Coolier - 新生・東方創想話

魔理沙の魔力

2012/11/17 19:38:30
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「ごきげんよう」

 アリスは本を探す手を止め、この図書館の主たるパチュリーに声をかけた。
 パチュリーが、この図書館共有スペースである区域にいるのは、比較的珍しい。
 普段なら、自分用の個室部屋に本を持ってこさせて、読んでいることが多いからだ。
 その上、そんな彼女が手元でなにやら道具をいじっているのだから、好奇心旺盛な魔法使いという種族としては、見過ごすという選択肢は、存在しないだろう。
 共有スペースにいるのだし、見られてまずいものでもあるまい。アリスはそう思い、肩越しから覗き込む。
 その手元を見ると、白黒魔女の道具に似た、何かを持っている。
 というよりも、そのものに見えた。

「あら、それって魔理沙の八卦炉じゃない。どうして、あなたが持っているの?」

 パチュリーは、人形使いの声に対し、向かいの椅子を指し示して見せた。
 そして、また手の中で、道具をくるくると動かしはじめる。
 アリスは、それを同席許可の意だと汲み、向かいに腰掛けた。

「魔理沙、来ているの? 見かけなかったけど」
「来てないわ。でもこれがここにある以上、気づけばすぐにでも来るでしょうね」
「ということは、レプリカなどというわけでは、ないのね」

 アリスは不思議そうな顔で、目の前の魔女の持つ道具を見つめ、考え込んだ。
 魔理沙が渡したのだろうか。理由が思い浮かばない。
 修理なら、霖之助さんに頼むはずだ。
 もしかして、目の前の魔女が、あの子から奪い取ったのだろうか。
 アリスが怪訝な視線を向けているのに気がつくと、図書館の主は声を出すのも億劫そうに、呟いた。

「あの子が、昨日忘れていったのよ。たぶんね」

 そう言って、ポーチから小瓶を取り出し、瓶の中の粉末を一つまみする。
 確かこのポーチも、魔理沙のものだ。
 パチュリーが粉を少しずつ卓に撒きながら、短い呪文を詠唱すると、青い炎が一瞬燃え上がり、すぐに消えた。
 そしてまた、八卦炉を手に取り、くるくると手の中でひっくり返したり、中を覗いたりしはじめた。

「勝手に触っちゃって、大丈夫なの?」
「もしかしたら、あの泥棒魔法使いが、意図的に置いて行ったものかもしれないから」
「というと?」
「トロイの二の舞には、なりたくないってことよ」
「なるほど、ありえなくないわね。それで、何か見つかった?」
「いいえ、特にこれと言った仕掛けの無い、ただの魔具だったわ。だからこそ……ちょっと、気になることができたわけ」

 パチュリーはふうとため息をつくと、机のメモをアリスに示して見せた。

「これが、この八卦炉の増幅効果の概算値。こっちが、あの子の魔力キャパシティの予想値ね。それらに、大気マナや、このキノコの粉末媒介の増幅効果を加えたとして……」

 魔女は指で書かれたメモの説明をし、最後にさらさらと総合値を書き込む。
 アリスは、その値を見ると、眉根を寄せて、頬に指を当てた。

「魔理沙のファイナルスパーク、いや 、マスタースパークにすら……」
「そうなの。あの泥棒魔女の魔力出力を、これらが支えているのは理屈に合わない」
「……そうね。私も前に、少し疑問に思ったことがあったわ」

 純粋な魔法使いである私でも、この魔具だけではあの威力の魔砲を放つのは骨が折れる。
 それを人間の身でありながら、やすやすとこなしている。
 それだけではない。
 前に夜が終わらない異変が起きた際、私は、魔理沙をサポートしたことがあった。
 その時の火力が、想定していたものより、遥かに強力だったのだ。

「一体、どんな原理なのかしら」
「気になるでしょう?」
「……興味深いわね」






□ □ □






 うだる様な暑さで、私は目を覚ました。
 時計に目をやると、十時を指している。
 この時間でこの暑さかと思うと、気も滅入る。
 私はいつもの様に、ぬるい汲み水で顔を洗い、歯を磨き、汗かいた衣類をかごに放り込んで、新しいものに着替える。
 髪にブラシをかけながら、天狗の新聞に目を通し、何か面白そうなことが無いか、確認する。
 比較的、ブラフを書くことが少ない数紙だ。
 とは言え、そこは天狗の新聞。誇張表現が半端ではない。
 だがそれも、無意識的にそれらを差し引いて読めるくらいには、読み慣れている。
 とりあえず、新聞には面白そうなことが起きていると、伝える記事はなさそうだ。

 金庫のダイヤルを回し、中身を確認する。
 まだ、稼ぎに回らないでもよさそうな位には、蓄えがある。
 それに、比較的高価に売れる、薬草やキノコの類の在庫もあったはず。

 人里で買い置きしてあったおにぎりと、昨夜紅魔館で貰ったスープの残りを胃に流し込む。
 そして、いつもの白黒ルックに身支度したところで、気がついた。

「あーくそ、魔法道具、昨日パチュリーのところに忘れてきたか。取りに行かないとだなぁ」

 とりあえず、今日の最初の目的地は、決まったわけだ。











 戦闘用の魔法ポーチを丸ごと、紅魔館に忘れてきてしまうとは、私としたことが、とんだミスだ。
 予備のスペルカードと、新しく用意した魔法触媒を持って、箒に跨り、紅魔館へ飛ぶ。

 まあ、これだけあれば十分だろう。
 後は、状況次第だ。

 空を仰ぐ。
 今日も、無駄に元気な太陽がそこにあった。
 この白黒の衣装は、多少魔法で冷却効果を持たせてある。
 それでも、この日差しと気温は堪えた。

 森を抜け、湖から流れる支流の横を飛んでいたとき、氷精の姿が目に入った。
 まあ、珍しいものでもない。
 私の装備も普段より貧弱だし、あえてちょっかい出すことも無いだろう。
 そう思い通り過ぎようとしたが、ふと気になってもう一度視線を向ける。

 なんだか、いつもと雰囲気が違うような。

 軽く旋回して、上空に停止。氷精に目を凝らす。

 そうか。分かった。

 あいつの頭を飾っているリボンが、いつもの大きなリボンではなく、細身のロングリボンになっているからだ。
 ちょっとした変化だが、少しでも気になったなら、確認せずには居られないのが、魔法使いというものだ。

