくる。
「ちょっと。突然、私の足に触れてきたと思ったら、汚いものでも触ったかのように引いて、一体何なのよ?」
天子の声は、怒気と困惑が半々といった具合である。
あまりにも綺麗だから、思わず触っちまった、なんて言えるものか。
私は、わざとらしく咳払いをした。
「あー、あれだよ。前に咲夜から、お前の体にはナイフすら刺さらないとか聞いたからな。一体どんな硬さの皮膚なのかと、気になってたんだ。そんな時に、ちょうど触れやすい状態で目の前にあったから、思わず、な」
我ながら、とっさの嘘が滑らかに出るのに、感心した。
「いやいや! 確かに戦闘中は霊力による物理結界を張ってるから、ナイフくらいは通さないけど、肌が硬いってわけじゃないわよ!?」
「そうかそうか、いや、私お前以外に、知り合いの天人もいないからさ」
「あんただって、弾幕ごっこで地面にたたきつけられたときとかの為に、魔法で物理防壁くらい張ってるでしょ。それと同じよ。強度が多少高いかもだけど」
「ああ、うん。なるほどな。普通に考えれば、そうだよな」
何とか、この場は納められたようだ。
ふうと大きく息を吐き出すと、胸に手を当てる。
まだ、心臓が激しく胸を打っている。
帽子を軽く持ち上げて、額から流れる汗をぬぐった。
思わず、少し自分の汗を嗅いでしまう。
特に、これといった匂いはしなかった。
それはそうだろう、自分の匂いになど、普通は気づくものじゃない。
だが、相変わらず天子の桃の香りが鼻腔をくすぐる。
私は風下にいるから、たとえ匂いがあったとしても、あちらには流れていないはずだ。
でも、もし流れていたら?
その考えが頭をよぎると、なんとも言えぬ羞恥心が込み上げてきた。
本人はこんなにも、良い香りを放っているのだ。
私みたいな、普通の人間の匂いなんかは、獣くさく感じるんじゃないか。
それならまだいい、もしかしたら嫌悪さえ抱いたりするのではないか。
そう考えたら、止まらなくなった。
意味不明な焦燥感が、頭をいっぱいにしていく。
「どうしたのよ急に」
「え?」
気づくと、天子が私を覗き込むように、頭一つ分くらいの距離に身を寄せていた。
そして、手を顔に伸ばしてくる。
「あんた、ちょっと熱でも――」
「や、やだ!!」
思わず叫んでいた。
座ったまま後ずさる。
そして、後ろ手を着いた先が、空を掴んだ。
かくんと、全身が傾く。
「ちょ、ばっか!!」
がしりと天子に腕をつかまれ、そのまま引き寄せられ、抱かかえられた。
「危ないわね! もう少しで、川下の岩場に頭から落ちるところよ!? あんた人間なんだから、咄嗟に防壁とか無理でしょ。落ちたらただじゃ済まないのよ!」
「あ、ごめ……」
天子に密着する体勢で、胸いっぱいに桃のような匂いを吸ってしまう。
そして、自分のそれを考えて、顔に熱がこもる。
「は、離れてくれ!」
「何よ、助けてあげたのに、謝罪だけで、感謝はないの?」
「いや、だから匂いが!」
「におい?」
天子は怪訝そうな目で、慌てる私を見ていたが、何かに気づいたように、片眉を上げた。
「……ああ、そういうこと」
天人が、得心いったと言う様子で、にやりと笑った。
そして突然、私のお腹の辺りに顔を埋めた。
「おおお、おい!! お前、何やってるんだ!?」
私は、なんとか天子から離れようともがくが、さすが天人。
その腕力は強大で、万力に締め付けられたように動かない。
「や、やめてくれ!」
自分でも情けないと思うような、甲高い声を出して拒絶の意思を示すが、私の腹に顔を埋めた天人は黙したままだ。
無理だとわかっていても、手足を動かそうともがき続ける。
「やめてくれ、……お願いだから。ねえ、お願い、だから……」
そんなことを数分かそこいら続けて、色んな感情で高くなった体温と、上りきった血の気で、とうとう私は力尽きた。
ぐったりと天子の後頭部に、体重を預けるように倒れこむ。
すると、今まで抱きついたままだった天人が、上気した顔を上げた。
「んー、あっつかったあ! ふふん、あなたのニオイ、堪能させてもらったわよ。って、え、ちょっと、ウソ……泣いてんの?」
やっぱり嗅いでやがった。このサディスト天人が。
私の目に溜まっていた熱い何かが、頬を伝った。そんな私を見た天人が、焦ったように顔の前で手を振った。
「あー、えーと。あれでしょ。あんた、私が人間のニオイを嫌ってるんじゃないかと、思ってたんでしょ?」
「……そうだな」
「あれよ、天人の中にはそういうやつもいるにはいるけど、私はむしろ好きっていうか。ほら、土のにおいとか、草木のにおいとか。天界に無いにおいに満ちた、この下界のこと、私は大好きなのよ」
「……へぇ」
「じゃなかったら、下界になんて好き好んで来てないわ。あなたのニオイだって、もし嫌がってたら、あんなに長く嗅いでたりしないでしょ?」
「……そうかもな」
「だから、あなたのニオイも嫌いじゃないって言うか、好きって言うか……ええと、だからね……」
「……変態」
「え?」
私は、顔をうつむかせて、言ってやった。
「嫌がる少女の股座に顔突っ込んで、悦に浸る奴を……それ以外にどう形容するんだ?」
「ま、またって……いや、お腹だし!!」
「似たようなもんだ。しかしあれだな、良かったじゃないか」
「な、何がよ?」
「今まで不良天人って呼ばれてて、嫌だったんだろ? 私が今回のこと言いふらせば、きっと皆そんな風には呼ばなくなるぜ」
顔を伏せていて見えないが、前の天人が息を呑むのを感じたような気がした。
「きっとこう呼ぶだろうな。少女臭趣味の変態天人、ってね」
「ちょっとちょっと!? 違うの! そういうんじゃないのよ! あなたが私に対して、変な誤解をしてるみたいだから、それを解こうと、ねえ、聞いてる? ちょっと、ねえってば!」
鼻声になった天子が、私の肩を強く揺らす。
私は、ふうと息を着くと、顔を上げて天子を見る。そして、思わず吹き出した。
さっきまであんなにすました顔をしていた天人が、子供のように慌てふためいている。
目尻には、軽く涙なんかも浮かんで見えた。
「ああ、もう、暑っ苦しいな。いい加減離れてくれ」
本当は、まだしばらく良い香りのする天人とじゃれたい気持ちもあったが、このくらいで手打ちだろうと、肩をすくめてみせた。
「私が嫌だって言ったのに、ずっと顔くっつけてた罰だ。まあ、言いふらしたりはしない。こっちだって恥ずかしいからな」
それを聞いて、涙目の天人は私の肩から手を離して、へたり込んだ。
「もう、何よ! こっちは、善意でやったってのに!」
「あれがか? まったく、天人様の感性は、常人には及びつかないな」
私がそう困ったように笑ってやると、天人は頭をかきむしるようにして、叫ぶ。
「もう、あんたなんか、嫌いよ!」
「へぇ、そうかい。……私は、お前のこと好きだけどな?」
「……え? ……ええ?」
そう言って、呆然としている天子の胸に、顔を埋める。
「ちょっと!?」
大きく肺いっぱいに息を吸い込んで、赤面する天人を見上げた。
「お前も言っていたじゃないか、私のニオイ好きだって。私も、お前のこの桃みたいなニオイ、好きだぜ? 美味しそうだしな」
「だああああ! もう!!!」
天子が私を引き剥がして、肩で息をしている。
私は、落っことしてしまった帽子を拾い上げて、かぶり直した。
「しっかし、お前のせいで、すっかりフラフラだよ」
「こっちだって、へとへとよ! もう、なんなのよ!」
まさか、この天人とこんなに戯れあうことになるとは、思いもしなかった。
ポケットを覗くと、案の定。持ってきていたスペルカードが、すべてフルパワー状態だ。
