「ねえー、もう帰らない?寒くなってきたわよ」
「文句言わないの、ルナ。月も出てるし、いい夜なんだから」
「いくらいい夜でもこうも当てもなく墓場の中歩くのはさすがに飽きた」
「右に同じく、サニー。早く帰って熱燗が欲しい」
「うがー!ルナ!スター!あんたたち、それでも妖精なのっ!?好奇心よりも暖かい部屋でぬくぬくーって酒をぐいぐいなんて、まるで人間のおっさんのすることよ!」
「熱燗ー」
「おでんー」
「ええい!やめてやめてやめて!食べたくなってくるからっ!」
「認めたわ」
「ねえ、サニー、悪いこと言わないから、今日はもう帰りましょうよ。家に帰れば暖かい炬燵とふわふわの座布団、熱々のおでんにほっこりほっこりな熱燗よ」
「ぬおおおおお!」
サニーと呼ばれた妖精は、両側からステレオで響く仲間の誘惑に、頭をかきむしって絶叫した。
ついこないだまで夏だったような気もするが、もう稲刈りも終わり、夜ともなればなんとなく冬の足音が聞こえる、そんな季節である。うすら寒い夜の墓場を歩き回った冷えた体には、たまらなく魅力的。彼女が探している「お化け」は、全く見つかる気配がないし。
今晩、ルナとスターという仲間を引きつれ、この命蓮寺の墓場くんだりまでやってきたのは、とある噂話を聞いたからである。「命蓮寺の墓場にお化けが出る」と。こないだ出かけた人里のお団子屋さんのおっちゃんが、俺も聞いただけで詳しく知らない話なんだけどねえ、と笑いながら教えてくれたのだ。
正体がわかっているお化けの話なら、特に興味も持たないしコワくもない。あの博麗神社での肝試しの日にたべた、人魂で冷えた西瓜はまことに美味であった。
しかし、今回の話は事情が違う。まずもって、お化けの正体が全く正体不明。というか、「居た」という話だけで目撃証言すらまともにない。こないだの神霊騒動のときに墓場に居たという死体や唐傘お化けでもなさそう。死体の方はちょくちょくあちこちで目撃証言があるのだが、それではないらしいのだ。
お化けが「居る」という噂話だけ広がる不可解な事態、そして全く正体不明の「お化け」。この話に彼女は非常に興味をそそられた。好奇心といたずらとちょっとのお酒。それが幻想郷の妖精の燃料。かくして、一人心に火が付いたサニーは、うすら寒い墓場に仲間の二人の妖精を引きつれて、季節外れの肝試しをしゃれ込んだのである。
「だけど、見つかんないなぁ‥‥」
「いかにも“でそう”な雰囲気ではあるんだけどね」
「こうも賑やかだとねえ」
楽しそうに墓場の中を漂う幽霊たちをみて、スターと呼ばれた長い黒髪の妖精がため息を吐く。
墓場の人魂たちは、蛍のように明滅しながらふわふわ気ままに飛んでいる。彼らから怪しさや恐ろしさはまったく感じなく、むしろ楽しそうで微笑ましくさえある。“何か”が出てきそうな気配すらない。
ルナと呼ばれた金髪の妖精は、眠たそうな目で気ままな人魂たちを怨めしげに見ていた。その表情からは言外に「早く帰りたい」という気持ちがありありと見て取れる。
「ねえ、サニー。もう夜も遅いわ。一応言われるままいろいろ用意はしてきたけど」
「墓場で野宿は嫌だよ」
「むうー」
「おでんー」
「あつかんー」
「あんた達の方がお化けみたいよ!」
両腕にまとわりつく熱燗ゾンビ達を叱咤しつつ、今日はこの辺にして出直そうかなぁ、と彼女がぼんやり考えた時だった。
「‥‥っく‥・・ぐすっ‥‥」
「!」
「あつかんー」
「はんぺんー」
「しゃらーっぷ!ちょっと、静かにしてっ!なんか、なんか聞こえたっ!」
「え」
「?」
闇の向こうから、サニーは確かにその声を聴いた。すすり泣くような、小さな声を。相変わらずのルナとスターも、サニーの真剣な表情を見て口を閉じる。
「何か聞こえたって、何が」
「人魂の気配しかしないわよ」
「確かに聞こえたんだってば!静かに、静かにして、お願いだから」
「‥‥」
「何か、ねえ」
訝しげに闇の向こうをスターは見つめる。3人の妖精は、お互いに別の方向を向いて、あたりに耳を澄ます。
無音の墓場に人魂だけが乱舞する。動く者はほかに居ない。妖精たちの頬を、一すじの汗が流れ落ちる。
「‥‥うう、ぐすっ、おかぁさん‥‥」
「!」
「!」
「サニー!」
「き、聞こえたよね」
「聞こえた」
「聞いちゃった」
「向うの方よ。女の子、の声、だよね」
声の聞こえた方向を、3人の妖精は凝視する。そこには青白い闇が広がるばかりで、声の主の姿は見えない。
聞こえてくるのは、かすかな風にざわめく木々の梢の音ばかり。
「サニー」
「え」
「言いだしっぺ」
「う」
「付いて行くから、御先にどうぞ」
「ホントよね、ホントについてきてくれるのよね!」
「ほんとよ」
「うん」
「よ、よーし」
散々自分でお化けを探すと言っておいて、いざそのお化けを見つけて怖がっていたら恰好が付かないのである。後ろからしがみつくように先を促す仲間たちに押され、サニーは暗闇に向かって足を踏み出した。
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
じゃり。じゃり。
3人が踏みしめる墓場の砂利の音だけが響く。提灯とヘッドランプで照らすその先に、人影らしきものは見えない。スターがしきりに辺りを見回している。何か見つけようとしているようだ。
「ルナ、足音けして。声が聞こえなかったら、まずい」
「え、ええ、そうね」
遅ればせながら、サニーが仲間に指示を出す。音を操れるらしい、ルナと呼ばれた妖精がすっ、と目を閉じ、集中する。瞬間、3人の足元から聞こえる足音が消える。足音が消えたことを確認すると、サニーはさっきよりも大胆に一歩を踏み出す。つま先で蹴飛ばされた砂利が、傍らの墓にこつんと当った。パチっ、と硬い音が夜の墓場に響く。闇の向こうから聞こえたその甲高い音に、3人は一瞬肩を震わせた。
「音消しててもそういうことしたら無駄じゃないの!も、もっと慎重に」
「分かってるわよ!」
「ちょっと、二人とも、静かにしなさいって‥‥」
「おかあ、さん?」
