Coolier - 新生・東方創想話

安楽と少女

2012/08/28 19:51:07
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「たまには、月夜の遊覧飛行なんてのも、悪くないだろう?」

「……そうかもしれないわね。」

「素直になればいいのに。ほら、あいつだったら、こんなにも月が紅いから、本気で飛ばすわよ、なんて言うんじゃないか?」

「きゃあっ! ……いきなり速度を上げないでよ。振り落とされちゃうじゃない。」

「それなら、もっとしっかりつかまってるんだな!」

 空に浮かぶ満月の光に照らされて、2人の魔女が1本の箒で空を飛んでいる。正確にいえば、1人の人間と1人の魔法使い。そして、箒を操っているのは人間の方だ。

「魔理沙、お願いだから、安全運転で頼むわよ。」

「大丈夫だって、この程度のスピード、天狗にとっては子どものお遊びみたいなもんだ。」

「あなたは人間でしょう。妖怪の感覚に対抗するなんて、身の程を知りなさい。」

 魔理沙と呼ばれた人間の少女が不敵な笑みを浮かべ、直後に箒が急加速する。突然の挙動に戸惑いつつ、パチュリーは魔理沙の服をつかむ手に力を込める。両手でしがみついているせいで、速度に耐えきれなかった帽子は既に空の彼方にとばされてしまっている。

「人間の器だからって理由で、自分の限界を決めたくはないな。」

「だったら、あなたも正式に魔法使いになればいいのよ。たった二つの魔法を覚えればいいだけの、簡単なクラスチェンジよ。」

「虚弱体質の魔法使いに言われても、説得力に欠けるな。」

「失礼ね。私は、ちょっとだけ喘息持ちっていうだけよ。」

「ったたた!? 急に力を込めるなよ。っていうか、わざとやってないか?」

「しっかりつかまれって言ったのは魔理沙の方よ。私は言われたようにしただけ。」

「……そんなに元気があるなら、もっと飛ばしても大丈夫だな。」

 もはや、遊覧飛行とは言えない速度で夜空を駆けるシルエット。遠目から見る者がいたならば、小さな流れ星とでも思ったかもしれない。
 夜空を駆ける流れ星。実際のそれが辿る運命は、大気の摩擦で燃え尽きるか、極稀に地上に激突するか、いずれかであるという。

「……けほっ。」

「パチュリー?」

「あ…… いや、だい…… けほんっ。」

「もしかして、喘息の発作か?」

「けふっ、ん、だいじょうぶ。だ、かはっ、ら―――」

「まずいな、調子に乗って飛ばし過ぎたか。おい、しっかりしろ、どこか、休めるところを―――」

「―――まりさ、まえ、あぶな―――!」

「まえ?―――!」

 慣性の法則。運動する物体に力が加わらない場合、その物体は等速直線運動を続けようとする。魔理沙は、自分達が高速で運動している事を忘却していた。パチュリーの身を案じて視線を後ろに回せば、当然、前にある物体には気がつかなくなる。速度を緩めることなく二人が衝突した物体が、葉が生い茂った大木であったことが、不幸中の幸いと言えるだろう。だが、彼女達がその場で意識を取り戻すことはなかった。





「……ここは?」

「パチュリー様! ようやく、意識が戻ったんですね!」

パチュリーが意識を取り戻したのは、紅魔館内部、図書館の一画にある自室のベッドの中だった。パチュリーの視線の先には、涙でくしゃくしゃになった顔の小悪魔が立っていた。

「良かった…… このまま目が覚めなかったら、なんて、悪いことばっかり考えてしまいましたから、本当に、良かった。」

「私は…… どれくらい、意識が無かったのかしら。」

「私たちが、大木の下で倒れていたパチュリー様を発見してから、ちょうど、30日になります。」

「……今日は、満月の日ね?」

「はい。前回の満月の日に、お出かけになったまま帰らないので、何かあったのではと思って探しに行ったら…… 青ざめた顔で倒れているお二人を発見した時は、私も血の気が引きました。」

「二人―――」

 跳ねるように身体を起こしたパチュリーだったが、すぐに前かがみになって咳き込んでしまった。小悪魔が駆けよって身体を支える。荒い呼吸をしながら、パチュリーは問いかける。

「魔理沙…… 彼女は、無事なの?」

 質問を聞いた小悪魔の表情が険しくなる。小悪魔は質問には答えず、ゆっくりと視線を横に移動した。パチュリーが後を追うように視線を向けると、パチュリーの物とは違うベッドがあった。彼女の視線は、その中で眠る少女を捉えていた。

「魔理沙―――!」

 身体を起こして近付こうとするが、思うように力が入らない。自分の身体をもどかしく思いながら、それでもパチュリーは必死に手を伸ばしていた。身体を支えていた小悪魔も、その様子を見て静かに身を引いた。
その刹那、魔理沙の身体に変化が起こった。いや、パチュリーが変化に気付いたというべきか。彼女の眼は、魔理沙の身体が透けて行く様子を捉えていた。消える、というよりも、何かに溶け込んでいる。彼女は、そう認識した。

「魔理沙!? ……これは、何? どういうこと?」

 パチュリーは目の前で起きている事を理解できず、パニックになりかけている心を繋ぎとめるのが精いっぱいだった。魔理沙の透過現象は止まることなく、今まさに、視界から消えようとしている。伸ばした手が触れようとした時、再び、パチュリーの視界は、白い光に包まれた。




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「―――魔理沙っ!」

 紅魔館内部、図書館の一画にある自室のベッドの上で、パチュリーは跳ね起きた。茫然として周りを見渡すものの、魔理沙はおろか、小悪魔の姿すら見当たらない。状況を分析した結果、彼女は一つの結論を導き出した。

「……夢、ね。」

 呪文を唱えるかのように、彼女は呟いた。頭に鈍い痛みを覚える。背中に貼りつく布地の感触で、自分が汗をかいていることに気づく。湿り気に対して嫌悪感を覚えつつ、彼女は身支度を整える。
 淡い紫のローブに身を包んだ彼女が次にとった行動は、夢占いの本を探すことだった。膨大な蔵書の図書館の中で一冊の本を探すことは、普通なら気の遠くなるような作業のはずだが、彼女は慣れた足取りで歩を進め、一つの本棚の前で足を止めた。目的の本を手にとってページをめくる。

「実績を隠す、無かったことにする、対象の相手との別れ等、負のイメージが強い。一方で、すっきりする、問題が解決するという意味もある、か……」

 本に記述された内容を咀嚼し、改めて自分の言葉として口にする。

「……やっぱり、夢は夢。迷信に振り回されるなんて、私もどうかしてるわ。」

 自嘲交じりに溜め息を漏らす。本を元の場所に戻して、彼女はいつもの場所、読書用の机が設置してある場所に向かって歩き出す。彼女が、その後ろ姿を心配そうに見つめる眼差しに気づくことはなかった。





 風水学では、大地の気の流れを龍脈、気が吹き出る場所を龍穴と呼ぶという。広大な図書館の一画。魔道書が発する魔力が集中する場所。まさに龍穴と呼ぶにふさわしい場所で、パチュリーは本を読んでいた。本からは知識を、場からは魔力を吸収し、練り上げられたフレーズを書に認める。そうして積み上げられた記録が、新たな魔道書として保管されていく。彼女は、そして、この図書館は、そうやって成長してきたのだ。
 本をめくる音だけが響く場の中に、コツ、コツ、という音が加わった。足音と思しきその音は、徐々にパチュリーの場所に近付いて来る。やがて、メイド服を着た一つの人影が、仄かな灯火に映し出された。

「紅茶をお持ちしました、パチュリー様。」

 人影はそう言って一礼した後、ソーサーを置き、続いてカップを置いた。そのまま、流れるような仕草でティーポットを手に取り、静かに中の液体をカップに注ぐ。その間、パチュリーは本から視線を逸らすことはなかった。
 ゴールデンドロップの波紋がカップに拡がったタイミングで、ようやくパチュリーは人影に声をかけた。

「ありがとう、咲夜。」

 依然として視線は本に向けたままだったが、その言葉は確かに人影に向けられたものであり、人影も、それを聞きとることができた。しかし、パチュリーは気づくことができなかった。人影が、その表情をわずかに変化させたことに。

