木々が生い茂る魔法の森。この森の中に家と呼べる建物は二カ所しか存在しない。妖夢はそのうちの一カ所であるアリスの家の前に立っていた。少し緊張した手つきで、玄関の扉を軽くノックする。
足音が聞こえて、木製の扉が開くと、現れたのはアリスではなくルーミアだった。
「あ、妖夢だ」
「る、ルーミアさんっ!?」
「こんにちは」
「こんにちは」
ペコリと頭を下げたルーミアに合わせて、思わず妖夢は頭を下げてしまった。たとえ出迎えたのが、その家の主でなくても、挨拶をされたら返すのは、間違った反応ではないが。
「とりあえず入る? 妖夢なら、アリスも問題ないと思うし」
「おじゃまします。アリスさんはどうなさってますか?」
「アリスは、仕事中だと思う」
「それだとお邪魔にならないでしょうか?」
もしも仕事の邪魔になるようなら申し訳ない。
「大丈夫だと思うよ。本当に仕事なのかもわからないし。ところで、その手に持ってるバスケットには、なにが入ってるの? いい匂いがする」
「クッキー焼いてきたんです」
妖夢少しだけ蓋を開けると、ルーミアが隙間から手を入れてクッキーを数枚とりだした。取り出したうちの1枚を口に入れて、妖夢を先導するように歩く。妖夢はそのあとに続いた。
「これ、おいひぃ」
クッキーをもぐもぐしながら話すルーミア。ほめてくれるのは嬉しい。だけど。
「口の中に食べ物を入れたまま、歩いたり話したりしてはいけませんよ?」
「ぶー。妖夢が霊夢みたいなこと言う」
「霊夢さんもこういうことを言うんですか?」
「神社でお煎餅食べながら歩いてたら、怒られて境内の掃除やらされた」
「霊夢さんも、結構厳しいんですね」
「そのあと、ご褒美にたくさんご飯食べさせてくれたから嬉しかったけど。アリスー、妖夢が来たよ」
ルーミアが部屋の扉を開けながら言う。ルーミアに続いて部屋に入ると、アリスはひざまづいて作業をしていた。思わずため息がでる。
「ちょっと待っててくれない? もうすぐ終わるから」
「今度はフランドールさんが着せ替え人形ですか……」
「ちょっと、わたしが無理矢理やらせてるみたいな言い方しないでよ? フランも合意のしてるわよ。ね?」
「うん。わたしがアリスにお願いしたの。アリスみたいな可愛い服が欲しいって」
「アリスはアリスでも、それは不思議の国のアリスじゃないですか」
テーブルにクッキーの入ったバスケットを置きながら妖夢は言った。
フランドールが着ているのは、魔理沙さんの服の黒い部分を、すべて水色にしたようなエプロンドレス。髪の毛も、いつも被っている帽子が外されていて、服と同じ水色のリボンでまとめられている。
「よし、これで完成。もう動いていいわよ。似合ってるでしょ?」
アリスが満足そうに言う。たしかに、その水色のエプロンドレスはフランドールによく似合っていて、そのまま絵本の世界に入り込むことができそうなほどだ。
「よく似合ってますよ、フランドールさん」
「ありがとう。妖夢」
「でも、どうしてアリスさんに? 咲夜さんも裁縫はできますよね?」
木の椅子に座って足をふらふらさせているフランドールに尋ねる。
「咲夜もできるけど、忙しそうだから」
「咲夜さんと比較したら、みんな暇していることになりますからね」
「咲夜、私たちのために、凄くがんばってくれてるの。たまにはお休みして欲しいんだけどね」
「そんなに無理してるんですか?」
「わからないけど。ただ、妖夢もアリスも魔理沙も霊夢も、みんな自分の好きなことをしてるのに、咲夜は私たちのことばっかり。お姉さまも心配してた」
「咲夜さんの気持ちはなんとなくわかりますよ」
「妖夢にはわかるの?」
「昔、幽々子様に怒られたんです。従者が幸せじゃなかったら、主も幸せになれないって」
「どういうこと?」
「そうですね」