 一直線に、氷精チルノのところに飛んでいく。

「よう。どうしたんだそれ。リボン、いつものやつと違うな」
「あ、魔理沙。リボン、遊んでたら、木に引っ掛けちゃって……今、大ちゃんが家で直してくれてる。これは、とりあえずつけておきなって、大ちゃんが貸してくれた」
「そうか」

 これはこれは……リボンひとつ変わるだけで、結構イメージ変わるもんだ。

 いつもの氷精の雰囲気と、大分違って見える。
 今つけてるリボンは、白い細身のレース生地に、小さなフリルが細かく据えられた、なんとも上品なものだ。
 リボンの違いもあるが、お気に入りのリボンが無くなってしまって、気落ちしてる様子が、また雰囲気の違いに一役かってるのかもしれない。

「チルノ、ちょっとこっち来いよ」
「え、何?」

 私は箒を近くの岩に立てかけて、土のかぶっていない岩に、足を広げて座った。
 そして、ぽんぽんとひざを叩いてみせる。

「なんなのよ?」
「どうせなら、そのリボンに合う髪型にしてやるよ。悪くはしないから、安心しろ。ほら、来いって。クシで梳くだけだから」
「えー……いいよ」
「いいから、こいって!」

 しつこい私に根負けしたのか、氷精がおずおずと歩み寄って、私の足の間に、すとんと腰を下ろした。

「うぉ!」
「うぁ!? な、何よ?」
「ごめんごめん、思ったよりお前が、ひんやりしててな。少し驚いた」
「……びっくりさせないでよ」

 この暑さに、これは非常にありがたい。
 意図してなかったが、思わぬ役得である。
 帽子の内ポケットから、櫛を取り出す。
 小さめの櫛で、常時五本はストックしているうちの一つだ。 
 実は、こうやって小さい連中の髪をいじるのが、結構好きだったりする。
 一人暮らしする前は、時折人里の女の子の髪を、こうやって樋たり結ったりしたものだ。
 小さいころ、香霖に髪をよく手入れしてもらってたのが、そうさせたのかもしれない。

 チルノの髪は、細くて柔らかい、とてもふんわりした感触だった。
 どこで寝てるかもわからない妖精である。手入れなんて、してはいないだろう。
 それでこの質感とは……少々うらやましい。
 人外を比較にすること自体が、間違いなのだろうが。

 指の間で少し遊ばせた後、顎に手を当て考える。
 せっかく、普段と違ったリボンをしているのだ。
 それにあわせる形でいいだろう。

 少しだけ、帽子から取り出した花の油を手に取り、チルノの髪になじませる。
 そして、櫛でゆっくり梳きあげる。
 痛くないように、優しく。
 お腹のひんやりと、背中の太陽の日差しに挟まれた中、のんびりした時間が流れる。







「できたぜ」

 私は、鏡を取り出して、前の氷精に渡してやった。
 気持ちもよかったのか、チルノは軽く船を漕いでいたが、声をかけるとはっと顔を上げた。
 我ながら、結構な出来栄えである。
 思いのほか、びっくりなイメチェン具合だ。
 全体的に癖っ毛だった髪をほぼストレートにして、耳の辺りの毛を内側にシャギーっぽくカールさせた。
 氷精は、目をこすりながら、鏡を見て、

「うわ!? ……これ、あたいなのか?」

 興奮したように、鏡に見入っている。
 私は鏡越しに、にやにやと笑いかけた。

「どうだ、気に入ったか?」
「ええと、なんか、あたいじゃないみたいだ。なんか変な感じ」

 口ではそういっているが、様子はまんざらでもなさそうだ。
 氷精が、頬を赤らめながら、ちらりとこちらに視線を投げてくる。
 何か、期待するような眼差しだ。

 くっそ、可愛いじゃないか……!

 ここは、期待通りの言葉をかけてやるべきだろう。
 なにより、私のメイキングなのだ。

「すっごい、可愛いぜ。チルノ」

 私の言葉に、氷精がびくりと体を震わせ、鏡を抱え込むように前かがみになった。

「う……、なんかすごい、はずかしい」
「何言ってんだ。本当のことだぜ? ほらほら、鏡もっと見てみろって」
「ううう……」
「おやー、照れてるのか?」
「ああー! もう!」

 いじりすぎたか、チルノが顔を真っ赤にして、私の足の上から、空へと舞い上がる。

「やめてよ! 恥ずかしい!」
「悪かったって。でも お前だって、その髪、気に入ったんだろ?」

 私は、ちらりとポケットの中を確認した。
 出るときに持ってきた、魔力空っ穴だった、スペルカード。
 見たところ、一枚と半分ほど、魔力が溜まっている。
 この可愛い氷精のおかげで、ある程度の妖怪なら余裕でぶっ飛ばせるくらいの、魔力が貯められたようだ。

「ねえ、魔理沙。私、もっと、おふとやかにした方が、いいのかな?」
「お淑やかか?」

 ふと氷精がそんな事を言ってきた。
 きっと、さっき私が可愛いと言ったからだろう。
 このわんぱく妖精も、女の子だということだ。

「そうだなー。別に、私はお前はいつものまんまで、いいと思うぜ」
「そう?」
「おう。でも、たまーに、そうやって私に髪いじらせてくれると、嬉しいかもな。たまのイメチェンだからこそ、より際立つってもんだ」
「うん。いいよ。また、髪いじって!」

 大きく笑う氷精をじっと見ていられなくて、視線をそらした。
 心の中で、この清楚チルノを独り占めできたら尚良いが、と付け加えた。
 私は大きく伸びをすると、話題を変えるように、氷精に言った。

「おい、チルノ。せっかくイメチェンしたんだし、気分転換に弾幕ごっこでもしないか?」
「え、弾幕ごっこ?」
「おう。大妖精を待ってるんだろ。来るまででいいし、付き合えよ」

 スペルカードをかざそうと思ったが、ポケットに戻す。
 まだ枚数が心もとない。
 もし、図書館の魔女様とやり合うとなったら、これでは少ないくらいだ。
 今回は、チルノの弾幕を受けきる方向で楽しむとしよう。