「……失礼します。」

 そう言い残して、人影は足早に去って行った。相変わらず、パチュリーは本から目を放そうとしない。机の上に置かれたカップから立ち上る蒸気が、周囲に甘い香りを漂わせている。地下にあるせいで通気性が悪い図書館は、普段は少々カビ臭い。紅茶は、飲み物としての役割よりも、アロマテラピーに似た役割を果たしていた。
 そのまま忘れ去られるかと思われた一杯の紅茶だったが、幸いなことに、本来の役目を果たす時が訪れた。どこからともなく現れた細腕がカップを持ちあげ、静かに傾ける。再びソーサーの上に置かれた時、カップの中身は半分ほど減少していた。

「人の物を勝手に奪う者を、一般的には泥棒というのよ。」

 パチュリーが、細腕の主にむけて声をかける。

「私は、ただ置かれているだけの紅茶を飲んだだけだ。誰にも飲まれないまま冷めてしまうよりは、紅茶のためになっただろう。」

 そう言って、細腕の主、魔理沙は再びカップに手を伸ばす。この時になってようやく、パチュリーは読んでいた本を閉じた。伸ばした手を制し、自らがカップを持ちあげると、そのまま口元に運んだ。唇を湿らせる程度に紅茶を流し込み、そっと元の場所に戻す。

「この紅茶は私のもの。」

 静かな口調で、パチュリーは魔理沙に告げた。パチュリーの表情は、少々目を細めてはいるものの、相手の行為を非難するような感情を見せてはいない。喜怒哀楽で言えば、楽に近い、穏やかな表情を浮かべていた。
 対する魔理沙は、パチュリーの傍らで立ったまま、小さな笑みを浮かべている。しかし、その笑みは、悪戯心を内包したものだった。魔理沙はパチュリーに一つの質問を投げかける。

「パチュリー、私がどっちの手でカップを持ったのか、知っていたのか?」

 突然の質問に、パチュリーは動揺することなく答えを返す。

「えぇ、知っていたわ。」

「そうか。なら、知っていた上で、わざと同じ側の手でカップを持ちあげたんだな?」

 続けざまに質問を投げかける魔理沙だったが、パチュリーも即座に対応する。

「えぇ、その通り。」

「ほぅ……」

 魔理沙は少し考え込むような仕草をして、改めて、パチュリーに問いかけた。

「間接キス、って、知ってるよな?」

 魔理沙の表情は、例の笑顔に戻っていた。間接的に気付かせるのではなく、直接、決定的な単語を投げかけることで、パチュリーの動揺を誘おうとしたのだろう。だが、魔理沙は既に気づいていた。この試みは失敗であり、パチュリーは動揺などしていないと。穏やかな表情のまま、パチュリーは答えを返した。

「もちろん、知っているわ。……つまり、魔理沙は、今、私が魔理沙とカップを通して間接キスをした、と言いたいんでしょう。」

「あぁ、その通りだ。なのに、不思議だな。動揺した様子が微塵も感じ取れない。」

「簡単なことよ。種明かしをするなら、間接キスは成立していないんですもの。」

 思いがけない答えに、魔理沙は首をかしげる。

「そんなことはないだろう。たしかに、カップで口をつけた場所は同じ場所だった。」

「私は、ただ唇を湿らせただけ。わずかな時間では、間接キスは成立しない。」

 魔理沙は思わず吹き出してしまった。動かない大図書館と呼ばれるほどの知識の少女が、まるで子供みたいな言い訳を平然と、しかも涼しい顔で返してきたからだ。幼稚な言い訳を真剣に語るのは、感情を隠している証拠だ。しばらくの間、図書館の中に一人の少女の笑い声が響き渡った。

「私をからかおうなんて、100年早いのよ。」

 笑いが治まってきた頃合いで、パチュリーは魔理沙に釘をさすように告げた。笑いの余韻が残る魔理沙は、緩んだ表情のまま返事を返す。

「それじゃあ、次はもっといい方法を考えないとな。さすがに100年は少しばかり長い。」

 魔理沙の言葉を聞いて、パチュリーの表情に影が落ちる。何かを言いたそうに口を動かす姿を見て、魔理沙が声をかける。

「……どうした? 何か、言いたいことがあるのか?」

「―――あ、いや、なんでもないわ。」

 訝しげな表情を浮かべた魔理沙だったが、すぐに笑顔を取り戻す。

「パチュリーがそう言うなら、なんでもないんだろうな。……それじゃあ、今日はこれくらいで失礼するよ。」

「もう? いつもより早く引き上げるのね。」

「おや、寂しいのか?」

「……ばか。」

 パチュリーに背を向け、魔理沙はその場を離れる。暗闇に溶け込み、姿を視認できなくなるまで、パチュリーは魔理沙の後ろ姿を見つめていた。

「そういえば、今日の魔理沙は本を持っていかなかったわね。」

 ふと、夢の事を思い出す。夢の分析結果の中にあった、問題が解決するという意味。本を持ちだされるという悩み事が解決するという読み替えをしたパチュリーは、頭を振って考えを捨てる。きっと、見えないところで本を漁っている。自分自身に、そう言い聞かせて。

「……明日は雨かしら。」

 それでも、珍しいこともあるという感覚は拭いきれなかった。カップの中には冷え切った紅茶が残っている。パチュリーはさっきと同じ仕草でカップを持ちあげ、残った紅茶を飲み干す。カップを戻して本のページをめくる。その手つきがもどかしかったのは、緊張の糸を張る必要がなくなったせいだろうか。その問いに答える者は、その場には存在しなかった。




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「私、もしかして、嫌われちゃったのかな。」

「そんなことはないと思いますよ。表情には出さないようにしているみたいですが、魔力の流れが乱れていますから。感情を堪えるのに必死だったのでしょう。」

「……笑顔を向けてくれるだけでも良しとすべきか。私としては、真っ赤になって騒ぎ立てる姿を見てみたかったんだがな。」

「あまり負担をかけないでくださいよ。例の夢のせいで、精神的には相当な負荷がかかっているんですから。」

「やっぱり、そういうことは感じ取れるものなのか?」

「……勘、ですよ。悪魔の勘。」

「勘って…… まぁいい、そういうことにしておこう。しかし、夢の負荷が大きいということは、また、あの場所に行ったということか。」

「はい。何度目になるでしょうか。夢占いの本を熱心に読む姿を拝見したのは。最近になって、その頻度も上がってきたように思えます。」

「……夢は夢であるべきなんだ。だから、そう言い聞かせる為の手は尽くしているのに。」

「そろそろ、ということなのでしょう。環境の変化は止められません。」

「あぁ。だが、もう少しだ。悪夢にとらわれる日々は、もう少しで終わる。」

「悪夢、ですか……」

「どうした?」

「いえ、想い人と過ごす夢は、はたして悪夢と呼ぶべきなのかな、と。」

「中身にもよるさ。例の本にも書いてあるだろ。別れを暗示するものだって。想い人との別れなんて、心地いいものとは言えないな。」

「えぇ、ですから。」

「あぁ。」

「必ず、完成させてください。例の術式を。私も、出来る限りサポートをするつもりです。」

「頼む。だが、無理はしないでくれ。今の私にとって、依り代のお前にくたばられるのは痛いからな。」

「悪魔の契約は、思っている以上に固いものです。ですから、その点での心配は不要ですよ。」

「……一つ、聞いてもいいか?」

「どうしたんですか。急にあらたまって。」

「お前は、私があいつと仲良くしているのを見て、何の感情も湧いてこないのか? 私がいなければ、あの場所は、お前とあいつ、二人の物になるんだぞ。」

「何をおっしゃいますか。もう、お二人の様子を長いこと見せられてきたんですから、慣れてしまいましたよ。それとも、私がお二人の仲に割り込むことを望んでいるとでも?」

「いや、そういうことじゃないんだが、お前が本当にそれでいいのか、確認しておきたくてな。」

「本を読むときにも、私と話をするときにも見せない優しい笑顔を、あなたと一緒の時には見せるのです。そんな様子を見せられたら、私は身を引かざるを得ません。きっと、それが、あの方にとって、一番の安楽なのだと、私は考えます。」