そこでいったん言葉を切って、記憶の糸をたどる。ほとんど幽々子に叱られたことがない妖夢にとって、その記憶は鮮明に残っていた。
従者が主の為に尽くすのは間違っていない。でも、もしそのことで従者の幸せを奪ってしまっているなら、主にとってこれほど苦しいことはない。たとえ従者が、主に仕えることが幸せだと思っていても、それだけが従者のすべてにはなってもらいたくない。
「少なくとも幽々子様は、そうなることは望んでいないと言っていました」
「つまり、わたしやお姉さまが悪いの?」
フランドールが曇る。
「そういうことはないと思いますよ。お二人とも、素晴らしい主だと思います。ただ」
「ただ?」
「咲夜さんにとっては、フランドールさんとレミリアさんがすべてになってしまっているんだと思います。従者をしていると、どうしてもなってしまうことがあるんです」
「それなら、私たちはどうしたらいいの?」
妖夢はすぐに答えることはしなかった。
いや、しなかったのではない。できなかったのだ。
これは、決して簡単な問題ではない。
咲夜はおそらく、自分が頑張りすぎてしまうことが、逆に主たちを心配させていることに気づいていないし、何もしなければ、気がつくこともないだろう。かつて自分が、幽々子に叱られるまで気がつかなかったのだから。
「簡単なことよ」
重たい沈黙が支配するなか、アリスの声が飛び込んだ。
「アリスさん?」
「フランが思いつくことをやればいいのよ。フランが咲夜に対してやってあげられることを」
「でも、もしそれが咲夜のためにならなかったら?」
フランドールが怯えた目で尋ねる。
それに対して、アリスはキッパリと言った。
「そのときは、主として未熟だったことを反省して、またやりなおせばいいわ」
主だからといって、完璧である必要はない。そもそも完璧であることは不可能だ。だから失敗したら、それを反省して、またやり直せばいい。
「従者だけでなく、主も成長していかなくちゃ。あなたも誇り高き、スカーレット家の末裔なんだからね」
優しくフランドールの髪を撫でるアリス。最後にアリスは、そっとフランドールを抱きしめた。
「それじゃあ、難しいお話はおしまい。ルーミアにクッキーを全部食べられる前に、お茶にしましょう」
「え?」
ふとルーミアの方を見ると、大きな口を開けて、妖夢の持ってきたクッキーを数枚まとめて食べたところだった。
フランドールとアリスも、同じようにルーミアを見ている。
「ふぁんへぇみてぃえ」
なにやら見られていることに抗議しているが、口の中にたくさんクッキーがはいっているために、言葉になっていない。
「ルーミア、ハムスターみたい」
クスクスと、フランドールが笑いながら言った。
その瞬間、妖夢は部屋の空気がなんとなく軽くなった気がした。
「せてと、そろそろスコーンが焼きあがるころかしらね」
「待って」
キッチンに歩いて行こうとするアリスを、フランドールが呼び止めた。
「なに?」
アリスは、フランドールの正面まで歩いていき、腰をかがめて、目の高さを合わせる。
「今日は、服を作ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
「それでね、とっても嬉しかったからね、今度は咲夜にも服を作ってあげて欲しいの。外を楽しく歩けるような」
「え?」
フランドールの言葉に、珍しくアリスが言葉を詰まらせた。突然フランドールに頼まれたので、驚いたのかもしれない。
「駄目かな?」
アリスの沈黙に、不安そうに尋ねるフランドール。アリスは、フランドールの頭に手をあててから答えた。
「わかったわ。頑張ってみる。楽しみにしてて」
そう言って、アリスはキッチンに向かっていった。
その様子を眺めていた妖夢は、すでにスコーンの焼ける香りが、部屋の中を満たしていることに気づいた。
お茶会は、すぐにはじまるようだ。
☆☆☆