『うあああああああっ!?』
突然真横から聞こえた幼い声。3人の妖精は絶叫してもつれ合い、転ぶ。ルナの集中が切れたのか、絶叫は消されることなく墓場中に響き渡った。
「あ、ああ、ああ」
「ちょ、ルナ!裾踏まないでよ!」
「ひ、ひいい、いい」
「こ、こら、ルナしがみつくなっ!」
「ふ、二人とも、落ち着きなさいって、ねえ!ほら!」
「ナンマイダナンマイダ」
「サニー!」
黒髪の妖精が、顔を青ざめさせながらもいち早く冷静さを取り戻す。いまだどたばたやっている残りの二人を何とか落ち着かせた。
「ほ、ほらよく見て」
「‥‥ようせい、さん?」
「え」
「ひい?」
「‥‥人間の女の子よ、ほら」
「‥‥へ」
「あ、足も、あるし」
3人が見つめる先には、墓の陰からこちらを除く、女の子の姿があった。年恰好は自分達よりも少し上。転んだのか、着物は木の葉まみれで髪の毛もくしゃくしゃ、前髪が顔にかぶさり口元だけが覗いている。足はちゃんとあった。あるとはいえ、その姿は闇の中ではあまりにも不気味。まるで亡霊のような有様である。
「妖精さん‥‥なの?」
「!」
「そ、そうよ!あ、あなた、こんなところで何してるの?こんなお墓の奥で。おまけに、どうしたの?その恰好!」
状態異常「恐怖」からなんとか回復したサニーが、声を震わせながら問いかける。女の子は、墓石に寄りかかりながら、何かためらう様子でまた下を向いた。そして何やらブツブツとつぶやき始める。
「あ、あのー‥‥?」
「―――!」
「ひい!」
ときどき、髪の間から目がこちらを覗く。じっとこちらを見つめたかと思えば、また下を向き、今度は土にまみれた爪が神経質そうにかりかりと墓石をひっかく。その仕草がいちいち不気味で、3妖精は少女が何か身じろぎするたびに涙目で肩を震わせつづけた。
「‥‥お」
「お?」
「お母さん、居なくなっちゃって‥‥探してたの‥‥一緒に、来たのに‥‥」
「い、居なくなっちゃったの?」
「暗く、なって、お化け、出てくるし‥‥おかあさん、どこにも、いなくって‥‥」
「ちょ、ちょっとまって、どうしてあなたはここに来たの?」
「‥‥!」
「ひい!?」
少女が突然動く。ぐっ、と顔をあげた、その口元は半開き。髪の間から黒い瞳がこちらを見つめている。サニーはまた悲鳴を上げた。
女の子はじろじろとサニーを見つめると、またうつむいた。ざわりと髪が垂れ、再び目を覆う。
「‥‥おかあさんがね‥‥一緒にいきましょうって‥‥」
「‥‥ここに?」
「うん‥‥ここなら、見ててくれる人もいるからって‥‥お父ちゃんのところに行けるからって‥‥」
「は、はひっ?」
いったい誰が見ているのだ。どこに行くというのだ。おとうちゃんてどこに居るのだ。
ここは墓場である。
「‥‥え、えーっと、それは、どういう‥‥」
「お父ちゃんここにいるんだからって‥‥さみしくないはずだからって‥‥」
「あ、あはは、そ、そうなんだ」
「苦しくないからねって‥‥」
「~~~~~!」
3妖精の背中を冷たいものが流れ落ちる。サニーは泣き笑いの表情で「もう勘弁して勘弁して」と心の中で大絶叫しているのだが、後ろからすがりつく仲間に押さえつけられ、逃げることもできない。
女の子はそんな妖精たちの心情など知る訳もなく、またぼそりと口を開いた。
「一緒にね、歩いてきたの‥‥」
「そっ、それはたいへぇんだったねぇ!?」
「一緒に‥‥あの木のところまで‥‥」
「あ、ああ、あの木?」
「うん‥‥」
所々裏返った声で問いかけられた少女は、ゆっくりと傍らの木を見上げる。見てはいけない、そう思ったが、3妖精は少女に釣られて目線をあげてしまう。‥‥夜空を背景に黒く広がる梢。その中でも太い枝から、垂れ下がる、途中で切れた縄のようなモノ‥‥
『~~~~~~~!!!!』
「あそこで‥‥おかあさん‥‥しゃべらなくなっちゃったの‥‥」
顔面蒼白で絶句する妖精たち。そこへ少女が突然、倒れ込むように飛び付いてきた!
「さみしかった‥‥おねえちゃん!」
「ひいいいいいいいい!?」
先頭に居たサニーは、否応もなく彼女に抱きしめられる!
――――ひやり。
「!?」
「あったかあい‥‥おねえちゃん‥‥あったかいんだねえ‥‥」
「ひ、ひああ、ああ」
体に伝わる氷のような冷たい体温。吐息が聞こえない。まるで石のように重たい体。恐ろしい力で締め上げる、土気色の腕‥‥!
「あ、ああああ、あな、あなた、まさか、ちょ」
「おねえちゃん‥‥ねえ‥‥どうしたの?‥‥そんなに、ふるえて‥‥」
「ひ、ひいい、いい」
「そうか‥・・おねえちゃんもさみしいんだ‥‥だからそんなにふるえてるんだ‥‥わたしと同じだねえ‥‥」
「た、たすけ、ルナ、すたあ‥‥」
「ひ、ひい」
「‥‥‥」
「そんなにさみしい、なら、さあ‥‥」
ぎゅううううう!
「むごっ!」
突然、少女が恐ろしい力でサニーを抱きしめた!
「いっしょに、いようよう‥‥いっしょに、あそぼうよう‥‥」
「ひ、ぐあ、あ」
サニーを締め上げる腕の力が、さらに強くなる。息ができない。冷たく硬い胸に、万力のように押し付けられる。
「あは‥‥おねえ、ちゃん?」
「!?」
ざわり、と首筋に走る悪寒。思わず横に振りむいた鼻先。赤茶けた液体にべったりと塗りつぶされた顔の中から覗く、半開きの一対の濁った瞳‥・・牙の生えた、口。
それらがぐわりと開かれる!
「あははははははは!」
「んっぎゃああああああああああ!」
「!」
のどが潰れんばかりの大絶叫をあげ、サニーは渾身の力で暴れて少女を振りほどく!
少女は、突き飛ばされて砂利道に尻餅を‥‥つく前に、信じられない身のこなしで後ろに宙返りして墓石の上に四つん這いで着地する!
がくり、と傾いた赤黒い顔。そこに貼りついたいた二つの瞳がサニーを見つめる。
「おねえちゃあん・・‥?」
「ぎええええええええ!」
サニーは再び絶叫すると、涙目で震えているスター、白目をむいて気絶しているルナの襟首をむんずと掴む。
「ぬああああああああ!」
青筋立てて絶叫すると、サニーは二人を引きずったまま、走り出した!