「最後にやったのはいつだったっけか。夏入る前じゃなかったか?」
「そんなに前だっけ。……そっか。わかった、やろう魔理沙!」

 何かを思いついたか、思い出したか。急にやる気になった氷精。
 私は箒にまたがると、空に舞い上がって間合いを取った。

「今回は、あまりこっちからは攻撃しない。お前の弾幕を楽しませてもらうぜ」
「わかった。そんなこと言って、後悔するなよ!」






□ □ □






 チルノとの弾幕ごっこで、高まった体温を冷ますように風を切り飛ぶ。
 日の強さは、お昼を過ぎた今くらいの時間はピークと言ったところだろう。
 だが、先程の興奮からか、あまり暑さを感じることはなかった。

 それにしても、チルノのやつ、結構弾幕の腕を上げていた。
 氷塊を湖に落とし、それから上がった水柱をそのまま凝固させ、私の行動範囲を縮める作戦は、見事だった。

「アイスケージだったか、使える場所は限られるが、詰めれば面白い技になりそうだな」

 あれを避けるのは随分と楽しかった。
 楽しいといえば、終わり間際に飛んできた大妖精の、チルノを見たときの反応だ。
 まあ、あんだけ可愛いチルノだ。
 あの反応も仕方ないというものだろう。なんせ私のメイキングだし。








 暫く飛んだあたりで、珍しいものを見つけた。
 小川の脇の、大岩が入り組んだあたりで、青髪が揺れている。
 天人、比那名居天子である。
 天人は、岩に腰を下ろし、下を流れる川を見つめている。

 あの天人とは、例の気質異変の後、2.3回酒を酌み交わしたことがある。
 しかし、こちらのことを質問するばかりで、あまり自分のことを語らないやつだった。
 そいつが、こんな辺鄙なところにいるのだ、気にもなる。

「何の用かしら?」

 私が近づくと、結構距離があるにもかかわらず、そう問うてきた。
 天人への距離を一気に詰めて、すぐ隣に舞い降りる。

「いや、それはこっちのセリフだぜ。こんな所で何をしてるんだ?」
「あら。ここってば、あなたの私有地だったのかしら」
「何か異変の前触れなら、大きくなる前に潰すのも、一興かと思ってな」

 私がにやにやと笑いながらそう答えると、天人は、困ったように溜息をついた。

「何も、怪しいことなんて、してないわ。人を待ってるのよ」
「おいおい、いったい何処のどいつを誑かしたんだ?」
「何を想像してるのか知らないけど、紫のところの藍を待ってるの」
「こいつぁ、意外な組み合わせだな」

 天人は、全く減らず口をと言いながら、肩を上げてみせた。

「結界についての相談よ」
「結界? なんでお前が」

 天人は、説明するとちょっと長くなるから、座りなさいなと言って、座っている岩を叩いた。
 私は言われた通り、隣に腰を下ろす。

「大地は常に力を移動させていて、それが溜まって爆発すると地震が起こるのよ」
「らしいな。前に見た本に書いてあったぜ」
「なら、話は早いわね。要石で押さえてはいるけど、限界がある。だから、大地震が起こる前に、定期的にガス抜きみたいな感じで、弱い地震を意図的に、起こしてあげる必要がある」
「なるほど。適度にストレス発散させてやってるんだな」
「言い得て妙ね。こないだ、小さな地震があったでしょう? あれ、私が被害が出ない所にエネルギーを誘導して、意図的に起こしたのよ。それでも、多少地形に影響が出るから、藍と大結界の補強の相談ってわけ」
「へぇ、お前が人の役に立つことしてるなんて、意外だな」

 天子はこほんと咳き込むと、少し恥ずかしそうな顔で続ける。

「まあ、前の異変もぶっちゃけ、この状況を狙って起こしたっていう、一面もあったのよ。建前では責任を取って、償いのために下界に降り、仕事するってね。おかげで、なんの手間もなく、こっちに来れるようになったわ」
「神社ぶっ壊して、紫にボコボコにされたのも想定内か?」
「あ、あれは、この郷についての勉強不足だったのよ……私だって、ここのこと好きだもの。そんな大事になるかもしれないって知ってたら、あんなことしなかったわ」
「へぇ。まあ、そんな気にする必要はないんじゃないか。やり過ぎそうになったら、管理者様が出てきて教えてくれるだろ。何か異変起こしたくなったら、遠慮なくやっていいんだぜ?」
「他人事だと思って……」
「ああ、他人事だ。楽しい事件はばんばん起こしてやってくれ。遠慮なく、首を突っ込ませてもらうから。……それにしても、あっついな……」

 話に一区切りついたのを確認すると、あたりを見渡す。
 岩による照り返しからか、ここはとても暑い。

「そうね、ここ紫のやつが提示した待ち合わせ場所なんだけど、岩の照り返しもあって、ほんと辛いのよね……意図的にここにして待たせてるんじゃないかと、疑いたくなるわ」
「ありえそうだから、困るな。……あれ、お前、汗かいてないか?」
「ん? かいてるわよ」

 天子の答えに、私は背筋がヒヤッとする。
 なんてったって、天人が汗をかくのは、死期が近いのを示すという、

「天人が汗かくのって、五衰の一つなんじゃないのか!?」
「あーまあ、そうなんだけどねー」

 目の前の天人は、なんでもないというように、苦笑する。

「下界に来てると、結構普通にかくわよ。だって、下界は穢れに満ちてるもの。その影響ね。あと、上と違って気候も穏やかじゃないし」
「全然、答えになってないじゃないか! 体、大丈夫なのか!?」
「あーえと、あと付け加えるなら、五衰を指す汗かきは、いやな臭いを発する汗の場合、よ」

 天子はそう言って、頬を掻いた。何故か、頬に少し朱が差している。
 私は安堵すると、体の力を抜いて、大きく息を吐いた。

「ったく、はじめからそう言えってんだ」
「いや、だってそんなに心配されるなんて、思わなかったし……」
「まあ、確かに天界は涼しそうだもんなあ。あんな過ごしやすいところから、わざわざこっちに来てるなんて、お前も物好きだよな」
「なら、あなたが上に行けばいいじゃない?」
「あんな、暇そうなところはゴメンだぜ」
「私もよ」

