Coolier - 新生・東方創想話

風神太平記 第三話

2012/11/16 23:34:05
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 夜に、なった。

 十数の篝火に燃え照らされる練兵場は、はや血と鉄のにおいが濃く風を染め、人も闇も等しく通り抜けていく。

 神奈子に諏訪子、モレヤ、評定衆、それに近郷の領主たちのうちでもある程度より上の身分の者たちは、練兵場に望む廊下とその周辺に置かれた座へと席を占め、それぞれの序列に従った席次が与えられていた。

 まずもっとも上座には、やはり八坂神奈子その人である。
 篝火の明かりで揺れる自らの象徴、四つの御柱の影を見つめる様は、薄闇のなかにあってなお感慨深げと見える。「ようやくここまで来た」と、彼女は呟いた。序列の第二位、亜相として神奈子の左席を占める諏訪子が「ここから、と申すが正しきことでは」と口を入れる。

「なぁに。八坂とても、時には勝利に酔いたいと思うこともあるのだ」

 眼だけで神奈子を見ていた諏訪子は、何も言わずに視線を引っ込める。
 ふたりを取り巻くようにして配置されている人々は、神奈子と諏訪子の会話になど気づいてもいない様子であった。否、気づいていても、聞こえぬふりをしていたのかもしれない。何せ、今日のこれは出雲諏訪融和の儀礼にして、祭祀である。心のうちにどんな野心を秘めるものであれ、祭祀には厳粛さが必要なのだとその場の全員がよく理解していたに違いない。だから彼らは出雲人と諏訪人の別を問うことなく、ただ眼の前でくり返される儀礼に見入っていたのである。

「あのつるぎが、」

 と、今度は諏訪子の方が神奈子に問うた。
 ただし視線は神奈子ではなく、彼女の右席に向けられる。
 そこには、いま誰も座っていない。自らの座を温める間もなく立って行ったのは、第三位の序列とされたモレヤである。彼はいま一振りの剣を手にし、練兵場の中央に据えられた祭壇に立っていた。

「あのつるぎが、今宵、諏訪に跳梁する旧き弊どもを断ち切り、われらに光明もたらしましょう」
「ああ。そのために、あの子が居る。八坂が子、諏訪子が夫。王たるモレヤ」

 決して幅広とは言えないまでも、両刃の直刀たるモレヤの振るう剣は、諏訪子と神奈子とが期待するだけの切れ味を十二分に備えている。こんなとき、山の土蜘蛛たちと関係を築いていて良かったと諏訪子は思う。優れた製鉄と工芸の民たる土蜘蛛たちは、儀礼用の御剣をつくって欲しいという発注によく答えてくれた。儀礼で使われるつるぎは、あるいは実戦で使用されるものよりも、切れ味に優れていなければならないのかもしれない。政治的な意を示すための儀式をしくじらぬよう。供犠の獣たちの血を幾度に渡って浴び続けても、決して“なまくら”に堕さぬよう。

 モレヤの小さな身体は、今や全身が真っ赤に染まっている。
 篝火で緩和された夜の薄闇のなかであったとしても、獣たちの帰り血を浴びた少年の着物は、鮮烈なまでの凄惨さとうつくしさを伴って、その場にひるがえされていく。

 一頭、また一頭と生贄の獣が祭壇まで引き出されるたび、まるで弔詞を朗するかのごとく出雲人の神官による祝詞(のりと)が唱えられた。その厳かな歌めいたもののさなか、少年は一心不乱に獣たちの頸に刃を当て、引き裂き、その血をわが身に浴び続けていた。本来、いくさにおいて諏訪で流されるはずだった多くの血を、今こうして代わりに集めているごとく。

 噴きだした鮮血がべとりと手のひらを濡らし、肌に筋をつくっていく。
 髪にかかっていた血の珠がこぼれ落ちて、涙のように眼の端を伝う。
 それでもなお、モレヤは自らの努めを厭う素振りすら見せはしない。
 血で黒く染まった剣を布でふき取り、今日、献上された供犠の獣すべてを屠るまで、彼は祭壇の上で踊るかのごとく、不惑に刃を振るい続けた。

