ランプの灯りが音も無く消えた。
途端に室内は薄暗くなり、目の前の羊皮紙へ書いた文字が読み取れなくなる。
今が朝なのか夕方なのか…昼なのか夜なのかさえ分からない。
ただ、窓の外に薄っすらと見える陽光が、家の中までは届いてこないものの私に夜ではない事だけは教えてくれた。
季節は夏に入り始め、草木は意気揚々と生い茂る。
勿論魔法の森だって例外ではない。
光を遮るように覆われた森は、その光を栄養とし更に枝葉を伸ばす。他の何物にも渡さぬよう奪い去り、辺りを次々に侵食していく。
昼間の採光を考えて、家の周りは開けたスペースにしておいたつもりであったが…この季節の植物を舐めきっていた。
仕方無しにランプのオイルを手探りで求める。
―コトッ…
何かが机上で倒れる音が聞こえた。
インク瓶を倒してしまったかと、小さく舌打ちをする。
しかし、瓶からインクが零れる音は続けて聞こえず、倒れたものは実験で使用済みの空き瓶と予想出来た。
吐き出された溜息は安堵からか、落ち着きを取り戻す為のものか。
重なる羊皮紙が擦れる音、積み重なった本が崩れて数冊床へ落ちる音、いくつかの実験器具がぶつかる音、それにぶつかるように転がっていくペンの音。
結局机上にそれらしい物が見つからなかった所で、ようやく思い出す。
『協力助かったよ』
『こき使ってくれたくせに清々しい程の笑顔ね。この借りは何倍にして返してもらおうかしら』
『また今度な、出来れば程ほどに頼むぜ。それじゃ、私はこれから篭らせてもらう』
『…今から?明かりはどうするのよ』
『何言ってるんだ、それならそこに燭台が…あれ、蝋燭がもう無いな』
『先を考えないからよ。で、どうするの』
『先なら常に考えてるさ、こんな事もあろうかとランプ位常備してある』
『ふぅん、これはまた埃が被ってそうなタイプね。満足に使えるのかしら』
『大丈夫さ…ほら、火は点くし燃料の方も十分に入っている。最後に使った時の私は気が利いてるな』
『絵に描いたような自画自賛だこと…それじゃ根を詰めすぎない程度に頑張りなさい』
『任せとけ、これ位さっさと終わらせてやるさ』
そう言って別れて篭り始め、久し振りにランプを使い始めたのが昨日、一昨日か…まぁどちらでもいい。
持ちが良いのか、絶えず使い続ける事が出来たからうっかりしていた。
引き出しの一番下段を漁り、目当ての物をようやく手に取る。
―チャプッ…
オイルの揺れる音が、瓶から部屋中へと響いた…様な気がする。
光源が乏しいにも程があるが、外へ出るのは面倒臭くて仕方が無い。
割と使い慣れたものであるし構わないだろうと、蓋を開けオイルを注ぐ。
―トットットットットット……ッ……ッ………ッ………
空っぽの容器に注がれる小気味良い音は早々に止んだ。無くなったか、全く嫌な事ばかりだ。
オイルの瓶に蓋をし、乱雑に机へ置く。
椅子に凭れて、虚ろな視線は何も見えない頭上へと向けられる。
順調だった研究は篭り始めて数刻で暗礁に乗っかったまま、入りかけた集中も薄闇に掻き消され、それを遮るために必要なオイルは中途半端な量で底をつく。
一度良くない事が起こると、そこから繋がるように連鎖反応が起きる。
連鎖は階段を転がり落ちるように、運が悪いと最後は底まで連れて行ってくれる。
―コンッ
コンッ…
―トンッ
トンッ…
そうそう、こんな風に音をたてて一番下まで…と、落ちていたのは私の意識の方だった。
人は闇の中に長く居ると、眠気はその姿を肥大化させて、起きている者の意識を勢い良く刈り取る。
無駄にでかい所は、あの死神にそっくりである。私にも少しばかり分けて欲しいものだ。
慌てて首を振る、このまま暗い中に居続けるのは危険だ。
意識が明後日の方向へ向かってしまう前に、さっさと明かりを得なければいけない。
先程の引き出しを再び漁り、小さな箱を取り出して、それを振る。
―カシャカシャカシャカシャッ…
火種の量は十分にあり、一本二本折った位では底を突かない事が分かる。
これで、手元が見えない状況でも安心して擦る事が出来るだろう。
―ヵシュッ…シュッ…シュッ…シュボァッ!!