「なあ、天子。いっちょ弾幕ごっこしないか?」
「え、いまフラフラって、言ってたじゃない」
「まあ、いいじゃないか。さっきまで、お前さんを涙目にさせてた魔法使いを思いっきりぶっ飛ばせる、いい機会なんだぜ? 乗るだろ?」
「……うーん、そうねえ。あんまり、乗り気じゃないけど。藍もなかなか来ないし、来るまでなら……」
「あー、一応、もう来てはいるんだがね」
「「え?」」
声の方を見ると、木陰からのんびりした様子で、九尾の狐が柔和に微笑みながら歩んできた。
「ちょ、藍、いつからそこにいたの……?」
「ん? 来たのは……魔理沙と同じ頃だな」
「え、意味わからないんですけど」
呆然とした様子で見つめる天人に、九尾が困ったように苦笑する。
「待っていたのさ。天人殿が、そちらの魔法使いと用事があるようだから、事の長くなりそうなこちらは待つべきだ、と紫様に言われてね」
「え? だから、意味がわからないんですけど。……ちょっとまって。今、紫に言われたって、言った?」
「ああ」
藍は、トントンと、こめかみを中指で軽く叩く仕草をした。
「今日は、天子殿と地震による結界への影響に関して、相談しようと言ってあったろう。だから、紫様も見ておられるのだよ。私を通じてね。……んん?」
藍は何かに気づいたように、視線を宙にさまよわせて、おお、と声を上げた。
「天子殿、紫様が面白いものを見せてもらったから、扇子くらいいくらでもやる、と言われているぞ。……ちょっと、紫様何をそんなに笑っているのですか、煩いです、お静かにしてください」
天子の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
私は、頬を掻いた。
まあ、私は多少、紫に対しての駆け引き材料があるから、どうにかなるかもだが、果たしてこの天人は。
「なあ、天子。藍も来たし、私との弾幕ごっこは、また今度だな」
震える天人に、少し上ずった声で私はそう言った。
今、この天人を相手にすると、色々まずい。
「お、もう用事は済んだのだな。では行くとするか」
「あれ、ここで結界調査してるんじゃなかったのか?」
さっき、天子から聞いた内容と、少し違うなと思い、藍にそう声をかけてしまう。
「ああ。ここは、紫様が意地悪で指定しただけの場所だからね。私は止めたのだが……すまない。暑かっただろう。こんな茹でダコのようになってしまって……」
藍が、真っ赤に震える天人の肩を、ポンポンと叩く。
天子が立ち上がって、震える声で、尋ねた。
「ねえ、藍。ちょっと、紫に直接聞いておきたいことがあったの。こっちに来る時に使ったスキマ、もう一度、開いてくれるかしら?」
「ああ、そうなのか。ちょっと待ってろ、今は紫様に式を打ってもらっているから、一度開いた直後のスキマなら」
藍がそう言うと、空間に黒いヒビが生え、パックリとスキマが開いた。
開いたと同時に、電光石火でスキマへと入り込む天人。
「では、またな。魔理沙。今日は結構暑い。水分はしっかり摂ったほうがいいぞ」
「ああ。お前も、色々と気をつけろよ」
私は、藍と別れを告げると、ため息をついて紅魔館へ向かって飛び立った。
疲れた身体で、紅魔館の門前に降り立つ。
門番が、いつものようにこちらをのんびりと見つめている。
と思ったが、いつもより少々焦っているように見えた。
「ちょっと、魔理沙さん。なんですかその、気炎万丈満身創痍といった、よくわからない状態は?」
「ああ、ちょっとな。色々溜まってるんだよ。こんな私だけど、受け止めてくれるか?」
「なんですかその、砂袋と伴侶を同時に求めるような、言い回しは……」
私は、ポケットからスペルカードを取り出す。
カードがじわりと熱い。
容量を超えた魔力が、溢れ出しているのだ。
体は疲れていたが、魔力の方は見た目のとおり、溢れ出してしまうほどだった。
八卦炉があれば、体の疲れを魔力で緩和させてやれるんだが。
しかし、現状色々まずい。魔力を発散させなくては、体へ更に悪影響が出るかもしれない。
「なんですかそれ!? めっちゃ輝いてますよ!?」
「だから、言っただろう。溜まってるんだよ。な、いいだろ? ちょっと、弾幕ごっこするだけだからさ」
「そんな物騒なもの、もっと別の誰かに当ててきてくださいよ!」
「私、お前の弾幕、結構好きなんだぜ? 武術の美しさをいかに弾幕で表現しようかという縛りの中、毎度改良されていってるところとかな。しかしまあ、随分と難しい縛りを課してるもんだよ。私には真似できん」
「え?」
「ほら、昨日、お前さんが展開したやつもそうだったろ。放物線軌道のキレ、弾速の変化度合いが前の時より増してた。遠目から見たら、鋭い蹴りのようにも見えたぜ。あと一息なんじゃないか」
「ええ!?」
「弾幕ソムリエ魔理沙さんだぜ? そりゃ、わかるさ」
門番は、恥ずかしげに頬を掻いた。
「いや、まあ。やるからには、私も楽しめるようにと、色々と工夫してるんですよ」
「うん、わかるよ。だから、一発やろうって言ってるんじゃないか」
再度、カードを掲げてみせる。
「いやいやいや! それ、そのカード、オカシイですって! なんで魔力がカードから溢れてるんですか、どんだけ魔力込めてんです!」
「ほら、そうやってお前が、可愛い反応を返してくれるから、ますます溜まっちゃうんじゃないか。責任取ってくれよ」
「いやいや!? だから意味分からないですって! それもそうなんですが、何よりも魔理沙さんに褒められるなんて、なんだか気持ちが悪いです!」
「ひどいこと言うやつだな」
ふと今までの自分の言動を考えて、確かに私らしくも無かったかもと思う。
思った以上に、頭が火照っているようだ。
早いところ、魔力発散しないと。
「ところで、今日はどういった用件で、来られたんですか?」
「ああ、昨日、パチュリーのところに忘れ物をしてな」
「そうだったんですか。では、私が、取りに行きましょうか?」
「いや、いい。自分で取りにいく。まあ、あれだ。お前の弾幕はまた次回の楽しみにしておくよ」
「……う、そうしてくれると助かるかもです」
いつもは八卦炉で無駄に溜まった魔力を拡散させてるんだが、今はそれが無くて、溜まる一方だ。
空のスペカ、もっと持って来ておくんだった。
それよりも、八卦炉に頼らないと色々困るという状態の方が、問題か。
もう少し、魔力の変換技術を勉強しないと、ならなさそうだ。
大図書館に入ると、道具を忘れた図書共有スペースに向かう。
昨日は、気になっていた本を持って帰らないで、その場で情報を調べて帰ったのだ。
普段やらないようなことをするから、ものを忘れたりなんかしたのだろう。
やっぱり私は、本の一冊でも持って帰らないと、罰が当たる運命の下にあるらしい。
共有スペースに入ると、三人の姿があった。
この大図書館の主パチュリー・ノーレッジ。
因縁の人形使いアリス・マーガトロイド。
そして、お茶を入れている小悪魔だ。
二人の魔女の手元には、私のマジックアイテムがある。
「おいおい、それは私の道具だろ。なーに、勝手にいじってくれてるんだ?」
「あら、そうだったの? なら、保管料を頂かないとかしら」
「言ってろ。とりあえず返してもらうぞ」
私が、パチュリーの持った八卦炉に手を伸ばすと、ひょいと引かれてしまった。
「おい。何のつもりだ?」
「そうね。保管料は、この質問の答えでいいわ」
パチュリーは、八卦炉を手で弄びながら、私に笑ってみせた。
「調べてみたら、この道具だけでは、あなたのあの高火力を説明できないのよ。一体どんな論理機構で術式を起動しているの?」