「まって、まってよう‥・・おねえちゃあん‥‥」
「いやあああああ!ごめんなさいごめんなさい成仏して成仏してえ!」
「がふっ、んぎゃっ」
「いた、いたい、さにー、ぐえ」
「ひいいいいいいい!」
引きずられる仲間の悲鳴が聞こえてくるが、サニーはそれを無視してがむしゃらに走った。
しかし、二人も両手で引きずりながらでは速く走れない。
「まって‥‥おねえちゃあん‥‥」
「!?」
ふと横を見れば、にたりと笑ってこちらを見ながら並走する、血まみれの少女の笑い顔。
「んぎょろおおおおおおっ!?」
「ずるいよ‥‥わたしの分残しておいてよ‥‥」
「んひぃっ!?」
反対側には、宙に浮かんだ真っ白い顔!
「っぎゃああああっおぶろべっ!」
涙と鼻水をまき散らして絶叫する妖精少女。足がもつれ、砂利道に転ぶ。
「んぎゃっ」
「る、るな起きて!るなぁ!」
「ひえええ‥‥」
じたばたともがく3妖精。その頭上で、ばさり、と羽の音がした。
「!」
「ひ!」
「は、はは、あああ、ああ‥‥」
地面に這いつくばり、彼女達が涙目で見上げた夜空。そこに居たのは、月を背景に黒い羽を広げた、天使――――
「お、あ、ああ」
「一人で獲物の独り占めはずるいよ‥‥わたしの分もちゃんととっておいて‥‥」
「‥‥あ、ごめん‥‥そうだったね‥‥」
「ひ‥‥!」
黒い羽の天使はばさりと羽ばたき地面に降りる。月明かりで逆光になった顔に影が落ち、赤い目だけが二つ、こちらを睨んでいる。その声は、少しだけ大人びた少女の声。獲物の取り分について、死体の少女に文句を言っている。突如現れた黒い天使。死体の少女は驚く様子もなく言葉を交わしている。‥‥なんということだろう。この墓場には彼女の他に、また別の怪物が居たのだ。しかも、彼女達は仲間‥‥!
そして、彼女達の言う“獲物”。それは、当然‥‥!
「こ、こないで、こないで‥‥」
「ああ、みんな、美味しそうな匂いがするよ‥‥わたし、もう我慢できないかも‥‥」
「わたしも‥‥なんだかお腹が空いてきたかも‥‥そうか、食べたら、ずっと一緒に居られるね‥‥」
「ひ、ひいい、あひ」
地面に這いつくばり、カタカタと震える3人の妖精。飛んで逃げたいのに、腰が抜けて立ち上がることができない。
眼の前の死体と堕天使は、じい、とこちらを眺めている。じゅる、と涎を啜る音が聞こえた。
「たべないで‥‥食べないでごめんなさいごめんなさいいいい‥‥」
「さ、さにー‥‥!」
「わ、私たち食べてもおいしくない、おいしくないってばぁ‥・・!」
必死に命乞いをするが、冷たい4つの赤い目は、動じた様子もなくこちらを見下ろす。そして、ゆっくりと、死体と堕天使は顔を見合わせた。
「‥‥ねえ」
「うん」
『たべちゃおっか』
『ひいいいい!』
二人の妖怪少女が、一歩前に踏み出した。もつれ合いながら、妖精たちは必死に体を起こし身を寄せ合う。
ざっ。
「い、いやだ、いやあああ!」
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい‥‥!」
「おいしくないいい‥‥わたしたちたべてもおいしくないいい‥‥」
「わかんないよねえ‥‥そんなこと‥‥」
「うん‥‥だってこぉんなに、おいしそうなにおいするんだもん‥‥」
「ひいいいいい!」
「そうだよお‥‥ねえ?」
「そうだな」
『!!!』
突然響いた第三の声。もう妖精たちは声も出せない。
「とてもおいしそうなにおいがする‥‥やわらかくて、ふわふわしてそうな‥‥」
ぼごっ!
『――――!』
突然、妖精たちの後ろの地面から手が生える。ぼごぼごと土が湧く。
「おいしそう‥‥」
ぼごり。
『ひ、ひいいい、ひい』
「おいしそうだぁ‥‥」
ぼごん!
震える妖精たちの目の前の地面から、さらにもう一人の死体がはい出す。がしりがしりと伸ばした腕で地面を掴み、地中から、ずるり、ずるりと‥‥
それは、神霊騒ぎの時に現れた、キョンシー!
歩く死体は腐臭をまき散らし、札の貼られた顔をがくりと傾け妖精たちを睨む。冷たく濁った赤い目が、ねらりと品定めをするようにうごめいた。
「ここで何をしている‥‥ここは我らの場所だ‥‥」
「ごめんなざいいいい!ごめんなざいいい!」
「お前たちが騒ぐから‥‥こいつらが目覚めたのだぞ‥‥死者を目覚めさせたのはお前らだ‥‥」
絶叫しながら必死に許しを請うサニー。キョンシーは煩そうにサニーに「黙れ」と告げると、佇んだままの死体少女に目を向ける。
その目は、悲しく、憐みの色を浮かべていた。
「可哀想に。お前らが来なければ、こいつらも墓の下で静かに眠ったままで居られたのだ。こんなおぞましい姿を晒すこともなかったのだ」
「ううう、うえっ、ぐすっ」
「今すぐ立ち去るなら、命だけは助けてやる‥‥」
「は、はひ、はひいっ」
「我の言うことが聞けないというなら、選ぶがいい‥‥」
「―――― っ」
「我らの仲間になってこの墓場を永遠にさまようか‥‥」
ざっ。
3人の化け物が、周りを取り囲む。足音と共に取り囲む輪が、また一回り小さくなる。
「臓物を喰い尽くされ‥‥」
ざっ。
「血をまき散らして我らの餌食になるか‥‥!」
ざっ!