幾度か火花を撒き散らした後、火種は折れる事無くその身に灯火を彩り、より強大な光への橋渡しとなってくれる。
その光は、どれだけ私を照らし続けてくれるだろうか。
まぁ、今日を越す位の量はあるだろう…と、高をくくり私はランプに火を点す。
それは即ち今日中に終わらせてやるという自身への宣言でもある。
再び姿を見せる室内。
改めて見回すと何とも雑然としたものか、これが終われば少し位は…いや、今は他の事に眼を向けてはいけない。
無理矢理でも集中して私はペンを手に取り―
―カチャッ……ギ…キィッ…
扉の開く音を耳にする、方向的に玄関か。
取り戻した集中は先程のランプのように一瞬で消え去り、徒労と終わった私は机に項垂れる。
今が何時か知らないが、無作法に入ってくる客人に心当たりは無い。座ったまま振り返り姿を確認する。
逆光で顔を確認できないものの、その出で立ちは紅い館のメイド長に違いなかった。
「また懲りずに泥棒の真似事か、今度はお嬢様に何を頼まれたんだ?」
「いつもうちの図書館に紛れ込んでくれる貴女に言われたくないわね」
牽制に放った言葉は、いとも容易く跳ね返される。気に喰わない。
「何の用かは知らんが、さっさと帰れ。今の私は機嫌が悪いぞ」
「見たら分かるわよ。寝ていた所を起こしたのは謝るわ、ごめんなさい」
「…何を言ってるんだ、お前は」
確かに落ちかけてはいたが、私はずっと机に向き続けていた。
労働に勤しみ過ぎて頭がやられているのだろうか。
「それじゃ、ずっと起きているのね。今日で何日目?」
「………」
今度は触れて欲しくない話題をさらりと言いのける。
一体何しに来たのか、そもそも何故それを彼女が知っているのか…分からない。
「よっぽど不調なのね、全く…台所を借りるわ」
「っおい、勝手に―」
何時の間に用意したのか、火が点された燭台を手に持ち、床中に乱雑に積んでいた本を彼女は器用に避けて歩き始める。
もう片方の手に持つ手提げ籠にもぶつけずに…成る程、見覚えの無い燭台はそこから出したのか。
こちらの許可も得ないで好き勝手をして、主人から離れると何時もこうだ。
台所に入る手前で彼女は足を止め、再びこちらへ顔を向ける。
「ノックの音にも気付かないで。酷い顔してるわよ、今の貴女」
「放っとけ…ったく、勝手にしろ」
「そうさせていただきますわ」
何と答えても結果が変わらないなら、いっその事放っておくに限る。どうにも腑に落ちないが仕方無い。
私は一向に進まない研究の記録へと視線を戻し…後方から聞こえてくる物音が耳に入ってくる。
―ドン…ッ…カタ…ッ…ゴトッ……ッ…コトッ…
持ってきた籠から何かを取り出した音か、何を持ってきたんだろうな。
―ガチャ…パタン…ガチャッ…パタン……ガチャッ…パタン…
棚の扉を開く音。そういえば最近暑くなってきたな、家の中は割かし冷えているとは言え、そろそろ傷んでくる食材も出てきそうだ。
―カチャッ…トットットットットッチャポポポポポッ…カチャ………カタン…
器に水を注ぐ音、また紅茶でも淹れるのだろうか。
―カチッ…カチッ…シュボッ………ゴトッ…
それを火に掛ける音。教えてもいないのに、家の勝手を覚えてしまった彼女。
気にしてはいけないと羊皮紙に眼を向けてはいるが、研究は暗礁に乗っかったまま。
動力を止められて身動きできない船が、今更前に進もうともがいても結果は目に見えている。
しかし、今だけはそこから眼を背けるわけにはいかないのが本当に…もどかしい。
気付けば後方から聞こえていた音は止んでいた。
ふと鼻腔を擽る、この香りは―
「碌に食事をとっていないでしょう、胃に負担を掛けないようにミルクを入れておくわ」
「好きにしてくれ。それに今私は研究で忙しいんだ、こっちに持ってきてくれよメイドさん」
「私が仕えているのはお嬢様だけよ。それに…その研究とやらは、止まってからどれ程経ったのかしら」
「―っ…!?」
ぶつけられた本心に思わず振り返ってしまい、そして眼を疑う。
狭苦しく物が置かれていた客人用の机は、何時の間にか綺麗に片付けられていた。今ではそこに、周辺を照らす燭台と、湯気が漂うカップが二つ並べられている。
苦味を感じさせる珈琲の香り。それに合わせてやってきたのは…バニラの香り、どんなアレンジだか。
「今はこっちに来て一緒に飲みましょう」
カップの奥に座る彼女は、そう言い微笑む。
全くどこまで…もういい、いくら苛立っても仕方の無い事だ。溜息と共に、湧いた苛立ちを吐き出せるだけ吐き出す。
私は客人用の机へ移り、彼女の向かいに座る。今更帰れと憮然に訴えても、目の前のメイドは笑顔で無視するに違いない。
「これを飲んだらすぐに戻るからな」
カップを手に取り一口傾ける。
ほろ苦さの中に広がる、バニラとは別の甘い香り。
久しぶりに飲んだ珈琲は、不思議と温まる優しい味がした。