 ひとしきり笑い合うと、私はあるものを思い出して、帽子の中をまさぐった。
 中から取り出したのは、一振りの扇子。
 それを、天子の方に差し出した。

「これ、使うか?」
「気が利くじゃない。どんな風の吹き回し?」
「まあ、気にするな」

 天子は訝しげな顔で、その扇子と私の顔を見ていたが、扇子を広げると、ゆっくり煽ぎだした。
 そして、何かに気がついたように、はっとする。 

「これって、もしかして」
「そ。紫のだぜ。前にちょっとした賭けをして、その時に頂いた」
「そ、そう」
「欲しいか?」
「……別に。欲しかったら、自分で倒して奪い取るわ」
「そうか、応援してるぜ」
「ほんと、他人事だと思って」

 天子が扇で自らを煽ぐと、私の方にほのかな香りが流れてくる。
 桃のにおいだ。

 こいつ、見た目も桃なら、においも桃と来ている。
 無意識的に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
 鼓動が早まり、手の平が暑さ以外のもので、汗ばむのを感じた。

 まてまて、私は一体何に胸高鳴らせてるんだ。
 まさかこの、我侭天人にか?

 ちらりと、天子の方に視線を向ける。
 首のリボンを解き、ボタンを外して首元を煽ぐ天人がそこにいる。
 さすが穢れの少ない天界にいるだけあって、肌はびっくりするほど、透き通るような白。
 だがそれも、暑さでほてっているのか、微妙に朱が差していて、

 ……なにこいつ、えろいな。

 って、おい! ばかばかばか! 何考えてるんだ、私は! 相手はあの厚顔無恥の天人様だ!
 そうだ、あの咲夜のナイフだって通らないって言う、強靭な肉体の持ち主、むしろ妖怪寄りじゃないか。
 落ち着け、落ち着くんだ。

「よし、大丈夫だ」
「はー、涼しいわね」

 見ると、天子が自らのスカートの裾を腿の中間辺りまで引き上げ縛り、ブーツを脱ぎ去っている。
 普段はロングスカートとそのブーツで完全に隠れてしまっている足が、あられもない姿で、落ち着こうとする私の目の前に、その白さを主張していた。

「風をこんなに気持ちよく感じたのは、いつ以来かしら。天界だと暑いってこと自体が無いから、扇子なんて使ったこともなかったけど、これは必須アイテムね」

 そんなことを言いながら、腿なんかも煽いだりし始める。

 なんて、恥じらいの無い。
 私だって、多少暑くてもこの白黒ルックで、足なんて出したりなんか、しないってのに。

 そうは思っていても、その白い腿から目が離せない。

 この香りと、この見た目、いや、反則だろ。なんだこれ、おかしい。
 人間が出していい匂いじゃないだろ。ああ、こいつは人間じゃないんだっけか。

 強い直射日光と、岩の照り返し、そして高鳴る鼓動。
 なんだか、視界もぼやける。

「……ねえ、ちょっと……この手は、何?」

 怪訝そうな天子の声で、はっと焦点が正常に戻る。
 天子の視線を追うと、それは天人の太ももに伸び、その足には私の手が添えられていて。

「うっぉ、ぁぁぁあ!?」
「な、何よ!? わっととと!!」

 私は飛びのくようにして、手を引いた。
 天子も私の突然の行動に驚いたのか、扇子を岩下の川に落としそうになって、なんとかそれを手で掴む。
 いつの間にかに、天子の足に触れてしまっていたらしい。
 何も、こんなときに悪い手癖が出るなんて、自分の行動とはいえ本当に困ったものだ。
 私は、自分の手を抱え込むようにして、視線を彷徨わせた。
 天人は、目を細めてこちらを見据えてくる。

「ちょっと。突然、私の足に触れてきたと思ったら、汚いものでも触ったかのように引いて、一体何なのよ?」

 天子の声は、怒気と困惑が半々といった具合である。
 あまりにも綺麗だから、思わず触っちまった、なんて言えるものか。
 私は、わざとらしく咳払いをした。

「あー、あれだよ。前に咲夜から、お前の体にはナイフすら刺さらないとか聞いたからな。一体どんな硬さの皮膚なのかと、気になってたんだ。そんな時に、ちょうど触れやすい状態で目の前にあったから、思わず、な」

 我ながら、とっさの嘘が滑らかに出るのに、感心した。

「いやいや! 確かに戦闘中は霊力による物理結界を張ってるから、ナイフくらいは通さないけど、肌が硬いってわけじゃないわよ!?」
「そうかそうか、いや、私お前以外に、知り合いの天人もいないからさ」
「あんただって、弾幕ごっこで地面にたたきつけられたときとかの為に、魔法で物理防壁くらい張ってるでしょ。それと同じよ。強度が多少高いかもだけど」
「ああ、うん。なるほどな。普通に考えれば、そうだよな」

 何とか、この場は納められたようだ。
 ふうと大きく息を吐き出すと、胸に手を当てる。
 まだ、心臓が激しく胸を打っている。
 帽子を軽く持ち上げて、額から流れる汗をぬぐった。
 思わず、少し自分の汗を嗅いでしまう。
 特に、これといった匂いはしなかった。
 それはそうだろう、自分の匂いになど、普通は気づくものじゃない。

 だが、相変わらず天子の桃の香りが鼻腔をくすぐる。
 私は風下にいるから、たとえ匂いがあったとしても、あちらには流れていないはずだ。

 でも、もし流れていたら?