私がパチュリーの質問に、どう答えたものかと考えていると、隣にいたアリスも声を掛けてきた。
「私も一つ質問があるわ。前の永夜の異変のとき、私とタッチしたときに魔力が跳ね上がっていたでしょう。あれは、どうしてなのかしら」
アリスの問いに、当時のことを思い出す。
あの異変の時は、この人形使いが私のサポートをしてくれていたのだ。
お互い、防ぎやすい弾幕や得意とする攻撃を分担する形で、共闘した。
そのとき、攻撃を交代するときの合図が、相手にタッチするというものだった。
私は、アリスの方を見て、その手に視線を移動させた。
あの白磁のような手で、交代の度に私の首の辺りを軽く触れるのだ。
それ以外のときも、私が攻撃をしているときは、吐息が届きそうなほど、密着する形で後ろで待機していて。
「だぁぁぁぁ! その時の話はやめろ!」
「……やっぱり、あの時、何かしていたのね?」
「そういうわけじゃないが、今はあの時の話は、やめてくれ!」
歩み寄ろうとするアリスを、手で制する。これ以上、その綺麗な顔を近づけないでくれ。
すると、突然後ろから肩に手が添えられた。
そちらを向くと、小悪魔が意味深に笑っている。
「なんだ、小悪魔。私は今、とても虫の居所が悪いんだ。ちょっかい出すなら、痛い目見てもしらないぞ」
「虫の居所? 欲情のはけ口の間違いじゃないですか?」
どうやらこの小悪魔は、私の今の状況を理解しているようだ。
「ふふ、魔理沙さんってば、かーわいい。あれですよねー、今ものすごく昂ぶっちゃってて、今にも爆発しちゃいそうなんですよね?」
顔を寄せて、耳元で囁いてくる。
「ほら、見てくださいよ。あの人形使い。とても、寂しそうな目をしてますよ。なぜって? それは、あなたが今さっき拒絶したからですよ」
私の首に指を緩やかに走らせる。
「手を差し伸べさえすれば、あの人形使いは、きっとその手を取ってくれることでしょう」
接触するかしないかという距離に、頬を寄せて、妖艶に微笑む。
上目使いで、パチュリーを示してみせる。
「ほら、あのパチュリー様の、物欲しげな顔、可愛いと思いません?」
後ろに回りこみ、両腕で私の腰を抱きかかえるように、引き寄せる。
小悪魔の柔らかな体が、私の背中を包み込むかのようだ。
「あなたより、遥かに長く生きている知識の王が、答えを求め喘いでいるんですよ。ぞくぞく来ません?」
ゆっくりと、私の顔を覗き込みながら、密着させた体を前に移動させてくる。
「ね、ですから。……言っちゃいましょうよ。ほら、お二人に、ずっと秘めてた思いを告げるんで――わきゃ!」
私は、目の前の小生意気な悪魔の頭に、手刀をお見舞いした。
「相変わらず、お前は引っ掻き回すのが好きだな。下がっていてくれ」
「いったぁ……うう、すみませんでした」
小悪魔は、なんで効かなかったんだろう、などと呟きながら、とぼとぼと使用済みのティーカップなどを片付けはじめた。
実の所、今の魔力暴発直前の状態でなかったら、ちょっと魅惑されてたかもしれない。
現時点で魔力容量がいっぱいなので、単に彼女の魔力が私に干渉できなかっただけである。
まあ、普段は色々と魔本などから身を守る為もあって、対抗呪文の防壁くらいは展開しているのだが。
それでも、今のやり取りで、また一段と魔力が高まってしまった。
くそ、小悪魔までいいにおいさせやがって。
香水、一体何使ってんだ。今度教えてもらおう。
それよりも、スペルカードの発熱具合が結構危険領域だ。
さらに上がったら、どうなるかわからない。
「さて、パチュリー。早いところ、その八卦炉を返してくれないと、本当にどうなるかわからないぜ?」
「だ、だから言っているでしょう。これを返してほしいなら、その意味不明な魔力の正体を教えなさい!」
魔力が暴発寸前の私に気圧されたのか、パチュリーが少し口ごもりながら、そう言った。
いい加減、話をさっさと終わらせて、八卦炉を取り返さなくては。
仕方なく、少し赤面しつつも、私は答えた。
「それは……私が、人間で、女の子だからだよ。……さあ、分かっただろ! さっさと、それを返してくれ」
これだけ言えば、十分だろう。
なんて恥ずかしいこと、言わせやがる。
そう思ったのだが、目の前の先輩魔法使いの二人は、きょとんとした顔で、私を見つめている。
「何を言っているの? だから、その人間であるにも関わらず、そんな魔力を放出できる理由を聞いているのよ」
「魔理沙。そんなふうにはぐらかさないで、教えてくれないかしら。何なら、きちんと情報の対価は支払うわ」
「あー……もう」
この二人は、私よりも何倍も生きてきた魔法の大先輩だというのに、こんなことも分からないのか。
小悪魔を見ると、視線が合った。
そして、彼女は困ったように、肩をすくめて見せた。
たぶん、小悪魔は私の魔力の正体に気がついているのだろう。
この小さな悪魔ですら、分かってるというのに、この二人の魔女と来たら。
「ダメだダメだ。お前らには、きっと分からない」
私はそう言って、後ろに体を向け数歩進む。
帽子をかぶり直して、ポケットからスペルカードを取り出した。
光り輝き、魔力の霧を漏れ出させているスペルカード。
「魔理沙さんから何か聞きだしたいなら、こいつで、だろ?」
私は振り返ると、二人の魔女に「恋符」を示してみせる。
今日も、私のはち切れんばかりの恋心は、期待通りに爆発してくれるだろう。
「今日の私も、絶好調だ。二人で一気に相手してもいいんだぜ?」
「アリス、仕方ないわ。あいつをぎゃふんと言わせて、答えを聞き出しましょう」
「ええ、仕方ないわね。あっちが、提示してきた以上、それに乗るしかないわ。やりましょうパチュリー」
私はスペルを発動させる。
八卦炉が無くて、収束が疎かだが、問題あるまい。
この図書館も、この連中も、そんなヤワには出来ていない。
大図書館を、白光が包み込んだ。
「私は、お前らが恋しくて愛しくて、仕方が無いのさ――――!」
その声は、爆音でかき消された。
アリスは本を探す手を止め、この図書館の主たるパチュリーに声をかけた。
パチュリーが、この図書館共有スペースである区域にいるのは、比較的珍しい。
普段なら、自分用の個室部屋に本を持ってこさせて、読んでいることが多いからだ。
その上、そんな彼女が手元でなにやら道具をいじっているのだから、好奇心旺盛な魔法使いという種族としては、見過ごすという選択肢は、存在しないだろう。
共有スペースにいるのだし、見られてまずいものでもあるまい。アリスはそう思い、肩越しから覗き込む。
その手元を見ると、白黒魔女の道具に似た、何かを持っている。
というよりも、そのものに見えた。
「あら、それって魔理沙の八卦炉じゃない。どうして、あなたが持っているの?」
パチュリーは、人形使いの声に対し、向かいの椅子を指し示して見せた。
そして、また手の中で、道具をくるくると動かしはじめる。
アリスは、それを同席許可の意だと汲み、向かいに腰掛けた。
「魔理沙、来ているの? 見かけなかったけど」
「来てないわ。でもこれがここにある以上、気づけばすぐにでも来るでしょうね」
「ということは、レプリカなどというわけでは、ないのね」
アリスは不思議そうな顔で、目の前の魔女の持つ道具を見つめ、考え込んだ。
魔理沙が渡したのだろうか。理由が思い浮かばない。
修理なら、霖之助さんに頼むはずだ。
もしかして、目の前の魔女が、あの子から奪い取ったのだろうか。
アリスが怪訝な視線を向けているのに気がつくと、図書館の主は声を出すのも億劫そうに、呟いた。
「あの子が、昨日忘れていったのよ。たぶんね」
そう言って、ポーチから小瓶を取り出し、瓶の中の粉末を一つまみする。