「…紅茶以外も飲むんだな」
「お嬢様がね、珈琲の苦味は嫌いと言って飲んでくれないのよ」
「何時もはあれだけ偉そうな事言っておいて。本当お子ちゃまだな、あの吸血鬼は」
「そう言わないの。それより、珈琲は久しぶりに淹れてみたのだけれど…美味しかったみたいで安心したわ」
笑顔で言う彼女。しかし何の事だか分からず、私は慌てて珈琲を飲む。
一口飲む毎にふわりと漂う私の意識。次々に重りは外れて、上へ上へと昇っていく。
「別に……じゃ……そのほ…がか………わた…」
白いミルクが黒い珈琲に溶け合い混ざるように、私の瞼も蕩けて次第に閉じていく。
気付かぬうちに、目の前には帳が下ろされ、微笑む彼女も見えなくなった。
「……え………しら……さ………り…」
彼女が何か言っているような気もするが、何を言っているのか理解は出来ない。
限界まで昇ってしまったのだろうか。
「………っ………………っ…………」
昇ることが出来ないならば、残された道は一つだけ。
イカロスの羽のように私の意識も完全に融けて、下へ下へと落ちていった。
・・・・・・・・・・
「一昨日のことだけれどね…魔理沙にこき使われたのよ。新しい魔法の研究をしたいから手伝ってくれ、だなんて突然呼ばれて」
図書館の本を読ませてもらいに来たと言い、紅魔館を訪れてきたアリス。
彼女をパチュリー様の元へ送る際、珍しく疲れた眼をしていた彼女にそれを問いかけた所、そんな答えが返ってきた。
「帰ってから休もうにも、私の作業が途中だったのよね…中途半端にするのは性分では無いし。結局そっちに取り掛かっちゃって、休み始めたのは今日の早朝。本当はもう少し休みたかったけど、元々約束してあったしね」
普段物静かそうな雰囲気を醸し出す彼女も、案外話好きな面がある。
こうして図書館へ送る際には、いつもあれこれ私に話しかけてくる。
話題の大半は、花の妖怪について。
やれ彼女は素直では無い、やれ作った人形を奪われた 、やれ酒入り珈琲を飲まされた、やれ私の態度が気に喰わない、やれ花は大事にしろと詰られた、毎回毎回内容は尽きない。
更には、文句から入るこれらの話題も結局惚気へと変化していく為、内心鬱陶しくて仕方が無い。
客人でなかったら引っ叩いてやりたい所だ。
「そう言えば、こっちへ来るついでに魔理沙の家へ寄ってみたのだけれど、まだ研究を纏めきれてないみたいだったわ」
話題を切り替えた彼女が興味深い話を持ち出す。
私は表に出さないように、彼女の話に集中する。
「薄っすら光が見えたから窓から様子を伺ってみたけれど、無くなっていた蝋燭も買い替えずに未だランプを使い続けて机に向かっちゃって…あれはほとんど休んでいないわね」
最近姿を見せないと思っていたが、成る程そういう事だったのか。
「あれだけ私を使ってくれたのだから、十分な結果を見せて欲しいものだわ。ねぇ、時間が空いた時にで構わないのだけれど、もし良ければ魔理沙の様子を見に行ってくれないかしら」
こちらを見て首を傾げる彼女。鏡のように、私もゆっくり首を傾げて―
「…どうしてかしら」
一言声を絞り出す。
何故彼女が突然そのような事を言い出したのか、私には理解し難き事だった。
「貴女が嬉しそうな顔をして魔理沙の家へ向かっているのを、何回か見かけた事があるのよ…気付かれ無かったという事は、相当浮かれていたのね」
したり顔でこちらを見る彼女、私の口からため息が一つ零れる。
こういう事はあまり前面に出さないように心得ていたつもりであったが…私も不覚を取ったものだ。
「まあいいわ。こっちへ来たついでに、それを伝えようと思っていたのよ。貴女の反応を見る限り行って貰えそうで良かったわ…それじゃ、ここで結構よ。頼んだわね」
そう言って図書館への扉を開く彼女。
後で紅茶を持って行く際に、彼女のカップにだけ御自慢の酒入り珈琲とやらを入れてやりたくなった。
キッチンで紅茶の準備をしている間、用意したお酒を見やり、以前彼女から聞かされた話を思い浮かべる。
ふと、例えばこれを魔理沙にやってみたら…なんて想像をし、その想像はいつしか妄想へと変わる。
どんな反応をしてくれるか、気晴らしになってくれるか、出来るだけ機嫌を損ねないように出すにはどのタイミングが良いか等々、あれこれ画策を始めていくと次第に楽しくなってくる。
結局彼女へは、パチュリー様と同じ様に紅茶を出した。
流石にこの屋敷内では主人の手前もある為、仕返しはプライベートの際に行おうと胸に刻む。
薄暗い森の中、何時にも増して瘴気が濃い気がする。
それだけ森が活性化しているのだろうか、季節柄なのかどうかは分からない。
彼女の家を発見する、アリスが言うにはランプの光が見えるらしいが…今は消えている。
もしかしたら気晴らしに外へ出ているのかと思い、扉を二度叩く。反応が返ってこず、もう一度強めに二度叩いた。