 十にも満たぬ幼い少年が、闇のなかで獣を屠り続けるという情景は――この場に集まった人々の心のうちに、奇妙な興奮を呼びさまさずにはいられなかった。一定の周期でくり返される祝詞の声は人の意識に対し、冗長さと同時に朧気な陶酔をじわと植えつけていく。祭壇の四囲に建てられた御柱は、諏訪人の神官たる少年と、彼のもとに横たえられた獣たちを影のうちに抱きとめ、その所行をわずかばかり覆い隠してしまう。悲鳴のような音は、モレヤの声か、それとも獣のものか。胴から斬りおとされた御頭は、祭壇の横の台へと次々に並べられ、さらなる血を滴らせて沈黙のうちに衆目を受ける。

 これは、いくさではない。
 かと言って、男女の共寝でもない。

 だがふたつの思想、ふたつの世界観が合一し、そのために流されるであろう血を儀礼のなかで再現するということは、いくさや性交のさなかにあるであろう陶酔と興奮とを、しばし夢想するためのものではなかったか。古代における祭儀、そこに現れる覆しようのない残虐さ。そういうものは、その場に参じたすべての人々に対して等しく生の痛みを思い起こさせ、自分たちが紛れもなく一類の同胞であることを、確認させるための要素ではなかっただろうか。

 ――――やがて供犠の獣は、モレヤの手によってすべて屠られた。

 見るところ、少年の顔つきは今までと変わるところがない。
 だけれど肩で息をするその様が、隠しようもない興奮と悦楽に染まっているというのは、篝火のかすかな明かりのもとで感じた、諏訪子の錯覚だったのであろうか。否、そんなはずはない。と、彼女は考える。自分とて、性(しょう)においては供犠で血が流されるを本義と望む祟りの司なのだ。わが夫たるあの少年が、血を享ける努めを厭うて何が婚儀か。今こうして供犠の儀式が行われ、そしてモレヤがその第一段階を成功させたという事実は、どうしよもなく諏訪子の心を興奮させていた。

 自分の仕事を終えたモレヤは彼は舎人たちに伴われて、しばし、場より退出する。
 身体を禊ぎ、血で汚れた着物を替えるのだ。

 人々の興奮、少しも冷めやらぬまましばし待つと。
 禊ぎと着替えを終えたモレヤが、ようやく場に戻ってくる。
 設えられた自らの席、神奈子の傍らに彼が侍ると、ようやく三人の王がこの祭儀の場に揃い踏みするかたちとなる。あらためて、参列の者たちからは感嘆の息が漏れていく。心なしか、誰もみな頭が垂れてもいるようだ。

「はるか遠き郷里よりの新発以来、つき従うてくれた出雲人たちよ」

 諏訪子とモレヤを従えた神奈子が、頃合いを見て声を上げた。
 遮るものなき闇のなかに、いくさ神の音声は矢のように突き立てられる。

「そして、わが王権に参ずること約してくれた諏訪人たちよ。今宵は、よう集まってくれた」

 おもむろに、彼女は立ち上がる。
 諏訪子とモレヤは、その場に座ったまま動かない。
 ちらと夫に眼を走らせると、モレヤは諏訪子の視線に気づくことなく、神奈子の背を追っている。彼の興奮は、未だ高まり続ける様子を見せていた。

「不幸なる行き違いにて、われらは初め、いくさにて矢と矛とを相戦わす仕儀となった。だがそれも昨日までのこと。今宵、この祀りを区切りとし、明日からは共に手を携え、諏訪の行く末を見据えて歩んで行こうではないか。いくさにて血を流すは、もはや互いに無用ぞ。流される血は、飲み干して次の糧とせねばならぬ。此度、供犠とされ屠られた獣たちの血と肉とが、そのためのものだ。人々の行ういくさに代わりて、流された血だ」

 一歩一歩、祭壇に向かっていく神奈子。
 彼女の演説のさなか、諏訪子はトムァクの姿を探した。
 諏訪豪族の代表として、今夜、この場に招かれているはずの男の姿を。

「そして、いま八坂が自らの手で肉を削ぐ神鹿の首こそが、皆の絆をより強固なものとしてくれるものであると、我は心より信じておる。わが意に従うと誓う者たちは、各々、与えられた杯を差し出せ。先ほど屠りたる獣たちの肉と、これより絞る神鹿の血が、共に杯に注がれそなたたちの口に入り、やがて骨肉に変じたときをもって、出雲人と諏訪人はまことの兄弟(けいてい)となる」