確かこのポーチも、魔理沙のものだ。
パチュリーが粉を少しずつ卓に撒きながら、短い呪文を詠唱すると、青い炎が一瞬燃え上がり、すぐに消えた。
そしてまた、八卦炉を手に取り、くるくると手の中でひっくり返したり、中を覗いたりしはじめた。
「勝手に触っちゃって、大丈夫なの?」
「もしかしたら、あの泥棒魔法使いが、意図的に置いて行ったものかもしれないから」
「というと?」
「トロイの二の舞には、なりたくないってことよ」
「なるほど、ありえなくないわね。それで、何か見つかった?」
「いいえ、特にこれと言った仕掛けの無い、ただの魔具だったわ。だからこそ……ちょっと、気になることができたわけ」
パチュリーはふうとため息をつくと、机のメモをアリスに示して見せた。
「これが、この八卦炉の増幅効果の概算値。こっちが、あの子の魔力キャパシティの予想値ね。それらに、大気マナや、このキノコの粉末媒介の増幅効果を加えたとして……」
魔女は指で書かれたメモの説明をし、最後にさらさらと総合値を書き込む。
アリスは、その値を見ると、眉根を寄せて、頬に指を当てた。
「魔理沙のファイナルスパーク、いや 、マスタースパークにすら……」
「そうなの。あの泥棒魔女の魔力出力を、これらが支えているのは理屈に合わない」
「……そうね。私も前に、少し疑問に思ったことがあったわ」
純粋な魔法使いである私でも、この魔具だけではあの威力の魔砲を放つのは骨が折れる。
それを人間の身でありながら、やすやすとこなしている。
それだけではない。
前に夜が終わらない異変が起きた際、私は、魔理沙をサポートしたことがあった。
その時の火力が、想定していたものより、遥かに強力だったのだ。
「一体、どんな原理なのかしら」
「気になるでしょう?」
「……興味深いわね」
□ □ □
うだる様な暑さで、私は目を覚ました。
時計に目をやると、十時を指している。
この時間でこの暑さかと思うと、気も滅入る。
私はいつもの様に、ぬるい汲み水で顔を洗い、歯を磨き、汗かいた衣類をかごに放り込んで、新しいものに着替える。
髪にブラシをかけながら、天狗の新聞に目を通し、何か面白そうなことが無いか、確認する。
比較的、ブラフを書くことが少ない数紙だ。
とは言え、そこは天狗の新聞。誇張表現が半端ではない。
だがそれも、無意識的にそれらを差し引いて読めるくらいには、読み慣れている。
とりあえず、新聞には面白そうなことが起きていると、伝える記事はなさそうだ。
金庫のダイヤルを回し、中身を確認する。
まだ、稼ぎに回らないでもよさそうな位には、蓄えがある。
それに、比較的高価に売れる、薬草やキノコの類の在庫もあったはず。
人里で買い置きしてあったおにぎりと、昨夜紅魔館で貰ったスープの残りを胃に流し込む。
そして、いつもの白黒ルックに身支度したところで、気がついた。
「あーくそ、魔法道具、昨日パチュリーのところに忘れてきたか。取りに行かないとだなぁ」
とりあえず、今日の最初の目的地は、決まったわけだ。
戦闘用の魔法ポーチを丸ごと、紅魔館に忘れてきてしまうとは、私としたことが、とんだミスだ。
予備のスペルカードと、新しく用意した魔法触媒を持って、箒に跨り、紅魔館へ飛ぶ。
まあ、これだけあれば十分だろう。
後は、状況次第だ。
空を仰ぐ。
今日も、無駄に元気な太陽がそこにあった。
この白黒の衣装は、多少魔法で冷却効果を持たせてある。
それでも、この日差しと気温は堪えた。
森を抜け、湖から流れる支流の横を飛んでいたとき、氷精の姿が目に入った。
まあ、珍しいものでもない。
私の装備も普段より貧弱だし、あえてちょっかい出すことも無いだろう。
そう思い通り過ぎようとしたが、ふと気になってもう一度視線を向ける。
なんだか、いつもと雰囲気が違うような。
軽く旋回して、上空に停止。氷精に目を凝らす。
そうか。分かった。
あいつの頭を飾っているリボンが、いつもの大きなリボンではなく、細身のロングリボンになっているからだ。
ちょっとした変化だが、少しでも気になったなら、確認せずには居られないのが、魔法使いというものだ。
一直線に、氷精チルノのところに飛んでいく。
「よう。どうしたんだそれ。リボン、いつものやつと違うな」
「あ、魔理沙。リボン、遊んでたら、木に引っ掛けちゃって……今、大ちゃんが家で直してくれてる。これは、とりあえずつけておきなって、大ちゃんが貸してくれた」
「そうか」
これはこれは……リボンひとつ変わるだけで、結構イメージ変わるもんだ。
いつもの氷精の雰囲気と、大分違って見える。
今つけてるリボンは、白い細身のレース生地に、小さなフリルが細かく据えられた、なんとも上品なものだ。
リボンの違いもあるが、お気に入りのリボンが無くなってしまって、気落ちしてる様子が、また雰囲気の違いに一役かってるのかもしれない。
「チルノ、ちょっとこっち来いよ」
「え、何?」
私は箒を近くの岩に立てかけて、土のかぶっていない岩に、足を広げて座った。
そして、ぽんぽんとひざを叩いてみせる。
「なんなのよ?」
「どうせなら、そのリボンに合う髪型にしてやるよ。悪くはしないから、安心しろ。ほら、来いって。クシで梳くだけだから」
「えー……いいよ」
「いいから、こいって!」
しつこい私に根負けしたのか、氷精がおずおずと歩み寄って、私の足の間に、すとんと腰を下ろした。
「うぉ!」
「うぁ!? な、何よ?」
「ごめんごめん、思ったよりお前が、ひんやりしててな。少し驚いた」
「……びっくりさせないでよ」
この暑さに、これは非常にありがたい。
意図してなかったが、思わぬ役得である。
帽子の内ポケットから、櫛を取り出す。
小さめの櫛で、常時五本はストックしているうちの一つだ。
実は、こうやって小さい連中の髪をいじるのが、結構好きだったりする。
一人暮らしする前は、時折人里の女の子の髪を、こうやって樋たり結ったりしたものだ。
小さいころ、香霖に髪をよく手入れしてもらってたのが、そうさせたのかもしれない。
チルノの髪は、細くて柔らかい、とてもふんわりした感触だった。
どこで寝てるかもわからない妖精である。手入れなんて、してはいないだろう。
それでこの質感とは……少々うらやましい。
人外を比較にすること自体が、間違いなのだろうが。
指の間で少し遊ばせた後、顎に手を当て考える。
せっかく、普段と違ったリボンをしているのだ。
それにあわせる形でいいだろう。
少しだけ、帽子から取り出した花の油を手に取り、チルノの髪になじませる。
そして、櫛でゆっくり梳きあげる。
痛くないように、優しく。
お腹のひんやりと、背中の太陽の日差しに挟まれた中、のんびりした時間が流れる。
「できたぜ」
私は、鏡を取り出して、前の氷精に渡してやった。
気持ちもよかったのか、チルノは軽く船を漕いでいたが、声をかけるとはっと顔を上げた。
我ながら、結構な出来栄えである。
思いのほか、びっくりなイメチェン具合だ。
全体的に癖っ毛だった髪をほぼストレートにして、耳の辺りの毛を内側にシャギーっぽくカールさせた。
氷精は、目をこすりながら、鏡を見て、
「うわ!? ……これ、あたいなのか?」
興奮したように、鏡に見入っている。
私は鏡越しに、にやにやと笑いかけた。
「どうだ、気に入ったか?」
「ええと、なんか、あたいじゃないみたいだ。なんか変な感じ」
口ではそういっているが、様子はまんざらでもなさそうだ。
氷精が、頬を赤らめながら、ちらりとこちらに視線を投げてくる。
何か、期待するような眼差しだ。
くっそ、可愛いじゃないか……!