「……わかった。悪かったな、答えにくいことを聞いてしまって。」

「私は、あなたが思っている以上に、あなたを信用しているということですよ。」

「なんとも、高く見られたものだな。」

「安く見ていないというだけです。所詮、あなたは人間なんですから。」

「元、な。」

「そうでした。」

「……月が綺麗だな。」

「……はい。」




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 紅魔館で開かれる宴会の中でも、レミリア・スカーレットの誕生祭は特別なものである。特別といっても、宴会の主役の演説が夜通し続く事以外は、他の宴会と変わらない。非番の妖精メイド達が、飲んで、騒いで、こっそりと愚痴を言い合う。主の耳には届いているが、無礼講だと言って笑い飛ばす。要は、主の懐の大きさを見せつけるためのイベントでもあるのだ。
 運悪く今日の担当になった妖精メイド達は、普段の倍以上の労働を強いられる。単純な仕事量の他に、紅魔館の宴会には、館の住人の他にこっそり紛れ込む輩がいるのだ。妖精メイドからグラスを受け取ったパチュリーは、リボンのついた三角帽子のシルエットがないかと周囲を見回していた。

「魔理沙は…… 来てないのかしら。いつもだったら、呼んでもいないのにいつの間にか混じってるのに。」」

 期待していた姿を見つけることができず、心なしか、その表情も暗い。代わりに聞こえてくるのは、宴の主役が張り上げる演説の声である。

「思えば、この地で暮らしてきた年月、実に様々なことがあった。定期的に異変を起こす輩がいるおかげで、退屈することはそうそう無い。そういえば、今年で何歳だったか…… まぁ、どうでもいいわ。今宵は、存分に楽しみなさい。」

 演説の内容は、大抵このようなとりとめのないことの繰り返しだ。思いついたことを口にして、話が続かなくなると参加者を鼓舞する。それでも、なんだかんだで本人が一番楽しんでいる事を、パチュリーは理解していた。しかし、妖精メイドたちにとってはマンネリな時間が流れるだけにすぎない。

「ねぇ、あの話、さっきもしてなかったっけ?」

「そうね、確か、これで5回目よ。」

「違うわ、これで6回目。ちゃんと数えてたんだから、間違いないわ。」

「……なんでそんな律儀に数えてるのよ。」

「こういうことでもしてないと、今晩は乗り切れないのよ。」

 愚痴を聞き流されるのを知ってか知らずか、言いたい放題である。正直なところ、目的の相手が見つからないせいで、パチュリーも退屈に感じていた。せめてもの暇つぶしにと、妖精メイド達の会話に聞き耳を立てる。

「そういえば、聞いた? 例の噂。」

「えぇ、最初は信じられなかったけど、一度や二度の事じゃ無かったんでしょう?」

「……実は、私、見たのよ。自分自身の目で。」

「本当? 図書館の中って暗いのよ。見間違えじゃないの?」

 図書館というフレーズに、パチュリーが反応する。話の内容をはっきりと聞きとれるように、こっそりと集団に近付く。

「ほんとだってば。確かに、あれは噂の幽霊だったわ。あの姿、なんとなく見覚えがある気がするのよね。……良く見ようとして、瞬きしたらいなくなってたけれど。」

「ほら見なさい。やっぱり見間違えよ。」

「私は嘘だけはつかない主義なの。あなたも図書館で張り込んでいれば見れるはずよ。」

「館の裏に墓地があるでしょう? もしかしたら、そこから……」

「もうやめて! 私、そういう話は嫌いなの!」

「あら、そうだったの? それじゃあ、もっと詳しく―――」

「いい加減にして!」

 集団の中の一体が、耳をふさいでがくがくと震えている。幻想郷では幽霊など珍しい存在であるわけではないはずだが、やはり怖いものは怖いということなのだろう。いや、この場合は、不気味であるというべきか。
 聞き耳を立てていたパチュリーは小さな溜め息をつき、そっとその場を離れる。妖精ほどではないにしろ、彼女も、少しばかりの不気味さを感じていた。そもそも、そのような噂があったこと自体、初耳だったのだ。しかも、彼女自身に、噂にあるような幽霊を見た覚えが無い。宴会場を離れて、館の裏にあるという墓地に向かう。
 だが、彼女の判断は早計だったといえよう。少なくとも、妖精メイド達の会話を最後まで聞いていれば、違う判断をしていたかもしれない。

「……わかった。私も調子に乗り過ぎたわよ。」

「覚えておきなさい。いつか、この仕返しをしてあげるから。」

「ところで、図書館といえば―――」

「まだ幽霊の話を引っ張るつもりなの!?」

「いえ、違うわよ。図書館の魔法使いの事。」

「パチュリー様の事? ……あぁ、そういえば、最近また例の病気が出てきたとか。」

「病気といっていいものかどうかは知らないけれど、至近距離で、しかも声をかけられているのに相手を認識できないなんて、どうかしてるわ。」

「読書中は本から目を離さないとはいっても、ねぇ。」

「……うふ、うふふふ。」

「突然どうしたのよ、気持ち悪い。」

「だって、いくら間違えられたとはいっても、なんだか光栄だなって。」

「それって、まさか―――」

「そうよ。間違えられたのは私。つまり、メイドの作法を日々鍛錬し続けたことが、ようやく報われたってことよね。」

「何を見当違いのことを。あなたなんか、あの人間の足元にも及ばないわよ。」

「……そうよね。言ってみただけ。やっぱり敵うわけないわよね、あの人間には。」

「……もう、いないんだよね。」

「あれから、どれくらい経ったっけ。そういえば、その頃からじゃない? パチュリー様の病気が出始めたのって。」

「そうだったっけ? 確か、博麗の巫女が代替わりした頃には、噂が広まってたと思うんだけれど。」

「なんにせよ、パチュリー様も気がふれだしたってことでしょう。地下にこもると、みんな狂っていくものなのかしら。」

「こら! いくらなんでも言いすぎよ。そんなこと、誰かに聞かれたら―――」

 妖精メイド達は慌てて周りを見渡す。しかし、彼女達が怖れる『誰か』の姿はどこにもなく、ほっと安堵の溜め息をつく。そして、再びとりとめのない会話が始まる。
 彼女達は気付かなかった。一羽の蝙蝠が、音もなく飛び去ったことに。




=======================================================================================================




 パチュリーは混乱していた。目前にある石碑には、彼女が良く知る人物の名前が刻まれている。だが、彼女の記憶の中には、目の前にある事象を説明するための知識が存在しないのだ。自らの知識と、現在進行形で突きつけられる知覚の狭間で、彼女の精神は揺らいでいた。

「―――どういうこと?」

 答える者はいない。宴の場から離れているためか、辺りは静まり返っている。何度も繰り返して、石碑の文字を読み返す。当然、文字が書き変わることはない。
 足元がふらつき、がくりと膝をつく。無防備に衝撃を受けたせいで、発作的に咳き込む。胸元を抑えて呼吸を整えようとするが、思うように調子が戻らない。彼女が冷静さを取り戻すには、長い時間が必要だった。

「―――パチュリー様。」

 背後からかけられた声で、ようやく我に返る。振り向いた彼女の視線の先にいたのは、悲しそうな表情を浮かべた小悪魔だった。

「宴会を抜け出して墓発きとは、ネクロマンサーにでもなるつもりですか?」

 非難するでも、気を配るでもない、無感情の言葉が投げかけられる。

「死霊魔術には興味がない。それよりも―――」

 動揺を抑えようとしているためか、パチュリーは普段よりも強い口調で小悪魔に話しかける。

「これ、レミィは知ってるのかしら? こんな悪ふざけ、さすがに黙って見過ごすわけにはいかないわ。」

「悪ふざけ、と、申しますと?」

「あなた…… 目の前にある物が見えてないわけじゃないでしょう?」

 石碑を指さして、パチュリーが叫ぶ。

「なぜ!? この石碑に、咲夜の名前が刻まれているのよ!?」

 紅い月に仕えし人間、十六夜咲夜、主の下にて永遠の眠りにつく。それが、石碑に刻まれていた文字だった。小悪魔は石碑を一瞥するものの、表情は変わらない。さも、それが、そこにあることは当然だと言わんばかりの視線を、パチュリーに向けている。

「驚かないわね…… 話しなさい。あなたが知っていることを。」

 小悪魔は無言のまま石碑に近付き、そっと手を触れる。静かに目を閉じたのは、死者への礼儀ととるべきか。石碑を背に、パチュリーと向き合った小悪魔の目には、何か決意のようなものが込められていた。

「話す前に、確認しておきたいことがあります。」

「……何かしら。」

「パチュリー様は、この石碑を見るのは初めてと言いきれますか?」

 パチュリーは即答しようとする。しかし、なぜか言葉が出てこない。自分の記憶、知識、それらが出したはずの答えが、全く同じものによって否定されるような、矛盾めいた感覚に支配され、ただ口を震わせるだけだった。