アリスの家では、小さなお茶会が開かれていた。テーブルの上に準備されたクッキーやスコーンは、すでに半分以上がなくなっている。
「ハーブティーなんて久しぶりでした」
カップを置きながら妖夢は言った。
「普段は紅茶ばっかりだからね。たまにはハーブティーもいいと思って。ルーミアとフランには、すこし子供向けにしたけど」
「わたし、たぶんアリスよりも年上だけど。500年くらい生きてるし」
「わたしも。もういつ生まれたか忘れたけど」
「なら、飲んでみる?」
いたずらっぽく笑ったアリスが、スコーンを食べるために持っていたフォークとナイフを置いて、ルーミアに自分のマグカップを渡す。受け取ったルーミアは、両手でマグカップを持ってお茶を飲むと、口の中で転がした。
「どう?」
大人の余裕たっぷりに尋ねるアリス。
「にがーい!! 苦い! なにこれ!?」
ルーミアがあわてて、たっぷりとマーマレードをのせてスコーンを食べる。口の中に入らなかったマーマレードが頬にくっついた。
「だから止めときなさいって言ったのに」
「アリスさん、止めてなかった気がしますけど。ルーミアさん、頬にマーマレードがついてますよ」
妖夢は、テーブルの上においてあったタオルで、ルーミアの頬を拭う。その間、なぜかルーミアは思い切り目を閉じていた。
「妖夢、ありがとう」
「こうやって見てると、妖夢、お姉さんみたいね」
空になったカップを置きながらアリスが言った。
「ルーミアさんの、ですか?」
「うーん、ルーミアだけじゃなくて、フランも一緒でもいいかも」
「でも、髪の色が違うよ?」
ルーミアが、妖夢の綺麗な銀色の髪を指さす。その間も、クッキーを食べる手は止まらないままだ。
「わたしは妖夢がお姉さまになってくれるなら嬉しいかも」
「お、お姉さまって……」
「妖夢、照れてるの?」
椅子から跳ねるように飛び降りたフランドールが、妖夢に近づいてくる。テーブルの周りを回って歩いてきたフランドールは、テーブルと妖夢の椅子の間に小さな体を入れると、妖夢の膝の上に飛び乗った。
そのまま妖夢の細い腰に手を回して、顔を見上げる。妖夢の視線が、フランドールの綺麗な赤い瞳とぴったりと合わさる。その瞳には、明らかに意地悪な色が浮かんでいた。
「妖夢お・ね・え・さ・ま」
フランドールの意地の悪い言葉に、妖夢は頬が熱くなるのを感じた。それがフランドールを喜ばせることは分かっているが、抑えることができない。
「妖夢、真っ赤になってる」
「か、からかわないでください、フランドールさま!」
「『さま』をつけるのはわたしの方だよ? 妖夢お姉さま?」
「さ、『さま』をつけるのはやめてください! なんか、変な気分になります」
「妖夢、お茶でも飲んだら?」
どうでもよさそうにクッキーを食べながら言うルーミア。
「だめだよ、ルーミア。妖夢はお姉さまなんだから。ちゃんと『お姉さま』って言わないと」
「だって、妖夢はフランのお姉さんでしょ?」
「あ、わたしのこと、フランって言った! ちゃんとフランお姉さまって呼んでよ!」
「どうして!? 妖夢はともかく、いつからフランドールまでお姉さんになってるの?」
「だって、妖夢がわたしとルーミアのお姉さまでしょ? それなら、ルーミアはわたしの妹に決まってるじゃない」
「なんで、フランドールがわたしの姉なのよ。フランドールの方が、わたしの妹になるほうがよっぽど自然じゃない」
「適当なこと言わないでよ。どう見たって、わたしが姉の方が自然じゃない。妖夢お姉さまからも、何か言ってよ!」
「わ、わたしは、その……」
まだ正常な思考に戻っていない妖夢は、まともな言葉を発することができない。
フランドールは、妖夢に抱きついたまま、すぐにルーミアとの口論に戻っていった。
「まったく、これじゃあ本当に姉妹喧嘩じゃない。フランドールの口癖が招いた悲劇というか、喜劇というか」