 その考えが頭をよぎると、なんとも言えぬ羞恥心が込み上げてきた。
 本人はこんなにも、良い香りを放っているのだ。
 私みたいな、普通の人間の匂いなんかは、獣くさく感じるんじゃないか。
 それならまだいい、もしかしたら嫌悪さえ抱いたりするのではないか。

 そう考えたら、止まらなくなった。
 意味不明な焦燥感が、頭をいっぱいにしていく。

「どうしたのよ急に」
「え?」

 気づくと、天子が私を覗き込むように、頭一つ分くらいの距離に身を寄せていた。
 そして、手を顔に伸ばしてくる。

「あんた、ちょっと熱でも――」
「や、やだ!!」

 思わず叫んでいた。
 座ったまま後ずさる。
 そして、後ろ手を着いた先が、空を掴んだ。
 かくんと、全身が傾く。

「ちょ、ばっか!!」

 がしりと天子に腕をつかまれ、そのまま引き寄せられ、抱かかえられた。

「危ないわね! もう少しで、川下の岩場に頭から落ちるところよ!? あんた人間なんだから、咄嗟に防壁とか無理でしょ。落ちたらただじゃ済まないのよ!」
「あ、ごめ……」

 天子に密着する体勢で、胸いっぱいに桃のような匂いを吸ってしまう。
 そして、自分のそれを考えて、顔に熱がこもる。

「は、離れてくれ!」
「何よ、助けてあげたのに、謝罪だけで、感謝はないの?」
「いや、だから匂いが!」
「におい?」

 天子は怪訝そうな目で、慌てる私を見ていたが、何かに気づいたように、片眉を上げた。

「……ああ、そういうこと」

 天人が、得心いったと言う様子で、にやりと笑った。
 そして突然、私のお腹の辺りに顔を埋めた。

「おおお、おい!! お前、何やってるんだ!?」

 私は、なんとか天子から離れようともがくが、さすが天人。
 その腕力は強大で、万力に締め付けられたように動かない。

「や、やめてくれ!」

 自分でも情けないと思うような、甲高い声を出して拒絶の意思を示すが、私の腹に顔を埋めた天人は黙したままだ。
 無理だとわかっていても、手足を動かそうともがき続ける。

「やめてくれ、……お願いだから。ねえ、お願い、だから……」

 そんなことを数分かそこいら続けて、色んな感情で高くなった体温と、上りきった血の気で、とうとう私は力尽きた。
 ぐったりと天子の後頭部に、体重を預けるように倒れこむ。
 すると、今まで抱きついたままだった天人が、上気した顔を上げた。

「んー、あっつかったあ! ふふん、あなたのニオイ、堪能させてもらったわよ。って、え、ちょっと、ウソ……泣いてんの?」

 やっぱり嗅いでやがった。このサディスト天人が。
 私の目に溜まっていた熱い何かが、頬を伝った。そんな私を見た天人が、焦ったように顔の前で手を振った。

「あー、えーと。あれでしょ。あんた、私が人間のニオイを嫌ってるんじゃないかと、思ってたんでしょ?」
「……そうだな」
「あれよ、天人の中にはそういうやつもいるにはいるけど、私はむしろ好きっていうか。ほら、土のにおいとか、草木のにおいとか。天界に無いにおいに満ちた、この下界のこと、私は大好きなのよ」
「……へぇ」
「じゃなかったら、下界になんて好き好んで来てないわ。あなたのニオイだって、もし嫌がってたら、あんなに長く嗅いでたりしないでしょ?」
「……そうかもな」
「だから、あなたのニオイも嫌いじゃないって言うか、好きって言うか……ええと、だからね……」
「……変態」
「え?」

 私は、顔をうつむかせて、言ってやった。

「嫌がる少女の股座に顔突っ込んで、悦に浸る奴を……それ以外にどう形容するんだ?」
「ま、またって……いや、お腹だし!!」
「似たようなもんだ。しかしあれだな、良かったじゃないか」
「な、何がよ?」
「今まで不良天人って呼ばれてて、嫌だったんだろ? 私が今回のこと言いふらせば、きっと皆そんな風には呼ばなくなるぜ」

 顔を伏せていて見えないが、前の天人が息を呑むのを感じたような気がした。

「きっとこう呼ぶだろうな。少女臭趣味の変態天人、ってね」
「ちょっとちょっと!? 違うの! そういうんじゃないのよ! あなたが私に対して、変な誤解をしてるみたいだから、それを解こうと、ねえ、聞いてる? ちょっと、ねえってば!」

 鼻声になった天子が、私の肩を強く揺らす。
 私は、ふうと息を着くと、顔を上げて天子を見る。そして、思わず吹き出した。
 さっきまであんなにすました顔をしていた天人が、子供のように慌てふためいている。
 目尻には、軽く涙なんかも浮かんで見えた。
 
「ああ、もう、暑っ苦しいな。いい加減離れてくれ」

 本当は、まだしばらく良い香りのする天人とじゃれたい気持ちもあったが、このくらいで手打ちだろうと、肩をすくめてみせた。

「私が嫌だって言ったのに、ずっと顔くっつけてた罰だ。まあ、言いふらしたりはしない。こっちだって恥ずかしいからな」

 それを聞いて、涙目の天人は私の肩から手を離して、へたり込んだ。

「もう、何よ! こっちは、善意でやったってのに!」
「あれがか? まったく、天人様の感性は、常人には及びつかないな」

 私がそう困ったように笑ってやると、天人は頭をかきむしるようにして、叫ぶ。

「もう、あんたなんか、嫌いよ!」
「へぇ、そうかい。……私は、お前のこと好きだけどな?」
「……え? ……ええ?」

 そう言って、呆然としている天子の胸に、顔を埋める。

「ちょっと!?」

 大きく肺いっぱいに息を吸い込んで、赤面する天人を見上げた。

「お前も言っていたじゃないか、私のニオイ好きだって。私も、お前のこの桃みたいなニオイ、好きだぜ? 美味しそうだしな」
「だああああ! もう!!!」

 天子が私を引き剥がして、肩で息をしている。
 私は、落っことしてしまった帽子を拾い上げて、かぶり直した。

「しっかし、お前のせいで、すっかりフラフラだよ」
「こっちだって、へとへとよ! もう、なんなのよ!」

 まさか、この天人とこんなに戯れあうことになるとは、思いもしなかった。
 ポケットを覗くと、案の定。持ってきていたスペルカードが、すべてフルパワー状態だ。

「なあ、天子。いっちょ弾幕ごっこしないか?」
「え、いまフラフラって、言ってたじゃない」
「まあ、いいじゃないか。さっきまで、お前さんを涙目にさせてた魔法使いを思いっきりぶっ飛ばせる、いい機会なんだぜ? 乗るだろ?」
「……うーん、そうねえ。あんまり、乗り気じゃないけど。藍もなかなか来ないし、来るまでなら……」