「答えてください。この石碑に、見覚えはありますか?」

 小悪魔の言葉が、脅迫めいた力を持ってパチュリーの心を締め付ける。パチュリーは両手で頭を抱えてうずくまる。思考の苦しみの渦中にある彼女の心は、発狂寸前だった。一瞬のためらいを見せた後、追い打ちをかけるように、小悪魔が言葉を発した。

「……パチュリー様は、この石碑を初めて見たはずです。しかし、見覚えがある。正確に言いましょう。この石碑に文字を刻んだ者こそ、パチュリー様なのです。その証拠に、長い年月、風雨に晒されたはずの石碑の文字は、一片たりとも欠けてはいない。パチュリー様が、墓標が傷つくことの無いようにと、損傷を防ぐ魔法をかけたからです。」

 淡々と告げる小悪魔の言葉の全てを、パチュリーの聴覚が捉えることはなかった。自身の拠り所となる知識。その一部が否定されている。パチュリーは、自らの中にある空白の部分に囚われ、完全に我を失っていた。
 目から何かがこぼれる感覚があり、ぼやけた視界が戻ってくる。目の前にある地面には、小さな湿り気がある。地面に四肢をついたまま、弱く、力の無い口調で、パチュリーが呟く。

「わからない…… わからないわよ。」

 それが、彼女が出すことができた結論だった。もはや、結論と言って良いものではない論理の帰着。彼女に救いがあったとすれば、初めとは違い、その言葉に応える者がいたことだろう。ふいに、彼女を包みこむ2本の腕。顔を上げると、涙を浮かべた小悪魔の顔が目に入った。

「記憶が知識を繋ぎあわせたものであるならば、今のパチュリー様には、目の前の現実がわからないのは当然のことです。」

 さっきとは違い、優しい口調で小悪魔が声をかける。憐れみとも取れる感情が、その言葉には含まれていた。小悪魔は、強くパチュリーを抱きしめ、ゆっくりと身体を起こす。追うようにして身体を起こしたパチュリーに、さっきと同じ、決意のようなものが込められた視線が向けられていた。

「パチュリー様、これから話すことは、パチュリー様にとっては辛い事実です。そのうえで、話を聞くことを、知ることを望みますか?」

 一瞬のためらいの後、パチュリーは頷く。パチュリーの決意を確認した小悪魔は、静かに語り出す。

「……妖精メイド達の間で、ある噂が広まっています。一つは、図書館の幽霊について。パチュリー様がここにいるということは、先程の宴会で、その噂が耳に入ったからでしょう。」

「えぇ。幽霊といえば墓地。妖精メイド達もそう言っていた。」

「残念ながら、噂の幽霊と墓地は関係がありません。むしろ、パチュリー様がその噂を知ったのが、先程の宴会中だったという事の方が重要なのです。」

「関係がない? それに、噂を知ったタイミングが重要って―――」

「妖精メイド達の中で、もう一つの噂が広まっています。パチュリー様が病気であると。具体的にいえば、症状が出始めたと。」

 パチュリーの言葉を遮るように、小悪魔が発言する。露骨な態度に、パチュリーは訝しげな表情を浮かべる。

「私の病気? 喘息のことなら、今に始まったことじゃないわ。でも、症状が出始めたというのは?」

「もう、心当たりがあるのではないですか? 初めて見るはずなのに、見覚えのある石碑。それこそが、答えなのです。」

「……まさか―――」

「パチュリー様。あなたは、記憶の一部を失っています。」

 パチュリーの身体が震える。可能性の一つとして、考えることはできていた。それでも、ありえないことだと、あってはならないことだと、必死で自分に言い聞かせることで、それを結論とする事を避けていた。小悪魔の言葉は、目を背けていた現実を突きつけるものだった。

「数日前、一人の妖精メイドがパチュリー様の所へ向かいました。なんということはありません。ただ、紅茶を淹れる為に訪れただけです。彼女はその役目を果たしました。その時、パチュリー様は彼女にこう声をかけたはずです。ありがとう、咲夜、と。」

 パチュリーは記憶を手繰り寄せる。紅茶を淹れに来た人影。交わした会話。小悪魔の語る言葉は、自分の記憶と一致している。ただ、一つの事柄を除いて。

「……妖精メイド?」

「はい。事実、今回の噂の発端は、その妖精メイドです。本来なら、私が口止めをしているべきだったのですが、その日は別な事情があって、処理が間に合いませんでした。ともかく、パチュリー様は妖精メイドを咲夜と呼んだ。このことは、パチュリー様が、咲夜さんが既に死んでいるという記憶を持っていない事を示す物です。」

「確かに…… この石碑を見た時に、私は自分の記憶を疑った。これまでの話の通りだとすれば、咲夜は既に死んでいて、私の行動は妖精メイドに怪しまれるのは当然のこと。でも、どうしても理解、いや、納得できないことがある。」

 身体の震えに抵抗するように、パチュリーは声を張り上げる。小悪魔は表情を変えず、むしろ、投げかけられる声を受け止めんとするがごとく、パチュリーと向かい合っている。

「小悪魔、あなたは、私がこの石碑の文字を刻んだと言ったわ。だったら、なぜ私にその記憶が無いの。……表現を変えましょう。私から記憶を奪ったのは誰? そんなことをして得をする者は誰なの?」

「パチュリー様、その表現は間違っています。記憶を奪ったのではありません。記憶の基となる知識。その一部を封印しただけですよ。」

 そう言って、小悪魔は一冊の本を取り出した。本の扱いは手慣れているはずだとはいえ、その動きはあまりにも滑らかで、まるで、何度も繰り返してきた行為のように、パチュリーには見えた。

「安心してください。すぐに、苦しみから解放して差し上げますから。」

 本を開いて、パチュリーに近付く小悪魔。突然の豹変に、パチュリーは身構えることも忘れて立ちつくす。もう、あと一歩で手が届く程に距離を詰められた頃になって、ようやく身を翻す。

「嘘、よね?」

「怖いですか? 身構える必要はありませんよ。少々、詠唱には時間がかかりますが、痛みを感じるのはその間だけです。喩えるなら、生まれ変わったような感覚が残るだけですから。」

 そして、小悪魔は静かに言葉を紡ぐ。それが詠唱だと気付いた時には、パチュリーの頭に鈍い痛みが走っていた。頭を抱えてうずくまるパチュリーの前で、小悪魔は詠唱を続ける。

「―――抵抗しないでくださいね。無駄に苦しむだけですから……」

 小悪魔の目の前では、パチュリーが目を見開き、息を荒げている。明らかに抵抗している様子が感じ取れるものの、詠唱を止めようとはしない。むしろ、その速度は加速している。

「わかってください。これ以上、私も、その姿を―――」

 小悪魔が何かを言いかけた時、一羽の蝙蝠が飛来して本を弾き飛ばした。思いがけない衝撃を受けて、小悪魔は後ずさる。蝙蝠は、まるでパチュリーを守るように、小悪魔とパチュリーの間で羽ばたいていた。

「なぜ、ここに……?」

 よろめきながら、小悪魔が呟く。視線の先には既に蝙蝠の影はなく、代わりに淡い紅色のドレスを纏った少女の姿があった。

「なぜ、って、墓の前で荒々しい真似をされちゃあ、心地いいものじゃあないからね。」

 少女は小悪魔に応えると、さっと身を捻り、パチュリーに笑顔を見せる。

「それに、友人を痛い目に合わせようとするのだって、黙って見過ごすわけにはいかないでしょう。」

 紅魔館の当主、レミリア・スカーレット。この場にいる筈のない存在を前にして、小悪魔は動揺する。パチュリーは、何が起きているかを把握しきれていないようで、何度も瞬きを繰り返している。

「ほんっと、勘弁してよね。せっかくの宴会の日にこんな騒ぎを起こすなんて。」

「レミリア様…… わざわざ、宴会を抜け出してまで、様子を見に来たと?」

「そんなもったいないことするわけないじゃない。私は、今も宴会を楽しんでいるよ。」

「一体、どういう―――」

「フランに出来て、私に出来ないことはないでしょう。」

 その言葉と共に、レミリアの姿が二つに分かれる。

「まぁ、分身する毎に力は落ちるみたいだけどね。むぅ、なんだか悔しいわ。今度、美鈴相手に特訓でもしてみようかしら。」

 分かれた姿は、すぐに一つに戻る。力が落ちると宣言していながら、なお余裕のある態度に、小悪魔は戦慄する。レミリアは地面に落ちた本に近付き、おもむろに取り上げると、パチュリーに向かって放り投げた。急な出来事に焦りながらも、パチュリーは本を受け止める。