「好きな方を選ぶがいい!!」
『いやあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!』
キョンシーが吠える。その声に弾き飛ばされるように、3人の妖精は一目散に空に向かって逃げて行った。その後ろ姿はあっという間に夜空に溶けて見えなくなる。
「‥‥行ったか」
「‥‥」
「‥‥」
あとには、真剣な目つきで空を見上げるキョンシーと、指をくわえてやっぱり名残惜しそうに空を見上げる死体少女と堕天使。墓場に、また静寂が戻った。
「いっちゃった‥‥」
「そうだね‥‥」
死体の言葉にぽつり、とつぶやく堕天使。
その隣から、声が掛けられる。
「‥‥ねえ、おまえたち」
「はい?」
「?」
キョンシーの少女は、ギギギと首をめぐらすと、月光を浴びて佇む二人の化け物少女を見る。
二人は首をかしげて、キョンシーの言葉を待った。
「ちょっとやりすぎ」
『えー』
***************
「くくく‥‥」
「うふふふふ‥‥」
「あははははは!」
「うお」
突然笑い始めた少女達に、キョンシーが小さく驚く。
最初に作戦を立てた墓場の横では、3人の化け物少女が勝利の快感に酔いしれていた。
「大成功!大成功だよみよちゃん!」
「ひひひひ!すごかった、すごかったあ!うまくいったねえハルちゃん!あははははは!」
「すごいなぁ、おまえたち」
「うへへへ」
芳香が感嘆の声をあげながら、額に貼られたお札の裏をちらりと見上げる。
そこには、鉛筆で書かれた“台本”が書かれていた。忘れやすい芳香に作戦(台本)を伝えるために、ハルが書いたのだ。「ここに書けばいい。いつもそうしてる」と芳香が勧めたのである。
「いやまったく。すごいぞ」
「でしょ!?ナイス脚本みよちゃん!」
趣味の小説(ラノベ)は存分に役に立ったようである。ハルに褒められたみよは親指を立てると、むふう、と鼻の穴を膨らませた。
「ハルちゃんもお化け役上手かったよお!血みどろメイクばっちし!」
「決め手は赤土ですよ。良い色がでました。ぐふふふ」
主演女優は“血まみれ”の赤黒く汚れた顔をにたりとほころばせる。足元には、泥水のたまった穴。芳香が這い出た穴に良い色の土があるのを見つけたハルは、墓場の井戸から水を汲んできて即席の血のりメイクをこしらえたのだ。宵闇の中では多少色味が違っていてもそれは立派に血に見えたようである。少なくとも、あの可哀想な妖精たちには。
ついでに、木にぶら下がっていた“ロープ”は墓場で最初に見つけた包帯である。同じように泥で汚してしまえば、立派な小道具の完成である。
「芳香さんも、超怖かった!」
「だってキョンシーですから!」
「本職!」
「おういえ」
「みよちゃんも堕天使かっこよかった!」
「リベンジ成功だよ!」
「あははっ」
腹を抱えて笑い転げる後輩たちを笑顔で眺めながら、芳香先輩は「でもねえ」と夜空を眺めてつぶやく。
「あれはさすがにかわいそうだったよ?あの妖精たち」
「そうですか?」
「あんなに泣かしちゃって。トラウマになってしまうかも」
「あたしちょっと物足りないくらいだったんですけど」
「‥‥そ、そうか」
しれっ、と言い放つみよに、芳香は引きつった笑みを浮かべ、「いいのかなぁ‥‥でも我々の使命だからなぁ‥‥」とかブツブツ言っている。
あはは、と笑い、ハルがそんな彼女に声を掛ける。
「芳香さん、キョンシーなのに優しいんですね」
「知らないのか?キョンシーの半分は優しさでできているんだぞ」
「あと半分は何なんです?」
「愛」
「どっかの英雄みたいですね」
「誇り高き戦士だからね」
そう言ってちょっと誇らしげな顔をする芳香。二人の新米キョンシーは、立派な先輩の顔を見て、「おおー」と手を叩いた。
その時だった。
「あら、随分楽しそうにしてるじゃないの」
「お!」
「へ?」
「だれ?」
闇の向こうから声が響く。ハルとみよは立ち上がって、あたりを見回した。
「二人もいるのね。上出来じゃない。いいこね、芳香」
「立派なキョンシーだぞ。すごいでしょ」
「すごいすごい」
どこからともなく聞こえてくる声に、芳香も闇に向かって返事をする。死体少女たちは声の出所が分からず、首をかしげながらきょろきょろしていた。
「ここよ」
「!」
「おおっ!?」
間近で聞こえた声に、二人は振り向く。芳香が腰かけている墓の向かい、反対側の墓石の上に、声の主がいつの間にか同じように腰かけていた。
地味な着物、青く、長く伸びた髪‥‥女性の声。
「‥‥誰?」
「なんか、見覚えある様な‥‥」
ぽかんと口を開けてこちらを見つめるハルとみよ。女性はその間抜けな顔を見て、手を叩いて笑った。
「あはは!二人とも、立派なキョンシーになったわねえ。すっかりお馬鹿になっちゃって。脳味噌腐りかけ?とっても可愛いわ」
「‥‥?」
「思い出せない?」
「‥‥あー!薬をくれたお姉さん!?」
「あら、そこまでさかのぼるのね。分からないかしら?さっき森の中で会ったじゃない」
「あ!」
ハルはそのセリフに、ようやくその女性の顔を思い出す。以前、転んだハルに薬を塗ってくれ、さっき、森の中で妖怪に子供が攫われたと言っていた‥‥
「あああ!?」
「思い出してくれたかしら」
「ハルちゃん、この人すごい美味しそうな匂いがする‥‥」
「だ、ダメだぞみよ。この人は食べちゃダメだぞ」
「えー」
ヨダレをねらりと垂らすみよを、すこし怯えながらも芳香が止める。ハルは驚いたが、思考がこんがらがってうまく言葉を出せないでいた。
―――― こないだ会ったお姉さんが、ここに居る。この人はさっきも会った。妖怪に子供が攫われたと言っていた。あれ、なんでこの人はここに居るんだろう。自分たちはこの人の代わりに子供を探すと言って、墓場に来たのだ。あれ、でも、今は私もみよちゃんもキョンシーだ。あれ、なんでキョンシーなんだろう。何をしようとしてたんだっけ。そうだ、妖精を追っ払ったんだ。この墓場を護るために。あれ?あれ?
「あー‥‥」
「あららら。あなた、よく見れば怪我してるじゃない。大丈夫?」
「え?」
混乱して、芳香のように思考停止していたハルだが、女性の声にはっと気が付き自分の体を見回す。特におかしいところはない。血に見えるものは全部自分で付けた泥だ。顔はどこも痛くないし、腕だって泥が付いてるけど大丈夫。胸も‥‥
あれ?胸に泥なんか付けたっけ?