ここは、期待通りの言葉をかけてやるべきだろう。
なにより、私のメイキングなのだ。
「すっごい、可愛いぜ。チルノ」
私の言葉に、氷精がびくりと体を震わせ、鏡を抱え込むように前かがみになった。
「う……、なんかすごい、はずかしい」
「何言ってんだ。本当のことだぜ? ほらほら、鏡もっと見てみろって」
「ううう……」
「おやー、照れてるのか?」
「ああー! もう!」
いじりすぎたか、チルノが顔を真っ赤にして、私の足の上から、空へと舞い上がる。
「やめてよ! 恥ずかしい!」
「悪かったって。でも お前だって、その髪、気に入ったんだろ?」
私は、ちらりとポケットの中を確認した。
出るときに持ってきた、魔力空っ穴だった、スペルカード。
見たところ、一枚と半分ほど、魔力が溜まっている。
この可愛い氷精のおかげで、ある程度の妖怪なら余裕でぶっ飛ばせるくらいの、魔力が貯められたようだ。
「ねえ、魔理沙。私、もっと、おふとやかにした方が、いいのかな?」
「お淑やかか?」
ふと氷精がそんな事を言ってきた。
きっと、さっき私が可愛いと言ったからだろう。
このわんぱく妖精も、女の子だということだ。
「そうだなー。別に、私はお前はいつものまんまで、いいと思うぜ」
「そう?」
「おう。でも、たまーに、そうやって私に髪いじらせてくれると、嬉しいかもな。たまのイメチェンだからこそ、より際立つってもんだ」
「うん。いいよ。また、髪いじって!」
大きく笑う氷精をじっと見ていられなくて、視線をそらした。
心の中で、この清楚チルノを独り占めできたら尚良いが、と付け加えた。
私は大きく伸びをすると、話題を変えるように、氷精に言った。
「おい、チルノ。せっかくイメチェンしたんだし、気分転換に弾幕ごっこでもしないか?」
「え、弾幕ごっこ?」
「おう。大妖精を待ってるんだろ。来るまででいいし、付き合えよ」
スペルカードをかざそうと思ったが、ポケットに戻す。
まだ枚数が心もとない。
もし、図書館の魔女様とやり合うとなったら、これでは少ないくらいだ。
今回は、チルノの弾幕を受けきる方向で楽しむとしよう。
「最後にやったのはいつだったっけか。夏入る前じゃなかったか?」
「そんなに前だっけ。……そっか。わかった、やろう魔理沙!」
何かを思いついたか、思い出したか。急にやる気になった氷精。
私は箒にまたがると、空に舞い上がって間合いを取った。
「今回は、あまりこっちからは攻撃しない。お前の弾幕を楽しませてもらうぜ」
「わかった。そんなこと言って、後悔するなよ!」
□ □ □
チルノとの弾幕ごっこで、高まった体温を冷ますように風を切り飛ぶ。
日の強さは、お昼を過ぎた今くらいの時間はピークと言ったところだろう。
だが、先程の興奮からか、あまり暑さを感じることはなかった。
それにしても、チルノのやつ、結構弾幕の腕を上げていた。
氷塊を湖に落とし、それから上がった水柱をそのまま凝固させ、私の行動範囲を縮める作戦は、見事だった。
「アイスケージだったか、使える場所は限られるが、詰めれば面白い技になりそうだな」
あれを避けるのは随分と楽しかった。
楽しいといえば、終わり間際に飛んできた大妖精の、チルノを見たときの反応だ。
まあ、あんだけ可愛いチルノだ。
あの反応も仕方ないというものだろう。なんせ私のメイキングだし。
暫く飛んだあたりで、珍しいものを見つけた。
小川の脇の、大岩が入り組んだあたりで、青髪が揺れている。
天人、比那名居天子である。
天人は、岩に腰を下ろし、下を流れる川を見つめている。
あの天人とは、例の気質異変の後、2.3回酒を酌み交わしたことがある。
しかし、こちらのことを質問するばかりで、あまり自分のことを語らないやつだった。
そいつが、こんな辺鄙なところにいるのだ、気にもなる。
「何の用かしら?」
私が近づくと、結構距離があるにもかかわらず、そう問うてきた。
天人への距離を一気に詰めて、すぐ隣に舞い降りる。
「いや、それはこっちのセリフだぜ。こんな所で何をしてるんだ?」
「あら。ここってば、あなたの私有地だったのかしら」
「何か異変の前触れなら、大きくなる前に潰すのも、一興かと思ってな」
私がにやにやと笑いながらそう答えると、天人は、困ったように溜息をついた。
「何も、怪しいことなんて、してないわ。人を待ってるのよ」
「おいおい、いったい何処のどいつを誑かしたんだ?」
「何を想像してるのか知らないけど、紫のところの藍を待ってるの」
「こいつぁ、意外な組み合わせだな」
天人は、全く減らず口をと言いながら、肩を上げてみせた。
「結界についての相談よ」
「結界? なんでお前が」
天人は、説明するとちょっと長くなるから、座りなさいなと言って、座っている岩を叩いた。
私は言われた通り、隣に腰を下ろす。
「大地は常に力を移動させていて、それが溜まって爆発すると地震が起こるのよ」
「らしいな。前に見た本に書いてあったぜ」
「なら、話は早いわね。要石で押さえてはいるけど、限界がある。だから、大地震が起こる前に、定期的にガス抜きみたいな感じで、弱い地震を意図的に、起こしてあげる必要がある」
「なるほど。適度にストレス発散させてやってるんだな」
「言い得て妙ね。こないだ、小さな地震があったでしょう? あれ、私が被害が出ない所にエネルギーを誘導して、意図的に起こしたのよ。それでも、多少地形に影響が出るから、藍と大結界の補強の相談ってわけ」
「へぇ、お前が人の役に立つことしてるなんて、意外だな」
天子はこほんと咳き込むと、少し恥ずかしそうな顔で続ける。
「まあ、前の異変もぶっちゃけ、この状況を狙って起こしたっていう、一面もあったのよ。建前では責任を取って、償いのために下界に降り、仕事するってね。おかげで、なんの手間もなく、こっちに来れるようになったわ」
「神社ぶっ壊して、紫にボコボコにされたのも想定内か?」
「あ、あれは、この郷についての勉強不足だったのよ……私だって、ここのこと好きだもの。そんな大事になるかもしれないって知ってたら、あんなことしなかったわ」
「へぇ。まあ、そんな気にする必要はないんじゃないか。やり過ぎそうになったら、管理者様が出てきて教えてくれるだろ。何か異変起こしたくなったら、遠慮なくやっていいんだぜ?」
「他人事だと思って……」
「ああ、他人事だ。楽しい事件はばんばん起こしてやってくれ。遠慮なく、首を突っ込ませてもらうから。……それにしても、あっついな……」
話に一区切りついたのを確認すると、あたりを見渡す。
岩による照り返しからか、ここはとても暑い。
「そうね、ここ紫のやつが提示した待ち合わせ場所なんだけど、岩の照り返しもあって、ほんと辛いのよね……意図的にここにして待たせてるんじゃないかと、疑いたくなるわ」
「ありえそうだから、困るな。……あれ、お前、汗かいてないか?」
「ん? かいてるわよ」
天子の答えに、私は背筋がヒヤッとする。
なんてったって、天人が汗をかくのは、死期が近いのを示すという、
「天人が汗かくのって、五衰の一つなんじゃないのか!?」
「あーまあ、そうなんだけどねー」
目の前の天人は、なんでもないというように、苦笑する。
「下界に来てると、結構普通にかくわよ。だって、下界は穢れに満ちてるもの。その影響ね。あと、上と違って気候も穏やかじゃないし」
「全然、答えになってないじゃないか! 体、大丈夫なのか!?」
「あーえと、あと付け加えるなら、五衰を指す汗かきは、いやな臭いを発する汗の場合、よ」
天子はそう言って、頬を掻いた。何故か、頬に少し朱が差している。
私は安堵すると、体の力を抜いて、大きく息を吐いた。
「ったく、はじめからそう言えってんだ」
「いや、だってそんなに心配されるなんて、思わなかったし……」
「まあ、確かに天界は涼しそうだもんなあ。あんな過ごしやすいところから、わざわざこっちに来てるなんて、お前も物好きだよな」
「なら、あなたが上に行けばいいじゃない?」
「あんな、暇そうなところはゴメンだぜ」
「私もよ」
ひとしきり笑い合うと、私はあるものを思い出して、帽子の中をまさぐった。
中から取り出したのは、一振りの扇子。
それを、天子の方に差し出した。
「これ、使うか?」
「気が利くじゃない。どんな風の吹き回し?」
「まあ、気にするな」
天子は訝しげな顔で、その扇子と私の顔を見ていたが、扇子を広げると、ゆっくり煽ぎだした。
そして、何かに気がついたように、はっとする。
「これって、もしかして」
「そ。紫のだぜ。前にちょっとした賭けをして、その時に頂いた」
「そ、そう」
「欲しいか?」
「……別に。欲しかったら、自分で倒して奪い取るわ」
「そうか、応援してるぜ」
「ほんと、他人事だと思って」
天子が扇で自らを煽ぐと、私の方にほのかな香りが流れてくる。
桃のにおいだ。
こいつ、見た目も桃なら、においも桃と来ている。
無意識的に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
鼓動が早まり、手の平が暑さ以外のもので、汗ばむのを感じた。
まてまて、私は一体何に胸高鳴らせてるんだ。
まさかこの、我侭天人にか?