アリスは、新しく入れたハーブティーを飲みながらつぶやいた。
別にフランドールは、普通の感覚で「お姉さま」と言っただけだ。なぜなら、彼女は実の姉であるレミリアのことを、「お姉さま」と呼んでいる。それなので、フランドールにとって姉のことを「お姉さま」と呼ぶことは、ごく自然なことだ。
それに対して、妖夢にとって「お姉さま」と呼ばれることは、非日常だ。いつもは、「さま」をつけて呼ぶ側である妖夢にとって、逆に「さま」をつけて呼ばれることは、妙に気恥ずかしいことだった。よほど慣れている人間でなければ「さま」をつけて呼ばれた時に、恥ずかしがることは、正常な反応であるだろう。
「フランドールさま、後生ですからー!」
またしても、妖夢の悲鳴が、アリスの家に響きわたる。
たまには、こんな賑やかなティータイムも悪くない。
アリスはお茶を飲みながら、そう思った。
☆☆☆
すっかり陽の暮れた魔法の森。灯りの消えた部屋で、アリスは妖夢といろいろな話をしていた。昔の事から、最近のこと。けっこう妖夢はオシャレに気を使っていたりもするので、話が合った。
「アリスさんって、一番下だったんですよね」
「魔界の方ではね」
「なんか不思議な感じがしますね。こっちではお姉さんな感じなのに」 それは、幻想郷の人間や妖怪が、子供っぽいだけだろう。今日遊びにきた、フランドールやルーミアは完全に子供だし、霊夢や魔理沙も、けっこう幼い。隣にいる妖夢も、かなりわかりやすいし。
「妖夢お姉さまは、一人っ子だっけ?」
「もう、アリスさんまで、それを言わないでくださいよ」
真っ暗な中でもわかるくらい、拗ねた声を出す妖夢。そういう子供っぽさが、周囲のイタズラ心をかき立てる事がわからないのだろうか?
「ごめんごめん。それで、妖夢は一人っ子だっけ?」
「そうですよ。アリスお姉さま?」
「え……」
思わずアリスは固まってしまった。なるほど。たしかにお姉さまと呼ばれるのは、けっこう恥ずかしい。妙に羞恥心を刺激してくる。
「あら、アリスお姉さま? 恥ずかしいんですか?」
そう言って、ぎゅっと手を握りしめてくる妖夢。アリスの手も熱を持っていたが、妖夢の手も、負けず劣らず熱くなっていた。おそらく、恥ずかしさを必死に押し殺しての反撃だったのだろう。
やっぱり、そういうところを見ると、どうしても可愛いだけに見えてしまう。
落ち着きを取り戻したアリスは、再び主導権を取り返すことにした。妖夢から主導権を取り返すことは、妖夢の弱点をつけば簡単だ。
「ねぇ、妖夢?」
「なんでしょうか? アリスお姉さま」
「ちょっと暑いと思わない?」
「そうですね。夏ですし。窓でもあけます?」
「窓開けると、外敵防止の魔法を強化しないといけないのよね。だから、怪談でもして、涼しくなろうと思うんだけど」
「そ、それはちょっと……」
「あれ、妖夢、怪談苦手なの?」
「苦手です……」
質問するまでもなく、妖夢が怪談に弱いことは知っていた。ただ、これだけあっさりと答えるのを見ると、本当に苦手らしい。さすがに、本当に怪談をするのは、まずそうだ。
「ねぇ、妖夢? 一緒に手をつないで寝ると、同じ夢を見るらしいのよ」
「そうなんですか?」
「本当なのかは、わからないけどね。ただ、最近あんまり夢見が良くないのよね。けっこう怖い夢とかも見たりして」
これが、最後のアリスの攻撃。魔法使いを一瞬でもからかおうとした罰だ。ちなみに、ぜんぜん夢見が悪いわけではない。どんな反応をしてくれるか期待していると、再び強く手を握られた。さらに寝返りを打って、こちらに体を寄せてくる。
「アリスさん?」
「な、なに? 妖夢」
うろたえるアリスに、妖夢は目を閉じたまま口を開いた。
「怖い夢、見ないでくださいね」
まったく、この素直さは罪だ。
アリスは「はい」と、うなずくしかなかった。