「それで、黒幕は誰? あなただけで、パチェをこんなに出来るわけないでしょう。」

「それだけは―――」

「言え。」

 レミリアは、小悪魔の言葉を遮り、強烈な威圧感を浴びせかける。選択肢はない。行動の自由など与えない。ただ命令に従うことだけを要求する姿。小悪魔は足元が覚束なくなり、がくりと膝をつく。

「……白黒。」

 震えながら、小悪魔はそれだけを口にした。それと共に、レミリアが発していた威圧感は消える。軽やかに身を翻し、棒立ちになっているパチュリーに近付く。

「何やってるの。とっとと行きなさい。」

「……え?」

「え? じゃないわよ。行って話をつけて来なさいって言ってるのよ。どういうつもりでこんなことをしたのか。力ずくでも聞き出してきなさい。」

 戸惑いながらも、パチュリーは頷く。受け取った本を抱えて、白黒というキーワードに当てはまる人物の家にむけて空に飛び立つ。
 パチュリーの姿が見えなくなってから、レミリアは大きく溜め息をついて小悪魔に近付く。思わず目をつぶり、肩をすくめた小悪魔が感じ取ったのは、頭に置かれた手のひらの感覚だった。

「あなたも、辛かったでしょう。」

 思いがけない言葉をかけられ、緊張の糸が切れた為か、小悪魔が堰を切ったように声を上げて泣き出す。

「もっと早く行動してれば良かったんだけどね。そうすれば、こんなことが起きるたびに一々パチェの知識を封印するなんて、損な役回りを続けることも無かっただろうに。」

 嗚咽を懸命に堪え、小悪魔が口を開く。

「……レミリア様は、どこまで御存じなのですか?」

「ほぼ全て知ってるはずよ。そうね。遊覧飛行の日から、と言えば、話が早いかしら。」

「では、さっきのは―――」

「ブラフってやつね。まぁ、あの場でパチェにさりげなく伝えるためには、ああするしかなかったからね。」

「……生への執着を捨てるという感覚を味わいました。」

「私に黙ってこそこそ動いてるからよ。紅魔館で起きた出来事で、私に隠し通せることなんて無いわ。……咲夜だったら上手くやったかもしれないけれど、あなたごときが策を弄するなんて、身の程知らずにも程があるのよ。」

 レミリアは小悪魔の頭から手を離し、石碑の方へ歩いていく。石碑の目の前で立ち止まり、そっと目を閉じる。黙祷を捧げた後、身を翻し、改めて小悪魔に向き直る。

「それにしても、よくこれだけの時間を騙しとおせたわね。いや、騙しとおせた気になっていた、かしら。咲夜は逝っちゃうし、博麗の巫女も代替わりした。ただ、そんな中で生き残っている者がいる。……ふふ、これも違うわね。」

 レミリアは軽く咳き込むと、言葉を続ける。

「精神の形で残っている者がいる。そして、それが、あなたの協力者なんでしょう?」

 小悪魔は息をのむ。非難の言葉ではない。純粋に、疑問を問いかけるだけの言葉。だが、決して答えを偽ってはいけない言葉。小悪魔は、慎重に言葉を選んで返答する。

「いいえ、レミリア様、それは違います。」

「ほう? というと、どういうことだ?」

「その者の協力者が、私なのです。」

 自信に満ちた視線を向けて告げる小悪魔の姿に、レミリアは一瞬だけ面食らう。だが、すぐに軽いため息をつき、言葉を返す。

「そう。でも、今更どうでもいいのよ、あなたたちの詳しい立ち位置なんて。要は、あなたとそいつが関係しているってことをはっきりさせることが重要だったんだから。今の言葉で、全てがつながったわ。」

「そうですか…… 出来れば、パチュリー様に真実を告げるのは、計画の完遂直前が理想だったのですが、こうなっては仕方ありません。ギリギリ、誤差の範囲内です。」

「それなのよね。どうして、あなたたちはパチェにそれほどまでに事実を隠そうとしているのか。いくら考えても、それだけがわからない。」

「パチュリー様が協力すれば、計画の完成も早まるでしょう。しかし、それでは上手くないのです。出来る限り、周りに知られないように、計画を進める必要がありました。特に、博麗の巫女の耳に入るようなことだけは、絶対に避けなければなりませんでした。」

「博麗の巫女……? あぁ、つまり、そういうことね。」

「察しの通りです。」

 無言で向き合う二人の間を、冷たい風が吹き抜ける。静かだった墓地の空気がざわめきだす。これから起きる出来事の末路を暗示するかのように、不穏な音が周囲に響く。

「……あの二人だけだとまずいかな。」

「計画は最終段階です。予定では、今夜中には完成するという見通しでしたが、詰めを誤るわけには……」

「時間稼ぎができればいい、ということね。」

「……レミリア様。」

「いや、私は行かないわ。どうせ、計画が成功すれば、その先は無いんでしょう? だったら、最後の宴会を楽しまないと。」

「レミリア様……」

「時間稼ぎだったら、適任な奴がいるでしょう。じゃあ、私は宴会に戻るから。後始末はよろしく。」

 そして、レミリアはゆっくりと宴会場にむけて歩き出す。小悪魔とすれ違う時に、静かに、しかし、力強い声でこう言った。

「上手くやるのよ。」

 小悪魔が振り返った時、既にレミリアの姿はそこには無く、一羽の蝙蝠が飛び去る影だけがあった。小悪魔は深く頭を下げ、自分に与えられた任務を遂行すべく、紅魔館の門にむけて飛び立った。




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 魔法の森の中に佇む、寂びれた雰囲気の一軒家。パチュリーは、その中から、今までに感じたことの無い魔力の流れを感じ取る。玄関のドアを開けると、儀式の為に整えられた内部の様子が目に飛び込んでくる。

「パチュリーがその本を持っているということは、小悪魔はしくじったということだな。それでも、良く今まで頑張ってくれたよ。出来ればあと一日、猶予があれば良かったんだが、それを言うのは我儘かな。」

 四角い部屋の床一面に描かれた魔法陣の中心に立ち、淡々と語る者の姿を、パチュリーは真っ直ぐに捉える。

「小悪魔には悪いことをしたと思っている。でも、全てはこの術式を完成させるための行動にすぎない。許してくれとは言わない。ただ、あいつを恨むことだけは、勘弁してやってほしい。」

 パチンと指のなる音が響く。すると、部屋の四隅に置かれた燭台の一つに火が灯る。

「……別に、誰かを恨むとか、そんな話をしに来たんじゃない。私はただ、私の知識を封印した理由を知りたいだけ。そんなことをして、あなたにどんな利益があるのかを知りたいだけなの。」

 もう一つ、指のなる音が響く。二つ目の燭台に火が灯る。パチュリーは室内に入り、後ろ手にドアを閉める。

「魔理沙―――」

「知られたくなかったから、じゃあ、充分ではないか。怪しまれたくなかったし、何より、感づかれたくなかった。何しろ、私は、これから異変を起こそうとしてるんだからな。」

 三度目の音。燭台の灯火も三つに増える。

「異変を起こそうとする事なんか関係ない! 私が知りたいのは、私の知識を封印した理由よ。」

「関係はおおありなんだよ。パチュリーがこのことを知ったら、介入しようとするのは目に見えている。現にこうして、お前はここにいる。」

「……私が介入することが、そんなに都合の悪いことなの?」

「感づかれる危険が高くなる。異変を解決しようと躍起になる奴に、な。だが、それ以上に―――」

 四つ目の音と共に、部屋の四隅の燭台全てに火が灯る。揺らめく炎が、部屋の中心に立つ者の姿を鮮明に映し出す。

「夢を、夢のままにしておきたかった。夢から覚めてまで、悪夢に苦しむことは無いんだ。」

 そう言って、魔法陣の中心にいた人物、霧雨魔理沙は、パチュリーに向き直った。その表情は喜怒哀楽のどれでもなく、完全な無表情だった。パチュリーは魔法陣にむけて一歩踏み込む。抵抗される事を予想していたが、特に何かが起こる様子は無い。