「あれ?」
「気が付いた?そこ、穴空いてるわよ」
ぐらりと見下ろす自分の胸。そこの着物が大きく破れ、右胸がどす黒い色に染まっていた。
「妖精に抱き付いてたでしょう。あなた。突き飛ばされたときに弾でも撃ったのね、あの妖精。あーあーあー。ぐちゃぐちゃじゃないの。貫けてはいないみたいだけど」
「え?え?」
「骨、見えてるわよ」
「あれ!?」
痛みなど全然感じないのだが、言われてみれば確かに胸のあたりに違和感がある。ハルはどうしたらいいか分からず、「あー」とつぶやくことしかできない。
「ほら、手当てしてあげるわ」
女性はそういうと、腰かけていた墓石から降りて、ハルに近づく。女性のにおいを嗅ごうとして興奮するみよを、芳香が羽交い絞めにして止めている。
ばさばさと羽ばたいて「良い匂いー」とか言っているみよを横目に見て微笑みながら、女性はハルの前でしゃがんで顔を下から覗きこんだ。
「こないだの薬、あるでしょ。出して」
「あー・・・・」
ハルは服の中から缶を取り出す。女性は缶を受け取ると、その中身を人差し指で大量にすくい、ハルの胸の泥を乱暴にはたいた。
「はい。ちょっとくすぐったいかも」
「ふえ‥‥」
薬がハルの胸の穴に押し込まれる。不思議な匂いのするその軟膏が肉に触れた瞬間、じわりとその部分が熱を持った。
ざわりと全身に広がる生暖かい感触に、ハルは涎を垂らして身悶えた。
「これはねえ、死んだ細胞を一時的に甦らせて再生させる薬なのよ。細胞版の反魂薬て所かしらね」
「あー、ああー」
「ふふ、気持ちいいでしょ?」
「あー」
「貴女はキョンシーになりたてだから、まだ細胞も完全に死んでないわねえ。薬の効きがすごいわー。ほら」
「うえ」
がしりと髪を掴まれて、下を向かされた視線の先。肉が触手を伸ばし盛り上がり、すさまじい勢いで傷口を塞いでいた。ざわめく肉に見とれているうちに、あっという間に傷は無くなり、元通りのすべすべとした皮膚が生まれ、全く怪我の痕跡は無くなった。
「生きてる者にもよく効くのよ。この薬。まあ、生きてるうちは元の細胞にも再生する意思があるから、ちょっと活性化するだけでこんな派手な再生はしないんだけどねー。死んだ細胞はもうアッパッパーだから、言うこと聞かせ放題」
「せいが、説明が難しい」
「あなたに話したってわかってくれないんだもん。いつもこれ使ってあげてるのに。すごい薬なのよー?せっかく長い間研究して作った薬なんだから、誰かに聞いてもらいたいじゃない」
「そういうものか」
「そうなのよ」
ムーと唸る芳香に向かってちょいと口をとがらせる「せいが」。すっかり治った胸の傷を見ていたハルだったが、突然「あー!」と叫んで「せいが」を指さした。
「ああ、あ、お姉さん!な、どうして!」
「あら、ようやく思考がつながったかしら。薬が脳にまで回ったのかもね。‥‥うふふ。そうです。私です。私が黒幕よ。間抜けなお嬢ちゃん」
「ぜ、全部、嘘だったんですか!?妖怪も、子供の話も!」
「え、嘘じゃないわよ?だって、そこに居る芳香は妖怪だし。私にとっては子供みたいなものだし」
「あ、あなた‥‥」
「かっこよくてお馬鹿だったわねえ。『まかせて!』なーんて。笑いをこらえるので大変だったわー」
「そ、そんな」
「看板も気に入ってもらえたかしら?季節外れの肝試し、楽しかった?あ、お団子屋のおやじさんに噂を流したのも私よ。間抜けな子供が引っかかるように」
「!」
「しかしあの看板、我ながらうまく誘導できたわー。あはは。『待ち伏せ』はすごい効果があったわねえ」
「あの看板で、私達を‥‥」
「そ、芳香が居るところまで追い込んであげたの。うまく引っかかってくれたわね」
そう言って、女性は笑みを浮かべた。柔和で、穏やかな。やさしいやさしい母性を感じさせる笑み。‥‥それは今この場でするべきではない全く場違いでおぞましい笑みである。
ハルは、気丈にも、その吐き気がするほどの違和感を催す笑みを睨み返す。その目に、女性は満足げにため息を吐いた。
「あんた‥・・!」
「ああ、あなた、やっぱり強い子だわ‥‥素敵」
「何を、するつもりですか。私達を、どうするつもりなんですか」
「別に?そこの芳香と同じになってもらうだけ。私は強い子が好きなの。こないだ町であった時、ひとめぼれしたのよ。どうしても、あなた達が欲しかった」
「ほ、ほしいって、その後どうするんですか!」
「芳香と一緒にわたしのキョンシーになってくれればいいし、私の術の材料になってくれてもいいわね。大きな子供ほど良い死霊(養小鬼)ができるのよ。貴女みたいな強い子なら、どんな素晴らしい死霊ができるのかしら。楽しみー」
「し、死霊って、材料って!」
「そんな顔しないでよ。お姉さん怖くて眠れなくなっちゃいそうだわ♪」
あはははは!と女性は腹を抱えて笑った。ハルの頭に、怒りの感情が湧く。この女性は、最初から自分達をだまして、キョンシーに襲わせるつもりで、芳香さんのところまであの看板で‥‥!