やはり反応は無く、留守かと踵を返そうとした瞬間、暗かった室内にぼんやりと光が灯ったのに気付く。
もしかしたら研究の方は既に片付いてしまったのだろうか。
寝入った所を起こしてしまったのか、悪い事をしたと心の中で反省する。
彼女が出てくるのを扉の前で待つが、こちらへやってくる気配は感じられない。
一向に出てこない彼女に痺れをきらしてドアノブを回すと、扉は簡単に開いてしまった。
いくら家主在住とはいえ、無用心にも程がある。
家の中へ入った私に投げ掛けられたのは、機嫌の悪い彼女の言葉。
何時も通りに返したつもりであったが、彼女の反応は頗る悪い。
寝入ってすぐの寝起きは流石に不機嫌だったかと、すぐさま詫びを入れるが、何故か話が食い違う。
薄暗く見えなかった彼女の顔は数歩近づいた事によってランプの光でよく見えて…彼女の顔にはっきりと見えるクマまで照らしてくれる。
ひょっとしたらと鎌を掛けてみたが、当たってしまうとは思わなかった。
先程暗かったのも、不注意か何かでランプの光が消えてしまっただけだったのかもしれない。
割と強めに扉を叩いたつもりだったが、それにも気付かない程とは、呆れて溜息が出そうになる。しかし、今はそんな事をしている暇は無い。
何の研究だか知った事では無いし、身体を壊してまでする必要があるかどうかも同様である。
私は彼女の言動を制し、急いで台所へと歩を進めた。
「美味しかったようで安心したわ」
私が言うと、目の前に座る彼女は顔を赤くさせ狼狽した。
珈琲を淹れ終わった頃には、多少であるが素直になってくれた彼女。
珈琲を飲み始めた頃には、穏やかな表情の彼女が現れる。やはりこちらの方が何倍も可愛い。
「別に良いじゃない。その方が可愛くて、私は好きよ」
彼女の狼狽振りが照れ隠しに見えたので、私は続けて攻める。
慌てた声の楽しい反応が返ってくるかと思ったが、期待した反応は無く、それどころか言葉すら返ってこない。
「聞こえなかったかしら、魔理沙…魔理沙?」
気付けば彼女は、カップを両手で持ちながら舟を漕いでいた。
身を乗り出し、彼女のカップを避難させる。次第に舟は机上へと、静かに崩れていく。
机に噛り付き眉に皺を寄せていた彼女は、もうそこには居なかった。
すっかり静まり返ってしまった部屋の中。
手持ち無沙汰になった私は机に肘をついて、深く眠る彼女を眺める。
彼女に飲ませた珈琲の中には、ミルクとバニラ香料の他に、自前のウイスキーを入れていた。
まさかこれ程まで上手くいくとは思わなかったが、それだけ彼女の頭が働いていなかったという事だ。
「全く…意地張って無理を通しても碌な事にはならないのよ、覚えておきなさい」
聞こえていないのを分かりつつも彼女へ語りかける。
深く眠っているのか、無防備な表情を見せる。
素面の時にもこんな顔をしてくれたら素晴らしいのだが…まぁ、彼女の性格を考えれば無理なのは目に見えている。
「私がどれ程驚いたかも知らないで…」
戒め代わりにと彼女の額にデコピンをする。
一瞬しかめ面をした反応が面白くて、もう一度指で弾いてやった。
彼女は知らない。
台所で並べた、珈琲の粉とミルクと角砂糖とウイスキーの瓶を前にして頭を悩ましていた事を。
気晴らしになれば良いかと冗談で持ってきた品々だったが、彼女があれ程煮詰まっていたのは予想外だった。
何か無いかと慌てて棚の中を見て、ハーブや香料以外は傷んだ食材ばかりでまともなものが無かった事に愕然として…まぁ、結局はその香料のお陰で何とかなったのだが。
彼女が起きたら、棚の中の惨状について叱っておかなければいけない。
今は彼女の疲れがとれるまで、彼女が目覚めるその時まで、そのまま寝かせておこう。
手を伸ばし、ゆっくりと彼女の頭を撫でる。これ位の褒美を貰っても、罰は当たらない。
何度も、何度も、撫でる手は止まる事を知らなかった。
気付けば窓の外は暗くなり、彼女の机の上で点けっ放しになっていたランプは沈黙していた。
・・・・・・・・・・
目が覚める。
何時の間に眠ってしまったのか、私は慌てて立ち上がり部屋を見回す。
度重なる研究を言い訳に雑然と放置されていた部屋は、整頓された奇麗な部屋へと変貌を遂げ ている。蝋燭が取り替えられた燭台は、本来の役目を果たすように部屋の隅々まで照らしていた。
気付けば肩にはブランケットが掛けられており、完全にしてやられた事にはもう溜息しか漏れてこなかった。
「無茶を続けるから、一服盛られた事にも気付けないのよ」
台所から犯人が現れる。
今作ったばかりと思われる料理の乗った皿を両手に持ち、彼女は満足気な顔をしている。
急激に腹立たしくなり何か言い返そうかと思ったが、寝起きの頭は上手く言葉を選んでくれない。
彼女は皿を机に置いて、私の目を見て話を続ける。