「警戒しなくても、この魔法陣には害は無い。単に、魔力の集中を助けるための結界だよ。本命は、こいつだ。」

 そう言って、魔理沙は懐から一冊の本を取り出す。パチュリーには、一目でその本が魔道書であると理解できた。問題は、何の術式が書かれているかだ。

「何をしようとしているの?」

 パチュリーが問いかけると、魔理沙の表情に変化があった。何かを悲しむような、はたまた後悔するような。わずかに俯いて、魔理沙が口を開く。

「……パチュリー。並行世界って、信じるか?」

「パラレルワールドの一種ね。時間軸で分岐した、独立して存在する世界。でも、それがどうしたというの?」

「並行世界を呼びだすことができれば、無数の可能性を手に入れることができる。それこそ、現在、過去、未来、全ての時間軸に起こりえた、全ての事象に干渉することができる。」

「―――ふっ。」

 魔理沙の言葉に、パチュリーが吹き出す。しばらくの間、肩を震わせながら笑い続けたパチュリーは、唐突に真剣な表情になり、魔理沙に怒鳴りつける。

「馬鹿じゃないの!? 並行世界が仮に存在したとして、その世界と私たちの世界は全くの別物。干渉して全てを掌握したところで、結局は、その気になった、だけのことじゃない。」

「……」

 魔理沙は黙り込む。その隙に、パチュリーは魔理沙に駆け寄り掴みかかる。抵抗されることはなく、魔理沙の両肩に手をかけたパチュリーは、ふいに、何かの違和感を覚える。体温でもない、感触でもない、何か別の感覚が、自分が知っている魔理沙とは違っていた。

「……なに?」

 パチュリーが戸惑い、咄嗟に後ずさる。魔理沙の表情が、深い悲しみに包まれる。

「……私は、もう、人間じゃあない。」

「人間じゃあない、って……」

「咲夜も、霊夢も、とっくに死んでいるんだ。なのに、私だけが生きていられる道理は無いだろう。」

「それは、つまり―――」

「ただ、私は、死んだわけじゃない。魂を維持するために、契約を結んだんだ。……小悪魔と、な。」

 パチュリーは驚愕する。小悪魔と魔理沙が協力していることはさっき知った。それでも、まさか契約を結んでいるとまでは考えていなかった。力が抜けたパチュリーの手元から、本がこぼれ落ちる。言葉を返そうとするが、口が震えるだけで、思うように話すことができない。

「……もう、潮時か。」

 そう言って、魔理沙はパチュリーが落とした本を拾うと、そっとパチュリーに手渡した。その行動で、パチュリーは気を取り直す。

「夢を見た日の朝、パチュリーは必ず決まったフレーズを呟く。本来ならその時点で、夢の記憶は全て消えて、何事もなかったように一日が始まるはずだったんだ。」

「……決まった、フレーズ?」

「夢、ね。このキーワードを呟くことで、知識を封印する暗示をかけておいた。だが、時間と共に、その暗示は薄れてきた。魔術的な暗示への抵抗力がついて来たんだろう。さすが、魔法使いは伊達じゃないってことか。」

「……」

「暗示をこれ以上強くすることはできなかった。代わりに、定期的に直接知識を封印するという手段をとることにした。その本を使って。」

 魔理沙は、パチュリーの手の中にある本を見つめる。つられて、パチュリーも本に視線を移す。

「ただ、この方法では、夢だけじゃなく、現実での出来事に関する知識まで封印してしまう。パチュリーの身の回りで起こることと、パチュリー自身の記憶に、矛盾が出ないようにするために、小悪魔は、本当によく頑張ってくれた。」

「……待ちなさいよ。」

 俯いたまま、パチュリーは声を上げる。わずかに震えた口調の中に、怒りの感情が込められている。

「勝手すぎるのよ。なにもかも。何事もなく一日が始まる? ふざけないで。」

「パチュリー、私は―――」

「たかが夢の記憶をなくす為だけに、私の知識に干渉したというの? ……偽善にもほどがある。そんなこと、私は頼んだ覚えは―――」

「夢で! ……夢であって欲しかったんだ。少なくとも、お前にとっては。」

 パチュリーの言葉を遮るように、魔理沙が叫ぶ。パチュリーは一瞬怯んだが、すぐに魔理沙を睨みつける。しかし、その目つきは、すぐに驚愕と困惑の色に染まる。魔理沙の頬を伝う雫。その源泉からは、とめどなく涙があふれ続けていた。嗚咽を堪えながら、魔理沙は言葉を紡ぐ。

「あんな事、夢であるべきなんだ。目が覚めたら、それでおしまい。無かったことになる。」

「……そう。そういうことだったのね。」

 パチュリーは、納得したように大きく頷く。そして、魔理沙に近づくと、魔理沙の持っていた本を取り上げた。そのまま、ページをぱらぱらとめくっていく。同時に、常人では真似できないほどの速さで目を動かしている。咄嗟の行動で、魔理沙はただ茫然と、パチュリーの様子を眺めていた。
 最後のページを閉じた後、改めて、パチュリーは本を開く。そして、魔理沙を押しのけるようにして、魔法陣の中央に進み出た。

「……パチュリー?」

「夢は夢であるべき。でも、まさか、こんな手段を使うなんてね。魔理沙にしては、良くここまでの術式を完成させたものだわ。」

 そういって、パチュリーは意識を集中し始める。屋内であるはずなのに、周囲にはごうごうと風が吹き荒れる。

「現実、だったのね、あの出来事は。そうでしょう?」

 パチュリーの言葉に、魔理沙は意表を突かれた感覚を味わった。隠し通したかった真実を見事に言い当てられ、力無く、その場に座りこむ。

「魔理沙と一緒に夜空を散歩したこと。不慮の事故で大けがを負ったこと。そして、魔理沙が消えた事。……契約というのは、この時に結んだんでしょう。」

「……」

「見くびられたものね。確かに、辛い思いをすることには違いない。それでも、いつまでも、それだけに囚われ続けることは無いわ。……ただ―――」

 風がさらに勢いを強くする。部屋の目の位置にいるパチュリーに、膨大な量の魔力が流れ込んでいく。

「事象との向き合い方は、十人十色なのね。短時間で清算出来る方法を選ぶ者もいれば、長い時間をかける者もいる。魔理沙、あなたは、そのどちらでもない方法をとろうとした。」

「パチュリー、まさか―――」

「魔理沙には、この魔法を使うことはできない。元々の魔力がそんなに無いんだから、少しくらい水増ししたところで、途中で枯れるのがオチ。だから、これは、私が操る。」

 風圧が強くなり、魔理沙は思わず後ずさりする。腕で顔を守りつつ、魔法陣の中央を見ると、パチュリーは両目を閉じて瞑想しているようだった。

「……と、大きな口を叩いたものの、私にも、荷が重いわね。並行世界を、現実世界に再構築するなんて。並みの異変の領域を超えてるわ。」

「待って。それは、私が―――」

「だめよ。これほどの大魔法、失敗は許されない。さっきも言った通り、魔理沙に任せたら確実に失敗するの。だから、ここは私に任せて。」

「でも、それじゃ駄目だ。私が、私の責任でやり遂げないと―――」

「辛かったでしょう。長い夢に囚われ続けて。」

 魔理沙は息をのむ。パチュリーの声色は優しかった。赤子をなだめるような、慈愛の心が込められていた。

「魔理沙は、私の知識を封印することで、辛い出来事を夢として清算してくれた。でも、魔理沙は、そうすることが無かった。清算することができないまま、今までずっと向き合ってきた。」

「……」

「いつだったか、魔理沙が、100年は少しばかり長い、って言ったことがあったわね。あの時、ふと、思ったの。寿命が短い人間は、妖怪とは感覚が違うんだろうなって。でも、今の魔理沙と話をして、そうじゃないって思えた。長生きしようが、辛いことは辛いって感じるし、清算出来なければ、囚われ続けたままなんだなって。」

「パチュリー……」

「鍵を、開けてあげる。もう、夢に囚われて、苦しむことが無いように。」

 パチュリーが集中を深めたその時、勢いよくドアが開き、何者かが部屋の中に飛び込んできた。いや、この場合、部屋の中に吹き飛ばされたというべきだろう。背中から勢いよく床にたたきつけられ、衝撃の反動で咳き込む姿。パチュリーと魔理沙は、その姿を良く知っている。魔理沙が駆けより、身体を起こしながら話しかける。