足音が聞こえて、木製の扉が開くと、現れたのはアリスではなくルーミアだった。
「あ、妖夢だ」
「る、ルーミアさんっ!?」
「こんにちは」
「こんにちは」
ペコリと頭を下げたルーミアに合わせて、思わず妖夢は頭を下げてしまった。たとえ出迎えたのが、その家の主でなくても、挨拶をされたら返すのは、間違った反応ではないが。
「とりあえず入る? 妖夢なら、アリスも問題ないと思うし」
「おじゃまします。アリスさんはどうなさってますか?」
「アリスは、仕事中だと思う」
「それだとお邪魔にならないでしょうか?」
もしも仕事の邪魔になるようなら申し訳ない。
「大丈夫だと思うよ。本当に仕事なのかもわからないし。ところで、その手に持ってるバスケットには、なにが入ってるの? いい匂いがする」
「クッキー焼いてきたんです」
妖夢少しだけ蓋を開けると、ルーミアが隙間から手を入れてクッキーを数枚とりだした。取り出したうちの1枚を口に入れて、妖夢を先導するように歩く。妖夢はそのあとに続いた。
「これ、おいひぃ」
クッキーをもぐもぐしながら話すルーミア。ほめてくれるのは嬉しい。だけど。
「口の中に食べ物を入れたまま、歩いたり話したりしてはいけませんよ?」
「ぶー。妖夢が霊夢みたいなこと言う」
「霊夢さんもこういうことを言うんですか?」
「神社でお煎餅食べながら歩いてたら、怒られて境内の掃除やらされた」
「霊夢さんも、結構厳しいんですね」
「そのあと、ご褒美にたくさんご飯食べさせてくれたから嬉しかったけど。アリスー、妖夢が来たよ」
ルーミアが部屋の扉を開けながら言う。ルーミアに続いて部屋に入ると、アリスはひざまづいて作業をしていた。思わずため息がでる。
「ちょっと待っててくれない? もうすぐ終わるから」
「今度はフランドールさんが着せ替え人形ですか……」
「ちょっと、わたしが無理矢理やらせてるみたいな言い方しないでよ? フランも合意のしてるわよ。ね?」
「うん。わたしがアリスにお願いしたの。アリスみたいな可愛い服が欲しいって」
「アリスはアリスでも、それは不思議の国のアリスじゃないですか」
テーブルにクッキーの入ったバスケットを置きながら妖夢は言った。
フランドールが着ているのは、魔理沙さんの服の黒い部分を、すべて水色にしたようなエプロンドレス。髪の毛も、いつも被っている帽子が外されていて、服と同じ水色のリボンでまとめられている。
「よし、これで完成。もう動いていいわよ。似合ってるでしょ?」
アリスが満足そうに言う。たしかに、その水色のエプロンドレスはフランドールによく似合っていて、そのまま絵本の世界に入り込むことができそうなほどだ。
「よく似合ってますよ、フランドールさん」
「ありがとう。妖夢」
「でも、どうしてアリスさんに? 咲夜さんも裁縫はできますよね?」
木の椅子に座って足をふらふらさせているフランドールに尋ねる。
「咲夜もできるけど、忙しそうだから」
「咲夜さんと比較したら、みんな暇していることになりますからね」
「咲夜、私たちのために、凄くがんばってくれてるの。たまにはお休みして欲しいんだけどね」
「そんなに無理してるんですか?」
「わからないけど。ただ、妖夢もアリスも魔理沙も霊夢も、みんな自分の好きなことをしてるのに、咲夜は私たちのことばっかり。お姉さまも心配してた」
「咲夜さんの気持ちはなんとなくわかりますよ」
「妖夢にはわかるの?」
「昔、幽々子様に怒られたんです。従者が幸せじゃなかったら、主も幸せになれないって」
「どういうこと?」
「そうですね」
そこでいったん言葉を切って、記憶の糸をたどる。ほとんど幽々子に叱られたことがない妖夢にとって、その記憶は鮮明に残っていた。
従者が主の為に尽くすのは間違っていない。でも、もしそのことで従者の幸せを奪ってしまっているなら、主にとってこれほど苦しいことはない。たとえ従者が、主に仕えることが幸せだと思っていても、それだけが従者のすべてにはなってもらいたくない。