「取り合えず、続きはお腹を満たしてからでも遅くは無いわよ?」
笑顔で言いのけた彼女。
「勝手な真似をしてくれて、随分な―」
ようやく言葉を見つけて彼女へ投げつけようとした瞬間、私のお腹から空腹の合図が鳴り響く。
出来立ての料理を目の前にして、私の身体はさっさと白旗を上げていたのだ。
チラリと彼女の顔を窺う、勝ち誇ったかのような笑顔。
いつも余裕ぶった表情ばかり見せて、それに反する私が子供みたいで…本当に腹が立つ。
しかし、今更何を言い返そうにも既に失態を見せているのだ。
椅子へと崩れ落ち、負けを認めた私の口からは、この言葉しか出てこなかった。
「…いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
途端に室内は薄暗くなり、目の前の羊皮紙へ書いた文字が読み取れなくなる。
今が朝なのか夕方なのか…昼なのか夜なのかさえ分からない。
ただ、窓の外に薄っすらと見える陽光が、家の中までは届いてこないものの私に夜ではない事だけは教えてくれた。
季節は夏に入り始め、草木は意気揚々と生い茂る。
勿論魔法の森だって例外ではない。
光を遮るように覆われた森は、その光を栄養とし更に枝葉を伸ばす。他の何物にも渡さぬよう奪い去り、辺りを次々に侵食していく。
昼間の採光を考えて、家の周りは開けたスペースにしておいたつもりであったが…この季節の植物を舐めきっていた。
仕方無しにランプのオイルを手探りで求める。
―コトッ…
何かが机上で倒れる音が聞こえた。
インク瓶を倒してしまったかと、小さく舌打ちをする。
しかし、瓶からインクが零れる音は続けて聞こえず、倒れたものは実験で使用済みの空き瓶と予想出来た。
吐き出された溜息は安堵からか、落ち着きを取り戻す為のものか。
重なる羊皮紙が擦れる音、積み重なった本が崩れて数冊床へ落ちる音、いくつかの実験器具がぶつかる音、それにぶつかるように転がっていくペンの音。
結局机上にそれらしい物が見つからなかった所で、ようやく思い出す。
『協力助かったよ』
『こき使ってくれたくせに清々しい程の笑顔ね。この借りは何倍にして返してもらおうかしら』
『また今度な、出来れば程ほどに頼むぜ。それじゃ、私はこれから篭らせてもらう』
『…今から?明かりはどうするのよ』
『何言ってるんだ、それならそこに燭台が…あれ、蝋燭がもう無いな』
『先を考えないからよ。で、どうするの』
『先なら常に考えてるさ、こんな事もあろうかとランプ位常備してある』
『ふぅん、これはまた埃が被ってそうなタイプね。満足に使えるのかしら』
『大丈夫さ…ほら、火は点くし燃料の方も十分に入っている。最後に使った時の私は気が利いてるな』
『絵に描いたような自画自賛だこと…それじゃ根を詰めすぎない程度に頑張りなさい』
『任せとけ、これ位さっさと終わらせてやるさ』
そう言って別れて篭り始め、久し振りにランプを使い始めたのが昨日、一昨日か…まぁどちらでもいい。
持ちが良いのか、絶えず使い続ける事が出来たからうっかりしていた。
引き出しの一番下段を漁り、目当ての物をようやく手に取る。
―チャプッ…
オイルの揺れる音が、瓶から部屋中へと響いた…様な気がする。
光源が乏しいにも程があるが、外へ出るのは面倒臭くて仕方が無い。
割と使い慣れたものであるし構わないだろうと、蓋を開けオイルを注ぐ。
―トットットットットット……ッ……ッ………ッ………
空っぽの容器に注がれる小気味良い音は早々に止んだ。無くなったか、全く嫌な事ばかりだ。
オイルの瓶に蓋をし、乱雑に机へ置く。
椅子に凭れて、虚ろな視線は何も見えない頭上へと向けられる。
順調だった研究は篭り始めて数刻で暗礁に乗っかったまま、入りかけた集中も薄闇に掻き消され、それを遮るために必要なオイルは中途半端な量で底をつく。
一度良くない事が起こると、そこから繋がるように連鎖反応が起きる。
連鎖は階段を転がり落ちるように、運が悪いと最後は底まで連れて行ってくれる。
―コンッ
コンッ…
―トンッ
トンッ…
そうそう、こんな風に音をたてて一番下まで…と、落ちていたのは私の意識の方だった。
人は闇の中に長く居ると、眠気はその姿を肥大化させて、起きている者の意識を勢い良く刈り取る。
無駄にでかい所は、あの死神にそっくりである。私にも少しばかり分けて欲しいものだ。
慌てて首を振る、このまま暗い中に居続けるのは危険だ。
意識が明後日の方向へ向かってしまう前に、さっさと明かりを得なければいけない。
先程の引き出しを再び漁り、小さな箱を取り出して、それを振る。
―カシャカシャカシャカシャッ…
火種の量は十分にあり、一本二本折った位では底を突かない事が分かる。
これで、手元が見えない状況でも安心して擦る事が出来るだろう。
―ヵシュッ…シュッ…シュッ…シュボァッ!!