「小悪魔……! 何故、ここに? それに、その傷は?」

「ごめんなさい。ちょっと、無理しちゃいました。」

「まさか……」

「ばれちゃいました。一番厄介な相手に。」

 息も絶え絶えに、それでも笑顔を浮かべたまま、小悪魔は応える。

「……博麗の巫女か。」

「はい。……今は、美鈴さんが相手をしていますが、正直、いつまでもつか……」

「霊夢と違って、やたらと勤勉な奴だっていうからな。……私も、覚悟を決めるか。」

「魔理沙さん……?」

 小悪魔を床に寝かせた後、ゆっくりとした足取りで、魔理沙は玄関に向かう。振り返ることなく、背中越しに声をかける。

「任せたからな。必ず、完成させてくれ。」

 そして、勢いよく床を蹴り、外へ飛び出して行った。しばらくして、玄関越しに、光の点滅が見え隠れし始める。外で戦闘が行われていることは明らかである。

「……小悪魔。」

 床の上で横になっている小悪魔に、パチュリーは声をかける。

「あなたにも、辛い思いをさせたわね。……ごめんなさい。」

「そんな…… パチュリー様が謝ることなんてありません。むしろ、酷いことをし続けてきたのは私の方ですから。」

「もういいのよ。全ては、この魔法を完成させるためにしてきたことでしょう。辛さの大小なんて関係ない。私も辛かったけど、あなたも辛かった。お互いさまよ。」

「……もうしわけ、ありません。」

 小悪魔は静かに身体を起こし、ふらふらとした足取りで、玄関に向かう。ドアに手をかけてから、パチュリーに振り返って声をかける。

「どうか、よろしくお願いします。」

 パチュリーが頷くと、小悪魔は笑顔を浮かべて、ドアを閉じた。部屋の中にはパチュリー一人。改めて集中しようとした時、夢占いの本の記述が頭をよぎった。

「相手との別れ……」

 パチュリーは頭を振り、考えを振り払う。

「いくわよ、魔理沙。世界を閉じ、世界を開く―――!」

 魔力が収束し、直後にはじけ飛ぶ。その様子を外から観察する者がいたなら、星の最後の爆発と喩えただろう。だが、視点を変えれば捉え方も変わる。すなわち、それは宇宙開闢を告げる爆発でもあったと。いずれにせよ、その日、一つの世界が閉じられた。




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 博麗神社の境内に、一羽の鳥が佇んでいる。鳩というには小さく、雀というには大きい。烏のように、黒い羽根を持つわけでもない。鳴声一つ上げることなく、ただ静かに、そこにいる。その姿を、博麗霊夢は縁側から眺めていた。
 かれこれ数十分にはなるだろうか。鳥は全く動きを見せない。生き物だと思い込んでいるだけで、実は剥製だったというオチではないだろうか。横に置いてある煎餅に手を伸ばし、口に運ぶ。かじりついた時にパキッという軽い音が響いたが、その音に反応する様子もない。
 それにしても、霊夢もなかなかに粘り強い。確かめに行けばいいものを、ただ遠くから眺めるだけ。そんなことができるのは、お茶と煎餅が傍にあるからこそ、なのかもしれないが。鳥と霊夢、いつまでも続くかに見えたやりとりも、唐突に終わりを迎える。
 空の上から、一人の少女が落ちてくる。境内に激突するかのように見えた少女の身体は、地面すれすれのところでぴたりと停止する。反動は風圧を生じ、件の鳥に襲いかかる。その時になって、ようやく、鳥は翼を広げて空に舞い上がった。霊夢はつまらなそうな表情を浮かべて、お茶を口にする

「今日も暇そうだな。」

「暇じゃないわよ。あの鳥がいつ自分から動き出すか、眺めるのに忙しかったのに、せっかくの仕事を邪魔されちゃったわ。」

「そうか、やっぱり暇な時間を過ごしてたってことだな。」

 とりとめの無い会話を交わしながら、空から降ってきた少女、霧雨魔理沙は霊夢の隣に座る。煎餅に手を伸ばそうとして霊夢に手を払われかけるものの、ひらりとかわして目的の物を掴み取る。バリバリという音に、霊夢は諦めたように溜め息をつく。

「何しに来たのよ。私のささやかな楽しみを奪うのが目的?」

「そんなことは無い。ただ、ささやかな暇つぶしにと思ってな。」

「食べ物の恨みは根深いわよ。煎餅は、命より重い。」

「命、軽いなぁ。いいのか? 巫女がそんなこと言って。」

「物の喩えよ。前に紫が似たような事を言ってたから、真似してみた。」

「冗談でも、妖怪の言うことを真に受けるもんじゃないだろう。」

 魔理沙は二枚目の煎餅に手を伸ばす。霊夢は抵抗することなく、その様子を見届ける。心なしか、霊夢の目つきが鋭くなっている。

「ていうか、魔理沙も暇なんじゃない。自分のことを棚に上げて、よく人のことを言えたものね。」

「暇じゃないさ。今も、パチュリーとの遊覧飛行のルートを考える為に、頭の中はぐるぐるだ。立派に仕事をしているじゃないか。」

「さっき自分で暇つぶしって…… はいはい、わかりました。魔理沙は真面目で勤勉な子です。よしよし。」

「言い方に悪意を感じるんだが……」

「リア充爆発しろ。」

「……それも、紫から?」

「……うん。」

 風が吹き抜け、木々がさらさらという音を立てる。魔理沙が三枚目の煎餅に手を伸ばそうとした時、霊夢がきっと睨みつける。一瞬だけ動きを止めた魔理沙は、そろそろと手を引っ込める。すると、霊夢は笑顔になり、大きく頷く。

「やれやれ。それじゃ、少し早いけど、パチュリーの所に行こうかね。」

「穀潰しがいなくなって清々するわ。」

「少しくらい名残惜しそうにしてもいいんじゃないか?」

「欠片も無いわ。……って、あーっ! 私のお煎餅!」

「一枚くらい、お土産に貰ってもいいだろ。さすがに、食べ物は借りてくだけってわけにはいかないからな。」

 魔理沙が飛び立った後、覚えてろ―、という声が境内に響く。一人残された霊夢は、大きな溜め息をつく。お茶に手を伸ばそうとして、あることに気づく。さっきまで傍に置いていたお茶がなくなっている。さらに、残りの煎餅も器ごと消えていた。慌てて周りを見渡すものの、それらが見つかることは無かった。代わりに、魔理沙ではない、一人の少女の姿が目に入った。

「紫…… あなたもか……」

「惜しいわね。そこは、お前もか、というところよ。」

「いいから、お茶とお煎餅を返しなさい。」

「ごめんなさい。もう無いわ。」

 そういって、空になった茶碗と器を差し出す。がっくりと肩を落とす霊夢に、紫は声をかける。

「覆水盆に返らず。素直に諦めなさい。」

「自分で食べておきながら、何を白々しい。……あーあ、こうなることがわかってたら、さっさとお茶もお煎餅も食べきってたのに。」

「それじゃ、少し前の霊夢に会って、お茶とお煎餅が危険だ、とでも言ってみる?」

「馬鹿じゃないの。そんなこと、出来るわけ無いじゃない。」

「普通なら、出来るわけが無いわね。」

「なに? 時間の境界をいじって、前の時間の私に会わせてやるとでもいうの?」

「ふふふ、どうかしらね。」

 霊夢は不機嫌な表情で、どんと音を立てながら縁側に腰を下ろす。隣では、紫が妖しげな笑みを浮かべている。

「……なによ。なにか悪いことでも企んでるの?」

「滅相もない。……まあ、前の世界では、してやられたけどね。」

「前の世界? 何を言ってるの?」

「クュシッアプッジスエルーロトンコ…… とりあえず、今のあなたには関係ないわ。」

「はぁ…… 紫の言うことはわけがわからないわ。」

「それでいいの。知り過ぎることは、時に罪となる。」

「紫が罪を語るとは…… 一度、閻魔様に説教されてきたらどう?」

「あらあら、それだけは勘弁。」

 紫はわざとらしく肩をすくめ、扇で口元を隠しながら笑い声を上げる。霊夢がひっそりと距離を離す。

「あら、嫌われちゃったかしら。」

「もとから好きでもない。」

「ぐすん。霊夢の気持ちは、私に向いてるものだと思ってたのに。」

「下手な演技はやめなさい。まったく、魔理沙とパチュリーの仲じゃないんだから、期待されても何も返すことはできないわよ。」

「そうね、うらやましいわ。リア充爆発しろ。」

「……ごめん、それ、さっき私が言った。」

「……まさかのネタ被り。とにかく、今夜だったわね。あの二人の遊覧飛行。」

「そうそう。どうしてわざわざ私に伝えてきたのかしら…… って、なんで紫まで知ってるのよ。」

「壁に耳あり障子に目あり、幻想郷にスキマあり。」

 霊夢が再び紫との距離を離す。さすがに、紫も笑うのを止めて真面目な表情を作る。

「上手いこと言ったつもりかしら。……はぁ、なんだかむしゃくしゃするわね。あの二人、飛んでる途中に事故ったりしないかしら。よそ見してるうちに、木にぶつかったりとか。」