ちらりと、天子の方に視線を向ける。
首のリボンを解き、ボタンを外して首元を煽ぐ天人がそこにいる。
さすが穢れの少ない天界にいるだけあって、肌はびっくりするほど、透き通るような白。
だがそれも、暑さでほてっているのか、微妙に朱が差していて、
……なにこいつ、えろいな。
って、おい! ばかばかばか! 何考えてるんだ、私は! 相手はあの厚顔無恥の天人様だ!
そうだ、あの咲夜のナイフだって通らないって言う、強靭な肉体の持ち主、むしろ妖怪寄りじゃないか。
落ち着け、落ち着くんだ。
「よし、大丈夫だ」
「はー、涼しいわね」
見ると、天子が自らのスカートの裾を腿の中間辺りまで引き上げ縛り、ブーツを脱ぎ去っている。
普段はロングスカートとそのブーツで完全に隠れてしまっている足が、あられもない姿で、落ち着こうとする私の目の前に、その白さを主張していた。
「風をこんなに気持ちよく感じたのは、いつ以来かしら。天界だと暑いってこと自体が無いから、扇子なんて使ったこともなかったけど、これは必須アイテムね」
そんなことを言いながら、腿なんかも煽いだりし始める。
なんて、恥じらいの無い。
私だって、多少暑くてもこの白黒ルックで、足なんて出したりなんか、しないってのに。
そうは思っていても、その白い腿から目が離せない。
この香りと、この見た目、いや、反則だろ。なんだこれ、おかしい。
人間が出していい匂いじゃないだろ。ああ、こいつは人間じゃないんだっけか。
強い直射日光と、岩の照り返し、そして高鳴る鼓動。
なんだか、視界もぼやける。
「……ねえ、ちょっと……この手は、何?」
怪訝そうな天子の声で、はっと焦点が正常に戻る。
天子の視線を追うと、それは天人の太ももに伸び、その足には私の手が添えられていて。
「うっぉ、ぁぁぁあ!?」
「な、何よ!? わっととと!!」
私は飛びのくようにして、手を引いた。
天子も私の突然の行動に驚いたのか、扇子を岩下の川に落としそうになって、なんとかそれを手で掴む。
いつの間にかに、天子の足に触れてしまっていたらしい。
何も、こんなときに悪い手癖が出るなんて、自分の行動とはいえ本当に困ったものだ。
私は、自分の手を抱え込むようにして、視線を彷徨わせた。
天人は、目を細めてこちらを見据えてくる。
「ちょっと。突然、私の足に触れてきたと思ったら、汚いものでも触ったかのように引いて、一体何なのよ?」
天子の声は、怒気と困惑が半々といった具合である。
あまりにも綺麗だから、思わず触っちまった、なんて言えるものか。
私は、わざとらしく咳払いをした。
「あー、あれだよ。前に咲夜から、お前の体にはナイフすら刺さらないとか聞いたからな。一体どんな硬さの皮膚なのかと、気になってたんだ。そんな時に、ちょうど触れやすい状態で目の前にあったから、思わず、な」
我ながら、とっさの嘘が滑らかに出るのに、感心した。
「いやいや! 確かに戦闘中は霊力による物理結界を張ってるから、ナイフくらいは通さないけど、肌が硬いってわけじゃないわよ!?」
「そうかそうか、いや、私お前以外に、知り合いの天人もいないからさ」
「あんただって、弾幕ごっこで地面にたたきつけられたときとかの為に、魔法で物理防壁くらい張ってるでしょ。それと同じよ。強度が多少高いかもだけど」
「ああ、うん。なるほどな。普通に考えれば、そうだよな」
何とか、この場は納められたようだ。
ふうと大きく息を吐き出すと、胸に手を当てる。
まだ、心臓が激しく胸を打っている。
帽子を軽く持ち上げて、額から流れる汗をぬぐった。
思わず、少し自分の汗を嗅いでしまう。
特に、これといった匂いはしなかった。
それはそうだろう、自分の匂いになど、普通は気づくものじゃない。
だが、相変わらず天子の桃の香りが鼻腔をくすぐる。
私は風下にいるから、たとえ匂いがあったとしても、あちらには流れていないはずだ。
でも、もし流れていたら?
その考えが頭をよぎると、なんとも言えぬ羞恥心が込み上げてきた。
本人はこんなにも、良い香りを放っているのだ。
私みたいな、普通の人間の匂いなんかは、獣くさく感じるんじゃないか。
それならまだいい、もしかしたら嫌悪さえ抱いたりするのではないか。
そう考えたら、止まらなくなった。
意味不明な焦燥感が、頭をいっぱいにしていく。
「どうしたのよ急に」
「え?」
気づくと、天子が私を覗き込むように、頭一つ分くらいの距離に身を寄せていた。
そして、手を顔に伸ばしてくる。
「あんた、ちょっと熱でも――」
「や、やだ!!」
思わず叫んでいた。
座ったまま後ずさる。
そして、後ろ手を着いた先が、空を掴んだ。
かくんと、全身が傾く。
「ちょ、ばっか!!」
がしりと天子に腕をつかまれ、そのまま引き寄せられ、抱かかえられた。
「危ないわね! もう少しで、川下の岩場に頭から落ちるところよ!? あんた人間なんだから、咄嗟に防壁とか無理でしょ。落ちたらただじゃ済まないのよ!」
「あ、ごめ……」
天子に密着する体勢で、胸いっぱいに桃のような匂いを吸ってしまう。
そして、自分のそれを考えて、顔に熱がこもる。
「は、離れてくれ!」
「何よ、助けてあげたのに、謝罪だけで、感謝はないの?」
「いや、だから匂いが!」
「におい?」
天子は怪訝そうな目で、慌てる私を見ていたが、何かに気づいたように、片眉を上げた。
「……ああ、そういうこと」
天人が、得心いったと言う様子で、にやりと笑った。
そして突然、私のお腹の辺りに顔を埋めた。
「おおお、おい!! お前、何やってるんだ!?」
私は、なんとか天子から離れようともがくが、さすが天人。
その腕力は強大で、万力に締め付けられたように動かない。
「や、やめてくれ!」
自分でも情けないと思うような、甲高い声を出して拒絶の意思を示すが、私の腹に顔を埋めた天人は黙したままだ。
無理だとわかっていても、手足を動かそうともがき続ける。
「やめてくれ、……お願いだから。ねえ、お願い、だから……」
そんなことを数分かそこいら続けて、色んな感情で高くなった体温と、上りきった血の気で、とうとう私は力尽きた。
ぐったりと天子の後頭部に、体重を預けるように倒れこむ。
すると、今まで抱きついたままだった天人が、上気した顔を上げた。
「んー、あっつかったあ! ふふん、あなたのニオイ、堪能させてもらったわよ。って、え、ちょっと、ウソ……泣いてんの?」
やっぱり嗅いでやがった。このサディスト天人が。
私の目に溜まっていた熱い何かが、頬を伝った。そんな私を見た天人が、焦ったように顔の前で手を振った。
「あー、えーと。あれでしょ。あんた、私が人間のニオイを嫌ってるんじゃないかと、思ってたんでしょ?」
「……そうだな」
「あれよ、天人の中にはそういうやつもいるにはいるけど、私はむしろ好きっていうか。ほら、土のにおいとか、草木のにおいとか。天界に無いにおいに満ちた、この下界のこと、私は大好きなのよ」
「……へぇ」
「じゃなかったら、下界になんて好き好んで来てないわ。あなたのニオイだって、もし嫌がってたら、あんなに長く嗅いでたりしないでしょ?」
「……そうかもな」
「だから、あなたのニオイも嫌いじゃないって言うか、好きって言うか……ええと、だからね……」
「……変態」
「え?」
私は、顔をうつむかせて、言ってやった。
「嫌がる少女の股座に顔突っ込んで、悦に浸る奴を……それ以外にどう形容するんだ?」
「ま、またって……いや、お腹だし!!」
「似たようなもんだ。しかしあれだな、良かったじゃないか」
「な、何がよ?」
「今まで不良天人って呼ばれてて、嫌だったんだろ? 私が今回のこと言いふらせば、きっと皆そんな風には呼ばなくなるぜ」
顔を伏せていて見えないが、前の天人が息を呑むのを感じたような気がした。
「きっとこう呼ぶだろうな。少女臭趣味の変態天人、ってね」
「ちょっとちょっと!? 違うの! そういうんじゃないのよ! あなたが私に対して、変な誤解をしてるみたいだから、それを解こうと、ねえ、聞いてる? ちょっと、ねえってば!」