幾度か火花を撒き散らした後、火種は折れる事無くその身に灯火を彩り、より強大な光への橋渡しとなってくれる。
その光は、どれだけ私を照らし続けてくれるだろうか。
まぁ、今日を越す位の量はあるだろう…と、高をくくり私はランプに火を点す。
それは即ち今日中に終わらせてやるという自身への宣言でもある。
再び姿を見せる室内。
改めて見回すと何とも雑然としたものか、これが終われば少し位は…いや、今は他の事に眼を向けてはいけない。
無理矢理でも集中して私はペンを手に取り―
―カチャッ……ギ…キィッ…
扉の開く音を耳にする、方向的に玄関か。
取り戻した集中は先程のランプのように一瞬で消え去り、徒労と終わった私は机に項垂れる。
今が何時か知らないが、無作法に入ってくる客人に心当たりは無い。座ったまま振り返り姿を確認する。
逆光で顔を確認できないものの、その出で立ちは紅い館のメイド長に違いなかった。
「また懲りずに泥棒の真似事か、今度はお嬢様に何を頼まれたんだ?」
「いつもうちの図書館に紛れ込んでくれる貴女に言われたくないわね」
牽制に放った言葉は、いとも容易く跳ね返される。気に喰わない。
「何の用かは知らんが、さっさと帰れ。今の私は機嫌が悪いぞ」
「見たら分かるわよ。寝ていた所を起こしたのは謝るわ、ごめんなさい」
「…何を言ってるんだ、お前は」
確かに落ちかけてはいたが、私はずっと机に向き続けていた。
労働に勤しみ過ぎて頭がやられているのだろうか。
「それじゃ、ずっと起きているのね。今日で何日目?」
「………」
今度は触れて欲しくない話題をさらりと言いのける。
一体何しに来たのか、そもそも何故それを彼女が知っているのか…分からない。
「よっぽど不調なのね、全く…台所を借りるわ」
「っおい、勝手に―」
何時の間に用意したのか、火が点された燭台を手に持ち、床中に乱雑に積んでいた本を彼女は器用に避けて歩き始める。
もう片方の手に持つ手提げ籠にもぶつけずに…成る程、見覚えの無い燭台はそこから出したのか。
こちらの許可も得ないで好き勝手をして、主人から離れると何時もこうだ。
台所に入る手前で彼女は足を止め、再びこちらへ顔を向ける。
「ノックの音にも気付かないで。酷い顔してるわよ、今の貴女」
「放っとけ…ったく、勝手にしろ」
「そうさせていただきますわ」
何と答えても結果が変わらないなら、いっその事放っておくに限る。どうにも腑に落ちないが仕方無い。
私は一向に進まない研究の記録へと視線を戻し…後方から聞こえてくる物音が耳に入ってくる。
―ドン…ッ…カタ…ッ…ゴトッ……ッ…コトッ…
持ってきた籠から何かを取り出した音か、何を持ってきたんだろうな。
―ガチャ…パタン…ガチャッ…パタン……ガチャッ…パタン…
棚の扉を開く音。そういえば最近暑くなってきたな、家の中は割かし冷えているとは言え、そろそろ傷んでくる食材も出てきそうだ。
―カチャッ…トットットットットッチャポポポポポッ…カチャ………カタン…
器に水を注ぐ音、また紅茶でも淹れるのだろうか。
―カチッ…カチッ…シュボッ………ゴトッ…
それを火に掛ける音。教えてもいないのに、家の勝手を覚えてしまった彼女。
気にしてはいけないと羊皮紙に眼を向けてはいるが、研究は暗礁に乗っかったまま。
動力を止められて身動きできない船が、今更前に進もうともがいても結果は目に見えている。
しかし、今だけはそこから眼を背けるわけにはいかないのが本当に…もどかしい。
気付けば後方から聞こえていた音は止んでいた。
ふと鼻腔を擽る、この香りは―
「碌に食事をとっていないでしょう、胃に負担を掛けないようにミルクを入れておくわ」
「好きにしてくれ。それに今私は研究で忙しいんだ、こっちに持ってきてくれよメイドさん」
「私が仕えているのはお嬢様だけよ。それに…その研究とやらは、止まってからどれ程経ったのかしら」
「―っ…!?」
ぶつけられた本心に思わず振り返ってしまい、そして眼を疑う。
狭苦しく物が置かれていた客人用の机は、何時の間にか綺麗に片付けられていた。今ではそこに、周辺を照らす燭台と、湯気が漂うカップが二つ並べられている。
苦味を感じさせる珈琲の香り。それに合わせてやってきたのは…バニラの香り、どんなアレンジだか。
「今はこっちに来て一緒に飲みましょう」
カップの奥に座る彼女は、そう言い微笑む。
全くどこまで…もういい、いくら苛立っても仕方の無い事だ。溜息と共に、湧いた苛立ちを吐き出せるだけ吐き出す。
私は客人用の机へ移り、彼女の向かいに座る。今更帰れと憮然に訴えても、目の前のメイドは笑顔で無視するに違いない。
「これを飲んだらすぐに戻るからな」
カップを手に取り一口傾ける。
ほろ苦さの中に広がる、バニラとは別の甘い香り。
久しぶりに飲んだ珈琲は、不思議と温まる優しい味がした。
「…紅茶以外も飲むんだな」
「お嬢様がね、珈琲の苦味は嫌いと言って飲んでくれないのよ」
「何時もはあれだけ偉そうな事言っておいて。本当お子ちゃまだな、あの吸血鬼は」
「そう言わないの。それより、珈琲は久しぶりに淹れてみたのだけれど…美味しかったみたいで安心したわ」
笑顔で言う彼女。しかし何の事だか分からず、私は慌てて珈琲を飲む。