「うあああああ!」
「“不許動”(動くな)」
「!」
突然、女性がハルの額に手を当て、何かを呟く。途端、冷たい衝撃が全身に走り、ハルは指一本動かせなくなった。
「が、あ‥‥」
「これで芳香とお揃いね。似合うわよ。お札」
立ちすくんだまま、全身を硬直させるハル。その額には、芳香と同じ紙の札が貼られていた。横では、みよも同じくいつの間にか札を貼られ、こちらはがっくりと脱力していた。
「お人形さんになった気分は如何?ふふふ。そんな目しちゃ怖いわ。もっと“素直になりなさい”」
「――――!」
女性の言葉が、札を通して脳味噌を貫く。何かを考えるよりも早く、ハルの抵抗の意志は消去された。
「気分はどう?お嬢ちゃん」
「動けなくてつらい」
「あら、ごめんなさいね。“動いてよし”」
途端に、ハルの体の硬直が溶ける。強張りを解いたハルだったが、もう女性に抵抗しようとはしなかった。頭を下げて、礼を言う。
「ありがとうございます‥‥」
「はい、礼儀正しいわね。さて、貴女は一体何かしら?」
「わたしは‥‥」
「“わたしの可愛いキョンシー”よね」
「‥‥はい」
「はい、いいこいいこ」
「わたしもー」
「そうそう。あなたもね」
「わたしも」
「そうね。芳香もね」
女性の言葉はみよにも届いていた。素直になった少女達。満足げにそれらを眺めると、女性は天を見上げる。そして、唾を吐いた。
「さあて、さっさとこんな汚らしいところからおさらばしなきゃね」
吐き出された唾が、空ではじける。月光に煌めくしぶきを、女性は全身に浴びる。唾が体に当たった瞬間、ぐにゃりとその姿が歪んだ。
「へんしーん‥‥」
うっとりとつぶやく女性。うつろな目でハルとみよが見つめる前で、女性の姿が変わっていく。青い髪がまき上がり、勝手に結われていく。地味な着物が青く染まり、ポンポンと飾りがはじけて付いた。どこからともなく現れた長い簪をちょいと刺し、煙のように湧いて出た羽衣を羽織る。
そこには、青白い月の光を受けて尚も青く輝く、美しい仙人が立っていた。
「おお、青娥になった」
「どう?きれい?」
「綺麗‥‥」
「すごい」
「変身というにはちょっと年齢的に違和感がぶれらっ」
「時々冴えるあなたの脳味噌がちょっと憎たらしくなるわね」
うっとりとしたセリフを吐かされる少女達と異なり、一人だけ突っ込みを口にした芳香の頭に青娥の“かんざし”が突き刺さる。「ごめんー」とぐらぐら揺れる芳香に「乙女はいつまでも乙女なのー」と青娥は頬を膨らませ文句を言うと、ぐりぐりと“かんざし”を動かした。そのたびに芳香の目玉がぐるりぐるりと右に、左に回転する。
「ぐえ、ぐえええ、目が回る目が回る」
「さて、お嬢ちゃんたち。これからいいところに連れて行ってあげる」
「?」
「いいところ?」
すぽん、と芳香の頭から異物を抜くと、青娥はにっこりとキョンシー達に笑いかけた。少女キョンシー達は、首をかしげる。
「そう。良いところよ。これからはずっとあなたたち、芳香と一緒に居られるのよ。仲良しよね?みんな」
「うん」
「仲良しだよ?」
「えへへ。仲良しだぞ」
「ずっと一緒なの?」
「そう!ずっと一緒。もうあなた達は人間じゃないの!私の可愛い可愛いキョンシーなの。美味しいご飯も暖かいお風呂も優しいお母さんもお父さんも何もないけど、そこの芳香と一緒にいつまでも死なないお人形さんで居られるの!素敵ね♪」
「芳香さんと一緒?」
「うむ!」
「やった!これでもう芳香さん寂しくないんだね!」
「わあ、こらみよ、抱き付くな」
何か、大切なものが奪われるような、そんな気持ちが二人の少女を襲ったが、それを頭に思い浮かべる前に、額のお札が爽やかに流し去っていった。ただ、貼りついた笑顔の瞳だけが、だらりと涙を流していた。どうして泣いているのか、二人にはもうわからなかった。たぶん、嬉しいからだろう。そう思うことにした。
「うふふ。では、行きましょうか。それっ」
人形たちの戯れに相好を崩しながら、青娥が指を振る。ぽんっ、と音を立てて、墓の一つがまるごと塵になった。漂う塵は形を変え、青白い門を作り上げる。
ご、と音を立てて門が開く。この世のものではない、冷たい空気がさああ、と流れ出た。瞬間、墓場中の人魂たちが、我先にと門へ飛び込んでゆく。流れる光の川のように、白く光る軌跡を残しながら。
「じゃあ、ついてきてくださーい」
青娥が、羽衣を翻して門へと足を踏み出す。芳香、みよがそれに続いた。ハルも続いて足を踏み出そうとしたが、なぜか、動けなかった。
「どうしたの?」
「‥‥」
「ハルちゃん。おいでよ。行こうよ」
「どうした?」
皆が問いかけてくる。早くいかなくちゃ。そう、想うのに、なぜか足が動いてくれない。どうしてだろう。ああ、わからない。これから楽しいところへ行くというのに。素敵なところへ行くというのに。仲良くなった芳香さんと、ずっと一緒に居られるというのに。さみしくないように、ずっと一緒に遊んでいられるというのに‥‥なんで、涙が止まらない‥‥
「う、うう、あああ‥‥」
「どうしたの?“言うことを聞きなさい”」
「!!!」
青娥の言葉が脳を貫く。途端、がくんと足が動いた。
「そう。良い子ね‥‥」
満足げな青娥の声が聞こえる。
青白い門が、近づいてくる。
ああ、光が、まぶしいな――――
「―――― 子供攫うんなら、もちっとスマートにやらんかい」
「!?」
「騒ぎすぎじゃ。のう、仙人様よ」
ぼおん!
真っ白い煙と共に、突然門が爆発した!
「ぐっ!」
「おおおおー」
4人は吹き飛ばされ、墓地の中を転がる。
「――――な、なにいいいい!」
怒りの声をあげて、青娥が門を睨む。そこにあったのは、巨大な破れ提灯!提灯は一つ目をぐるりと回すと、舌を突き出してからからと笑った。
「このっ!」
青娥が破れ提灯に向かって唾を吐く。提灯は唾を受けた瞬間、じゅうじゅうと溶けてしまった。後には何も残らない。
「わたしの術を上書きしただと‥‥!」
「ふむ。うまく行ったか。畏れ多くも道士様にちょっかい出せるとは。ははは。儂もまだまだやれそうじゃの」
「出てこい!顔を見せろ!」
「おお、おっかないの。さすが、本場の道士様じゃ」
「!」
青娥が振り向いた先には、二人の“獲物”の肩を抱く、眼鏡をかけた妖獣が一人。
「術で音は消していた筈‥‥どうして!」
「なぜここに居るって顔じゃな。あれだけ妖精どもが騒ぎゃ、いくらなんでも気が付くわい。のう」
「!」
「ははは、墓場の音は消しても、空に響く悲鳴までは消さなかったか。間抜けめ」
「まっ‥‥!化け狸風情が!お前たち!そのケダモノを殺しなさい!」
「!」
「!」
「おおう、あーあーあ。なんじゃお前ら、牙なんぞ生やして。生米でも被っとくか?」
青娥の命令を受け、牙を剥いて噛み付こうとするハルとみよを適当にあしらい、妖獣はその腕を後ろ手に固め、動けなくする。
「ううううう!」
「があ!あああ!」
「芳香!そいつを殺せ!」
「おおおおおっ!」
「むっ?」
両手を使い、身動きが取れない妖獣に、牙を剥いて芳香が飛び掛かる!
「こっちも一人じゃないんだよ!」
「!」
どがあっ!
妖獣に襲い掛かろうとした芳香を、桃色の巨大な手が叩き潰した!