鼻声になった天子が、私の肩を強く揺らす。
私は、ふうと息を着くと、顔を上げて天子を見る。そして、思わず吹き出した。
さっきまであんなにすました顔をしていた天人が、子供のように慌てふためいている。
目尻には、軽く涙なんかも浮かんで見えた。
「ああ、もう、暑っ苦しいな。いい加減離れてくれ」
本当は、まだしばらく良い香りのする天人とじゃれたい気持ちもあったが、このくらいで手打ちだろうと、肩をすくめてみせた。
「私が嫌だって言ったのに、ずっと顔くっつけてた罰だ。まあ、言いふらしたりはしない。こっちだって恥ずかしいからな」
それを聞いて、涙目の天人は私の肩から手を離して、へたり込んだ。
「もう、何よ! こっちは、善意でやったってのに!」
「あれがか? まったく、天人様の感性は、常人には及びつかないな」
私がそう困ったように笑ってやると、天人は頭をかきむしるようにして、叫ぶ。
「もう、あんたなんか、嫌いよ!」
「へぇ、そうかい。……私は、お前のこと好きだけどな?」
「……え? ……ええ?」
そう言って、呆然としている天子の胸に、顔を埋める。
「ちょっと!?」
大きく肺いっぱいに息を吸い込んで、赤面する天人を見上げた。
「お前も言っていたじゃないか、私のニオイ好きだって。私も、お前のこの桃みたいなニオイ、好きだぜ? 美味しそうだしな」
「だああああ! もう!!!」
天子が私を引き剥がして、肩で息をしている。
私は、落っことしてしまった帽子を拾い上げて、かぶり直した。
「しっかし、お前のせいで、すっかりフラフラだよ」
「こっちだって、へとへとよ! もう、なんなのよ!」
まさか、この天人とこんなに戯れあうことになるとは、思いもしなかった。
ポケットを覗くと、案の定。持ってきていたスペルカードが、すべてフルパワー状態だ。
「なあ、天子。いっちょ弾幕ごっこしないか?」
「え、いまフラフラって、言ってたじゃない」
「まあ、いいじゃないか。さっきまで、お前さんを涙目にさせてた魔法使いを思いっきりぶっ飛ばせる、いい機会なんだぜ? 乗るだろ?」
「……うーん、そうねえ。あんまり、乗り気じゃないけど。藍もなかなか来ないし、来るまでなら……」
「あー、一応、もう来てはいるんだがね」
「「え?」」
声の方を見ると、木陰からのんびりした様子で、九尾の狐が柔和に微笑みながら歩んできた。
「ちょ、藍、いつからそこにいたの……?」
「ん? 来たのは……魔理沙と同じ頃だな」
「え、意味わからないんですけど」
呆然とした様子で見つめる天人に、九尾が困ったように苦笑する。
「待っていたのさ。天人殿が、そちらの魔法使いと用事があるようだから、事の長くなりそうなこちらは待つべきだ、と紫様に言われてね」
「え? だから、意味がわからないんですけど。……ちょっとまって。今、紫に言われたって、言った?」
「ああ」
藍は、トントンと、こめかみを中指で軽く叩く仕草をした。
「今日は、天子殿と地震による結界への影響に関して、相談しようと言ってあったろう。だから、紫様も見ておられるのだよ。私を通じてね。……んん?」
藍は何かに気づいたように、視線を宙にさまよわせて、おお、と声を上げた。
「天子殿、紫様が面白いものを見せてもらったから、扇子くらいいくらでもやる、と言われているぞ。……ちょっと、紫様何をそんなに笑っているのですか、煩いです、お静かにしてください」
天子の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
私は、頬を掻いた。
まあ、私は多少、紫に対しての駆け引き材料があるから、どうにかなるかもだが、果たしてこの天人は。
「なあ、天子。藍も来たし、私との弾幕ごっこは、また今度だな」
震える天人に、少し上ずった声で私はそう言った。
今、この天人を相手にすると、色々まずい。
「お、もう用事は済んだのだな。では行くとするか」
「あれ、ここで結界調査してるんじゃなかったのか?」
さっき、天子から聞いた内容と、少し違うなと思い、藍にそう声をかけてしまう。
「ああ。ここは、紫様が意地悪で指定しただけの場所だからね。私は止めたのだが……すまない。暑かっただろう。こんな茹でダコのようになってしまって……」
藍が、真っ赤に震える天人の肩を、ポンポンと叩く。
天子が立ち上がって、震える声で、尋ねた。
「ねえ、藍。ちょっと、紫に直接聞いておきたいことがあったの。こっちに来る時に使ったスキマ、もう一度、開いてくれるかしら?」
「ああ、そうなのか。ちょっと待ってろ、今は紫様に式を打ってもらっているから、一度開いた直後のスキマなら」
藍がそう言うと、空間に黒いヒビが生え、パックリとスキマが開いた。
開いたと同時に、電光石火でスキマへと入り込む天人。
「では、またな。魔理沙。今日は結構暑い。水分はしっかり摂ったほうがいいぞ」
「ああ。お前も、色々と気をつけろよ」
私は、藍と別れを告げると、ため息をついて紅魔館へ向かって飛び立った。
疲れた身体で、紅魔館の門前に降り立つ。
門番が、いつものようにこちらをのんびりと見つめている。
と思ったが、いつもより少々焦っているように見えた。
「ちょっと、魔理沙さん。なんですかその、気炎万丈満身創痍といった、よくわからない状態は?」
「ああ、ちょっとな。色々溜まってるんだよ。こんな私だけど、受け止めてくれるか?」
「なんですかその、砂袋と伴侶を同時に求めるような、言い回しは……」
私は、ポケットからスペルカードを取り出す。
カードがじわりと熱い。
容量を超えた魔力が、溢れ出しているのだ。
体は疲れていたが、魔力の方は見た目のとおり、溢れ出してしまうほどだった。
八卦炉があれば、体の疲れを魔力で緩和させてやれるんだが。
しかし、現状色々まずい。魔力を発散させなくては、体へ更に悪影響が出るかもしれない。
「なんですかそれ!? めっちゃ輝いてますよ!?」
「だから、言っただろう。溜まってるんだよ。な、いいだろ? ちょっと、弾幕ごっこするだけだからさ」
「そんな物騒なもの、もっと別の誰かに当ててきてくださいよ!」
「私、お前の弾幕、結構好きなんだぜ? 武術の美しさをいかに弾幕で表現しようかという縛りの中、毎度改良されていってるところとかな。しかしまあ、随分と難しい縛りを課してるもんだよ。私には真似できん」
「え?」
「ほら、昨日、お前さんが展開したやつもそうだったろ。放物線軌道のキレ、弾速の変化度合いが前の時より増してた。遠目から見たら、鋭い蹴りのようにも見えたぜ。あと一息なんじゃないか」
「ええ!?」
「弾幕ソムリエ魔理沙さんだぜ? そりゃ、わかるさ」
門番は、恥ずかしげに頬を掻いた。
「いや、まあ。やるからには、私も楽しめるようにと、色々と工夫してるんですよ」
「うん、わかるよ。だから、一発やろうって言ってるんじゃないか」
再度、カードを掲げてみせる。
「いやいやいや! それ、そのカード、オカシイですって! なんで魔力がカードから溢れてるんですか、どんだけ魔力込めてんです!」
「ほら、そうやってお前が、可愛い反応を返してくれるから、ますます溜まっちゃうんじゃないか。責任取ってくれよ」
「いやいや!? だから意味分からないですって! それもそうなんですが、何よりも魔理沙さんに褒められるなんて、なんだか気持ちが悪いです!」
「ひどいこと言うやつだな」
ふと今までの自分の言動を考えて、確かに私らしくも無かったかもと思う。
思った以上に、頭が火照っているようだ。
早いところ、魔力発散しないと。
「ところで、今日はどういった用件で、来られたんですか?」
「ああ、昨日、パチュリーのところに忘れ物をしてな」
「そうだったんですか。では、私が、取りに行きましょうか?」
「いや、いい。自分で取りにいく。まあ、あれだ。お前の弾幕はまた次回の楽しみにしておくよ」
「……う、そうしてくれると助かるかもです」