一口飲む毎にふわりと漂う私の意識。次々に重りは外れて、上へ上へと昇っていく。
「別に……じゃ……そのほ…がか………わた…」
白いミルクが黒い珈琲に溶け合い混ざるように、私の瞼も蕩けて次第に閉じていく。
気付かぬうちに、目の前には帳が下ろされ、微笑む彼女も見えなくなった。
「……え………しら……さ………り…」
彼女が何か言っているような気もするが、何を言っているのか理解は出来ない。
限界まで昇ってしまったのだろうか。
「………っ………………っ…………」
昇ることが出来ないならば、残された道は一つだけ。
イカロスの羽のように私の意識も完全に融けて、下へ下へと落ちていった。
・・・・・・・・・・
「一昨日のことだけれどね…魔理沙にこき使われたのよ。新しい魔法の研究をしたいから手伝ってくれ、だなんて突然呼ばれて」
図書館の本を読ませてもらいに来たと言い、紅魔館を訪れてきたアリス。
彼女をパチュリー様の元へ送る際、珍しく疲れた眼をしていた彼女にそれを問いかけた所、そんな答えが返ってきた。
「帰ってから休もうにも、私の作業が途中だったのよね…中途半端にするのは性分では無いし。結局そっちに取り掛かっちゃって、休み始めたのは今日の早朝。本当はもう少し休みたかったけど、元々約束してあったしね」
普段物静かそうな雰囲気を醸し出す彼女も、案外話好きな面がある。
こうして図書館へ送る際には、いつもあれこれ私に話しかけてくる。
話題の大半は、花の妖怪について。
やれ彼女は素直では無い、やれ作った人形を奪われた 、やれ酒入り珈琲を飲まされた、やれ私の態度が気に喰わない、やれ花は大事にしろと詰られた、毎回毎回内容は尽きない。
更には、文句から入るこれらの話題も結局惚気へと変化していく為、内心鬱陶しくて仕方が無い。
客人でなかったら引っ叩いてやりたい所だ。
「そう言えば、こっちへ来るついでに魔理沙の家へ寄ってみたのだけれど、まだ研究を纏めきれてないみたいだったわ」
話題を切り替えた彼女が興味深い話を持ち出す。
私は表に出さないように、彼女の話に集中する。
「薄っすら光が見えたから窓から様子を伺ってみたけれど、無くなっていた蝋燭も買い替えずに未だランプを使い続けて机に向かっちゃって…あれはほとんど休んでいないわね」
最近姿を見せないと思っていたが、成る程そういう事だったのか。
「あれだけ私を使ってくれたのだから、十分な結果を見せて欲しいものだわ。ねぇ、時間が空いた時にで構わないのだけれど、もし良ければ魔理沙の様子を見に行ってくれないかしら」
こちらを見て首を傾げる彼女。鏡のように、私もゆっくり首を傾げて―
「…どうしてかしら」
一言声を絞り出す。
何故彼女が突然そのような事を言い出したのか、私には理解し難き事だった。
「貴女が嬉しそうな顔をして魔理沙の家へ向かっているのを、何回か見かけた事があるのよ…気付かれ無かったという事は、相当浮かれていたのね」
したり顔でこちらを見る彼女、私の口からため息が一つ零れる。
こういう事はあまり前面に出さないように心得ていたつもりであったが…私も不覚を取ったものだ。
「まあいいわ。こっちへ来たついでに、それを伝えようと思っていたのよ。貴女の反応を見る限り行って貰えそうで良かったわ…それじゃ、ここで結構よ。頼んだわね」
そう言って図書館への扉を開く彼女。
後で紅茶を持って行く際に、彼女のカップにだけ御自慢の酒入り珈琲とやらを入れてやりたくなった。
キッチンで紅茶の準備をしている間、用意したお酒を見やり、以前彼女から聞かされた話を思い浮かべる。
ふと、例えばこれを魔理沙にやってみたら…なんて想像をし、その想像はいつしか妄想へと変わる。
どんな反応をしてくれるか、気晴らしになってくれるか、出来るだけ機嫌を損ねないように出すにはどのタイミングが良いか等々、あれこれ画策を始めていくと次第に楽しくなってくる。
結局彼女へは、パチュリー様と同じ様に紅茶を出した。
流石にこの屋敷内では主人の手前もある為、仕返しはプライベートの際に行おうと胸に刻む。
薄暗い森の中、何時にも増して瘴気が濃い気がする。
それだけ森が活性化しているのだろうか、季節柄なのかどうかは分からない。
彼女の家を発見する、アリスが言うにはランプの光が見えるらしいが…今は消えている。
もしかしたら気晴らしに外へ出ているのかと思い、扉を二度叩く。反応が返ってこず、もう一度強めに二度叩いた。
やはり反応は無く、留守かと踵を返そうとした瞬間、暗かった室内にぼんやりと光が灯ったのに気付く。
もしかしたら研究の方は既に片付いてしまったのだろうか。
寝入った所を起こしてしまったのか、悪い事をしたと心の中で反省する。
彼女が出てくるのを扉の前で待つが、こちらへやってくる気配は感じられない。
一向に出てこない彼女に痺れをきらしてドアノブを回すと、扉は簡単に開いてしまった。
いくら家主在住とはいえ、無用心にも程がある。
家の中へ入った私に投げ掛けられたのは、機嫌の悪い彼女の言葉。
何時も通りに返したつもりであったが、彼女の反応は頗る悪い。
寝入ってすぐの寝起きは流石に不機嫌だったかと、すぐさま詫びを入れるが、何故か話が食い違う。