「っぐ、おあ、あ」
「芳香!」
「マミゾウさん!」
叫び声と共に、ざっ、と頭巾をかぶった少女が地面に降り立つ。
「おう、一輪。助かったわ」
「雲山!絶対に離すな!」
巨大な手のひらの下でもがく芳香。何とか這い出そうと爪を立て、噛みつくが、ふわふわとしたそれは気にする様子もなく恐ろしい力でキョンシーを抑え続けた。
「入道遣い‥‥!」
「こんばんは。良い月ですね」
「!」
さらに聞こえた穏やかな声。
闇の向こうから、黒い法衣を纏った女性が歩いてくる。その姿を認めた瞬間、青娥の目が嫌悪に細められる。
「白蓮殿‥‥は、これはこれは‥‥破れ寺の連中が、こんな夜更けに墓場に何の御用で?」
「今日は随分とお墓が騒がしかったものですから。何やら嗅ぎなれない匂いもしましたし」
敵意を隠そうともせずに啖呵を切った青娥に、白蓮はあくまでもにこやかに答える。
青娥はひとつため息をついて、淑やかに背筋を伸ばし同じように笑みを返す。
「あー!そうか!腐った死体を掘り返して食べに来たのですね!そうですわねえ、あちこちから良い匂いがしますもの。どろどろに溶けた死体共の脳みそは啜ると美味?あー、さすが妖怪寺!」
「黙りなさい。我々はともかく、死者を蔑むような発言は許しませんよ」
青娥のセリフに、白蓮は笑顔のまま、静かながらも恐ろしい声を青娥に叩きつける。
邪仙は蛙の面に小便とばかりに、おちゃらけた声を出す。
「あらあら。道徳心篤いことで。私には理解できませんわー。冷たいタンパク質と脂肪の塊に、一体何を期待しているんでしょうね」
「ここは生きている者が死者を想う場所。形に意味はありません」
「うへぇ、抹香クサい話。あー、やだやだ」
「では、そういうあなたはなぜこんな抹香クサい場所に居るのでしょうか」
「言わなくてもわかってるでしょ?」
「言いなさい」
「‥‥そこの子供たちがこんなところで遊んでて。怪我してたから、キョンシー化して一時的に保護しようと思いまして」
「白々しい嘘を言うな!」
一輪の怒号が飛ぶ。青娥はニヤニヤと笑いながら、白蓮だけを見ていた。
白蓮はあくまでも笑顔のままで、静かに口を開いた。
「嘘なのですか?」
「さあ?でも証拠はどこにも有りませんわねぇ。嘘と言う証拠も、誠だという証拠も」
べろりと舌を出してニヤリと笑う青娥。立ち姿はしゃきりとして瀟洒だが、その態度と表情からは、全身全霊で「嘘です」という言葉を表しているようにしか見えない。
白蓮がふう、とため息をついた。
「‥‥誠に愚かで、大逆不道である」
「は!不道!傑作ね!知ってるわよ!あなたのことは!魔界に落とされた魔法使いが不道を口にするの?あはははは!」
「き、貴様!姐さんを愚弄するか!」
「一輪待て!」
「!?」
思わず飛び掛かろうとした一輪の足元から、白い煙がまき上がる!マミゾウの声で慌ててたたらを踏んだ彼女だったが、片腕が煙に触れた。
もぞっ!
「うああああ!?」
「ばーか」
煙を浴びた袖に、びっしりと貼りついていたのは大量の毛虫!黒くうごめくそれらはわしゃわしゃと音を立てて一輪の衣服をむさぼっていく!
雲山が、主の窮地を察し、手を伸ばそうとする!
「だ、だめ!雲山動くな!」
「ほれ!」
ぼおん!マミゾウの一声で、毛虫たちは南京豆に姿を変え、地面にぼたぼたと落ちる。あわてて飛び退く一輪だったが、雲山を制する気が緩んだその一瞬のすきをついて、芳香がはい出し、青娥の元へ駆け寄る。
「せ、せいがぁ‥‥」
「ああ、腕が折れたわね。泣きそうな顔しないで。すぐに直してあげるわ」
「させません」
「!」
「超人『聖白蓮』」
「乱暴な尼公だね!」
殴り掛かる白蓮の拳に向かい、青娥はかんざしにしていた鑿を構え、それを打ち抜こうと――――
「マミゾウ化弾幕十変化」
「!?」
突如現れたマミゾウの分身達に、青娥は全身を抑え込まれる!
「な、なにいい!」
「卑怯と言うなよ。これも戦術じゃからな」
「この、狸めがあああああ!」
「覚悟っ!」
「――――!」
聖の拳が、青娥の整った顔に向かいまっすぐに打ち込まれる――――その瞬間、青娥がにたりと笑った!
「!」
「次は負けないんだから♪」
どがん!
「!!」
「うわっ!」
爆発音とともに、青娥の体がはじけ、あたりに肉片をまき散らす!至近距離で受けた白蓮だったが、何とか無傷だった。しかし、生身の人間であれば、高速の骨片と質量のある肉片を受け、ただでは済まなかっただろう。
「‥‥」
「――――あはははは!妖怪寺のみなさーん!味わって食べてね!仙人の肉よ!邪仙のだけど!あははは!」
「うわっ!ぺっ!く、臭い‥‥」
「うへー。えげつないのう。まだ狸の方が上品じゃないのか、あれ」
だんだん消えていく青娥の楽しそうな声。それが響いてくる夜空を忌々しげに見上げて、ぺっ、とマミゾウが口に入った肉片を吐き出す。砂利の上で、それは見る間に砂に変わった。
向こうからは、臓物まみれの白蓮が静かにこちらに歩いてくる。白蓮は気にした様子もなく片手で衣服を払う。途端に、こびりついていた肉片はマミゾウの時と同じように砂に姿を変え、彼女の服から流れ落ちた。
「あ、姐さん‥‥」
「わたしは大丈夫。腕は大丈夫ですか。毒は受けてない?」
「は、はい」
「ありがとう。一輪。マミゾウさん」
「おうよ」
「あなた達も怖かったでしょう。さあ、帰りましょうね」
言うなり、白蓮はいまだ牙を剥いて唸る二人のキョンシー少女の札を握る。瞬間、真っ黒い煙を出して札は霧散した。
「あ‥‥」
「ここ、あれ‥‥」
「お、気が付いたか」
「よ、芳香さんは!?芳香さんは!」
「おおっ?」
邪仙の呪縛を解かれた二人は、途端にあたりを見回して暴れ始めた。
「こ、こら、どうしたんだお前たち!」
「ダメだよ!芳香さん!また一人だよ!可哀想だよ!」
「芳香さん、芳香さん!」
泣き喚く二人の頭を撫でながら、一輪が心配した様子で問いかける。
「ねえどうしたの?芳香さんって誰?」
「わあああ!」
「あのキョンシーじゃろ。居なくなっとるな。仙人が連れて行ったか」