いつもは八卦炉で無駄に溜まった魔力を拡散させてるんだが、今はそれが無くて、溜まる一方だ。
空のスペカ、もっと持って来ておくんだった。
それよりも、八卦炉に頼らないと色々困るという状態の方が、問題か。
もう少し、魔力の変換技術を勉強しないと、ならなさそうだ。
大図書館に入ると、道具を忘れた図書共有スペースに向かう。
昨日は、気になっていた本を持って帰らないで、その場で情報を調べて帰ったのだ。
普段やらないようなことをするから、ものを忘れたりなんかしたのだろう。
やっぱり私は、本の一冊でも持って帰らないと、罰が当たる運命の下にあるらしい。
共有スペースに入ると、三人の姿があった。
この大図書館の主パチュリー・ノーレッジ。
因縁の人形使いアリス・マーガトロイド。
そして、お茶を入れている小悪魔だ。
二人の魔女の手元には、私のマジックアイテムがある。
「おいおい、それは私の道具だろ。なーに、勝手にいじってくれてるんだ?」
「あら、そうだったの? なら、保管料を頂かないとかしら」
「言ってろ。とりあえず返してもらうぞ」
私が、パチュリーの持った八卦炉に手を伸ばすと、ひょいと引かれてしまった。
「おい。何のつもりだ?」
「そうね。保管料は、この質問の答えでいいわ」
パチュリーは、八卦炉を手で弄びながら、私に笑ってみせた。
「調べてみたら、この道具だけでは、あなたのあの高火力を説明できないのよ。一体どんな論理機構で術式を起動しているの?」
私がパチュリーの質問に、どう答えたものかと考えていると、隣にいたアリスも声を掛けてきた。
「私も一つ質問があるわ。前の永夜の異変のとき、私とタッチしたときに魔力が跳ね上がっていたでしょう。あれは、どうしてなのかしら」
アリスの問いに、当時のことを思い出す。
あの異変の時は、この人形使いが私のサポートをしてくれていたのだ。
お互い、防ぎやすい弾幕や得意とする攻撃を分担する形で、共闘した。
そのとき、攻撃を交代するときの合図が、相手にタッチするというものだった。
私は、アリスの方を見て、その手に視線を移動させた。
あの白磁のような手で、交代の度に私の首の辺りを軽く触れるのだ。
それ以外のときも、私が攻撃をしているときは、吐息が届きそうなほど、密着する形で後ろで待機していて。
「だぁぁぁぁ! その時の話はやめろ!」
「……やっぱり、あの時、何かしていたのね?」
「そういうわけじゃないが、今はあの時の話は、やめてくれ!」
歩み寄ろうとするアリスを、手で制する。これ以上、その綺麗な顔を近づけないでくれ。
すると、突然後ろから肩に手が添えられた。
そちらを向くと、小悪魔が意味深に笑っている。
「なんだ、小悪魔。私は今、とても虫の居所が悪いんだ。ちょっかい出すなら、痛い目見てもしらないぞ」
「虫の居所? 欲情のはけ口の間違いじゃないですか?」
どうやらこの小悪魔は、私の今の状況を理解しているようだ。
「ふふ、魔理沙さんってば、かーわいい。あれですよねー、今ものすごく昂ぶっちゃってて、今にも爆発しちゃいそうなんですよね?」
顔を寄せて、耳元で囁いてくる。
「ほら、見てくださいよ。あの人形使い。とても、寂しそうな目をしてますよ。なぜって? それは、あなたが今さっき拒絶したからですよ」
私の首に指を緩やかに走らせる。
「手を差し伸べさえすれば、あの人形使いは、きっとその手を取ってくれることでしょう」
接触するかしないかという距離に、頬を寄せて、妖艶に微笑む。
上目使いで、パチュリーを示してみせる。
「ほら、あのパチュリー様の、物欲しげな顔、可愛いと思いません?」
後ろに回りこみ、両腕で私の腰を抱きかかえるように、引き寄せる。
小悪魔の柔らかな体が、私の背中を包み込むかのようだ。
「あなたより、遥かに長く生きている知識の王が、答えを求め喘いでいるんですよ。ぞくぞく来ません?」
ゆっくりと、私の顔を覗き込みながら、密着させた体を前に移動させてくる。
「ね、ですから。……言っちゃいましょうよ。ほら、お二人に、ずっと秘めてた思いを告げるんで――わきゃ!」
私は、目の前の小生意気な悪魔の頭に、手刀をお見舞いした。
「相変わらず、お前は引っ掻き回すのが好きだな。下がっていてくれ」
「いったぁ……うう、すみませんでした」
小悪魔は、なんで効かなかったんだろう、などと呟きながら、とぼとぼと使用済みのティーカップなどを片付けはじめた。
実の所、今の魔力暴発直前の状態でなかったら、ちょっと魅惑されてたかもしれない。
現時点で魔力容量がいっぱいなので、単に彼女の魔力が私に干渉できなかっただけである。
まあ、普段は色々と魔本などから身を守る為もあって、対抗呪文の防壁くらいは展開しているのだが。
それでも、今のやり取りで、また一段と魔力が高まってしまった。
くそ、小悪魔までいいにおいさせやがって。
香水、一体何使ってんだ。今度教えてもらおう。
それよりも、スペルカードの発熱具合が結構危険領域だ。
さらに上がったら、どうなるかわからない。
「さて、パチュリー。早いところ、その八卦炉を返してくれないと、本当にどうなるかわからないぜ?」
「だ、だから言っているでしょう。これを返してほしいなら、その意味不明な魔力の正体を教えなさい!」
魔力が暴発寸前の私に気圧されたのか、パチュリーが少し口ごもりながら、そう言った。
いい加減、話をさっさと終わらせて、八卦炉を取り返さなくては。
仕方なく、少し赤面しつつも、私は答えた。
「それは……私が、人間で、女の子だからだよ。……さあ、分かっただろ! さっさと、それを返してくれ」
これだけ言えば、十分だろう。
なんて恥ずかしいこと、言わせやがる。
そう思ったのだが、目の前の先輩魔法使いの二人は、きょとんとした顔で、私を見つめている。
「何を言っているの? だから、その人間であるにも関わらず、そんな魔力を放出できる理由を聞いているのよ」
「魔理沙。そんなふうにはぐらかさないで、教えてくれないかしら。何なら、きちんと情報の対価は支払うわ」
「あー……もう」
この二人は、私よりも何倍も生きてきた魔法の大先輩だというのに、こんなことも分からないのか。
小悪魔を見ると、視線が合った。
そして、彼女は困ったように、肩をすくめて見せた。
たぶん、小悪魔は私の魔力の正体に気がついているのだろう。
この小さな悪魔ですら、分かってるというのに、この二人の魔女と来たら。
「ダメだダメだ。お前らには、きっと分からない」
私はそう言って、後ろに体を向け数歩進む。
帽子をかぶり直して、ポケットからスペルカードを取り出した。
光り輝き、魔力の霧を漏れ出させているスペルカード。
「魔理沙さんから何か聞きだしたいなら、こいつで、だろ?」
私は振り返ると、二人の魔女に「恋符」を示してみせる。
今日も、私のはち切れんばかりの恋心は、期待通りに爆発してくれるだろう。
「今日の私も、絶好調だ。二人で一気に相手してもいいんだぜ?」
「アリス、仕方ないわ。あいつをぎゃふんと言わせて、答えを聞き出しましょう」
「ええ、仕方ないわね。あっちが、提示してきた以上、それに乗るしかないわ。やりましょうパチュリー」
私はスペルを発動させる。
八卦炉が無くて、収束が疎かだが、問題あるまい。
この図書館も、この連中も、そんなヤワには出来ていない。
大図書館を、白光が包み込んだ。
「私は、お前らが恋しくて愛しくて、仕方が無いのさ――――!」
その声は、爆音でかき消された。
この解釈は非常に理解しやすいですね。
なんて可愛いのでしょう。
魔理沙まじ乙女
鈍感魔女2人組www
チルノも可愛いなあ
くっそ皆可愛すぎるぞこん畜生!
これが非常に魅力的に書けていると思いました。
可愛さを伝えるのって凄い。
ありとあらゆる人妖に恋焦がれる魔理沙実に可愛いのう
やっぱり、畏れや信仰という人の思いが力になる幻想郷なんだから、恋の魔法使いの原動力は恋だと思いますよね⁉
ああもうカワイイなあ!!