 神鹿の首は、舎人たちの手で輿に乗せて運び込まれてきた。
 それが祭壇に上げられ、神奈子の目前に据えられると、彼女はなに迷うこともなくすらりと腰の御剣を抜き放つ。艶めかしいまでの“はがね”の輝きが、血の香で塗られた夜へと踊る。

「よって今日この日こそが、われら出雲人と、そなたたち諏訪人の盟約成る日ぞ。この先の数十年数百年。いや数千年の先までも続くであろう、血盟の日!」

 宣言と同時に振り下ろされたつるぎは、真っ直ぐに神鹿の額を断ち割った。
 死してより幾日も経過しているはずというのに、まるで今さっき屠られたばかりというように、溢れ出た血液が神奈子の着物を赤く染めていく。

「存分に飲め! そして食え! われらは血と肉とを同じくする同胞だ!」

 おおッ! おおッ! おお――ッ!
 大地の底を揺り動かしたごとき大歓声が、城中を瞬く間に駆け抜けていく。
 誰も耳を塞ぐ者などない。この無秩序な快楽の叫びを聞くことこそが、この場に居ることを許されるための条件のようなものだった。切り分けられた供犠の獣たちの肉と、流された神鹿の血は序列の順に、しかし身分の別なく分配される。人数の多さゆえ、一人当たりに配られた血肉はごく少量のものだったが、それでも皆が興奮を分かち合うのには十分すぎるほどであった。誰に命じられるまでもなく、出雲人も諏訪人も、自らの杯に与えられた血肉を飲み込んでいく。これが、この夜における罪科の共有ともいうべきものであった。獣を屠ったという残虐な行為の結果を、皆が飲み込み己が血肉と成すことで、離れがたい絆を形成するという。

 久方ぶりに飲み込んだ血の味を愉しみながらも、なおも諏訪子はトムァクの姿を探していた。人の多きに紛れ、なかなか姿を捕まえられないでいる。が、あちこちと見ているうちにようやく気づく。参列者がみな神奈子に対して悦楽と快楽の歓声を投げかけているなか、……ただひとりだけ何も言わず、何も叫ばず、冷然と彼女をねめつけている男を。

 杯に注がれた血肉は、ためらうこともなく直ぐに飲み込んでしまったようである。
 唇を垂れる獣の血を拭うと、杯を手指で弄びはじめる。
 すでにあらかじめ予定されていた祭祀は終了し、神奈子も祭壇から下りてこちらにも戻って来る途中であった。各々の席に料理と酒が運び込まれ、皆が皆、今後の諏訪新政の展望や願望を口々に語り合いながら、酒と興奮とに酔い始めていた。だというのに、ただひとりだけ何も言わぬトムァクという男、やはり不気味であるように諏訪子には見えた。出された料理に手をつけず、酒の一滴も注ぐことなく、当夜の狂騒を観察するばかりである。

 少なくとも今ここで、何かの策を打とうと考えているわけではあるまい。
 だが神奈子の諏訪新政に――そして諏訪子とモレヤの婚儀に関して、潜在的にかなりの不満を溜め込んでいるであろうことは容易に想像がつく。最低限、面目だけは守られたとはいえ、トムァクがもっとも欲していた政の権は、今やどんどん遠ざかっている。自己に振りかかるかもしれない没落の運命を、受け入れがたく考えているのは当然かもしれなかった。

 だからこそ、怖ろしい。
 利と権のために、王と奉じた少年を平気で敵地に送り込んでくることのできるトムァクという男が、ただ沈黙を続けているということが。

「お見事にございました」

 兆す不安はひた隠しに、諏訪子は座に戻って来た神奈子に対し、称賛を贈る。

「私とモレヤの仕事は終わった。後は、諏訪子だけだな」
「はい。……」

 われ知らず、声が萎んでいってしまう。
 辺りのやかましさからすれば、すぐ隣に居る神奈子の耳にさえ諏訪子の声は届いていなくてもおかしくないはずであった。しかし、「どうした。不安なのか」と、彼女は確かに諏訪子の声を聞き取っていた。どう答えて良いものかとっさに思いつかず、諏訪子はただトムァクの居る方だけを見つめていた。「は、はん。なるほどな」。他の者より一回り大きな杯に注がれた酒を飲み干して、唇の端を歪ます神奈子である。