「あー、一応、もう来てはいるんだがね」
「「え?」」

 声の方を見ると、木陰からのんびりした様子で、九尾の狐が柔和に微笑みながら歩んできた。

「ちょ、藍、いつからそこにいたの……?」
「ん? 来たのは……魔理沙と同じ頃だな」
「え、意味わからないんですけど」

 呆然とした様子で見つめる天人に、九尾が困ったように苦笑する。

「待っていたのさ。天人殿が、そちらの魔法使いと用事があるようだから、事の長くなりそうなこちらは待つべきだ、と紫様に言われてね」
「え? だから、意味がわからないんですけど。……ちょっとまって。今、紫に言われたって、言った?」
「ああ」

 藍は、トントンと、こめかみを中指で軽く叩く仕草をした。

「今日は、天子殿と地震による結界への影響に関して、相談しようと言ってあったろう。だから、紫様も見ておられるのだよ。私を通じてね。……んん?」

 藍は何かに気づいたように、視線を宙にさまよわせて、おお、と声を上げた。

「天子殿、紫様が面白いものを見せてもらったから、扇子くらいいくらでもやる、と言われているぞ。……ちょっと、紫様何をそんなに笑っているのですか、煩いです、お静かにしてください」

 天子の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
 私は、頬を掻いた。

 まあ、私は多少、紫に対しての駆け引き材料があるから、どうにかなるかもだが、果たしてこの天人は。

「なあ、天子。藍も来たし、私との弾幕ごっこは、また今度だな」

 震える天人に、少し上ずった声で私はそう言った。
 今、この天人を相手にすると、色々まずい。

「お、もう用事は済んだのだな。では行くとするか」
「あれ、ここで結界調査してるんじゃなかったのか?」

 さっき、天子から聞いた内容と、少し違うなと思い、藍にそう声をかけてしまう。

「ああ。ここは、紫様が意地悪で指定しただけの場所だからね。私は止めたのだが……すまない。暑かっただろう。こんな茹でダコのようになってしまって……」

 藍が、真っ赤に震える天人の肩を、ポンポンと叩く。
 天子が立ち上がって、震える声で、尋ねた。

「ねえ、藍。ちょっと、紫に直接聞いておきたいことがあったの。こっちに来る時に使ったスキマ、もう一度、開いてくれるかしら?」
「ああ、そうなのか。ちょっと待ってろ、今は紫様に式を打ってもらっているから、一度開いた直後のスキマなら」

 藍がそう言うと、空間に黒いヒビが生え、パックリとスキマが開いた。
 開いたと同時に、電光石火でスキマへと入り込む天人。

「では、またな。魔理沙。今日は結構暑い。水分はしっかり摂ったほうがいいぞ」
「ああ。お前も、色々と気をつけろよ」

 私は、藍と別れを告げると、ため息をついて紅魔館へ向かって飛び立った。












 疲れた身体で、紅魔館の門前に降り立つ。
 門番が、いつものようにこちらをのんびりと見つめている。
 と思ったが、いつもより少々焦っているように見えた。

「ちょっと、魔理沙さん。なんですかその、気炎万丈満身創痍といった、よくわからない状態は?」
「ああ、ちょっとな。色々溜まってるんだよ。こんな私だけど、受け止めてくれるか?」
「なんですかその、砂袋と伴侶を同時に求めるような、言い回しは……」

 私は、ポケットからスペルカードを取り出す。
 カードがじわりと熱い。
 容量を超えた魔力が、溢れ出しているのだ。

 体は疲れていたが、魔力の方は見た目のとおり、溢れ出してしまうほどだった。
 八卦炉があれば、体の疲れを魔力で緩和させてやれるんだが。
 しかし、現状色々まずい。魔力を発散させなくては、体へ更に悪影響が出るかもしれない。

「なんですかそれ!? めっちゃ輝いてますよ!?」
「だから、言っただろう。溜まってるんだよ。な、いいだろ? ちょっと、弾幕ごっこするだけだからさ」
「そんな物騒なもの、もっと別の誰かに当ててきてくださいよ!」
「私、お前の弾幕、結構好きなんだぜ? 武術の美しさをいかに弾幕で表現しようかという縛りの中、毎度改良されていってるところとかな。しかしまあ、随分と難しい縛りを課してるもんだよ。私には真似できん」
「え?」
「ほら、昨日、お前さんが展開したやつもそうだったろ。放物線軌道のキレ、弾速の変化度合いが前の時より増してた。遠目から見たら、鋭い蹴りのようにも見えたぜ。あと一息なんじゃないか」
「ええ!?」
「弾幕ソムリエ魔理沙さんだぜ? そりゃ、わかるさ」

 門番は、恥ずかしげに頬を掻いた。

「いや、まあ。やるからには、私も楽しめるようにと、色々と工夫してるんですよ」
「うん、わかるよ。だから、一発やろうって言ってるんじゃないか」

 再度、カードを掲げてみせる。

「いやいやいや! それ、そのカード、オカシイですって! なんで魔力がカードから溢れてるんですか、どんだけ魔力込めてんです!」
「ほら、そうやってお前が、可愛い反応を返してくれるから、ますます溜まっちゃうんじゃないか。責任取ってくれよ」
「いやいや!? だから意味分からないですって! それもそうなんですが、何よりも魔理沙さんに褒められるなんて、なんだか気持ちが悪いです!」
「ひどいこと言うやつだな」

 ふと今までの自分の言動を考えて、確かに私らしくも無かったかもと思う。
 思った以上に、頭が火照っているようだ。
 早いところ、魔力発散しないと。

「ところで、今日はどういった用件で、来られたんですか?」
「ああ、昨日、パチュリーのところに忘れ物をしてな」
「そうだったんですか。では、私が、取りに行きましょうか?」
「いや、いい。自分で取りにいく。まあ、あれだ。お前の弾幕はまた次回の楽しみにしておくよ」
「……う、そうしてくれると助かるかもです」



 いつもは八卦炉で無駄に溜まった魔力を拡散させてるんだが、今はそれが無くて、溜まる一方だ。
 空のスペカ、もっと持って来ておくんだった。
 それよりも、八卦炉に頼らないと色々困るという状態の方が、問題か。
 もう少し、魔力の変換技術を勉強しないと、ならなさそうだ。