「少なくとも幽々子様は、そうなることは望んでいないと言っていました」
「つまり、わたしやお姉さまが悪いの?」
フランドールが曇る。
「そういうことはないと思いますよ。お二人とも、素晴らしい主だと思います。ただ」
「ただ?」
「咲夜さんにとっては、フランドールさんとレミリアさんがすべてになってしまっているんだと思います。従者をしていると、どうしてもなってしまうことがあるんです」
「それなら、私たちはどうしたらいいの?」
妖夢はすぐに答えることはしなかった。
いや、しなかったのではない。できなかったのだ。
これは、決して簡単な問題ではない。
咲夜はおそらく、自分が頑張りすぎてしまうことが、逆に主たちを心配させていることに気づいていないし、何もしなければ、気がつくこともないだろう。かつて自分が、幽々子に叱られるまで気がつかなかったのだから。
「簡単なことよ」
重たい沈黙が支配するなか、アリスの声が飛び込んだ。
「アリスさん?」
「フランが思いつくことをやればいいのよ。フランが咲夜に対してやってあげられることを」
「でも、もしそれが咲夜のためにならなかったら?」
フランドールが怯えた目で尋ねる。
それに対して、アリスはキッパリと言った。
「そのときは、主として未熟だったことを反省して、またやりなおせばいいわ」
主だからといって、完璧である必要はない。そもそも完璧であることは不可能だ。だから失敗したら、それを反省して、またやり直せばいい。
「従者だけでなく、主も成長していかなくちゃ。あなたも誇り高き、スカーレット家の末裔なんだからね」
優しくフランドールの髪を撫でるアリス。最後にアリスは、そっとフランドールを抱きしめた。
「それじゃあ、難しいお話はおしまい。ルーミアにクッキーを全部食べられる前に、お茶にしましょう」
「え?」
ふとルーミアの方を見ると、大きな口を開けて、妖夢の持ってきたクッキーを数枚まとめて食べたところだった。
フランドールとアリスも、同じようにルーミアを見ている。
「ふぁんへぇみてぃえ」
なにやら見られていることに抗議しているが、口の中にたくさんクッキーがはいっているために、言葉になっていない。
「ルーミア、ハムスターみたい」
クスクスと、フランドールが笑いながら言った。
その瞬間、妖夢は部屋の空気がなんとなく軽くなった気がした。
「せてと、そろそろスコーンが焼きあがるころかしらね」
「待って」
キッチンに歩いて行こうとするアリスを、フランドールが呼び止めた。
「なに?」
アリスは、フランドールの正面まで歩いていき、腰をかがめて、目の高さを合わせる。
「今日は、服を作ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
「それでね、とっても嬉しかったからね、今度は咲夜にも服を作ってあげて欲しいの。外を楽しく歩けるような」
「え?」
フランドールの言葉に、珍しくアリスが言葉を詰まらせた。突然フランドールに頼まれたので、驚いたのかもしれない。
「駄目かな?」
アリスの沈黙に、不安そうに尋ねるフランドール。アリスは、フランドールの頭に手をあててから答えた。
「わかったわ。頑張ってみる。楽しみにしてて」
そう言って、アリスはキッチンに向かっていった。
その様子を眺めていた妖夢は、すでにスコーンの焼ける香りが、部屋の中を満たしていることに気づいた。
お茶会は、すぐにはじまるようだ。
☆☆☆
アリスの家では、小さなお茶会が開かれていた。テーブルの上に準備されたクッキーやスコーンは、すでに半分以上がなくなっている。
「ハーブティーなんて久しぶりでした」
カップを置きながら妖夢は言った。