「未だに怖いのだな、あのトムァクが」
「腹のうちに何を秘めているのか解らぬ者は、いたずらに暴れまわるだけの者より、はるかに怖ろしうございます」
「その気持ちは、八坂もよう解る」

 言うと神奈子は瓶子を取って、諏訪子の杯に酒を注いでやった。
 せっかく注いでもらったものを飲まぬわけにもいくまい。
 ……思い、諏訪子は杯を唇まで持っていく。そして、酒が舌先を流れて行こうとした、そのときであった。

「良いか、諏訪子。私の言う通りにせよ。……」

 突如、神奈子が諏訪子に近づき、耳打ちをしてきたのであった。
 酒を飲む“ふり”をしつつ、神奈子の『策』とやらに耳を傾ける。
 単純なことだが、と、諏訪子は杯で顔を隠しながらほくそ笑んだ。
 宴の席においては何よりも“映える”、示威というもの。

「解ったな。では、初めのところだけは予定通りに」
「承知いたしました。最後の段になってから、“それ”を組み込む」

 誰にも見られぬように、ふたりは眼だけでうなずきあった。
 モレヤはといえば、周りのうるささなど気にも留めずに、美味そうに料理を口に運んでいる。やはり、未だ子供だ。

「皆、少し聞いてくれ!」

 しばし宴は続き、出席者たちにもそろそろ酔いが回ってきたかと思う頃。
 神奈子は杯を置いて立ち上がり、座をぐるりと見渡した。
 ついさっきまでばか騒ぎを続けていた出雲人も諏訪人も、何ごとかと思って彼女の方に顔を向ける。数十から成る赤ら顔が一斉にひとりの方へ向けられる様は、何だか壮観なものがある。

「出雲と諏訪の和合を祝うせっかくの宴にて、座興のひとつもないというのは、甚だ寂しいとは思わぬか」

 そうだー! という、無礼極まりない喚声が飛んできたような気がするが、無礼講ということで神奈子も諏訪子もとりあえず黙殺する。

「なにぶん今宵の宴は急なことにて、遊芸の徒を呼び集めるだけの暇もなかったことは、八坂の手落ちだ。許していただきたい。だが、」

 すっ、と、今度は諏訪子が立ち上がる。

「わが盟友たる諏訪子どのが、剣舞を一席、披露する運びとなっている。よろしければ、皆の興を盛り上げる助けとなると思うて、御観覧のほどを期待したい」

 おお……と、人々はしばしどよめいた。
 突然な提案に少しばかり驚いたものと見える。
 だが、決して諏訪子の剣舞というやつが、望まれていないわけではないらしい。
 いったい何が始まるんだと、場の視線は神奈子から諏訪子へ移っていった。

「だが、これにはしばし準備が要る。そのために、諏訪子どのは少しのあいだ席を外されることとなるが、その間も、皆、遠慮せずに愉しんでいてくれ」

 ははっ、と、頭を垂れた者、さっさと酒と食事に戻る者、色々であった。
 苦笑しながらも神奈子は「と、いうわけだ。しっかりやれよ」と、諏訪子に声を掛ける。わずか微笑みうなずきながら、彼女は侍女たちに伴われ、宴の席より離れていく。夜はもう、血よりも酒のにおいの方が強くなっていた。


――――――


「遅うございますね、諏訪子さまは」
「しばし準備が要ると言うたであろう。それに、そなたが斯様に急いても仕方があるまい」

 一時退席した諏訪子が戻ってくるまでのあいだ、宴はさらなる盛り上がりを見せていた。
 あちこちから歓声と罵声が飛び交い、杯の割れる音、何重もの笑い声、郷里の歌を歌う声、あらゆる音が響き渡ってくる。初めのうち料理に舌鼓を打っていたモレヤは次第に飽きてもきたのか、眠たげに目元をこする姿が見られるようになってきた。

「ん、眠いか」
「はい、少し。……でも、未だ眠りませぬ。諏訪子さまの剣舞、見届けるまで」

 夫の責務ですから、と、モレヤは呟く。
 酒くさい息で笑いながら、神奈子は眼を細めた。
 なぜか、この少年には勝てぬ気がしたのである。モレヤに諏訪子を取られたことが、今ではなぜかひとつの“さいわい”ではなかったのかと、そんな風さえ思えるときがあった。