 大図書館に入ると、道具を忘れた図書共有スペースに向かう。
 昨日は、気になっていた本を持って帰らないで、その場で情報を調べて帰ったのだ。
 普段やらないようなことをするから、ものを忘れたりなんかしたのだろう。
 やっぱり私は、本の一冊でも持って帰らないと、罰が当たる運命の下にあるらしい。

 共有スペースに入ると、三人の姿があった。

 この大図書館の主パチュリー・ノーレッジ。
 因縁の人形使いアリス・マーガトロイド。
 そして、お茶を入れている小悪魔だ。
 二人の魔女の手元には、私のマジックアイテムがある。

「おいおい、それは私の道具だろ。なーに、勝手にいじってくれてるんだ?」
「あら、そうだったの? なら、保管料を頂かないとかしら」
「言ってろ。とりあえず返してもらうぞ」

 私が、パチュリーの持った八卦炉に手を伸ばすと、ひょいと引かれてしまった。

「おい。何のつもりだ?」
「そうね。保管料は、この質問の答えでいいわ」

 パチュリーは、八卦炉を手で弄びながら、私に笑ってみせた。

「調べてみたら、この道具だけでは、あなたのあの高火力を説明できないのよ。一体どんな論理機構で術式を起動しているの?」

 私がパチュリーの質問に、どう答えたものかと考えていると、隣にいたアリスも声を掛けてきた。

「私も一つ質問があるわ。前の永夜の異変のとき、私とタッチしたときに魔力が跳ね上がっていたでしょう。あれは、どうしてなのかしら」

 アリスの問いに、当時のことを思い出す。
 あの異変の時は、この人形使いが私のサポートをしてくれていたのだ。
 お互い、防ぎやすい弾幕や得意とする攻撃を分担する形で、共闘した。
 そのとき、攻撃を交代するときの合図が、相手にタッチするというものだった。

 私は、アリスの方を見て、その手に視線を移動させた。
 あの白磁のような手で、交代の度に私の首の辺りを軽く触れるのだ。
 それ以外のときも、私が攻撃をしているときは、吐息が届きそうなほど、密着する形で後ろで待機していて。

「だぁぁぁぁ! その時の話はやめろ!」
「……やっぱり、あの時、何かしていたのね?」
「そういうわけじゃないが、今はあの時の話は、やめてくれ!」

 歩み寄ろうとするアリスを、手で制する。これ以上、その綺麗な顔を近づけないでくれ。
 すると、突然後ろから肩に手が添えられた。
 そちらを向くと、小悪魔が意味深に笑っている。

「なんだ、小悪魔。私は今、とても虫の居所が悪いんだ。ちょっかい出すなら、痛い目見てもしらないぞ」
「虫の居所? 欲情のはけ口の間違いじゃないですか?」

 どうやらこの小悪魔は、私の今の状況を理解しているようだ。

「ふふ、魔理沙さんってば、かーわいい。あれですよねー、今ものすごく昂ぶっちゃってて、今にも爆発しちゃいそうなんですよね?」

 顔を寄せて、耳元で囁いてくる。

「ほら、見てくださいよ。あの人形使い。とても、寂しそうな目をしてますよ。なぜって? それは、あなたが今さっき拒絶したからですよ」

 私の首に指を緩やかに走らせる。

「手を差し伸べさえすれば、あの人形使いは、きっとその手を取ってくれることでしょう」

 接触するかしないかという距離に、頬を寄せて、妖艶に微笑む。
 上目使いで、パチュリーを示してみせる。

「ほら、あのパチュリー様の、物欲しげな顔、可愛いと思いません?」

 後ろに回りこみ、両腕で私の腰を抱きかかえるように、引き寄せる。
 小悪魔の柔らかな体が、私の背中を包み込むかのようだ。

「あなたより、遥かに長く生きている知識の王が、答えを求め喘いでいるんですよ。ぞくぞく来ません?」

 ゆっくりと、私の顔を覗き込みながら、密着させた体を前に移動させてくる。

「ね、ですから。……言っちゃいましょうよ。ほら、お二人に、ずっと秘めてた思いを告げるんで――わきゃ!」

 私は、目の前の小生意気な悪魔の頭に、手刀をお見舞いした。

「相変わらず、お前は引っ掻き回すのが好きだな。下がっていてくれ」
「いったぁ……うう、すみませんでした」

 小悪魔は、なんで効かなかったんだろう、などと呟きながら、とぼとぼと使用済みのティーカップなどを片付けはじめた。
 実の所、今の魔力暴発直前の状態でなかったら、ちょっと魅惑されてたかもしれない。
 現時点で魔力容量がいっぱいなので、単に彼女の魔力が私に干渉できなかっただけである。

 まあ、普段は色々と魔本などから身を守る為もあって、対抗呪文の防壁くらいは展開しているのだが。
 それでも、今のやり取りで、また一段と魔力が高まってしまった。

 くそ、小悪魔までいいにおいさせやがって。
 香水、一体何使ってんだ。今度教えてもらおう。

 それよりも、スペルカードの発熱具合が結構危険領域だ。
 さらに上がったら、どうなるかわからない。

「さて、パチュリー。早いところ、その八卦炉を返してくれないと、本当にどうなるかわからないぜ?」
「だ、だから言っているでしょう。これを返してほしいなら、その意味不明な魔力の正体を教えなさい!」

 魔力が暴発寸前の私に気圧されたのか、パチュリーが少し口ごもりながら、そう言った。
 いい加減、話をさっさと終わらせて、八卦炉を取り返さなくては。
 仕方なく、少し赤面しつつも、私は答えた。

「それは……私が、人間で、女の子だからだよ。……さあ、分かっただろ! さっさと、それを返してくれ」
 
 これだけ言えば、十分だろう。
 なんて恥ずかしいこと、言わせやがる。
 そう思ったのだが、目の前の先輩魔法使いの二人は、きょとんとした顔で、私を見つめている。

「何を言っているの? だから、その人間であるにも関わらず、そんな魔力を放出できる理由を聞いているのよ」
「魔理沙。そんなふうにはぐらかさないで、教えてくれないかしら。何なら、きちんと情報の対価は支払うわ」
「あー……もう」