「普段は紅茶ばっかりだからね。たまにはハーブティーもいいと思って。ルーミアとフランには、すこし子供向けにしたけど」
「わたし、たぶんアリスよりも年上だけど。500年くらい生きてるし」
「わたしも。もういつ生まれたか忘れたけど」
「なら、飲んでみる?」
いたずらっぽく笑ったアリスが、スコーンを食べるために持っていたフォークとナイフを置いて、ルーミアに自分のマグカップを渡す。受け取ったルーミアは、両手でマグカップを持ってお茶を飲むと、口の中で転がした。
「どう?」
大人の余裕たっぷりに尋ねるアリス。
「にがーい!! 苦い! なにこれ!?」
ルーミアがあわてて、たっぷりとマーマレードをのせてスコーンを食べる。口の中に入らなかったマーマレードが頬にくっついた。
「だから止めときなさいって言ったのに」
「アリスさん、止めてなかった気がしますけど。ルーミアさん、頬にマーマレードがついてますよ」
妖夢は、テーブルの上においてあったタオルで、ルーミアの頬を拭う。その間、なぜかルーミアは思い切り目を閉じていた。
「妖夢、ありがとう」
「こうやって見てると、妖夢、お姉さんみたいね」
空になったカップを置きながらアリスが言った。
「ルーミアさんの、ですか?」
「うーん、ルーミアだけじゃなくて、フランも一緒でもいいかも」
「でも、髪の色が違うよ?」
ルーミアが、妖夢の綺麗な銀色の髪を指さす。その間も、クッキーを食べる手は止まらないままだ。
「わたしは妖夢がお姉さまになってくれるなら嬉しいかも」
「お、お姉さまって……」
「妖夢、照れてるの?」
椅子から跳ねるように飛び降りたフランドールが、妖夢に近づいてくる。テーブルの周りを回って歩いてきたフランドールは、テーブルと妖夢の椅子の間に小さな体を入れると、妖夢の膝の上に飛び乗った。
そのまま妖夢の細い腰に手を回して、顔を見上げる。妖夢の視線が、フランドールの綺麗な赤い瞳とぴったりと合わさる。その瞳には、明らかに意地悪な色が浮かんでいた。
「妖夢お・ね・え・さ・ま」
フランドールの意地の悪い言葉に、妖夢は頬が熱くなるのを感じた。それがフランドールを喜ばせることは分かっているが、抑えることができない。
「妖夢、真っ赤になってる」
「か、からかわないでください、フランドールさま!」
「『さま』をつけるのはわたしの方だよ? 妖夢お姉さま?」
「さ、『さま』をつけるのはやめてください! なんか、変な気分になります」
「妖夢、お茶でも飲んだら?」
どうでもよさそうにクッキーを食べながら言うルーミア。
「だめだよ、ルーミア。妖夢はお姉さまなんだから。ちゃんと『お姉さま』って言わないと」
「だって、妖夢はフランのお姉さんでしょ?」
「あ、わたしのこと、フランって言った! ちゃんとフランお姉さまって呼んでよ!」
「どうして!? 妖夢はともかく、いつからフランドールまでお姉さんになってるの?」
「だって、妖夢がわたしとルーミアのお姉さまでしょ? それなら、ルーミアはわたしの妹に決まってるじゃない」
「なんで、フランドールがわたしの姉なのよ。フランドールの方が、わたしの妹になるほうがよっぽど自然じゃない」
「適当なこと言わないでよ。どう見たって、わたしが姉の方が自然じゃない。妖夢お姉さまからも、何か言ってよ!」
「わ、わたしは、その……」
まだ正常な思考に戻っていない妖夢は、まともな言葉を発することができない。
フランドールは、妖夢に抱きついたまま、すぐにルーミアとの口論に戻っていった。
「まったく、これじゃあ本当に姉妹喧嘩じゃない。フランドールの口癖が招いた悲劇というか、喜劇というか」
アリスは、新しく入れたハーブティーを飲みながらつぶやいた。
別にフランドールは、普通の感覚で「お姉さま」と言っただけだ。なぜなら、彼女は実の姉であるレミリアのことを、「お姉さま」と呼んでいる。それなので、フランドールにとって姉のことを「お姉さま」と呼ぶことは、ごく自然なことだ。