 それから未だ少し、余興の始まりまでには時間が必要だった。
 騒がしさと静けさが周期をもってくり返されるなか、闇の向こうからやってくるはずの諏訪子を、神奈子もモレヤも待ち続けていた。

 そして。
 神奈子も小さな眠気を覚え始めてしまったときのことであった。

「おお……参られたよ」
「あれが、諏訪の神なる御方の、まことの御姿か」
「神々しきことではないか。腐っても、と申すは無礼千万だが、やはりその神威はいささかも衰えてはおられない」

 奥に近く席を占める人々から、順に感嘆と称賛の声が漏れ始める。
 おべっかなどとは思えなかった。酒は人を酔わせ、人を正直にしてしまうものだ。だから、いま人々の口から流れ出る称賛の声は、紛れもない本心からのものではないかと神奈子には思われてならなかった。

「モレヤ。モレヤ、起きぬか!」

 ちょいちょい、と、着物の袖を引っ張ってやり、神奈子はかっくりかっくりと船を漕いでいたモレヤに覚醒をうながす。あくびを隠す様子もないままに、「何ごとですか……」と少年は寝ぼけまなこ。

「そなたの妻が、戻って来たぞ」

 そのひとことに、再び閉じられかけていたモレヤの目蓋が開かれた。

「諏訪子さまが!」
「おう」
「ど、どこです」
「ほら、もう直ぐこちらに差し掛かる」

 あえて指し示してやることを、神奈子はしなかった。
 モレヤが妻を探し求める視線のまま、諏訪子に行き当たるを待つことにする。
 そして。

「お待たせいたしました」
「遅かったではないか」

 自らの座にまで戻って来た諏訪子と、何気なく言葉を交わし始める神奈子。
 モレヤは、ただ眼を白黒させながら、自らの妻を見つめることしかできない。

「どうした、モレヤ。わたしの顔に何かついているのかな」
「いいえ」
「では、なぜそうもじいと見つめる。……少し、照れる」

 とは言いながらも、顔を赤らめたのはモレヤの方であった。
 そして夜のなか、諏訪子の装いを垣間見た参列者たちもまた、彼女に対して息を呑んだ。
 剣舞に合わせて『準備』を終えた諏訪子は、絹で織られた衣装を身につけていた。袖や胸元から垂れる何本かの飾り紐は、先端に翡翠(ひすい)の飾りを揺らしている。襟は首を覆いながらも胸元に通じてわずかに緩み、その先にある少女の膨らみの影だけがほんの少しだけ窺えるようになっている。結い上げられた黄金の髪の下からは、真白いうなじがはっきりと露出していた。唇に差された紅は白粉(おしろい)色の頬との対比となり、艶めかしい光を放っている。そして露出した手首や足首は、金を加工してつくられた装身具によって飾られ、闇夜のうちにひときわ輝かしいものを与えていた。

 諏訪子は、うつくしかった。
 ここに座する人がみな、無視を決め込むなどできぬほどに。

「似合う、か……?」

 それが自分に向けて発せられた言葉であると知って、モレヤは無言にうなずきを返す。
 気の利いた口説き文句など、ひとつも知ってはいないのだろう。だが、この小さな『夫婦』が、互いに眼を合わせるだけで言葉よりも大きな交感を知ったことが、神奈子にとっては僥倖である。

「さあさ! ようやくにして役者が戻って来たぞ。皆、見ていてくれ。諏訪子どのの剣舞を」

 言うと、神奈子は自らの御剣を鞘ごと諏訪子に押しつける。
 先ほど、神鹿の額を斬った剣だ。むろん拭き取ったとはいえ、柄の部分には未だ血のぬめりが残っている。だが、諏訪子はまったくためらわなかった。むしろ、それを待ち望んでいたとでもいうように、神奈子の手から剣を受け取った。自らの腰帯に鞘を差し、すらりと闇夜に抜き放つ。

 そのまま彼女は人々のあいだを駆け抜けて、血の跡の拭われた祭壇に立った。
 一礼し、天に向けて剣尖を突き上げる。眼だけは決して、夫のもとから離さぬまま。

「始まったぞ」

 神奈子はそう言って、モレヤの方をちらと見た。

「眼を離してやるなよ。諏訪子のことが、好きであるなら」

 言われずとも、少年は少女のことを見つめ続けていた。


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