薄暗く見えなかった彼女の顔は数歩近づいた事によってランプの光でよく見えて…彼女の顔にはっきりと見えるクマまで照らしてくれる。
ひょっとしたらと鎌を掛けてみたが、当たってしまうとは思わなかった。
先程暗かったのも、不注意か何かでランプの光が消えてしまっただけだったのかもしれない。
割と強めに扉を叩いたつもりだったが、それにも気付かない程とは、呆れて溜息が出そうになる。しかし、今はそんな事をしている暇は無い。
何の研究だか知った事では無いし、身体を壊してまでする必要があるかどうかも同様である。
私は彼女の言動を制し、急いで台所へと歩を進めた。
「美味しかったようで安心したわ」
私が言うと、目の前に座る彼女は顔を赤くさせ狼狽した。
珈琲を淹れ終わった頃には、多少であるが素直になってくれた彼女。
珈琲を飲み始めた頃には、穏やかな表情の彼女が現れる。やはりこちらの方が何倍も可愛い。
「別に良いじゃない。その方が可愛くて、私は好きよ」
彼女の狼狽振りが照れ隠しに見えたので、私は続けて攻める。
慌てた声の楽しい反応が返ってくるかと思ったが、期待した反応は無く、それどころか言葉すら返ってこない。
「聞こえなかったかしら、魔理沙…魔理沙?」
気付けば彼女は、カップを両手で持ちながら舟を漕いでいた。
身を乗り出し、彼女のカップを避難させる。次第に舟は机上へと、静かに崩れていく。
机に噛り付き眉に皺を寄せていた彼女は、もうそこには居なかった。
すっかり静まり返ってしまった部屋の中。
手持ち無沙汰になった私は机に肘をついて、深く眠る彼女を眺める。
彼女に飲ませた珈琲の中には、ミルクとバニラ香料の他に、自前のウイスキーを入れていた。
まさかこれ程まで上手くいくとは思わなかったが、それだけ彼女の頭が働いていなかったという事だ。
「全く…意地張って無理を通しても碌な事にはならないのよ、覚えておきなさい」
聞こえていないのを分かりつつも彼女へ語りかける。
深く眠っているのか、無防備な表情を見せる。
素面の時にもこんな顔をしてくれたら素晴らしいのだが…まぁ、彼女の性格を考えれば無理なのは目に見えている。
「私がどれ程驚いたかも知らないで…」
戒め代わりにと彼女の額にデコピンをする。
一瞬しかめ面をした反応が面白くて、もう一度指で弾いてやった。
彼女は知らない。
台所で並べた、珈琲の粉とミルクと角砂糖とウイスキーの瓶を前にして頭を悩ましていた事を。
気晴らしになれば良いかと冗談で持ってきた品々だったが、彼女があれ程煮詰まっていたのは予想外だった。
何か無いかと慌てて棚の中を見て、ハーブや香料以外は傷んだ食材ばかりでまともなものが無かった事に愕然として…まぁ、結局はその香料のお陰で何とかなったのだが。
彼女が起きたら、棚の中の惨状について叱っておかなければいけない。
今は彼女の疲れがとれるまで、彼女が目覚めるその時まで、そのまま寝かせておこう。
手を伸ばし、ゆっくりと彼女の頭を撫でる。これ位の褒美を貰っても、罰は当たらない。
何度も、何度も、撫でる手は止まる事を知らなかった。
気付けば窓の外は暗くなり、彼女の机の上で点けっ放しになっていたランプは沈黙していた。
・・・・・・・・・・
目が覚める。
何時の間に眠ってしまったのか、私は慌てて立ち上がり部屋を見回す。
度重なる研究を言い訳に雑然と放置されていた部屋は、整頓された奇麗な部屋へと変貌を遂げ ている。蝋燭が取り替えられた燭台は、本来の役目を果たすように部屋の隅々まで照らしていた。
気付けば肩にはブランケットが掛けられており、完全にしてやられた事にはもう溜息しか漏れてこなかった。
「無茶を続けるから、一服盛られた事にも気付けないのよ」
台所から犯人が現れる。
今作ったばかりと思われる料理の乗った皿を両手に持ち、彼女は満足気な顔をしている。
急激に腹立たしくなり何か言い返そうかと思ったが、寝起きの頭は上手く言葉を選んでくれない。
彼女は皿を机に置いて、私の目を見て話を続ける。
「取り合えず、続きはお腹を満たしてからでも遅くは無いわよ?」
笑顔で言いのけた彼女。
「勝手な真似をしてくれて、随分な―」
ようやく言葉を見つけて彼女へ投げつけようとした瞬間、私のお腹から空腹の合図が鳴り響く。
出来立ての料理を目の前にして、私の身体はさっさと白旗を上げていたのだ。
チラリと彼女の顔を窺う、勝ち誇ったかのような笑顔。
いつも余裕ぶった表情ばかり見せて、それに反する私が子供みたいで…本当に腹が立つ。
しかし、今更何を言い返そうにも既に失態を見せているのだ。
椅子へと崩れ落ち、負けを認めた私の口からは、この言葉しか出てこなかった。
「…いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
でも咲マリはいいよね。
薄暗い部屋の中の雰囲気が出ていたと思います
咲マリのポテンシャルをもっと引き出してほしいです。
文章のコーヒータイム有難うございました。絶妙な配合です。
魔理沙のズボラな部分を補うに当たって、アリスもいいけど咲夜も悪くない。
>>彼女があれ程煮詰まっていたのは
行き詰っていたのは