「芳香さん!芳香さん!」
「やだよ!まだ一緒に居るの!芳香さんはずっと寂しかったんだ!私達が一緒に居てあげなくちゃ!」
「あんたたち‥‥」
「一輪。退いてください」
「あ、は、はい!」
困惑の表情を浮かべる一輪。そんな彼女の肩に手を添え、白蓮は二人の少女の前に立つ。
「あああ!うああああ!」
「一緒に、一緒に‥‥」
「喝!」
『ぐっ!』
必死に泣き叫ぶ二人の心臓に加わる掌底の一撃。流れ込む霊力に強制的に心臓が動き出すのを感じながら、二人の意識は暗転した。
***************
あほー、とカラスが鳴いている。
「やっかましー!」とみよが羽をばさばさ言わせながら怒鳴った。
人里の、とある民家の屋根の上で、二人の不良少女が空を見上げて大の字に寝転んでいた。
「むー」と唸りながらみよが茅葺き屋根の上に倒れ込む。そしてブスリとした顔で呟いた。
「芳香さん、どうしてるかなぁ」
「さあねえ」
ぼんやりと答えたハルは舌で歯先をなぞってみる。牙はもうなくなっている。
「もう私達のこと忘れてるよ、きっと」
「そうかなぁ」
「キョンシーだもん」
「うーん」
みよはなんだか残念そうにまた唸りながら、黒い羽を目いっぱい広げて伸びをした。晩秋の昼間の太陽は、ぬくぬくと優しく体を温めてくれる。
あの夜、保護されたハルとみよは一晩命蓮寺にて白蓮の魔法治療、マミゾウの神通力を受け、なんとかキョンシーから人間へと生き返ることができた。あまりにも仮死状態が長かったため、何らかの後遺症が残るかもしれないと危ぶまれたのだが、どうにか二人は目立った障害もなく回復することができた。二人が命蓮寺でもらった桃に法力があったとか、ハルが邪仙の薬を使ったからとか、みよは稲穂(生米)のお守りを持っていたからとか、外野は色々と想像していたが、二人にはあまり関係なかった。そんな暇なかったのだ。‥‥復活したのもつかの間、待っていたのは涙目の両親の拳骨と抱擁だったからである。
「まだ痛いなぁ」
「おかあちゃん怖かったなぁ‥‥」
みよがぞっとした顔で目を閉じる。気性が荒いことで有名なハルの父ちゃんの雷も相当だったが、それにも増しておっかなかったのはみよの母親だった。繰り返すようだがみよの母親は鴉の妖獣である。かんかんに怒り、黒い羽を広げ、逃げ惑う娘に飛び掛かるその姿は、誰がどう見ても猛禽類。周りの大人たちはみよの羽がむしられる前に、傷だらけになりながらなんとか母親を止めたのだ。「死体なんかに良い様にされて!腕の一つでも千切って持ってきな!アタシの血が流れてるんでしょ!次は必ず仕留めてきな!じゃないとアンタを晩御飯にするよ!」という過激な台詞も飛び出したが、それは人間の父親が必死になだめて訂正していた。
「ねえ、ハルちゃん」
「なあにみよちゃん」
「くっやしいねえ」
「‥‥そうだねえ」
ぶー、と頬を膨らますみよ。ハルはちょっと戸惑ったが、みよに同意する。何に対して悔しいのかはよくわからない。でも、なんだかモヤモヤするこの気持ちは多分悔しさである。
「次はまけないんだから」
ぼそりと、ハルは呟く。「そうだね」とみよが同意した。それはあの邪仙が最後に残して行った台詞。にたりと笑いながらそのセリフを放った彼女の顔は、なぜか楽しそうだった。そう見えた。
「よおし、決めた!」
「うお?」
ハルが勢いよく立ち上がる。みよは友人の突然の大声にびくりと体を震わせた。
「特訓ですよ、みよちゃん。このままあの仙人にやられっぱなしで良い訳ない!次は負けない、あの女、ぶっ倒す!」
「う、うえ、ち、ちょっと、倒すって、どうやって?無理じゃないの?あの人、すんごい術使ってたじゃん!」
ハルの乱暴な性格は絶対オヤジ譲りなんだろうな、と、あの夜に雷と拳骨を落としていたハルの親父さんを思い出しながら、みよは困惑して問いかける。
「どうやって、って、決まってるでしょ!この世界にゃ丁度いい決まりがあるでしょ!」
「決まりって、‥‥弾幕ごっこ!?」
「いえす」
弾幕ごっこ。ひ弱な人間と妖怪が同等に勝負できるよう定められたもの。博麗の巫女さんや、霧雨の魔法使い、紅魔館のメイドさんや守矢の風祝さんは、人間でありながら、その勝負で幾多の妖怪を退治していると聞く。ただ、生身の人間で妖怪と張り合う者はそうそういない。せいぜい霧雨の魔法使いが有名なところである。博麗や守矢の巫女さん、メイドさんは、あれはちょっと別次元。結界護ってたり、半分神様だったり、時間止めたりするのはちょっとまねできない。
「私達にできるの?」とみよがつぶやく。しかしたくましい友人は、そんなの屁でもないとばかりに気勢を上げた。
「弾幕ごっこだって、がんばりゃできる。空だって飛べる!あの妖精他さん達だって弾幕つかえるんだ。いい?みよちゃん。特訓だよ。いつか私らもスペルカード使って、あの邪仙に復讐するんだ。それでもって‥‥」
「で、‥‥で?」
「芳香さんを奪う。私たちの物にする!」
「わーお‥‥」
ここまで考えがぶっ飛ぶとは思っていなかったみよは、ぽかんと口を開け、こぶしを握る友人を眺めていたが、やがてニヤリと笑うと、すっくと立ち上がって友人の手を取った。
「よーし、やろう、ハルちゃん。あの仙人ぶっ倒して、芳香さんをゲットしよう。今度は負けない。あのキョンシーさんを連れてこよ!」
「おう!」
かくしてここに新たなる幻想武闘派少女の卵が誕生した。彼女達が邪仙を打倒せるようになるには、まだまだ越えなければならないハードルは数多いだろう。しかし、そんなことで怯んでいてはいけないのである。ここは幻想郷。常識に囚われていてはいけないのだから。
「こらあ!てめえら謹慎中だろうが!だったらそれらしくしおらしくしてろ!」
『へーい!』
すごく心配そうな顔をしながら娘に怒鳴るハルの父ちゃん。二人の少女はニヤニヤ笑いながら返事をした。哀れなるかな、彼女達の親御さんの心労は、まだまだこれからも続きそうである。
幻想少女の宵闇特攻隊は、今ここに結成されたのである。
***************