 この二人は、私よりも何倍も生きてきた魔法の大先輩だというのに、こんなことも分からないのか。
 小悪魔を見ると、視線が合った。
 そして、彼女は困ったように、肩をすくめて見せた。
 たぶん、小悪魔は私の魔力の正体に気がついているのだろう。
 この小さな悪魔ですら、分かってるというのに、この二人の魔女と来たら。

「ダメだダメだ。お前らには、きっと分からない」

 私はそう言って、後ろに体を向け数歩進む。
 帽子をかぶり直して、ポケットからスペルカードを取り出した。
 光り輝き、魔力の霧を漏れ出させているスペルカード。
 
「魔理沙さんから何か聞きだしたいなら、こいつで、だろ?」

 私は振り返ると、二人の魔女に「恋符」を示してみせる。
 今日も、私のはち切れんばかりの恋心は、期待通りに爆発してくれるだろう。

「今日の私も、絶好調だ。二人で一気に相手してもいいんだぜ?」      

「アリス、仕方ないわ。あいつをぎゃふんと言わせて、答えを聞き出しましょう」
「ええ、仕方ないわね。あっちが、提示してきた以上、それに乗るしかないわ。やりましょうパチュリー」

 私はスペルを発動させる。
 八卦炉が無くて、収束が疎かだが、問題あるまい。
 この図書館も、この連中も、そんなヤワには出来ていない。

 大図書館を、白光が包み込んだ。













 「私は、お前らが恋しくて愛しくて、仕方が無いのさ――――!」

 その声は、爆音でかき消された。
「それじゃあ、第9回、謎魔力研究会を始めるわ。……アリス、首尾はどう?」
「こないだ、魔理沙が遊びに来たとき、髪をブラッシングしてあげて、なんとか手に入れたわ。彼女の毛髪よ」
「さすがね」
「何か、大事なものを失った気がするわ」
「未知への探求には、代償は不可欠よ」
「そうね」
「さて、私の方でも、34の魔力増幅パターンの仮定と、あなたと魔理沙の共同戦線時における謎の魔力増幅現象の方向からも、9パターンの検証してみたわ。これを見て」
「なるほど。これなんか、結構興味深いかも。私の魔力場の拡散斥力を包み込む形で、一点に誘導、そのベクトルを出力に転換か。でもこれだと、収束にかかる魔力配分に、だいぶ持ってかれて本末転倒になってしまうのではなくて?」
「そこの部分だけど、予め7の方法を仮定済みよ。内4つは検証実験も済んでいる。でも、まだあの結果には遠く及ばないわね……とりあえず、あなたが採取したサンプルで、いくつかの実験が進められるわ」

「あのー、こないだ魔理沙さんが、私は人間で女の子だからだって言ってましたよね、あれって――」

「ブラフよ」
「ブラフね」

「あ、そ、そうですよね、あはは! お茶、新しいのお持ちしますね」
(……くっそ、こいつら頭硬えな。一生、白黒魔女の魔力の源、分からないんじゃないっすかね?)










魔理沙の魔法は、ほんのちょっとの魔力といっぱいの恋心で、構成されてるんじゃないかと妄想して書きました。
楽しんでいただけたら、幸いです。
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コメント



0.4380簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
やべぇ、この魔理沙超カワイイ!!
3.90yosey削除
はちきれんばかりの恋心……いいなあ
4.80奇声を発する程度の能力削除
この恋心は良いですな
7.90名前が無い程度の能力削除
素晴らしい、焦がれ具合ですな。
8.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙の反応可愛い
11.100名前が無い程度の能力削除
かわいいな
12.100名前が無い程度の能力削除
良いね
13.100名前が無い程度の能力削除
発想もいいけど、何よりもこの魔理沙可愛い。
15.100名前が無い程度の能力削除
何この可愛い魔理沙、めっちゃよかったです。
17.90名前が無い程度の能力削除
だから恋符か。とても面白い発想でした
18.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙が一番幻想郷を謳歌している様にも見えますし、
この解釈は非常に理解しやすいですね。
なんて可愛いのでしょう。
22.90名前が無い程度の能力削除
恋の魔法は…魔理沙さんは幻想郷一の乙女です
24.90名前が無い程度の能力削除
これはとっても面白い考え方ですね
魔理沙まじ乙女
28.100名前が無い程度の能力削除
ぬかしおる
37.100ヤタガラス魅波削除
天子の素足に興奮しました!素晴らしい!
38.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです 発想がとてもすてき!
44.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙かわいいなぁオイ!魔理沙かわいいなぁ!
鈍感魔女2人組www
46.100名前が無い程度の能力削除
天子と魔理沙の行動しっくりきますね
チルノも可愛いなあ
くっそ皆可愛すぎるぞこん畜生!
49.100名前が無い程度の能力削除
みんな言ってるけど着想の素晴らしさに加えて出てくるやつみんなかわいくて最高ですた。
56.100名前が無い程度の能力削除
小悪魔に耳元で誘惑されたい!
57.100KASA削除
これはやばい! うちのタマ暴発しそう!
61.100名前が無い程度の能力削除
恋多く、愛深き女、霧雨魔理沙。少女まみれの幻想郷は、彼女の魔力補充には最高の土壌であるわけですね。さすが、あらゆる人妖神霊萌えを達成した女か。
64.90名前が無い程度の能力削除
みんなかわええのう
66.100名前がない程度の能力削除
いい。
71.100名前が無い程度の能力削除
ありそうな、日常のイベント。
これが非常に魅力的に書けていると思いました。
可愛さを伝えるのって凄い。
82.100名前が無い程度の能力削除
なるほど、恋色魔法使いとはまさにそういうことか
ありとあらゆる人妖に恋焦がれる魔理沙実に可愛いのう
84.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙可愛い
86.80名前が無い程度の能力削除
てんしまじえろい
90.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい!
106.100名前が無い程度の能力削除
うは、天子と魔理沙のからみ、最高!!
112.90名前の無い程度の能力削除
うはっ!仲間がいた(笑)
やっぱり、畏れや信仰という人の思いが力になる幻想郷なんだから、恋の魔法使いの原動力は恋だと思いますよね⁉
119.100名前が無い程度の能力削除
ずっとニヤニヤしっぱなしだったw
ああもうカワイイなあ!!
120.100名前が無い程度の能力削除
かわいいー