それに対して、妖夢にとって「お姉さま」と呼ばれることは、非日常だ。いつもは、「さま」をつけて呼ぶ側である妖夢にとって、逆に「さま」をつけて呼ばれることは、妙に気恥ずかしいことだった。よほど慣れている人間でなければ「さま」をつけて呼ばれた時に、恥ずかしがることは、正常な反応であるだろう。
「フランドールさま、後生ですからー!」
またしても、妖夢の悲鳴が、アリスの家に響きわたる。
たまには、こんな賑やかなティータイムも悪くない。
アリスはお茶を飲みながら、そう思った。
☆☆☆
すっかり陽の暮れた魔法の森。灯りの消えた部屋で、アリスは妖夢といろいろな話をしていた。昔の事から、最近のこと。けっこう妖夢はオシャレに気を使っていたりもするので、話が合った。
「アリスさんって、一番下だったんですよね」
「魔界の方ではね」
「なんか不思議な感じがしますね。こっちではお姉さんな感じなのに」 それは、幻想郷の人間や妖怪が、子供っぽいだけだろう。今日遊びにきた、フランドールやルーミアは完全に子供だし、霊夢や魔理沙も、けっこう幼い。隣にいる妖夢も、かなりわかりやすいし。
「妖夢お姉さまは、一人っ子だっけ?」
「もう、アリスさんまで、それを言わないでくださいよ」
真っ暗な中でもわかるくらい、拗ねた声を出す妖夢。そういう子供っぽさが、周囲のイタズラ心をかき立てる事がわからないのだろうか?
「ごめんごめん。それで、妖夢は一人っ子だっけ?」
「そうですよ。アリスお姉さま?」
「え……」
思わずアリスは固まってしまった。なるほど。たしかにお姉さまと呼ばれるのは、けっこう恥ずかしい。妙に羞恥心を刺激してくる。
「あら、アリスお姉さま? 恥ずかしいんですか?」
そう言って、ぎゅっと手を握りしめてくる妖夢。アリスの手も熱を持っていたが、妖夢の手も、負けず劣らず熱くなっていた。おそらく、恥ずかしさを必死に押し殺しての反撃だったのだろう。
やっぱり、そういうところを見ると、どうしても可愛いだけに見えてしまう。
落ち着きを取り戻したアリスは、再び主導権を取り返すことにした。妖夢から主導権を取り返すことは、妖夢の弱点をつけば簡単だ。
「ねぇ、妖夢?」
「なんでしょうか? アリスお姉さま」
「ちょっと暑いと思わない?」
「そうですね。夏ですし。窓でもあけます?」
「窓開けると、外敵防止の魔法を強化しないといけないのよね。だから、怪談でもして、涼しくなろうと思うんだけど」
「そ、それはちょっと……」
「あれ、妖夢、怪談苦手なの?」
「苦手です……」
質問するまでもなく、妖夢が怪談に弱いことは知っていた。ただ、これだけあっさりと答えるのを見ると、本当に苦手らしい。さすがに、本当に怪談をするのは、まずそうだ。
「ねぇ、妖夢? 一緒に手をつないで寝ると、同じ夢を見るらしいのよ」
「そうなんですか?」
「本当なのかは、わからないけどね。ただ、最近あんまり夢見が良くないのよね。けっこう怖い夢とかも見たりして」
これが、最後のアリスの攻撃。魔法使いを一瞬でもからかおうとした罰だ。ちなみに、ぜんぜん夢見が悪いわけではない。どんな反応をしてくれるか期待していると、再び強く手を握られた。さらに寝返りを打って、こちらに体を寄せてくる。
「アリスさん?」
「な、なに? 妖夢」
うろたえるアリスに、妖夢は目を閉じたまま口を開いた。
「怖い夢、見ないでくださいね」
まったく、この素直さは罪だ。
アリスは「はい」と、うなずくしかなかった。
ルーミアとフランの口論部分の繋がりがちょっと違和感あったかな?
フランは理由があるのにルーミアも書いてないし
作者様の作品読んでたら分るのだろうか?
続編なら最初にそう書いていてほしい
ちょっと消化不良かな