「……無いわ。そんな事故は、起こり得ない。」

「はぁ? やけに自信ありげじゃない。あ、まさか、あの二人の仲を進展させる為に暗躍してるんでしょう。」

「さあ、何のことかしら。」

「とぼけても無駄よ。洗いざらい話しなさい。私に隠し事をしようなんて、100年早いわ。」

「100年後にはあなたはもういないでしょうに。それに、さっきも言ったように、知り過ぎることは、時に罪となる。知らない方がいいことは、この世界にはたくさんあるのよ。」

「……やっぱり、閻魔様に説教を―――」

「おぉ、こわいこわい。」

 紫は立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。さく、さく、と、数歩進んだところで立ち止まり、小さな声で呟く。

「こんなことが起こるたびに、幻想郷をバックアップするわけにはいかないから。」

「……どうしたの? 何か言った?」

 紫は振り返ると、あからさまな笑顔を作る。

「あの二人に、どんな御褒美をあげようかなって。そうね、せっかくだから、簡単には手に入らないものがいいわ。」

「紫―――!」

 霊夢が紫に駆け寄る。後一歩で手が届くというところで、紫の姿はスキマの中に消えてしまった。再び、一人だけ残された霊夢は、諦めたように、縁側に立てかけてあった竹箒を手に取り、境内に向かった。





 平和の意味するところが不変的な日常が続くことであるとすれば、今日の幻想郷は疑う余地のないくらいに平和である。しかし、妖怪の賢者は知っている。この幻想郷は、感覚こそ不変的ではあるものの、大きな変化を越えた結果作られたものであると。
 博麗神社の境内の上で、妖怪の賢者は物思いにふける。世界への干渉。不十分ながら、それを成し遂げた二人の末路は、同じ道であってはならない。可能性の鍵を回した二人は、その先にある世界を見る権利がある。

「……ふっ。」

 自分の考えの陳腐さに、思わず吹き出してしまう。本来ならば、二人の処遇はそんなに生易しいものではない。すぐにでも、幻想郷から排除すべき、危険因子なのである。しかし、紫がその考えを捨てたのは、彼女自身が興味を持ってしまったからだ。もし、あの時こうだったならば。いわゆる、たらればの先に拡がる世界に。
 夜まではまだ長い。その時までに、自分の気が変わらない事を、紫は願うのだった。




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「たまには、月夜の遊覧飛行なんてのも、悪くないだろう?」

「……そうかもしれないわね。」

「素直になればいいのに。ほら、あいつだったら、こんなにも月が紅いから、本気で飛ばすわよ、なんて言うんじゃないか?」

「きゃあっ! ……いきなり速度を上げないでよ。振り落とされちゃうじゃない。」

「それなら、もっとしっかりつかまってるんだな!」

 空に浮かぶ満月の光に照らされて、2人の魔女が1本の箒で空を飛んでいる。正確にいえば、1人の人間と1人の魔法使い。そして、箒を操っているのは人間の方だ。

「魔理沙、お願いだから、安全運転で頼むわよ。」

「大丈夫だって、この程度のスピード、天狗にとっては子どものお遊びみたいなもんだ。」

「あなたは人間でしょう。妖怪の感覚に対抗するなんて、身の程を知りなさい。」

 魔理沙と呼ばれた人間の少女が不敵な笑みを浮かべ、直後に箒が急加速する。突然の挙動に戸惑いつつ、パチュリーは魔理沙の服をつかむ手に力を込める。両手でしがみついているせいで、速度に耐えきれなかった帽子は既に空の彼方にとばされてしまっている。

「人間の器だからって理由で、自分の限界を決めたくはないな。」

「だったら、あなたも正式に魔法使いになればいいのよ。たった二つの魔法を覚えればいいだけの、簡単なクラスチェンジよ。」

「虚弱体質の魔法使いに言われても、説得力に欠けるな。」

「失礼ね。私は、ちょっとだけ喘息持ちっていうだけよ。」

「ったたた!? 急に力を込めるなよ。っていうか、わざとやってないか?」

「しっかりつかまれって言ったのは魔理沙の方よ。私は言われたようにしただけ。」

「……そんなに元気があるなら、もっと飛ばしても大丈夫だな。」

 もはや、遊覧飛行とは言えない速度で夜空を駆けるシルエット。遠目から見る者がいたならば、小さな流れ星とでも思ったかもしれない。
 夜空を駆ける流れ星。実際のそれが辿る運命は、大気の摩擦で燃え尽きるか、極稀に地上に激突するか、いずれかであるという。

「……けほっ。」

「パチュリー?」

「あ…… いや、だい…… けほんっ。」

「もしかして、喘息の発作か?」

「けふっ、ん、だいじょうぶ。だ、かはっ、ら―――」

「まずいな、調子に乗って飛ばし過ぎたか。おい、しっかりしろ、どこか、休めるところを―――」

「―――まりさ、まえ、あぶな―――!」

「まえ?―――!」

 流れ星を観察する者が、心を変えることは無かった。大木と衝突する直前で、流れ星の軌跡が途切れる。直後、大木の遥か上から軌跡が流れる。夜空に浮かぶ満月が、戸惑いを見せたかのように妖しく輝く。

「―――あれ?」

「たす、かった?」

 茫然とする魔理沙とパチュリーだったが、すぐに気を取りなおし、スピードを落として地上に降りる。パチュリーの発作は、いつの間にか治まっていたようだ。

「……魔理沙! 言ったじゃないの、安全運転でって! 下手したら大怪我してたところだったわよ。」

「あぁ、すまなかった。……でも、一体、何があった?」

「え? 今のって、魔理沙がなんとかしたんじゃないの?」

「いや、私は、何も……」

 首をかしげる二人。しばらくの間、無言で向かい合っていたが、唐突に、魔理沙はパチュリーに箒を手渡した。戸惑いながら、パチュリーは箒を受け取る

「―――え?」

「あ、なんだ、その…… パチュリーに、箒を操ってもらえないかなって……」

「……な、なにを言い出すのよ。」

「なんというか、今日の私は調子に乗り過ぎてるみたいだし、またあんな目に合わせないとも限らない。」

「なんなのよ、急にそんな弱気になって。」

「それに…… たまには、パチュリーに身を任せてみたいな、なんて……」

「ば―――」

 魔理沙の顔は、りんごのように真っ赤だ。俯きながら、上目づかいで懇願する魔理沙の様子に、パチュリーの顔が紅く染まっていく。

「ばっかじゃないの!? そ、そんな、頼みごと……」

「……だめ?」

 パチュリーは息をのみ、決心したように呟く。

「……いいわよ。」

 そして、おもむろに箒を操り宙に浮かぶ。魔理沙に手で合図をすると、パチュリーの後ろから、魔理沙が両腕を回してパチュリーにしがみつく。

「それじゃあ、いくわよ。」

「……うん。」

 二人の姿が空に舞い上がる。流れ星の観察者は、既にその場を去っている。誰にも観察されないまま、新たな流れ星が軌跡を描く。その流れ星が燃え尽きることは無いだろう。なぜなら、炎は燃え始めたばかりであり、これからも、燃え続けて行くだろうから。
ということで、kirisameです。「unlocked girl ~密室の鍵を開けた少女~」、お楽しみいただけたでしょうか。……タイトルが違う? 安楽と…… はっ! 無意識!
……冗談はさておいて、マリパチュの軽い話を書くつもりだったのにどうしてこうなった!? 三人称視点とか、描写が難しすぎる! ……今回の話は、読者様の反応が怖いです。どうか、お手柔らかに、御指摘、御感想をいただければ幸いに存じます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
kirisame
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コメント



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10.80夕凪削除
これは・・・・・・一体どういうことなの。分かったようなわからなかったような。
並行世界の捉えかたはシュタゲに近いのかなぁ。
いや『並行世界を、現実世界に再構築』ってあるから、やっぱ違うか。
まあ、なんだかんだ言いつつも、物語としては楽しめて読めたのでOK。